【DA】リーンエスの耳
ジュスト・V・ケレス/
ローザリカ・L・ディオール
ロイク・アベイユ/
エゼル・ランブラー
『ノベルタイトル:華燭之典』広大野人
●
荘厳な鳳笙が天に届く勢いで管を伸ばし、絢爛な彩華硝子が眩い太陽の光を通して、場を三十二色の虹で照らしていた。
ここはケレス侯爵家の開祖を祀る聖廟であると共に、新たな門出を迎えるジュスト・V・ケレスとローザリカ・L・ディオールの挙式を行う会場であった。ここ数代は、この聖廟を式場にする事が無かったのだが、侯爵家の継嗣と裕福な伯爵家令嬢の挙式に相応しいとされたのだ。
式場内にずらりと並ぶ参列者達を控室小窓の隙間から覗き見たロイク・アベイユがいつもと変わらぬ表情と口調で、主であるジュストに告げる。
「坊ちゃんが珍しく緊張ですかぁ?」
参列者の数はそこそこの村の人口よりも多い。また、単に人数が多いだけではなく、王族や上級貴族まで揃っているのだ。これで緊張しない人の方が少ないだろう。
「俺が緊張しているのは、ロゼの花嫁衣裳姿に、だ。あまりにも美し過ぎて式の流れを忘れそうだからね」
「それは直接、本人に言って下さいねぇ」
花嫁とは、朝の一刻だけ一緒で、後は別行動だ。ジュストは聖廟の管理者や給仕達との最終打ち合わせや、高貴な方々の出迎えなどで多忙だった。
その間、花嫁も準備に追われているはずなので、顔を合わす事が無かった。
知識としては一般的な結婚式の流れは理解していたが、現実にその日を迎えると、和やかなイメージとは真逆で、兎に角、休む間も無いほど忙しい。
「そろそろ、新郎の入場ですねぇ。坊ちゃん、もう一度、衣装を確認しますよぉ」
ロイクが念入りにジュストの頭から足元まで観る。
白い正礼装には乱れ一つも無い。更に、縫い付けてあるその釦は紅玉や黄水晶で作られ、襟には金糸による薔薇が咲き乱れている。裏地全体にまで伸びる薔薇模様は、ある意味、薔薇を背負ってそうなジュストには相応しいかもしれない。
「……問題ありませんですよぉ」
「よし、行こうか」
ジュストは得意の顔を作ると、控室の扉を開けた。式場正面が目の前の為、参列者達の視線が集中する。
その中を、習わしにより最も信を置く従者を一人連れた新郎が、厳かな曲と共に入場。
数歩後ろで控えた従者からの視線を感じつつ、新郎は作法に則り、視界いっぱいに並ぶ参列者達に深々と頭を下げた。
この挙式は――聖廟に眠る開祖と、集った人達の前で結婚を誓う、人前式なのだから。
●
「愛おし過ぎて言葉にならない」
エゼル・ランブラーが主であるローザリカの花嫁姿に目を輝かせて口元を抑える。
見開き過ぎて涙が出てきそうだが、今はぐっと堪えた。挙式前から自分の化粧が落ちたら、お嬢様に申し訳ない。
「そういえば、エゼルは僕の衣装合わせの時、『仕事』だったね」
急な『仕事』によって、席を外す事になったエゼルが悔しさのあまり、一晩寝られなかったらしいから、今の姿を見て感動するのもやむを得ないだろう。
ローザリカの花嫁姿は息をする事さえ忘れてしまう程に、美しい。
純白の花嫁衣裳。伝統的でありながら、革新的にも思える、洗練された意匠が花嫁の躰を尚一層と表し、羽根柄の刺繍がふんだんに施された末広裾が尾羽のように長く――永く広がっていた。
その優美な姿は、白銀に輝く人魚姫か、大空を治める天女を連想させる。
尊すぎて目が離せず微動もしないエゼルに、ローザリカは少し心配になった。
「……ダメ、だろうか?」
「そんな事は絶対にありません! その可愛さ、美しさ、高貴さは、世界一どころか、この先ずっと一番です。あの男には、過分なほどだから、お嬢様が今晩、尻で敷く程度では足らないので、どう料理してやった方が良いか、エゼルちゃんはずっと考えて込んでいたのです!」
瞳を輝かせながら怒涛の勢いで迫る従者の台詞にローザリカは顔を真っ赤にした。
「こ、今晩……し、尻に、敷く……以上!?」
ギュッと締めているコルセットの影響もあってか、全身がカッと熱くなっている気がする。ちなみに、そのコルセットも他人には見えないだけで、素晴らしい意匠で作られている。結婚祝いとして友から送られた環留めとの組み合わせも良好だ。
「お嬢様の晴れ姿は、絶対、歴史に残ります! これは確実に、確信に、確定です! 今日と言う日をエゼルちゃんが『お嬢様愛で日記』なるものに記せば、軽く100頁は超えて、一冊では足りなくなります――が、今は装飾品の最終確認ですね。もうすでに過分ですが、あの男にトドメを差す為には必要な事ですから」
まくし立てるように早口で告げると、エゼルはふんだんに用いられている宝石装飾を一つひとつ確認する。
ローザリカは特に大きな楔石を見つめた。
光を反射して煌めく宝石は、楔石と呼ばれる。ジュストにも送ったその宝石に込められた意味は、純粋・永久不変……そして――。
(人生を変えてくれる)
きっと、今日は人生の大きな節目になるのだろう。
●
厳かな衣を纏った聖廟の管理者が高らかに挙式の開催を宣言すると、会場の空気がガラリと変わった。
管理者は参列者の代表だけではなく、聖廟で眠る先祖達の代行者でもあるのだ。
「新郎、前へ」
聖廟奥、偉大なる先祖達の活躍が描かれた彩華硝子の直下にジュストは一歩一歩確かめながら進み、深く頭を下げる。それに参列者一同も倣った。
祀られている先祖の名が聖廟の管理者から読み上げられた後、参列者の方にジュストは振り返る。
仕来りに則り、聖廟の管理者が人前式の概要を参列者に説明し、いよいよ、新婦の入場だ。
鳳笙が鳴り響くと同時に、聖廟正面の大扉が重々しく音を立てながらゆっくりと開き、純白の花嫁衣裳を纏ったローザリカが姿を見せると、その美しさから「おぉ~」と参列者達の声が思われず漏れた。
シャルガネで『紅白』は縁起が良いという風習があるらしいが、ローザリカの活力に満ち溢れた赤い髪と純潔たる白き花嫁衣裳に、その風習を知らずとしても、心打たれる。
ふわりとした薄手の顔覆いの奥から放たれる橙色の輝きに、ジュストは息を呑む。
(ロゼ……)
朝まで一緒に居たというのに、この数刻がまるで数十年あるように感じられた。
