【DA】リーンエスの耳

シルヴィア・A・カペル/ エクスリオ・カペル
ノア

『ノベルタイトル:蒼玉と箱庭のオペラ』久生夕貴
●序幕:花と芸術へのパヴァーヌ

 花と芸術の地――カペル領に、穏やかな夜が訪れていた。
 輪郭をにじませた月は淡い光を落とし、ひそやかに香る花々を優しく照らしている。
 とある庭園。
 ライトアップされた園内を散歩する人々が行き交っている。
 どこからか流れてくるフルートの音色に、連れ立った男女が足を止めた。

「あら、素敵な音色……」
「本当だね。美しさの中に、情熱が感じられる」

 しばし聞き入り、それとなく奏者を探すと、水辺に立つ東屋にそれらしき人影(エクスリオ・カペル )を見つける。
 暗がりで顔はよく分からないが、背が高く、月光のもとでさえ映える黄金色の髪を持った美丈夫だ。
 フルートを奏でるその指には、蒼玉の指輪が月光を抱くように輝いていて。

 周囲の観客に交じって、二人も演奏に聞き入った。
 弾むような音色が踊ったと思えば、儚く美しい音色に心を打たれる。
 一曲終わるたびに小さな拍手が起こり、奏者は流麗な仕草で次の曲に移る。
 そこにはささやかで穏やかな夜を享受しようとする、一体感が生まれていて。
 すべての曲を演奏し終わった奏者は、観客たちに向け、それは優雅に一礼してみせた。

「楽しんでくれてありがとう。良き夜を」

 名残惜しむ拍手のなか、去ろうとする背を、二人は思わず呼び止めた。

「とても素敵な演奏でした。すっかり聞き入ってしまって」

 振り返った男は「光栄だ」と口元をほころばせた。気安さをにじませつつ、隠しきれない気品に満ちた笑みだ。

「あの、お名前をうかがっても?」
「フルート吹きのリオ、とでも名乗っておこうか」

 おどけたように細められた紅い瞳は、どこかで見たことがあるような気がして、どきりとしてしまう。

「またどこかで会えますか」
「芸術を愛する者たちは、自然と巡り会うものだろう?」

 楽しそうに言い残していく背が、蒼い闇に紛れていった。
 甘く情熱的な香りだけを、残して――

●一幕:箱庭を愛する者たちと、その埋火

 数日後。
 カペル侯爵家所有の別荘で、エクスリオ・カペルは気ままな夜を過ごしていた。
 テラスのウッドデッキで酒杯を傾けながら、昼の熱が引いた夜風に身を預ける。

「――いい夜だ」

 夜香花(ナイトジャスミン )の甘く濃厚な芳香のなかに、夏咲き薔薇の上品な香りが混じっていた。
 零れ落ちるほどの熱情をのぞかせながらも、気高さを残すこの季節をエクスリオは愛している。

「宵にこそ勝る花がある。お前もそう思うだろう?」

 声をかけた先、夜香花の奥で闇が揺れた気がした。
 しばしの間のあと、無邪気さを帯びた声が返ってくる。

「見えなければ、がっかりしなくてすむもんね」

 花姿が見えないからこそ、その存在は際立ち、焦れてしまう。
 近づかなければ、手を伸ばさなければ、ずっと夢見ることだってできたかもしれないのに。

 闇の中から現れた少年は、初めて会った時からなにひとつ変わっていなかった。
 明るい夜を溶かしこんだような髪。鮮烈な色彩を放つ赤の瞳は、儚げな面差しのなかで、ひと際濃い印象をもたらしていて。

「なんの用だ、吸血鬼(ノア )」

 問うたエクスリオの声は、なぜだか少し楽しげだった。
 因縁の相手(父の仇 )と相対しているというより、旧知の友に出会ったかのような。
 けれどそこに決して親愛など無いことを、ノアは誰より理解している。

「分かりきったことを訊くんだね、リオは」

 ふ、と笑みを漏らした蒼玉侯を、ノアは玩具(ぬいぐるみ )を愛でるように眺めた。
 アルヴィン(父親 )ともイザベラ(母親 )とも異なる才気を持った、カペル家の現当主。
 気まぐれな気分屋でいながら、芯に根付く輝きは、両親から受け継ぐロイヤルブルー(蒼玉の最高色 )のそれだ。

