【DA】リーンエスの耳

ヴィナス/ ルーンス・ラグネル
ゼクス・アーダベルト/ ヴァネッサ・アーダベルト

『ノベルタイトル:新たなる日常へ 青空の門出、兄弟の途』崎田航輝
 青空に鴎が羽ばたいている。
 澄んだ爽やかな晴れ間の下。石畳が伸びる通りを、ルーンス・ラグネルとヴィナスは並んで歩んでいた。
「にいさまと一緒にここを歩けるなんて、嬉しい」
「俺もだよ」
 言葉を交わし、共に視線を巡らせる。
 穏やかな景観の中にも賑わいがある――エラトゥーン都市同盟、ローレラウラ。
 二人はその道の先にある、実家を目指していた。
『まあ、もしかしてルースさん?』
 と、時折声をかけてくるのは近所の町人だ。
 冒険者としてではないヴィナスを知る者がいるのも、故郷だからこそ。
 お久しぶりです、と挨拶を返すと……揃って家に帰る感慨を感じないではいられない。
「……」
 けれど、前に向き直るヴィナスの表情に緩みはなかった。
 そう、これはただの里帰りではないのだから。

 馴染みある道を進むと、建物が見えてくる。
「着いたね」
「ああ」
 二人で見やるのは――アーダベルト商会。
 ローレラウラにあって相応の歴史を持つそこは、今なお幅広い品々を取り扱い、人の心も目も飽きさせない。
 旧い門構えにあぐらをかかず。時間の重みを感じさせながら、流動する景気の中でも消えぬ存在感があった。
 商人にとっては、一つの場所だけが商売の舞台ではないけれど――そこは紛れもない商会の本拠地であり、心臓部。
 故にこそ、ヴィナスも容易に近づく事はなく……離れて久しかった。
 中に入ると――
「ルースさん!」
「坊っちゃん! お久しぶりです!」
 こちらの顔を見た従業員達が駆け寄ってきた。
 現在、表の店舗は準備中だから……場を仕切る従業員もが手を止めてヴィナスを取り囲む。
「変わりないですか?」
 ヴィナスの言葉に彼らは頷き、近況も語る――古くから知る者は、涙さえ浮かべて。
 皆が歓迎してくれるのは、全員が兄弟の味方だからに他ならない。
 故に彼らは不要な騒ぎは起こさず。
「それじゃあ、後で」
 ルーンスが言うと、すぐにそれぞれが必要な仕事に戻っていった。
 ヴィナスとルーンスはそのまま、奥にある無人の応接間に入る。
 静けさの中、ヴィナスは改めて口に出す。
「いい商会だ」
 アレの下で、皆よくやっている、と。
「リズのおかげだね」
「うん、頑張ってくれてるよ」
 それにはルーンスも心から同意した。
 だからこそ、と。
「きっちり済ませないとね」
「ああ」
 ヴィナスは応える。
 久し振りの実家は感慨深かった。やはり他の何処とも違って……ゆったりと寛いでみたくもなる。
 ――けれど。
 (情勢は待ってはくれないからね)
 商会は今現在、決して悪い状態という訳ではなかった。
 それでも、世の動きに大きく影響されるのが商業だ。昨今の情勢の煽りを受けて、様々な波が降りかかる事に無縁では居られまい。
 それに対して出来るのは、商会を万全な態勢にしておく事。
 だから、今動いておきたい――異物が悪い影響を及ぼす前に。
 それが二人のやってきた理由だったから。
 決断に迷いはなく、ヴィナスは言った。
「始めよう。ヴィン」
「うん。ルースにいさま」
 頷き合うと、まずはルーンスが部屋から歩み出す。

