【DA】リーンエスの耳
海神 江流/ ヘルベルト・ミヒャエル・リヴァマス
『ノベルタイトル:とある伯爵家の養子縁組』紀藤トキ
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冬の晴れた日。海神 江流は、ヘルベルト・ミヒャエル・リヴァマス老に会うためにパンクリアース学園を訪れていた。向かった『魔法使いの塔』区画は、政治的な理由や能力を危険視されたなど、様々な理由で市井から隔離された住人の住処である。
「先生、お久しぶりです。お元気そうで良かった」
「面倒を掛けてすまぬのう。住んでいる分には居心地は悪くないのじゃが、出歩くには色々と面倒な手続きが必要でな」
冤罪が晴れ、家名を復興したリヴァマス老はもはや自由の身ではあるが、生活環境を変えるのが面倒だと言い、のらりくらりと『魔法使いの塔』に住み続けていた。実のところ、復権した途端に群がってくる有象無象から身を守るためでもあるが、そう公言すれば色々と角が立つ。
「いえ。俺もそういった王国の仕組みに、これからは従っていかなければならない立場ですから」
江流の出身は辺境都市群のシャルガネ居住区であり、定住せずに流れていた時期も長い。これからリーンエス王国に根ざすのであれば、窮屈な思いをすることもあると覚悟はしている。例えば、自由民であれば双方の合意があるだけで養子の名乗りは十分できるだろうが、王国貴族のそれは当事者が認めて終わりでは無い。幸い、江流には貴族の友人もおり、どのような書類が必要でどこに届け出れば良いのかといった事柄を教えて貰うことが出来る。簡単に出歩けない老人に代わり書類を作り、あとはリヴァマス老の署名があれば提出できるように体裁を整えて持参していた。
「……以前もお話ししたとおり、俺はラマスの領主となる事を考えてはいません。ですが、先生の養子に入ると言うことになれば、その話と無関係とは見られないでしょう。それも踏まえて、どのような形で公にすべきかを相談したいと思いまして」
「家柄に差がある婚姻のために他家に養子に入るというのは、王国では普通にあることじゃからな。ラマスのことは、婿入りする際に継承権を放棄するとでも言えば良い。まあ、江流君が放棄したとしても君の子どもには権利が残るじゃろうがな」
「それは……、構わないのでしょうか?」
「貴族制というのはそういうもの故な。どこの誰の子や孫であるかというのを何代も遡って調べることもある。まあ、我輩の次のラマス領主に子ができず跡取りの成り手がないとでもならねば関係はなかろう。もしも嫌ならその時に当人が拒絶すれば済むことじゃよ」
そう言いながら、リヴァマス老は数枚の書類にさらさらとサインを書いた。
「そうすると次は時期か。先方に婚約の申し込みはしたのじゃな? ふむ。帝国の件が片付いた以上、養子の件は婚約発表よりも先に出すのが良いじゃろう。それで下らぬ横やりが入らぬようになる」
「最初から隙を見せないのであればその方が良い……、ということですか。俺の方は問題ありません」
流れの平民と名門貴族令嬢の婚約話として知られれば、自分の方が云々という売り込みがあるのは避けられまい。少々傾いていたとて、領地貴族家を差配できる立場はそれだけで十分に魅力的だ。あるいは高貴な血筋の女性そのものを欲する成り上がり者が、同じ平民ならば自分でも良い筈だと金を積んで来ることもありうる。根回しは早いほうが良い。
「とすると、さすがに我輩も今のままではまずかろうな。伯爵家の当主らしくというと……。ラマスに帰るつもりは無かったのじゃが、王都の貴族街に住むよりは領地に引っこんでいる方がマシかのう」
話が進むタイミングでは、老人自身も表に出ていなければならないだろう。出向くのか、向こうから来るのか、あるいは家の間で上下をつけぬためにどこかで偶然であった形式にするのか。少なくとも婚約者の家の家長とリヴァマス老の間で話をつける必要があるのだが、往復する書簡の宛先が『魔法使いの塔』というのは聞こえが宜しくない。
「すみません。いや、ありがとうございます、か」
