【DA】リーンエスの耳

ヴァン・ローラント/ 雪平 陵

『ノベルタイトル:幻の技、再び』革酎
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 暖かな陽射しの中に、初夏の熱気がじんわりと紛れ込む季節になった頃。
 リーンエス王国北部の町ホークヤードに探偵事務所を構えるヴァン・ローラントは複数の依頼をまとめて解決してから、帰路の途中で定食屋に立ち寄った。
 まだこの後も、依頼報酬の整理や明日以降の予定の確認といった作業が残っている為、たらふく食って眠気を誘う訳にはいかない。定食屋では夕飯というよりも、軽い夜食程度の分量にとどめ、自身の胃袋を腹六分目に満足させてから、事務所への近道となる路地裏へと足を踏み入れた。
 一般的にホークヤードは、比較的治安の良い町と目されている。
 領主ホークヤード家は警備隊の配置に余念が無く、特に中流以上の家庭が住む街区には、この規模の町並みでは少々珍しい程の充実した警備体制が敷かれていた。
 しかし逆をいえば、下流に属する世帯が多い下町やスラム街といった場所では、警備隊の配置が今ひとつ足りていない箇所も少なくない。
 ヴァンの仕事の拠点たるローラント事務所がある街区は警備隊配置人員の数に関していえばそれなりに多い方ではあったが、少し足を延ばせば決して治安が良いとはいえない風景が当たり前の様に広がっていた。
 今、ヴァンが近道として通り抜けようとしている路地裏も、その様な多少の危険を伴う区域の一角に属するといって良い。
 建物の陰になる場所には幾つもの怪しげな人影が徘徊しており、中には露骨に、ヴァンに対して獲物を値踏みする様な視線をぶつけてくる者も居る。
 しかしヴァンは過度に警戒する素振りも見せず、堂々と狭い路地の間を通り抜けていった。ヴァンは個人で事務所を営む探偵であると同時に、それなりの修羅場をくぐってきた授恵者でもある。
 地方の下町で虚勢を張っているチンピラ程度に後れを取る技量の持ち主ではなかった。
 ヴァン自身は決して意識している訳ではないが、授恵者としての雰囲気や空気感を我知らず、漂わせている。その尋常ならざる空気を察して、少しでも目利きに自信のある者は迂闊に手を出そうとはしない。寧ろ、ヴァンに突っかかってくる者は余程に程度の低い愚か者と考えて差し支えなかった。
 それだけに、ヴァンとしてはこの怪しげな路地裏に於いても周辺に対して意識を向ける余裕が多かった。
 視覚と聴覚の双方で軽く警戒を敷きながら、同時に己の仕事内容について諸々の思考を巡らせる。その微妙にひりひりする感覚が彼の思考をより強く刺激し、事務所に居る時とはまた少し違った観点を想起されることもある為、路地裏での帰宅散策は色々な意味で有意義な時間帯にもなっていた。
 ところがこの日のヴァンは、いつもとは異なる舞台に上らざるを得なかった。
 激しい勢いを伴う罵声と、いきり立つかの如き恫喝の連鎖。
 明らかに、何者か同士が争う気配だ。
 どうせ放っておけば警備隊がそのうち駆けつけてきて、問題解決に乗り出すだろう。しかし、そうと分かっていてもつい目が離せなくなってしまうのがヴァンの悪い癖だった。
 尤も、それは探偵たる性(さが )でもある。
 好奇心を否定することは、探偵としての観察眼や捜査意欲を自らの中から削ぎ落とすことに等しい。
 結局のところ、様子をそっと覗き見る程度であれば問題無い筈だと己にいい聞かせながら、ヴァンは声の主達が屯しているであろう一角に足を向けた。
 (ん? 見慣れない青年だな……シャルガネからの旅行者だろうか)
 ヴァンは荒くれ共を前にして悠然と佇んでいる赤髪の青年に注目した。
 ゆったりとした前合わせの衣服に、特徴的な帯と鞘。ヴァンが推測した通り、若者はシャルガネ居住区出身と見て、恐らく間違いないであろう。