●夫妻
「後は指示通りにしておいてくれ」
 メモ書きのような書類を従業員に渡し、会頭室に戻る。
 金髪碧眼の美丈夫――ゼクス・アーダベルトはそこで立派な椅子に座り、報告を受けた収支を眺めていた。
 喜ぶのは、商会の成長についてだ。
「まだまだ伸びてくれそうだな」
 声に滲むのはプライド。
 それは現アーダベルト商会会頭として……自身が全ての指揮をとっていると、そう思っているからだろう。
 組織の趨勢はトップが握っているものである。
 部下には不出来な者もいるが、自分がカバーしているからこそ商会は良好な数字を出せている。
 それがゼクスの自身に対する認識だった。
「ゼクス。そろそろ休憩にしない?」
 と、そこへ顔を出すのが妻――ヴァネッサ・アーダベルトだ。
「お仕事はそこそこにしましょうよ」
「そうだな。ティータイムも悪くない」
 ゼクスが立ち上がると、ヴァネッサは笑顔になる。
 夫が何の作業をしていたかなどは知らない。
 それでも夫が素晴らしい会頭としてここに居て――自分がそこに釣り合う妻としてここに居る。その事がヴァネッサに満足感を齎した。
 現実には、ゼクスは端正な見目を持ちながら……その振る舞いにも、言葉一つにも、商会を統べる人間としての格は、窺わせない。
 その妻としてのヴァネッサも、同じ。
 ただ、この夫妻だけがその事への自覚を有していなかった。

 と、会頭室を出て茶を淹れようとしたそんな時。
 古株の従業員が二人の元へ知らせを届けにやってきた。
「――何? ヴィンスが?」
「はい。詳しくは対面で、と」
 従業員の言葉に二人は目を合わす。
 それは“商会の事で、公的な面も含んだ連絡がある”という知らせだった。
「ヴィンスくんからなんて珍しいわ。ねえ、お茶は後にしましょうよ」
 ヴァネッサは楽観的な笑顔で言う。
 何故ならヴィンスは可愛い息子。
 夫の前妻の息子――“可哀想なあの子”とは違って、そこに注ぐ愛情は過剰なほど。だからヴィンスが何か言うなら、用事はさておき聞いておきたかった。
 ゼクスも頷く。
「確かに、余り無い事だね」
「でも商会の事だなんて。経営方針とかについて何かあるのかしら?」
「まさか」
 ゼクスは無自覚に横柄な笑いを零した。
「ヴィンスはそういうタイプではない」
 ゼクスにとってもまた、ヴィンスは可愛い息子だ。
 今となっては興味も薄れた、前妻との子とは違い……やはりそこに注ぐ愛は深い。
 故にこそ跡取りにも指名したが――そこに商才があるとは考えていなかった。
 そう、ヴィンスは可愛い“ばかり”の子。何も出来はしないけれど、それ故に愛し甲斐がある、そんな存在なのだから。
「公的な連絡というのは、方便かもしれないぞ」
 ここの所、ヴィンスは商会にも顔を出している。
 その理由を自分達の愛情ゆえと結びつけるのが、ゼクスの思考だった。
「だとしたら仕方のないやつだ」
 そう言うゼクスは楽しげだから――ヴァネッサも嬉しくなる。“自分の子”を選んでくれた実感に、満たされるようで。
 交わすのは省みられる事もない、自尊の笑み。
 尤もそれは、すぐに崩れる事になる。

●通告
 会議室。
 扉を開けて入ってきたゼクスとヴァネッサは――その物々しさにまず驚いたろう。
「これは……何事だ?」
 見回すそこには、古参の従業員が勢ぞろい。
 そしてその中心にルーンスが立っていた。
「ヴィンスだけではないのか? 皆まで揃って……」
 この時点で、相応に重大な事だろうとは予想出来てもおかしくない。
 だが、ゼクスは何にも思い至る素振りを見せない。
 だからルーンスは仕方なしに言った。
「何を言われるか、想像できてない?」
「……?」
 対するゼクスは訝しむばかり。
 それを見て……ルーンスは一つ息をついた。
 (まあ、そうだろうね)
 この夫妻は、自分達がどうにかなるなどとは考えもしていないのだ。
 その勘の鈍さにも、古参達の顔色から何も察せない観察力の無さにも……改めて、呆れる思いが湧く。
 ――こんな人達が商会のトップだなんて。
 でもそれも、これで終わり。
 ルーンスははっきりと、目を見て伝えた。
「連絡というのはね、父さんの退任通知だよ」
 書類を広げて見せる。
 そこには事務的な文言が記載されていた。