「気にすることは無い。もともと、領主でありながら領地に居らぬというのが正常では無いのは、我輩も分かっているのでな。まあ、せっかくじゃ。家を出るまではラマスの差配を色々手伝って貰おうかのう」
「はい。それはもちろん。婚約の話は今のままの俺で受けてもらえましたが、結婚前に実績を積みたい気持ちは変わっていません」
学園で部活動を設置した際の感触からすれば、王都に近いラマスに冒険者ギルドの支部を誘致するのは難しくとも、酒場なりに受付機能を置くことはできるのではないかと江流は考えていた。冒険者ギルドがラマスのためになれば良いし、なる筈だとも思っている。その目論見以外であっても、領地の経営を実地で見ておくことは有意義なはずだ。別の場所で得た経験が助けになることもあると思う。
「そう気負うことはあるまい。エリオットもしばらくは手助けしてくれるじゃろうて」
「代官殿、ですね。何も知らぬ若輩者故、お手間をおかけしそうです」
「なに、それは我輩も同じじゃよ」
トマスの祖父でもあるラマスの代官と、江流は面識がある。厳しそうな老人であったが、短期間で教えを仰ぐにはそれくらいの方が良いかもしれない。ただ、王都では官僚不足に悲鳴を上げているようなので、リヴァマス老がラマスに居住することになれば、彼もそのうち王都に戻らざるを得ないだろう。
「純粋な貴族の出自でない自分だからこそ、己の目的のために。そして進んだ先で、王国と、ラマスに住む民のために利を返せる立場になってこの恩に報いたいと思います」
「うむ。江流君は真面目ゆえに、そう思うじゃろう。うむ、覚悟は聞かせて貰った。頑張るのじゃぞ」
簡単に引き返せぬ道であると、江流は理解した上で歩み出したのだ。老人も甘い気休めは口にしない。この先の江流の人生は順風満帆とは行かないだろうが、伯爵家の養子という肩書きは多少の風よけにはなるだろう。
●
長年住んでいた割に、リヴァマス老の私物はそれ程多くはなかった。というか、私物の殆どを寄贈していくつもりのようだ。大量の蛇の剥製やら抜け殻やら牙や鱗といった珍品を委ねられた学園は困惑していた。その筋の者からすれば垂涎もののコレクションではあるらしいのだが。
「まあ、誰も研究せんのなら、ヴェルクリエの誰ぞに譲っても良いじゃろうて。価値の分かる誰かの手元に行ってくれれば、それで良い」
口ではそう言っているが、寂しげな表情は正直であった。そんな老人に同行し、江流はラマスへ入る。市民から見えるように馬車に乗り、領主の縁者である事を市民に示すのが江流の最初の仕事だ。実際に住まいとするかどうかはともかく、領主の城館には江流の部屋も用意されている。
「……あれって前に話を聞きに来ていた奴じゃないか? 冒険者を養子にって、領主様は仰ってたらしいが……」
「大丈夫なのかね。平民なんだろ?」
「前に、魔獣の森を調べに行っていたときは、リーダーっぽかったな。しっかりしていたように見えたぞ」
市民のそんな声が聞こえる中、必要とあれば度胸のある江流は穏やかな表情で手を振ってみせた。落ち着いた自信のありそうな振る舞いが功を奏したか、懐疑的な声はあれども頭ごなしに拒否する声はさほど大きくないようだ。むしろ、これまで問題無く努めていた代官のエリオットからリヴァマスに為政者が代わる事で、今までと変化が起きないかという方が心配らしい。
「まあ、我輩が領主教育を受けたのは大昔のこと故、仕方があるまいよ」
「俺が直接、協力できるのは長くはないだろうけど……、先生に領主が変わって良かったと言って貰えるようにしたいものだね」
リヴァマス老と共に受けることとなったエリオットの教育は厳しい物だった。資料となるのは数十年分の記録で、教材は現在の領地で起きている生の事象である。プレッシャーは大きいが何かを為せば達成感もある。最終的に誤りが無いかを経験豊富な代官に確認して貰えるというのは、学習機会としては得がたいものだった。おそらく本当の貴族子弟は、学園卒業後にしばらくはこのような形で先代の監督を受けつつ経験を積むことも多いのだろう。
(……今の俺は、以前の彼女よりも恵まれているのかもしれないな)