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 雪平 陵が故郷から旅立って、結構な月日が流れている。
 彼はシャルガネ居住区を拠点とする劇団『竜胆』所属の舞台役者である。そして同時に、授恵者でもあった。現在はロスガリア大陸各地の冒険者ギルドを巡り、戦闘が発生し得る依頼を中心に引き受け、己の技量を磨く毎日だ。
 冒険者としての成長を遂げることが役者としての技術向上に繋がる、というのが最初の動機だった。
 戦いの日々の中で身体能力を徹底的に鍛えることは、舞台上での殺陣の見栄えを更に磨くことになる。各地の依頼をこなすことは、様々な知識と経験を得て台詞回しや表情の作り方に様々なバリエーションを生む。
 一年限定という時間的制約がある中で、どれだけ自分自身を磨き上げることが出来るか。
 陵が目指す役者像というものは当然己の中に秘めてはいるが、しかし冒険者活動の中で完璧にその到達点に辿り着けるとは思っていない。
 今はまだ、飽くまでも通過点だ。
 冒険者としての行動は役者として大成する為の糧であり、それそのものが唯一にして最後の目標ではない。
 だからこそ、冒険者以外の行動に於いても何らかの意味を見出さなければならない。中々に面倒だが、しかし毎日が刺激に溢れており、生活そのものに飽きることもなかった。
 そして今。
 目の前に数人のいきり立った男達。
 彼らはいずれも、陵に攻撃的な意思を叩きつけてきている。
 過日、陵はここホークヤードのとある路地裏で、ひとりのチンピラ授恵者を叩きのめした。その男は授恵者でありながら冒険者ギルドには登録せず、己の力をただ暴力と欲望の充足だけに利用していた。
 陵はそのチンピラ授恵者を叩き伏せ、ホークヤード警備隊に引き渡した。件のチンピラ授恵者はどうやらメドゥの指先との繋がりがあるらしく、その後の処置は冒険者ギルドが引き受け、今も尚、尋問の最中に置かれているのだという。
 それ自体は、陵からいえば自業自得だ。
 授恵者としての力に目覚め、そしてメドゥの指先という存在に身を寄せた以上は、実力で生き延びなければならない。それが出来ない者は遅かれ早かれ、冒険者ギルドの追及に怯えることとなろう。
 件のチンピラ授恵者は己の力の使い方を誤り、自らの行いによって躓いたに過ぎない。だから陵自身はあのチンピラ授恵者がどうなろうと、知ったことではなかった。
 ところが今、陵の前でいきり立っている連中は、そうではない。この男共は件のチンピラ授恵者を親分として崇め、自分達の食い扶持を担保してくれる貴重な存在として大いに頼っていた。
 いってみれば陵は、この連中にとっては親分の仇だ。痛い目に遭わせなければ腹の虫が収まらぬといったところであろう。
 勿論、彼らは授恵者たる親分が負けた相手である以上、陵もまた授恵者であることは理解している筈だ。にも関わらず果敢に挑みかかろうということは、それなりに勝算があるのか、或いは授恵者の実力の本質をまるで理解していないかのいずれかに違いない。
 だがどちらにしろ、陵にとっては怖い相手ではなかった。
「てめぇ! この町から無事に帰れると思うなよ!」
「無事でも有事でもどっちゃでもええんやけど、早よぅ終わらせん?」
 陵は目の前の連中が余りに煽り下手であることに、却って残念な感想を抱いた。挑発すらまともに出来ないのかとがっかりする部分もあった。
 この程度の手合いならば、真剣に取り合うのも時間の無駄だ。さっさと終わらせてしまおう。
 陵は相手が得物を抜き払うのを我慢強く待ってはいたが、段々面倒臭くなり始めていた。