『ゼクス・アーダベルトについて
 当商会の会頭職にて、これに不適格であるという総意に基づき退任を通告する』

 併せて、会頭の妻であるヴァネッサにも同等の処分が下される事が明記されている。
「元々、何もしていなかったけどね。会頭の職も今日で終わりだよ。お疲れ様」
「……」
 ゼクスはそれらに、目を疑い、耳を疑い。
 最初は言葉を発さなかった。
「――な、何だと」
 それから書類を引き寄せて……ようやく内容を理解したか。
 ヴァネッサも目を通して、呆然とした。
「どういうこと……」
「お二人はもう、商会のトップではありません」
 言ったのは従業員達だ。
 自分の手足であると思っていたその全員が、この為に集まった。それを今実感し――ゼクスは唇を震わせた。
「い、いきなり、どういう事だ! ふざけるな!」
 そして声を荒らげると書類を握りしめる。
 ルーンスは勿論、どこ吹く風。
「紙一枚握りつぶしても何も変わらないよ」と、話を続けた。
「理由は……書いてあるけど、説明されないと分からないかな?」
 ならまずは端的に、と。
「一つ、能力面。商業に勤しむ多数の人間を束ねるだけの指揮、計算、統率、人間的な面で全てが能力不足である事」
「な――」
「二つ。ルースにいさまへの冷遇」
 これは特にね、と。
 ルーンスは声音を仄かに冷たくした。
「母さんの実家の商会を立て直したにいさまへのあの扱いは、商会として到底擁護出来るものじゃない。いち人間としても、ね」
「……」
 告げられる言葉に、ヴァネッサは信じられぬという表情を見せる。
 事ここにあっても、自身が何か正当な糾弾を受けていると思えないでいるのだ。
「ヴィンスくん、これ、何かの冗談よね?」
 その顔には何かを求める笑み。
 ルーンスが大々的な行いを出来るなどと思っていないのだろう。まだ何かの茶番である可能性を信じているのだ。
 ――自身の子の事すら理解出来ていない。
 ルーンスは長らく感じてきたそれに、もはや諦念すら無く――言葉を続けた。
「母さんも理由の一つだよ」
「え……?」
「犯してはならない愚行をした。馬車の事だよ」
 ヴァネッサは目を見開く。
 そして、とルーンスは書類を今一度示した。
「今回の事は了承してもらっているから」
「こ……、これは」
 会頭代行として記された、“ラグネル”の文字。それにゼクスははっとしていた。
 子がやった事だけならまだ半信半疑だったかも知れない。
 だがその名を無視は出来ない。
 それは他でもない、ヴィナスの祖母の名であったのだから。
「そ、そんなはずは……」
 ゼクスは微かに青ざめる。
「おかしいだろう。わ、私が商会を引っ張ってきたのだぞ……それにヴァネッサの実家の事も、あれは――」
「じゃあ、あとは一緒に説明しようかな」
 ルーンスは言うと扉の方を見た。
「ルースにいさま」
 言葉に導かれ、こつりと靴音が鳴る。
 そこに目をやって、ゼクスとヴァネッサは息を呑む。
「ルース……」
 そこにいるのが紛れもないヴィナス――ルース・アーダベルトその人だったから。

