【DA】リーンエスの耳

ジュスト・V・ケレス
『ノベルタイトル:侯爵家継嗣の重み』紀藤トキ
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特別扱いを受けたジュスト・V・ケレスは困惑していた。初日から同期採用の仲間と切り離され、室長付を申し渡されたまではまだ良い。任されるのは室長まで上がってくる書類の不備確認だけで、内容の精査には関わることは許されていない。つまり分量が多いだけで雑用だ。検算も粗探しも苦手では無いが、やる事がそればかりでは筆圧が上がるばかりである。
「室長に嫌われてるんじゃ無いかって? そりゃ、嫌うだろうよ」
激務の合間、休憩時間に大部屋勤務の先輩に尋ねてみれば、あっけらかんとそう答える。曰く、肥満体の室長よりもスマートで、爵位も上。色男ぶりの差は言うまでも無い。何よりも若い。顔を見るだけで面白くなかろうと笑ってから、先輩は肩をすくめる。
「まあ、一番腹が立つのは体よく君を押しつけられた事だろうがね」
「……同期と比べて、俺がそんなに差があるとは……」
「君が領地伯爵の次男のまま官僚になったのなら、何の問題も無かったと思うよ。でも、君は次期侯爵だろ」
なるほど、傑物の義母と比較されるなら分が悪い。と思いきや、先輩の口から出たのは意外な名前だった。
「ニコラ・ゴルティエ元侯爵?」
「あの野郎の穴埋めが来るんじゃないかと期待してたんだよ。室長だけじゃ無く、俺も他の連中もな」
●
上司との関係改善は必要だ。もとより人たらしは得意である。室長の好みを探り、高価すぎない酒を手土産に。今までの自分の至らなさを殊勝に詫びて見せ、どうすれば良いのかと教えを請うた。室長はしばらくしてから重い口を開く。
「……お前は、法衣貴族を舐めている。私はそれが気に食わん」
「そんなつもりは……」
「つもりが無いなら尚悪い。お前は法衣貴族の名門、ケレス侯爵家を継ぐ者としてこの場にいるのだろう。それが、蓋を開ければどうだ。即戦力かと思いきや、とんだ期待外れだ」
(……先輩と同じようなことを……。そこまで期待されていたなら、確かに失望させたかもしれないが。無理を言いすぎじゃ無い?)
ジュストは養子である。その事は知っている筈だが、と様子を窺うと苦々しげな顔で頷いた。
「ああ、お前の事情は聞いている。ケレス侯爵家の養子と決まって、二年か? 一年か? そんな半端な状態のお坊ちゃんに来られたのが迷惑だと言っている」
例えば。領地貴族の家に生まれた子供であれば、領主代行なりを務めるまでに領地のこと一通りを学び終えるのは当たり前のことだ。法衣貴族でもそれは同じ。侯爵家の継嗣として就任するのであれば、それに相応しい職務をこなすだけの力を持つのが当然だと室長は言う。
財務に人手が足りないのは事実。ウィリアムがジュストに期待していると言うのも嘘ではあるまい。しかし、そこに至るにはジュストにはまだ足りない物が多かった。が、上級貴族の継嗣を大部屋の下っ端事務官同様に扱うことは難しい。騎士団のように、実務の中で騎士から長へと育てられる土壌がある訳でもないのだ。仕方が無いので、やってくる書類を全て見て覚えろ、となったらしい。なるほど、明らかに説明が足りない。しかし説明する手間も惜しいし、何より癪に障るというのが室長の言い分であった。
「説明してやる義理がどこにある。いいか、上級貴族なんてのは、小粒の王族みたいなもんだ。王族は王族っていうだけで、若かろうが視察やら外交やらあれこれやらされるだろう。生まれながらに即戦力だ。お前がいずれ侯爵様になるなら、俺と同じか、もっと立派な椅子に自力で座ってもらわんと困る。というか、養子が勉強不足なら不足を補える部下くらいつけてやるべきだろう。それがあの女、元からの使える手駒は自分の元でこれまで通りに使うんで、跡継ぎは別枠でよろしくなどと巫山戯たことをぬかしやがる。顔が良ければ何でも許されると思うなよ女狐が」
