【DA】リーンエスの耳

「一人かい?」

 水の都アキュアリスタ。紀元前から残る遺跡と現代建築との融合が美しい古都を観光中に、イーラ(ヒルルク)は突然声をかけられた。
 誰の事だろうと辺りをきょろきょろするイーラに、声の主は同じセリフをもう一度口にする。

「わたし?」
「ああ」

 フードを目深にかぶっているせいか口元が見えず、まるでフードそのものが声を発しているよう。
 イーラは眉を顰め、半身を引きつつこくりと頷いた。

「そんなに警戒しなくても、取って食いやしないよ」
「……あなたは誰」
「アタイかい? アタイはただの“世捨て蜥蜴”さ、そんな事より久しぶりに食事でもどうだい? この近くにいい店を知っているんだ」
「あのね、誰だか知らないけど、初めて会った人と食事に行くわけ……って、久しぶり? あ、もしかして前のわたしの知り合い?」

 フードの奥から覗く骨がカラカラと揺れた。流石に本物ではないだろうけど、怪しいなんてものじゃない。以前の知り合いのようなそぶりだけど、こんなの絶対まともじゃないから、関わらないに越したことはない。

「……わたし、忙しから遠慮しておくわ。それに同行者を待たせてるの」
「同行者……ああ、あの子(保護者の青年)の事かい」
「え、彼の事も知ってるの……?」
「もちろん。だけど、あの子の事なら気にしなくていい。ちゃんと許可は取っているからね」
「は……? え、許可ってなに。もしかして友達なの?」
「どうかな。ただ、“顔は広い”とだけ言っていくよ。それでどうする? きっとアンタの好みに合う店だが」

 旅の同行者の存在をちらつかされたけど、それだけで目の前のフード姿を信頼できるかというと、また違う気がする。やっぱり、ここは丁重に……。

「ごめんね、やっぱりやめ――――ひぁっ!?」

 『危うきに近寄らず』。やっぱり断ろうとして首を横に振る寸前、突然目の前を小さな影が横切った。
 イーラは驚きのあまりそのまま後ろに倒れ込み、尻もちをついてしまう。

「いたた……。一体何なの」
「ああ、すまない、普段はこんなことをする子じゃないんだが、大丈夫かい?」
「う、うん、何とか……ってあれ、もしかしてラト?」
「何……?」

 尻もちをついたイーラの膝の上でクルルルと喉を鳴らす栗鼠。
 イーラはその栗鼠を見て『ラト』と口にした。

「どうしてこんな所にいるの……って、そうか、ついにわたしの所に来る気になったのね! いつでも大歓迎よ! あ、お腹すいてない? たしかナッツがあったはず……って、あれ? あなたのご主人はどこ……んんん? ご主人?」

 イーラが首を捻るのに合わせ、ラトも同じ方向へ首を傾ける。

「ラト、おいで」

 一人と一匹(イーラとラト)がシンクロしているのを眺めていたフード姿が名を呼ぶ。すると、栗鼠は一瞬だけイーラを振り返るとジャンプ。フード姿の体をよじ登り肩に止まった。

「え、えっと……あなたがラトのご主人?」
「そういうことになるね」
「あ! ラトを頂戴! ……って、えええっ!? わたし何言ってるのっ!? そうじゃなくて……! え、え、え……」
「混乱させてしまったか。これは予想外の事態だね」

 頭の上に大量の『?』を浮かべるイーラ。

「旧交を温めようと思ったが、今はその時じゃないようだ」
「なに、どういうこと……?」

 困惑と警戒の間で揺れているイーラとは対照的に、フード姿からは僅かだが喜色の雰囲気が伺える。

「食事に誘っておいてなんだが、今日はやめておくよ」
「いいの……? でもあなたは、わたしに会いに来たんでしょ?」
「どうかな」
「え……?」
「もしアタイの目的が気になるのなら、学術都市へ行くといい」
「え、学術都市って……ヴェルクリエよね。そこに行けばあなたの事がわかるの?」
「さぁね。それは着いてからのお楽しみだ」
「な、なによそれ」

 まるで暖簾に腕押し。何度も疑問を投げかけるイーラに、フード姿はまるで言葉遊びでも楽しむかのように、のらりくらりとかわしてく。
 今は知るべきではないと言外に示しているように……。

「とはいえ、“ヴェルクリエに行け”だけだとあまりに漠然に過ぎるか。そうだね……『自由な蝶の翅』だ」
「え?」
「そこへ行けば、全てわかるよ。アタイの事も、アンタとの関係も。そして、過去と未来も、ね」
「は……? それってどういう――――」
「おっと、これ以上聞きたかったら、出すものを出さないとね?」
「お金取るの!?」

