【DA】リーンエスの耳
ストレガ・L・リベルガストラ/ シド ・S・アラマシア
『ノベルタイトル:ストレガの教え』おおくまねこ
●
「むかしむかし、我々ゴールディのゴブリンの祖先は、サウゼル大樹海の奥地で暮らしていました。ゴブリンたちは、ゴブリン、ホブゴブリン、ゴブリナ、ゴブリン・ロードなどの様々な種類が混ざって暮らしていた自分たちのことを、『混ざり物』と呼んでいました。
ゴブリンたちは自分たちの縄張りから出ることはなく、樹海で細々と暮らしていました。ゴブリンたちは果てなく続く、樹海に終わりがあること。森の外にも世界があることをまだ知らなかったからです。稀に世界の果てに挑むゴブリンもいましたが、誰も帰っては来ませんでした。混ざり物たちが樹海の外を世界を知るのは、『大脱出』を待つことになります。
(中略)
『大脱出』を経て、樹海の外に出たゴブリンたちは樹海の貴重な素材を求めてくる命知らずの人間たち――すなわち冒険者達を道案内してあげたり、樹海で採れる薬草を売りつけたりすることで、外の世界のものを手に入れることができるようになりました。
人間たちと親しくなったゴブリンたちはいつしか、他の土地に住む、亜人のゴブリンとは区別されるようになりました。それが、我々ゴールディのゴブリンの始まりです。
(中略)
混ざり物の一人に、ストレガという名のゴブリンがいました。そのゴブリンは、混ざり物の中でも特に賢く、そして一風変わったゴブリンでした。そのゴブリンは世界の全てを知りたいと願っていました。『大脱出』を生き延び、このシルバードまでやってきたストレガは、知識を集め、それを他のゴブリンたちにも分け与えるための施設を作りました。
皆さん、もうお分かりですね。それが最初のストレガであり、この学舎の創設者です。『初代ストレガ』は、こう言い残しています。
『我々が一人でも多く長く生き残る為、貪欲に知識を集め、それを求める良き者達に授けよ。良き隣人であれ。それは我々が窮地の時、我々に手を差し伸べるだろう。賢者であれ。我々が集めし叡智は世界を解き明かし、多くを救う術となるだろう』」
●
「この世界に1人でも多く生き残る為に」――初代ストレガ
ゴブリン達の国、ゴールディ自治領の首都シルバードの片隅に小さな学舎がある。それは「世界唯一の学校」と呼ばれるパンクリアース学園にはとうてい及ばぬ規模の施設であったが、創設から約二百年の歴史を持つ、教育機関』であった。この学舎は大脱出の英雄の一人である『ストレガ』が創設したものであり、ゴールディでも特に古い歴史を持つ建物の一つである。ここでは、人類では新参の底辺種族とされる小鬼たちが、鬼ばかりの厳しい世間で生き抜くための知識が授けられている。
「おお、ライブラさんじゃないですか。お久しぶりですね」
学舎の入り口にて。大きなバックパックを背負ったゴブリナの姿に気付いた黒服(ブラックデス出向のマフィア)は、ぶんぶかと大きく手を振った。
「守衛殿、久しぶりなのだ。館長に会いたいのだが、彼女はどちらに?」
ストレガ・L・リベルガストラは黒服にぺこりとお辞儀をすると、師の居場所を問うた。
「先代なら、畑の方で農学の授業中ですよ」
「シド殿は子供達の指導中か。ありがとう」
「おっと、荷物はお預かりしますよ。お部屋に運び込んでおきましょう」
「ありがとう、助かるのだ。ではよろしく頼むのだ」
ストレガが頷くと、控えていた黒服がササっとストレガのバックパックを担ぎ上げ、図書館へと運び込んでいく。身軽になったストレガは館長を探し、トコトコと歩いていった。ストレガは塾の校舎の裏にある畑へと向かった。彼女こそ、この学舎の所有者である今代の『ストレガ』だ。ストレガはこの学舎に伝わる叡智を先代から受け継ぎ、『ストレガ』を名乗ることが許された、数少ないゴブリンである。ストレガは自身の研究のためにちょくちょく仕事の合間に学舎には戻ってきているが、ここしばらくは冒険者稼業が忙しかったため、学舎に戻ってくるのは久方ぶりであった。
「何はともあれ、まずは師に挨拶をしなければ」
●
『独りで知を追い求めるには限界がある。知を求める同士に我が名を託し、更なる知を広く求めん。我等知を紡ぐ者』――初代ストレガ
ゴールディのゴブリンの最高指導者であった『世話係』他、多くのゴブリンと共にサウゼルを脱出した初代ストレガは、この世界に一人でも多くの同胞を生き残らせる為、脱出後はその生涯を見聞、記録と教育に費やしたと伝えられている。授恵者であり、賢きゴブリンであったストレガが残した様々な記録は、ゴールディにおけるさまざまな学問の礎となった。その魂はストレガが残した学舎と共に、現在の学徒たちにも伝えられている。
「さあ、肥料を撒くのはこのぐらいにしておきましょうか。一度にあげすぎると、かえってよくありませんからね」
「「はい、先生」」
先代のストレガにして、図書館の館長、シド ・S・アラマシアがパン、と手を叩くと、子供達は一斉に手を止めた。
「シド殿。お久しぶりなのだ」
「あら、ライブラ殿。お久しぶりね」
「この透明なテントは、新しい発明なのだ?」
「ええ、魔獣クラゲの皮で作ってみたの。日光は通すけど雨は通さないし、風も防げるから、中の気温を一定に保てるのよ。たまたま手に入ったものだから、たくさんは作れなかったのだけど」
「なるほど、流石シド殿なのだ」
この畑は図書館に近くに併設された小規模なものだが、収穫量は小さな村の畑のそれを凌駕する。農業の専門家であるシドの知識があますことなく注ぎ込まれた、叡智の結晶だからだ。また、サウゼル大樹海の端にあるという、シドの『本気の農場』は大陸の農業の十年先を行っているとさえも言われている。だが、あまりに高度過ぎるため、並のゴブリンでは再現が難しく、ゴールディ全域までは彼女の農法は行き届いてはいないのが現状である。ただ、たまにシドは都市同盟や辺境都市群の地主に教えを請われ、ストレガ式農法を伝授しに行くことはあるらしく、その際の指導料は学舎の運営資金にもなっている。
