【DA】リーンエスの耳
リサ・ベイカー/
オルファレナ・アルヴァ・クラティアス
アルベイル・ライゼンナクト
『ノベルタイトル:今から始める『冒険譚』』弓月 蒼
●宣誓
一つの歴史が終わり、新たな歴史が始まる時。革新とは、常にそんな時代の狭間で産声を上げる物だ。
『湖都』ラヴェルギア。『王国』に名高いかつての黒の公爵家。
現侯爵家である『黒鋼竜』ライゼンナクト侯爵領の領都であり、その本拠とも言うべき都市。
例えばこの地に建設された教育機関『紫政館』もまた、そんな革新の先駆けたるものの一つであると言えた。
『湖都』中央より僅かに北。『竜』の本邸、通称――――竜館の一階最奥、謁見の間。
『王国』全土に根を張る死の商人を統べる彼の貴族家は、一概に“貴族”と言っても他と大きく異なる。
徹底した実力主義。信賞必罰を旨とする『竜』は、功には報いると共に断じて裏切りを容認しない。
それは先代。『怪物』とも呼ばれた貴族派の王。ダミアン・ライゼンナクトが最も重視した鋼鉄の規律だ。
後を継いだ現『黒鋼竜』アルベイル・ライゼンナクトもまた。その一点では先達の方針を尊重していた。
勿論、『公爵夫人附侍女』リサ・ベイカーもまたその事は重々承知している。
実家を――――商家を継ぐと決めてから此方。リサは『王国』内の様々な貴族の内情を見て来た。
そこには各家特有の強みがあり、弱みがあり、要点が有り、欠点もまた存在する。
だがいずれにも共通する事は、“王国貴族は家門の名誉を重んじる”と言う点だ。
実力主義を掲げる『竜』とてより実利に拠ってこそいる物の。貴族社会に在る以上そこを無碍にはしない。
やや極端な表現にはなるが。“舐められたら終わり”――――なのは、貴族も、商家も、あまり変わらない。
罰を下す際に求められるのは優しさや度量ではない。あくまで厳格さであり冷徹さである。
その点。アルベイルは審議を下す者、として十分な素養を有している。彼は情や打算よりも理を優先する。
そう言った部分においてリサとは価値観が良く噛み合っていた。彼の言い分は分かり易く、呑み込み易い。
例えその裁かれる側が――――自分であったとしても。
「なるほど。『白銀』に仕え『集権派』へ赴く……か」
「折角お目に掛けて頂いたご恩を返す前にこの様な決断をしてしまい、申し訳ありません……」
首を垂れるリサに、アルベイルは竜の座より見下ろし首を傾げる。
年下、とは思えない威圧感だ。彼が当たり前に呼吸し、生きて来た世界は常人のそれとは密度が違う。
冗談でも何でも無く生きているのが奇跡のよう。リサもまた相当に修羅場を潜り抜けて来た自負はあるが。
時に抵抗の余地なく命を摘まれ得る。と言う意味で言うなら流石に『竜』には及ぶまい。
身を刺す様な沈黙が落ちる。数秒が無限に引き延ばされた様な静寂にもリサは視線を背けなかった。
アルベイルが自分をとても高く評価している事は知っている。自覚も、している。
そんな彼から直々に、自らの施策。平民に政治教育を伝播させる事を目的とした施策。
『紫政館』への参画を希望されていた身としては、その予定を先延ばしにせざるを得ない状況に忸怩たる想いだ。
評価に応えたいと言う気持ちも、勿論ある。けれど“彼女”に幸せでいて欲しい、と言う想いは。
その為に自分に出来る事であるなら最大限助力したいと言う感情は、誤魔化せない。
物事を理屈で考えがちなリサの。それは珍しい位に柔らかい部分だ。友情を、大切に想うこと。
縁を結んだ、大切な友人達が幸せな未来を掴むこと。それは彼女の望む幸せな未来の必要条件である。
そこには竜の若き主と近しい護衛士の1人も。彼女の3年切りの主も当たり前に含まれている。
ここばかりは割り切れない。そこまで割り切れてしまう、自分では居たくなかった。
■
無言の時間は実体より長く感じると言う。この時リサが感じていたのもまたそれだ。
いっそ無限に続くのではないかと思わせる空虚な時は、最終的にアルベイルの苦笑を以て終わりを告げた。
「……決意は固い様だな。良い、赦そう。そもそも貴公は別に俺の臣下と言う訳でも無い」
黙考の末、下った言葉にリサが瞬く。それは確かに、リサにせよ、ベイカー商会にせよ。
『竜』に臣従している訳では無い。確かに仰る通りではある。が、それはあくまで形式の話だ。
彼女は以前、アルベイルの施策に協力を申し出ている。その事実は決して軽くはない。
口頭での契約であっても、商人は信用商売だ。口約束だからと反故にする様な人間は信用出来ない。
商人として生きると決めたリサの感覚からしても、そこは職業人として初歩の初歩だ。
ましてや『竜』の当主になって日の浅いアルベイルの立場上、家門にも存在感を示さなければならない筈。
唯でさえ降爵の憂き目に合い、領地すら削られているのだから“舐められる”様な真似は避けたいに違いない。
考えれば考える程に不義理が胸を苛むが。どう考えても赦される様な……いや、赦してはいけない筈。
彼の掲げる施策にしても、初動こそ人手が必要だ。リサ一人が抜けるくらい、と言えるほどには未だ進んでいない。
それこそ、例え絶縁を叩きつけられても文句は言えなかったのだが……
「驚いたような顔をしているな」
「……はい。恐れ多くもアルベイル様がそんな――――」
「貴公の我儘を赦すとは思わなかった、と言う所か?」
「……はい」
「そうだな。本来ならば失望した、と言うべき所である事は俺も理解している」
――――ずき、と胸が痛むことは。この際、止むを得ない。覚悟していても多少なり傷付きはするが。
今は呑み込む。そう言われても仕方が無い事は、リサ自身分かっているのだから。
けれど、アルベイルは瞳を細め首を横に振った。それが失望では“ない”のであれば……何だろう。
意図を測り兼ね、怪訝の色と共に言葉を待つものの。
