【DA】リーンエスの耳
ジュスト・ヴェルジー/ ハロルド・アシュバートン
『ノベルタイトル:瓢風、茨路を知りて』弓月 蒼
●とある継嗣の無理難題
「……こう、なるか……まあ、こうなるよなあ……」
パンクリアース学園内、特別棟、生徒会室。『瓢風』ジュスト・ヴェルジーは机に伏せる。
折れた肋骨は回復魔法で癒やした筈だが、未だ嘆息を零すと痛む、気が、するのは、気の所為か。
いや、単純に身体の何処かしらが完全には癒えて無いのだろう。魔法も決して万能ではない。
最近ジュストは意識を彼岸に送るほどの怪我を負う事が増えて来た。流石に軽口では済む話ではない。
戦いの激化。延いてはこれまで『王国』に潜んでいた膿が次から次へと破裂していく昨今である。
魔法使いの大家等と言われても、ジュストの自認では自分は決して鉄火場に向く性質ではない。
如何なる術を用いてでも生き残ろうと足掻く程度の小賢しさならば持ち合わせているが。
それはそれとして勝つ為の犠牲を優先順位で考えてしまうジュストは、早死にするタイプである。
何せ、彼は脆い。様々な手練手管を駆使して自らを守る術は身に付けてきたが。
洗練を極めた強者や、神に片足を掛けている様な魔人の類と対峙すれば小細工は小細工でしかない。
(わかってはいる心算なんだけどね……全く、才能の化け物共め)
結果、彼の身体は良い加減“ガタ”が来ている。その自覚も有る。
優れた治療師に全身満遍なくじっくり治療でもして貰えたならばともかくも。
そんな時間も暇も余裕も……残念ながら無い。何せ、彼の祖国は今激動の真っ只中だ。
今机に広げた校内でのトラブル――――特に貴族間勢力図の激変――――もその一端だと言える。
言ってしまえば、時流に“乗れた”者と“乗り損ねた”者との水面下での諍いが激増している。
ウィリアム第二王子の臣籍降下。それに伴う婚姻と『集権派』の台頭。
これに上手く呼応して『集権派』に宗旨変えをした『王党派』『貴族派』それぞれの貴族家は。
大半が法衣貴族や伯爵家以下と言う中堅から下位貴族で構成されており、家格は派閥の柵が邪魔をする。
これまで下に付いていた者達こそが“上手く”立ち回り、上に居た家は混迷の真っ最中だ。
親家の背景事情は当然その令嬢、令息に波及し。平民、特に商家の人間はそういった時流に敏い。
『学園』内にも一定の勢力としてそういった商家同士の繋がりが存在する以上。
必然、各貴族家内の微妙な立ち位置と力学の変化は“学園生同士の力学”も変化させる。
例えばこれまで『王党派』で集まっていた一つの共同体が内輪揉めで空中分解し掛かっているだとか。
例えばこれまで過激派中心で動いていた『貴族派』のサロンが穏健派主導に変動しつつあるだとか。
例えば『集権派』に移行した貴族達に関する投書が不気味なくらい少ないだとか、である。
昨日の友は今日の敵を地で行く環境は、人脈作りに奔走しているジュストからすれば間が悪いと言う他はない。
嘆息する傍ら、走った痛みに左の肺を抑えるも。まるでそれと連動するように軽妙に三度、扉が鳴る。
生徒会の誰かが来たのか、と資料を手元に寄せるも。いや、然してそのノックには聞き覚えがあった。
まるで狙っているかの如く、こういった窮状にやって来る相手にも――――だ。
■
「よぉジュスト。帰って早々精が出るな」
生徒会室の扉が開かれる。任意登校の現在、校内で生徒の姿はあまり見掛けない。
ジュストにした所で依頼と依頼の合間の、久々の登校だ。にも関わらず一体何処で捕捉されたのか。
応答も待たずずかずかと室内へ踏み入ってくるのは親友にして悪友であるハロルド・アシュバートンである。
同じ王国貴族という立場ではあるが、嫡男であり継嗣である彼はジュストに比べ大概身軽な身だ。
「やあハリー。君こそ元気そうで何よりだよ。いよいよ王都の安全神話も信用ならないからね」
「だろうな、こっちも帰郷命令を一体何通無視したか。帰る方がよっぽど身の危険を感じるんだがな……
っと、それでこっちが例のアレだ。苦労した分だけの報酬は期待して良いんだよな?」
