【DA】リーンエスの耳
●
太陽の光は、魔を祓ってくれるものであるように思われる。
少なくとも、睡魔であればいくらかは取り払ってくれるだろう。
ゆえに人々は朝から昼にかけ、起きて働くのだ。
さんさんとした日差しが、人々を悪いものから守ってくれるから。
もちろん、例外は何事にもあり得るという前提はあるけれども。
そして夜は、おやすみなさいの時間。
よい夜を、と互いに挨拶をかわした人々は。
ベッドで寝静まり、それぞれの夢に沈んでいく。
これは、そんなある一夜の物語――。
●
闇の中に赤い瞳は爛々と。口元から覗く鋭い牙はギラリと光る。
しん――と静まり返った夜は、そう。
彼ら吸血鬼の時間でもある。
「まぁワタシ、昼間でも全く平気なんですけれども」
とまあ、これまで丁寧に組み立てた流れをいとも簡単に覆してくれる金髪おかっぱ頭。
それが日の下を出歩く者――デイウォーカーの吸血鬼、ヤコブ・ヴィリアンという男だ。
吸血鬼が何を弱点とするかはその血統によって違うのも普通ではあるのだが。
どちらかというと、吸血鬼は日の光を苦手にしているイメージが一般にあるのもまた確かだ。
そのような中にあって彼、ヤコブは日差しを全く苦にしないという特徴を持っていた。
見た目はいかにも不健康な夜型人間のソレではあるが、別に朝日を嫌うわけではないのである。
とはいえ、やはり夜のほうが獲物を物色するうえで、雰囲気は出ようというものだ。
気分を高めていくためには、演出というのもなかなか大事なのである。
何よりこんな夜更けに一人、出歩くような婦女ともなれば不用心な者であるに決まっている。
ちょうどそこを歩いている、紅いドレスの女のように――。
「スウィイイイイトゥ」
ベロリ――とヤコブの口元を舌が這う。
美しく、うら若き乙女――その血は間違いなく上物だ。
ヤコブはここしばらく血にありつくことすら叶わなかったため、なおさら涎も出ようものだ。
久しく経験していない甘美な味わいを想像し、その顔に恍惚を浮かべるヤコブ。
はて、それにしても――。
「……なぜ、ワタシは最近に血を飲んだ覚えがないのでしょう?」
ヤコブはぐりんと首をひねった。
よくよく考えてみれば、血を飲んだ覚えどころか、何年か分の記憶がごっそりと抜け落ちているようにも感じる。
自分はそんなに忘れっぽい吸血鬼であったろうか。
これはまた奇怪な現象である。
首を反対側にもう一度、ぐいっ――。
と、してみたところで何を思い出せるわけでもない。
そのままシャカシャカと頭を振ってみる。
が、やはり何も出てこない。
せいぜい抜け毛が数本、宙を舞った程度か。
ずいぶんともったいないことをしたものだ。
「んん~ぅ、まあいいでしょう。それより、せっかくのご馳走を逃がしてはいけませんよねぇ」
ヤコブは気持ちを切り替えることにした。
そう、異常に前向きなのはヤコブの数少ない長所の一つだ。
しかし残りの長所に何があるのかと聞かれても答えに窮するので、そろそろ話を前に進めよう。
「さて――いただき、マス!」
ヤコブはドレスの女に背後から忍び寄る。
ひたり、ひたりと歩を進め、あと一歩で首筋に牙が届こうかというところまで来た――。
ところで、女はヤコブに気付いたのか振り返り。
女子の甲高い悲鳴を――上げなかった。
「ヒョエーッ!?」
代わりに情けない悲鳴を上げたのは、ヤコブのほうであった。
なにせ女が振り向きざまに攻撃魔法をけしかけてたものだから。
女の周りにふわりと浮かび上がった小さな光弾が、雨あられと降り注いできたのだ。
その全てをかわしきることができるはずもなく、そのうち何発かを脇腹に貰ってしまった。
この光弾の一発一発の、また重いこと重いこと。
あばら骨の一、二本は持っていかれたのではないかという気がする。
「性懲りもなく現れましたね、吸血鬼ヤコブ! ヴァンパイアハンター、ルアンナがお相手します!」
何を隠そう、ドレスをまとった女は冒険者――ルアンナ・ミュラー。
彼女は吸血鬼をおびき出すため、あえて夜の町を一人で出歩いていたのだ。
一見すると無防備な様子を装っておけば、いい囮になるだろうと考えて。
そこにまんまとヤコブが引っかかったというわけだ。
