【DA】リーンエスの耳
ヴィルヘルミナ/ オルファレナ・アルヴァ・クラティアス
『ノベルタイトル:秋白露に、星の添う』弓月 蒼
●告解
――――恋も、愛も、良く分からない。
それが漸く不思議に想えたのは、『学園』と言う枠組みに属して暫く経った後の話。
政略結婚の側面は有ったにしても。お互い納得尽くで結婚した筈の両親は。
片や訪問先で出逢った御令嬢と恋におち。片や自己嫌悪の末、父ごと我が子の存在をも忘れ去った。
例えばそれが恋や愛の末路だと言うなら。私には、その事実が恐ろしくて仕方がない。
父様も、母様も、最初から何処か螺子の外れたおかしな人、というわけではなかった。
ただの、何処にでも居る貴族の一人だった筈。それがどう歯車が狂えば“そう”なるんだろう。
分からなかった。どれだけ考えても考えても分からなかったから、私は何時しか考えるのを止めた。
静かに扉を閉ざし、厳重に鍵を掛けて。世の紳士淑女がそういった事柄に費やす熱量を、私はきっと。
未知の秘跡や未踏の冒険。詩吟や伝承へと絶え間なく注ぐことで、自分らしさを象って行ったのだと想う。
だから、お見合いの席でウィリアム様と対面した時。この人なら――――と、思った。
放蕩者と知られる第二王子様は、その浮き名に反しあくまで“遊びは遊び”と割り切っているようで。
その微笑みが、人らしい感情から来るもの“ではない”事に、私は早々に気付いた。
社交界で多くの貴族の御令息から向けられる様な、評価や価値を得たいと求める眼差しとはまるで違う。
強いて言うなら、人間のふり。最初は王族と言うのは皆そういう物なのかなと思ったけれど。
同時に彼もまた、私が世に言う理想的な貴族令嬢“ではない”ことに気付いたのだろう。
それはある意味幸運で、同時にこの上もなく不幸な“同族嫌悪”の類。
私達の関係は利害の一致。恋でもなければ、愛でもない。互いに利用価値を見出しただけ。
けれど、私はそれで良かった。それで良いと思ったから、私はもう一歩踏み込むことにした。
彼が必要としていたのはあくまで、彼が思い描く“王子様”に相応しい振る舞いが出来る“お姫様”。
だから、私は傍に居られると思ったのだ。この、ずっと仮面を纏い続けるしかない。
――――本当は“誰も隣に求めてなんていない人”であれば安心して。
お互いに利害が衝突しない限り、きっと私は私として“幸せなふりをしていられる”――――と。
「……あ、そろそろ時間かな」
そんな理由で婚約相手を決めた私にとって。親友と語り合う時間はずっと気が楽な物だった。
例えばそれが、いずれ訪れる時間制限からの逃避だなんてこと。ずっと前から気付いていたとしても。
■
パンクリアース学園、空き教室の一角で緑髪の山人が窓の外を見遣る。
彼女――――『虹星の誓い』ヴィルヘルミナには迷いが有る。
それは今は未だ明確な形を取ってこそいないものの。確かな蟠りと言って相違無い。
これまではそうではなかった。向き先も、生き方も、自分で選べる範囲で選んで来た。
其処に夾雑物が挟まる事すら滅多に無く、躊躇いも後悔も殆ど無縁の人生だったと言って良い。
運が良かった、と言えばそうかもしれないが。挑むべき頂きの高さが高過ぎて余所見する余裕など無かった。
邁進することこそが彼女にとって生を営むと言う事であり、研鑽と生活は不可分のものだった。
だからと言って。今も勿論、余裕やゆとりがある訳ではない。慢心している訳でも、無いと思う。
極めて客観的な目線で以て。今のヴィルヘルミナは彼女が追い求めた高みに至っている訳ではない。
折角の機会を経て、学びの一環として『学園』に通ってこそいるが。
それはあくまで腰掛けのつもりで。見聞を拡げより広い世界を見定める為に選んだ道だった筈だ。
究極的に言えば、それらは全て自分の為だった。自分の為でしか無かった。
けれど、視線は自然と窓辺から廊下へと流れる。其処には未だ誰も居ない。
待ち惚け、ではない。待ち合わせよりも随分と早く彼女はその教室で物思いに沈んでいた。
指先が首飾りに触れて小さな音を立てる。まさしく、これこそが悩みのタネであり“迷い”の正体だ。
何故彼女がこんな所で無為に時間を潰しているか。或いは、その無為な時間にすら意味を見出しているのか。
それは彼女の中に沈む形容し難い感情故だ。加えて、その感情は恐らく決して良い物ではない。
直視することすら憚られるが、予感めいたものがヴィルヘルミナにはあった。
困惑。迷走。或いは恐れにも近い。本来、戦場でも無い場所で沸き立つ想いではないだろう。
一廉の戦士であると自負する彼女をして、その持って行き先すら分からない不定形の“何か”
これまで、情緒を整理することは得意な方だと思って来た。感情に振り回される事とも無縁だった。
それなのに今は。待ち人が来てくれるかどうか、等と言う文字通り他愛も無い問が頭から離れない。
(こんな気持ちで、果たして私は――――)
彼女と対峙しても良いのだろうか。そんなことすら決められないまま、それでも呼び出しの文を認めた。
行動と気持ちが噛み合わない。居心地の悪いチグハグさを抱えたまま視線はまた教室の扉へ向く。
――――答えは、出ない。
●星に影
陽が傾き、空き教室の扉がカラカラと引かれる。
