【DA】リーンエスの耳
ローザリカ・L・ディオール/ クロード・マリナス
『ノベルタイトル:オーブ商会の船出の日』紀藤トキ
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学業に花嫁修業に冒険者活動と、多忙な日々を過ごすローザリカ・L・ディオールが、新商会の準備に割ける時間は少ない。彼女の時間と経験の不足を補う共同経営者として兄から紹介されたクロード・マリナスは、優秀な男であった。
「辺境伯領での出店許可は無事に頂けました。領都に条件の良い店舗物件があったので確保してあります。従業員候補は私の知人から3人、現地採用を2人。後で顔合わせの時間を取りますから、問題があったらお伝えください」
「……さすがの手際だな。これでは僕が居る必要が無さそうだ」
「この程度でしたら。……と、言いたい所ですが、お嬢様が居られなければ、こう順調には進みませんでしたよ」
クロードは「こんな楽な仕事は珍しい」と言う。領主である南方辺境伯とローザリカには貴族令嬢としてでは無く冒険者としての信頼関係があり、さらには大型魔獣の危機に際して被害を最小限で切り抜けた時の立役者の一人。同じく内戦の危機を食い止めた件にも名前を連ねているとあれば、辺境伯領民からの受けも良い。
「新規参入を目障りに思う連中というのは居るものですがね。お嬢様のお名前を出すだけで鼻薬の必要もありませんでしたよ」
もちろん、時間をおけば感謝の念というのは徐々に風化する。その意味でも、商会を立ち上げるには今がベストなタイミングだったのだろう。上機嫌なクロードが案内したのは、後ろに倉庫を構えた一軒家であった。大商会であれば港に倉庫を持つのだろうが、駆け出し商会にはこれで十分。むしろこの倉庫をいっぱいにするだけの仕入れ先が確保できるかが問題になる。――通常であれば。
「何を扱うか決めてもいないのに、開店の噂だけで売り込みに来る領民がいましてね」
海沿いの辺境伯領では海軍と漁民の繋がりは深く、彼らが受けた恩義を自分の物のように感じている者もいるようだ。冒険者のおかげで身内が命を拾ったという話も聞いたという。ローザリカにしてみれば、全てが自分の手柄というわけではないので面はゆいが、『あの時駆けつけた冒険者』というのは、伯爵令嬢の肩書きよりもよほど強いらしい。
「新鮮な魚介を融通してくれるようですよ。干せば日持ちもするので王都へ持ち込むのも簡単です。大きく形が良いものや珍しいものを安定して供給できるのであれば、付加価値もつくでしょう」
「なるほど、リベラ商会の商隊に輸送を任せられる事も考えれば、間違いの無い商売だ」
食の分野はライバルも多いが、簡単に値崩れすることもなく手堅い商売だ。一大消費地である王都グランスパーダへ食料を持ち込めば、よほど下手を打たない限りは売り余す事は無い。さすがと思いつつも、ローザリカも勉強してきている。クロードの提案に頷くばかりのつもりは無かった。
「王都近郊では入手できない食料品を扱うのは良いと思う。だが、手堅い代わりに儲けは少ないだろう? 僕としては、できれば加工品を手がけたい」
「手の込んだ加工品というと……、魚卵の塩漬けとかですか? あれはなかなかいけます」
「それは一度食べてみたいが、そうじゃない。衣料品を扱えないだろうか」
「ほう。伺いましょう」
面白そうな顔で聞く姿勢になったクロードへ、ローザリカは練ってきたアイデアを伝える。同盟や辺境からの輸入品は数あれど、高価で希少な品々を扱う商会へ後から割り込むのは難しかろう。ベールコートの百合茶のような名産品も同様、産地と手を組んでいる商会があるはずだ。その点、衣類であれば食料と同様に生活必需品でもあり、どこかの商会が占有するようなものではないが故に、新規参入のハードルは低い。
「衣類には地方ごとにそれぞれの特徴がある。リーンエス王国の民には物珍しく見えるだろうが、売り方を間違えなければ受け入れて貰える筈だ。最初は現地で仕立てられたものをそのまま販売しても良いし、あるいは布地だけ取り寄せて、仕立ては王国で別に行う形でも良いと思う」
