【DA】リーンエスの耳

ハリス・アル・ターミル/ トゥーリ
フェイサル・セイフ

『ノベルタイトル:新たな時代に芽吹く息吹』かもめ
「旦那ァ、着きましたぜ」
「うむ……ありがとう」
 駄賃を手渡し、代わりに荷物を受け取る。良く晴れた初夏の日だった。
 帝都シルトラースを舞台に繰り広げられた授恵者らと『天霧りに消ゆる幽界樹』や帝国皇帝『ヨゼフ・バルダス』。それに――征竜との世界の命運を決する闘いから、早くも数カ月の時が経っていた。
「ここが、あの二人の選んだ地か」
 フェイサル・セイフは街並みを見渡して、そう独り言ちる。決戦を終えて、その後の行く末を語り合った夜。親友たちは言っていた。

『大陸各地に農業の力を届けたい』
『同胞(半獣)たちのためになりたい』

 そんな彼らが目的の為に選んだ土地である。さぞかし、良い土地なのだろうな――と思いは巡る。
「旦那、大丈夫ですかい?」
 馬車を降りるなり呆けたように立ち尽くしていたフェイサルに、御者の男が声を掛ける。リーンエスからこちらの旅すがら、世話になった男だ。
「あぁ……大丈夫だ」
 行っていいと軽く頷けば、馬へと鞭をくれて馬車は漸く動き始めた。乗合馬車はこれから更に北上して、帝国領に向かうのだという。なるほど、ここは王国と帝国の玄関口に近い。王国は北方辺境伯ことメルヴィン・トマス・アーチボルトが治める領地の中の一村落だった。
(さて、二人はどこにいるのやら)
 到着したら新居を訪れて欲しいと手紙には書いてあった。
 だが、はて。どうやってそこまでたどり着いたものか。

 フェイサルは手近な住民へと声を掛ける。
「忙しいところ手間を取らせて済まない。『双星』の住まいはどちらだろうか」
「双星……? あぁ、騎士団の」
 二つ名を出せば、思い当たる節があるのだろう。農作業の手を止めて、男がフェイサルへと答えた。
「そう、それだ。知っているだろうか」
「それならこの道をずっと行った村の反対っ側、北側の柵のところに新しい家が建ってるでよ」
「そうか。感謝する」
 どうやら王国側とは逆、帝国に近い側に彼らは住居を構えているらしい。経緯を考えれば二人らしくも、そんな位置の仔細を手紙に書き忘れる辺りは変わっていないなと納得する。ややたどたどしい筆致で書かれた文は、主に二人の内の細君側――トゥーリが認めたものだろう。そんな妻の様子を横で見守っていたであろうハリス・アル・ターミルの姿も想像するだに容易い。
(さて、二人は元気にしているだろうか)
 友らの顔や声を思い返しながら、フェイサルは改めて荷物を手に取り、歩き始めた。

 街道沿いの要衝とは言え、まだそこまで大きくはない村落である。反対側と言いつつも、フェイサルの脚で十分ほども歩けば村落の端が見えて来た。確かに村人のいう通り、村落と外界を隔てる木の柵の――外側に、真新しい家が一軒建っていた。周りをぐるりと畑で囲まれているあたり、あれが目的の家で間違いないだろう。

●
 目の前にたどり着いてみれば、家の前には彼ら二人の名前が刻まれた板が掲げられている。その横に彫られているのは家主らの姿を模したものだろう。そう言えばトゥーリはいろいろと手先が器用だったなと、そんな事をフェイサルは思い出す。

「ハリス! トゥーリ! 二人とも居るだろうか。私だ」
 これまた手製と思しきノッカーを叩いて呼びかけると、ややあって中から声がした。
「フェイサルさん!」
 あの声は――トゥーリに違いない。パタパタと駆けるような足音がして、ドアが開かれる。
「いらっしゃい! 遠いところお疲れさま。迷わなかった?」
「うむ。大きな問題は無かったな……誰かが家の位置を書き忘れたせいで、村の反対側で馬車を降りてしまったが」
「あっ!? ごめんなさい!」
「まあそこまで大したことじゃない……ハリスは?」
「うん、今ちょっと明日の料理に使う為のお野菜とかを採りに行ってる。すぐ戻ってくると思うよ」
「なるほど。では中で待たせてもらっても?」
「もちろん。ささ、入って入って!」
 旧知の仲の気安さで軽口混じりに互いの無事を喜び合うと、トゥーリはフェイサルを自宅へと招き入れる。まだ切り出したばかりの木の香りが漂う家の中は、十分な広さながらも質素で小ぎれいにまとめられていた。片隅に農具や紡ぎ車が置かれているのが如何にもトゥーリやハリスの住まいらしい。

 トゥーリに勧められるままにフェイサルが食卓の片隅に腰を下ろして長旅の疲れに一息吐いていると、そうこうする間にハリスが帰宅した。ここに来て幾らか精悍さが増しただろうか。騎士団と、農民と。二足の草鞋を履いている友の近況を慮るフェイサル。立ち上がってハリスへ歩み寄ると、ハリスも遠方からの友の訪問を心から歓迎するのだった。
「フェイサル殿! 遠いところ、私たちの為にありがとうございます」
「なに。ハリスとトゥーリの婚礼の儀ともあれば駆け付けない訳にはいくまいて」
「ハハハ。それは嬉しい限りです……トゥーリ、食事や寝具の用意は?」
「大丈夫、ぜんぶバッチリ終わっているよ!」
 採って来たばかりの野菜を籠から出しながら、ハリスがトゥーリへと問いかける。明日の婚礼の儀を楽しみにしてきたのだろう。今日のフェイサルの訪問も含めて、一切の段取りを事前に想定したのだと胸を張るトゥーリ。その若妻の様子を、ハリスは穏やかに微笑みながら見守っていた。
 そんな若夫婦の掛け合いを、フェイサルは眺めてポツリと呟く。
「しかし……こうして見るとすっかり二人とも夫婦としての振る舞いが板についてきたな」
「「えぇっ!?」」
 驚嘆の声は二人同時。そんな様子を見て、フェイサルは改めて笑う。

 この三人、知己となっては既に早三年以上。ハリスとトゥーリが恋人同士となってからは二年強の月日が経っているが――決戦の後に旅路へと別れてから比べても、尚一層に二人の仲が縮まっているのを実感できる。とは言え離れていたのは数カ月ほどでしかないのだが。
 それでも、短い期間でも着実に彼らは前へと進んでいる様子がフェイサルの目には明らかに見え、友らのそんな新鮮な一面を見ることが微笑ましくも嬉しい。彼は差し出された茶を啜りつつ、改めてハリスとトゥーリに向き直って語り掛けた。
「いや、しかし上手くやっているようで何より。そして、結婚おめでとう……ハリス。トゥーリ」
「祝辞には一日早いようですが……いやはや。ありがとうございます、フェイサル殿」
「うんうん。こちらこそなんだよ。暫くはゆっくりして行ってね?」
 和やかな歓談の種は尽きることが無い。旅の荷ほどきや野菜の始末もそこそこに、三人は改めて話に花を咲かせた。いくつかの文のやり取りはあったとは言え、そこには書ききれないことも多い。トゥーリとハリス、二人して北方辺境伯騎士団に身を寄せることになった経緯や、この地に住まいを構えるに至った近況。フェイサルの方にも、数カ月来――世界を旅して見聞きした決戦後の情勢や話の種は、それこそ星の数ほど挙げられた。

