【DA】リーンエスの耳

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 月明かりが、闇天を舞う薄雲の奥へと隠れた頃合い――ブレイブファング傭兵団長ハヤト=ガラン=ヴォルファングは、焚火に薪をくべている髭面の男の真正面にゆっくりと歩を寄せた。
「よう。いわれた通り、こっそり聞きに来たぜ」
「その律儀さは、親父殿譲りかな?」
 オレンジ色に輝く炎の向こう側で、シルトラース帝国軍最強の呼び声高い近衛連隊長マクシミリアン・ミルドが穏やかに笑った。
「で、ニコライの何を聞きたいのかね?」
「そうだなぁ」
 腕を組みながら顎先を掻いたハヤトだが、実父の名をファーストネームで呼んだマクシミリアンに対し、ほんの少しだけ親近感が湧いた。
 帝国近衛連隊長といえば、世が世なら雲の上の存在とも呼べる存在だ。それ程の男がハヤトの父を、よく知った相手だと思わせる素振りを見せている。嬉しくない訳が無い。
 そんなマクシミリアンの前でしばし考え込んだハヤトだったが、矢張り一番に聞きたかったのは――。
「親父が帝国軍から傭兵に出奔した経緯、かな」
 ハヤトの応えに、マクシミリアンは成程と頷き返した。
 銀嵐と呼び讃えられた程の凄腕ニコライ=ヴォルファングが何故帝国軍を去り、野に奔ったか。
 確かに実子でなくとも、大いに興味をそそられる話題であろう。
 マクシミリアンはハヤトに席を勧めつつ、自慢の串焼き料理を手渡しながら、己の記憶を遠い過去へと巡らせた。

 当時、まだ20歳そこそこの若造に過ぎなかったマクシミリアンだが、彼はその時点で既に帝国近衛連隊の小隊長を拝命するだけの技量を具えていた。
 帝国近衛連隊は精鋭中の精鋭であり、皇帝の為に動く直属部隊である。基本は帝都シルトラースにおける皇族の守護を最優先とするが、場合によっては一部の隊が地方へと遠征し、皇族が関わる重要案件の解決に乗り出すこともあった。
 隊を構成する近衛兵全員が授恵者であり、部隊としての戦闘力は仮想敵国たるリーンエス王国の近衛騎士団と互角か、或いはそれ以上とも噂される精強な戦士集団であった。
 そんな中にあってマクシミリアン率いるミルド小隊は非常にフットワークが軽く、皇族からの命令を受けて、彼らの訪問先に出没する凶悪な魔獣やクリーパーの先行討伐へと出撃することも何度かあった。
 マクシミリアンが最初にハヤトの父ニコライと邂逅したのは、そういった遠征任務を手掛け始めてから半年程度が経過した頃であった。
 帝国にしては随分と蒸し暑い日が続いた盛夏、とある帝都重鎮の私領内に中型クリーパーが三体程度、出没する様になったのだという。この地へは近々皇族が訪問予定である為、これらの怪物共を討伐せよとの命令を受けたマクシミリアンは、自隊を率いて問題の地へと駆け付ける運びとなった
 ところが実際に遭遇したのは三体どころでは収まらず、群れに分類される数が揃っているという半ば絶望的な状況が目の前に横たわっていた。
「拙いな……これは小隊規模で何とかなる相手じゃないぞ」
 一戦交えてから早々に一時撤退を強いられたマクシミリアンは、討伐戦の拠点に定めた低い丘の麓で、負傷者を多く出した自隊の現状に頭を抱えた。
 初報段階に於ける分析精度の悪さが招いた不運といえなくもないが、帝都に後退して戦力を増強させる間にも被害は増え続ける。何とか現有戦力で一定の成果を出さなければならないだろう。
 しかし初戦時点で全滅とまではいかなかったものの、明らかに火力不足であり、完全に防戦一方に追い込まれたのも事実であった。
「近隣から、それなりの戦力を持つ隊を探すしかないか」
 マクシミリアンは部下を四方に走らせ、協力可能な帝国軍部隊の位置を確認した。
 その結果、幾つかの隊が地方巡回や実戦演習といった名目で周辺地域内に居ることが分かったが、その中に、ヴォルファング中隊の名があることに気付いた。
(ヴォルファング……あの銀嵐の隊か)
 指揮官は、ニコライ=ヴォルファング。
 文武両道であり、若くしてその才を発揮した男だ。
 ヴォルファング家は代々シルトラース帝国に仕えてきた武門の名家であり、数々の傑物を輩出してきた家柄ではあるが、ニコライはその中でも特に傑出した人物だと噂されていた。
 彼の性格は厳格で質実剛健だが、臨機応変に対応する柔軟性も合わせ持つといわれている。
 一方で武力は高いものの、基本的に争い事は好まぬ穏健派という側面でも知られていた。
(確か、我が近衛連隊の中隊長への抜擢があるかも知れぬと噂される程の御仁だったな。彼なら、この危急に際して頼ることが出来るやも知れん)
 マクシミリアンは早速、ヴォルファング中隊への任務合流を打診する伝令を走らせた。

