【DA】リーンエスの耳
●
約4年前、シルトラース帝国を滅ぼした超大型クリーパー『天霧りに消ゆる幽界樹』。その召喚を企てた傾国の美姫イダ・バルダス。そして、帝国の宿敵・征竜と同盟を結び、民を裏切って世界を危機に陥れようとした先代皇帝ヨゼフ・バルダスは帝都でのレイウェスト・バルダス率いる各国の連合軍と、冒険者達との最終決戦の末、この世界を去った。帝都での死闘を終え、故郷と両親の仇を討ち果たしたアドルフ・ジーノは、この約4年間、住まいとしていた辺境都市群へと戻っていた。
(そろそろ温かくなってきたの……)
アドルフは辺境都市群のとある町をふらふらと歩いていた。だが特に目的はない。やることが思い浮かばなかったので、散歩をしているだけである。春の日差しに包まれた街はそれなりに活気づいていたが、なぜかアドルフには景色は色あせて見えた。
「ねえお父さん! あの靴買って!」
「ははは、いいとも。今日はお誕生日だから、特別だぞ」
アドルフがぼうっと雑踏を眺めていると、楽しそうな親子連れが見えた。世界の人々は取り戻した平和を謳歌している。こうしていると、アドルフ達冒険者が命がけで戦った日々も、まるで夢のようだ。
「……」
アドルフはふと目を閉じ、精神を集中してみる。すると、自身の内を流れるエーテルの流れが感じられた。やはり、あの日々は夢ではない。帝都奪還の為の戦いは終わったが、アドルフはまだ授恵者のままだ。
(『喪神』って、言うんだっけ。役目を終えた授恵者はたまに力を失うことがあるって聞くけど……僕にはまだ、やらないといけないことがあるってことなのかな)
冒険者ギルドに行けば、今日も依頼はたくさん出ているだろう。世界は未だ、腕利きの冒険者を必要としている人達がいくらでもいるのだから。だが、アドルフは今は、何もする気にはなれなかった。
「……帰ろ」
小一時間ほど街をふらふらしていたアドルフは飽きたのか、街を出て森へと向かっていった。
「……あれは、アドルフ? 最近見ないと思ったが……」
その時、街から出ていく彼の小さな背中をたまたま見つけたエナメド・ジーノは荷物を抱えたまま、ぽつりと呟いた。
●
「……はあ」
街から戻って来たアドルフは森の奥の秘密基地で、ぼうっと星を眺めていた。ここはアドルフが冒険者仲間達と一緒に作った隠れ家だ。元はとある商人が所有する朽ちた屋敷だったが、ちゃんと所有者の許可も得た上で改装工事を施し、お気に入りの場所になった。持ち家ではなく賃貸なのは少し残念だが、土地の所有者はいい人で、たまにアドルフ達に賃貸料代わりに冒険者向きの仕事を寄越してくる。
(スクルージさんの遺跡、どうなったんだろ……)
アドルフはふと、この秘密基地の地主の依頼で発掘作業を手伝った遺跡のことを思い出した。その遺跡はなんと謎解きによって最深部が封印されており、発掘作業が中断していた。リドルの謎を見事解いたアドルフ達が見たものは、動物を象ったゴーレム達と、石の棺だった。その遺跡は、かつて帝国地方(当時は違う国だったはずだが)で活躍した英雄、『獣の魔女』の友の墓だったのだ。土地の持ち主は遺跡を観光地として盛り立てたいと言っていたが、その後はアドルフ達も忙しかったので、今遺跡がどうなっているのかは分からない。
「スクルージさんに会いに行ってみようかな……いや、やっぱりいいや」
アドルフは一瞬腰を上げようかと思ったが、首を横に振った。やはり今は何もやる気が起きない。アドルフは取り留めのないことを考えながら、ぼうっと星を眺める。先代皇帝ヨゼフと決着を付けてからというもの、アドルフはずっとこの調子であった。
「……お腹空いたな」
しばらくアドルフはそうしていたが、ふいにお腹がクー、となり、アドルフは起き上がった。アドルフは仲間が作ってくれた干し肉のストックを漁ると、あぐらで屋根の上に座り、ポリポリとかじり始めた。
「そういえば、旅のこともお返事してないや……」
アドルフは近頃、友人から「旅に出ないか」と誘われていた。しかし、アドルフは「考える」と言ったまま、まだ返事が出来ないままでいる。
(僕、どうしちゃったんだろ)
授恵者となる前……アドルフが故郷の村で薬師の息子として暮らしていた頃には、狭い村から飛び出し、世界を旅することに憧れていた。だが、その夢は皮肉なことに、帝国崩壊という悲劇と共に叶えられた。授恵者となったアドルフは全てを忘れ、望み通りに世界中のあちこち冒険できたのだ。ビッグオウムの背に乗って。
そして、友人が一緒に旅をしないかと誘ってくれている。きっとその旅は楽しいものになるだろう。だというのに、アドルフは「うん」と返事をすることができないでいた。なんというか、今は何もやる気が起きないのだ。
「……きれいだな……」
アドルフは干し肉をかじりながら、ぼんやりと星空を眺めていた。
●
――……おぅい……ルフ……。
――アドルフ……。
「あら?」
アドルフは下の方から自分の名を呼ぶ声が聞こえてくることに気付いた。アドルフがひょいと屋根の下を覗くと、見知った顔のおじさんが自分を見上げていることに気付いた。
「先生!」
「やあ、アドルフ。久しぶりだね」
アドルフが意外な来客の名を呼ぶと、エナメドは微笑んだ。アドルフは特製滑り台を使い、大急ぎで下へと降りていく。
「先生、どうしてここに?」
「いや、ここ数か月、君が顔を見せないからね。今日、たまたま街で見かけたから、少し様子を見に来たんだ」
「ごめんなさい」
エナメドの言葉に、アドルフはしゅんと項垂れた。エナメドは帝国崩壊から命からがら逃げ延びてきたアドルフを発見し、介抱してくれた恩人だ。アドルフが冒険者として身を立てるようになってからも定期的にアドルフは彼の元を訪れるようにしていたが、帝都奪還作戦以降、アドルフは一度もエナメドの診療所を訪れていなかった。
「謝ることはないさ。ただ、少し心配になってね。帝都奪還作戦には君も参加したんだろう?」
「うん」
「良かったら、聞かせてくれないか。その時のこと」
