【DA】リーンエスの耳
●
ゴールディは、思っていた以上に賑やかな様子だった。
『活気に溢れている』――その一言に尽きるな、と訪れたナハティガル=ラーは感嘆の息を漏らした。だが、今見えているのは上辺であり別の所に目を向ければ綻びも見える気がした。
大樹海の開拓や帝国への移民を経ても、ゴールディはまだいろいろな問題を抱えている。もしかしたら、状況がかわり新たな問題が出てきた可能性もある。
しばし考えこんでいると、服の裾を引っ張られた。
「旦那、こっちです」
「あぁ……」
ナハティガルと共に行くのは、小柄なゴブリンの女性でである。彼は今、とある人物を訪ねるべく彼女にアジトまで案内してもらっていた。
道を歩いていく最中、人々の様子をさり気なく見ていく。ゴールディの人々の顔は明るく、市場に並ぶ商品もそこそこ豊富なように見えた。なにより、子ども達が平和に遊んでいる様子に、ナハティガルは内心安堵の息を吐く。
比較的ゴブリンの数が多い気がするのは相変わらずだが、他種族の者ともおおむね仲良くやっているように、彼の眼には見える。
(しかし……な)
ナハティガルは、僅かに表情を引き締めながらリーンエス王国でのことを思い起こす。
『名もなき小鬼』が神に至り、ゴブリンも『ヒト』となった。しかし、だからといってすぐに差別が消えたわけではない。
(地位向上の為には、『ゴブリンが他の種族に劣った存在ではない』事を行動で示して行くしかないだろう)
ナハティガル自身も、『黒鋼竜附護衛士』として小鬼差別が根強い環境で日々出来る限りの事をしているが……。
「どうされましたか? 最近暑いですからね、少し休憩しますか?」
不意に構成員の声がした。彼女は心配そうにナハティガルを見ている。どうやら考え込んでいる彼が体調を崩したのではないか、と考えたらしい。
ナハティガルは「大丈夫だ」と言うと、案内を頼んだ。
街を行く最中、ナハティガルは構成員からゴールディの近況やら今抱えている問題などを聞き、質問したりしていた。その間も、街の様子を観察するのを忘れない。
そうしていくうちに、少し人気が少ない場所を歩いていた。どことなく中心街より自然が多い。だが、雰囲気的に周辺の人々が『ブラックデス』の構成員ではないか、とナハティガルは感じた。けれども、話に聞いていたアジトから離れているような雰囲気も感じていた。
「アジトに行くんじゃないのか?」
「その……、アダムに面会するんですよね?」
ナハティガルの問いに、構成員は戸惑い気味に声をかける。彼が頷くと、構成員は少し考えてから、「まぁ、幹部からの命令だしなぁ」と呟いて、顔を上げた。
「アダムなんですが、その……、生きる気力がないんですよ。話しかけてもうわの空な事が多くて……。それでも、会いますか?」
その言葉にナハティガルの眼が僅かに震えたような気がした。その様子を、構成員は静かに見つめ無言で判断を仰ぐ。
今回、彼がゴールディのマフィア『ブラックデス』を訪ねたのは、そこに身柄を引き渡された元メドゥの指先幹部の青年、アダムが帝国事変終了後にどうなったのか気になったためである。
アダムはゴブリンとリザードマンの混血児であり、彼自身はその姿に強いコンプレックスを持ち、『知恵あるゴブリン』に強い憎しみを抱いていた。
『名もなき小鬼』を殺せなかった彼は紆余曲折を経て、『ブラックデス』に囚われている。こうして殺されず置かれているのは洗脳されていたとは言え、一時期『ブラックデス』の構成員として働いていた事があるからだろう。
ナハティガルは、アダムが強いコンプレックスを持っている事は知っていた。だから、ゴブリンが『ヒト』となったからと言って直ぐに考えが変わるなんて考えていなかった。それでも『ブラックデス』でどうにかやっていけているならばいいが、と考えていたが……どうやら、その考えは甘かったらしい。
ゆっくり息を飲み、構成員を見ると彼女は言葉を続けた。
「彼に話しかけても、答える事は少ないんですよ。なんか死にたがっているようにも見えますね……。まぁ、虜囚なんで勝手に死ねませんけどね……」
構成員はため息交じりにと答えると、1つの家の前で止まる。どうやら、今、アダムはそこに囚われているらしい。