任意登校である校内には、あまり人が居らず待ち合わせるにはこれ以上も無く好都合だった。
白い盛装の裾を摘み一礼。仕草は洗練され一分の隙もない。これは、逢う度いつも想う事だ。
白き薔薇の系譜『白銀』。その第一子。侯爵令嬢『白銀の薔薇』オルファレナ。
並大抵の貴族であればこれだけ前置きが続けばお腹いっぱいだろうに、更に加えて遠からず。
彼のウィリアム・リーンエス第二王子の側室。いずれは公爵夫人との肩書きまでも乗るのだと言う。
王国社交界――――“貴族社会”に在って。此処まで栄華に恵まれた令嬢もそうは居ない。
少なくとも、王族でも貴族でもないヴィルヘルミナの周囲に幾らも居る人種でないことは間違いないだろう。
「御機嫌よう、ヴィル。今日はそんなに待たせていないと思うのだけれど」
けれどそんな、ある一側面から見れば綺羅星の如き立場に居るオルファレナが。
決して“自ら望んで”そんな立場を得た訳ではないことを。これもやはり、彼女は良く知っている。
血統と言う名の運命に縛り付けられ、雁字搦めになって身動きが取れず。
非情にも冷徹にも打算的にもなり切れず、立ち尽くすしか出来ないでいた事を――――知っている。
積み上げられた教育は貴族の極致でありながら、その本質は何処までも貴族の社会とは相容れない。
そして困った事に。本来は完全な外様の身。主観的にも第三者であった筈のヴィルヘルミナは。
どうも――――この少女が独りで追い詰められていくのが、放っておけないらしいのだ。
「いえ、私こそ忙しいだろうこんな時期に呼んでしまい――――」
「――――私たちにごめんなさいなんて無しよ。そうでしょ?」
唇を鎖した左手の人差し指から視線を辿ると。その薬指には変わらず贈った指輪。
極力それを外さないようにしていることを、奇しくも彼女は嫌と言うほど思い知らされている。
最初は恋愛が苦手という彼女にとって“異性避け”に都合が良いのかと思っていたが。
どうもそればかりでもないらしい――――と、知ってしまったのは良かったのか、悪かったのか。
自分の首を覆う首飾りは、如何な貴族であれそう軽々しく他者へ贈る様な物ではなく。
家紋が刻まれた物ともなれば尚更で、ヴィルヘルミナが持つ装飾でも此処まで目を引く物もそうはない。
(……その意は、“常に傍らに在ると願う”もの)
彼女は力ある冒険者の1人である。その前途は明るく、山人の王に挑み得る才が有る。
或いは北の果てに座する英雄より、己の次代を見込まれ名指しで弟子にと呼ばれている。
道は幾つも有る。それは勿論彼女自身の研鑽の結果であり、その努力の賜物だと言える訳だが。
かつて眼前の少女に“ずっと一緒に居たい”と求められた時。彼女は一瞬確かに、そんな選択肢を全て忘れた。
誰ならぬ、ヴィルヘルミナ自身が心底驚いた。その情動は彼女の自己評価と余りに大きく乖離していた。
冷静沈着を地で行く、他者に興味関心の薄い。ずっとその筈だったヴィルヘルミナは。
「そうですね……少し、歩きましょうか」
ここに来て、初めて。自分すら知らなかった自分と対面する事になる。
■
驚きは、1度で終わってはくれなかった。
オルファレナは多くの人に愛されていて、当人もまた他者に多くの愛情を注ぐ性質だ。
紆余曲折在り、彼女が愛情を外へ向けるのは身内に受け取ってくれる人が居なかったからなのだ。
と、知った時は少しばかりの動揺が有ったが。いざ、そんな彼女が婚姻を結ぶ運びとなり。
貴族の令嬢としての役割を果たす為、別に特に親しい訳でもないウィリアム王子に嫁ぐと聞き。
最初は懸念と心配、次に何とも言えない居心地の悪さを憶えた事までは特に不思議には思わなかった。
多少過保護と言われようと、彼の少女が幸せを掴める様に願うのは当たり前のこと。
貴族である以上“責務”も勿論有るのだろうけれど、あくまで願わくば“掛け替えの無い相手”と一緒に。
そうであって欲しいと思うのは自然な心の運びで。けれどいざオルファレナも納得尽くで婚約に至った時。
最後に残ったのは――――漠然とした喪失感だった。
「ついこの間まですごく暑かったのに、時が過ぎるのなんてあっと言う間ね」
隣を歩きながら視線を窓の外へ巡らせるオルファレナを一瞥し、ヴィルヘルミナは内心と向き合う。
自分でも出処の分からないその感情を、彼女は困惑を憶えながらもまず気付かないふりをした。
それは酷く自分勝手な物である様な気もしたし、直視すれば取り返しがつかない予感も有った。
そうであるならばどうして。彼女は今、オルファレナと話がしたいと思ったのだろう。
ずっと一緒にと、求められたことが嬉しかった。それは、心からの本心だ。
彼女もまた、そう言ってくれたオルファレナと一緒に居られたら良いと想った。
其処に嘘偽りはない。きっと、そう応じたとしても後悔はない。
けれど、だとするなら。この形容出来ない寂寥感にどう説明を付ければ良いのだろう。
階段を1つずつ下りながら、いつか贈り物を交換し合った中庭へと向かう。
「来年の今頃は、私達も第四学年ですか」
「そうね……でもその前に、花嫁修業で学校どころじゃないかも」
軽快に階段を跳び下り、悪戯っぽく微笑む彼女の表情を流し見て。
なるほど……こんな気持ちが、自分にもあったのか……と、何処か皮肉気に思い知る。
その感情に名札を付けるのは簡単だった。ことが此処まで至ってしまえば名無しのまま伏せてもおけない。
