【DA】リーンエスの耳
シルヴィア・A・カペル/
エクスリオ・カペル
エル=バ=ノイアン/
イスタル=エニード
『ノベルタイトル:蒼く、耀いて』久生夕貴
●紫の薔薇は咲き
花と芸術の領地は、今日もしなやかに強く、美しい。
その領主が住まうカペルの邸は、いつになくそわそわした空気が流れていた。
現当主であるエクスリオ・カペルの娘であり、ゆくゆくは『蒼玉』を継ぐであろうシルヴィア・A・カペルが、恋人を連れてきたという。
カペルに仕える者たちはみな、若い二人と当主の顔合わせがいかなるものになるのか、期待と少しの不安と緊張が入り混じり、顔に出さずとも固唾をのんで見守っているのだ。
「……さすがに緊張するね」
謁見の間で父であるエクスリオが姿を現すのを待ちながら、シルヴィアは小さく苦笑した。
恋人を紹介する娘の立場としてはもちろんのこと、今日はカペルの後継者としても父と対面することになる。
蒼玉を継ぐ者として、二人の仲を正式に認めてもらえるのか。
父の懐の深さを分かっていはいても、やはり不安がないわけではない。
「大丈夫だ。俺の方が緊張している」
さらっと真顔で告げたエル=バ=ノイアンに、シルヴィアは目を丸くした。
普段の彼がこういうことを口にするのは珍しい。ノイアンの微動だにしない横顔を見て、思わず笑みを漏らす。
「ありがとう。なんだか大丈夫だと思えてきたよ」
彼のさりげない気遣いに、感謝しつつ。
間もなくして姿を見せたエクスリオは、シルヴィアの顔を見て開口一番に問うた。
「紫の薔薇は育ったのか?」
花台に飾られた見事な紫薔薇と、それを見て顔を真っ赤にする娘に笑う。
彼の母であるイザベラが、楽しそうに話していたことがある。
”もし薄紫色の薔薇を咲かせられた暁には、シルヴィアに贈らせてほしい”
真っすぐな目で、そう許しを請うた青年のことを。
その時はまだ二人の仲は同期というだけだったが、あれから二年の時を経て、互いの想いと誓いは成ったのだろう。
美しく咲いた紫の花弁を、娘の瞳が愛おしそうに見つめ。
「ノイアンの紫薔薇は『カペル植物研究所』に協力を仰ぎ、研究を重ね品種改良しました」
シルヴィアの説明にエクスリオは頷くと、ノイアンを見やった。
「どこまで進んでいるか教えてもらえるかな」
「はい。先日、基準となる苗の作出まで進みました。固有品種としての固定まであと少しです」
なるほど。偶然の産物ではなく、再現性を持たせたのであれば、この美しい紫はいずれ恒久的な存在と成り得るのだろう。
目の前で誇らしげに咲く薔薇を見て、エクスリオは純粋に嬉しく思う。
愛する者に愛されるのは、これ以上ない喜びだ。
自らも政略結婚でありながら、婚約者であった頃の妻を口説き落とし愛情を得ただけに、目前の二人が心から愛し合っているさまは、父親として喜び以外何者でもない。
ただ蒼玉候としての責任が、二人の婚約を手放しで認めるわけにはいかないのも事実で――
「これだけで十分だとは思っていません」
自ら切り出したノイアンを、エクスリオは興味深く見つめた。
貴族において身分差のある婚姻がいかに難しいか、彼自身もよく分かっているはず。
それだけにこの青年が何を口にするのか、主張するのか。あえて見守ってみたいと思った。
「シルヴィアは俺に言いました。『私を選ぶということは、カペルと運命を共にするということだ』と」
ノイアンの脳裏には、あの日の光景が思い起こされていた。
白雪が舞う、小さな聖堂前。
冬薔薇に降り積もる雪と、静寂が、痛いほどに美しかった。
――私はこの地と、この地に住む人々を愛している。
そう語った彼女の瞳は、蒼玉を継ぐ者としての矜持と、それでもなおノイアンの愛を諦めたくない、ひとりの人間としての本音が同居していた。
「彼女らしいと思いました。いかなる時でも個より公を、己より他者を。そう考え実行できる彼女に、俺は惹かれたのですから」
こちらを見つめるシルヴィアをちらりと見返し、微笑をにじませる。
「ですが――いや、だからこそ俺は言いました。俺が共にしたいのは、シルヴィアの運命だと」
いつ如何なる時も、この命尽きるまで彼女の傍に。
そう誓い、彼女も受け入れ、共に未来を目指す覚悟を決めたからこそ。
「その気持ちは今も変わりません。俺はカペルの地と民を愛し、カペルのために尽くそうとするシルヴィアを愛し、生涯を共にすると誓いました。ですがそれらを果たすためには、現実的な問題があるのもまた、理解しているつもりです」
深青の瞳が静かに、けれどその奥の熱を隠さずに、蒼玉候を捉えた。
「俺もシルヴィアも自分たちの立場や想いだけを押し付けるつもりはありませんし、求められる術があれば尽力するつもりです。これらを踏まえた上で、閣下のお考えをお聞かせ願えますか」
聞き終えたエクスリオは、鷹揚に笑みを浮かべた。
「成程、シルヴィアが選んだだけのことはある」
各々の立場に理解を示し、それでもなお、個としてのシルヴィアと運命を共にすると彼は宣言した。
それほどに娘を愛する覚悟を見せられたとなれば、ここから先は自分が試されているようなものだ。
「せっかくの機会だ。私の考えも話しておこう」
エクスリオは緊張の面持ちを浮かべる二人を見やり、穏やかに、けれど明確な口調で告げた。
「まず言っておきたいのだが、私は二人の仲を反対するもりはない。ノイアン君の話を聞いて、改めて確信した。娘を持つ父親としても、未来の王国の有りようを見据えた領主としても、君たちの愛を祝福したい」
「お父様……」
こちらを見つめる”後継者”へ、蒼玉候は微笑みかける。
「女侯爵自体、今の王国では稀有だろう? 更に稀有を重ねるのも面白い。王国の新たな風となるかもしれないな」
この数年で王国は大きな変革期を迎えている。この波が治まることはなく、いずれ歴史の転換点として後世に語られることになるのだろう。
なればこそ、二人の婚姻はその先ぶれとして新しい時代の光となるだろう――そう、エクスリオは確信している。
「とはいえだ。ノイアン君の言う通り、現状二人が結婚するためには周囲を納得させる準備が必要なのも事実だ。王国の伝統にも配慮しなければ、反発は免れないだろう」
「はい。それは私も重々承知しています」
娘の返答に頷くと、エクスリオはノイアンを見やった。
「申し訳ないが、『青薔薇』に君の素性を調べさせてもらった。君のご両親は共に王国名士の家系・唯人の家系だと判明しているため、保守派の反対は抑えられると考えている」
小さく頷くノイアンに、素性調査をされたことへの不信や不満の色は見えない。それくらい折込済みということなのなろう。
「その上での提案になるのだが。私はノイアン君に、貴族の養子となった上でカペルに婿入りしてもらいたいと考えている」
現実的な問題を解決する手立てとして、エクスリオが出した結論。