 予想通りの反応にフード姿はカラカラと奇妙な笑い声をあげた。

「それじゃ、アタイは行くよ。またどこかで会えることを願ってる」
「う、うん。え、ヴェルクリエで会えるんじゃ」
「それはタイミング次第だね。『時は有限、情報は金』だからね」
「なにそれ、誰か偉い人の言葉?」
「アタイが今……いや、未来の偉人のありがたい言葉だよ」
「なにそれ変なの」
「ああ、本当にね」

 苦笑ではあるがようやく見せたイーラの笑顔に、フード姿は優しく応えた。

「それじゃ、彼氏によろしく言っておいてくれ」
「か、彼氏じゃないし!」
「おや、そうかい。なら保護者によろしく」
「保護者でもないしっ!?」

 ムキになって反論するイーラに、闇の奥から微笑みかけたフード姿は、そのまま踵を返す。

「あ、あなたの名前は!」

 去っていくフード姿にイーラが叫ぶ。
 しかし、フード姿はその声に応えることなく、手を一度だけ上げると、喧騒の中に消えていった――――。

●
「はぁぁぁぁぁぁ~~~~~……」
「……ため息がでかいよ」

 学術都市ヴェルクリエの一角にひっそりと佇む大衆酒場『自由な蝶の翅』。
 まだオープン前の店内は静かで、人の気配といえばドデカため息の主シエラ・フォン・リシェイラと、怪しい“フード姿”ルチル・プルメリア・グレイハーツの二つだけだ。

「どうしてそこで正体を明かさなかったんですか。かねてから気にかけていらした方でしょう。ほんと秘密主義にもほどがありますよ」
「耳が痛いね。たしかに最初はそうしようかとも思ったさ。だがね、あの状態(記憶喪失)のあの子に真実を打ち明けたとして、今のあの子にどれほどの影響を与えてしまうか未知数だったんだ。予想外の事態もあったし、無理な接触は避けたのさ」
「ふむ……まあ言いたいことはわかりますが、そんなのやってみないと分からないじゃないですか。記憶喪失なんて、何が切っ掛けで治るかなんてわからないんですから」
「だからこそだ。アタイが真実を話すことで、あの子の今の人格に影響を与える可能性がある」
「それの何がいけないんですか。記憶を取り戻してもらった方が、今まで積み重ねてきたものが無駄にならなくていいんじゃないんですか?」
「そうだね。そういう考えもある。だけどね、アタイはあの子の記憶喪失を治すつもりはない」
「え?」
「あの子の記憶喪失。それをアタイは征竜のギフト(置き土産)だと思ってるんだよ」
「はい……?」
「人の心も想いもまるで理解しようとしなかった――――いや、出来なかったあの竜(極北の征竜)が最後に見せた優しさ、とでも言うんだろうかね。自分の為に生き、自分の為につくしたあの子に最後に見せた“情”だとアタイは思っているんだ」
「あの蜥蜴に“情”ですか……? にわかには信じがたい話ですね」
「だろうね。きっと誰に言っても「そんなわけあるか」と一蹴されるだろう。だけどね、アタイはそう思ってる。いや、信じてる。まあ、ちょっと持って行き過ぎだとは思わないでもないがね」

 そう言うとルチルは骨面をカラカラと揺らす。

「楽しそうな話してる?」

 突然の声。いつの間にそこにいたのか、机の端から顔の半分だけを覗かせるファム=ゴートが視線だけを動かし二人を交互に見ていた。

「あら、ファム、遅かったですね」
「うん、迷子の子猫がいたから、一緒に親猫探してたの」
「そうなんですね。ファムは一日一善できるいい子ですね」
「む、子ども扱いしないで」

 すっと手を伸ばして頭を撫でようとしてくるシエラの手を丁重に払いのけつつ、ファムは空いている席に腰かけた。

「ルチル、久しぶり。生きてた?」
「見ればわかるだろう。ファムは相変わらずだね」
「でしょ?」

 ルチルの言葉を誉め言葉だと受け取ったのか、ファムは椅子の上で胸を張る。

「さてさて、揃ったところで始めますか?」
「ああ、始めよう。アタイたちの“果て”を記す旅路を――――」

●
 『CLOSE』の札がかけられた酒場の前では、常連客達がまた休みかとため息交じりの悪態をつき去っていく。
 そんな『外野』の事など気にもしないで、店内では熱い議論が繰り広げられていた。

