【DA】リーンエスの耳
●
実力主義を掲げるライゼンナクト家に於いて、ナハティガル=ラーは、地位に対する自分の働きが十分であると思えてはいなかった。『黒鋼竜附護衛士』という役職の、字義通り危急の場で当主を護るという部分に関しては、ゲルダ・クラインに及ばない。彼女が盾であるならば、ナハティガルは矛というより毒塗りの短剣である。命を奪うことならば得手といえようが、護ることに適した道具では無い。
しかも今のライゼンナクト当主の身は、過去に比べればだいぶ安全だ。貴族家においては、当主すらも家の存続のための替えの効くパーツに過ぎない事がままあるが、現在のライゼンナクトに王家が温情を掛けているのは偏に彼個人の存在に拠っている。先代の罪業が風化するまでは、彼を失うことが没落に直結しかねない状況だ。他方、他の貴族家から見れば、貴族派自体が縮小した今、ライゼンナクト当主を暗殺することで得られるリターンとリスクは釣り合わない。仕掛けられることはあっても、影響力を削ぐ、評判を下げる、貸しを押しつけるといった間接的な嫌がらせがせいぜいか。その方が良い事は重々承知しているが、実際にナハティガルが全力を振るうような場は想定しづらい。
(先手を打つ、と言うわけにもいかん。迂遠にも思えるが、それがこの国の常識か)
警告のために切り落とした誰かの耳を送りつけるような蛮行はまかり通らない。いや、そういう行為を躊躇わない貴族も探せばいるのかもしれないが、彼の主君はそのような手段を好むまい。日々の業務に忙殺されながらも、彼は自分に何が出来るかを考えていた。
悩んでいたその数ヶ月の間に、同僚のゲルダは主君の意に叶う成果を挙げた。正確に言えば、主に動いたのは彼女の父とその商会であろう。だが、周囲を動かすことも個人の力だ。ゴールディのスラムで育ったナハティガルには親子の情はよく分からぬが、彼の人生に於いても、生き抜く間に身を寄せ合った者は幾人かいた。その縁が今まで続いていない事こそが、ナハティガルがゲルダに劣る所ではないかとも思う。
……以上、だいたい個人の感想なのだが。目を惹く麗々しい外見に似合わずナハティガルは自己評価が低い自罰的な男であり、かつゲルダへの評価が高くなりがちなところもあった。しかし、護衛士という名目に限らぬ貢献の仕方があると、彼女のお陰で気づけた部分もある。主が望む道を行く助けとなるならば、戦って護る以外の手段も考えるべきだ。
(俺が優れている事。俺にしか出来ぬ事が、あるとすれば……、何だ?)
能力以外のナハティガルの特徴を挙げれば、ゴブリンという種族と共に、先に思い出したような育ちの悪さがある。ライゼンナクトの家臣の中にも出自が孤児という者は居るであろうが、ゴールディで泥を啜り生きた経験がある者はそうそういるまい。その頃の経験の中に主君の力と出来そうなものが無いかと考え、耳の鋭さに思い至った。無力でありながら忌み子と扱われた頃のナハティガルは、近づくべきで無い危険な場所を知り、戦うべきで無い恐ろしい相手を認識しなければ、生き残ることは出来なかった。文字通り耳を澄ませることもした。情報が集まるように同様の子供らと交流もした。幼いながらに情報を分析し判断し、生きる道を探ってきた。
おそらく、ライゼンナクトには元公爵家に相応しい諜報能力はあるだろう。だが、地べたに這うような連中の囁きを拾い上げる手段は持っているだろうか。あるいは、後ろ暗い連中から必要な情報を集めるやり口は? きっと、育ちの良い彼らは不得手な分野だろう。
王都グランスパーダにもスラムに類するような下層民の住処はある。そこにしか無い情報があるやも知れない。故郷のゴールディには名を隠した王国の名士が訪れることもあると言うし、彼らが旅先で漏らす本音などもあるだろう。集めた雑多な情報を持ち寄らせて分析するというのは、今は帝国の皇妃となったメアリーが冒険者相手にやっていたことと本質は同じ事だ。彼女のような異能は無くとも、ナハティガルには自身の生存に必要な情報を取捨選択して生き抜いてきた経験がある。そう考えたナハティガルは、王都とシルバードに諜報のために拠点を置くことを上へと提案した。
●
王都グランスパーダとゴールディのシルバードに店を構える権利は、冒険者時代の貢献を使えば手に入れる事ができた。しかし、権利があることと、実際に商いを始めることの間には乗り越えるべき段差がある。ナハティガルは酒と情報が行き来するような店の従業員であった事こそあれど、起業者や経営者であった事はない。無いのだが、幸いなことに彼には頼れる相棒がいた。
「そのお話、わたしにもお手伝いさせてください!」
「ああ。助かる」
話を持ちかけた途端、食い気味に言うゲルダに驚きもあれど、ありがたさが勝る。
「……それと、ナハティガル様。相談してくださって、ありがとうございます」
「いや」
ナハティガルは瞑目した。聞くに聞けず、話すに話せず、それぞれが抱えて拗れに拗れた先の経緯を思い出せば、今回はそうならなかったことを喜ぶしか無い。こう見えて真面目なナハティガルは、主まで巻き込んだあのような騒動を二度も起こす訳にはいかないと固く決意している。
「……俺とて、幾度もお前に怒られたい訳ではない」
「わたしも、ナハティガル様のお掃除に何度もお付き合いしたいわけではありませんっ」
誰かが見ていれば『言い方……』と頭を抱えそうなやり取りではあるが、お互いその一件について考えていたのは伝わったようだ。ともあれ、王都はともかく国外の諜報に関しては、表向きの関わりを断った者やお抱え商人などを通じるために時間差ができてしまう事も多い。ゲルダから見ても、現地で情報を精査し送るナハティガルの構想の利点は確かにある。
「既存の手段とは別に情報を集める場所を作るということですよね。ライゼンナクト家のお役に立てると思います。お酒の出るお店にするんですね?」
「ああ。飲めば口が軽くなるというのもあるが、そもそも言葉や情報を売り買いする場所として適した形だからな」
