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メアリー・リーンエス
この場所は、新生『リーンエスの耳』によって集められた情報や事件をまとめた場所ですわ。過去の国際会議についてのとりまとめも行っておりますの。過去の事件や皆様に関わるちょっとしたお話などについても、これからはここでご覧いただけるようになりますわ。
そういえば、辺境都市群の迷宮都市で、迷宮神エドゥノーグ様に捧げられたポエムについての託宣があったそうですわよ。
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いつかの答え/おおくまねこ
レティシア・レインフィール/ウィリアム・リーンエス
竜の半身と放浪公爵/おおくまねこ
ナハティガル=ラー/ウィリアム・リーンエス
●
「晩餐会の歌うたい役、ですか?」
「ええ、ホストのボルテス伯爵夫人がぜひ、貴女にと」
「あの方からの招待ですか……ならば、お断りするわけには参りませんね」
新暦1224年。リーンエス王国、伯爵家令嬢レティシア・レインフィールは王国のとある領地で開かれる晩餐会で一曲歌を歌ってくれないかと乞われていた。冒険者として大陸中を駆け抜けた英雄の一人であるレティシアだが、王国の貴族には彼女を冒険者としてではなく、歌唱に秀でた令嬢として知る者もいる。レティシア本人は大勢の前で歌を歌うことは未だ不慣れではあるが、特に彼女がパンクリアース学園に在学していた頃の知己はその傾向が顕著である。そもそも、この晩餐会がパンクリアース学園の同窓会の色彩が濃いイベントのようだ。手紙に同封されていた参加予定の来客の名簿からは、ホストのボルテス伯爵夫人が当時仲が良かった人達を中心に招待をしていることが見て取れた。
(良かった。しばらくお会いしていなかったけれど、お元気でいらしたのですね)
記憶の糸を辿るまでもなく、レティシアはその夫人の名を思い出していた。ボルテス伯爵夫人……本名レイチェルはレティシアの学生時代のクラスメートである。年齢はレティシアの一つ上だったが、学年は一つ下だ。音楽がとても好きで、レティシアが歌を歌う機会にはよく顔を出してくれたことをよく覚えている。学園卒業後は片田舎に領地を構える中立派の貴族、ボルテス伯爵家に正妻として嫁ぎ、忙しい日々を過ごしていたはずだ。卒業後も何度か顔を合わせる機会はあったものの、ここ数年はレティシアが冒険者をやっていたので、一度も会っていない。
(彼女達にもまた会いたいと思っていました。けれど……一つ問題が)
そこで、レティシアは重大な事実を思い出す。
(彼女はまだ、私の婚約者が変わったことは知らないのでは?)
●
貴族社会において、自由恋愛は基本的にはご法度である。特に女性の場合はそれが顕著だ。貴族(や大商家)の家に生まれた女性は親が決めた相手――場合によっては生まれる前から決まっていた許嫁と結婚し、実家を太くする礎となる。それがこの時代の王国に生きる貴族の女の宿命なのだ。むろん、たとえ相手は自分で選べなくとも幸福な縁談となるケースもないわけではないが、ともかく、これは絶大な権力を持つ王家であっても(むしろ王家だからこそ、というべきか)逃れない宿痾である。
だが、そんな王国でも、時折社会のバグというか特異個体というか、周囲の期待や社会慣習をものともせず、運命に抗う存在が現れる。そう、自分の決めた相手と結婚する貴族女性である。施設の性質上、同世代の男女が集まるパンクリアース学園などでも時折発生はするのだが、基本的には王国貴族社会においては眉を顰められる行為であり、「ああはなるまい」と思われる逸脱行為である。
が、レティシアはそれをやった。禁断の関係であるがゆえに、愛はより激しく燃え上がった……のかどうかは定かではないが、ともかくレティシアは当初背負っていた婚約を破棄し、自分の決めた相手と新たに婚約を結び直したのだ。
(彼女は今の私のことをどう思うでしょうか?)
無論、レティシアは自ら選んだ道に後悔などないが、それはそれとして昔の友人に距離を置かれたり、「しばらく見ない間に芸風が反体制的になった」と思われたりするのは哀しいのもまた乙女心だった。冒険者時代に出来た友人ならば(貴族社会の住人含め)、全く問題にならないことなのだけれど。
●
(少し、早かったでしょうか)
そして晩餐会当日。レティシアは歌うたいの役割があるので、来訪が直前過ぎると迷惑かと思い、晩餐会が始まる二時間ほど前にボルテス伯爵夫人の屋敷に足を運んだ。
「この度はお招きいただきましてありがとうございます、ボルテス伯爵夫人」
「まあ、まあ、お久しぶりね、白百合の君! 来てくれてありがとう! そうかしこまらないで。あの頃と同じようにレイチェルと呼んで頂戴」
「ふふ。かしこまりました、レイチェル様」
レティシアは旧友と再会を喜び合った。「婚約破棄をしたことを引かれたらどうしよう」というレティシアの不安は杞憂だった。ロマン派であった夫人は、「なんて情熱的な恋なの」と、むしろ大興奮だった。夫人はじっくりとレティシアの恋の話を聞きたかったようだが、ハウスキーパーに窘められ、渋々と話を切り上げた。
その後、レティシアは小さな侍女の案内で眺めのいい客室に通された。ゆっくり思い出話をしたいのは山々だが、伯爵夫人が今日は忙しいのは百も承知だ。あまり引き留めては晩餐会そのものに差し支えるのだろう。レティシアの出番のこともあるので、そのうち彼女なり家令なりが訪ねてくるはずだ。
(私も近い将来、彼女と同じことをしなければなりません。今日は彼女に勉強させてもらいましょう)
せっかくの機会なので、レティシアはボルテス伯爵夫人の動きをよく観察するつもりだった。貴族社会において、屋敷に招いた客人をもてなすのは夫人の重要な役割の一つである。冒険者時代はあまり意識することはなかったが、猶予期間が終わった以上、レティシア自身がもてなし役を務める日もそう遠くない。……婚約相手は昔と変わったが。
「失礼します。何かお飲み物をお持ちいたしましょうか」
「ありがとうございます。では冷たい紅茶をお願いいたします」
「ダージリンとレモン、アールグレイがございますが……あ」
レティシアが侍女に紅茶の好みを尋ねられ、返答しようとしたその時だった。廊下から伯爵夫人の悲鳴(あるいは怒号)が聞こえてきた。
「ちょっと! モンドベル伯爵家のエドワウは欠席の予定じゃなかった!? 家族連れで来てるじゃない!」
「すみません、奥様! どうやら行き違いがあったようで……確かに、お返事は頂けなかったはずなのですが……」
「あの野郎、学生の頃からいい加減なんだから! ともかく空いている部屋に案内して! 5分、いえ10分私が足止めをするわ。その間になんとか段取りして」
「かしこまりました!」
「あわわ」
来客が決して聞いてはいけないやりとりが丸聞こえというまさかの事態に、まだ年若い侍女は目に見えて慌てだした。
「お紅茶はダージリンでお願いいたします」
レティシアは何も聞かなかったフリをし、侍女に淑女の微笑みを向けたのだった。
●
「きゃあ、みんな久しぶり!」
「元気だった!?」
「オンレッド先生もお久しぶりです。アルバート先生も元気ですか? あの、クソまずい謎のお茶っ葉を学園の庭で栽培してたおじいちゃん先生」
「うむ、アルバート先生もお元気だよ。最近は彼のお茶会は『死の茶会』とか言われてるがね」
学園教師の色んな意味でブラックなジョークに、どっと盛り上がる王党派の学園卒業生たち。
「こほん。お客様方? 様々な立場のお客様がいらっしゃるので、不謹慎な冗談で盛り上げるのはご遠慮いただけますと……」(額に青筋を立てた伯爵夫人)
(やはり、とても大変そうなお仕事ですね……さりげなくお手伝いができるといいのですが)
レティシアは伯爵夫人と、あまりおガラがよろしくない学園関係者達のやりとりを生暖かく見守っていた。力になってあげたいのは山々だが、露骨に力添えをしてしまうと彼女のメンツを潰してしまう。レティシアは問題を起こしそうな方々を一塊にし、さりげなく人気のない方向に誘導するぐらいの協力に務めた。夫人はとても忙しそうだったので、これぐらいならたぶんレティシアのアシストには気づかないだろう。
元々伯爵夫人とは友人であるということもあるが、花嫁修業の真っ最中であるレティシアにとっては明日は我が身である。今日は特に他人の気がしなかった。こう言っては何だが、舞台裏の不祥事を目撃できたことも、ある意味では幸運だったと思えるほどである。
「ええと……あのおじさん誰だっけ……」
伯爵夫人は来客の素性を忘れたのか、独りでブツブツ呟いていた。自分で招待した客のことぐらい記憶しておけ、というのは簡単ではあるが、招待客には彼女の知り合いだけでなく、夫の友人や先代の知己なども混ざっているし、晩餐会の出席者は十人や二十人ではない。全員のプロフィールを全て把握し、もてなしたり、適切な話題を振ったりするのは一流の貴族夫人のスキルなのだ。残念ながら、レティシアの旧友は未だ一流の貴婦人にはなれていないようである。
「まあ、フォーゲット子爵様! お久しゅうございます」
「おお、レインフィール家のご令嬢ではないか! 大きくなったね、見違えるようだ」
「あ、そうだ! フォーゲット子爵だ!」
レティシアはそのおじさんがたまたま知っている顔だったので、あえて大きな声で名前を呼び、先に挨拶をした。夫人の耳元で名前を囁くような直接的なサポートは避けたが、この支援はさすがに夫人にも気付かれたのだろう。夫人は他の人に見えないように小さくレティシアにお辞儀をしてくれた。
●
レティシアが客間に通されてから約2時間後。ボルテス領の晩餐会はつつがなく開催され、やがてレティシアの出番がやってきた。
「それでは、不肖レティシア・レインフィールが一曲歌わせていただきます」
月のように白いドレスを纏ったレティシアが壇上に立つ。大きく息を吸い込んだレティシアが喉を震わせる。彼女が歌った歌は、渡り鳥が楽園を求めて長い旅をし、旅の果てに美しい場所を見つける――そんな歌だった。彼女が喉を震わせている間、しばし聴衆たちは彼女の歌声に聞き惚れた。
●
「ご清聴、ありがとうございました」
レティシアが一礼すると、会場は盛大な拍手に包まれた。その後、数点の催しが行われた後、晩餐会は立食パーティへと移った。
「ありがとうございます、白百合の君。以前と変わらず、素晴らしい歌声でした!」
「恐縮です。レイチェル様」
レティシアは主催者のレイチェルとしばし歓談したが、ホストの彼女はやはり忙しかったらしく、「また今度、貴女の大恋愛のお話をゆっくり聞かせて下さいね」と言い残し、慌ただしくレティシアの側を離れていった。
(さて、これからどうしましょう。ずっと付きまとわれてはレイチェル様もご迷惑でしょうし)
手持無沙汰になったレティシアはとりあえず喉の渇きでも潤そうかと、テーブルへと近づいていく。すると、後ろから若い男に声をかけられた。
「やあ、レティシア。素晴らしい歌だったね。僕が君の歌声を聞いたのは三年前の学園の時以来かな? あの時の君はお芝居の語り手をしていたっけ」
(この声は……まさか)
バッとレティシアが後ろを振り向くと、涼し気な微笑みを浮かべた金髪碧眼の美青年が立っていた。名はウィリアム・リーンエス第二王子改め、ウィリアム・バデーニ公爵。レティシアにとっては冒険者時代の因縁の相手だった。