「聞いたよ。君たち、集権派に追随するんだってね」

 そう切り出したノアの声音は、捉えどころのない甘さの中に、冷ややかなものを帯びている。
 こうなることを予見していたエクスリオに、特段動揺もないけれど。

「カペルは代々、王家へ忠義を尽くす家柄だ。王家の意向に異論などない」

 返ってくる言葉など予測していたのだろう、ノアの表情に変化はなかった。
 むしろカペルを理解しているからこそ、今こうして、エクスリオの前に姿を現してきているのだ。

「僕はね、君たち(カペル )の清廉さを貴いものだと思っているし、時流にも乗るべきだと思ってるんだ」

 でも、と鮮血を落としたかのような瞳が、蒼玉侯を捉えた。

「僕の大事な箱庭(カペル領 )を、僕以外が弄るのは感心しないな」

 老獪と無邪気、悦楽と切実を抱くノアの双眸を、エクスリオは無感動に眺めていた。
 カペル領を“美しい箱庭”と見て、独り善がりに愛してきた吸血鬼。
 父を殺し、母への歪んだ執着を続ける哀れな不死者の上で、どれほどの時と人が流れていったのか。
 慮るつもりも、ないけれど。

「くだらない前置きはいい。私(当主 )に何を望むのか、そろそろ言ったらどうだ」
「君たちが今やるべきなのは、出来得る限り現状を維持するよう立ち回ること。つまり、王家との交渉だよ」
「ふっ……そんなつまらないアドバイスを、わざわざしにきたわけじゃないだろう?」

 美貌の吸血鬼は、艶やかに瞳を細めた。
 その口元が形づくる言葉が、夏の宵空に溶けていく。

「ゲームをしようよ」

 どういう意味だと見返した先で、少女のように儚く整った顔が微笑(わら )った。

「僕が勝ったらリオを人間(吸血鬼 )にして、王家と交渉する」

「成程。私が勝てば、お前は死ぬんだな?」

 そうでなければ釣り合わないだろう? という視線を、ノアはあっさりと、始めから決まっていたかのように肯定した。

「玩具(人間 )の世界を調整するなら、それくらいの覚悟はないとね」

 要するにエクスリオを自分の傀儡にして王家と交渉すれば、カペル領を美しいままにできる――そう、ノアは考えているのだろう。

「心配しなくても、調整が終わったら僕は見守る側に戻るつもりだし、よその領地や玩具(人間 )に興味はないよ。大体、僕たち人間(吸血鬼 )が、玩具(人間 )の世界に介入するのはナンセンスだからね」

 無邪気に言いやる吸血鬼は、どこまでも独りよがりで、純粋で、愚かだ――
 エクスリオはある種、同情の念すら覚えた。
 長い時を生き、その知略で玩具箱を弄び続け、いつの間にか世界を閉ざしてしまったことにも気づいてない。
 かつて人だった生ける屍(アンデッド )は、終わりのない闇に囚われながら、あるはずのない永遠の光を追い求めている。
 ならば己の代で、終わらせてやるのがせめてもの温情というものだろう。

「いいだろう。互いに命を懸けると言うのであれば、お前の遊戯につき合ってやる」

 父の仇を取り、後顧の憂いを断つためならば、自分の命など安いものだ。
 ノアはまるで遊び仲間を見つけた子供のように、笑った。

「リオならそう言うだろうと思ってたよ」
「仮に私が負けたとしても、カペルは屈しないだろうがな」
「それはそれで、面白そうだけどね」

 吸血鬼は夢見るように瞳を細めてから、まるで愛する子供へ語りかけるように告げた。

「リオの事、アルの分まで愛してあげるよ?」

 エクスリオの中に強烈な感情がよぎり、埋火(うずめび )のように潜っていく。
 これは嫌悪であり、怒りだ。
 アルヴィン(父親 )を喪ったときから、ずっと消えることのない。

 激情をおくびにも出さず、エクスリオはただただ、冷たく笑った。
 降り積もった灰の深さを、決して覚られぬようにと。

 ――これは運命(さだめ )であり、私だけのもの(戦い )だ。

 ヴァンパイアの行う血の儀式がどれほどの意味を持つのか、人間が正確に理解するのは難しいのだろう。
 けれど血を交わし、親子となった吸血鬼が深い結びつきを持つこと、恐らくそこには抗いがたい執愛が生まれるであろうことは、これまでの歴史が物語っている。
 つまりどれほど強い意志があったとしても、ひとたび血を交わしてしまえば――父の仇である男を、父として愛してしまうということだ。

