【DA】リーンエスの耳
レティシア・レインフィール/ フォルトゥナ・アルヴァ・クラティアス
『ノベルタイトル:お義祖母様と私。』蓮華・水無月
『白銀』別邸。レティシア・レインフィールが仮の住まいとしているその邸内にある、書斎には今2つの人影が在った。
1人はもちろんの事、レティシア――そして今1人はと言えば、
「レティシア様。今日は書類の整理をお手伝い頂けますか?」
「承知致しました、お義祖母様」
よく使い込まれた重厚な机にピンと背筋を伸ばして座り、柔和な笑みを浮かべていながら、一分の隙も見せない老貴婦人。フォルトゥナ・アルヴァ・クラティアスの言葉に、レティシアは完璧な淑女の笑みを浮かべつつ、ついと頭を下げた。
クラティアス侯爵家に在って、フォルトゥナは実質的な最高権力者でもある。『白銀』別邸に住まう前からももちろん、レティシアはそのことを承知していたが――現にこの場に身を置けば、その意味は否応なしに理解できた。
そんな女傑を、お義祖母様、と呼ばせて頂けないかと申し出た時の事を、レティシアは今でもよく覚えている。
『お義祖母様……ですか』
『はい。――もし、お許し頂けるのでしたら』
フォルトゥナにそう申し出ること自体が、下手をすれば不興を買う恐れは十分にあった。それを、もちろんレティシアも承知していて――だがそれでも申し出たのは、これから家族になるのだという、ささやかな自己主張であったのかもしれない。
レティシアの婚約者は、妾腹とはいえ『白銀』現当主の第一子、すなわちフォルトゥナから見れば孫にあたる。つまり、レティシアから見ればフォルトゥナは、未来の義祖母にあたるのだ。
だから。――内心の微かな恐れと共に申し出た、レティシアの言葉をフォルトゥナは拒まなかった。
『構いませんよ』
そう、鷹揚に微笑み頷いた表情と態度は親しみやすい雰囲気を纏っていて、だがそれを額面通りに信じるのは、貴族同士であれば危険だろう。それでも、少なくとも拒絶されてはいない――その事に安堵しレティシアは、その日からフォルトゥナの事を『お義祖母様』と呼ばせて頂いているのだった。
閑話休題。
フォルトゥナが眼差しを巡らせれば、頷いた侍女たちが運んできた書類や、手紙を次々とフォルトゥナの前へと並べて行く。レティシアの定位置はその斜め前、別途運び込まれた小さめの文机だ――ここでレティシアは、フォルトゥナや他の人々から、『白銀』に嫁ぐにあたって必要な知識などを学び、実践している。
手紙の内の1通を手に取ったフォルトゥナが、レティシア様、と彼女を呼ぶ。――そこはまだ、以前と変わらない。
「こちらは、先日あて名書きをお手伝い頂いたお茶会へ招待状の、皆さまのお返事です」
「はい」
「私のごく親しいお友達ばかりですから、あまり構える必要もありません。こちらに目を通して、ご出席ならばお礼を、お断りのお手紙には相応のお返事を差し上げましょう」
そう、生徒に説明する教師のように言葉を紡ぐフォルトゥナに、レティシアは微笑みながら頷く。お茶会への招待状を出す事も、その返事を確認して相応に対応をするのも、貴族としては珍しい事ではない。
だからフォルトゥナの言葉通り、今日の授業でレティシアが学ばなければならないのは、『白銀』家とこれらの家との交友関係。『白銀』最高権力者フォルトゥナのごく親しいお友達とはすなわち、『白銀』家にとって重要な位置を占める家だ、とも言えるだろう。
ゆえにレティシアは差出人の名前を見、送られてきた手紙を読みながら、記憶している家柄や爵位などと照らし合わせていく。概ねは時候の挨拶とお茶会への招待のお礼、出欠、あとは近況が綴られているだけの手紙は、だがレティシアにとっては学ぶべきもの、記憶すべき事柄があまりにも多い。
ちょっとした言い回しから、フォルトゥナとの正確な関係性を読み取り、相手の状況を推し量って行く作業。貴族同士が家名の元に行う手紙のやり取りは、それが本当にごく親しい間柄であったとしても、例えるならばあちらこちらにちりばめられた暗号を見落としなく拾い上げ、読み解いていくかの如き繊細な作業となる事が多く。
――花嫁修業を始めたばかりの、いまだそれらの情報を完全に把握しているとはとても言い難いレティシアには、どうしても意図を測りかねる手紙もあった。
「お義祖母様、申し訳ございません。こちらの伯爵夫人からのお手紙なのですが――」
そういった手紙の1つを、フォルトゥナへと見せつつ疑問を口にすれば、さっと目を通した彼女はくすりと微笑む。――何か、フォルトゥナが笑み零してしまうような内容が、書いてあっただろうか。
書かれていた内容を思い出しつつ、その反応の意味を浮かべたままの微笑みの下で必死に探っていた、レティシアに気付いたフォルトゥナが「これは問題ありません」と手渡しながら、微笑んだ。
「けれども――そうですね、お返事は貴方が書いてもらえますか? きっと、彼女もその方が喜ぶでしょう」
「は、い……あの、この方はお義祖母様の昔からのご友人、でございますよね? 私で、よろしいのでしょうか……?」
そうして振ってきた突然の課題に、レティシアが戸惑いながら尋ねれば、構いません、とフォルトゥナは頷く。――レティシアが『お義祖母様とお呼びしても良いか』と尋ねた、あの時と同じ声色で。
くすり、また笑った顔がどこか少女のように見えたと言ったら、不敬だろうか。
「彼女は昔から、あまり貴族らしい言い回しを好まない方でした。ですからその手紙も、難しい事は何もありません。――たとえ相手が私でも、もう少し位は、貴族らしい振る舞いを気になさった方が宜しいのですけれどね」