そう思いつつ、江流は経験を得ることに励んだ。しかし、これまで過ごした日々を整理してきたリヴァマス老とは違い、江流には冒険者としての生活もあれば、学生としての勉強もある。そんな中で、新しいことを起こすのは難しい。冒険者ギルドの誘致について考えることが出来たのは、しばらく経ってからだった。
「ラマスに冒険者ギルドの受付を置くには、仕事がないのが最大の問題でしょう。冒険者の仕事で実入りが良さそうなのは魔獣などの退治か貴重な資源の採集、あるいは隊商や旅人の護衛辺りですが……」
ギルドの担当者は言葉を濁した。近隣の魔獣の森は、魔獣退治や採集を恒常的な仕事にするには少し頼りない狩り場だ。サウゼル大樹海やフィルエス大森林のように自然の宝庫というわけではなく、危険なほどに魔獣や亜人が跳梁していることもない。遠距離を行き来する隊商や旅人からすれば、主街道から外れたラマスは通過点にすることもない。護衛の仕事が発生するとしたら旅の始まる場所であり、冒険者にとってはラマスを拠点にする意味は薄いと言わざるを得ない。
「領主として、冒険者の生活が成り立つ程度の仕事を発注する事は出来ないだろうか。魔獣の森の調査を定期的に行うとか」
「それで賄えるのは、パーティ1つ程度でしょう。街にありがちな雑務を請け負う一般人冒険者の需要は、もしかしたらあるかもしれませんが、専任の受付を置くのは難しい」
「受付業務も領主が雇った人に任せることは?」
「そこまで行けば、冒険者ギルドの中立性を損ないます。領主の出す仕事がメインになると言うだけでも危ういところですよ」
それでも、幾度か相談したり街の意見を吸い上げていれば思いつくこともあるものだ。ラマスには街の規模から考えれば大きな孤児院がある。これまでも孤児が街の雑用をする事はあったのだが、それを仲介する場として冒険者ギルドが機能するならば、孤児院で受付事務を請け負ってもらえる事になった。同じ事をするにせよ、「街の人のお手伝い」よりは「冒険者の依頼実績」の方が孤児が独り立ちする際に箔が付く。
「ありがとうございます。郊外の孤児院が無くなって、この先はどうしようかと思っていたところでしたから……」
孤児院のシスターからはそう言って頭を下げられた。この先の細かい調整は江流の手を離れてギルドの担当と孤児院で行うだろうが、そもそも江流が動き出さねば話が生じることもなかっただろう。
●
書面での申請を終え、少ないながらも実務の経験も積んだ。しかし、江流がリヴァマス家の養子となったことを貴族社会に認知されるには、もう一つ越えるべきハードルがある。
「正装など、何十年ぶりかのう……」
「お似合いですよ、先生」
「まあ、今日の主役は江流君ゆえな。君が目立っていれば良いじゃろう」
リヴァマス伯爵とその養子として、社交の場に立たねばならない。数十年単位で引きこもりだった老人に社交の伝手など無いのだが、王妹のキャサリンが手を回してヴァーグナー侯爵家の夜会に招待されるように取り計らったそうだ。自分に所縁のある孤児院の件の礼とのことなので、江流が王家に借りを作ったと考える必要はないだろう。
「ヘルベルト・リヴァマス伯爵ならびにご子息江流殿」
呼び出しを受け、入場する。冒険者としてではあれど、江流が正装して夜会に出るのは初めてでは無い。が、若手貴族が主体の華やかな宴とは違う、張り詰めた空気は慣れぬ物だ。礼法の授業で習っていたことを思い出しながら、江流は老人について歩く。実のところ、礼法については勉強家の江流の方がしっかりしている可能性すらあるが、こういった場で当主が子を連れて歩く場合、会話するのは当主になる。
「リヴァマス伯爵と社交の場でお目に掛かれるのを、楽しみにしておりました」
「出不精なもので申し訳ない。こちらは我輩の養子で、江流君という」
「ほほう、良若者ですなあ」
江流が優れた授恵者である事が知られているのか、それともリヴァマス伯爵がまだ敵も味方もないような状況であるためか。思っていた程には貴族の視線は厳しくない。ほとんどの貴族は江流を紹介されても鷹揚に頷く程度で、中には江流へ話しかけてくる者もいた。
「なるほど、君が。授恵者としてシルトラースでの戦闘にも参加したそうじゃないか。私の息子もあの戦場にいてね。冒険者ギルドの義勇兵は勇敢だったと褒めていたよ」
