【DA】リーンエスの耳
レティシア・レインフィール/ ウィリアム・リーンエス
『ノベルタイトル:いつかの答え』おおくまねこ
●
「晩餐会の歌うたい役、ですか?」
「ええ、ホストのボルテス伯爵夫人がぜひ、貴女にと」
「あの方からの招待ですか……ならば、お断りするわけには参りませんね」
新暦1224年。リーンエス王国、伯爵家令嬢レティシア・レインフィールは王国のとある領地で開かれる晩餐会で一曲歌を歌ってくれないかと乞われていた。冒険者として大陸中を駆け抜けた英雄の一人であるレティシアだが、王国の貴族には彼女を冒険者としてではなく、歌唱に秀でた令嬢として知る者もいる。レティシア本人は大勢の前で歌を歌うことは未だ不慣れではあるが、特に彼女がパンクリアース学園に在学していた頃の知己はその傾向が顕著である。そもそも、この晩餐会がパンクリアース学園の同窓会の色彩が濃いイベントのようだ。手紙に同封されていた参加予定の来客の名簿からは、ホストのボルテス伯爵夫人が当時仲が良かった人達を中心に招待をしていることが見て取れた。
(良かった。しばらくお会いしていなかったけれど、お元気でいらしたのですね)
記憶の糸を辿るまでもなく、レティシアはその夫人の名を思い出していた。ボルテス伯爵夫人……本名レイチェルはレティシアの学生時代のクラスメートである。年齢はレティシアの一つ上だったが、学年は一つ下だ。音楽がとても好きで、レティシアが歌を歌う機会にはよく顔を出してくれたことをよく覚えている。学園卒業後は片田舎に領地を構える中立派の貴族、ボルテス伯爵家に正妻として嫁ぎ、忙しい日々を過ごしていたはずだ。卒業後も何度か顔を合わせる機会はあったものの、ここ数年はレティシアが冒険者をやっていたので、一度も会っていない。
(彼女達にもまた会いたいと思っていました。けれど……一つ問題が)
そこで、レティシアは重大な事実を思い出す。
(彼女はまだ、私の婚約者が変わったことは知らないのでは?)
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貴族社会において、自由恋愛は基本的にはご法度である。特に女性の場合はそれが顕著だ。貴族(や大商家)の家に生まれた女性は親が決めた相手――場合によっては生まれる前から決まっていた許嫁と結婚し、実家を太くする礎となる。それがこの時代の王国に生きる貴族の女の宿命なのだ。むろん、たとえ相手は自分で選べなくとも幸福な縁談となるケースもないわけではないが、ともかく、これは絶大な権力を持つ王家であっても(むしろ王家だからこそ、というべきか)逃れない宿痾である。
だが、そんな王国でも、時折社会のバグというか特異個体というか、周囲の期待や社会慣習をものともせず、運命に抗う存在が現れる。そう、自分の決めた相手と結婚する貴族女性である。施設の性質上、同世代の男女が集まるパンクリアース学園などでも時折発生はするのだが、基本的には王国貴族社会においては眉を顰められる行為であり、「ああはなるまい」と思われる逸脱行為である。
が、レティシアはそれをやった。禁断の関係であるがゆえに、愛はより激しく燃え上がった……のかどうかは定かではないが、ともかくレティシアは当初背負っていた婚約を破棄し、自分の決めた相手と新たに婚約を結び直したのだ。
(彼女は今の私のことをどう思うでしょうか?)
無論、レティシアは自ら選んだ道に後悔などないが、それはそれとして昔の友人に距離を置かれたり、「しばらく見ない間に芸風が反体制的になった」と思われたりするのは哀しいのもまた乙女心だった。冒険者時代に出来た友人ならば(貴族社会の住人含め)、全く問題にならないことなのだけれど。
●
(少し、早かったでしょうか)
そして晩餐会当日。レティシアは歌うたいの役割があるので、来訪が直前過ぎると迷惑かと思い、晩餐会が始まる二時間ほど前にボルテス伯爵夫人の屋敷に足を運んだ。
「この度はお招きいただきましてありがとうございます、ボルテス伯爵夫人」
「まあ、まあ、お久しぶりね、白百合の君! 来てくれてありがとう! そうかしこまらないで。あの頃と同じようにレイチェルと呼んで頂戴」
「ふふ。かしこまりました、レイチェル様」
レティシアは旧友と再会を喜び合った。「婚約破棄をしたことを引かれたらどうしよう」というレティシアの不安は杞憂だった。ロマン派であった夫人は、「なんて情熱的な恋なの」と、むしろ大興奮だった。夫人はじっくりとレティシアの恋の話を聞きたかったようだが、ハウスキーパーに窘められ、渋々と話を切り上げた。
その後、レティシアは小さな侍女の案内で眺めのいい客室に通された。ゆっくり思い出話をしたいのは山々だが、伯爵夫人が今日は忙しいのは百も承知だ。あまり引き留めては晩餐会そのものに差し支えるのだろう。レティシアの出番のこともあるので、そのうち彼女なり家令なりが訪ねてくるはずだ。
(私も近い将来、彼女と同じことをしなければなりません。今日は彼女に勉強させてもらいましょう)
せっかくの機会なので、レティシアはボルテス伯爵夫人の動きをよく観察するつもりだった。貴族社会において、屋敷に招いた客人をもてなすのは夫人の重要な役割の一つである。冒険者時代はあまり意識することはなかったが、猶予期間が終わった以上、レティシア自身がもてなし役を務める日もそう遠くない。……婚約相手は昔と変わったが。
「失礼します。何かお飲み物をお持ちいたしましょうか」
「ありがとうございます。では冷たい紅茶をお願いいたします」
「ダージリンとレモン、アールグレイがございますが……あ」
レティシアが侍女に紅茶の好みを尋ねられ、返答しようとしたその時だった。廊下から伯爵夫人の悲鳴(あるいは怒号)が聞こえてきた。
「ちょっと! モンドベル伯爵家のエドワウは欠席の予定じゃなかった!? 家族連れで来てるじゃない!」
「すみません、奥様! どうやら行き違いがあったようで……確かに、お返事は頂けなかったはずなのですが……」
「あの野郎、学生の頃からいい加減なんだから! ともかく空いている部屋に案内して! 5分、いえ10分私が足止めをするわ。その間になんとか段取りして」