●
 話し込んでいると、いつの間にか話題はハリスとトゥーリが住まうこの村の内情へと移っていった。
「もう、村の中は回ってみた?」
「いや……まずこちらにという話であったから、中央の道を真っすぐ歩いてきただけだ」
「それならば、一休みしたらぐるりと歩いてみましょうか。夕餉には少し時間があります」
「それがいいよ! ハリスさん、お願いしていい?」
「ええ、もちろん。フェイサル殿が構わなければ」
「それでは、お願いしようか」

 元は今よりも更に小さく、街道沿いに馬を休める為のささやかな厩舎と掘っ立て小屋があるばかりの土地だったのだという。その戦略上しっかりと統治する必要性を以前から指摘されてはいたのだが、人手不足の余波を喰らって満足に手を入れ切れていなかったらしい。
「それを、私とトゥーリで預かる形になりまして」
 授恵者、冒険者としての実績は確かなハリスとトゥーリの二人ではあるが、その一つひとつを村人らが詳らかに知る由もない。それに――ここは辺境とは言えリーンエス王国の版図内。唯人(ヒューマン)の国なのだ。いくら大層な肩書(『双星』の二つ名)が付いていたとしても、人々の見る目は厳しい。
「まずは最前線でもあり、かつ、重要な拠点であるここをしっかりと管理して見せよという訳ですな」
 からりと笑ってみせるハリスの横顔に、フェイサルは頷く。
「なるほど……大変、ではないか?」
 何にと問いかけることはしない。それは彼女に、そして目の前の親友に失礼にあたる。とは言え、付き合いの長さで言えば――やはり、ハリスの方が長い。同族の誼もある。自然と親友の身を案じるのは不思議ではないだろう。
「あぁ……いえ、これは私が望んだことでもありますし」
 それに、とハリスは言葉を続ける。
「この一帯は中々に土地の質が良い。交通の便も良いですし、試験場を建てるには申し分ないのですよ。そんな土地をここまで広く使えるのですから、私から何かこれ以上求める積もりはありません」
「なるほど」
 農耕を得てとするターミル族の一員として、ハリスが農業の改善に心を砕いていたのは以前からフェイサルとて知るところ。彼のそんな目的に合った土地ということであれば、いくらかは心配の種も消えた。
「その上、トゥーリも側に居てくれますしね」
「ハハハ! まさかハリスからそんな惚気を聞ける日が来るとはな。だが……そんな言葉は奥方に取っておいた方が良いのではないか?」
 変わらないようで、変わっている。以前の彼からは想像できないような変容振りを目の当たりにし、フェイサルは笑った。一つの事に――魂の階梯を高めることに――血道を上げるのは竜人(リザードマン)としての生まれ持った性ではあるが、それ以外にも生きる意味を見出したというのは喜ばしい。それを齎したのが二人の共通の親友であるならば、猶更のことだ。この場にはいないトゥーリの話題を交えつつも、二人は歩いて行く。
「いずれにせよ、楽しくやっているようで良かった」
「それは、もう。本当に」
 苦笑しきりのハリスはフェイサルを先導して自らの住居の裏手へと回る。そこにはかなりの広さを持った畑が広がっていた。
「これは……なるほど」
 近くには細いながらも水のきれいな川も流れており、用水にも事欠かないだろう。土を見てみれば適度に柔らかく、栄養も豊富な良いものであることがフェイサルにもすぐに判別できた。
「これならば品種や栽培法を試験するにも困らなそうだな」
「ええ。色々と試行錯誤するには十分かと」
 幼い頃から農業を修め、土や畑と共にあったハリスの事だ。こうして新居の横にも試験農場があるというのは如何にもハリスらしい。着実に夢の実現に向けて、地歩を固めている姿が見て取れた。
「あとは……そう、この辺りはまだ未開というか、村としての整備が追い付いていない場所も多いので」
 北方辺境伯の領地を彼から預かる騎士として、周辺の住民たちの生活向上の為の指導や助力も――また、双星の二つ名を戴く(幹部としての責任を持つ)ハリスとトゥーリの二人には任務として課せられているのだとか。

 村落の外れにあるハリスの畑は少し小高い丘に位置しており、見下ろせば村落全体を見渡すことが出来た。
「ソーレ村を思い出すな」
「ええ、フェイサル殿もそう思いますか」
 脳裏に浮かぶのは、一度崩壊した帝国内にて『再発見』された一つの村。そこへ人々が集まり、亜人たちが集まり。集落として再興していく様子をフェイサルとハリスの二人は見守ってきた。その過程では、彼らの持つ医術や農業技術、土木技術などを住民へと伝播させる教育も数多く行う必要があった。
 そうした過去を踏まえると改めて、今回ハリスとトゥーリが騎士団の一員として与えられた任務はその記憶によく酷似している。
「一度は上手くやったのだ。それに、トゥーリもいる。ハリス……君なら上手くやるだろう」
「そう願って貰えるとうれしいですね」
 畑をぐるりと見回って、二人は村落の中心部へと向かう。そこには少し大き目の広場に、教会や作業場などがまとまって建てられていた。何頭か馬が繋がれた厩舎のある大きな建物は宿屋だろうか。
「思ったよりもしっかりしているな」
 行きがけに通りかかった際にはそこまで目を向ける余裕が無かった。改めて村の様子をみて、フェイサルは感嘆する。都市部のような整った石畳や華美な装飾の類はここには無いが、人々が日々の暮らしを恙なく送る、質実剛健な備えがあった。
「やはり、帝国との交通路に面していることが理由で、存外に訪問者が多いのですよ」
 だからこそ、王国としてもこの地をしっかりと勢力下に収めておく必要がある――ということか。新任とは言え、騎士団の幹部級を二人も寄越すというあたりにその重要度が見て取れた。

「明日は、この教会で?」
 教会といっても特定の神を祀ったものではない。雨風を避けるための屋根や壁に、簡素な祭壇。それに講話を見聞きするための長椅子が数脚ある程度の簡素なものだ。その中で幾人かの村人らが掃除や飾りつけを行っていた。中へ入ってきたハリスとフェイサルに視線を向ける村人らに、答えながらハリスはフェイサルに首肯する。
「ええ……皆さんも、色々とありがとうございます」
 軽口を叩きながらも作業の手を止める事はない村人たちとあれこれと言葉を交わしながら、ハリスは一通りを見て回る。その様子を見るに、まだこの地に赴任して間もないにもかかわらずハリスが村人らと信頼関係を築けているのがフェイサルにも感じられた。
「明日への準備であれば、私も手伝おう」
 元よりその積もりで早く着くように算段してきたのだ。ハリス夫妻と夕食を共にするにしても、少し時間があるはずだった。

「お二人の希望でねぇ。そこまで盛大な式にはしないみたいなんですが」
 自宅にて所用があるというハリスと別れたフェイサルは、村人らの作業を手伝いながら新郎新婦の人となりなどを聞いてみた。辺境伯騎士団から人が送られてくるとのことで最初は警戒もしていた村人らだが、実際に会ってみればなんということはない。騎士というよりは農民としての在り方がまだまだ強いハリスやトゥーリは、彼らの仕事を手伝ううちに村人らにも溶け込めているらしい――そんな近況を第三者の口から聞くことが出来た。