「うん、わかった。ここじゃ寒いし、中に案内するの」
アドルフはにっこり笑い、隠れ家へとエナメドを招き入れた。
●
「へえ、中はけっこう綺麗なんだね」
エナメドは隠れ家の様子に感心していた。外から見た限りでは廃墟だったが、中はよく掃除されており、まるで金持ちの別荘のようだ(実際にこの隠れ家はかつてはギャングのお屋敷だったのだが)。
「うん、みんなでお掃除したから」
「へえ。外の壁がそのままなのはわざとかい?」
「うん、その方が秘密基地っぽいでしょ?」
「なるほど」
アドルフの子供らしい言葉にエナメドは微笑む。
(……だが、実際にはアドルフはもっと年上らしい。彼の言動が幼いのは、帝国崩壊の際に一度記憶を喪失したからだろう。見た目が幼いハーフリングという出自も関係しているのかもしれないが)
記憶を取り戻した後のアドルフ……否、『ノア・フォーサイス』はエナメドには以前とそう変わらないように見える。だが、そこはかとなく、記憶を取り戻す以前よりも立ち居振る舞いがしっかりしてきた気がする。ノア少年がどんな性格だったのかは、エナメドには知る由もないが。
「アドル……いや、ノア」
エナメドが名前を呼び掛けてやめると、アドルフは首を横に振った。
「呼びやすい方でいいよ」
「そうか。……いや、おじさんはどうしてもアドルフ、の方がしっくりきてね。なら、アドルフと呼ばせてくれ」
エナメドは苦笑する。名前も思い出せなかったアドルフにその名を与えたのはエナメドだ。そちらの名前の方が印象深いのは無理のないことだった。
「幽界樹も、征竜も、ヨゼフ皇帝も死んだと聞いた。君も、帝都で戦ったんだな」
「うん、お父さんとお母さんの仇は討った」
アドルフは静かに頷く。そして、アドルフは帝都での戦いについて語り始めた……。
●
「――そうか。想像以上に激しい戦いだったんだな。無事で何よりだ」
アドルフの話は短く、簡潔だった。淡々と話すアドルフの口調には、大冒険を終えた喜びも、復讐を果たした達成感も、何も宿ってはいなかった。エナメドは、それがとても心配だった。
「……それで、これから君はどうするつもりなんだい? 君は授恵者だ。選択肢はいくらでもあるはずだが」
「……分からない」
アドルフは静かに首を横に振る。帝国崩壊の元凶たちを倒し、アドルフは過去との決着をつけたつもりだった。しかしそれからというもの、アドルフの心はガラスのボトルのように空っぽで、無気力な状態が続いていた。
「アドルフ、君の故郷に行かないか」
「え?」
「君は一度、故郷に帰るべきだ……おじさんはそう思うよ」
「……」
「ノア。君のお父さんとお母さんに、本当の弔いをしないか?」
●
「弔い……」
「ああ。そうだ。君の両親を故郷の村に葬るんだ」
アドルフが記憶を取り戻した後、アドルフは両親の遺体を探した。しかし、アドルフの両親がなくなったのは3年以上も前な上、二人がなくなった場所も相当に離れている。遺体を発見することはできなかった。アドルフは両親を弔うため、隠れ家の裏庭に棺のない、簡素な墓を作っていた。だが……たとえ、亡骸がなくとも、墓というからには、やはり二人の故郷に作るべきだろう。それに、アドルフの故郷の村にいけば、彼の生家がある。そこは彼の両親の家でもあるのだ。
「どうかな? 嫌なら、無理にとは言わないが……」
エナメドはアドルフをじっと見つめる。すると、アドルフはエナメドの目をまっすぐに見て言った。
「ありがとう、先生。僕、故郷に行くよ」
●
「わかった。出発は明後日でいいかな。出発はすごく早い時間になりそうだけど……」
「うん、大丈夫」
エナメドの診療所はこの旅の間はお休みになる。あまり時間はかけられない。完璧主義者であるエナメドなら何か対策は考えてあるのだろうけれど。
「カギは締めたね。アドルフ、忘れ物はないかい?」
「うん」
二人は一度エナメドの診療所に立ち寄り、しっかりと戸締りをした後、帝国に向けて旅立った。
「さて、辺境都市群からだと、西にまっすぐだな。……アドルフ、故郷の場所は思い出せるかい?」
「うん、大丈夫」
「そうか。なら道案内は任せる」
帝都崩壊からもう約4年経っているとはいえ、幽界樹の影響で大量発生した這い寄るものは駆逐されたわけではない。人里付近ではクリーパーの掃討は進んでいるが、辺境であれば、未だにクリーパーと遭遇することもある。そもそも、クリーパーは世界の狭間から這い出てくる異界の侵略者たちだ。どんなに気を付けても、遭遇の可能性はゼロにはできないし、クリーパー以外の脅威……魔獣や蛮族と出くわすこともある。ロスガリア大陸に生きる人々にとって、旅は死と隣り合わせなのだ(それゆえ、冒険者や傭兵には護衛の仕事の口が常にあるわけだが)。
「先生、安心して。もし山賊や怪物が出たら、僕が先生を守るよ」
「ああ、それなら安心だ」
アドルフの頼もしい言葉に、エナメドは笑った。
●
アドルフ達は、アドルフがかつてエナメドと出会った花畑から北へと進み、辺境都市群と帝国の国境沿いにある山地をかすめるように設置された街道へと出た。アドルフが辺境都市群まで逃げてくる際に使用した道はろくに整備もされていない獣道だ。アドルフの故郷の村の名前も分かっていたので、今回はちゃんとした街道を使うことにしたのだ。……もっとも、帝国は人里以外は荒れ放題なので、もし村が復興されていなければ、獣道も街道も大差ない状態かもしれないが。
(あれ? 木の陰に人が……)
旅の途中、アドルフは街道から少し外れた所にある木の陰で人がぐったりとしていることに気付いた。高級そうなスーツを着た、裕福そうな男だ。
「アドルフ!」
「うん、先生!」
二人は急いで馬を降り、男へと駆け寄る。
「おい、あんたどうした?」
エナメドが耳元で声をかけると、男は譫言のように返事をした。
「へ……び……」
「蛇? 蛇に噛まれたのか?」
エナメドは男の手足の袖をめくる。すると、右足首のあたりに小さな二本の牙の痕がついていた。
「先生、この症状はマムシの毒だと思う」
「しまったな……血清は今は持っていない……」