「やっぱり、シャルガネのうな重は外せないと思うんだよね」
「いえいえ、ここはドワーフ王国の火酒でしょう。あの燃えるようなのどごしは一度口にしたら忘れられるものではありません!」
「シエラは酒癖悪いからだめ」
「ふふ、飲めないゆえのひがみですか? ファムもあと数年経てばあのおいしさに病みつきになること請け合いですよ!」
「反面教師が目の前にいるから飲まないよ? それより、美味しいもの食べる方が幸せじゃない」
「それはもちろんそうです! だから、美味しいお酒も一緒にですね――――」

「はいはい、そこまでにしておきな」

 白熱するシエラとファムの議論(?)にルチルが口をはさんだ。

「旅先での楽しみに想いを馳せるのは悪い事じゃない。それも立派な動機だからね。だけど、本懐を忘れるんじゃないよ」
「わかってますよ。“旅路を記す”ですよね」
「でも、それって具体的に何をするの? 旅行記みたいな感じのものを作る感じ?」
「いや、どちらかといえばお伽噺の類だね」
「お伽噺……? ルチルは絵本作家にでもなるの?」
「ならないよ。ただ、物語は“簡潔”に”伝わりやすく”が大切だと思っているのさ」
「私は伝記だと思ってたんですけど、聞いた感じだとそれとも違いそうですね」
「そうだね、伝記とも少し違う。どちらかといえば、お伽噺と伝記の中間……いや合の子か。そもそもアタイたちが記す物語が真実であるかは重要ではないんだよ。そもそも誰かの考えや経験が曲解されることなくそのまま百年、千年と伝わるのは不可能な事なのさ。だから、“伝える”を最重視する。その為にできるだけ簡潔に物語を作るんだ。後世まで伝わる物語を通じて、そういう考えを持った者がいたという事実だけを残せればいい」
「……なるほど、どことなく吟遊詩人の詩に似ていますね」
「ああ、だからこそアンタに協力を依頼した。できるかい?」
「できる、とは思います。ですがなかなか難題ですよ、これ」
「うん? シエラ、できないの。大人なのに」
「ふふふ、いいですかファム。大人にもでき無い事はあります。だからこそ人生は楽しいのであって、何でもできてしまっては、生きている意味などなくなってしまいますよ?」
「あわわ、シエラがまともなこと言ってる。こわ……」
「素面ですからね! じゃなくて、どういう意味ですか、それ!?」

 驚くファムに憤慨するシエラ。
 そんないつもの光景を見て、ルチルは思う。

 つい数か月前、このロスガリア大陸の歴史を揺るがす大きな戦があった。
 戦いは凄惨を極め、数多の命が地上より姿を消した。
 戦は終わり、勝敗などという小さな括りでは言い表せない程に、世界は大きく変革した。
 古より長きに渡り受け継がれてきた“理(ことわり)”すら変えるほどに――――。

 あの戦で世界の守護者であった極北の征竜が逝った。
 世界を守るために、世界を壊す(ヒトを減らす)事を選んだ彼の竜。
 その決断は、常人(ヒト)には到底理解できないものだろう。だが、その思考と生きざまも、ヒトの理を外れたからこそ気付ける。
 かの竜は、どこまでも純粋であり平等だったのだ。それは、そうまるで“あの子”のように――――。
 時代はかの竜を選ばなかった。変化を望む者が望まざる者を滅した。
 世界にとって、どちらが良いとか悪いとかの話ではなく、時代が変化を受け入れたのだ。

 世界の行く末をヒトが担うことになり、ロスガリア大陸の全ては大きく変わろうとしている。
 それは普遍的な信念に従って生きてきた我ら同胞たちも例外ではない。
 世界の変化を受け入れるのか、それとも拒絶するのか――――同胞たちは否が応でも選択しなければならないだろう。
 同胞たちの“夢(目的)”が、『竜に成る』ことある事は、世界が変化に晒されても変わることはないだろう。

 だが、本当にそれは正しい“夢(目的)”なのだろうか。
 かの竜を追うこと(模倣すること)が本当に正しいのだろうか。

 冒険者としてかの竜の決断(生き様)を垣間見て、その疑問は更に大きくなった。
 同胞たちが目指すべき道(夢)に、新たな光を灯してやることはできないのか。

 “竜に至った者が最期まで己を失わずいられるのか”の疑問を。

 ならばどうする。答えは簡単だ。そうなるようにすればいい。
 超越者である自身が神座へと至り、世界の理を書き換える。
 竜へと至る同胞達が己を失わず竜に成る為に――――。