●
「お疲れさま! なんか……色々と手伝わせちゃったみたいでゴメンね?」
 開口一番に申し訳ないと頭を下げたトゥーリに対し、フェイサルは笑って返す。
「なに。最初からその積もりだった。それに……私にも二人の婚礼の儀を手伝わせて欲しかったしな」
 儀礼としては招かれる客人としての立ち位置にはなるが、その馴れ初めも含めて最も事情をよく知るのは自分だとの自負もある。あれから数刻ほど、荷物を運びこんだり飾りつけを手伝ったりと、忙しく村人らと混じって作業をしたフェイサルがトゥーリとハリスの家に戻ってきたのは夕方前の時分だった。
「それはそうと、君たち自身の準備は大丈夫なのか」
 婚礼の儀、というものについて竜人の自分からしてみれば分からない事が多い。当事者である新郎新婦は前夜から忙しいのではないか――そんな懸念を露わにしたフェイサルだったが、その心配は杞憂だったようだ。
「うん。村のみんなも準備、手伝ってくれたし」
 その様子は日中にフェイサルが自身の眼で見た通りだ。
「後は……お化粧なんかは、それこそ明日にならないと出来ないし。だから、フェイサルさんは心配しないでゆっくりしてってよ!」
 そこまで言われてしまえばフェイサルとて断る言葉を持たない。今日の夕餉は腕に縒りをかけたというトゥーリの言葉通り、出るわ出るわ。野菜と肉を中心として、野山の幸に溢れた料理が食卓には並ぶ。
「さぁ、フェイサル殿。まずは杯を」
 憂うることは何もないだろうとハリスがフェイサルに酒を注ぐ。二人ともに普段は節制しているが、興が乗れば酒を嗜むこともある。いつかは夜通し飲み明かしながら語り明かした夜もあった。トゥーリ自慢の食事に舌鼓を打ちながら杯を重ねていくと、何時しか場の話題は思い出話となっていった。これまで駆け抜けてきた数多の依頼や戦場を思い返しながら、出会いの頃を思い返す三人。

 ヴァイセントラフ砦の防衛などでそれぞれにすれ違ったことは以前にもあったが、三人が同じ依頼を請けたのは――帝国領は南部鎮守都市ヴィントの近くにある小さな村での出来事が初めだった。帝国の崩壊と共に散り散りになってしまった村人らの中に、一人の老婆がいた。その彼女からの依頼を請けて、伴侶である老人の安否を確かめ――亡くなっていた場合は弔って欲しいと。そんな頼まれごとを引き受けたのだ。
「アンナさんやプラムさん、元気にしてるかな……」
「あれは……悲しい事件だったな」
「でも、やれる事を三人それぞれ、最大限に為しましたし。依頼人のアンナ殿も喜んでいたかと」
 生憎と事前の予想通り、混乱の最中に老人は亡くなってしまっていたのだが、三人やその他の授恵者の働きもあって無事に老人を含む八人の村人を弔うことが出来た。そんな――経緯があった。
「あの時から、トゥーリ。思えば貴女は優しかった」
 墓前に祈りを捧げたその姿を覚えている、とハリスは呟く。思えばあの頃から――もう、既に三年半ほど前になるが、あの頃から真っすぐなその心根は変わっていないと彼は言う。思ってもみなかった思い出を記憶の底から掘り返されて、トゥーリは思わず口ごもった。その顔が少し赤らんでいるのは、酒の酔いが回った所為ではないだろう。
「そんな事言ったら、ハリスさんとフェイサルさんだって」
 元々が豊穣と農耕を司る神『フーレイ=コロノス』の信徒であり、神官であったトゥーリは、人々の為に祈るのが自然だったと主張しつつも照れ隠しにむくれてみせる。ハリスやフェイサルが彼女の祈りを覚えていたように、同じくトゥーリも彼らの決意を覚えていた。
 違う神を奉じ、違う死生観を持つ。異なる国に住まう唯人と竜人ではあるが、その境遇に心を痛め――必ずや帝国を奪還し、犠牲になった村人らの魂の安寧を願う。そんな厳格ながらも人の死という事象に真摯に向かい合う。その姿は種族の垣根を越えて、トゥーリの心を打ったのだ。

 そうして知己となった三人だ。授恵者としてもそれぞれに目的があり、精力的に活動していたからこそ――依頼を同じくする機会は少なくなかった。
「あれは……極北へ向かった頃だったな、二人が晴れて恋仲になったのは。まったく、漸くかと随分と気を揉んだものだ」
「えぇっ!? フェイサルさん、ずっと気づいていたの?」
 初耳とばかりに血相を変えて驚くトゥーリ。その横で、ハリスも目を白黒させていた。
「……もちろんだとも。気が付いていなかったのはトゥーリ。それにハリス。君たち自身、二人だけぐらいのものだ」
「それは……なんとも。お恥ずかしい限りです」
「あっ、ハリスさんも照れてる!? それじゃ、ホントにそうだったんだ……」
「トゥーリ、それぐらいにして下さい。でないと……」
「ひぇっ!?」
 自分たちの青臭い恋愛事情が傍から筒抜けだったと指摘されるのは、ハリスとて気恥ずかしい。傍らのトゥーリに釘を刺しつつ、照れ隠しにもう一杯と杯を空けた。
「はは。いずれにしても、あの頃からお似合いだなとは思っていた」
 いくつもの依頼を同じくして尚、ハリスとトゥーリの二人が男女の仲になるにはかなりの時間が掛かった。互いに相手の生き様、志を貴いものだと感じながらも――それを一番の近くで支えたいと思いきるまでには月日を要した。
 あるいは互いを尊重していたからこそ、その制約――或いは枷となってはいけないと自制していたのかもしれない。
「私には私のやるべき事がありましたし……トゥーリの願いや目的の邪魔になりたくありませんでしたし…………」
 気が付けば酒が回ってきたのだろうか。いつになく饒舌なハリスだが、その言葉尻はずいぶんと柔らかい。
「お前が人の枷になどなれるものか。精々、いざという時の支えだろう」
 楽しい時間を過ごしていたのはフェイサルも同じと見えて、彼は彼で普段よりも直截な言葉を投げかける。ハリスの事を、同族の友として見守っては来たが――その過程は随分ともどかしいものではあった。傍から見れば好き合っているのは明らかにもかかわらず、一年以上にも亘って『友人関係』を続けていたハリスを何度叱咤激励して尻を蹴飛ばしたことか。

「いやはやしかし、まさか恥も外聞も無くハリスが助けを求めるとはな。その場に居られなかったのが、今でも残念でならない」
 笑ってジョッキのエールを呷るフェイサル。彼が言っているのは、北壁山脈の袂にある村『フェンガリ』での一件だった。
 フェイサルは同行することが適わなかったが、とある依頼にてかの村をハリスとトゥーリが立ち寄った際のこと。その村の住宅事情の改善を目的として二人が設置した、暖房を改良して作り上げたサ――。
「わーッ! フェイサルさんも! ハリスさんも! ご飯とお酒、足りてないんじゃない? ワタシ、すぐに持ってくるね!」
 フェイサルがそこまで言いかけると、当時の事を思い出したのだろう。慌てて飛び上がるとトゥーリはキッチンへと引っ込んでいく。そんな背中を見送って、苦笑するハリス。
「あれは……ええ、お聞きの通りではありますが。確かにあの一件から、トゥーリとの中も縮まった気がします」
「そうだろう? それならばそれも、神(征竜)の導き……かもしれんぞ。ハリス」
 この場にはトゥーリは居ない。あの様子なら暫くは帰ってこないだろう。だからこそ、フェイサルはそんな物の言い方をする。かつてはフェイサルもハリスも、竜人として征竜を――この世界を作り上げたとされる存在を神と信奉していた。同時に、その種族的な出自故に、トゥーリは征竜のことを忌み嫌っていた。
 互いの事を尊重していたからこそ、それぞれの存在理由にも関わるその点に関しては。お互いに手探りのような慎重さで触れるしか出来なかった。その事が、ハリスとトゥーリの仲がなかなか進展しなかった、一因と言われれば――そうなのかもしれない。