 エクスリオにとって、これ以上の屈辱はないと知った上で。

 それでも、この男は。

「それで、ゲームの内容は?」

 鷹揚に問うた先で、幼さを残す唇が開く。
 カペルの今後が決まる分岐点が、訪れようとしていた。

●幕間:生者と死者の狂詩曲

 玩具(人間 )の世界は、愚かだ。
 短い一生の中の、ほんのひとときの富と栄誉のために、欺き、蹴落とし、権力の傘にすがりつく。
 足元で踏みにじった名もなき花には、目もくれずに。

 道端で踏みつけられ、すっかり萎れた花を、ノアは静かな目で見降ろしていた。
 この花が息を飲むほどに美しければ、庇護されたのだろうか。
 あるいは誰もが知るほどに希少で、価値あるものであったなら。

 ふと、視線を感じ顔を上げる。
 目を向けた先で、赤髪の男(エルフ )がにこりと笑った。

「こんにちは」

 知らない顔だ。
 自分のような風貌(儚げな美少年 )の相手へ気安く声をかけてくるのは、人を疑うことを知らないお人好しか、そう言うのが好きな奴(クソ野郎 )と相場が決まっている。
 少なくともアレは、前者ではない。

「僕に何か用?」
「いえ。珍しい気を纏っていると感じたもので」

 ノアは相手を観察してみた。
 すらりとした長身に、人当たりの良い風貌は、一見好青年に見えなくもない。
 しかしとび色の瞳の奥にあるのは、長い時を経てきた老獪と、満たされることのない渇望(絶望 )で――

「ふうん、君もこちら側なんだね」

 その言葉に、エルフは再びにこりと微笑んだ。
 邪気の無い笑みに電波なものを感じるのは、恐らく気のせいではないのだろう。

「で、もう一度聞くけど、僕になんの用?」
「興味深いと感じたもので、見ていただけですよ」
「あのさ……勝手にひとのことをじろじろ見るのって、あんまり良い趣味じゃないよ?」

 エルフは瞬きをしてから、「確かにそうですね」と思案気な表情になった。

「ではひとつ、質問してもいいですか?」
「なに?」
「死なないってどんな気分なんです?」

 一瞬空気が張り詰めたように感じたのは、己の正体に相手が気づいていると確信したからだろう。
 けれどそれも束の間のことで、ノアはおかしそうに整った口元をほころばせた。

「面白いこと言うんだね。僕は死なないわけじゃないよ?」
「ああ、そうでしたね。もう死んでいるんでした」

 射貫くように見上げた先で、赤髪のエルフはまるで他意などないかのような面持ちで、こちらを見つめていた。
 面倒だ、とノアは思った。
 この種の手合いに関わると、碌なことが無い。
 殺してしまうことも考えたが、大事な箱庭をおかしな血で汚したくないし、無言で立ち去ったところで、それはそれでもっと面倒なこと(ストーカー被害 )になりそうな気がする。

「――もう忘れたよ」

 ため息交じりに漏れた言葉は、半分が本心、半分が■■■(見たくないもの )だった。
 この体になってから、どれだけの玩具(人間 )を見送ってきただろう。その中にはもう顔も思い出せない大切だったもの(ひと )が、あったはずなのに。

「どうでもいいことは考えないし、忘れるからね。君も同じでしょ?」
「確かに、忘れたことすら忘れてしまいますね」
「まあもし覚えていたとしても、君に話すつもりもないけど」

 そっけなく返した先で、エルフは残念そうに眉を下げた。

「そうですか……残念ですね。君の救い(絶望 )を、聞いてみたかったんですが」
「なら自分で試してみたら? お望みなら誰か紹介してあげるよ」
「そうですねえ。それも悪くないんですが……」

 小首を傾げていたエルフは、やっぱりにこりと笑った。

「一度くらいは、ちゃんと死んでみたいので」

「……君って、友達いないでしょ」
 ノアの言葉に、相手は瞳を瞬いた。虚を突かれたというより、なぜわかるのかと言っているような。

「僕はいつだって追い求めていますよ? 来るもの拒まず、去るもの離さず(プロストーカー )の精神ですから」
「追い求めてる時点で、友達いないの認めてるからね? まあいいよ。これ以上君と話してると、僕まで頭のネジが飛んじゃいそうだし」
「そんな、まさか自分だけは大丈夫(自分こそ外れてるよね? )なんて思ってませんよね?」