後半の早口部分はよく聞き取れなかったが、とりあえず室長殿の怒りの熱量の多くは、どうやらジュストにではなく義母へ向いている物らしかった。そういう事であれば、是非も無い。
「なるほど……。お互い義母には苦労させられている、と言うことですね」
演技のつもりが、少し本音の溜息が混じったかもしれない。室長は舌打ちしながらも、多少は溜飲を下げたようだった。
「被害者ぶりおる。……まあ、いい。私も少し大人げなかったな」
少しか? と思っても言わない程度にジュストは大人である。室長はジュストをジロリと睨め上げた。
●
その日以降、室長はたまにジュストに意見を求めるようになった。意見を求めるという体裁の試しでもある。過去の事例を知らなければ即答できない物や、別の資料を確認しなければ判断出来ない物もあった。答えが不足であれば、罵倒混じりの叱責と共に示唆が投げつけられる。それを調査する事が学びの入り口でもあった。職人かよ! と思わないでも無いが、ノウハウを開陳されていると思えば腹が立つ事も減った。証拠に、ペン先を潰す数は半分ほどになっている。
(今までの王国のやり方を変えたい、という志は変わらないけれど。今のやり方を知らずに未来を描くのでは意味が無い。このヒキガエ……偉大な先輩を頷かせられないようでは、ね)
学園の改革も、スムーズに進んだように見えて軋轢はあった。それでも前に進んだのは、学園長に多くのスタッフが従ったからだ。王家の威光の効果は絶大だったろうが、それだけでは事業は進むまい。いずれ爵位を継いだとしても、その地位に相応しいだけの仕事が出来ないのでは誰も従いはしないだろう。この室長にも、あの先輩職員にも自分を認めさせるところからだ。幸い、墜ちた評判を上げるのは二度目で色々と慣れている。
「室長殿、この王国騎士団の予算案ですが、消耗品は王都の商会を使うよりも演習地で手配した方が、輸送費の分だけ安く付きませんか?」
「ふん。そう言うからにはその場合の代替案もあるんだろうな?」
「こちらに計算してあります」
「寄越せ」
ひったくられた資料は、ジュストの睡眠時間とペンを何本か削った力作だ。遠隔地の薪やら食料やらの価格差などはジュストにも調べようが無いが、彼には優秀な協力者がいる。当たり前の予測の、裏付けまでを先回りで揃えて見せた。それをどう評価するか。柄に無く緊張するジュストの視線の先で、室長は普段よりもじっくり資料を確認すると、問題の申請書類の上に放り投げた。
「……よし。その書類をつけて差し戻しだ。ただ、現地手配に拘る必要は無い。子飼いの商会を使いたいと奴らが言うのなら、この値段でやらせればいい」
「わかりました」
ここまでやっても、このヒキガエルは驚いた様子も見せやしない。内心で文句を垂れつつ、室長の二度見を引き出しただけでもこれまでよりはマシか、とジュストはストレスを噛み殺す。幸い、ケレスは医療系の名門。胃薬の在庫だけは心配する必要が無い。室長は肘を突いたままジュストを眺め、億劫そうに言葉を補った。
「わかっとらんようだな? コレはお前の名前と責任で差し戻せと言っているんだ」
「は、い?」
「あっちもケレス家の御曹司に圧力を掛けるほど馬鹿ではあるまいが、もし予想できん問題が起きたなら勝手に判断するな。報告に戻れ」
「……ありがとうございます」
比較的大きな案件とは言え、一日に数十通と飛び交う申請書類のただ一つ。だが、それが初めてケレス侯爵家の名を持つ者として任された職務だった。
