【DA】リーンエスの耳
アルベルト・V・シュタールシュヴェーアト/ レイウェスト・バルダス
『ノベルタイトル:とある春の日の午後』七海真砂
それは、帝国にも麗らかな季節が訪れ、心地良い春の風が吹く、穏やかなある日のことだった。
南部鎮守都市ヴィントに帰還したアルベルト・V・シュタールシュヴェーアトは、真っ先に己の主君の元を目指していた。
(この時間なら、執務室として使っている部屋だろうか?)
昼食は、おそらく取り終えているはずだ。だとしたら陳情に来た者達に会っているか、執務室での仕事中だろうと当たりをつけて、アルベルトはそちらに向かって歩く。
と、その部屋の少し手前にある窓から、何かを見ている主君――レイウェスト・バルダスの姿を見つけた。
「殿下? 一体何を見ておいでですか?」
「アルベルトか。戻ったのだな」
「はっ」
声で誰なのかすぐに気付き、振り返ったレイウェストが目を細める。すぐさま恭しく礼をするアルベルトの様子に「楽にしてくれ」とレイウェストは笑った。
忠誠心を形としても表したいアルベルトの気持ちと、それを理解しながらも仰々しい形式を避けようとするレイウェストの気持ちのせめぎ合い。アルベルトは騎士として、略式の構えを取ってレイウェストの傍に立つ。
「――花を見ていた。今年もちゃんと咲いたのだな、と」
何を見ていたのか、という先程の問いに、レイウェストは答える。
その視線が向けられた方向、先程までレイウェストが見ていた辺りに、青い小さな花がいくらか咲いている。
「あれは、確か……ネモフィラ? でしたか?」
「ああ。野でよく咲いているのを見かける花のひとつだな」
記憶を辿り、花の名前を呟くアルベルトの言葉に、レイウェストが頷き返す。
レイウェストの顔に微かな安堵が滲んでいるのは、帝国が今、『天霧りに消ゆる幽界樹』によって不作に蝕まれているという事情があるせいだろう。
多くの作物が不作に見舞われ、民は困難に直面している……そんな最中であっても、野には今年の春もきちんと花が咲いたのだという現実は、困難に対峙しているレイウェストの心を、少し軽くしてくれるものに違いない。
「東の方でも、北の方でも、まだ咲いていませんでしたね。これから少しずつ咲いていくのでしょう」
「そうか。咲き始めに気付けたのは幸運だったな、執務室に籠っていると、つい季節の移り変わりを見落としてしまいがちだから。……北の方は、まだ雪が?」
「いえ。今年は雪解けが早いそうで」
山には雪が見えましたが平地の方は、と首を振るアルベルトを促しながら、レイウェストは執務室へと戻っていく。呼び鈴を鳴らしてメイドを呼ぶと、アルベルトも顔見知りの女性が静かに会釈しながら入って来る。
「何か、飲み物と軽くつまめる物を頼む。アルベルトも旅から戻ったばかりで喉が渇いているだろう? 話は、何か飲みながらにしよう」
やがてポットが運ばれてくると、自らそれを注ごうとするレイウェストを制してアルベルトがそれを持つ。アルベルトも決して茶を淹れるのが得意という訳ではないが、さすがに主君に注がせる訳にはいかない。
「殿下、どうぞ」
「ありがとう。それで? 此度の旅はどうだった?」
丁寧に茶を注いだカップを受け取り、問いかけるレイウェストの言葉に、アルベルトはここ最近巡った各地の状況を報告していく。
レイウェストの騎士となることを誓ったあの日から、この剣はレイウェストの敵を、ひいては帝国国民の敵を斬り、断つためにある。
その誓いの元、各地で戦いを繰り広げて修行の日々を送るアルベルトは、帝国各地で起こる事件の解決を通じて、帝国の様々な情勢を目の当たりにしている。それはヴィントにいるレイウェストにとって、よく遠くまで見える目を、聞こえる耳を持つに等しい。