「かしこまりました!」
「あわわ」
来客が決して聞いてはいけないやりとりが丸聞こえというまさかの事態に、まだ年若い侍女は目に見えて慌てだした。
「お紅茶はダージリンでお願いいたします」
レティシアは何も聞かなかったフリをし、侍女に淑女の微笑みを向けたのだった。
●
「きゃあ、みんな久しぶり!」
「元気だった!?」
「オンレッド先生もお久しぶりです。アルバート先生も元気ですか? あの、クソまずい謎のお茶っ葉を学園の庭で栽培してたおじいちゃん先生」
「うむ、アルバート先生もお元気だよ。最近は彼のお茶会は『死の茶会』とか言われてるがね」
学園教師の色んな意味でブラックなジョークに、どっと盛り上がる王党派の学園卒業生たち。
「こほん。お客様方? 様々な立場のお客様がいらっしゃるので、不謹慎な冗談で盛り上げるのはご遠慮いただけますと……」(額に青筋を立てた伯爵夫人)
(やはり、とても大変そうなお仕事ですね……さりげなくお手伝いができるといいのですが)
レティシアは伯爵夫人と、あまりおガラがよろしくない学園関係者達のやりとりを生暖かく見守っていた。力になってあげたいのは山々だが、露骨に力添えをしてしまうと彼女のメンツを潰してしまう。レティシアは問題を起こしそうな方々を一塊にし、さりげなく人気のない方向に誘導するぐらいの協力に務めた。夫人はとても忙しそうだったので、これぐらいならたぶんレティシアのアシストには気づかないだろう。
元々伯爵夫人とは友人であるということもあるが、花嫁修業の真っ最中であるレティシアにとっては明日は我が身である。今日は特に他人の気がしなかった。こう言っては何だが、舞台裏の不祥事を目撃できたことも、ある意味では幸運だったと思えるほどである。
「ええと……あのおじさん誰だっけ……」
伯爵夫人は来客の素性を忘れたのか、独りでブツブツ呟いていた。自分で招待した客のことぐらい記憶しておけ、というのは簡単ではあるが、招待客には彼女の知り合いだけでなく、夫の友人や先代の知己なども混ざっているし、晩餐会の出席者は十人や二十人ではない。全員のプロフィールを全て把握し、もてなしたり、適切な話題を振ったりするのは一流の貴族夫人のスキルなのだ。残念ながら、レティシアの旧友は未だ一流の貴婦人にはなれていないようである。
「まあ、フォーゲット子爵様! お久しゅうございます」
「おお、レインフィール家のご令嬢ではないか! 大きくなったね、見違えるようだ」
「あ、そうだ! フォーゲット子爵だ!」
レティシアはそのおじさんがたまたま知っている顔だったので、あえて大きな声で名前を呼び、先に挨拶をした。夫人の耳元で名前を囁くような直接的なサポートは避けたが、この支援はさすがに夫人にも気付かれたのだろう。夫人は他の人に見えないように小さくレティシアにお辞儀をしてくれた。
●
レティシアが客間に通されてから約2時間後。ボルテス領の晩餐会はつつがなく開催され、やがてレティシアの出番がやってきた。
「それでは、不肖レティシア・レインフィールが一曲歌わせていただきます」
月のように白いドレスを纏ったレティシアが壇上に立つ。大きく息を吸い込んだレティシアが喉を震わせる。彼女が歌った歌は、渡り鳥が楽園を求めて長い旅をし、旅の果てに美しい場所を見つける――そんな歌だった。彼女が喉を震わせている間、しばし聴衆たちは彼女の歌声に聞き惚れた。
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「ご清聴、ありがとうございました」
レティシアが一礼すると、会場は盛大な拍手に包まれた。その後、数点の催しが行われた後、晩餐会は立食パーティへと移った。
「ありがとうございます、白百合の君。以前と変わらず、素晴らしい歌声でした!」
「恐縮です。レイチェル様」
レティシアは主催者のレイチェルとしばし歓談したが、ホストの彼女はやはり忙しかったらしく、「また今度、貴女の大恋愛のお話をゆっくり聞かせて下さいね」と言い残し、慌ただしくレティシアの側を離れていった。
(さて、これからどうしましょう。ずっと付きまとわれてはレイチェル様もご迷惑でしょうし)
手持無沙汰になったレティシアはとりあえず喉の渇きでも潤そうかと、テーブルへと近づいていく。すると、後ろから若い男に声をかけられた。
「やあ、レティシア。素晴らしい歌だったね。僕が君の歌声を聞いたのは三年前の学園の時以来かな? あの時の君はお芝居の語り手をしていたっけ」
(この声は……まさか)
バッとレティシアが後ろを振り向くと、涼し気な微笑みを浮かべた金髪碧眼の美青年が立っていた。名はウィリアム・リーンエス第二王子改め、ウィリアム・バデーニ公爵。レティシアにとっては冒険者時代の因縁の相手だった。
(そういえば、あの時のお返事がまだでしたね……)
レティシアは数年前、ヴァイセントラフ砦で彼と話した時のことを思い出していた。
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――帝国の崩壊と授恵者の急増は、王国にとって致命的だった。じきに『狸』に『黒』も動き出すだろう。
――貴族たちだって一枚岩ではない。帝国の動静次第で王国は文字通りに割れて、大陸は今よりも大きな戦火に包まれることになる。
――レインフィール侯は代々の中立派だ。ただの風見鶏ではなくね。だからこそ、僕たちは手を組めると思っているよ。
――それは、私が決めることではありません。
――その通り。でも、君にこそ、決めて欲しいんだ。……レティシア。薔薇の君。君には、選ぶ権利がある筈だよ。
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あの時のウィリアムの言葉は求婚と解釈することもできるものだった。結局返答しないまま、レティシアのモラトリアム――というにはあまりに苛烈な日々は終わってしまったが、あの頃とはずいぶん状況も変わっている。