●事実
「どうして……」
 ゼクスとヴァネッサは始め、状況を理解出来ぬようだった。
「何故無関係のルースが」とでも思ったのだろう。
 対するヴィナスは――まず正面から言ってみせる。
「勿論、俺も商会の関係者だからね」
 自分も会頭の息子だから、とは言わない。
 商会を巡る事も、両親を巡る事も、全ては血筋と血縁が成したものではある。
 けれどヴィナスにとってもはや――ゼクスには血縁以上の、ヴァネッサには父の後妻であるという以上の繋がりなど無いのだから。
「ヴィンと前から話し合ってたんだ。もちろん、商会の皆とも」
「うん」
 ルーンスがヴィナスと見合って頷く。
 互いの瞳にあるのは固い絆の色だ。
 ゼクスとヴァネッサは、虚を突かれたように言葉を失う。
 兄弟の間の信頼を、その機微を、感じられるだけの聡さはないだろう。
 だがその鈍さでも、「二人が話し合っていた」という事実だけは判ったろうから。
「お前達が、一緒に……」
「今回の件だけじゃなくて、色々な事でずっとね」
「……」
「仲良かったの、知らなかったでしょ?」
 ルーンスの言葉に、ゼクスは二の句が継げない。
 認め難いというように目を泳がせてから、ようやく口を開く。
「……ルースは、家を出てからずっと帰らなかったじゃないか。どこかで遊び呆けていたんじゃ――」
「見てなかったんでしょ? なら、にいさまが何をしてたか判るはずないよね」
「……」
 ゼクスは言葉に詰まってから、焦って声を出す。
「家出、だったんだろう。ヴァネッサにも懐いていなかったし、商会をどうこうしようという気があるようには……」
「それはあなた達がそういうふうにしか見なかったからだよ」
 ヴィナスはそう事実を語った。
「単に、自分の子も、周りのことも、見たいようにしか見ていなかっただけだ」
「実際、にいさまは前から母さんの商会を助けていた訳だし」
 その話に、ゼクスは顔を上げる。
「そ、そのことだ。私はそんな話は知らないぞ」
「そうよ」
 ヴァネッサも言葉を挟む。
「ルースなんて全然、うちには関わってなかったはず……」
 そこにあるのは徹頭徹尾、商会を回していたのはゼクスなのだという思い込み。
 だからルーンスは言った。
「なら、母さんの実家はどうやって経営が建て直されたか言える?」
「……」
「何が問題で、どうやって軌道に乗るようになったか、端緒は、経緯は?」
 その事も分からないで言っている訳じゃないよね、と。
 ルーンスの差し向けた疑問に――ゼクスは答えられない。
 ヴァネッサが言葉をひねり出す
「で、でも。何とかなったなら、当時の皆が頑張ってくれたって事でしょ――?」
「誰の指示もなしで? 傾いた商売が、都合よく回復する事なんてないよ」
 そんなに甘くない、と。
 ルーンスが言えば、「ああ」とヴィナスが声を継ぐ。
「義母さんの所は、借金の問題があって――取引先に商材の質を担保できない状態だった」
 だから無理にやりくりしようとせず、最低限の品で最低限の売買だけをするように双方にお願いしたのだと言った。
「額の動きは個人商店のレベルからにして。信用だけは保ってもらえるようにね」
 繋がりが無くならなければ、潜在的な儲けは消えない。
 それも簡単ではないが――不足する点を適宜、アーダベルトの方の余力から補填する形で、商会は息を吹き返したのだ、と。
 端的に、だが整然と語られる経緯にゼクスとヴァネッサは息を呑む。
「当時はこちらの商会も忙しかったですが」
 と、古株の従業員達も口を開く。
「向こうの方達とやり取りをする事もありました。皆判っていますよ。軌道に乗ったのは、ルースさんの尽力があったからだと」
 それはヴィナスが商人の才覚を持つ証明だ。
 ゼクスは声を澱ませる。
「そ、そんな事、私は知らなかったぞ。ルースに、そんな力が……」
「だって、言ってないからね」
 ヴィナスは平然と返す。
 去るべき人間に本音など話しはしない。
 商会に不要な人間に対し――商才を明かす必要もない、と。
「それでも、気づけたはずだけどね」
 商会に、自分の力ではない何かが働いている――それを僅かでも察せられれば、と。
 けれど夫妻は気づかなかった。その能力すら、なかったのだ。