(そういえば、あの時のお返事がまだでしたね……)
レティシアは数年前、ヴァイセントラフ砦で彼と話した時のことを思い出していた。
●
――帝国の崩壊と授恵者の急増は、王国にとって致命的だった。じきに『狸』に『黒』も動き出すだろう。
――貴族たちだって一枚岩ではない。帝国の動静次第で王国は文字通りに割れて、大陸は今よりも大きな戦火に包まれることになる。
――レインフィール侯は代々の中立派だ。ただの風見鶏ではなくね。だからこそ、僕たちは手を組めると思っているよ。
――それは、私が決めることではありません。
――その通り。でも、君にこそ、決めて欲しいんだ。……レティシア。薔薇の君。君には、選ぶ権利がある筈だよ。
●
あの時のウィリアムの言葉は求婚と解釈することもできるものだった。結局返答しないまま、レティシアのモラトリアム――というにはあまりに苛烈な日々は終わってしまったが、あの頃とはずいぶん状況も変わっている。
ウィリアムが王家を離れて臣籍降下したこともそうだし、レティシアの婚約者も当時とは違う。レティシアをここに招いたボルテス伯爵夫人はあまり気にしていない様子だったが、今のレティシアの婚約者は貴族派ではなく王党派の家系……というか、王国改革の最先鋒であるクラティアス侯爵家の第一子である(厳密に言えば馴れ初めからそうであったわけではなく、それが認められるまでにも紆余曲折あったが長くなるのでここでは語らない)。
(ちょうどいい機会ですから、今夜公爵様にあの時のお返事をしておくべきですね)
そう決意したレティシアは、ウィリアムへと微笑む。
「ご無沙汰しております、公爵様」
●
「何年か前にも、君とこうして話をしたことがあったね。あれはヴァイセントラフ砦だったかな」
「はい。今となっては遠い昔のような、少し前のような、不思議な感じです」
「うん、分かるよ。幽界樹との戦いの為に過ごした時間は、僕もそんな感じだ」
レティシアとウィリアムはホールをこっそりと抜け出し、中庭に移動していた。ホールでは今、東方からやってきたと自称するマジシャンが大魔術を披露している。わざわざ中庭に来る者はそうそういないだろう。ただし、未婚の女性が若い男と二人きりという状況を避けるため、立会人としてたまたま会場にいた学園教師が一緒に来ていた。
「では改めて。久しぶりだね。レティシア。薔薇の君。いや、今日は白百合の君と呼ぶべきかな。ボルテス伯爵夫人もそう呼んでいたし」
「どちらでも、公爵様のお好きな風に」
レティシアはスカートの裾を掴み、恭しく一礼をすると、たおやかに微笑んだ。
「公爵様はどうしてこちらに? 伯爵夫人とお知り合いだったのですか?」
「ああ。僕が放浪生活をしていた頃に、伯爵とちょっとね」
ウィリアムは頷く。結婚するまでずっと放浪していたイメージのある彼のことなので、時期はレティシアには不明だったが、ともかく伯爵とは知り合いのようだ。
「遅くなりましたが、ご結婚おめでとうございます」
「ありがとう。新生活はお互い大変だと思うけど、君の方はどうだい?」
「公爵様ほどでは。……時には、冒険者時代のことが懐かしくもありますが」
「そうだね。僕もスケジュールがあまりに大変な時は、なぜかギルドの依頼書に目をやってしまうことがあるよ」
ウィリアムの冗談にレティシアはクスリと笑った。その後、二人はしばし近況報告などの雑談をした。あえて確認するまでもないことではあるが、ウィリアムは当然レティシアの婚約相手が変わったこともちゃんと把握していた。やがてレティシアは意を決し、今日の本題を切り出した。
「あの……公爵様。あの時のお話のお返事をさせていただきたく」
すると、ウィリアムはゆっくりと頷いた。
「ああ。今こそ君の答えを聞かせてほしい」
●
『でも、君にこそ、決めて欲しいんだ。……レティシア。薔薇の君。君には、選ぶ権利がある筈だよ』
(あの時はまさかの求婚かと悩んだものですが……冷静に考えると、それはおかしい気がします)
当時、レティシアは貴族派の家系の男と婚約していた。ウィリアムの「手を組まないか」という発言をプロポーズだと解釈すると、それは婚約を破棄して自分のとこに来い、という意味になる。
幽界樹との長い戦いの最中、冒険者に『メドゥの指先』との黒い繋がりや、悪事を暴かれた者も多く、貴族派は徐々に衰退していったが、当時の情勢的には、レティシアが王子の誘いを本気にすれば、王家に不満を持つ貴族派や過激派に攻撃材料を与えかねない行為だった。
(貴族派との婚約を破棄させて王子と婚姻することは王家に利点は薄かったと考えられます)
(第一王女と婚約していた)レイウェスト皇子の血筋が明らかになったすぐ後にウィリアムが臣籍降下と集権派の構想を発表したように、彼が王家への批判を全て自分に向けようとか考えていたのでなければ。
「公爵様。あの時のお誘いは集権派成立の為の協力に、代々中立派貴族である父や兄との仲介が目的だったのではありませんか?」
レティシアがそう問いかけると、ウィリアムは肩を竦めた。
「おっと、それは少し飛躍しすぎじゃないかな。あの時はまだメアリーとレイウェストの結婚も決まっていなかったし、狸と黒を抑えられるかも不透明だった」
(……違うのでしょうか? 確かに集権派の構想が発表されたのは、メアリー王女の婚約相手であるレイウェスト皇子がリザードマンとの混血であったことが露見したことで、国内でも特に王家への不満が特に高まっていた時期でしたが……)
レティシアはじっとウィリアムを見つめてみるが、彼は目を逸らさず、涼しげな微笑を浮かべるのみだ。いずれにせよ、集権派の構想がいつからあったのかについては彼は黙秘するつもりらしい。……そこで話が終わってしまったので、レティシアはいよいよいつかの答えを口にしなければならなくなった。
「……公爵様。家臣となるのは立場上難しいのですが、友人や、側室の義姉としてならば、お力になれるのではないかと」
レティシアがそう口にすると、ウィリアムは笑って頷いた。
「ありがとう。薔薇の君。……そうだね。君は『選ぶ権利』を使った結果、そうなったんだろう」
先ほども少し触れたが、レティシアの現婚約者は王党派のクラティアス家の第一子である。そして、その男はウィリアムの側室の一人である令嬢の異母兄にあたる。したがって、レティシアは近い将来ウィリアムの義理の兄の妻になることになる。ウィリアムから誘いを受けた時点とは異なり、家柄的な観点ではかなりウィリアムに近しくなっているのである。実家は依然として中立派だが、客観的にはレティシアはほぼ王党派の人間だ。
「レティシア。あの時君には選ぶ権利があるとは言ったけれど、さすがにそこまでは僕にも読めなかったな。やはり君は情熱的な薔薇だった」
ウィリアムが自分の髪を軽く掴みながら苦笑すると、レティシアは少し照れ臭そうにしていた。
●
「集権派の理念については、私も協力は可能かと。ただ、過去の事例から常に王家が正しい事を想定した中央集権化は危うく感じることも事実です」
レティシアがそう口にすると、ウィリアムの眉が一瞬吊り上がった。……が、すぐにウィリアムは微笑みを浮かべた。
(……?)
「レティシア。君は時々本当に大胆なことを口にするね。その発言は王家への不敬を疑われかねない。僕は聞き流せるけど、貴族としての発言には気を付けた方がいい」
ウィリアムは首を横に振ると、シィーッと人差し指を立てるジェスチャーをした。
「……不躾でした。ご忠告、感謝いたします」
レティシアは恭しく一礼する。十分に気を付けていたつもりだったが、冒険者時代の感覚がまだ抜けきっていなかったのかもしれない。
「……そういえば大胆と言えば、アイオーラ伯爵にも『第二王子以外に貴方の娘の貰い手はいない』とか言ったそうじゃないか」
「え」
ウィリアムが冷たい微笑を浮かべながらそう口にすると、今度はレティシアの顔が凍り付いた。確かに、ウィリアムの熱狂的ファンであったアイオーラ伯爵家の長女の結婚を後押しするために、そのようなニュアンスのことをオブラートに包んで伯爵に伝えた覚えはあるが、まさかウィリアム本人にその話が伝わっているとは。そして、レティシアはそんな悪意の籠った言い方はしていない。当時レティシアが口にしたのは、
「学園に巨大なウィリアム黄金像を建てた女に、ウィリアム以外の男との縁談が果たして可能なのか?」
という極めてまっとうな疑問である。
「あの。殿下。誤解があると思うのですが」
狼狽のあまり呼称が以前のものに戻っていることも気づかずレティシアは弁解しようとしたが、ウィリアムは涼しげに笑っている。
「はは。まあそれは別に気にはしてないよ。縁談と、アイオーラ伯爵の集権派への鞍替えを後押ししてくれて僕も助かったわけだしね。……ちょっと場の雰囲気を変えるべく、別の話題を振ってみたかっただけさ」
朗らかに笑う王子だったが、レティシアの方は引き攣った笑顔を浮かべて会釈するのがせいぜいだった。今の全く笑えない冗談は、ウィリアムなりの不敬へのペナルティだったのかもしれない。
「それでレティシア。君の話にはまだ続きがありそうだね」
ウィリアムが真面目な顔に戻ると、レティシアはこほんと咳払いしてから頷いた。
「はい、公爵様。この国の集権化についてですが……有事の際に王家を諫める事が出来る。例えば王家とも対等に話し合える場や組織があれば、王国はより良い国になるのではと……」
レティシアがためらいながらそう口にすると、ウィリアムは真面目な顔のまま、静かに頷いた。
「なるほど。君の意見は分かった。だが、もし公の場で貴族がそこまで口にするならば、最低でも具体案の提示は必要で、根回しと行動はもっと重要だよ」
「はい」
レティシアは頷く。確か王子の言う通りだ。今語った自分の構想を実現させるには、たくさんの味方が必要となるだろう。それこそ、生涯をかけた大事業になるかもしれないほどに。今日のようなパーティーに何度も足を運んだり、自分で集まりを開いて賛同してくれる人を集めたりといった、地道で長い下積みも必要になってくるはずだ。場合によっては、異なる思想を持つ貴族に命を狙われることだってあるかもしれない。それは、今レティシアの目の前に立っている男も同じなのだが。
「それと、君も分かっているだろうけど、この国の政治は王族だけで全て決めているわけではない。王家が強大な権力を持つことは事実だが、城の者達の意志や重臣の意見が反映されていないわけではないからね」
「……」
「いつかもう一度聞かせて欲しいな。君の理想がもう少しハッキリとした形になった時に。君の考える構想がこの国の未来を良きものにできるものならば、僕は喜んで賛同するだろう。期待しているよ、薔薇の君」
「はい」
レティシアは真剣な眼差しでウィリアムを見つめながら頷いた。
「……おっと。もうこんな時間か。そろそろ僕は失礼するよ。またね、レティシア義姉さん。今日は楽しかったよ。君の愛しい男性にもよろしく」
「え? ……はい。またお会いしましょう、公爵様」
ウィリアムは困惑するレティシアを放置し、今日一番の爽やかな笑顔を浮かべて立ち去っていった。すると、ずっと案山子に徹していた男もスッとその場を立ち去った。しばらくあっけにとられていたレティシアだったが、しばらくしてはたと気付く。
(あの時のお返事をしたはずなのですが。また別の約束ができてしまいました……やっぱりあの方は私を逃がす気がないのでは?)