「ありがとうございます。近衛騎士のライル卿から私達がそのように評価頂けていたとは光栄です」
「おお、息子を知っているのかね。それは嬉しいことだ」
「言葉を交わしたことはありませんが、お名前だけは」
喜んだ様子の貴族としばし会話し、離れてからリヴァマス老が不思議そうな顔をする。今の相手は子爵。その子が近衛に名を連ねている事は、貴族名鑑を当たれば分かる情報だろうが、当たり前のように出てくる話では無い。
「彼の息子の事を知っておったのかな?」
「いえ。一夜漬けです」
神ならぬ身なれば夜会の出席者リストを手に入れられる筈もなく、出席しそうな貴族全ての周辺情報を覚えるのは難しい。江流は勉強家であるとは言えど、政治知識もまだ学ぶ途上である。平民上がりのリヴァマス伯爵家の養子という肩書きの江流に好意的な反応を見せる者は概ね集権派の下級貴族だろうと、予測をつけたのが当たったのだ。
「ふむ、うまくやったものじゃなあ。顔見せにはそれで十分じゃろう」
「先生はお疲れになったのでは? 少し座りましょう」
挨拶回りを終えるころには、リヴァマス老の顔には疲労の色が濃くなっていた。座れる場所を探し、一息ついて貰おうと飲み物を手にする。出席している者の中でもリヴァマス老はだいぶ高齢の側であった。グラスを手に談笑する出席者を眺め、一息つく。
「これで、俺も貴族社会の入り口に立つことが出来ました。……幾度感謝を述べても足りないかも知れませんが、ありがとうございます」
「そうじゃな。入り口じゃなあ。我輩はいつまで見る事が出来るかわからぬが、しっかりやるのじゃぞ」
「はい。養子のことも、学園のことも、先生に教えて貰ったことを忘れません。婚姻してリヴァマス家を出てからも、良縁を繋げていきたいと思います」
実家に便宜を図るのも、貴族の婚姻であれば普通のことでしょう? などと笑ってみせる江流に、老人は楽しそうに頷き返した。
冬の晴れた日。海神 江流は、ヘルベルト・ミヒャエル・リヴァマス老に会うためにパンクリアース学園を訪れていた。向かった『魔法使いの塔』区画は、政治的な理由や能力を危険視されたなど、様々な理由で市井から隔離された住人の住処である。
「先生、お久しぶりです。お元気そうで良かった」
「面倒を掛けてすまぬのう。住んでいる分には居心地は悪くないのじゃが、出歩くには色々と面倒な手続きが必要でな」
冤罪が晴れ、家名を復興したリヴァマス老はもはや自由の身ではあるが、生活環境を変えるのが面倒だと言い、のらりくらりと『魔法使いの塔』に住み続けていた。実のところ、復権した途端に群がってくる有象無象から身を守るためでもあるが、そう公言すれば色々と角が立つ。
「いえ。俺もそういった王国の仕組みに、これからは従っていかなければならない立場ですから」
江流の出身は辺境都市群のシャルガネ居住区であり、定住せずに流れていた時期も長い。これからリーンエス王国に根ざすのであれば、窮屈な思いをすることもあると覚悟はしている。例えば、自由民であれば双方の合意があるだけで養子の名乗りは十分できるだろうが、王国貴族のそれは当事者が認めて終わりでは無い。幸い、江流には貴族の友人もおり、どのような書類が必要でどこに届け出れば良いのかといった事柄を教えて貰うことが出来る。簡単に出歩けない老人に代わり書類を作り、あとはリヴァマス老の署名があれば提出できるように体裁を整えて持参していた。
「……以前もお話ししたとおり、俺はラマスの領主となる事を考えてはいません。ですが、先生の養子に入ると言うことになれば、その話と無関係とは見られないでしょう。それも踏まえて、どのような形で公にすべきかを相談したいと思いまして」
「家柄に差がある婚姻のために他家に養子に入るというのは、王国では普通にあることじゃからな。ラマスのことは、婿入りする際に継承権を放棄するとでも言えば良い。まあ、江流君が放棄したとしても君の子どもには権利が残るじゃろうがな」
「それは……、構わないのでしょうか?」
