【DA】リーンエスの耳
コルネリウス・アーラ/ アルベイル・ライゼンナクト
『ノベルタイトル:2人の答えの見つけ方』弓月 蒼
●あれから、それから
一つの戦いが幕を下ろし、かつて冒険者と呼ばれていた人々の幾何かはそれまでと異なる道を選んだ。
歴史が神話の最期に別れを告げようとも。時は、人の生は、だからと言って足を止めることは無い。
『黒鋼竜』侯爵領。『湖都』ラヴェルギア。竜館本邸。
冒険者を辞し“ただの”コルネリウス・アーラとなった彼女は、この屋敷に私室を持っている。
勿論現役の“学園生”である以上、『学園』の生徒であると言う身分は維持されている。
普段は学園に通いつつ、時折時間が出来た頃にやって来ては多忙な恋人と一時の逢瀬を交わす。
当初、コルネリウスはそんな生活を想像していたし、その為に部屋を用意してくれたのだろうと思っていた。
実際問題。竜館は元公爵家の本邸宅だけあり、広い。数えた事は無いが、空き部屋だけでも数十に及ぼう。
『王国』の歴史を学んだコルネリウスの推測としては、かつて未だ王家が貴族に下賜する領地が余っていた時代。
その貴族家の威容を示す為に態々造られたと言うような“古典的建造物”、だからだろう。
一室を与えるなど、その屋敷の規模を考えれば些細な贈り物――――なんてわけはないことを。
彼女は内側に入ってみて始めて思い知った。何せ、彼女の竜館での扱いは貴族に準ずるのだ。
寵姫、とは元々貴族社会における私的な恋人を装飾する言葉である。一方所謂“囲われた姫君”と言う意味も持つ。
現在のコルネリウスは、その双方を帯びた立場と言えた。つまり彼女は『竜』に囲われた姫、でもあるのだ。
有り体に言ってしまえば。彼女はこの屋敷の中に居れば衣・食・住のみならず。
趣味・嗜好・学習・美容に至るまで。生きる為に必要とされる諸問題が、望めば凡そ自動的に片付いた。
最初一週間位はその過度に恵まれた環境に驚くばかりだったが、一頻り驚いた後やって来たのは恐怖である。
――――これはまずい。と、コルネリウスが戦慄するのも止む無きこと。
貴族に殊更強い偏見は無いが、流石にこんな生活を送っていたらヒトとして駄目になる事は容易に想像が付く。
彼女の恋人である今代の『竜』ことアルベイル・ライゼンナクトは彼女の訴える心身の危機に対し――――
“贅や粋などと言った物は、ただ見識を広げる為の一つの手段に過ぎない”
との見解を述べていたが。庶民が突然こんな立場に置かれたら、価値観が狂うに決まっている。
時に伝え聞く、玉の輿に乗ったら性格がまるで変わってしまった人。と言う事例がどうして生まれるか。
いざ、同じ立場に置かれてコルネリウスは心底思い知った。心胆寒からしめるとはこの事だった。
以来。彼女は極力“学園寮”を拠点と定め、竜館の私室は“最後の手段”扱いとしている。
未だ彼と並び立つには勉強が足りない。と常々考えていたコルネリウスにとって。
この貴重な経験は非常に大きな生活観の隔差として、衝撃と共に深く刻まれる事と相成った訳である。
■
「……と、言うわけなんです」
「何故態々外に宿を取るのか、と常々不思議に思っていたが……まさかそんな理由だったとは」
『王都』グランスパーダ――――表通りから一本裏手に入った貴族御用達の店の一角。
耳がぺたんと下がったまま、少しお洒落な喫茶店の机に俯くのは当のコルネリウスである。
眼前に座っているのは、彼女の感覚では久々に登校して来た『黒鋼竜』アルベイル。
彼が僅かであれ驚いた表情をするのは珍しいことだが。彼女とて狙って驚かしたかった訳では無い。
元々は昨今。彼女が寝食を忘れるほど勉学に打ち込む姿勢を見て、ちょっとした息抜きに。
と彼から誘ってくれた昼食である。店もコルネリウスが気兼ねなく利用出来るよう抑えてくれた様だ。