 二人の間に、得も言われぬ空気が流れた。
 同族嫌悪と同族愛好が入り混じった、ひどく湿度の高い。

「ほんと、性格悪いね」
「お互い様ですよ」
「まあ、否定はしないけど?」

 そう言って、互いに笑みを交わす。
 この世は美しい地獄だ。
 生きていようが、死んでいようが、魅入られてしまえば狂うことさえ幸福に見えるほどの。
 去ろうとするノアの背に、朗らかな声が届いた。

「君に救いが訪れることを、願ってますよ」
「余計なお世話。それにその言葉、まんま返してあげるから」

 きっともう二度と、会うことはないのだろう。
 一度だけ振り返った先で、赤髪のエルフは少しだけ寂しそうに笑った。

「ありがとうございます。良き死生を」

 ああ、やっぱり嫌な奴だ。

●二幕:蒼玉を継ぐ者、そのしるし

 シルヴィア・A・カペルが言い知れぬ胸騒ぎを覚えたとき、彼女はまったく似つかわしくない、なんなら不穏とは正反対と言い切れる場所にいた。

「もふもふ★もふきゅーん★★」

 目の前を横切っていく、もこもこの着ぐるみ。
 中の人は確か、結構なマッチョ……いや、中の人などいない(真顔)。
 ロスガリアの一部で最近人気のもふもふ魔獣をイメージした、小規模テーマパーク「もふきゅん★らんど」。
 スタッフの多くが原因不明の腹痛でダウンしたとのことで、急遽ピンチヒッターが集められた。
 シルヴィアは多忙の身であったものの、パーク運営者と顔見知りだったこともあり、息抜きを兼ねてやってきていたのだが……。

「想像以上に、もふもふだな……」

 制服(のようなもの)を借りたら、だいぶモフっていた。
 もはや着ぐるみといったほうがいいかもしれない。
 一瞬恋人を誘おうかと思ったが、止めておいてよかった。モフっている彼を見たら平常心でいられる自信がない。

「わーもふきゅん★かわいい!」
「もふきゅん★あくしゅして!」

 もふきゅん★(中身はマッチョ )、小さいおともだちに囲まれて大人気。なんかちょっと羨ましい。
 そのとき、シルヴィアの手(もふってる )が握られる感覚があった。見降ろした先で、ほっぺを紅潮させた少女が目をきらきらさせていた。

「おねえさんの服、かわいいね!」
「あ、ありがとう」

 少女はシルヴィアのもこもこおなかにぎゅーっと顔をうずめ、幸せそうに笑う。
 その様子があまりに微笑ましくて、頭を撫でてやり。

「喜んでくれると私も嬉しいよ」
「うん!」

 父親らしき人物と連れ立っていく背を、手を振りながら見送る。
 自分が少女だったころを、ほんのりと思い出しながら。

 家族というものは、不思議なものだ。

 その範囲はひどく曖昧で、血のつながりなどまるで関係ないこともあれば、非常に限定的な繋がりを示すこともある。
 時に救いとなり、時に呪いにもなる、特殊で特別な関係。
 カペル家の後継者として生まれ育てられたシルヴィアにとって、家族とはかけがえのないものであり、背負っていくべき重みを教えてくれる存在でもあった。

「おとうさん!」

 少女が呼び、大きな手が少女の頭を撫でた。
 見上げる横顔は、親の愛で満たされた、誇らしげな笑顔。
 そこにかつての自分を、シルヴィアは見た気がした。

 エクスリオ(父親 )との一番古い記憶は、なんだっただろうか。
 父は惜しみない愛情と、後継者としての知恵と、知識と、在りようを、あますことなくシルヴィアに注いでくれた。
 当代蒼玉侯の名に恥じぬ気品と気概、常にスマートな笑みを浮かべ、優雅な振る舞いで領民を導く背。
 その姿は彼女にとって「貴族とはかくあるべき」を体言したカペルそのものであり、いずれは自分が到達しなければならない標でもある。

 ただ――

 時おり、ほんの一瞬だけ、父のまなざしに小さな小さな、影が差すことをシルヴィアは知っている。
 その理由を尋ねたことはないけれど、祖父が若くして亡くなったことが関係しているのではないかと、最近になってよく思う。