おそらく似た結論を出していたのだろう。ノイアンはさして驚く様子もなく、その静かな目でエクスリオに向き合った。
「体裁を整える必要があるのは理解していますし、その心づもりもできています。ですが、一族の尊厳を踏み躙るような扱いは許容できないことは、先にお断りしておきたく思います。閣下も、そのような選択をした者を愛娘のそばに置いてはおけないでしょう?」
「無論、ノイアン君の意向を無視した養子縁組を強いるつもりはない。双方納得の上で縁を結べる先を、我々も当たってみるつもりだがね。もし君の方でも心当たりがあれば、報せてほしい。これでどうかな?」
「……異論はありません。お心遣い、感謝いたします」
”双方納得の上で”という言葉の外に込めた意味を、ノイアンは理解したようだった。
彼の複雑な生い立ちと、生家との確執は青薔薇から報告を受けている。
「こちらでも縁組先を当たってみたいと考えていますので、少しお時間をいただければと」
「構わないよ。シルヴィアもそれでいいね?」
「はい。お父様」
エクスリオは頷くと、どこか芝居じみた振る舞いで手を叩いた。
「では堅苦しい話はここまでだ。今日は泊っていくのだろう? ゆっくりしていくといい。ディナーは料理人たちにが腕を振るうそうだから、楽しみにしていてくれ」
蒼玉候のくだけた調子に、二人の表情がほっとやわらぐのがわかった。
ついでに近くで聞き耳を立てている、カペルを愛する者たちの表情も。
■
その日の宵。
シルヴィアたちとの楽しいディナーを終え、エクスリオは酔い覚ましを兼ねバルコニーで夜風に当たっていた。
頬を撫でるそよ風に、甘く高貴な香りがまじる。年間を通して薔薇に包まれるカペルならではだ。
人の気配を感じ振り向くと、ほんの少し頬を上気させた娘の姿。
「今夜の酒は一段と美味かったな、シルヴィア」
笑いながら声をかけると、彼女は頷きながらエクスリオの隣に立ち、薔薇の香りを楽しむように、小さく深呼吸した。
父によく似た横顔が、いつの間にか自分の知らない表情を見せるようになったことを、一抹の寂しさと共に誇らしく思う。
「お父様、今日はありがとうございました」
「礼には及ばない。娘が幸せになるのを喜ばない父親などいないからね」
「お母様も喜んでくれているでしょうか」
「心配はするだろうがね。シルヴィアが選んだのならと、考えているはずだ」
バルコニーに並んだ二人は、今だけは当主と後継者ではなく、ただの父娘に戻っていた。
互いに口に出さずとも、そうあろうとする空気が分かってしまう。
「――私、彼の想いを受け入れると決めた時、誓ったの」
エクスリオが隣を見やった先で、シルヴィアは”娘”の顔で微笑んでいた。
後ろをついて歩いていた、幼い頃の姿が脳裏をよぎる。
「ただの私を選んでくれた彼の傍で、強くなるって」
己の意志で選び描いた未来を、愛する人と地を、どんなことがあっても守り抜いてみせるために――と。
「ああ。ここ最近のお前は、見違えるほどに強くなった」
「……本当?」
「お父様と泣いていた頃が嘘のようだ」
それを聞いたシルヴィアは、いつの話をしてるのだと顔を赤くする。
拗ねる娘に笑いながら、冗談だと言いやって。
「蒼玉を継ぐ者としてもそうだが、一人の人間としても大きく成長したと思っているよ」
そう告げた先で、娘はほんの少し驚いたように目を見開いてから、嬉しそうにはにかんだ。
「……そんな風に思ってくれていたの、知らなかった」
父と娘は、普段多くの言葉を交わすわけではないけれど。
日に日にしなやかな強さを身に着けていく娘に、驚かされることもしょっちゅうだ。
「まあ少し無理し過ぎてはいないか、心配がないといえば嘘になるがね」
「それはお父様も同じです。私たちに何も言わず、すぐに無理をするから……」
カペル因縁の吸血鬼のことでもそうだ。大事なことを言わないのは、父の悪い癖だとシルヴィアは訴える。
「まあそれについては、私も改めるべき点はあるかな」
そう苦笑しながら、エクスリオはゆっくりと空を仰ぎ見た。
あと何度、娘とこうして夜空を見上げることができるだろうか。
「ノイアン君は信用に値する男だと、思っているよ」
こちらを振り向く気配に、父は改めて娘と向き合った。
「幸せなのだろう? シルヴィア」
「――はい。とても」
迷いの無い返答に、微笑みながらうなずく。
「それだけ聞ければ十分だ」
娘を見送ったエクスリオは、バルコニーでもうしばし今宵の余韻に浸りながら、今後について考えをめぐらせていた。
立場上致し方ないとはいえ、娘の恋人に『貴族の養子になれ』と伝えるのは、気持ちが進むものではなかった。
彼自身、吸血鬼ノアの件もあり「父と思えない人を父と呼ぶ」事には抵抗がある。
それだけに表には出さないのの、ノイアンに対して同情する気持ちが少なくないのが本音だった。
彼が『一族の尊厳を踏み躙るような扱いは許容できない』とけん制したことも、当然の感情だと理解しているがゆえに。
『双方が納得する縁組先を』と告げたのは、エル=バ一族の仇であるエニード卿には頼らなくて良いと言外に伝えるためでもあったのだが――
人の価値とは何なのだろう、とエクスリオは時々思う。
貴族は平民の上にあるべき存在。命の価値も身分に準ずる。
王国に住む者の多くが、そう考えているだろう。
だがそれは、唯一無二の絶対的な真理と言えるだろうか。
否、とエクスリオは思う。
人の価値を決めたのは人であり、それは時代と共に変容していく不確かなもの。
貴族という存在自体、この先どうなっていくかは分からないし、それでいいとも思っている。
己が愛した者や地がより良き方向へ導かれていく先こそが、自分にとって価値あるものだからだ。
若い二人の歩む道は、祝福に満ちたものでなくてはならない。
今の自分にできることは、出来得る限り禍の種をのぞいてやることだろう。
零れ落ちそうな満天星を眺めながら、エクスリオはこれからのことについて、青写真を描いていく。
養子縁組が成立し、無事婚約が叶った際には、『青薔薇』に依頼して二人の領内での好感度を上げるつもりでいる。
謁見の際にはあえて口にしなかったが、カペル因縁の吸血鬼を倒したという実績もノイアンの利になるのではないか。
身分差を越えた恋物語は、芸術の題材としても好まれるだろう――
夜空に描かれた『計画』をなぞりながら、エクスリオはどこか愉快そうに眺めた。
「まったく、いい夜だ」
■
父との話を終えたシルヴィアは、ノイアンの元を訪れていた。
「お疲れさま。さすがに疲れただろう?」
「大丈夫だ。……まあ、いつもとは違うところで気を張ったせいか、肩は凝ったが」
そう言って軽く肩を回す彼に思わず笑みを漏らしていると、こちらを窺う気配。
「……なんだい?」
「シルヴィアこそ疲れただろう。平気か?」