(歴代のストレガたちはみな、そうやって「知の力」を示すことでここまで歴史を繋いできた。私も、後世に知識を遺さねば……後の世代の同胞のために)
「ストレガさんだ!」
「冒険のお話、聞かせて!」
「きれいなゴブリナのお姉さんだー!」
ストレガがシドと話をしていると、子供達がわらわらと寄ってきて、あっという間にストレガは包囲された。どさくさに紛れて尻を触ってきた悪ガキゴブリンもいたので、ストレガは礼節と信賞必罰の重要性を子供達に教えるべく、愛の『重力場』をプレゼントした。
●
『同胞の為、未来の為、なにより自分の為に叡智の蒐集と研鑽を欠かさない。果てなき研鑽の中に多くの幸を齎さん事を』。――ストレガの教え
「それで、ライブラ殿は何の御用でここに? 風の噂では、サチコ殿や冒険者仲間と一緒に、サウゼルの奥を調査していると聞きましたが」
シドが尋ねると、ストレガは頷いた。
「うむ。忙しくなる前に、我らストレガについての記録を残しておこうと思ったのだ。『名もなき小鬼』の記憶も失われたことだし」
「そうですね。記録を残すことは大事なことです。私達の営みを未来に継ぐためにね」
ストレガの研究内容は自由である。同胞、そして隣人である他種族と共に、各々の手段で長く幸福になれる方法を模索するのがストレガの在り方だとされている。先代であるシドは、農学を専攻し、農業から同胞とその隣人たちが豊かになれる道を探している。今代のストレガは冒険者としての活動を通じて、料理や魔獣・クリーパーの生態など、世界中から貪欲に様々な知識を蒐集している。
「しばらく図書館に籠らせてもらうのだ。先代達が残した文書に、できるだけ目を通しておきたい。歴代ストレガについての記録も、少しまとめておくつもりなのだ」
ストレガがそう告げると、シドはにっこりと笑った。
「ええ、お好きなように。貴方が当代のストレガなのですから」
●
『あらゆる物事を理知にて解せば事態に動ずる事もなし。言葉を解せば異種族もまた同士であり、見下しまた臆すこともなし。新たな知識の取得と研鑽に努め、またそれを求める者に広めんとす』――ストレガの教え
我が名はストレガ・L・リベルガストラ。ゴブリナであり、帝都崩壊と時期を同じくして授恵者として覚醒した冒険者であり、今代の『ストレガ』である。ストレガとは何なのか? 記録を残す上で、それについてまず説明しておこう。
まず、ストレガは長く名を残すが氏族ではない。血や種族によらず、『ストレガ』の意志と名を継ぐ者が指名される。とはいえ今のところは代々ゴブリン族の者が継いでいる。現ストレガである私も前ストレガとは師弟であるが、血族ではない。ストレガとは、初代ストレガの意志を継ぐ存在であり、思想の名であると言える。
初代ストレガは『混ざり物』の一人であり、『世話係』他多くのゴブリンと共にサウゼルを脱出したゴブリンである。脱出後は見聞、記録と教育に費やした。また、初代ストレガは壁画描きであったらしい。初代ストレガは蓄えた知識を同胞たちと分かち合うと共に、自らの思想を継ぐ存在を育てるべく、シルバードに『学舎』を創設した。
●
ストレガの学舎には、大きく分けて二つの重要施設が存在する。一つは塾。ここでは、ストレガの学舎で教えを受けた先達が、ゴールディの子供達に文字の読み書きや算術の基礎、法律など、様々な内容の教育を施している。ゴールディには初等教育を行う施設がいくつかあるが、ストレガの学舎の教えの根幹にあるのは「生き残る」こと。そのため、護身術や、犯罪対策などについての指導も重視している。また、文字の読み書きや、算術を会得することは、生きていく術を学ぶことでもある。コソ泥やごろつきに身を落とすゴブリンは後を絶たないが、文明社会においてまっとうな職を持つことは、長生きと不可分である。諸外国に「犯罪都市」と呼ばれるほど治安が悪いシルバードにおいては、犯罪に巻き込まれそうな際に何をすべきか知っているか知っていないかは、寿命に直結するのだ。
※ゴブリンはヒューマンよりも成長の早い種族であるが、生物学的な寿命はヒューマンとそう変わらないのではないか、という学説があることをここに追記しておく。その説が正しければ、ゴブリンの平均寿命が短いのは生物学的な要因ではなく、社会的要因だということになる。なお、ロード種は天寿を全うした個体の観測例が少なく、確度の高い資料はこの学舎においてもまだまだ少ないが、ヒューマンより長命であるというのが通説である。
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学舎はシルバードにあるため、教えを受けているのはほとんどがゴブリンだが、学舎は異種族に教えを授けることを拒んではいない。また、希望すれば、金銭や労働を対価に、大人でも授業を受けることができる。ロスガリア大陸の識字率は一割程度(都市部でも五割を切るだろう)だと言われており、首都シルバードの識字率は都会ゆえにゴールディ自治領の中では高い方だが、他の国の大都市と比べると、まだまだ少ない。読み書きの習得は安定した職に就くための第一歩であるため、学舎は識字率の向上に余念がない。
『学びたいもの全てに教育を』。これはゴブリンではなく、パンクリアース学園の学園長フォルトゥナ・アルヴァ・クラティアスの言葉であるが、いつか全ての同胞たちに、教育を受ける権利が与えられることを、私も願うばかりである。
ストレガの学舎のもう一つの主要施設は、図書館である。ゴブリン族の歴史そのものが他の種族と比べるとまだ浅く、ゴブリンの識字率もまだまだ高くない為、蔵書量はリーンエス王国の王立図書館やパンクリアース学園の図書館はもちろん、その他の大都市の図書館には中々及ばないが、ゴールディ自治領内では数少ない、貴重な施設である。ここには、歴代のストレガの研究記録や、国内で書かれた著作、外国から購入された書物が色々と収納されている。
