【DA】リーンエスの耳

レティシア・レインフィール/ ガレス・コーニッシュ

『ノベルタイトル:白夜、花舞う月の下』弓月 蒼
●睦月、朔風のこと

 1224年、初冬――――『慈涙(レインフィール)』伯爵領郊外。
 それは、ある程度丁寧に埋蔵され管理されて来た事が分かる。小綺麗な、けれど小さな墓標だ。

『王国』にはいわゆる“国教”の様な物こそないが、多くはシグモル式の作法に基き印を切る。
 そんな拝礼に従い一歩下がると、『夜に咲く白月』レティシア・レインフィールは後方を振り返った。

 彼女と入れ替わる様に、『黒槍の守り人』ガレス・コーニッシュが持ってきた白薔薇を墓前に捧げる。
 他に人は居ない。本来、同領の令嬢であるレティシアが護衛も付けず墓参りになど来る物ではない。

 だが、今日ばかりはと。我儘を通して彼女は2人きりになる事を選んだ。
 2人で訪れる事に――――意味があると信じた。ここは……彼女のかつての想い人が眠る地だ。

「お墓が有るだなんて……私は、つい先日まで知りもしませんでした」

 最後に、墓標の如くずっと携えていた首飾りに設えた指輪を外し墓前へ添える。
 そうしての帰路。雲間から木漏れ日が注ぐ静かな小路を歩きながら、レティシアはぽつりぽつり呟く。

 後ろを歩く黒槍の傭兵が、けれど彼女の言葉を一字一句聞き逃さないよう耳を傾けてくれていること。
 そこに疑いはない。だから彼女は後方を伺うこと無く、自分の速度で歩みを進める。

「処分を下したのは義母様でも、彼を殺したのは私です。
 勇気を出して、何もかも棄てる事を厭わなければ、私はあの人を救えた筈でした」

 それは、彼女が秘して来た罪。期せずしてガレスの罪を知ってしまったレティシアにとって。
 話さなければならない記憶。大切な、けれど蓋をし続けて来た思い出でもあった。

「けれど、そうはしなかった。今なら分かります。私はあの時“自分から手を離すべき”でした」

「――――どうしてですか」

 問いの声に、視線を落とす。自嘲にも似た想いで足を止めた。

「あの時の私には、何もかもが足りませんでした。覚悟も、意志も、知識も、力も。
 自分の気持ちを大切にするあまり、何が足りていないかを知ろうともしなかった」

 そんな中途半端なままで、この『王国(くに)』の仕組みと対立すればどうなるか。
 そこまで想像が至らなかった。幼い恋心に絡め取られて、その先についてきちんと考えられなかった。

 ただの街娘であれば、そんな若さ故の行動を指し“罪”とは言うまい。けれど『貴族』はそうではない。
 そうではないのだと――――知っていた筈なのに見逃した。それは訪れるべくして訪れた別離だった。

「本当は、これまで何度も。どうして、と想ってきました。貴族が平民や異種族と結ばれる話を聞く度に。
 どうして、私達はそうではなかったんだろう。どうして、救われなかったんだろう……と」

 空を見上げれば。日差しは雲に遮られ、曇天の兆しを見せて来ていた。
 雨か、或いは雪が降るかもしれない。と、手を空へと翳しては言葉を続ける。

「私は、奪ってばかり来ました。だから捧げないといけないと、そう想って来たんです。
 何も手元に残らなくて構わない。それだけ沢山の人から。あるべき未来を、奪って来たから……って」

 応じた背に外套が被せられる。薄く鞣した黒皮は思う以上に温かく、何処かほっとする。

「ガレス様が風邪を引いてしまいます」

「問題有りません。鍛えていますので」

 視線を逸らしながら淡々と応じる言葉に、思わずくすりと笑いが溢れる。
 やせ我慢ではないにせよ、柄でもない事をしている自覚は有るのだろう。新鮮な振る舞いだった。

 同時にそんな一面を知っただけでこうまで自分の心が踊る事に。驚きと共に再確認する。
 ――――困った事に。どうしようもなく……私はただ、この人と一緒に居たいだけなのだ……と。