突然と魔法を浴び、驚いたヤコブは腰を抜かしてしまっている。
「ヴァヴァヴァ、ヴァンパイアハンター?」
「はい、貴方のような吸血鬼を葬る者です。さあ、私とタイマンで勝負しなさい!」
挙動不審となるヤコブへ、手にした杖の先端をビシリと向けるルアンナ。
杖に嵌った結晶は、凶暴にも見える紅い光を帯びている。
今から貴方を屠りますよ、お祈りは済ませましたか、というアレだ。
「ふ、ふ……ふはははははっはあ! ひっひいひぃ!」
と、突然、ヤコブは腹を抱えて笑い出した。
とうとう、おかしくなってしまったか。
いや、ヤコブが可笑しいのはもとからかもしれないが。
「このワタシにお嬢さんお一人で勝てるおつもりですか? 片腹に激痛が走りますねぇ!」
ヤコブが手で押さえている片腹とやらは先程の光弾が直撃した位置のような気もするが、それはさておき。
彼はこれでもメドゥの指先幹部にも名を連ねる、力の強い吸血鬼だ。
決して笑い事ではなく、その戦闘能力は確かなのである。
冒険者たちの練度がまだ中堅であれば、数人がかりで挑んでもヤコブに軽く蹴散らされる可能性がある程度には。
さらにこう見えて――まあ、見た目はもともと悪そうだが――ヤコブは悪逆非道の限りを尽くしてきた大悪党。
ルアンナをどんな酷い目に遭わせようと、心を痛めることはないだろう。
吸血鬼であるヤコブへの敗北は、自らの命が歪められる危険性すら内包しているのだ。
「ええ、私は貴方に勝ちます。それも必ず、です」
「あぁ、その態度! 小癪ぅう!」
しかし淀みなくそう言い切ったルアンナへ向け、ヤコブはダンと大地を蹴ってその身を加速した。
体格こそひょろっとしているヤコブであるが、彼は肉弾戦を得意とするパワーファイターなのだ。
魔術師であるルアンナならば、その拳で捉えることさえできれば簡単に沈むはずである。
一瞬で距離を詰めたことにより、ヤコブはもう自らの勝利を確信したかのようにニヤリと笑んだ。
「させると思いましたか?」
だが、ルアンナとてそのことを分かっていないはずもない。
後方に飛び退いたルアンナの手許で、ピンッと何かが弾けるような音がする。
「うあっ、眩しぃい!?」
直後、ヤコブの目前で強烈な光が迸った。
ルアンナはヒカリゴケで作られた閃光弾のピンを抜き、ヤコブに投げつけていたのだ。
日の光を苦手としないとはいえ、こうも眩い光を直視させられたのではヤコブとてたまらない。
眩んだ目を手で押さえ、その場に立ち尽くすヤコブ。
そうして生まれた隙に、ルアンナは杖の先をヤコブへと突き付け――。
無数の蝶が舞った。
いや、このような場にいきなり本物の蝶が現れるはずもない。
これはルアンナの魔術だ。放ったエーテルが、光の蝶を成しているのである。
大量に生じた光の蝶は、奔流となって町を半直線状に突き抜けた。
あまりに幻想的で美しい光景に、目撃者がいればその目を奪われていたかもしれない。
しかしその実態は苛烈な攻撃魔法。
こんなものに飲み込まれたとあっては、ひとたまりもあったものではない。
蝶の群れを叩きつけられたヤコブは、その身をエーテルに蝕まれ傷だらけとなっている。
「やるじゃないですか――ますますアナタの血が欲しくなりましたねぇ!」
宙に解けて消えていく光の中に、姿を見せたヤコブは口元から血を流していた。
それをペロリと舐めとって。
やはりルアンナへ向け勢いをつけ飛び掛かろうとする。
ヤコブの戦い方はいわゆる素人の喧嘩殺法のようなものなので、近づかないことには始まらないのだ。
その分、力だけは強いため、でたらめに振り回した腕であっても当たれば痛いことに違いはないのだけれども。
「申し訳ありませんが、お断りします!」
だからルアンナとしては、ヤコブを近づけさえしなければいい。
ルアンナが杖を握っていないほうの掌を、上空へと掲げると。
バチバチと音を立てながらうねる、雷の槍が形成された。
「痺れなさいっ!」
その雷を、ルアンナはヤコブに向けて投げつける。
夜の闇を裂いて二人に挟まれた空間を走った雷は、ヤコブをピシャーンと打ち。
「あばばばばばば!?」
電流がヤコブにまとわりついて、その移動を大きく縛った。
こうなれば、もはやヤコブも魔術の的である。