ウィリアムが王家を離れて臣籍降下したこともそうだし、レティシアの婚約者も当時とは違う。レティシアをここに招いたボルテス伯爵夫人はあまり気にしていない様子だったが、今のレティシアの婚約者は貴族派ではなく王党派の家系……というか、王国改革の最先鋒であるクラティアス侯爵家の第一子である(厳密に言えば馴れ初めからそうであったわけではなく、それが認められるまでにも紆余曲折あったが長くなるのでここでは語らない)。
(ちょうどいい機会ですから、今夜公爵様にあの時のお返事をしておくべきですね)
そう決意したレティシアは、ウィリアムへと微笑む。
「ご無沙汰しております、公爵様」
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「何年か前にも、君とこうして話をしたことがあったね。あれはヴァイセントラフ砦だったかな」
「はい。今となっては遠い昔のような、少し前のような、不思議な感じです」
「うん、分かるよ。幽界樹との戦いの為に過ごした時間は、僕もそんな感じだ」
レティシアとウィリアムはホールをこっそりと抜け出し、中庭に移動していた。ホールでは今、東方からやってきたと自称するマジシャンが大魔術を披露している。わざわざ中庭に来る者はそうそういないだろう。ただし、未婚の女性が若い男と二人きりという状況を避けるため、立会人としてたまたま会場にいた学園教師が一緒に来ていた。
「では改めて。久しぶりだね。レティシア。薔薇の君。いや、今日は白百合の君と呼ぶべきかな。ボルテス伯爵夫人もそう呼んでいたし」
「どちらでも、公爵様のお好きな風に」
レティシアはスカートの裾を掴み、恭しく一礼をすると、たおやかに微笑んだ。
「公爵様はどうしてこちらに? 伯爵夫人とお知り合いだったのですか?」
「ああ。僕が放浪生活をしていた頃に、伯爵とちょっとね」
ウィリアムは頷く。結婚するまでずっと放浪していたイメージのある彼のことなので、時期はレティシアには不明だったが、ともかく伯爵とは知り合いのようだ。
「遅くなりましたが、ご結婚おめでとうございます」
「ありがとう。新生活はお互い大変だと思うけど、君の方はどうだい?」
「公爵様ほどでは。……時には、冒険者時代のことが懐かしくもありますが」
「そうだね。僕もスケジュールがあまりに大変な時は、なぜかギルドの依頼書に目をやってしまうことがあるよ」
ウィリアムの冗談にレティシアはクスリと笑った。その後、二人はしばし近況報告などの雑談をした。あえて確認するまでもないことではあるが、ウィリアムは当然レティシアの婚約相手が変わったこともちゃんと把握していた。やがてレティシアは意を決し、今日の本題を切り出した。
「あの……公爵様。あの時のお話のお返事をさせていただきたく」
すると、ウィリアムはゆっくりと頷いた。
「ああ。今こそ君の答えを聞かせてほしい」
●
『でも、君にこそ、決めて欲しいんだ。……レティシア。薔薇の君。君には、選ぶ権利がある筈だよ』
(あの時はまさかの求婚かと悩んだものですが……冷静に考えると、それはおかしい気がします)
当時、レティシアは貴族派の家系の男と婚約していた。ウィリアムの「手を組まないか」という発言をプロポーズだと解釈すると、それは婚約を破棄して自分のとこに来い、という意味になる。
幽界樹との長い戦いの最中、冒険者に『メドゥの指先』との黒い繋がりや、悪事を暴かれた者も多く、貴族派は徐々に衰退していったが、当時の情勢的には、レティシアが王子の誘いを本気にすれば、王家に不満を持つ貴族派や過激派に攻撃材料を与えかねない行為だった。
(貴族派との婚約を破棄させて王子と婚姻することは王家に利点は薄かったと考えられます)
(第一王女と婚約していた)レイウェスト皇子の血筋が明らかになったすぐ後にウィリアムが臣籍降下と集権派の構想を発表したように、彼が王家への批判を全て自分に向けようとか考えていたのでなければ。
「公爵様。あの時のお誘いは集権派成立の為の協力に、代々中立派貴族である父や兄との仲介が目的だったのではありませんか?」
レティシアがそう問いかけると、ウィリアムは肩を竦めた。
「おっと、それは少し飛躍しすぎじゃないかな。あの時はまだメアリーとレイウェストの結婚も決まっていなかったし、狸と黒を抑えられるかも不透明だった」
(……違うのでしょうか? 確かに集権派の構想が発表されたのは、メアリー王女の婚約相手であるレイウェスト皇子がリザードマンとの混血であったことが露見したことで、国内でも特に王家への不満が特に高まっていた時期でしたが……)
レティシアはじっとウィリアムを見つめてみるが、彼は目を逸らさず、涼しげな微笑を浮かべるのみだ。いずれにせよ、集権派の構想がいつからあったのかについては彼は黙秘するつもりらしい。……そこで話が終わってしまったので、レティシアはいよいよいつかの答えを口にしなければならなくなった。
「……公爵様。家臣となるのは立場上難しいのですが、友人や、側室の義姉としてならば、お力になれるのではないかと」
レティシアがそう口にすると、ウィリアムは笑って頷いた。
「ありがとう。薔薇の君。……そうだね。君は『選ぶ権利』を使った結果、そうなったんだろう」
先ほども少し触れたが、レティシアの現婚約者は王党派のクラティアス家の第一子である。そして、その男はウィリアムの側室の一人である令嬢の異母兄にあたる。したがって、レティシアは近い将来ウィリアムの義理の兄の妻になることになる。ウィリアムから誘いを受けた時点とは異なり、家柄的な観点ではかなりウィリアムに近しくなっているのである。実家は依然として中立派だが、客観的にはレティシアはほぼ王党派の人間だ。
「レティシア。あの時君には選ぶ権利があるとは言ったけれど、さすがにそこまでは僕にも読めなかったな。やはり君は情熱的な薔薇だった」
ウィリアムが自分の髪を軽く掴みながら苦笑すると、レティシアは少し照れ臭そうにしていた。
●
「集権派の理念については、私も協力は可能かと。ただ、過去の事例から常に王家が正しい事を想定した中央集権化は危うく感じることも事実です」
レティシアがそう口にすると、ウィリアムの眉が一瞬吊り上がった。……が、すぐにウィリアムは微笑みを浮かべた。
(……?)