「なるほど。冒険者として方々を訪れているお嬢様がそう言うのならば、そうなのでしょう。仕立ては私には知識がありませんが、丸抱えするか、あるいは方針だけ伝えて卸す形でも問題は無いですね……」
駄目だしの一つも出るかと身構えていたローザリカだが、皮肉屋のクロードが異論の一つも無く検討に入ったので肩透かしを食った気分である。
「……僕の案は頭で考えただけのものだ。クロードから見て無理のある点など、無いだろうか」
「いえ。失敗する可能性はそりゃあありますが、実現不能だとは思いません。悪くない着想です」
と、「よくできました」と家庭教師が幼子に言うような表情で言われては、いささか面白くは無い。おそらくローザリカのその面白くなさも分かった上でわざとそういう笑みを貼り付けているのであろう。
「……クロードのお眼鏡に叶ったのなら、その『お嬢様』は辞めて欲しいのだが。僕は確かに年下だが、共同経営者なのに必要以上に子供扱いされているようで、面白くない」
「はぁ……」
と、勇を鼓して伝えると、「よくできました」の笑みを崩さぬままにクソでか溜息を吐かれた。案外器用な男である。
「宜しいですか? お嬢様は御実家が商会を持っているのに、なぜか手薄な南の街で商売を始めました」
「あ、ああ。そうだな」
「親の目も届かぬ南の町で、未婚の令嬢が始めた商会にはなんと! 若くて優秀で顔も良い男が共同経営者として居座っているわけです。そんな共同経営者の男とお嬢様の距離が近いと、どのような噂が立つかお分かりでしょうか?」
「噂……?」
「婚約者のいない南で羽を伸ばして平民の愛人とよろしくやってるな、と」
「ありえないだろう!? ……ありえない、よな?」
反射的に否定してから、ちょっと自信を無くしてメイドの方を見る。
「そのような噂が立たないように私も気を配っておりますが、できればお嬢様にも諸々ご配慮頂ければと思うことはございます」
忠実なメイドが視線を反らし、お仕事モードでそう言うということは、そういうことだ。いつも苦労を掛けているので労わねばなるまいが、まあそれは2人の時で良い。言われた言葉は理解した。解釈してから、ローザリカも深々と溜息を吐く。
「いや、ありえないだろう……」
「私にとってもあいつの妹って言う時点でかなりありえませんが、そこまで言われると腹が立ちますね。いいんですか? お嬢様を甘い甘い口調で呼び捨てにしても。多分、噂にはなるでしょうし、婚約者殿の耳にも入ると思いますが?」
「良くない。やめて欲しい」
真顔で即答した。そう、ローザリカにも譲れない一線はある。ではこれまで通りに『お嬢様』でと言うクロードに対して、それは嫌だと食い下がること数度。何とか『様』を取って『お嬢』とすることで折り合いをつけた。
「もしかして、『クロード』と僕が呼び捨てるのもあまり良くは無いのか」
「平民の使用人相手だと思えば問題ないのですが、接する相手は人を使う身分の者ばかりではないですからね。聞く相手次第では噂の種になりましょう」
「ん、では『共同経営者殿』か?」
「一応共同経営者としていますが、船に例えるならお嬢が船長で私は航海士といったところでしょう。長はあくまでお嬢ですから、私の役職であれば『代行』とか『代理』くらいが相応ですね」
ローザリカが商会長で、クロードが商会長代理。商会の経営では代理へ全権委任することも普通にあることだそうなので、その肩書きでも実際の業務には困らないという。
「では……、改めて宜しく頼む。『代行殿』」
「こちらこそ宜しくお願い致しますよ、『お嬢』」
●
今後の方針を打ち合わせた後は、クロードが店舗を案内してくれるというのでついて行くこととした。最初の商会に使う建物は自分で選んでみたかった気持ちもあるが、結婚までに残された時間は短い。省ける時間は省くのが正しかろう、と些細な不満を飲み込む。
「いや、本店はお嬢が手配して決めればいいじゃないですか」
「最初に作るのが本店ではないのか?」
「ウェルジー伯爵のところに作るのか、それとも王都でケレス侯爵の本邸の近くに作るのかは知りませんが、お嬢の活動する本拠地に作るのが本店でしょう。ここはあくまで、支店第一号です」