この日を迎えるまで、二人の前には、幾度も壁が立ち塞がったし、命の危機も一度や二度じゃない。何かが違えれば、今日には至らなかっただろう。
奇跡――という言葉では足りない日だ。
真っ赤な絨毯を進むローザリカ。聖廟での慣習により、新婦を誘導する者はおらず、従者が一人、末広裾の後ろで控えているのみだ。
嫁入りする事への意味を噛み締めながら、ローザリカは視線の先、出迎える形となった新郎の姿を見つめる。
(……ジュスト)
顔覆いのせいで視界は悪かったが、彼の姿は良く見えている気がした。見慣れた瞳に安心感を覚える。
長い末広裾を広げながら、足先が引っ掛からないように歩くのは、運動神経の良いローザリカでもやや難儀したが、それよりも、式場を包む雰囲気に気持ちが高揚した。
これからの人生で、花嫁衣裳を着て歩く事は二度と無いし、挙式の為に集まった参列者達も、全く同じ面子は二度も揃わないだろう。
結婚式は特別な日と、既に結婚した友人から聞いていたが、本当にそれが実感できたと思う。
ゆっくりとした歩みはやがて、聖廟奥正面に達し、新郎の真横に並ぶ。目立たぬようにエゼルが末広裾の向きをサッと直した。
「新郎新婦、偉大なる先祖とご列席の方々に誓いの言葉を」
証人の代表者である聖廟管理者の言葉と共に、花嫁の入場の間、奏で続けられた鳳笙の演奏がピタリと止まった。
静寂の中、ジュストとローザリカの二人は今一度、深く礼をしてから、今日の為に合わせてきた誓いの言葉を述べる。
「「偉大なる先祖とご列席の皆様に、私達は誓います」」
寸分のズレもなく重なった言葉が式場に響いた。
一呼吸おいて、それぞれが誓いの言葉を続ける。
「私、ジュストはローザリカを生涯の妻とし、如何なる事があろうとも、決して妻の手を離さず、あらゆる困難を乗り越える事を誓います」
「私、ローザリカはジュストを生涯の夫とし、いついかなる時も夫を信じ、励まし、支え、共に歩み続ける事を誓います」
先祖と参列者達に向けた誓いが式場の隅々まで届く。
厳かな動作と共に聖廟管理者が一同を見渡して言葉を投げかけた。
「二人の結婚の誓いをお認めになられるご列席の方々は盛大な拍手を」
直後、聖廟が揺れると思われるほどの拍手が轟く。
高貴な仕草で手を鳴らす者。感動のあまり涙を流しながら手を叩く者。雄叫びにも似た声を発しながら豪快な拍手をする者。二人に届くように頭上高い位置で響かせる者。
式場を埋め尽くす参列者達の姿に、思わず、ジュストとローザリカは横目で視線を合わせたのも束の間、仕来りに沿った流れが続く。
「指輪の交換を」
その台詞にジュストとローザリカは向き合うと、互いに一歩踏み込んだ。
それぞれの従者が主の傍に寄ると膝を着いて指輪の入った箱を両手で差し出した。今日の為に準備しておいた二人だけの結婚指輪。
婚約指輪は金剛石に小さな翠玉と紅玉が添えられた物であったが、結婚指輪は慣習に則りつつ、さまざまな場面での実務にも合うように、謹厳な造りになっていた。
土台を構成する高純度の白金。緩やかな曲線で結ばれる意匠の先に、輝く金剛石が連なっている。
それは、婚約指輪と重ねた時、一つの芸術品のように合わせる事が出来るのだ。
先にジュストが指輪の箱をロイクから受け取り、収められている指輪を手にする。再び視線をローザリカに向けると、彼女は自然な動作で左手を差し出していた。顔覆い越しではあったが、その瞳は潤んでいるようにも見える。
作法通りに薬指に結婚指輪を通すジュスト。
(ロゼが美し過ぎて順序を忘れるかと思ったよ)
(そしたら、僕は一生、笑いの種にするさ)
目を合わせ、そんな事を無言で交わす。
次にローザリカがエゼルから指輪の箱を受け取る。従者の視線が宝石よりも強く輝いていたのが、妙に可笑しかったのでクスリと笑いそうになるが、気合で耐えた。
今度は新婦から新郎に指輪を通す。そして、指輪の交換の後は――。
「誓いの口付けを」
従者と共にサッと下がった管理者の言葉。これまで唇を重ねてきたが、多くの人達が見ている中で行うとなると、少し恥ずかしいものがあるな……とローザリカは顔覆いを外して貰う為に、やや姿勢を落としながら心の中で呟いた。
チラリと見えたジュストからは、その恥ずかしさがちっとも感じられないので、なにか悔しい。
もっとも、彼の方はそれどころでは無かった。
挙式の中でもっとも重要な場面なのだ。顔覆いを挙げる動作は理解しているし、それは何ら問題ない上に、本来であれば間違える訳が無い。
けれど、何故か気を遣う。
その訳を顔覆いを挙げ、露わになったローザリカの顔を見た時、理解した。
(世界で一等大切な女性を、これからも、もっと幸せにしたい。もっと愛したい)
今すぐにでも抱きしめたい衝動を抑えるジュスト。
ローザリカはそんな彼をしっかりと見つめてから、名残惜しそうに瞼を閉じた。
今までも、そして、これからも世界でたった一人の愛しい相手とついに結ばれる。これ以上の幸せがあるのだろうか。
唇が重なり、感極まる想いは――言い表す言葉が見当たらない。
短いような、長いような口付けの間、参列者達からの歓声と拍手に二人は包まれた。
((愛してる))
鳳笙が奏でる中、唇を離して、二人は互いの瞳の中に吸い込まれるように小さく囁き合った。
感無量とはこの事だろう。けれど、結婚式自体はこれで終わりではない。司会を務めていた聖廟管理者の宣言が響く。
「新郎ジュスト、新婦ローザリカの挙式は、目出度く結びとなります」
この後は、別会場で披露宴が続くのだ。参列者全員に挨拶しないといけない。その前に花束渡しなるものも行う事になる。
ローザリカは微笑むとジュストの腕を取った。
ここから、二人で共に歩む道を進むのだから。
真っ直ぐ続く道の先、開かれた扉の向こう側は陽の光で満ちている。一歩を踏み出そうとした二人よりも早く、参列していた冒険者達が一斉にわっと動いた。
そして、他の参列者達に次々と何かを渡して、道の脇に並ばせていく。
突然の事に驚きながらも意図を理解した参列者達の手には、いっぱいの花びら。