「だが良い、三年待とう。“成果を上げて”みせよ」
――――成果。この場合、“公爵夫人附侍女”を職務としてのそれだろう。
もしリサが何かしら“成果”を示したとしても、別にそれで、『竜』に益が有る訳ではない。
にも関わらず――――と考えて。つい先ほど自身で考えていた内容に思い至る。
アルベイル・ライゼンナクトは情や打算よりも理を優先する。……で、あればだ。
或いはこうも考えられるだろうか。もしも彼女が公爵家で成果を上げれば、『王国』は今より良くなると。
少なくとも。彼はそうなる事を、リサ・ベイカーと言う個人に期待しているのだと。
驚いて見上げた視線の中で、今代の『竜』は透徹した赤い眼差しで応じ、ただ一度頷いた。
彼は彼女を高く評価していると。それは分かっていた心算だし、自覚もまあ、してはいたけれど。
それはリサ自身が思っているよりも、もう少しばかり見積もりが高い様だった。過大評価ではないだろうか。
一体彼女の何がそれほどアルベイルの中で評されたのかは分からない物の。
けれども。ああ、けれどもだ。そこまで言われて、一体誰が頭を横に振れるだろうか。
「三年後、必ず再び参上致します」
「期待している」
戦いでなら劣っても良い。力でなら適わなくとも良い。けれど個人への期待に尻込みする訳にはいかない。
――――こう見えて、リサは案外に負けず嫌いなのだ。
■
竜の座を辞して、無闇に広い屋敷を歩き玄関広間まで出る。
今日来訪する事は、アルベイルと家令長のセバスティアン。精々側近の護衛士くらいしか知らなかった筈だが。
彼女はそれが当たり前であることのように。何も不思議なことは無いと言うように。
多忙と聞いていたから気を利かせて秘密にしていた、リサの魂胆などお見通しと言うように其処に居た。
「三年は長いですねー……私なんかすーぐおばさんになっちゃいますよぉー」
「でもシズルさん、出逢った頃から全く外見変わってないじゃないですか?」
「あら酷い。ちゃんと美容と健康には気を使っていますよー? ほらほら、今日は前髪の先っぽも整えて来ましたし」
彼の竜の女行商人は、『竜』麾下の商人でもリサとの縁が殊更深い。先人であり、友人でもある。
そしてきっと、三年後実家を継いで商人と言う道を選んだなら。強力な好敵手にもなる筈だ。
「またお手紙書きますね。もしも困っていたら、沢山助言を頂けると嬉しいです」
「私の助言は高価く付きますよ。ちゃんと出世払いの目途は付いてらっしゃるんですか、リサ様?」
悪戯っぽく、猫のように微笑うシズルの言に。これは化け猫の類だなあ、と沸いた発想にくすりと笑う。
彼女には沢山の恩が有る。女性の商人が何を強みにして、何処で勝負するのか。多くの事を学ばさせられた。
いつかお返し出来ればと思う。いずれ――――競い合えたら、と思う。その気持ちに嘘はない。
「勿論です。いずれまた、必ずお逢いしましょう」
「貴女様が歩むずっと先で、お待ちしております。お客様?」
顔を見合わせ、くすくすと笑い合う。それは勿論。一抹の寂しさが無い訳ではないけれど。
売り物にならない哀しみや寂しさは微笑みで覆い隠し、弱さを強さに換えるのが彼女らの生き様だ。
女商人は強かに――――そう。誰よりも強かに生き抜く物なのだから。
「――――何だか思った以上に楽しそうね?」
竜館を出て、外に着けられた4頭立ての馬車に乗り込むと。対面に座っていた相手から声を掛けられる。
『白銀の薔薇』オルファレナ・アルヴァ・クラティアス。或いは――――オルファレナ・クラティアス・バデーニと。
いずれそう呼ばれるのも遠い話では無いだろう。けれど呼び名が変わろうと何が変わる訳でも無い。
良くも悪くも彼女は変わらず。そして良くも悪くも、彼女は最初出逢った頃と比べれば大きく成長した。
かつて、貴族と言う柵から何とかして外に出ようと藻掻いていた“冒険者のオーロラ”は。
自らの戦うべき場所を見据え、貴族としての生き方と自分自身の幸せを擦り合わせながら歩む意思を見せている。
「楽しいですよ。自分が結んだ人の縁に背中を押されると言うのも、余り得られない経験ですから」
「リサは強いなあ。私だったらそんな風に圧力掛けられたらすぐに折れちゃいそう」
言って嘆息して見せるオルファレナだが、その実彼女がそんなか弱い存在であるとは。
聞き手のリサですら信じはいない。彼女もまた貴族令嬢として、立派に、強かに生きて来たのだから。
「いいえオルファレナ様、強がっているだけです」
だからリサはそう笑い返す事にした。馬車は揺れる。彼女を次なる戦場へと運ぶ為に。
宣誓は果たした。後は実行するだけだ。リサは知っている。期待は時に、金塊よりも貴重であることを。
●野望
「これより3年間、誠心誠意。わたしの持っている全てをかけてお仕えさせて頂きます」
「!? ど、どうしたのいきなり……!?」
『王都』グランスパーダ内。パンクリアース学園、貴族寮の一室。対面した座椅子の上。
同じ“学園生”であるリサも平民寮に自室は有しているが、平民と貴族。その待遇の差は見るに歴然だ。
一室の広さ。部屋数。備品の一つ一つの質が違う。学園への献金の多寡が反映されているのだろう。
王国が築いた貴族の貴族による貴族の為の『学園』。その事実はこういった学園生活の端々に刻まれている。
同じ学園に通っていてこう、なのだから当の貴族たちにとって自分達だけが“ヒト”なのは当然に思える。
彼らはその生きる空間その物で“平民”と“貴族”を分けるのは当たり前だと繰り返し教えられるのだから。
……と、自らこれからの職場を一通り見て回り、リサが感じた感覚は。けれど決して王国民の常識ではない。
殆どの王国民は平民だが、彼らが日々の生活と言うレベルで貴族の隣に位置する事は稀だ。皆無と言っても良い。