 授恵者として依頼を重ねるうちに、世界の真実――征竜という存在が何であるか。その本質の一端なりを知った身としてはその信仰や想いも既に形を変えている。
 だが。
 それでもかつてのハリスは『征竜様のお導き』というものを信じていた。

 ならばこそ。

 あの時のハリスの、背中を押した決定的な存在が何であったか。それを確かめたいとフェイサルは願う。
 それは、ハリスと、トゥーリと。親友である二人をそれぞれに思いやるが故の情動だった。トゥーリの前では言えないこともあるだろう。素面では、口に出せぬことも。だからこそ、フェイサルはハリスに杯を勧めながら問いただす。
「常からトゥーリの事を大切に思っていたのは私も知っている。だが、そんな君の立ち位置が、接し方が変わった切っ掛けは何だ?」
 以前の君はそうでは無かったと――無論、それを悪いと問い詰める訳ではないが。事実としてそうだったとフェイサルは指摘する。ちろちろと燃える食卓の灯りに照らされて、ハリスの顔が杯の水面に映っていた。ぽつり、ぽつりと彼が呟く。
「あの時」
「うむ」
「抱き上げたトゥーリの身体は……とても小さかったのです。彼女が女性であるという事は、勿論分かってはいましたが」
「……うむ」
 零すハリスの言葉を、ただフェイサルは相槌を打ちながら聞いている。
「彼女の志があまりに大きいものであり、授恵者としてのトゥーリはいつも輝いていたから」
「……」
「彼女は何でも……それこそ、種族の偏見を取り払うだなんて…………個人の力には余るような偉業だったとしても、やり遂げてしまうだろうと考えていたのです」
 無論、トゥーリとて悩みや躓きはあっただろう。だが、彼女はそれをハリスやフェイサルに対して顕わにすることを良しとしなかった。
「だがそうでは無いのかもしれない、とあの時に気が付いてしまった。私が側にいることで、手伝えることがあるのではないか……あるいは、側にいても良いのではないか、と」
 些細なアクシデントではあったが――フェンガリでのあの出来事を切っ掛けに、そんな事を考えていたのだとハリスは内心を吐露した。それをフェイサルが遮ることはない。

 どれ程、時間が経っただろうか。まだトゥーリは帰ってくる様子が無い。暫しの沈黙の後に、フェイサルが漸く口を開いた。
「なるほど。そこで彼女のことを……好いていると。女性として意識した、と。そう言う訳だな、ハリス?」
 だからこそ。
 神という不確かなものに縋るのを止め、自分の手で幸せにすると願ったのか――そう問いかける。友へと投げかけるその言葉は穏やかで温かく、優しかった。ジョッキの底に残ったエールを一気に呷って、フェイサルは続ける。
「下らない心配をしたかもしれないが、それを聞いて安心したぞ、私は。なに、トゥーリの心配も良いがな……ハリス。お前が惹かれたのは、何より凛と立つ彼女の姿だろう?」
 その姿を支えるために側へといる事に、何の気後れが必要だろうか。もっと胸を張って彼女の側に居れば佳いではないか。
「お前は敬虔なターミル族の戦士だ。それは疑いようもない事実だ。だが、私からしてみれば一方で女性に免疫が無いのは欠点だと見えなくもなかったが……杞憂だったな。疑ってすまない。しっかりと、トゥーリの事をお前が愛していると知れて……改めて、良かった」
 そこまで言ったところで、ハリスが言葉を遮った。
「もちろんですとも! 私はトゥーリのことを、その……えぇ。ただ、私個人(竜人)としては恋人や結婚という概念にあまり親しんでこなかったという事もあり」
 最初の気勢は良いが、どうにもハリスの言葉は尻すぼみだ。いつもよりも大きな身振りを交えながら、何事かを訴えている。そんな様子をフェイサルは笑って見ていた――と、そこへ漸くトゥーリも追加の料理や酒を持って戻ってきた。
「お待たせ! 二人とも、ずいぶん盛り上がってたけど……なに?」
「いやなに、君たちは仲が良くて本当に羨ましいなと。そう話していただけだ」
 トゥーリの顔を正面から見られないハリスの横で、素知らぬ顔をしてフェイサルはそんな言葉を返す。何やら様子がおかしいと気づきながらも深く追求することも出来ず、トゥーリは頭に疑問符を浮かべたままに食卓へと着いた。
「……? 変な二人。まぁいいや。料理も作ってきたから、食べて食べて?」

「いずれにしても……こうやって三人揃って、無事に生き残ったということは喜ばしいことです」
 これまでの戦いの一つひと、出会って来た人々の一人ひとりを思い出すに連れてしみじみと、ハリスは感慨深く頷く。潜ってきた死線の数だけ出会いと――そして、別れがあった。彼らたちとてそれは例外ではない。
「トゥーリはいつも無茶をするからな。その正義感の強さがお前の良さでもある訳だが……」
 もうあの頃のような無理無謀をしてくれるなと嗜めるフェイサルに、トゥーリは返す言葉が無い。
「あはは……ごめんって。でも大事な時は二人がしっかり守ってくれてたし」
 それに、とトゥーリは続ける。
「あの人の志に報いるためにも、私だって全力を尽くさないといけないかな……って」
 あの人。
 それは唯人を基本的に好いてはいないトゥーリが、例外として背中を追いかけた――とある人物のことだった。
「なるほどな」
「いや……つくづく、彼女の存在の大きさには圧倒されるばかりですよ」
 トゥーリが惹かれたのも分かる気がする、とハリスが呟いた。北方辺境伯の領内にいれば、彼女の噂を聞くことは少なくない。既に名誉の戦死を遂げてから数カ月の時が経っているとはいえ、人口に膾炙するのも宜なるかな。
「やはり、そうか。ハリスも騎士団に入ったのだったな」
「ええ。無論、人によって好みは分かれたようですが」
 それでも。トゥーリにとっては大切な、追いかけるべき背中だったのだ。

「ハリス、お前も……もう?」
 墓前に報告はしたのか、とフェイサルは問う。征竜との決戦のあと、しばらくの後にトゥーリが墓前へ参ったという話は既に聞いている。だが、その時には「一人にして欲しい」というトゥーリのたっての願いもあり、ハリスは同行しなかったのだ。
「ええ、こうして騎士団に属することになった訳でもありますし」
 改めて、トゥーリの案内を受けてハリスも花を供えたと言う。彼女の墓は、北方辺境伯騎士団の本拠があるノストガルデンに慎ましやかに設けられていた。
「それは、よかった。トゥーリはずっと彼女の事を気に病んでいたからな」
「はい。伴侶として、私からも報告を」
 王国のため、君主のために働くが騎士団員たるものの務めとは言いつつも、直接の原因を導いてしまったのは自分の至らなさが原因ではないか――と。トゥーリは長らく悔いていた。
 任務中のトゥーリを守るために主君の敵と交渉し、代わりに人質となった彼女。そのまま領内へ戻ることはなく、敵の手によって命を落としてしまったことを、トゥーリは悔やみきれなかったという。
「……だからこそか、あの頃からのトゥーリには鬼気迫るものがあったからな」
 思い返すだに、改めて心配になったものだとフェイサルは笑う。それにハリスが頷くことが出来るのも、今の無事があるからこそだった。元々、トゥーリの使命感の強さは人ぞ知るところではあった。だが、それを差し引いても彼女を失ってからのトゥーリの様子はそれまでに増して危うく、生き急いでいるのかとすら思わせる程であった。
「側に居て守りたいと思う反面、支えきれないのかと忸怩たる想いもあったものです」
 ハリスからしてみれば、心穏やかならぬ場面も少なからずあっただろう。
「うん。二人ともありがと……もう、無茶とかはしないから」
「そう願いたいものだな」
 彼女の死を間近で目撃してから以降、『迅雷騎士団』との決戦――そして、征竜との決戦。歴史に残るほどの戦にトゥーリやハリス、フェイサルは『羊竜陣』として馳せ参じたが、そのいずれもトゥーリは捨て身とも思える無謀さで最前線に立ち続けた。
 無論のこと、それはハリスやフェイサルの護りを恃んだものではあったが、それにしても。
「あの時のトゥーリは、死にたがっているのではないかとすら思ったぞ」
 フェイサルが零す言葉に嘘偽りはない。トゥーリ本人とて、その言葉を否定はしない。
「そう……だった、かも。だって」
 それ以外に、何をすればいいか分からなかったから。何ができるか分からなかったから。全力で戦うことしか出来なかった――と。今さらのように身震いするトゥーリ。その肩を、いつの間にか座りなおしたのだろうか。隣へと移ってきたハリスが柔らかく抱く。
「大丈夫です、トゥーリ。いつだって私が貴女を護りますし、今なら……何をすれば良いか。貴女自身も分かっているでしょう」
 そう諭すように問いかければ、漸く小さく彼女は頷いたのだった。