正直、当人には追い詰められている自覚はあまりなかった。“足りていない”とは元々思っていたこと。
王国貴族の双璧、『黒』の『竜』。その隣に立つとは『王国』貴族社会の頂点に立つことと概ね同義だ。
生半可な努力で足りる、等とは全く思えないし事実そうだろう。
知識、教養、礼法、視野、コルネリウスは幸いアルベイルと言う“先駆者”に直接話が聞ける立場に在るが。
最高位貴族の“継嗣”で在る為に最低限用意しておく必要のある地盤と言う物が。
“そうではない”者にとってどれ程途方もない積み重ねであるか。と言う事は嫌が応にも理解出来た。
彼がその手で自らの母親を手に掛けた。と聞いた時は思わず涙が滲んでしまったほどだ。
それほど、ただのヒトである事を棄てなければならないのか。そうしなければ生きてはいけなかったのか。
『竜』の玉座は血で贖われている。そんなアルベイルを抱きしめる事しか、コルネリウスには出来なかった。
――――“足りない”のだ。彼と同じ物を、同じ目線で見る為には何もかも。
そう呟いて小さく嘆息するコルネリウスを眺めると、当代の『竜』は少し考え首を傾げた。
「それは“そう”だろう。貴女は『竜』として生まれてはいないのだから」
「それは……分かってますけど」
基本的生育環境からして、貴族と庶民には格差がある。知識としては、分かっていた事だ。
『竜』と森人であれば尚更だろう。分かっていた。それでも、あまり分かりたいことでは無かった。
けれどいざ現実に相対してみると。それは想像していたよりも遥かに途方もない“壁”だった。
高く、厚く、堅い。まるでかつて冒険者だった頃の自分を評されているよう、等と自嘲気味に思うほどに。
■
「ふむ……」
手元でココアを混ぜながら、今度の黙考は少し長かった。
果たしてアルベイルが何の解に想いを馳せているのか、コルネリウスには分からない。
かつて、学園で初めて出逢った時より少し伸びた背丈。声音も振る舞いも変わり、より洗練され。
そしてそう。彼が彼女に示す優しさも、今までより少し分かり易くなった。
今日だってそう。以前でも助けようとはしてくれたろう。けれど連れ出すまではしなかった筈。
心配を掛けていることを申し訳なく思う一方で、特別扱いされている実感がある。
嬉しくないと言ったら嘘だ。けれどそう思う一方で、もう一つの焦りが募る。
今のアルベイルに、惹かれる令嬢ならきっと幾らでも居る。家格だけでなく、個人としても。
貴族の常識に倣うなら、高位貴族が複数の妻を娶るのは珍しくも無い当たり前の事。
次代へ世継ぎを必要とする以上の必然だ。それを呑み込めないほど子供ではない……心算だった。
(……知らなかった、な)
綺麗な金の髪。長い睫毛、吸い込まれる様な赤い瞳。時折、雪融けの様に向けられる柔らかな眼差し。
それが、“他の誰かに向けられる”ことを考えるのは、辛い。軋むような想いに駆られる。
理屈では無かった。割り切れる様な物ではなかった。それは嫌だ、と衝動的に思ってしまう。
普段大人ぶっているコルネリウスの、もっと深い部分が我儘を言う。その気持ちを、拒めない。
この人と一緒に生きていくと決めた以上。そんな自分に嘘は吐きたくなかった。
「コルネリウス、『竜』を学ぶ必要は無い。貴女の価値はそんな事で曇る物ではないからだ。
この血は、生き方は歪だ。正常でもなければ清浄でもない。沿う事が正しいと俺は思わない」
真っ直ぐに見つめられ、漸く告げられる彼の言には彼女の無茶を諫める色も滲んでいるが。
それ以上に、彼が自らの生き方を必ずしも肯定している訳では無い事が伝わって来る。
けれどだからこそ。彼女は彼の理解者で居たいのだと。果たしてどう言ったら伝わるだろう。
王は孤高だと聞く。であるなら、当代の『竜』たるアルベイルもまた、孤高なのだろう。