侍従や執事、と言った貴族の側近らは所謂“選ばれし優秀な人間”か、そもそも貴族の就業職である。
末端貴族にとっての花嫁修業の一環であったり、三男以降の貴族令息の行き着く場所であったりもするが。
いずれにせよ、並大抵の平民の手が届く仕事ではない。リサの様に、夫人附の専属侍女となれば尚更だ。
貴族の生活は平民の目には留まらない。故にお互いは決して隣人ではない。
それはこの『王国』における暗黙の了解だ。例えば『竜』などはこの常識に亀裂を入れようとしているが。
『集権派』盟主家の人間となる以上は、リサやオルファレナに求められる立ち位置は“現状維持”に限りなく近い。
『集権派』の基本方針はあくまで“時間を掛けて、貴族の持つ権力を王家へと返還する”事を目的とする。
である以上、此処から貴族内が揉めるのも貴族と平民が揉めるのも御免被りたいのが本音であろう。
「御存知の通り、ウィリアム様には御夫人が複数いらっしゃいますし、盟主家として活動に注目している方も多い。
貴族としての存在感を示すのに、今はこれ以上は無いと言える状況だとお見受けします」
「うん? ん-……まあ、そうね」
「である以上、オルファレナ様には今後の方針と言うか大展望を掲げて頂ければな、と」
「とは言っても私は未だ当分学生で、ウィリアム様にも卒業頑張って……と応援されてしまっているのだけれど」
結婚したからと言って、突然家に入る事になったりはしない。これが下級貴族であったり。
家が経済的に困窮しているともなればまた話は変わって来るが。彼女の生家は領地持ちの侯爵家。
そして嫁ぎ先に至っては公爵家である。妻に学は必要ない。などと言う、極端な男尊女卑思想でも無ければ。
先ず卒業を目指させるものであろう。オルファレナの場合も、夫の了承の元そちらで話が纏まっている。
「では、学生の間はあくまで学生としての活動に準ずる御心算でしょうか?」
で、あれば気が楽なのだが――――と。内心そんなことを思ったリサの翠の目を。オルファレナがじっと見る。
そうして少し間を空けた後、オルファレナは半目になってこう呟いた。
「リサ、私達って親友よね?」
「え……あ、はい。……はい?」
「これは秘密の、誰にも言わないで欲しい話なんだけど。……出来る?」
リサ・ベイカーとオルファレナ・アルヴァ・クラティアスは親友だ。
だからリサも、彼女には極力誠実でありたいと思う。それはきっと、オルファレナも同様だろう。
そんな彼女が自分の秘密を打ち明けると言うなら頷かない理由はない。理由はないけれど――――正直な所。
もうこの時点で十分以上に嫌な予感がした。と、後に彼女は物語る。
■
「好きな人が居るの」
「……それは、いわゆる友情的な? それとも、恋愛的な意味合いで、ですか?」
「どちらでもあって、どちらでもない感じなのだけれど……ん-……でも、どちらか選ぶなら、後者」
空から星が降って来た。そんな特大の天変地異が炸裂していた。
流石のリサもなるほどそうですか、とは受け止めきれない。まあ、偏見とは思うが貴族なら珍しい話ではない。
何せ貴族令嬢にとって。家と家とを繋ぐ目的での政略結婚は、最早生まれついての宿命と言っても良い。
其処に恋愛感情は必ずしも必要ない……は愚か、そんなもの“無い”類例の方が多い位だろう。
とは言えそれはただの事実でしかなく。相手が人間である以上、其処には事実では割り切れない感情が伴う。
婚約者が居ても好きな人が出来てしまって破談に至る。であればまだ可愛い方だ。
既に結婚しているにも関わらず妾を囲い込んだり、男妾を傍に侍らせ真実の愛と嘯く者も後を絶たない。
勿論。そこに夫婦の合意が有るならともかくとして、そうでない場合容易にトラブルにも発展する訳だが……
「……ウィリアム様は、何と?」
「話してないの。今話すべきだとも思えない。少なくとも、今の私じゃ価値が足りていないもの」
「……あー……なるほど……なる、ほど……」
オルファレナは確かに、始めて出逢った時と比較すれば大きく成長した。
けれどその根底。最も根幹を構築している部分で言えば、彼女は今も変わらぬ好奇心と情熱の女である。
その原動力は汲めど尽きせぬ燃え上がる様な感情で以ってなる。そのオルファレナに好きが人が出来たなら。
――――恋した人が、居るならば。ありふれた手段では制止する事すらも難しいだろう。
おまけに、それでいて彼女はきちんと自分の立ち位置と立場を理解している。いっそ恋に狂っているのであれば。
リサとてこれを落ち着かせる為にあらゆる手段を講じる事を厭わないのだが、どうもそうもいかないようだ。
「――――それで、わたしは何をすれば良いんでしょう?」
「ふふっ、私ね。リサのそういうところ本当に好きよ」
冒険者にせよ、商人にせよ、そして貴族にせよ。決断すべき時、と言うのは必ず存在する。
今がそれで、今日がそうだっただけのこと。リサも冒険者をして、商人として生きると決めるに当たり。
そんなことはこれまでも沢山有った。きっと、これからもそうだろう。
生きていれば無い選択肢を捻り出さなければならないこと、と言うのも無いではないが。幸い今回はそうではない。
彼女はオルファレナの為に自分の全てをかけると既に宣言していて、そこに嘘はなかった。
オルファレナが幸せになる為に、彼女の力が必要なのであれば。これを拒む理由など有ろう筈もない。
「ドワーフ王国に行って欲しいの。其処で出来るだけ能力の高い鍛冶職人と話が出来たら嬉しい」
「それはつまり、『王国』の貴族として、と言う話ですよね?」
「ええ。今あの国は『同盟』と『王国』、双方を主な商売相手にしているけれど、そのままにしておく理由も無いでしょ?」
エスト・ポーラに拠を置くベイカー商会は『同盟』でも著名な商会の一つだ。商会員も多い。
