【DA】リーンエスの耳

ヴィナス/ ルーンス・ラグネル
カッシア/ ダリア

『ノベルタイトル:未来への風、新しい物語』崎田航輝
●風
 高い空に白雲が流れゆく。
 青と白のコントラスト。その美しさに目を細め、兄弟――ヴィナスとルーンス・ラグネルは馬車を走らせていた。
「もうすぐだね」
「うん」
 頷くヴィナスは野原に視線を戻す。
 街道から伸びる道は、自然豊かで緑が薫る。
 陽は柔らかで、風は優しく……まるで新時代の訪れを思わす景色だった。

 ――帝都解放が成された後。
 その事後処理にも助力した二人は、程なく帝国から帰途についた。
 道中、目にする人々は活力に満ち、世界が平和に向かう事を教えてくれるかのようで。
「ようやく色々、片付いた感じかな」
「そうだね」
 言葉を交わした二人は――エラトゥーンへ戻り、こうして今アーダベルト商会の馬車を駆っているのだ。
 目指す先は戦いではない。
 二人が期待を抱くのは、“少々待たせてしまった”という思いと共に、自分達もまた待ち遠しい思いがあったから。
「楽しみだ」
「少しだけ、急ごうか」
 ルーンスは応えて手綱を握る。
 そう、目的は……“あの二人を迎えに”。
 ローレラウラ近郊。野原の先、草花の鮮やかな景観が現れる。
 その向こうに見えたのが――

 書類を確認して、よしと頷く。
「そっちはどうだ」
 束ねた紙を揃えてカッシアが尋ねると――対面のダリアも首肯していた。
「ん、問題なし」
 それを合図に二人は片付けを始める。
 昼前、二人は農園の事務をしていた。
 収穫量の記載や、取引先との記録、帳簿付け。ローレラウラも近いそこでは、町の商会と書面を交わす機会も多く……仕事は少なくない。
 けれど……この日二人は、いつもより早く作業を終えていた。
 澄んだ黒の瞳同士、視線を交わし。部屋を移った二人は上着を羽織る。
 本来は不用意な外出は控える身。
 それでも今日は少しだけ、急ぎ足。
 何しろ――
「帰ってくるんだな」
「ええ。無事だとは伝え聞いてるけど」
 そう、あの兄弟を出迎える日だから。
 扉を開けると、快い風が吹き抜けた。周りに咲く花々がさらさらと揺れて香る。
 ふと、二人は目を合わせた。
 ――何か良い事があるような気がする。
 風がそれを知らせてくれたような気持ちで。
 こんな思いは久しくなかった。
(二人が待ち遠しいから?)
 ダリアは素直に感じて、一度目を閉じる。
 そして改めて、農地に視線を巡らせた。
「……思えばみんな、あの二人のおかげね」
「ああ」
 カッシアも声を返す。
 二人は想起していた。
 今もずっと、二人は安全な身ではない。けれどこの場所は一つの安寧を与えてくれたから。
「もう一年半以上になるのね」
 脳裏にあるのは、ここに来るまでの日々だ。

●過日の思い
 帝国隆盛の砌(みぎり)。
 その貴族だった時分から、ダリアの心は安寧とは縁遠かった。
 以前より続く、一族内部の腐敗。
 利益搾取、それ以上の蛮行。当主の立場を務める事で、詳らかになっていく事実に……ダリアは耐える事ができなかった。
 現状を変えようと働きかけた事もある。
 だが、無駄だった。
 当時既にダリアは一族の傀儡。巨大な鎖のように自身を縛る力に、為す術はなかった。
 罪悪感ばかりが積み上がっていく感覚。それをダリアは忘れない。
 だから最後には、唯一残された手段――内部告発を行った。
 一族総員、処刑の命が下されるとも判っていても。
 唯一、カッシアだけは事前の手回しで逃す事ができていた。だからこれで良かったのだ、と。