アルベルトの遭遇した事件の詳細、それに関連して耳にした民衆の声、彼らの詳しい様子などにレイウェストはじっと耳を傾け、時折頷き、いくつかのメモを書きつける。それはアルベルトからの報告を踏まえて、対処を検討するためのものだろう。
(まだまだ人手も物資も足りないのが現状だからな……)
レイウェストも、出来ることならすべての事柄に十分な対応を取りたいことだろう。だが、現状の帝国はあれもこれもという訳にはいかないのだ。優先順位を慎重に検討し、限りある人的資源を活用し事に当たるには、慎重な判断が求められる。
その苦労は、いかほどのものか。
だからせめて、判断材料とするための正確な情報を伝えられたら、と、アルベルトは克明に状況を伝えていくことに徹する。
「それから、北ですが……」
北。
その言葉は、北部鎮守都市オルセンのことを指している。冒険者ギルドを通じて、魔獣退治やクリーパー退治の依頼が出ていることは、レイウェストの耳にも既に入っているだろう。実際にその現場に赴いたアルベルトは、詳細な報告をレイウェストに対して行っていく。
そして、その折に、太守であるコンラート・マフダルと交わした会話のことも――。
「……以上が、私が入手できた状況となります」
報告を終えたアルベルトは、一呼吸置いてから続ける。
「やはり、オルセン太守マフダル卿は、殿下を帝国のトップとしては見ていません。ヨゼフが帝国過激派やメドゥの指先と手を組んだことが明らかになったにも拘らず、今もなお、ヨゼフを『正当な皇帝』と呼んでいる模様です」
それでもコンラートには『卿』を付けて呼ぶのに対し、皇帝ヨゼフを呼び捨てにして言い放つ所に、アルベルトからの微妙な距離感が見え隠れする。
どこか憤然とした眼差しを隠そうともせず、カップに口をつけるアルベルトの姿に、レイウェストは「そうか」と呟いた後、「それも仕方の無いことだ」と、小さく自嘲するかのように苦笑した。
「正しく皇帝の座にあり、皆を率いていた実績のある父上と、これまで、何もできていない私の差だろう」
「殿下……! 何もできていない、などと仰らないでください。そのようなこと……!」
思わず立ち上がりかけたアルベルトを制するように、レイウェストは首を振る。
「貴公のようにヴァイセントラフ砦からついて来てくれた者、ヴィント奪還で救われた者にとってはそうかもしれない。だが、オルセンの民にとっては、どうだろう。――『何もできていない』も同然だからな、私は」
オルセンに出現した『天霧りに消ゆる幽界樹』から人々を救ったのはクーネ・ルウという女性だし、その後オルセンの人々が飢えることなく暮らせているのは、太守たるコンラートの采配によるものだ。オルセンを守り続けているのもオルセンの兵達。レイウェストは、彼らに対して、何もできていない。
「現状、帝国で最大の人口を擁しているのがオルセンだ。極北に面することからクリーパーの襲来を受け、土地は南部と同様に不作に蝕まれている……決して楽な環境ではないオルセンの地で、あれほど多くの民が飢えることも外敵に怯えることもなく暮らせているのは、すべてコンラートの力によるもので、私の力によるものではない」
では、今のレイウェストに何か、できることはあるだろうか。
――今もレイウェストは同盟など各国からの支援を得て、なんとかやっているというのが現状で、オルセンにまで手を差し伸べている余裕などありはしない、というのが率直なところだった。
「何もできない以上、コンラートやオルセンの民に私が認められないというのも仕方の無いことだろう」
それは、あくまでも自分に力が無いことが原因なのであって、コンラート達を責めるものでは無いよ、と告げながら、レイウェストは己の手を見つめる。
――レイウェストには、征竜との繋がりがある。
帝国民の中でも、特に『征竜の盾』たらんとする意志の強いオルセンの者達にとっては、この事実だけでもレイウェストのことは認め難いことだろう。それでも彼らは、レイウェストのことを、拒絶や否定まではしていない。