光弾の雨が、光の蝶の群れが、その場に縫い付けられたヤコブに次々と襲い掛かって来る。
「ぐぅ、賢しい真似を……そうです! どうしてこんな大切なことを忘れていたのでしょう!」
苦境に立たされたヤコブは、何か思いついた模様だ。
「いでよぅ! ワタシのしもべたちぃ!」
ヤコブが仰々しいポーズを決めると、町の石畳がめくれあがって、地下から次々と死体が起き上がって来た。
なぜだか忘れていたらしいが、ヤコブは強力な死霊術の使い手でもあったのだ。
しかし、これは果たしてタイマン勝負と呼んでいいのであろうか。
ヤコブの周りに、ずらりと死体が数取り揃えられている。
その死体を操っているのは、確かにヤコブではあるのだが。
まあ、直にそんな心配をする必要はなかったということも分かる。
「命を弄ぶ者は――燃やします!」
ルアンナが放った爆炎により、動く死体どもはまとめて吹っ飛んでしまったからだ。
彼女の操る火の魔法は、それだけの威力を秘めていた。
膨れ上がる焔が一帯を包み込んで、ヤコブの赤い瞳にも炎の煌めきが映り込む。
そこでヤコブは目を見開くことになる。
この光景、どこかで見たような――。
どこだ、一体どこで見た――。
ヤコブの失われた記憶が、疼く。
頭の中身が揺さぶられるような感覚とともに。
ヤコブの脳裏に、過去の出来事が鮮明な映像として蘇った。
●
ヤコブは何度か、冒険者たちと大規模な戦いを繰り広げている。
そのうちの一つが、帝国南部鎮守都市ヴィント奪還作戦。
ヴィントを開放するために行われた当作戦において。
当時、蟻型亜人とよろしくするなどしていたヤコブは、帝国南部駐屯所跡地で冒険者たちと戦った。
幾人もの冒険者たちがヤコブと激突した、あの日。
ルアンナも確かに、仲間と共にその場にいた。
そして蒸留酒をかけられて着火、炎上させられたヤコブに。
ルアンナは杖を振りかぶりつつ、魔法の炎をも叩き込んできた。
おかげでお気に入りの――世間一般からすれば悪趣味な――装束だって焼け焦げてしまう羽目になった。
その時のじりじりと身を焦がすような熱――なぜ、今まで記憶からごっそりと抜けていたのだろう。
このような屈辱、普通に考えれば忘れられようはずもない。
思い出せ、思い出せ。
面妖な現象に逆らって、失われた記憶を呼び起こせ。
その後、ヤコブは――ヤコブはどうなった?
並みいる冒険者たちを薙ぎ倒し、今日この日まで生き延びた――?
いや、そうではない――。
●
「あの日、ワタシは、ワタシは――ワタシは死んだ……?」
忌むべき記憶を取り戻してしまったヤコブは、頭を抱えて蹲る。
彼は帝国南部駐屯所跡地で最期を迎えていたはずだったのだ。
それまで繰り返してきた悪行に対し、裁きを受けるようにして。
なら、ならば、だ。
今ここにいる自分はいったい何者だというのか。
自分もまた、ヤコブであることは確かなはずで――。
何かがおかしい。
何もかもがおかしすぎる。
「う、うぐぉおおおおおお」
ヤコブは酷い混乱に陥って、ブンブンと頭を振っている。
もはや、ルアンナとの戦いの最中であったことすら、忘れてしまったかのように。
「ええ、貴方は一度、死んだのです。ここに現れたのも、ある種の亡霊のようなものなのでしょう」
するといつの間にか、ルアンナはヤコブに近づくように歩み寄って来ている。
ハッとヤコブが顔を上げると、ルアンナの胸には記章が光っていることに気付いた。
それは、吸血鬼ハンターの証。
「これも、ヴィント奪還作戦で貴方を燃やしたことで頂いたんですよ。さあもう一度、無へと還りなさい!」
ルアンナが杖を構える――が、この時、ヤコブは雷の拘束から逃れることに成功していた。
ヤコブの移動を自由にしてしまえば、肉薄を許してしまう――。
「ええぃ、なんだか分かりませんが、とにかくアナタは許しませんよぉ! 死霊術パンチ!」
この好機を逃す手はないと、ヤコブは神速の拳をルアンナへ見舞った。
全てを思い出したことにより、死霊術の力も拳に乗せて。
その威力は、ごくごく一般的な魔術師の冒険者など軽く一撃で木っ端みじんにできるほど。
ルアンナの回避は間に合わない――ルアンナ万事休す、かと思われた。