「だからファムはお子様――――え、ルチルさん、今なんて言いました?」
「だから、アンタにこの物語の著者になってもらいたい」
「えっ、ルチルさんが書くんじゃないんですか?」
「アタイは書かないよ」
「ふむむ……主人公はルチルさんがモデルなんでしょ? なにか自分で描きたくない理由でも?」
「別にないよ。ただ、この物語は後世まで残す為には、筆者がアタイだと色々と都合が悪いんだよ」
「えっと……字が汚いから?」

 相変わらず主語をはぐらかすルチルの物言いにも慣れたもの。ファムは少しからかうようにルチルに問いかけた。

「はは、そうじゃない。この物語はね、アタイが書くと難しくなるんだ」
「難しく……回りくどいってこと?」
「ああ、そうだ。だからこそ、筆者はアタイ以外じゃなくちゃならない」
「でも、難しい物語を読みたい人もいるんじゃない?」
「もちろんそういう人物に向けての物語もないわけじゃない。だが、そういう物語はね、読まれないのさ」
「読まれない……なるほど、内容が難しそうだったら最初の数ページで読みたくなくなるかも」
「ファムは聡いね。そう言う事だ。だからこそ、吟遊詩人のシエラに頼みたい」
「なるほどなるほど、吟遊詩人の歌も詩も伝えるためのもの、だからですか」
「理解が早くて助かるよ」
「そう言う事でしたら、この不詳シエラ。執筆を担当させていただきますよ」

 任せとけと胸を叩いたシエラに、ルチルは骨面の下で小さく微笑んだ。

「私はどうすればいいのかな。写本でも作る?」
「ふむ、それも悪くないね。だが、ファムにはもっと大切な手伝いをお願いしたい」
「大切なお手伝い?」
「そうだ。ファムには目撃者となってもらいたいんだよ」
「目撃者って言う事は、ルチルにこっそりついていけばいいってこと?」
「別にこっそりする必要はない。アタイの旅に同行し、その目と耳でアタイの全てを観てくれればいい。それはきっと、アンタの“これから”にも合致するはずだ」

 そう締めくくったルチルの言葉に、ファムははっと顔を上げる。

「それにアタイについてくると沢山の知らなかったことが知れるようになる。アンタの小さな体の中で蠢いている“知的好奇心”って蟲を満足させてやれるくらいにはね」
「……面白いね。うん、わかった。ルチルがそういうのなら私も頑張って手伝わせてもらうよ」
「そうかい、アンタならそう言ってくれると思っていたよ」

 ルチルは口元を緩めファムの頭へとを伸ばした。

「それで、出発はいつなんです? 私はこの店とかありますし、暑いのやですし、寒いのもやですよ?」
「相変わらずわがままというか気ままだねぇ。まあ、シエラに旅の同行を強要するつもりはないよ。いつものように気が向けばついて来ればいい」
「流石ルチルさん、わかってますねぇ。了解ですっ! では、涼を求めて北方へ!」
「おいおい、行き先まで決めるのか」
「ダメです? どうせ、行き先なんて決めてないんでしょ?」
「……アンタの言う通りだ。いいだろう、最初の目的地は『北』にしようか」

 こうして、三人の“果て”を記す旅路が始まった――――。

●
 彼女の旅の目的。それは“歴史に残るような物語を作る”こと。
 編纂された歴史でも偉人の伝記でもない、後世に残す為だけの物語。
 どんな物語になるのか今はまだ想像もできないけど、きっと素敵な物語になる。なんとなくだけど、そんな予感がするからきっとそうなると思う。

「楽しみだね」

 隣を歩く二人にも聞こえない小さな声で囁いた。

 字を覚え、文字を知り、文章を楽しむ。冒険者になって(彼らに出会って)覚えた事の一つだ。
 彼らのおかげで私の世界は大きく広がった。
 識る事がこんなに素敵なことだということに気付かせてもらった。
 もっと沢山ことを知りたい。色んな場所に行って、色んなものに触れて、色んな知識を身に付けたい。
 彼らに出会って、それが私の目標の一つになった。
 知識を得る方法は色々とあるけど、私は本が好き。あんな小さな“箱”の中に、沢山の“知りたい”が詰め込まれている。
 ただ文字が並んでいるだけなのに、本の中には本の中にしかない“世界”がある。それがとても不思議で、興味が尽きない。もっともっと色んな“本”を読んで、色んな“世界”に触れたいと思ってた――――なのに。

 あの大きな戦がおきた。
 ロスガリア大陸の全部を巻き込むような大きな戦いは、ひどくて辛くて悲しくて、何よりとても長かった。
 そして、長い長い戦いの末、偉くて強い人と白くて大きな竜が倒されて、戦いは終わった。
 みんなが“世界”の勝利に沸く。
 人々が手を取り合い勝利を喜び、“解放”を祝福した。
 そんな、どこかお祭りのような熱狂の中、私の心はなぜか冷静だった。
 だって、私はあの戦いで、世界の一部を知ってしまったから――――。