「――状況が良い方へ変われば、オルセンに対して出来ることもあるかもしれない。そうすれば彼らとの形も変わってゆくだろう。今の私にできることは、状況が好転するように、できる限り力を尽くしていくことだけだ」
「殿下……」
レイウェスト個人に出来ることなど、たかが知れているのかもしれない。それでも、最善を尽くそうとするレイウェストの姿に、アルベルトは「お供いたします」と頭を下げる。
レイウェストが、それを望むと言うのならば、どこまでも――アルベルトは、彼の騎士であることを誓ったその時から、レイウェストと共に在ると決めているのだから。
「アルベルト……。いつも済まないな、貴公の忠義は本当にありがたい。今後も私のためにその力を尽くして欲しい」
「ありがたき幸せ! これからも殿下のために粉骨砕身、身を粉にして尽くす所存です!」
レイウェストからしてみれば、アルベルトの忠義にすら、十分に応えられているものかどうか――。それでもレイウェストの為に尽くしてくれるアルベルトの姿は、本当に、本当にありがたいものだった。
だからこそ、「せめて、彼らの期待に応えられるような主君でありたい」とレイウェストは思うのだ。
「……そうだ。アルベルト、少し歩かないか」
「? はい」
それから更に、帝国のこれからについてしばらく語り合い、ポットとカップの中身がすっかり空になった頃、レイウェストはふと、アルベルトに誘いかけた。
怪訝そうにしながらも頷き返したアルベルトに「いや、そう大したものでは無いのだが、なかなか良い景色が見れる場所を見つけたんだ」とレイウェストは振り返る。
「景色、ですか」
「そう。あそこだ」
立ち止まった先に見えたのは、赤く染まった地平線。
その手前に広がる草原を駆けていくのは、家畜のビヒモーや羊、それに、それを追い立てる子供達の姿。
その更に手前には、復興のために建てられている途中の家屋が並ぶ。
「……なるほど。良い景色ですね」
「だろう?」
僅かな隙間から見えるのは、何の変哲もない、ごくごく平凡な景色だ。
――しかし、だからこそ、その尊さがレイウェストにもアルベルトにも分かる。
「あの辺りの建物は、もうじき完成するはずだ。その後は建物に遮られて、先の景色は見えなくなってしまうだろう。あの地平線に至る光景が、今だけしか見れないかと思うと、ますます貴重な気がしてしまってな」
「……いつだって、あちらこちら中に広がって見えますよ殿下、きっと」
「そうだな。うん。そうに違いない」
復興の灯は確実に根付き、あちらこちらに広がっている。いつだって、どこにでも、こうした景色は見れるに違いないと告げるアルベルトに、その言葉を噛みしめるようにしながらレイウェストも頷く。
「それにしても……なかなか手際の悪い……このままでは、日が暮れても終わりそうにない有様ですね」
「あの子らか?」
「はい。羊たちはともかく、ビヒモーを追い立てるなら、もう少し大振りな動きの方が良いのですが」
建物の向こうに見える子供達の影を見ながら、思わず呟くアルベルトの様子にレイウェストが小さく笑う。この騎士は、帝国の復興にも携わっているせいか、家畜の取り扱いにもなかなか詳しい。それなら、とレイウェストは言う。
「良ければ近いうちに訪れて、あの子らを導いてやってくれ」
「はい」
彼らの年背格好は、レイウェストが難民キャンプの頃より親しくしている友人に通じるものがあるせいか、どうにも放っておけないらしい。それを察したアルベルトは小さく笑みながら頷き返す。
他にも、手助けできることがあれば、時間の許す範囲で手伝ってやって欲しい、というレイウェストの言葉に、アルベルトは深々と頷き返した。
「復興の手を欲している地域は多数ありますので、また足を運んでみるつもりです。先日、盗賊団の噂を耳にした地域も心配ですから詳しく調べておきたいですし、それから……」