「ああ、大丈夫だよ。それよりも嬉しくてね」
父が二人の仲を認めてくれただけでなく、喜んでいくれたこと。
きっと父ならばと思ってはいても、やはり本人の口から聞くまでは不安が拭えなかったのも事実で。
「カペルに仕えている者たちも、概ね祝福してくれていると聞いている。改めて、私は恵まれていると思っていたところだよ」
「まあ、まだ越えなければならない壁は多いが……。シルヴィアが邸の人間たちに愛されているのは、よくわかった」
「えっ……どういうことだろうか」
聞けばシルヴィアがエクスリオと話している間、彼は一部のメイドから質問攻めにあっていたらしい。
「シルヴィアお嬢様がどんなに素晴らしいか、力説されたりもしたな」
「す、すまない。皆にはよく言って聞かせておくよ」
顔を赤くする彼女に、ノイアンはおかしそうに微笑んだ。
「いや。悪い気はしなかった」
次期当主が得体の知れない男を連れてきたとなれば、邸の者たちが不安がるのは当然だ。
遠巻きにされ、不信な目を向けられるのが関の山だろうとおもっていただけに、想定外の反応ではあったものの。
ノイアンはむしろ嬉しくさえあった。少なくとも、ごろつきだった頃の自分にはあり得ないことだ。
「まあそういうわけで、一日も早く閣下の出した条件を成せるよう、思案していたところだ」
それを聞いたシルヴィアはありがとうと頷いて。
「お父様が言っていた養子縁組先について、心当たりはあるのかい?」
「『平民を受け入れる寛容な家門』の候補は、随分と絞られるだろうが……異母兄に、心当たりがないか聞いてみようと思う」
「イスタル殿か。確かに彼ならば、力になってくれるかもしれないね」
ラグラスの収穫祭で、彼と初めて会った時のことをシルヴィアは思い出していた。
ノイアンの出生の秘密を語ってくれた彼の目は、哀しみに満ちていて。
エニード卿とはまったく違う人物であることは、ひと目見て理解した。
「じゃあ、故郷に帰るんだね」
ほんの少し心配をにじませるシルヴィアの頭を、ノイアンはぽんとやる。
「大丈夫だ。エニード卿には勘づかれないよう、上手くやるつもりだ」
「私も行きたいところなんだが……父の領内視察に同行することになっていてね」
「お前はここでの役目を務めてくれ。その方が領民にとっても良いだろう」
そうだねと頷くシルヴィアの手を握り、ノイアンは穏やかに告げた。
「シルヴィア、今日はありがとう」
「礼を言うのは私の方だよ。分かっていたこととはいえ、君には色々と負担をかけてしまうのだから……」
「負担じゃない。これは俺たちが選んだ”道のり”だ。平坦ばかりは柄じゃないだろ?」
そう言ってにやりと笑むノイアンの手を、シルヴィアはそっと握り返した。
わずかに抱いた不安や恐れも、彼が微笑うだけで、大丈夫だと思えてしまう。
この手を取ってよかったと、何があろうとも離さないと、改めて心に誓う。
「……それにしても、シルヴィアが泣き虫だったなんて知らなかったな」
「えっ?」
「小さい頃は”お父様”にべったりで、それは可愛らしかったと古株メイドが言っていた。口癖は確か……”おとうさま、おしごととシルヴィアどちらが大切」
「ままま待ってくれ! それはもうとっくに過ぎた黒歴史だから!」
穴があったら今すぐ埋まりたい。
目を白黒させるシルヴィアにノイアンは笑いをこらえながら、しれっと呟く。
「まあ少しだけ、閣下に嫉妬したな」
「~~~っ! もう本当に君は……」
「今のシルヴィアなら絶対に言わないだろう?」
そう言って彼は指を伸ばすと、彼女の白銀の髪をそっと耳にかける。
「たまにはわがままを言ってくれ。俺が嬉しいから」
シルヴィアはしばらく顔を赤くしたまま黙り込んでいたが、やがておそるおそるノイアンを見上げた。
「……じゃあ今、言っていいかい?」
「もちろんだ」
「いつか、君の子どもの頃の話を聞かせて欲しい。どんな暮らしをして、何を見て、何を感じて来てたのか……知りたいんだ」
「分かった。約束する」
「あと……」
「あと?」
シルヴィアはもごもごと口ごもったあと、意を決したように切り出した。
「もふきゅん★らんどに一緒に行ってほしい」
「もふきゅん★らんど」
「そう、もふきゅん★らんど」
しばしの沈黙が流れた。
ノイアンは明後日の方向に視線が泳いでいたが、はっと我に返り微笑んでせる。
「もちろん、楽しみだ」
一体どういう場所なんだ、もふきゅん★らんど――
●そして、栄耀の都市へ
リーンエス王国西部の都市、ラグラス。
『栄耀の都市』と呼ばれるこの地を訪れるのは、何度目だろうか。
ノイアンは都市のシンボルたる大聖堂を眺めながら、この地で起きた数々のことを思い起こしていた。
消えた孤児の行方を追ったのが、二度目訪問だった。
その後司教の闇を暴き、この都市の歪さを知るうちに、圧政に苦しむ者たちの多さを知った。
収穫祭で邂逅した異母兄と、語られた出自の真実。
そして、一族の遺産を取り戻した日――
ひと言では語り切れないほどに、この地に抱く感情は様々だ。
そんな彼の事情を汲み取り、距離の取り方を任せてくれた蒼玉候には、内心で感謝している。
とはいえ、この問題にはいずれ自身で決着をつけなければならないとも、ノイアンは考えていた。
王国貴族であるカペルに婿入りするとなれば、遅かれ早かれラグラス領主やエニード卿の耳に入ることは避けられないし、それを承知でシルヴィアとの将来を選んだのだから。
「さて、どうやってイスタルに会うか……だな」
エニード家へ直接向かうことはできないため、どこかで偶然を装って再会するしかないだろう。
そう考えつつも、ノイアンはまず最初にラグラスの一画にひっそりと佇む、小さな慰霊碑を訪れていた。
領主によって虐殺されたエル=バ一族を慕う者たちが、魂を慰めるために、当時の悲劇を忘れぬために、立てたという碑。
その前でノイアンは、顔も知らぬ母や一族の者たちに、少しだけ想いを馳せる。
彼女たちに抱く感情に、郷愁のようなものはないけれど。
血を受け継いだ自分が生きているということが、慰めになればいい――
そんな祈りを、人知れず抱いて。
「――ノイアン?」
聞き覚えのある声に反射的に振り向くと、そこには探していた人物の驚いた顔があった。
「イスタルか。どうしてここに……」
ノイアンが言い終わるより早く、駆け寄って来たイスタル=エニードはほっとしたように笑みを浮かべた。
「よかったよ、君を探していたんだ」
「俺を……?」
まさか向こうの方も、自分を探していたとは。あまりの偶然に驚く彼にイスタルは、注意深く辺りを見渡しながら声を低くした。
「なるべく人目につかないところで、君と話をしたいと思っていたんだけどね。ここで再会できたのも、神の思し召しかな」
「あまり穏やかな話じゃなさそうだな」