肩を竦める仕草も堂に入ったものだが。一件軽く見えようと、貴族の係累が抱える物が軽い試しなど無い。
色々と“動き難い”立場になってしまったジュストにとっても、ハロルドの交流網は命綱の一つである。
孔雀会という貴族の共同体に属する彼は“やや素行に難のある”貴族の子息に一定顔が利く。
机に放られた数枚の紙片は、以前学園が自主登校になる前に依頼していた“卒業後”の情報収集結果だ。
積み重ねた恩義や友誼は有ろうとも、家を背負う貴族にとって情報とはこれ即ち武器。
武器の確保を頼んでおいて“何の戦果も上げられない”では今後の付き合い方にすら響いて来る。
「勿論。幾らかは“間引き”も考えないと席が埋まってからじゃ手遅れになるからね」
「おお怖。あんまり悪い顔してると婚約者に見せられなくなるぜ」
「それはそれ、これはこれだよ」
――――本音を言えば、あまり汚れ仕事には手を出したくない。正攻法で上手く行けばそれが一番良い。
ただ、多くの貴族が“派閥を移動しつつある現状”と言うのはそう甘えたこと言ってられる事態ではない。
ジュストは将来的に“法衣貴族”としての立身を望んでいるが、“法衣貴族”の主流は『王党派』だ。
中には所謂“白薔薇の系譜”が多く含まれ、彼らの殆どは派閥盟主である『白薔薇』に立場を準ずる。
この先、統治領が無く身軽な“法衣貴族”は『王党派』と『集権派』が入り混じる事になる。
勿論王家の大方針下に有ると言う優位性を見れば、将来的には『集権派』が支配的になる目が大きいが。
そうなるまでの間、指揮系統と所属派閥による混乱や対立が生まれる事は最早避け得ない。
であれば今、事前に“将来の対立派閥の有力株を詰んで”おかないと言う手はない。
何せ“将来こうなる”という予測が付いたとして、それまで自家が無傷である保証はないのだ。
幸い『集権派』への派閥転換は椅子取り遊戯だ。出遅れれば自然と動き難くなる
有能であっても素行の悪い人間の周囲と言うのは“足を引っ張りたい”人間に事欠かない。
眼前のハロルドがそうであった様に。貴族の社交界では清廉にして穢れ無い――――擬態が不可欠なのだ。
其処に陥穽があるなら、少し周囲の人間関係に手を加えるだけで勝手に脱落ていく。
私生活での醜聞で公的な信頼を失う等という話、この『王国』では日常茶飯事だ。
自分の身を護れるのは自分だけ。それを怠ったなら、誰に陥れられても文句など言えない。
●確かな時が刻むもの
「ああ、それとこっちは別件な。今度何か奢れよ」
「ありがとう、特大の感謝を贈ろう。奢りは、暇になったらね」
生徒会室を出ると、そう言って手渡された綿紙を捲りながら廊下を歩く。
他方、ハロルドも彼の後ろを付いてくるが、恐らく何か用が有ってのことではないだろう。
強いて言えば。気の置けない友人であるところのジュストが何故派閥も違う“二年生”にそれほど拘るのか。
彼が興味を憶えたとしても不思議はない。何せ、態々“別件”として調べて貰ったくらいなのだから。
「おいおい最近付き合い悪いぜ、俺よりこの坊やの方が大事なのか?」
「気持ち悪いこと言わないでくれるかな。それにこれは……まあ、個人的興味だよ」
「ひゅー、こいつはディオールのお姫さんに一言助言をって待て待て冗談だろ目がマジなのやめろって」
「そうだね。自由登校日に渡り廊下から親友が転落、なんて怪事件は聞きたくないかな……――――っ」
目敏いハロルドのことだ。じゃれ合っている間に左胸を抑えた事には当然気付いたろう。
「ま。好奇心だよ。場合によっちゃ今後付き合いが生まれるかもしれないしな」
もしも心配されたとしても“だったら辞めた”とは行かない以上、問答を省けるのは正直助かる。
少なくとも、今のジュストに自分の体を大切にする――――などと言う贅沢は許されないのだから。
ともあれ。そうして向かった先は『学園』内の大図書館である。
其処では恐らく、下手に故郷に帰るよりも安全だと判断されたのだろう。小柄な影が無数の本を広げていた。
『貴族派』穏健派の有力貴族家。『竜』の片腕とも称される侯爵家『夜鷹』
その嫡男、ジーベック・ファルゲンは他の第二学園生と比較しても一際小柄である。