困った方だこと、と微笑むフォルトゥナの表情にも、言葉以上の意味はどうやら込められていないようだった。例え昔からの友人と言えど、侯爵家の女傑に出す手紙としては些か、以上にかなり砕けた文面の手紙をどうしたものかと悩んでいたレティシアは、さようでございますか、と1つ頷き――レティシアからの返事の方が喜ぶ、という言葉にようやっと気が付いて、はた、と瞬く。
そんなレティシアの表情の変化を、見つめるフォルトゥナの瞳にはレティシアの勘違いでなければ、悪戯を楽しむような――揶揄うような色が宿っていた、ようにも見えた。
「彼女のお孫さんにも最近、結婚を考えて居られるご令嬢が居るようなのですよ」
「はい……? あの」
「ですから、いわば先輩である私に、貴方がどんな方なのかを聞きたいのだそうです。――貴方から直接お返事を差し上げれば、喜ばれそうではありませんか?」
「それは……喜ばれますでしょうか……?」
むしろ、この場合はフォルトゥナの忌憚のない意見を聞きたいのではないだろうか。レティシアの――というよりは孫嫁候補の事だとか、接し方だとか、花嫁修業だとか。
そう、大いに首を捻ってしまったレティシアに。そういう方なのですよ、と柔らかにフォルトゥナは微笑んでから、使うべき便箋やインク、抑えておくべき注意点や文言などを指示し始めてしまったものだから。
レティシアは、不意に降って湧いた実践問題に大いに頭を悩ませながら、その日の午後を過ごすことになってしまったのだった。
●
どうにか全ての手紙を処理し終えて――例の手紙の返事も、どうにか書き上げたものをフォルトゥナの採点のもと、封をする所までこぎつける事が出来た――幾つかの簡単な書類の裁可を手伝えば、その日の勉強は終了だ。心なしか、いつも以上にぐったりしてしまったレティシアに、フォルトゥナが労いの言葉をかける。
「今日はご苦労さまでした。助かりましたよ」
「ありがとうございます、お義祖母様」
その言葉に、レティシアはピンと背筋を伸ばして微笑みながら礼を言い。身体の芯にへばりつくような疲労を宥めすかすレティシアの眼差しの先で、フォルトゥナがちらりと時間を確認する。
知らず、レティシアも確認をすれば、夕食まではまだもう少し時間がある、といった頃合いだった。この後は何の勉強をしようか、まずは今日学んだことを忘れないよう書き出して――などと考えるレティシアに、フォルトゥナが声をかける。
「少し時間があるようですね。レティシア様、貴方のお時間がよろしければ、お茶を用意させましょう」
「もちろんです、お義祖母様。喜んで」
そうして告げられた、実質の花嫁修業続行宣言に、レティシアは微笑んで頷いた。疲労は、いったん忘れる事にする――たおやかながらもレティシアは授恵者だ、体力という意味では少々の無茶は効くし。
そも、『白銀』別邸に滞在をしている理由は、花嫁修業のためである。ならばありがたくお受けするのが、未来の孫嫁としての務めでもあろう。
ゆえにフォルトゥナに従って、別邸内に在るサロンの一室へと移動をしたそこにはすでに、お茶の準備が整えられていた。フォルトゥナが座るのを確認し、向かいへと腰を下ろしたレティシアの前のティーカップへも、侍女がさっと紅茶を注ぐ。
そんなレティシアの向かいで、優美な所作でティーカップに口をつけたフォルトゥナが、レティシア様、と彼女を呼んだ。
「先ほど返事をお手伝い頂いたお茶会ですが。当日は、レティシア様を皆様にご紹介いたしましょう。よろしくお願い致しますね」
「はい、お義祖母様」
そうして告げたフォルトゥナに、告げられたレティシアは完璧な淑女の微笑みで頷いた。頷き、だが、内心で細く息を吐く。
それもまた花嫁修業の一環であろうことは、明白だった。否、このお茶会だってそうだ――くつろいでいるようでいて、他愛のないように見える会話の端々に、フォルトゥナの何気ない仕草の中に、『白銀』家に嫁ぐならば覚えておかねばならない事、学んでおかねばならない事が詰まっている。
そのお茶会も恐らくは、いずれ女主人としてレティシアが差配しなければならない事を、フォルトゥナが実地で学ばせる意図も含まれているのだろう。そして同時に招待客から、レティシアが『白銀』に相応しいかどうかをも見定められる、ある種の品評会なのに違いない。
そんな――推測を胸にレティシアは、気付かれぬよう細く、細く息を吐き。あとで招待客のリストを見直して、お客様の子細な情報なども把握しておかなければ、と脳裏に刻む。
と言っても、招待客の名前や簡単な情報ならば、すでにレティシアの脳裏にあった。前述の通りレティシアは――恐らくはこれも花嫁修業の一環として――フォルトゥナの指示のもとあて名書きから手伝っており、その際にフォルトゥナが「この方は……」と話すのを全て聞いて、記憶しているからだ。
だが、女主人として対応するのならば、それだけでは足りない。ゆえにレティシアは、必要な情報を調べる算段を脳内で思い巡らせ始め。
そんなレティシアの様子に、フォルトゥナが微かに眉を寄せた。それは本当に微かな、もしかしたら親しい間柄であったとしても気付かないかも知れない程度のもの。
だが、レティシアは気付いてしまった。気付いてしまって、何か粗相でも仕出かしたのかと静かに頬を強張らせ――そんなレティシアに気付いたフォルトゥナが、ふ、と目元を小さく緩める。
――最近、とティーカップを戻しながら、言った。