 ■

「――――……え……!?」

 帝都奪還遠征より王国北境へと戻った直後、誰にも何も告げず姿を晦ませた黒槍の傭兵。
 ガレスの再訪は、年を越し半月ほど経った頃に突然。前触れ無く知らされた。

 折悪く、当時は多くの冒険者達もまた自らの今後の展望を見定め、或いは将来を決めるべき時節。
 普段より手紙の流通量が増えた結果、彼からの連絡は緊急性が低い物として後に回されでもしたらしい。

 同領の伯爵令嬢レティシアがその手紙を受け取ったのは。
 紙面上で彼が訪領すると連絡した日付の、僅か3日前のことだった。

 勿論。以前の様に何の事前連絡も無く突然訪れられるのに比べれば、遥かに時間的余裕はあったが。
 個人的友人と郊外で逢う……という話であればともかく。招いて歓待するとなれば根回しも必要だ。

 レティシアに関して言えば、少なからず心の準備もある。――――良い加減、先送りにも出来ない。
 覚悟はもう決めているが、話したいこと。聞きたいこと。どちらもあまり軽々しい物ではない。

 加えて実家に戻って数日。額面上は互いに平静を装いつつも、義母とは対話の機会を持てていなかった。
 こちらもあまり後回しにはしたくないが、レティシアもまた。今の状態では結論を出しきれない。

 そういった事柄を片付けようと思えば。3日という時間はあまりに短か過ぎて。
 いざ当日。殆ど無計画(ノープラン)での決行となってしまったのは、彼女自身ですら想定外だったが。

 ――――現在。郊外の村から少し離れた森の一角に腰掛けたレティシアは認識を改める。
 何せ周囲に人が一切居ない。最初は実家の私室に招こうかと考えもしたが、流石に赦されなかったろう。

 焦って予定を組んだ所為で他に何の準備も出来なかったが、そうなったのは彼女だけではなかった。
 侍女の目も、護衛の目もない。この場所でなら、彼女は“ただのレティシア”で居られた。

「ガレス様の事を、お聞きしても良いですか」

「俺の、ですか……あまり、楽しい話ではありませんが」

「私は、貴方の事が知りたいのです」

 ぐっと身を寄せ問うレティシアに。ガレスが押される様に身を引くが。
 詰め寄られては言葉を濁すのも難しく、結局押し負けたように。彼もまた思い出話に応じる事を選んだ。

「俺が実の父を追い詰め殺し掛けた事は、以前話した通りです。それで、一番傷付いたのは母でした。
 自暴自棄になった母はある日出掛けたきり、消息を絶ち。そこを気に留め拾って下さったのが」

「……『白銀(クラティアス)』侯爵家、でしょうか」

「ええ、フォルトゥナ様です。2年ほど『白銀(クラティアス)』に世話になりました。
 その後『黒槍(コーニッシュ)』に引き取られ更に2年。以後は伯の元で騎士を務めていた……と」

 額面通り受け取れば。各地を転々としていた。……ただそれだけだが。
 その実情が厄介払いであり盥回しであることくらい、貴族であるレティシアには分かりきった話だ。

 直接的に“大切な人の命を奪った”自覚があるレティシアに比べれば。ずっとずっと、罪がない。
 もう、十分な筈だ。償った筈だ、命すら賭けて。良い筈だ――――彼が、幸せになったって。

「帝都で、お話したことを憶えていますか」

「……はい。……あの時、俺は“これ”を抜くべきでした。それで救える生命が在った」

 背負っていたそれ。“生命力を糧とする”という武器は幾つか聞いたことがあるが。
 寿命を削る、という曰く因縁付きの神具『黒槍』……初めて説明された時は、絶句した物だったが。

「『黒槍』はコーニッシュの象徴。失礼ながら、本来はアルガス様が持つべき物なのではないですか?」

「ええ、本来は。なので解放にも許可が必要です。が、義弟(アルガス)は誇り高い男だ。
 自らが負い切れない荷だからと、仮初の義兄の命で補うなどまず赦さなかったでしょう」

 元より。『黒槍(コーニッシュ)』にとっては“抜かない”事が一門の誇りだと彼は語る。
 強大な力を有すれど、それを振るわない事に意味を持つ。如何にも武門らしい拘りではあったが。