「それで私を倒せると思っていたのなら心外です! 冒険者だって成長してるんですよ! あの時から時間の止まってしまった、貴方と違って!」
だが、その拳はルアンナに届くことはなかった。
ルアンナの周囲で輝く、光の障壁に受け止められていたのだ。
猛烈な衝撃波が周囲に吹き荒れて、町がビリビリと震えている。
光の障壁はパリン、と粉々に砕け散ってしまったが、ルアンナは無事だ。
全身全霊の一撃で仕留めきることができなかった――これがヤコブの敗因となった。
「さあ、覚悟してください」
ルアンナの杖の先端が、トンとヤコブのおかっぱ頭に乗せられる。
呆然とするヤコブを余所に、ルアンナの杖の先に凝縮されたエーテルが――弾けた。
これにより破壊されたのは、まずは世における常識であった。
魔術師が至近距離から攻撃魔法を叩き込もうなど、常軌を逸した行為であったはずなのに。
魔法の射程を生かし、間合いをとって戦うという魔術師の当たり前が――当たり前ではなくなった。
そして世の常識もろとも、ヤコブも破壊されつくした。
彼はもはや跡形もなく、吹き飛んでしまったのである。
それほどまでに、限界まで収束したエーテルの破裂というものは絶大な威力を誇っていたのだ。
とめどなく溢れ出る光は、夜の帳が下りているはずの町を昼間と見まごうほどに明るく照らし出していた。
仮に、夜空の星に寿命を迎えるときがあったとして。
最期はこのように、強い輝きを放って爆発したりするのだろうか。
それはまさに、地上で星が弾けたとでも形容すべきものであった。
これは使い古された表現かもしれない。
だが、あえて言うなれば。
ヤコブは星になったのだ。
「討伐――完了です」
杖をそっと下したルアンナが、天を振り仰ぐと。
先程までは見えなかった星が一つ、明るく夜空に光っていた。
●
リブラネスタの夜空から、一際明るい星が。
パン屋『ミュラース』を見下ろしている。
「ふわぁ~……今朝はなんだか不思議な夢を見たような」
ルアンナはあくびをしながら、空も暗い内から仕込みを始めていた。
そう、パン屋の朝は早い。
人々の朝の食卓にパンを並べるため、眠気をこらえて今日も働く。
この日の朝は、どうにも疲れが残っていた。
まるで夢の中でも、普段している激しい戦いを繰り広げていたかのような――。
気分自体は、妙にスッキリしているような気もするのだけれど。
例えるなら、憎たらしい相手をボコボコにやっつけてやったとき溜飲が下がる感覚だ。
そう、ルアンナの見た不思議な夢というのは。
もちろん、先程まで描き出されていたヤコブとの対決である。
実のところヤコブはヴィント奪還作戦において死んだ後、蘇ってなどいなかったのだ。
ルアンナがヤコブを燃やした過去は、確かに存在したものだけれども。
「なんで、今頃になってヤコブを夢に見たんでしょうね?」
ルアンナは顎に指先を当てて考えてみる。
やはり、自分がいつも吸血鬼による事件を追いかけているからだろうか。
彼女にとって、絶対に許せないのは。
人身売買と、生命を冒涜すること。
ゆえに命を歪めることで眷属を増やす吸血鬼は、極めて忌むべき存在なのだ。
これまでルアンナは何度、吸血鬼と因縁の対決を繰り広げてきたことか。
ヤコブとの激闘も、そうした数ある吸血鬼との戦いのうちの一幕であった。
やはり今日に見た夢も、ルアンナの吸血鬼に対する意識の表れなのだろう。
夢は人の心を映す鏡なのだから。
ルアンナはいつものように、人気のメロンパンをパン屋としてこんがりと焼く。
このパン屋さんが、ひとたび吸血鬼の悪行を知れば。
再び真っ赤なドレスに身を包み、吸血鬼を紅の魔女としてこんがりと焼くのだろう。
「う~ん、いい具合に焼けました♪」
上機嫌のルアンナは、芳しいパンの匂いを胸いっぱいに吸い込んで。
ミュラースの店頭を、美味しそうなパンの数々で飾っていくのだった。
太陽の光は、魔を祓ってくれるものであるように思われる。
少なくとも、睡魔であればいくらかは取り払ってくれるだろう。
ゆえに人々は朝から昼にかけ、起きて働くのだ。
さんさんとした日差しが、人々を悪いものから守ってくれるから。
もちろん、例外は何事にもあり得るという前提はあるけれども。