「貴族制というのはそういうもの故な。どこの誰の子や孫であるかというのを何代も遡って調べることもある。まあ、我輩の次のラマス領主に子ができず跡取りの成り手がないとでもならねば関係はなかろう。もしも嫌ならその時に当人が拒絶すれば済むことじゃよ」
そう言いながら、リヴァマス老は数枚の書類にさらさらとサインを書いた。
「そうすると次は時期か。先方に婚約の申し込みはしたのじゃな? ふむ。帝国の件が片付いた以上、養子の件は婚約発表よりも先に出すのが良いじゃろう。それで下らぬ横やりが入らぬようになる」
「最初から隙を見せないのであればその方が良い……、ということですか。俺の方は問題ありません」
流れの平民と名門貴族令嬢の婚約話として知られれば、自分の方が云々という売り込みがあるのは避けられまい。少々傾いていたとて、領地貴族家を差配できる立場はそれだけで十分に魅力的だ。あるいは高貴な血筋の女性そのものを欲する成り上がり者が、同じ平民ならば自分でも良い筈だと金を積んで来ることもありうる。根回しは早いほうが良い。
「とすると、さすがに我輩も今のままではまずかろうな。伯爵家の当主らしくというと……。ラマスに帰るつもりは無かったのじゃが、王都の貴族街に住むよりは領地に引っこんでいる方がマシかのう」
話が進むタイミングでは、老人自身も表に出ていなければならないだろう。出向くのか、向こうから来るのか、あるいは家の間で上下をつけぬためにどこかで偶然であった形式にするのか。少なくとも婚約者の家の家長とリヴァマス老の間で話をつける必要があるのだが、往復する書簡の宛先が『魔法使いの塔』というのは聞こえが宜しくない。
「すみません。いや、ありがとうございます、か」
「気にすることは無い。もともと、領主でありながら領地に居らぬというのが正常では無いのは、我輩も分かっているのでな。まあ、せっかくじゃ。家を出るまではラマスの差配を色々手伝って貰おうかのう」
「はい。それはもちろん。婚約の話は今のままの俺で受けてもらえましたが、結婚前に実績を積みたい気持ちは変わっていません」
学園で部活動を設置した際の感触からすれば、王都に近いラマスに冒険者ギルドの支部を誘致するのは難しくとも、酒場なりに受付機能を置くことはできるのではないかと江流は考えていた。冒険者ギルドがラマスのためになれば良いし、なる筈だとも思っている。その目論見以外であっても、領地の経営を実地で見ておくことは有意義なはずだ。別の場所で得た経験が助けになることもあると思う。
「そう気負うことはあるまい。エリオットもしばらくは手助けしてくれるじゃろうて」
「代官殿、ですね。何も知らぬ若輩者故、お手間をおかけしそうです」
「なに、それは我輩も同じじゃよ」
トマスの祖父でもあるラマスの代官と、江流は面識がある。厳しそうな老人であったが、短期間で教えを仰ぐにはそれくらいの方が良いかもしれない。ただ、王都では官僚不足に悲鳴を上げているようなので、リヴァマス老がラマスに居住することになれば、彼もそのうち王都に戻らざるを得ないだろう。
「純粋な貴族の出自でない自分だからこそ、己の目的のために。そして進んだ先で、王国と、ラマスに住む民のために利を返せる立場になってこの恩に報いたいと思います」
「うむ。江流君は真面目ゆえに、そう思うじゃろう。うむ、覚悟は聞かせて貰った。頑張るのじゃぞ」
簡単に引き返せぬ道であると、江流は理解した上で歩み出したのだ。老人も甘い気休めは口にしない。この先の江流の人生は順風満帆とは行かないだろうが、伯爵家の養子という肩書きは多少の風よけにはなるだろう。
●
長年住んでいた割に、リヴァマス老の私物はそれ程多くはなかった。というか、私物の殆どを寄贈していくつもりのようだ。大量の蛇の剥製やら抜け殻やら牙や鱗といった珍品を委ねられた学園は困惑していた。その筋の者からすれば垂涎もののコレクションではあるらしいのだが。
「まあ、誰も研究せんのなら、ヴェルクリエの誰ぞに譲っても良いじゃろうて。価値の分かる誰かの手元に行ってくれれば、それで良い」
口ではそう言っているが、寂しげな表情は正直であった。そんな老人に同行し、江流はラマスへ入る。市民から見えるように馬車に乗り、領主の縁者である事を市民に示すのが江流の最初の仕事だ。実際に住まいとするかどうかはともかく、領主の城館には江流の部屋も用意されている。