 ゼクスは唸りながらも、「だが」と食い下がった。
「アーダベルトの方は今までだって私が――」
「運営の指揮をとってるって思い込んでた?」
 ヴィナスの言葉に、ゼクスは声に詰まる。
「まさか」と、思うだけの察しの良さがあるか否か。
 結論を述べたのは従業員だった。
「こちらの方も、あなた方の指示については一切通しておりません」
「ば、ばかな。それでどうやって……」
「自分じゃない誰かが優秀だっていう考えは浮かばない?」
 ルーンスがそう答えを告げる。
「――リズだよ」
「……、エリザベス……?」
 夫妻にとっては意外な名でもあったろうか。
 だがその二人以外の全員には知れた事だった。
「僕が居ない間も、彼女が商会を纏めていてくれたんだよ」
「そう。彼女や従業員、ヴィン。商会を運営していたのはその皆で――父さんと義母さんは既に経営には関わってない。名前だけだよ」
 ヴィナスの言葉にゼクスは絶句する。
 ルーンスは緩く首を振る。
「そんなことにも気づかない人間が、にいさまを冷遇して……不適格という他ないね。だからこそ、ラグネルさんも助力してくれた訳だけど」
「ああ、とても協力的だったよ」
 ただ、とヴィナスは続ける。
「祖母が力を貸してくれた理由は俺への冷遇だけじゃないよ」
 そうヴァネッサに視線を向ける。
「義母さん、あなたの愚行に――怒りを覚えたからだよ」
 ヴァネッサは肩を震わせ、押し黙る。

 それは商会の人間にとって、衝撃的とも言えた事故の話だ。
 否、単に“事故”で片付く出来事ではない。
 ヴィナスの叔母が幼い娘を連れ、農園への視察へ赴く予定があった時の事。
 平素使う道には魔獣騒ぎがあり、迂回路を使う必要があったのに――その情報を知るヴァネッサが、御者にも叔母にも伝えなかったその悪意。
 結果として馬車は魔獣に襲われ……負傷した馬が恐怖で暴走し、大木に激突。馬、御者、叔母が死亡し、唯一生存した幼い娘も足に障害を残す事となったその事件。
 当初は事故として処理された、その全てが詳らかになったのは、ルーンスの直感と執念とも言えただろう。
「ラグネルさんはね、本当に憤ってたよ」
 不幸な事故ですらない。
 紛れもない悪意による、人為の結果なのだから。
「――俺への冷遇だけなら、まだ、ヴィンへの愛情故と思うこともできたのにね」
 でも、とヴィナスは首を振った。
「これは取り返しのつく事じゃない」
「……、お前……」
 ゼクスが見やると、ヴァネッサは声を震わす。
「ち、違うの」
 そうして視線を不安定に揺らし……声を震わせて取り乱した。
「あんなことになるなんて思わなかったの! ただ少し困らせてやればいいって……それだけだったのよ……!」
 そう、理由は単純な意地悪。
 ヴィナスの叔母と折り合いが悪かったという、それだけの事。
「思わなかった、か」
 だからこそ、ヴィナスの声に特別な温度はない。
「先の事すら考えられない想像力の欠如。それこそ、上に立つ人間として不適格だっていう証拠じゃないかな?」
「だ、だって、しょうがないじゃない……! 私だって、嫌な思いをしてたんだから――!」
 ヴァネッサは泣いてゼクスやヴィナスに縋りつく。
 恥も捨てたその姿に、取り合うヴィナスではない。
「“意地悪で”。“仕方なかった”。何も考えず行動を起こして反省もない。精神年齢が、幼すぎるよ」
 尚更そんな人間に商会を任せられる訳もない、と。
 告げられた言葉に、ヴァネッサは――縋る藁もない。最後には言葉無く、へたりこむしかなかった。
 ヴィナスはゼクスにも目を向ける。
「あなたにも責任はある。義母さんの一番近くにいて、不審な動きに気づく事も出来たはずだ」
「わ、私は――」
 何も悪くない、とはゼクスも言えないだろう。
 能力のなさ。勘の鈍さ。それを正当化する材料は全て否定されている。
 だからゼクスは……歯噛みして、感情に訴えた。
「何故……どうして、ここまでする。私はお前達の親だぞ。私への愛情は無いのか……!」
「父さんが今、親や愛を語るの?」
 都合がいいね、と。
 ルーンスの声音は揺らがない。
「それを否定したの、自分じゃないか」
「……」
「そう。義母さんの態度にも気づかず、自分から子供へ関心を失って。何故――こちらがいつまでもあなたへ愛情を抱いたままだと思ったのだか」
 ヴィナスは言って続けた。
「大切な親は居る。それは、亡くなった母さんだ。父さんは、幼かった俺が覚えてるなんて思ってもいないかも知れないけどね」
 けれど覚えている、と。
「そんな子供の心にも意識が向かない人間に……父親面して諭される事なんて何もないよ」
 結論として、と。
 ヴィナスは断じる。
「会頭代行、次期会頭、従業員、皆の考えが俺と同じ。父さんと義母さん、二人は――能力、感情、双方の面で商会に害悪の存在だ」
 これ以上理由の説明は不要かな、と。
 ヴィナスは言葉を区切った。