 いずれにしても、幾度もの転換期(ターニング・ポイント)を越えてトゥーリたち三人は此処に居る。その事実を改めて喜ぶと同時に、三年半の旅路の中で得た思い出の数々を語り合う三人。思い出話はいつまでも尽きることなく、村の外れの窓には夜遅くまで燈が灯っていた。

●
「……フェイサルさんは?」
「大丈夫。もう休まれましたよ」
 夜半も過ぎて、村はひっそりと静まり返り。三人だけの宴も漸くお開きとなって虫の声が聞こえるようになった。

 寝室にて夫の帰りを待っていたトゥーリが、ハリスへと問いかける。客人との語らいは楽しく、時間を忘れる程だったが――翌日の事を考えると切り上げざるを得ない。
『後は、また明日だな』
 そう三人で言い合って、やっとのことでフェイサルを客間へと通したのだ。
「ありがと。ハリスさん」
 隣へと腰を下ろしたハリスの胸に寄り掛かるトゥーリ。
「フェイサル殿は私にとっても大切な親友ですから」
 体重を預けられるままに妻の身体を受け止め、ハリスがその髪を手で梳いてやると彼女はくすぐったそうに目を閉じた。
「明日も早いですから、先に休んでいても良かったのですよ」
「うん……でも、少しお腹が苦しくて寝苦しかったし」
 それに、とトゥーリは続ける。
「ハリスさんと、お話したかったから」
「そうですか」
 そこまで言うと、もっと撫でろと言わんばかりにトゥーリはハリスの身体へと腕を回す。トゥーリよりも二回りは大きいだろうか。種族の違いもあり、ハリスとの間にはかなりの体格差を感じる。そんな伴侶の体躯を愛おしむように、トゥーリは重ねて身を寄せる。
「……いよいよ、ですね」
「うん」
 何か実質的に変わる訳ではない。住まいを同じくして、互いに伴侶と認め合い――契り合った。それはもう、数カ月前のことだ。
 明日になって何かが急に変わる訳ではないだろう。それでも、『婚礼の儀』を行うという事実はひとつ、区切りのように二人には感じられた。

「フェイサルさんにも来てもらえて」
「ええ」
「村の人たちにも色々手伝ってもらって」
「そうですね」
「ワタシ、幸せだよ」
「もちろん、私もですよ。トゥーリ」
 寄り掛かる重みがじわり、と重たくなって。体温の温かさがより一層感じられる。トゥーリの重みを受け止めたまま、ハリスはベッドへと倒れ込んだ。
「ありがとね。ハリスさん」
 何度も何度も、互いに感謝を伝えあって。その一つひとつに口付けを添えて。掛け替えの無い時間を確かめ合って、夜がしんしんと深まる頃になって、漸く――ハリスとトゥーリは穏やかな眠りに就いた。

●
 あくる朝は前日よりも尚一層の晴れやかな空だった。抜けるような青空に雲が微かに掛かっている。日差しは春の暖かさを伝えつつも、風がそよそよと心地よい。祭事には最適な日と言えた。

「……それじゃ、ワタシ先に行ってるから」
 簡単な朝食を三人揃って摂ったその後で。手荷物をまとめたトゥーリがハリスへと声を掛ける。既にフェイサルは式の準備をするべく、村の中をあれこれと歩き回っていた。新郎新婦をよく知る友人として、村人たちとのパイプ役を買って出たのだ。
「ええ、行ってらっしゃい。でも、本当に良かったのですか?」
「なにが?」
「それこそ、ノストガルデン(辺境伯のお膝元)や……あるいは、ディズルのターミル族もトゥーリならば歓迎したと思うのですが」
 授恵者としても一定の功績を残し、鳴り物入りで一足飛びに幹部待遇で北方辺境伯騎士団入りしたトゥーリとハリスの婚礼の儀である。主君から預かった土地とは言え、この様な、言うなれば開発途上の村落で行うのではなく――もっと華美に催すことも出来たのではないか。あるいは、唯人の流儀に合わせずに、獣人や竜人の流儀に沿うことも。
 そんな心配を、ハリスはしているのである。
「アハハ、良いんだよ」
「そうですか」
「これは確かにワタシたちの区切りではあるけれど、ワタシたちだけのものでは無いし」
 そこまで目立つことも本意ではないとトゥーリは言う。
「……これから、ワタシたちが騎士団員として、王国の為に尽くすっていうなら。やっぱり王国のやり方(流儀)に合わせるのが大事なんじゃないかな」
「なるほど。そこまでトゥーリが言うのであれば、私からは何も言いますまい……良い式にしましょう」
「うん……ありがとね、ハリスさん」
 そう言うところが好きだと、改めてハリスの口を吸うトゥーリ。式に先駆けて念入りに身づくろいをしたのだろう。その毛並みはいつもよりも一層のこと柔らかく、ふわりと太陽の匂いがした。
「それじゃ、今度こそ出なくっちゃ」
 花嫁はドレスに化粧と準備が新郎よりも多いのだ。簡素な式とはいえ、掛かる時間はハリスの比ではない。
「後から、私もフェイサル殿と向かいますね」
 トゥーリと入れ違いに戻って来たフェイサルも、笑い掛けながら新婦を送り出す。
「ああ。ハリスは私に任せておけ」
「うん! 待ってるね!」
 同じ村落の中での挙式である。然程の離れた距離では無いがトゥーリはハリスとフェイサルを残し、一足早く居宅を後にした。