今日は彼と一つの決着を付けるつもりだったが、いつの間にやらまた新しいウィリアムとの約束ができてしまった。どうやら、彼との秘密の約束はまだ終わらないようである……。
「晩餐会の歌うたい役、ですか?」
「ええ、ホストのボルテス伯爵夫人がぜひ、貴女にと」
「あの方からの招待ですか……ならば、お断りするわけには参りませんね」
新暦1224年。リーンエス王国、伯爵家令嬢レティシア・レインフィールは王国のとある領地で開かれる晩餐会で一曲歌を歌ってくれないかと乞われていた。冒険者として大陸中を駆け抜けた英雄の一人であるレティシアだが、王国の貴族には彼女を冒険者としてではなく、歌唱に秀でた令嬢として知る者もいる。レティシア本人は大勢の前で歌を歌うことは未だ不慣れではあるが、特に彼女がパンクリアース学園に在学していた頃の知己はその傾向が顕著である。そもそも、この晩餐会がパンクリアース学園の同窓会の色彩が濃いイベントのようだ。手紙に同封されていた参加予定の来客の名簿からは、ホストのボルテス伯爵夫人が当時仲が良かった人達を中心に招待をしていることが見て取れた。
(良かった。しばらくお会いしていなかったけれど、お元気でいらしたのですね)
記憶の糸を辿るまでもなく、レティシアはその夫人の名を思い出していた。ボルテス伯爵夫人……本名レイチェルはレティシアの学生時代のクラスメートである。年齢はレティシアの一つ上だったが、学年は一つ下だ。音楽がとても好きで、レティシアが歌を歌う機会にはよく顔を出してくれたことをよく覚えている。学園卒業後は片田舎に領地を構える中立派の貴族、ボルテス伯爵家に正妻として嫁ぎ、忙しい日々を過ごしていたはずだ。卒業後も何度か顔を合わせる機会はあったものの、ここ数年はレティシアが冒険者をやっていたので、一度も会っていない。
(彼女達にもまた会いたいと思っていました。けれど……一つ問題が)
そこで、レティシアは重大な事実を思い出す。
(彼女はまだ、私の婚約者が変わったことは知らないのでは?)
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貴族社会において、自由恋愛は基本的にはご法度である。特に女性の場合はそれが顕著だ。貴族(や大商家)の家に生まれた女性は親が決めた相手――場合によっては生まれる前から決まっていた許嫁と結婚し、実家を太くする礎となる。それがこの時代の王国に生きる貴族の女の宿命なのだ。むろん、たとえ相手は自分で選べなくとも幸福な縁談となるケースもないわけではないが、ともかく、これは絶大な権力を持つ王家であっても(むしろ王家だからこそ、というべきか)逃れない宿痾である。
だが、そんな王国でも、時折社会のバグというか特異個体というか、周囲の期待や社会慣習をものともせず、運命に抗う存在が現れる。そう、自分の決めた相手と結婚する貴族女性である。施設の性質上、同世代の男女が集まるパンクリアース学園などでも時折発生はするのだが、基本的には王国貴族社会においては眉を顰められる行為であり、「ああはなるまい」と思われる逸脱行為である。
が、レティシアはそれをやった。禁断の関係であるがゆえに、愛はより激しく燃え上がった……のかどうかは定かではないが、ともかくレティシアは当初背負っていた婚約を破棄し、自分の決めた相手と新たに婚約を結び直したのだ。
(彼女は今の私のことをどう思うでしょうか?)
無論、レティシアは自ら選んだ道に後悔などないが、それはそれとして昔の友人に距離を置かれたり、「しばらく見ない間に芸風が反体制的になった」と思われたりするのは哀しいのもまた乙女心だった。冒険者時代に出来た友人ならば(貴族社会の住人含め)、全く問題にならないことなのだけれど。
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(少し、早かったでしょうか)
そして晩餐会当日。レティシアは歌うたいの役割があるので、来訪が直前過ぎると迷惑かと思い、晩餐会が始まる二時間ほど前にボルテス伯爵夫人の屋敷に足を運んだ。
「この度はお招きいただきましてありがとうございます、ボルテス伯爵夫人」
「まあ、まあ、お久しぶりね、白百合の君! 来てくれてありがとう! そうかしこまらないで。あの頃と同じようにレイチェルと呼んで頂戴」
「ふふ。かしこまりました、レイチェル様」
レティシアは旧友と再会を喜び合った。「婚約破棄をしたことを引かれたらどうしよう」というレティシアの不安は杞憂だった。ロマン派であった夫人は、「なんて情熱的な恋なの」と、むしろ大興奮だった。夫人はじっくりとレティシアの恋の話を聞きたかったようだが、ハウスキーパーに窘められ、渋々と話を切り上げた。
その後、レティシアは小さな侍女の案内で眺めのいい客室に通された。ゆっくり思い出話をしたいのは山々だが、伯爵夫人が今日は忙しいのは百も承知だ。あまり引き留めては晩餐会そのものに差し支えるのだろう。レティシアの出番のこともあるので、そのうち彼女なり家令なりが訪ねてくるはずだ。
(私も近い将来、彼女と同じことをしなければなりません。今日は彼女に勉強させてもらいましょう)
せっかくの機会なので、レティシアはボルテス伯爵夫人の動きをよく観察するつもりだった。貴族社会において、屋敷に招いた客人をもてなすのは夫人の重要な役割の一つである。冒険者時代はあまり意識することはなかったが、猶予期間が終わった以上、レティシア自身がもてなし役を務める日もそう遠くない。……婚約相手は昔と変わったが。
「失礼します。何かお飲み物をお持ちいたしましょうか」
「ありがとうございます。では冷たい紅茶をお願いいたします」
「ダージリンとレモン、アールグレイがございますが……あ」
レティシアが侍女に紅茶の好みを尋ねられ、返答しようとしたその時だった。廊下から伯爵夫人の悲鳴(あるいは怒号)が聞こえてきた。
「ちょっと! モンドベル伯爵家のエドワウは欠席の予定じゃなかった!? 家族連れで来てるじゃない!」
「すみません、奥様! どうやら行き違いがあったようで……確かに、お返事は頂けなかったはずなのですが……」
「あの野郎、学生の頃からいい加減なんだから! ともかく空いている部屋に案内して! 5分、いえ10分私が足止めをするわ。その間になんとか段取りして」
「かしこまりました!」
「あわわ」
来客が決して聞いてはいけないやりとりが丸聞こえというまさかの事態に、まだ年若い侍女は目に見えて慌てだした。
「お紅茶はダージリンでお願いいたします」
レティシアは何も聞かなかったフリをし、侍女に淑女の微笑みを向けたのだった。
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「きゃあ、みんな久しぶり!」
「元気だった!?」
「オンレッド先生もお久しぶりです。アルバート先生も元気ですか? あの、クソまずい謎のお茶っ葉を学園の庭で栽培してたおじいちゃん先生」
「うむ、アルバート先生もお元気だよ。最近は彼のお茶会は『死の茶会』とか言われてるがね」
学園教師の色んな意味でブラックなジョークに、どっと盛り上がる王党派の学園卒業生たち。
「こほん。お客様方? 様々な立場のお客様がいらっしゃるので、不謹慎な冗談で盛り上げるのはご遠慮いただけますと……」(額に青筋を立てた伯爵夫人)
(やはり、とても大変そうなお仕事ですね……さりげなくお手伝いができるといいのですが)
レティシアは伯爵夫人と、あまりおガラがよろしくない学園関係者達のやりとりを生暖かく見守っていた。力になってあげたいのは山々だが、露骨に力添えをしてしまうと彼女のメンツを潰してしまう。レティシアは問題を起こしそうな方々を一塊にし、さりげなく人気のない方向に誘導するぐらいの協力に務めた。夫人はとても忙しそうだったので、これぐらいならたぶんレティシアのアシストには気づかないだろう。
元々伯爵夫人とは友人であるということもあるが、花嫁修業の真っ最中であるレティシアにとっては明日は我が身である。今日は特に他人の気がしなかった。こう言っては何だが、舞台裏の不祥事を目撃できたことも、ある意味では幸運だったと思えるほどである。
「ええと……あのおじさん誰だっけ……」
伯爵夫人は来客の素性を忘れたのか、独りでブツブツ呟いていた。自分で招待した客のことぐらい記憶しておけ、というのは簡単ではあるが、招待客には彼女の知り合いだけでなく、夫の友人や先代の知己なども混ざっているし、晩餐会の出席者は十人や二十人ではない。全員のプロフィールを全て把握し、もてなしたり、適切な話題を振ったりするのは一流の貴族夫人のスキルなのだ。残念ながら、レティシアの旧友は未だ一流の貴婦人にはなれていないようである。
「まあ、フォーゲット子爵様! お久しゅうございます」
「おお、レインフィール家のご令嬢ではないか! 大きくなったね、見違えるようだ」
「あ、そうだ! フォーゲット子爵だ!」
レティシアはそのおじさんがたまたま知っている顔だったので、あえて大きな声で名前を呼び、先に挨拶をした。夫人の耳元で名前を囁くような直接的なサポートは避けたが、この支援はさすがに夫人にも気付かれたのだろう。夫人は他の人に見えないように小さくレティシアにお辞儀をしてくれた。