構成員は振り返り、丁寧に一礼した。
「面会には、私が立ち会います。それはご了承ください。ナハティガル殿は信用していますが、念のため、ですので」
「それは承知した。……案内を頼む」
ナハティガルの言葉に、彼女は「わかりました」と言ってドアを開け……こう付け加える。
「今のアダムを見ても、驚かないで下さいね」
●
その日も、アダムは部屋の寝台の上にいた。
『名もなき小鬼』は殺せず神となり、サチコが提示した『メドゥの左腕』も今はいない。胸に大きな穴を抱いた彼は、その日もぼんやりと生きていた。今の自分は『ただ生かされている』だけ。死ぬことも叶わず、静かに、ただ静かに生きているだけである。
偶に涙があふれる時があったり、苦しみを覚えたりはする。
そして時折、彼に情がわいたのか幾人かの構成員が少しでも食事を取るように促し、部屋をきれいにしてくれる。心配し、訪ねてきてくれる。しかし、アダムはそれをぼんやり見、彼らの話すことをただ聞いて過ごしていた。
(……まだ、死ねないか)
今日も、ただ鼓動を聞き呼吸をするだけ。そう彼は考えていた。が、しかし。聞こえてきた足音に耳が反応する。
(また構成員か)
何用だろう、と思っていると聞き覚えのある声が「アダム、面会を希望する方が来ています」と告げる。
(面会……? オレに?)
ぼんやりとした頭のまま、ゆるりと身を起こす。と、ドアが開いた。そこにいたのは、時折部屋の掃除をし花を飾ってくれる構成員だ。彼女は洗面器などを持っていた。
「軽く身支度しましょうか、アダム」
「……」
「来客なのです。見苦しい姿で出したくはありませんから」
構成員はそういうと、アダムをベッドに座るよう促した。
彼女にされるがまま顔を拭かれ、新しい衣服に変えたアダムは僅かに「物好きな奴もいるもんだ」と呟いた。
「失礼が無いように、お願いしますね」
諭す言葉にも何も示さず、小さくため息を吐くアダム。その様子に、構成員の表情は僅かに曇る。けれども、アダムは抵抗せず彼女に従い部屋を出るのだった。
●
来客の下へ連れていかれたアダムが見たのは、すらりとした同種の男性だった。見た目が自分と真逆の存在だ、と思いつつ暫く見上げてしまう。
(あぁ、自分と違う……)
アダムはその男性――ナハティガルを見、ドロリとした何かを胸の奥に憶えた。
醜い自分とは何もかも違う。そんな男が惨めな自分に何の用だ。アダムは疑問を抱えたまま胡乱な眼差しを向けるが、ナハティガルはしばしアダムを見つめる事しかできない。
空気が僅かに張り詰めたように感じたのは、ナハティガルの表情が酷く曇ったからだろうか?
アダムが暫し黙ったまま面会者を見つめ続けたが、ややあって漸く口を開いた。
「……痩せたな」
「……」
それしか、言えなかった。
予想以上に、アダムはやせ細っていた。目に生気はなく、構成員のいう通りただ生かされているという言葉がしっくりきていて。
(これは、アダムの欠落からくるものなのか……?)
アダムの軌跡を情報としては知っている。
『名もなき小鬼』は殺せず、新たに恨みを抱いた相手も消滅してしまった。簡単な言葉などで彼の『欠落』が埋まる筈はない。
「……何をしに来た?」
アダムが、ぽつりと問う。曇った瞳を見つめ返し、ナハティガルはゆっくり瞬きをする。
「話があるんだ」
「……話?」
問い返すアダムに、ナハティガルはゆっくり頷くと口を開いた。
「単刀直入に言う。アダム、アンタは優れた授恵者だ。敵であった時はかなり手ごわかったが、味方になればとても心強い」
アダムは、真面目な顔で語るナハティガルを、ただ見ていた。
ナハティガルは静かに経緯を話した。今だゴブリンに対する偏見や差別が根強い地域もある事、ここへ向かう際に見聞きしたゴールディの現状、自分が抱く信念などを。
話しながら、彼はアダムを観察していた。少しでも、彼の心に何かが響けば。少しでも、生きる気力を生み出せれば。自然とそう願いながら話している事に気付きながらも、ナハティガルは話し続けていた。
だが、その目はどんよりとしたままで。表情が変わる事もない。アダムはただその話を聞いているだけである。
(これが、アダムの抱えた欠落の大きさなのか?)