「少々、貴方が勉強に追われているのではないか――と聞いています。ふふ、私が張り切って貴方に課題を出し過ぎているのではないか、とね」
「そんな……! そんな事はございません、それは」
「ええ、承知しておりますよ。貴方はとても優秀な生徒ですからね。――何かありましたか?」
「――それは」
揶揄うような口調はただ柔らかく、レティシアを案じるような響きも含んでいる。それに、レティシアはどう応えたものかと悩み、言葉を途切れさせた。
――レティシアは婚約者としてこの場に居るが、それは暫定的なものだと理解している。だから、将来の家族として『白銀』の力になりたい思いと同時に、本当の意味で婚約を認められたいと――婚約者を守る為に強くなりたいという思いが、あって。
そのための努力を、レティシアはほんの少しも惜しんではいない。それゆえに学ぶ速度が少々無茶な事には気付いていて――それはレティシアの本心であり、誠実さであると同時に、自分自身への自信の無さも恐らくは関係している。
(私は――)
そっと、唇をかむ。――レインフィール家の人々を、思う。
今でこそ和解したとはいえ、レティシアはその出生のせいもあって、長らく父からは距離を置かれていた。『慈涙』伯爵家の令嬢として引き取られて以降は義母から、一切褒められる事もないまま、ただただ厳しく教育を施されてきた。
だから――レティシアの自信の無さは、きっとそのせい。幾らやっても、どれほどに努力を積み上げても褒められる事のない日々が、レティシアの中からそれらの、根源的な自尊心とでも言うべきものを失わせた。
だが、
(そのような事を、お義祖母様に申し上げる訳には参りません)
微かに瞳を伏せつつ、レティシアはそう己を戒める。たとえ、フォルトゥナの眼差しがまるでレティシアを案じているように見えても――彼女が案じているのはレティシア本人というよりは、レティシアが『白銀』一族に相応しき資質を備えているのか、という事に違いないのだから。
失態を見せる訳にはいかない。ゆえに伏せた瞳で慎重にフォルトゥナの様子を伺い、紡ぐべき次の句を探すレティシアに――フォルトゥナの眉尻が僅かに、下がった。
それは、どういう意味だろう。この女傑に、ひいては『白銀』家に少なくとも、自分達の婚約を反対はされていないはずだが――その程度の価値はあると、自分への自信は無くとも、客観的な自己評価からレティシアはそう踏んでいた。
非常に経験豊富な授恵者である、というのもその1つと言える。レティシアは世界的に見ても高位の授恵者の部類であり、帝国崩壊後に結ばれていた協定が終わるや否や授恵者の確保を始めた家も少なくない事を鑑みれば、レティシアの価値は低くはないはずだ。
そして――貴族的な面で見れば、レティシアは歴史ある中立派の伯爵家を実家に持つ令嬢である。王家の意向で集権派が設立されるなど、度重なる変化でリーンエス王国全土が大きく揺らいだ中、中立派であることは価値が高い――とまでは言えないかもしれないが、立ち回り次第で十分に生き残れる可能性の高い派閥であると言えよう。
さらには、レティシア本人の実務能力。前述の通り貴族令嬢としての礼儀作法は群を抜いており、政治的な知識と感覚も努力と研鑽を積み重ねて磨き上げて来たレティシアは、社交という意味でも家内の差配という意味でも、次期『白銀』夫人への務めの引き継ぎや補佐となれるはずだから、価値があるはずだ。
だから――そう、自身に言い聞かせるように己の強みを数え上げる、レティシアのそれはやはり自信の無さの裏返し。ゆえに次の句を紡げず惑う、レティシアにフォルトゥナは唇を開き――1度閉ざした後、今度はまた別の形へと口を開いた。
「教育は順調ですか?」
「え?」
そうして尋ねられたのは、先までと全く違う事柄で、レティシアは虚を突かれてぽかんと瞬く。のみならず、表情までぽかんとしながらフォルトゥナを見つめてしまい――はた、とそんな自分に気が付いて、慌てて表情を取り繕った。
ふふ、とフォルトゥナが微笑む。それは――多分、好意的なものだ。
もしかしたらこの人の瞳には今だレティシアが、彼女が学園長を務めるパンクリアース学園の生徒の1人に見えているのではないかと、奇妙な感覚を抱いてしまう。
「家庭教師の事です。苦戦している――とは伺っておりませんが」
「あ、あぁ……はい、とてもよくして頂いております」
そのせいだろうか、問われた言葉に深く考えないまま頷いてから、今の返答は何だかちぐはぐだったような……? と内心で首を傾げた。家庭教師が順調かと問われて、良くしてもらっている、も何もないだろう。
――現在レティシアは、花嫁修業の傍らで、次期『白銀』当主である義弟の家庭教師をも務めていた。その過程で、少なくともフォルトゥナの耳に入れておかなければならないような問題は起こっていないし――現に良くしてもらっている、と思う、多分。
だが、この場合の『順調か』はレティシア本人の事ではなく、義弟の習熟度の方だろう。よく学べているとか、どこまで納めましたとか、こんな事が出来るようになりましたとか、そういった内容を知りたかったのに決まっている。
そう、気付いて内心慌てながら、お義祖母様あの……と言いかけて。――見つめてくるフォルトゥナの眼差しに、レティシアは何だか困った気持ちになって、口を閉ざす。
(心配して頂いている)
『白銀』家に相応しいか否か、とか。レティシア個人の資質がどうか、とか。
なぜだか、そういったものを抜きにして心配されているような――そんな気がして、しまった。それは錯覚に過ぎないはずなのに。
嗚呼、けれども、
