【DA】リーンエスの耳
エリカ・プレトリウス/ ローザリカ・L・ディオール
『ノベルタイトル:結婚前の甘い女子会』紀藤トキ
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身分社会のリーンエス王国において、身分差があるのは貴族と平民の間だけではない。貴族の中でも上級貴族と下級貴族の間には厳然たる違いがあるし、同じ下級貴族の中でも見てわかるほどの格差があった。爵位は伯爵といえど独自の騎士団と商業権益を持ち、王都で独自に社交もこなすディオール伯爵家は、変わり者扱いとは言え下級貴族の中では上澄みであろう。典型的な寄り子貴族であるシュルトハイス子爵家の(家中の気持ちの上では令嬢であるが)後援を受けたに過ぎぬエリカ・プレトリウスとは、本来釣り合いが取れない相手だ。――そう、かつて自分も思っていたことを、エリカは思いだしていた。
(あれが、噂の……?)
(ずいぶん、気の強そうなご令嬢じゃないか)
(本当にお嬢様は虐められてはいないの?)
今日のローザリカ・L・ディオールは、学友としてでもなく、冒険者としてでもなく、ディオール家の令嬢として訪問している。それなりにしゃんとした格好の彼女は目を引くような美女であり、良くも悪くも落ち着いた雰囲気の子爵邸にあっては異物感が半端ない。従士、メイドや庭師、馬番に至るまで、それほど多いわけではないシュルトハイス家の家臣達がローザリカの様子を伺いに来ては老家令に眼で叱責されて追い返されていた。
「あの、普段はもう少し、落ち着きがあるのですけれど……」
「いや。気にしてはいない」
エリカに応接室へと案内され、ローザリカが一息ついたところでノックの音。子爵は不在だと言うが、女主人として夫人が応対するようだ。
「ディオール伯爵家のローザリカです。お招きいただきありがとうございます」
「シュルトハイス家のエッカルトの妻、アンジェリカよ。いつも、エリカと仲良くしてくれてありがとう。それから……」
普段のエリカとの交友への感謝と、家としての貸し借りを考えなくて良い程度に簡単な手土産への礼に対して、ローザリカは少し緊張しながら返答した。貴族女性としての格付けでは子爵夫人の方が伯爵令嬢よりは上とはいえ、侯爵夫人が内定しているローザリカが身構える必要はない。が、友人のお母様に「娘の友達としてふさわしいかチェック」を受ける経験は初めてなのだ。涼しい顔の裏側で、身だしなみチェック、よし! 言葉遣い、よし! などと慌ただしく号令が飛び交っている。なお、夫人の側はそこまで考えていないようだった。
「エリカ、今日は泊まっていただくのでしょう?」
「あ、いえ。ローザリカ様もお忙しいでしょうし、私も明日は予定がありますから……」
「そうなの?」
夫人が目を向けると、老家令はローザリカの背後に控えるメイドと視線を交わした。
(うちのお嬢様、最近働きすぎなんです……)
(……わかりますぞ。申し上げてもあと少し、あと少し、と)
(明日にできることは今日しない精神で宜しいのに)
(むしろ休養という言葉を思い出していただきたいのですが)
年齢と性別を超え、二人は心を通じ合わせる。そう、彼女たちを休ませねばならない。
「……ローザリカ様。このあと午後にシャーフヴルムを出ても、夜道を飛ばすわけには行きませんので王都への帰着時間はそれほど変わりません。それに、馬も疲れております」
メイドが小声で主人へそう囁くと、老家令も夫人へと具申する。
「当家としては恥ずかしいことながら、先日の雨で道もぬかるんでおるやもしれません。できますれば、日のあるうちに移動していただきたくほうが安心ですな」
「それでは南向きの客間の準備を、……いえ、エリカの部屋に近いお部屋の方が良いわね」
あれよあれよという間に当事者を置いて話が進んでいた。もちろん、メイドも老家令もローザリカやエリカの予定に本当の意味で支障が出るようならばそのような行動は取らない。彼らが諫める言葉を度々無視してきた自覚のある少女二人は、困ったような顔をしつつ互いに目を見合わせる。相手に迷惑がられてはいないようだ、とホッとしてから成り行きに身を任せることにした。
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今回は旧交を深めると言うだけでは無い用事がある。ローザリカは新興オーブ商会の代表として、エリカは公的には何の肩書きも無いがシュルトハイス子爵家側の人間として、綿花の取引に関する何らかの合意に至れれば良い、という立場であった。最初のうちは令嬢らしく応接間で話をしていたのだが、資料の類いが保管されている書庫に近い方が都合が良い。夫人の了承を得てから、書斎へと場所を移した。自分のメイドはともかく、老家令の方はずっとこちらに付いていて問題は無いのだろうか、とローザリカが気に掛ける。
「実務は息子にほぼ任せております故。お気遣いありがとうございます」
他家の令嬢など滅多に訪れないので、きちんと対応できそうなのが老家令しかいないらしい。普段なら子爵夫人の結婚時についてきた侍女がいたそうだが、折り悪く休暇を取っているとか。そういうことならば、とローザリカの方もそれ以上は気にせず、エリカとの女子会もとい商談へ臨んだ。