例えば、先代ストレガであるシド ・S・アラマシアの著作『熱帯地域における農法理論』。これにはゴールディ北部の土地に適した農作物や、栽培方法、肥料の選び方などが詳細に記されている。
例えば、『大脱出物語』。これはゴールディの歴史の曙である『大脱出』を題材とした絵本だ。他にも魔獣図鑑や料理のレシピ本、歴史書など、学舎の図書館には様々な蔵書が貯蔵されている。この図書館も、ストレガの知識を後の世につなげていくための重要施設である。
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ここまで書き上げた後、ストレガはお茶を淹れ、おやつ(樹海で採れた樹液を固めたもの)を食べ、一息ついた。
「さて。私の冒険者としての活動記録を入れるのも良いが、先代ストレガであるシド殿についても記録を残しておくのだ。シド殿の人となりが分かる、代表的なエピソードをいくつか……」
●『シドについて』(1)
あれは、私がまだ幼く、この学舎に入門したばかりだった頃のこと。その年、先代のストレガであったシドはこの学舎でカボチャを育てていた。その栽培方法は変わった手法で、「空中栽培」と呼ばれる方法をとっていた。通常なら地面に植えて育てるのが当たり前のカボチャが天井から吊るされ、まるで空中に浮かんでいるようになっていたことにも驚いたが、シドの育てたカボチャはどれもよく育っていたことも、特筆に値するだろう。
大量のカボチャの収穫を手伝った時、私は興奮した。この学舎にいれば、飢え死にすることはないだろうと安心したものだ。また、当時の食堂では、毎日必ずカボチャのメニューが出ていたことも、よく覚えている。煮物だったり、ポタージュだったり。シチューの具だったり。カボチャは毎日我々と共にありながら、自在に姿を変えていた。まるでシャルガネのシノビの如く。
限られた空間を上手に使い、カボチャの大量栽培に成功したシドの農業技術も素晴らしいが、もう一つ特筆すべきは、毎日同じ野菜を使っていながら、ゴブリン達に飽きを感じさせなかった料理長の手腕だろう。味もさることながら、食べる者のことを考え、手間暇を惜しまなかったその姿勢に、私は子供心に感心したものだ。少し話が逸れたが、その年の秋の日のことだ。私はゴブリンの怒鳴り声で叩き起こされた。私だけではない。早朝にも関わらず、多くのゴブリンが起きていた。
騒いでいたのは、守衛の黒服たちだった。どうやら夜勤の守衛がヘマをしたらしい。怒鳴っているホブゴブリンは、夜勤のゴブリンの胸倉を掴んでボコボコにしていた。何が起こったのかは寄宿舎から出れば一目瞭然だった。シドのカボチャが鉢植えごと、ごっそりとなくなっていたのだ。
その後、マフィア有志の捜索により、犯人はあっという間に捕まった。犯人は最近辺境からシルバードに移り住んできたゴブリンの一団で、いわゆる盗賊団だった(田舎のチンピラと言ってもいいが)。
「オラオラ! とっとと出てきやがれ!」
「さっさと出て来ねえと、火ィつけるぞ、コラ!」
「ひぃい……!」
マフィアの集団にアジトを囲まれた盗賊たちは震えあがっていた。恐らく、連中はシルバードに席巻する五大マフィアに喧嘩を売るつもりなどなかったのだろう。マフィアのアジトなどとは違い、大した数の警備員がいない学舎に目を付け、カボチャをまんまと盗み出したのだ。
しかしながら、ストレガの学舎に手を出すのは、極めて愚かな行動であると言わざるを得ない。初代ストレガの教えにより、学舎は「同胞、そして隣人である他種族共に長く幸福になれる方法を模索する」ことをモットーにしているため、研鑽してきた技術を自分たちだけで独占したりはしない。サウゼル大樹海で採れた新素材の研究などにも、ストレガの学舎が関わっている。
それはすなわち、シルバードに席巻する五大マフィア(とその傘下の凡百ファミリー)は、どこも学舎に恩を売って損はないということであり――ゴールディに出入りする他国の学者等にもストレガの学舎の叡智に一目置いている者がいる。率直に言うと、学舎に喧嘩を売ると、ゴールディそのものとまでは言えないまでも、ものすごい数の敵を増やすことになるのである。
「シド姐さん、こいつらのケジメはどうつけさせますか? 細かく刻んで畑に撒きやすかい?」
とっ捕まえた盗賊ゴブリン達をシドの前に引きずりだし、若頭ゴブリンは邪悪に笑った。すると、シドは苦笑し、穏やかに微笑んだ。
「まぁまぁ、ケジメだなんてそんな、物騒な。盗られたのは私のカボチャですよ。この人達には、半年ほど私の畑の農作業を手伝っていただきましょう。きちんとした仕事を与えれば、他人のものを盗ろうなんて思うこともなくなるでしょうし」
「そんな、それでは示しが……」
若頭が反論しようとすると、シドはニコニコと笑った。
「カボチャを取り返してくれて、ありがとうございます。組長さんにもよくお礼を行っておいてくださいな」
「へえ、分かりやした」
柔和な雰囲気を崩さないシドに毒気を抜かれたのか、若頭はすごすごと引き上げていった。盗賊たちが樹海にあるシドの畑に連行されていく姿を見送ったあと、シドはその光景をずっと見ていた私に話しかけてきた。
「ライブラ殿。あなたも見ていたのですね。覚えておいてください。暴力は秩序の為に今は必要です。人類で最も若いこの国はその成り立ちから、どうしても強力なリーダーを頂点とする、寡頭政治から出発せざるを得ませんでした。しかし、力で抑えつける統治はいつか限界が来ます。そうならないために、我々は力に頼らない方法を探すべきなのです」
頭を撫でながら言う師の言葉に、私は「はい」と頷いた。シドは同族のやんちゃには寛容な人だった。その慈悲深さと、彼女の思慮深さに感服した盗賊たちは、今でも彼女の畑で働いている。