●
「これ……変じゃない? ワタシには派手過ぎるような気もするけど」
「変なものですか。花嫁さんなんだから、少し豪華に飾るぐらいで丁度いいんです」
「そんなものかなぁ。それじゃ、お化粧とかアクセサリはお任せするね」
「ええ、えぇ。こんなにお目出度いお祝い事なんてそうそうあるもんじゃないですからね。私に任せておいてくださいな」
 花嫁の控え室である。椅子に座ったトゥーリが、老婆に為されるがまま。衣装の着付けを行っていた。普段はドレスやアクセサリ、メイクといった物にあまり縁が無い半獣の冒険者上がりである。白粉を叩かれては咽込んでしまうなど、前途多難だった。
「うん……でも、ドレス。間に合ってよかったなぁ…………お婆さんも色々とお手伝い、ありがとうございました」
「かわいらしいドレスに仕上がって良かったですねぇ。トゥーリお嬢ちゃんが頑張ったからですよ」
 コルセットの締め付けにカエルの潰れたような声を上げつつも、なんとか花嫁衣裳に袖を通すトゥーリ。
 今日の婚礼の儀で彼女が着る予定のドレスは、トゥーリ自身で作り上げたものだった。レースの生地に小さな花や、竜人・半獣を示す意匠――トゥーリがこれまでに世話になった人々を象った刺繍が施されている。その中には勿論のこと、ハリスやフェイサルを指し示すものも混じっていた。
(せっかくこうしてお祝いさせてもらえるんだから)
 今日は皆へ精一杯の感謝を伝えるような日にしたい。そう願ったトゥーリが発案し、村人らの協力を得てなんとか作り上げた手製のドレスだ。針仕事は得意な方とはいえ、慣れぬレース生地に細かい飾りつけの多いドレスのこと。騎士団員としての仕事にハリスの手伝い、それにまだ十分に生活が落ち着いたとは言えない新居での手探りの日々――あれこれの合間を縫っての作業にはかなりの苦労が伴った。
 そんなドレスに合わせるのは、トゥーリの想いを間近で見ていた村人らが準備してくれたヴェールとブーケである。
『シオンの花……なんとか入れ込めないかな』
 一入の想いがある花だというトゥーリの希望に沿って、白や薄紫、色味を取り揃えてあれこれと華やかにまとめてもらったのだ。ひと揃えを身に着けて、ゆっくりと目を閉じれば花の香りがふわりと漂う。
 悪戦苦闘しながらも慣れない化粧を終えて、ヴェールを下ろして。準備がおよそ整ったところで、控え室のドアが軽く叩かれた。
「トゥーリ?」
「あ……ハリスさん? 入っていいよ」
 概ねの支度は終わっている。立ち上がろうとするところを老婆に押さえつけられながら、トゥーリは首だけで入口を振り返る。声の主はハリスだった。フェイサルを伴って、準備を終えた彼も教会へとやって来たのだ。
「……おぉ」
「どう……かな?」
「美しいです、トゥーリ。貴女は私の……自慢の花嫁だ」
 感嘆のままに近寄ると、そっとその手を重ねるハリス。
(なるほど。いつの間にか、しっかりとハリスも……夫になっているのだな)
 二人の仲がなかなか進展しないのをもどかしくも見守った日々はもうここには無い。仲睦まじい若夫婦の様子を目にして、フェイサルは目を細める。
 ハリスの無二の親友であり、その付き合いからトゥーリとも早くから親交があったフェイサルである。二人がお互いに憎からず想っていることを知ってからは、その仲を陰に陽向にと応援してきた。そんな仲の親友二人がこうして婚礼の儀を挙げるのだ。フェイサルとて最早関係者の一人と言っても過言ではない。胸にこみ上げるものを感じながら、ハリスとトゥーリを祝福する。
「今日は二人の大切な日だ。こうして招いてくれて、改めて感謝する……ありがとう、ハリス。トゥーリ」
「フェイサル殿をお招きしない、なんてことがありましょうか! 私たち二人、他の誰をさておいてもフェイサル殿にお世話になったのですから」
「ホントだよ。いろいろと忙しい時期だろうに、嬉しいよ」
 隙あらばと和やかに歓談を始めようとする三人に向けて、村人が言う。
「あらぁ、旦那さんの準備がまだだがね。早ぅ着替えなさんな」
 ハリスも身支度があるとはいえ、その手荷物は少ない。それ故に油断していたのだろう。焦った口調の村人に揉まれながら、ハリスは――別室へと押し遣られていった。
「いや……ではな。挙式、楽しみにしている」
 困惑するハリスの背中を笑って見送ると、フェイサルはトゥーリにそう声を掛けた。
「うん。また、後でね」
 礼拝堂では何やら人々の話す声が聞こえ始める。じきに式も始まるだろう。最後の仕上げをするというトゥーリを残し、フェイサルは控え室を後にして礼拝堂へと向かった。

 礼拝堂は昨日の厳かな様子とは打って変わり、季節の花やリボンが華やかに飾られている。村人たちとフェイサルが新郎新婦の二人を思いながら準備をしたのだ。
「おぉ、竜人の兄ちゃん。こっち来(き)ない」
 リザードマンはこの辺りでは少ないとは言え、ハリスで免疫は出来ているのだろう。村人らと共に作業をする間に、自ずとフェイサルも彼らと馴染んでいた。
「兄ちゃん、二人の知り合いなんだって?」
「あぁ、いずれも大切な親友だ」
「それなら一番の席で見ないとなぁ。ほら、正面に座りな」
 並んだ椅子の最前列にいつの間にか押し遣られていたフェイサル。そんな物おじしない村人らに苦笑しながらも、大人しく勧められるがままに腰を下ろす。

●
「準備出来ましたか? トゥーリ」
「うん、こっちは大丈夫。入って来て」
 それぞれに身支度を終え、介添え人を伴ってハリスが改めてトゥーリの控え室へと戻って来た。
「わぁ……! ハリスさん、カッコイイねぇ。その服は?」
 先ほどとは異なり、アースカラーを基調とした羽織に末広がりのボトムスを合わせた衣装を身にまとったハリス。落ち着いた色合いは彼自身の持つ鱗の色味と相まって、歴戦の戦士のような風格を漂わせていた。肩口や胸元に縫い付けられた錦糸の飾り紐がその装いを単純に地味なものにはせず、しっかりと婚礼の儀に相応しい荘厳さを醸し出している。

「本来は成人の儀などの際に着る衣装なのですが」
 竜人であるハリスは元々婚礼という習慣を持たない。さりとて、一生に一度の貴重な機会である。花嫁に釣り合うような装いを――と考えた時に、思いついたのがこの儀礼服を活用することだった。
「改めて、ここまでこうして来られたことに感謝します。ありがとう……トゥーリ」
「えっ!? どうしたの、突然に」
 普段から愛や感謝を伝え合う間柄の二人ではあるが、畏まって頭を下げられるとトゥーリもさすがに気恥ずかしい。
「ディズルの部族を出て、世間の厳しさや様々な苦悩に直面して。その現実に半ば打ちひしがれていた自分にとって……その境遇をものともせずに自分の力で運命を切り拓こうとする貴女の姿はとても……とても、眩しく見えました。そんなトゥーリの朗らかさに支えられて、私はこれまで歩んで来れたのです」
 時に求道者のようなひたむきさを見せるハリスにも、実はそのような迷いがあったのか。初めて知る夫のそんな横顔に、トゥーリはそっと、手を添える。
「そんな、ワタシだって……」
「だから、改めて貴女との夫婦の契りを皆の前でするにあたって」
「うん……」
「トゥーリ、貴女の手で私の想いを完成させて貰えますか」
 そう言ってハリスが手渡したのは、トゥーリがいつか彼の為に作った角飾り。ハリスの左の角に合わせて設えられたそれは、トゥーリの毛並みにもよく似た白毛で覆われたテールリードに飾り紐でトゥーリ自身の角の先端を磨いてアクセントにあしらったもの。細やかな紅玉が太陽の光を眩く照り返す、大地とトゥーリをイメージしたものだった。
 自身の手づからに作り上げたそれを、二度、三度と手の中で確かめて。トゥーリはそっと、角飾りを手の内に納めた。普段から見慣れた装飾品ではあったが、この場の雰囲気の所為か、いつもよりも輝いて見えた。