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レティシアが客間に通されてから約2時間後。ボルテス領の晩餐会はつつがなく開催され、やがてレティシアの出番がやってきた。
「それでは、不肖レティシア・レインフィールが一曲歌わせていただきます」
月のように白いドレスを纏ったレティシアが壇上に立つ。大きく息を吸い込んだレティシアが喉を震わせる。彼女が歌った歌は、渡り鳥が楽園を求めて長い旅をし、旅の果てに美しい場所を見つける――そんな歌だった。彼女が喉を震わせている間、しばし聴衆たちは彼女の歌声に聞き惚れた。
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「ご清聴、ありがとうございました」
レティシアが一礼すると、会場は盛大な拍手に包まれた。その後、数点の催しが行われた後、晩餐会は立食パーティへと移った。
「ありがとうございます、白百合の君。以前と変わらず、素晴らしい歌声でした!」
「恐縮です。レイチェル様」
レティシアは主催者のレイチェルとしばし歓談したが、ホストの彼女はやはり忙しかったらしく、「また今度、貴女の大恋愛のお話をゆっくり聞かせて下さいね」と言い残し、慌ただしくレティシアの側を離れていった。
(さて、これからどうしましょう。ずっと付きまとわれてはレイチェル様もご迷惑でしょうし)
手持無沙汰になったレティシアはとりあえず喉の渇きでも潤そうかと、テーブルへと近づいていく。すると、後ろから若い男に声をかけられた。
「やあ、レティシア。素晴らしい歌だったね。僕が君の歌声を聞いたのは三年前の学園の時以来かな? あの時の君はお芝居の語り手をしていたっけ」
(この声は……まさか)
バッとレティシアが後ろを振り向くと、涼し気な微笑みを浮かべた金髪碧眼の美青年が立っていた。名はウィリアム・リーンエス第二王子改め、ウィリアム・バデーニ公爵。レティシアにとっては冒険者時代の因縁の相手だった。
(そういえば、あの時のお返事がまだでしたね……)
レティシアは数年前、ヴァイセントラフ砦で彼と話した時のことを思い出していた。
●
――帝国の崩壊と授恵者の急増は、王国にとって致命的だった。じきに『狸』に『黒』も動き出すだろう。
――貴族たちだって一枚岩ではない。帝国の動静次第で王国は文字通りに割れて、大陸は今よりも大きな戦火に包まれることになる。
――レインフィール侯は代々の中立派だ。ただの風見鶏ではなくね。だからこそ、僕たちは手を組めると思っているよ。
――それは、私が決めることではありません。
――その通り。でも、君にこそ、決めて欲しいんだ。……レティシア。薔薇の君。君には、選ぶ権利がある筈だよ。
●
あの時のウィリアムの言葉は求婚と解釈することもできるものだった。結局返答しないまま、レティシアのモラトリアム――というにはあまりに苛烈な日々は終わってしまったが、あの頃とはずいぶん状況も変わっている。
ウィリアムが王家を離れて臣籍降下したこともそうだし、レティシアの婚約者も当時とは違う。レティシアをここに招いたボルテス伯爵夫人はあまり気にしていない様子だったが、今のレティシアの婚約者は貴族派ではなく王党派の家系……というか、王国改革の最先鋒であるクラティアス侯爵家の第一子である(厳密に言えば馴れ初めからそうであったわけではなく、それが認められるまでにも紆余曲折あったが長くなるのでここでは語らない)。
(ちょうどいい機会ですから、今夜公爵様にあの時のお返事をしておくべきですね)
そう決意したレティシアは、ウィリアムへと微笑む。
「ご無沙汰しております、公爵様」
●
「何年か前にも、君とこうして話をしたことがあったね。あれはヴァイセントラフ砦だったかな」
「はい。今となっては遠い昔のような、少し前のような、不思議な感じです」
「うん、分かるよ。幽界樹との戦いの為に過ごした時間は、僕もそんな感じだ」
レティシアとウィリアムはホールをこっそりと抜け出し、中庭に移動していた。ホールでは今、東方からやってきたと自称するマジシャンが大魔術を披露している。わざわざ中庭に来る者はそうそういないだろう。ただし、未婚の女性が若い男と二人きりという状況を避けるため、立会人としてたまたま会場にいた学園教師が一緒に来ていた。
「では改めて。久しぶりだね。レティシア。薔薇の君。いや、今日は白百合の君と呼ぶべきかな。ボルテス伯爵夫人もそう呼んでいたし」
「どちらでも、公爵様のお好きな風に」
レティシアはスカートの裾を掴み、恭しく一礼をすると、たおやかに微笑んだ。
「公爵様はどうしてこちらに? 伯爵夫人とお知り合いだったのですか?」
「ああ。僕が放浪生活をしていた頃に、伯爵とちょっとね」
ウィリアムは頷く。結婚するまでずっと放浪していたイメージのある彼のことなので、時期はレティシアには不明だったが、ともかく伯爵とは知り合いのようだ。
「遅くなりましたが、ご結婚おめでとうございます」
「ありがとう。新生活はお互い大変だと思うけど、君の方はどうだい?」
「公爵様ほどでは。……時には、冒険者時代のことが懐かしくもありますが」
「そうだね。僕もスケジュールがあまりに大変な時は、なぜかギルドの依頼書に目をやってしまうことがあるよ」
ウィリアムの冗談にレティシアはクスリと笑った。その後、二人はしばし近況報告などの雑談をした。あえて確認するまでもないことではあるが、ウィリアムは当然レティシアの婚約相手が変わったこともちゃんと把握していた。やがてレティシアは意を決し、今日の本題を切り出した。
「あの……公爵様。あの時のお話のお返事をさせていただきたく」
すると、ウィリアムはゆっくりと頷いた。
「ああ。今こそ君の答えを聞かせてほしい」
●
『でも、君にこそ、決めて欲しいんだ。……レティシア。薔薇の君。君には、選ぶ権利がある筈だよ』
(あの時はまさかの求婚かと悩んだものですが……冷静に考えると、それはおかしい気がします)
当時、レティシアは貴族派の家系の男と婚約していた。ウィリアムの「手を組まないか」という発言をプロポーズだと解釈すると、それは婚約を破棄して自分のとこに来い、という意味になる。
幽界樹との長い戦いの最中、冒険者に『メドゥの指先』との黒い繋がりや、悪事を暴かれた者も多く、貴族派は徐々に衰退していったが、当時の情勢的には、レティシアが王子の誘いを本気にすれば、王家に不満を持つ貴族派や過激派に攻撃材料を与えかねない行為だった。
(貴族派との婚約を破棄させて王子と婚姻することは王家に利点は薄かったと考えられます)
(第一王女と婚約していた)レイウェスト皇子の血筋が明らかになったすぐ後にウィリアムが臣籍降下と集権派の構想を発表したように、彼が王家への批判を全て自分に向けようとか考えていたのでなければ。
「公爵様。あの時のお誘いは集権派成立の為の協力に、代々中立派貴族である父や兄との仲介が目的だったのではありませんか?」
レティシアがそう問いかけると、ウィリアムは肩を竦めた。
「おっと、それは少し飛躍しすぎじゃないかな。あの時はまだメアリーとレイウェストの結婚も決まっていなかったし、狸と黒を抑えられるかも不透明だった」
(……違うのでしょうか? 確かに集権派の構想が発表されたのは、メアリー王女の婚約相手であるレイウェスト皇子がリザードマンとの混血であったことが露見したことで、国内でも特に王家への不満が特に高まっていた時期でしたが……)
レティシアはじっとウィリアムを見つめてみるが、彼は目を逸らさず、涼しげな微笑を浮かべるのみだ。いずれにせよ、集権派の構想がいつからあったのかについては彼は黙秘するつもりらしい。……そこで話が終わってしまったので、レティシアはいよいよいつかの答えを口にしなければならなくなった。
「……公爵様。家臣となるのは立場上難しいのですが、友人や、側室の義姉としてならば、お力になれるのではないかと」
レティシアがそう口にすると、ウィリアムは笑って頷いた。
「ありがとう。薔薇の君。……そうだね。君は『選ぶ権利』を使った結果、そうなったんだろう」
先ほども少し触れたが、レティシアの現婚約者は王党派のクラティアス家の第一子である。そして、その男はウィリアムの側室の一人である令嬢の異母兄にあたる。したがって、レティシアは近い将来ウィリアムの義理の兄の妻になることになる。ウィリアムから誘いを受けた時点とは異なり、家柄的な観点ではかなりウィリアムに近しくなっているのである。実家は依然として中立派だが、客観的にはレティシアはほぼ王党派の人間だ。
「レティシア。あの時君には選ぶ権利があるとは言ったけれど、さすがにそこまでは僕にも読めなかったな。やはり君は情熱的な薔薇だった」
ウィリアムが自分の髪を軽く掴みながら苦笑すると、レティシアは少し照れ臭そうにしていた。
●
「集権派の理念については、私も協力は可能かと。ただ、過去の事例から常に王家が正しい事を想定した中央集権化は危うく感じることも事実です」
レティシアがそう口にすると、ウィリアムの眉が一瞬吊り上がった。……が、すぐにウィリアムは微笑みを浮かべた。
(……?)