(こういう時に、おばあさま、と呼ばれる方がどうなさるものなのか、私にはわかりません)
おばあさま、おじいさま。そう呼びかける相手がレティシアの周りには、もうずっと存在していなかった。
だって、実両親の方の祖父母は、すでに全員が死去していて。強いて言えば義母方の祖父母がそれに当たろうが、そもそもの面識が殆どない。
ゆえに、レティシアには『祖父母』という存在との接し方が、今だよく解っていなかった。フォルトゥナを『お義祖母様』と呼ぶようになってなお――否、もしかしたら呼ぶようになったからこそ尚更に、こういう時にどうするものなのか、どうすれば良いのか、経験値が圧倒的に不足している。
困った。――フォルトゥナの眼差しの意味が、レティシアには掴めない。家族になりたい、お義祖母様と呼びたい、その想いには偽りないのに、どうすればそうなれるのかなんて、学園でも学びはしなかった。
それでも。――『白銀』家に相応しいと認められるよう、彼の方の婚約者として相応しいと思ってもらえるよう、レティシアは精一杯の努力を積み重ねなければならない。
そう、初心に返った人のように心に思い定めて、1つ小さな息を吐き。完璧な淑女の笑みを湛え、お義祖母様、と呼び掛けた。
「とても、よくして頂いております。私の授業もしっかりと聞いて頂けているかと」
「そう、それは結構な事ですね。といっても貴方の立場では、そういうより他はないのでしょうけれども」
「お義祖母様……」
そうして告げたレティシアの言葉に、フォルトゥナは今度こそ揶揄うような茶目っ気のある瞳になって、ふふ、と笑い。――困ったような、けれどもこれなら解りやすいと安堵するような心地で、レティシアはただ眉尻を下げる。
冗談ですよ、と微笑むフォルトゥナの表情はもう、平素と同じだった。完璧で、優雅で、知的で、気品を湛えた――『白銀』家にこの人ありとうたわれる女傑にして、パンクリアース学園の学園長。
優雅にティーカップへと手を伸ばした、フォルトゥナは紅茶がすっかりと冷めてしまっていた事に気付き、あら、と瞬く。
「すっかり話し込んでしまっていたようですね。貴方がまだよろしければ、新たなお茶を淹れさせましょうか」
「お義祖母様、私がお淹れしましょうか」
「ふふ、貴方のお茶も良いですが、侍女の仕事を奪ってもいけません。お茶請けは――そうそう、学園で新しい焼き菓子を頂いたのでした。よろしければ、ご一緒に如何」
「はい、お義祖母様。喜んで」
そうしてもうすっかりと話しを変えてしまったフォルトゥナに、レティシアが微笑みながら頷けば、隅で控えていた侍女たちが静かにお茶のお代わりを用意し始める。焼き菓子も瞬く間にテーブルに並んだところを見れば、さも今思い出したという風を装いながらも、最初から用意されていたのだろう。
やはりまだまだこの方には敵わないと、思いながらレティシアはフォルトゥナの言葉を、差配を目と耳で学ぶ。
「お義祖母様。こちらの焼き菓子は、学園で頂いたと仰っておられましたが――」
「ええ、学園生から。ちゃんと確認はしてありますよ」
どうぞ、とレティシアの前に取り分けられた焼き菓子を、ありがとうございますと微笑みながらレティシアは見つめた。料理人が焼いたのか、はたまた学園生が部活の一環で製作したものを学園長へと献上したのか、その詳細は不明ながらも、素朴な見た目は恐らく後者であろうと思わせる。
冒険者だった頃には依頼で、はたまたOGや聴講生として足を踏み入れる事もあった学園にも、もうしばらく行っていない。脳裏に幾人かの顔を思い浮かべながら、ゆえにレティシアは知らず、懐かしさに目を細め。
焼き菓子を1口、齧る。さく、と軽い歯応えの菓子は口の中でほろりと崩れて、素朴で、どこか懐かしいような味がした。
その味に誘われるように、レティシアは尋ねる。
「皆さま、お変わりはございませんか?」
「ええ、変わりませんよ」
その問いに目元を緩ませながら、フォルトゥナもまた焼き菓子を口にする。その姿すら優雅で――だが浮かんでいる表情は、恐らくは学園長としてのそれだ。
手元の焼き菓子を見つめているようでいて、フォルトゥナの眼差しはここにはない、学園の様々な事を見つめているのだろう、と伺わせた。
「もちろん学園自体が変わっている最中です、貴方がご存知の頃からも大きく変わったものも、人もありますが。学びの場であるという事は変わりません」
「さようでございますか」
「ええ。――レティシア様も、機会があればまたご覧になると良いでしょう」
フォルトゥナの言葉に、はい、とレティシアは微笑む。果たして本当にその機会が巡って来るのか、今のレティシアには判らないが――学園祭など、外部の来賓も足を踏み入れる事が許される機会は、ままある。
OGとしてはもちろんの事、いずれは『白銀』の一員となるであろうレティシアならば、フォルトゥナの言葉通り変わりゆく学園をこの目で見る事も可能だろう、と思われて。それが楽しみなような、不安なような、何とも言えない気持ちを抱いていたら、レティシア様、と名を呼ばれた。
「学園での、思い出深い場所などありますか?」
「そう、ですね……」
その質問に、レティシアは少し考えてから、幾つかの場所を挙げ。その場所は――とフォルトゥナが言葉を重ねる。
そんな風に2人は暖かな香り高いお茶と、見た目通り素朴な焼き菓子を頂きながら、のんびりと――それでいてレティシアにとっては気の抜けないひと時を過ごすのだった。
1人はもちろんの事、レティシア――そして今1人はと言えば、