そして夜は、おやすみなさいの時間。
よい夜を、と互いに挨拶をかわした人々は。
ベッドで寝静まり、それぞれの夢に沈んでいく。
これは、そんなある一夜の物語――。
●
闇の中に赤い瞳は爛々と。口元から覗く鋭い牙はギラリと光る。
しん――と静まり返った夜は、そう。
彼ら吸血鬼の時間でもある。
「まぁワタシ、昼間でも全く平気なんですけれども」
とまあ、これまで丁寧に組み立てた流れをいとも簡単に覆してくれる金髪おかっぱ頭。
それが日の下を出歩く者――デイウォーカーの吸血鬼、ヤコブ・ヴィリアンという男だ。
吸血鬼が何を弱点とするかはその血統によって違うのも普通ではあるのだが。
どちらかというと、吸血鬼は日の光を苦手にしているイメージが一般にあるのもまた確かだ。
そのような中にあって彼、ヤコブは日差しを全く苦にしないという特徴を持っていた。
見た目はいかにも不健康な夜型人間のソレではあるが、別に朝日を嫌うわけではないのである。
とはいえ、やはり夜のほうが獲物を物色するうえで、雰囲気は出ようというものだ。
気分を高めていくためには、演出というのもなかなか大事なのである。
何よりこんな夜更けに一人、出歩くような婦女ともなれば不用心な者であるに決まっている。
ちょうどそこを歩いている、紅いドレスの女のように――。
「スウィイイイイトゥ」
ベロリ――とヤコブの口元を舌が這う。
美しく、うら若き乙女――その血は間違いなく上物だ。
ヤコブはここしばらく血にありつくことすら叶わなかったため、なおさら涎も出ようものだ。
久しく経験していない甘美な味わいを想像し、その顔に恍惚を浮かべるヤコブ。
はて、それにしても――。
「……なぜ、ワタシは最近に血を飲んだ覚えがないのでしょう?」
ヤコブはぐりんと首をひねった。
よくよく考えてみれば、血を飲んだ覚えどころか、何年か分の記憶がごっそりと抜け落ちているようにも感じる。
自分はそんなに忘れっぽい吸血鬼であったろうか。
これはまた奇怪な現象である。
首を反対側にもう一度、ぐいっ――。
と、してみたところで何を思い出せるわけでもない。
そのままシャカシャカと頭を振ってみる。
が、やはり何も出てこない。
せいぜい抜け毛が数本、宙を舞った程度か。
ずいぶんともったいないことをしたものだ。
「んん~ぅ、まあいいでしょう。それより、せっかくのご馳走を逃がしてはいけませんよねぇ」
ヤコブは気持ちを切り替えることにした。
そう、異常に前向きなのはヤコブの数少ない長所の一つだ。
しかし残りの長所に何があるのかと聞かれても答えに窮するので、そろそろ話を前に進めよう。
「さて――いただき、マス!」
ヤコブはドレスの女に背後から忍び寄る。
ひたり、ひたりと歩を進め、あと一歩で首筋に牙が届こうかというところまで来た――。
ところで、女はヤコブに気付いたのか振り返り。
女子の甲高い悲鳴を――上げなかった。
「ヒョエーッ!?」
代わりに情けない悲鳴を上げたのは、ヤコブのほうであった。
なにせ女が振り向きざまに攻撃魔法をけしかけてたものだから。
女の周りにふわりと浮かび上がった小さな光弾が、雨あられと降り注いできたのだ。
その全てをかわしきることができるはずもなく、そのうち何発かを脇腹に貰ってしまった。
この光弾の一発一発の、また重いこと重いこと。
あばら骨の一、二本は持っていかれたのではないかという気がする。
「性懲りもなく現れましたね、吸血鬼ヤコブ! ヴァンパイアハンター、ルアンナがお相手します!」
何を隠そう、ドレスをまとった女は冒険者――ルアンナ・ミュラー。
彼女は吸血鬼をおびき出すため、あえて夜の町を一人で出歩いていたのだ。
一見すると無防備な様子を装っておけば、いい囮になるだろうと考えて。
そこにまんまとヤコブが引っかかったというわけだ。
突然と魔法を浴び、驚いたヤコブは腰を抜かしてしまっている。
「ヴァヴァヴァ、ヴァンパイアハンター?」
「はい、貴方のような吸血鬼を葬る者です。さあ、私とタイマンで勝負しなさい!」
挙動不審となるヤコブへ、手にした杖の先端をビシリと向けるルアンナ。
杖に嵌った結晶は、凶暴にも見える紅い光を帯びている。