「……あれって前に話を聞きに来ていた奴じゃないか? 冒険者を養子にって、領主様は仰ってたらしいが……」
「大丈夫なのかね。平民なんだろ?」
「前に、魔獣の森を調べに行っていたときは、リーダーっぽかったな。しっかりしていたように見えたぞ」
市民のそんな声が聞こえる中、必要とあれば度胸のある江流は穏やかな表情で手を振ってみせた。落ち着いた自信のありそうな振る舞いが功を奏したか、懐疑的な声はあれども頭ごなしに拒否する声はさほど大きくないようだ。むしろ、これまで問題無く努めていた代官のエリオットからリヴァマスに為政者が代わる事で、今までと変化が起きないかという方が心配らしい。
「まあ、我輩が領主教育を受けたのは大昔のこと故、仕方があるまいよ」
「俺が直接、協力できるのは長くはないだろうけど……、先生に領主が変わって良かったと言って貰えるようにしたいものだね」
リヴァマス老と共に受けることとなったエリオットの教育は厳しい物だった。資料となるのは数十年分の記録で、教材は現在の領地で起きている生の事象である。プレッシャーは大きいが何かを為せば達成感もある。最終的に誤りが無いかを経験豊富な代官に確認して貰えるというのは、学習機会としては得がたいものだった。おそらく本当の貴族子弟は、学園卒業後にしばらくはこのような形で先代の監督を受けつつ経験を積むことも多いのだろう。
(……今の俺は、以前の彼女よりも恵まれているのかもしれないな)
そう思いつつ、江流は経験を得ることに励んだ。しかし、これまで過ごした日々を整理してきたリヴァマス老とは違い、江流には冒険者としての生活もあれば、学生としての勉強もある。そんな中で、新しいことを起こすのは難しい。冒険者ギルドの誘致について考えることが出来たのは、しばらく経ってからだった。
「ラマスに冒険者ギルドの受付を置くには、仕事がないのが最大の問題でしょう。冒険者の仕事で実入りが良さそうなのは魔獣などの退治か貴重な資源の採集、あるいは隊商や旅人の護衛辺りですが……」
ギルドの担当者は言葉を濁した。近隣の魔獣の森は、魔獣退治や採集を恒常的な仕事にするには少し頼りない狩り場だ。サウゼル大樹海やフィルエス大森林のように自然の宝庫というわけではなく、危険なほどに魔獣や亜人が跳梁していることもない。遠距離を行き来する隊商や旅人からすれば、主街道から外れたラマスは通過点にすることもない。護衛の仕事が発生するとしたら旅の始まる場所であり、冒険者にとってはラマスを拠点にする意味は薄いと言わざるを得ない。
「領主として、冒険者の生活が成り立つ程度の仕事を発注する事は出来ないだろうか。魔獣の森の調査を定期的に行うとか」
「それで賄えるのは、パーティ1つ程度でしょう。街にありがちな雑務を請け負う一般人冒険者の需要は、もしかしたらあるかもしれませんが、専任の受付を置くのは難しい」
「受付業務も領主が雇った人に任せることは?」
「そこまで行けば、冒険者ギルドの中立性を損ないます。領主の出す仕事がメインになると言うだけでも危ういところですよ」
それでも、幾度か相談したり街の意見を吸い上げていれば思いつくこともあるものだ。ラマスには街の規模から考えれば大きな孤児院がある。これまでも孤児が街の雑用をする事はあったのだが、それを仲介する場として冒険者ギルドが機能するならば、孤児院で受付事務を請け負ってもらえる事になった。同じ事をするにせよ、「街の人のお手伝い」よりは「冒険者の依頼実績」の方が孤児が独り立ちする際に箔が付く。
「ありがとうございます。郊外の孤児院が無くなって、この先はどうしようかと思っていたところでしたから……」
孤児院のシスターからはそう言って頭を下げられた。この先の細かい調整は江流の手を離れてギルドの担当と孤児院で行うだろうが、そもそも江流が動き出さねば話が生じることもなかっただろう。
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書面での申請を終え、少ないながらも実務の経験も積んだ。しかし、江流がリヴァマス家の養子となったことを貴族社会に認知されるには、もう一つ越えるべきハードルがある。