「……これは、僕が見せて貰って構わない物なのかな。収穫量や取引量、人口なんかが分かってしまいそうだけれど」
「当家には秘密と言うほどの秘密はありませんし、本当にお見せできない物はお父……シュルトハイス子爵の書斎にあると思います」
シュルトハイス子爵領は、領都となっている田舎町のシャーフヴルムの他に村が2つ。辺境ならばもっと人口が少ない場合もあるだろうが、王国中央の子爵領としてはごく普通の規模だろう。それぞれの収穫と税収が家単位か畑単位で纏められているようだ。税率はやや低めで、物納である。
「村は字が読めない人が殆どだから、領地の余分な作物は子爵家で纏めて外部と取引をしています」
人の善いシュルトハイス子爵を欺すとまで行かずとも、不当に利を得ている商人がいないかとエリカは心配していた。が、王国で平民が貴族を一方的に欺すというのは相当な問題になる。一過性なら知らず長期の取引の場合、悪事に際しては貴族側の誰かにも利益があるように商人が提案するものだ。子爵にせよ子爵夫人にせよ善人過ぎてそういう話に乗る心配は無いし、そうなると悪徳商人的には旨みのない領地である。それに他の様々な事と同様、商取引の相手も寄親に紹介を受けているのならば、なおさら悪い商人が割り込む隙は無いだろう。
「取引のある商会も知っている限りはしっかりした所ばかりのようだし、取引額も相場から外れていない。こういう体制だと、問題が生じるとしたらむしろ内部なのだが」
「シュルトハイスに仕える人達は、皆さん善い人ばかりなので……」
数字に強いローザリカがざっと眺めても書類の改ざんやら腐敗行為の温床は見当たらない。せいぜいがたまにミスがある程度のようだ。オーブ商会の取引の相手としては、エリカとの交友を除いてもなお好ましい。他に何か良い話でもあるだろうか、と問えばちょうど懇意の商会が家業を畳むところだったとか。
「どこの世界にもあることのようですが。ある商会から跡を継ぐ方がおらず、権利を別の商会に引き継ぎたいと当家へ挨拶があったそうで、以前からお申し出のあったリベラ商会に……、というお話を今は少し止めて貰っています」
「そ、それは……。油断も隙も無いな。しかし、割り込むのでは無く、譲り受けられるならばその方が望ましい。オーブ商会としても是非、そちらと交渉したい」
「でしたら、明日は私はその商会へお伺いする予定でしたので……。紹介いたします」
「良いのかい? それは嬉しい。実際に綿花を扱っている先達であれば、加工品の工房も知っているだろう。他にも聞きたいことがあるしね」
「お嬢様、そういう事であれば滞在の延長をお願いしてみては?」
「奥様には私の方から窺いましょう」
必要な理由があれば、もう一日や二日くらいお泊まり会が延びてもローザリカの側には問題は無い。こくりと頷くエリカの側も、僅かに微笑んでいる様子だった。
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後の話は明日に、となると仕事の件を先にしようと棚に上げていた話題が心によぎる。
「……ご結婚、おめでとうございます。何かお贈りしたいと思いましたが、どのような物ならご迷惑にならないでしょうか」
「ありがとう。何でも嬉しい、というのも良くないな……。こう、結婚式で身に付けるような物を何か作って貰えたりは……しないだろうか」
「作るというのは、手製で、でしょうか。工房に作らせた方が、綺麗な物が出来ると思います、けれど」
「僕とエリカ君の縁は、他ならぬ君の糸車が繋いでくれた物だろう? 今話していることも、糸についての話だ。だから、それに関わる物が欲しいな、と。……いや、忙しいようなら無理は言わないのだけれど」
そんなおねだりをしてから、相手も多忙だと気がついてもごもごと口ごもる。気が強そうで実際に決断力もあり頼もしい年上のローザリカだが、こういうところが可愛らしいと思うのは以前から変わらない。身に付けるような小物と言えば、何があるだろうか。ドレスとの兼ね合いもあるだろう。もうドレスは発注しているだろうか、どのようなデザインなのだろうか。エリカも興味が無いわけでは無い。
「先日も仮合わせと相談をしてきたよ。この後は体型を変えないように、と言われてしまったが、そんなに変わる物でも無いだろうに」
「食べ過ぎてしまう方がいる、とかでしょうか。結婚前に急に不安になるという方もいるそうです」
「……そういう段階は、もう僕は通り過ぎたような気がする」
幸い、ウェディングドレスについては主人以上に細かい話までメイドが把握していた。デザインを教えて貰い、なるほどと頷くエリカ。
(綿花の白さは少し黄色が入ってしまいますから、そのままだと目立ってしまうかも……。表から見えない場所で、となるとガーターリングだったら、良いかな)
そのエリカの向かいでは、ローザリカがはっと目を見張っている。
「そういえば、エリカ君にも、結婚の話があると聞いたのだが!」