不意に、ナハティガルの脳裏に大きな穴が過った。底の見えない、深い、深い穴だ。まるでそこに一人話しかけているように、彼には思えてしまった。
ナハティガルは立場上、色んなヒトと話す機会がある。時に、今のアダムのようにどんよりとした眼の、生きる気力のない人間と対峙することもある。だが、大半は何かのきっかけで生きる希望を見いだせた気がする。
しかし、『メドゥの指先』の幹部であった青年が抱えた欠落は、ナハティガルが想像していたより大きかったのかもしれない。アダムは、彼が語った事に反応せず、ただただ聞いていた。表情も変わらず、ただ、ナハティガルを見つめ返すだけである。
「言ったでしょう? 生きる気力がない、と。彼はここに来てからずっとこの調子なのです」
黙って様子を見ていた構成員が、静かに言う。
それでも、ナハティガルは言葉を続けた。
「今は……。今は何も手に付かないかもしれない。だが、未だ授恵者の力は求められている。自身の意思であるのなら、サチコの護衛、暗黒街の治安維持、……とにかく、混乱を招かないなら何でも良い」
アダムは、ぼんやりとナハティガルを見つめ返す。その心に生気がなくても、いつの日か声が届く事を祈り、ナハティガルは目を合わせる。
「その力を、同胞の為に使ってはくれないか……?」
彼の言葉に、アダムは……何も話さない。やはり、ぼんやりと見つめ返すだけだ。
(『名もなき小鬼』の一件以後の出来事で、欠落がさらに大きくなったとも考えられるのだろうか)
ナハティガルは、ため息を吐き差し出されたお茶に漸く口を付ける。そうしながらも、未だぼんやりと見つめ返すアダムを見、何故か悲しみを覚えた。
彼は考える。他者に必要とされる事は、コンプレックス克服の切っ掛けにもなるのではないか、と。だが、今の彼の心にはいまいち響かないようだ。
(どうすれば……)
ナハティガルが心の中で苦悶していることも知らず、アダムはただそこに座っていた。
(欠落が大きすぎて、それしか感じられなくて。まるで、魂がその中に落ちたままになっているようだ)
そこら少しでも這い上がり、生きる気力を持てば……、何かが変わるかもしれない。
ナハティガルは、アダムに語る。
「また、話しにくる。王国でも、まだまだ授恵者の力は必要なようでな。それに、俺はゴブリンの地位向上の為にも動いて示すと決めている」
アダムが再び目に生気を宿し、自ら動くようになる日が来るかは分からない。もしかしたら、このままゆるやかに終わりを迎えるかもしれない。
(それでも)
ナハティガルは、重ねてアダムへと告げる。
「また話そう」
●
(また話そう……?)
アダムには、訳が分からなかった。呆然と日々を過ごし、終わりの時が来るのを待っているだけの自分に、ナハティガルはまた会いにくるつもりのようだ。
彼は最初、何を言っているのだろうと思った。自分は抜け殻で、もう、何もないというのに。
耳を通り抜ける言葉。変わらず向けられる視線。それらに、アダムの心は動かなかった。
ナハティガルが立ち上がり、別の構成員に案内されて外へ出る。その背中を、アダムはただただ見送る。
彼が再び会いにくるか否かなど、アダムには興味がない。だが、傍らの構成員の女性は僅かに微笑んでいた。
「……だそうですよ、アダム」
「……」
優しく窘めるような声色に、アダムはただ不思議そうな顔をする。そして、ゆっくりと席を立ち、自分のいる部屋へ戻る事にした。
その途中、構成員の女性は少しだけ眉を上げアダムに言う。
「……始めてみませんか? 何か小さなことからでも」
「……」
彼女の言葉を無視し、アダムは部屋の戸を開ける。そして、そのまま寝台に寝転んだ。
面会を終えたナハティガルは、疲れと共に酷い空腹を覚えた。
構成員に「近くに、食堂はないか?」と問うと、彼は「この辺りにいい店あるっすよ」と素朴な雰囲気の食堂にナハティガルを連れて行ってくれた。
(そういえば、アダムは食欲がほぼ無いと聞いたな)
ゆっくり終わりへ向かっている、と構成員が語っていたことを思い出しながらも彼は頭を巡らせる。
アダムの欠落はあまりにも深い。一体何で埋めれば彼の心は動くのだろうか?
