【DA】リーンエスの耳

イヴェール・イリュジオン/ マリエン・D・カーネェジ

『ノベルタイトル:名残花見し、夏の夢』弓月 蒼
●帰郷

『王国』――――北西部。
 肥沃で知られる同国のご多分に漏れず、この地方も多くの領民は農耕で生計を立てている。

 青々と茂った小麦畑。簡素という他ない獣避けの柵。擦り切れ近付かなければ読めない地名看板。
 ラシーヌと銘されるその村は文字通り、『王国』の僻地と称し異論無い場所にぽつんと存在する。

 漸く、戻って来られた。先の帰郷よりそれほど長い時間が経った訳ではないにも関わらず。
 イヴェール・イリュジオンの胸に落ちた実感には、疲労感と空虚が半々で入り混じっていた。

 自ら望んで獄中に入り凡そ半月。看守に”良い加減出ていけ”と鬱陶しそうに追い払われた後、更に半月。
 名目上は冒険者として復帰したは良い物の。その心の所在は未だ、何処か彼方に置き去りのまま。
 金銭を支払い宿を取る。という行為に損失(リスク )が伴う身の上となった以上、必然野宿が増え。
 女の一人旅で野宿となれば、その分だけ夜襲の危険性は加速度的に跳ね上がる。

 村の外れの生家は、一族郎党諸共に既に引き払った後。真っ当な家財道具すらない筈だが。
 今は、確実に身体を休められる場所でありさえすればどんな荒屋であっても有り難かった。

 (まさか、この家に戻ることで安心する。なんて事があるとは……旅立った時には想いもしませんでしたね)

 良い思い出、ばかりの場所ではない。どちらかというと、辛い事や苦しい事の方が先に記憶に上がる。
 けれど、何処かに身を託すとなった時。一番最初に浮かんだのがこの家だったのはどんな皮肉か。

 幸い――――最後の記憶が確かであれば家屋の中は良くも悪くも”片付いて”はいた筈だ。
 冒険者の心得として寝袋の用意はあり、気候も悪くない。少なくとも、当面の隠れ家には十分だろう。

 勿論、いざ生活するとなれば食料や衣服といった生活必需品を揃える必要はある。
 加えてこれからの自らの身の処し方についても、ことこうなった以上はいよいよ以て向き合わなければ。

 考えたいこと。考えなければならないことが無数に在った。それらを抱えて剣を振るうのにも限界は有る。
 イヴェールにも、流石に自身の心身が健康とは程遠い状態である自覚があった。今は、休息が必要だ。

 そんな想いと共に辿り着いた生家の。祖父が造らせたのだろう無駄に堅牢で仰々しい外壁の上。
 この辺ではまず見ない、盛装(ドレス )姿の赤い髪の少女が足を揺らして腰掛けていた。

 その姿を一瞥し。視線を逸らしかけて二度見した後、更に数度瞬いて幻覚の類でないことを確認する。
 初夏の風と共に吹き抜けたのは、甘く仄かな百合の芳香。

 周囲が”あかいせかい”で彩られていないことが、違和感をすら感じさせる小柄な影。
 左右で色彩の異なる金と銀の瞳が、真昼の陽射しを浴びて爛々と輝く。
「あら、全くのんびりな御到着。鈍足、低速、蝸牛の歩みとはこのことですわねえ」

 呆れたような口ぶりで。冷めたような眼差しで。けれど、『不夜城』を脱してより行方の知れなかった娘。
『呪殺公主』――――と。そう呼び称される罪人の声が、謳うように彼女の元へ届いた。

 ■
「……狭」

 未練、のつもりは無かったが。土地と家を売らずにおいて良かったと。
 ”無人の家”特有の饐えたような空気を外に出すべく木窓を開けていたイヴェールに。

 家の中をまるで我が物顔で闊歩していたマリエンの呟きが届く。まあ、何は無くとも相手は元公爵令嬢。
 その後一体どんな経緯を辿って『王国』に根を張っていたのかは知れずとも。