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 ニコライが自身の中隊を率いて現れたのは、それからものの一時間も経たない頃だった。
 その迅速にして果敢な対応力には、現役の近衛連隊兵達ですら舌を巻いた。
「ミルド殿、我が隊を頼って下さったことに心からの謝意を表する」
 銀狼の半獣人は軽い自己紹介を交わしてから、狼特有の獰猛で精悍な顔つきに穏やかな笑みを湛えて静かに頭を下げた。
 無駄の無い筋骨隆々の体躯は素人目でも分かる程に徹底して鍛え抜かれ、若くして頭角を現したとの話が紛れも無い事実であることを雄弁に物語っていた。
 決して偉ぶらず、穏やかで、敬意を以て相手に接するという態度は、同じ軍人として惚れ込むに値する。それが、マクシミリアンが最初に抱いた印象だった。
これ程の御仁を妬む輩が少なからず存在するというのは、嘆かわしい話だな……)
 マクシミリアンは内心で、溜息を漏らした。
 ニコライの若くしてのスピード出世を疎ましく思う者が帝国軍内に居ることは、確かに事実であった。
 同時に、彼の才を利用しようとして自派閥に取り込もうとする勢力や、逆に排斥しようとする動きが散見されることも、マクシミリアンは大なり小なり噂として聞きかじっていた。
 しかし実際にニコライと接してみて、彼こそが本来帝国軍には必要とされるべき人材であり、嫉妬や政治利用といった下らぬ動きに巻き込まれるべきではないことが、よく分かった。
 そして、そういった馬鹿げた流れが醸造される帝国宮廷の愚かさを、マクシミリアンは改めて痛感せざるを得なかった。
「敵は中型が七体か。では二体は、我が隊が引き受けるとしよう。そして別の四体はミルド殿の隊で引き受けて貰えれば、残るはあと一体……この一体を最初に、私とミルド殿で始末と参ろう」
 ニコライの提案は実に大胆だが、しかし戦術としては間違っていない。
 通常の授恵者ならば中型クリーパーをたったふたりで相手に廻すなど自殺行為だが、マクシミリアンとニコライならば、それが可能だ。このふたりには、それだけの実力がある。
「部下達に時間稼ぎをさせている間に、私と貴殿で一体ずつ仕留めてゆくという作戦ですな。確かに、これ以外の策はあり得ません」
 マクシミリアンとしても異存はない。
 かくして一同は、絶望的な状況から一気に戦局を打開する作戦へと駒を進めた。