特別扱いを受けたジュスト・V・ケレスは困惑していた。初日から同期採用の仲間と切り離され、室長付を申し渡されたまではまだ良い。任されるのは室長まで上がってくる書類の不備確認だけで、内容の精査には関わることは許されていない。つまり分量が多いだけで雑用だ。検算も粗探しも苦手では無いが、やる事がそればかりでは筆圧が上がるばかりである。
「室長に嫌われてるんじゃ無いかって? そりゃ、嫌うだろうよ」
激務の合間、休憩時間に大部屋勤務の先輩に尋ねてみれば、あっけらかんとそう答える。曰く、肥満体の室長よりもスマートで、爵位も上。色男ぶりの差は言うまでも無い。何よりも若い。顔を見るだけで面白くなかろうと笑ってから、先輩は肩をすくめる。
「まあ、一番腹が立つのは体よく君を押しつけられた事だろうがね」
「……同期と比べて、俺がそんなに差があるとは……」
「君が領地伯爵の次男のまま官僚になったのなら、何の問題も無かったと思うよ。でも、君は次期侯爵だろ」
なるほど、傑物の義母と比較されるなら分が悪い。と思いきや、先輩の口から出たのは意外な名前だった。
「ニコラ・ゴルティエ元侯爵?」
「あの野郎の穴埋めが来るんじゃないかと期待してたんだよ。室長だけじゃ無く、俺も他の連中もな」
●
上司との関係改善は必要だ。もとより人たらしは得意である。室長の好みを探り、高価すぎない酒を手土産に。今までの自分の至らなさを殊勝に詫びて見せ、どうすれば良いのかと教えを請うた。室長はしばらくしてから重い口を開く。
「……お前は、法衣貴族を舐めている。私はそれが気に食わん」
「そんなつもりは……」
「つもりが無いなら尚悪い。お前は法衣貴族の名門、ケレス侯爵家を継ぐ者としてこの場にいるのだろう。それが、蓋を開ければどうだ。即戦力かと思いきや、とんだ期待外れだ」
(……先輩と同じようなことを……。そこまで期待されていたなら、確かに失望させたかもしれないが。無理を言いすぎじゃ無い?)
ジュストは養子である。その事は知っている筈だが、と様子を窺うと苦々しげな顔で頷いた。
「ああ、お前の事情は聞いている。ケレス侯爵家の養子と決まって、二年か? 一年か? そんな半端な状態のお坊ちゃんに来られたのが迷惑だと言っている」
例えば。領地貴族の家に生まれた子供であれば、領主代行なりを務めるまでに領地のこと一通りを学び終えるのは当たり前のことだ。法衣貴族でもそれは同じ。侯爵家の継嗣として就任するのであれば、それに相応しい職務をこなすだけの力を持つのが当然だと室長は言う。
財務に人手が足りないのは事実。ウィリアムがジュストに期待していると言うのも嘘ではあるまい。しかし、そこに至るにはジュストにはまだ足りない物が多かった。が、上級貴族の継嗣を大部屋の下っ端事務官同様に扱うことは難しい。騎士団のように、実務の中で騎士から長へと育てられる土壌がある訳でもないのだ。仕方が無いので、やってくる書類を全て見て覚えろ、となったらしい。なるほど、明らかに説明が足りない。しかし説明する手間も惜しいし、何より癪に障るというのが室長の言い分であった。
「説明してやる義理がどこにある。いいか、上級貴族なんてのは、小粒の王族みたいなもんだ。王族は王族っていうだけで、若かろうが視察やら外交やらあれこれやらされるだろう。生まれながらに即戦力だ。お前がいずれ侯爵様になるなら、俺と同じか、もっと立派な椅子に自力で座ってもらわんと困る。というか、養子が勉強不足なら不足を補える部下くらいつけてやるべきだろう。それがあの女、元からの使える手駒は自分の元でこれまで通りに使うんで、跡継ぎは別枠でよろしくなどと巫山戯たことをぬかしやがる。顔が良ければ何でも許されると思うなよ女狐が」
後半の早口部分はよく聞き取れなかったが、とりあえず室長殿の怒りの熱量の多くは、どうやらジュストにではなく義母へ向いている物らしかった。そういう事であれば、是非も無い。
