【DA】リーンエスの耳

ミア=リゼル/ ジード・ランスウッド

『ノベルタイトル:『約束』のファーストダンスを』広大野人
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 その日、リーンエス王国ティルム領都の外れにある墓地……ジード・ランスウッドらが眠るその場所にミア=リゼルは白妙の麝香撫子を手にして向かっていた。
 真新しく整備された道は婚約者が手配したものではあるが、踏み出す足は重くなっていく。体調が悪い訳でも無いし、後ろめたい事がある訳でも無い。言い表すとすれば暗愁というべきか。
 墓参りのはずなのに、これでは死者に縋っているだけではないのかと……しかし、心にぽっかりと空いた穴を最愛の人や親しい友人に埋めて貰いたい訳でもない。彼ら彼女らは、『せんせい』の代わりには成れないし、成って欲しくもないから。
 それを意固地と言われても構わないと今は思える。頑固さが父親譲りと言われるのは癪だが……。

 下を向いて歩き続けていると、小町藤の香りが不意に広がった。
 先ほどまでの重さが抜け、突き抜けたような青空の視界が歪む。まるで夢現のように……。

 墓石の前に白法衣を身を纏った初老の男性がいた。
 その人物をミアは知っている。
「せん……せ……い……」
 ジード・ランスウッドの正体であるジド・ケルジア。
 そのジドには秘密があったのだが、もはや語る必要はないだろう。
「良く出来た子、久方ぶりだ」
 ミアの気配に気が付いたジドが振り返って、そう告げた。
 瞳に宿る力強さ、よく響く声、背筋の良い姿勢……いずれもミアが知っている頃から変わらない。
「お越しになられているのであれば屋敷にお声掛け下さい、せんせい」
 小走りに駆け寄ってからミアは言った。将来のティルム領主夫人なのだから、きっとそれぐらい、婚約者と義父母は許してくれるだろう。
 優しそうな微笑みをジドは浮かべた。
「名を捨てた旅医者に領主様の門戸は敷居が高いからの」
「病を治す方法は見つかりましたか?」
 呆けてしまった大切な人を治す手段を求め、ジドは世界各地を巡りながら、怪我や病気で苦しむ人達を助けていた。まるで、背負った罪を償うように。
「手掛かりに届いたと思っても霞のように掴めぬものだ。だから、ここに偲びに来た」
 墓前に御香が焚かれており、名が刻まれていない墓石にジドは視線を向けた。
 一礼してから、ミアは花を供えて黙祷する。
「せんせいも弱気になる時があるのですね」
「本当に辛い時、言葉として発する事が出来る勇気を万人は持ち合わせておらぬからの」
 この墓石の下で眠る人物もそうだったのだろう。
 抱え込んだ苦しみを分かち合える人がいれば、もっと別の道もあったのかもしれない。
「ツィトリも何かあるからこそ、ここに訪れたのだろう?」
「……話の流れ的に、肯定するしかないじゃないですか」
 少し頬を膨らませたミアにジドは笑う。
「懐かしいの。その反応の仕方は昔から変わっておらぬ」
「せんせいは時折、いじわるです」
「知っておるのなら否定はせんよ」
 そして、二人の小さな笑い声が重なる。
 過去を振り返り、同じ話で笑う事が出来る事の尊さを感じながら。
 ミアは呼吸を整えて、目を細めた。
「せんせいと約束した……ファーストダンスを踊って下さる事……それが果たされない事に、私は諦めがつかないのです……大切な友人の誘いも断ってしまって……このままじゃ、私、婚約者とも踊れません」
 冗談交じりの言葉にジドは小さく頷く。
 その『約束』は知っているから。ただ『約束』した時とは状況が違う。それを分からぬ子でも無い事も。
「約束は果たされるものだが、反故にする事も出来る。しかし、そのどちらもツィトリは選びたくないのではないのか。果たされた『約束』は過去のものになるが、果たされない『約束』は反故しない限りそのまま残り続ける」
 それは『約束』を果たす事で関係が終わってしまう事への忌避感だ。
 ジドの言葉を受け、ミアは暗愁の源に気が付いた……いや、その気づきすらも自分自身、恐れていたのかもしれない。
 ジードがこの世から旅立った事実を乗り越えられずにいるのだ。その喪失の大きさに立ち止まってしまう。
 俯いて黙り込んだ少女にジドは思い出すように言葉を紡いだ。
「『人として生きてみせよ』……そう遺したのだろう。ならば、それで良かろう」
「この欠落をどのように埋めれば良いのでしょうか……人として生きれば埋められるのですか?」
 胸に手を当て、やや強い口調で言い放つミア。
 風が吹き抜けて墓石に枯れ枝が引っ掛かり、ジドはそれをゆっくりとした動作で外す。
「埋められる者もいれば、埋まらない者もいよう。時の流れが欠けた所を小さくする事もあれば、逆に孤独感を増す事もある。絶対の正答はどこにもない。けれど、答えの一つを……人は見つける事は出来ると信じている」
「……『せんせい』は亡くなってしまったのですね」
「唯一の親心だ。答えを言えば君は楽になっただろう。しかし、それでは『人として生きてみせよ』と遺した想いを踏みにじる事になる」
「ずるいです。私、こんなにも……」