ナハティガルが考えていたのは、カウンターバー形式の酒場だった。一人客が目立たずにバーテンと差し向かいで会話でき、聞き耳を立てる者の有無も店側が把握しやすい。物品のやり取りを介したり、事態が複雑で長く話さねばならぬような厄介な話ならば、奥へ通すといった方法も採れる。
「店の権利が俺にあれば、多少の心得のある者ならその意味が分かるだろう。そうなれば、連中はライゼンナクトにとって価値があると思う情報を売りに来る筈だ」
「……そういう事であれば、ナハティガル様のお名前でお店を出すのは、止めた方が良いかもしれません。ナハティガル様は、思っているよりも有名ですから」
「そうなのか。……いや、お前がそう言うならそうなのかもしれないが……」
「先ほどのお話だと、情報屋や組織の方にライゼンナクトに関係する店だとそれとなく知ってほしい、という感じでしたが。一般の人でもナハティガル様の事を知っていると思うんです。ゴブリンの方だったら特に」
異種族に隔意のある王国で、更に蔑まれる事の多いのがハーフビーストとゴブリンだ。英雄ジド・ルウの逸話があるハーフリングのゲルダとは、もともと国内での扱いが違う。そんな差別が横行する国家に於いて、ナハティガルは若きライゼンナクト侯爵に直属の配下として引き立てられたゴブリンの星である。それだけでも人の気を惹くに十分だというのに、ナハティガルは世界を救った冒険者の一人でもあった。各地で騒動を解決し、王都を救い、帝都を解放するなど歴史の転換点にも加わった。誰でも知っている英雄と言えば言い過ぎだろうが、誰が知っていてもおかしくない程度の知名度はある。
「ですから。ナハティガル様の名前が出てしまうと、思っていたようなお店にならないかもしれません」
「そうか……」
もとより自覚が薄いところ、どれだけ自分が凄い人物であるのか立て板に水の様相で語られて、気まずい思いでナハティガルは相づちを返した。語っている相手がゲルダであるのがまずいけない。魅力的に思う異性からの褒めは男の正常な判断力を奪うのだ。諜報でハニートラップが有効な理由を、顔には出さずともナハティガルは実感していた。諦めたはずの未練を、心中で振り払う。
「……しかし、俺の名がそこまで知られているなら、下らん手出しはされないだろう。悪い事ばかりでは無い」
「それはそうなのですけれど。ナハティガル様から主へとはっきり繋がってしまうのが良くないです。……護衛士を辞める訳では、ないですよね?」
「無論だ。つまりライゼンナクト候の関係者であると必要以外の連中にまで知られた場合の不利益が、利益を上回ると?」
「はい」
ナハティガルは考える。ゴールディマフィアであれば、新規開拓地域に名の知れた人物の名前で拠点を構える意味は相当に大きい。例えば利益相反者がいたとして、名もなきゴブリンの店なら気軽に嫌がらせも出来ようが、ブラックデス幹部が出した店であれば諦めるだろう。そういう知名度による圧力を覆すほどの不利益があるとすれば、どのようなものか。
「……ライゼンナクト侯爵家の手の者という情報を、事前に相手に渡してしまう弊害か。都合の良い情報ばかり持ち込まれたり、意図的に伝える内容を操作される危険性か? そういう意味ならば理解は出来るが、それについては対処はするつもりだ」
「いえ、王国の政治的な話です。ライゼンナクトとの関わりが知られたナハティガル様の場合、領地の外で何かを起こした際には問題が大きくなることがあります」
ゲルダはパンクリアース学園で、王国の外交は王家の専決事項と習った。それは王国貴族にとっては語るまでも無い常識だが、ナハティガルにとってはそうではない。例えば、他国に於いて貴族の配下の超法規的活動が明るみに出た場合、その事後処理に関するやり取りは外交の範疇になる。捕らえられる、あるいは死体を残す危険性がある敵地潜入の際、表向きの主従関係を切ったり、関係商会の従業員などを偽装するといった、ややこしい手段をとりがちなのはそういう理由だ。主君は諜報拠点を作る許可を出したのかもしれないが、おそらくはライゼンナクトへ繋がる痕跡を明確には残さない物を想定していただろうとゲルダは考えた。
「……なるほど、そういう意味か。確かに、付き合うのは行儀の良い輩では無い。こちらが望まずとも、問題を起こす可能性はあるな。助言に感謝する」
礼を述べ、静かに考え込むナハティガルの横顔を、ゲルダは見つめている。店を出すにあたる雑事や懸念は多く、それらも話し合いの中でまとめ上げた。きっと、自分達だけでは力が足りない。しばらくしてから、ナハティガルはゲルダへと向き直る。
「……この件では他にもゲルダに頼みたいことができた。頼めるだろうか」
「わたしに?」
「正確に言えば、ゲルダの父君、だ。俺は実際の諜報のことは分かるが、それ以外のことは分からん。準備は俺一人では……、いや、ゲルダの手を借りても手に余る。大商人たるギュミル・クライン殿の知恵と手を借りたい」
それは、ゲルダの想像通りの結論だった。ナハティガルに頼られ、信頼されていることに喜びを感じつつ、彼女は頷きを返した。
●
一代で現在の規模まで事業を拡大し、いまや王都ならずともその名を知られるギュミルは、極めて多忙な男である。ライゼンナクト候との接触以後、予想通り付き合いが変わった取引相手の整理や手当に奔走し、直近では木炭筆の供給、将来の黒鉛筆の実用化に向けても動いていた。びっしり埋まった彼の予定表であったが、愛娘のお願いの力は絶大だ。連絡を取って僅か数日後には、王都のクライン邸にてナハティガルと顔を合わせることとなった。
「……今日は、俺の為に時間を作っていただき、感謝する」
「まず、はっきりさせておこうか。貴方のためにではないぞ。銀髪鬼、ナハティガル=ラー」
ギュミルは対面のナハティガルの顔を睨み上げる。それは百戦錬磨の大商人としての圧というよりは父親としての威圧なのだが、強者たるナハティガルをして冷や汗を流させた。
「……お父様?」
付き添いできていたゲルダは、それが駆け引きの類いであれば口を挟まなかっただろう。しかし、最初から私情が先に出ているように感じてじっとりとした目で父を見た。その間にナハティガルはギュミルの言葉を咀嚼する。