「レティシア。君は時々本当に大胆なことを口にするね。その発言は王家への不敬を疑われかねない。僕は聞き流せるけど、貴族としての発言には気を付けた方がいい」
ウィリアムは首を横に振ると、シィーッと人差し指を立てるジェスチャーをした。
「……不躾でした。ご忠告、感謝いたします」
レティシアは恭しく一礼する。十分に気を付けていたつもりだったが、冒険者時代の感覚がまだ抜けきっていなかったのかもしれない。
「……そういえば大胆と言えば、アイオーラ伯爵にも『第二王子以外に貴方の娘の貰い手はいない』とか言ったそうじゃないか」
「え」
ウィリアムが冷たい微笑を浮かべながらそう口にすると、今度はレティシアの顔が凍り付いた。確かに、ウィリアムの熱狂的ファンであったアイオーラ伯爵家の長女の結婚を後押しするために、そのようなニュアンスのことをオブラートに包んで伯爵に伝えた覚えはあるが、まさかウィリアム本人にその話が伝わっているとは。そして、レティシアはそんな悪意の籠った言い方はしていない。当時レティシアが口にしたのは、
「学園に巨大なウィリアム黄金像を建てた女に、ウィリアム以外の男との縁談が果たして可能なのか?」
という極めてまっとうな疑問である。
「あの。殿下。誤解があると思うのですが」
狼狽のあまり呼称が以前のものに戻っていることも気づかずレティシアは弁解しようとしたが、ウィリアムは涼しげに笑っている。
「はは。まあそれは別に気にはしてないよ。縁談と、アイオーラ伯爵の集権派への鞍替えを後押ししてくれて僕も助かったわけだしね。……ちょっと場の雰囲気を変えるべく、別の話題を振ってみたかっただけさ」
朗らかに笑う王子だったが、レティシアの方は引き攣った笑顔を浮かべて会釈するのがせいぜいだった。今の全く笑えない冗談は、ウィリアムなりの不敬へのペナルティだったのかもしれない。
「それでレティシア。君の話にはまだ続きがありそうだね」
ウィリアムが真面目な顔に戻ると、レティシアはこほんと咳払いしてから頷いた。
「はい、公爵様。この国の集権化についてですが……有事の際に王家を諫める事が出来る。例えば王家とも対等に話し合える場や組織があれば、王国はより良い国になるのではと……」
レティシアがためらいながらそう口にすると、ウィリアムは真面目な顔のまま、静かに頷いた。
「なるほど。君の意見は分かった。だが、もし公の場で貴族がそこまで口にするならば、最低でも具体案の提示は必要で、根回しと行動はもっと重要だよ」
「はい」
レティシアは頷く。確か王子の言う通りだ。今語った自分の構想を実現させるには、たくさんの味方が必要となるだろう。それこそ、生涯をかけた大事業になるかもしれないほどに。今日のようなパーティーに何度も足を運んだり、自分で集まりを開いて賛同してくれる人を集めたりといった、地道で長い下積みも必要になってくるはずだ。場合によっては、異なる思想を持つ貴族に命を狙われることだってあるかもしれない。それは、今レティシアの目の前に立っている男も同じなのだが。
「それと、君も分かっているだろうけど、この国の政治は王族だけで全て決めているわけではない。王家が強大な権力を持つことは事実だが、城の者達の意志や重臣の意見が反映されていないわけではないからね」
「……」
「いつかもう一度聞かせて欲しいな。君の理想がもう少しハッキリとした形になった時に。君の考える構想がこの国の未来を良きものにできるものならば、僕は喜んで賛同するだろう。期待しているよ、薔薇の君」
「はい」
レティシアは真剣な眼差しでウィリアムを見つめながら頷いた。
「……おっと。もうこんな時間か。そろそろ僕は失礼するよ。またね、レティシア義姉さん。今日は楽しかったよ。君の愛しい男性にもよろしく」
「え? ……はい。またお会いしましょう、公爵様」
ウィリアムは困惑するレティシアを放置し、今日一番の爽やかな笑顔を浮かべて立ち去っていった。すると、ずっと案山子に徹していた男もスッとその場を立ち去った。しばらくあっけにとられていたレティシアだったが、しばらくしてはたと気付く。
(あの時のお返事をしたはずなのですが。また別の約束ができてしまいました……やっぱりあの方は私を逃がす気がないのでは?)
今日は彼と一つの決着を付けるつもりだったが、いつの間にやらまた新しいウィリアムとの約束ができてしまった。どうやら、彼との秘密の約束はまだ終わらないようである……。
●
(今日は荒事とは無縁のまま終われると思ったのだがな)
1224年、リーンエス王国内のとある避暑地にて。刺すような視線に気付いたナハティガル=ラーはため息をついた。
(この殺気は……あの男のものか)
よくよく群衆を観察してみると、フードで顔を隠した男がチラチラと護衛を警戒している。恐らく会議が終わり、要人達が建物から出てきたところを狙うつもりなのだろう。
(狙いは誰だ? 誰がターゲットであろうとも、テロは未然に防がねばならないが……)
幽界樹討伐後、『黒鋼竜附護衛士』としてライゼンナクト侯爵家に召し抱えられることとなったナハティガルは多忙な日々を送っていた。今日の任務である商工会議所の警護も任務の一つであった。ここはライゼンナクト領ではなく隣の領主が治める土地だが、通商に関する取り決めのため、ライゼンナクト領を拠点とする商人や、ライゼンナクト領の役人も会議に出席している。そのため、保険としてナハティガルも要人達に帯同したのだ。
ライゼンナクト侯爵家――通称『黒鋼竜』はリーンエス王国貴族派筆頭の大貴族であり、「死の商人の後ろ盾」などとも呼ばれている。この領に限った話ではないが、貴族だけではなく、商人に恨みを持つ者は少なくない。とりわけ、『ライゼンナクトの乱』を引き起こし、多くの貴族を自らと共に葬った先代当主の所業も考慮すれば、黒き竜に仇為す者はいくらでもいるだろう。
(怪しい男がいるので、マークをしておく)
ナハティガルは仲間にハンドサインで異常を知らせた。
(いったん泳がせろ。お前はそいつに付け)
(了解)
簡潔にやり取りをし、ナハティガルは男の背後に忍び寄る。そして【疾風足】の範囲を維持し、男の監視を続けた。
……。
そして数十分。会議が終わったのか、ガヤガヤと商工会議所が騒がしくなった。男はもう、商工会議所しか見ていなかった。
「そこの男。この建物に何の用だ」
背後からナハティガルが声をかけると、男はぎょっと一瞬固まった後、懐に腕を突っ込んだ。が、数手遅い。ナハティガルはすばやく男の右腕を捻り上げ、地面に叩きつけた。男が抜こうとしたダガーが石畳に落下し、カラン、と音を立てた。
「詳しく話を聞かねばならんようだな。一緒に来てもらおうか」
悪漢を取り押さえながら、ナハティガルはため息を吐いた。要人たちは他の衛士が手早く馬車まで送迎している。ナハティガルの役目はひとまず終わったようだ。
「くそっ! 離せ! 俺はあいつらのせいで仕事を失った……! 連中が裏で手を回しやがったに違いねえ! この、差別主義者共が!」
男はナハティガルに捕えられたまま、大声でがなり立てた。
(この男……獣人か)
フードを引っぺがすと、男の頭の上には狐の耳が生えていた。興奮した男の話は要領を得ないが、何か出自を理由に不当な扱いを受けたのかもしれない。もっとも、単なる逆恨みの可能性も否定できないが。
「理由は駐屯所で話せ」
ナハティガルは男を最寄りの駐屯所まで引っ立てていった。
●
この土地はライゼンナクト領ではなかったため、ナハティガルは取り調べには参加できなかった。が、後日、取り調べの結果が書簡で送られてきた。結論から言えば、男の犯行(未遂)はナハティガルの主君とは無関係だった。
男はかつて、毛皮を扱う商人だった。だがある日、「獣が獣の皮を売るのか」と、人間の商人から公然と侮辱され、そいつを一発ぶん殴ってしまった。その結果、領主からあっさりと営業許可を取り消されてしまったらしい。男は自分が獣人だからヒューマンよりも処分が重くなったのだ、と主張した。肝心の商工会議所を襲撃しようとした理由については、その事件は会議に参加していた商人が自分を排除するために仕組んだ陰謀だったのだと思い込むまでに至ったことが理由らしい。
(男のやろうとしたことには何の正当性もない。商人達の陰謀云々もおそらく妄想だろう。だが、最初の役人の処分については、一概に被害妄想とは言い切れない……)
他国からヒューマン至上主義と揶揄されるこの国では、同じような罪を犯しても異種族の方が罪が重くなったりするケースは珍しいことではない。異種族の中でも特に社会的地位が低い、小鬼であるナハティガルにとっては、なんとも気の重い話だった。
(だが、この国も変わりつつある。否、俺と【黒鋼竜】で変えてみせる)
ナハティガルは、種族や人種・身分によって理不尽な差別が行われない世界を求めている。その理想の為、王国の未来のためならば親をも殺す覚悟を持った賢君であった【黒鋼竜】に剣を預けたのだ。
(先は永いな……そして、未遂に終わった以上、あの男も死罪にはまではならないと思いたいが)
男の行く末……そしてこの国の未来を案じ、物憂げな表情でナハティガルが通りを歩いていると、前方からウィリアム・リーンエスが歩いてきた。
●
(ウィリアム・リーンエス第二王子……いや、ウィリアム・バデーニ公爵だと!? なぜここにあの男がいる!)
唐突過ぎるウィリアムの登場に幻覚攻撃でも喰らったのかと思い、ナハティガルは思わずエーテルを活性化させ、目の前の金髪碧眼のヒューマンを凝視した。すると、青年もナハティガルに気付いたのだろう。気さくに手を上げ、挨拶をしてきた。
「やあ、ナハティガルじゃないか。久しぶりだね」
にこにこと微笑みながら話しかけてきた金髪碧眼の青年は、まごうことなきこの国の第二王子であった。否、彼はすでに第二王子ではない。先日かねてより告知されていたバデーニ家への婿入り(臣籍降下)が完了したので、今の彼の肩書は『ウィリアム・バデーニ公爵』である。
ウィリアムは長らく未婚の第二王子としてふらふらしていたが、メアリーとレイウェストの婚約が結ばれてすぐ後――厳密には、それから数か月してレイウェストの出生の秘密が征竜の力を借りたヨゼフ皇帝により暴露されたほぼ直後に、突如として臣籍降下を発表。時が来れば全ての権利を王家へ奉還する事を約した【集権派】の構想を示して見せた。
この動きはただでさえ混乱していた当時の王国貴族社会に巨大な一石を投じ、沈みゆく船から逃げ出すネズミの如く、貴族派からも派閥を離脱する者が続出した。そして……それが出来なかった者達は貴族派の盟主と共に澱の果てへと旅立っていった。ウィリアムは大胆ながらも正鵠を射た一手を以て、王家と妹姫への批判の矛先を自分に向けつつ、未来へと歩を進めて見せたのだ。
そんな因縁もあり、ナハティガルは【集権派】の盟主であるバデーニ公爵とは政敵ともいえる関係ではあるが、目的の為には決して揺るがないウィリアムの非情とも言える冷徹さと政治的センスには一目置いており、『決して敵には回したくない男』の一人でもある。
「バデーニ公爵? なぜここに」
ナハティガルが困惑しつつも彼の名を口にすると、青年はチチチ、と指を振った。
「おっと、今日はお忍びでね。これまで通り冒険者ウィルで頼むよ」
「そうか。それはすまなかったな」
ナハティガルはため息を吐く。目の前の爽やかな好青年(31歳)は今日は貴族ではなく冒険者ウィルであらせられるそうなので、以前と同じく敬語は使わずともよいだろう。
「それで、アンタはライゼンナクト侯爵領領都で何をしてるんだ」
「いやなに。ただの息抜きさ。ここのところ公務続きで忙しかったから、ちょっと涼みにね。ここは翠色の湖が綺麗だし」
爽やかな笑顔で答える王子。答える必要がないと判断されたか、本当に大した用はないかどちらかだろう、とナハティガルは判断した。ライゼンナクト領の領都が大きな湖を有しており、避暑地としての価値があるのは本当なので、ただ観光や視察に来ただけ、という可能性もゼロではない。そう言えば、以前この男とバッタリ会った時も湖(正確には泉だが)だったな、とナハティガルは思い出した。
「そうか。今日は一人なのか?」
「ああ。できれば妻たちも連れてきたかったんだけど、出張帰りだから」
(……この男も公爵就任直後で忙しいだろうから、ここで何かよからぬ陰謀を企んでいる、という可能性は低いだろう……)
ナハティガルはなぜウィリアムがこんなところにいるのか理屈をつけようとしたが、それ以上考えるのをやめた。仮に何か悪事を働こうとしているならば、もっとコソコソしているだろうし、その気になれば気配を隠すこともできるだろう。実際、『青の親指』に追われて潜伏していた時期は、この男は一月以上消息を絶っていた。
「ところでナハティガル。また少し僕に付き合ってくれないか? 妻たちに買って帰るお土産を選びたいんだ。君ならこの街には詳しいだろう?」
「……分かった。いいだろう」
(すべて、お見通しというわけか……)
色々突っ込みたいことはあったが、ナハティガルは目の前の野生の公爵の申し出を承諾した。
●
(しかし、土産物選びの手伝いとは……これはテストか何かなのか?)