 ミアは言葉を最後まで続けないよう、強引に口を閉ざした。
 大事に想い続けているのに、その相手は一生、応えてくれないのだから。
 肩を落としたミアにジドは小さい子を諭すように言った。
「人はいつか死ぬ。それは10年後かもしれない。あるいは来年かもしれない。または明日かもしれない。だからこそ、今日という日を大切に過ごす意味がある。駆けていく風も、清らかに流れる水も、明日、同じ場所にあっても別のものなのだから」
「それは人との出逢いも……ですか」
「その通りだよ、良く出来た子。ならば『約束』の意味も、今の君なら分かるはずだ」
 ジドが発した言葉にミアは改めて墓石を見つめる。
 墓石の形は今日明日、変わるものではない。数十年後には少し風化してしまうだろうか。けれど、墓石を取り巻く自然は刻一刻と変化する。
 嵐で雨風に打たれる時もあるだろう。強風を真っ向から受け止める事もあるだろう。雪に覆われる日も、眩しい日差しに晒される日もある。墓石も含めた『この場』は毎日が新しいとも言える。
 それは墓石ではなく人であっても同じ事だ。
 婚約者や大切な友人とは明日も逢える。来年も逢えるだろうし、10年後もきっと逢えるだろう。だからといって、彼ら彼女らと過ごす日を雑に過ごして良い訳ではない。
「……私は『約束』を保ったまま、踊っていいのですね」
「『ファースト』が何を指すのか、決めるのは己自身だ。君がそう決めたのであれば、それで良い」
「私は……ダンスの相手が誰であろうと、初めて共に手を取る人として、丁寧に踊りたいと思います」
 一つの答えに辿り着いた少女に想いにジドは微笑を浮かべた。
 それはかつて、『せんせい』が教えた社交界での大切な心持ちだったからだ。それを少女が覚えていたかは分からない。けれど、少女の人としての根幹に根付いている事がジドには嬉しかった。
「君の婚約者は幸せ者だな」
 これからもっとも多く踊る相手は恐らく婚約者なのだ。
 最愛の人の大切な『最初』をいつも受け取る事が出来るのだから。
「都合の良い詭弁だと思われませんか?」
「そう思う婚約者ではなかろう」
 知っているようなジドの返しにミアは頬を染めながら頷くしかなかった。
 こういう時、不意に婚約者の爽やかな笑顔が浮かんでくるのは恥ずかしい。
 気持ちを切り替えてミアはもう一度、ジードの墓石に視線を向き直した。ついさっき、見たはずの墓石は、今ではまるで別物のように思える。
 (……)
 刻一刻変わるのは時間の流れや自然の移り変わりだけではなく、自らの心の在り方も変わり続ける。時には沈む事もあるだろうけど、少なくとも、今、この時は墓石を真っ直ぐ見つめ続ける事がミアには出来た。
「せんせい、私、人として生きていきます」
 己自身という人の在り方を何度だって探りながら。
 長い人生の中、苦しい時も悲しい時もあるだろう。その時、己と向き合える場所は此処だと知った。これまで、幾度も足を運んだはずだったのに、この事実に気が付くまでだいぶと時間が掛かった気がする。
「いずれ、君は喪失を振り返る日が来る。その時、去来する想いが後悔なのか孤独なのか、または万感かもしれぬ。あるいは、喪失を乗り越えた実感か、満たされた欠落かもしれない。振り返った時、そこに何があるかは、君が歩んだ人生の先で、君だけが知れる事なのだろう」
「はい」
 ミアは力強く頷いた。
『せんせい』は歩んだ人生を振り返った時、その欠落を埋める方法として組織(ソーン・クリエ )を立ち上げ、ジード・ランスウッドとなり、メドゥの指先として冒険者達の前に立ち塞がった。
 以前のミアだったら、きっと同じ道を歩んだかもしれない。
 けれど、今は違う。助け合う事が出来る大切な人達と、自身に向き合える場所があるから。そして、それはミアだけの話ではない。
「私が皆さんに支えられたように、私も誰かを支えていけると思います」
「人の痛みや苦しみを他者は全く同じに感じる事は出来ない。だが、共感する事は出来る。ミアの抱えた喪失は君だけのものだが、だからこそ、その悲しみの深さを知れるのだ」
 これから人の上に立つ少女にとって、とても大事な事の一つになるはずだ。
 清々しい表情でミアはジドを見上げた。
「せんせい、ありがとうございます」
「何もしておらぬよ。ミアが自ら辿り着いた道じゃからな。あの時のように、教える事が出来る内容であれば、教えておった。しかし、悲しい事に教える側もまだ知らんかったし、そもそも、教えられるような内容でもないからのう」
 ジドは優しい眼差しでミアを見下ろすと少女の頭を懐かしむように撫でる。
 その感触に遠い記憶を呼び起こすミア。そういえば、褒められた時にはよくこうして貰っていたかと思う……が、同時に気恥ずかしくなる。
「もう子供ではありませんよ」
 不満そうに告げたミアの言葉にジドは声を出して笑う。
「そうであったな。あの時は子育てしているつもりはなかったが、今にして思えば、否定できるものではないようだ」
「私は……良く出来た子だったでしょうか?」
 少しばかりの不安と共に訊ねた台詞にジドは即答した。
「当然だ、ミア=リゼル」
 一際強い風が二人と墓前を吹き抜けた。