小さく頷いた異母兄はいつもは柔らかな表情を、すっと引き締めた。
「ノイアン、君の力を貸して欲しい」
話によると、イスタルの叔父でありラグラス領主の実弟フィリベルが、領主の悪政の証拠を掴んだという。
「叔父は近々、当主の統治能力の欠如と、領主交代を中央に具申すると言っている」
「……そうなれば、エニード家もただでは済まないな」
ノイアンの言葉に、イスタルは静かに首肯した。
彼らの父は領主への忠義に篤い。事が起きれば連座となる可能性があるのは、火を見るより明らかだ。
「イスタルはこれからどうするつもりだ?」
「僕は妹と一緒に、叔父上の庇護下に入るつもりだ」
その一言で、ノイアンは大体のことを理解した。父であるエレクとイスタルの不仲は街中に知られており、エニード卿の不興を買うことを恐れて彼を冷遇する者も少なくないと聞く。
つまり現状のラグラスでイスタル兄妹の力となってくれる存在は乏しく、それゆえに自分を探していたのだと。
「それで、俺に何を頼みたいんだ」
「妹を邸から連れ出す日、僕たちの護衛を任せたい」
そう言ってから、イスタルは苦渋の表情を浮かべた。
「君の母君に父がしたことを思えば、虫のいいことを言っているのは分かっている。情けない話だけど、頼る先が他にないんだ」
頭を下げるイスタルの瞳には、焦燥と不安の中に悔しさが滲んでいるのが分かった。
彼の身体の状態は聞き及んでいる。大事な物をこの手で守れないもどかしさは、ノイアンにも覚えがある。
きっとこの一件が成せば、圧政に苦しむ人たちは救われるのだろう。
しかし罪なき異母兄妹が、命の危機に追いやられるのは見過ごせるわけもなかった。
大事のための犠牲を認めてしまえば、それはエル=バ一族を葬った者たちと変わらないからだ。
「以前会った時に言っただろう? 何かあれば頼ってくれと」
顔を上げたイスタルに、はっきりと頷いてみせ。
「“兄”が困っている以上、断る理由はないな」
「……すまない。恩に着るよ」
再び頭を下げようとする彼を制止し、あえて笑みを浮かべた。
「報酬はそうだな、『叔父上』と話をさせてくれ」
「叔父上と……? それはもちろん構わないが、何か困りごとでもあるのかい」
ラグラスへ来た目的を話して聞かせると、イスタルはまるで自分のことのように喜んだ。
「以前君と一緒にいた冒険者の女性だろう? ノイアンに将来を誓い合った相手ができたなんて、本当に嬉しいよ。そういう話なら僕も全面的に協力させてほしい」
「助かる。とはいえまずは、依頼を成功させるのが先だ。すぐにシルヴィアと連絡を取って、態勢を整えてくる」
「ありがとう。諸々の事が済んだら、二人の結婚を祝福させてもらうよ」
気が早いなと笑うノイアンに、イスタルは当然だといった様子で微笑んだ。
「”弟”の結婚を喜ばないわけないだろう?」
即日ラグラスを発ったノイアンは、シルヴィアに事の次第を話し、異母兄の護衛依頼を引き受ける旨を告げた。
「もちろん、私も最大限力になるつもりだ」
こういう時、共に冒険者として並び立ってきた彼女は頼もしく、何の躊躇もなく背中を預け合える。
早速護衛計画を立ち上げるシルヴィアを感慨深く見つめていると、気づいた彼女が小首を傾げた。
「どうかしたかい?」
「いや。俺の未来の妻は、さすがだと感心していたところだ」
「えっ!?」
顔を赤くする彼女につい笑みを漏らしてから、互いに頷き合う。
胸に抱くのはいつだって、困難に陥った人々を救う決意と覚悟。
「この依頼、必ず成功させる」
ラグラスの分岐点となるであろう、”その時”が訪れようとしていた――
●ある青年の回顧録
幼い頃から、父のことが嫌いだった。
大好きな母に冷たくあたり、僕や妹のことを”道具”としか見ていない目を見るたびに、この男の血を引いている自分に嫌気がさしていた。
僕が戦場で肺を傷め、武人として使い物にならなくなったとき、父の顔に浮かんだ侮蔑の色は今でも忘れない。
”この役立たずが”
言葉には出さずとも、父が思っていることなど手に取るように分かる。
母が亡くなったときだって、そうだ。
言葉では「妻を喪った悲しみ」を口にしながら、その顔にはなんの悲嘆も浮かんではいなかった。
冷遇していた厄介者がいなくなり、せいせいしたとでも思っていたのだろう。
それでも父には父なりの信念があり、武人としての誇りを持っているはずだ。
愚かな僕はそう、信じてもいた。
理解はできずとも全てを否定するほど、僕には背負っているものがない。
だからエニード家の次期当主として、恥ずかしくない生き方をすることで、いつか父と分かり合える時が来ることを、少しだけ期待してしまっていた。
あの日記を見るまでは。
父がエル=バ一族を裏切り、”同胞”を虐殺し、愛をかわした少女さえも手にかけたと知ったとき、僕の中で大切な何かが壊れてしまった。
これほど酷いことを父がやったことで、今の地位があるのだという事実。
そして自分も、その恩恵にぬくぬくと浸っていたという事実は、耐えがたい苦痛を僕に与えた。
一体僕は今まで、何を見てきたのだろう。
何を信じてきたのだろう。
あまりに、惨く。
あまりに、愚かで。
あの日、僕は衝動的に死を選ぼうとして、すんでのところで踏みとどまった。
ふと、思い出したことがあったからだ。
父の日記に書かれていた、少女との間に生まれた子供のこと。
顔すら知らぬ異母弟は、今どこで何をしているのだろう。
子供のその後については、どれだけ調べても情報は出てこなかった。
生きているのか死んでいるのかすらも分からず、僕は途方に暮れた。
けれど彼の存在が、自分が”生きなければならない”理由を教えてくれるような気がしていた。
だから初めて君と会ったとき、僕がどれほど驚き、どれほど恐れ、どれほど幸せを願ったか。
きっと君は、知らないだろう。
あの場で切り捨てられてもおかしくなかった一族の仇を、君はあっさりと受けとめてしまった。
もちろん、内に抱いた葛藤や怒りはあっただろう。
それでも君は僕に対してそんな素振りは一切見せず、感謝の意を見せるどころか「なにかあったら頼ってくれ」とすら言ってくれた。
僕は信じられなかった。
なぜそんなに、冷静でいられるのだろう。
なぜそんなに、優しい言葉をかけられるのだろう。
けれどすぐに、その答えは分かった。
共に旅をする仲間たちと話す君の表情が、すべてを物語っていたからだ。
君は僕が想像するより、ずっと強くて、いい仲間に囲まれていた。
それが僕にはとても嬉しくて――少しだけ羨ましかった。
ノイアン、君に心から愛するひとができたんだね。
君と君の愛するひとの歩む道が、どうか祝福に満ちたものであらんことを。
僕は心から、”弟”の幸せを願っている。
花と芸術の領地は、今日もしなやかに強く、美しい。