「あ、はい。そうですね。ドレスの話でしょうか?」
勢い込むローザリカに、小首をかしげるエリカ。
「……む、エリカ君であれば何でも似合うと思うが、そうだな。ラインはシンプルに、布地の重ね合わせや襞で飾りをつけたいな」
「……飾り。それは、薔薇の飾りを使っても、良いですか?」
「それは、僕に聞かずとも……。いや、聞いてくれて嬉しい。うん、遠慮無く使ってくれたまえ」
「あとは、シャーフヴルムの綿布を何かの形で使いたいです。良いアイデアは無いでしょうか」
この場合の良いアイデアとは、つまり結婚衣装において目を惹き、話題になるような物、ということだろう。価格帯などから考えて、今までと違うムーブメントを作る側でありたいオーブ商会にとっても重要な課題だった。布から感じる高級感からも実際の値段としての高級さからも、綿布は一歩譲る。晴れ舞台の衣装として、映える為には一工夫が必要だ。
「……綿は、確か薄く織る技法があったね。あれはどこまででも薄くできるのかな」
「少し固くなりますが、透けて見えるほどに薄くできるはず、です」
であるならば。ウェディングドレスを纏った結婚式で大事な儀式の際にめくられるアレ。ウェディングヴェールに使うのはどうだろうか。それとイメージを同じくする薄布を、ドレスに重ねても良い。それは普段のドレスとは違う特別感を持つ、清楚な装いになるのではないだろうか。そういえば、とエリカは領内の染め物について思い出す。色の定着が薄く、どこか地味だと言われて評価が低い物なのだが、薄布に僅かな色味を差すと言う使い方であれば映えるのでは無いか。老家令に告げて、見本を持ってきて貰いローザリカの評価を仰いだ。
「薄くしても、同じように色は乗るのだろうか。これは試作して貰うのが良い気はするのだけれど。色の定着が悪いだけで染め斑があるわけでは無さそうだから、うまくいくんじゃ無いかな」
最近は布のことなども詳しくなったローザリカがそのように言う。エリカ自身の評価と変わらぬ事にほっとしつつ、実際に使って見た場合も想像してみた。爽やかな青が良いだろうか。あるいは髪色に合わせて赤みを入れても良い。脱色で残ってしまう黄色味を打ち消すように、白色で染めるのもありかもしれない。
「素敵、ですね……」
「そうだろう? これならば、今から僕も……。いや……ううん……」
「お嬢様が着ると扇情的になりそうですね」
一瞬、デザイナーに無理を言ってそっちよりに舵を切って貰おうかとも考えたのだが。同じようなドレスを身につけた自分を想像したローザリカは言葉に詰まり、メイドの遠慮無い評価がトドメを刺した。それはそれで、夜の装いとして売り出せばありかもしれないので脳内商品目録には残すとしても。
「……って、ドレスの話じゃ無い。聞きたかったのは、エリカ君の結婚の話だ。相手はどこの誰なんだ」
「え、ええと。リーフェンシュタール伯爵家のテオバルト様、です」
年齢と家格の近い領地貴族の令息だけあり、ローザリカも顔と名前は知っている。が、良い意味でも悪い意味でも、特に目立ったところがある人物では無い。ディオールと違い派手な所は無いが、堅実な家柄だ。シュルトハイスの家風とは馴染むかもしれない、が。
「……いつの間に、そういう話になったんだい。僕が知らない間のことだとしたら、急じゃ無いか」
「そう、ですね。年が明けてから、その、トントン拍子に……?」
ローザリカにはエリカの事情を話して居り、子爵家を継ぐべき形式上の結婚相手を探すという事も告げてあった。が、その手段がとりあえず以前に申し出が合った相手にこちらから逆アプローチを掛けるという、一般的貴族的婚姻から考えるとかなり乱暴な手段だったことは知るよしも無い。ローザリカ自身のように幼い頃から面識や付き合いがある相手なら知らず、そうでなければ普通は立ち会いありでの面会から始まり、手紙のやり取りなどを経てしばらくすれば夜会へのエスコート。徐々に、ゆっくりと段階を踏んで進んでいくのが常識だ。それらをすっ飛ばしていきなり結婚となるケースは……。
「……なるほど、リーフェンシュタール家のテオバルト。どうやら少しOHANASIしないといけないようだね」
ある結論に辿り着いたローザリカが、殺気すら漂わせて呟く。
「ローザリカ、様?」
「大丈夫。僕はどんなことがあってもエリカ君の味方だ。安心してほしい」
きりりと告げるローザリカの心中を知る由も無く、エリカは少し困った顔をした。ローザリカの好意は、彼女に明かした部分までのエリカに向けられている。あの日、もっとも大きな秘密は明かしたのだけれど、それで全てでは無いわけで。あまりにもまっすぐなローザリカの好意に対して、少しだけ後ろめたい気持ちになった。だからといって、そもそも聞かれても居ないことだし、シュルトハイス家のエリカのことと違って、自分が悩んでいるわけでも無い。大事な友人だからこそ話してしまいたい気持ちもあれば、大事な人のことだからこそ誰にも話さず秘めておきたい気持ちもあり、困って老家令へと声を掛けた。
「……テオは夕方には戻る予定だった?」
「はい。もうしばらくかと」