「レティシア。君は時々本当に大胆なことを口にするね。その発言は王家への不敬を疑われかねない。僕は聞き流せるけど、貴族としての発言には気を付けた方がいい」
ウィリアムは首を横に振ると、シィーッと人差し指を立てるジェスチャーをした。
「……不躾でした。ご忠告、感謝いたします」
レティシアは恭しく一礼する。十分に気を付けていたつもりだったが、冒険者時代の感覚がまだ抜けきっていなかったのかもしれない。
「……そういえば大胆と言えば、アイオーラ伯爵にも『第二王子以外に貴方の娘の貰い手はいない』とか言ったそうじゃないか」
「え」
ウィリアムが冷たい微笑を浮かべながらそう口にすると、今度はレティシアの顔が凍り付いた。確かに、ウィリアムの熱狂的ファンであったアイオーラ伯爵家の長女の結婚を後押しするために、そのようなニュアンスのことをオブラートに包んで伯爵に伝えた覚えはあるが、まさかウィリアム本人にその話が伝わっているとは。そして、レティシアはそんな悪意の籠った言い方はしていない。当時レティシアが口にしたのは、
「学園に巨大なウィリアム黄金像を建てた女に、ウィリアム以外の男との縁談が果たして可能なのか?」
という極めてまっとうな疑問である。
「あの。殿下。誤解があると思うのですが」
狼狽のあまり呼称が以前のものに戻っていることも気づかずレティシアは弁解しようとしたが、ウィリアムは涼しげに笑っている。
「はは。まあそれは別に気にはしてないよ。縁談と、アイオーラ伯爵の集権派への鞍替えを後押ししてくれて僕も助かったわけだしね。……ちょっと場の雰囲気を変えるべく、別の話題を振ってみたかっただけさ」
朗らかに笑う王子だったが、レティシアの方は引き攣った笑顔を浮かべて会釈するのがせいぜいだった。今の全く笑えない冗談は、ウィリアムなりの不敬へのペナルティだったのかもしれない。
「それでレティシア。君の話にはまだ続きがありそうだね」
ウィリアムが真面目な顔に戻ると、レティシアはこほんと咳払いしてから頷いた。
「はい、公爵様。この国の集権化についてですが……有事の際に王家を諫める事が出来る。例えば王家とも対等に話し合える場や組織があれば、王国はより良い国になるのではと……」
レティシアがためらいながらそう口にすると、ウィリアムは真面目な顔のまま、静かに頷いた。
「なるほど。君の意見は分かった。だが、もし公の場で貴族がそこまで口にするならば、最低でも具体案の提示は必要で、根回しと行動はもっと重要だよ」
「はい」
レティシアは頷く。確か王子の言う通りだ。今語った自分の構想を実現させるには、たくさんの味方が必要となるだろう。それこそ、生涯をかけた大事業になるかもしれないほどに。今日のようなパーティーに何度も足を運んだり、自分で集まりを開いて賛同してくれる人を集めたりといった、地道で長い下積みも必要になってくるはずだ。場合によっては、異なる思想を持つ貴族に命を狙われることだってあるかもしれない。それは、今レティシアの目の前に立っている男も同じなのだが。
「それと、君も分かっているだろうけど、この国の政治は王族だけで全て決めているわけではない。王家が強大な権力を持つことは事実だが、城の者達の意志や重臣の意見が反映されていないわけではないからね」
「……」
「いつかもう一度聞かせて欲しいな。君の理想がもう少しハッキリとした形になった時に。君の考える構想がこの国の未来を良きものにできるものならば、僕は喜んで賛同するだろう。期待しているよ、薔薇の君」
「はい」
レティシアは真剣な眼差しでウィリアムを見つめながら頷いた。
「……おっと。もうこんな時間か。そろそろ僕は失礼するよ。またね、レティシア義姉さん。今日は楽しかったよ。君の愛しい男性にもよろしく」
「え? ……はい。またお会いしましょう、公爵様」
ウィリアムは困惑するレティシアを放置し、今日一番の爽やかな笑顔を浮かべて立ち去っていった。すると、ずっと案山子に徹していた男もスッとその場を立ち去った。しばらくあっけにとられていたレティシアだったが、しばらくしてはたと気付く。
(あの時のお返事をしたはずなのですが。また別の約束ができてしまいました……やっぱりあの方は私を逃がす気がないのでは?)