今から貴方を屠りますよ、お祈りは済ませましたか、というアレだ。
「ふ、ふ……ふはははははっはあ! ひっひいひぃ!」
と、突然、ヤコブは腹を抱えて笑い出した。
とうとう、おかしくなってしまったか。
いや、ヤコブが可笑しいのはもとからかもしれないが。
「このワタシにお嬢さんお一人で勝てるおつもりですか? 片腹に激痛が走りますねぇ!」
ヤコブが手で押さえている片腹とやらは先程の光弾が直撃した位置のような気もするが、それはさておき。
彼はこれでもメドゥの指先幹部にも名を連ねる、力の強い吸血鬼だ。
決して笑い事ではなく、その戦闘能力は確かなのである。
冒険者たちの練度がまだ中堅であれば、数人がかりで挑んでもヤコブに軽く蹴散らされる可能性がある程度には。
さらにこう見えて――まあ、見た目はもともと悪そうだが――ヤコブは悪逆非道の限りを尽くしてきた大悪党。
ルアンナをどんな酷い目に遭わせようと、心を痛めることはないだろう。
吸血鬼であるヤコブへの敗北は、自らの命が歪められる危険性すら内包しているのだ。
「ええ、私は貴方に勝ちます。それも必ず、です」
「あぁ、その態度! 小癪ぅう!」
しかし淀みなくそう言い切ったルアンナへ向け、ヤコブはダンと大地を蹴ってその身を加速した。
体格こそひょろっとしているヤコブであるが、彼は肉弾戦を得意とするパワーファイターなのだ。
魔術師であるルアンナならば、その拳で捉えることさえできれば簡単に沈むはずである。
一瞬で距離を詰めたことにより、ヤコブはもう自らの勝利を確信したかのようにニヤリと笑んだ。
「させると思いましたか?」
だが、ルアンナとてそのことを分かっていないはずもない。
後方に飛び退いたルアンナの手許で、ピンッと何かが弾けるような音がする。
「うあっ、眩しぃい!?」
直後、ヤコブの目前で強烈な光が迸った。
ルアンナはヒカリゴケで作られた閃光弾のピンを抜き、ヤコブに投げつけていたのだ。
日の光を苦手としないとはいえ、こうも眩い光を直視させられたのではヤコブとてたまらない。
眩んだ目を手で押さえ、その場に立ち尽くすヤコブ。
そうして生まれた隙に、ルアンナは杖の先をヤコブへと突き付け――。
無数の蝶が舞った。
いや、このような場にいきなり本物の蝶が現れるはずもない。
これはルアンナの魔術だ。放ったエーテルが、光の蝶を成しているのである。
大量に生じた光の蝶は、奔流となって町を半直線状に突き抜けた。
あまりに幻想的で美しい光景に、目撃者がいればその目を奪われていたかもしれない。
しかしその実態は苛烈な攻撃魔法。
こんなものに飲み込まれたとあっては、ひとたまりもあったものではない。
蝶の群れを叩きつけられたヤコブは、その身をエーテルに蝕まれ傷だらけとなっている。
「やるじゃないですか――ますますアナタの血が欲しくなりましたねぇ!」
宙に解けて消えていく光の中に、姿を見せたヤコブは口元から血を流していた。
それをペロリと舐めとって。
やはりルアンナへ向け勢いをつけ飛び掛かろうとする。
ヤコブの戦い方はいわゆる素人の喧嘩殺法のようなものなので、近づかないことには始まらないのだ。
その分、力だけは強いため、でたらめに振り回した腕であっても当たれば痛いことに違いはないのだけれども。
「申し訳ありませんが、お断りします!」
だからルアンナとしては、ヤコブを近づけさえしなければいい。
ルアンナが杖を握っていないほうの掌を、上空へと掲げると。
バチバチと音を立てながらうねる、雷の槍が形成された。
「痺れなさいっ!」
その雷を、ルアンナはヤコブに向けて投げつける。
夜の闇を裂いて二人に挟まれた空間を走った雷は、ヤコブをピシャーンと打ち。
「あばばばばばば!?」
電流がヤコブにまとわりついて、その移動を大きく縛った。
こうなれば、もはやヤコブも魔術の的である。
光弾の雨が、光の蝶の群れが、その場に縫い付けられたヤコブに次々と襲い掛かって来る。
「ぐぅ、賢しい真似を……そうです! どうしてこんな大切なことを忘れていたのでしょう!」
苦境に立たされたヤコブは、何か思いついた模様だ。
「いでよぅ! ワタシのしもべたちぃ!」