ドワーフ王国に販路を持っている商人の1人2人居るだろうし、すぐに使える伝手も無くはないだろう。
けれど、それは場合によっては『王国』に利し、『同盟』に不利益を齎す可能性が有る。例え直接的手段で無いにせよ。
それでも、決断しなければならない時と言うのは有る物で――――今がそれで。今日が、そうだった。
「分かりました。でも1つだけ、約束して頂いても構いませんか」
「勿論」
真摯に見つめるリサに。オルファレナは微笑んで応じた。彼女には、いつでもこうして笑っていて欲しい。
多分それは、リサがこの先笑って未来を語る為にもなくてはならないものなのだ。
だから、とっくの昔に覚悟は出来ていた。
■
元々ドワーフ王国はその住民の気質から物作りが盛んな国だが、一口に鍛冶匠と言っても流行り廃りはある。
『帝都崩壊』時の『匠王』シグルランは『刀匠』であり、その後大陸全土が大いに荒れた都合上。
現在ドワーフ王国の鍛冶匠の内で最も流行に乗っかっているのが武器匠、つまり武器職人である。
シグモル火山から産出される貴重なダマスカス鋼。邪竜素材の加工など度々話題に上がって来た彼らの作品需要は高い。
リブラネスタのドワーフ鍛冶師ヴィンダールヴルの存在を考えれば、授恵者用武器の取引先最大手。
需要の中心都市がリブラネスタであることは想像に難くないが、其処では勿論『同盟』の商人が販路を握っている。
他方、これに匹敵する程の取引流通量を誇るのがヒト族の大多数である非授恵者用の武器である。
こちらは大口取引先として『王国』の商人らも大きく介入している。武器商人――――つまり“死の商人”が、だ。
基本。山人や鍛冶職人と言った業種の人間は刹那的で開放的である一方凝り性で、偏屈な者も少なく無い。
偏見と言うより、そういった独自の拘りや筋の通った理念の持ち主の方が大成し易い、と言うのも有るだろう。
ドワーフ王国もまた、種族的気質である個人主義を無秩序に助長している為、工房そのものは幾らでも存在するが。
安定して商品を供給し継続的に取引を行える職人となると、ある程度“興味本位”を抑制出来る事が不可欠となる。
故に、大きな工房を抱える鍛冶師に限って、信用の於ける窓口を少数しか必要としない何て話もまた、良くある部類だ。
エスト・ポーラの実家と連絡を取り合った結果。リサはこと此処に来て大いなる問題に直面していた。
そう――――鍛冶職人らと窓口を設けるには非常に複雑な手順を踏む必要があり、彼女らにはそれほど時間が無い。
何せ商会の情報を使えるのは残三年。あくまでリサがオルファレナに臣従している間だけに限る。
そしてその間に『王国』の“死の商人”が挟まっているとなれば――――それは必然その大元締めである。
『竜』の三大商会と、端緒を接する事になる。もし揉め事にでもなったらその後の人生へ与える影響は計り知れない。
(……まさか、こうも早く接点を持つ事になるとは思ってもみませんでしたね)
商人として、未だ駆け出しとすら呼べない内から国家間外交の真似事とは、無茶振りにも程がある訳だが。
オルファレナはあくまでまだ唯の学生であり、その名声は血筋と振る舞い。経歴の神秘性と美貌に依存している。
つまり、彼女の能力面での評価は今の段階では限りなく0に近く。公爵家で尊重されると言えるには程遠い。
それはウィリアムも重々理解した上で、オルファレナの成長に期待している。と言ったところだろうが。
学園生である事にはデメリットもあるがメリットもまた多い。少なくとも行動範囲の自由度は貴族家暮らしの比ではない。
彼女はこの時間を無駄にする気は更々無いようだった。であればリサもまた、その意思に殉ずるのみである。
“ここからは、本気で勝ちに行く……と、約束して下さいますか”
“ええ。私は本気で勝ちに行くし、その間、必ずリサを護ってみせる”
小指同士を結んでした約束は、何処となく擽ったい物ではあったけれど。2人は最早一蓮托生だ。
彼女が想い人の為に用意したいと言う“それを公表しても赦される場所”を築くにはリサの力が不可欠であり。
そしてオルファレナがそれで幸せになれるなら。リサとしても益しか無い。互いの利害は、一致している。
「リサ、とりあえず『王党派』の“白薔薇系”でドワーフ王国と取引がありそうな家を書き出したけれど。
こんな物何に使うの? 競合相手、って言う訳でも無いんでしょう?」
「窓口になりそうな選択肢は二の矢三の矢が不可欠ですからね。既にある人脈は最大限活用しないと」
オルファレナが持って来た綿紙の束に目を通し、優先順に赤の筆で数字を書き込んで行く。
こうしていると生徒会選挙の頃を思い出す。あの時も、書類の対応や派閥内調整に追われ続けた日々だったけれど。
あの時があって今があり。そして今を越えて、望む未来を掴む為なら。この程度の苦労は何でもない。
「さて、それでは2人共に笑って語り合える未来を掴む為、一頑張りと行きましょうか」
「わ、こういうの何だか良いわね。何て言ったかしら。運命共同体……みたいな?」
「そうですね。むしろオルファレナ様風に言うなら――――」
パーティでしょうか。と、人差し指を立てたリサに。オルファレナはとても嬉しそうにはにかんだ。
新たな旅立ち、新たな野望。世界は決して優しくはないけれど。2人の前途にはきっと、夢と輝きに満ちている。
踏み出す一歩は恐ろしくとも、それが幸せになる為に必要ならば、迷うことも躊躇う理由もありはしない。
そうして、ただ弛まぬ努力を積み上げた者だけが栄光を掴めると言うならば。彼女たちはきっとその途上に居る。
一つの歴史の終わり。これは今から始める『冒険譚』。2人は揃って拳を振り上げると、未来へ向けて歩き出す。
一つの歴史が終わり、新たな歴史が始まる時。革新とは、常にそんな時代の狭間で産声を上げる物だ。