聖廟の慣例外の流れ……ジュストとローザリカは驚いて聖廟管理者に目を向けるが、管理者は優し気な表情でゆっくりと頷いた。
伝統は守りつつも、新たな事も受け入れる。それは、この新郎新婦だからこその、認められた事のようだ。
「僕達に黙って、用意しているなんて、これはどう返そうか、ジュスト」
「まったくだね、ロゼ。倍返ししないと」
ロイクとエゼルの二人が、大量の花びらの準備に気が付かない訳がないので、あの従者らもグルだったのだろう。
祝福の言葉と共に降り注ぐ花びら。
その中を、満面の笑みで歩く新郎新婦の姿は、幸せそのものだった。
●
挙式後の披露宴からロイクとエゼルの姿は無かった。
いや、厳密に言うと、ちょくちょく顔を出しつつも、各々要所で『裏方』に回っていたのだ。具体的には、招かざる客が結婚式をぶち壊してしまわないように、早めに掃除していたのだ。
庭園内に溶け込むような装束を纏う刺客の鋭い突きをロイクは顔色変えず、余裕で避けると首元に手刀を叩きつけていた。
短い唸り声と共に地面に伏せた刺客の急所を靴踵に忍ばせていた隠刃で貫く。
その隙を狙って背後から突撃してきた別の刺客は、乗り越えようとした花壇に足を取られて無様に転倒。
あえなく、隠刃の次の餌食になった。
「三流ですねぇ」
花壇には高さを欺瞞させるように模様が描かれていたのだ。披露宴会場の庭園の中だからといって罠が用意できない訳ではない。
それを見抜けない刺客は、しょせん、その程度という事だ。
「…………」
微かな音を聞き取ったロイクだったが、駆け付ける必要は無いと判断し、倒した刺客を速やかに落葉貯めに送った。
二手に分かれた刺客の一方は、エゼルと対峙していた。
彼女の雰囲気が並々ならぬ事を理解したのか、刺客らは毒が塗られた短刀を構えると慎重に腰を落とす。
「エゼルちゃんは絶許です。お嬢様の重要で、大事で、大切な、今日という日に誰の差し金か知らないけど、台無しにしようとする愚か者は。いいですか、お嬢様は今頃――」
話の途中で二人の刺客が同時に襲い掛かって来る。
汚れてしまう可能性があるので、なるべく接近戦で倒したくないのだが、今は仕方ない。毒刃を転がるように避けつつ、装飾品に偽装させていた短刀を見事な手さばきで取り出すと躊躇いもなく刺客の1人に投げつけた。
狙いは寸分違わず、喉元へと深く突き刺さり、その者は絶命。静かに崩れ落ちる。
残った刺客は驚きつつも、一気に間合いを詰めた。刃に塗られてある毒は僅かでも死に至るのだ。丸腰の娘一人……と思ったのが運の尽き。
エゼルは胸飾りで毒刃を受け止めると相手の姿勢を崩して組み伏せた。
一段落したのは、披露宴の参列者が全員、帰った後だった。
月明りが照らす古庭園の一角で、燕尾服に汚れが無いか確認してから、ロイクは聖廟に視線を移す。
新郎新婦の部屋の灯りは消えていた――晴れ舞台の最後、主の幸せな門出に慶ぶ気持ちしかなかった。そして、陽が昇るまでの穏やかな一時を守るのが従者の役目だと改めて思う。
「……夜半過ぎと明け前だな」
漏れた言葉の意味は考えられる襲撃時間だった。
これまでの招かざる客は前座のようなものだ。それらは最初から捨て石で、襲撃を防いだと警備の者を安心させたところで、本命を捻じ込んでくるのだ。
祝いの日の悲劇など、政争なら当たり前の事なのだから。
ロイクの台詞はただの独り言では無かった。低木の影からエゼルが兎のように顔を出す。
「先に東。後に西から来るから」
「だろうねぇ」
禁煙中だったが、ロイクは煙草を取り出した。休憩するなら、今のタイミングしかない。
一方のエゼルは給仕服を整えながら、ロイクに近づくと小さく呟いた。
「……じゃ、そんな感じなんでヨロです」
「……そちらの分はそちらで掃除を」
煙草の煙を吐いた後の彼の台詞に、エゼルが信じられないという顔を向ける。
「はー!? エゼルちゃんはお嬢様の晴れ姿をこの可愛いお目目に残し続ける事に忙しいんですぅー! 雑用はぶんぶん丸の仕事でしょ!」
「それで時々、持ち場から離れていたのですかぁ」
呆れたように月に向かって煙を出すロイク。
まぁ、ウサ子の事だから、キチンと『仕事』をしながらだろうから、問題は無いだろうが……。
「あぁぁ。今でも瞼を閉じるとぉ、お嬢様の麗しいお姿が――」
うっとりするエゼルの様子を見て、ロイクは視線を落として今日一日を振り返る。
新郎新婦の微笑ましい姿は、どんな彩華硝子よりも神々しく、祝福する声は鳳笙よりも響き渡った。人生において、一度しか無い、素晴らしい日だった。
「――――」
まるで息をするような静けさで言った、祝福の言葉が煙と共に解き放たれる。
「というか、一服が長いですぅー!」
理不尽なエゼルの台詞に思わず両手を挙げるロイク。
エゼルは頬を膨らませながら煙草を取り出した。ぶんぶん丸だけが煙草休憩なんて許されないのだ。絶許だ。
「ウサ子」
煙草を咥えた所で呼ばれて視線だけを向けると、ロイクと目が合う。
その仕草は、まるで『届くなら火を貸してやっても良い』みたいに思えた。
「ぶんぶん丸のくせに」
冷ややかに言いつつ、エゼルは左手を彼の肩に当てながら、背を伸ばす。触れ合ったのは互いが咥える煙草の先。
月明りの中、二人の煙だけが絡みあうように昇っていくのであった。
●
静まり返った屋敷の寝室。
程よい堅さの寝具に薄い肌掛けを纏うローザリカが座っていた。明かりがあれば下着まで透き通る肌掛けではあるが、今は香油の僅かな灯だけで、暗闇に近い。
なんなら、月明りの方が見えるかもしれないが、重厚な窓帷で閉ざされている。
「ロゼ」
ジュストの声が響いた。
そして、落ち着いた様子でゆっくりと、ローザリカの真隣に腰を降ろす――が、内心は心臓が今にも爆発してしまうのではないかと思うほど、強く鼓動していた。
けれど、がっつき過ぎは面子が許さない。
ここまで耐えに耐えてきたのだから、まだ耐えられるはずだと、暴れる寸前の『自分』に言い聞かせた。
しかし、『自分』は収まる事を知らない。何も始まってないのに暴発しそうだ。
そんなジュストの葛藤を……ローザリカは知る由も無かった。