「もちろんその事はわかっている。貴方にだけではなく、ゲルダの助力にも深く感謝している」
「……は、はい」
今までに幾度も礼は言われているのだが、ギュミルに面会するための正装と、気心の知れた距離感で話すときとは違う緊迫した声音に、ゲルダの返答が詰まった。かっこよさにちょっと見蕩れたとも言う。そんな様子を、母であるアイリス・クラインはニコニコと眺めていた。
「貴方の話は、ゲルダからよく聞いているわ。いつも娘をありがとう」
「いや。俺の方こそ、ゲルダには迷惑を掛けている。俺は王国の生まれでは無いからな。至らぬ事を補って貰うことも多い」
「い、いえ。ナハティガル様こそ、わたしがうまく動けない時にも、得意なことで助けてくださっています」
「あら、思っていたよりも仲良しなのね?」
アイリスは客人と娘へおっとりとした微笑を向ける。ゲルダが言っているのが自分が動けない間に得意なことで助けるというような意味合いだとは思うまい。そして、伝聞での報告よりも二人の距離が近いように感じた父の機嫌は急降下中である。
「……私は忙しい身だ。さっさと用件を話して貰おう。引き受けるかどうかは別だがなっ!」
「あ。ああ。実は……」
ゲルダとの相談で微修正した計画について、まずギュミルに説明する。その段階で話にならないと言われればおしまいであったが、ひとまずの合格は得られたらしい。不機嫌そうな顔のまま、ギュミルは自分に何を望むのかと聞いた。まずは、ゲルダから指摘されたナハティガルの名前を表から隠すこと。そしてナハティガルがもともと考えていた自らの不足点。
「俺は、働いた経験はあるが、店を経営したことがない。起業するにせよ、どこに店を構えるべきか、仕入れはどうすべきか、その為の根回しなど分からぬ事だらけだ。それを補える人物を紹介して欲しい」
「……つまり人材か? 随分と、贅沢なことを言う。目的から考えるに、知識だけじゃなく、荒事もこなせないと話にならないだろう。ライゼンナクト侯との事を考えれば、口が堅く決して裏切らない事も必要か……」
商売の知識ならば持っている者は多い。少人数で辺境を回れる程度に腕が立つ者もいる。しかし、最後の決して裏切らないという条件が厄介だ。歴史ある名家なら盲目的に仕える忠義の一族などもいるのだろうが、ギュミルは一代の成り上がりである。信頼できてかつ有能と思える子飼いにはとっくに重要なポジションを与えており、それを今の立場から引き抜くのは望ましくない。しかし、娘の期待には応えたい。顔をしかめて考え込んだギュミルを見て、ゲルダが口を開いた。
「あの。そこは逆に考えたらどうかと思います」
「うん? どういうことだ、ゲルダ」
「先ほどもお伝えしたように、お父様にはお店の権利のナハティガル様の名義を普通の人だったら分からない程度に変えていただかないといけません。ですが、その後に雇う方ならば、その店がライゼンナクトに連なることを教えなくとも良くはないですか」
「そうね。知らないことは誰も喋れないものね」
「……なるほど? いや、しかし経営者は彼だろう。まったく会わぬわけにも行くまいし、分かる者ならば顔を見ただけで素性が割れるかもしれないぞ」
ギュミルまでそういうならば、ゲルダの助言は正しかったのだろう。そう思いつつも、ナハティガルはその問題への対処法を持っていた。
「問題無い。顔ならば変えることが出来る。姿も、何なら性別もな」
ぱっと見てナハティガルを連想しないような外見を取れば良いだけの話だ。何なら、その時だけは別の名を名乗っても良い。ごまかしたところで、その条件以外にも叶う有能な人物ならばいずれ独自に真相に辿り着く恐れはある。が、それまでの間に忠誠を勝ち取るのが、上に立つナハティガルに求められる器量だろう。
「なるほど……。そうか。ふむ、そうなると……」
大貴族の領地外での諜報活動に経営側で関わると聞いた時には、死んでも口を割らないような鋼の信頼が必要と思った。だが、妻の言うとおり、なるほど知らないことは喋れない。娘の言うように知らせる範囲を調節することさえできれば、用意するのは普通に優秀な人材で十分だ。
(ぐぬぬ。この男の為に頑張って考えた、ということはまったく納得できないが……)
ゲルダの発想に娘の成長を感じたギュミルは、本来であれば妥当と考える線よりもほんの少しだけ、この男に肩入れすることにした。
「ならば、ちょうど良い人材を紹介できそうだ。パンクリアース学園卒なので、商業知識のみならず必要ならば王国の貴人を相手に出来る礼法知識もある。死んでも裏切らぬという事は無いだろうが、待遇が見合う限りは裏切ろうとしない程度の良識も持っている」
「……ゴブリンへの感情は? ゴールディでも仕事をする以上、そこに問題があると困る」
「大丈夫だよ。種を明かせば、元は貴族の若いヒューマン女性でね。没落し一家は離散。結婚が破談になったり、色々と辛酸をなめる間にその辺りの常識は壊れたようだ。うちで働いて貰っている間も、異種族だからと蔑視するような事は無かった。ゴブリンの顧客に対してもね」
ナハティガルのサポートとして、うら若い令嬢を選ぶ父に少しもやっとしつつも、ゲルダはまず気に掛かった所を確認する。
「没落というのは、まさかライゼンナクトの乱で……?」
「いや、さすがにそうだったら推薦はしないぞ。レギンレイヴ侯爵の寄子貴族だったアヴェリス男爵の次女で、元の名前はマルティナ・アヴェリス。今は姓は名乗らず、名だけで通しているようだが」
主家へ恨みがありそうな人物ではないようだ。それならばとナハティガルは頷く。
「聞く限り、問題は無さそうだな。会わせて貰おう。それまでに、俺の偽の身分も作らねばならないな」
「ゴールディと王都で店を出すなら、種族はヒューマンが良いと思うよ。女性でも変装できると聞いたが、夜の店の経営陣が女性だけでは舐められるといけないから、性別は男性がいいだろう。ヒューマン女性と男性の組み合わせで収まりも良いからね」
「なるほど、一理ある」