「オルファ」
――――ヴィルヘルミナには、すべき事がある。
求道者の如く真っ直ぐに、自分を律して道を定め生きて来た。それが自分の全てだと信じて。
であるなら、その瞬間胸をついた衝動は、彼女が今まで全く対峙した事のないものだった。
抵抗の術も、打破の筋道も、傾向と対策すら浮かばない。“らしくない”と言うなら――――この上無く。
気付けば、手を引いていた。
気付いたら、その彼女と殆ど変わらない小柄な体躯は腕の中に居た。
両者の間に確かにあった距離は、呆気ないほど簡単に0になって。
銀の星を宿す紺碧の瞳は円を描き、ヴィルヘルミナの紫の瞳の直ぐ傍に在った。
●問と解
「――――どう、して?」
『白銀の薔薇』は婚前の身。或いは同性であったとして、人前で抱き合って赦される立場にはない。
幸い、この時の学園には人目の一つも無かったが、それは永遠を保証しない。
ヴィルへルミナは手に力など入れてはいない。そしてオルファレナは仮にも授恵者だ。
本気で振り解こうとしたなら逃げられない訳はない。けれど、彼女は身動ぎせず問い掛けた。
離れるよりも、問い掛けることを優先した。それが、恐らく最後の機会だったろうに。
声色には不思議の色が濃く。拒まれてはいないと分かって、ヴィルヘルミナは視線を落とす。
どうして――――それはとても難しく、けれど或いは至極簡単な問い掛けだ。
胸の奥に降って湧いた感情は、きっと“執着”と言う。直視し難くても、それがきっと心からの真実だ。
何故ヴィルヘルミナにとって、その対象がオルファレナだったのか。それは彼女自身にすら分からない。
けれど、衝動に理屈がつかない様に。その想いにもきっと論理だった理由など無い。
気付いたら、彼女にとってオルファレナは“特別”な相手になっていた。
いつからか、どうしてか、そんな事は分からなくとも。結局の所――――そんな単純な解が、全てだ。
「……私は」
「うん」
「私も、オルファとずっと一緒に居たいと想っています」
呼吸が止まるような一瞬があった。迷うような、確かな空白が空いた。
小さく息を溢し、腕の中に居るオルファレナが俯くのが分かった。白銀の髪がさらりと揺れる。
「……私ね。恋とか、愛とか、分からないんだ」
何をしたら恋なのか。どう感じたら愛なのか。誰もが皆それは素晴らしい物だと言う。
それを手にすると世界が輝いて見えるのだと言う。それを持ち合わせない人生は不幸なのだと言う。
けれど分からない。そんな価値ある物がどうして簡単に溢れて壊れて穢れてしまうのか。
落ちた視線がふわりと不安定に浮かんで揺れる。その瞳に銀の星は無く。只管に深い迷いに翳る。
「でも、“ただの私だけ”を想ってくれたら嬉しいのは分かるの。きっとずっとそうして欲しかった。
“もう忘れられたくない”んだ。誰かの付属品も、家名の付随物も、綺麗なだけの勲章も、私は、嫌」
それは、告解だった。ずっと光の下に居た少女が溢す罅割れた心の一欠片。
オルファレナには“無辜の愛情”が信じられない。だから、何も欲していない人は適役だった。
もしも何かを与えられたなら、必ず何かを返さなければならない。それは最早強迫観念にすら近い。
でなければ誰も愛してなどくれないから――――『白銀の薔薇』は誰より自ら、他者へ愛情を注ぐのだ。
「ヴィルは、ずっと私だけ見ていてくれる……?」
泣き笑いの様な問い。それが、一体どれほど危ういものか。彼女には分からない。
■
それがどういう意味を持つ訴えで、込められた感情がどういう類の物であるか。
完全に理解出来た訳ではないにせよ、オルファレナの精神性は少なくとも決して“真っ直ぐな物”ではない。
それは本来伸ばすべき枝葉を自ら伐採し続け、ある特定方面に無理に伸ばし続けた様な歪さを内包する。
時に人が、彼女に有る種の求心力を感じるのも当然と言えば当然だ。
普通の人は彼女ほど無辜にはなれない。“一番最初に自分を犠牲にするように”は、振る舞えない。
けれどそれは、必ずしも善良であるという証明にはならない。
彼女は人から与えられる物を返さない“訳にはいかなかった”。犠牲になることが最も気持ちが楽だった。
未知を求め、危険を望み、冒険に心惹かれる筈だ。彼女は誰より無価値な自分で居られる場所を欲していた。
(もしも――――本当に彼女のことを想うなら)
此処で寄り添う相手を得たならば、彼女は間違いなく幸福だろう。
自ら言っていた通り。オルファレナは“ずっと自分だけを”見てくれる人を欲していた。
何ら付随物の無い“そのままのオルファレナ”に価値を見出してくれる相手が欲しかった。
けれどそこに込められた想いは余りにも重く、恐らく至極容易に彼女はその“特別”な相手へ依存する。
それはどう足掻いたところで、決して健全な心の成長とは言い難い。
突き放し断固として自立を促すという道もある。第三者として、正道はどちらかと言えば解は容易ではない。
――――けれど。
「ええ」
無意識に首飾りに触れ。ヴィルヘルミナは確かに自問自答した。
果たして後悔しないか。胸を張って答えられるか。彼女の弱みに付け込むような事にはならないか。
それでも縋るようなその眼差しに。腕の間に感じる仄かな温かさに。
迷いながら、躊躇いながら、不安を感じながらも、自らの本心を語ったその切実な問い掛けに。