当然と言えば当然だ。彼は最年少と言って良い年齢で『学園』へ通い始めた優秀な貴族令息。
ハロルド同様、戦闘能力は乏しい物の学業成績は同学年でも屈指と聞く。勉強家であり、努力家だ。
しかし得てして出る杭は打たれる。それを跳ね除けるだけの運か人脈か才覚を持ち合わせなければ。
父親が校長かつ『侯爵家』だけあり表立っては静かなもの。その分悪意は陰湿な形で表出した。
それを、ジュストが逐一気に留め場合によっては排除して来た事をジーベックは知らない。
自由登校日にも関わらず、下級生が学問に没頭するのを隠れて眺めていた2人の上級生。
流石に目立つその姿に、顔を上げたジーベックが怪訝の眼差しを向ける。
書類を見る限り、彼を個別に狙った嫌がらせの類はここ最近の王都内のごたごたで小康状態にある。
けれどジュストが彼を護っていられる時間も、もうそれほど長くはない。
上級生として、先達として。何が残せるだろうか。それは彼にとって必要な“後始末”の1つだと言えた。
■
「……? ジュスト……先輩。そちらは」
「俺は5年のハロルド・アシュバートン。アシュバートンの色男とでも呼んでくれ」
「なるほど、僕の人生とは微塵も関係無さそうな人ですね。話しかけないで下さい色男」
まあ、何となく漠然と。見るからに相性が悪そうだとは思っていた。
ジーベックは何処と無く潔癖のきらいがある。それでも、敬語を使うようになったのは大きな進歩と言えよう。
「最近は何か困ったことは有りませんか、ジーベック様」
「これと言って。ああ、まあ……これから先は、少し色々有りそうだけれど」
目を細めるその仕草は、恐らく『夜鷹』には既に第一報が届いているのだろう。
王国の『竜』が墜ちた。それは、まさについ先日その場に居たジュストが一番良く知っている。
これから先『貴族派』は変化を余儀なくされる。それは眼前の少年の立ち位置にも影響を及ぼすに違いない。
「と言うかジュスト。貴方、顔色が良く無いよね」
そんな事を考えていたからだろうか。ジーベックの言及に、ジュストの反応が一拍遅れた。
取り繕えていると思っていたし、そもそも眼前の少年はそれほど他人に興味がない筈だ。
人の顔色を伺うなんて概念からは真逆の存在であり、不遜と我儘が服を着ている様な。
けれど、彼はジュストのその些細で微小な容態の変化に気付いた。
「いや、俺のことは大丈夫ですよ」
「貴方も父様と同じ様な事を言う。ジュスト、無理が祟った時は無理だと言うのが上に立つ者の務めだよ」
その言葉にハロルドすらが声を失う。下級生が上級生に贈る提言ではないだろう。
けれどそれは紛れもなく成長だった。彼は少しずつ。それでも確かに上を向こうとしていた。
今、彼の発する言葉の多くは父や、目上の貴族達。或いは教導書からの受け売りだろう。
しかし相手を見て、伺い、不器用であれ“心配した”ことは――――ジュストの想像を大きく越えていた。
人は育つ。子供は、いつまでも庇護の対象ではない。その、何と早い事だろう。
彼は僅かに自らを恥じ、ジーベックという少年を侮っていた事を認めた。彼もまた、高位貴族の継嗣。
「いえ、御心配ありがとうございます。諫言胸に刻みました」
「ああ、もう少し器用に生きると良い。貴方は見るからに不器用そうだもの」
後の世に、一つの派閥の柱足り得る存在なのだ。戦友と、或いは好敵手となり得る相手であると。
この時この瞬間まで見ないままでいた事実に気付き、好奇心とした悪友の言に漸く合点が行く。
なるほど、後始末とは何とも傲慢な発想だ。
「……俺も最近働き過ぎで疲れてるんだけどなあ」
「何でまだ居るの色男」
「なんか俺に当たりが異常に強くない?」
ジュストは納得と共に踵を返す。未練は去った。彼は、きっと自ら選んだ道を歩いて行くだろう。
ならば、自分も自分の為の戦いをしなければ。歩み続ける後輩に、無様な背中など見せられない。
茨路は承知の上。痛みを抱え瓢風は吹く。今はただ、望む未来へ至るまで。
「……こう、なるか……まあ、こうなるよなあ……」