(長期戦になりそうだな……)
彼の言葉がアダムに届く日が来るのか、それとも……。それは、誰にも分からない。ただ1つだけ今できる事があった。『いつの日か、アダムが生きる気力を取り戻す』よう、祈る事である。
ナハティガルだって暇ではない。彼には立場がある故、今度はいつアダムを訪ねることが出来るか分からない。それでも、信じるしかないのだ。
(それに俺は彼に言ったじゃないか。『ゴブリンの地位向上の為にも動いて示す』と)
仮に、ゴブリンへの偏見や差別が少しでも和らいだら……、それをアダムが感じ取ったら、少しは欠落が埋まるだろうか? それとも……? ナハティガルは考えながらも生きるために食事を続けた。
口にした料理は、そこそこ口に合った。ゴールディ周辺で入手できた素材だろうか? 妙に癖のある味の薬草もあったが、概ね美味しかった。
それらをしっかり食べている間、構成員はアダムに対する心配事を零していた。曰く、アダムは食事をあまり食べてくれないのだ、と。貴方のようにしっかり食べて欲しいのだ、と。
情が湧いた者達の声すら、今のアダムには届かない。恐らく、己の欠落の中で膝を抱えてしまっているのだ、魂が。そんなイメージがナハティガルの脳裏に過った。
(いつか、そこから這い上がってこい。いつでも手を伸ばしてこい。周りには、その手を取ってくれる人がいる)
自分もその中の一人だ、とナハティガルはそっと内心で付け加えるのだった。
(終)
ゴールディは、思っていた以上に賑やかな様子だった。
『活気に溢れている』――その一言に尽きるな、と訪れたナハティガル=ラーは感嘆の息を漏らした。だが、今見えているのは上辺であり別の所に目を向ければ綻びも見える気がした。
大樹海の開拓や帝国への移民を経ても、ゴールディはまだいろいろな問題を抱えている。もしかしたら、状況がかわり新たな問題が出てきた可能性もある。
しばし考えこんでいると、服の裾を引っ張られた。
「旦那、こっちです」
「あぁ……」
ナハティガルと共に行くのは、小柄なゴブリンの女性でである。彼は今、とある人物を訪ねるべく彼女にアジトまで案内してもらっていた。
道を歩いていく最中、人々の様子をさり気なく見ていく。ゴールディの人々の顔は明るく、市場に並ぶ商品もそこそこ豊富なように見えた。なにより、子ども達が平和に遊んでいる様子に、ナハティガルは内心安堵の息を吐く。
比較的ゴブリンの数が多い気がするのは相変わらずだが、他種族の者ともおおむね仲良くやっているように、彼の眼には見える。
(しかし……な)
ナハティガルは、僅かに表情を引き締めながらリーンエス王国でのことを思い起こす。
『名もなき小鬼』が神に至り、ゴブリンも『ヒト』となった。しかし、だからといってすぐに差別が消えたわけではない。
(地位向上の為には、『ゴブリンが他の種族に劣った存在ではない』事を行動で示して行くしかないだろう)
ナハティガル自身も、『黒鋼竜附護衛士』として小鬼差別が根強い環境で日々出来る限りの事をしているが……。
「どうされましたか? 最近暑いですからね、少し休憩しますか?」
不意に構成員の声がした。彼女は心配そうにナハティガルを見ている。どうやら考え込んでいる彼が体調を崩したのではないか、と考えたらしい。
ナハティガルは「大丈夫だ」と言うと、案内を頼んだ。
街を行く最中、ナハティガルは構成員からゴールディの近況やら今抱えている問題などを聞き、質問したりしていた。その間も、街の様子を観察するのを忘れない。
そうしていくうちに、少し人気が少ない場所を歩いていた。どことなく中心街より自然が多い。だが、雰囲気的に周辺の人々が『ブラックデス』の構成員ではないか、とナハティガルは感じた。けれども、話に聞いていたアジトから離れているような雰囲気も感じていた。
「アジトに行くんじゃないのか?」
「その……、アダムに面会するんですよね?」
ナハティガルの問いに、構成員は戸惑い気味に声をかける。彼が頷くと、構成員は少し考えてから、「まぁ、幹部からの命令だしなぁ」と呟いて、顔を上げた。
