【DA】リーンエスの耳

ヴィルヘルミナ/ オルファレナ・アルヴァ・クラティアス
ガレス・コーニッシュ

『ノベルタイトル:2人から始める前奏曲』弓月 蒼
●白く輝く季節の中で

 その疑問は兼ねてから胸に抱いていた物であり、庶民目線では当たり前の物。
 けれど。伝えられた側はまるで何を言われたのか良く分かっていない体で、あっさりと首を傾げた。

「これからも一緒に居る為には、私はどうしたら良いのでしょう」

「? 何もしなくても、私はヴィルと一緒にずぅっと居る心算よ?」

『王国』、パンクリアース学園内。王党派のサロンの一つ。
 本来貴族以外が踏み入る事など赦されないだろう一室は、今現在一人の女生徒に貸し切られている。

 王党派盟主『白薔薇』傍流。『白銀』侯爵家の姫、『白銀の薔薇』ことオルファレナに、である。
 そんな彼女と肩が触れる程の距離に座る『烈光』ヴィルヘルミナは窓の外へ視線を向ける。

 現在。彼女は『学園』におけるオルファレナの親友として貴族らに広く知られていた。
 別に何故という事もない。当の『白銀の薔薇』が先陣を切って、その事実を喧伝したからだ。

 彼女の行動は素早く、確実であり、かつ全く手段を選ぶ気配が見られなかった。
『集権派』盟主ウィリアム第二王子の婚約者。兼、『王党派』盟主『白薔薇公』の血統。

 その立場を傘に着る事こそ無いものの、周囲がそんな自分をどんな目見るか。
 十全に理解した上で“ある程度の我儘”を通すことを憶えた次期公爵夫人の発言力は、絶大と言える。

(……まあ、それも一面的には事実ではあるのでしょう)

 彼女が“自分にとって大切な人”だと告げれば、多くの学園生はそういう物として配慮した。
 それは『学園』という閉鎖空間だけに限らない。広く貴族社会全体を見回してみても、多分“そう”だ。

 血筋、立場、家格、声望、個を覆う程に、その身辺には幾多の利害関係が複雑に渦を巻いている。
 これを一切無視出来る立場の貴族などそうは居ない。況や、同格以下の身分であれば尚更に。

 今後『集権派』が権勢を増すに従い、彼女が自らの義務を見誤らない限り兆候はより強まるだろう。
 ヴィルヘルミナからすれば周囲の極端な態度の変化に、今ですら思わず人間不信を患いそうだ。

「そう言えば、オルファは匠王への挑戦についてはどう思われますか?」

「? ??? ……それって、確かドワーフの王様よね? なるの?」

 極々当たり前の会話の延長線上で、王になる、ならない。と言った内容が零れ出ること。
 それ自体が、彼我の生きて来た世界の格差を感じさせる。『王国』貴族社会の、それも最高峰。

『白銀』の姫にとっては、それは“全く有り得ない話”ではなく。
 或いは、その頂きを目指し続けて来たヴィルヘルミナにすらまるで現実感がない内容であろうと。

 少なくとも。彼女はそれを笑い話の一環ではなく。“そうなる可能性”のある現実と捉えている。
 そういった「格」の世界が眼前に存在すると言うのは、なかなかこれまで考えられなかった事だ。

「いえ、今のところ予定は有りませんが。個人的目標でもありまして」

「だったら勿論応援するわ。あ、でも実際に王様になったら離れ離れになっちゃう……のかしら?」

 澄んだ紺青の瞳がヴィルヘルミナを見上げる。最近、オルファレナが時折する眼差しだ。
 不純物が一切無いその瞳で見詰められると、意味不明の罪悪感に苛まれる。

 特別、情に厚い方ではない。無感動でこそ無いものの、ヴィルヘルミナの自認において。
 他人を自分より重く置くことはまず無い。そう思ってきた。それが当たり前だった。

 酷薄とまでは言わないが、関心が。執着が無かった。以前までなら。
 けれど、彼女の瞳に映る自分と向き合う時。その願いを無碍にする事には強い抵抗を感じる。

 世に言う箱入りではないにせよ。純粋培養とはこういった人間のことを言うのだろう。
 離れる。と言えば恐らくその瞳が涙で翳る事を思えば。無理に我を徹す事が酷く難しい。