アドルフが声をかけると、エナメドは首を横に振った。アドルフも歯噛みする。単純な傷なら回復魔法でも癒せるが、普通の蛇の毒は授恵者の力でも治せない。授恵者が傷以外で治せるのは、エーテルによる異常だけである。
「先生はこの人を診ててもらえるかしら? 僕は街で血清をもらってくる」
「ああ、分かった。頼んだぞ、アドルフ」
アドルフは常人離れした脚力で街へと駆けていった。
●
アドルフは間に合った。男はなんとか命の灯が尽きる前に、アドルフが街でもらってきた血清を摂取することができたのだ。
「やれやれ、命拾いしたな、あんた。もう少し大きい蛇なら間に合わなかったかもしれんぞ」
「おじさん、ラッキーだったの。最近毒蛇に噛まれる人が多いから、血清を置いてたんだって」
「ありがとうございます。なんとお礼を言ったらいいか……」
男は財布を出そうとしたのか、懐を漁ったが、恥ずかしそうに首を横に振った。
「……申し訳ありません。財布を落としてしまったようです。ぜひお礼をと、思ったのですが……」
男は申し訳なさそうに二人に告げた。
「いいのいいの! たまたま通りかかっただけなんだから」
「ああ。アドルフが立て替えた血清の代金ぐらいは後でもらいたいが」
「分かりました、街に着いたらぜひ我が家に……」
その時、執事服を着た男が街の方から走ってきた。
「旦那様! ご無事ですか!?」
「良かった。あんたのお迎えがきたようだな」
エナメドはにっこりと笑った。その後、二人は男に昼食だけごちそうになり、再びアドルフの故郷へ向かう旅へと戻った。
「アドルフ。やるじゃないか。君はとても立派だったよ」
「ありがとう。先生」
エナメドが笑いかけると、アドルフは照れくさそうに笑った。
●
二人の旅路は続く。次第に二人の行く街道は寂れはじめ、どんどん人気のない山道へと変わっていく。人里というものは、全く手入れをされていない状態だと、たった数年で驚くほど寂れていくものだ。アドルフとエナメドは、荒れ果てた山道を慎重に進んで行く。
「……この辺りはあまり人の手が入っていないようだな。アドルフ、転ばないように気を付けるんだ」
「うん、先生こそ」
エナメドがアドルフに注意を呼び掛けると、アドルフは頷いた。帝国は一度国土全土がクリーパーの氾濫で滅びた後、生き残った人々は帝国との国境近くに作られた各地の難民キャンプで生活をしていた。レイウェストが南部鎮守都市ヴィントを奪還した後、難民キャンプは次第に解散されていき、人々は故郷に帰っていったのだが、この様子だとアドルフの故郷の村には人が戻っていないのかもしれない。やがて、二人の前に荒れ果てた一軒の家が姿を現した。
「……家だね。ここはもう村の……」
「あの家……」
「? アドルフ、君はこの家に見覚えが……」
エナメドがアドルフに尋ねようとした時だった。
「あの家……オリビア叔母さんの家なの!」
アドルフは廃墟を指差して叫んだ。周りはすっかり荒れ果てているが、この家ははっきりと覚えている。アドルフが家に駆け寄ると、外の壁にナイフで文字が彫ってあった。
『私は先に逃げる。無事を祈る』
(そうだ、あの時も確かにこの壁の文字は見た覚えがある。オリビア叔母さん……今どこにいるんだろう?)
アドルフは家の中も確認してみたが、叔母さんはこの家には戻ってきてはいないようだった。
「ここは君の叔母さんの家なのかい?」
エナメドが尋ねると、アドルフは首を縦に振った。
「うん。叔母さんはどうなったか、分からない」
「そうか。……無事だといいな」
エナメドは言葉を探してみたが、気の効いた表現は特に思いつかなかった。
「うん」
アドルフはしっかりと頷く。村から逃げる時は別行動だったので、叔母さんの生死は不明だ。だが、叔母さんは熟練の狩人だった。もしかすると、クリーパーをうまく撒いて帝国から脱出できていたかもしれない。というか、アドルフにはあの叔母さんが簡単に死ぬところが想像できない。叔母さんは薬師であったノアの父親以上に、山を知り尽くしている人だった。
「もう、村はすぐそこなの。エナメドさん、もう少し進んでいい?」
「ああ、もちろんだ。今夜は君の村に泊まろう」
●
数日間の旅路を終え、アドルフはとうとう自分の故郷の村へと戻ってきた。元々住居が一か所に密集しているタイプの村ではなかったが、やはり周囲に人影はない。この村には、人は戻ってきていないようだ。アドルフは滅んでしまった故郷の姿を丘からぼんやりと見つめていた。ここから見える家々の中には、アドルフの生家もある。だが、村はすっかり荒れ果てており、遺跡のような有様だ。
(まるで、お掃除する前の星見の隠れ家みたい)
アドルフはふと、そんなことを思った。
「どうやら、誰もここには戻ってきていないようだね。君の家は――
エナメドがそう言いかけた時だった。アドルフはエナメドが驚くほど、真剣な眼をしていた。
「アドルフ?」
「先生、僕から離れないで。何か来る」
アドルフの直感は、脅威が近づいてきていることを感じ取っていた。
●
「キュルルルルルル」
茂みから姿を現したのは亀に似た姿の怪物だった。サイズは大型犬ほどで、甲羅の下からは赤い触手がびっしりと生えている。そしてその頭は、カラスに似ていた。明らかに尋常の生物ではない。クリーパーだ。
(あいつじゃ、ない)
アドルフの脳裏に一瞬、両親を殺したクリーパーの姿がよぎる。だが、こいつは明らかに別の個体だ。倒さねばならないことに変わりはないが。
「先生には触れさせない。ここから出て行ってもらうの」
アドルフは祭刀を構える。それと同時に、クリーパーが奇声を上げ、アドルフへと突進してきた。
「キュアアアアアア!」
「アドルフ!」
甲高い叫びと共にクリーパーの嘴がアドルフの首筋へと走る。その先端には常人ならば一撃で絶命するほどの魔力が込められていたが――。幾多の修羅場をくぐったアドルフの敵ではなかった。アドルフはこともなげにクリーパーの一撃を躱すと、祭刀をクリーパーへと向けた。
ドンッ!