「そうか、支店……」
商会として一カ所に店を出すだけではゴールでは無い、と言われているようで身が引きしまる。確かに、結婚後に『使える』駒とする為には、いつまでも小さな商会ではいられない。
「言われたとおり、オーブ商会で看板もできあがってますよ。大事な宝物って感じの響きは、女性商会らしい名前でいいんじゃないですかね」
「どこかの言葉で夜明けとかの意味合いもあると聞いた。それに、薔薇の品種名にもあるので僕の名前にも掛けてある」
「ほう。商売に入る前の掴みの雑談に良さそうな話ですね」
ローザリカのつけた名称はクロードにも好評のようだ。自分が商会長ならそんなお洒落な名前は恥ずかしくて付けられない、というのが褒め言葉なのかは微妙な気もするが。店の前で看板に掛かった幕を取り外し、建物の中に入った。身綺麗な男性が3名と庶民風の男性と少年。身綺麗な3人のうち若い2人は学園の卒業生で、老齢の1人はクロードの実家であるマリナス商会の元従業員だという。
「2人は幹部候補ですから、将来の話もしてあります。むしろ辺境伯領に店を出して終わったら話が違うと怒られますね」
「責任重大だな、代行殿が」
クロードと同様に大きな商会の次男と三男で、クロードが独立するときには誘って欲しいと言われていたので声を掛けたという。当然ながら、学生であるローザリカよりも知識も経験も上であろう。老人はマリナス商会の護衛頭だったそうで、まさかの武闘派であった。授恵者のローザリカが個人としては最大戦力であるのだが、人を使っての護衛や警備の知識を持つ人間が1人いるのは心強い。
「クロードのことは信用しているだろうが、僕のことはまだ分からないだろう。いずれ実家のリベラ商会にも負けぬ商いをしたいと思っている。宜しく頼む」
「実家に負けないっていう響きには憧れますね。こちらこそ宜しくお願い致します」
一歩下がった様子の老人は優しい目で頷いており、職から受けるイメージとは印象が大分違う。残る庶民2人は地元採用で、片方は怪我で行商ができなくなったという青年。もう1人はローザリカよりもまだ年少の子供である。聞けば、孤児であるらしい。
「……クロードにも慈愛の心があった、と言うわけでは無いのだろう?」
「領都とはいえ地方ですからね。最初から読み書き計算のできる者を探すよりも、目端の利く者を育てた方が楽です。それに子供のリーダー格を抑えておけば、必要なときに必要な分だけ、簡単な仕事を割り振れますから」
例えば、いつ戻ってくるか分からない船が港に着き次第に店まで走って知らせるというような、大人を使うまでも無い仕事に使う事ができる。大店であれば港に倉庫を構えて仕入担当を置くのだろうが、個人商会ではそうはいかない。
「将来を見越した投資ですよ。人は、ここからまだまだ増えるのを見越しています。ああ、衣料関係に詳しい人間も探した方が良さそうですね」
「僕の方でも、知り合いに当たってみるとしよう。デザインについては知らないのだが、布や糸についての知識は人並み以上にある。……頷いてくれるかどうかは分からないけれどね」
他にも商会を手伝ってくれるような知人はいるかもしれない。貴族向けであれば貴族令嬢のたしなみ程度にデザインも分かるが、平民向けとなればローザリカにも自信が無い。立場から要求される程に広くはない貴族令嬢としての交友関係に比べ、冒険者としての交友関係は充実しているのが幸いだ。それに、今後の王国の将来を考えれば、異種族に適した衣類を作るというのも面白く感じる。王国の商会長で彼女よりも異種族の友人知人に恵まれた者は少なかろう。その長所をうまく活かせば、きっとオーブ商会の強みとなる筈だ。
「とりあえず今日のところは、開店を祝おう。明日からは方針に従って動いて欲しい。細かいところは代行殿に任せる」
「はいはい、任されますよ」
海鮮料理の店から取り寄せた料理と、軽い酒。そつの無いメイドが主の希望を汲んだらしく、先ほど話していた魚卵の塩漬けもあるようだ。メイドまで数に入れても僅か8名の、オーブ商会の船出の日であった。