「……オルファには傾国の才能がありますね」

「傾国? ん……良く分からないけれど。王様になったら、ヴィルが私の事を攫ってくれる?」

「流石に王国と全面的に事を構えるのは避けたいかな……と」

 まさか本気ではないだろうが。いみじくも公爵家の寵姫を一国の王が簒奪したなら。
『王国』はその名誉と威信に掛けて牙を剥かざる得まい。考えるだに戯曲の如き展開だ。

 流石に、自分の願いを叶える為に祖国を全面的に巻き込むわけにもいかないと。
 小さく頭を振ってはその、小首を傾げたままの白い姫君を抱き寄せる。

「では研鑽は続けるにせよ。万が一匠王の立場を得ても王位継承は辞退するとしましょうか」

「そんなことして良いの? 私は大丈夫よ、いずれ一緒になれるなら、我慢する……し」

 困ったことだ。と、心底思う。本当に、文字通りに困った話だ。
 以前の自分であれば考えられなかったことだろう。大切な人を放っておけない、何て。

 縁遠い話だとばかり思っていた事が、けれどいざ実現するともう苦笑いしか浮かばない。

「それは私が、我慢したくないようです」

「……うん。だったら、何一つ我慢しないで」

 首に手を回し甘える様に身を寄せる『白銀の薔薇』の姿など、きっと誰も知らない。
 ヴィルヘルミナの学園での最近は――――そんな、誰も知らない時の継ぎ接ぎで出来ていた。

 ■

(……私は贅沢になった)

 それは、オルファレナの自覚であり、自認である。
 かつての彼女は、彼女を大切にしてくれる人が一人でも居れば良かった。

 冒険者に憧れ、憧れた人達に手を引かれ、色々な経験をした。時に泣き、笑い、喜びを分かち合い。
 冒険を経ての育んだ絆は何物にも代えられない宝物で、その気持ちに変わりはない。

 けれど、今の彼女にはそれら全部を対価に支払っても手放したくない。と想う人が居る。
 なんて贅沢な話で、なんて我儘な話だろう。けれど困ったことにそれは心からの本音なのだ。

 恋も、愛も、分からなくとも。その人が特別で、唯一であることだけは――――分かってしまう。

「……と、言う訳なの」

「――――なるほど。俺は一体何を聞かされているのだろう」

『王都』グランスパーダ。貴族御用達の個室喫茶店の一室。

「分かるでしょお兄様! 大切な人が困ってるの。私が頑張って願いを叶えてあげないと」

「残念ながら、ドワーフ王国を動かす事も王国を動かすことも流石に無理ではないかな」

「それは分かってます! でも、ヴィルを公的権力の暴威から護れるのは私だけだもの!」

 一体何がどうなるとこうなるのか。『王都』まで態々呼び出された黒衣の傭兵。
『黒槍の守り人』ガレス・コーニッシュは義妹のあまりの無茶振りに先ず、眉間を抑えた。

「とりあえず。その、オルファの想い人は気にしなくて良い、と言っているのではないかな?」

「そんな事言って、もし優しいヴィルが隠れて心を苛んでいたら誰が責任をとってくれるの?
 駄目。駄目よそんなの、私にも出来る事がきっとある筈……」

「……そうか。だとすると、1つその真偽を確かめる秘策が有る」

 外部に声が漏れない様な秘密喫茶の一室で密談する兄妹、というまさに異様な構図だが。
 つい数ヶ月前まで離れ離れだった2人は、けれど紆余曲折の末独自の距離感に落ち着いたらしい。

 義兄は義兄でまだまだ手回しの必要がある複雑な立場であり。
 出来れば速やかに昨今滞在している地へと舞い戻りたいのが本音である。

 再度の呼び出しを避ける為には義妹の悩みに何らかの解決を示さねばならないと考えた男は。
 一つの謀略を教示した後、速やかに来た道を帰って行くのだった。

 尚。同人物はかつて北方辺境伯領で騎士として在った頃から手段を選ばない事で知られており。
 何だかんだと彼なりに、この義妹のことを大切にしていることは今更語るべくもない。

 ――――一方。ヴィルヘルミナはと言えば。

(超越者……神域に至る、階梯)

 それは、以前とある祝祭で見知った老人より語られた言葉だ。
 いや。あれは恐らく見た目通り。“老人”と語るべきではないのだろう。強いて言うなら、そう。

 あれも“超越者”だ。そして、神に至る一線を前に踏み留まった生き証人と言えよう。
 求道。その果ての極点。正直、惹かれる物が無いと言えば――――きっと、嘘になろう。