パンクリアース学園内、特別棟、生徒会室。『瓢風』ジュスト・ヴェルジーは机に伏せる。
折れた肋骨は回復魔法で癒やした筈だが、未だ嘆息を零すと痛む、気が、するのは、気の所為か。
いや、単純に身体の何処かしらが完全には癒えて無いのだろう。魔法も決して万能ではない。
最近ジュストは意識を彼岸に送るほどの怪我を負う事が増えて来た。流石に軽口では済む話ではない。
戦いの激化。延いてはこれまで『王国』に潜んでいた膿が次から次へと破裂していく昨今である。
魔法使いの大家等と言われても、ジュストの自認では自分は決して鉄火場に向く性質ではない。
如何なる術を用いてでも生き残ろうと足掻く程度の小賢しさならば持ち合わせているが。
それはそれとして勝つ為の犠牲を優先順位で考えてしまうジュストは、早死にするタイプである。
何せ、彼は脆い。様々な手練手管を駆使して自らを守る術は身に付けてきたが。
洗練を極めた強者や、神に片足を掛けている様な魔人の類と対峙すれば小細工は小細工でしかない。
(わかってはいる心算なんだけどね……全く、才能の化け物共め)
結果、彼の身体は良い加減“ガタ”が来ている。その自覚も有る。
優れた治療師に全身満遍なくじっくり治療でもして貰えたならばともかくも。
そんな時間も暇も余裕も……残念ながら無い。何せ、彼の祖国は今激動の真っ只中だ。
今机に広げた校内でのトラブル――――特に貴族間勢力図の激変――――もその一端だと言える。
言ってしまえば、時流に“乗れた”者と“乗り損ねた”者との水面下での諍いが激増している。
ウィリアム第二王子の臣籍降下。それに伴う婚姻と『集権派』の台頭。
これに上手く呼応して『集権派』に宗旨変えをした『王党派』『貴族派』それぞれの貴族家は。
大半が法衣貴族や伯爵家以下と言う中堅から下位貴族で構成されており、家格は派閥の柵が邪魔をする。
これまで下に付いていた者達こそが“上手く”立ち回り、上に居た家は混迷の真っ最中だ。
親家の背景事情は当然その令嬢、令息に波及し。平民、特に商家の人間はそういった時流に敏い。
『学園』内にも一定の勢力としてそういった商家同士の繋がりが存在する以上。
必然、各貴族家内の微妙な立ち位置と力学の変化は“学園生同士の力学”も変化させる。
例えばこれまで『王党派』で集まっていた一つの共同体が内輪揉めで空中分解し掛かっているだとか。
例えばこれまで過激派中心で動いていた『貴族派』のサロンが穏健派主導に変動しつつあるだとか。
例えば『集権派』に移行した貴族達に関する投書が不気味なくらい少ないだとか、である。
昨日の友は今日の敵を地で行く環境は、人脈作りに奔走しているジュストからすれば間が悪いと言う他はない。
嘆息する傍ら、走った痛みに左の肺を抑えるも。まるでそれと連動するように軽妙に三度、扉が鳴る。
生徒会の誰かが来たのか、と資料を手元に寄せるも。いや、然してそのノックには聞き覚えがあった。
まるで狙っているかの如く、こういった窮状にやって来る相手にも――――だ。
■
「よぉジュスト。帰って早々精が出るな」
生徒会室の扉が開かれる。任意登校の現在、校内で生徒の姿はあまり見掛けない。
ジュストにした所で依頼と依頼の合間の、久々の登校だ。にも関わらず一体何処で捕捉されたのか。
応答も待たずずかずかと室内へ踏み入ってくるのは親友にして悪友であるハロルド・アシュバートンである。
同じ王国貴族という立場ではあるが、嫡男であり継嗣である彼はジュストに比べ大概身軽な身だ。
「やあハリー。君こそ元気そうで何よりだよ。いよいよ王都の安全神話も信用ならないからね」
「だろうな、こっちも帰郷命令を一体何通無視したか。帰る方がよっぽど身の危険を感じるんだがな……
っと、それでこっちが例のアレだ。苦労した分だけの報酬は期待して良いんだよな?」
肩を竦める仕草も堂に入ったものだが。一件軽く見えようと、貴族の係累が抱える物が軽い試しなど無い。
色々と“動き難い”立場になってしまったジュストにとっても、ハロルドの交流網は命綱の一つである。
孔雀会という貴族の共同体に属する彼は“やや素行に難のある”貴族の子息に一定顔が利く。