ヤコブが仰々しいポーズを決めると、町の石畳がめくれあがって、地下から次々と死体が起き上がって来た。
なぜだか忘れていたらしいが、ヤコブは強力な死霊術の使い手でもあったのだ。
しかし、これは果たしてタイマン勝負と呼んでいいのであろうか。
ヤコブの周りに、ずらりと死体が数取り揃えられている。
その死体を操っているのは、確かにヤコブではあるのだが。
まあ、直にそんな心配をする必要はなかったということも分かる。
「命を弄ぶ者は――燃やします!」
ルアンナが放った爆炎により、動く死体どもはまとめて吹っ飛んでしまったからだ。
彼女の操る火の魔法は、それだけの威力を秘めていた。
膨れ上がる焔が一帯を包み込んで、ヤコブの赤い瞳にも炎の煌めきが映り込む。
そこでヤコブは目を見開くことになる。
この光景、どこかで見たような――。
どこだ、一体どこで見た――。
ヤコブの失われた記憶が、疼く。
頭の中身が揺さぶられるような感覚とともに。
ヤコブの脳裏に、過去の出来事が鮮明な映像として蘇った。
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ヤコブは何度か、冒険者たちと大規模な戦いを繰り広げている。
そのうちの一つが、帝国南部鎮守都市ヴィント奪還作戦。
ヴィントを開放するために行われた当作戦において。
当時、蟻型亜人とよろしくするなどしていたヤコブは、帝国南部駐屯所跡地で冒険者たちと戦った。
幾人もの冒険者たちがヤコブと激突した、あの日。
ルアンナも確かに、仲間と共にその場にいた。
そして蒸留酒をかけられて着火、炎上させられたヤコブに。
ルアンナは杖を振りかぶりつつ、魔法の炎をも叩き込んできた。
おかげでお気に入りの――世間一般からすれば悪趣味な――装束だって焼け焦げてしまう羽目になった。
その時のじりじりと身を焦がすような熱――なぜ、今まで記憶からごっそりと抜けていたのだろう。
このような屈辱、普通に考えれば忘れられようはずもない。
思い出せ、思い出せ。
面妖な現象に逆らって、失われた記憶を呼び起こせ。
その後、ヤコブは――ヤコブはどうなった?
並みいる冒険者たちを薙ぎ倒し、今日この日まで生き延びた――?
いや、そうではない――。
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「あの日、ワタシは、ワタシは――ワタシは死んだ……?」
忌むべき記憶を取り戻してしまったヤコブは、頭を抱えて蹲る。
彼は帝国南部駐屯所跡地で最期を迎えていたはずだったのだ。
それまで繰り返してきた悪行に対し、裁きを受けるようにして。
なら、ならば、だ。
今ここにいる自分はいったい何者だというのか。
自分もまた、ヤコブであることは確かなはずで――。
何かがおかしい。
何もかもがおかしすぎる。
「う、うぐぉおおおおおお」
ヤコブは酷い混乱に陥って、ブンブンと頭を振っている。
もはや、ルアンナとの戦いの最中であったことすら、忘れてしまったかのように。
「ええ、貴方は一度、死んだのです。ここに現れたのも、ある種の亡霊のようなものなのでしょう」
するといつの間にか、ルアンナはヤコブに近づくように歩み寄って来ている。
ハッとヤコブが顔を上げると、ルアンナの胸には記章が光っていることに気付いた。
それは、吸血鬼ハンターの証。
「これも、ヴィント奪還作戦で貴方を燃やしたことで頂いたんですよ。さあもう一度、無へと還りなさい!」
ルアンナが杖を構える――が、この時、ヤコブは雷の拘束から逃れることに成功していた。
ヤコブの移動を自由にしてしまえば、肉薄を許してしまう――。
「ええぃ、なんだか分かりませんが、とにかくアナタは許しませんよぉ! 死霊術パンチ!」
この好機を逃す手はないと、ヤコブは神速の拳をルアンナへ見舞った。
全てを思い出したことにより、死霊術の力も拳に乗せて。
その威力は、ごくごく一般的な魔術師の冒険者など軽く一撃で木っ端みじんにできるほど。
ルアンナの回避は間に合わない――ルアンナ万事休す、かと思われた。
「それで私を倒せると思っていたのなら心外です! 冒険者だって成長してるんですよ! あの時から時間の止まってしまった、貴方と違って!」