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 男のひとりが小剣を抜き払うと、他の連中も半ば勢いに釣られる形でそれぞれ抜刀した。
 対して、赤髪の青年はまだ柄に左手を添えたままだ。
 ヴァンは咄嗟に愛用の短弓を手に取り、矢をつがえた。半ば無意識の行動だったが、矢を放ってしまった以上はもう無関係ではいられない。
 撃ち出された鏃は、チンピラのひとりの手元を痛撃した。射られた男は情けない悲鳴をあげ、手にしていた小剣を取り落としてしまった。
「何だてめぇは! てめぇもこいつの仲間か!」
 チンピラのひとりがヴァンの存在に気付き、獰猛な勢いで刃を突き出してきた。
 ああ、やってしまった――内心で自分自身に対し舌打ちを漏らしつつ、ヴァンは飛び掛かってきた男の切っ先を軽く躱した。
 一方、赤髪の青年はヴァンの思わぬ助太刀に多少驚いた様子を見せたが、すぐに表情を引き締め、他の連中を相手取る。青年はワンテンポ遅れて刀を抜き払い、左右から襲い来る凶刃を軽やかに捌き始めた。
 狭い路地裏では刃の長い刀はいささか不利だ。存分に振り回すことが出来ない為、どうしても防戦に傾いてしまう。
 ヴァンはもともとが射手であり、接近戦を得意とする方ではなかったものの、授恵者でもないチンピラ風情の動きを見切るのは、然程苦にはならなかった。寧ろ非常に癖が掴み易く、次にどう突き込んでくるのかが簡単に予測出来た。
 叩きのめすのは簡単だが、しかし赤髪の青年の動向も気になる。ある程度余裕が出てきたところで、ヴァンは赤髪の青年にちらりと視線を流した。
 赤髪の青年は攻撃に転ずることが難しいと判断したのか、長い刀をコンパクトに捌き、チンピラ共が次々と繰り出す小剣を上手く躱していた。
 何となく長期戦になりそうな雰囲気が漂い始めている。
 だが、騒ぎを聞きつければいずれ警備隊も駆けつけてくるだろう。それまでの間、何とか凌ぎ切れば十分だ、ともいえる。
 やがて、少々予想外の展開がヴァンの目の前で繰り広げられた。
 チンピラのひとりが力任せに打ちつけた小剣が、赤髪の青年が振るう刀の鍔付近を強打し、ものの見事に青年の手から得物を叩き落とすことに成功したのである。
 ヴァンの目から見て、青年は授恵者か、或いはそれに準ずる程度の実力はあると思われていただけに、この展開は若干予想外ではあった。
 (拙いな……あまりのんびりしていられる状況ではなくなってきた)
 このままでは青年は丸腰のまま、凶刃の群れを相手にしなくてはならない。流石にこれは看過出来ぬと踏んだヴァンは、自身に挑みかかってくるチンピラを早々に叩きのめし、その上で赤髪の青年の救援に入ることで腹を括った。
 ところがここで、更に予想外の展開が連なった。
 赤髪の青年は臆するどころか、寧ろ悠然と構えてチンピラ共の刃と相対している。そして右手側のチンピラが小剣の切っ先を突き出して挑みかかってきた時、赤髪の青年は寸前でひらりと相手の突撃を躱した。
 そしてその直後、刃を持つチンピラの右腕を自身の左脇で抱え込み、そのまま逆関節に捻じり上げる様にしてその場に体崩しを仕掛けたのである。
「丸腰相手やったら勝てる思うたか? ちょっと甘いんとちゃうかぁ?」
 赤髪の青年に組み伏せられた男は右腕に走る激痛に悲鳴を上げたが、その声はすぐに止まった。赤髪の青年は相手を組み伏せた直後、体を一回転させて相手の頭頂に踵落としをお見舞いしていた。
 そのチンピラは白目を剥いて、その場に卒倒した。
 だがこの場で、誰よりも驚いたのはチンピラ共ではなく、ヴァンだった。
 (あれはまさか……刃律(バリツ )?)
 それはかつて、ヴァンの師匠が一度だけ見せた幻の格闘技とよく似た技だった。

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 ローラント事務所は、元々はヴァンの師匠ヘンリック・ローラントが経営していた。
 そのヘンリックが失踪した後、半ば成り行きという形で現在はヴァンが引き継いでいる。そして、師ヘンリックがかつて一度だけヴァンに見せたことがある体術――それが刃律(バリツ )だった。
 ヴァンがまだ子供と呼んでも良い時分。
 ローラント事務所に引き取られ、そこでの生活が始まって間もない頃の話だった。
 師ヘンリックに助手として伴われて、ある事件の解決現場に同席した際のことだった。犯人は突然刃を繰り出して、師ヘンリックと肌をすり合わせる程の至近距離で格闘戦に入った。
 この時、師ヘンリックは刃を手にした犯人の右腕を自身の左脇に抱え込み、捻じ込む様にして体を浴びせてその場に組み伏せた。
 ほとんど一瞬にして勝負が決した、まさに神業であった。
 それ以前、ヴァンはホークヤード警備隊の武器訓練や格闘訓練を見学したことはあったものの、師ヘンリックが披露したその技は、そのいずれにも属さない体捌きと技術だった。
 後に話を聞いたところ、師ヘンリックは過去にシャルガネ居住区に滞在していた時期があり、その時に修得したものらしい。
 しかしヴァンが目にしたのはただの一度きりであり、それ以降は二度と目にすることなく、師ヘンリックは姿を消してしまった。
 その後、ヴァンは個人的に刃律(バリツ )の何たるかを調べようとしたのだが、生憎現在までのところ有力な手掛かりは得られていない。
 ところが、今。
 赤髪の青年が師ヘンリックが一度だけ見せた体術とまるでそっくりな技を、いとも簡単に披露してみせた。
 その流れる様な動きは余程に訓練されていなければ、咄嗟に繰り出すことも出来ないだろう。つまり、この赤髪の青年は刃律(バリツ )そのものか、或いは源流を同じくする何らかの格闘技を修得していると見て良さそうだった。
 師ヘンリックの技と異なるのは、押さえ込んだ相手に対し追撃の蹴りを叩き込んだ点だ。そういう意味では、師ヘンリックの技術よりも幾分攻撃性が増している様にも思える。
 だがいずれにせよ、この赤髪の青年はヴァンが長年答えを探し求めていた謎の格闘技に関して、唯一といって良い手がかりを示した。であれば、最早この路地裏での戦いはたまたま巻き込まれたトラブルで終わらせる訳にはいかない。
 ヴァンはすぐさま意識を切り替え、目の前のチンピラ共を全力で叩きのめす方向に舵を切った。
 (こんな連中に手間取っている場合じゃない。彼から情報を聞き出さなくては)
 対して、赤髪の青年も徒手空拳ながら一段と気合を入れ直し、チンピラ共に猛然と躍りかかってゆく。
 勿論、相手は授恵者ではない一般人だから、殺してしまう訳にはいかない。ヴァンは授恵者としての技術を使わず、愛用の短弓から繰り出す鏃の威力だけで相手を制圧することに専念した。
 夕食を軽めに済ませておいたのが功を奏した。体は軽い。身体能力にはいささかの問題も無かった。
 一方、赤髪の青年も刃を使わなくなったことで致命傷を与える危険性が無くなったと判断したのか、刀を手にしていた時よりも更に勢いを増してチンピラ共に技を繰り出してゆく。手加減する必要が無くなった為に、却ってやり易いと感じていたのかも知れない。
 やがてふたりは、全力を以てチンピラ共を制圧した。
 赤髪の青年が刀を叩き落とされてから、ものの数分とかからぬ短期決戦だった。