 まるで、夢を見ながら眠る子を揺り起こすような……そんな揺らぎを、ミアは感じた。
 過ぎていくこの一時は、きっと、もう残り少ない。

 締めるように、ミアは深々と墓石に頭を下げた。
 これから数えきれないほど、墓参りに来るだろう。
 悩んだ時も悲しんだ時も。逆に、嬉しい事があった時も。または誰かと共に。愛する人や親しい友、仲間達……そして、まだ見ぬ新しい家族も連れて。
「『孫』も見せに来ますからね」
 笑顔で告げたミアの隣で、ジドが鞄から色々と品物を広げだしていた。
 豪華な調度品もあれば想い出のような古びた代物も並ぶ。
 それは、小さな……とても小さな宴だった。
「語らうつもりだったのだが、また別の機会でよかろう」
「せんせい……何を?」
 首を傾げるミアにジドは白法衣を脱ぎ、丁寧に畳みながら答える。
「なに、教えた内容をしっかりと身に付けておるか、確認しようかと思ってな。教え子が至らぬかった場合、恩義あるティルム家に恥をかかす事になる。それは避けなければ申し訳なかろう」
「うぅ……久々に試験を受ける気分です」
 貴族社会への尖兵として施された教育の厳しさは高位の貴族令嬢にも引けを取らない。
 学園に入ってからも作法の勉強は続けてはいるが、やはり、生粋の貴族令嬢と比べると並び立てる自信はない……ただ、ミアの周囲にいる令嬢達のレベルが高すぎるという事もあるけれど……。
 ミアは深く息を吸って、心を落ち着かせる。
 (大丈夫……相手が誰であれ、一つひとつ、丁寧に……私は踊れる)
 そう心の中で呟くと、不思議と集中が高まる。
 初老の男性が惚れ惚れする所作と共に頭を下げた。
「ジドと申します。貴女様と過ごすお時間をいただけませんか?」
「はい。喜んでお受け致します」
 差し出された手に向かってミアは左手を静かに伸ばした。
「私は……ミア=ティルムです。ジド様、よろしくお願い致します」
 導かれるように引かれながら、ミアは初老の男性にエスコートされる。
 風と小川のささやかな響きと小鳥達が奏でるさえずりを曲に、二人は小さな宴のファーストダンスをはじめるのであった。

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メアリー王女が冒険者達の協力を得て稼働させた「王家の耳」。メアリーは無作為に集まってくる情報を、余人に及びもつかぬ閃きを持って分析しながら、今日も世界の動きへ耳を傾けている。
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