先ほどまでは不承不承協力すると言う態度だったギュミルが、やけに前のめりで押してくる提案は理に叶っている。叶っているのだが、ゲルダのもやもやは加速した。とりあえず、彼女に知らせたくないナハティガル名義の土地と店の洗浄については、責任を持ってギュミルが行うと言う。
「で、君の新しい身分や名前は、どうするんだい? 君の異名を考えると、その銀髪も変えた方が良さそうだが」
「出身はシャルガネ、名は……、そうだな。黒夜でどうか」
「なるほど、シャルガネ生まれであれば黒の髪か」
「王都でもゴールディでも異国人としておけば、時折カウンターに俺が立っても問題無いだろう」
新参者の素性を洗おうとした際に、他国者であればすぐには知れぬ。しかし、シャルガネは閉鎖的な社会だ。ある程度手間を掛けて調べさせれば、『そのような人物はいない』と分かる。そこで怪しんで土地の売買履歴をじっくり辿ったところでようやく、うっすらとライゼンナクトの護衛士の影が浮かび上がる筈だ。それくらいであれば、相手の能力を測るにも十分だろう。
「その、お店にはわたしもっ……、あ、伺うわけにはいかない、ですよね」
苦労してライゼンナクトの匂いを消しているところに、もう一人の護衛士ゲルダが通っては本末転倒だ。それは分かっているのだが、想い人の絵になる姿をその目で見たい乙女心。知ってか知らずか、ナハティガルは苦笑する。
「……シェイカーを振るのも久しぶりだ。勘を取り戻す手伝いをしてくれればありがたい」
「は、はい。任せてください!」
「あらあら、ゲルダちゃん。飲んでは駄目とは言わないけれど、飲み過ぎては駄目よ?」
「分かってます、お母様」
微笑むアイリスに、何となく子供扱いされていると感じたゲルダは素っ気ない。目の前で交わされた愛娘と男の約束はさらりと自然な距離感で、警戒していた父が言葉を差し挟む隙も無く。先ほどまではうまく話を運んでいたはずなのに、どこで潮目を読み違えたのかと肩を落とすギュミルであった。
●
マルティナの面接は、ギュミルと会った翌々日になった。当日、『黒夜』として選んだ外見は、実際のナハティガルの年齢相応のヒューマン男性だ。髪色を黒と替え、口ひげを蓄えたダンディな姿から、ナハティガルを思い浮かべるのは難しいだろう。対するマルティナは、聞かされていなければ元貴族令嬢には見えない女性だった。男のような短髪で目元が鋭く長身、年齢は二十歳ちょうどだと言う。面接だと言っても守秘義務や大まかな内容などはあらかじめギュミルが伝えてある。採用を躊躇うような粗も無く、そのまま事後の相談へシフトした。
「……基本的に、『黒夜』様はどちらの店にもいらっしゃらないのですね。私の身も一つですから、両方の店に裁量を与えた責任者を置く必要があります」
「いいだろう。俺の方でも最終確認はするが、人選は任せる」
バーに関わる細々とした仕事はマルティナに集約し、ナハティガルが不在でも回るようにしなければならない。権利上、開店できるのはカウンター一つしか無い小さな店だ。彼女が言う責任者に加えて、もう一人か二人、女給でも雇えば店自体は十分に回せるだろう。ただし、当然ながらその責任者に当たる人物は酒場の運営だけではなく、ナハティガルの求める情報を集める能力が要る。
「求める人員の質から考えても、酒場として黒字にすることは難しいかと思いますが……?」
「構わん。その程度の蓄えはある」
マルティナ、それに各店の責任者への報酬として妥当な額は安くは収まるまい。情報を売る側に回れば金銭を得る手段は増えるのだが、現地組織との軋轢も生じる。その危険も踏まえ、ナハティガルは情報の売買では無く収集の為の拠点とした。赤字になるのは織り込み済みだ。
「わかりました。健全な範囲の赤字に留めるように努力します」
「集めた情報は店の売り上げとは別の金庫に保管しておけ。必要に応じて俺が取りに行く」
「はい。そのように指示します」
「売り手の関係は俺の方で差配する。マルティナには店舗の改装、仕入れ確保など、店として動く為の準備をまずは任せたい」
王都にしろシルバードにしろ、現地の情報屋や裏の組織に繋ぎを入れる部分は、『黒夜』がせねばなるまい。そうして事前に選別した者が売りに来る情報は、同意した値で買う。また、それらの相手が緊急として持ち込んだ情報があった場合は、すぐに自分へ連絡を取るように指示した。それ以外の提供者については彼女や店の責任者の裁量で買うかどうか、値付けも含めて任せても良い。それも勉強だ。
「『黒夜』様へ私どもから連絡する方法を、教えて頂けるのですね」
「そうだな……。俺は一つの場所にいるとは限らない。冒険者ギルドへ依頼すれば、伝わるようにしておこう」
「……そうですか。より信頼して頂けるよう、励みます」
少し考えてから、マルティナはそう答える。短い会話で既に頭の良い女だとは理解した。聞かされた範囲で色々な可能性を考えたのだろう。ライゼンナクトの名は出してはいないが、王都とシルバードそれぞれの場所で王国に関わりそうな情報を集めるように指示している所から、国を跨いで情報を欲するような組織が背後にあることは分かっている筈だ。不要に踏み込んでこないのは、自分が知るべき範囲をわきまえているからだろう。
「開店までは、どれくらい掛かる」
「王都であれば一ヶ月。シルバードは土地勘がありません。調査も含め、三ヶ月ほどいただけますか」
「いいだろう。内装は奇抜に目立たせる必要は無いが、落ち着いた雰囲気に纏めてくれ」
「わかりました。店の名前は、どうされますか」
「そうだな……。いや、それは来週までに伝えよう」
今日の報告を待ちわびているだろうゲルダの顔を思い浮かべて、ナハティガルはそう答えた。構想が形になり、こうして産声を上げられたのは彼女の助力あってこそだ。バーテンダーとしてのリハビリにつきあってもらう幾夜かの間、名前について共に考えるのも悪くないだろうと思った。