「ありがとう、爺。ローザリカ様。テオバルト様はもう少ししたら……、ひゅっ」
言いかけたエリカの喉が鳴る。いつの間にか机に両肘を付き、組んだ手の向こうから見えるローザリカの視線がじっとりとしていた。
「エリカ君。その男のことを、もしかして愛称で呼んでいる、のかい?」
「え。あ。すみません。その、そうして欲しい、と言われて。その方が、子爵夫妻に仲良く見えるだろう、と」
「卑怯な……、そう言われれば確かにエリカ君は断れるはずも無い。くっ、僕の方が先に親友だったのに」
「ローザリカ様?」
言葉を交わし、友人と呼べる間柄になってから数年。エリカへの呼び方を君付けから呼び捨てにしようとしては挫折し、せめて様付けを改めて欲しいと思っても言い出せず、学生時代からの友人たちと愛称で呼び合う母に羨望の目を向けていたローザリカである。無論、頼めばエリカは呼び方の一つや二つ買えてくれるだろう。しかし、ローザリカが頼めば命令のようになってしまうのでは無いか、と思えば二の足を踏んで幾星霜。そのハードルを簡単に越えていった男が憎い。
「あの、ローザリカ様?」
良かろう、ならば戦争である。エリカと相思相愛の間柄だろうが、愛称で呼ばれていようが、子爵夫妻にも認められて滞在を許されていようが、彼女が不幸になる可能性が無いのかこの目で見極めねばならない。ローザリカは決意した。場合によっては、親友である自分が難攻不落の城壁となり、不当な結婚からエリカを救い出すのだ、と。
●
身構えつつ迎えたテオバルトは見た限りは人当たりの良い普通の青年であった。学園在学中だったのを繰り上げて卒業し、今はシュルトハイス領について学んでいるという。繰り上げができるということは学業に関しては優秀だったのだろうが、そちらの未来を放り投げて悔いる様子もない。なかなかの覚悟であるとローザリカも認めざるを得なかった。
「……ですが私には、急いで学園を辞めることは無い、とテオは言うのです……」
「エリカが残ってくれていれば、私が王都や学園に用事があるときにも困らないからね。これは私の我が儘で、申し訳ないのだけれど」
「いえ……、そうすることで、テオの役に立つのならば」
「むしろそうして貰わないと私が困ってしまうかも」
今までは辛うじて両立させていたが、領地の職務が忙しくなり本格的に両立ができなくなれば、エリカは学業の側を切り捨てるだろう。その先手を打ったのだとローザリカにも分かった。この手の回し方では、半年にも満たぬ間に結婚の話がトントン拍子で進むのも仕方が無い気がしてきた。恐らく、周囲への根回しは完了済みであろう。だいたい、部屋に入ってきた際のエリカへの距離感といい、会話の際に向ける視線といい、隣から見ているだけでとても甘い。子爵夫妻を欺すようで心苦しい、とエリカは言っていたが多分そう思っているのは彼女だけでは無かろうか。なるほど、友情では恋や愛には及ばないのかもしれず、そんな敗北感すら清々しく思えた。難攻不落の城壁? 何のことだか忘れたね。
「……僕のことは壁か何かだと思ってくれて構わない。どうかエリカ君と話を続けてくれたまえ」
「そ、そう言う、訳には」
「お言葉は嬉しいのですが、エリカもこう言っております。私も、エリカの大事な友人であるローザリカ嬢との一時を邪魔したくはありません。村への視察の報告は、また後日で構わないかな?」
「はい。申し訳ありません……」
「他の事ならともかく、私の為にそんな顔をさせたくはないな。君の笑顔を楽しみに生きている私から、どうか生きる糧を奪わないで欲しい」
これに流されずに普通に受け答えできているエリカに驚けば良いのか、流されているのに全く動じないテオバルトに驚けば良いのか。エリカの側は自己評価の低さからうまく伝わっていない感もある。学園時代に女誑しという悪評を聞いた覚えもないし、テオバルトは素でやっているのだろう。ローザリカよりも年下の筈なのだが、エリカ限定の甘やかし力というか包容力というか。彼女の事を大事に思っている事が、端々から漏れるなどというレベルでは無く垂れ流されており、気を抜けば糖分で溺死する危険性すらあった。そりゃあ、エリカに甘い子爵家の皆様も喜んで受け入れるわけである。
(……王都に帰ったら、顔を見に行こうか、な)
たまには。そう、たまには甘えたり、甘やかしたりしても、良いんじゃ無いだろうか。まだ明日は商会との相談もあるし、為すべき事は山積みなのに、ローザリカは珍しく仕事を忘れてそう思った。
身分社会のリーンエス王国において、身分差があるのは貴族と平民の間だけではない。貴族の中でも上級貴族と下級貴族の間には厳然たる違いがあるし、同じ下級貴族の中でも見てわかるほどの格差があった。爵位は伯爵といえど独自の騎士団と商業権益を持ち、王都で独自に社交もこなすディオール伯爵家は、変わり者扱いとは言え下級貴族の中では上澄みであろう。典型的な寄り子貴族であるシュルトハイス子爵家の(家中の気持ちの上では令嬢であるが)後援を受けたに過ぎぬエリカ・プレトリウスとは、本来釣り合いが取れない相手だ。――そう、かつて自分も思っていたことを、エリカは思いだしていた。
(あれが、噂の……?)