「でも、ガレス様は抜きませんでした」

「……それは、違います。抜けなかった。……最後の最後で怖気づいたのです」

 困ったような淡い笑み。それが真実全てではない事を、彼女は誰より良く知っている。
 生きて欲しいと。槍を使わないで欲しいと。そう願ったのはレティシア自身だったのだから。

 ■

 であれば――――降って湧いたその感情に、一体何と名付ければ良かったろう。
 自分のことを純粋無垢だなどとは想っていないが、世間知らずであることはある程度理解している。

 そんな彼女をして。今からしようとしている振る舞いは決して褒められた物ではないこと。
 貴族令嬢として以前に、淑女として“道理に則った物”ではないことは分かっていた。

 けれどそれでも。言葉にしてしまうまで踏み込んだのは。もう、後悔はしたくないから。
 これまで散々に心配させられて来た。泣かされて来た意趣返しの部分が一切無いとは言わないけれど。

 きっとそれ以上に……そう。それ、以上に。

「……実は、集権派から婚約話が来ています」

 槍を立て掛け隣に座るガレスまで、互いの距離はレティシアの足でも半歩ほど。
 其処からは断固近付いて来ない彼へ、何処か恨めしい様な気持ちで視線を向ける。

「? レティシア殿には婚約者がいらっしゃった筈では?」

「――――レティシア」

「! ……こほん。レティシア、には決まった方が――――」

 伝えていないのだから、当たり前ではある。当たり前なのだが、痛みがちくりと胸を刺す。
 元々騎士であるガレスにとって、それは当たり前の作法でしか無いのだろうけれど。

「解消になりました」

「――――待って下さい、どういう事ですか。それは」

「……『白銀の薔薇』。オルファレナ様はウィリアム王子の側室になられると聞きました。
 私が貴方の力になりたいと想えば、『集権派』に嫁いだ方が何かと……」

「ば、な、そんな、馬鹿な理由で――――」

 そう。馬鹿な理由だと自分でも思う。だってこれは、恩返しですらない。
 3日でどうにか準備出来た白い花。本来、もう少し寒くなってから花を咲かせる寒白菊。

 小鞄(ポシェット)に隠した小ぶりな花束(ミニブーケ)を差し出すと。
 ずっと言いたかった。伝えたかった事を口にする。

「とっくにご存知だと思っていました。私は……レティシアは、それほど賢くはない女です」

 花言葉は“自分に誠実”それと――――

「……っ」

 理解出来ない程に鈍くはない。それでも、混乱の極みと言った体で黒槍の傭兵は視線を泳がす。
 以前であれば、怯んでいたかもしれない。けれど、彼女は言葉を続ける。

「貴方が生まれたこと。貴方と出逢えたこと。貴方が生きて、此処に居て下さること。
 例え誰がそれを過ちだと言っても、私はそれに感謝します。きっと、この世界の誰よりも」

 呼吸が止まる様な空白があった。呆然と見返す彼の目には間違い無く迷いがあった。
 彼は咎人であり、根無し草の傭兵であり、力はあれども寄る辺はない。

 王国貴族の令嬢の傍らに在るには、まるで相応しくない事は自身が一番良く分かっている。
 そう、彼女の言葉を借りるなら。“自分から手を離すべき”――――人間だ。

 其処まで理解っていて。では、何故、その通りに振る舞う事が出来ないのか。

「――――ガレシウス様。私は貴方を愛しています」

●初陽、雪融けのこと

 いつから、だったろう。
 初見の印象は、見るからに貴族令嬢然とした。どちらかと言えば苦手な部類の相手だった筈だ。

 貴族出身者の例に漏れず。彼にもまた“冒険者”という職種の人間への偏見にも似た先入観があった。
 自由の徒。何者にも縛られず、如何なる責任も課せられない。そんな存在に頼って何になるだろう。

 何故そんな業種に、わざわざ貴族の令嬢が就いているのかは不思議ではあったが。
 恐らくは道楽の類だろうと。そう軽く捉えていた。出来れば距離を取っておきたい人種ですらあった。

『貴族』の恐さは骨身に染みて理解している。彼らが時にどれ程の傲慢と独善を為し。
 その無頓着さが理不尽に不特定多数の人間を災うか。自らの身に流れる血を、一体どれほど呪ったか。