●『シドについて』(2)
そんな慈悲深き先代ストレガだが、彼女の逆鱗に触れた存在もいる。これは、カボチャ泥棒の事件から数年後のことである。その日、私はシドと共に、大樹海付近の村落を回り、農業体験実習をしていた。体験実習といっても、その頃の私は学舎で数年教えを受けており、いっぱしの農家と遜色無い知識を身に着けていたのだが。実際には、シドと共に、辺境の原始的な農家に科学的な農法を指導して回る、『ストレガ』としての活動であった。体験実習は順調だったが、その日、立ち寄った村では、村人達はひどく深刻な顔をしており、何かただならぬことが起きていることを私は直感した。
「まあ、樹海から魔獣が……?」
「はい、フクロウみたいな顔をした、気色悪いクマが人里まで降りて来たんです……ともかく、普通の生き物じゃねえんです。すでに行方不明者も出てます。アンタら、シルバードから来たんでしょう。どこかの組の腕利きの殺し屋か、マフィアの連中を寄越すよう、頼んじゃくれませんか」
シドが事情を聞くと、村人は青ざめた顔でそう答えた。どうやら、樹海から魔獣が出てきて畑を荒らしていたらしい。死体は出ていないが、ゴブリンの犠牲者もいるらしかった。私は緊張しながら、師の様子を伺っていた。
「恐らく、『アウルベア』ですね。分かりました。私がなんとかしましょう」
ところがシドはなんと、自分が魔獣を狩ると申し出た。私は驚いた。平和主義者のシドらしくないとさえ思った。彼女が暴力や争いごとを嫌っていることを、知っていたからだ。
今にして思えば、危険な魔獣狩りは授恵者である自分がやるべきだという判断だったのだろう。エーテルを扱う獣である魔獣は、種類にもよるが、普通の獣とは脅威の度合いがまるで異なる。腕利きの狩人が何人いても、まるで歯が立たないことも多い。
『5メートルのヒグマと戦って勝てるか?』と言えば、読者諸君にも伝わるだろうか?
「魔獣狩りをするのなら、私も連れて行ってほしい」
しかし、私はシドにそう懇願した。魔獣の恐ろしさは学舎で聞かされていたので知っていたが、授恵者と魔獣の戦いを見学することは、知見を深めるまたとないチャンスだと思ったからだ。私がシドの腰にしがみつき、何度も懇願すると、ついにシドは根負けし、私を狩りに連れていくことを了承してくれた。
●
地元の狩人と、おまけの私と共に樹海に入ったシドは、数時間でアウルベアの巣穴を発見した。どうやら彼女は猟犬のように正確に、魔獣の獣臭を嗅ぎ分けていたらしい(一般的な授恵者向けスキルとして習得方法が販売されているスキルにも、『超嗅覚』という嗅覚を強化するものがあるので、彼女もそれを使ったのだろう)。
巣穴から魔獣を追い立てる際、シドは猟師と私を下がらせ、たった一人で魔獣と対峙した。彼女の手には武器は無い。彼女の手にあるのは、一冊の古ぼけた本だけだった。
「貫け」
シドは手にしていた魔導書のページを開くと、短く呟いた。その瞬間、大地が錐のように隆起し、土の槍が巣穴に向かって大量に飛んでいった。そして、中から獣の物凄い吠え声が聞こえた。シドは何度も同じ魔法を放ち、巣穴に石の槍を大量に打ち込んだ。巣穴から、獣の鳴き声が聞こえなくなるまで。巣穴からズタズタになった魔獣の死体を引っ張り出したシドは、私達にこう言った。
「このアウルベアは学舎で解剖しましょうか。生態の研究が進めば、有効な対策が打てます」
当時は帝国崩壊以前だったので、私はまだ授恵者ではなかったし、世界全体でも授恵者は少なく、一握りしかいない超人だと言われていた頃だった。シドの凄まじい強さを目の当たりにした私は、彼女に一層の敬意を抱くようになった。
――彼女が強かったから、ではない。あれほどの強さを秘めながら、力での解決を良しとしない彼女の在り方を尊いと思ったからだ。
シドは先達の教えに従う敬虔なストレガの一人であり、平和を愛している。彼女は暴力での解決を良しとしないが、他に手段がなければ、力を振るうことにためらいはない人だった。彼女本人はマフィアを決して好んではいなかったが、その気質は、割とマフィアの頭目向きかもしれない。
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「――うむ、原稿割と進んだのだ。最後まで書き上がるまで、シド殿に見せるのはやめておこう。この章の最後の一文は怒られるかもしれないし」
図書館でずっと缶詰をしていたストレガは、うーんと伸びをした。
「まだまだ書き足りないことはあるが、ストレガの記録としては及第点なのだ。続きはまた今度、書くとしよう」
●
「皆、世話になったのだ。また来るのだ」
翌日、自ら厨房に立ち、朝食を振舞った後(料理を食べた学舎の者達や子供達は感激していた)、ストレガはシド達に別れを告げ、学舎を立った。と言っても、最近は毎月のようにサチコからサウゼル大樹海の調査に関する依頼が出ている。一月もすれば、またシルバードに戻ってくるだろう。
(祖たるストレガは壁画描きであったらしい。サウゼルの奥地へ赴けば新たな壁画を発見できるかもしれない)
「世界は広いのだ。この目で見るべきもの、学ぶべきことはいくらでもある。そして、それを遍世界に伝えるのだ。私がストレガであるがゆえに」
ストレガの探究は続く。決して、彼女の好奇心が尽きることはない。冒険の際、彼女は充足感に満たされている。飽くことなき好奇心こそ、ストレガの原動力であり、叡智の源なのだから。
「むかしむかし、我々ゴールディのゴブリンの祖先は、サウゼル大樹海の奥地で暮らしていました。ゴブリンたちは、ゴブリン、ホブゴブリン、ゴブリナ、ゴブリン・ロードなどの様々な種類が混ざって暮らしていた自分たちのことを、『混ざり物』と呼んでいました。