(ずいぶん、気の強そうなご令嬢じゃないか)
(本当にお嬢様は虐められてはいないの?)
今日のローザリカ・L・ディオールは、学友としてでもなく、冒険者としてでもなく、ディオール家の令嬢として訪問している。それなりにしゃんとした格好の彼女は目を引くような美女であり、良くも悪くも落ち着いた雰囲気の子爵邸にあっては異物感が半端ない。従士、メイドや庭師、馬番に至るまで、それほど多いわけではないシュルトハイス家の家臣達がローザリカの様子を伺いに来ては老家令に眼で叱責されて追い返されていた。
「あの、普段はもう少し、落ち着きがあるのですけれど……」
「いや。気にしてはいない」
エリカに応接室へと案内され、ローザリカが一息ついたところでノックの音。子爵は不在だと言うが、女主人として夫人が応対するようだ。
「ディオール伯爵家のローザリカです。お招きいただきありがとうございます」
「シュルトハイス家のエッカルトの妻、アンジェリカよ。いつも、エリカと仲良くしてくれてありがとう。それから……」
普段のエリカとの交友への感謝と、家としての貸し借りを考えなくて良い程度に簡単な手土産への礼に対して、ローザリカは少し緊張しながら返答した。貴族女性としての格付けでは子爵夫人の方が伯爵令嬢よりは上とはいえ、侯爵夫人が内定しているローザリカが身構える必要はない。が、友人のお母様に「娘の友達としてふさわしいかチェック」を受ける経験は初めてなのだ。涼しい顔の裏側で、身だしなみチェック、よし! 言葉遣い、よし! などと慌ただしく号令が飛び交っている。なお、夫人の側はそこまで考えていないようだった。
「エリカ、今日は泊まっていただくのでしょう?」
「あ、いえ。ローザリカ様もお忙しいでしょうし、私も明日は予定がありますから……」
「そうなの?」
夫人が目を向けると、老家令はローザリカの背後に控えるメイドと視線を交わした。
(うちのお嬢様、最近働きすぎなんです……)
(……わかりますぞ。申し上げてもあと少し、あと少し、と)
(明日にできることは今日しない精神で宜しいのに)
(むしろ休養という言葉を思い出していただきたいのですが)
年齢と性別を超え、二人は心を通じ合わせる。そう、彼女たちを休ませねばならない。
「……ローザリカ様。このあと午後にシャーフヴルムを出ても、夜道を飛ばすわけには行きませんので王都への帰着時間はそれほど変わりません。それに、馬も疲れております」
メイドが小声で主人へそう囁くと、老家令も夫人へと具申する。
「当家としては恥ずかしいことながら、先日の雨で道もぬかるんでおるやもしれません。できますれば、日のあるうちに移動していただきたくほうが安心ですな」
「それでは南向きの客間の準備を、……いえ、エリカの部屋に近いお部屋の方が良いわね」
あれよあれよという間に当事者を置いて話が進んでいた。もちろん、メイドも老家令もローザリカやエリカの予定に本当の意味で支障が出るようならばそのような行動は取らない。彼らが諫める言葉を度々無視してきた自覚のある少女二人は、困ったような顔をしつつ互いに目を見合わせる。相手に迷惑がられてはいないようだ、とホッとしてから成り行きに身を任せることにした。
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今回は旧交を深めると言うだけでは無い用事がある。ローザリカは新興オーブ商会の代表として、エリカは公的には何の肩書きも無いがシュルトハイス子爵家側の人間として、綿花の取引に関する何らかの合意に至れれば良い、という立場であった。最初のうちは令嬢らしく応接間で話をしていたのだが、資料の類いが保管されている書庫に近い方が都合が良い。夫人の了承を得てから、書斎へと場所を移した。自分のメイドはともかく、老家令の方はずっとこちらに付いていて問題は無いのだろうか、とローザリカが気に掛ける。
「実務は息子にほぼ任せております故。お気遣いありがとうございます」
他家の令嬢など滅多に訪れないので、きちんと対応できそうなのが老家令しかいないらしい。普段なら子爵夫人の結婚時についてきた侍女がいたそうだが、折り悪く休暇を取っているとか。そういうことならば、とローザリカの方もそれ以上は気にせず、エリカとの女子会もとい商談へ臨んだ。
「……これは、僕が見せて貰って構わない物なのかな。収穫量や取引量、人口なんかが分かってしまいそうだけれど」
「当家には秘密と言うほどの秘密はありませんし、本当にお見せできない物はお父……シュルトハイス子爵の書斎にあると思います」
シュルトハイス子爵領は、領都となっている田舎町のシャーフヴルムの他に村が2つ。辺境ならばもっと人口が少ない場合もあるだろうが、王国中央の子爵領としてはごく普通の規模だろう。それぞれの収穫と税収が家単位か畑単位で纏められているようだ。税率はやや低めで、物納である。