 ニコライが提示した戦術は、見事に当たった。
 ふたりの部下が中型クリーパーをそれぞれ手分けして抑えている間に、マクシミリアンとニコライが一体ずつ確実に、あぶれた敵を始末してゆく。
 ニコライの頑健な体躯は盾役として至上の適正を発揮し、彼が敵の攻撃を凌ぐ間にマクシミリアンが必殺の剣戟を叩き込んでゆくという効果的な連携が、短期決戦を可能にした。
 やがてふたりは、ものの十数分という驚異的な短時間で五体の中型クリーパーを斃し、残り二体となった時点で両部隊が攻勢に転じた。
 この時点で、勝負あったといって良い。
「見事な腕前でした」
 愛剣を鞘に収めつつ、マクシミリアンが幾分息の上がった様子で笑顔を向けると、ニコライはいやいやと苦笑を交えながらかぶりを振った。
「いや、ミルド殿の剣捌きが無ければ、私などただ一方的に打たれるだけの格好の的と化していただろう。お互い、どちらが欠けても今回の勝利はあり得なかった」
 この両雄の共闘は、一度きりでは終わらなかった。
 皇族からの特別な害敵討伐命令がマクシミリアンの小隊に発せられる毎に、マクシミリアン自身がニコライに協力を打診していたのである。
 やがてふたりは、非番の際には安酒場で盃を交わす程度にまで親交を深めることとなった。

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 マクシミリアンとニコライが最前線で肩を並べる様になってから、一年程が経過した。
 この頃になるとニコライの近衛連隊の転属話が本格的に進み始めており、近いうちに新たな近衛連隊中隊長の誕生は間違い無いだろうと目される様になっていた。
 一方、マクシミリアンも順調に武功を重ね、同じく中隊長への昇格が決まっていた。
 そんな中、ふたりはいつもの如く行きつけの酒場で顔を合わせたが、その日ニコライは、妙に渋い色を精悍な面の裏側に滲ませていた。
 何かあったのかとマクシミリアンが訊くと、ニコライは何ともいえぬ曖昧な表情で僅かにかぶりを振った。
「どうもここ最近、俺の周りできな臭い動きが続いていてな」
 曰く、帝国宮廷内に拠点を置く重鎮達が、ヴォルファング家や彼の戦友、或いは上長に対して妙な働きかけを仕掛けてきているというのである。
 明らかに、政治の臭いが付きまとう不審な動きの連続であった。
 しかも働きかけてきている者達というのが、宮廷内で対立する仇敵同士の陣営からであった。この事実が、何とも面倒な空気を醸成しつつあった。
「成程……どっちについても結局、下らぬいざこざに巻き込まれる道は避けられないという訳か」
「俺はただ単純に、帝国民を守る為にこそこの力を使いたかっただけなんだがな」
 しかし現実は、その純粋な思いを汲み取るだけでは留まろうとしていない。
 名家ヴォルファング家という血筋のみならず、近衛連隊中隊長への異例の抜擢という実績が加われば、その政治的な利用価値は計り知れない。
 地道に功績を積み重ねて順調に階段を上りつつあるマクシミリアンとは異なり、ニコライへの注目度は日に日に高まるばかりであった。
「で、どうするんだ? お前さんがどこかの政治派閥に与するなんてのは、どうにも想像出来ないんだが」
 ジョッキをぐいっと煽ってから、マクシミリアンが探る様な目つきで問いかけた。
 一方、ニコライは腕を組んだまま宙空の一点をじっと凝視する様な調子で、しばし黙り込んだ。しかしその黄金色の瞳には、どこかしら決意めいた色が見え隠れしている。
 マクシミリアンが察するところ、ニコライはどうやら既に、己の身の振り方について結論を下している様に思えた。後はいつ、どのタイミングでその決意を表に出すかといったところであろうか。
 そして同時に、ニコライの考える方向性は何となくマクシミリアンにも予測が出来た。ニコライ程の男であれば、それ以外の道は取り得ないであろうとの確信すら抱いていた。
「今はまだ、はっきりとはいえんが……俺は除隊しようと思っている」
「……矢張り、そう来たか」
 マクシミリアンのその反応に対し、ニコライは驚いた様子を見せない。マクシミリアンならきっと分かってくれるだろうとの思いが、ニコライの心の奥底のどこかに横たわっていたのかも知れない。
「勿体無いなぁ。お前さん、モテモテだったってぇのに」
 軽く笑いながら、マクシミリアンは店内のそこかしこにそれとなく視線を流した。
 ニコライが女性からの人気が高いという話は、最早周知の事実だ。実際、店の看板娘や他の女性客達からは幾度と無く、ニコライに対してちらちらと色目を振る様な視線が投げかけられていた。
 これまでにも、浮いた話はひとつやふたつでは済まない。
 そんなニコライが栄達を捨てて帝国軍を去り、野に奔るという。彼女達の落胆は相当なものになるだろう。
 しかし、既にニコライの腹は固まっている。今更、彼を翻意させることは不可能だった。
「で、いつ三行半を叩きつけるつもりだ?」
「さて、いつになるだろうな。明日かも知れないし、来年かも知れない」
 ところが、その二週間後にはニコライの帝国軍除隊が発表された。
 案外早かったな、とマクシミリアンは内心で苦笑を漏らしたが、それ以降、ニコライはぱったりと消息を絶ってしまった。