実力主義を掲げるライゼンナクト家に於いて、ナハティガル=ラーは、地位に対する自分の働きが十分であると思えてはいなかった。『黒鋼竜附護衛士』という役職の、字義通り危急の場で当主を護るという部分に関しては、ゲルダ・クラインに及ばない。彼女が盾であるならば、ナハティガルは矛というより毒塗りの短剣である。命を奪うことならば得手といえようが、護ることに適した道具では無い。
しかも今のライゼンナクト当主の身は、過去に比べればだいぶ安全だ。貴族家においては、当主すらも家の存続のための替えの効くパーツに過ぎない事がままあるが、現在のライゼンナクトに王家が温情を掛けているのは偏に彼個人の存在に拠っている。先代の罪業が風化するまでは、彼を失うことが没落に直結しかねない状況だ。他方、他の貴族家から見れば、貴族派自体が縮小した今、ライゼンナクト当主を暗殺することで得られるリターンとリスクは釣り合わない。仕掛けられることはあっても、影響力を削ぐ、評判を下げる、貸しを押しつけるといった間接的な嫌がらせがせいぜいか。その方が良い事は重々承知しているが、実際にナハティガルが全力を振るうような場は想定しづらい。
(先手を打つ、と言うわけにもいかん。迂遠にも思えるが、それがこの国の常識か)
警告のために切り落とした誰かの耳を送りつけるような蛮行はまかり通らない。いや、そういう行為を躊躇わない貴族も探せばいるのかもしれないが、彼の主君はそのような手段を好むまい。日々の業務に忙殺されながらも、彼は自分に何が出来るかを考えていた。
悩んでいたその数ヶ月の間に、同僚のゲルダは主君の意に叶う成果を挙げた。正確に言えば、主に動いたのは彼女の父とその商会であろう。だが、周囲を動かすことも個人の力だ。ゴールディのスラムで育ったナハティガルには親子の情はよく分からぬが、彼の人生に於いても、生き抜く間に身を寄せ合った者は幾人かいた。その縁が今まで続いていない事こそが、ナハティガルがゲルダに劣る所ではないかとも思う。
……以上、だいたい個人の感想なのだが。目を惹く麗々しい外見に似合わずナハティガルは自己評価が低い自罰的な男であり、かつゲルダへの評価が高くなりがちなところもあった。しかし、護衛士という名目に限らぬ貢献の仕方があると、彼女のお陰で気づけた部分もある。主が望む道を行く助けとなるならば、戦って護る以外の手段も考えるべきだ。
(俺が優れている事。俺にしか出来ぬ事が、あるとすれば……、何だ?)
能力以外のナハティガルの特徴を挙げれば、ゴブリンという種族と共に、先に思い出したような育ちの悪さがある。ライゼンナクトの家臣の中にも出自が孤児という者は居るであろうが、ゴールディで泥を啜り生きた経験がある者はそうそういるまい。その頃の経験の中に主君の力と出来そうなものが無いかと考え、耳の鋭さに思い至った。無力でありながら忌み子と扱われた頃のナハティガルは、近づくべきで無い危険な場所を知り、戦うべきで無い恐ろしい相手を認識しなければ、生き残ることは出来なかった。文字通り耳を澄ませることもした。情報が集まるように同様の子供らと交流もした。幼いながらに情報を分析し判断し、生きる道を探ってきた。
おそらく、ライゼンナクトには元公爵家に相応しい諜報能力はあるだろう。だが、地べたに這うような連中の囁きを拾い上げる手段は持っているだろうか。あるいは、後ろ暗い連中から必要な情報を集めるやり口は? きっと、育ちの良い彼らは不得手な分野だろう。
王都グランスパーダにもスラムに類するような下層民の住処はある。そこにしか無い情報があるやも知れない。故郷のゴールディには名を隠した王国の名士が訪れることもあると言うし、彼らが旅先で漏らす本音などもあるだろう。集めた雑多な情報を持ち寄らせて分析するというのは、今は帝国の皇妃となったメアリーが冒険者相手にやっていたことと本質は同じ事だ。彼女のような異能は無くとも、ナハティガルには自身の生存に必要な情報を取捨選択して生き抜いてきた経験がある。そう考えたナハティガルは、王都とシルバードに諜報のために拠点を置くことを上へと提案した。
●
王都グランスパーダとゴールディのシルバードに店を構える権利は、冒険者時代の貢献を使えば手に入れる事ができた。しかし、権利があることと、実際に商いを始めることの間には乗り越えるべき段差がある。ナハティガルは酒と情報が行き来するような店の従業員であった事こそあれど、起業者や経営者であった事はない。無いのだが、幸いなことに彼には頼れる相棒がいた。
「そのお話、わたしにもお手伝いさせてください!」
「ああ。助かる」
話を持ちかけた途端、食い気味に言うゲルダに驚きもあれど、ありがたさが勝る。
「……それと、ナハティガル様。相談してくださって、ありがとうございます」
「いや」
ナハティガルは瞑目した。聞くに聞けず、話すに話せず、それぞれが抱えて拗れに拗れた先の経緯を思い出せば、今回はそうならなかったことを喜ぶしか無い。こう見えて真面目なナハティガルは、主まで巻き込んだあのような騒動を二度も起こす訳にはいかないと固く決意している。
「……俺とて、幾度もお前に怒られたい訳ではない」
「わたしも、ナハティガル様のお掃除に何度もお付き合いしたいわけではありませんっ」
誰かが見ていれば『言い方……』と頭を抱えそうなやり取りではあるが、お互いその一件について考えていたのは伝わったようだ。ともあれ、王都はともかく国外の諜報に関しては、表向きの関わりを断った者やお抱え商人などを通じるために時間差ができてしまう事も多い。ゲルダから見ても、現地で情報を精査し送るナハティガルの構想の利点は確かにある。
「既存の手段とは別に情報を集める場所を作るということですよね。ライゼンナクト家のお役に立てると思います。お酒の出るお店にするんですね?」
「ああ。飲めば口が軽くなるというのもあるが、そもそも言葉や情報を売り買いする場所として適した形だからな」
ナハティガルが考えていたのは、カウンターバー形式の酒場だった。一人客が目立たずにバーテンと差し向かいで会話でき、聞き耳を立てる者の有無も店側が把握しやすい。物品のやり取りを介したり、事態が複雑で長く話さねばならぬような厄介な話ならば、奥へ通すといった方法も採れる。