 熱狂も一段落した頃、私は一つの“誓い”を立てた。
 それは『自分自身に従う』ってこと。
 “誓い”なんて立派な言葉を使うような事じゃないのかもしれないけど、私にとってはそれが最もしっくりくる言葉だった。
 家族の言葉でも、自分の血でも、神仏でもない、自分の心に従う。
 それが私の“誓い”。
 もちろん、それらに意図的に逆らいたいとかいう反骨心からじゃないよ。

 そして先日、漠然としていた私の“誓い”は一つの“光”を見つけた。
 それが彼らとの旅。
 それが“『自分自身に従う』(今何がしたいのか、少し先でどうありたいか)”への道標。

 この街ではどんな本(自分)に出会えるだろう。
 この街で彼女はどんな物語(自分)を紡ぐのだろう。
 隣で見ている事しかできないけど、彼女の物語の誕生を一番近くで祝福しよう。
 彼女が、彼女の“本当の目的”を、悔いの無い形で達成できるように。
 私は私のできる事をする――――。

「あ、あのお店ですね」
「あのお店……っていうか、あれってお寺?」
「はい、お寺です。戦略寺というお寺だそうですよ。結構歴史のあるお寺だって聞いています」
「戦略寺だって? どこかで聞いた名だね」
「おっ、ルチルさんはご存じなんですか? その手の筋では結構有名なお寺らしいんですけど……どの手の筋なんでしょうね?」
「ああ、その手の筋か。思い出したよ」
「おぉ! それでそれで、どんなお寺なんですか? 私は僧侶たちが作るお団子が絶品ってことくらいしか知らないんですよね」
「それでいいじゃないか。団子を楽しみに登るとしよう」
「むむむ……教えてくれないんですか?」
「いいかいシエラ。このシャルガネには『知らぬが仏』という言葉がある」
「しらぬがほとけ? どういう意味ですか?」
「“知らない方がいい事もある”って意味だよ」
「ファムの言う通りだ。知るだけが全てじゃない。だからシエラは団子を楽しみにして、上に登るといいさ」
「むむむ……なんだか私、仲間外れになってません?」

 三人は長く続く石段を一段一段上がっていく。
 風光明媚な山寺と知られる仏閣で提供される名物の団子を求めて。

「ねぇ、ルチル。お寺って本あるの?」
「本はないかもしれないが、巻物はあるかもね」
「巻物?」
「ああ、一枚の長い紙に文字を記した読み物だ」
「へぇ、そんな物もあるんだね。読ませてもらえるかな」
「どうだろうね。基本的に書や本は貴重品だからね。まあ、交渉次第か」
「ふむ……よしっ、頑張る!」

 階段の先に見えてきたお堂を見つめ、小さな手をぎゅっと握りしめるファム。
 そんな少女を横目に、シエラはふとルチルに問いかけた。

「そういえば、物語の構想(プロット)の方はどうですか?」
「そうだね。一先ず『竜の娘』の項まではできたよ」
「“竜の娘の生誕”ですか。先は長そうですね」
「あまり長くはしたくないんだけどね。なにせ、知ったことが多すぎる」
「ふふ、自慢ですか? まあ、編集は任せてください。がっつり削ってあげますから」
「お手柔らかに頼むよ」

 そう言って石段の先を見上げるルチルに並び、シエラは「仕方ありませんね」と少し嬉しそうに答えた。

●
 “自由に生きる”。
 言葉にすればこんなにも簡単なのに、それを実践しようとすると沢山の障害にぶち当たる。
 暇がない。金がない。仕事が忙しい。気が向かない。何をしていいのかわからない――――。
 ちょっと考えただけでもこんなに。
 こんなにも障害が多い“自由”という場所に、人はなぜ恋い焦がれるのか。
 私はそれを、究極の“ないものねだり”なんだと思う。
 自分は抑圧され、統制され、制限されている。だからこそ、憧れ恋い焦がれる。
 “自由”はとても輝いていて、素晴らしいものだと自分に言い聞かせて、“自由”を渇望させている。
 なのに、自分の現状を言い訳にして、“自由”に手を伸ばそうとしない。
 挙句、自由を手にした人の生き方を見て、“自由”は贅沢だ、この“放蕩者”めと陰口をたたく。