「ありがとう、トゥーリ。貴女も……もう、準備はいいですか?」
 最愛の夫を抱きしめたまま動かないトゥーリに、ハリスは優しく声を掛ける。胸元へ埋めた頭には、返礼としてハリスが送った角飾りが光る。片時も肌身離さず身に着けているアクセサリであったが、今日ばかりはこれが誓いの証となる。ハリスは何度か彼女の角飾りを慈しむように撫でてから、それをそっと外した。
「……預かります」
 すると、漸くのことでトゥーリが小さく頷く。
「うん、行こっか」
 会場は既に準備万端に整って、村人が新郎新婦の入場を待っている。彼女の目元に光るうれし涙を軽く指で拭うと、ハリスはトゥーリの手を取ってエスコートするのだった。

●
 少年少女らが歌う祈りの歌に合わせて、ハリスが。そして彼に先導される形でトゥーリが礼拝堂へと入ってくる。

 特にこれという宗派がある訳ではないが、このロスガリアに生きとし生けるもの全てを見守る全ての神、リーンエス王国を司る王家――そして新郎新婦に所縁のある全ての人に喜びと祈りを捧げながら二人は歩いていった。歓声を上げながら万雷の拍手を打ち鳴らす村人らに交じって、フェイサルも祝福の言葉を掛ける。
「二人とも、おめでとう……!」
 数多の祝福と歓喜に包まれて新郎と新婦は、皆から見える祭壇の中央へと歩み寄る。村の世話役を務める住人の言葉に従って、花嫁のヴェールを上げるハリス。伏し目がちな表情から視線を上げたトゥーリの顔は、今日のこの時を迎えることが出来た歓びに打ち震えていた。

 婚礼の儀は恙なく進み、世話役が二人へと声を掛ける。
「汝……ハリス・アル・ターミルよ」
「はい」
「汝は、トゥーリを妻として認め、健やかなるときも病めるときも。片時も離れず彼女に愛を捧げると誓いますか?」
「はい……もちろんです。永遠に共に在らんことを。愛しています……トゥーリ」
 一歩、踏み出せばトゥーリの顔はすぐ目の前にあった。視線を合わせると、彼女の角へと角飾りを付けるハリス。参列した村人らの歓喜の声は最高潮に達していた。そんな晴れやかな空気の中、次いで世話役はトゥーリへと話しかけた。
「汝……トゥーリよ」
「うん」
「汝は、ハリスを夫として認め、健やかなるときも病めるときも。片時も離れず彼を支えると誓いますか?」
「うん、喜んで……誓います! ワタシもハリスさんの事が大好きで、愛してるんだよ!」
 緊張からか、口調を崩してありのままに自分の心を吐露するトゥーリ。彼女は伴侶へとぎゅっと抱き着くと、背伸びをして彼の誇らしげな角へと角飾りを結び付けた。
「もう絶対離さないから!」
 感極まったトゥーリは抱き着いたまま、ハリスへとキスをねだり、我慢しきれなかったかのように自ら口付ける。もはや式次第などあって無きが如しである。
「トゥーリ……貴女を一生大切にします…………!」
 トゥーリを両の手で高く抱きかかえると、ハリスは声も高らかに愛を宣誓した。

 そこから先は、何が何やら。フェイサルや、村人らや。皆が新郎新婦へと駆け寄って、口々に祝福の言葉を浴びせかける。人の波にもみくちゃにされながらも、ハリスとトゥーリの顔から笑顔が絶えることはなく。今日という日、婚礼の儀を無事に迎えることができた歓び。そしてこれからの日々への明るい期待に心から酔いしれていた。
「ハリスさんもフェイサルさんも。みんな皆、いっつも一緒に居てくれてありがとう! 支えてくれてありがとう!」
 涙を見せないようにといつかは強がっていたトゥーリも、今日ばかりは喜びの涙が堰を切ったように流れ出るのを抑えることが出来ない。たくさん笑って、たくさん泣いて。想いが止めどなく溢れ出るままに皆の歓喜の輪の中へと飛び込んでいく。その様子をハリスはフェイサルと共に見守っていた。
「あれほどに喜んで……私は、本当に果報者です」
「何を謙遜している。トゥーリのあの表情は、お前が引き出したものだろう」
 もっと堂々と彼女の伴侶として隣に並んでも良いとフェイサルはハリスへと檄を入れた。大分に夫としての風格が身についてきたかと思えば、やはり生まれ持った性根はすぐに変わるものでは無いらしい。この場の主役であるにも関わらず控えめな態度を取る親友を、フェイサルは無理にと人々の中へ押し込んだ。
「ほら、私にかまけて居ないで新婦の側に居てやると佳い」
「フェイサルさん!? そんな、別に嫉妬なんてしてないよ?」
「なに、二人が笑っているのを見るのが私も一番楽しいのだ。今日ぐらいは引き立て役に徹しさせてくれ」
 そう言って酒を傾ける友の姿には、トゥーリもハリスも返す言葉が無かった。そこまでの心遣いには何を言っても無粋だろう。親友の気遣いに甘えつつ、二人は宴に沸き返る人々の間を挨拶に回っていく。

(二人して唯人の騎士団に入ると聞いた時にはどうなることかと思ったが)
 ヒューマン以外の種族への偏見が未だに根強い王国。その中で、一種の特権を持つ騎士団員として任地に赴くにはいろいろと気苦労もあるだろう。彼ら自身の選択であるからこそ大っぴらに口を挟むことこそ無かったが、フェイサルは予ねてから親友たちの選択を案じていた。それが半獣人たちへの偏見を取り払わんとするトゥーリのたっての願いであり、それを支えると心に決めたハリスの選んだ道であっても。その道筋が穏やかなれと願う友の気持ちは抑えられない。
 だが、そんな彼の心配を吹き飛ばすほどにトゥーリとハリスの二人はこの地で上手くやっているようだった。それは昨日からの住民らとの交流でも身に沁みている。
 ハリスが、トゥーリが身に着けた農作業やその他の知識。それに何より――二人の人となりを知る住民たちは騎士団の名を背負って赴任してきた新たな管理者としての彼らを受け容れ、村落の同朋として見做している。そんな現状をこの目でしっかりと見定めることが出来た。
(……私も、負けてはいられないな)
 トゥーリやハリスに野望、夢があるのと同じく、フェイサル自身にも野心は尽きない。己が修めた医療技術を人の為に役立てたいと、旅の中に身を置く事を決めたのだ。目的地は無い旅ながら、その中で少しでも世界に足跡を刻む事が出来れば――そう、フェイサルは願っている。その為にも、友らを心から祝いながらも、彼らに引けを取らぬように自分自身――一層の修練を欠かすことは出来ない。
 決戦の後、数カ月ではあったが各地を旅し、未だ復興半ばの土地に住まう多くの患者や困窮する人々の様子を目の当たりにして。フェイサルもまた、自分の中で、決意を新たにしていたのだ。

●
 明るい時分から始まった婚礼を祝う宴は、陽が落ちても、夜が暮れてもいつまでも賑やかに執り行われている。そんな中ではハリスが育て、この土地に齎した農作物や――トゥーリが野山から採取してきた獣肉。それに森の恵みが惜しげもなく振る舞われていた。未だ発展途上の村落ではあるが、その生活水準は見た目以上に整っているらしい。それもこれも、新郎新婦が持てる知識や技術を惜しげもなく住民たちへと伝播した結果と言えるだろう。