「レティシア様。今日は書類の整理をお手伝い頂けますか?」
「承知致しました、お義祖母様」
よく使い込まれた重厚な机にピンと背筋を伸ばして座り、柔和な笑みを浮かべていながら、一分の隙も見せない老貴婦人。フォルトゥナ・アルヴァ・クラティアスの言葉に、レティシアは完璧な淑女の笑みを浮かべつつ、ついと頭を下げた。
クラティアス侯爵家に在って、フォルトゥナは実質的な最高権力者でもある。『白銀』別邸に住まう前からももちろん、レティシアはそのことを承知していたが――現にこの場に身を置けば、その意味は否応なしに理解できた。
そんな女傑を、お義祖母様、と呼ばせて頂けないかと申し出た時の事を、レティシアは今でもよく覚えている。
『お義祖母様……ですか』
『はい。――もし、お許し頂けるのでしたら』
フォルトゥナにそう申し出ること自体が、下手をすれば不興を買う恐れは十分にあった。それを、もちろんレティシアも承知していて――だがそれでも申し出たのは、これから家族になるのだという、ささやかな自己主張であったのかもしれない。
レティシアの婚約者は、妾腹とはいえ『白銀』現当主の第一子、すなわちフォルトゥナから見れば孫にあたる。つまり、レティシアから見ればフォルトゥナは、未来の義祖母にあたるのだ。
だから。――内心の微かな恐れと共に申し出た、レティシアの言葉をフォルトゥナは拒まなかった。
『構いませんよ』
そう、鷹揚に微笑み頷いた表情と態度は親しみやすい雰囲気を纏っていて、だがそれを額面通りに信じるのは、貴族同士であれば危険だろう。それでも、少なくとも拒絶されてはいない――その事に安堵しレティシアは、その日からフォルトゥナの事を『お義祖母様』と呼ばせて頂いているのだった。
閑話休題。
フォルトゥナが眼差しを巡らせれば、頷いた侍女たちが運んできた書類や、手紙を次々とフォルトゥナの前へと並べて行く。レティシアの定位置はその斜め前、別途運び込まれた小さめの文机だ――ここでレティシアは、フォルトゥナや他の人々から、『白銀』に嫁ぐにあたって必要な知識などを学び、実践している。
手紙の内の1通を手に取ったフォルトゥナが、レティシア様、と彼女を呼ぶ。――そこはまだ、以前と変わらない。
「こちらは、先日あて名書きをお手伝い頂いたお茶会へ招待状の、皆さまのお返事です」
「はい」
「私のごく親しいお友達ばかりですから、あまり構える必要もありません。こちらに目を通して、ご出席ならばお礼を、お断りのお手紙には相応のお返事を差し上げましょう」
そう、生徒に説明する教師のように言葉を紡ぐフォルトゥナに、レティシアは微笑みながら頷く。お茶会への招待状を出す事も、その返事を確認して相応に対応をするのも、貴族としては珍しい事ではない。
だからフォルトゥナの言葉通り、今日の授業でレティシアが学ばなければならないのは、『白銀』家とこれらの家との交友関係。『白銀』最高権力者フォルトゥナのごく親しいお友達とはすなわち、『白銀』家にとって重要な位置を占める家だ、とも言えるだろう。
ゆえにレティシアは差出人の名前を見、送られてきた手紙を読みながら、記憶している家柄や爵位などと照らし合わせていく。概ねは時候の挨拶とお茶会への招待のお礼、出欠、あとは近況が綴られているだけの手紙は、だがレティシアにとっては学ぶべきもの、記憶すべき事柄があまりにも多い。
ちょっとした言い回しから、フォルトゥナとの正確な関係性を読み取り、相手の状況を推し量って行く作業。貴族同士が家名の元に行う手紙のやり取りは、それが本当にごく親しい間柄であったとしても、例えるならばあちらこちらにちりばめられた暗号を見落としなく拾い上げ、読み解いていくかの如き繊細な作業となる事が多く。
――花嫁修業を始めたばかりの、いまだそれらの情報を完全に把握しているとはとても言い難いレティシアには、どうしても意図を測りかねる手紙もあった。
「お義祖母様、申し訳ございません。こちらの伯爵夫人からのお手紙なのですが――」
そういった手紙の1つを、フォルトゥナへと見せつつ疑問を口にすれば、さっと目を通した彼女はくすりと微笑む。――何か、フォルトゥナが笑み零してしまうような内容が、書いてあっただろうか。
書かれていた内容を思い出しつつ、その反応の意味を浮かべたままの微笑みの下で必死に探っていた、レティシアに気付いたフォルトゥナが「これは問題ありません」と手渡しながら、微笑んだ。
「けれども――そうですね、お返事は貴方が書いてもらえますか? きっと、彼女もその方が喜ぶでしょう」
「は、い……あの、この方はお義祖母様の昔からのご友人、でございますよね? 私で、よろしいのでしょうか……?」
そうして振ってきた突然の課題に、レティシアが戸惑いながら尋ねれば、構いません、とフォルトゥナは頷く。――レティシアが『お義祖母様とお呼びしても良いか』と尋ねた、あの時と同じ声色で。
くすり、また笑った顔がどこか少女のように見えたと言ったら、不敬だろうか。
「彼女は昔から、あまり貴族らしい言い回しを好まない方でした。ですからその手紙も、難しい事は何もありません。――たとえ相手が私でも、もう少し位は、貴族らしい振る舞いを気になさった方が宜しいのですけれどね」
困った方だこと、と微笑むフォルトゥナの表情にも、言葉以上の意味はどうやら込められていないようだった。例え昔からの友人と言えど、侯爵家の女傑に出す手紙としては些か、以上にかなり砕けた文面の手紙をどうしたものかと悩んでいたレティシアは、さようでございますか、と1つ頷き――レティシアからの返事の方が喜ぶ、という言葉にようやっと気が付いて、はた、と瞬く。