「村は字が読めない人が殆どだから、領地の余分な作物は子爵家で纏めて外部と取引をしています」
人の善いシュルトハイス子爵を欺すとまで行かずとも、不当に利を得ている商人がいないかとエリカは心配していた。が、王国で平民が貴族を一方的に欺すというのは相当な問題になる。一過性なら知らず長期の取引の場合、悪事に際しては貴族側の誰かにも利益があるように商人が提案するものだ。子爵にせよ子爵夫人にせよ善人過ぎてそういう話に乗る心配は無いし、そうなると悪徳商人的には旨みのない領地である。それに他の様々な事と同様、商取引の相手も寄親に紹介を受けているのならば、なおさら悪い商人が割り込む隙は無いだろう。
「取引のある商会も知っている限りはしっかりした所ばかりのようだし、取引額も相場から外れていない。こういう体制だと、問題が生じるとしたらむしろ内部なのだが」
「シュルトハイスに仕える人達は、皆さん善い人ばかりなので……」
数字に強いローザリカがざっと眺めても書類の改ざんやら腐敗行為の温床は見当たらない。せいぜいがたまにミスがある程度のようだ。オーブ商会の取引の相手としては、エリカとの交友を除いてもなお好ましい。他に何か良い話でもあるだろうか、と問えばちょうど懇意の商会が家業を畳むところだったとか。
「どこの世界にもあることのようですが。ある商会から跡を継ぐ方がおらず、権利を別の商会に引き継ぎたいと当家へ挨拶があったそうで、以前からお申し出のあったリベラ商会に……、というお話を今は少し止めて貰っています」
「そ、それは……。油断も隙も無いな。しかし、割り込むのでは無く、譲り受けられるならばその方が望ましい。オーブ商会としても是非、そちらと交渉したい」
「でしたら、明日は私はその商会へお伺いする予定でしたので……。紹介いたします」
「良いのかい? それは嬉しい。実際に綿花を扱っている先達であれば、加工品の工房も知っているだろう。他にも聞きたいことがあるしね」
「お嬢様、そういう事であれば滞在の延長をお願いしてみては?」
「奥様には私の方から窺いましょう」
必要な理由があれば、もう一日や二日くらいお泊まり会が延びてもローザリカの側には問題は無い。こくりと頷くエリカの側も、僅かに微笑んでいる様子だった。
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後の話は明日に、となると仕事の件を先にしようと棚に上げていた話題が心によぎる。
「……ご結婚、おめでとうございます。何かお贈りしたいと思いましたが、どのような物ならご迷惑にならないでしょうか」
「ありがとう。何でも嬉しい、というのも良くないな……。こう、結婚式で身に付けるような物を何か作って貰えたりは……しないだろうか」
「作るというのは、手製で、でしょうか。工房に作らせた方が、綺麗な物が出来ると思います、けれど」
「僕とエリカ君の縁は、他ならぬ君の糸車が繋いでくれた物だろう? 今話していることも、糸についての話だ。だから、それに関わる物が欲しいな、と。……いや、忙しいようなら無理は言わないのだけれど」
そんなおねだりをしてから、相手も多忙だと気がついてもごもごと口ごもる。気が強そうで実際に決断力もあり頼もしい年上のローザリカだが、こういうところが可愛らしいと思うのは以前から変わらない。身に付けるような小物と言えば、何があるだろうか。ドレスとの兼ね合いもあるだろう。もうドレスは発注しているだろうか、どのようなデザインなのだろうか。エリカも興味が無いわけでは無い。
「先日も仮合わせと相談をしてきたよ。この後は体型を変えないように、と言われてしまったが、そんなに変わる物でも無いだろうに」
「食べ過ぎてしまう方がいる、とかでしょうか。結婚前に急に不安になるという方もいるそうです」
「……そういう段階は、もう僕は通り過ぎたような気がする」
幸い、ウェディングドレスについては主人以上に細かい話までメイドが把握していた。デザインを教えて貰い、なるほどと頷くエリカ。
(綿花の白さは少し黄色が入ってしまいますから、そのままだと目立ってしまうかも……。表から見えない場所で、となるとガーターリングだったら、良いかな)
そのエリカの向かいでは、ローザリカがはっと目を見張っている。
「そういえば、エリカ君にも、結婚の話があると聞いたのだが!」
「あ、はい。そうですね。ドレスの話でしょうか?」
勢い込むローザリカに、小首をかしげるエリカ。
「……む、エリカ君であれば何でも似合うと思うが、そうだな。ラインはシンプルに、布地の重ね合わせや襞で飾りをつけたいな」
「……飾り。それは、薔薇の飾りを使っても、良いですか?」