その領主が住まうカペルの邸は、いつになくそわそわした空気が流れていた。
現当主であるエクスリオ・カペルの娘であり、ゆくゆくは『蒼玉』を継ぐであろうシルヴィア・A・カペルが、恋人を連れてきたという。
カペルに仕える者たちはみな、若い二人と当主の顔合わせがいかなるものになるのか、期待と少しの不安と緊張が入り混じり、顔に出さずとも固唾をのんで見守っているのだ。
「……さすがに緊張するね」
謁見の間で父であるエクスリオが姿を現すのを待ちながら、シルヴィアは小さく苦笑した。
恋人を紹介する娘の立場としてはもちろんのこと、今日はカペルの後継者としても父と対面することになる。
蒼玉を継ぐ者として、二人の仲を正式に認めてもらえるのか。
父の懐の深さを分かっていはいても、やはり不安がないわけではない。
「大丈夫だ。俺の方が緊張している」
さらっと真顔で告げたエル=バ=ノイアンに、シルヴィアは目を丸くした。
普段の彼がこういうことを口にするのは珍しい。ノイアンの微動だにしない横顔を見て、思わず笑みを漏らす。
「ありがとう。なんだか大丈夫だと思えてきたよ」
彼のさりげない気遣いに、感謝しつつ。
間もなくして姿を見せたエクスリオは、シルヴィアの顔を見て開口一番に問うた。
「紫の薔薇は育ったのか?」
花台に飾られた見事な紫薔薇と、それを見て顔を真っ赤にする娘に笑う。
彼の母であるイザベラが、楽しそうに話していたことがある。
”もし薄紫色の薔薇を咲かせられた暁には、シルヴィアに贈らせてほしい”
真っすぐな目で、そう許しを請うた青年のことを。
その時はまだ二人の仲は同期というだけだったが、あれから二年の時を経て、互いの想いと誓いは成ったのだろう。
美しく咲いた紫の花弁を、娘の瞳が愛おしそうに見つめ。
「ノイアンの紫薔薇は『カペル植物研究所』に協力を仰ぎ、研究を重ね品種改良しました」
シルヴィアの説明にエクスリオは頷くと、ノイアンを見やった。
「どこまで進んでいるか教えてもらえるかな」
「はい。先日、基準となる苗の作出まで進みました。固有品種としての固定まであと少しです」
なるほど。偶然の産物ではなく、再現性を持たせたのであれば、この美しい紫はいずれ恒久的な存在と成り得るのだろう。
目の前で誇らしげに咲く薔薇を見て、エクスリオは純粋に嬉しく思う。
愛する者に愛されるのは、これ以上ない喜びだ。
自らも政略結婚でありながら、婚約者であった頃の妻を口説き落とし愛情を得ただけに、目前の二人が心から愛し合っているさまは、父親として喜び以外何者でもない。
ただ蒼玉候としての責任が、二人の婚約を手放しで認めるわけにはいかないのも事実で――
「これだけで十分だとは思っていません」
自ら切り出したノイアンを、エクスリオは興味深く見つめた。
貴族において身分差のある婚姻がいかに難しいか、彼自身もよく分かっているはず。
それだけにこの青年が何を口にするのか、主張するのか。あえて見守ってみたいと思った。
「シルヴィアは俺に言いました。『私を選ぶということは、カペルと運命を共にするということだ』と」
ノイアンの脳裏には、あの日の光景が思い起こされていた。
白雪が舞う、小さな聖堂前。
冬薔薇に降り積もる雪と、静寂が、痛いほどに美しかった。
――私はこの地と、この地に住む人々を愛している。
そう語った彼女の瞳は、蒼玉を継ぐ者としての矜持と、それでもなおノイアンの愛を諦めたくない、ひとりの人間としての本音が同居していた。
「彼女らしいと思いました。いかなる時でも個より公を、己より他者を。そう考え実行できる彼女に、俺は惹かれたのですから」
こちらを見つめるシルヴィアをちらりと見返し、微笑をにじませる。
「ですが――いや、だからこそ俺は言いました。俺が共にしたいのは、シルヴィアの運命だと」
いつ如何なる時も、この命尽きるまで彼女の傍に。
そう誓い、彼女も受け入れ、共に未来を目指す覚悟を決めたからこそ。
「その気持ちは今も変わりません。俺はカペルの地と民を愛し、カペルのために尽くそうとするシルヴィアを愛し、生涯を共にすると誓いました。ですがそれらを果たすためには、現実的な問題があるのもまた、理解しているつもりです」
深青の瞳が静かに、けれどその奥の熱を隠さずに、蒼玉候を捉えた。
「俺もシルヴィアも自分たちの立場や想いだけを押し付けるつもりはありませんし、求められる術があれば尽力するつもりです。これらを踏まえた上で、閣下のお考えをお聞かせ願えますか」
聞き終えたエクスリオは、鷹揚に笑みを浮かべた。
「成程、シルヴィアが選んだだけのことはある」
各々の立場に理解を示し、それでもなお、個としてのシルヴィアと運命を共にすると彼は宣言した。
それほどに娘を愛する覚悟を見せられたとなれば、ここから先は自分が試されているようなものだ。
「せっかくの機会だ。私の考えも話しておこう」
エクスリオは緊張の面持ちを浮かべる二人を見やり、穏やかに、けれど明確な口調で告げた。
「まず言っておきたいのだが、私は二人の仲を反対するもりはない。ノイアン君の話を聞いて、改めて確信した。娘を持つ父親としても、未来の王国の有りようを見据えた領主としても、君たちの愛を祝福したい」
「お父様……」
こちらを見つめる”後継者”へ、蒼玉候は微笑みかける。
「女侯爵自体、今の王国では稀有だろう? 更に稀有を重ねるのも面白い。王国の新たな風となるかもしれないな」
この数年で王国は大きな変革期を迎えている。この波が治まることはなく、いずれ歴史の転換点として後世に語られることになるのだろう。
なればこそ、二人の婚姻はその先ぶれとして新しい時代の光となるだろう――そう、エクスリオは確信している。
「とはいえだ。ノイアン君の言う通り、現状二人が結婚するためには周囲を納得させる準備が必要なのも事実だ。王国の伝統にも配慮しなければ、反発は免れないだろう」
「はい。それは私も重々承知しています」
娘の返答に頷くと、エクスリオはノイアンを見やった。
「申し訳ないが、『青薔薇』に君の素性を調べさせてもらった。君のご両親は共に王国名士の家系・唯人の家系だと判明しているため、保守派の反対は抑えられると考えている」
小さく頷くノイアンに、素性調査をされたことへの不信や不満の色は見えない。それくらい折込済みということなのなろう。
「その上での提案になるのだが。私はノイアン君に、貴族の養子となった上でカペルに婿入りしてもらいたいと考えている」
現実的な問題を解決する手立てとして、エクスリオが出した結論。
おそらく似た結論を出していたのだろう。ノイアンはさして驚く様子もなく、その静かな目でエクスリオに向き合った。
「体裁を整える必要があるのは理解していますし、その心づもりもできています。ですが、一族の尊厳を踏み躙るような扱いは許容できないことは、先にお断りしておきたく思います。閣下も、そのような選択をした者を愛娘のそばに置いてはおけないでしょう?」