 ヴィルヘルミナは自分の気質が何か一つに没頭する事と極めて相性が良い事を知っている。
 一途に、一心に、不乱に。只々高みを目指して進むこと。それに何の抵抗も憶えない。

 それを才能と呼ぶならば、そうなのだろう。或いは、彼の老人はそんな彼女の在り様を見て。
 “いずれ道の果て、神と成り得る器である”と――――見込んだのやもしれない。

 けれど。そう……けれど、だ。
 首元に触れる。出来るだけ身に着けるようにしている白銀の首飾り。

 それは彼女からの返礼品。ヴィルヘルミナにとって、『白銀の薔薇』が“特別”になった日の。
 或いは、その一瞬。一時が無かったなら。今、彼女は既に此処に居なかったかもしれない。

『学園』の廊下を行く生徒たちを眺め、薄い被膜のような隔絶感を感じる様になったのはいつからか。
 帝都奪還遠征が騒がれた頃からだろうか。それより、もっと前からだったかもしれない。

 ただ、今のヴィルヘルミナにとって。“その世界”は何処か現実感がない。
 密度の違い、とでも言うべきか。『幽界樹の仔』らと相対した時はそうではなかった。

 其処には生の実感が有り、打ち抜き研ぎ澄ませた剣の手応えと確かな達成感があった。
 この。戦いと、血と、鉄の無い、微睡むような平和の中には、そう言った熱がない。

(生きることに、飽く程は生きていない筈なのですが)

 漠然と。もしも恐らく件の老人の導きに従ったなら、前へ進める気がした。
 その予感があった。いずれ、人の枠組みを超え。技巧の極みを踏み越え、至るべきその先へ。

 ――――けれど。その“終わり”に惹かれる彼女の袖を、確かに。はっきりと引いた物。
 放っておけばいつまでも、何処までも、上だけを見続けてしまうヴィルヘルミナを。

 “人”に留めた物が――――確かにある事にも。彼女は気付いていた。

「……そう言えば、直接伝えたことはありませんでしたね」

 困ったことに。それもまた、決して代わりの効かない。大切な物、なのだ。

 ■

 昨今事更に思うことだが。奇縁……と言うのは意外と有るものである。
 気分転換にと、街へ繰り出したヴィルヘルミナが遭遇したのは、そんな意外な顔だった。

「……おや」

「? ああ、『黒槍』の……確か――――」

 ガレス・コーニッシュ。或いは……ガレシウス・アルヴァ・クラティアス。
 深く面識がある訳ではないが、あのオルファレナの義兄だ。色々な背景事情が有ると聞く。

 あまり人の家の内情に首を突っ込む性分でないヴィルヘルミナにとっては、顔見知り、でしかないが。
 彼女の家族……と思えば。思う所が全く無いでもない。何せここは『王都』。貴族の街だ。

 乗合馬車の停留所で待つ姿を見るだに、今まさに出ていこうとしていたと見えるが。
 貴族社会では“背信の騎士”として知られる人物だ。あまり好んで滞在したい場所でもないだろう。

「オルファに、また何か?」

「いえ。第二王子の婚約者に、好き好んで警備の厳しいこの街(王都)で何かしら企む。
 などという輩も……流石にそうそう湧いて出るものでもないでしょう」

 お互い、感情が表情に出ない2人が言葉を交わすと過度に淡々と話が進んでしまうが。
 実際問題。先の帝都奪還以降、『メドゥの指先』の活動はそれほど活発ではない。

 恐らく。これまで正体不明とされていた『首領』の存在が明らかとなったこと。
 加えて、大幹部である『右腕』と『左腕』が揃って行方不明になったことが無関係ではあるまい。

 とは言え、元々が“反社会的組織”である以上は、現状はあくまで小康状態。
 何もかも片が付いたと見做すのは、余りに楽観が過ぎると言った様相である事は言うまでも無いが。