いつもなら、売り言葉に買い言葉で軽く言い合える仲で、互いの表情で色々と察する事が出来るのに、ローザリカの方も心拍数が限界突破していたからだ。
「ジュスト」
互いの視線が合わさる。
それっぽい雰囲気に持っていきたいのに、二人の頭の中に台詞が浮かんでこなかった。
素敵だった。可愛かった。格好いい。綺麗。ありがとう。大好き。愛してる――不思議なもので、会話していなくとも、通じ合っている気がした。
ローザリカが手を伸ばすよりも早く、ジュストが妻となった彼女の顔に触れながら、そのまま唇を重ねる。
会話を交わすように、互いの唇で幾度も交わす。
暫く続けた後、僅かに離れると、ローザリカの背を支えながら、ジュストはゆっくりと優しく押し傾けた。恥ずかしさのあまり、視線を外したローザリカが愛おしくて仕方がない。
「……見過ぎ」
「可愛いよ」
彼女に覆いかぶさりつつ、耳元で呟く。
ジュストの精神が耐えられたのはここまでだった。
「ロゼ、愛してる……ごめん」
どうして、ごめんと言われたのか、その瞬間、まったく分からなかったが、薄掛けを半ば強引に外した彼の行動で理解した。
「……いいよ」
求められるがまま応えると、彼の唇が首筋を襲った――。
●
身体に残る違和感にローザリカは目を覚ました。
ふと、視線を横に向けると、髪を乱したジュストの寝顔。やりきった――みたいな満足気な顔を浮かべ、穏やかな吐息が感じられる。
待ちに待った初夜だった事もあって、気持ちが振り切っていた。昨日から続くこの幸せ以上のことが、他にあるのだろうか……と思う程に。
愛し、愛され続けた、愛しい相手と結ばれたのだから、心が高鳴るのは当然だ。
「…………」
思う事があり、手を動かそうとしたが、その手はジュストがしっかりと握っていた。寝落ちする前の事はよく覚えていないから、きっと、彼がずっと離さずに居てくれたのだろう。
幾度も幾度も、取り合った手。互いを確かめあった手。
これから先もずっと、離れる事はない。
込み上げてきた嬉しさが溢れ、握られた手はそのままに身体を横に向けた。
「僕だけのジェストだ」
この寝顔も、本能のままにただただ求めて来る必死な顔も、この世界で知るのは僕一人だけ。そんな想いに浸りつつ、昨晩の事を思い出す。
いっぱいいっぱいで翻弄されまくってしまったのが、ちょっと悔しくなってきた。もちろん、幸せもいっぱいだったが、それはそれ、これはこれ。
「こいつが」
空いた手で、さんざん翻弄してくれやがったジュストに触れた。
柔らかい――が、ぐりぐりと撫でまわしていると。
「かたい、な……」
特別に用意してもらったとはいえ、いつも使っている寝具とは違うのだ。少し姿勢を直そうとして、モゾモゾと身体を動かすと、それでジュストが起きた。
「……おはよう、ロゼ」
「おは……よう……」
爽やかな笑みを向けてくるジュスト。
この状況で、なぜそんな顔が出来るとローザリカは手に力を込めた。
「き、君は、もう少し照れたらどうなんだ!?」
「照れるような事をしているのは、ロゼの方じゃないか」
パッと手を放して胸を隠すローザリカ。隠すのは今更だが。
けれど、ローザリカは言わなければならない事があって強気だった。
「僕は、怒ってるんだよ」
「な……」
まるで轟雷のような一撃に、ジュストの表情が一瞬強張った。
本人も思い当たる節があったのだろう。言い訳……ではないが、優しく包み込むように腕を回して来た。
「ごめん、ロゼ。無理をさせるつもりはなかったけど、怖い思いをさせたかな」
これまで我慢してきた分の箍が外れたのだ。
いや、むしろ、世の中の男性諸君は、ジュストの真摯な行動に拍手喝采だろう。お前はここまでよく耐えたと。
「そうじゃない。むしろ、僕も……大丈夫だったかなって……満足できたかなって……」
「なら、なんで怒っているんだい?」
「――」
恥ずかしそうに視線を落としながらローザリカが小さく単語を口にした。
目の前にいるはずなのに聞き取れなかったから首を傾げるジュスト。冷やかすような小鳥達の鳴き声が響く中、もう一度、ローザリカは言葉を発する。
「下着……しっかり見てくれなかった」
想像の斜め上の台詞に「それかー!?」とジュストは内心、叫ぶ。
確かに下着をじっくりと見たり触れたりしなかった気がする。過ぎてしまった事だから、今から取返しはつかないし、あの時のジュストも理性が既にいっぱいいっぱいで、限界を超えてしまったため、がっついてしまったのも事実だ。
勝負下着という言葉がある位なので、きっと、初夜の為に彼女が特別な物を用意した事は想像に容易かった。
しかし、今はそんな言い訳よりも、何か気の利いた言葉を返さなくてはならない。
抱き締めながら、ごろりと転がって被さる。
「ロゼに夢中だったから」
ジュストの手が胸の山を押し上げるように当てられつつ、今朝最初の甘い口付け。
言いたい事はあるが、ローザリカは嬉しく思えた。
あのジュストが、いつも冷静に落ち着いた表情で揶揄って来ていた、あのジュストが、夢中だったと認めたのだ。
それも、自分自身に夢中だと――。
「まぁ、仕方ないか。僕が魅力的過ぎて、ジュストが獣のように夢中になってしまうって事だからね」
被さって来た彼に挑戦的な視線を向ける。
これを世の中では無自覚と言うらしい。
「許してくれるのは、嬉しい限りだよ」
「そうだよ。僕に感謝するんだね」
「それなら、これからも俺は安心して、いつでも獣になれるって事だ」
「……え、いま、なん――」
台詞が終わるよりも先に、今朝二度目の口付けで塞がれた。
体中を弄る彼の手が、くすぐったい。どうやら、ジュストは元気のようだ。
「ま、待って。夜にあれだけ、したのにまだや――」
再び台詞が途中で遮られる三度目の接吻は長かった。
やや息苦しくなった所で、ジュストがくそ真面目な表情が向けて来る。
「言っただろう、ロゼに夢中だから」
愛する彼の容赦ない言葉に、ローザリカは成す術もなく蹂躙されるのであった。
荘厳な鳳笙が天に届く勢いで管を伸ばし、絢爛な彩華硝子が眩い太陽の光を通して、場を三十二色の虹で照らしていた。