ゴブリンたちは自分たちの縄張りから出ることはなく、樹海で細々と暮らしていました。ゴブリンたちは果てなく続く、樹海に終わりがあること。森の外にも世界があることをまだ知らなかったからです。稀に世界の果てに挑むゴブリンもいましたが、誰も帰っては来ませんでした。混ざり物たちが樹海の外を世界を知るのは、『大脱出』を待つことになります。
(中略)
『大脱出』を経て、樹海の外に出たゴブリンたちは樹海の貴重な素材を求めてくる命知らずの人間たち――すなわち冒険者達を道案内してあげたり、樹海で採れる薬草を売りつけたりすることで、外の世界のものを手に入れることができるようになりました。
人間たちと親しくなったゴブリンたちはいつしか、他の土地に住む、亜人のゴブリンとは区別されるようになりました。それが、我々ゴールディのゴブリンの始まりです。
(中略)
混ざり物の一人に、ストレガという名のゴブリンがいました。そのゴブリンは、混ざり物の中でも特に賢く、そして一風変わったゴブリンでした。そのゴブリンは世界の全てを知りたいと願っていました。『大脱出』を生き延び、このシルバードまでやってきたストレガは、知識を集め、それを他のゴブリンたちにも分け与えるための施設を作りました。
皆さん、もうお分かりですね。それが最初のストレガであり、この学舎の創設者です。『初代ストレガ』は、こう言い残しています。
『我々が一人でも多く長く生き残る為、貪欲に知識を集め、それを求める良き者達に授けよ。良き隣人であれ。それは我々が窮地の時、我々に手を差し伸べるだろう。賢者であれ。我々が集めし叡智は世界を解き明かし、多くを救う術となるだろう』」
●
「この世界に1人でも多く生き残る為に」――初代ストレガ
ゴブリン達の国、ゴールディ自治領の首都シルバードの片隅に小さな学舎がある。それは「世界唯一の学校」と呼ばれるパンクリアース学園にはとうてい及ばぬ規模の施設であったが、創設から約二百年の歴史を持つ、教育機関』であった。この学舎は大脱出の英雄の一人である『ストレガ』が創設したものであり、ゴールディでも特に古い歴史を持つ建物の一つである。ここでは、人類では新参の底辺種族とされる小鬼たちが、鬼ばかりの厳しい世間で生き抜くための知識が授けられている。
「おお、ライブラさんじゃないですか。お久しぶりですね」
学舎の入り口にて。大きなバックパックを背負ったゴブリナの姿に気付いた黒服(ブラックデス出向のマフィア)は、ぶんぶかと大きく手を振った。
「守衛殿、久しぶりなのだ。館長に会いたいのだが、彼女はどちらに?」
ストレガ・L・リベルガストラは黒服にぺこりとお辞儀をすると、師の居場所を問うた。
「先代なら、畑の方で農学の授業中ですよ」
「シド殿は子供達の指導中か。ありがとう」
「おっと、荷物はお預かりしますよ。お部屋に運び込んでおきましょう」
「ありがとう、助かるのだ。ではよろしく頼むのだ」
ストレガが頷くと、控えていた黒服がササっとストレガのバックパックを担ぎ上げ、図書館へと運び込んでいく。身軽になったストレガは館長を探し、トコトコと歩いていった。ストレガは塾の校舎の裏にある畑へと向かった。彼女こそ、この学舎の所有者である今代の『ストレガ』だ。ストレガはこの学舎に伝わる叡智を先代から受け継ぎ、『ストレガ』を名乗ることが許された、数少ないゴブリンである。ストレガは自身の研究のためにちょくちょく仕事の合間に学舎には戻ってきているが、ここしばらくは冒険者稼業が忙しかったため、学舎に戻ってくるのは久方ぶりであった。
「何はともあれ、まずは師に挨拶をしなければ」
●
『独りで知を追い求めるには限界がある。知を求める同士に我が名を託し、更なる知を広く求めん。我等知を紡ぐ者』――初代ストレガ
ゴールディのゴブリンの最高指導者であった『世話係』他、多くのゴブリンと共にサウゼルを脱出した初代ストレガは、この世界に一人でも多くの同胞を生き残らせる為、脱出後はその生涯を見聞、記録と教育に費やしたと伝えられている。授恵者であり、賢きゴブリンであったストレガが残した様々な記録は、ゴールディにおけるさまざまな学問の礎となった。その魂はストレガが残した学舎と共に、現在の学徒たちにも伝えられている。
「さあ、肥料を撒くのはこのぐらいにしておきましょうか。一度にあげすぎると、かえってよくありませんからね」
「「はい、先生」」
先代のストレガにして、図書館の館長、シド ・S・アラマシアがパン、と手を叩くと、子供達は一斉に手を止めた。
「シド殿。お久しぶりなのだ」
「あら、ライブラ殿。お久しぶりね」
「この透明なテントは、新しい発明なのだ?」
「ええ、魔獣クラゲの皮で作ってみたの。日光は通すけど雨は通さないし、風も防げるから、中の気温を一定に保てるのよ。たまたま手に入ったものだから、たくさんは作れなかったのだけど」
「なるほど、流石シド殿なのだ」
この畑は図書館に近くに併設された小規模なものだが、収穫量は小さな村の畑のそれを凌駕する。農業の専門家であるシドの知識があますことなく注ぎ込まれた、叡智の結晶だからだ。また、サウゼル大樹海の端にあるという、シドの『本気の農場』は大陸の農業の十年先を行っているとさえも言われている。だが、あまりに高度過ぎるため、並のゴブリンでは再現が難しく、ゴールディ全域までは彼女の農法は行き届いてはいないのが現状である。ただ、たまにシドは都市同盟や辺境都市群の地主に教えを請われ、ストレガ式農法を伝授しに行くことはあるらしく、その際の指導料は学舎の運営資金にもなっている。
(歴代のストレガたちはみな、そうやって「知の力」を示すことでここまで歴史を繋いできた。私も、後世に知識を遺さねば……後の世代の同胞のために)
「ストレガさんだ!」
「冒険のお話、聞かせて!」
「きれいなゴブリナのお姉さんだー!」