だが、その拳はルアンナに届くことはなかった。
ルアンナの周囲で輝く、光の障壁に受け止められていたのだ。
猛烈な衝撃波が周囲に吹き荒れて、町がビリビリと震えている。
光の障壁はパリン、と粉々に砕け散ってしまったが、ルアンナは無事だ。
全身全霊の一撃で仕留めきることができなかった――これがヤコブの敗因となった。
「さあ、覚悟してください」
ルアンナの杖の先端が、トンとヤコブのおかっぱ頭に乗せられる。
呆然とするヤコブを余所に、ルアンナの杖の先に凝縮されたエーテルが――弾けた。
これにより破壊されたのは、まずは世における常識であった。
魔術師が至近距離から攻撃魔法を叩き込もうなど、常軌を逸した行為であったはずなのに。
魔法の射程を生かし、間合いをとって戦うという魔術師の当たり前が――当たり前ではなくなった。
そして世の常識もろとも、ヤコブも破壊されつくした。
彼はもはや跡形もなく、吹き飛んでしまったのである。
それほどまでに、限界まで収束したエーテルの破裂というものは絶大な威力を誇っていたのだ。
とめどなく溢れ出る光は、夜の帳が下りているはずの町を昼間と見まごうほどに明るく照らし出していた。
仮に、夜空の星に寿命を迎えるときがあったとして。
最期はこのように、強い輝きを放って爆発したりするのだろうか。
それはまさに、地上で星が弾けたとでも形容すべきものであった。
これは使い古された表現かもしれない。
だが、あえて言うなれば。
ヤコブは星になったのだ。
「討伐――完了です」
杖をそっと下したルアンナが、天を振り仰ぐと。
先程までは見えなかった星が一つ、明るく夜空に光っていた。
●
リブラネスタの夜空から、一際明るい星が。
パン屋『ミュラース』を見下ろしている。
「ふわぁ~……今朝はなんだか不思議な夢を見たような」
ルアンナはあくびをしながら、空も暗い内から仕込みを始めていた。
そう、パン屋の朝は早い。
人々の朝の食卓にパンを並べるため、眠気をこらえて今日も働く。
この日の朝は、どうにも疲れが残っていた。
まるで夢の中でも、普段している激しい戦いを繰り広げていたかのような――。
気分自体は、妙にスッキリしているような気もするのだけれど。
例えるなら、憎たらしい相手をボコボコにやっつけてやったとき溜飲が下がる感覚だ。
そう、ルアンナの見た不思議な夢というのは。
もちろん、先程まで描き出されていたヤコブとの対決である。
実のところヤコブはヴィント奪還作戦において死んだ後、蘇ってなどいなかったのだ。
ルアンナがヤコブを燃やした過去は、確かに存在したものだけれども。
「なんで、今頃になってヤコブを夢に見たんでしょうね?」
ルアンナは顎に指先を当てて考えてみる。
やはり、自分がいつも吸血鬼による事件を追いかけているからだろうか。
彼女にとって、絶対に許せないのは。
人身売買と、生命を冒涜すること。
ゆえに命を歪めることで眷属を増やす吸血鬼は、極めて忌むべき存在なのだ。
これまでルアンナは何度、吸血鬼と因縁の対決を繰り広げてきたことか。
ヤコブとの激闘も、そうした数ある吸血鬼との戦いのうちの一幕であった。
やはり今日に見た夢も、ルアンナの吸血鬼に対する意識の表れなのだろう。
夢は人の心を映す鏡なのだから。
ルアンナはいつものように、人気のメロンパンをパン屋としてこんがりと焼く。
このパン屋さんが、ひとたび吸血鬼の悪行を知れば。
再び真っ赤なドレスに身を包み、吸血鬼を紅の魔女としてこんがりと焼くのだろう。
「う~ん、いい具合に焼けました♪」
上機嫌のルアンナは、芳しいパンの匂いを胸いっぱいに吸い込んで。
ミュラースの店頭を、美味しそうなパンの数々で飾っていくのだった。
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メアリー王女が冒険者達の協力を得て稼働させた「王家の耳」。メアリーは無作為に集まってくる情報を、余人に及びもつかぬ閃きを持って分析しながら、今日も世界の動きへ耳を傾けている。
集まった情報の中には、世界の情勢に影響はないかもしれないが興味深い個人の記録があるかもしれない。