「それは、僕に聞かずとも……。いや、聞いてくれて嬉しい。うん、遠慮無く使ってくれたまえ」
「あとは、シャーフヴルムの綿布を何かの形で使いたいです。良いアイデアは無いでしょうか」
この場合の良いアイデアとは、つまり結婚衣装において目を惹き、話題になるような物、ということだろう。価格帯などから考えて、今までと違うムーブメントを作る側でありたいオーブ商会にとっても重要な課題だった。布から感じる高級感からも実際の値段としての高級さからも、綿布は一歩譲る。晴れ舞台の衣装として、映える為には一工夫が必要だ。
「……綿は、確か薄く織る技法があったね。あれはどこまででも薄くできるのかな」
「少し固くなりますが、透けて見えるほどに薄くできるはず、です」
であるならば。ウェディングドレスを纏った結婚式で大事な儀式の際にめくられるアレ。ウェディングヴェールに使うのはどうだろうか。それとイメージを同じくする薄布を、ドレスに重ねても良い。それは普段のドレスとは違う特別感を持つ、清楚な装いになるのではないだろうか。そういえば、とエリカは領内の染め物について思い出す。色の定着が薄く、どこか地味だと言われて評価が低い物なのだが、薄布に僅かな色味を差すと言う使い方であれば映えるのでは無いか。老家令に告げて、見本を持ってきて貰いローザリカの評価を仰いだ。
「薄くしても、同じように色は乗るのだろうか。これは試作して貰うのが良い気はするのだけれど。色の定着が悪いだけで染め斑があるわけでは無さそうだから、うまくいくんじゃ無いかな」
最近は布のことなども詳しくなったローザリカがそのように言う。エリカ自身の評価と変わらぬ事にほっとしつつ、実際に使って見た場合も想像してみた。爽やかな青が良いだろうか。あるいは髪色に合わせて赤みを入れても良い。脱色で残ってしまう黄色味を打ち消すように、白色で染めるのもありかもしれない。
「素敵、ですね……」
「そうだろう? これならば、今から僕も……。いや……ううん……」
「お嬢様が着ると扇情的になりそうですね」
一瞬、デザイナーに無理を言ってそっちよりに舵を切って貰おうかとも考えたのだが。同じようなドレスを身につけた自分を想像したローザリカは言葉に詰まり、メイドの遠慮無い評価がトドメを刺した。それはそれで、夜の装いとして売り出せばありかもしれないので脳内商品目録には残すとしても。
「……って、ドレスの話じゃ無い。聞きたかったのは、エリカ君の結婚の話だ。相手はどこの誰なんだ」
「え、ええと。リーフェンシュタール伯爵家のテオバルト様、です」
年齢と家格の近い領地貴族の令息だけあり、ローザリカも顔と名前は知っている。が、良い意味でも悪い意味でも、特に目立ったところがある人物では無い。ディオールと違い派手な所は無いが、堅実な家柄だ。シュルトハイスの家風とは馴染むかもしれない、が。
「……いつの間に、そういう話になったんだい。僕が知らない間のことだとしたら、急じゃ無いか」
「そう、ですね。年が明けてから、その、トントン拍子に……?」
ローザリカにはエリカの事情を話して居り、子爵家を継ぐべき形式上の結婚相手を探すという事も告げてあった。が、その手段がとりあえず以前に申し出が合った相手にこちらから逆アプローチを掛けるという、一般的貴族的婚姻から考えるとかなり乱暴な手段だったことは知るよしも無い。ローザリカ自身のように幼い頃から面識や付き合いがある相手なら知らず、そうでなければ普通は立ち会いありでの面会から始まり、手紙のやり取りなどを経てしばらくすれば夜会へのエスコート。徐々に、ゆっくりと段階を踏んで進んでいくのが常識だ。それらをすっ飛ばしていきなり結婚となるケースは……。
「……なるほど、リーフェンシュタール家のテオバルト。どうやら少しOHANASIしないといけないようだね」
ある結論に辿り着いたローザリカが、殺気すら漂わせて呟く。
「ローザリカ、様?」
「大丈夫。僕はどんなことがあってもエリカ君の味方だ。安心してほしい」
きりりと告げるローザリカの心中を知る由も無く、エリカは少し困った顔をした。ローザリカの好意は、彼女に明かした部分までのエリカに向けられている。あの日、もっとも大きな秘密は明かしたのだけれど、それで全てでは無いわけで。あまりにもまっすぐなローザリカの好意に対して、少しだけ後ろめたい気持ちになった。だからといって、そもそも聞かれても居ないことだし、シュルトハイス家のエリカのことと違って、自分が悩んでいるわけでも無い。大事な友人だからこそ話してしまいたい気持ちもあれば、大事な人のことだからこそ誰にも話さず秘めておきたい気持ちもあり、困って老家令へと声を掛けた。
「……テオは夕方には戻る予定だった?」
「はい。もうしばらくかと」
「ありがとう、爺。ローザリカ様。テオバルト様はもう少ししたら……、ひゅっ」