「私はずっと貴女だけ見ています。忘れたりなんてしません」
結局の所――――彼女はその全てを切り捨て冷徹に振る舞うことが出来なかった。
真の正解など分からない。或いはそれは、誤った答えだったのかも知れない。
それでも。『白銀の薔薇』は花咲く様に微笑んだから。眩しい物を見るよう、とてもとても幸せそうに。
だからヴィルヘルミナは自らのその選択を、決して間違いだとは思ってはいない。
「疑うのって得意じゃないの……信じちゃうからね」
殆ど同じ身長だから互いに背伸びがいらないのは。幸だろうか、不幸だろうか。
重なる二人に影が落ちる。
●添う星二つ
後日。パンクリアース学園貴族寮の一室。
実家から持って来ていた騎士物語を閉じたオルファレナが、自らの後背へと声を投げた。
「ねえ、エドワーズ。少し良いかしら」
「はい、お嬢様。今度は何事にございましょう」
「今度は、って何かしら。まるでこれまで無理難題でも押し付けてきたかのよう」
「ええ、このエドワーズお嬢様付きの任を仰せつかって以来、幾らか若返ったかの如き心持ちにございます」
口さがない『白銀』筆頭家令長の言に、椅子を引いたオルファレナが半身を向ける。
決して行儀が良い仕草とは言い難い。しかし両者の間柄を考えれば今更も今更の話だ。
「まあ、それはとても素敵なことね? ところで寮に住み込みの護衛を一人雇いたいのだけれど」
「ほう。侍女が何か粗相でも致しましたでしょうか?」
「いいえ、これは私のとてもとても個人的な事情なのだけれど。
ほら、日雇いならこの先冒険者業の邪魔にもならないと思うの。名案でしょう?」
勿論、令嬢付きの“召使い”などという業種は家事全般の専門家である。
日雇いがどう、と言う以前にその技術に於いて一般人の追従する余地など無い玄人の集まりと言って良い。
適当に見繕うなど問題外と言って良く。そんな事は侯爵令嬢たるオルファレナならば百も承知の筈。
けれどこの日の彼女は何かが違っていた。外れていけない枷が外れた様に、その瞳はまるで迷いが無く。
たっぷりと長い長い間を開けて眉間に寄った皺を指先で伸ばすようにしながらエドワーズ――――
――――幼き日よりオルファレナに寄り添い続けた老執事は、絞り出すように問い掛けた。
「……“その方”は、まさかとは思いますが男性で?」
けれど、彼女が如何に問題行動の多い令嬢かこの上なく良く知る男は。
そんな彼すらもが見たことの無い表情で――――未だかつてなく屈託なく微笑む自らの主が。
「婚約者が居る身でそんなわけ無いじゃない。エドワーズったら、馬鹿ね」
――――また何かやらかしたのだと察するに十分過ぎる変貌に、思わず嘆息が落ちる。
此度お嬢様が身を固めるに至り感慨も一入の老執事。けれどまだまだ、心休まる日は遠いようだった。
■
――――恋も、愛も、良く分からない。
それを掛け替えがないと言う人も。それが大切なのだと言う人も。大勢居るのに分からない。
分からない。分からない。分からない。だって誰も証明してくれなかった。
誰も確かな物にしてくれなかった。脆さ、弱さ、醜さ、儚さ、痛々しさばかり私に突き付けてきた。
愛情に比べれば友情の方がずっと素敵に想えた。私の大好きな人達は、間違いなく私を大切にしてくれた。
期待に応えるのは嫌じゃなかった。私が頑張れば。苦しくても沢山背負えば。皆が背中を支えてくれた。
誰かに恋するのは幸せになると言う事だと教えて貰った。けれど私はそんな物無くても幸せだった。
これ以上の幸せなんて求めたらいけないと思ってた。だから、私は困惑を微笑みで隠す事を学んだ。
分からないのは、何かが欠けているんだと思ってた。私には、何か大切な物が足りないんだって。
向き合いたくなかった。確認したくなかった。それでも、ただ逃げ場所だけ探していたわけじゃないの。
気持ちに嘘はなかった。ずっと、ずっと憧れてた。理由も分からないくらい子供の頃から求めてた。
奇跡のような冒険。神話のような魔法の品。伝承に詠われる神秘の地。
まるであやふやな、確かな事なんて何一つ分からないような物語の向こう側。
血筋や、家格や、品位や、肩書きなんて、全部どうでも良くなってしまうくらいに隔絶した世界。
其処なら、誰でもない自分でいられる気がした。其処でなら、“私”を見て貰える気がした。
そんな特別な場所に刻んた記憶なら、どんなに辛い時も、苦しい時も、忘れないでいられると思った。
いつか、きっと、いずれ、どこかに、誰かが待っていてくれたら。そんな遠くの何かを夢見てた。
分かってた。空想に浸るばかりじゃどこにだって届かない。けれどそれが弱い私の限界だって。
白く輝く銀の薔薇なんて、宝石箱の片隅なら幾らでも転がってるから。私は虹の向こうに手を伸ばした。
諦めていたつもりだった。仕方ないと思ってた。どう足掻いても叶わないからこんなに憧れるんだって。
それなのにね。離れないでいてくれるって言うの。ただの私と一緒に居てくれるって言うの。
信じても良いかな。本当に良いのかな。こんな私でも、幸せになって良いのかな。
お父様、私も見つけたよ。お母様。欠けて足りない私を、見付けてくれたよ。
私でも、私の居たい場所を見つけられたよ。
貴女は私だけのお星様。ずっと、ずっと、傍に居て――――ね。