 けれどそこで命も、そして苦難も終わりはしなかった。
 第三者の打算により死を偽造されたダリアは、新たな傀儡となり辺境へ追放。奇しくもそこで帝国崩壊が起こり、自由を得たが――それで全てに片がついた訳ではない。
 翳(かげ)りは消えない。
 カッシアと再会し、共に冒険者となった後……それを示す情報を手に入れたから。
 帝国崩壊から逃れた一族の生き残りが、二人を捜している、と。
 薄灯りの部屋で、向かい合ったその日の事を――ダリアとカッシアは思い出す。
「生き残った意味を、考えてたの」
 言葉の意味はカッシアにも判った。
「始末をつけるのか」
「ええ」
 ダリアは頷いた。
 これは自らの罪が招いた事。それを終わらせるべきだと思ったから。
 それに周囲を巻き込むわけには行かない。
 如何な結果であれ、やるなら自分の手で、と。
「俺も行く」
 カッシアも迷わず言った。
「決着は一族でつけないとな」
 重圧か、責任か。
 カッシアも、一族に長らく違和を抱いていた一人だ。
 ダリアによって断罪からも、帝国崩壊からも逃れる事ができた。けれどそれは、思うままに空を羽ばたける自由を意味しない。
 自分もまた鎖に繋がれている。
 望むとも望まずとも。そこから逃れる事はできない、と。

 だからきっと、その先にあるのはもう一つの終わりでもあったろう。
 けれど――そこで二人の意図を見抜いたのがヴィナスとルーンスだった。
 出奔しようとするダリアとカッシアを、兄弟は馬車に乗せた。一族の情報を先んじて手に入れていたのだ。
「死んでも仕方ない、なんて思ってるでしょ?」
 見過ごせないよ、と。
 言ったルーンスに二人は声が返せなかった。
「逃げられる時は逃げておく。後の為の準備期間だと思って」
 ヴィナスは静かに、けれど思いを込めて二人を説得した。
「今は生きて」
 その言葉と思いを、ダリアとカッシアは裏切れなかった。
 そうして計画を止め、連れられていった先が――農園だ。
「うちと少し縁がある場所でね」
 ルーンスの言葉と穏やかな景色。
 それが二人の記憶に焼き付いている。
「有事の時の対応と、事務の手伝いをすること。代わりに匿ってもらえるよう話はつけておいたから」
 ダリアとカッシアは顔を見合わせた。
 そよ風の日だった。
 この先の風向きが変わってゆく。これはその予感だったのかもしれない。

 二人は今も匿われている身だ。
 それでもここには平和な時間も在った。
 ルーンスの助言に従い、ギルドのローレラウラ支部で表には出ない依頼を受け――冒険者として情報を得続けていたのにも意味があった。
 この選択を取らなかったらどうなっていたろうか。
 ――もしもの未来は分からないけれど。
 ただ、生きて帰ってくる二人に今一度感謝を伝えたい。
 思いがあるから、ダリアとカッシアは彼らに早く会いたかった。
 そして――

●帰還
 ヴィナスは花々の向こう、農園の一角に気づいた。
「二人だ」
「出てきてくれたんだね」
 ルーンスもそちらに馬車を近づける。
 そこにいるのが他でもない――ダリアとカッシアだった。
「ヴィナスさん! ルーンスさん!」
 兄弟の姿に、ダリアも声を上げて走り寄る。
 カッシアもついていくと……ルーンスはヴィナスと共に馬車を降りた。
「ただいま。戻ったよ」
「――帰ってきたんだな」
 カッシアは最初、二人が目の前にいるのが信じられない気持ちで……声を零す。
「怪我は?」
「大丈夫。この通りだよ」
 ヴィナスは手を広げて無事を伝えた。
 あの時の帝国は間違いなく、死地だったろう。けれどそれを乗り越え、二人はここに立っている。
 それが夢でも幻でもないと知って……カッシアはようやく安心感を得た。
 隣を見ると、ダリアが少し涙ぐんでいる。
「本当に、良かった」
 その声に、カッシアも表情を和らげていた。