「他人(ひと )の生家にいきなりケチを付けないで貰えますか」

 ”貴族”である事をあれだけ当たり前と振る舞う相手だ。生活苦などとは無縁だろうと想像は付く。
 以前であれば、長椅子(ソファー )の一つも勧められたろうが。勿論、現在家財など何も無い。

 埃一つ付いていない盛装(ドレス )の相手へ”床に座れ”とも……言い難いが。
 イヴェールとてこの様な会合はまるで想定外だったのだから、何の用意が無くとも仕方がないと言う物だ。

「この家の家主は、客人に勧める椅子の用意すら無いのかしらあ?」

「床に直座りです。庶民をなめないで下さい」

「まあまあ、粗野粗略野蛮の極みですの」

 肩を竦める仕草が堂に入る、というのも果たしてどうなのか。
 仕方ないと言わんばかりに嘆息する様には、一ヶ月前に見た焦燥した雰囲気はまるで見られない。

 曰く、二百年を費やした儀式が途絶し悲願が絶たれたと言うのに。彼女の欠落とはその程度の物だったのか。
 生来の大雑把さから、人の気持ちを汲む事が決して得手でないイヴェールには公主の真意までは分からない。

 ただ強がっているだけか。どれほど心が荒れていようとも、平然を装うのが貴族の在りようか。
 それとも……と。脳裏を過ぎるのは親しい”貴族”である白月の娘の姿。

 (もしそうなのだとしたら……なんて下らない)

「では、仕方がないからこの辺を使わせて貰いますわね」

 ばきん。と、異音が響いたのはそんな物思いにイヴェールが沈んでいた時だった。
 見返せば扉の蝶番が外れ――――手も触れず破壊され――――ている。

 脳裏を、かつてその扉を使って背を図り、もうここまで背が伸びたのねえ。
 などと言ってくれた優しくも厳しい祖母の顔が過ぎって、消えた。思わず伸ばした手先が虚しい。

 そんな追憶の最中にも、剥がされた扉は見る見る間に簡素な椅子へと組み替えられていく。
 使っているのは所謂”生活魔法”の類に見えるが、なるほど。基礎出力が狂っているとこうなるのか。

「んー……座布団(クッション )の類が欲しい所ですわねえ」

「もう何もありませんよ。と言うか良い加減何の用なのか教えて貰えませんか。用がないなら帰って下さい」

 そうして出来た元思い出の扉に平然と腰掛ける赤い魔女の姿を見ると、最早誰が主か分かった物ではないが。
 ある意味、その挙動の御蔭で心の何処かに確かに存在していた遠慮とか、躊躇だとかは綺麗に消えてくれた。

 それが果たして良いことなのか、悪いことなのかはともかくとして。
 ■

「そうですわねえ。ひとつ。先ず貴女の真意について」

 人差し指を立て、淡く首を傾げる少女の姿の魔人。一見しただけなら、まるで人形じみた可憐さだと。
 イヴェールは酷く客観的に見たままをそう評する。以前、自身が言葉にした通りに。

「ふたつ。まあ1つ目が前提にはなるのですけれど。貴女の今後について」

 そんな彼女がこれから廃墟になっていく筈だった、良く見知った生家の居間(リビング )を陣取っている姿は。
 まるで何かの冗談か――――或いは寓話(ものがたり )めいたチグハグさを感じさせ、現実味を削ぎ落とす。

「みっつ。これも2つ目が前提にはなりますけれど。貴女と私の今後について――――聞いてますの?」

「一応は」

 三本目の指が立てられた時点で、イヴェールの首はマリエンと逆の方に若干傾いていた。
 何故こんな事になっているのだろう、という疑問に、自分自身でも解答が出せないでいたからだ。

 家を旅立った時の自分なら、きっと眼前の魔女を家に入れたりなど決してしなかった。
 理由も問わず一刀の元に斬り捨てるか。最低でも剣を鞘走らせはしていたろう。

 そんな彼女が、今は無防備と言って良い体で床に座り赤い魔女の言葉に耳を傾けている。
 不思議に思わない訳ではない。けれど――――何処か納得してもいた。元より、自分に嘘は吐けない性質だ。