『湖都』ラヴェルギア。『王国』に名高いかつての黒の公爵家。
現侯爵家である『黒鋼竜』ライゼンナクト侯爵領の領都であり、その本拠とも言うべき都市。
例えばこの地に建設された教育機関『紫政館』もまた、そんな革新の先駆けたるものの一つであると言えた。
『湖都』中央より僅かに北。『竜』の本邸、通称――――竜館の一階最奥、謁見の間。
『王国』全土に根を張る死の商人を統べる彼の貴族家は、一概に“貴族”と言っても他と大きく異なる。
徹底した実力主義。信賞必罰を旨とする『竜』は、功には報いると共に断じて裏切りを容認しない。
それは先代。『怪物』とも呼ばれた貴族派の王。ダミアン・ライゼンナクトが最も重視した鋼鉄の規律だ。
後を継いだ現『黒鋼竜』アルベイル・ライゼンナクトもまた。その一点では先達の方針を尊重していた。
勿論、『公爵夫人附侍女』リサ・ベイカーもまたその事は重々承知している。
実家を――――商家を継ぐと決めてから此方。リサは『王国』内の様々な貴族の内情を見て来た。
そこには各家特有の強みがあり、弱みがあり、要点が有り、欠点もまた存在する。
だがいずれにも共通する事は、“王国貴族は家門の名誉を重んじる”と言う点だ。
実力主義を掲げる『竜』とてより実利に拠ってこそいる物の。貴族社会に在る以上そこを無碍にはしない。
やや極端な表現にはなるが。“舐められたら終わり”――――なのは、貴族も、商家も、あまり変わらない。
罰を下す際に求められるのは優しさや度量ではない。あくまで厳格さであり冷徹さである。
その点。アルベイルは審議を下す者、として十分な素養を有している。彼は情や打算よりも理を優先する。
そう言った部分においてリサとは価値観が良く噛み合っていた。彼の言い分は分かり易く、呑み込み易い。
例えその裁かれる側が――――自分であったとしても。
「なるほど。『白銀』に仕え『集権派』へ赴く……か」
「折角お目に掛けて頂いたご恩を返す前にこの様な決断をしてしまい、申し訳ありません……」
首を垂れるリサに、アルベイルは竜の座より見下ろし首を傾げる。
年下、とは思えない威圧感だ。彼が当たり前に呼吸し、生きて来た世界は常人のそれとは密度が違う。
冗談でも何でも無く生きているのが奇跡のよう。リサもまた相当に修羅場を潜り抜けて来た自負はあるが。
時に抵抗の余地なく命を摘まれ得る。と言う意味で言うなら流石に『竜』には及ぶまい。
身を刺す様な沈黙が落ちる。数秒が無限に引き延ばされた様な静寂にもリサは視線を背けなかった。
アルベイルが自分をとても高く評価している事は知っている。自覚も、している。
そんな彼から直々に、自らの施策。平民に政治教育を伝播させる事を目的とした施策。
『紫政館』への参画を希望されていた身としては、その予定を先延ばしにせざるを得ない状況に忸怩たる想いだ。
評価に応えたいと言う気持ちも、勿論ある。けれど“彼女”に幸せでいて欲しい、と言う想いは。
その為に自分に出来る事であるなら最大限助力したいと言う感情は、誤魔化せない。
物事を理屈で考えがちなリサの。それは珍しい位に柔らかい部分だ。友情を、大切に想うこと。
縁を結んだ、大切な友人達が幸せな未来を掴むこと。それは彼女の望む幸せな未来の必要条件である。
そこには竜の若き主と近しい護衛士の1人も。彼女の3年切りの主も当たり前に含まれている。
ここばかりは割り切れない。そこまで割り切れてしまう、自分では居たくなかった。
■
無言の時間は実体より長く感じると言う。この時リサが感じていたのもまたそれだ。
いっそ無限に続くのではないかと思わせる空虚な時は、最終的にアルベイルの苦笑を以て終わりを告げた。
「……決意は固い様だな。良い、赦そう。そもそも貴公は別に俺の臣下と言う訳でも無い」
黙考の末、下った言葉にリサが瞬く。それは確かに、リサにせよ、ベイカー商会にせよ。
『竜』に臣従している訳では無い。確かに仰る通りではある。が、それはあくまで形式の話だ。
彼女は以前、アルベイルの施策に協力を申し出ている。その事実は決して軽くはない。
口頭での契約であっても、商人は信用商売だ。口約束だからと反故にする様な人間は信用出来ない。
商人として生きると決めたリサの感覚からしても、そこは職業人として初歩の初歩だ。
ましてや『竜』の当主になって日の浅いアルベイルの立場上、家門にも存在感を示さなければならない筈。
唯でさえ降爵の憂き目に合い、領地すら削られているのだから“舐められる”様な真似は避けたいに違いない。
考えれば考える程に不義理が胸を苛むが。どう考えても赦される様な……いや、赦してはいけない筈。
彼の掲げる施策にしても、初動こそ人手が必要だ。リサ一人が抜けるくらい、と言えるほどには未だ進んでいない。
それこそ、例え絶縁を叩きつけられても文句は言えなかったのだが……
「驚いたような顔をしているな」
「……はい。恐れ多くもアルベイル様がそんな――――」
「貴公の我儘を赦すとは思わなかった、と言う所か?」
「……はい」
「そうだな。本来ならば失望した、と言うべき所である事は俺も理解している」
――――ずき、と胸が痛むことは。この際、止むを得ない。覚悟していても多少なり傷付きはするが。
今は呑み込む。そう言われても仕方が無い事は、リサ自身分かっているのだから。
けれど、アルベイルは瞳を細め首を横に振った。それが失望では“ない”のであれば……何だろう。
意図を測り兼ね、怪訝の色と共に言葉を待つものの。
「だが良い、三年待とう。“成果を上げて”みせよ」
――――成果。この場合、“公爵夫人附侍女”を職務としてのそれだろう。
もしリサが何かしら“成果”を示したとしても、別にそれで、『竜』に益が有る訳ではない。
にも関わらず――――と考えて。つい先ほど自身で考えていた内容に思い至る。