 いったい、“自由”をなんだと思っているんだろうね。
 “自由”ってそんなにいいものじゃないのに――――。
 
 それでも、私は“自由”に生きる。だって、“自由”が好きだから。
 好きなお酒をみんなと楽しめる酒場を経営するのが好き。
 美しい音楽を奏でる楽器を演奏するのが好き。
 何もない真っ白な紙に、心躍る物語をしたためるのが好き。
 目の前に現れた強敵に、最近堂に入ってきた剣術を振るうのが好き。
 気の合う仲間たちと、大陸の“楽しい”を探して旅をするのが好き。
 だからこそ、私は努力する。
 “自由”を謳歌するために、“不自由”な努力をする――――。

 ――――コンコン。

「こんばんは、シエラ。お邪魔していい?」
「あら、ファム。いいですよ、どうぞ」
「ありが……あれ、物語の執筆中だった?」
「いえ、これは筆休めに書いている“別の物語”です」
「別の物語? どんな物語なの?」
「どんな物語か、ですか……実はまだよくわかっていません」
「え、わからないの? 自分で書いてるのに?」
「そうなんですよ。この物語がどのようなお話になって、どのような結末を迎えるのか。私にもまるで先が読めないんです。ちなみにファムはどんなストーリーが好みですか?」
「えー、私に聞かれても困るよ。それはシエラの物語でしょ?」
「……ふふ、そうですね。まったくその通りです。ごめんなさい、ファム」

 インクの乾いたペンを置いて、ファムに微笑む。

「そういえばファム、昼間に見つけた本はもう読んだんですか?」
「うん、面白くて一気に読んじゃった。主人公とヒロインのやり取りが痛快で時間を忘れて読んじゃったよ。シエラも読むでしょ?」
「ええ、是非」

 取ってくるねと部屋を出ていくファムの背中を見送って、シエラは書きかけの物語に視線を戻す。

「……“シエラの物語”、ですか」

 先ほどファムが放った何気ない一言。
 そういう意味ではないとわかっていても、考えさせられる一言だった。

「……私は羨ましいと思ったのでしょうか」

 書きかけの物語から視線を外し、鞄に入っている“もう一つの書きかけ”を手に取る。

 それは、私の友人が“生涯をかけて世界の理に挑む物語”。
 “夢”を追い、“理”を書き換え、“未来”を示す為の道標(みちしるべ)。
 人の手には余りある壮大な“夢”を彼女は本気で叶えようとしている。
 超越者であろうが、それは簡単なことではないだろう。それでも、彼女はやり遂げる。
 まあ、それを知らしめる手段が“物語”というのは、なんとも彼女らしいと思うが――――。

「“私の物語”を書くにしても、まずはこちらからですよね。あ、そういえばタイトルを付けてくれって頼まれてましたっけ」

 彼女の物語にはまだ題名がない。
 タイトルといえば、最も人の目に触れる本の顔そのもの。
 以前、自分の名前を付ければいいのではと提案したこともあったけど、彼女は首を縦に振らなかった。
 この壮大な叙事詩に負けないタイトルを付けるのなら、やはり主人公(彼女)の名が相応しいと再三提案したのだが、彼女はそれは違うといった。
 これはただ『空に憧れるあまり竜を目指そうとした一匹の蜥蜴』の物語であると――――。

「本当に秘密主義といいますか、“かっこつけ”なんですから。さてさて、そんな主人公の物語を持つこの子(この本)には、どんな“顔”が似合うでしょうね」

 ――――コンコン。

 インクにペンを浸し、真っ白な紙へと滑らそうとした時、ドアがノックされた。
 ファムが本を取ってきたのだろうと入室を許すと、入ってきたのはルチルだった。

「あら、どうしたんですか?」
「なに、ちょっと思い出したことがあってね」
「ふむふむ、“物語”へのアイデアの提供ですね。歓迎しますよ」
「いや、“物語”には関係ないんだ」

 そう前置きして彼女が話した内容に少し驚いた。
 それは以前、少しだけ話してくれた彼女(ルチル)と『竜の娘(ヒルルク)』の話。
 そして、彼女が呼んだ“名前”の話だった。

「えっ、覚えてたんですか」
「ああ、覚えていた。アタイはてっきり生物に類する者の記憶はすべてなくしているものだと思っていたんだけどね。どうやら、あの子の記憶喪失はひどく限定的なようだ」
「……なるほど、この間言ってた“予想外”がそれですか。でもそうなると、あの蜥蜴は『自身にまつわる事象』と『ヒトの記憶』だけを消していったってことになりますよ?」
「そうだね。まるで、記憶を失くしてもあの子の未来に支障がないように」
「あの蜥蜴がそんな殊勝なことするでしょうか? 人の心なんて微塵も理解せず、ただ振り回しただけの“世界の異物”が」
「はは、ひどい言い様だね。まあ、贖罪――――とは言わないが、やはりあの竜にも何か思う所があったかもしれない。あるいはただの“時限装置(安全装置)”だったのか」
「私は後者のような気がしますけど。とはいえ、もう確かめる術はありませんね」