――――恋も、愛も、良く分からない。
それが漸く不思議に想えたのは、『学園』と言う枠組みに属して暫く経った後の話。
政略結婚の側面は有ったにしても。お互い納得尽くで結婚した筈の両親は。
片や訪問先で出逢った御令嬢と恋におち。片や自己嫌悪の末、父ごと我が子の存在をも忘れ去った。
例えばそれが恋や愛の末路だと言うなら。私には、その事実が恐ろしくて仕方がない。
父様も、母様も、最初から何処か螺子の外れたおかしな人、というわけではなかった。
ただの、何処にでも居る貴族の一人だった筈。それがどう歯車が狂えば“そう”なるんだろう。
分からなかった。どれだけ考えても考えても分からなかったから、私は何時しか考えるのを止めた。
静かに扉を閉ざし、厳重に鍵を掛けて。世の紳士淑女がそういった事柄に費やす熱量を、私はきっと。
未知の秘跡や未踏の冒険。詩吟や伝承へと絶え間なく注ぐことで、自分らしさを象って行ったのだと想う。
だから、お見合いの席でウィリアム様と対面した時。この人なら――――と、思った。
放蕩者と知られる第二王子様は、その浮き名に反しあくまで“遊びは遊び”と割り切っているようで。
その微笑みが、人らしい感情から来るもの“ではない”事に、私は早々に気付いた。
社交界で多くの貴族の御令息から向けられる様な、評価や価値を得たいと求める眼差しとはまるで違う。
強いて言うなら、人間のふり。最初は王族と言うのは皆そういう物なのかなと思ったけれど。
同時に彼もまた、私が世に言う理想的な貴族令嬢“ではない”ことに気付いたのだろう。
それはある意味幸運で、同時にこの上もなく不幸な“同族嫌悪”の類。
私達の関係は利害の一致。恋でもなければ、愛でもない。互いに利用価値を見出しただけ。
けれど、私はそれで良かった。それで良いと思ったから、私はもう一歩踏み込むことにした。
彼が必要としていたのはあくまで、彼が思い描く“王子様”に相応しい振る舞いが出来る“お姫様”。
だから、私は傍に居られると思ったのだ。この、ずっと仮面を纏い続けるしかない。
――――本当は“誰も隣に求めてなんていない人”であれば安心して。
お互いに利害が衝突しない限り、きっと私は私として“幸せなふりをしていられる”――――と。
「……あ、そろそろ時間かな」
そんな理由で婚約相手を決めた私にとって。親友と語り合う時間はずっと気が楽な物だった。
例えばそれが、いずれ訪れる時間制限からの逃避だなんてこと。ずっと前から気付いていたとしても。
■
パンクリアース学園、空き教室の一角で緑髪の山人が窓の外を見遣る。
彼女――――『虹星の誓い』ヴィルヘルミナには迷いが有る。
それは今は未だ明確な形を取ってこそいないものの。確かな蟠りと言って相違無い。
これまではそうではなかった。向き先も、生き方も、自分で選べる範囲で選んで来た。
其処に夾雑物が挟まる事すら滅多に無く、躊躇いも後悔も殆ど無縁の人生だったと言って良い。
運が良かった、と言えばそうかもしれないが。挑むべき頂きの高さが高過ぎて余所見する余裕など無かった。
邁進することこそが彼女にとって生を営むと言う事であり、研鑽と生活は不可分のものだった。
だからと言って。今も勿論、余裕やゆとりがある訳ではない。慢心している訳でも、無いと思う。
極めて客観的な目線で以て。今のヴィルヘルミナは彼女が追い求めた高みに至っている訳ではない。
折角の機会を経て、学びの一環として『学園』に通ってこそいるが。
それはあくまで腰掛けのつもりで。見聞を拡げより広い世界を見定める為に選んだ道だった筈だ。
究極的に言えば、それらは全て自分の為だった。自分の為でしか無かった。
けれど、視線は自然と窓辺から廊下へと流れる。其処には未だ誰も居ない。
待ち惚け、ではない。待ち合わせよりも随分と早く彼女はその教室で物思いに沈んでいた。
指先が首飾りに触れて小さな音を立てる。まさしく、これこそが悩みのタネであり“迷い”の正体だ。
何故彼女がこんな所で無為に時間を潰しているか。或いは、その無為な時間にすら意味を見出しているのか。
それは彼女の中に沈む形容し難い感情故だ。加えて、その感情は恐らく決して良い物ではない。
直視することすら憚られるが、予感めいたものがヴィルヘルミナにはあった。
困惑。迷走。或いは恐れにも近い。本来、戦場でも無い場所で沸き立つ想いではないだろう。
一廉の戦士であると自負する彼女をして、その持って行き先すら分からない不定形の“何か”
これまで、情緒を整理することは得意な方だと思って来た。感情に振り回される事とも無縁だった。
それなのに今は。待ち人が来てくれるかどうか、等と言う文字通り他愛も無い問が頭から離れない。
(こんな気持ちで、果たして私は――――)
彼女と対峙しても良いのだろうか。そんなことすら決められないまま、それでも呼び出しの文を認めた。
行動と気持ちが噛み合わない。居心地の悪いチグハグさを抱えたまま視線はまた教室の扉へ向く。
――――答えは、出ない。
●星に影
陽が傾き、空き教室の扉がカラカラと引かれる。
任意登校である校内には、あまり人が居らず待ち合わせるにはこれ以上も無く好都合だった。
白い盛装の裾を摘み一礼。仕草は洗練され一分の隙もない。これは、逢う度いつも想う事だ。