 ダリアとカッシアは兄弟を一室へと招いた。
 できる事は多くはないけれど……せめて二人を迎えようと準備をしてあったのだ。
 ダリアが温かい飲み物を入れると、ルーンスは礼と共に受け取って。
「そっちはどう?」
「問題なく過ごせてる。二人のおかげだ」
 カッシアは言って、近況報告。
 そして――決戦の事を尋ねた。
 二人が如何な戦いを経たか。待っていた身として、何はともあれ知りたかったから。
 すると兄弟が目を合わせる。
 それから帝都解放までの出来事は伝えた後で――ヴィナスが言葉を続けた。
 これこそ、兄弟が道を急いだ理由の一つでもあるのだから。
「もう一つ報告。二人を煩わせた者は全員、いなくなったよ」
 視線を向けられた二人は、目を見開く。
 それが何を指すのか、言わずとも判ったから。
「……帝都で、という事ですか?」
 ダリアにヴィナスは肯く。
 一族の生き残り。彼らが皆、一族に恨みを持つ者に殺された事が判ったのだ、と。
 それは決戦が終わった頃の事。
 新たな時代を前に、彼らは己が作った禍根までもを洗い流す事はできなかったという事なのかもしれない。
「――そう、だったんですか」
 ダリアはそれ以上の言葉がすぐに出ない。
 感慨よりも、まずは驚きに似た感情があった。
 ふと見合ったカッシアも、同じ心持ち。ぼんやりした感覚と共に――
(じゃあ、もうここでの生活も終わりなのか)
 そんな思いだけがふわふわと擡(もた)げていた。
 ルーンスは明るく言い聞かせる。
「二人はもう自由の身って事。僕達も……これからはもっと、自分の時間を生きていく予定だよ」
 といってもこの仕事は辞めないけど、と。
 ルーンスが言うとダリアは目を向ける。
「冒険者を今後も?」
「メリットもあるから。ただ、これは副業。今後のメインは……」
 と、途中でルーンスは「そうだ」と思い立つ。
 そして――
「これからは偽名じゃなく、本名が主体の生活になる。だから二人には教えておくよ」
 ――ヴィンス・アーダベルト。
 アーダベルト商会次期会頭として、一個の人間として。本当の名を伝えた。
 ダリアはそれに静かに、けれどしっかりと頷いて。
「素敵な名前です」
「ありがとう。そちらこそ、素敵な出迎えをありがとうね」
「そんな……」
 ダリアは遠慮がちに首を振る。
 そうして少し空気も落ち着いた――そこで、ヴィナスが立ち上がった。
「飲み物、ありがとう。外を歩いてくるよ」
 それから扉を開け、カッシアを招く。
「行こうか」
「行ってらっしゃい、にいさま」
 そのままカッシアを連れ出していくヴィナスを、ルーンスは見送る。
 その様子が嬉しそうで、ダリアは少しだけ小首を傾げるけれど……自分もまた、二人が並ぶ様子は嬉しくて。にこやかに二人を見送るのだった。