「好事魔多し、とは言いますが……帝国の復興が始まっても、平和というのは中々訪れない物ですね」

「それはまあ……そういった物でしょう。人は、正しくばかりも居られませんから」

 そう呟くガレスにも、色々と背負う物があるのだろう。
 その仔細までは分からずとも。人には生まれ持った役割という物がある。

 力と責任が不可分であるように。権利と義務もまた不可分であることを。
 冒険者として、剣士として、力を振るって来たヴィルヘルミナは骨身に沁みて良く理解している。

 それは恐らく。授恵者の中でも“強者”に数えられるだろう、黒衣の傭兵もまた例外ではない。

「ところで、ヴィルヘルミナ殿」

 そんな事を考えていたからだろうか。気付けば次の馬車が駆け込んでくる直前だった。
 勿論明日も学園へ通う予定のヴィルヘルミナに、『王都』郊外への用などはない。

 一歩退こうとした所へ掛かった声に、何かまだ話が有ったろうかと視線が向くも。
 声を掛けた側のガレスはと言えば。黒い面覆(フード)を被って馬車に乗ろうとする所。

 果たして。気の所為だったろうか、と首を傾けたヴィルヘルミナに。
 黒槍を背負い直した傭兵はその仕草の中で一瞬、視線だけ向けてこう続けた。

「どうかオルファレナの事を、頼みます」

 応えの暇もあればこそ。黒衣は大型馬車の奥の方へと姿を消し。
 御者の鞭打ち一つ。乗合馬車は幾人かの乗客と共に、『王都』の中央道を駆け去って行く。

 取り残されたヴィルヘルミナは、なるほど。凡その事を察してその後姿を見送った。
 恐らく。彼が好んではいないだろうこの街に居た理由と、彼女がこうして街を歩いている理由。

 そして、何時もなら朝一番に呼びに来る“彼女”が今日は傍らに居ない理由はきっと、同じだ。

「全く、甘いことですね」

 声に出してはみたものの、全く人の事が言えた口ではないことに。
 ヴィルヘルミナ自身既にして気付いている。何せ、気分転換などと良くも言った物だ。

 先程から。道行く銀の髪の少女を見掛ける度に、足を止めていたのは自分なのだから。
 気付かなった訳ではない。自覚が無かった訳でもない。けれど、それはちょっとした驚きだ。

 いよいよ以て、どうも。想った以上に、彼女の存在は自分の中で大きな物になっているらしいと。
 表情にこそ出ないもののそんな自覚を新たにしながら。学園の休日が過ぎていく。

●死が2人を別つとしても

 ――――週が明けて。パンクリアース学園内、王党派のサロンの一つ。

「オルファレナ、私は貴女のことが好きです」

「……、……。――――っ……、ひぁ」

 義兄から齎された秘策は、文字通り。跡形も見る影も無く見事吹っ飛んでいた。
 事前に考えていた諸々が抜け落ち、激しく動揺し、視線を泳がせ赤面する貴族令嬢が其処に居た。

 耳まで赤くなったその仕草が、もしも演技であったなら正に千金の値する名演と言えようが。
 残念ながら直後に落ちた長い、何か言おうとして声が出ないと思しき沈黙を見るに。

 それはただ驚きだけではない複雑怪奇な感情の煮凝りであり、単純に素の彼女である様だった。

「……あ。すみません、突然に過ぎましたかね」

「ぁ、ちが、あ、ちちがうの! ああううん違わないんだけど、吃驚は、したんだけれど。
 あの、え、あ――――うれ、嬉しいよ? 嬉しいの。嬉しいけど……あ、待って待って待って」

 慌てたオルファレナが腕にしがみついて来るのを見て、思わず笑いが漏れる。
 ヴィルヘルミナは、彼女が貴族として随分と成長して来た事を知っている。

 社交界での振る舞いは元々十分に洗練されていたが、“貴族らしい”振る舞いも板に付いて来た。
 それほど間もなく第二王子に嫁ぐにせよ。聡い娘だ、上手く自らの立ち位置を見定める事だろう。

 けれど。それが彼女の全てではない。彼女は『白銀』だ。美しく、純粋で、混じり気がない。
 その本質は決して“強い”物でなく。幾ら研ぎ澄まされていようとも、“武器”には向かない。

「大丈夫ですよ、何ですか?」

「~~~っ……その、それは……やっぱり、ヴィルは王様に」

「いえ? 未だ言葉で伝えた事は無かったな、と思ったので」

「……でも、私は、私の為に、ヴィルの夢を諦めさせたくなんか無い……よ?」

 彼女もまた、彼女なりに。ヴィルヘルミナの言を重く受け止めていたようで。
 それが分かって、思わず隣に座ったオルファレナを引き寄せる。

 瞳に困惑を滲ませたまま、けれど無抵抗に肩を寄せる。その小さな重みを受けながら。
 なるほど。存外に難しい話ではなかったのだな。と、ヴィルヘルミナは漸くに納得を得ていた。