ストレガがシドと話をしていると、子供達がわらわらと寄ってきて、あっという間にストレガは包囲された。どさくさに紛れて尻を触ってきた悪ガキゴブリンもいたので、ストレガは礼節と信賞必罰の重要性を子供達に教えるべく、愛の『重力場』をプレゼントした。
●
『同胞の為、未来の為、なにより自分の為に叡智の蒐集と研鑽を欠かさない。果てなき研鑽の中に多くの幸を齎さん事を』。――ストレガの教え
「それで、ライブラ殿は何の御用でここに? 風の噂では、サチコ殿や冒険者仲間と一緒に、サウゼルの奥を調査していると聞きましたが」
シドが尋ねると、ストレガは頷いた。
「うむ。忙しくなる前に、我らストレガについての記録を残しておこうと思ったのだ。『名もなき小鬼』の記憶も失われたことだし」
「そうですね。記録を残すことは大事なことです。私達の営みを未来に継ぐためにね」
ストレガの研究内容は自由である。同胞、そして隣人である他種族と共に、各々の手段で長く幸福になれる方法を模索するのがストレガの在り方だとされている。先代であるシドは、農学を専攻し、農業から同胞とその隣人たちが豊かになれる道を探している。今代のストレガは冒険者としての活動を通じて、料理や魔獣・クリーパーの生態など、世界中から貪欲に様々な知識を蒐集している。
「しばらく図書館に籠らせてもらうのだ。先代達が残した文書に、できるだけ目を通しておきたい。歴代ストレガについての記録も、少しまとめておくつもりなのだ」
ストレガがそう告げると、シドはにっこりと笑った。
「ええ、お好きなように。貴方が当代のストレガなのですから」
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『あらゆる物事を理知にて解せば事態に動ずる事もなし。言葉を解せば異種族もまた同士であり、見下しまた臆すこともなし。新たな知識の取得と研鑽に努め、またそれを求める者に広めんとす』――ストレガの教え
我が名はストレガ・L・リベルガストラ。ゴブリナであり、帝都崩壊と時期を同じくして授恵者として覚醒した冒険者であり、今代の『ストレガ』である。ストレガとは何なのか? 記録を残す上で、それについてまず説明しておこう。
まず、ストレガは長く名を残すが氏族ではない。血や種族によらず、『ストレガ』の意志と名を継ぐ者が指名される。とはいえ今のところは代々ゴブリン族の者が継いでいる。現ストレガである私も前ストレガとは師弟であるが、血族ではない。ストレガとは、初代ストレガの意志を継ぐ存在であり、思想の名であると言える。
初代ストレガは『混ざり物』の一人であり、『世話係』他多くのゴブリンと共にサウゼルを脱出したゴブリンである。脱出後は見聞、記録と教育に費やした。また、初代ストレガは壁画描きであったらしい。初代ストレガは蓄えた知識を同胞たちと分かち合うと共に、自らの思想を継ぐ存在を育てるべく、シルバードに『学舎』を創設した。
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ストレガの学舎には、大きく分けて二つの重要施設が存在する。一つは塾。ここでは、ストレガの学舎で教えを受けた先達が、ゴールディの子供達に文字の読み書きや算術の基礎、法律など、様々な内容の教育を施している。ゴールディには初等教育を行う施設がいくつかあるが、ストレガの学舎の教えの根幹にあるのは「生き残る」こと。そのため、護身術や、犯罪対策などについての指導も重視している。また、文字の読み書きや、算術を会得することは、生きていく術を学ぶことでもある。コソ泥やごろつきに身を落とすゴブリンは後を絶たないが、文明社会においてまっとうな職を持つことは、長生きと不可分である。諸外国に「犯罪都市」と呼ばれるほど治安が悪いシルバードにおいては、犯罪に巻き込まれそうな際に何をすべきか知っているか知っていないかは、寿命に直結するのだ。
※ゴブリンはヒューマンよりも成長の早い種族であるが、生物学的な寿命はヒューマンとそう変わらないのではないか、という学説があることをここに追記しておく。その説が正しければ、ゴブリンの平均寿命が短いのは生物学的な要因ではなく、社会的要因だということになる。なお、ロード種は天寿を全うした個体の観測例が少なく、確度の高い資料はこの学舎においてもまだまだ少ないが、ヒューマンより長命であるというのが通説である。
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学舎はシルバードにあるため、教えを受けているのはほとんどがゴブリンだが、学舎は異種族に教えを授けることを拒んではいない。また、希望すれば、金銭や労働を対価に、大人でも授業を受けることができる。ロスガリア大陸の識字率は一割程度(都市部でも五割を切るだろう)だと言われており、首都シルバードの識字率は都会ゆえにゴールディ自治領の中では高い方だが、他の国の大都市と比べると、まだまだ少ない。読み書きの習得は安定した職に就くための第一歩であるため、学舎は識字率の向上に余念がない。
『学びたいもの全てに教育を』。これはゴブリンではなく、パンクリアース学園の学園長フォルトゥナ・アルヴァ・クラティアスの言葉であるが、いつか全ての同胞たちに、教育を受ける権利が与えられることを、私も願うばかりである。
ストレガの学舎のもう一つの主要施設は、図書館である。ゴブリン族の歴史そのものが他の種族と比べるとまだ浅く、ゴブリンの識字率もまだまだ高くない為、蔵書量はリーンエス王国の王立図書館やパンクリアース学園の図書館はもちろん、その他の大都市の図書館には中々及ばないが、ゴールディ自治領内では数少ない、貴重な施設である。ここには、歴代のストレガの研究記録や、国内で書かれた著作、外国から購入された書物が色々と収納されている。
例えば、先代ストレガであるシド ・S・アラマシアの著作『熱帯地域における農法理論』。これにはゴールディ北部の土地に適した農作物や、栽培方法、肥料の選び方などが詳細に記されている。