「アダムなんですが、その……、生きる気力がないんですよ。話しかけてもうわの空な事が多くて……。それでも、会いますか?」
その言葉にナハティガルの眼が僅かに震えたような気がした。その様子を、構成員は静かに見つめ無言で判断を仰ぐ。
今回、彼がゴールディのマフィア『ブラックデス』を訪ねたのは、そこに身柄を引き渡された元メドゥの指先幹部の青年、アダムが帝国事変終了後にどうなったのか気になったためである。
アダムはゴブリンとリザードマンの混血児であり、彼自身はその姿に強いコンプレックスを持ち、『知恵あるゴブリン』に強い憎しみを抱いていた。
『名もなき小鬼』を殺せなかった彼は紆余曲折を経て、『ブラックデス』に囚われている。こうして殺されず置かれているのは洗脳されていたとは言え、一時期『ブラックデス』の構成員として働いていた事があるからだろう。
ナハティガルは、アダムが強いコンプレックスを持っている事は知っていた。だから、ゴブリンが『ヒト』となったからと言って直ぐに考えが変わるなんて考えていなかった。それでも『ブラックデス』でどうにかやっていけているならばいいが、と考えていたが……どうやら、その考えは甘かったらしい。
ゆっくり息を飲み、構成員を見ると彼女は言葉を続けた。
「彼に話しかけても、答える事は少ないんですよ。なんか死にたがっているようにも見えますね……。まぁ、虜囚なんで勝手に死ねませんけどね……」
構成員はため息交じりにと答えると、1つの家の前で止まる。どうやら、今、アダムはそこに囚われているらしい。
構成員は振り返り、丁寧に一礼した。
「面会には、私が立ち会います。それはご了承ください。ナハティガル殿は信用していますが、念のため、ですので」
「それは承知した。……案内を頼む」
ナハティガルの言葉に、彼女は「わかりました」と言ってドアを開け……こう付け加える。
「今のアダムを見ても、驚かないで下さいね」
●
その日も、アダムは部屋の寝台の上にいた。
『名もなき小鬼』は殺せず神となり、サチコが提示した『メドゥの左腕』も今はいない。胸に大きな穴を抱いた彼は、その日もぼんやりと生きていた。今の自分は『ただ生かされている』だけ。死ぬことも叶わず、静かに、ただ静かに生きているだけである。
偶に涙があふれる時があったり、苦しみを覚えたりはする。
そして時折、彼に情がわいたのか幾人かの構成員が少しでも食事を取るように促し、部屋をきれいにしてくれる。心配し、訪ねてきてくれる。しかし、アダムはそれをぼんやり見、彼らの話すことをただ聞いて過ごしていた。
(……まだ、死ねないか)
今日も、ただ鼓動を聞き呼吸をするだけ。そう彼は考えていた。が、しかし。聞こえてきた足音に耳が反応する。
(また構成員か)
何用だろう、と思っていると聞き覚えのある声が「アダム、面会を希望する方が来ています」と告げる。
(面会……? オレに?)
ぼんやりとした頭のまま、ゆるりと身を起こす。と、ドアが開いた。そこにいたのは、時折部屋の掃除をし花を飾ってくれる構成員だ。彼女は洗面器などを持っていた。
「軽く身支度しましょうか、アダム」
「……」
「来客なのです。見苦しい姿で出したくはありませんから」
構成員はそういうと、アダムをベッドに座るよう促した。
彼女にされるがまま顔を拭かれ、新しい衣服に変えたアダムは僅かに「物好きな奴もいるもんだ」と呟いた。
「失礼が無いように、お願いしますね」
諭す言葉にも何も示さず、小さくため息を吐くアダム。その様子に、構成員の表情は僅かに曇る。けれども、アダムは抵抗せず彼女に従い部屋を出るのだった。
●
来客の下へ連れていかれたアダムが見たのは、すらりとした同種の男性だった。見た目が自分と真逆の存在だ、と思いつつ暫く見上げてしまう。
(あぁ、自分と違う……)
アダムはその男性――ナハティガルを見、ドロリとした何かを胸の奥に憶えた。
醜い自分とは何もかも違う。そんな男が惨めな自分に何の用だ。アダムは疑問を抱えたまま胡乱な眼差しを向けるが、ナハティガルはしばしアダムを見つめる事しかできない。
空気が僅かに張り詰めたように感じたのは、ナハティガルの表情が酷く曇ったからだろうか?