零距離で放たれた、煌めくエーテルの弾丸がクリーパーの肉をごっそりと抉る。
「キャアアアアアッ!」
思わぬ反撃に恐れをなしたクリーパーは悲鳴を上げ、アドルフに背中を晒して逃げていく。アドルフはその背に追い縋ると、祭刀を叩きつけ、クリーパーを消し飛ばした。
「ふう」
アドルフは他に仲間がいないかを確認した後、祭刀を鞘に納めた。
「先生、ごめんね。危ない目に合わせて」
アドルフが申し訳なさそうに言うと、エナメドは苦笑した。
「君が謝ることはない。誘ったのはおじさんの方だからね。しかし、見事な腕だな。それが君の力か。そんなに小さいのに……」
エナメドはしげしげと、アドルフを見つめている。
(そういえば、先生の前で戦ったのは初めてだった)
荒事に縁のない者からすれば、やはり授恵者の力はすさまじいものなのだろう。普段一緒にいる友人達も授恵者なので、アドルフはすっかり忘れていたが。
(僕は、この力をどう使うべきなんだろう)
アドルフは考えてみたが、すぐには答えを出せそうにはなかった。
●
アドルフ達は村をくまなく探したが、生存者は見つからなかった。骨すらも見つからなかったのは、やはりクリーパーか何かに食べられてしまったからだろうか……。二人は当初の予定通り、アドルフの生家から彼の両親の形見の品を持ち出し、二人の墓を作ることにした。
「ここなら、村の景色がよく見えるから」
アドルフはそう言って、丘の上に両親の墓を作った。
(帝国を滅ぼした元凶は倒した。僕は、世界を救ったよ……)
アドルフは墓の前で手を合わせ、両親にこの約4年間であったことを報告した。エナメドも一緒に墓に手を合わせ、アドルフの両親の冥福を祈った。
●
「他に、持ち出すものはないのかい?」
「うん、今はこれだけでいいの」
アドルフ達はアドルフの生家で一夜を明かした後、僅かばかりの形見の品を持ちだし、村を後にした。
(お父さん、お母さん。時々また来るからね……)
こうして、アドルフとエナメドの墓参りの旅は無事に終わった。
●
「よっとっと……なるほど、ここからなら星がよく見えるな」
「先生、落ちないでね」
梯子でエナメドの診療所の屋根の上に登りながら、アドルフが言った。たまには一緒に星でも眺めてみようかと、エナメドの方からアドルフを誘ったのだ。
「ああ、大丈夫だよ。もし落ちたらヒールで治してくれ」
エナメドが冗談めかして言うと、アドルフは笑った。二人はしばらくの間屋根の上に腰掛け、星空を眺めた。春の気候は穏やかで、髪を撫でる夜風が心地よかった。
「君はこれからどうしたいんだい。アドルフ」
二人で並んで星空を眺めながら、エナメドは優しげな瞳でアドルフに問いかける。
「僕は……旅に出ようと思うの。お父さんとお母さんや、先生みたいに誰かを助けながら。オリビア叔母さんも探さないといけないし……この力をどう使うべきなのか。僕はどう生きるべきなのか。答えは旅の中で探そうと思うの」
アドルフに宿った授恵者の力……それは両親が彼をクリーパーから逃がそうとした時に目覚めたものだ。最期の瞬間、アドルフの母はアドルフに「強く生きて」と願った。両親のアドルフを想う心が、自分にこの力を目覚めさせたのだ。アドルフはそう信じていた。それに、人々を癒す薬師であった両親ならば、授かった力は、人々の為に使われることを願っているかもしれない。
(僕を逃してくれたお父さんとお母さん。それに、側でずっと見守ってくれた先生のためにも、強く生きる。僕はそう誓ったから)
「そうか」
アドルフの返答を聞いたエナメドは、感慨深げに頷いた。
「気をつけてな。疲れた時はいつでも戻っておいで。それに、たまには顔を見せに来てほしい」
「うん!」
●
そして、アドルフは旅に出た。あちこちで人助けをしながら旅をしていれば、いつかきっと、答えに辿り着けると信じて。それは子供の頃に彼が夢見た物語の続きでもあり、星を目指す旅路のように、果てない冒険の始まりだった。
「とりあえず、難民キャンプを探してみようかな……なんとなく、オリビア叔母さんは生きている気がするから」
世界の危機は去っても、授恵者の力を必要とする人々は大勢いる。やがてアドルフは救った人々の噂に上り、「星見の旅人」とか呼ばれるようになるかもしれない。
約4年前、シルトラース帝国を滅ぼした超大型クリーパー『天霧りに消ゆる幽界樹』。その召喚を企てた傾国の美姫イダ・バルダス。そして、帝国の宿敵・征竜と同盟を結び、民を裏切って世界を危機に陥れようとした先代皇帝ヨゼフ・バルダスは帝都でのレイウェスト・バルダス率いる各国の連合軍と、冒険者達との最終決戦の末、この世界を去った。帝都での死闘を終え、故郷と両親の仇を討ち果たしたアドルフ・ジーノは、この約4年間、住まいとしていた辺境都市群へと戻っていた。
(そろそろ温かくなってきたの……)
アドルフは辺境都市群のとある町をふらふらと歩いていた。だが特に目的はない。やることが思い浮かばなかったので、散歩をしているだけである。春の日差しに包まれた街はそれなりに活気づいていたが、なぜかアドルフには景色は色あせて見えた。
「ねえお父さん! あの靴買って!」
「ははは、いいとも。今日はお誕生日だから、特別だぞ」
アドルフがぼうっと雑踏を眺めていると、楽しそうな親子連れが見えた。世界の人々は取り戻した平和を謳歌している。こうしていると、アドルフ達冒険者が命がけで戦った日々も、まるで夢のようだ。
「……」
アドルフはふと目を閉じ、精神を集中してみる。すると、自身の内を流れるエーテルの流れが感じられた。やはり、あの日々は夢ではない。帝都奪還の為の戦いは終わったが、アドルフはまだ授恵者のままだ。