そんなレティシアの表情の変化を、見つめるフォルトゥナの瞳にはレティシアの勘違いでなければ、悪戯を楽しむような――揶揄うような色が宿っていた、ようにも見えた。
「彼女のお孫さんにも最近、結婚を考えて居られるご令嬢が居るようなのですよ」
「はい……? あの」
「ですから、いわば先輩である私に、貴方がどんな方なのかを聞きたいのだそうです。――貴方から直接お返事を差し上げれば、喜ばれそうではありませんか?」
「それは……喜ばれますでしょうか……?」
むしろ、この場合はフォルトゥナの忌憚のない意見を聞きたいのではないだろうか。レティシアの――というよりは孫嫁候補の事だとか、接し方だとか、花嫁修業だとか。
そう、大いに首を捻ってしまったレティシアに。そういう方なのですよ、と柔らかにフォルトゥナは微笑んでから、使うべき便箋やインク、抑えておくべき注意点や文言などを指示し始めてしまったものだから。
レティシアは、不意に降って湧いた実践問題に大いに頭を悩ませながら、その日の午後を過ごすことになってしまったのだった。
●
どうにか全ての手紙を処理し終えて――例の手紙の返事も、どうにか書き上げたものをフォルトゥナの採点のもと、封をする所までこぎつける事が出来た――幾つかの簡単な書類の裁可を手伝えば、その日の勉強は終了だ。心なしか、いつも以上にぐったりしてしまったレティシアに、フォルトゥナが労いの言葉をかける。
「今日はご苦労さまでした。助かりましたよ」
「ありがとうございます、お義祖母様」
その言葉に、レティシアはピンと背筋を伸ばして微笑みながら礼を言い。身体の芯にへばりつくような疲労を宥めすかすレティシアの眼差しの先で、フォルトゥナがちらりと時間を確認する。
知らず、レティシアも確認をすれば、夕食まではまだもう少し時間がある、といった頃合いだった。この後は何の勉強をしようか、まずは今日学んだことを忘れないよう書き出して――などと考えるレティシアに、フォルトゥナが声をかける。
「少し時間があるようですね。レティシア様、貴方のお時間がよろしければ、お茶を用意させましょう」
「もちろんです、お義祖母様。喜んで」
そうして告げられた、実質の花嫁修業続行宣言に、レティシアは微笑んで頷いた。疲労は、いったん忘れる事にする――たおやかながらもレティシアは授恵者だ、体力という意味では少々の無茶は効くし。
そも、『白銀』別邸に滞在をしている理由は、花嫁修業のためである。ならばありがたくお受けするのが、未来の孫嫁としての務めでもあろう。
ゆえにフォルトゥナに従って、別邸内に在るサロンの一室へと移動をしたそこにはすでに、お茶の準備が整えられていた。フォルトゥナが座るのを確認し、向かいへと腰を下ろしたレティシアの前のティーカップへも、侍女がさっと紅茶を注ぐ。
そんなレティシアの向かいで、優美な所作でティーカップに口をつけたフォルトゥナが、レティシア様、と彼女を呼んだ。
「先ほど返事をお手伝い頂いたお茶会ですが。当日は、レティシア様を皆様にご紹介いたしましょう。よろしくお願い致しますね」
「はい、お義祖母様」
そうして告げたフォルトゥナに、告げられたレティシアは完璧な淑女の微笑みで頷いた。頷き、だが、内心で細く息を吐く。
それもまた花嫁修業の一環であろうことは、明白だった。否、このお茶会だってそうだ――くつろいでいるようでいて、他愛のないように見える会話の端々に、フォルトゥナの何気ない仕草の中に、『白銀』家に嫁ぐならば覚えておかねばならない事、学んでおかねばならない事が詰まっている。
そのお茶会も恐らくは、いずれ女主人としてレティシアが差配しなければならない事を、フォルトゥナが実地で学ばせる意図も含まれているのだろう。そして同時に招待客から、レティシアが『白銀』に相応しいかどうかをも見定められる、ある種の品評会なのに違いない。
そんな――推測を胸にレティシアは、気付かれぬよう細く、細く息を吐き。あとで招待客のリストを見直して、お客様の子細な情報なども把握しておかなければ、と脳裏に刻む。
と言っても、招待客の名前や簡単な情報ならば、すでにレティシアの脳裏にあった。前述の通りレティシアは――恐らくはこれも花嫁修業の一環として――フォルトゥナの指示のもとあて名書きから手伝っており、その際にフォルトゥナが「この方は……」と話すのを全て聞いて、記憶しているからだ。
だが、女主人として対応するのならば、それだけでは足りない。ゆえにレティシアは、必要な情報を調べる算段を脳内で思い巡らせ始め。
そんなレティシアの様子に、フォルトゥナが微かに眉を寄せた。それは本当に微かな、もしかしたら親しい間柄であったとしても気付かないかも知れない程度のもの。
だが、レティシアは気付いてしまった。気付いてしまって、何か粗相でも仕出かしたのかと静かに頬を強張らせ――そんなレティシアに気付いたフォルトゥナが、ふ、と目元を小さく緩める。
――最近、とティーカップを戻しながら、言った。
「少々、貴方が勉強に追われているのではないか――と聞いています。ふふ、私が張り切って貴方に課題を出し過ぎているのではないか、とね」
「そんな……! そんな事はございません、それは」
「ええ、承知しておりますよ。貴方はとても優秀な生徒ですからね。――何かありましたか?」
「――それは」
揶揄うような口調はただ柔らかく、レティシアを案じるような響きも含んでいる。それに、レティシアはどう応えたものかと悩み、言葉を途切れさせた。