アダムが暫し黙ったまま面会者を見つめ続けたが、ややあって漸く口を開いた。
「……痩せたな」
「……」
それしか、言えなかった。
予想以上に、アダムはやせ細っていた。目に生気はなく、構成員のいう通りただ生かされているという言葉がしっくりきていて。
(これは、アダムの欠落からくるものなのか……?)
アダムの軌跡を情報としては知っている。
『名もなき小鬼』は殺せず、新たに恨みを抱いた相手も消滅してしまった。簡単な言葉などで彼の『欠落』が埋まる筈はない。
「……何をしに来た?」
アダムが、ぽつりと問う。曇った瞳を見つめ返し、ナハティガルはゆっくり瞬きをする。
「話があるんだ」
「……話?」
問い返すアダムに、ナハティガルはゆっくり頷くと口を開いた。
「単刀直入に言う。アダム、アンタは優れた授恵者だ。敵であった時はかなり手ごわかったが、味方になればとても心強い」
アダムは、真面目な顔で語るナハティガルを、ただ見ていた。
ナハティガルは静かに経緯を話した。今だゴブリンに対する偏見や差別が根強い地域もある事、ここへ向かう際に見聞きしたゴールディの現状、自分が抱く信念などを。
話しながら、彼はアダムを観察していた。少しでも、彼の心に何かが響けば。少しでも、生きる気力を生み出せれば。自然とそう願いながら話している事に気付きながらも、ナハティガルは話し続けていた。
だが、その目はどんよりとしたままで。表情が変わる事もない。アダムはただその話を聞いているだけである。
(これが、アダムの抱えた欠落の大きさなのか?)
不意に、ナハティガルの脳裏に大きな穴が過った。底の見えない、深い、深い穴だ。まるでそこに一人話しかけているように、彼には思えてしまった。
ナハティガルは立場上、色んなヒトと話す機会がある。時に、今のアダムのようにどんよりとした眼の、生きる気力のない人間と対峙することもある。だが、大半は何かのきっかけで生きる希望を見いだせた気がする。
しかし、『メドゥの指先』の幹部であった青年が抱えた欠落は、ナハティガルが想像していたより大きかったのかもしれない。アダムは、彼が語った事に反応せず、ただただ聞いていた。表情も変わらず、ただ、ナハティガルを見つめ返すだけである。
「言ったでしょう? 生きる気力がない、と。彼はここに来てからずっとこの調子なのです」
黙って様子を見ていた構成員が、静かに言う。
それでも、ナハティガルは言葉を続けた。
「今は……。今は何も手に付かないかもしれない。だが、未だ授恵者の力は求められている。自身の意思であるのなら、サチコの護衛、暗黒街の治安維持、……とにかく、混乱を招かないなら何でも良い」
アダムは、ぼんやりとナハティガルを見つめ返す。その心に生気がなくても、いつの日か声が届く事を祈り、ナハティガルは目を合わせる。
「その力を、同胞の為に使ってはくれないか……?」
彼の言葉に、アダムは……何も話さない。やはり、ぼんやりと見つめ返すだけだ。
(『名もなき小鬼』の一件以後の出来事で、欠落がさらに大きくなったとも考えられるのだろうか)
ナハティガルは、ため息を吐き差し出されたお茶に漸く口を付ける。そうしながらも、未だぼんやりと見つめ返すアダムを見、何故か悲しみを覚えた。
彼は考える。他者に必要とされる事は、コンプレックス克服の切っ掛けにもなるのではないか、と。だが、今の彼の心にはいまいち響かないようだ。
(どうすれば……)
ナハティガルが心の中で苦悶していることも知らず、アダムはただそこに座っていた。
(欠落が大きすぎて、それしか感じられなくて。まるで、魂がその中に落ちたままになっているようだ)
そこら少しでも這い上がり、生きる気力を持てば……、何かが変わるかもしれない。
ナハティガルは、アダムに語る。
「また、話しにくる。王国でも、まだまだ授恵者の力は必要なようでな。それに、俺はゴブリンの地位向上の為にも動いて示すと決めている」
アダムが再び目に生気を宿し、自ら動くようになる日が来るかは分からない。もしかしたら、このままゆるやかに終わりを迎えるかもしれない。
(それでも)
ナハティガルは、重ねてアダムへと告げる。
「また話そう」
●
(また話そう……?)