(『喪神』って、言うんだっけ。役目を終えた授恵者はたまに力を失うことがあるって聞くけど……僕にはまだ、やらないといけないことがあるってことなのかな)
冒険者ギルドに行けば、今日も依頼はたくさん出ているだろう。世界は未だ、腕利きの冒険者を必要としている人達がいくらでもいるのだから。だが、アドルフは今は、何もする気にはなれなかった。
「……帰ろ」
小一時間ほど街をふらふらしていたアドルフは飽きたのか、街を出て森へと向かっていった。
「……あれは、アドルフ? 最近見ないと思ったが……」
その時、街から出ていく彼の小さな背中をたまたま見つけたエナメド・ジーノは荷物を抱えたまま、ぽつりと呟いた。
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「……はあ」
街から戻って来たアドルフは森の奥の秘密基地で、ぼうっと星を眺めていた。ここはアドルフが冒険者仲間達と一緒に作った隠れ家だ。元はとある商人が所有する朽ちた屋敷だったが、ちゃんと所有者の許可も得た上で改装工事を施し、お気に入りの場所になった。持ち家ではなく賃貸なのは少し残念だが、土地の所有者はいい人で、たまにアドルフ達に賃貸料代わりに冒険者向きの仕事を寄越してくる。
(スクルージさんの遺跡、どうなったんだろ……)
アドルフはふと、この秘密基地の地主の依頼で発掘作業を手伝った遺跡のことを思い出した。その遺跡はなんと謎解きによって最深部が封印されており、発掘作業が中断していた。リドルの謎を見事解いたアドルフ達が見たものは、動物を象ったゴーレム達と、石の棺だった。その遺跡は、かつて帝国地方(当時は違う国だったはずだが)で活躍した英雄、『獣の魔女』の友の墓だったのだ。土地の持ち主は遺跡を観光地として盛り立てたいと言っていたが、その後はアドルフ達も忙しかったので、今遺跡がどうなっているのかは分からない。
「スクルージさんに会いに行ってみようかな……いや、やっぱりいいや」
アドルフは一瞬腰を上げようかと思ったが、首を横に振った。やはり今は何もやる気が起きない。アドルフは取り留めのないことを考えながら、ぼうっと星を眺める。先代皇帝ヨゼフと決着を付けてからというもの、アドルフはずっとこの調子であった。
「……お腹空いたな」
しばらくアドルフはそうしていたが、ふいにお腹がクー、となり、アドルフは起き上がった。アドルフは仲間が作ってくれた干し肉のストックを漁ると、あぐらで屋根の上に座り、ポリポリとかじり始めた。
「そういえば、旅のこともお返事してないや……」
アドルフは近頃、友人から「旅に出ないか」と誘われていた。しかし、アドルフは「考える」と言ったまま、まだ返事が出来ないままでいる。
(僕、どうしちゃったんだろ)
授恵者となる前……アドルフが故郷の村で薬師の息子として暮らしていた頃には、狭い村から飛び出し、世界を旅することに憧れていた。だが、その夢は皮肉なことに、帝国崩壊という悲劇と共に叶えられた。授恵者となったアドルフは全てを忘れ、望み通りに世界中のあちこち冒険できたのだ。ビッグオウムの背に乗って。
そして、友人が一緒に旅をしないかと誘ってくれている。きっとその旅は楽しいものになるだろう。だというのに、アドルフは「うん」と返事をすることができないでいた。なんというか、今は何もやる気が起きないのだ。
「……きれいだな……」
アドルフは干し肉をかじりながら、ぼんやりと星空を眺めていた。
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――……おぅい……ルフ……。
――アドルフ……。
「あら?」
アドルフは下の方から自分の名を呼ぶ声が聞こえてくることに気付いた。アドルフがひょいと屋根の下を覗くと、見知った顔のおじさんが自分を見上げていることに気付いた。
「先生!」
「やあ、アドルフ。久しぶりだね」
アドルフが意外な来客の名を呼ぶと、エナメドは微笑んだ。アドルフは特製滑り台を使い、大急ぎで下へと降りていく。
「先生、どうしてここに?」
「いや、ここ数か月、君が顔を見せないからね。今日、たまたま街で見かけたから、少し様子を見に来たんだ」
「ごめんなさい」
エナメドの言葉に、アドルフはしゅんと項垂れた。エナメドは帝国崩壊から命からがら逃げ延びてきたアドルフを発見し、介抱してくれた恩人だ。アドルフが冒険者として身を立てるようになってからも定期的にアドルフは彼の元を訪れるようにしていたが、帝都奪還作戦以降、アドルフは一度もエナメドの診療所を訪れていなかった。
「謝ることはないさ。ただ、少し心配になってね。帝都奪還作戦には君も参加したんだろう?」
「うん」
「良かったら、聞かせてくれないか。その時のこと」
「うん、わかった。ここじゃ寒いし、中に案内するの」
アドルフはにっこり笑い、隠れ家へとエナメドを招き入れた。
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「へえ、中はけっこう綺麗なんだね」
エナメドは隠れ家の様子に感心していた。外から見た限りでは廃墟だったが、中はよく掃除されており、まるで金持ちの別荘のようだ(実際にこの隠れ家はかつてはギャングのお屋敷だったのだが)。
「うん、みんなでお掃除したから」
「へえ。外の壁がそのままなのはわざとかい?」
「うん、その方が秘密基地っぽいでしょ?」
「なるほど」
アドルフの子供らしい言葉にエナメドは微笑む。
(……だが、実際にはアドルフはもっと年上らしい。彼の言動が幼いのは、帝国崩壊の際に一度記憶を喪失したからだろう。見た目が幼いハーフリングという出自も関係しているのかもしれないが)