「お父様……」

 ふいに漏れた言葉に、シルヴィアはどきりとした。
 なぜだか分からないが、言い知れぬ胸騒ぎが彼女の内をよぎり、沈んでいく。
 唐突に訪れた感覚は気のせいと言うには明瞭で、すぐさま行動に移すには、曖昧で。
 シルヴィアは小さくため息をつくと、空を仰ぎ見た。
 近頃の王国内は、相次ぐ変化の影響で不安定な状況が続いている。
 国の仕組みが大きく変わる時、相応の痛みが生じてしまうのは致し方のないことなのだろう。
 変化を望む者と抗う者たちが争い、時に凄絶な犠牲を生むことは歴史が物語っている。
 今回の紛争が終わるころには、どれだけの痛みを伴うのか――あまり考えたくはないけれど。

(お父様は、どう考えているのだろう)

 カペルは代々、王家に忠義を尽くす家柄だ。
 集権派への移行もいち早く表明したし、シルヴィア自身もそのことに異論はない。
 ただそこから生じる歪に対して、蒼玉侯(父 )がどう対応しようとしているのか――
 分かっているようで、肝心な部分が見えないもどかしさを、彼女は感じていた。
 きっと尋ねてみても、上手くはぐらかされてしまうのだろう。
 父は昔からすべてを享受する笑みの奥で、一番肝心な部分を内に秘めてしまうところがある……と、シルヴィアは密かに思っている。
 それが彼の強さであり、優しさなのだと、分かってはいるのだけれど。

「おねえさん!」

 呼びかけられた声に振り向くと、先ほどの少女がこちらを見上げていた。
 駆け戻って来たのか、頬は赤く、息が少し上がっている。

「あのね、これあげる!」

 差し出されたのは、道端で摘んだのだろう、一輪の名もなき花。
 白く小さな花弁が集まった姿に、シルヴィアは瞳を細めた。

「ありがとう。とても可愛い花だ」

 受け取ると少女はにこりと笑って、再びシルヴィアのもふもふおなかにぎゅうっと顔をうずめた。
 その様子を、少女の父親が優しげなまなざしで見つめている。

「またね、おねえさん!」

 帰っていく親子を、手を振りながら見送る。
 親子は顔の造りも、髪色も、瞳の色も違うのに、不思議と似ていると感じた。
 きっと彼女たちが持つ佇まいに、二人を繋ぐ“しるし”がにじみ出ているのだろう。
 シルヴィアとエクスリオが、そうであるように。

 父と娘は似ているようで、似ていない。
 似ていないようで、似ている。
 シルヴィアの外見は祖父に生き写しだと誰もが言うし、おそらくその通りなのだろう。
 幼い頃は、父親と似ていない見た目を気にして、父に尋ねたこともある。

 ――おとうさま。どうしてわたしの髪や目は、おとうさまとちがう色をしているの?

 あの時、父はなんと答えただろうか。
 遠い記憶の糸をたぐりよせようとした、その時。

「もふもふ★もふきゅーん★★」

 再び目の前を、もこもこの着ぐるみが横切っていった。
 追いかける子供の数も、倍くらいに増えている。
 笑顔があふれ、歓声が空へと駆け上がってゆくさまは、今この瞬間、確かな平和(もふもふ )がここにあるのだと教えてくれる。
 シルヴィアはモフっている自分の手を、そっと頬に当ててみた。

「……もふきゅーん★」

 小さく呟き、はっと周囲を見やる。
 誰にも聞かれていなかったことに、胸を撫でおろしつつ。
「これは危険だな……」
 恐るべしもふきゅん★、抗いがたい中毒性をはらんでいる。
 癖になってうっかり口に出ないことを祈りながら、再び空を仰ぎ見た。

 ――私は何があっても、手を伸ばすことを諦めない。そう、決めたのだから。

 大切なものは、この手(今はモフい )で。多くの出会いと想いを編み上げた結晶(覚悟 )は、この先揺らぐことはないだろう。
 そう確信できる自分を、少しだけ誇りに、また前を向く。
 数日後、恋人の前でもふきゅーん★が出てしま……ったかどうかは、また別のお話。

●幕間:コッペリアのアリア

 あるところに ひとりのにんげんが いました。
 にんげんは いつもひとりでした。
 ときどき おきにいりの おもちゃを みつけても
 おもちゃは すぐに こわれてしまいます。
 だいすきな おもちゃが こわれるたびに にんげんは かなしみました。
 けれど なんども なんども こわれるうちに
 にんげんはもう、こわれた おもちゃのことを おもいださないように なりました。