●共に
 農園の道を、ヴィナスはカッシアと行く。
 そこは畑と共に花園を見渡せる場所で……触れ合う花々が、さらさらと快い歌声を聞かせていた。
 柔らかな風が、色づいて見える。
 その中でカッシアはふと尋ねた。
「一族の事。あれ、本当なのか」
「間違いないよ」
 ヴィナスは自身の知る状況を語って聞かせた。
「一帯も落ち着いてない中での事だったようだけど」
 ただ一つ確かなのは、もう二人を追う者はいない事だ、と。
「そっか……」
 カッシアは自身の感情を確かめる。
 仮初めではない自由を手にした気持ちを。
 思いを共有するように、ヴィナスも頷いてみせた。
「そう、本当の自由なんだよ」
 言うとそのまま数歩先に歩む。
 ――カッシアはカッシア自身になれるんだ。
 だからこそ、ヴィナスは今この時を選んだ。ここで初めて、伝えたいと思っていたから。
 ここに帰ってきたのは、生きて戻った事を知らせる為だけじゃない。
 ただの帰還じゃなくて、これは新しい船出でもあるのだから。
「ヴィナ?」
「自由っていうのは、何でもできるって事。カッシアは、これからの事何か考えてる?」
「これから……。そうだな、ううん――」
 カッシアは悩んだ。
 突然訪れた自由。
 それは思っていたより雲を掴むような感覚で。
「今はまだ……」
「そう。だったら」
 と、ヴィナスは振り返る。
「アーダベルト商会で一緒にやっていかないかい」
「商会……。転職の勧誘?」
「うん。でもただの勧誘じゃない。これから、ずっとの話だから」
 商会の人間としてだけじゃなく。
 自分という一人の人間として。
 そばに歩んだヴィナスは、ブルースターの台座の指環――Je Te Veuxをそっと差し出していた。
「……ヴィナ」
「男でも女でも、どこの何者であっても。俺はあなたが好きだよ。共に生きてほしい」
 飾らぬ心。純な思い。
 長い道を経てここまで辿り着いたヴィナスの、それは思いを込めたプロポーズ。
 仄かにだけカッシアは唇を震わす。
 それからふっと目を閉じた。
「ずっと、って。そういうこと、か」
 あるのは先程の何倍もの驚きだ。
「これが本当の永久就職ってやつか」
「その通り。……驚いた?」
 言葉に、カッシアは「ああ」と答える。
 同時に、確かな感情が湧き上がっていた。
 ――この人と一緒に。
 その未来をカッシアは心に描き出す。
 そうすると実感も追いついて。
「俺も伝えておかなくちゃな。本当の自分を」
 ――カシス・リリット。
 隠していた、一人の男としての自分。
 その名前も性別も、受け入れた事を……ヴィナスは「うん」と応えて伝える。
 だからカッシア(カシス)はヴィナスを見つめた。
「いいの? 返品不可だよ?」
「どこにも、誰にも、返したりなんてしないよ」
 言葉に、カッシアはJe Te Veuxを受け取って……無くなる距離を拒まない。
「……俺も好きだよ」
 花が風に吹かれ、空に踊る直前の、それが最後の言葉。淡い香りの中、カッシアは静かにキスを受け入れた。

●これからの
「先程の話ですが」
 ヴィナス達を見送った後、ダリアは今一度帝都での事を聞いていた。
「本当に、一族の者だと?」
「うん」
 ルーンスは自身で得た情報も含め、経緯を説明する。
 戦いは大規模だった。故にこそ、恨みを抱いた人間が暗躍するには好機だったようだ、と。
「明らかになったのは後になってからだったけど」
 斃れた者も、捕らえられた者も。それだけが己に残る全てだというように、身分を示す物証を所持していた。
「帝国側の証言もあったからね。安心して」
 ルーンスの声音にダリアは頷いた。
「……」
 農園にいる間も、ダリア達は親族の情報を追っていた。実際、それが途絶えてはいたのだ。
 或いは、と思いながらもダリアは油断せずにいたが――
「そういう事だったんですね」
 目を伏せ、訪れた実感を自覚する。
「……もう、私達を脅かすものは何もないのですね」
 感じたのは安堵だ。
 それから不思議な気持ち。
 肩の荷が下りたような、不意に目の前が開けたような。
 確かなのは――
(怯え、恐れて暮らす事はないという事……)
 そこでダリアは顔を上げる。
 こうなれば、隠す事もないのだから。
「私も伝えさせてください」
 先刻は返す事のできなかった、本当の自分の名を、と。
 ――オレガノ・リリット。
 それがダリアが秘め続けて来た、帝国貴族に生まれた人間としての名前。
 うん、と、ルーンスは真っ直ぐにその事を飲み込む。
「良い名前だね」
「ありがとうございます」
 ダリアは少しだけ顔をほころばす。
「……とはいえ、“ダリア”も気に入っているんです。ただの私自身だったから」
 帝国を離れ、自身の事を知らぬ人々や景色に触れ、歩んできた道のり。
 そこにあったのは確かに……あの頃にはない時間だったろう。
「どっちも、好きに選んで良いと思うよ」
 ルーンスの言葉にダリアは頷く。
 自分はオレガノ・リリットであったけれど――同時にダリアでもあるのだ。
 そう言える事が、自由を手に入れた何よりの証なのかもしれない。ダリアは自身の心で、そう思った。