領都内の貴族御用達の高級店の位置を思い出しながら、ナハティガルは訝しんでいた。末席とはいえ、ナハティガルもいまや貴族社会の一員に近い。もっと言えば、王家にとっては仮想敵の一つであろう、貴族派筆頭領主に仕えているナハティガルは集権派筆頭のウィリアムとは政敵同士と言える間柄だ。なぜ自分が集権派の旗印であるウィリアムの妻や家臣へのプレゼント選びを手伝わされているのか、さっぱり分からない。無論、ウィリアムもナハティガルの去就については把握しているはずだ。だからこそ、案内役を頼んだのだろうし。
(バデーニ公爵は俺の何かを推し測ろうとしているのかもしれない。いいだろう、望むところだ)
そう結論し、ナハティガルは真面目にウィリアムに付き合うことにした。とんだ休日だが、バデーニ公爵に探りを入れるまたとない機会であるし、彼のわがままを聞くことと引き換えに提案してみたいこともある。
(……やはり、気付くか)
ウィリアムと一緒に歩き始めてすぐ、ナハティガルは物陰から視線を感じた。殺気は感じないので、おそらくウィリアムに気付いた間諜の監視だろう。ナハティガルは別に撒く理由もない(むしろその方がかえって疑われるだろう)ので、素知らぬフリをした。ウィリアムは気づいているのかいないのか、特に態度に変化はない。
「土産物は幾ついるんだ?」
ナハティガルはそれとなく、ウィリアムの近況について探りを入れてみた。公表されている限りではウィリアムとの結婚・婚約が内定している貴族は現在三名(正室が一人、側室が二人)だ。そしてその三名は全員が冒険者ギルドともそれなりに縁がある者達だった。ナハティガルの同期の冒険者でウィリアムを愛している者がいる、という話はついぞ聞かなかったが、それは同期だけの話で、大陸レベルだとウィリアムはモテモテのはずだし、ウィリアムは愛してはいなくとも集権派に取り入りたい貴族が娘を送り込むことも間違いなくあるはずだ。無論、ウィリアム側から断っている縁談もあるのだろうが……。
「とりあえず三つだね。縁談は他にも申し込みは来ているけど、新生活や公務が落ちついてからどんどん進めるつもりだよ」
「なるほど……」
(どんどん、か。口ぶりからすると、縁談はそれなりの数が来ていそうだな)
ウィリアムの嫁探しは順調のようだ。そして、ナハティガルの知らない嫁はまだ増えてはいないらしい。今日の彼は冒険者ウィルである、という建前はすでに崩壊しているが、そこはもうあまりに気にはしていないようだ。その辺の区切りについては、昔から割と適当ではあったが。
その後、適当に雑談をしながら、ナハティガルはいくつかの(庶民ならば門前払いを喰らうような)宝石店や洋服屋などを案内した。店員達もウィリアムの顔に気付いたのか、皆丁重に出迎えてくれた。
●
「ありがとう、ナハティガル。これで妻たちの分はあらかた選び終えたかな。あとは、僕自身の分も何かお土産を買いたいんだけど、何かおススメはあるかい?」
(バデーニ公爵自身のお土産か……)
ナハティガルは少し悩んだ。この場合、公爵の身分にふさわしいものを選ぶべきなのだろうか。それとも、『冒険者ウィル』にふさわしいものを選ぶべきなのだろうか? ちなみに道案内自体は「同じ冒険者として」へりくだったりはせず、友人を案内するようにやった。
「……分かった。ついてきてくれ」
悩んだ末、ナハティガルはウィリアムを城門の近くにある土産物屋に案内した。
「これはどうだ?」
ナハティガルが抱えて持ってきたのは、クリーパーらしき謎の生命体が彫られた木彫りの置物だった。ナハティガル自身も機会があれば自分で購入したいと思っていた一品である。
(元王家の人間であるウィリアムはおそらく審美眼も一流だろう。ならば、この像の芸術性も理解できるはずだ。今度は俺が試させてもらう……!)
「……なんだい、これ?」
ウィリアムは肩を竦め、苦笑したのだった。どうやらさしものバデーニ公爵といえど、大陸の百年先を進んでいるナハティガルの芸術的センスにはついて来れなかったようだ……。
●
土産物屋を出た後、二人は軽く食事を取りながら、スケジュールを確認した。
「ところでウィリアム。まだ時間はあるか?」
「ああ。今夜はこの街で一泊するつもりだからね」
「ならちょうどいい。アンタの用事に付き合った礼として、俺にも一つ付き合って貰いたい」
ナハティガルが挑むような視線を向けると、ウィリアムは鷹揚に頷いた。
「いいよ。何をするんだい?」
「再戦だ。また俺と盤上遊戯をしよう」
ナハティガルが不敵に笑いながら告げると、ウィリアムもまた不敵な笑みを返した。
「ああ、いいとも」
●
「お待たせ」
ウィリアムが宿屋(高級宿だと目立つからか、冒険者が使うような宿の一番いい部屋だった)のチェックインを済ませてロビーに戻ると、ナハティガルはすでに駒の配置を終えていた。並ぶ駒の色は黒と白――だが、駒の種類が以前とは異なる。ナハティガルが準備をしていたのは、軍棋ではなく、王国将棋だった。
「今回は王国将棋でどうだ?」
そうナハティガルが申し出ると、ウィリアムは、
「構わないよ。僕は王国将棋も多少の心得はある」と快諾した。果たしてそれは本当に「多少」なのか。ナハティガルは苦笑しつつ駒を並べ始めながらウィリアムを待っていたというわけである。それと、かなり時間に余裕があった前回とは異なり、今回は宿の消灯時間という制約がある。協議の末、今回は一度きりの勝負ということに決まった。
●
「俺はこちらを使わせてもらうぞ」
ナハティガルが迷いなく黒の駒が並べられた席につくと、ウィリアム異論を挟まず余った方の席へと座った。
「公爵。あんたの掲げた中央集権化を成し遂げたなら、王家に集中した既得権益は民草達へと分散していく事になるだろう。それには中産階級の底上げと、産業の更なる発展が不可欠となるが……青写真はあるのか」
まずは歩兵を盾にして敵陣へと歩を進めつつ、ナハティガルはウィリアムへと尋ねた。
「おっと。少し誤解があるんじゃないかな。集権派の思想としては、王家に権益を集中させるというよりは、領地制度の改革の方がメインだよ。法律の一本化とかね。……ただ、文字の読み書きや最低限の知識の下地がないと法律の改革もあまり意味がないもだろうから、中央集権化が進む頃にはパンクリアース学園みたいな学校がいっぱいできているといいね。できれば僕の黄金像も……おっと、これは冗談だよ」
(公表されている以上のことは話すつもりはないか……まあ、この答えは想定の範囲内だ)
学校がたくさんできていればいい、というのは、パンクリアース学園のような総合教育機関を今後増やしていくつもり、という意味だろう(分校なのか、既存のものとは別の『平民の学校』を作るつもりなのかは分からないが)。パンクリアース学園は急速に「教育を受ける権利」を貴族から民にまで拡大しようとしているし、この答えは既知の情報から導き出されるものに過ぎない。あとは、ウィリアムや王家は一代で事を為そうとしているわけではなさそうだ、ということを確認できたぐらいか。
その頃、盤上では、中央まで進撃した歩兵たちがウィリアムの魔法使いに蹴散らされていた。だが、それはナハティガルの想定内。もっとも弱い歩兵数個を犠牲にし、ナハティガルが弓兵で魔法使いを討ち取ると、ウィリアムは開けた戦場に盾兵と槍兵を送り込んできた。さらに、ナハティガルから奪い取った駒も増援として投入し、数の暴力で戦線をこじ開けようとしている。
(本題はここからだ。公爵も王国の民主化は視野に入れている筈)
ナハティガルはウィリアムの猛攻を捌きながら、彼に問いかける。
「中央集権化……平民の権利を向上させる、という目標には大いに賛成だが、俺は諸侯から力を奪った王家がいつか暴走するんじゃないかと危惧している」
ナハティガルがウィリアムの槍兵を歩兵の連携攻撃で仕留めながらそう口にすると、ウィリアムの顔から笑顔が消えた。
「おっと。いきなりズバッときたな。この間も似たようなことを言われたけれど、王家への不敬を疑われる発言も今は聞き流そう。二人きりだしね」
ウィリアムは冷笑を浮かべながら肩を竦める。厳密には宿屋の主人も聞こうと思えば聞こえるし、ナハティガルの身内の間諜も宿屋の外で待機しているはずだ。二人きり、というのは今がプライベートな時間である、というのを強調するためのポーズだろう。
(遠慮せずに言ってみろ、ということか。有難い)
「時が満ちれば、王権を制限するべき時は来るだろう。その時に『国王の権限と各代表の意見を聞く事』を明記した文書を作り、それを遵守する契約を諸侯・国民と結ぶと国王に宣言して貰う……どうだ?」
ナハティガルの眼が細まり、ウィリアムの反応を伺う。
「それも王国の歩む先にある未来のうちの一つかもしれないね」
ウィリアムは冷笑を崩さないまま、ナハティガルの言葉に頷いた。ウィリアムはナハティガルの言葉を、肯定も否定もしない。
(そんなことはあり得ない、と否定されなかったということは、無理筋とは考えていないということか……?)