「私は夢を諦めはしません。ですが、オルファレナを手放す心算もありません」

 その。まるで子供の我儘のような言い分に。向けられた瞳が何度か瞬いた事が分かる。
 普通なら無茶が過ぎる物言いだ。何もかもを欲しても、どれかが溢れるに決まっている。

 それでも。かつての彼女なら。或いはそれが優しい嘘であっても受け止められたろう。
 たった一つ。大切な人を見定める前であったなら。

「それは、どういう……」

「私は山人(ドワーフ)です。唯人(ヒューマン)ではありません。
 もしオルファレナと一緒に居続けたとしても。必ず、お別れの時はやって来ます」

 短命種と長命種、異種族間である以上必ず生じる絶対的な寿命のズレ。
 理解していなかった訳ではない。けれど、敢えて直視して来なかったいずれ訪れる未来。

 深い青の瞳が揺れる。彼女がもっと幼ければ、泣き出していたかもしれない。
 けれど、今のオルファレナにはその動揺を呑み込むだけの素地が有る。良かれ、悪しかれ。

「……それまで、ヴィルは、待てるの?」

「以前であれば、待てなかったと思います」

 そこに嘘はなかった。ただ真摯な眼差しを受け止めそこね、『白銀の薔薇』が唇を噛む。
 葛藤があった。山人(ドワーフ)の寿命は確かに唯人(ヒューマン)よりは長い。

 けれど、それは永遠を意味しない。待てば待つほど、きっと。夢の成就は遠ざかる。
 それを強いたくはない自分が居て……けれど。

 大切にされて、喜ばしくないわけがない。優先されて、幸せでないわけがない。
 この人を、と決めた人に選ばれることは。本当は、何もかもどうでも良くなるくらい嬉しくて。

 でもそれが我儘だなんてこと。オルファレナが一番良く、分かっているのだ。

 ■

 であれば。それは降って湧いた。本当に、漠然とした理解だった。

(……私は、贅沢になった)

 その自覚がある。ヴィルを。この人を独り占めしたいと想う。
 その綺麗な菫色の瞳に、自分だけ映してくれたら良いのに、と想う。

 優しく囁いてくれる声も。柔らかく髪を撫でてくれる指も。時折溢れる意地悪なところも。
 全部好きだな、と想う。そんな風に。誰かを丸ごと特別に想った事なんて、これまで無かった。

 オルファレナには、愛も、恋も、分からない。それは何処か空恐ろしい物で、とても怖い物。
 自分も、周囲も、大勢を巻き込んで傷付けて、きっと全てを壊してしまう様な感情の奔流。

 そういった物だと思って避けて来た。理解を拒んで来た。分からなくて良いと思って来た。
 けれど。――――もしかしたら、それは間違いだったのかもしれない。

「……今は?」

 問うまでも無いこと。ヴィルヘルミナは、きちんと気持ちを言葉で伝えてくれている。
 オルファレナだって、ちゃんと受け取っている。分かっている。分かっていて、それなのに。

 聞きたくて、聞いた。もっともっと、伝えて欲しくて。想って欲しくて。ああ、そうか。
 だから、つまり――――これが――――――――きっと。

「今は……約束しましたから。忘れないと」

 ――――――――誰かを恋しく、愛しく想うという事なんだと。理解した。

「ねえ、ヴィル。私もね、貴女が好き」

 それは想っていた物とは大分違っていた。苦しくて、哀しくて、辛くて。
 嬉しくて、幸せで、愛しくて。胸が一杯で、言葉にするのも難しい位に、心を掻き乱される。

「大好き」

 それでも。
 知らないまま、分からないままでいた方が良かったとは――――もう、思わなかった。

「本当はね。お義兄様からこう言われたの。“ヴィルは私と夢とどちらを選ぶの?”って聞いてみたらって。
 そうしたら、ヴィルはきっと私のことを選んでくれる。でも……それは、きっと違うよね」