「あぁ……ワタシ、今。本当に幸せだよ!」
 いつもよりも更に上機嫌なトゥーリが、ハリスの隣から離れようとしない。そんな新婦の姿を苦笑して見ながらも、ハリスとて彼女の腰へ回した手を緩めようとはしなかった。
「ええ。私もですよトゥーリ。今日のこの日を、忘れない様にしましょう」
「そうだね! 絶対……ぜったいに、忘れないよ」
 宴の最中。そんな言葉を囁き合いながら、二人は自分たちの時間を過ごした。歌に、踊りに。決して裕福な村落ではないが、新たに来た村落の仲間を歓迎する祝いの席は夜を徹して続いたのだった。

●
 あくる日。前日の祝いの席が響いたのだろうか、いつもよりも少し遅くなってから村は目覚め始めた。まだ静けさの残る村の一角。ハリスとトゥーリの住居の前に、フェイサルを含めた三人は居た。
「もう……行っちゃうの? 折角だからもう少しゆっくりしていけばいいのに」
 まだ村も全部は案内しきれていないし、積もる話もあると少しむくれた様子のトゥーリ。何事かを更に言いかけた彼女に対し、傍らのハリスがそれを嗜めた。
「フェイサル殿にもやるべき事はありますし。それに……これが一生の別れという訳でもありません」
 名残りは惜しいが、さりとて無理に引き留める事も為にはならないと言葉を続けると――それをフェイサル自身が引き継いだ。
「そう言ってくれる気持ちは勿論嬉しいがな、トゥーリ。あまり長居をして二人の邪魔をしても悪かろう」
 若い夫婦にとっては十分に大きな家とは言えど、屋敷や邸宅と言えるほどに広い訳ではない。フェイサルという客人が居座っては、気配が気になることもあるだろう――そう言ってくつくつと笑うと、トゥーリは真っ赤になってハリスの胸元へと顔を埋めた。
「ハハハ、フェイサル殿。そうトゥーリを揶揄わないでください」
 その言葉が気を遣わせまいとする親切心から出たことを理解しているからこそ。ハリスは朗らかに笑ってフェイサルへと答える。

「それに……ほら、トゥーリ。話すことがまだ会ったのではないですか」
 ハリスが水を向けると、まだ赤い顔を手で覆いながらトゥーリはフェイサルへと向き直る。
「まぁ、そうだね。ちょっと寂しくはなるけど……また、すぐに来てもらう事になるだろうし」
 思わせぶりなトゥーリとハリスの様子に、フェイサルは事態を飲み込めない。
「何か、あるのか?」
 訝しみつつも問い返すと、予想だにしない言葉がトゥーリから発せられた。

「フェイサルさんはワタシたちの大切なお友達だからね。子供が生まれたら、真っ先に見て欲しいんだよ」
「君達の幸せは私の希望だ。どうか、その芽を立派に育てて欲し――何? トゥーリ、今なんと?」
 改めての祝いの言葉を投げかけようとして、動きが止まるフェイサル。
「だからね」
 そこへ、トゥーリが追い打ちを掛けるように言葉を次いだ。
「ワタシ、ハリスさんの赤ちゃんがお腹の中にいるの」

 それは、ある意味で予想できた出来事であり。
 同時に、やはり衝撃的な告白であった。

「それは……うむ。目出度い……な。二人の子供か、さぞや可愛い子が産まれることだろう」
 常日頃から冷静な口調を外さないフェイサルが、思わず口ごもる。ありきたりな祝辞を口にするのがやっとの事だった。視線をハリスへと向ければ、彼は彼でこの事実を先から知っていたにもかかわらず――友からの視線には耐えられなかったらしい。
「わ、私は欲に屈しました……ッ」
 そんな様子のハリスを見て、そこで初めてフェイサルは破顔した。
「ハハハ……いや、なるほど。そうかそうか。ハリス、お前もやはり人の子だったな」
 生まれてくる子がトゥーリに似れば好いなと、揶揄い混じりに彼の肩を抱くフェイサル。

「しかし、そうか。それならば、予てより学んでいた産科の知識も、実践する機会はそう遠くなさそうだ」
 めぐり合わせとは異なもの味なものである。こんな事態を予想していた訳ではないが、こうして何かの折につけて友人が自分を頼ってくれるというのは嬉しいものだ。
「約束だ。私の魂は君達と共にある……必ずや、トゥーリの子が産まれる前にはこちらへ立ち寄ろう」
 そう請け負うと、トゥーリも笑った。
「うん、よろしくね! 約束だよ」
「フェイサル殿に取り上げてもらえれば、子も安心できるでしょう。良ければ……その名を、付けてはもらえませんか?」
 それは予め、二人で話し合っていたことなのだろう。トゥーリも大きく頷いて、それに同調する。
「フェイサルさんに名前を付けてもらえたら、きっと幸せな子になれるよ!」
「それは……責任重大だな。今から、佳き名を考えておかなければ」
 未来への約束を新たに、ハリスとトゥーリ、フェイサルの三人は新たに契りを結ぶ。それは新しい時代――ひとつの帝国が滅び、そして再興する時代の中で。煌めくようにそれぞれの人生を生きる授恵者たちの物語だった。世界を作りし征竜の一柱を打倒し、自らの脚で歴史を歩み始めることを選んだ彼らの道程が、ここから始まるのだろう。

 その道筋は洋々たれど、時には苦難が襲うこともあるかもしれない。だが、彼らは決して諦めず、歩みを止めることはない。

「それじゃ、行ってらっしゃい! ワタシたち、いつでも此処で待ってるから」
 そんな餞の言葉と共に、トゥーリはフェイサルへ一つのアクセサリを手渡す。それは、既に欠いていた左角と長さを揃えるように削り落とした、自身の右角を磨き上げた首飾りだった。玉よりも滑らかに磨き上げられたその表面には、今日という日付が刻まれている。
「これは?」
「約束の証、かな? ワタシが村を出るときに背中を押してくれた人の真似なんだけど」
 はにかむ様に笑うトゥーリ。彼女と、そしてその伴侶と。それぞれの手にも同じものが握られていた。

「三人いれば、何でも出来るでしょう……それこそ、征竜に立ち向かった時のように」
 ハリスが、手にした角の飾りを掲げる。
「そうだな。我々は自分の手で、未来を選ぶことができる」
 フェイサルがそれに続いた。
「うんうん! ワタシたち、ずっと友達でいようね!」
 トゥーリが、ハリスとフェイサルに抱き着いた。

 夏へと向かわんとする季節は太陽の光も暖かく、風の中には草の匂いがした。
 新暦1224年、5月のことである。

『医竜』 フェイサル・セイフ
『双星』 ハリス・アル・ターミル
 同じく、 『双星』 トゥーリ

 かつての戦いに於いて『羊竜陣』として名を馳せ、戦場を駆けた三人は。
 ここから、新たな一歩を踏み出す。

 天高く舞う鳥が、それを見守っていた。

assignment【DA】史実ノベル 関連特設ページ

メアリー王女が冒険者達の協力を得て稼働させた「王家の耳」。メアリーは無作為に集まってくる情報を、余人に及びもつかぬ閃きを持って分析しながら、今日も世界の動きへ耳を傾けている。
集まった情報の中には、世界の情勢に影響はないかもしれないが興味深い個人の記録があるかもしれない。

墓標、白き追憶/弓月 蒼
トゥーリ/アストリッド・リーヴァイス
拝啓、星空のあなたへ/弓月 蒼
Alexandra・Hexe・Claudia/マリステラ・コナー

これまでの『【DA】リーンエスの耳』関連情報

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アーカイブ生成日時 2026年08月05日 14時56分25秒 ・ world0