アルベイル・ライゼンナクトは情や打算よりも理を優先する。……で、あればだ。
或いはこうも考えられるだろうか。もしも彼女が公爵家で成果を上げれば、『王国』は今より良くなると。
少なくとも。彼はそうなる事を、リサ・ベイカーと言う個人に期待しているのだと。
驚いて見上げた視線の中で、今代の『竜』は透徹した赤い眼差しで応じ、ただ一度頷いた。
彼は彼女を高く評価していると。それは分かっていた心算だし、自覚もまあ、してはいたけれど。
それはリサ自身が思っているよりも、もう少しばかり見積もりが高い様だった。過大評価ではないだろうか。
一体彼女の何がそれほどアルベイルの中で評されたのかは分からない物の。
けれども。ああ、けれどもだ。そこまで言われて、一体誰が頭を横に振れるだろうか。
「三年後、必ず再び参上致します」
「期待している」
戦いでなら劣っても良い。力でなら適わなくとも良い。けれど個人への期待に尻込みする訳にはいかない。
――――こう見えて、リサは案外に負けず嫌いなのだ。
■
竜の座を辞して、無闇に広い屋敷を歩き玄関広間まで出る。
今日来訪する事は、アルベイルと家令長のセバスティアン。精々側近の護衛士くらいしか知らなかった筈だが。
彼女はそれが当たり前であることのように。何も不思議なことは無いと言うように。
多忙と聞いていたから気を利かせて秘密にしていた、リサの魂胆などお見通しと言うように其処に居た。
「三年は長いですねー……私なんかすーぐおばさんになっちゃいますよぉー」
「でもシズルさん、出逢った頃から全く外見変わってないじゃないですか?」
「あら酷い。ちゃんと美容と健康には気を使っていますよー? ほらほら、今日は前髪の先っぽも整えて来ましたし」
彼の竜の女行商人は、『竜』麾下の商人でもリサとの縁が殊更深い。先人であり、友人でもある。
そしてきっと、三年後実家を継いで商人と言う道を選んだなら。強力な好敵手にもなる筈だ。
「またお手紙書きますね。もしも困っていたら、沢山助言を頂けると嬉しいです」
「私の助言は高価く付きますよ。ちゃんと出世払いの目途は付いてらっしゃるんですか、リサ様?」
悪戯っぽく、猫のように微笑うシズルの言に。これは化け猫の類だなあ、と沸いた発想にくすりと笑う。
彼女には沢山の恩が有る。女性の商人が何を強みにして、何処で勝負するのか。多くの事を学ばさせられた。
いつかお返し出来ればと思う。いずれ――――競い合えたら、と思う。その気持ちに嘘はない。
「勿論です。いずれまた、必ずお逢いしましょう」
「貴女様が歩むずっと先で、お待ちしております。お客様?」
顔を見合わせ、くすくすと笑い合う。それは勿論。一抹の寂しさが無い訳ではないけれど。
売り物にならない哀しみや寂しさは微笑みで覆い隠し、弱さを強さに換えるのが彼女らの生き様だ。
女商人は強かに――――そう。誰よりも強かに生き抜く物なのだから。
「――――何だか思った以上に楽しそうね?」
竜館を出て、外に着けられた4頭立ての馬車に乗り込むと。対面に座っていた相手から声を掛けられる。
『白銀の薔薇』オルファレナ・アルヴァ・クラティアス。或いは――――オルファレナ・クラティアス・バデーニと。
いずれそう呼ばれるのも遠い話では無いだろう。けれど呼び名が変わろうと何が変わる訳でも無い。
良くも悪くも彼女は変わらず。そして良くも悪くも、彼女は最初出逢った頃と比べれば大きく成長した。
かつて、貴族と言う柵から何とかして外に出ようと藻掻いていた“冒険者のオーロラ”は。
自らの戦うべき場所を見据え、貴族としての生き方と自分自身の幸せを擦り合わせながら歩む意思を見せている。
「楽しいですよ。自分が結んだ人の縁に背中を押されると言うのも、余り得られない経験ですから」
「リサは強いなあ。私だったらそんな風に圧力掛けられたらすぐに折れちゃいそう」
言って嘆息して見せるオルファレナだが、その実彼女がそんなか弱い存在であるとは。
聞き手のリサですら信じはいない。彼女もまた貴族令嬢として、立派に、強かに生きて来たのだから。
「いいえオルファレナ様、強がっているだけです」
だからリサはそう笑い返す事にした。馬車は揺れる。彼女を次なる戦場へと運ぶ為に。
宣誓は果たした。後は実行するだけだ。リサは知っている。期待は時に、金塊よりも貴重であることを。
●野望
「これより3年間、誠心誠意。わたしの持っている全てをかけてお仕えさせて頂きます」
「!? ど、どうしたのいきなり……!?」
『王都』グランスパーダ内。パンクリアース学園、貴族寮の一室。対面した座椅子の上。
同じ“学園生”であるリサも平民寮に自室は有しているが、平民と貴族。その待遇の差は見るに歴然だ。
一室の広さ。部屋数。備品の一つ一つの質が違う。学園への献金の多寡が反映されているのだろう。
王国が築いた貴族の貴族による貴族の為の『学園』。その事実はこういった学園生活の端々に刻まれている。
同じ学園に通っていてこう、なのだから当の貴族たちにとって自分達だけが“ヒト”なのは当然に思える。
彼らはその生きる空間その物で“平民”と“貴族”を分けるのは当たり前だと繰り返し教えられるのだから。
……と、自らこれからの職場を一通り見て回り、リサが感じた感覚は。けれど決して王国民の常識ではない。
殆どの王国民は平民だが、彼らが日々の生活と言うレベルで貴族の隣に位置する事は稀だ。皆無と言っても良い。
侍従や執事、と言った貴族の側近らは所謂“選ばれし優秀な人間”か、そもそも貴族の就業職である。
末端貴族にとっての花嫁修業の一環であったり、三男以降の貴族令息の行き着く場所であったりもするが。
いずれにせよ、並大抵の平民の手が届く仕事ではない。リサの様に、夫人附の専属侍女となれば尚更だ。