白き薔薇の系譜『白銀』。その第一子。侯爵令嬢『白銀の薔薇』オルファレナ。
並大抵の貴族であればこれだけ前置きが続けばお腹いっぱいだろうに、更に加えて遠からず。
彼のウィリアム・リーンエス第二王子の側室。いずれは公爵夫人との肩書きまでも乗るのだと言う。
王国社交界――――“貴族社会”に在って。此処まで栄華に恵まれた令嬢もそうは居ない。
少なくとも、王族でも貴族でもないヴィルヘルミナの周囲に幾らも居る人種でないことは間違いないだろう。
「御機嫌よう、ヴィル。今日はそんなに待たせていないと思うのだけれど」
けれどそんな、ある一側面から見れば綺羅星の如き立場に居るオルファレナが。
決して“自ら望んで”そんな立場を得た訳ではないことを。これもやはり、彼女は良く知っている。
血統と言う名の運命に縛り付けられ、雁字搦めになって身動きが取れず。
非情にも冷徹にも打算的にもなり切れず、立ち尽くすしか出来ないでいた事を――――知っている。
積み上げられた教育は貴族の極致でありながら、その本質は何処までも貴族の社会とは相容れない。
そして困った事に。本来は完全な外様の身。主観的にも第三者であった筈のヴィルヘルミナは。
どうも――――この少女が独りで追い詰められていくのが、放っておけないらしいのだ。
「いえ、私こそ忙しいだろうこんな時期に呼んでしまい――――」
「――――私たちにごめんなさいなんて無しよ。そうでしょ?」
唇を鎖した左手の人差し指から視線を辿ると。その薬指には変わらず贈った指輪。
極力それを外さないようにしていることを、奇しくも彼女は嫌と言うほど思い知らされている。
最初は恋愛が苦手という彼女にとって“異性避け”に都合が良いのかと思っていたが。
どうもそればかりでもないらしい――――と、知ってしまったのは良かったのか、悪かったのか。
自分の首を覆う首飾りは、如何な貴族であれそう軽々しく他者へ贈る様な物ではなく。
家紋が刻まれた物ともなれば尚更で、ヴィルヘルミナが持つ装飾でも此処まで目を引く物もそうはない。
(……その意は、“常に傍らに在ると願う”もの)
彼女は力ある冒険者の1人である。その前途は明るく、山人の王に挑み得る才が有る。
或いは北の果てに座する英雄より、己の次代を見込まれ名指しで弟子にと呼ばれている。
道は幾つも有る。それは勿論彼女自身の研鑽の結果であり、その努力の賜物だと言える訳だが。
かつて眼前の少女に“ずっと一緒に居たい”と求められた時。彼女は一瞬確かに、そんな選択肢を全て忘れた。
誰ならぬ、ヴィルヘルミナ自身が心底驚いた。その情動は彼女の自己評価と余りに大きく乖離していた。
冷静沈着を地で行く、他者に興味関心の薄い。ずっとその筈だったヴィルヘルミナは。
「そうですね……少し、歩きましょうか」
ここに来て、初めて。自分すら知らなかった自分と対面する事になる。
■
驚きは、1度で終わってはくれなかった。
オルファレナは多くの人に愛されていて、当人もまた他者に多くの愛情を注ぐ性質だ。
紆余曲折在り、彼女が愛情を外へ向けるのは身内に受け取ってくれる人が居なかったからなのだ。
と、知った時は少しばかりの動揺が有ったが。いざ、そんな彼女が婚姻を結ぶ運びとなり。
貴族の令嬢としての役割を果たす為、別に特に親しい訳でもないウィリアム王子に嫁ぐと聞き。
最初は懸念と心配、次に何とも言えない居心地の悪さを憶えた事までは特に不思議には思わなかった。
多少過保護と言われようと、彼の少女が幸せを掴める様に願うのは当たり前のこと。
貴族である以上“責務”も勿論有るのだろうけれど、あくまで願わくば“掛け替えの無い相手”と一緒に。
そうであって欲しいと思うのは自然な心の運びで。けれどいざオルファレナも納得尽くで婚約に至った時。
最後に残ったのは――――漠然とした喪失感だった。
「ついこの間まですごく暑かったのに、時が過ぎるのなんてあっと言う間ね」
隣を歩きながら視線を窓の外へ巡らせるオルファレナを一瞥し、ヴィルヘルミナは内心と向き合う。
自分でも出処の分からないその感情を、彼女は困惑を憶えながらもまず気付かないふりをした。
それは酷く自分勝手な物である様な気もしたし、直視すれば取り返しがつかない予感も有った。
そうであるならばどうして。彼女は今、オルファレナと話がしたいと思ったのだろう。
ずっと一緒にと、求められたことが嬉しかった。それは、心からの本心だ。
彼女もまた、そう言ってくれたオルファレナと一緒に居られたら良いと想った。
其処に嘘偽りはない。きっと、そう応じたとしても後悔はない。
けれど、だとするなら。この形容出来ない寂寥感にどう説明を付ければ良いのだろう。
階段を1つずつ下りながら、いつか贈り物を交換し合った中庭へと向かう。
「来年の今頃は、私達も第四学年ですか」
「そうね……でもその前に、花嫁修業で学校どころじゃないかも」
軽快に階段を跳び下り、悪戯っぽく微笑む彼女の表情を流し見て。
なるほど……こんな気持ちが、自分にもあったのか……と、何処か皮肉気に思い知る。
その感情に名札を付けるのは簡単だった。ことが此処まで至ってしまえば名無しのまま伏せてもおけない。
「オルファ」
――――ヴィルヘルミナには、すべき事がある。