 あるひ にんげんは おもいつきます。
 そうだ ぼくのかんがえた もっとも うつくしい はこにわを つくろう。
 はこにわのなかに たくさんの おもちゃをいれて
 たいせつに たいせつに いつくしもう。
 そうすれば もう だいじなものが こわれないと おもったのです。

 はこにわをつくった にんげんは しあわせでした。
 おもちゃとあそんでいるときは おわることのない こどくを すこしだけ わすれられました。
 そうしてどれくらい じかんが たったでしょう。
 あるひ にんげんは このよのひかりを あつめたかのような おもちゃをみつけました。
 にんげんは そのおもちゃに むちゅうになりました。
 すきで たいせつで すきで たいせつで
 すきで すきで たいせつで すきで すきで すきで すきで
 すきで すきで すきで すきで すきで すきで すきで

 じぶんと おなじ にんげんに してしまいたくらい





 おもちゃは にんげんの てのひらから こぼれおちて







      (泣かないで )




 どうして。

 どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして




 ぼくは ただ





 ■■(人間 )に なりたかったのに



●終幕:蒼玉の誉れ

 “この世はすばらしい。戦う価値がある”

 と、ある詩人は言った。

 “後半の部分には、賛成だ”

 と、ある老父は言った。

「君はどう思う?」

 エクスリオの問いかけに、男は酒杯にゆっくりと口をつけてから、淡く微笑んだ。

「僕は老父の考えを尊いと思うよ」
「ほう?」
「だって彼はこう思ってるわけだろう? “この世はクソだが、戦う価値はある”って。それってある意味、究極の人間賛歌じゃないか」

 もちろん、この“人間”には全種族が含まれてることを、エクスリオは理解している。
 男の頭部で、長い獣耳がゆらゆらと揺れていた。

「きっとその老父は、ずっと戦い続けてきたんだろうな。なんなら負けることばかりだったかもしれない。それでもクソみたいな世の中に戦うだけの価値を見いだしてるんだよ。ある意味狂ってるね。最高だ」

「なるほど、面白い見解だ」

 楽しそうに耳を傾けるエクスリオを、男はちらりと見やった。

「で、アンタはどう思ってるの」

 そう問い掛ける目は、好奇心で満たすわけでもなく、凪いでいた。
 きっとエクスリオが答えようが、答えまいが、どちらでもよいのだろう。

「私は価値を考えることはない。戦うべき時に、戦うだけだ」
「シンプルだね。それって、戦うべき時を知ってるヤツにしかできないって、わかってて言ってるんだろう?」
「もちろんだ」

 口端を上げた先で、男はふっと笑みを漏らした。

「ずいぶん、傲慢なんだな」

 笑みを返し、酒杯を飲み干すエクスリオを、男はやれやれと眺めている。
 やがて自分のグラスに視線を戻すと、独り言のように呟いた。

「でもアンタみたいなのを見てると、この世にはまだ希望が残ってるんじゃないかって思えてくるよ」
「それを見せるのが、私の役目だからな」
「……アンタ、一体何者なんだ?」

 エクスリオは立ち上がると、フルートを手に周囲へ呼びかけた。

「何か一曲、奏でてみせよう。リクエストはあるか?」
「いいね兄ちゃん! 気分が上がるのを頼むよ!」

 軽やかな音色が酒場に広がり、ほろ酔いの男たちが陽気なダンスを踊り始めた。
 飛び入り参加したビオラ弾きが、速弾きの腕前を披露すると、フルートも応じるように見事な指さばきを演じてみせる。
 即興の応酬が終われば、ビオラの伴奏でフルートが高らかに愛の歌を響かせ。
 男は呆けたように、ただ聞き入っていた。
 エクスリオの奏でる音は、時に情熱的で、時に悪戯めいて、時に息を飲むほどに人を惹きつける――