記憶を取り戻した後のアドルフ……否、『ノア・フォーサイス』はエナメドには以前とそう変わらないように見える。だが、そこはかとなく、記憶を取り戻す以前よりも立ち居振る舞いがしっかりしてきた気がする。ノア少年がどんな性格だったのかは、エナメドには知る由もないが。
「アドル……いや、ノア」
エナメドが名前を呼び掛けてやめると、アドルフは首を横に振った。
「呼びやすい方でいいよ」
「そうか。……いや、おじさんはどうしてもアドルフ、の方がしっくりきてね。なら、アドルフと呼ばせてくれ」
エナメドは苦笑する。名前も思い出せなかったアドルフにその名を与えたのはエナメドだ。そちらの名前の方が印象深いのは無理のないことだった。
「幽界樹も、征竜も、ヨゼフ皇帝も死んだと聞いた。君も、帝都で戦ったんだな」
「うん、お父さんとお母さんの仇は討った」
アドルフは静かに頷く。そして、アドルフは帝都での戦いについて語り始めた……。
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「――そうか。想像以上に激しい戦いだったんだな。無事で何よりだ」
アドルフの話は短く、簡潔だった。淡々と話すアドルフの口調には、大冒険を終えた喜びも、復讐を果たした達成感も、何も宿ってはいなかった。エナメドは、それがとても心配だった。
「……それで、これから君はどうするつもりなんだい? 君は授恵者だ。選択肢はいくらでもあるはずだが」
「……分からない」
アドルフは静かに首を横に振る。帝国崩壊の元凶たちを倒し、アドルフは過去との決着をつけたつもりだった。しかしそれからというもの、アドルフの心はガラスのボトルのように空っぽで、無気力な状態が続いていた。
「アドルフ、君の故郷に行かないか」
「え?」
「君は一度、故郷に帰るべきだ……おじさんはそう思うよ」
「……」
「ノア。君のお父さんとお母さんに、本当の弔いをしないか?」
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「弔い……」
「ああ。そうだ。君の両親を故郷の村に葬るんだ」
アドルフが記憶を取り戻した後、アドルフは両親の遺体を探した。しかし、アドルフの両親がなくなったのは3年以上も前な上、二人がなくなった場所も相当に離れている。遺体を発見することはできなかった。アドルフは両親を弔うため、隠れ家の裏庭に棺のない、簡素な墓を作っていた。だが……たとえ、亡骸がなくとも、墓というからには、やはり二人の故郷に作るべきだろう。それに、アドルフの故郷の村にいけば、彼の生家がある。そこは彼の両親の家でもあるのだ。
「どうかな? 嫌なら、無理にとは言わないが……」
エナメドはアドルフをじっと見つめる。すると、アドルフはエナメドの目をまっすぐに見て言った。
「ありがとう、先生。僕、故郷に行くよ」
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「わかった。出発は明後日でいいかな。出発はすごく早い時間になりそうだけど……」
「うん、大丈夫」
エナメドの診療所はこの旅の間はお休みになる。あまり時間はかけられない。完璧主義者であるエナメドなら何か対策は考えてあるのだろうけれど。
「カギは締めたね。アドルフ、忘れ物はないかい?」
「うん」
二人は一度エナメドの診療所に立ち寄り、しっかりと戸締りをした後、帝国に向けて旅立った。
「さて、辺境都市群からだと、西にまっすぐだな。……アドルフ、故郷の場所は思い出せるかい?」
「うん、大丈夫」
「そうか。なら道案内は任せる」
帝都崩壊からもう約4年経っているとはいえ、幽界樹の影響で大量発生した這い寄るものは駆逐されたわけではない。人里付近ではクリーパーの掃討は進んでいるが、辺境であれば、未だにクリーパーと遭遇することもある。そもそも、クリーパーは世界の狭間から這い出てくる異界の侵略者たちだ。どんなに気を付けても、遭遇の可能性はゼロにはできないし、クリーパー以外の脅威……魔獣や蛮族と出くわすこともある。ロスガリア大陸に生きる人々にとって、旅は死と隣り合わせなのだ(それゆえ、冒険者や傭兵には護衛の仕事の口が常にあるわけだが)。
「先生、安心して。もし山賊や怪物が出たら、僕が先生を守るよ」
「ああ、それなら安心だ」
アドルフの頼もしい言葉に、エナメドは笑った。
●
アドルフ達は、アドルフがかつてエナメドと出会った花畑から北へと進み、辺境都市群と帝国の国境沿いにある山地をかすめるように設置された街道へと出た。アドルフが辺境都市群まで逃げてくる際に使用した道はろくに整備もされていない獣道だ。アドルフの故郷の村の名前も分かっていたので、今回はちゃんとした街道を使うことにしたのだ。……もっとも、帝国は人里以外は荒れ放題なので、もし村が復興されていなければ、獣道も街道も大差ない状態かもしれないが。
(あれ? 木の陰に人が……)
旅の途中、アドルフは街道から少し外れた所にある木の陰で人がぐったりとしていることに気付いた。高級そうなスーツを着た、裕福そうな男だ。
「アドルフ!」
「うん、先生!」
二人は急いで馬を降り、男へと駆け寄る。
「おい、あんたどうした?」
エナメドが耳元で声をかけると、男は譫言のように返事をした。
「へ……び……」
「蛇? 蛇に噛まれたのか?」
エナメドは男の手足の袖をめくる。すると、右足首のあたりに小さな二本の牙の痕がついていた。
「先生、この症状はマムシの毒だと思う」
「しまったな……血清は今は持っていない……」
アドルフが声をかけると、エナメドは首を横に振った。アドルフも歯噛みする。単純な傷なら回復魔法でも癒せるが、普通の蛇の毒は授恵者の力でも治せない。授恵者が傷以外で治せるのは、エーテルによる異常だけである。