ひとたび口を開けば、アルベルトは東へ西へ、また足を運んでみるつもりの数々の地名を挙げていく。時には危険も伴うだろうが、それでも歩みを決して止めようとしないアルベルトの様子に、レイウェストは頷く。
「よろしく頼む。私も、帝国奪還のために全力を尽くすつもりだ」
アルベルトのように、直接現地へ訪れる形では無かったとしても。それとはまた違った形で、レイウェストなりの『戦い』を続けていくというその言葉に、アルベルトはまた深々と頭を下げる。
「……だが、くれぐれも無理はしないように――己の身を大事にすることも、忘れないでくれ」
各地を巡り、尽くしてくれるアルベルトの存在は、心からありがたいと思っている。
だからこそ、決して無理はしないように――ここに、自分の元に、また必ず無事な姿で帰って来るように、と、レイウェストはあえて『命じる』。
「はっ。この『剣』は殿下の為の剣――必ずや、また殿下の元へ帰参いたします」
「うむ」
恭しく礼をするアルベルトに、レイウェストもまた大きく頷いて応じると、「すっかり遅い時間になってしまったな、今宵は婚約者殿のところへ戻るのだろう?」と微笑んでみせる。
「は……ええ、まあ、はい」
すっかり見透かされてしまったようだと、アルベルトは頭をかく。もちろん、最優先は殿下だけれど。真っ先に馳せ参じたのは殿下の元、だけれど――。
「では、そろそろ発たなければ到着が深夜になってしまうな? 婚約者殿にも、どうかよろしく伝えてくれ」
「はっ! ――それでは、殿下、失礼いたします」
「うん、また」
挨拶は短い。でも、その中には言葉だけでは言い表せないほどの絆を溶かし込んで……踵を返し、レイウェストの前を立ち去っていくアルベルトを、その赤い双眸は見送るのだった。
南部鎮守都市ヴィントに帰還したアルベルト・V・シュタールシュヴェーアトは、真っ先に己の主君の元を目指していた。
(この時間なら、執務室として使っている部屋だろうか?)
昼食は、おそらく取り終えているはずだ。だとしたら陳情に来た者達に会っているか、執務室での仕事中だろうと当たりをつけて、アルベルトはそちらに向かって歩く。
と、その部屋の少し手前にある窓から、何かを見ている主君――レイウェスト・バルダスの姿を見つけた。
「殿下? 一体何を見ておいでですか?」
「アルベルトか。戻ったのだな」
「はっ」
声で誰なのかすぐに気付き、振り返ったレイウェストが目を細める。すぐさま恭しく礼をするアルベルトの様子に「楽にしてくれ」とレイウェストは笑った。
忠誠心を形としても表したいアルベルトの気持ちと、それを理解しながらも仰々しい形式を避けようとするレイウェストの気持ちのせめぎ合い。アルベルトは騎士として、略式の構えを取ってレイウェストの傍に立つ。
「――花を見ていた。今年もちゃんと咲いたのだな、と」
何を見ていたのか、という先程の問いに、レイウェストは答える。
その視線が向けられた方向、先程までレイウェストが見ていた辺りに、青い小さな花がいくらか咲いている。
「あれは、確か……ネモフィラ? でしたか?」
「ああ。野でよく咲いているのを見かける花のひとつだな」
記憶を辿り、花の名前を呟くアルベルトの言葉に、レイウェストが頷き返す。
レイウェストの顔に微かな安堵が滲んでいるのは、帝国が今、『天霧りに消ゆる幽界樹』によって不作に蝕まれているという事情があるせいだろう。
多くの作物が不作に見舞われ、民は困難に直面している……そんな最中であっても、野には今年の春もきちんと花が咲いたのだという現実は、困難に対峙しているレイウェストの心を、少し軽くしてくれるものに違いない。
「東の方でも、北の方でも、まだ咲いていませんでしたね。これから少しずつ咲いていくのでしょう」