貴族の生活は平民の目には留まらない。故にお互いは決して隣人ではない。
それはこの『王国』における暗黙の了解だ。例えば『竜』などはこの常識に亀裂を入れようとしているが。
『集権派』盟主家の人間となる以上は、リサやオルファレナに求められる立ち位置は“現状維持”に限りなく近い。
『集権派』の基本方針はあくまで“時間を掛けて、貴族の持つ権力を王家へと返還する”事を目的とする。
である以上、此処から貴族内が揉めるのも貴族と平民が揉めるのも御免被りたいのが本音であろう。
「御存知の通り、ウィリアム様には御夫人が複数いらっしゃいますし、盟主家として活動に注目している方も多い。
貴族としての存在感を示すのに、今はこれ以上は無いと言える状況だとお見受けします」
「うん? ん-……まあ、そうね」
「である以上、オルファレナ様には今後の方針と言うか大展望を掲げて頂ければな、と」
「とは言っても私は未だ当分学生で、ウィリアム様にも卒業頑張って……と応援されてしまっているのだけれど」
結婚したからと言って、突然家に入る事になったりはしない。これが下級貴族であったり。
家が経済的に困窮しているともなればまた話は変わって来るが。彼女の生家は領地持ちの侯爵家。
そして嫁ぎ先に至っては公爵家である。妻に学は必要ない。などと言う、極端な男尊女卑思想でも無ければ。
先ず卒業を目指させるものであろう。オルファレナの場合も、夫の了承の元そちらで話が纏まっている。
「では、学生の間はあくまで学生としての活動に準ずる御心算でしょうか?」
で、あれば気が楽なのだが――――と。内心そんなことを思ったリサの翠の目を。オルファレナがじっと見る。
そうして少し間を空けた後、オルファレナは半目になってこう呟いた。
「リサ、私達って親友よね?」
「え……あ、はい。……はい?」
「これは秘密の、誰にも言わないで欲しい話なんだけど。……出来る?」
リサ・ベイカーとオルファレナ・アルヴァ・クラティアスは親友だ。
だからリサも、彼女には極力誠実でありたいと思う。それはきっと、オルファレナも同様だろう。
そんな彼女が自分の秘密を打ち明けると言うなら頷かない理由はない。理由はないけれど――――正直な所。
もうこの時点で十分以上に嫌な予感がした。と、後に彼女は物語る。
■
「好きな人が居るの」
「……それは、いわゆる友情的な? それとも、恋愛的な意味合いで、ですか?」
「どちらでもあって、どちらでもない感じなのだけれど……ん-……でも、どちらか選ぶなら、後者」
空から星が降って来た。そんな特大の天変地異が炸裂していた。
流石のリサもなるほどそうですか、とは受け止めきれない。まあ、偏見とは思うが貴族なら珍しい話ではない。
何せ貴族令嬢にとって。家と家とを繋ぐ目的での政略結婚は、最早生まれついての宿命と言っても良い。
其処に恋愛感情は必ずしも必要ない……は愚か、そんなもの“無い”類例の方が多い位だろう。
とは言えそれはただの事実でしかなく。相手が人間である以上、其処には事実では割り切れない感情が伴う。
婚約者が居ても好きな人が出来てしまって破談に至る。であればまだ可愛い方だ。
既に結婚しているにも関わらず妾を囲い込んだり、男妾を傍に侍らせ真実の愛と嘯く者も後を絶たない。
勿論。そこに夫婦の合意が有るならともかくとして、そうでない場合容易にトラブルにも発展する訳だが……
「……ウィリアム様は、何と?」
「話してないの。今話すべきだとも思えない。少なくとも、今の私じゃ価値が足りていないもの」
「……あー……なるほど……なる、ほど……」
オルファレナは確かに、始めて出逢った時と比較すれば大きく成長した。
けれどその根底。最も根幹を構築している部分で言えば、彼女は今も変わらぬ好奇心と情熱の女である。
その原動力は汲めど尽きせぬ燃え上がる様な感情で以ってなる。そのオルファレナに好きが人が出来たなら。
――――恋した人が、居るならば。ありふれた手段では制止する事すらも難しいだろう。
おまけに、それでいて彼女はきちんと自分の立ち位置と立場を理解している。いっそ恋に狂っているのであれば。
リサとてこれを落ち着かせる為にあらゆる手段を講じる事を厭わないのだが、どうもそうもいかないようだ。
「――――それで、わたしは何をすれば良いんでしょう?」
「ふふっ、私ね。リサのそういうところ本当に好きよ」
冒険者にせよ、商人にせよ、そして貴族にせよ。決断すべき時、と言うのは必ず存在する。
今がそれで、今日がそうだっただけのこと。リサも冒険者をして、商人として生きると決めるに当たり。
そんなことはこれまでも沢山有った。きっと、これからもそうだろう。
生きていれば無い選択肢を捻り出さなければならないこと、と言うのも無いではないが。幸い今回はそうではない。
彼女はオルファレナの為に自分の全てをかけると既に宣言していて、そこに嘘はなかった。
オルファレナが幸せになる為に、彼女の力が必要なのであれば。これを拒む理由など有ろう筈もない。
「ドワーフ王国に行って欲しいの。其処で出来るだけ能力の高い鍛冶職人と話が出来たら嬉しい」
「それはつまり、『王国』の貴族として、と言う話ですよね?」
「ええ。今あの国は『同盟』と『王国』、双方を主な商売相手にしているけれど、そのままにしておく理由も無いでしょ?」
エスト・ポーラに拠を置くベイカー商会は『同盟』でも著名な商会の一つだ。商会員も多い。
ドワーフ王国に販路を持っている商人の1人2人居るだろうし、すぐに使える伝手も無くはないだろう。
けれど、それは場合によっては『王国』に利し、『同盟』に不利益を齎す可能性が有る。例え直接的手段で無いにせよ。
それでも、決断しなければならない時と言うのは有る物で――――今がそれで。今日が、そうだった。