学業に花嫁修業に冒険者活動と、多忙な日々を過ごすローザリカ・L・ディオールが、新商会の準備に割ける時間は少ない。彼女の時間と経験の不足を補う共同経営者として兄から紹介されたクロード・マリナスは、優秀な男であった。
「辺境伯領での出店許可は無事に頂けました。領都に条件の良い店舗物件があったので確保してあります。従業員候補は私の知人から3人、現地採用を2人。後で顔合わせの時間を取りますから、問題があったらお伝えください」
「……さすがの手際だな。これでは僕が居る必要が無さそうだ」
「この程度でしたら。……と、言いたい所ですが、お嬢様が居られなければ、こう順調には進みませんでしたよ」
クロードは「こんな楽な仕事は珍しい」と言う。領主である南方辺境伯とローザリカには貴族令嬢としてでは無く冒険者としての信頼関係があり、さらには大型魔獣の危機に際して被害を最小限で切り抜けた時の立役者の一人。同じく内戦の危機を食い止めた件にも名前を連ねているとあれば、辺境伯領民からの受けも良い。
「新規参入を目障りに思う連中というのは居るものですがね。お嬢様のお名前を出すだけで鼻薬の必要もありませんでしたよ」
もちろん、時間をおけば感謝の念というのは徐々に風化する。その意味でも、商会を立ち上げるには今がベストなタイミングだったのだろう。上機嫌なクロードが案内したのは、後ろに倉庫を構えた一軒家であった。大商会であれば港に倉庫を持つのだろうが、駆け出し商会にはこれで十分。むしろこの倉庫をいっぱいにするだけの仕入れ先が確保できるかが問題になる。――通常であれば。
「何を扱うか決めてもいないのに、開店の噂だけで売り込みに来る領民がいましてね」
海沿いの辺境伯領では海軍と漁民の繋がりは深く、彼らが受けた恩義を自分の物のように感じている者もいるようだ。冒険者のおかげで身内が命を拾ったという話も聞いたという。ローザリカにしてみれば、全てが自分の手柄というわけではないので面はゆいが、『あの時駆けつけた冒険者』というのは、伯爵令嬢の肩書きよりもよほど強いらしい。
「新鮮な魚介を融通してくれるようですよ。干せば日持ちもするので王都へ持ち込むのも簡単です。大きく形が良いものや珍しいものを安定して供給できるのであれば、付加価値もつくでしょう」
「なるほど、リベラ商会の商隊に輸送を任せられる事も考えれば、間違いの無い商売だ」
食の分野はライバルも多いが、簡単に値崩れすることもなく手堅い商売だ。一大消費地である王都グランスパーダへ食料を持ち込めば、よほど下手を打たない限りは売り余す事は無い。さすがと思いつつも、ローザリカも勉強してきている。クロードの提案に頷くばかりのつもりは無かった。
「王都近郊では入手できない食料品を扱うのは良いと思う。だが、手堅い代わりに儲けは少ないだろう? 僕としては、できれば加工品を手がけたい」
「手の込んだ加工品というと……、魚卵の塩漬けとかですか? あれはなかなかいけます」
「それは一度食べてみたいが、そうじゃない。衣料品を扱えないだろうか」
「ほう。伺いましょう」
面白そうな顔で聞く姿勢になったクロードへ、ローザリカは練ってきたアイデアを伝える。同盟や辺境からの輸入品は数あれど、高価で希少な品々を扱う商会へ後から割り込むのは難しかろう。ベールコートの百合茶のような名産品も同様、産地と手を組んでいる商会があるはずだ。その点、衣類であれば食料と同様に生活必需品でもあり、どこかの商会が占有するようなものではないが故に、新規参入のハードルは低い。
「衣類には地方ごとにそれぞれの特徴がある。リーンエス王国の民には物珍しく見えるだろうが、売り方を間違えなければ受け入れて貰える筈だ。最初は現地で仕立てられたものをそのまま販売しても良いし、あるいは布地だけ取り寄せて、仕立ては王国で別に行う形でも良いと思う」
「なるほど。冒険者として方々を訪れているお嬢様がそう言うのならば、そうなのでしょう。仕立ては私には知識がありませんが、丸抱えするか、あるいは方針だけ伝えて卸す形でも問題は無いですね……」
駄目だしの一つも出るかと身構えていたローザリカだが、皮肉屋のクロードが異論の一つも無く検討に入ったので肩透かしを食った気分である。