机に放られた数枚の紙片は、以前学園が自主登校になる前に依頼していた“卒業後”の情報収集結果だ。
積み重ねた恩義や友誼は有ろうとも、家を背負う貴族にとって情報とはこれ即ち武器。
武器の確保を頼んでおいて“何の戦果も上げられない”では今後の付き合い方にすら響いて来る。
「勿論。幾らかは“間引き”も考えないと席が埋まってからじゃ手遅れになるからね」
「おお怖。あんまり悪い顔してると婚約者に見せられなくなるぜ」
「それはそれ、これはこれだよ」
――――本音を言えば、あまり汚れ仕事には手を出したくない。正攻法で上手く行けばそれが一番良い。
ただ、多くの貴族が“派閥を移動しつつある現状”と言うのはそう甘えたこと言ってられる事態ではない。
ジュストは将来的に“法衣貴族”としての立身を望んでいるが、“法衣貴族”の主流は『王党派』だ。
中には所謂“白薔薇の系譜”が多く含まれ、彼らの殆どは派閥盟主である『白薔薇』に立場を準ずる。
この先、統治領が無く身軽な“法衣貴族”は『王党派』と『集権派』が入り混じる事になる。
勿論王家の大方針下に有ると言う優位性を見れば、将来的には『集権派』が支配的になる目が大きいが。
そうなるまでの間、指揮系統と所属派閥による混乱や対立が生まれる事は最早避け得ない。
であれば今、事前に“将来の対立派閥の有力株を詰んで”おかないと言う手はない。
何せ“将来こうなる”という予測が付いたとして、それまで自家が無傷である保証はないのだ。
幸い『集権派』への派閥転換は椅子取り遊戯だ。出遅れれば自然と動き難くなる
有能であっても素行の悪い人間の周囲と言うのは“足を引っ張りたい”人間に事欠かない。
眼前のハロルドがそうであった様に。貴族の社交界では清廉にして穢れ無い――――擬態が不可欠なのだ。
其処に陥穽があるなら、少し周囲の人間関係に手を加えるだけで勝手に脱落ていく。
私生活での醜聞で公的な信頼を失う等という話、この『王国』では日常茶飯事だ。
自分の身を護れるのは自分だけ。それを怠ったなら、誰に陥れられても文句など言えない。
●確かな時が刻むもの
「ああ、それとこっちは別件な。今度何か奢れよ」
「ありがとう、特大の感謝を贈ろう。奢りは、暇になったらね」
生徒会室を出ると、そう言って手渡された綿紙を捲りながら廊下を歩く。
他方、ハロルドも彼の後ろを付いてくるが、恐らく何か用が有ってのことではないだろう。
強いて言えば。気の置けない友人であるところのジュストが何故派閥も違う“二年生”にそれほど拘るのか。
彼が興味を憶えたとしても不思議はない。何せ、態々“別件”として調べて貰ったくらいなのだから。
「おいおい最近付き合い悪いぜ、俺よりこの坊やの方が大事なのか?」
「気持ち悪いこと言わないでくれるかな。それにこれは……まあ、個人的興味だよ」
「ひゅー、こいつはディオールのお姫さんに一言助言をって待て待て冗談だろ目がマジなのやめろって」
「そうだね。自由登校日に渡り廊下から親友が転落、なんて怪事件は聞きたくないかな……――――っ」
目敏いハロルドのことだ。じゃれ合っている間に左胸を抑えた事には当然気付いたろう。
「ま。好奇心だよ。場合によっちゃ今後付き合いが生まれるかもしれないしな」
もしも心配されたとしても“だったら辞めた”とは行かない以上、問答を省けるのは正直助かる。
少なくとも、今のジュストに自分の体を大切にする――――などと言う贅沢は許されないのだから。
ともあれ。そうして向かった先は『学園』内の大図書館である。
其処では恐らく、下手に故郷に帰るよりも安全だと判断されたのだろう。小柄な影が無数の本を広げていた。
『貴族派』穏健派の有力貴族家。『竜』の片腕とも称される侯爵家『夜鷹』
その嫡男、ジーベック・ファルゲンは他の第二学園生と比較しても一際小柄である。
当然と言えば当然だ。彼は最年少と言って良い年齢で『学園』へ通い始めた優秀な貴族令息。
ハロルド同様、戦闘能力は乏しい物の学業成績は同学年でも屈指と聞く。勉強家であり、努力家だ。
