【DA】リーンエスの耳

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 ディズル大湿地帯は、史上かつて無いと評すべき激しい騒乱に見舞われた。
 これまで誰も見たことが無い程に膨大な数の雲霞鳥が一斉に押し寄せ、リザードマンが住まう多くの集落を危機に陥れた。
 だが結局は、ギシュム族やその他の主だった部族が力を合わせ、更には冒険者達の活躍もあり、この危難を何とか退けることが出来た。
 そしてそれらの活躍したひとびとの姿の中に、シルトラース帝国近衛連隊の姿もあった。
 皇帝ヨゼフ・バルダスから不要と切り捨てられた彼らは、第八皇子レイウェスト・バルダスの檄を受けて再び立ち上がり、リザードマンに襲い掛かった未曾有の危機に対抗する助力となった。
 この事実は既にロスガリア大陸の各地に知れ渡り、マクシミリアン・ミルド率いる帝国近衛連隊の数少ない残存部隊がレイウェスト派の傘下に収まった事実を強く印象付けた。
 そんな中にあって、アルベルト・V・シュタールシュヴェーアトは複雑な心境をどうにも隠し切ることが出来ない。
 レイウェストの騎士として皇帝派と熾烈な戦いを演じてきた彼にとっては、帝国近衛連隊は皇帝のいいなりとなって動く走狗であり、帝国の恥部である『帝国過激派』の一員としか思えなかったからだ。
 その近衛連隊が、味方陣営に加わった。
 これを自身の中でどの様に消化すべきか。
 アルベルトの葛藤は他者が想像する以上に複雑で、困難を極めているといって良い。
 正直なところ、相当に気が重かった。
 これまでの経緯もあり、アルベルトとしては手放しで喜べる心境ではなかったからだ。今更、掌返しで歓迎の言葉を発することもどうかと思われた。
 だがそれでも――。
(殿下と共に戦う同志となるなら、彼らとは和解しなくては)
 これは、避けては取れない道だ。
 己がどの様な思いを抱こうが、敬愛するレイウェストが近衛連隊を受け入れるというのならば、その意志に従わねばならぬ。それが、レイウェストの騎士としての務めだろう。
 問題は、どうやって和解の為の伝手を得るか、だ。
(……矢張り、直接彼と話す以外にないか)
 言葉を交わしたところで、十分にお互いの溝を埋め切れるとは限らない。
 そもそも、マクシミリアンはアルベルトとの対話に応じてくれるのだろうか。
 不安は尽きなかったが、それでもアルベルトはマクシミリアンが滞在しているギシュム族集落内の安宿へと足を向けた。

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 アルベルトが安宿の一室を訪ねると、マクシミリアンは予想外の来客に若干驚いた様子を見せたが、共に雲霞鳥の大群を退けた戦友として快く迎え入れてくれた。
 室内に足を踏み入れてみると、色々と物が散乱している。荷造りを進めていたらしい。
 聞けば、マクシミリアンは今回の戦いで命を落とした部下や仲間達の慰霊を済ませた後、亡くなった近衛連隊員の遺品を取りまとめてヴィントに移送する段取りを進めていた様だ。
「一部の連隊員は家族が無事に逃げ延びて、今はヴィントに居ると聞いている。彼らの為にも、なるべく多くの遺品を送り届けてやりたいと思ってね」
 ふと寂しそうに笑うマクシミリアン。
 こうして見ると、ごくありきたりな部下思いの中年上司だ。
 皇帝に跪き、過激派の一員として大陸各地で暴虐の限りを尽くしてきた連中とは思えない翳が伺える。
 だが、敵だったことは事実だ。アルベルトの脳裏には、帝国過激派の侵略行為で数々の被害を被ったシグモルやフィルエスの民の悲嘆に暮れる表情が、次々と過っていった。
「そういやあ、グランドマザーを斃した時の腕は見事だったな。とても助かったよ」
 アルベルトのそんな複雑な心境など我知らずといった調子で、マクシミリアンは気さくに笑いかけてきた。
 或いは、知った上で敢えてそんな台詞を投げかけてきたのかも知れない。実際、この時のアルベルトの表情はいつに無く硬かった。
 この若者は、何か思いつめている。少なくとも、気楽な会話を求めて訪れてきた訳ではない。
 マクシミリアンの年長者としての配慮が彼の中で働いていたことは、恐らく間違いないだろう。
 アルベルトは勧められた木椅子に腰を下ろし、マクシミリアンがくたびれたソファーに座すのを待ってから、漸く口を開いた。
「俺はレイウェスト殿下の騎士として、ミルド近衛連隊長を始め近衛連隊と色々と対立してきました」
 幾分硬い声でアルベルトがその様に語り掛けた時、マクシミリアンは一瞬だけ怪訝な表情を浮かべたものの、決して口を挟もうとはしなかった。そのまま、アルベルトの次の言葉を待つように、静かに頷き返して先を促した。
「しかし、今後ヨゼフ一派及びイダ一派を打倒する為には、近衛連隊の力が必要であることも、理解してはいます」
 だから今後は、『仲間』として共に戦っていかないか――アルベルトがそのひと言を何とか搾り出そうとしたその時、マクシミリアンは不意に右の掌を眼前に押し出し、静かに、と小さく囁いた。
「……聞こえるか?」
 咄嗟のことで、すぐには理解が及ばなかったアルベルト。
 だがマクシミリアンはそれまでの穏やかな表情から一変し、戦場に身を置く兵士の顔つきで木窓の外に視線を流した。
「話は後だ、アルベルト。どうやら、招かれざる客のご来場だ」
 この段になって漸く、アルベルトもマクシミリアンのいわんとしていることが理解出来た。
 雲霞鳥の群れが、接近している。
 集落のリザードマン達が口々に叫びながら走り回っている喧噪が、木窓の外から伝わってきていた。