 けれどそんな彼を掬い上げたのもまた貴族であり、この『王国(くに)』に在る以上血の縁は避け得ない。
 騎士と言う道を選んだのは半分は世情の必然。残り半分は贖罪の意味だったが……それと同時に。

 この血を“流す”ことで、誰かを護れるのであれば望む所だと。そう思ったが故だった。
 であれば彼にとって、貴族令嬢とは本来忌避すべき対象でしかない。

 ――――そうだった筈だ。そうでしか――――無かった筈だ。

 それが、杖より重い物など持った事すら無かったろう細腕で死地に赴くに至り。
 彼女が冒険者という仕事を、決して道楽として行っている訳ではない事を理解した。

 髪色と振る舞いの何処と無い危うさから、故郷の妹を連想し放っておくと気が咎めた。
 何となしに世話を焼く間に、縁とも偶然とも異なる無名の関係が積み重なっていく。

 こんな命いつ溢しても構わない。そんな物を必死に救おうとする様に気付けば目で追うようになった。
 生きて欲しいと。置いていかないでと訴えられて、途端に良く分からなくなった。

 彼女は俺にとって何者であるのか。俺は――――彼女にとって何者であるのか。
 衝突した。否定した。距離を取る事を選んだ筈だった。それでも彼女は追い掛けて来た。

 突き放す事が出来なかった。一度、きちんと向き合おう。言葉を交わそうと心に決めて。
 死の淵で漸く気付いた。これが、未練であること。誰かに惹かれるという事であることに。

 いずれ何処かで果てる命。それで良いと見限った生。その筈だった。
 そんな生ける屍同然の男が、人を好きになどなっても碌な事は無いだろうに。

 何を求めた訳でも無かった。どうなりたい訳でも無かった。ただ、そんな喜劇めいた出逢いに。
 こんな死にたがりの男に生きろと訴える。そんな彼女と道が交わった奇跡に感謝した。

 幸福など望みはしない。俺に配る分が余っているならば、あの涙を止めてやってくれ。
 代価に何を捧げても惜しくはないと。初めて、自分の生に価値を見い出した。

 君がそう望むなら、この生命は明日終わっても悔いはない。
 けれど君が望むなら――――俺は泥を食んででも、今日という日を生きていこう。

 それで良かった。十分過ぎる程のものを受け取った。それ以上、何も望んでなどいなかった。



 ―――――いなかった、筈だ。



「……貴女は、酷い女性(ひと)だ」

 握り締めた拳は、血が滲むほど。耐えるにはそれだけの自制を必要とした。
 眼前に差し出された花束は、彼女からの贈り物の中でも最も重く、最も欲した物だった。

「……知っています」

「俺は、貴女が幸せになれたらそれで良かった。嘘はない。十分な幸運だった。
 これまでの全ての痛みと、苦しみの対価がこれだと言うなら、俺は何度でもこの生を選んだろう!」

 それでも、彼にその手を差し出す権利はない。差し出してはならない。
 与えられた物を賜るだけの人間が、彼女を幸せにすることなど出来はしないからだ。

「その手を引き、この地から攫ってしまえば良いのか。それで貴女は幸せになれるのか。
 この身を賭して、戦って死ねと言うならば如何なる死地だろうと恐れなどしないと言うのに……」

 2人の距離は。レティシアの足でも、半歩ほど。

 ■

 酷いことをしていると。その自覚が、レティシアにはある。
 これほど苦しんでいる愛する人の姿を見て、辛くない訳がない。哀しくない訳がない。

 けれど――――ああ、そうか。漸く、“お母さん”の気持ちが少しだけ理解出来た。
 愛していた父の元から、何故何も告げずに姿を晦ましたのか。一番綺麗な思い出で、居たがったのか。

 彼の慟哭からは、同時に。息が詰まるほどの愛情が。大切に想われている事が伝わってくる。
 それを愛している人から向けられるのだ。嬉しくない訳が、ない。

 こんなにも真っ直ぐな気持ち、向けられてみなければきっと分からない。
 もし――――この瞬間が永遠だとしても。きっと、後悔なんてしない。

 でも。
 レティシアは“お母さん”よりもう少しだけ我儘で、強欲で、ずるい事を憶えてしまった様だった。

 冒険者として、沢山の物を見て来た。多くの貴族と対して来た。様々な愛の形を目の当たりにして来た。
 答えはいつだって一つではないこと。貴族と平民でも、異種族でも。巡り合わせが許せば結ばれ得ること。