「店の権利が俺にあれば、多少の心得のある者ならその意味が分かるだろう。そうなれば、連中はライゼンナクトにとって価値があると思う情報を売りに来る筈だ」
「……そういう事であれば、ナハティガル様のお名前でお店を出すのは、止めた方が良いかもしれません。ナハティガル様は、思っているよりも有名ですから」
「そうなのか。……いや、お前がそう言うならそうなのかもしれないが……」
「先ほどのお話だと、情報屋や組織の方にライゼンナクトに関係する店だとそれとなく知ってほしい、という感じでしたが。一般の人でもナハティガル様の事を知っていると思うんです。ゴブリンの方だったら特に」
異種族に隔意のある王国で、更に蔑まれる事の多いのがハーフビーストとゴブリンだ。英雄ジド・ルウの逸話があるハーフリングのゲルダとは、もともと国内での扱いが違う。そんな差別が横行する国家に於いて、ナハティガルは若きライゼンナクト侯爵に直属の配下として引き立てられたゴブリンの星である。それだけでも人の気を惹くに十分だというのに、ナハティガルは世界を救った冒険者の一人でもあった。各地で騒動を解決し、王都を救い、帝都を解放するなど歴史の転換点にも加わった。誰でも知っている英雄と言えば言い過ぎだろうが、誰が知っていてもおかしくない程度の知名度はある。
「ですから。ナハティガル様の名前が出てしまうと、思っていたようなお店にならないかもしれません」
「そうか……」
もとより自覚が薄いところ、どれだけ自分が凄い人物であるのか立て板に水の様相で語られて、気まずい思いでナハティガルは相づちを返した。語っている相手がゲルダであるのがまずいけない。魅力的に思う異性からの褒めは男の正常な判断力を奪うのだ。諜報でハニートラップが有効な理由を、顔には出さずともナハティガルは実感していた。諦めたはずの未練を、心中で振り払う。
「……しかし、俺の名がそこまで知られているなら、下らん手出しはされないだろう。悪い事ばかりでは無い」
「それはそうなのですけれど。ナハティガル様から主へとはっきり繋がってしまうのが良くないです。……護衛士を辞める訳では、ないですよね?」
「無論だ。つまりライゼンナクト候の関係者であると必要以外の連中にまで知られた場合の不利益が、利益を上回ると?」
「はい」
ナハティガルは考える。ゴールディマフィアであれば、新規開拓地域に名の知れた人物の名前で拠点を構える意味は相当に大きい。例えば利益相反者がいたとして、名もなきゴブリンの店なら気軽に嫌がらせも出来ようが、ブラックデス幹部が出した店であれば諦めるだろう。そういう知名度による圧力を覆すほどの不利益があるとすれば、どのようなものか。
「……ライゼンナクト侯爵家の手の者という情報を、事前に相手に渡してしまう弊害か。都合の良い情報ばかり持ち込まれたり、意図的に伝える内容を操作される危険性か? そういう意味ならば理解は出来るが、それについては対処はするつもりだ」
「いえ、王国の政治的な話です。ライゼンナクトとの関わりが知られたナハティガル様の場合、領地の外で何かを起こした際には問題が大きくなることがあります」
ゲルダはパンクリアース学園で、王国の外交は王家の専決事項と習った。それは王国貴族にとっては語るまでも無い常識だが、ナハティガルにとってはそうではない。例えば、他国に於いて貴族の配下の超法規的活動が明るみに出た場合、その事後処理に関するやり取りは外交の範疇になる。捕らえられる、あるいは死体を残す危険性がある敵地潜入の際、表向きの主従関係を切ったり、関係商会の従業員などを偽装するといった、ややこしい手段をとりがちなのはそういう理由だ。主君は諜報拠点を作る許可を出したのかもしれないが、おそらくはライゼンナクトへ繋がる痕跡を明確には残さない物を想定していただろうとゲルダは考えた。
「……なるほど、そういう意味か。確かに、付き合うのは行儀の良い輩では無い。こちらが望まずとも、問題を起こす可能性はあるな。助言に感謝する」
礼を述べ、静かに考え込むナハティガルの横顔を、ゲルダは見つめている。店を出すにあたる雑事や懸念は多く、それらも話し合いの中でまとめ上げた。きっと、自分達だけでは力が足りない。しばらくしてから、ナハティガルはゲルダへと向き直る。
「……この件では他にもゲルダに頼みたいことができた。頼めるだろうか」
「わたしに?」
「正確に言えば、ゲルダの父君、だ。俺は実際の諜報のことは分かるが、それ以外のことは分からん。準備は俺一人では……、いや、ゲルダの手を借りても手に余る。大商人たるギュミル・クライン殿の知恵と手を借りたい」
それは、ゲルダの想像通りの結論だった。ナハティガルに頼られ、信頼されていることに喜びを感じつつ、彼女は頷きを返した。
●
一代で現在の規模まで事業を拡大し、いまや王都ならずともその名を知られるギュミルは、極めて多忙な男である。ライゼンナクト候との接触以後、予想通り付き合いが変わった取引相手の整理や手当に奔走し、直近では木炭筆の供給、将来の黒鉛筆の実用化に向けても動いていた。びっしり埋まった彼の予定表であったが、愛娘のお願いの力は絶大だ。連絡を取って僅か数日後には、王都のクライン邸にてナハティガルと顔を合わせることとなった。
「……今日は、俺の為に時間を作っていただき、感謝する」
「まず、はっきりさせておこうか。貴方のためにではないぞ。銀髪鬼、ナハティガル=ラー」
ギュミルは対面のナハティガルの顔を睨み上げる。それは百戦錬磨の大商人としての圧というよりは父親としての威圧なのだが、強者たるナハティガルをして冷や汗を流させた。
「……お父様?」
付き添いできていたゲルダは、それが駆け引きの類いであれば口を挟まなかっただろう。しかし、最初から私情が先に出ているように感じてじっとりとした目で父を見た。その間にナハティガルはギュミルの言葉を咀嚼する。
「もちろんその事はわかっている。貴方にだけではなく、ゲルダの助力にも深く感謝している」
「……は、はい」