 そう言ってシエラが肩を落とすと、ルチルも呆れるように肩をすくめた。

「あ、そういえば物語のタイトルの件なんですが」
「ああ、何か思いついたのかい?」
「いえ、全然」

 きっぱりと言い放ったシエラに、ルチルは再び肩をすくめる。

「そもそも私、物語を紡ぐのは好きですけど、タイトルとか余りつけないんですよね」
「アンタは“名も無き詩”の名手だからね。だからこそ、その感性に期待しているんだ」
「ふふ、褒めても何も出ませんよ? まあ、請け負ったからにはちゃんとするつもりですけど、もうちょっと時間を貰ってもいいですか?」
「ああ、ゆっくりで構わない。まだ時間はあるからね」

 ――――コンコン。

「シエラ、持ってきた――――あれ、ルチルもいたの」
「ああ、もう戻るがね」
「そうなんだ。あ、ルチルにもこの本勧めようと思ってたんだよ。シエラの後で読んでみない?」

 そう言ってファムは両手に抱えていた重厚な本を差し出す。

「『処刑台の恋』? 随分物騒なタイトルの本だ。面白いのかい?」
「うん、面白いよ。タイトルはちょっと怖いけど、内容は純愛。死から始まる物語なんだ」
「死から始まる……か。ちょっと興味を引かれるね」
「でしょ。しかもこれ、紀元前のお話を300年前の著者が編纂した物なんだって」
「へぇ、そんな昔のお話だったんですか。うん? 紀元前?」
「うん、古いお話だよね。今も残ってるのすごいと思う」
「……ルチルさん」
「ああ。ファム、ちょっとその本を見せてもらっていいかい?」
「うん、もちろん。きっとルチルも気に入ると思うよ」

 ルチルはとてとてと駆け寄ってきたファムから本を受け取った。

 よほど丁寧な使われてきたのだろう。300年前の本とは思えないほど綺麗な状態を保っている。なのに、擦り切れるべき所はちゃんと擦り切れていた。
 それは、この本が沢山の読者を魅了してきたことの証左だ。
 本を開いて紙面に踊る文字を見た時、それは確信に変わる。
 行間を確保し、挿絵を添え、難解な言葉は使わない。なのに文章は幼稚でなく、知的にまとめられている。
 数ページ読んだだけで惹き込まれる筆致に加え、読み手の為を思って作られた頑丈な装丁。
 これは、まさしく受け継ぐための物語。
 この本は、自分達が目指すべき一つの理想形なのだ。

「どうです、参考になりそうですか?」
「そうだね。この筆者は『ヒトの心』がよくわかっている。シエラ、アンタも読んでみてくれ」
「ええ、もちろんそのつもりですよ」

 ルチルから本を受け取ったシエラがにこりと微笑む。

 この夜、三人は『本』を中心に夜も遅くまで語らい合った――――。 

●

『さあ唄いましょう。遠く高い空に憧れた、ちっぽけな蜥蜴の物語を♪』

 その日、街の広場は盛大な拍手と歓声に包まれる。
 熱狂の中心。観衆を前に手を上げるシエラの顔は誇らしさで赤く上気していた。

「はいシエラ、お疲れさま」
「ありがとう、ファム」

 観衆達の熱視線を背中に受けつつ引き上げてきたシエラに、ファムが飲み物を手渡した。

「見事な舞台だったよ」
「ふふ、お褒めにあずかり光栄ですよ。あ、脚色しすぎだとか、大げさだとかのお小言は無しでお願いしますね?」
「……そんなに言いたそうな顔をしているかい?」
「ええ、そのお骨の上からでもわかるくらいはっきりと」

 無意識に腕を組むルチルに、シエラは舞台のテンションそのままにカラカラと笑う。

「いいですか、ルチルさん。この物語を後世に残したいなら、まずは聞いてもらわなきゃです」
「まだ未完成だけどね」
「完成か未完成かはこの際どうでもいいんです。舞台を見ていてくれたのならお気づきだとは思いますが、物語にはちゃんと興味を持ってもらえましたよ。ですよね、ファム」
「うん、みんな楽しそうに聞いてたよ。続きも気になってたみたい」
「ほら、計画通り♪」