――レティシアは婚約者としてこの場に居るが、それは暫定的なものだと理解している。だから、将来の家族として『白銀』の力になりたい思いと同時に、本当の意味で婚約を認められたいと――婚約者を守る為に強くなりたいという思いが、あって。
そのための努力を、レティシアはほんの少しも惜しんではいない。それゆえに学ぶ速度が少々無茶な事には気付いていて――それはレティシアの本心であり、誠実さであると同時に、自分自身への自信の無さも恐らくは関係している。
(私は――)
そっと、唇をかむ。――レインフィール家の人々を、思う。
今でこそ和解したとはいえ、レティシアはその出生のせいもあって、長らく父からは距離を置かれていた。『慈涙』伯爵家の令嬢として引き取られて以降は義母から、一切褒められる事もないまま、ただただ厳しく教育を施されてきた。
だから――レティシアの自信の無さは、きっとそのせい。幾らやっても、どれほどに努力を積み上げても褒められる事のない日々が、レティシアの中からそれらの、根源的な自尊心とでも言うべきものを失わせた。
だが、
(そのような事を、お義祖母様に申し上げる訳には参りません)
微かに瞳を伏せつつ、レティシアはそう己を戒める。たとえ、フォルトゥナの眼差しがまるでレティシアを案じているように見えても――彼女が案じているのはレティシア本人というよりは、レティシアが『白銀』一族に相応しき資質を備えているのか、という事に違いないのだから。
失態を見せる訳にはいかない。ゆえに伏せた瞳で慎重にフォルトゥナの様子を伺い、紡ぐべき次の句を探すレティシアに――フォルトゥナの眉尻が僅かに、下がった。
それは、どういう意味だろう。この女傑に、ひいては『白銀』家に少なくとも、自分達の婚約を反対はされていないはずだが――その程度の価値はあると、自分への自信は無くとも、客観的な自己評価からレティシアはそう踏んでいた。
非常に経験豊富な授恵者である、というのもその1つと言える。レティシアは世界的に見ても高位の授恵者の部類であり、帝国崩壊後に結ばれていた協定が終わるや否や授恵者の確保を始めた家も少なくない事を鑑みれば、レティシアの価値は低くはないはずだ。
そして――貴族的な面で見れば、レティシアは歴史ある中立派の伯爵家を実家に持つ令嬢である。王家の意向で集権派が設立されるなど、度重なる変化でリーンエス王国全土が大きく揺らいだ中、中立派であることは価値が高い――とまでは言えないかもしれないが、立ち回り次第で十分に生き残れる可能性の高い派閥であると言えよう。
さらには、レティシア本人の実務能力。前述の通り貴族令嬢としての礼儀作法は群を抜いており、政治的な知識と感覚も努力と研鑽を積み重ねて磨き上げて来たレティシアは、社交という意味でも家内の差配という意味でも、次期『白銀』夫人への務めの引き継ぎや補佐となれるはずだから、価値があるはずだ。
だから――そう、自身に言い聞かせるように己の強みを数え上げる、レティシアのそれはやはり自信の無さの裏返し。ゆえに次の句を紡げず惑う、レティシアにフォルトゥナは唇を開き――1度閉ざした後、今度はまた別の形へと口を開いた。
「教育は順調ですか?」
「え?」
そうして尋ねられたのは、先までと全く違う事柄で、レティシアは虚を突かれてぽかんと瞬く。のみならず、表情までぽかんとしながらフォルトゥナを見つめてしまい――はた、とそんな自分に気が付いて、慌てて表情を取り繕った。
ふふ、とフォルトゥナが微笑む。それは――多分、好意的なものだ。
もしかしたらこの人の瞳には今だレティシアが、彼女が学園長を務めるパンクリアース学園の生徒の1人に見えているのではないかと、奇妙な感覚を抱いてしまう。
「家庭教師の事です。苦戦している――とは伺っておりませんが」
「あ、あぁ……はい、とてもよくして頂いております」
そのせいだろうか、問われた言葉に深く考えないまま頷いてから、今の返答は何だかちぐはぐだったような……? と内心で首を傾げた。家庭教師が順調かと問われて、良くしてもらっている、も何もないだろう。
――現在レティシアは、花嫁修業の傍らで、次期『白銀』当主である義弟の家庭教師をも務めていた。その過程で、少なくともフォルトゥナの耳に入れておかなければならないような問題は起こっていないし――現に良くしてもらっている、と思う、多分。
だが、この場合の『順調か』はレティシア本人の事ではなく、義弟の習熟度の方だろう。よく学べているとか、どこまで納めましたとか、こんな事が出来るようになりましたとか、そういった内容を知りたかったのに決まっている。
そう、気付いて内心慌てながら、お義祖母様あの……と言いかけて。――見つめてくるフォルトゥナの眼差しに、レティシアは何だか困った気持ちになって、口を閉ざす。
(心配して頂いている)
『白銀』家に相応しいか否か、とか。レティシア個人の資質がどうか、とか。
なぜだか、そういったものを抜きにして心配されているような――そんな気がして、しまった。それは錯覚に過ぎないはずなのに。
嗚呼、けれども、
(こういう時に、おばあさま、と呼ばれる方がどうなさるものなのか、私にはわかりません)
おばあさま、おじいさま。そう呼びかける相手がレティシアの周りには、もうずっと存在していなかった。
だって、実両親の方の祖父母は、すでに全員が死去していて。強いて言えば義母方の祖父母がそれに当たろうが、そもそもの面識が殆どない。