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 チンピラ共が呻き声を漏らしながら狭い路上でのたうち回っているところへ、大通り方面から幾つも騒がしい足跡が迫ってきた。
 漸くホークヤード警備隊が、騒ぎを聞きつけて馳せ参じてきたのである。
「そこまでだ! 全員、おとなしくしろ!」
「ヴァン・ローラントです。私が説明します」
 ヴァンは駆けつけてきた警備隊員の中に見知った顔を見つけ、事の次第を手早く説明した。何もいわずにこの場から去るのは流石に問題がある為、せめて事情説明だけでも済ませておく必要があった。
 顔見知りの警備隊員はヴァンの説明に対して特段の疑義を挟む気配も無く、素直に聞き入れてくれた。ヴァンが警備隊捜査部の責任者と旧知の仲であるという点も、この場では有利に働いたのかも知れない。
 そうして説明を終えたヴァンは、改めて路地裏周辺に視線を走らせ――そして思わず、喉の奥であっと声を漏らしそうになった。
 先程まで、すぐそこに居た筈の赤髪の青年が姿を消してしまっていたのである。
 もしかしたら、面倒事になることを嫌って逃げたのかも知れない。
 しかしこのチンピラ共を取り調べれば、この連中が赤髪の青年を標的にして騒ぎを起こした事実は覆らないだろうから、ヴァンの警備隊への説明自体は裏が取れる。ヴァンが暴力沙汰を起こしたとして捕縛される心配は無いだろう。
 だがそれよりもヴァンにとって痛恨だったのは、あの赤髪の青年の名と所在地を、聞き出していないことだった。
 願わくば、まだもう暫くホークヤードに滞在してくれれば良いのだが。
 (あの特徴的な外観なら、何とか聞き込みで探し出せるかも知れない……それに彼は恐らく授恵者。なら、冒険者ギルドで人相風体を尋ねれば、もしかすると……)
 ヴァンは微かな望みだけを胸に、その場を後にした。

 陵は助太刀に入ってくれたドワーフの青年に内心で両手を合わせて拝みつつ、路地裏をこっそり抜け出していた。警備隊にあれこれ訊かれるのが、面倒だったからだ。
 (せやけど、あのお兄さん、俺に何か訊きたそうやったな……)
 気の所為かも知れないが、何となくそう思った。
 (手助けしてくれた恩もあるし……もうちょっとこの町に居座っとこか)
 もしも本当に何か訊きたければ、きっとこちらの所在を探し当てて訪ねてくることだろう。然程に大きな町でもないから、その気になれば数日のうちに陵の所在を突き止めてくる筈だ。
 それに、全く見知らぬ土地で新たな知己を得るのも、悪くは無い。尤も、警備隊の様な面倒な組織とお知り合いになるのは、余り気が進まないのも事実だが。
 そんなことを考えながら、陵は夕闇に沈む人手の多い大通りの中へと姿を消していった。

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アーカイブ生成日時 2026年08月05日 14時56分25秒 ・ world0