今日は彼と一つの決着を付けるつもりだったが、いつの間にやらまた新しいウィリアムとの約束ができてしまった。どうやら、彼との秘密の約束はまだ終わらないようである……。
「晩餐会の歌うたい役、ですか?」
「ええ、ホストのボルテス伯爵夫人がぜひ、貴女にと」
「あの方からの招待ですか……ならば、お断りするわけには参りませんね」
新暦1224年。リーンエス王国、伯爵家令嬢レティシア・レインフィールは王国のとある領地で開かれる晩餐会で一曲歌を歌ってくれないかと乞われていた。冒険者として大陸中を駆け抜けた英雄の一人であるレティシアだが、王国の貴族には彼女を冒険者としてではなく、歌唱に秀でた令嬢として知る者もいる。レティシア本人は大勢の前で歌を歌うことは未だ不慣れではあるが、特に彼女がパンクリアース学園に在学していた頃の知己はその傾向が顕著である。そもそも、この晩餐会がパンクリアース学園の同窓会の色彩が濃いイベントのようだ。手紙に同封されていた参加予定の来客の名簿からは、ホストのボルテス伯爵夫人が当時仲が良かった人達を中心に招待をしていることが見て取れた。
(良かった。しばらくお会いしていなかったけれど、お元気でいらしたのですね)
記憶の糸を辿るまでもなく、レティシアはその夫人の名を思い出していた。ボルテス伯爵夫人……本名レイチェルはレティシアの学生時代のクラスメートである。年齢はレティシアの一つ上だったが、学年は一つ下だ。音楽がとても好きで、レティシアが歌を歌う機会にはよく顔を出してくれたことをよく覚えている。学園卒業後は片田舎に領地を構える中立派の貴族、ボルテス伯爵家に正妻として嫁ぎ、忙しい日々を過ごしていたはずだ。卒業後も何度か顔を合わせる機会はあったものの、ここ数年はレティシアが冒険者をやっていたので、一度も会っていない。
(彼女達にもまた会いたいと思っていました。けれど……一つ問題が)
そこで、レティシアは重大な事実を思い出す。
(彼女はまだ、私の婚約者が変わったことは知らないのでは?)
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貴族社会において、自由恋愛は基本的にはご法度である。特に女性の場合はそれが顕著だ。貴族(や大商家)の家に生まれた女性は親が決めた相手――場合によっては生まれる前から決まっていた許嫁と結婚し、実家を太くする礎となる。それがこの時代の王国に生きる貴族の女の宿命なのだ。むろん、たとえ相手は自分で選べなくとも幸福な縁談となるケースもないわけではないが、ともかく、これは絶大な権力を持つ王家であっても(むしろ王家だからこそ、というべきか)逃れない宿痾である。
だが、そんな王国でも、時折社会のバグというか特異個体というか、周囲の期待や社会慣習をものともせず、運命に抗う存在が現れる。そう、自分の決めた相手と結婚する貴族女性である。施設の性質上、同世代の男女が集まるパンクリアース学園などでも時折発生はするのだが、基本的には王国貴族社会においては眉を顰められる行為であり、「ああはなるまい」と思われる逸脱行為である。
が、レティシアはそれをやった。禁断の関係であるがゆえに、愛はより激しく燃え上がった……のかどうかは定かではないが、ともかくレティシアは当初背負っていた婚約を破棄し、自分の決めた相手と新たに婚約を結び直したのだ。
(彼女は今の私のことをどう思うでしょうか?)
無論、レティシアは自ら選んだ道に後悔などないが、それはそれとして昔の友人に距離を置かれたり、「しばらく見ない間に芸風が反体制的になった」と思われたりするのは哀しいのもまた乙女心だった。冒険者時代に出来た友人ならば(貴族社会の住人含め)、全く問題にならないことなのだけれど。
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(少し、早かったでしょうか)
そして晩餐会当日。レティシアは歌うたいの役割があるので、来訪が直前過ぎると迷惑かと思い、晩餐会が始まる二時間ほど前にボルテス伯爵夫人の屋敷に足を運んだ。
「この度はお招きいただきましてありがとうございます、ボルテス伯爵夫人」
「まあ、まあ、お久しぶりね、白百合の君! 来てくれてありがとう! そうかしこまらないで。あの頃と同じようにレイチェルと呼んで頂戴」
「ふふ。かしこまりました、レイチェル様」
レティシアは旧友と再会を喜び合った。「婚約破棄をしたことを引かれたらどうしよう」というレティシアの不安は杞憂だった。ロマン派であった夫人は、「なんて情熱的な恋なの」と、むしろ大興奮だった。夫人はじっくりとレティシアの恋の話を聞きたかったようだが、ハウスキーパーに窘められ、渋々と話を切り上げた。
その後、レティシアは小さな侍女の案内で眺めのいい客室に通された。ゆっくり思い出話をしたいのは山々だが、伯爵夫人が今日は忙しいのは百も承知だ。あまり引き留めては晩餐会そのものに差し支えるのだろう。レティシアの出番のこともあるので、そのうち彼女なり家令なりが訪ねてくるはずだ。
(私も近い将来、彼女と同じことをしなければなりません。今日は彼女に勉強させてもらいましょう)
せっかくの機会なので、レティシアはボルテス伯爵夫人の動きをよく観察するつもりだった。貴族社会において、屋敷に招いた客人をもてなすのは夫人の重要な役割の一つである。冒険者時代はあまり意識することはなかったが、猶予期間が終わった以上、レティシア自身がもてなし役を務める日もそう遠くない。……婚約相手は昔と変わったが。
「失礼します。何かお飲み物をお持ちいたしましょうか」
「ありがとうございます。では冷たい紅茶をお願いいたします」
「ダージリンとレモン、アールグレイがございますが……あ」
レティシアが侍女に紅茶の好みを尋ねられ、返答しようとしたその時だった。廊下から伯爵夫人の悲鳴(あるいは怒号)が聞こえてきた。
「ちょっと! モンドベル伯爵家のエドワウは欠席の予定じゃなかった!? 家族連れで来てるじゃない!」
「すみません、奥様! どうやら行き違いがあったようで……確かに、お返事は頂けなかったはずなのですが……」