ゆえに、レティシアには『祖父母』という存在との接し方が、今だよく解っていなかった。フォルトゥナを『お義祖母様』と呼ぶようになってなお――否、もしかしたら呼ぶようになったからこそ尚更に、こういう時にどうするものなのか、どうすれば良いのか、経験値が圧倒的に不足している。
困った。――フォルトゥナの眼差しの意味が、レティシアには掴めない。家族になりたい、お義祖母様と呼びたい、その想いには偽りないのに、どうすればそうなれるのかなんて、学園でも学びはしなかった。
それでも。――『白銀』家に相応しいと認められるよう、彼の方の婚約者として相応しいと思ってもらえるよう、レティシアは精一杯の努力を積み重ねなければならない。
そう、初心に返った人のように心に思い定めて、1つ小さな息を吐き。完璧な淑女の笑みを湛え、お義祖母様、と呼び掛けた。
「とても、よくして頂いております。私の授業もしっかりと聞いて頂けているかと」
「そう、それは結構な事ですね。といっても貴方の立場では、そういうより他はないのでしょうけれども」
「お義祖母様……」
そうして告げたレティシアの言葉に、フォルトゥナは今度こそ揶揄うような茶目っ気のある瞳になって、ふふ、と笑い。――困ったような、けれどもこれなら解りやすいと安堵するような心地で、レティシアはただ眉尻を下げる。
冗談ですよ、と微笑むフォルトゥナの表情はもう、平素と同じだった。完璧で、優雅で、知的で、気品を湛えた――『白銀』家にこの人ありとうたわれる女傑にして、パンクリアース学園の学園長。
優雅にティーカップへと手を伸ばした、フォルトゥナは紅茶がすっかりと冷めてしまっていた事に気付き、あら、と瞬く。
「すっかり話し込んでしまっていたようですね。貴方がまだよろしければ、新たなお茶を淹れさせましょうか」
「お義祖母様、私がお淹れしましょうか」
「ふふ、貴方のお茶も良いですが、侍女の仕事を奪ってもいけません。お茶請けは――そうそう、学園で新しい焼き菓子を頂いたのでした。よろしければ、ご一緒に如何」
「はい、お義祖母様。喜んで」
そうしてもうすっかりと話しを変えてしまったフォルトゥナに、レティシアが微笑みながら頷けば、隅で控えていた侍女たちが静かにお茶のお代わりを用意し始める。焼き菓子も瞬く間にテーブルに並んだところを見れば、さも今思い出したという風を装いながらも、最初から用意されていたのだろう。
やはりまだまだこの方には敵わないと、思いながらレティシアはフォルトゥナの言葉を、差配を目と耳で学ぶ。
「お義祖母様。こちらの焼き菓子は、学園で頂いたと仰っておられましたが――」
「ええ、学園生から。ちゃんと確認はしてありますよ」
どうぞ、とレティシアの前に取り分けられた焼き菓子を、ありがとうございますと微笑みながらレティシアは見つめた。料理人が焼いたのか、はたまた学園生が部活の一環で製作したものを学園長へと献上したのか、その詳細は不明ながらも、素朴な見た目は恐らく後者であろうと思わせる。
冒険者だった頃には依頼で、はたまたOGや聴講生として足を踏み入れる事もあった学園にも、もうしばらく行っていない。脳裏に幾人かの顔を思い浮かべながら、ゆえにレティシアは知らず、懐かしさに目を細め。
焼き菓子を1口、齧る。さく、と軽い歯応えの菓子は口の中でほろりと崩れて、素朴で、どこか懐かしいような味がした。
その味に誘われるように、レティシアは尋ねる。
「皆さま、お変わりはございませんか?」
「ええ、変わりませんよ」
その問いに目元を緩ませながら、フォルトゥナもまた焼き菓子を口にする。その姿すら優雅で――だが浮かんでいる表情は、恐らくは学園長としてのそれだ。
手元の焼き菓子を見つめているようでいて、フォルトゥナの眼差しはここにはない、学園の様々な事を見つめているのだろう、と伺わせた。
「もちろん学園自体が変わっている最中です、貴方がご存知の頃からも大きく変わったものも、人もありますが。学びの場であるという事は変わりません」
「さようでございますか」
「ええ。――レティシア様も、機会があればまたご覧になると良いでしょう」
フォルトゥナの言葉に、はい、とレティシアは微笑む。果たして本当にその機会が巡って来るのか、今のレティシアには判らないが――学園祭など、外部の来賓も足を踏み入れる事が許される機会は、ままある。
OGとしてはもちろんの事、いずれは『白銀』の一員となるであろうレティシアならば、フォルトゥナの言葉通り変わりゆく学園をこの目で見る事も可能だろう、と思われて。それが楽しみなような、不安なような、何とも言えない気持ちを抱いていたら、レティシア様、と名を呼ばれた。
「学園での、思い出深い場所などありますか?」
「そう、ですね……」
その質問に、レティシアは少し考えてから、幾つかの場所を挙げ。その場所は――とフォルトゥナが言葉を重ねる。
そんな風に2人は暖かな香り高いお茶と、見た目通り素朴な焼き菓子を頂きながら、のんびりと――それでいてレティシアにとっては気の抜けないひと時を過ごすのだった。
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メアリー王女が冒険者達の協力を得て稼働させた「王家の耳」。メアリーは無作為に集まってくる情報を、余人に及びもつかぬ閃きを持って分析しながら、今日も世界の動きへ耳を傾けている。
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