「? 違いませんが」

「ううん。私は、選んで欲しい訳じゃなかったんだな、って。私はね、多分恐かったの」

 雁字搦めにしてでも。どんな代償を支払ってでも。大切な人に側にいて欲しい。
 それは、或いは。至極当たり前の気持ちなのかも知れないけれど。

「貴女を独占したい。って気持ちに引っぱられ過ぎて、色々見えなくなってたみたい。
 驚いちゃった。私、ヴィルの夢を応援したい筈だったのに。どう諦めさせるかも一緒に考えてた」

 離れ離れになる可能性が恐くて。それを遠ざけようとして。手段は二の次になっていた。
 けれどそれは多分、違う。大切な人を大切にしようとするということは、恐がる様なことではない。

 例え結果的に、自分が選ばれなくても。好きな人の背を押す事を、恐れてはいけない。
 好きだから。誰より大切だから。耐えるべきことだってある筈だ。

「だから一度、真っ白にして改めて考えようと想ったの。私のこと。貴女のこと。
 どうしたらずっと一緒に居られるか。どうしたら、ちゃんと“2人で”幸せになれるか」

 身を起こして、手を取ったオルファレナにつられるように。ヴィルヘルミナも立つと。
 互いに向き合う様にして、殆ど同じ高さに目線が来る。

 一体何が始まるのかと瞬いた彼女へ。オルファレナは花咲くように微笑んだ。

 ■

 取った手の甲に唇を寄せる。それは、騎士や貴族が忠誠の誓いを現す仕草だ。
 本来であれば自らが忠を尽くす主人に対し、家臣が行う物。それを、彼女は敢えて選択した。

「私は……オルファレナ・アルヴァ・クラティアスは。
 貴女を生涯ただ一人の大切な人として。この命の続く限り、その傍らに在る事を誓います」

 生まれて一度も取った事の無い仕草は、決して上手に出来たとは言えなかった。
 彼女は高位貴族であり、傅かれる側の人間であり、人が2つに分けられるなら“持つ者”だった。

 けれどだからこそ。オルファレナはあくまでヴィルヘルミナと対等を望んだ。
 2人で歩いていくのに、どちらかが我慢して。どちらかが我儘を通すばかりなんておかしいと。

 それは彼女なりに一生懸命に考えた。愛する人と一緒に居る為の方法だった。

「はい、ヴィルも」

「……分かりました。御手を」

 ままごとの様だ、と。客観的に想う自分がいる。それは、人の域より一歩上の視座だ。
 超越者の資格を得た彼女は最早、感情や感性とは全く異なる次元で人から少しはみ出しかけている。

 それでも。自分の想いより彼女の願いを尊ぶことを選んだことに、ヴィルヘルミナは少し驚いて。
 まさか自分がそんな選択をするなんて事に――――自分でも知らなかった、新たな可能性を見た。

 そうして淡く笑った。何も変わらない。ずっと変わらないと想っていた。
 彼女にとって他人はただすれ違って行くだけの稀人であり、それで十分だったのだから。

 そんなヴィルヘルミナでも。変わっていくのだと。変えられて、行くのだとしたなら。
 人を大切に想う事。愛情を以て接する事と言うのは何とまあ、思いがけず、面白い事だろう。

 求道の果てに未練はある。けれど、納得は出来た。傍に居よう、彼女がそれを望む限り。

「私、ヴィルヘルミナは貴女を生涯ただ一人の大切な人として。
 この命の続く限り、その傍らに在る事を誓います――――死が2人を別つまで」

 手の甲に口付け続けた言葉に。オルファレナが瞳を見開いて。
 そうして跳び込んで来るのを受け止める。その確かな重みこそは、彼女の決断の解答だった。

「ううん……死が2人を別つとしても。少なくとも私は、ヴィルのものよ」

 そう告げて嬉しそうに微笑む『白銀の薔薇』を抱きしめて。それは2人にとっての答えとなった。
 夢を諦めない。先延ばしにもしない。一番上手な夢の叶え方を、2人で探そう。

 貴女が望み、私が望んだ。同じ向き先へと手を繋ぎ歩きながら。小春日和の道を往くように。
 その先でどんな結末が待っていても。この時、この瞬間の気持ちを忘れないように。