ここはケレス侯爵家の開祖を祀る聖廟であると共に、新たな門出を迎えるジュスト・V・ケレスとローザリカ・L・ディオールの挙式を行う会場であった。ここ数代は、この聖廟を式場にする事が無かったのだが、侯爵家の継嗣と裕福な伯爵家令嬢の挙式に相応しいとされたのだ。
式場内にずらりと並ぶ参列者達を控室小窓の隙間から覗き見たロイク・アベイユがいつもと変わらぬ表情と口調で、主であるジュストに告げる。
「坊ちゃんが珍しく緊張ですかぁ?」
参列者の数はそこそこの村の人口よりも多い。また、単に人数が多いだけではなく、王族や上級貴族まで揃っているのだ。これで緊張しない人の方が少ないだろう。
「俺が緊張しているのは、ロゼの花嫁衣裳姿に、だ。あまりにも美し過ぎて式の流れを忘れそうだからね」
「それは直接、本人に言って下さいねぇ」
花嫁とは、朝の一刻だけ一緒で、後は別行動だ。ジュストは聖廟の管理者や給仕達との最終打ち合わせや、高貴な方々の出迎えなどで多忙だった。
その間、花嫁も準備に追われているはずなので、顔を合わす事が無かった。
知識としては一般的な結婚式の流れは理解していたが、現実にその日を迎えると、和やかなイメージとは真逆で、兎に角、休む間も無いほど忙しい。
「そろそろ、新郎の入場ですねぇ。坊ちゃん、もう一度、衣装を確認しますよぉ」
ロイクが念入りにジュストの頭から足元まで観る。
白い正礼装には乱れ一つも無い。更に、縫い付けてあるその釦は紅玉や黄水晶で作られ、襟には金糸による薔薇が咲き乱れている。裏地全体にまで伸びる薔薇模様は、ある意味、薔薇を背負ってそうなジュストには相応しいかもしれない。
「……問題ありませんですよぉ」
「よし、行こうか」
ジュストは得意の顔を作ると、控室の扉を開けた。式場正面が目の前の為、参列者達の視線が集中する。
その中を、習わしにより最も信を置く従者を一人連れた新郎が、厳かな曲と共に入場。
数歩後ろで控えた従者からの視線を感じつつ、新郎は作法に則り、視界いっぱいに並ぶ参列者達に深々と頭を下げた。
この挙式は――聖廟に眠る開祖と、集った人達の前で結婚を誓う、人前式なのだから。
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「愛おし過ぎて言葉にならない」
エゼル・ランブラーが主であるローザリカの花嫁姿に目を輝かせて口元を抑える。
見開き過ぎて涙が出てきそうだが、今はぐっと堪えた。挙式前から自分の化粧が落ちたら、お嬢様に申し訳ない。
「そういえば、エゼルは僕の衣装合わせの時、『仕事』だったね」
急な『仕事』によって、席を外す事になったエゼルが悔しさのあまり、一晩寝られなかったらしいから、今の姿を見て感動するのもやむを得ないだろう。
ローザリカの花嫁姿は息をする事さえ忘れてしまう程に、美しい。
純白の花嫁衣裳。伝統的でありながら、革新的にも思える、洗練された意匠が花嫁の躰を尚一層と表し、羽根柄の刺繍がふんだんに施された末広裾が尾羽のように長く――永く広がっていた。
その優美な姿は、白銀に輝く人魚姫か、大空を治める天女を連想させる。
尊すぎて目が離せず微動もしないエゼルに、ローザリカは少し心配になった。
「……ダメ、だろうか?」
「そんな事は絶対にありません! その可愛さ、美しさ、高貴さは、世界一どころか、この先ずっと一番です。あの男には、過分なほどだから、お嬢様が今晩、尻で敷く程度では足らないので、どう料理してやった方が良いか、エゼルちゃんはずっと考えて込んでいたのです!」
瞳を輝かせながら怒涛の勢いで迫る従者の台詞にローザリカは顔を真っ赤にした。
「こ、今晩……し、尻に、敷く……以上!?」
ギュッと締めているコルセットの影響もあってか、全身がカッと熱くなっている気がする。ちなみに、そのコルセットも他人には見えないだけで、素晴らしい意匠で作られている。結婚祝いとして友から送られた環留めとの組み合わせも良好だ。
「お嬢様の晴れ姿は、絶対、歴史に残ります! これは確実に、確信に、確定です! 今日と言う日をエゼルちゃんが『お嬢様愛で日記』なるものに記せば、軽く100頁は超えて、一冊では足りなくなります――が、今は装飾品の最終確認ですね。もうすでに過分ですが、あの男にトドメを差す為には必要な事ですから」
まくし立てるように早口で告げると、エゼルはふんだんに用いられている宝石装飾を一つひとつ確認する。
ローザリカは特に大きな楔石を見つめた。
光を反射して煌めく宝石は、楔石と呼ばれる。ジュストにも送ったその宝石に込められた意味は、純粋・永久不変……そして――。
(人生を変えてくれる)
きっと、今日は人生の大きな節目になるのだろう。
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厳かな衣を纏った聖廟の管理者が高らかに挙式の開催を宣言すると、会場の空気がガラリと変わった。
管理者は参列者の代表だけではなく、聖廟で眠る先祖達の代行者でもあるのだ。
「新郎、前へ」
聖廟奥、偉大なる先祖達の活躍が描かれた彩華硝子の直下にジュストは一歩一歩確かめながら進み、深く頭を下げる。それに参列者一同も倣った。
祀られている先祖の名が聖廟の管理者から読み上げられた後、参列者の方にジュストは振り返る。
仕来りに則り、聖廟の管理者が人前式の概要を参列者に説明し、いよいよ、新婦の入場だ。
鳳笙が鳴り響くと同時に、聖廟正面の大扉が重々しく音を立てながらゆっくりと開き、純白の花嫁衣裳を纏ったローザリカが姿を見せると、その美しさから「おぉ~」と参列者達の声が思われず漏れた。
シャルガネで『紅白』は縁起が良いという風習があるらしいが、ローザリカの活力に満ち溢れた赤い髪と純潔たる白き花嫁衣裳に、その風習を知らずとしても、心打たれる。
ふわりとした薄手の顔覆いの奥から放たれる橙色の輝きに、ジュストは息を呑む。
(ロゼ……)
朝まで一緒に居たというのに、この数刻がまるで数十年あるように感じられた。
この日を迎えるまで、二人の前には、幾度も壁が立ち塞がったし、命の危機も一度や二度じゃない。何かが違えれば、今日には至らなかっただろう。