例えば、『大脱出物語』。これはゴールディの歴史の曙である『大脱出』を題材とした絵本だ。他にも魔獣図鑑や料理のレシピ本、歴史書など、学舎の図書館には様々な蔵書が貯蔵されている。この図書館も、ストレガの知識を後の世につなげていくための重要施設である。
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ここまで書き上げた後、ストレガはお茶を淹れ、おやつ(樹海で採れた樹液を固めたもの)を食べ、一息ついた。
「さて。私の冒険者としての活動記録を入れるのも良いが、先代ストレガであるシド殿についても記録を残しておくのだ。シド殿の人となりが分かる、代表的なエピソードをいくつか……」
●『シドについて』(1)
あれは、私がまだ幼く、この学舎に入門したばかりだった頃のこと。その年、先代のストレガであったシドはこの学舎でカボチャを育てていた。その栽培方法は変わった手法で、「空中栽培」と呼ばれる方法をとっていた。通常なら地面に植えて育てるのが当たり前のカボチャが天井から吊るされ、まるで空中に浮かんでいるようになっていたことにも驚いたが、シドの育てたカボチャはどれもよく育っていたことも、特筆に値するだろう。
大量のカボチャの収穫を手伝った時、私は興奮した。この学舎にいれば、飢え死にすることはないだろうと安心したものだ。また、当時の食堂では、毎日必ずカボチャのメニューが出ていたことも、よく覚えている。煮物だったり、ポタージュだったり。シチューの具だったり。カボチャは毎日我々と共にありながら、自在に姿を変えていた。まるでシャルガネのシノビの如く。
限られた空間を上手に使い、カボチャの大量栽培に成功したシドの農業技術も素晴らしいが、もう一つ特筆すべきは、毎日同じ野菜を使っていながら、ゴブリン達に飽きを感じさせなかった料理長の手腕だろう。味もさることながら、食べる者のことを考え、手間暇を惜しまなかったその姿勢に、私は子供心に感心したものだ。少し話が逸れたが、その年の秋の日のことだ。私はゴブリンの怒鳴り声で叩き起こされた。私だけではない。早朝にも関わらず、多くのゴブリンが起きていた。
騒いでいたのは、守衛の黒服たちだった。どうやら夜勤の守衛がヘマをしたらしい。怒鳴っているホブゴブリンは、夜勤のゴブリンの胸倉を掴んでボコボコにしていた。何が起こったのかは寄宿舎から出れば一目瞭然だった。シドのカボチャが鉢植えごと、ごっそりとなくなっていたのだ。
その後、マフィア有志の捜索により、犯人はあっという間に捕まった。犯人は最近辺境からシルバードに移り住んできたゴブリンの一団で、いわゆる盗賊団だった(田舎のチンピラと言ってもいいが)。
「オラオラ! とっとと出てきやがれ!」
「さっさと出て来ねえと、火ィつけるぞ、コラ!」
「ひぃい……!」
マフィアの集団にアジトを囲まれた盗賊たちは震えあがっていた。恐らく、連中はシルバードに席巻する五大マフィアに喧嘩を売るつもりなどなかったのだろう。マフィアのアジトなどとは違い、大した数の警備員がいない学舎に目を付け、カボチャをまんまと盗み出したのだ。
しかしながら、ストレガの学舎に手を出すのは、極めて愚かな行動であると言わざるを得ない。初代ストレガの教えにより、学舎は「同胞、そして隣人である他種族共に長く幸福になれる方法を模索する」ことをモットーにしているため、研鑽してきた技術を自分たちだけで独占したりはしない。サウゼル大樹海で採れた新素材の研究などにも、ストレガの学舎が関わっている。
それはすなわち、シルバードに席巻する五大マフィア(とその傘下の凡百ファミリー)は、どこも学舎に恩を売って損はないということであり――ゴールディに出入りする他国の学者等にもストレガの学舎の叡智に一目置いている者がいる。率直に言うと、学舎に喧嘩を売ると、ゴールディそのものとまでは言えないまでも、ものすごい数の敵を増やすことになるのである。
「シド姐さん、こいつらのケジメはどうつけさせますか? 細かく刻んで畑に撒きやすかい?」
とっ捕まえた盗賊ゴブリン達をシドの前に引きずりだし、若頭ゴブリンは邪悪に笑った。すると、シドは苦笑し、穏やかに微笑んだ。
「まぁまぁ、ケジメだなんてそんな、物騒な。盗られたのは私のカボチャですよ。この人達には、半年ほど私の畑の農作業を手伝っていただきましょう。きちんとした仕事を与えれば、他人のものを盗ろうなんて思うこともなくなるでしょうし」
「そんな、それでは示しが……」
若頭が反論しようとすると、シドはニコニコと笑った。
「カボチャを取り返してくれて、ありがとうございます。組長さんにもよくお礼を行っておいてくださいな」
「へえ、分かりやした」
柔和な雰囲気を崩さないシドに毒気を抜かれたのか、若頭はすごすごと引き上げていった。盗賊たちが樹海にあるシドの畑に連行されていく姿を見送ったあと、シドはその光景をずっと見ていた私に話しかけてきた。
「ライブラ殿。あなたも見ていたのですね。覚えておいてください。暴力は秩序の為に今は必要です。人類で最も若いこの国はその成り立ちから、どうしても強力なリーダーを頂点とする、寡頭政治から出発せざるを得ませんでした。しかし、力で抑えつける統治はいつか限界が来ます。そうならないために、我々は力に頼らない方法を探すべきなのです」
頭を撫でながら言う師の言葉に、私は「はい」と頷いた。シドは同族のやんちゃには寛容な人だった。その慈悲深さと、彼女の思慮深さに感服した盗賊たちは、今でも彼女の畑で働いている。
●『シドについて』(2)