「あの野郎、学生の頃からいい加減なんだから! ともかく空いている部屋に案内して! 5分、いえ10分私が足止めをするわ。その間になんとか段取りして」
「かしこまりました!」
「あわわ」
来客が決して聞いてはいけないやりとりが丸聞こえというまさかの事態に、まだ年若い侍女は目に見えて慌てだした。
「お紅茶はダージリンでお願いいたします」
レティシアは何も聞かなかったフリをし、侍女に淑女の微笑みを向けたのだった。
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「きゃあ、みんな久しぶり!」
「元気だった!?」
「オンレッド先生もお久しぶりです。アルバート先生も元気ですか? あの、クソまずい謎のお茶っ葉を学園の庭で栽培してたおじいちゃん先生」
「うむ、アルバート先生もお元気だよ。最近は彼のお茶会は『死の茶会』とか言われてるがね」
学園教師の色んな意味でブラックなジョークに、どっと盛り上がる王党派の学園卒業生たち。
「こほん。お客様方? 様々な立場のお客様がいらっしゃるので、不謹慎な冗談で盛り上げるのはご遠慮いただけますと……」(額に青筋を立てた伯爵夫人)
(やはり、とても大変そうなお仕事ですね……さりげなくお手伝いができるといいのですが)
レティシアは伯爵夫人と、あまりおガラがよろしくない学園関係者達のやりとりを生暖かく見守っていた。力になってあげたいのは山々だが、露骨に力添えをしてしまうと彼女のメンツを潰してしまう。レティシアは問題を起こしそうな方々を一塊にし、さりげなく人気のない方向に誘導するぐらいの協力に務めた。夫人はとても忙しそうだったので、これぐらいならたぶんレティシアのアシストには気づかないだろう。
元々伯爵夫人とは友人であるということもあるが、花嫁修業の真っ最中であるレティシアにとっては明日は我が身である。今日は特に他人の気がしなかった。こう言っては何だが、舞台裏の不祥事を目撃できたことも、ある意味では幸運だったと思えるほどである。
「ええと……あのおじさん誰だっけ……」
伯爵夫人は来客の素性を忘れたのか、独りでブツブツ呟いていた。自分で招待した客のことぐらい記憶しておけ、というのは簡単ではあるが、招待客には彼女の知り合いだけでなく、夫の友人や先代の知己なども混ざっているし、晩餐会の出席者は十人や二十人ではない。全員のプロフィールを全て把握し、もてなしたり、適切な話題を振ったりするのは一流の貴族夫人のスキルなのだ。残念ながら、レティシアの旧友は未だ一流の貴婦人にはなれていないようである。
「まあ、フォーゲット子爵様! お久しゅうございます」
「おお、レインフィール家のご令嬢ではないか! 大きくなったね、見違えるようだ」
「あ、そうだ! フォーゲット子爵だ!」
レティシアはそのおじさんがたまたま知っている顔だったので、あえて大きな声で名前を呼び、先に挨拶をした。夫人の耳元で名前を囁くような直接的なサポートは避けたが、この支援はさすがに夫人にも気付かれたのだろう。夫人は他の人に見えないように小さくレティシアにお辞儀をしてくれた。
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レティシアが客間に通されてから約2時間後。ボルテス領の晩餐会はつつがなく開催され、やがてレティシアの出番がやってきた。
「それでは、不肖レティシア・レインフィールが一曲歌わせていただきます」
月のように白いドレスを纏ったレティシアが壇上に立つ。大きく息を吸い込んだレティシアが喉を震わせる。彼女が歌った歌は、渡り鳥が楽園を求めて長い旅をし、旅の果てに美しい場所を見つける――そんな歌だった。彼女が喉を震わせている間、しばし聴衆たちは彼女の歌声に聞き惚れた。
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「ご清聴、ありがとうございました」
レティシアが一礼すると、会場は盛大な拍手に包まれた。その後、数点の催しが行われた後、晩餐会は立食パーティへと移った。
「ありがとうございます、白百合の君。以前と変わらず、素晴らしい歌声でした!」
「恐縮です。レイチェル様」
レティシアは主催者のレイチェルとしばし歓談したが、ホストの彼女はやはり忙しかったらしく、「また今度、貴女の大恋愛のお話をゆっくり聞かせて下さいね」と言い残し、慌ただしくレティシアの側を離れていった。
(さて、これからどうしましょう。ずっと付きまとわれてはレイチェル様もご迷惑でしょうし)
手持無沙汰になったレティシアはとりあえず喉の渇きでも潤そうかと、テーブルへと近づいていく。すると、後ろから若い男に声をかけられた。
「やあ、レティシア。素晴らしい歌だったね。僕が君の歌声を聞いたのは三年前の学園の時以来かな? あの時の君はお芝居の語り手をしていたっけ」
(この声は……まさか)
バッとレティシアが後ろを振り向くと、涼し気な微笑みを浮かべた金髪碧眼の美青年が立っていた。名はウィリアム・リーンエス第二王子改め、ウィリアム・バデーニ公爵。レティシアにとっては冒険者時代の因縁の相手だった。
(そういえば、あの時のお返事がまだでしたね……)
レティシアは数年前、ヴァイセントラフ砦で彼と話した時のことを思い出していた。
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――帝国の崩壊と授恵者の急増は、王国にとって致命的だった。じきに『狸』に『黒』も動き出すだろう。
――貴族たちだって一枚岩ではない。帝国の動静次第で王国は文字通りに割れて、大陸は今よりも大きな戦火に包まれることになる。
――レインフィール侯は代々の中立派だ。ただの風見鶏ではなくね。だからこそ、僕たちは手を組めると思っているよ。
――それは、私が決めることではありません。
――その通り。でも、君にこそ、決めて欲しいんだ。……レティシア。薔薇の君。君には、選ぶ権利がある筈だよ。
●
あの時のウィリアムの言葉は求婚と解釈することもできるものだった。結局返答しないまま、レティシアのモラトリアム――というにはあまりに苛烈な日々は終わってしまったが、あの頃とはずいぶん状況も変わっている。