「……僕の案は頭で考えただけのものだ。クロードから見て無理のある点など、無いだろうか」
「いえ。失敗する可能性はそりゃあありますが、実現不能だとは思いません。悪くない着想です」
と、「よくできました」と家庭教師が幼子に言うような表情で言われては、いささか面白くは無い。おそらくローザリカのその面白くなさも分かった上でわざとそういう笑みを貼り付けているのであろう。
「……クロードのお眼鏡に叶ったのなら、その『お嬢様』は辞めて欲しいのだが。僕は確かに年下だが、共同経営者なのに必要以上に子供扱いされているようで、面白くない」
「はぁ……」
と、勇を鼓して伝えると、「よくできました」の笑みを崩さぬままにクソでか溜息を吐かれた。案外器用な男である。
「宜しいですか? お嬢様は御実家が商会を持っているのに、なぜか手薄な南の街で商売を始めました」
「あ、ああ。そうだな」
「親の目も届かぬ南の町で、未婚の令嬢が始めた商会にはなんと! 若くて優秀で顔も良い男が共同経営者として居座っているわけです。そんな共同経営者の男とお嬢様の距離が近いと、どのような噂が立つかお分かりでしょうか?」
「噂……?」
「婚約者のいない南で羽を伸ばして平民の愛人とよろしくやってるな、と」
「ありえないだろう!? ……ありえない、よな?」
反射的に否定してから、ちょっと自信を無くしてメイドの方を見る。
「そのような噂が立たないように私も気を配っておりますが、できればお嬢様にも諸々ご配慮頂ければと思うことはございます」
忠実なメイドが視線を反らし、お仕事モードでそう言うということは、そういうことだ。いつも苦労を掛けているので労わねばなるまいが、まあそれは2人の時で良い。言われた言葉は理解した。解釈してから、ローザリカも深々と溜息を吐く。
「いや、ありえないだろう……」
「私にとってもあいつの妹って言う時点でかなりありえませんが、そこまで言われると腹が立ちますね。いいんですか? お嬢様を甘い甘い口調で呼び捨てにしても。多分、噂にはなるでしょうし、婚約者殿の耳にも入ると思いますが?」
「良くない。やめて欲しい」
真顔で即答した。そう、ローザリカにも譲れない一線はある。ではこれまで通りに『お嬢様』でと言うクロードに対して、それは嫌だと食い下がること数度。何とか『様』を取って『お嬢』とすることで折り合いをつけた。
「もしかして、『クロード』と僕が呼び捨てるのもあまり良くは無いのか」
「平民の使用人相手だと思えば問題ないのですが、接する相手は人を使う身分の者ばかりではないですからね。聞く相手次第では噂の種になりましょう」
「ん、では『共同経営者殿』か?」
「一応共同経営者としていますが、船に例えるならお嬢が船長で私は航海士といったところでしょう。長はあくまでお嬢ですから、私の役職であれば『代行』とか『代理』くらいが相応ですね」
ローザリカが商会長で、クロードが商会長代理。商会の経営では代理へ全権委任することも普通にあることだそうなので、その肩書きでも実際の業務には困らないという。
「では……、改めて宜しく頼む。『代行殿』」
「こちらこそ宜しくお願い致しますよ、『お嬢』」
●
今後の方針を打ち合わせた後は、クロードが店舗を案内してくれるというのでついて行くこととした。最初の商会に使う建物は自分で選んでみたかった気持ちもあるが、結婚までに残された時間は短い。省ける時間は省くのが正しかろう、と些細な不満を飲み込む。
「いや、本店はお嬢が手配して決めればいいじゃないですか」
「最初に作るのが本店ではないのか?」
「ウェルジー伯爵のところに作るのか、それとも王都でケレス侯爵の本邸の近くに作るのかは知りませんが、お嬢の活動する本拠地に作るのが本店でしょう。ここはあくまで、支店第一号です」
「そうか、支店……」
商会として一カ所に店を出すだけではゴールでは無い、と言われているようで身が引きしまる。確かに、結婚後に『使える』駒とする為には、いつまでも小さな商会ではいられない。
「言われたとおり、オーブ商会で看板もできあがってますよ。大事な宝物って感じの響きは、女性商会らしい名前でいいんじゃないですかね」