「そうそう」
 と、ルーンスが付け足す、
「今、ラグネルさんの所で会頭変更の公的な手続きも進んでるから。行ってくれてるのは――リズだよ」
「な、何だと」
 その仕事の速さにも、ゼクスは驚いたろう。
 だがルーンスの伝える情報は、それに終わらない。「そのリズに関して、もう一つ」と――最後に報告を加えた。
「僕達、婚約しているから。今後一切、婚姻に関して口出しはしないでもらえるかな?」
 させるつもりもないけど、と。
 言った言葉を、ゼクスは最初飲み込めず唖然とする。
 それから声を絞り出した。
「こ、婚約だと。……待て、お前には私が縁談を運んでやっただろう! あれは――」
「そんなの破談に決まってるでしょ?」
「……」
「というより始めから握りつぶす予定だったよ」
 実際、そちらにもしっかりと根回し済み。もう縁談などというものは持ち込まれない――ルーンスはそう伝えた。
「望みもしないものを喜んで受け入れる訳がないからね」
 まして父さんの意思が介在したものなんて、と。
 その言葉を、ゼクスは未だ受け入れがたいように唸る。
「し、しかし……エリザベスだと? お前達にそんな気配はなかった筈なのに――」
「そっちが勝手に決めつけていただけだよ。色々とやり取りもしていたのに……何故ただの幼馴染と思ったんだか」
 これも、気づこうと思えば気づけたろう。
 だがゼクスとヴァネッサはただただ、目端が利かなかった。
 何もかも自分の思い通りになっていると思いこんで……自分の能力も、立場も、全てを過信していた。
 自分達の子を、過小評価していた。
 あらゆる意味で至らない人間だった。
 ゼクスは何か反論しようとして、出来ない。後ろ盾すらなくなって……味方など居ないのだから。
「話は終わりだね」
 ヴィナスの言葉に……ゼクスは反抗する気力もなく、絶望して座り込んだ。
 ルーンスはそこに一瞥だけくれる。
「情勢が安定するまでは、離れに入っていてもらうよ。変なことしないようにね」
 つまりは幽閉だ。
「入口に毎食置くから、飢えは心配しないでいいよ」
 接触は一切させないけど、と。ルーンスは言って従業員達に目を向ける。
 すると皆が頷きを返し――“前会頭”夫妻を連れ出して行った。
 静けさが戻る中、ヴィナスとルーンスは最後に見合って頷く。
 爽風が吹き抜けたような空気。
 二人の道に要らぬ影を落とさせていたもの。その枷がようやく、名実ともに解かれる事になったのだ。