ナハティガルがウィリアムの顔をじっと見つめていると、ウィリアムはニヤリと笑い、ナハティガルの盾兵を間者で強襲して掠め取っていった。
●
「――これで王手だ」
ナハティガルは敵陣深くまで切り込んだ槍兵で近衛を奪い、王へとチェックをかける。弓兵と魔法使いに逃げ道を塞がれ、ここに王の命運は尽きた。
「見事だ。僕の負けだよ」
ウィリアムはニヒルに笑うと、両手を上げて降参した。
(盤上遊戯では勝てたが、あまり勝った気がしないな……)
勝負の傍らでバデーニ公爵の手の内を探ってやろうとしたナハティガルだったが、肝心な部分についてはのらりくらりと躱されてしまった。成果と言えば、冒険者時代よりもナハティガルへの警戒心が上がっていることを確認できたこと、ぐらいか。
「これで一勝一敗か。やれやれ、勝ち逃げできると思ったんだけどなあ。ああ、負けたからこれは僕が店主に返しておくよ」
ウィリアムは肩を竦め、駒を片付け始めた。
「今日は楽しかったよ。またいつか会おう、ナハティガル。次にあった時も一緒に遊べるといいんだけど」
「ああ。また会おう、バデーニ公爵。あんたが敵に回らないことを俺も願っている」
ナハティガルは微笑みを浮かべて手を振るウィリアムに別れを告げ、宿屋を後にした。
(今日は荒事とは無縁のまま終われると思ったのだがな)
1224年、リーンエス王国内のとある避暑地にて。刺すような視線に気付いたナハティガル=ラーはため息をついた。
(この殺気は……あの男のものか)
よくよく群衆を観察してみると、フードで顔を隠した男がチラチラと護衛を警戒している。恐らく会議が終わり、要人達が建物から出てきたところを狙うつもりなのだろう。
(狙いは誰だ? 誰がターゲットであろうとも、テロは未然に防がねばならないが……)
幽界樹討伐後、『黒鋼竜附護衛士』としてライゼンナクト侯爵家に召し抱えられることとなったナハティガルは多忙な日々を送っていた。今日の任務である商工会議所の警護も任務の一つであった。ここはライゼンナクト領ではなく隣の領主が治める土地だが、通商に関する取り決めのため、ライゼンナクト領を拠点とする商人や、ライゼンナクト領の役人も会議に出席している。そのため、保険としてナハティガルも要人達に帯同したのだ。
ライゼンナクト侯爵家――通称『黒鋼竜』はリーンエス王国貴族派筆頭の大貴族であり、「死の商人の後ろ盾」などとも呼ばれている。この領に限った話ではないが、貴族だけではなく、商人に恨みを持つ者は少なくない。とりわけ、『ライゼンナクトの乱』を引き起こし、多くの貴族を自らと共に葬った先代当主の所業も考慮すれば、黒き竜に仇為す者はいくらでもいるだろう。
(怪しい男がいるので、マークをしておく)
ナハティガルは仲間にハンドサインで異常を知らせた。
(いったん泳がせろ。お前はそいつに付け)
(了解)
簡潔にやり取りをし、ナハティガルは男の背後に忍び寄る。そして【疾風足】の範囲を維持し、男の監視を続けた。
……。
そして数十分。会議が終わったのか、ガヤガヤと商工会議所が騒がしくなった。男はもう、商工会議所しか見ていなかった。
「そこの男。この建物に何の用だ」
背後からナハティガルが声をかけると、男はぎょっと一瞬固まった後、懐に腕を突っ込んだ。が、数手遅い。ナハティガルはすばやく男の右腕を捻り上げ、地面に叩きつけた。男が抜こうとしたダガーが石畳に落下し、カラン、と音を立てた。
「詳しく話を聞かねばならんようだな。一緒に来てもらおうか」
悪漢を取り押さえながら、ナハティガルはため息を吐いた。要人たちは他の衛士が手早く馬車まで送迎している。ナハティガルの役目はひとまず終わったようだ。
「くそっ! 離せ! 俺はあいつらのせいで仕事を失った……! 連中が裏で手を回しやがったに違いねえ! この、差別主義者共が!」
男はナハティガルに捕えられたまま、大声でがなり立てた。
(この男……獣人か)
フードを引っぺがすと、男の頭の上には狐の耳が生えていた。興奮した男の話は要領を得ないが、何か出自を理由に不当な扱いを受けたのかもしれない。もっとも、単なる逆恨みの可能性も否定できないが。
「理由は駐屯所で話せ」
ナハティガルは男を最寄りの駐屯所まで引っ立てていった。
●
この土地はライゼンナクト領ではなかったため、ナハティガルは取り調べには参加できなかった。が、後日、取り調べの結果が書簡で送られてきた。結論から言えば、男の犯行(未遂)はナハティガルの主君とは無関係だった。
男はかつて、毛皮を扱う商人だった。だがある日、「獣が獣の皮を売るのか」と、人間の商人から公然と侮辱され、そいつを一発ぶん殴ってしまった。その結果、領主からあっさりと営業許可を取り消されてしまったらしい。男は自分が獣人だからヒューマンよりも処分が重くなったのだ、と主張した。肝心の商工会議所を襲撃しようとした理由については、その事件は会議に参加していた商人が自分を排除するために仕組んだ陰謀だったのだと思い込むまでに至ったことが理由らしい。
(男のやろうとしたことには何の正当性もない。商人達の陰謀云々もおそらく妄想だろう。だが、最初の役人の処分については、一概に被害妄想とは言い切れない……)
他国からヒューマン至上主義と揶揄されるこの国では、同じような罪を犯しても異種族の方が罪が重くなったりするケースは珍しいことではない。異種族の中でも特に社会的地位が低い、小鬼であるナハティガルにとっては、なんとも気の重い話だった。
(だが、この国も変わりつつある。否、俺と【黒鋼竜】で変えてみせる)
ナハティガルは、種族や人種・身分によって理不尽な差別が行われない世界を求めている。その理想の為、王国の未来のためならば親をも殺す覚悟を持った賢君であった【黒鋼竜】に剣を預けたのだ。
(先は永いな……そして、未遂に終わった以上、あの男も死罪にはまではならないと思いたいが)
男の行く末……そしてこの国の未来を案じ、物憂げな表情でナハティガルが通りを歩いていると、前方からウィリアム・リーンエスが歩いてきた。
●
(ウィリアム・リーンエス第二王子……いや、ウィリアム・バデーニ公爵だと!? なぜここにあの男がいる!)
唐突過ぎるウィリアムの登場に幻覚攻撃でも喰らったのかと思い、ナハティガルは思わずエーテルを活性化させ、目の前の金髪碧眼のヒューマンを凝視した。すると、青年もナハティガルに気付いたのだろう。気さくに手を上げ、挨拶をしてきた。
「やあ、ナハティガルじゃないか。久しぶりだね」
にこにこと微笑みながら話しかけてきた金髪碧眼の青年は、まごうことなきこの国の第二王子であった。否、彼はすでに第二王子ではない。先日かねてより告知されていたバデーニ家への婿入り(臣籍降下)が完了したので、今の彼の肩書は『ウィリアム・バデーニ公爵』である。
ウィリアムは長らく未婚の第二王子としてふらふらしていたが、メアリーとレイウェストの婚約が結ばれてすぐ後――厳密には、それから数か月してレイウェストの出生の秘密が征竜の力を借りたヨゼフ皇帝により暴露されたほぼ直後に、突如として臣籍降下を発表。時が来れば全ての権利を王家へ奉還する事を約した【集権派】の構想を示して見せた。
この動きはただでさえ混乱していた当時の王国貴族社会に巨大な一石を投じ、沈みゆく船から逃げ出すネズミの如く、貴族派からも派閥を離脱する者が続出した。そして……それが出来なかった者達は貴族派の盟主と共に澱の果てへと旅立っていった。ウィリアムは大胆ながらも正鵠を射た一手を以て、王家と妹姫への批判の矛先を自分に向けつつ、未来へと歩を進めて見せたのだ。
そんな因縁もあり、ナハティガルは【集権派】の盟主であるバデーニ公爵とは政敵ともいえる関係ではあるが、目的の為には決して揺るがないウィリアムの非情とも言える冷徹さと政治的センスには一目置いており、『決して敵には回したくない男』の一人でもある。
「バデーニ公爵? なぜここに」
ナハティガルが困惑しつつも彼の名を口にすると、青年はチチチ、と指を振った。
「おっと、今日はお忍びでね。これまで通り冒険者ウィルで頼むよ」
「そうか。それはすまなかったな」
ナハティガルはため息を吐く。目の前の爽やかな好青年(31歳)は今日は貴族ではなく冒険者ウィルであらせられるそうなので、以前と同じく敬語は使わずともよいだろう。
「それで、アンタはライゼンナクト侯爵領領都で何をしてるんだ」
「いやなに。ただの息抜きさ。ここのところ公務続きで忙しかったから、ちょっと涼みにね。ここは翠色の湖が綺麗だし」
爽やかな笑顔で答える王子。答える必要がないと判断されたか、本当に大した用はないかどちらかだろう、とナハティガルは判断した。ライゼンナクト領の領都が大きな湖を有しており、避暑地としての価値があるのは本当なので、ただ観光や視察に来ただけ、という可能性もゼロではない。そう言えば、以前この男とバッタリ会った時も湖(正確には泉だが)だったな、とナハティガルは思い出した。
「そうか。今日は一人なのか?」
「ああ。できれば妻たちも連れてきたかったんだけど、出張帰りだから」
(……この男も公爵就任直後で忙しいだろうから、ここで何かよからぬ陰謀を企んでいる、という可能性は低いだろう……)
ナハティガルはなぜウィリアムがこんなところにいるのか理屈をつけようとしたが、それ以上考えるのをやめた。仮に何か悪事を働こうとしているならば、もっとコソコソしているだろうし、その気になれば気配を隠すこともできるだろう。実際、『青の親指』に追われて潜伏していた時期は、この男は一月以上消息を絶っていた。
「ところでナハティガル。また少し僕に付き合ってくれないか? 妻たちに買って帰るお土産を選びたいんだ。君ならこの街には詳しいだろう?」
「……分かった。いいだろう」
(すべて、お見通しというわけか……)
色々突っ込みたいことはあったが、ナハティガルは目の前の野生の公爵の申し出を承諾した。
●
(しかし、土産物選びの手伝いとは……これはテストか何かなのか?)