「私の真意とは、何故貴女を助けたのか。ということでしょうか」

「そう受け取って頂いて構いませんわ。貴女があの時あんな真似をしなければ――――」

「で、あれば。貴女にどんな意図が有ったにせよ。貴女が先生の心の支えになってくれたからです」

 その言に赤い少女は驚き。或いはそんなことで、とでも言うように瞳を瞬かせ口を閉ざした。
 けれど。それはイヴェールにとって他では替えの効かない恩義であり、とても特別なことだ。

 ”先生”――――ウェザーランス教師のことを、彼女には救えなかった。
 救えなかったことを、ずっと心に刺さった棘のように感じていた。直接謝って、許しを得ても、尚。

 それを眼前の魔女はしようとして、半ば成功していた。今”先生”が立ち直りつつある幾らかは、彼女の功だ。
 無かった事には出来なかった。見なかった事にはしたくなかった。全ては我儘だと分かっていても。

「馬鹿な子」

「分かっているつもりです」

 嘆息しながら、マリエンは瞳を細め指を一つ折った。次いで、宙空に淡く輝く光を放つ。
 窓の外からは夕暮れの薄闇が迫っていた。勿論この家に提灯(ランタン )は元より、紋具灯(エーテルランプ )など望むべくもない。

「……そんな馬鹿なことをして、貴女これから先どうする心算ですの?」

 魔法と言うのは便利ですね。などと、益体もない気分でその灯りを見守っていたイヴェールはと言えば。
 正しく痛い所を突かれた、という風に視線を細める。どうする。”どうする”――――か。

「……強く、ならなくてはと思っています」

 どうにか絞り出した一言は、真実全てと言うには如何にも足りない。

●魔女の騎士

 思い出すのは、自発的に入った獄中で認めた謝罪の手紙だ。
 恐らく、彼女の行動によって傷付けたに違いない2人へ当てた物だが。未だ投函に至っていない。

 どころか。時間だけは腐るほど有った筈であるにも関わらず、完成すらしていないのだから驚きだ。
 確かに、決して筆まめな方では無かったが。こうまで何も言葉が出てこないのも記憶に久しい。

 それが何故なのか。幾度も自問自答し、それでも答えが出なかった訳だが――――
「貴女は今でも程々強いではありませんの。無為に力を求めても――――」

「それでは貴女を護れません」

「――――。」

 漸く、答えに辿り着けそうな。そんな漠然とした予感が有った。
 絶句と共にぽかんと見返して来る赤い魔女が、彼女よりずっと年上であることは承知の上。

 けれど、その仕草はまるで外見相応の娘のようで。思いがけず僅かに笑みが浮かぶ。
 一本取ったというべきだろうか。まるで予想だにし得ない事態への反応は、人も魔女も大差ない。

「……私、貴女程度の授恵者なら4、5人纏めて骨の置物(オブジェ )に出来るのですけれど」

 半目で呟かれた内容は、恐らく彼女であればそうだろう。と思わせる物。
 けれど同時に、その言がやはり”真実全て”でないことも。イヴェールは知っている。

「以前、アストさんに澱の壁を割られていましたよね?」

「……ッ!」

 以前敵対した兵站都市(アーグルーン )郊外での戦いを持ち出され、赤い魔女が臍を噛む。
 彼女は、前衛さえ居れば極めて凶悪な魔法使い(キャスター )だ。だが、単独の力は”絶対”ではない。

 紛れが有り得る。以前の醜態を根拠としてそう突き付けられれば、否定は難しい。

「……それで貴女に何の益がありますの」

「無いでしょうね。私はきっと、何も為し遂げられず、いずれ断頭台に送られるでしょう」

 それでも。あの時。あの瞬間。戦意を喪失した彼女を見て、救わなければならないと思ったのだ。
 それを後悔はしていない。これから先も――――きっと、この選択を後悔することは、無い。