「そうか。咲き始めに気付けたのは幸運だったな、執務室に籠っていると、つい季節の移り変わりを見落としてしまいがちだから。……北の方は、まだ雪が?」
「いえ。今年は雪解けが早いそうで」
山には雪が見えましたが平地の方は、と首を振るアルベルトを促しながら、レイウェストは執務室へと戻っていく。呼び鈴を鳴らしてメイドを呼ぶと、アルベルトも顔見知りの女性が静かに会釈しながら入って来る。
「何か、飲み物と軽くつまめる物を頼む。アルベルトも旅から戻ったばかりで喉が渇いているだろう? 話は、何か飲みながらにしよう」
やがてポットが運ばれてくると、自らそれを注ごうとするレイウェストを制してアルベルトがそれを持つ。アルベルトも決して茶を淹れるのが得意という訳ではないが、さすがに主君に注がせる訳にはいかない。
「殿下、どうぞ」
「ありがとう。それで? 此度の旅はどうだった?」
丁寧に茶を注いだカップを受け取り、問いかけるレイウェストの言葉に、アルベルトはここ最近巡った各地の状況を報告していく。
レイウェストの騎士となることを誓ったあの日から、この剣はレイウェストの敵を、ひいては帝国国民の敵を斬り、断つためにある。
その誓いの元、各地で戦いを繰り広げて修行の日々を送るアルベルトは、帝国各地で起こる事件の解決を通じて、帝国の様々な情勢を目の当たりにしている。それはヴィントにいるレイウェストにとって、よく遠くまで見える目を、聞こえる耳を持つに等しい。
アルベルトの遭遇した事件の詳細、それに関連して耳にした民衆の声、彼らの詳しい様子などにレイウェストはじっと耳を傾け、時折頷き、いくつかのメモを書きつける。それはアルベルトからの報告を踏まえて、対処を検討するためのものだろう。
(まだまだ人手も物資も足りないのが現状だからな……)
レイウェストも、出来ることならすべての事柄に十分な対応を取りたいことだろう。だが、現状の帝国はあれもこれもという訳にはいかないのだ。優先順位を慎重に検討し、限りある人的資源を活用し事に当たるには、慎重な判断が求められる。
その苦労は、いかほどのものか。
だからせめて、判断材料とするための正確な情報を伝えられたら、と、アルベルトは克明に状況を伝えていくことに徹する。
「それから、北ですが……」
北。
その言葉は、北部鎮守都市オルセンのことを指している。冒険者ギルドを通じて、魔獣退治やクリーパー退治の依頼が出ていることは、レイウェストの耳にも既に入っているだろう。実際にその現場に赴いたアルベルトは、詳細な報告をレイウェストに対して行っていく。
そして、その折に、太守であるコンラート・マフダルと交わした会話のことも――。
「……以上が、私が入手できた状況となります」
報告を終えたアルベルトは、一呼吸置いてから続ける。
「やはり、オルセン太守マフダル卿は、殿下を帝国のトップとしては見ていません。ヨゼフが帝国過激派やメドゥの指先と手を組んだことが明らかになったにも拘らず、今もなお、ヨゼフを『正当な皇帝』と呼んでいる模様です」
それでもコンラートには『卿』を付けて呼ぶのに対し、皇帝ヨゼフを呼び捨てにして言い放つ所に、アルベルトからの微妙な距離感が見え隠れする。
どこか憤然とした眼差しを隠そうともせず、カップに口をつけるアルベルトの姿に、レイウェストは「そうか」と呟いた後、「それも仕方の無いことだ」と、小さく自嘲するかのように苦笑した。
「正しく皇帝の座にあり、皆を率いていた実績のある父上と、これまで、何もできていない私の差だろう」
「殿下……! 何もできていない、などと仰らないでください。そのようなこと……!」
思わず立ち上がりかけたアルベルトを制するように、レイウェストは首を振る。