 事実、ダリアには本当の自由がある。
 故にルーンスは問うた。
「これからはどうする事も出来る。そこで聞きたいんだけど――帝国に戻るかどうか、考えてる?」
「帝国……。そう、ですね」
 ダリアは迷いを含む。
 憂いは消えた。それでも即座に戻る、と言えぬのもまた本音だったろう。
 そんな思いも察してルーンスは言う。
「それなら、うちに来ない?」
「アーダベルト商会に?」
「そう。授恵者がトップのうちをローレラウラの行政サイドも悪いようにはしないと思うし。いい思い出の無い帝国に戻るよりは、生まれ変わった気持ちで新天地での生活はどうかな」
 ルーンスも無論、単なる親切心ではない。
 商人として、要らぬ人材を引き入れようとはしない。これは立派な転職の勧誘だ。
 ダリアもそれが判るから――悪くはない話、どころか明るい展望に思えた。
「とても、有り難いですね……」
 それでも、暮らしが大きく変わる話。
 カッシアの意見も聞きたいし、一人では即断しかねた……が。
 そこでダリアはハッとした。
 こういう用件ならば、自分だけでなくカッシアにも当然、話を通すのがこの兄弟だ。
 という事は今、カッシアと二人きりのヴィナスが話をしてくれているはずである――大事な、“これからの将来”についての事を。
(という事は!)
 そこで先刻のヴィナスの様子や、ルーンスの嬉しそうな顔の意味が腑に落ちて。
(つまり! 今! ついに! そういうこと!?)
 そうしてダリアが俄にそわそわし始めると……丁度、ヴィナスとカッシアが姿を見せたのだった。
「……戻ったぞ」
 そう言うカッシアの顔を見て――もうダリアには何が起こったか分かる。
 何かが解けたような、柔らかな面持ち。それからどこか隠せない、照れくささ。
(間違いない!)
 二人は“そう”なれたのだ、と。
 思うとダリアはぽんぽんぽんと、心に花が咲いた気持ちになる。
 それを横目にしつつ……ルーンスも朗らかに出迎え。
「にいさま、おかえり」
「ああ」
 その声音で、ルーンスも成功を知って一層ニッコニコ。
 ダリアはそんな空気に……現状を理解した。
 カッシアはもう道を決めた。即ち、あとは自分次第なのだと。
 ならば、迷う理由はない。
 言葉はすぐに出た。
「商会に転職します」
「決まったね」
 ルーンスは笑顔を返し、一件は落着。
 それから暫くは、商人としての時間。
「――経済は血流。冒険者にも共通するけど、全員の利益を考えて動くと、結果的にうまくいく事も多いよ」
 理念を始め、商人としての思いや考えをルーンスが伝えれば……ダリアも一生懸命にメモをとっては頷くのだった。