 臆病な自分に今だけ目隠しをする。1人は、もう嫌だった。
 お父様と和解出来ても、家族にどれだけ負い目があっても。この気持ちにだけは嘘を吐きたくない。

 “幸せにしたい”と――――心から願った。ただ一人の人にだけは。

「――――でしたら」

 自分を偽る事はない。だって、レティシアは一緒に幸せになりたい人を見つけた。
 例えその先にどんな障害が待ち構えているとしても。もう何も知らない子供ではない。

 最後は必ず“ハッピーエンド”にするのだと。今なら。自分から一歩踏み出すことだって、出来る。

「私(レティシア)を、貴方(ガレシウス)のものにして下さい」

 手を引かれた。寒白菊の花束(ミニブーケ)が宙を舞う。一瞬で、想い人の腕の中におさまっていた。
 以前であれば身動きが取れなくなっていたろう。今でも、心臓が早鐘を打っている。

 余裕なんか一つも無い。一つも無いけれど――――ないからこそ、それは自然に。
 見上げれば、澄んだ黒が間近に在った。いつでも、どこかずっと哀し気な色を湛えていた夜色の瞳。

 其処にレティシアが映っている。まるで夜空に佇んでいるかのように。
 体温を感じるほど近く。もしも今、もう少し踵を浮かせれば、きっともっと――――近くに見える。

 夜と月が重なり。寒白菊が冬の風に揺れた。

 ――――――――
 ――――――
 ――――

 そうして、暫し。
 日は傾き、最寄りの村はともかくも。レインフィールの本邸に帰るのは最早容易でない時間帯。

 互いに言葉少なに寄り添っていた2人は、はたと。すっかり時間を忘れていた事に気が付いた。

「――――乗合馬車は」

「……もう最終のものが出てしまっているのではないか、と」

「俺は自前の騎馬を留めてあります。何であれば後ろに載って頂ければ送る事も不可能では――――」

「この寒空の下、そんな事をしては風邪を……」

「鍛えているので問題有りません」

「いえ、ガレシウス様ではなく私が……?」

「~~~~~ッ!!!!!」

 くすくす、とレティシアが笑いを溢すのを、額を抑えたガレスが横目に見遣る。
 勿論、貴族令嬢たる者婚前交渉は如何なる理由があれど厳禁。傭兵など以ての他である。

 其処の所は互いに承知の上ながら、では“朝帰り”はと言えば、これが安全圏(セーフ)の訳がない。
 むしろ貴族の常識に則るなら、未婚の令嬢が独り身の異性と2人きりの時点で有罪(ギルティ)なのだが。

 それについては最早どうこう言っても仕方がない。仕方がないと、覚悟を決めるしかない。

「……近々、挨拶に訪問させて頂こうと思います」

「お父様はともかくも、お義母様は烈火の如く御怒りになられるかと思います」

「だとしても、『幽界樹の仔』ほど恐ろしい手合いでは無いかと」

「それは……どう、でしょうか……?」

 顔を見合わせ、今度は2人揃って笑いを殺し俯く。その視界に、ぽつ。と影が落ちた。
 最初は1つ。次いでまた1つ。はらはらと、大地に白が舞う。

 驚いた様に見上げれば、空からは雪の花片。目を見開いたレティシアを、ガレスが抱き寄せる。

「その、ごめんなさい。雪は、苦手で……」

「では必ずや御護りしなければなりませんね。どうぞ離れないで」

「……はい」

 雪の帰路。黒い外套が白に染まる。振り募る雪化粧は止むことなく。凍えるような寒さと共に。
 けれど、2人で歩く夜道は何処かぽかぽかと温かく。心と、身体を癒して行く。