「なるほど……。お互い義母には苦労させられている、と言うことですね」
演技のつもりが、少し本音の溜息が混じったかもしれない。室長は舌打ちしながらも、多少は溜飲を下げたようだった。
「被害者ぶりおる。……まあ、いい。私も少し大人げなかったな」
少しか? と思っても言わない程度にジュストは大人である。室長はジュストをジロリと睨め上げた。
●
その日以降、室長はたまにジュストに意見を求めるようになった。意見を求めるという体裁の試しでもある。過去の事例を知らなければ即答できない物や、別の資料を確認しなければ判断出来ない物もあった。答えが不足であれば、罵倒混じりの叱責と共に示唆が投げつけられる。それを調査する事が学びの入り口でもあった。職人かよ! と思わないでも無いが、ノウハウを開陳されていると思えば腹が立つ事も減った。証拠に、ペン先を潰す数は半分ほどになっている。
(今までの王国のやり方を変えたい、という志は変わらないけれど。今のやり方を知らずに未来を描くのでは意味が無い。このヒキガエ……偉大な先輩を頷かせられないようでは、ね)
学園の改革も、スムーズに進んだように見えて軋轢はあった。それでも前に進んだのは、学園長に多くのスタッフが従ったからだ。王家の威光の効果は絶大だったろうが、それだけでは事業は進むまい。いずれ爵位を継いだとしても、その地位に相応しいだけの仕事が出来ないのでは誰も従いはしないだろう。この室長にも、あの先輩職員にも自分を認めさせるところからだ。幸い、墜ちた評判を上げるのは二度目で色々と慣れている。
「室長殿、この王国騎士団の予算案ですが、消耗品は王都の商会を使うよりも演習地で手配した方が、輸送費の分だけ安く付きませんか?」
「ふん。そう言うからにはその場合の代替案もあるんだろうな?」
「こちらに計算してあります」
「寄越せ」
ひったくられた資料は、ジュストの睡眠時間とペンを何本か削った力作だ。遠隔地の薪やら食料やらの価格差などはジュストにも調べようが無いが、彼には優秀な協力者がいる。当たり前の予測の、裏付けまでを先回りで揃えて見せた。それをどう評価するか。柄に無く緊張するジュストの視線の先で、室長は普段よりもじっくり資料を確認すると、問題の申請書類の上に放り投げた。
「……よし。その書類をつけて差し戻しだ。ただ、現地手配に拘る必要は無い。子飼いの商会を使いたいと奴らが言うのなら、この値段でやらせればいい」
「わかりました」
ここまでやっても、このヒキガエルは驚いた様子も見せやしない。内心で文句を垂れつつ、室長の二度見を引き出しただけでもこれまでよりはマシか、とジュストはストレスを噛み殺す。幸い、ケレスは医療系の名門。胃薬の在庫だけは心配する必要が無い。室長は肘を突いたままジュストを眺め、億劫そうに言葉を補った。
「わかっとらんようだな? コレはお前の名前と責任で差し戻せと言っているんだ」
「は、い?」
「あっちもケレス家の御曹司に圧力を掛けるほど馬鹿ではあるまいが、もし予想できん問題が起きたなら勝手に判断するな。報告に戻れ」
「……ありがとうございます」
比較的大きな案件とは言え、一日に数十通と飛び交う申請書類のただ一つ。だが、それが初めてケレス侯爵家の名を持つ者として任された職務だった。
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メアリー王女が冒険者達の協力を得て稼働させた「王家の耳」。メアリーは無作為に集まってくる情報を、余人に及びもつかぬ閃きを持って分析しながら、今日も世界の動きへ耳を傾けている。
集まった情報の中には、世界の情勢に影響はないかもしれないが興味深い個人の記録があるかもしれない。