領都内の貴族御用達の高級店の位置を思い出しながら、ナハティガルは訝しんでいた。末席とはいえ、ナハティガルもいまや貴族社会の一員に近い。もっと言えば、王家にとっては仮想敵の一つであろう、貴族派筆頭領主に仕えているナハティガルは集権派筆頭のウィリアムとは政敵同士と言える間柄だ。なぜ自分が集権派の旗印であるウィリアムの妻や家臣へのプレゼント選びを手伝わされているのか、さっぱり分からない。無論、ウィリアムもナハティガルの去就については把握しているはずだ。だからこそ、案内役を頼んだのだろうし。
(バデーニ公爵は俺の何かを推し測ろうとしているのかもしれない。いいだろう、望むところだ)
そう結論し、ナハティガルは真面目にウィリアムに付き合うことにした。とんだ休日だが、バデーニ公爵に探りを入れるまたとない機会であるし、彼のわがままを聞くことと引き換えに提案してみたいこともある。
(……やはり、気付くか)
ウィリアムと一緒に歩き始めてすぐ、ナハティガルは物陰から視線を感じた。殺気は感じないので、おそらくウィリアムに気付いた間諜の監視だろう。ナハティガルは別に撒く理由もない(むしろその方がかえって疑われるだろう)ので、素知らぬフリをした。ウィリアムは気づいているのかいないのか、特に態度に変化はない。
「土産物は幾ついるんだ?」
ナハティガルはそれとなく、ウィリアムの近況について探りを入れてみた。公表されている限りではウィリアムとの結婚・婚約が内定している貴族は現在三名(正室が一人、側室が二人)だ。そしてその三名は全員が冒険者ギルドともそれなりに縁がある者達だった。ナハティガルの同期の冒険者でウィリアムを愛している者がいる、という話はついぞ聞かなかったが、それは同期だけの話で、大陸レベルだとウィリアムはモテモテのはずだし、ウィリアムは愛してはいなくとも集権派に取り入りたい貴族が娘を送り込むことも間違いなくあるはずだ。無論、ウィリアム側から断っている縁談もあるのだろうが……。
「とりあえず三つだね。縁談は他にも申し込みは来ているけど、新生活や公務が落ちついてからどんどん進めるつもりだよ」
「なるほど……」
(どんどん、か。口ぶりからすると、縁談はそれなりの数が来ていそうだな)
ウィリアムの嫁探しは順調のようだ。そして、ナハティガルの知らない嫁はまだ増えてはいないらしい。今日の彼は冒険者ウィルである、という建前はすでに崩壊しているが、そこはもうあまりに気にはしていないようだ。その辺の区切りについては、昔から割と適当ではあったが。
その後、適当に雑談をしながら、ナハティガルはいくつかの(庶民ならば門前払いを喰らうような)宝石店や洋服屋などを案内した。店員達もウィリアムの顔に気付いたのか、皆丁重に出迎えてくれた。
●
「ありがとう、ナハティガル。これで妻たちの分はあらかた選び終えたかな。あとは、僕自身の分も何かお土産を買いたいんだけど、何かおススメはあるかい?」
(バデーニ公爵自身のお土産か……)
ナハティガルは少し悩んだ。この場合、公爵の身分にふさわしいものを選ぶべきなのだろうか。それとも、『冒険者ウィル』にふさわしいものを選ぶべきなのだろうか? ちなみに道案内自体は「同じ冒険者として」へりくだったりはせず、友人を案内するようにやった。
「……分かった。ついてきてくれ」
悩んだ末、ナハティガルはウィリアムを城門の近くにある土産物屋に案内した。
「これはどうだ?」
ナハティガルが抱えて持ってきたのは、クリーパーらしき謎の生命体が彫られた木彫りの置物だった。ナハティガル自身も機会があれば自分で購入したいと思っていた一品である。
(元王家の人間であるウィリアムはおそらく審美眼も一流だろう。ならば、この像の芸術性も理解できるはずだ。今度は俺が試させてもらう……!)
「……なんだい、これ?」
ウィリアムは肩を竦め、苦笑したのだった。どうやらさしものバデーニ公爵といえど、大陸の百年先を進んでいるナハティガルの芸術的センスにはついて来れなかったようだ……。
●
土産物屋を出た後、二人は軽く食事を取りながら、スケジュールを確認した。
「ところでウィリアム。まだ時間はあるか?」
「ああ。今夜はこの街で一泊するつもりだからね」
「ならちょうどいい。アンタの用事に付き合った礼として、俺にも一つ付き合って貰いたい」
ナハティガルが挑むような視線を向けると、ウィリアムは鷹揚に頷いた。
「いいよ。何をするんだい?」
「再戦だ。また俺と盤上遊戯をしよう」
ナハティガルが不敵に笑いながら告げると、ウィリアムもまた不敵な笑みを返した。
「ああ、いいとも」
●
「お待たせ」
ウィリアムが宿屋(高級宿だと目立つからか、冒険者が使うような宿の一番いい部屋だった)のチェックインを済ませてロビーに戻ると、ナハティガルはすでに駒の配置を終えていた。並ぶ駒の色は黒と白――だが、駒の種類が以前とは異なる。ナハティガルが準備をしていたのは、軍棋ではなく、王国将棋だった。
「今回は王国将棋でどうだ?」
そうナハティガルが申し出ると、ウィリアムは、
「構わないよ。僕は王国将棋も多少の心得はある」と快諾した。果たしてそれは本当に「多少」なのか。ナハティガルは苦笑しつつ駒を並べ始めながらウィリアムを待っていたというわけである。それと、かなり時間に余裕があった前回とは異なり、今回は宿の消灯時間という制約がある。協議の末、今回は一度きりの勝負ということに決まった。
●
「俺はこちらを使わせてもらうぞ」
ナハティガルが迷いなく黒の駒が並べられた席につくと、ウィリアム異論を挟まず余った方の席へと座った。
「公爵。あんたの掲げた中央集権化を成し遂げたなら、王家に集中した既得権益は民草達へと分散していく事になるだろう。それには中産階級の底上げと、産業の更なる発展が不可欠となるが……青写真はあるのか」
まずは歩兵を盾にして敵陣へと歩を進めつつ、ナハティガルはウィリアムへと尋ねた。
「おっと。少し誤解があるんじゃないかな。集権派の思想としては、王家に権益を集中させるというよりは、領地制度の改革の方がメインだよ。法律の一本化とかね。……ただ、文字の読み書きや最低限の知識の下地がないと法律の改革もあまり意味がないもだろうから、中央集権化が進む頃にはパンクリアース学園みたいな学校がいっぱいできているといいね。できれば僕の黄金像も……おっと、これは冗談だよ」
(公表されている以上のことは話すつもりはないか……まあ、この答えは想定の範囲内だ)
学校がたくさんできていればいい、というのは、パンクリアース学園のような総合教育機関を今後増やしていくつもり、という意味だろう(分校なのか、既存のものとは別の『平民の学校』を作るつもりなのかは分からないが)。パンクリアース学園は急速に「教育を受ける権利」を貴族から民にまで拡大しようとしているし、この答えは既知の情報から導き出されるものに過ぎない。あとは、ウィリアムや王家は一代で事を為そうとしているわけではなさそうだ、ということを確認できたぐらいか。
その頃、盤上では、中央まで進撃した歩兵たちがウィリアムの魔法使いに蹴散らされていた。だが、それはナハティガルの想定内。もっとも弱い歩兵数個を犠牲にし、ナハティガルが弓兵で魔法使いを討ち取ると、ウィリアムは開けた戦場に盾兵と槍兵を送り込んできた。さらに、ナハティガルから奪い取った駒も増援として投入し、数の暴力で戦線をこじ開けようとしている。
(本題はここからだ。公爵も王国の民主化は視野に入れている筈)
ナハティガルはウィリアムの猛攻を捌きながら、彼に問いかける。
「中央集権化……平民の権利を向上させる、という目標には大いに賛成だが、俺は諸侯から力を奪った王家がいつか暴走するんじゃないかと危惧している」
ナハティガルがウィリアムの槍兵を歩兵の連携攻撃で仕留めながらそう口にすると、ウィリアムの顔から笑顔が消えた。
「おっと。いきなりズバッときたな。この間も似たようなことを言われたけれど、王家への不敬を疑われる発言も今は聞き流そう。二人きりだしね」
ウィリアムは冷笑を浮かべながら肩を竦める。厳密には宿屋の主人も聞こうと思えば聞こえるし、ナハティガルの身内の間諜も宿屋の外で待機しているはずだ。二人きり、というのは今がプライベートな時間である、というのを強調するためのポーズだろう。
(遠慮せずに言ってみろ、ということか。有難い)
「時が満ちれば、王権を制限するべき時は来るだろう。その時に『国王の権限と各代表の意見を聞く事』を明記した文書を作り、それを遵守する契約を諸侯・国民と結ぶと国王に宣言して貰う……どうだ?」
ナハティガルの眼が細まり、ウィリアムの反応を伺う。
「それも王国の歩む先にある未来のうちの一つかもしれないね」
ウィリアムは冷笑を崩さないまま、ナハティガルの言葉に頷いた。ウィリアムはナハティガルの言葉を、肯定も否定もしない。
(そんなことはあり得ない、と否定されなかったということは、無理筋とは考えていないということか……?)
ナハティガルがウィリアムの顔をじっと見つめていると、ウィリアムはニヤリと笑い、ナハティガルの盾兵を間者で強襲して掠め取っていった。
●
「――これで王手だ」
ナハティガルは敵陣深くまで切り込んだ槍兵で近衛を奪い、王へとチェックをかける。弓兵と魔法使いに逃げ道を塞がれ、ここに王の命運は尽きた。
「見事だ。僕の負けだよ」
ウィリアムはニヒルに笑うと、両手を上げて降参した。
(盤上遊戯では勝てたが、あまり勝った気がしないな……)
勝負の傍らでバデーニ公爵の手の内を探ってやろうとしたナハティガルだったが、肝心な部分についてはのらりくらりと躱されてしまった。成果と言えば、冒険者時代よりもナハティガルへの警戒心が上がっていることを確認できたこと、ぐらいか。
「これで一勝一敗か。やれやれ、勝ち逃げできると思ったんだけどなあ。ああ、負けたからこれは僕が店主に返しておくよ」
ウィリアムは肩を竦め、駒を片付け始めた。
「今日は楽しかったよ。またいつか会おう、ナハティガル。次にあった時も一緒に遊べるといいんだけど」
「ああ。また会おう、バデーニ公爵。あんたが敵に回らないことを俺も願っている」
ナハティガルは微笑みを浮かべて手を振るウィリアムに別れを告げ、宿屋を後にした。
assignment【DA】史実ノベル 関連特設ページ
メアリー王女が冒険者達の協力を得て稼働させた「王家の耳」。メアリーは無作為に集まってくる情報を、余人に及びもつかぬ閃きを持って分析しながら、今日も世界の動きへ耳を傾けている。
集まった情報の中には、世界の情勢に影響はないかもしれないが興味深い個人の記録があるかもしれない。