「それでも、護ると?」

「はい」

「気でも狂いましたの?」

「自分では正気の心算ですが」

 会話の陥穽に空白が落ちた。何度も何度も瞬いたマリエンが、瞳を閉じて大きく息を吐く。
 外は、もうすっかり夜の帳を落としていた。

 ■

「率直に言って。遠回りな自殺に巻き込まれるのは迷惑ですの」

 その反応に、思わず笑いが滲んでしまったのはどうしてだろうか。
 邪悪なメドゥの指先。その幹部なら、都合良く利用出来る者は利用すれば良いだろうに。

 事実。これほど都合の良い女はそう居ない。雄を強く感じる異性に触れられる事が恐いなら、尚更に。
 にも関わらず間髪入れず断ろうとするのは、かつての最高位貴族の矜持だろうか。

「自殺はしませんよ。私はあくまで生き抜くつもりで――――」

「――――貴女の寿命を誤魔化す方法、心当たりがありますわ」

 次に、呆気にとられるのはイヴェールの番である様だった。以前港町で語り合った際確かに。
 一縷の望みを掛けてそんな話をしたことがあった。――――あった――――が。

「……まあ、とは言え定命を伸ばすなど神の御業。あくまで澱を騙し誤魔化すだけですけれど。
 例えば子を儲け、成人まで見届ける事も叶う筈。命の恩に相応……ではなくて?」
 つまらない話をする様に、王国最悪の大罪人の一人に数えられる娘が紡ぐ言葉。
 以前であれば、まるで信用には値しなかったろう。けれど、今。ここで疑う気にもなれなかった。

「……それは」

「以前伝えましたわよね。魂の時を止める神具、”血晶器”。
 決まった時間寝続ける事になる代わりにその間、魂と澱。つまり生命としての劣化が停まる」

 眠っている間は活動出来ない。唯人の2日が1日になる。その代わり、寿命の二倍の時を生きられる。
 例え彼女の命が残り二十年であったとしても、四十年先まで生きる事が、叶う。
「私が幾つか秘匿してますの。貴女が望むなら、譲っても良い」

 金銀妖眼(ヘテロクロミア )が、イヴェールを測る様に見詰めていた。
 その眼差しに、確かに一瞬気圧されるも。自分が座っている場所が床だと気付いて思い直す。

 今更取り繕うべきことなど無い。例え、万が一騙されていたとしてそれが何だと言うのだろう。
 先にも思ったはずだ。”後悔などしない”――――と。

「それでも、そんな世迷言を宣いますの?」

「はい。宣います」

 処置無し、と言った体で。即席の椅子の背凭れに身を預けるマリエンに。
 良くぞ断言出来た物だ、と思いながらも。腑に落ちたのは確かな納得と満足感だった。

 ずっと憧れていた。高潔な、正義の騎士に。その夢は最早遠く。遥か届かぬ理想になり果てたが。
 意外と悪くはない。世界の全てが彼女を悪と断ずるとして――――

 ■

 公主は、何故だかすっかり臍を曲げてしまった様だ。腕を組み、視線は逸らしたまま戻らない。
 一体何が不満なのか、イヴェールには分からない。けれど何かが、どうも納得出来ていないのだろう。

 或いは、彼女は今までも独りで、これからも独りで居る心算だったのかもしれない。
 メドゥの幹部は”欠落”を抱えていると聞く。彼女の”欠落”が何であるのか、其処は未だ明確ではない。

 自分が”欠落”を埋められると思うほど傲慢ではない。けれど、彼女を見定めた限りにおいて。
 それは誰にとっても”絶対悪”と裁かれる様な願いではない。少なくとも、イヴェールはそう信じている。
「良ければ聞かせて頂けませんか? 貴女の理想の運命の人ってどんな方か」

「……貴女、それに妙に拘りますわね」

「聞いておかないと、探すのも手伝えないので」

「……馬鹿な子」

 脳筋寄りの自覚はまあ、多少あるが。あまり馬鹿馬鹿言わないで欲しい。と、視線に気持ちを載せると。
 まるで押し負けた。とでも言う様にマリエンがまた嘆息し、けれどぽつりぽつりと語り出す。

 それは昔話だった。ずっとずっと、イヴェールが生まれるよりずっとむかしむかしの話。
 彼女には年上の幼馴染が居た。紅百合傍流の武門に生まれ、彼女を護るべく傍らに在る。