今までに幾度も礼は言われているのだが、ギュミルに面会するための正装と、気心の知れた距離感で話すときとは違う緊迫した声音に、ゲルダの返答が詰まった。かっこよさにちょっと見蕩れたとも言う。そんな様子を、母であるアイリス・クラインはニコニコと眺めていた。
「貴方の話は、ゲルダからよく聞いているわ。いつも娘をありがとう」
「いや。俺の方こそ、ゲルダには迷惑を掛けている。俺は王国の生まれでは無いからな。至らぬ事を補って貰うことも多い」
「い、いえ。ナハティガル様こそ、わたしがうまく動けない時にも、得意なことで助けてくださっています」
「あら、思っていたよりも仲良しなのね?」
アイリスは客人と娘へおっとりとした微笑を向ける。ゲルダが言っているのが自分が動けない間に得意なことで助けるというような意味合いだとは思うまい。そして、伝聞での報告よりも二人の距離が近いように感じた父の機嫌は急降下中である。
「……私は忙しい身だ。さっさと用件を話して貰おう。引き受けるかどうかは別だがなっ!」
「あ。ああ。実は……」
ゲルダとの相談で微修正した計画について、まずギュミルに説明する。その段階で話にならないと言われればおしまいであったが、ひとまずの合格は得られたらしい。不機嫌そうな顔のまま、ギュミルは自分に何を望むのかと聞いた。まずは、ゲルダから指摘されたナハティガルの名前を表から隠すこと。そしてナハティガルがもともと考えていた自らの不足点。
「俺は、働いた経験はあるが、店を経営したことがない。起業するにせよ、どこに店を構えるべきか、仕入れはどうすべきか、その為の根回しなど分からぬ事だらけだ。それを補える人物を紹介して欲しい」
「……つまり人材か? 随分と、贅沢なことを言う。目的から考えるに、知識だけじゃなく、荒事もこなせないと話にならないだろう。ライゼンナクト侯との事を考えれば、口が堅く決して裏切らない事も必要か……」
商売の知識ならば持っている者は多い。少人数で辺境を回れる程度に腕が立つ者もいる。しかし、最後の決して裏切らないという条件が厄介だ。歴史ある名家なら盲目的に仕える忠義の一族などもいるのだろうが、ギュミルは一代の成り上がりである。信頼できてかつ有能と思える子飼いにはとっくに重要なポジションを与えており、それを今の立場から引き抜くのは望ましくない。しかし、娘の期待には応えたい。顔をしかめて考え込んだギュミルを見て、ゲルダが口を開いた。
「あの。そこは逆に考えたらどうかと思います」
「うん? どういうことだ、ゲルダ」
「先ほどもお伝えしたように、お父様にはお店の権利のナハティガル様の名義を普通の人だったら分からない程度に変えていただかないといけません。ですが、その後に雇う方ならば、その店がライゼンナクトに連なることを教えなくとも良くはないですか」
「そうね。知らないことは誰も喋れないものね」
「……なるほど? いや、しかし経営者は彼だろう。まったく会わぬわけにも行くまいし、分かる者ならば顔を見ただけで素性が割れるかもしれないぞ」
ギュミルまでそういうならば、ゲルダの助言は正しかったのだろう。そう思いつつも、ナハティガルはその問題への対処法を持っていた。
「問題無い。顔ならば変えることが出来る。姿も、何なら性別もな」
ぱっと見てナハティガルを連想しないような外見を取れば良いだけの話だ。何なら、その時だけは別の名を名乗っても良い。ごまかしたところで、その条件以外にも叶う有能な人物ならばいずれ独自に真相に辿り着く恐れはある。が、それまでの間に忠誠を勝ち取るのが、上に立つナハティガルに求められる器量だろう。
「なるほど……。そうか。ふむ、そうなると……」
大貴族の領地外での諜報活動に経営側で関わると聞いた時には、死んでも口を割らないような鋼の信頼が必要と思った。だが、妻の言うとおり、なるほど知らないことは喋れない。娘の言うように知らせる範囲を調節することさえできれば、用意するのは普通に優秀な人材で十分だ。
(ぐぬぬ。この男の為に頑張って考えた、ということはまったく納得できないが……)
ゲルダの発想に娘の成長を感じたギュミルは、本来であれば妥当と考える線よりもほんの少しだけ、この男に肩入れすることにした。
「ならば、ちょうど良い人材を紹介できそうだ。パンクリアース学園卒なので、商業知識のみならず必要ならば王国の貴人を相手に出来る礼法知識もある。死んでも裏切らぬという事は無いだろうが、待遇が見合う限りは裏切ろうとしない程度の良識も持っている」
「……ゴブリンへの感情は? ゴールディでも仕事をする以上、そこに問題があると困る」
「大丈夫だよ。種を明かせば、元は貴族の若いヒューマン女性でね。没落し一家は離散。結婚が破談になったり、色々と辛酸をなめる間にその辺りの常識は壊れたようだ。うちで働いて貰っている間も、異種族だからと蔑視するような事は無かった。ゴブリンの顧客に対してもね」
ナハティガルのサポートとして、うら若い令嬢を選ぶ父に少しもやっとしつつも、ゲルダはまず気に掛かった所を確認する。
「没落というのは、まさかライゼンナクトの乱で……?」
「いや、さすがにそうだったら推薦はしないぞ。レギンレイヴ侯爵の寄子貴族だったアヴェリス男爵の次女で、元の名前はマルティナ・アヴェリス。今は姓は名乗らず、名だけで通しているようだが」
主家へ恨みがありそうな人物ではないようだ。それならばとナハティガルは頷く。
「聞く限り、問題は無さそうだな。会わせて貰おう。それまでに、俺の偽の身分も作らねばならないな」
「ゴールディと王都で店を出すなら、種族はヒューマンが良いと思うよ。女性でも変装できると聞いたが、夜の店の経営陣が女性だけでは舐められるといけないから、性別は男性がいいだろう。ヒューマン女性と男性の組み合わせで収まりも良いからね」
「なるほど、一理ある」
先ほどまでは不承不承協力すると言う態度だったギュミルが、やけに前のめりで押してくる提案は理に叶っている。叶っているのだが、ゲルダのもやもやは加速した。とりあえず、彼女に知らせたくないナハティガル名義の土地と店の洗浄については、責任を持ってギュミルが行うと言う。