求道者の如く真っ直ぐに、自分を律して道を定め生きて来た。それが自分の全てだと信じて。
であるなら、その瞬間胸をついた衝動は、彼女が今まで全く対峙した事のないものだった。
抵抗の術も、打破の筋道も、傾向と対策すら浮かばない。“らしくない”と言うなら――――この上無く。
気付けば、手を引いていた。
気付いたら、その彼女と殆ど変わらない小柄な体躯は腕の中に居た。
両者の間に確かにあった距離は、呆気ないほど簡単に0になって。
銀の星を宿す紺碧の瞳は円を描き、ヴィルヘルミナの紫の瞳の直ぐ傍に在った。
●問と解
「――――どう、して?」
『白銀の薔薇』は婚前の身。或いは同性であったとして、人前で抱き合って赦される立場にはない。
幸い、この時の学園には人目の一つも無かったが、それは永遠を保証しない。
ヴィルへルミナは手に力など入れてはいない。そしてオルファレナは仮にも授恵者だ。
本気で振り解こうとしたなら逃げられない訳はない。けれど、彼女は身動ぎせず問い掛けた。
離れるよりも、問い掛けることを優先した。それが、恐らく最後の機会だったろうに。
声色には不思議の色が濃く。拒まれてはいないと分かって、ヴィルヘルミナは視線を落とす。
どうして――――それはとても難しく、けれど或いは至極簡単な問い掛けだ。
胸の奥に降って湧いた感情は、きっと“執着”と言う。直視し難くても、それがきっと心からの真実だ。
何故ヴィルヘルミナにとって、その対象がオルファレナだったのか。それは彼女自身にすら分からない。
けれど、衝動に理屈がつかない様に。その想いにもきっと論理だった理由など無い。
気付いたら、彼女にとってオルファレナは“特別”な相手になっていた。
いつからか、どうしてか、そんな事は分からなくとも。結局の所――――そんな単純な解が、全てだ。
「……私は」
「うん」
「私も、オルファとずっと一緒に居たいと想っています」
呼吸が止まるような一瞬があった。迷うような、確かな空白が空いた。
小さく息を溢し、腕の中に居るオルファレナが俯くのが分かった。白銀の髪がさらりと揺れる。
「……私ね。恋とか、愛とか、分からないんだ」
何をしたら恋なのか。どう感じたら愛なのか。誰もが皆それは素晴らしい物だと言う。
それを手にすると世界が輝いて見えるのだと言う。それを持ち合わせない人生は不幸なのだと言う。
けれど分からない。そんな価値ある物がどうして簡単に溢れて壊れて穢れてしまうのか。
落ちた視線がふわりと不安定に浮かんで揺れる。その瞳に銀の星は無く。只管に深い迷いに翳る。
「でも、“ただの私だけ”を想ってくれたら嬉しいのは分かるの。きっとずっとそうして欲しかった。
“もう忘れられたくない”んだ。誰かの付属品も、家名の付随物も、綺麗なだけの勲章も、私は、嫌」
それは、告解だった。ずっと光の下に居た少女が溢す罅割れた心の一欠片。
オルファレナには“無辜の愛情”が信じられない。だから、何も欲していない人は適役だった。
もしも何かを与えられたなら、必ず何かを返さなければならない。それは最早強迫観念にすら近い。
でなければ誰も愛してなどくれないから――――『白銀の薔薇』は誰より自ら、他者へ愛情を注ぐのだ。
「ヴィルは、ずっと私だけ見ていてくれる……?」
泣き笑いの様な問い。それが、一体どれほど危ういものか。彼女には分からない。
■
それがどういう意味を持つ訴えで、込められた感情がどういう類の物であるか。
完全に理解出来た訳ではないにせよ、オルファレナの精神性は少なくとも決して“真っ直ぐな物”ではない。
それは本来伸ばすべき枝葉を自ら伐採し続け、ある特定方面に無理に伸ばし続けた様な歪さを内包する。
時に人が、彼女に有る種の求心力を感じるのも当然と言えば当然だ。
普通の人は彼女ほど無辜にはなれない。“一番最初に自分を犠牲にするように”は、振る舞えない。
けれどそれは、必ずしも善良であるという証明にはならない。
彼女は人から与えられる物を返さない“訳にはいかなかった”。犠牲になることが最も気持ちが楽だった。
未知を求め、危険を望み、冒険に心惹かれる筈だ。彼女は誰より無価値な自分で居られる場所を欲していた。
(もしも――――本当に彼女のことを想うなら)
此処で寄り添う相手を得たならば、彼女は間違いなく幸福だろう。
自ら言っていた通り。オルファレナは“ずっと自分だけを”見てくれる人を欲していた。
何ら付随物の無い“そのままのオルファレナ”に価値を見出してくれる相手が欲しかった。
けれどそこに込められた想いは余りにも重く、恐らく至極容易に彼女はその“特別”な相手へ依存する。
それはどう足掻いたところで、決して健全な心の成長とは言い難い。
突き放し断固として自立を促すという道もある。第三者として、正道はどちらかと言えば解は容易ではない。
――――けれど。
「ええ」
無意識に首飾りに触れ。ヴィルヘルミナは確かに自問自答した。
果たして後悔しないか。胸を張って答えられるか。彼女の弱みに付け込むような事にはならないか。
それでも縋るようなその眼差しに。腕の間に感じる仄かな温かさに。
迷いながら、躊躇いながら、不安を感じながらも、自らの本心を語ったその切実な問い掛けに。
「私はずっと貴女だけ見ています。忘れたりなんてしません」