 姫向日葵の騎士(ヘリアンサス )。当たり前に傍に居て、当たり前に共に育ち、ずっと一緒だと信じていた。
 けれどそれは真実ではない。婚姻までの時間制限。王家に嫁ぐ姫の傍に異性の騎士が侍るのは禁忌、とされた。

「子供、だったんですわ。私も、あの人も」

 その後は以前彼女が語った通りだ。結果、王子諸共に後宮を壊滅させた彼女の元へ現れたのは件の騎士だった。
 抜身の剣を携え彼女の前に立ちはだかった時点で、幼い恋心は自分だけの一方通行だったのだと知れた。

「え、最低男じゃないですか」

「他人(ひと )の思い出話にそういうこと言わないで貰えません?」

 勿論。自らの力の枷を外した公主は、幼馴染の騎士を容易く一蹴。後宮を脱するに至る。
 結果、傷心の彼女に唯一手を差し伸べた『メドゥ』に心酔するのはある種の代償行為であるとも言え。

 (何だか、悪い男に騙され堕ちる所まで堕ちた良家の令嬢……みたいな話になって来ましたね)

 何処と無くうんざりした感のあるイヴェールだが、初恋と言うのが特別なのは分かる。
 であればその幼馴染が理想の相手だったのだろうか。と問い掛けるも。公主は首を傾げてみせ。

「いいえ、流石に二百年前ですもの。名前以外、顔も声も仕草もすっかり忘れて久しいですわあ」

 当たり前、という様にそう応じたのだった。

●新しい夜明け

「……つまり、理想の誰か、の具体例は特に無い?」

「少なくとも、私の純情を踏み躙ったあの騎士より顔も人格も能力も優れていないと絶対に、嫌。
 ――――と、いう点だけははっきりしてますわね」

「忘れてるんですよね? と言うかそれで何故精神(アストラル )界に相手を求めたので?」

「私の初恋の相手を全方面で上回る男性となると、物質(マテリアル )界では期待薄ですわよね」

 うわ、拗らせてる。と、イヴェールが思ったのも無理はない。
 何せちょくちょく意識から外れるが相手は生粋の。それこそ文字通り最高位貴族(公爵家 )の姫君である。

 加えてどうも聞く限り何の衒いも誇張も無く、蝶よ花よと育てられ(滅茶苦茶甘やかされ )て来たようだ。
 帝都崩壊前であれば並の授恵者など、指先一つで無双出来たろうと考えると挫折の経験も皆無(0 )の可能性が高い。

 結果、突出した魔法の才能と夢破れた恋する乙女の権化が、反社会活動(テロリズム )を中和剤として統合された。
 と考えれば……現状の彼女の、世界は自分中心に回っている。的な振る舞いも分からないではない。

「初恋の相手を美化し過ぎでは」

「ですから、他人(ひと )の思い出話に何故貴女が異論を挟むんですの?」

 ここまで拗らせていると矯正は一朝一夕で行きそうもないことは、イヴェールにも嫌と言うほど分かった。
 何より、彼女は長くメドゥに居過ぎた所為で思想が明らかにそちらに偏っている。

 此度の話も。イヴェールの”行動”にマリエンが恩を感じているから対話として成立しているだけだ。
 これが戦場であれば、そうは行かない。そも、彼女は未だに殆どの授恵者より強力な”個人”(脅威 )なのだ。

「……やっと、状況が分かりました」

「結構ですわ。それで、もう一度だけ確認します。貴女、本気でして?」

 繰り返す、『呪殺公主』の指は残り一本。引き返すなら、これが最後の分岐点だと分かった。
 分かっていて、イヴェールは思わず苦笑いが浮かぶのを止められなかった。

 彼女は、大勢を殺した。間引きと称して王国民を。幸せを求めて『不夜城』の人々を。
 決して嫌いではなかった『白騎士』をも殺め、恨む者など幾らでも居るだろう。

 その力は世界にとって災厄だ。加えて我儘で、気分屋で、感情的で、断じて善性の人間とは言い難い。
 けれど――――彼女が望んで、世界を敵視したのではない。最初に世界が、彼女を異物として弾いたのだ。