奇跡――という言葉では足りない日だ。
真っ赤な絨毯を進むローザリカ。聖廟での慣習により、新婦を誘導する者はおらず、従者が一人、末広裾の後ろで控えているのみだ。
嫁入りする事への意味を噛み締めながら、ローザリカは視線の先、出迎える形となった新郎の姿を見つめる。
(……ジュスト)
顔覆いのせいで視界は悪かったが、彼の姿は良く見えている気がした。見慣れた瞳に安心感を覚える。
長い末広裾を広げながら、足先が引っ掛からないように歩くのは、運動神経の良いローザリカでもやや難儀したが、それよりも、式場を包む雰囲気に気持ちが高揚した。
これからの人生で、花嫁衣裳を着て歩く事は二度と無いし、挙式の為に集まった参列者達も、全く同じ面子は二度も揃わないだろう。
結婚式は特別な日と、既に結婚した友人から聞いていたが、本当にそれが実感できたと思う。
ゆっくりとした歩みはやがて、聖廟奥正面に達し、新郎の真横に並ぶ。目立たぬようにエゼルが末広裾の向きをサッと直した。
「新郎新婦、偉大なる先祖とご列席の方々に誓いの言葉を」
証人の代表者である聖廟管理者の言葉と共に、花嫁の入場の間、奏で続けられた鳳笙の演奏がピタリと止まった。
静寂の中、ジュストとローザリカの二人は今一度、深く礼をしてから、今日の為に合わせてきた誓いの言葉を述べる。
「「偉大なる先祖とご列席の皆様に、私達は誓います」」
寸分のズレもなく重なった言葉が式場に響いた。
一呼吸おいて、それぞれが誓いの言葉を続ける。
「私、ジュストはローザリカを生涯の妻とし、如何なる事があろうとも、決して妻の手を離さず、あらゆる困難を乗り越える事を誓います」
「私、ローザリカはジュストを生涯の夫とし、いついかなる時も夫を信じ、励まし、支え、共に歩み続ける事を誓います」
先祖と参列者達に向けた誓いが式場の隅々まで届く。
厳かな動作と共に聖廟管理者が一同を見渡して言葉を投げかけた。
「二人の結婚の誓いをお認めになられるご列席の方々は盛大な拍手を」
直後、聖廟が揺れると思われるほどの拍手が轟く。
高貴な仕草で手を鳴らす者。感動のあまり涙を流しながら手を叩く者。雄叫びにも似た声を発しながら豪快な拍手をする者。二人に届くように頭上高い位置で響かせる者。
式場を埋め尽くす参列者達の姿に、思わず、ジュストとローザリカは横目で視線を合わせたのも束の間、仕来りに沿った流れが続く。
「指輪の交換を」
その台詞にジュストとローザリカは向き合うと、互いに一歩踏み込んだ。
それぞれの従者が主の傍に寄ると膝を着いて指輪の入った箱を両手で差し出した。今日の為に準備しておいた二人だけの結婚指輪。
婚約指輪は金剛石に小さな翠玉と紅玉が添えられた物であったが、結婚指輪は慣習に則りつつ、さまざまな場面での実務にも合うように、謹厳な造りになっていた。
土台を構成する高純度の白金。緩やかな曲線で結ばれる意匠の先に、輝く金剛石が連なっている。
それは、婚約指輪と重ねた時、一つの芸術品のように合わせる事が出来るのだ。
先にジュストが指輪の箱をロイクから受け取り、収められている指輪を手にする。再び視線をローザリカに向けると、彼女は自然な動作で左手を差し出していた。顔覆い越しではあったが、その瞳は潤んでいるようにも見える。
作法通りに薬指に結婚指輪を通すジュスト。
(ロゼが美し過ぎて順序を忘れるかと思ったよ)
(そしたら、僕は一生、笑いの種にするさ)
目を合わせ、そんな事を無言で交わす。
次にローザリカがエゼルから指輪の箱を受け取る。従者の視線が宝石よりも強く輝いていたのが、妙に可笑しかったのでクスリと笑いそうになるが、気合で耐えた。
今度は新婦から新郎に指輪を通す。そして、指輪の交換の後は――。
「誓いの口付けを」
従者と共にサッと下がった管理者の言葉。これまで唇を重ねてきたが、多くの人達が見ている中で行うとなると、少し恥ずかしいものがあるな……とローザリカは顔覆いを外して貰う為に、やや姿勢を落としながら心の中で呟いた。
チラリと見えたジュストからは、その恥ずかしさがちっとも感じられないので、なにか悔しい。
もっとも、彼の方はそれどころでは無かった。
挙式の中でもっとも重要な場面なのだ。顔覆いを挙げる動作は理解しているし、それは何ら問題ない上に、本来であれば間違える訳が無い。
けれど、何故か気を遣う。
その訳を顔覆いを挙げ、露わになったローザリカの顔を見た時、理解した。
(世界で一等大切な女性を、これからも、もっと幸せにしたい。もっと愛したい)
今すぐにでも抱きしめたい衝動を抑えるジュスト。
ローザリカはそんな彼をしっかりと見つめてから、名残惜しそうに瞼を閉じた。
今までも、そして、これからも世界でたった一人の愛しい相手とついに結ばれる。これ以上の幸せがあるのだろうか。
唇が重なり、感極まる想いは――言い表す言葉が見当たらない。
短いような、長いような口付けの間、参列者達からの歓声と拍手に二人は包まれた。
((愛してる))
鳳笙が奏でる中、唇を離して、二人は互いの瞳の中に吸い込まれるように小さく囁き合った。
感無量とはこの事だろう。けれど、結婚式自体はこれで終わりではない。司会を務めていた聖廟管理者の宣言が響く。
「新郎ジュスト、新婦ローザリカの挙式は、目出度く結びとなります」
この後は、別会場で披露宴が続くのだ。参列者全員に挨拶しないといけない。その前に花束渡しなるものも行う事になる。
ローザリカは微笑むとジュストの腕を取った。
ここから、二人で共に歩む道を進むのだから。
真っ直ぐ続く道の先、開かれた扉の向こう側は陽の光で満ちている。一歩を踏み出そうとした二人よりも早く、参列していた冒険者達が一斉にわっと動いた。
そして、他の参列者達に次々と何かを渡して、道の脇に並ばせていく。
突然の事に驚きながらも意図を理解した参列者達の手には、いっぱいの花びら。
聖廟の慣例外の流れ……ジュストとローザリカは驚いて聖廟管理者に目を向けるが、管理者は優し気な表情でゆっくりと頷いた。
伝統は守りつつも、新たな事も受け入れる。それは、この新郎新婦だからこその、認められた事のようだ。