そんな慈悲深き先代ストレガだが、彼女の逆鱗に触れた存在もいる。これは、カボチャ泥棒の事件から数年後のことである。その日、私はシドと共に、大樹海付近の村落を回り、農業体験実習をしていた。体験実習といっても、その頃の私は学舎で数年教えを受けており、いっぱしの農家と遜色無い知識を身に着けていたのだが。実際には、シドと共に、辺境の原始的な農家に科学的な農法を指導して回る、『ストレガ』としての活動であった。体験実習は順調だったが、その日、立ち寄った村では、村人達はひどく深刻な顔をしており、何かただならぬことが起きていることを私は直感した。
「まあ、樹海から魔獣が……?」
「はい、フクロウみたいな顔をした、気色悪いクマが人里まで降りて来たんです……ともかく、普通の生き物じゃねえんです。すでに行方不明者も出てます。アンタら、シルバードから来たんでしょう。どこかの組の腕利きの殺し屋か、マフィアの連中を寄越すよう、頼んじゃくれませんか」
シドが事情を聞くと、村人は青ざめた顔でそう答えた。どうやら、樹海から魔獣が出てきて畑を荒らしていたらしい。死体は出ていないが、ゴブリンの犠牲者もいるらしかった。私は緊張しながら、師の様子を伺っていた。
「恐らく、『アウルベア』ですね。分かりました。私がなんとかしましょう」
ところがシドはなんと、自分が魔獣を狩ると申し出た。私は驚いた。平和主義者のシドらしくないとさえ思った。彼女が暴力や争いごとを嫌っていることを、知っていたからだ。
今にして思えば、危険な魔獣狩りは授恵者である自分がやるべきだという判断だったのだろう。エーテルを扱う獣である魔獣は、種類にもよるが、普通の獣とは脅威の度合いがまるで異なる。腕利きの狩人が何人いても、まるで歯が立たないことも多い。
『5メートルのヒグマと戦って勝てるか?』と言えば、読者諸君にも伝わるだろうか?
「魔獣狩りをするのなら、私も連れて行ってほしい」
しかし、私はシドにそう懇願した。魔獣の恐ろしさは学舎で聞かされていたので知っていたが、授恵者と魔獣の戦いを見学することは、知見を深めるまたとないチャンスだと思ったからだ。私がシドの腰にしがみつき、何度も懇願すると、ついにシドは根負けし、私を狩りに連れていくことを了承してくれた。
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地元の狩人と、おまけの私と共に樹海に入ったシドは、数時間でアウルベアの巣穴を発見した。どうやら彼女は猟犬のように正確に、魔獣の獣臭を嗅ぎ分けていたらしい(一般的な授恵者向けスキルとして習得方法が販売されているスキルにも、『超嗅覚』という嗅覚を強化するものがあるので、彼女もそれを使ったのだろう)。
巣穴から魔獣を追い立てる際、シドは猟師と私を下がらせ、たった一人で魔獣と対峙した。彼女の手には武器は無い。彼女の手にあるのは、一冊の古ぼけた本だけだった。
「貫け」
シドは手にしていた魔導書のページを開くと、短く呟いた。その瞬間、大地が錐のように隆起し、土の槍が巣穴に向かって大量に飛んでいった。そして、中から獣の物凄い吠え声が聞こえた。シドは何度も同じ魔法を放ち、巣穴に石の槍を大量に打ち込んだ。巣穴から、獣の鳴き声が聞こえなくなるまで。巣穴からズタズタになった魔獣の死体を引っ張り出したシドは、私達にこう言った。
「このアウルベアは学舎で解剖しましょうか。生態の研究が進めば、有効な対策が打てます」
当時は帝国崩壊以前だったので、私はまだ授恵者ではなかったし、世界全体でも授恵者は少なく、一握りしかいない超人だと言われていた頃だった。シドの凄まじい強さを目の当たりにした私は、彼女に一層の敬意を抱くようになった。
――彼女が強かったから、ではない。あれほどの強さを秘めながら、力での解決を良しとしない彼女の在り方を尊いと思ったからだ。
シドは先達の教えに従う敬虔なストレガの一人であり、平和を愛している。彼女は暴力での解決を良しとしないが、他に手段がなければ、力を振るうことにためらいはない人だった。彼女本人はマフィアを決して好んではいなかったが、その気質は、割とマフィアの頭目向きかもしれない。
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「――うむ、原稿割と進んだのだ。最後まで書き上がるまで、シド殿に見せるのはやめておこう。この章の最後の一文は怒られるかもしれないし」
図書館でずっと缶詰をしていたストレガは、うーんと伸びをした。
「まだまだ書き足りないことはあるが、ストレガの記録としては及第点なのだ。続きはまた今度、書くとしよう」
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「皆、世話になったのだ。また来るのだ」
翌日、自ら厨房に立ち、朝食を振舞った後(料理を食べた学舎の者達や子供達は感激していた)、ストレガはシド達に別れを告げ、学舎を立った。と言っても、最近は毎月のようにサチコからサウゼル大樹海の調査に関する依頼が出ている。一月もすれば、またシルバードに戻ってくるだろう。
(祖たるストレガは壁画描きであったらしい。サウゼルの奥地へ赴けば新たな壁画を発見できるかもしれない)
「世界は広いのだ。この目で見るべきもの、学ぶべきことはいくらでもある。そして、それを遍世界に伝えるのだ。私がストレガであるがゆえに」
ストレガの探究は続く。決して、彼女の好奇心が尽きることはない。冒険の際、彼女は充足感に満たされている。飽くことなき好奇心こそ、ストレガの原動力であり、叡智の源なのだから。
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メアリー王女が冒険者達の協力を得て稼働させた「王家の耳」。メアリーは無作為に集まってくる情報を、余人に及びもつかぬ閃きを持って分析しながら、今日も世界の動きへ耳を傾けている。
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