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 マクシミリアンはベッド脇に立てかけてあった愛剣を手に取ったが、アルベルトは丸腰だ。飽くまでも対話を目的として訪問した為、何の武装も用意していなかったからだ。
「俺の予備の剣を貸してやるから、一緒についてこい」
 いいながらマクシミリアンが放り投げてきたのは、近衛連隊正式採用の長剣だった。マクシミリアンが以前愛用していたものらしい。
「お借りします」
 応じてから、アルベルトはそのひと振りを受け取った。
 そしてふたりが宿の外へ飛び出すと、雲霞鳥の群れが集落近くの湖沼に迫ってくるのが、遠目にもはっきりと見て取れた。
 リザードマンの戦士達が次々と武装に身を固めて集落門を飛び出してゆく。マクシミリアンとアルベルトも彼らと肩を並べる格好でややぬかるんだ馬車道を駆けた。
「特異個体が居るな。あいつは、俺達で始末しよう」
「了解です」
 ふたりは通常個体の雲霞鳥をリザードマン戦士達に任せ、ひと際巨大な体躯を誇る特異個体に向けて猛然と距離を詰めていった。
「特異個体! 貴様を叩き斬る!」
 アルベルトは鞘から長剣を抜き払い、猛然と突き込んだ。
 しかし当然というべきか、矢張り手応えが甘い。到底会心の一撃とは呼べない様な、鈍い重たさが掌の中に残った。
 マクシミリアンが貸してくれた剣は確かに授恵者が使用する為に作られたものだが、アルベルト用に調整されている訳でも無く、また習熟の為の時間も取れなかった。それ故、アルベルトがエーテルを乗せて有効打を撃ち込むことは不可能であり、事実上ただのなまくらに近しい。
「やり辛そうだな……これと交換するか!」
 マクシミリアンが、自身が使用していた愛剣を放り投げてきた。
 アルベルトもマクシミリアンを丸腰にする訳にはいかない為、慌てて予備用の剣を投げ返す。
「来るぞ! 一気に勝負を決めてしまおう!」
 マクシミリアンが呼びかけてきた直後、一旦上空に舞い上がって態勢を整えていた特異個体が再び急降下攻撃を仕掛けてきた。
 半ば反射的にアルベルトはマクシミリアンの愛剣を横薙ぎに振るったが、先程までとはまるで次元の異なる軽さだ。ほとんど重さを感じない。
 恐らくは近衛連隊長専用に鍛えられた刃なのだろう。アルベルトがその切っ先にエーテルを乗せることは出来ないものの、取り回しの容易さは予備用の剣などとはまるで比べ物にならなかった。
 これならば、授恵者としての力は使えずとも多少の殺傷力を発揮することが出来るだろうか。
 そう確信したアルベルトだったが、その直後、彼は別の驚きに衝撃を受けた。
 つい先程アルベルトと交換した予備用の剣が、マクシミリアンの技量にかかれば近衛連隊長専用の愛剣と同等の威力を発揮し始めたのである。
 マクシミリアンが放った剣戟は急降下攻撃を仕掛けてきた特異個体の右側の翼の付け根辺りを鋭く切り裂き、一瞬でその動きを封じた。
「やれ! 留めを刺せ!」
 マクシミリアンの射抜く様な叫びに反応したアルベルトは、猛然と必殺の一撃を突き込んだ。