「貴公のようにヴァイセントラフ砦からついて来てくれた者、ヴィント奪還で救われた者にとってはそうかもしれない。だが、オルセンの民にとっては、どうだろう。――『何もできていない』も同然だからな、私は」
オルセンに出現した『天霧りに消ゆる幽界樹』から人々を救ったのはクーネ・ルウという女性だし、その後オルセンの人々が飢えることなく暮らせているのは、太守たるコンラートの采配によるものだ。オルセンを守り続けているのもオルセンの兵達。レイウェストは、彼らに対して、何もできていない。
「現状、帝国で最大の人口を擁しているのがオルセンだ。極北に面することからクリーパーの襲来を受け、土地は南部と同様に不作に蝕まれている……決して楽な環境ではないオルセンの地で、あれほど多くの民が飢えることも外敵に怯えることもなく暮らせているのは、すべてコンラートの力によるもので、私の力によるものではない」
では、今のレイウェストに何か、できることはあるだろうか。
――今もレイウェストは同盟など各国からの支援を得て、なんとかやっているというのが現状で、オルセンにまで手を差し伸べている余裕などありはしない、というのが率直なところだった。
「何もできない以上、コンラートやオルセンの民に私が認められないというのも仕方の無いことだろう」
それは、あくまでも自分に力が無いことが原因なのであって、コンラート達を責めるものでは無いよ、と告げながら、レイウェストは己の手を見つめる。
――レイウェストには、征竜との繋がりがある。
帝国民の中でも、特に『征竜の盾』たらんとする意志の強いオルセンの者達にとっては、この事実だけでもレイウェストのことは認め難いことだろう。それでも彼らは、レイウェストのことを、拒絶や否定まではしていない。
「――状況が良い方へ変われば、オルセンに対して出来ることもあるかもしれない。そうすれば彼らとの形も変わってゆくだろう。今の私にできることは、状況が好転するように、できる限り力を尽くしていくことだけだ」
「殿下……」
レイウェスト個人に出来ることなど、たかが知れているのかもしれない。それでも、最善を尽くそうとするレイウェストの姿に、アルベルトは「お供いたします」と頭を下げる。
レイウェストが、それを望むと言うのならば、どこまでも――アルベルトは、彼の騎士であることを誓ったその時から、レイウェストと共に在ると決めているのだから。
「アルベルト……。いつも済まないな、貴公の忠義は本当にありがたい。今後も私のためにその力を尽くして欲しい」
「ありがたき幸せ! これからも殿下のために粉骨砕身、身を粉にして尽くす所存です!」
レイウェストからしてみれば、アルベルトの忠義にすら、十分に応えられているものかどうか――。それでもレイウェストの為に尽くしてくれるアルベルトの姿は、本当に、本当にありがたいものだった。
だからこそ、「せめて、彼らの期待に応えられるような主君でありたい」とレイウェストは思うのだ。
「……そうだ。アルベルト、少し歩かないか」
「? はい」
それから更に、帝国のこれからについてしばらく語り合い、ポットとカップの中身がすっかり空になった頃、レイウェストはふと、アルベルトに誘いかけた。
怪訝そうにしながらも頷き返したアルベルトに「いや、そう大したものでは無いのだが、なかなか良い景色が見れる場所を見つけたんだ」とレイウェストは振り返る。
「景色、ですか」
「そう。あそこだ」
立ち止まった先に見えたのは、赤く染まった地平線。
その手前に広がる草原を駆けていくのは、家畜のビヒモーや羊、それに、それを追い立てる子供達の姿。
その更に手前には、復興のために建てられている途中の家屋が並ぶ。
「……なるほど。良い景色ですね」
「だろう?」
僅かな隙間から見えるのは、何の変哲もない、ごくごく平凡な景色だ。
――しかし、だからこそ、その尊さがレイウェストにもアルベルトにも分かる。