●物語
 差し込む光が室内を照らす。
 アーダベルト商会。
 その一角にある講堂は、巨大な施設ではなく……会食に用いる事もある広間だ。
 大仰な空間ではないけれど、大窓を開けると中庭に続いていて、緑の景色から優しい風が吹き込んでくる。
 穏やかさと快さ。
 その中で今……従業員が料理を運んでいた。
「素敵ですね」
 それを手伝うダリアも、改めて見回す。
 窓は飾られ、足元には絨毯。見るほどに、そこには上品な華やかさがあったから。
 隣で頷くのはルーンス。
「こういう形がいいかなって思ってたんだ」
 そう、これはヴィナスとカッシアの――誓いと祝いの席。
 身内だけで行う祝福の場。
 準備にはヴィナスも助力を申し出たけれど……“二人の為の席だから”と、主導したのはルーンスだった。
 そんな準備も終われば――
「さあ、二人の登場だ」
 ルーンスが入口を見る。
 皆も目を向ける。そこに並んで現れる姿があった。

 登場したのは――ヴィナスとカッシア。
 洗練された衣装に身を包み……自然と寄り添うように見えるのが、今の二人が手に入れた距離だ。
 その姿にあたたかな顔をする者がいる。感動を浮かべる者もいる。
 変わらぬのは、皆に心から祝福の気持ちがある事。
 おめでとうございます、と。言葉が向けられると、ヴィナスは「ありがとう」と返して隣を見る。
「こうして祝ってもらうと実感が湧くね」
「そうだね――」
 カッシアは応えつつ、今日だけは少し浮世から離れたような気分。
 それでもヴィナスが手を引くと、前へ歩む。
 一層明るい光が差すそこは、周りより一段高い。そこで改めて祝福を受けた二人は……そっと向かい合った。
 互いに手にしているのは、一つずつの煌めき。
 Valse des fleurs――エメラルドとブラックオパールが寄り添い輝く指環だ。

 道のりは、平坦ではなかった。
 ヴィナスは一度、本当の自分を捨てた。
 けれどその全てを取り戻し、未来を前にしている。
 カッシアもまた、本当の自身なんて完全に捨てたものだと思っていた。
 けれど“夫”となったその人が――自分を拾ってくれ、未来を与えてくれる。
「ずっと、一緒に」
「――うん」
 繋がった思い。
 その永遠を誓い、二人は指環を共に嵌めた。
 カッシアの胸に溢れるのは、感謝と愛しさだ。その思いでリュートを手に取れば……ヴィナスもまたハーディングフェーレを手にしている。
 次には共に、メロディを奏で始めた。
 ゆっくりと踏み出すようなアルペジオに、優しく重なる長音。
 美しいハーモニーは、二人だから生まれた幸せを色彩豊かに表現するようで。
 ぴたりと合うユニゾンは、一緒に並んで過ごす、同じ時間を描いているかのようだった。
 カッシアが想いを音に乗せれば、ヴィナスもそれに応えて。二人は幸せそうに笑い、音色を華やかにする。
 そうして演奏を終えると――ヴィナスは皆へ礼を述べた。
「ありがとう。素敵なお祝いをしてくれて」
 それに皆は、心からの拍手で応える。
 ルーンスもまた拍手を送りながら、笑顔だった。
「二人とも、とっても幸せそう」
「うう――そうですねっ……!」
 と、その隣では――ダリアが言いながらひっく、ひっくとしゃくり上げている。
 その瞳からは涙が零れ、既に号泣の様相だ。
「本当に良かった……!」
 拭っても拭っても涙が溢れ、視界が滲む。
 それでもダリアは二人をしっかりと見つめ、目に焼き付ける。それが何より、見たかった景色だから。
 響く賛辞と拍手。
 ヴィナスはそこへまた礼を返してから……カッシアを見ていた。
 カッシアはどこかぼうっとしているようでもある。
 まだ少し、現実感がないのだろうか。だからヴィナスは――そんなカッシアを抱きしめて、耳元で囁いた。
「俺がどれだけあなたを愛してるか、今夜たっぷり教えてあげる」
 ――俺はあなたのもので、あなたは俺のものだから。
「……!」
 カッシアは目を見開いたあと、思いきり抱きつき返して……赤くなった顔を隠した。
「ばか! ……そっちこそ俺の愛を思い知れよ!」