言いかけたエリカの喉が鳴る。いつの間にか机に両肘を付き、組んだ手の向こうから見えるローザリカの視線がじっとりとしていた。
「エリカ君。その男のことを、もしかして愛称で呼んでいる、のかい?」
「え。あ。すみません。その、そうして欲しい、と言われて。その方が、子爵夫妻に仲良く見えるだろう、と」
「卑怯な……、そう言われれば確かにエリカ君は断れるはずも無い。くっ、僕の方が先に親友だったのに」
「ローザリカ様?」
言葉を交わし、友人と呼べる間柄になってから数年。エリカへの呼び方を君付けから呼び捨てにしようとしては挫折し、せめて様付けを改めて欲しいと思っても言い出せず、学生時代からの友人たちと愛称で呼び合う母に羨望の目を向けていたローザリカである。無論、頼めばエリカは呼び方の一つや二つ買えてくれるだろう。しかし、ローザリカが頼めば命令のようになってしまうのでは無いか、と思えば二の足を踏んで幾星霜。そのハードルを簡単に越えていった男が憎い。
「あの、ローザリカ様?」
良かろう、ならば戦争である。エリカと相思相愛の間柄だろうが、愛称で呼ばれていようが、子爵夫妻にも認められて滞在を許されていようが、彼女が不幸になる可能性が無いのかこの目で見極めねばならない。ローザリカは決意した。場合によっては、親友である自分が難攻不落の城壁となり、不当な結婚からエリカを救い出すのだ、と。
●
身構えつつ迎えたテオバルトは見た限りは人当たりの良い普通の青年であった。学園在学中だったのを繰り上げて卒業し、今はシュルトハイス領について学んでいるという。繰り上げができるということは学業に関しては優秀だったのだろうが、そちらの未来を放り投げて悔いる様子もない。なかなかの覚悟であるとローザリカも認めざるを得なかった。
「……ですが私には、急いで学園を辞めることは無い、とテオは言うのです……」
「エリカが残ってくれていれば、私が王都や学園に用事があるときにも困らないからね。これは私の我が儘で、申し訳ないのだけれど」
「いえ……、そうすることで、テオの役に立つのならば」
「むしろそうして貰わないと私が困ってしまうかも」
今までは辛うじて両立させていたが、領地の職務が忙しくなり本格的に両立ができなくなれば、エリカは学業の側を切り捨てるだろう。その先手を打ったのだとローザリカにも分かった。この手の回し方では、半年にも満たぬ間に結婚の話がトントン拍子で進むのも仕方が無い気がしてきた。恐らく、周囲への根回しは完了済みであろう。だいたい、部屋に入ってきた際のエリカへの距離感といい、会話の際に向ける視線といい、隣から見ているだけでとても甘い。子爵夫妻を欺すようで心苦しい、とエリカは言っていたが多分そう思っているのは彼女だけでは無かろうか。なるほど、友情では恋や愛には及ばないのかもしれず、そんな敗北感すら清々しく思えた。難攻不落の城壁? 何のことだか忘れたね。
「……僕のことは壁か何かだと思ってくれて構わない。どうかエリカ君と話を続けてくれたまえ」
「そ、そう言う、訳には」
「お言葉は嬉しいのですが、エリカもこう言っております。私も、エリカの大事な友人であるローザリカ嬢との一時を邪魔したくはありません。村への視察の報告は、また後日で構わないかな?」
「はい。申し訳ありません……」
「他の事ならともかく、私の為にそんな顔をさせたくはないな。君の笑顔を楽しみに生きている私から、どうか生きる糧を奪わないで欲しい」
これに流されずに普通に受け答えできているエリカに驚けば良いのか、流されているのに全く動じないテオバルトに驚けば良いのか。エリカの側は自己評価の低さからうまく伝わっていない感もある。学園時代に女誑しという悪評を聞いた覚えもないし、テオバルトは素でやっているのだろう。ローザリカよりも年下の筈なのだが、エリカ限定の甘やかし力というか包容力というか。彼女の事を大事に思っている事が、端々から漏れるなどというレベルでは無く垂れ流されており、気を抜けば糖分で溺死する危険性すらあった。そりゃあ、エリカに甘い子爵家の皆様も喜んで受け入れるわけである。
(……王都に帰ったら、顔を見に行こうか、な)
たまには。そう、たまには甘えたり、甘やかしたりしても、良いんじゃ無いだろうか。まだ明日は商会との相談もあるし、為すべき事は山積みなのに、ローザリカは珍しく仕事を忘れてそう思った。
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メアリー王女が冒険者達の協力を得て稼働させた「王家の耳」。メアリーは無作為に集まってくる情報を、余人に及びもつかぬ閃きを持って分析しながら、今日も世界の動きへ耳を傾けている。
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