「無論、ノイアン君の意向を無視した養子縁組を強いるつもりはない。双方納得の上で縁を結べる先を、我々も当たってみるつもりだがね。もし君の方でも心当たりがあれば、報せてほしい。これでどうかな?」
「……異論はありません。お心遣い、感謝いたします」
”双方納得の上で”という言葉の外に込めた意味を、ノイアンは理解したようだった。
彼の複雑な生い立ちと、生家との確執は青薔薇から報告を受けている。
「こちらでも縁組先を当たってみたいと考えていますので、少しお時間をいただければと」
「構わないよ。シルヴィアもそれでいいね?」
「はい。お父様」
エクスリオは頷くと、どこか芝居じみた振る舞いで手を叩いた。
「では堅苦しい話はここまでだ。今日は泊っていくのだろう? ゆっくりしていくといい。ディナーは料理人たちにが腕を振るうそうだから、楽しみにしていてくれ」
蒼玉候のくだけた調子に、二人の表情がほっとやわらぐのがわかった。
ついでに近くで聞き耳を立てている、カペルを愛する者たちの表情も。
■
その日の宵。
シルヴィアたちとの楽しいディナーを終え、エクスリオは酔い覚ましを兼ねバルコニーで夜風に当たっていた。
頬を撫でるそよ風に、甘く高貴な香りがまじる。年間を通して薔薇に包まれるカペルならではだ。
人の気配を感じ振り向くと、ほんの少し頬を上気させた娘の姿。
「今夜の酒は一段と美味かったな、シルヴィア」
笑いながら声をかけると、彼女は頷きながらエクスリオの隣に立ち、薔薇の香りを楽しむように、小さく深呼吸した。
父によく似た横顔が、いつの間にか自分の知らない表情を見せるようになったことを、一抹の寂しさと共に誇らしく思う。
「お父様、今日はありがとうございました」
「礼には及ばない。娘が幸せになるのを喜ばない父親などいないからね」
「お母様も喜んでくれているでしょうか」
「心配はするだろうがね。シルヴィアが選んだのならと、考えているはずだ」
バルコニーに並んだ二人は、今だけは当主と後継者ではなく、ただの父娘に戻っていた。
互いに口に出さずとも、そうあろうとする空気が分かってしまう。
「――私、彼の想いを受け入れると決めた時、誓ったの」
エクスリオが隣を見やった先で、シルヴィアは”娘”の顔で微笑んでいた。
後ろをついて歩いていた、幼い頃の姿が脳裏をよぎる。
「ただの私を選んでくれた彼の傍で、強くなるって」
己の意志で選び描いた未来を、愛する人と地を、どんなことがあっても守り抜いてみせるために――と。
「ああ。ここ最近のお前は、見違えるほどに強くなった」
「……本当?」
「お父様と泣いていた頃が嘘のようだ」
それを聞いたシルヴィアは、いつの話をしてるのだと顔を赤くする。
拗ねる娘に笑いながら、冗談だと言いやって。
「蒼玉を継ぐ者としてもそうだが、一人の人間としても大きく成長したと思っているよ」
そう告げた先で、娘はほんの少し驚いたように目を見開いてから、嬉しそうにはにかんだ。
「……そんな風に思ってくれていたの、知らなかった」
父と娘は、普段多くの言葉を交わすわけではないけれど。
日に日にしなやかな強さを身に着けていく娘に、驚かされることもしょっちゅうだ。
「まあ少し無理し過ぎてはいないか、心配がないといえば嘘になるがね」
「それはお父様も同じです。私たちに何も言わず、すぐに無理をするから……」
カペル因縁の吸血鬼のことでもそうだ。大事なことを言わないのは、父の悪い癖だとシルヴィアは訴える。
「まあそれについては、私も改めるべき点はあるかな」
そう苦笑しながら、エクスリオはゆっくりと空を仰ぎ見た。
あと何度、娘とこうして夜空を見上げることができるだろうか。
「ノイアン君は信用に値する男だと、思っているよ」
こちらを振り向く気配に、父は改めて娘と向き合った。
「幸せなのだろう? シルヴィア」
「――はい。とても」
迷いの無い返答に、微笑みながらうなずく。
「それだけ聞ければ十分だ」
娘を見送ったエクスリオは、バルコニーでもうしばし今宵の余韻に浸りながら、今後について考えをめぐらせていた。
立場上致し方ないとはいえ、娘の恋人に『貴族の養子になれ』と伝えるのは、気持ちが進むものではなかった。
彼自身、吸血鬼ノアの件もあり「父と思えない人を父と呼ぶ」事には抵抗がある。
それだけに表には出さないのの、ノイアンに対して同情する気持ちが少なくないのが本音だった。
彼が『一族の尊厳を踏み躙るような扱いは許容できない』とけん制したことも、当然の感情だと理解しているがゆえに。
『双方が納得する縁組先を』と告げたのは、エル=バ一族の仇であるエニード卿には頼らなくて良いと言外に伝えるためでもあったのだが――
人の価値とは何なのだろう、とエクスリオは時々思う。
貴族は平民の上にあるべき存在。命の価値も身分に準ずる。
王国に住む者の多くが、そう考えているだろう。
だがそれは、唯一無二の絶対的な真理と言えるだろうか。
否、とエクスリオは思う。
人の価値を決めたのは人であり、それは時代と共に変容していく不確かなもの。
貴族という存在自体、この先どうなっていくかは分からないし、それでいいとも思っている。
己が愛した者や地がより良き方向へ導かれていく先こそが、自分にとって価値あるものだからだ。
若い二人の歩む道は、祝福に満ちたものでなくてはならない。
今の自分にできることは、出来得る限り禍の種をのぞいてやることだろう。
零れ落ちそうな満天星を眺めながら、エクスリオはこれからのことについて、青写真を描いていく。
養子縁組が成立し、無事婚約が叶った際には、『青薔薇』に依頼して二人の領内での好感度を上げるつもりでいる。
謁見の際にはあえて口にしなかったが、カペル因縁の吸血鬼を倒したという実績もノイアンの利になるのではないか。
身分差を越えた恋物語は、芸術の題材としても好まれるだろう――
夜空に描かれた『計画』をなぞりながら、エクスリオはどこか愉快そうに眺めた。
「まったく、いい夜だ」
■
父との話を終えたシルヴィアは、ノイアンの元を訪れていた。
「お疲れさま。さすがに疲れただろう?」
「大丈夫だ。……まあ、いつもとは違うところで気を張ったせいか、肩は凝ったが」
そう言って軽く肩を回す彼に思わず笑みを漏らしていると、こちらを窺う気配。
「……なんだい?」
「シルヴィアこそ疲れただろう。平気か?」
「ああ、大丈夫だよ。それよりも嬉しくてね」
父が二人の仲を認めてくれただけでなく、喜んでいくれたこと。
きっと父ならばと思ってはいても、やはり本人の口から聞くまでは不安が拭えなかったのも事実で。