「正装など、何十年ぶりかのう……」
「お似合いですよ、先生」
「まあ、今日の主役は江流君ゆえな。君が目立っていれば良いじゃろう」
リヴァマス伯爵とその養子として、社交の場に立たねばならない。数十年単位で引きこもりだった老人に社交の伝手など無いのだが、王妹のキャサリンが手を回してヴァーグナー侯爵家の夜会に招待されるように取り計らったそうだ。自分に所縁のある孤児院の件の礼とのことなので、江流が王家に借りを作ったと考える必要はないだろう。
「ヘルベルト・リヴァマス伯爵ならびにご子息江流殿」
呼び出しを受け、入場する。冒険者としてではあれど、江流が正装して夜会に出るのは初めてでは無い。が、若手貴族が主体の華やかな宴とは違う、張り詰めた空気は慣れぬ物だ。礼法の授業で習っていたことを思い出しながら、江流は老人について歩く。実のところ、礼法については勉強家の江流の方がしっかりしている可能性すらあるが、こういった場で当主が子を連れて歩く場合、会話するのは当主になる。
「リヴァマス伯爵と社交の場でお目に掛かれるのを、楽しみにしておりました」
「出不精なもので申し訳ない。こちらは我輩の養子で、江流君という」
「ほほう、良若者ですなあ」
江流が優れた授恵者である事が知られているのか、それともリヴァマス伯爵がまだ敵も味方もないような状況であるためか。思っていた程には貴族の視線は厳しくない。ほとんどの貴族は江流を紹介されても鷹揚に頷く程度で、中には江流へ話しかけてくる者もいた。
「なるほど、君が。授恵者としてシルトラースでの戦闘にも参加したそうじゃないか。私の息子もあの戦場にいてね。冒険者ギルドの義勇兵は勇敢だったと褒めていたよ」
「ありがとうございます。近衛騎士のライル卿から私達がそのように評価頂けていたとは光栄です」
「おお、息子を知っているのかね。それは嬉しいことだ」
「言葉を交わしたことはありませんが、お名前だけは」
喜んだ様子の貴族としばし会話し、離れてからリヴァマス老が不思議そうな顔をする。今の相手は子爵。その子が近衛に名を連ねている事は、貴族名鑑を当たれば分かる情報だろうが、当たり前のように出てくる話では無い。
「彼の息子の事を知っておったのかな?」
「いえ。一夜漬けです」
神ならぬ身なれば夜会の出席者リストを手に入れられる筈もなく、出席しそうな貴族全ての周辺情報を覚えるのは難しい。江流は勉強家であるとは言えど、政治知識もまだ学ぶ途上である。平民上がりのリヴァマス伯爵家の養子という肩書きの江流に好意的な反応を見せる者は概ね集権派の下級貴族だろうと、予測をつけたのが当たったのだ。
「ふむ、うまくやったものじゃなあ。顔見せにはそれで十分じゃろう」
「先生はお疲れになったのでは? 少し座りましょう」
挨拶回りを終えるころには、リヴァマス老の顔には疲労の色が濃くなっていた。座れる場所を探し、一息ついて貰おうと飲み物を手にする。出席している者の中でもリヴァマス老はだいぶ高齢の側であった。グラスを手に談笑する出席者を眺め、一息つく。
「これで、俺も貴族社会の入り口に立つことが出来ました。……幾度感謝を述べても足りないかも知れませんが、ありがとうございます」
「そうじゃな。入り口じゃなあ。我輩はいつまで見る事が出来るかわからぬが、しっかりやるのじゃぞ」
「はい。養子のことも、学園のことも、先生に教えて貰ったことを忘れません。婚姻してリヴァマス家を出てからも、良縁を繋げていきたいと思います」
実家に便宜を図るのも、貴族の婚姻であれば普通のことでしょう? などと笑ってみせる江流に、老人は楽しそうに頷き返した。
assignment【DA】史実ノベル 関連特設ページ
メアリー王女が冒険者達の協力を得て稼働させた「王家の耳」。メアリーは無作為に集まってくる情報を、余人に及びもつかぬ閃きを持って分析しながら、今日も世界の動きへ耳を傾けている。
集まった情報の中には、世界の情勢に影響はないかもしれないが興味深い個人の記録があるかもしれない。