 ファムの言葉に、シエラはぐっと拳を握った。

「それにね、ルチルさん。例え脚色していても、本質は曲げていません。だから……本当に伝わって欲しい人には、正しく伝わるはずですよ」
「……ああ、そうだね。すまない」
「ふふ、ルチルさんの“誠意”次第では、許してあげないでもないですよ?」
「まったく、抜け目ないね。わかったよ、アタイの負けだ。今夜の会計は任せておきな」
「わぁ流石ルチルさん、話が早いですね♪」

 舞台の余韻か、終始ハイテンションなシエラにルチルは降参の両手を挙げた。

●
 彼女の目的はなんとなくわかっている。
 なんとなく――――いや、それは確信に近いかも知れない。
 この先、彼女と旅を続けていく中、確信(彼女の本当の心)に触れる時が来るだろう。
 でもそれは未来の話。今は彼女の『夢』を応援したいし、全力で手伝いたい。自分にできる事はあまり多くないけど。

 ……でも、いつかその夢が叶う時が訪れたら?

 そこには必ず『選択』がある。
 彼女はその時、どんな『決断』をするのだろう。
 実は予想はついてる。あまりにも悲しい決断の予想が。

 私はその時、どんな『決断』を『選択』するのだろう。
 「引き返せ!」と強く言うかもしれない。「馬鹿なことをしないで!」と喧嘩するかもしれない。
 逆に、ただただ穏やかに、これまでの思い出を振り返り、別れを惜しむかもしれない。
 今はどんな『選択』をするのか全然わからないけど、それはまだ少し先の事。まだ未確定な未来の話。
 だから、今の自分には関係ないし、どうすることもできない。
 私が今できる事は、この瞳に彼女の一挙手一投足を映すこと。この耳に彼女の声や言葉を刻むこと。
 彼女の夢の果てがどのような結果になったとしても、私は覚えているよ。
 彼女の物語が歴史に刻まれようが、忘れ去られようが、私はずっと覚えているよ。
 『主人公』の事じゃない、等身大の『君』の事を。
 だから、傍に居させてね。君の『物語(夢)』が完結する、その時まで――――。
 
「――――ファム?」
「え、あ、どうしたの?」
「大丈夫ですか? ぼーっとしてましたよ」
「ごめん、大丈夫。えっと……なんだっけ」
「もお、しっかりしてくださいよ。えっと、これなんですが、貴方はどう思いますか?」

 そう言ってシエラはファムの前に、まだインクの香りが色濃く残る羊皮紙を寄こした。

「ファムの意見を取り入れつつ、多少脚色して書いてみたんですけど」

 シエラの細い指が書きたての文字の上を滑っていく。
 それは『物語』の冒頭に当たる部分。
 ルチルの書き記した『旅程』を基に、ファムの『記録』を盛り込み、シエラが歌を謳う様に紙に記した、この世にただ一つの『物語』の始まり。

「少し抽象的や過ぎないか?」

 ルチルが口をはさむ。

「そんなことないですよ。重要なのはフィクションとノンフィクションのバランスなんです。どちらに偏り過ぎてもいけません」

 シエラが胸を張る。

「ファム、声に出して読んでみてもらえますか? 語感を確認したいので」
「うん、わかった」

 ファムは羊皮紙を手に取ると、静かに息を吸い込む。
 そして、凛とした声で『物語』を読み上げた――――。


『ある時、ある場所に、天に憧れ、空を舞うことを夢見た小さな蜥蜴がいた。
 純粋だった蜥蜴の子供はいつしか大きくなり、自ら世界を巡る旅に出る。
 旅はとても辛く厳しいものだったけど、蜥蜴は弱音を吐くことなく世界を巡った。
 沢山の出会いと経験。そして、数えきれない研鑽を経て、蜥蜴は確信した。『夢』は叶うと。

 これは、竜になり皆の為に『願い』を叶えに行くお話。
 小さな蜥蜴が、みんなの『願い』を胸に、遥か遠く蒼穹の向こう側へ飛び立つ物語――――。』

 そんな冒頭から始まる物語の名は『熾天の竜』。
 “空に憧れ竜を目指した蜥蜴”がその生涯を賭して描いた『未来への道標』だ――――。

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メアリー王女が冒険者達の協力を得て稼働させた「王家の耳」。メアリーは無作為に集まってくる情報を、余人に及びもつかぬ閃きを持って分析しながら、今日も世界の動きへ耳を傾けている。
集まった情報の中には、世界の情勢に影響はないかもしれないが興味深い個人の記録があるかもしれない。

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アーカイブ生成日時 2026年08月05日 14時56分25秒 ・ world0