「先生はこの人を診ててもらえるかしら? 僕は街で血清をもらってくる」
「ああ、分かった。頼んだぞ、アドルフ」
アドルフは常人離れした脚力で街へと駆けていった。
●
アドルフは間に合った。男はなんとか命の灯が尽きる前に、アドルフが街でもらってきた血清を摂取することができたのだ。
「やれやれ、命拾いしたな、あんた。もう少し大きい蛇なら間に合わなかったかもしれんぞ」
「おじさん、ラッキーだったの。最近毒蛇に噛まれる人が多いから、血清を置いてたんだって」
「ありがとうございます。なんとお礼を言ったらいいか……」
男は財布を出そうとしたのか、懐を漁ったが、恥ずかしそうに首を横に振った。
「……申し訳ありません。財布を落としてしまったようです。ぜひお礼をと、思ったのですが……」
男は申し訳なさそうに二人に告げた。
「いいのいいの! たまたま通りかかっただけなんだから」
「ああ。アドルフが立て替えた血清の代金ぐらいは後でもらいたいが」
「分かりました、街に着いたらぜひ我が家に……」
その時、執事服を着た男が街の方から走ってきた。
「旦那様! ご無事ですか!?」
「良かった。あんたのお迎えがきたようだな」
エナメドはにっこりと笑った。その後、二人は男に昼食だけごちそうになり、再びアドルフの故郷へ向かう旅へと戻った。
「アドルフ。やるじゃないか。君はとても立派だったよ」
「ありがとう。先生」
エナメドが笑いかけると、アドルフは照れくさそうに笑った。
●
二人の旅路は続く。次第に二人の行く街道は寂れはじめ、どんどん人気のない山道へと変わっていく。人里というものは、全く手入れをされていない状態だと、たった数年で驚くほど寂れていくものだ。アドルフとエナメドは、荒れ果てた山道を慎重に進んで行く。
「……この辺りはあまり人の手が入っていないようだな。アドルフ、転ばないように気を付けるんだ」
「うん、先生こそ」
エナメドがアドルフに注意を呼び掛けると、アドルフは頷いた。帝国は一度国土全土がクリーパーの氾濫で滅びた後、生き残った人々は帝国との国境近くに作られた各地の難民キャンプで生活をしていた。レイウェストが南部鎮守都市ヴィントを奪還した後、難民キャンプは次第に解散されていき、人々は故郷に帰っていったのだが、この様子だとアドルフの故郷の村には人が戻っていないのかもしれない。やがて、二人の前に荒れ果てた一軒の家が姿を現した。
「……家だね。ここはもう村の……」
「あの家……」
「? アドルフ、君はこの家に見覚えが……」
エナメドがアドルフに尋ねようとした時だった。
「あの家……オリビア叔母さんの家なの!」
アドルフは廃墟を指差して叫んだ。周りはすっかり荒れ果てているが、この家ははっきりと覚えている。アドルフが家に駆け寄ると、外の壁にナイフで文字が彫ってあった。
『私は先に逃げる。無事を祈る』
(そうだ、あの時も確かにこの壁の文字は見た覚えがある。オリビア叔母さん……今どこにいるんだろう?)
アドルフは家の中も確認してみたが、叔母さんはこの家には戻ってきてはいないようだった。
「ここは君の叔母さんの家なのかい?」
エナメドが尋ねると、アドルフは首を縦に振った。
「うん。叔母さんはどうなったか、分からない」
「そうか。……無事だといいな」
エナメドは言葉を探してみたが、気の効いた表現は特に思いつかなかった。
「うん」
アドルフはしっかりと頷く。村から逃げる時は別行動だったので、叔母さんの生死は不明だ。だが、叔母さんは熟練の狩人だった。もしかすると、クリーパーをうまく撒いて帝国から脱出できていたかもしれない。というか、アドルフにはあの叔母さんが簡単に死ぬところが想像できない。叔母さんは薬師であったノアの父親以上に、山を知り尽くしている人だった。
「もう、村はすぐそこなの。エナメドさん、もう少し進んでいい?」
「ああ、もちろんだ。今夜は君の村に泊まろう」
●
数日間の旅路を終え、アドルフはとうとう自分の故郷の村へと戻ってきた。元々住居が一か所に密集しているタイプの村ではなかったが、やはり周囲に人影はない。この村には、人は戻ってきていないようだ。アドルフは滅んでしまった故郷の姿を丘からぼんやりと見つめていた。ここから見える家々の中には、アドルフの生家もある。だが、村はすっかり荒れ果てており、遺跡のような有様だ。
(まるで、お掃除する前の星見の隠れ家みたい)
アドルフはふと、そんなことを思った。
「どうやら、誰もここには戻ってきていないようだね。君の家は――
エナメドがそう言いかけた時だった。アドルフはエナメドが驚くほど、真剣な眼をしていた。
「アドルフ?」
「先生、僕から離れないで。何か来る」
アドルフの直感は、脅威が近づいてきていることを感じ取っていた。
●
「キュルルルルルル」
茂みから姿を現したのは亀に似た姿の怪物だった。サイズは大型犬ほどで、甲羅の下からは赤い触手がびっしりと生えている。そしてその頭は、カラスに似ていた。明らかに尋常の生物ではない。クリーパーだ。
(あいつじゃ、ない)
アドルフの脳裏に一瞬、両親を殺したクリーパーの姿がよぎる。だが、こいつは明らかに別の個体だ。倒さねばならないことに変わりはないが。
「先生には触れさせない。ここから出て行ってもらうの」
アドルフは祭刀を構える。それと同時に、クリーパーが奇声を上げ、アドルフへと突進してきた。
「キュアアアアアア!」
「アドルフ!」
甲高い叫びと共にクリーパーの嘴がアドルフの首筋へと走る。その先端には常人ならば一撃で絶命するほどの魔力が込められていたが――。幾多の修羅場をくぐったアドルフの敵ではなかった。アドルフはこともなげにクリーパーの一撃を躱すと、祭刀をクリーパーへと向けた。
ドンッ!