「僕達に黙って、用意しているなんて、これはどう返そうか、ジュスト」
「まったくだね、ロゼ。倍返ししないと」
ロイクとエゼルの二人が、大量の花びらの準備に気が付かない訳がないので、あの従者らもグルだったのだろう。
祝福の言葉と共に降り注ぐ花びら。
その中を、満面の笑みで歩く新郎新婦の姿は、幸せそのものだった。
●
挙式後の披露宴からロイクとエゼルの姿は無かった。
いや、厳密に言うと、ちょくちょく顔を出しつつも、各々要所で『裏方』に回っていたのだ。具体的には、招かざる客が結婚式をぶち壊してしまわないように、早めに掃除していたのだ。
庭園内に溶け込むような装束を纏う刺客の鋭い突きをロイクは顔色変えず、余裕で避けると首元に手刀を叩きつけていた。
短い唸り声と共に地面に伏せた刺客の急所を靴踵に忍ばせていた隠刃で貫く。
その隙を狙って背後から突撃してきた別の刺客は、乗り越えようとした花壇に足を取られて無様に転倒。
あえなく、隠刃の次の餌食になった。
「三流ですねぇ」
花壇には高さを欺瞞させるように模様が描かれていたのだ。披露宴会場の庭園の中だからといって罠が用意できない訳ではない。
それを見抜けない刺客は、しょせん、その程度という事だ。
「…………」
微かな音を聞き取ったロイクだったが、駆け付ける必要は無いと判断し、倒した刺客を速やかに落葉貯めに送った。
二手に分かれた刺客の一方は、エゼルと対峙していた。
彼女の雰囲気が並々ならぬ事を理解したのか、刺客らは毒が塗られた短刀を構えると慎重に腰を落とす。
「エゼルちゃんは絶許です。お嬢様の重要で、大事で、大切な、今日という日に誰の差し金か知らないけど、台無しにしようとする愚か者は。いいですか、お嬢様は今頃――」
話の途中で二人の刺客が同時に襲い掛かって来る。
汚れてしまう可能性があるので、なるべく接近戦で倒したくないのだが、今は仕方ない。毒刃を転がるように避けつつ、装飾品に偽装させていた短刀を見事な手さばきで取り出すと躊躇いもなく刺客の1人に投げつけた。
狙いは寸分違わず、喉元へと深く突き刺さり、その者は絶命。静かに崩れ落ちる。
残った刺客は驚きつつも、一気に間合いを詰めた。刃に塗られてある毒は僅かでも死に至るのだ。丸腰の娘一人……と思ったのが運の尽き。
エゼルは胸飾りで毒刃を受け止めると相手の姿勢を崩して組み伏せた。
一段落したのは、披露宴の参列者が全員、帰った後だった。
月明りが照らす古庭園の一角で、燕尾服に汚れが無いか確認してから、ロイクは聖廟に視線を移す。
新郎新婦の部屋の灯りは消えていた――晴れ舞台の最後、主の幸せな門出に慶ぶ気持ちしかなかった。そして、陽が昇るまでの穏やかな一時を守るのが従者の役目だと改めて思う。
「……夜半過ぎと明け前だな」
漏れた言葉の意味は考えられる襲撃時間だった。
これまでの招かざる客は前座のようなものだ。それらは最初から捨て石で、襲撃を防いだと警備の者を安心させたところで、本命を捻じ込んでくるのだ。
祝いの日の悲劇など、政争なら当たり前の事なのだから。
ロイクの台詞はただの独り言では無かった。低木の影からエゼルが兎のように顔を出す。
「先に東。後に西から来るから」
「だろうねぇ」
禁煙中だったが、ロイクは煙草を取り出した。休憩するなら、今のタイミングしかない。
一方のエゼルは給仕服を整えながら、ロイクに近づくと小さく呟いた。
「……じゃ、そんな感じなんでヨロです」
「……そちらの分はそちらで掃除を」
煙草の煙を吐いた後の彼の台詞に、エゼルが信じられないという顔を向ける。
「はー!? エゼルちゃんはお嬢様の晴れ姿をこの可愛いお目目に残し続ける事に忙しいんですぅー! 雑用はぶんぶん丸の仕事でしょ!」
「それで時々、持ち場から離れていたのですかぁ」
呆れたように月に向かって煙を出すロイク。
まぁ、ウサ子の事だから、キチンと『仕事』をしながらだろうから、問題は無いだろうが……。
「あぁぁ。今でも瞼を閉じるとぉ、お嬢様の麗しいお姿が――」
うっとりするエゼルの様子を見て、ロイクは視線を落として今日一日を振り返る。
新郎新婦の微笑ましい姿は、どんな彩華硝子よりも神々しく、祝福する声は鳳笙よりも響き渡った。人生において、一度しか無い、素晴らしい日だった。
「――――」
まるで息をするような静けさで言った、祝福の言葉が煙と共に解き放たれる。
「というか、一服が長いですぅー!」
理不尽なエゼルの台詞に思わず両手を挙げるロイク。
エゼルは頬を膨らませながら煙草を取り出した。ぶんぶん丸だけが煙草休憩なんて許されないのだ。絶許だ。
「ウサ子」
煙草を咥えた所で呼ばれて視線だけを向けると、ロイクと目が合う。
その仕草は、まるで『届くなら火を貸してやっても良い』みたいに思えた。
「ぶんぶん丸のくせに」
冷ややかに言いつつ、エゼルは左手を彼の肩に当てながら、背を伸ばす。触れ合ったのは互いが咥える煙草の先。
月明りの中、二人の煙だけが絡みあうように昇っていくのであった。
●
静まり返った屋敷の寝室。
程よい堅さの寝具に薄い肌掛けを纏うローザリカが座っていた。明かりがあれば下着まで透き通る肌掛けではあるが、今は香油の僅かな灯だけで、暗闇に近い。
なんなら、月明りの方が見えるかもしれないが、重厚な窓帷で閉ざされている。
「ロゼ」
ジュストの声が響いた。
そして、落ち着いた様子でゆっくりと、ローザリカの真隣に腰を降ろす――が、内心は心臓が今にも爆発してしまうのではないかと思うほど、強く鼓動していた。
けれど、がっつき過ぎは面子が許さない。
ここまで耐えに耐えてきたのだから、まだ耐えられるはずだと、暴れる寸前の『自分』に言い聞かせた。
しかし、『自分』は収まる事を知らない。何も始まってないのに暴発しそうだ。
そんなジュストの葛藤を……ローザリカは知る由も無かった。
いつもなら、売り言葉に買い言葉で軽く言い合える仲で、互いの表情で色々と察する事が出来るのに、ローザリカの方も心拍数が限界突破していたからだ。
「ジュスト」
互いの視線が合わさる。