ウィリアムが王家を離れて臣籍降下したこともそうだし、レティシアの婚約者も当時とは違う。レティシアをここに招いたボルテス伯爵夫人はあまり気にしていない様子だったが、今のレティシアの婚約者は貴族派ではなく王党派の家系……というか、王国改革の最先鋒であるクラティアス侯爵家の第一子である(厳密に言えば馴れ初めからそうであったわけではなく、それが認められるまでにも紆余曲折あったが長くなるのでここでは語らない)。
(ちょうどいい機会ですから、今夜公爵様にあの時のお返事をしておくべきですね)
そう決意したレティシアは、ウィリアムへと微笑む。
「ご無沙汰しております、公爵様」
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「何年か前にも、君とこうして話をしたことがあったね。あれはヴァイセントラフ砦だったかな」
「はい。今となっては遠い昔のような、少し前のような、不思議な感じです」
「うん、分かるよ。幽界樹との戦いの為に過ごした時間は、僕もそんな感じだ」
レティシアとウィリアムはホールをこっそりと抜け出し、中庭に移動していた。ホールでは今、東方からやってきたと自称するマジシャンが大魔術を披露している。わざわざ中庭に来る者はそうそういないだろう。ただし、未婚の女性が若い男と二人きりという状況を避けるため、立会人としてたまたま会場にいた学園教師が一緒に来ていた。
「では改めて。久しぶりだね。レティシア。薔薇の君。いや、今日は白百合の君と呼ぶべきかな。ボルテス伯爵夫人もそう呼んでいたし」
「どちらでも、公爵様のお好きな風に」
レティシアはスカートの裾を掴み、恭しく一礼をすると、たおやかに微笑んだ。
「公爵様はどうしてこちらに? 伯爵夫人とお知り合いだったのですか?」
「ああ。僕が放浪生活をしていた頃に、伯爵とちょっとね」
ウィリアムは頷く。結婚するまでずっと放浪していたイメージのある彼のことなので、時期はレティシアには不明だったが、ともかく伯爵とは知り合いのようだ。
「遅くなりましたが、ご結婚おめでとうございます」
「ありがとう。新生活はお互い大変だと思うけど、君の方はどうだい?」
「公爵様ほどでは。……時には、冒険者時代のことが懐かしくもありますが」
「そうだね。僕もスケジュールがあまりに大変な時は、なぜかギルドの依頼書に目をやってしまうことがあるよ」
ウィリアムの冗談にレティシアはクスリと笑った。その後、二人はしばし近況報告などの雑談をした。あえて確認するまでもないことではあるが、ウィリアムは当然レティシアの婚約相手が変わったこともちゃんと把握していた。やがてレティシアは意を決し、今日の本題を切り出した。
「あの……公爵様。あの時のお話のお返事をさせていただきたく」
すると、ウィリアムはゆっくりと頷いた。
「ああ。今こそ君の答えを聞かせてほしい」
●
『でも、君にこそ、決めて欲しいんだ。……レティシア。薔薇の君。君には、選ぶ権利がある筈だよ』
(あの時はまさかの求婚かと悩んだものですが……冷静に考えると、それはおかしい気がします)
当時、レティシアは貴族派の家系の男と婚約していた。ウィリアムの「手を組まないか」という発言をプロポーズだと解釈すると、それは婚約を破棄して自分のとこに来い、という意味になる。
幽界樹との長い戦いの最中、冒険者に『メドゥの指先』との黒い繋がりや、悪事を暴かれた者も多く、貴族派は徐々に衰退していったが、当時の情勢的には、レティシアが王子の誘いを本気にすれば、王家に不満を持つ貴族派や過激派に攻撃材料を与えかねない行為だった。
(貴族派との婚約を破棄させて王子と婚姻することは王家に利点は薄かったと考えられます)
(第一王女と婚約していた)レイウェスト皇子の血筋が明らかになったすぐ後にウィリアムが臣籍降下と集権派の構想を発表したように、彼が王家への批判を全て自分に向けようとか考えていたのでなければ。
「公爵様。あの時のお誘いは集権派成立の為の協力に、代々中立派貴族である父や兄との仲介が目的だったのではありませんか?」
レティシアがそう問いかけると、ウィリアムは肩を竦めた。
「おっと、それは少し飛躍しすぎじゃないかな。あの時はまだメアリーとレイウェストの結婚も決まっていなかったし、狸と黒を抑えられるかも不透明だった」
(……違うのでしょうか? 確かに集権派の構想が発表されたのは、メアリー王女の婚約相手であるレイウェスト皇子がリザードマンとの混血であったことが露見したことで、国内でも特に王家への不満が特に高まっていた時期でしたが……)
レティシアはじっとウィリアムを見つめてみるが、彼は目を逸らさず、涼しげな微笑を浮かべるのみだ。いずれにせよ、集権派の構想がいつからあったのかについては彼は黙秘するつもりらしい。……そこで話が終わってしまったので、レティシアはいよいよいつかの答えを口にしなければならなくなった。
「……公爵様。家臣となるのは立場上難しいのですが、友人や、側室の義姉としてならば、お力になれるのではないかと」
レティシアがそう口にすると、ウィリアムは笑って頷いた。
「ありがとう。薔薇の君。……そうだね。君は『選ぶ権利』を使った結果、そうなったんだろう」
先ほども少し触れたが、レティシアの現婚約者は王党派のクラティアス家の第一子である。そして、その男はウィリアムの側室の一人である令嬢の異母兄にあたる。したがって、レティシアは近い将来ウィリアムの義理の兄の妻になることになる。ウィリアムから誘いを受けた時点とは異なり、家柄的な観点ではかなりウィリアムに近しくなっているのである。実家は依然として中立派だが、客観的にはレティシアはほぼ王党派の人間だ。
「レティシア。あの時君には選ぶ権利があるとは言ったけれど、さすがにそこまでは僕にも読めなかったな。やはり君は情熱的な薔薇だった」
ウィリアムが自分の髪を軽く掴みながら苦笑すると、レティシアは少し照れ臭そうにしていた。
●
「集権派の理念については、私も協力は可能かと。ただ、過去の事例から常に王家が正しい事を想定した中央集権化は危うく感じることも事実です」
レティシアがそう口にすると、ウィリアムの眉が一瞬吊り上がった。……が、すぐにウィリアムは微笑みを浮かべた。
(……?)