「分かりました。でも1つだけ、約束して頂いても構いませんか」
「勿論」
真摯に見つめるリサに。オルファレナは微笑んで応じた。彼女には、いつでもこうして笑っていて欲しい。
多分それは、リサがこの先笑って未来を語る為にもなくてはならないものなのだ。
だから、とっくの昔に覚悟は出来ていた。
■
元々ドワーフ王国はその住民の気質から物作りが盛んな国だが、一口に鍛冶匠と言っても流行り廃りはある。
『帝都崩壊』時の『匠王』シグルランは『刀匠』であり、その後大陸全土が大いに荒れた都合上。
現在ドワーフ王国の鍛冶匠の内で最も流行に乗っかっているのが武器匠、つまり武器職人である。
シグモル火山から産出される貴重なダマスカス鋼。邪竜素材の加工など度々話題に上がって来た彼らの作品需要は高い。
リブラネスタのドワーフ鍛冶師ヴィンダールヴルの存在を考えれば、授恵者用武器の取引先最大手。
需要の中心都市がリブラネスタであることは想像に難くないが、其処では勿論『同盟』の商人が販路を握っている。
他方、これに匹敵する程の取引流通量を誇るのがヒト族の大多数である非授恵者用の武器である。
こちらは大口取引先として『王国』の商人らも大きく介入している。武器商人――――つまり“死の商人”が、だ。
基本。山人や鍛冶職人と言った業種の人間は刹那的で開放的である一方凝り性で、偏屈な者も少なく無い。
偏見と言うより、そういった独自の拘りや筋の通った理念の持ち主の方が大成し易い、と言うのも有るだろう。
ドワーフ王国もまた、種族的気質である個人主義を無秩序に助長している為、工房そのものは幾らでも存在するが。
安定して商品を供給し継続的に取引を行える職人となると、ある程度“興味本位”を抑制出来る事が不可欠となる。
故に、大きな工房を抱える鍛冶師に限って、信用の於ける窓口を少数しか必要としない何て話もまた、良くある部類だ。
エスト・ポーラの実家と連絡を取り合った結果。リサはこと此処に来て大いなる問題に直面していた。
そう――――鍛冶職人らと窓口を設けるには非常に複雑な手順を踏む必要があり、彼女らにはそれほど時間が無い。
何せ商会の情報を使えるのは残三年。あくまでリサがオルファレナに臣従している間だけに限る。
そしてその間に『王国』の“死の商人”が挟まっているとなれば――――それは必然その大元締めである。
『竜』の三大商会と、端緒を接する事になる。もし揉め事にでもなったらその後の人生へ与える影響は計り知れない。
(……まさか、こうも早く接点を持つ事になるとは思ってもみませんでしたね)
商人として、未だ駆け出しとすら呼べない内から国家間外交の真似事とは、無茶振りにも程がある訳だが。
オルファレナはあくまでまだ唯の学生であり、その名声は血筋と振る舞い。経歴の神秘性と美貌に依存している。
つまり、彼女の能力面での評価は今の段階では限りなく0に近く。公爵家で尊重されると言えるには程遠い。
それはウィリアムも重々理解した上で、オルファレナの成長に期待している。と言ったところだろうが。
学園生である事にはデメリットもあるがメリットもまた多い。少なくとも行動範囲の自由度は貴族家暮らしの比ではない。
彼女はこの時間を無駄にする気は更々無いようだった。であればリサもまた、その意思に殉ずるのみである。
“ここからは、本気で勝ちに行く……と、約束して下さいますか”
“ええ。私は本気で勝ちに行くし、その間、必ずリサを護ってみせる”
小指同士を結んでした約束は、何処となく擽ったい物ではあったけれど。2人は最早一蓮托生だ。
彼女が想い人の為に用意したいと言う“それを公表しても赦される場所”を築くにはリサの力が不可欠であり。
そしてオルファレナがそれで幸せになれるなら。リサとしても益しか無い。互いの利害は、一致している。
「リサ、とりあえず『王党派』の“白薔薇系”でドワーフ王国と取引がありそうな家を書き出したけれど。
こんな物何に使うの? 競合相手、って言う訳でも無いんでしょう?」
「窓口になりそうな選択肢は二の矢三の矢が不可欠ですからね。既にある人脈は最大限活用しないと」
オルファレナが持って来た綿紙の束に目を通し、優先順に赤の筆で数字を書き込んで行く。
こうしていると生徒会選挙の頃を思い出す。あの時も、書類の対応や派閥内調整に追われ続けた日々だったけれど。
あの時があって今があり。そして今を越えて、望む未来を掴む為なら。この程度の苦労は何でもない。
「さて、それでは2人共に笑って語り合える未来を掴む為、一頑張りと行きましょうか」
「わ、こういうの何だか良いわね。何て言ったかしら。運命共同体……みたいな?」
「そうですね。むしろオルファレナ様風に言うなら――――」
パーティでしょうか。と、人差し指を立てたリサに。オルファレナはとても嬉しそうにはにかんだ。
新たな旅立ち、新たな野望。世界は決して優しくはないけれど。2人の前途にはきっと、夢と輝きに満ちている。
踏み出す一歩は恐ろしくとも、それが幸せになる為に必要ならば、迷うことも躊躇う理由もありはしない。
そうして、ただ弛まぬ努力を積み上げた者だけが栄光を掴めると言うならば。彼女たちはきっとその途上に居る。
一つの歴史の終わり。これは今から始める『冒険譚』。2人は揃って拳を振り上げると、未来へ向けて歩き出す。
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メアリー王女が冒険者達の協力を得て稼働させた「王家の耳」。メアリーは無作為に集まってくる情報を、余人に及びもつかぬ閃きを持って分析しながら、今日も世界の動きへ耳を傾けている。
集まった情報の中には、世界の情勢に影響はないかもしれないが興味深い個人の記録があるかもしれない。