 幸せな二人を眺めながら、ルーンスは顧(かえり)みる。
(色々あったな)
 それでも欲張りに諦めなかった結果、要らないものを排除して、得たかった未来を得る事ができた。
 そこに今までなかった感慨が揺蕩う。
 ダリアも心は同じ。
「あの子の幸せをずっと願っていたけれど、その姿を生きて見れるなんて思っていなかった」
 傍で見守れる事。
 その時間を与えてくれた事に、今一度大きな感謝を抱いた。
 でも。
 ――これからも私は生きていく。
 ルーンスも頷いた。
「そうだよ。これで終わりじゃないんだ」

 そう、物語はまだまだ終わらない。
 ヴィナスは予定通り、冒険者を続けるつもりで――
「――ローレラウラの近くか」
 ある日、ギルドからのそんな案件を受けて出かけてゆく。時に知見を、時に人脈を齎す冒険仕事は……商人としての成長も与えてくれるから。
 冒険を終えて戻ると、商会で迎えるのはカッシアだ。
「おかえり」
「作業はどう?」
「ん、今のところ順調」
 応えるカッシアはペンを片手に、仕入れ予定のチェックを済ませていた。
 こうして、仕事に向き合う日々を始めるところ。時に吟遊詩人にも戻るけれど、それは家族の前だけだ。
 と、居合わせたダリアがヴィナスに尋ねた。
「あちらの商会はどうでした?」
「土地を手に入れてるらしいよ。成長すれば新しい経済圏ができるかもね」
 ヴィナスの言葉に、ダリアは「成程……」とメモを欠かさない。
 その姿はもう立派な商売人。まだまだ自信に満ちてはないけれど……日毎前進中だ。
「その商会、挨拶に行っても良いかもね」
 と、言うのはルーンス。
 対応を見るだけでも商会の質をはかる情報にはなるから、と。折に触れてはこうしてカッシアやダリアに助言しているのだ。
 そんな時間も楽しくて――ダリアはふと言った。
「本当に、ありがとうございました」
 それは今までの、全てにだ。
 ルーンスは微笑みながらも言葉を返す。
「これからだよ」
 もっともっと未来は明るくなる。
 その期待に胸を膨らませるように。
「うちも、ようやく万全の態勢で動き出したんだ。できる事は無限にある」
 世界の危機は終わり、商人が今より活躍する世になっていく。
 そう判るからこそ。
「社会への還元あってこそ、経済の循環がある」
 一人では商いはできない。
 だから多くを投資して、あらゆる場所を潤していく。そうしてこの商会は更に発展していくんだ、と。
「その準備が今、整ったんだ」
「ライバルも増える。けど望むところだね」
 ヴィナスが言えば、ルーンスも同意した。
 全ての壁を自他の利益に変えられる。それこそが商人なのだから。
「これからの時代、客は選ぶのではなく作る!」
 だから後ろを向く時間はない。
 ――さあ、行こう。
 終わりの始まりと未来へ思いを馳せ、ルーンスは行く。それに続いて三人も、先に待つ物語へと歩み出した。

assignment【DA】史実ノベル 関連特設ページ

メアリー王女が冒険者達の協力を得て稼働させた「王家の耳」。メアリーは無作為に集まってくる情報を、余人に及びもつかぬ閃きを持って分析しながら、今日も世界の動きへ耳を傾けている。
集まった情報の中には、世界の情勢に影響はないかもしれないが興味深い個人の記録があるかもしれない。

墓標、白き追憶/弓月 蒼
トゥーリ/アストリッド・リーヴァイス
拝啓、星空のあなたへ/弓月 蒼
Alexandra・Hexe・Claudia/マリステラ・コナー

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アーカイブ生成日時 2026年08月05日 14時56分25秒 ・ world0