「カペルに仕えている者たちも、概ね祝福してくれていると聞いている。改めて、私は恵まれていると思っていたところだよ」
「まあ、まだ越えなければならない壁は多いが……。シルヴィアが邸の人間たちに愛されているのは、よくわかった」
「えっ……どういうことだろうか」
聞けばシルヴィアがエクスリオと話している間、彼は一部のメイドから質問攻めにあっていたらしい。
「シルヴィアお嬢様がどんなに素晴らしいか、力説されたりもしたな」
「す、すまない。皆にはよく言って聞かせておくよ」
顔を赤くする彼女に、ノイアンはおかしそうに微笑んだ。
「いや。悪い気はしなかった」
次期当主が得体の知れない男を連れてきたとなれば、邸の者たちが不安がるのは当然だ。
遠巻きにされ、不信な目を向けられるのが関の山だろうとおもっていただけに、想定外の反応ではあったものの。
ノイアンはむしろ嬉しくさえあった。少なくとも、ごろつきだった頃の自分にはあり得ないことだ。
「まあそういうわけで、一日も早く閣下の出した条件を成せるよう、思案していたところだ」
それを聞いたシルヴィアはありがとうと頷いて。
「お父様が言っていた養子縁組先について、心当たりはあるのかい?」
「『平民を受け入れる寛容な家門』の候補は、随分と絞られるだろうが……異母兄に、心当たりがないか聞いてみようと思う」
「イスタル殿か。確かに彼ならば、力になってくれるかもしれないね」
ラグラスの収穫祭で、彼と初めて会った時のことをシルヴィアは思い出していた。
ノイアンの出生の秘密を語ってくれた彼の目は、哀しみに満ちていて。
エニード卿とはまったく違う人物であることは、ひと目見て理解した。
「じゃあ、故郷に帰るんだね」
ほんの少し心配をにじませるシルヴィアの頭を、ノイアンはぽんとやる。
「大丈夫だ。エニード卿には勘づかれないよう、上手くやるつもりだ」
「私も行きたいところなんだが……父の領内視察に同行することになっていてね」
「お前はここでの役目を務めてくれ。その方が領民にとっても良いだろう」
そうだねと頷くシルヴィアの手を握り、ノイアンは穏やかに告げた。
「シルヴィア、今日はありがとう」
「礼を言うのは私の方だよ。分かっていたこととはいえ、君には色々と負担をかけてしまうのだから……」
「負担じゃない。これは俺たちが選んだ”道のり”だ。平坦ばかりは柄じゃないだろ?」
そう言ってにやりと笑むノイアンの手を、シルヴィアはそっと握り返した。
わずかに抱いた不安や恐れも、彼が微笑うだけで、大丈夫だと思えてしまう。
この手を取ってよかったと、何があろうとも離さないと、改めて心に誓う。
「……それにしても、シルヴィアが泣き虫だったなんて知らなかったな」
「えっ?」
「小さい頃は”お父様”にべったりで、それは可愛らしかったと古株メイドが言っていた。口癖は確か……”おとうさま、おしごととシルヴィアどちらが大切」
「ままま待ってくれ! それはもうとっくに過ぎた黒歴史だから!」
穴があったら今すぐ埋まりたい。
目を白黒させるシルヴィアにノイアンは笑いをこらえながら、しれっと呟く。
「まあ少しだけ、閣下に嫉妬したな」
「~~~っ! もう本当に君は……」
「今のシルヴィアなら絶対に言わないだろう?」
そう言って彼は指を伸ばすと、彼女の白銀の髪をそっと耳にかける。
「たまにはわがままを言ってくれ。俺が嬉しいから」
シルヴィアはしばらく顔を赤くしたまま黙り込んでいたが、やがておそるおそるノイアンを見上げた。
「……じゃあ今、言っていいかい?」
「もちろんだ」
「いつか、君の子どもの頃の話を聞かせて欲しい。どんな暮らしをして、何を見て、何を感じて来てたのか……知りたいんだ」
「分かった。約束する」
「あと……」
「あと?」
シルヴィアはもごもごと口ごもったあと、意を決したように切り出した。
「もふきゅん★らんどに一緒に行ってほしい」
「もふきゅん★らんど」
「そう、もふきゅん★らんど」
しばしの沈黙が流れた。
ノイアンは明後日の方向に視線が泳いでいたが、はっと我に返り微笑んでせる。
「もちろん、楽しみだ」
一体どういう場所なんだ、もふきゅん★らんど――
●そして、栄耀の都市へ
リーンエス王国西部の都市、ラグラス。
『栄耀の都市』と呼ばれるこの地を訪れるのは、何度目だろうか。
ノイアンは都市のシンボルたる大聖堂を眺めながら、この地で起きた数々のことを思い起こしていた。
消えた孤児の行方を追ったのが、二度目訪問だった。
その後司教の闇を暴き、この都市の歪さを知るうちに、圧政に苦しむ者たちの多さを知った。
収穫祭で邂逅した異母兄と、語られた出自の真実。
そして、一族の遺産を取り戻した日――
ひと言では語り切れないほどに、この地に抱く感情は様々だ。
そんな彼の事情を汲み取り、距離の取り方を任せてくれた蒼玉候には、内心で感謝している。
とはいえ、この問題にはいずれ自身で決着をつけなければならないとも、ノイアンは考えていた。
王国貴族であるカペルに婿入りするとなれば、遅かれ早かれラグラス領主やエニード卿の耳に入ることは避けられないし、それを承知でシルヴィアとの将来を選んだのだから。
「さて、どうやってイスタルに会うか……だな」
エニード家へ直接向かうことはできないため、どこかで偶然を装って再会するしかないだろう。
そう考えつつも、ノイアンはまず最初にラグラスの一画にひっそりと佇む、小さな慰霊碑を訪れていた。
領主によって虐殺されたエル=バ一族を慕う者たちが、魂を慰めるために、当時の悲劇を忘れぬために、立てたという碑。
その前でノイアンは、顔も知らぬ母や一族の者たちに、少しだけ想いを馳せる。
彼女たちに抱く感情に、郷愁のようなものはないけれど。
血を受け継いだ自分が生きているということが、慰めになればいい――
そんな祈りを、人知れず抱いて。
「――ノイアン?」
聞き覚えのある声に反射的に振り向くと、そこには探していた人物の驚いた顔があった。
「イスタルか。どうしてここに……」
ノイアンが言い終わるより早く、駆け寄って来たイスタル=エニードはほっとしたように笑みを浮かべた。
「よかったよ、君を探していたんだ」
「俺を……?」
まさか向こうの方も、自分を探していたとは。あまりの偶然に驚く彼にイスタルは、注意深く辺りを見渡しながら声を低くした。
「なるべく人目につかないところで、君と話をしたいと思っていたんだけどね。ここで再会できたのも、神の思し召しかな」
「あまり穏やかな話じゃなさそうだな」
小さく頷いた異母兄はいつもは柔らかな表情を、すっと引き締めた。
「ノイアン、君の力を貸して欲しい」
話によると、イスタルの叔父でありラグラス領主の実弟フィリベルが、領主の悪政の証拠を掴んだという。
「叔父は近々、当主の統治能力の欠如と、領主交代を中央に具申すると言っている」