●兄と弟と
「今後はどうしましょうか?」
 店舗の方へ戻ると、従業員達が明るい様子で出迎えてくれた。
「本格的な事は、会頭代行が来てくれてからにしよう」
 ルーンスの言葉を了解しつつも……彼らは前より生き生きとしていて、賑やかでもある。
 実際、最も仕事を阻んでいた人物がいなくなったのだから当然だろう。
 早い段階から、ゼクスとヴァネッサは秘密裏に業務から切り離されていたが――それによって生まれる仕事を周りが補っていた分、面倒や損失は皆無ではなかった。
 経済は血流。
 異物があれば必ず流れは滞り、濁りが生まれるもの。
 従業員達はその中でも成果を出し続けていたが……これからはその邪魔もない環境で商業を全う出来るのだ。
 本来やるべき事に、邁進出来る事。
 皆が喜びを抱くのも道理だったろう。

 そんな店の方を暫く見た後――
 ルーンスの部屋へと、兄弟はやってきた。
「食材はここで?」
「うん。すぐに使うし」
 言うと二人で、野菜や魚をキッチンの前に置く。
 お祝い、という訳ではないけれど。
 ひとまず今日やるべき事は終えたからと……商会の品で料理を作る、二人だけの小さな食事会を開く事にしたのだ。
 お祝いムードの従業員達は「お代なんて」とも言ったけれど――
「今は客だよ。ここの品を欲してる、ね」
 二人はそう言って、吟味したものを購入してきた。
 少し暖かくなってきたので、マリネと冷製のスープで涼を得て、メインはパスタで。
 出来上がると二人で早速、実食。
 ルーンスはうん、と頷く。
「美味しいね」
「素材の良さは、やっぱりあるね」
 ヴィナスは掛け値なく言った。
 従業員達が日々目利きしているのだ。質は心配していなかったけれど……改めて、良いものだと感ずる。
 だからこそ――
 ――これから、商会は成長出来るだろうな。
 その実感と展望を抱く。
 多くの変化が訪れるだろう。自分自身も……商会の商人として大手を振って活動する事に、支障はなくなったのだから。
 とはいえ、道の歩み方を焦って固める必要はない。
 一番の厄介が取り除かれたのだから、ゆっくりと考えていける時間もある。
 だから今は――
「ありがとう」
 一番の思いを伝えた。
 ルーンスは「うん」と言いつつ言葉を返す。
「にいさまが色々な事を決めてくれたからね」
「それを言うなら、ヴィンが動いてくれたんじゃないか」
 ヴィナスも言って笑い合う。
 兄弟らしい時間。その心地よいひとときを、邪魔されず過ごせる事が嬉しかったから。
「皆、頑張ってくれたよね」
「ああ。リズも、従業員の皆も」
 そして、これから皆で頑張っていける。
 そんな環境を整えられた事。それにまずは二人で、快活な笑みを交わすのだった。

assignment【DA】史実ノベル 関連特設ページ

メアリー王女が冒険者達の協力を得て稼働させた「王家の耳」。メアリーは無作為に集まってくる情報を、余人に及びもつかぬ閃きを持って分析しながら、今日も世界の動きへ耳を傾けている。
集まった情報の中には、世界の情勢に影響はないかもしれないが興味深い個人の記録があるかもしれない。

墓標、白き追憶/弓月 蒼
トゥーリ/アストリッド・リーヴァイス
拝啓、星空のあなたへ/弓月 蒼
Alexandra・Hexe・Claudia/マリステラ・コナー

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アーカイブ生成日時 2026年08月05日 14時56分25秒 ・ world0