しかし得てして出る杭は打たれる。それを跳ね除けるだけの運か人脈か才覚を持ち合わせなければ。
父親が校長かつ『侯爵家』だけあり表立っては静かなもの。その分悪意は陰湿な形で表出した。
それを、ジュストが逐一気に留め場合によっては排除して来た事をジーベックは知らない。
自由登校日にも関わらず、下級生が学問に没頭するのを隠れて眺めていた2人の上級生。
流石に目立つその姿に、顔を上げたジーベックが怪訝の眼差しを向ける。
書類を見る限り、彼を個別に狙った嫌がらせの類はここ最近の王都内のごたごたで小康状態にある。
けれどジュストが彼を護っていられる時間も、もうそれほど長くはない。
上級生として、先達として。何が残せるだろうか。それは彼にとって必要な“後始末”の1つだと言えた。
■
「……? ジュスト……先輩。そちらは」
「俺は5年のハロルド・アシュバートン。アシュバートンの色男とでも呼んでくれ」
「なるほど、僕の人生とは微塵も関係無さそうな人ですね。話しかけないで下さい色男」
まあ、何となく漠然と。見るからに相性が悪そうだとは思っていた。
ジーベックは何処と無く潔癖のきらいがある。それでも、敬語を使うようになったのは大きな進歩と言えよう。
「最近は何か困ったことは有りませんか、ジーベック様」
「これと言って。ああ、まあ……これから先は、少し色々有りそうだけれど」
目を細めるその仕草は、恐らく『夜鷹』には既に第一報が届いているのだろう。
王国の『竜』が墜ちた。それは、まさについ先日その場に居たジュストが一番良く知っている。
これから先『貴族派』は変化を余儀なくされる。それは眼前の少年の立ち位置にも影響を及ぼすに違いない。
「と言うかジュスト。貴方、顔色が良く無いよね」
そんな事を考えていたからだろうか。ジーベックの言及に、ジュストの反応が一拍遅れた。
取り繕えていると思っていたし、そもそも眼前の少年はそれほど他人に興味がない筈だ。
人の顔色を伺うなんて概念からは真逆の存在であり、不遜と我儘が服を着ている様な。
けれど、彼はジュストのその些細で微小な容態の変化に気付いた。
「いや、俺のことは大丈夫ですよ」
「貴方も父様と同じ様な事を言う。ジュスト、無理が祟った時は無理だと言うのが上に立つ者の務めだよ」
その言葉にハロルドすらが声を失う。下級生が上級生に贈る提言ではないだろう。
けれどそれは紛れもなく成長だった。彼は少しずつ。それでも確かに上を向こうとしていた。
今、彼の発する言葉の多くは父や、目上の貴族達。或いは教導書からの受け売りだろう。
しかし相手を見て、伺い、不器用であれ“心配した”ことは――――ジュストの想像を大きく越えていた。
人は育つ。子供は、いつまでも庇護の対象ではない。その、何と早い事だろう。
彼は僅かに自らを恥じ、ジーベックという少年を侮っていた事を認めた。彼もまた、高位貴族の継嗣。
「いえ、御心配ありがとうございます。諫言胸に刻みました」
「ああ、もう少し器用に生きると良い。貴方は見るからに不器用そうだもの」
後の世に、一つの派閥の柱足り得る存在なのだ。戦友と、或いは好敵手となり得る相手であると。
この時この瞬間まで見ないままでいた事実に気付き、好奇心とした悪友の言に漸く合点が行く。
なるほど、後始末とは何とも傲慢な発想だ。
「……俺も最近働き過ぎで疲れてるんだけどなあ」
「何でまだ居るの色男」
「なんか俺に当たりが異常に強くない?」
ジュストは納得と共に踵を返す。未練は去った。彼は、きっと自ら選んだ道を歩いて行くだろう。
ならば、自分も自分の為の戦いをしなければ。歩み続ける後輩に、無様な背中など見せられない。
茨路は承知の上。痛みを抱え瓢風は吹く。今はただ、望む未来へ至るまで。
assignment【DA】史実ノベル 関連特設ページ
メアリー王女が冒険者達の協力を得て稼働させた「王家の耳」。メアリーは無作為に集まってくる情報を、余人に及びもつかぬ閃きを持って分析しながら、今日も世界の動きへ耳を傾けている。
集まった情報の中には、世界の情勢に影響はないかもしれないが興味深い個人の記録があるかもしれない。