「……そうなれば、エニード家もただでは済まないな」
ノイアンの言葉に、イスタルは静かに首肯した。
彼らの父は領主への忠義に篤い。事が起きれば連座となる可能性があるのは、火を見るより明らかだ。
「イスタルはこれからどうするつもりだ?」
「僕は妹と一緒に、叔父上の庇護下に入るつもりだ」
その一言で、ノイアンは大体のことを理解した。父であるエレクとイスタルの不仲は街中に知られており、エニード卿の不興を買うことを恐れて彼を冷遇する者も少なくないと聞く。
つまり現状のラグラスでイスタル兄妹の力となってくれる存在は乏しく、それゆえに自分を探していたのだと。
「それで、俺に何を頼みたいんだ」
「妹を邸から連れ出す日、僕たちの護衛を任せたい」
そう言ってから、イスタルは苦渋の表情を浮かべた。
「君の母君に父がしたことを思えば、虫のいいことを言っているのは分かっている。情けない話だけど、頼る先が他にないんだ」
頭を下げるイスタルの瞳には、焦燥と不安の中に悔しさが滲んでいるのが分かった。
彼の身体の状態は聞き及んでいる。大事な物をこの手で守れないもどかしさは、ノイアンにも覚えがある。
きっとこの一件が成せば、圧政に苦しむ人たちは救われるのだろう。
しかし罪なき異母兄妹が、命の危機に追いやられるのは見過ごせるわけもなかった。
大事のための犠牲を認めてしまえば、それはエル=バ一族を葬った者たちと変わらないからだ。
「以前会った時に言っただろう? 何かあれば頼ってくれと」
顔を上げたイスタルに、はっきりと頷いてみせ。
「“兄”が困っている以上、断る理由はないな」
「……すまない。恩に着るよ」
再び頭を下げようとする彼を制止し、あえて笑みを浮かべた。
「報酬はそうだな、『叔父上』と話をさせてくれ」
「叔父上と……? それはもちろん構わないが、何か困りごとでもあるのかい」
ラグラスへ来た目的を話して聞かせると、イスタルはまるで自分のことのように喜んだ。
「以前君と一緒にいた冒険者の女性だろう? ノイアンに将来を誓い合った相手ができたなんて、本当に嬉しいよ。そういう話なら僕も全面的に協力させてほしい」
「助かる。とはいえまずは、依頼を成功させるのが先だ。すぐにシルヴィアと連絡を取って、態勢を整えてくる」
「ありがとう。諸々の事が済んだら、二人の結婚を祝福させてもらうよ」
気が早いなと笑うノイアンに、イスタルは当然だといった様子で微笑んだ。
「”弟”の結婚を喜ばないわけないだろう?」
即日ラグラスを発ったノイアンは、シルヴィアに事の次第を話し、異母兄の護衛依頼を引き受ける旨を告げた。
「もちろん、私も最大限力になるつもりだ」
こういう時、共に冒険者として並び立ってきた彼女は頼もしく、何の躊躇もなく背中を預け合える。
早速護衛計画を立ち上げるシルヴィアを感慨深く見つめていると、気づいた彼女が小首を傾げた。
「どうかしたかい?」
「いや。俺の未来の妻は、さすがだと感心していたところだ」
「えっ!?」
顔を赤くする彼女につい笑みを漏らしてから、互いに頷き合う。
胸に抱くのはいつだって、困難に陥った人々を救う決意と覚悟。
「この依頼、必ず成功させる」
ラグラスの分岐点となるであろう、”その時”が訪れようとしていた――
●ある青年の回顧録
幼い頃から、父のことが嫌いだった。
大好きな母に冷たくあたり、僕や妹のことを”道具”としか見ていない目を見るたびに、この男の血を引いている自分に嫌気がさしていた。
僕が戦場で肺を傷め、武人として使い物にならなくなったとき、父の顔に浮かんだ侮蔑の色は今でも忘れない。
”この役立たずが”
言葉には出さずとも、父が思っていることなど手に取るように分かる。
母が亡くなったときだって、そうだ。
言葉では「妻を喪った悲しみ」を口にしながら、その顔にはなんの悲嘆も浮かんではいなかった。
冷遇していた厄介者がいなくなり、せいせいしたとでも思っていたのだろう。
それでも父には父なりの信念があり、武人としての誇りを持っているはずだ。
愚かな僕はそう、信じてもいた。
理解はできずとも全てを否定するほど、僕には背負っているものがない。
だからエニード家の次期当主として、恥ずかしくない生き方をすることで、いつか父と分かり合える時が来ることを、少しだけ期待してしまっていた。
あの日記を見るまでは。
父がエル=バ一族を裏切り、”同胞”を虐殺し、愛をかわした少女さえも手にかけたと知ったとき、僕の中で大切な何かが壊れてしまった。
これほど酷いことを父がやったことで、今の地位があるのだという事実。
そして自分も、その恩恵にぬくぬくと浸っていたという事実は、耐えがたい苦痛を僕に与えた。
一体僕は今まで、何を見てきたのだろう。
何を信じてきたのだろう。
あまりに、惨く。
あまりに、愚かで。
あの日、僕は衝動的に死を選ぼうとして、すんでのところで踏みとどまった。
ふと、思い出したことがあったからだ。
父の日記に書かれていた、少女との間に生まれた子供のこと。
顔すら知らぬ異母弟は、今どこで何をしているのだろう。
子供のその後については、どれだけ調べても情報は出てこなかった。
生きているのか死んでいるのかすらも分からず、僕は途方に暮れた。
けれど彼の存在が、自分が”生きなければならない”理由を教えてくれるような気がしていた。
だから初めて君と会ったとき、僕がどれほど驚き、どれほど恐れ、どれほど幸せを願ったか。
きっと君は、知らないだろう。
あの場で切り捨てられてもおかしくなかった一族の仇を、君はあっさりと受けとめてしまった。
もちろん、内に抱いた葛藤や怒りはあっただろう。
それでも君は僕に対してそんな素振りは一切見せず、感謝の意を見せるどころか「なにかあったら頼ってくれ」とすら言ってくれた。
僕は信じられなかった。
なぜそんなに、冷静でいられるのだろう。
なぜそんなに、優しい言葉をかけられるのだろう。
けれどすぐに、その答えは分かった。
共に旅をする仲間たちと話す君の表情が、すべてを物語っていたからだ。
君は僕が想像するより、ずっと強くて、いい仲間に囲まれていた。
それが僕にはとても嬉しくて――少しだけ羨ましかった。
ノイアン、君に心から愛するひとができたんだね。
君と君の愛するひとの歩む道が、どうか祝福に満ちたものであらんことを。
僕は心から、”弟”の幸せを願っている。
assignment【DA】史実ノベル 関連特設ページ
メアリー王女が冒険者達の協力を得て稼働させた「王家の耳」。メアリーは無作為に集まってくる情報を、余人に及びもつかぬ閃きを持って分析しながら、今日も世界の動きへ耳を傾けている。
集まった情報の中には、世界の情勢に影響はないかもしれないが興味深い個人の記録があるかもしれない。