「レティシア。君は時々本当に大胆なことを口にするね。その発言は王家への不敬を疑われかねない。僕は聞き流せるけど、貴族としての発言には気を付けた方がいい」
ウィリアムは首を横に振ると、シィーッと人差し指を立てるジェスチャーをした。
「……不躾でした。ご忠告、感謝いたします」
レティシアは恭しく一礼する。十分に気を付けていたつもりだったが、冒険者時代の感覚がまだ抜けきっていなかったのかもしれない。
「……そういえば大胆と言えば、アイオーラ伯爵にも『第二王子以外に貴方の娘の貰い手はいない』とか言ったそうじゃないか」
「え」
ウィリアムが冷たい微笑を浮かべながらそう口にすると、今度はレティシアの顔が凍り付いた。確かに、ウィリアムの熱狂的ファンであったアイオーラ伯爵家の長女の結婚を後押しするために、そのようなニュアンスのことをオブラートに包んで伯爵に伝えた覚えはあるが、まさかウィリアム本人にその話が伝わっているとは。そして、レティシアはそんな悪意の籠った言い方はしていない。当時レティシアが口にしたのは、
「学園に巨大なウィリアム黄金像を建てた女に、ウィリアム以外の男との縁談が果たして可能なのか?」
という極めてまっとうな疑問である。
「あの。殿下。誤解があると思うのですが」
狼狽のあまり呼称が以前のものに戻っていることも気づかずレティシアは弁解しようとしたが、ウィリアムは涼しげに笑っている。
「はは。まあそれは別に気にはしてないよ。縁談と、アイオーラ伯爵の集権派への鞍替えを後押ししてくれて僕も助かったわけだしね。……ちょっと場の雰囲気を変えるべく、別の話題を振ってみたかっただけさ」
朗らかに笑う王子だったが、レティシアの方は引き攣った笑顔を浮かべて会釈するのがせいぜいだった。今の全く笑えない冗談は、ウィリアムなりの不敬へのペナルティだったのかもしれない。
「それでレティシア。君の話にはまだ続きがありそうだね」
ウィリアムが真面目な顔に戻ると、レティシアはこほんと咳払いしてから頷いた。
「はい、公爵様。この国の集権化についてですが……有事の際に王家を諫める事が出来る。例えば王家とも対等に話し合える場や組織があれば、王国はより良い国になるのではと……」
レティシアがためらいながらそう口にすると、ウィリアムは真面目な顔のまま、静かに頷いた。
「なるほど。君の意見は分かった。だが、もし公の場で貴族がそこまで口にするならば、最低でも具体案の提示は必要で、根回しと行動はもっと重要だよ」
「はい」
レティシアは頷く。確か王子の言う通りだ。今語った自分の構想を実現させるには、たくさんの味方が必要となるだろう。それこそ、生涯をかけた大事業になるかもしれないほどに。今日のようなパーティーに何度も足を運んだり、自分で集まりを開いて賛同してくれる人を集めたりといった、地道で長い下積みも必要になってくるはずだ。場合によっては、異なる思想を持つ貴族に命を狙われることだってあるかもしれない。それは、今レティシアの目の前に立っている男も同じなのだが。
「それと、君も分かっているだろうけど、この国の政治は王族だけで全て決めているわけではない。王家が強大な権力を持つことは事実だが、城の者達の意志や重臣の意見が反映されていないわけではないからね」
「……」
「いつかもう一度聞かせて欲しいな。君の理想がもう少しハッキリとした形になった時に。君の考える構想がこの国の未来を良きものにできるものならば、僕は喜んで賛同するだろう。期待しているよ、薔薇の君」
「はい」
レティシアは真剣な眼差しでウィリアムを見つめながら頷いた。
「……おっと。もうこんな時間か。そろそろ僕は失礼するよ。またね、レティシア義姉さん。今日は楽しかったよ。君の愛しい男性にもよろしく」
「え? ……はい。またお会いしましょう、公爵様」
ウィリアムは困惑するレティシアを放置し、今日一番の爽やかな笑顔を浮かべて立ち去っていった。すると、ずっと案山子に徹していた男もスッとその場を立ち去った。しばらくあっけにとられていたレティシアだったが、しばらくしてはたと気付く。
(あの時のお返事をしたはずなのですが。また別の約束ができてしまいました……やっぱりあの方は私を逃がす気がないのでは?)
今日は彼と一つの決着を付けるつもりだったが、いつの間にやらまた新しいウィリアムとの約束ができてしまった。どうやら、彼との秘密の約束はまだ終わらないようである……。
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メアリー王女が冒険者達の協力を得て稼働させた「王家の耳」。メアリーは無作為に集まってくる情報を、余人に及びもつかぬ閃きを持って分析しながら、今日も世界の動きへ耳を傾けている。
集まった情報の中には、世界の情勢に影響はないかもしれないが興味深い個人の記録があるかもしれない。