 だとするなら。例えば一人位。利害抜きで寄り添う者が居たって良い筈ではないか。
 ■

「本気です。私が、貴女を護ります」

 真っ向きって、そう言葉にしてみせたイヴェールに。黙らされたのは公主の側だった。
 元々見目の良い少女だ。似たような事を言われたことも、長い年月の中。何度かある。

 けれどその誰もが、彼女と共に在る事は出来なかった。隔絶した力量差故に?
 否、その心性の逸脱故に。自分の望みを叶える為ならば、対する者は誰であろうと滅ぼすと言う覚悟。

 その苛烈さ故に、庇護の誓いは常に果たされること無く破綻した。それが当然だった。
 神の呪いをこの身に宿して生まれた以上の必然。その望みは罪であり穢れであると自然に理解した。
 諦めると言う選択肢は無かった。諦めたら何の為に生きたのか。生きる為に戦って来たのか分からない。
 犠牲にした分だけ幸せにならなければならない。何時しか願いは楔となり、確からしさを失くしていった。

 今となっては、どうすれば幸せになれるのかも分からない。本音を言えば、彼女には道標がもう何も無い。
 最後の賭けに負けた時点で、また最初からやり直すほど気丈にはなれない。
 何せ、姿は心の形だ。魂は徐々に摩耗するとしても、心の機微は鏡に映る自分に引っ張られる。
 幾つ年齢を重ねてもマリエンは少女であり、少女でしかなかった。素直に、もう良い加減疲れていた。

 理想の相手は見つからない。どういう人が理想なのかも曖昧然として分からない。
 それでも一人は嫌だった。素敵な花嫁になり幸せな未来を描く。ただそれだけが、彼女の知る幸福の形だった。

 ――――だと、するなら。

「……頑固者、石頭、唐変木」

「語彙が豊富ですね」

 何度裏切られても。願いは叶わなくても。望みは絶たれても。神が、世界が、国家が、彼女を呪っていても。
 差し出した手に、重なる手が有るならば。『呪殺公主』が、その手を拒むことはない。

 失くした分だけ。重ねた分だけ。溢した分だけ。壊した分だけ。その欠落は深く、途方も無い。
 幸福になる方法をたった1つしか知らず、それに固執する彼女が、本当に幸福を得る日は余りにも遠い。

 それでも。少女は夢を見るものだ。どれだけ転んでも、差し出された手に期待を掛けるものだ。
『王国』最悪の大量殺人犯。罪に罪を重ね、幾千もの犠牲と絶望を強いた赤い魔女。

 その手が――――果たして。女の両手で包めるほど小さい事を知る者が、一体どれだけ居るだろう。
 左右で彩りの異なる金と銀の瞳。それが細められるのを確かめて、金の双眸が笑みを刻んだ。

 世界より、国家より、誰かの為に。それはきっと正しくはない。それは紛れもなく正義ではない。
 壊れた夢。失ったものは戻らず、元に戻る事はない。だが――――それでも良いと思ったのだ。

「私を護るなんて、十年早いですの」

 結ばれた掌から感じられた体温は、イヴェールのものより少しだけ高かったけれど。
 例えどれほど血塗られていても。それは確かに、今も道に迷い続ける少女の物だったから。

「では、五年で期待を超えなければいけませんね」

 ――――せめて自分くらいは、味方でいようと。

 ■

 後日、冒険者ギルドを通して投函された2通の手紙は署名以下、僅かに3節で認められる。
 元気であること。所在は探さないで欲しいこと。そして、出来るならば自分のことは忘れて欲しい……と。

 それは、かつて騎士を志した銀の娘が自らの在りようを見定めた。残花も散り行く夜明けのこと。

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メアリー王女が冒険者達の協力を得て稼働させた「王家の耳」。メアリーは無作為に集まってくる情報を、余人に及びもつかぬ閃きを持って分析しながら、今日も世界の動きへ耳を傾けている。
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アーカイブ生成日時 2026年08月05日 14時56分25秒 ・ world0