 雪融けの夜。互いの幸福を願い続けた銀月と黒槍は漸く、同じ1つの道を歩き始めたのだ。

 ■

「――――断じて認めません」

 そう言い放ったのは、レティシアが家族内で最も恐れる義母、グレイローネ・レインフィールであり。

「必ず、認めて頂きます」

 真っ向からそう応じたのは、『黒槍』の傭兵ガレス・コーニッシュであった。
 尚、この場面にレティシアが居合わせなかったのは、彼女の父親の最大限の心配りである。

「無理に娘を拐かすと言うのであれば、『黒槍(コーニッシュ)』へ苦情を伝えさせて頂きます」

「私とて何も最初から御令嬢を頂きたいと言っているわけでは有りません。
 この身がレティシア姫の相手に相応しいか、どうぞ御婦人のその審美眼で御確かめ頂ければ」

 膝を付いて応じるガレスに、グレイローネは厳しい眼差しを向ける。
 正直、彼の傭兵に利用価値は然程無い。何せ貴族界に悪名高き“叛逆の騎士”である。

 貴族らしく名声を重要視する彼女にとっては、路傍の石よりは少しだけマシ、程度の人間であり。
 レインフィールの地盤を補強するのに役立つとは思えない――――ただし、今の所は。

「……そこまで言うなら、見定めてあげましょう。ですが、私は甘くありません。
 貴方にそれだけの価値がないと見切ったなら、即座に縁を切って頂きますわ」

「それは、了承と受け取って構いませんか?」

「傭兵風情が調子に乗るんじゃありません。精々情状酌量が付いた、程度で喜ばないことね」

 つん、と澄ました素振りで視線を外して見せるが。勿論、この様なやりとりは茶番に過ぎない。
 グレイローネの側にも打算がある。ガレス・コーニッシュ。

 本名ガレシウス・アルヴァ・クラティアスは『王党派』の重鎮、『白銀』の第一子である。
 これは彼女が独自にレティシアの動向を掴む際偶然手に入れた情報だが、裏付けのある確かな事実だ。

 であれば、彼は第二王子に嫁ぐ『白銀の薔薇』の兄。『集権派』公爵家側室の兄という立場に在る。
 現時点ではあくまで側室の、でしかないが。これが男子でも宿せば一気に話は変わって来る。

 例え家を出て傭兵稼業などに身を窶していても、その事実は決して無視出来る物ではない。
 下手に『集権派』へ転身したばかりの新参貴族より、盟主家との繋がりと言うのはそれだけ大きいのだ。

 少なくとも。見極めという名目で時を稼げるのであれば、選んで損の無い選択肢ではある。
 ――――と。生粋の貴族であるグレイローネが判断するに十分なほどに。

「良いですわね。私はあくまで貴方を認めたわけでは無くてよ」

「承知しました。では認めて頂けるよう尽力致しましょう」

 ……そして、そんなグレイローネすら知らない事ではあるが。
 かつて『黒騎士』と呼ばれていた頃。彼の男は主に騎士団の“難題処理”の専門家として振る舞っていた。

 暗闘暗躍は日常茶飯事。限りなく暗殺者に近い処理を担った事も1度や2度ではない。故に。
 彼女が家柄を極端に重視する人間だと知り、面会直前に自らの素性を彼女に流したのはガレス当人である。

 今頃、予期せぬ臨時報酬を受け取った山猫は麓の街で豪遊している事だろうが。

(差し当たり諜報能力の目測は付いた。となると……問題はやはり彼女の義兄の方か)

 どうも独自に“そういった”手段を持っている様な感触のある、もう一つの難題を脳裏に置きながら。
 ガレスは視線を赤い絨毯(カーペット)へと向け続ける。

 使える物は何でも使う。目的達成の為であれば手段は問わない。それがこの男の本質であり。
 ――――それは、本来権謀術数渦巻く貴族社会でこそ最大限に効果を発揮する資質である、と。

 他ならない、彼自身が誰より良く理解していた。ただ、これまでは活かすべき場所がなかっただけだ。
 月の姫想う黒の騎士は、かくして新たな戦いへと足を踏み出すに至る。

 白夜、花舞う月の下。結んだ誓いがいつの日か、2人の前途を仄明かく照らし出すことを願って。

assignment【DA】史実ノベル 関連特設ページ

メアリー王女が冒険者達の協力を得て稼働させた「王家の耳」。メアリーは無作為に集まってくる情報を、余人に及びもつかぬ閃きを持って分析しながら、今日も世界の動きへ耳を傾けている。
集まった情報の中には、世界の情勢に影響はないかもしれないが興味深い個人の記録があるかもしれない。

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アーカイブ生成日時 2026年08月05日 14時56分25秒 ・ world0