それっぽい雰囲気に持っていきたいのに、二人の頭の中に台詞が浮かんでこなかった。
素敵だった。可愛かった。格好いい。綺麗。ありがとう。大好き。愛してる――不思議なもので、会話していなくとも、通じ合っている気がした。
ローザリカが手を伸ばすよりも早く、ジュストが妻となった彼女の顔に触れながら、そのまま唇を重ねる。
会話を交わすように、互いの唇で幾度も交わす。
暫く続けた後、僅かに離れると、ローザリカの背を支えながら、ジュストはゆっくりと優しく押し傾けた。恥ずかしさのあまり、視線を外したローザリカが愛おしくて仕方がない。
「……見過ぎ」
「可愛いよ」
彼女に覆いかぶさりつつ、耳元で呟く。
ジュストの精神が耐えられたのはここまでだった。
「ロゼ、愛してる……ごめん」
どうして、ごめんと言われたのか、その瞬間、まったく分からなかったが、薄掛けを半ば強引に外した彼の行動で理解した。
「……いいよ」
求められるがまま応えると、彼の唇が首筋を襲った――。
●
身体に残る違和感にローザリカは目を覚ました。
ふと、視線を横に向けると、髪を乱したジュストの寝顔。やりきった――みたいな満足気な顔を浮かべ、穏やかな吐息が感じられる。
待ちに待った初夜だった事もあって、気持ちが振り切っていた。昨日から続くこの幸せ以上のことが、他にあるのだろうか……と思う程に。
愛し、愛され続けた、愛しい相手と結ばれたのだから、心が高鳴るのは当然だ。
「…………」
思う事があり、手を動かそうとしたが、その手はジュストがしっかりと握っていた。寝落ちする前の事はよく覚えていないから、きっと、彼がずっと離さずに居てくれたのだろう。
幾度も幾度も、取り合った手。互いを確かめあった手。
これから先もずっと、離れる事はない。
込み上げてきた嬉しさが溢れ、握られた手はそのままに身体を横に向けた。
「僕だけのジェストだ」
この寝顔も、本能のままにただただ求めて来る必死な顔も、この世界で知るのは僕一人だけ。そんな想いに浸りつつ、昨晩の事を思い出す。
いっぱいいっぱいで翻弄されまくってしまったのが、ちょっと悔しくなってきた。もちろん、幸せもいっぱいだったが、それはそれ、これはこれ。
「こいつが」
空いた手で、さんざん翻弄してくれやがったジュストに触れた。
柔らかい――が、ぐりぐりと撫でまわしていると。
「かたい、な……」
特別に用意してもらったとはいえ、いつも使っている寝具とは違うのだ。少し姿勢を直そうとして、モゾモゾと身体を動かすと、それでジュストが起きた。
「……おはよう、ロゼ」
「おは……よう……」
爽やかな笑みを向けてくるジュスト。
この状況で、なぜそんな顔が出来るとローザリカは手に力を込めた。
「き、君は、もう少し照れたらどうなんだ!?」
「照れるような事をしているのは、ロゼの方じゃないか」
パッと手を放して胸を隠すローザリカ。隠すのは今更だが。
けれど、ローザリカは言わなければならない事があって強気だった。
「僕は、怒ってるんだよ」
「な……」
まるで轟雷のような一撃に、ジュストの表情が一瞬強張った。
本人も思い当たる節があったのだろう。言い訳……ではないが、優しく包み込むように腕を回して来た。
「ごめん、ロゼ。無理をさせるつもりはなかったけど、怖い思いをさせたかな」
これまで我慢してきた分の箍が外れたのだ。
いや、むしろ、世の中の男性諸君は、ジュストの真摯な行動に拍手喝采だろう。お前はここまでよく耐えたと。
「そうじゃない。むしろ、僕も……大丈夫だったかなって……満足できたかなって……」
「なら、なんで怒っているんだい?」
「――」
恥ずかしそうに視線を落としながらローザリカが小さく単語を口にした。
目の前にいるはずなのに聞き取れなかったから首を傾げるジュスト。冷やかすような小鳥達の鳴き声が響く中、もう一度、ローザリカは言葉を発する。
「下着……しっかり見てくれなかった」
想像の斜め上の台詞に「それかー!?」とジュストは内心、叫ぶ。
確かに下着をじっくりと見たり触れたりしなかった気がする。過ぎてしまった事だから、今から取返しはつかないし、あの時のジュストも理性が既にいっぱいいっぱいで、限界を超えてしまったため、がっついてしまったのも事実だ。
勝負下着という言葉がある位なので、きっと、初夜の為に彼女が特別な物を用意した事は想像に容易かった。
しかし、今はそんな言い訳よりも、何か気の利いた言葉を返さなくてはならない。
抱き締めながら、ごろりと転がって被さる。
「ロゼに夢中だったから」
ジュストの手が胸の山を押し上げるように当てられつつ、今朝最初の甘い口付け。
言いたい事はあるが、ローザリカは嬉しく思えた。
あのジュストが、いつも冷静に落ち着いた表情で揶揄って来ていた、あのジュストが、夢中だったと認めたのだ。
それも、自分自身に夢中だと――。
「まぁ、仕方ないか。僕が魅力的過ぎて、ジュストが獣のように夢中になってしまうって事だからね」
被さって来た彼に挑戦的な視線を向ける。
これを世の中では無自覚と言うらしい。
「許してくれるのは、嬉しい限りだよ」
「そうだよ。僕に感謝するんだね」
「それなら、これからも俺は安心して、いつでも獣になれるって事だ」
「……え、いま、なん――」
台詞が終わるよりも先に、今朝二度目の口付けで塞がれた。
体中を弄る彼の手が、くすぐったい。どうやら、ジュストは元気のようだ。
「ま、待って。夜にあれだけ、したのにまだや――」
再び台詞が途中で遮られる三度目の接吻は長かった。
やや息苦しくなった所で、ジュストがくそ真面目な表情が向けて来る。
「言っただろう、ロゼに夢中だから」
愛する彼の容赦ない言葉に、ローザリカは成す術もなく蹂躙されるのであった。
assignment【DA】史実ノベル 関連特設ページ
メアリー王女が冒険者達の協力を得て稼働させた「王家の耳」。メアリーは無作為に集まってくる情報を、余人に及びもつかぬ閃きを持って分析しながら、今日も世界の動きへ耳を傾けている。
集まった情報の中には、世界の情勢に影響はないかもしれないが興味深い個人の記録があるかもしれない。