「どこかの言葉で夜明けとかの意味合いもあると聞いた。それに、薔薇の品種名にもあるので僕の名前にも掛けてある」
「ほう。商売に入る前の掴みの雑談に良さそうな話ですね」
ローザリカのつけた名称はクロードにも好評のようだ。自分が商会長ならそんなお洒落な名前は恥ずかしくて付けられない、というのが褒め言葉なのかは微妙な気もするが。店の前で看板に掛かった幕を取り外し、建物の中に入った。身綺麗な男性が3名と庶民風の男性と少年。身綺麗な3人のうち若い2人は学園の卒業生で、老齢の1人はクロードの実家であるマリナス商会の元従業員だという。
「2人は幹部候補ですから、将来の話もしてあります。むしろ辺境伯領に店を出して終わったら話が違うと怒られますね」
「責任重大だな、代行殿が」
クロードと同様に大きな商会の次男と三男で、クロードが独立するときには誘って欲しいと言われていたので声を掛けたという。当然ながら、学生であるローザリカよりも知識も経験も上であろう。老人はマリナス商会の護衛頭だったそうで、まさかの武闘派であった。授恵者のローザリカが個人としては最大戦力であるのだが、人を使っての護衛や警備の知識を持つ人間が1人いるのは心強い。
「クロードのことは信用しているだろうが、僕のことはまだ分からないだろう。いずれ実家のリベラ商会にも負けぬ商いをしたいと思っている。宜しく頼む」
「実家に負けないっていう響きには憧れますね。こちらこそ宜しくお願い致します」
一歩下がった様子の老人は優しい目で頷いており、職から受けるイメージとは印象が大分違う。残る庶民2人は地元採用で、片方は怪我で行商ができなくなったという青年。もう1人はローザリカよりもまだ年少の子供である。聞けば、孤児であるらしい。
「……クロードにも慈愛の心があった、と言うわけでは無いのだろう?」
「領都とはいえ地方ですからね。最初から読み書き計算のできる者を探すよりも、目端の利く者を育てた方が楽です。それに子供のリーダー格を抑えておけば、必要なときに必要な分だけ、簡単な仕事を割り振れますから」
例えば、いつ戻ってくるか分からない船が港に着き次第に店まで走って知らせるというような、大人を使うまでも無い仕事に使う事ができる。大店であれば港に倉庫を構えて仕入担当を置くのだろうが、個人商会ではそうはいかない。
「将来を見越した投資ですよ。人は、ここからまだまだ増えるのを見越しています。ああ、衣料関係に詳しい人間も探した方が良さそうですね」
「僕の方でも、知り合いに当たってみるとしよう。デザインについては知らないのだが、布や糸についての知識は人並み以上にある。……頷いてくれるかどうかは分からないけれどね」
他にも商会を手伝ってくれるような知人はいるかもしれない。貴族向けであれば貴族令嬢のたしなみ程度にデザインも分かるが、平民向けとなればローザリカにも自信が無い。立場から要求される程に広くはない貴族令嬢としての交友関係に比べ、冒険者としての交友関係は充実しているのが幸いだ。それに、今後の王国の将来を考えれば、異種族に適した衣類を作るというのも面白く感じる。王国の商会長で彼女よりも異種族の友人知人に恵まれた者は少なかろう。その長所をうまく活かせば、きっとオーブ商会の強みとなる筈だ。
「とりあえず今日のところは、開店を祝おう。明日からは方針に従って動いて欲しい。細かいところは代行殿に任せる」
「はいはい、任されますよ」
海鮮料理の店から取り寄せた料理と、軽い酒。そつの無いメイドが主の希望を汲んだらしく、先ほど話していた魚卵の塩漬けもあるようだ。メイドまで数に入れても僅か8名の、オーブ商会の船出の日であった。
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メアリー王女が冒険者達の協力を得て稼働させた「王家の耳」。メアリーは無作為に集まってくる情報を、余人に及びもつかぬ閃きを持って分析しながら、今日も世界の動きへ耳を傾けている。
集まった情報の中には、世界の情勢に影響はないかもしれないが興味深い個人の記録があるかもしれない。