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 それから、数年が過ぎた。
 マクシミリアンは更に武功を積み重ね、戦士としての技量を磨き、遂には史上最年少で帝国近衛連隊副長に任命されるに至った。そして彼が近衛連隊長の座に上り詰めるのもいずれ時間の問題だろうとさえいわれる様になっており、その期待感は並々ならぬものがあった。
 そんな中で、マクシミリアンは帝国内で活動している傭兵団の中に、シルバーファングと呼ばれる組織があることを知った。
(ははぁ。ニコライの傭兵団だな)
 マクシミリアンには、すぐにピンときた。シルバーファングの行動範囲は帝国内のみに留まらず、その自由で強力な攻性思考はまさに、ニコライの意志そのものだった。
 後で知った話だが、この当時既にニコライは生涯の伴侶をゴールディにて得ており、子宝にも恵まれていたということらしい。
 この当時はまだ何も知らないマクシミリアンだったが、その赤子がやがて成長し、ディズル大湿地帯での戦いではブレイブファング傭兵団の長として活躍する冒険者となり、そこで知己を得ることとなった。
 人生とは、分からないものである――少なくともマクシミリアンにとっては、これ程に感慨深い出来事はそうそう無いだろうと思えた。
 更に、ニコライは帝国崩壊の混乱の中をしぶとく生き抜き、今も尚シルバーファング傭兵団の長として各地を転々としているらしい。
 実際、クライス・アクバーがニコライと共に帝国内でクリーパーを撃破したことがあるとの話を、どこかで聞いたことがあった。

 ミルド家秘伝のタレで焼いた肉を頬張りながら、ハヤトはそうだったのかと何度も頷き返していた。
「崩壊後は、親父とは会ってないのか?」
「残念ながら、その機会は無かった。俺はずっと、陛下のもとで待機を命ぜられていたからな」
 だが今回、マクシミリアンはヨゼフ・バルダスと袂を分かち、レイウェスト皇子殿下のもとへ馳せ参じるという人生の転機を迎えた。
 ニコライと再会する可能性も、漸く芽生えたといって良い。
「親父と会ったら、どうすんだい?」
「そうだな……まずは一杯やるさ」
 ハヤトの問いに対し、悪戯っぽい笑みを返すマクシミリアン。この時、ほんの一瞬だけ若き日の思い出が彼の脳裏を横切っていった。
 実際のところ、ふたりが戦場で肩を並べた時間は決して長いとはいえない。
 だが、マクシミリアンにとってはニコライは間違い無く、得難き友のひとりだ。彼との再会を、期待しない筈が無かった。

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メアリー王女が冒険者達の協力を得て稼働させた「王家の耳」。メアリーは無作為に集まってくる情報を、余人に及びもつかぬ閃きを持って分析しながら、今日も世界の動きへ耳を傾けている。
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