アダムには、訳が分からなかった。呆然と日々を過ごし、終わりの時が来るのを待っているだけの自分に、ナハティガルはまた会いにくるつもりのようだ。
彼は最初、何を言っているのだろうと思った。自分は抜け殻で、もう、何もないというのに。
耳を通り抜ける言葉。変わらず向けられる視線。それらに、アダムの心は動かなかった。
ナハティガルが立ち上がり、別の構成員に案内されて外へ出る。その背中を、アダムはただただ見送る。
彼が再び会いにくるか否かなど、アダムには興味がない。だが、傍らの構成員の女性は僅かに微笑んでいた。
「……だそうですよ、アダム」
「……」
優しく窘めるような声色に、アダムはただ不思議そうな顔をする。そして、ゆっくりと席を立ち、自分のいる部屋へ戻る事にした。
その途中、構成員の女性は少しだけ眉を上げアダムに言う。
「……始めてみませんか? 何か小さなことからでも」
「……」
彼女の言葉を無視し、アダムは部屋の戸を開ける。そして、そのまま寝台に寝転んだ。
面会を終えたナハティガルは、疲れと共に酷い空腹を覚えた。
構成員に「近くに、食堂はないか?」と問うと、彼は「この辺りにいい店あるっすよ」と素朴な雰囲気の食堂にナハティガルを連れて行ってくれた。
(そういえば、アダムは食欲がほぼ無いと聞いたな)
ゆっくり終わりへ向かっている、と構成員が語っていたことを思い出しながらも彼は頭を巡らせる。
アダムの欠落はあまりにも深い。一体何で埋めれば彼の心は動くのだろうか?
(長期戦になりそうだな……)
彼の言葉がアダムに届く日が来るのか、それとも……。それは、誰にも分からない。ただ1つだけ今できる事があった。『いつの日か、アダムが生きる気力を取り戻す』よう、祈る事である。
ナハティガルだって暇ではない。彼には立場がある故、今度はいつアダムを訪ねることが出来るか分からない。それでも、信じるしかないのだ。
(それに俺は彼に言ったじゃないか。『ゴブリンの地位向上の為にも動いて示す』と)
仮に、ゴブリンへの偏見や差別が少しでも和らいだら……、それをアダムが感じ取ったら、少しは欠落が埋まるだろうか? それとも……? ナハティガルは考えながらも生きるために食事を続けた。
口にした料理は、そこそこ口に合った。ゴールディ周辺で入手できた素材だろうか? 妙に癖のある味の薬草もあったが、概ね美味しかった。
それらをしっかり食べている間、構成員はアダムに対する心配事を零していた。曰く、アダムは食事をあまり食べてくれないのだ、と。貴方のようにしっかり食べて欲しいのだ、と。
情が湧いた者達の声すら、今のアダムには届かない。恐らく、己の欠落の中で膝を抱えてしまっているのだ、魂が。そんなイメージがナハティガルの脳裏に過った。
(いつか、そこから這い上がってこい。いつでも手を伸ばしてこい。周りには、その手を取ってくれる人がいる)
自分もその中の一人だ、とナハティガルはそっと内心で付け加えるのだった。
(終)
assignment【DA】史実ノベル 関連特設ページ
メアリー王女が冒険者達の協力を得て稼働させた「王家の耳」。メアリーは無作為に集まってくる情報を、余人に及びもつかぬ閃きを持って分析しながら、今日も世界の動きへ耳を傾けている。
集まった情報の中には、世界の情勢に影響はないかもしれないが興味深い個人の記録があるかもしれない。