結局の所――――彼女はその全てを切り捨て冷徹に振る舞うことが出来なかった。
真の正解など分からない。或いはそれは、誤った答えだったのかも知れない。
それでも。『白銀の薔薇』は花咲く様に微笑んだから。眩しい物を見るよう、とてもとても幸せそうに。
だからヴィルヘルミナは自らのその選択を、決して間違いだとは思ってはいない。
「疑うのって得意じゃないの……信じちゃうからね」
殆ど同じ身長だから互いに背伸びがいらないのは。幸だろうか、不幸だろうか。
重なる二人に影が落ちる。
●添う星二つ
後日。パンクリアース学園貴族寮の一室。
実家から持って来ていた騎士物語を閉じたオルファレナが、自らの後背へと声を投げた。
「ねえ、エドワーズ。少し良いかしら」
「はい、お嬢様。今度は何事にございましょう」
「今度は、って何かしら。まるでこれまで無理難題でも押し付けてきたかのよう」
「ええ、このエドワーズお嬢様付きの任を仰せつかって以来、幾らか若返ったかの如き心持ちにございます」
口さがない『白銀』筆頭家令長の言に、椅子を引いたオルファレナが半身を向ける。
決して行儀が良い仕草とは言い難い。しかし両者の間柄を考えれば今更も今更の話だ。
「まあ、それはとても素敵なことね? ところで寮に住み込みの護衛を一人雇いたいのだけれど」
「ほう。侍女が何か粗相でも致しましたでしょうか?」
「いいえ、これは私のとてもとても個人的な事情なのだけれど。
ほら、日雇いならこの先冒険者業の邪魔にもならないと思うの。名案でしょう?」
勿論、令嬢付きの“召使い”などという業種は家事全般の専門家である。
日雇いがどう、と言う以前にその技術に於いて一般人の追従する余地など無い玄人の集まりと言って良い。
適当に見繕うなど問題外と言って良く。そんな事は侯爵令嬢たるオルファレナならば百も承知の筈。
けれどこの日の彼女は何かが違っていた。外れていけない枷が外れた様に、その瞳はまるで迷いが無く。
たっぷりと長い長い間を開けて眉間に寄った皺を指先で伸ばすようにしながらエドワーズ――――
――――幼き日よりオルファレナに寄り添い続けた老執事は、絞り出すように問い掛けた。
「……“その方”は、まさかとは思いますが男性で?」
けれど、彼女が如何に問題行動の多い令嬢かこの上なく良く知る男は。
そんな彼すらもが見たことの無い表情で――――未だかつてなく屈託なく微笑む自らの主が。
「婚約者が居る身でそんなわけ無いじゃない。エドワーズったら、馬鹿ね」
――――また何かやらかしたのだと察するに十分過ぎる変貌に、思わず嘆息が落ちる。
此度お嬢様が身を固めるに至り感慨も一入の老執事。けれどまだまだ、心休まる日は遠いようだった。
■
――――恋も、愛も、良く分からない。
それを掛け替えがないと言う人も。それが大切なのだと言う人も。大勢居るのに分からない。
分からない。分からない。分からない。だって誰も証明してくれなかった。
誰も確かな物にしてくれなかった。脆さ、弱さ、醜さ、儚さ、痛々しさばかり私に突き付けてきた。
愛情に比べれば友情の方がずっと素敵に想えた。私の大好きな人達は、間違いなく私を大切にしてくれた。
期待に応えるのは嫌じゃなかった。私が頑張れば。苦しくても沢山背負えば。皆が背中を支えてくれた。
誰かに恋するのは幸せになると言う事だと教えて貰った。けれど私はそんな物無くても幸せだった。
これ以上の幸せなんて求めたらいけないと思ってた。だから、私は困惑を微笑みで隠す事を学んだ。
分からないのは、何かが欠けているんだと思ってた。私には、何か大切な物が足りないんだって。
向き合いたくなかった。確認したくなかった。それでも、ただ逃げ場所だけ探していたわけじゃないの。
気持ちに嘘はなかった。ずっと、ずっと憧れてた。理由も分からないくらい子供の頃から求めてた。
奇跡のような冒険。神話のような魔法の品。伝承に詠われる神秘の地。
まるであやふやな、確かな事なんて何一つ分からないような物語の向こう側。
血筋や、家格や、品位や、肩書きなんて、全部どうでも良くなってしまうくらいに隔絶した世界。
其処なら、誰でもない自分でいられる気がした。其処でなら、“私”を見て貰える気がした。
そんな特別な場所に刻んた記憶なら、どんなに辛い時も、苦しい時も、忘れないでいられると思った。
いつか、きっと、いずれ、どこかに、誰かが待っていてくれたら。そんな遠くの何かを夢見てた。
分かってた。空想に浸るばかりじゃどこにだって届かない。けれどそれが弱い私の限界だって。
白く輝く銀の薔薇なんて、宝石箱の片隅なら幾らでも転がってるから。私は虹の向こうに手を伸ばした。
諦めていたつもりだった。仕方ないと思ってた。どう足掻いても叶わないからこんなに憧れるんだって。
それなのにね。離れないでいてくれるって言うの。ただの私と一緒に居てくれるって言うの。
信じても良いかな。本当に良いのかな。こんな私でも、幸せになって良いのかな。
お父様、私も見つけたよ。お母様。欠けて足りない私を、見付けてくれたよ。
私でも、私の居たい場所を見つけられたよ。
貴女は私だけのお星様。ずっと、ずっと、傍に居て――――ね。
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