 互いを尊び、愛し、傍らに居ようと――――そう、誓いあったことを。
 忘れないようにしよう。例えいずれそれ以外の、何もかもを失おうとも。

「では、オルファも神様を目指してみるのは如何でしょう」

「うーん、それはちょっと難しいかもしれないわ。だって私、絶対依怙贔屓しちゃうもの」

 繋いだ手の指を指先で確かめるようにしながら、オルファレナがくすくすと笑う。
 学園の片隅。密やかに、秘めやかに。誰にも気付かれないように。

 二輪の花はただ幸せそうに、寄り添って咲く。

 ■

 急いで答えを出す必要はない。何せ、時はまだまだ有るのだから。
 穏やかな時間が戻って来た。もうして春が来れば、2人は揃って進級である。

 それほど遠からず『学園』は卒業と言うことになるだろうが、あのオルファレナの様相では。
 例えそうなったとしても。何だかんだと理由を付けて一緒に居る方法を模索するに違いない。

 もしもそうなったとしたなら、ヴィルヘルミナも全力で支援しなければならないだろう。
 何せあのお転婆なお姫様は、放っておくと何処までも何処までも自分を犠牲にするのだから。

 きちんと手を掴んで、必要があるなら引っ張り寄せなければならない。
 少なくとも……当分の所は。何気ない日々に飽いている暇となど、到底縁が無さそうだ。

 そんな――――間もなく春を臨むある日のこと。
 ヴィルヘルミナが仮宿代わりに使っている学園寮の一室に、一つの贈り物が届いた。

 それは白銀色の薔薇紋の封蝋がされた、如何にも厳重かつ重要そうな小包みであり。
 振って掌へ落ちた代物を矯めつ眇めつ確認しながら、ヴィルヘルミナは瞳を細め指先で確かめた。

「なるほど」

 こう来たか。と言う気持ちが半分。残り半分は、何とも形容が難しい。
 それは装飾品だ。それも、妙齢の唯人に在っては特別な。貴族であるなら、より一層に特別な。

 白銀の薔薇が菫色の輝石を抱いたその指輪は、きっとさぞ名のある匠の物なのだろう。
 或いは本来、彼女が結婚する際に用いるような、人生で唯一度だけの贈り物である可能性もある。

 分岐点は沢山あった。例えば賽の目程の些細な理由でも2人はすれ違っていたことだろう。
 切っ掛けは突然で。巡り合わせは偶然で。辿り着いた結末は、ただの一つも必然ではない。

 迷って、選んで、決めて、そうして築いてきた関係の答えが。掌の中で輝いている。
 それ故に、失くしたもの。溢したものもあるかもしれないけれど。後悔は、無い。

 もしも、何処かで出会い方が違っていて。
 もしも、何処かで小さな歯車がほんの少しだけズレていて。

 もしも、彼女が何一つ困った事情を抱えてなどいなくて。
 もしも、自分がそんな彼女に僅かなりと興味を憶えていなかったなら。

 今のヴィルヘルミナは、居なかったに違いない。
 今彼女が大切に想うオルファレナも――――きっと、居なかったに違いない。

 そうしてもしも“今の”ヴィルヘルミナでなければ。受け取ることに戸惑いを憶えたかもしれない。
 指輪の裏に刻まれた文言は――――親愛なる貴女へ(For Wilhelmina)。

 戯れに左手の薬指に通したそれは、設えたようにぴたりと嵌まった。
 かつてオルファはこんな気持ちだったのかと思えば。くすぐったい様な感傷も湧く。

 さて。今日教室へ行ったなら。あのお姫様はどんな顔を見せてくれるだろう。
 喜ぶか。驚くか。照れるだろうか。微笑むだろうか。いずれであれ――――

「まあ。こういうのも、悪くはないかもしれませんね」

 それは彼女が自らの未来を選んだ日のこと。或いは、ここから始まる長い旅路の前日譚。
 2人で歩き始めた、私達から始める、前奏曲(プレリュード)。

assignment【DA】史実ノベル 関連特設ページ

メアリー王女が冒険者達の協力を得て稼働させた「王家の耳」。メアリーは無作為に集まってくる情報を、余人に及びもつかぬ閃きを持って分析しながら、今日も世界の動きへ耳を傾けている。
集まった情報の中には、世界の情勢に影響はないかもしれないが興味深い個人の記録があるかもしれない。

墓標、白き追憶/弓月 蒼
トゥーリ/アストリッド・リーヴァイス
拝啓、星空のあなたへ/弓月 蒼
Alexandra・Hexe・Claudia/マリステラ・コナー

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アーカイブ生成日時 2026年08月05日 14時56分25秒 ・ world0