「あの辺りの建物は、もうじき完成するはずだ。その後は建物に遮られて、先の景色は見えなくなってしまうだろう。あの地平線に至る光景が、今だけしか見れないかと思うと、ますます貴重な気がしてしまってな」
「……いつだって、あちらこちら中に広がって見えますよ殿下、きっと」
「そうだな。うん。そうに違いない」
復興の灯は確実に根付き、あちらこちらに広がっている。いつだって、どこにでも、こうした景色は見れるに違いないと告げるアルベルトに、その言葉を噛みしめるようにしながらレイウェストも頷く。
「それにしても……なかなか手際の悪い……このままでは、日が暮れても終わりそうにない有様ですね」
「あの子らか?」
「はい。羊たちはともかく、ビヒモーを追い立てるなら、もう少し大振りな動きの方が良いのですが」
建物の向こうに見える子供達の影を見ながら、思わず呟くアルベルトの様子にレイウェストが小さく笑う。この騎士は、帝国の復興にも携わっているせいか、家畜の取り扱いにもなかなか詳しい。それなら、とレイウェストは言う。
「良ければ近いうちに訪れて、あの子らを導いてやってくれ」
「はい」
彼らの年背格好は、レイウェストが難民キャンプの頃より親しくしている友人に通じるものがあるせいか、どうにも放っておけないらしい。それを察したアルベルトは小さく笑みながら頷き返す。
他にも、手助けできることがあれば、時間の許す範囲で手伝ってやって欲しい、というレイウェストの言葉に、アルベルトは深々と頷き返した。
「復興の手を欲している地域は多数ありますので、また足を運んでみるつもりです。先日、盗賊団の噂を耳にした地域も心配ですから詳しく調べておきたいですし、それから……」
ひとたび口を開けば、アルベルトは東へ西へ、また足を運んでみるつもりの数々の地名を挙げていく。時には危険も伴うだろうが、それでも歩みを決して止めようとしないアルベルトの様子に、レイウェストは頷く。
「よろしく頼む。私も、帝国奪還のために全力を尽くすつもりだ」
アルベルトのように、直接現地へ訪れる形では無かったとしても。それとはまた違った形で、レイウェストなりの『戦い』を続けていくというその言葉に、アルベルトはまた深々と頭を下げる。
「……だが、くれぐれも無理はしないように――己の身を大事にすることも、忘れないでくれ」
各地を巡り、尽くしてくれるアルベルトの存在は、心からありがたいと思っている。
だからこそ、決して無理はしないように――ここに、自分の元に、また必ず無事な姿で帰って来るように、と、レイウェストはあえて『命じる』。
「はっ。この『剣』は殿下の為の剣――必ずや、また殿下の元へ帰参いたします」
「うむ」
恭しく礼をするアルベルトに、レイウェストもまた大きく頷いて応じると、「すっかり遅い時間になってしまったな、今宵は婚約者殿のところへ戻るのだろう?」と微笑んでみせる。
「は……ええ、まあ、はい」
すっかり見透かされてしまったようだと、アルベルトは頭をかく。もちろん、最優先は殿下だけれど。真っ先に馳せ参じたのは殿下の元、だけれど――。
「では、そろそろ発たなければ到着が深夜になってしまうな? 婚約者殿にも、どうかよろしく伝えてくれ」
「はっ! ――それでは、殿下、失礼いたします」
「うん、また」
挨拶は短い。でも、その中には言葉だけでは言い表せないほどの絆を溶かし込んで……踵を返し、レイウェストの前を立ち去っていくアルベルトを、その赤い双眸は見送るのだった。
assignment【DA】史実ノベル 関連特設ページ
メアリー王女が冒険者達の協力を得て稼働させた「王家の耳」。メアリーは無作為に集まってくる情報を、余人に及びもつかぬ閃きを持って分析しながら、今日も世界の動きへ耳を傾けている。
集まった情報の中には、世界の情勢に影響はないかもしれないが興味深い個人の記録があるかもしれない。