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 優れた料理人は食材や道具を問わず、どんな時でも一流の美食を提供する。
 そんな話を、アルベルトはどこかで聞いたと思い出した。
 マクシミリアンはその言葉と全く同じことを、たった今アルベルトの前でやってのけてみせた。
 彼の近衛連隊長としての戦闘技量は、アルベルトの予想を遥かに凌駕していたのである。
 宮廷宰相バルバスティンと組めば語らずの智者エフレムを斃すことすら可能といわしめた程の技量を、改めて目の当たりにした格好だった。
 シルトラース帝国軍最強と謳われたその剣技に、嘘偽りは無かったということになる。
「よくやったな。ろくにエーテルも乗せられない剣でしっかり結果を出す辺りは、流石だ」
 たった今アルベルトが仕留めた特異個体の死骸を見下ろしながら、マクシミリアンは確実に敵を斃したアルベルトの技量を笑顔で称えた。
 しかしアルベルトは、素直に喜べる気分では無かった。
 なまくらに近しい刃をすら強大な武器に変えてしまえる腕こそが、まさしく本物の武人の証だ。
 その圧倒的な技量差を見せつけられてしまっては、戦士としてのプライドや自信に少しばかり陰りが差してしまうのも致し方の無いところであろう。
「後は、他の連中に任せておいても大丈夫だろうな……さぁ、戻ろう。まだお前さんの話の途中だったしな」
 まるで疲れた様子も見せず、気さくに笑うマクシミリアン。
 この時、アルベルトはほとんど無意識のうちに、ある疑問が口を衝いて飛び出してきた。
「それ程の技量がありながら……何故、ヨゼフ一派に加担していたのですか?」
「何故ってそりゃあ、俺達はただの駒だからさ」
 予想外の、ひと言だった。
 シルトラース帝国に於いては最強と呼ばれる戦闘集団がただの駒に過ぎぬとは、一体どういうことなのか。
 だがその様な評価は、実情を知らぬ他者の勝手な見方に過ぎない、とマクシミリアンは苦笑を返した。
「お前さんは殿下の騎士として生きる道を選んだそうだな。だけど近衛連隊兵は、騎士じゃない。飽くまでも駒としての兵隊だ。少なくとも、俺はそう思っている」
 駒に、意思は無い。ただ司令官の命令こそが全てであり、絶対なのだ。
 その司令官が帝国過激派の頂点であるかどうかは、全く関係が無い。軍隊とは司令官の命令こそが唯一無二でなければならない。
 自らの意志で主に仕える騎士とは、根本がまるで違う。
「善悪とか矜持の問題じゃない。兵隊ってのは命令に生き、命令に死ぬ。そう訓練されているんだよ」
 自らの思想を持つ者は、軍隊には不要だ。
 己の価値観で命令違反を犯す様な者は、兵としての資質を持たない。
 近衛連隊兵にとって真に必要とされるのは、戦士としての技量ではなく、司令官に絶対忠誠を誓う鋼の精神であった。