「で、君の新しい身分や名前は、どうするんだい? 君の異名を考えると、その銀髪も変えた方が良さそうだが」
「出身はシャルガネ、名は……、そうだな。黒夜でどうか」
「なるほど、シャルガネ生まれであれば黒の髪か」
「王都でもゴールディでも異国人としておけば、時折カウンターに俺が立っても問題無いだろう」
新参者の素性を洗おうとした際に、他国者であればすぐには知れぬ。しかし、シャルガネは閉鎖的な社会だ。ある程度手間を掛けて調べさせれば、『そのような人物はいない』と分かる。そこで怪しんで土地の売買履歴をじっくり辿ったところでようやく、うっすらとライゼンナクトの護衛士の影が浮かび上がる筈だ。それくらいであれば、相手の能力を測るにも十分だろう。
「その、お店にはわたしもっ……、あ、伺うわけにはいかない、ですよね」
苦労してライゼンナクトの匂いを消しているところに、もう一人の護衛士ゲルダが通っては本末転倒だ。それは分かっているのだが、想い人の絵になる姿をその目で見たい乙女心。知ってか知らずか、ナハティガルは苦笑する。
「……シェイカーを振るのも久しぶりだ。勘を取り戻す手伝いをしてくれればありがたい」
「は、はい。任せてください!」
「あらあら、ゲルダちゃん。飲んでは駄目とは言わないけれど、飲み過ぎては駄目よ?」
「分かってます、お母様」
微笑むアイリスに、何となく子供扱いされていると感じたゲルダは素っ気ない。目の前で交わされた愛娘と男の約束はさらりと自然な距離感で、警戒していた父が言葉を差し挟む隙も無く。先ほどまではうまく話を運んでいたはずなのに、どこで潮目を読み違えたのかと肩を落とすギュミルであった。
●
マルティナの面接は、ギュミルと会った翌々日になった。当日、『黒夜』として選んだ外見は、実際のナハティガルの年齢相応のヒューマン男性だ。髪色を黒と替え、口ひげを蓄えたダンディな姿から、ナハティガルを思い浮かべるのは難しいだろう。対するマルティナは、聞かされていなければ元貴族令嬢には見えない女性だった。男のような短髪で目元が鋭く長身、年齢は二十歳ちょうどだと言う。面接だと言っても守秘義務や大まかな内容などはあらかじめギュミルが伝えてある。採用を躊躇うような粗も無く、そのまま事後の相談へシフトした。
「……基本的に、『黒夜』様はどちらの店にもいらっしゃらないのですね。私の身も一つですから、両方の店に裁量を与えた責任者を置く必要があります」
「いいだろう。俺の方でも最終確認はするが、人選は任せる」
バーに関わる細々とした仕事はマルティナに集約し、ナハティガルが不在でも回るようにしなければならない。権利上、開店できるのはカウンター一つしか無い小さな店だ。彼女が言う責任者に加えて、もう一人か二人、女給でも雇えば店自体は十分に回せるだろう。ただし、当然ながらその責任者に当たる人物は酒場の運営だけではなく、ナハティガルの求める情報を集める能力が要る。
「求める人員の質から考えても、酒場として黒字にすることは難しいかと思いますが……?」
「構わん。その程度の蓄えはある」
マルティナ、それに各店の責任者への報酬として妥当な額は安くは収まるまい。情報を売る側に回れば金銭を得る手段は増えるのだが、現地組織との軋轢も生じる。その危険も踏まえ、ナハティガルは情報の売買では無く収集の為の拠点とした。赤字になるのは織り込み済みだ。
「わかりました。健全な範囲の赤字に留めるように努力します」
「集めた情報は店の売り上げとは別の金庫に保管しておけ。必要に応じて俺が取りに行く」
「はい。そのように指示します」
「売り手の関係は俺の方で差配する。マルティナには店舗の改装、仕入れ確保など、店として動く為の準備をまずは任せたい」
王都にしろシルバードにしろ、現地の情報屋や裏の組織に繋ぎを入れる部分は、『黒夜』がせねばなるまい。そうして事前に選別した者が売りに来る情報は、同意した値で買う。また、それらの相手が緊急として持ち込んだ情報があった場合は、すぐに自分へ連絡を取るように指示した。それ以外の提供者については彼女や店の責任者の裁量で買うかどうか、値付けも含めて任せても良い。それも勉強だ。
「『黒夜』様へ私どもから連絡する方法を、教えて頂けるのですね」
「そうだな……。俺は一つの場所にいるとは限らない。冒険者ギルドへ依頼すれば、伝わるようにしておこう」
「……そうですか。より信頼して頂けるよう、励みます」
少し考えてから、マルティナはそう答える。短い会話で既に頭の良い女だとは理解した。聞かされた範囲で色々な可能性を考えたのだろう。ライゼンナクトの名は出してはいないが、王都とシルバードそれぞれの場所で王国に関わりそうな情報を集めるように指示している所から、国を跨いで情報を欲するような組織が背後にあることは分かっている筈だ。不要に踏み込んでこないのは、自分が知るべき範囲をわきまえているからだろう。
「開店までは、どれくらい掛かる」
「王都であれば一ヶ月。シルバードは土地勘がありません。調査も含め、三ヶ月ほどいただけますか」
「いいだろう。内装は奇抜に目立たせる必要は無いが、落ち着いた雰囲気に纏めてくれ」
「わかりました。店の名前は、どうされますか」
「そうだな……。いや、それは来週までに伝えよう」
今日の報告を待ちわびているだろうゲルダの顔を思い浮かべて、ナハティガルはそう答えた。構想が形になり、こうして産声を上げられたのは彼女の助力あってこそだ。バーテンダーとしてのリハビリにつきあってもらう幾夜かの間、名前について共に考えるのも悪くないだろうと思った。
assignment【DA】史実ノベル 関連特設ページ
メアリー王女が冒険者達の協力を得て稼働させた「王家の耳」。メアリーは無作為に集まってくる情報を、余人に及びもつかぬ閃きを持って分析しながら、今日も世界の動きへ耳を傾けている。
集まった情報の中には、世界の情勢に影響はないかもしれないが興味深い個人の記録があるかもしれない。