零距離で放たれた、煌めくエーテルの弾丸がクリーパーの肉をごっそりと抉る。
「キャアアアアアッ!」
思わぬ反撃に恐れをなしたクリーパーは悲鳴を上げ、アドルフに背中を晒して逃げていく。アドルフはその背に追い縋ると、祭刀を叩きつけ、クリーパーを消し飛ばした。
「ふう」
アドルフは他に仲間がいないかを確認した後、祭刀を鞘に納めた。
「先生、ごめんね。危ない目に合わせて」
アドルフが申し訳なさそうに言うと、エナメドは苦笑した。
「君が謝ることはない。誘ったのはおじさんの方だからね。しかし、見事な腕だな。それが君の力か。そんなに小さいのに……」
エナメドはしげしげと、アドルフを見つめている。
(そういえば、先生の前で戦ったのは初めてだった)
荒事に縁のない者からすれば、やはり授恵者の力はすさまじいものなのだろう。普段一緒にいる友人達も授恵者なので、アドルフはすっかり忘れていたが。
(僕は、この力をどう使うべきなんだろう)
アドルフは考えてみたが、すぐには答えを出せそうにはなかった。
●
アドルフ達は村をくまなく探したが、生存者は見つからなかった。骨すらも見つからなかったのは、やはりクリーパーか何かに食べられてしまったからだろうか……。二人は当初の予定通り、アドルフの生家から彼の両親の形見の品を持ち出し、二人の墓を作ることにした。
「ここなら、村の景色がよく見えるから」
アドルフはそう言って、丘の上に両親の墓を作った。
(帝国を滅ぼした元凶は倒した。僕は、世界を救ったよ……)
アドルフは墓の前で手を合わせ、両親にこの約4年間であったことを報告した。エナメドも一緒に墓に手を合わせ、アドルフの両親の冥福を祈った。
●
「他に、持ち出すものはないのかい?」
「うん、今はこれだけでいいの」
アドルフ達はアドルフの生家で一夜を明かした後、僅かばかりの形見の品を持ちだし、村を後にした。
(お父さん、お母さん。時々また来るからね……)
こうして、アドルフとエナメドの墓参りの旅は無事に終わった。
●
「よっとっと……なるほど、ここからなら星がよく見えるな」
「先生、落ちないでね」
梯子でエナメドの診療所の屋根の上に登りながら、アドルフが言った。たまには一緒に星でも眺めてみようかと、エナメドの方からアドルフを誘ったのだ。
「ああ、大丈夫だよ。もし落ちたらヒールで治してくれ」
エナメドが冗談めかして言うと、アドルフは笑った。二人はしばらくの間屋根の上に腰掛け、星空を眺めた。春の気候は穏やかで、髪を撫でる夜風が心地よかった。
「君はこれからどうしたいんだい。アドルフ」
二人で並んで星空を眺めながら、エナメドは優しげな瞳でアドルフに問いかける。
「僕は……旅に出ようと思うの。お父さんとお母さんや、先生みたいに誰かを助けながら。オリビア叔母さんも探さないといけないし……この力をどう使うべきなのか。僕はどう生きるべきなのか。答えは旅の中で探そうと思うの」
アドルフに宿った授恵者の力……それは両親が彼をクリーパーから逃がそうとした時に目覚めたものだ。最期の瞬間、アドルフの母はアドルフに「強く生きて」と願った。両親のアドルフを想う心が、自分にこの力を目覚めさせたのだ。アドルフはそう信じていた。それに、人々を癒す薬師であった両親ならば、授かった力は、人々の為に使われることを願っているかもしれない。
(僕を逃してくれたお父さんとお母さん。それに、側でずっと見守ってくれた先生のためにも、強く生きる。僕はそう誓ったから)
「そうか」
アドルフの返答を聞いたエナメドは、感慨深げに頷いた。
「気をつけてな。疲れた時はいつでも戻っておいで。それに、たまには顔を見せに来てほしい」
「うん!」
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そして、アドルフは旅に出た。あちこちで人助けをしながら旅をしていれば、いつかきっと、答えに辿り着けると信じて。それは子供の頃に彼が夢見た物語の続きでもあり、星を目指す旅路のように、果てない冒険の始まりだった。
「とりあえず、難民キャンプを探してみようかな……なんとなく、オリビア叔母さんは生きている気がするから」
世界の危機は去っても、授恵者の力を必要とする人々は大勢いる。やがてアドルフは救った人々の噂に上り、「星見の旅人」とか呼ばれるようになるかもしれない。
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メアリー王女が冒険者達の協力を得て稼働させた「王家の耳」。メアリーは無作為に集まってくる情報を、余人に及びもつかぬ閃きを持って分析しながら、今日も世界の動きへ耳を傾けている。
集まった情報の中には、世界の情勢に影響はないかもしれないが興味深い個人の記録があるかもしれない。