「さあ、君のリクエストはなんだ?」

 問われた先で、獣耳の男は一瞬沈黙したあと。
 どこか困ったように、希望を告げた。

「弱ったな。アンタが一番好きな曲を、聞いてみたくなった」

 ■

 酒場をあとにしたエクスリオは、人目に付かない場所で待たせておいた馬車に乗り込んだ。
 主の帰りを待っていた執事が、おやといった様子で。

「今夜は随分ご機嫌がよろしいのですね。市井の皆さまと何かおありになったのですか」
「お前はいちいち察しが良いから困る」

 苦笑しながら、馬車の揺れに体を預ける。流れてくる夜風が、頬を心地よく撫でていく。

「カペル(領)の者たちは、美しいな」

 ぽつりと呟いた言葉に、執事はええと頷いた。

「カペル家が代々、この地と領民を育まれたからです」
「我々にできることなど、ほんの一握りだ。この地を愛し、営みを続けてきた民を、私は心から誇りに思う」

 執事は主の顔を、それとなく見つめた。
 今宵のエクスリオは、いつにも増して言葉に熱を帯びている。
 酒のせいといえばそうかもしれないが、何か、もっと切実めいたものがあるような気にもさせられて。

(不思議な方だ)

 当代の蒼玉侯は大胆で奔放、時々暇を見つけては、素性を隠し領民に紛れ込む。
 市井の人々に溶けこむ気安さを見せたかと思えば、誰も寄せ付けないほどのカリスマ性を惜しみなく放つロイヤルブルー(蒼玉の最高色 )。
 若くして先代を亡くし、次代の希望を一心に引き受けてきた主の内は、いかばかりだったか。
 長く仕えてきた執事でさえ、その芯の部分を垣間見たことはないけれど。

「そういえば、今日お嬢様がお見えになっていましたよ。近くに来られたからと」
「シルヴィアも最近は忙しくしているようだからな。変わりは無かったか」
「ええ。エクスリオ様にお会いになりたかったようで」
「私に? 何か用事でもあったのか」
「お聞きしても、顔を見に来ただけだとしか仰りませんでした」

 エクスリオは「そうか」とだけ返すと、それ以上は何も言わなかった。

「お嬢様は学園を卒業されて、また一段と頼もしくなられましたね」
「まだまだだがな。随分顔つきは良くなってきた」

 学園生として、冒険者として、多くの者との出会いが、彼女を成長させたのだろう。
 ここ数年でシルヴィアのまなざしには、蒼玉を継ぐ者としての矜持と覚悟が鮮明に宿るようになった。
 若さゆえに甘いところはあれど、エクスリオの後継として十分に足りるほどの――

 ……

 ………

「エクスリオ様、そろそろ到着いたします」

 執事に呼びかけられ、エクスリオは目を開けた。いつの間にか、うたた寝をしていたらしい。

「お疲れのようでございますね。明日のスケジュールは、後日にずらしてもよろしいのでは」
「問題ない。今は悠長に構えているときでもないからな」

 とはいえ、最近のエクスリオは昼間は当主としての公務をこなし、夜は貴族の社交に加え、領内の空気を自らの目で確認するなど、働きづめの日々を送っている。
 執事の目から見ても心配になるほどだが、王国が大きく変わろうとしている今、カペル当主として来る日に備えているであろうことが、分かるからこそ。

「エクスリオ様」
「なんだ」
「私どもは、カペルにお仕えすることを誇り思っております」

 こちらを向いた紅き蒼へ、執事は今一度、宣言するのだ。

「貴方様は、蒼玉の誉れ。どうぞこの先も、私たちの光で在り続けてくださいますよう」

 今までも、これからも。
 蒼を継ぐ者に自分たちは惹かれ、共に在る誇りを胸に、生きてゆくのだと。

 当代蒼玉侯は、ゆったりと微笑んでみせた。
 民衆の上に立つ者が、導く者が、見せるべき顔を、知り尽くした笑みで。

 白み始めた空が、カペルの地をゆっくりと目覚めさせていく。
 朝告げ鳥が鳴く声が、どこかで聞こえた気がした。

assignment【DA】史実ノベル 関連特設ページ

メアリー王女が冒険者達の協力を得て稼働させた「王家の耳」。メアリーは無作為に集まってくる情報を、余人に及びもつかぬ閃きを持って分析しながら、今日も世界の動きへ耳を傾けている。
集まった情報の中には、世界の情勢に影響はないかもしれないが興味深い個人の記録があるかもしれない。

墓標、白き追憶/弓月 蒼
トゥーリ/アストリッド・リーヴァイス
拝啓、星空のあなたへ/弓月 蒼
Alexandra・Hexe・Claudia/マリステラ・コナー

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