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 雲霞鳥の群れを撃退したことで、ギシュム族の集落は沸きに沸き返っていた。
 アルベルトとマクシミリアンは多くのリザードマン達から感謝の言葉を贈られた。マクシミリアンは彼らに笑顔で応じていたが、アルベルトの表情は依然として硬いままだった。
 しかし、宿に戻ることは出来なかった。
 雲霞鳥撃退の際にリザードマン戦士の中から少なくない負傷者が出てしまった為、マクシミリアンが泊まっていた安宿は臨時の救護所として使用されることになったからだ。
 ふたりは仕方なく、大通りに面する茶屋でひと息入れることにした。
「で、何だったかな……仲間としてどうとかって話だったか」
 そうです、と頷き返すアルベルト。
 これに対しマクシミリアンは、それは別に構わんがと応じてからアルベルトの強張った顔を覗き込んだ。
「問題は寧ろ、お前さんの方だな。共に戦う仲間として相手を受け入れられるかどうかってのは、お前さん自身の心の持ちようの話だよ」
 その指摘に、アルベルトは別段腹を立てる訳でもなく、ただ黙り込んでしまった。
 確かに、マクシミリアンのいう通りだった。
 マクシミリアンはレイウェストに拾われた時点で既に、レイウェスト派として戦うことで腹を固めている。態々仲間として共に戦おうといわれるまでも無く、最初からそのつもりであった。
 逆にアルベルトはどうか。
 腹落ちしているのか。納得しているのか。
 その心境の整理を、アルベルトは近衛連隊長に託そうとしているのではないのか。
「決めるのは俺じゃない。お前さん自身だ。己の心のありようを相手に決めさせちまうと、後で絶対後悔することになる。だから自分で決めろ。お前さんの為にもな」
「ミルド連隊長は、俺の様な存在を疎ましく思わないのですか?」
 マクシミリアンの正直な心境が知りたかった。
 確かにアルベルトも、近衛連隊に対するわだかまりが無いといえば嘘になる。だがそれと同時に、相手がどう思っているのかも非常に重要だと考えていた。
 ところがマクシミリアンは、ただ苦笑して小さく肩を竦めるばかりだった。
「さっきもいったろう? 俺達は駒なんだよ。自分の意志は持たない。ただ司令官の命令だけが絶対なんだ。これまでは皇帝陛下が司令官だったが、それが今はレイウェスト殿下になった。単純に、それだけの話だ。それにな……」
 ここでマクシミリアンは、ふと自嘲気味な笑みを浮かべた。
「いちいち自分の意志とか感情なんかを持っちまったら、あの伏魔殿みてぇな帝国宮廷じゃ、やっていけないんだよ。俺だって、皇帝陛下の一見無慈悲に思える非情な命令に何度、自分の心を殺してきたか分かったもんじゃない」
 皇帝陛下の決断はともすれば非情そのものだが、後になって考え直せば極めて的確だったといえるものが全てだった。それでもどこか割り切れない思いは少なからずあったというのが、偽らざる心境だっただろう。
 この瞬間、アルベルトは漸く理解した。
 マクシミリアンは己の主義に準じて帝国過激派に与していた訳ではない。ただ近衛連隊長としての立場と義務に従い、自らの務めに忠実に従ってきただけに過ぎなかったのだ。
 帝国近衛連隊は、兵の集まりだ。同時にその歴史と伝統も長く、そして重い。
 彼らは己の良心に従うことが出来る冒険者ではないし、主が道を違えば忠言を以て諫めることを是とする騎士でもないのである。
「俺から見りゃあ、自分の心に従って動くことが出来るお前さん達が、羨ましくて仕方が無かったよ」
 そういって再び、マクシミリアンは自嘲の笑みを浮かべた。

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 夕刻、安宿がある程度落ち着いた段階になって、マクシミリアンは宿泊部屋に戻った。
 そして折角だからということで、アルベルトもマクシミリアンの発送手続きを手伝うことになった。
「ところで……ミルド連隊長の目から見て、俺はどう映っていますか?」
 マクシミリアンがアルベルトをどの様に評価しているのか。
 訊くのが少し怖い気もしたが、しかし訊いておかなければ後で悔やむことになる様な気もした。
 そんなアルベルトの神妙な面持ちに対し、マクシミリアンはそうだなぁと唸りつつ顎髭を掻いた。
「正直、お前さんとは長い付き合いでも何でもないから、個人としてのアルベルト・V・シュタールシュヴェーアトを評することは出来んな」
 確かに、それもそうだろう。
 戦場に於いても、アルベルトがマクシミリアンと肩を並べたのはほんの数える程度だ。その程度の間柄で評価を訊くのは、中々な無茶ぶりだろう。
 だがそれでもマクシミリアンは、アルベルトに対して一定の評価を下さなければ失礼に値すると考えた様だ。腕を組んで暫し考え込んだ。
「そうだなぁ……好き嫌いは正直、まだ何ともいえん。ただ、ひとついえることは」
 頼りになる――それが、マクシミリアンによるアルベルト評だった。
「何かヤバい状況になったら、間違い無くお前さんの手を借りることになるだろう。それだけは、自信を持っていえるだろうな」
 如何にも、戦闘職人らしい評価だった。
 好悪ではなく、役に立つかどうか。マクシミリアンにとって重要なのは、その一点だけらしい。
「お互い、相手を好ましく思うかどうかなんて、全くどうでも良いだろう。要は、殿下の為に働けるかどうか。そこだけなんじゃないか?」
 アルベルトは、レイウェストの騎士として。
 そしてマクシミリアンは近衛連隊長として。
 それぞれの果たすべき務めは異なるが、目指すべき終着点が同じであれば、考え方や互いの評価、好悪はまるで気にならない。
 また、気にすべきでもない。
 マクシミリアンの思考は極めてシンプルだった。
「複雑に考えるのは、世の中が平和になってからでも良いだろう。今は余計なことは考えず、ただひたすら殿下の為に働く。俺はそれで良いと思ってるけどな」
 後はアルベルト自身が、どう思うか。考えるか。
 今、ボールを握っているのはアルベルトだ。
 次は、アルベルト自身が考える番だった。

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アーカイブ生成日時 2026年08月05日 14時56分25秒 ・ world0