そのままにしておきたくない。正しく無くて良い。彼女はただ。彼の傍らに、居たいのだから。
■
「――――ただ、俺を識ろうと思ってくれた事については嬉しく思う」
そう続いた言葉に、コルネリウスは瞬く。それもやはり、今までなら伝えられなかっただろうこと。
アルベイルの側もまた、少しでも彼女に歩み寄ろうとしてくれていることが分かる。
生き方を変える事は、とても難しい。それは当のコルネリウスが一番良く分かっている事だ。
生き方を変えなくとも周囲が当たり前に尊重してくれる様な立場であるなら、猶更のこと。
けれど彼はきっと彼女の為に一歩か、半歩か、確かに歩調を合わせてくれているのだと。
それが分かって、ずっと心の何処かに引っ掛かっていた焦りが少しだけ、薄れるのが分かった。
「だったら……アルベイルさん。私が今、アルベイルさんにして欲しい事って分かりますか?」
意地悪の心算はなかったけれど。じっと見つめてのその問に。
今日初めて、彼が困惑するのが分かった。当たり前だ。もし分かったら少し恐い。
けれど彼はまた考える仕草をした後、根負けした様に自らの懐を探る。
勿論、コルネリウスには彼が何をしているのか分からない。分からないまま、信じて見守った。
「少しでも、不安を灌げればと思ったのだが……女の勘、と言う奴だとすれば見識を改めなければならんな」
差し出された、それは小さな装飾箱。瞬いてアルベイルを見返すと、首肯で以て応じが返る。
コルネリウスはもう一度瞬いて、小箱の蓋を恐る恐る指先で開く。まるで予期しない展開に。
――――そうして小箱の中で輝く。白花の輝石を抱く竜を象った指輪に。
呆然と彼とそれとを二度往復し、指先が震えている事に後から気付いて頭を振る。
「館を訪れる際、自分の身分を逐一証明するのも手間だろう」
照れ隠しの様にそう付け足すアルベイルを、押し倒さなかったのはコルネリウスの精一杯の理性だった。
代わりに、受け取った指輪を大切に。何か間違って夢が醒めない様に両手で大事に包んで抱く。
ずっと悩んでいた。迷っていた。覚悟は決めていても、どうすれば解決するのか分からなかった。
けれど簡単な事だった。それはきっと、もしかすると彼女が思っていた以上に簡単な事だったのだ。
彼はコルネリウスをきちんと大切にしようとしてくれている。だから此処が、彼女の居場所で良いのだと。
壁を壊すのに必要なのは、そんなたった一つの鍵だった。
■
「……折角、恋人同士になったので……その、呼び名で呼んで欲しかったんです」
涙が滲んだ目元を擦った所為で余計に気恥しさを重ねながら、胸中を語るのは羞恥の極みだった。
目線を合わせない事で心中を隠そうとも、隠しきれない様にそれはもうこまめに耳が動く。
アルベイルが想定を大幅に超えて来た所為で、余計幼い拘りの気がして身を置く場所も無いが。
恥ずかしい拘りならここまで散々開陳してきた後だ。コルネリウスには最早恐れる物など何も無かった。
「呼び名……か。家族からは何と呼ばれているのだ?」
「コルネ、でしょうか」
殆どの親しい友人からもそう呼ばれている。と伝え、やはり少し間が空いた。
彼は事前に答えの用意が無い願い事をすると、決まって僅かな黙考を挟む。
コルネリウスはこの間が嫌いではなかった。それは彼が彼女の事を真剣に考えてくれている証だからだ。
「あとは、コニーとか、コリィとか……」
「ルナ」
「あ、それも綺麗で……え?」
「ではこれで。俺の側もせめて敬称を省いて貰おうか。無論呼び名を付けてくれても構わんが」
『竜』の反撃は苛烈だった。その赤い瞳には明らかに面白がるような色がある。
コルネリウスは数度口をぱくぱくとさせたあと、意を決してこの挑戦を受ける事にする。
彼女はこれでもかつて凄腕と謳われた冒険者だ。流石にやられっ放しでは、沽券とか色々に関わる。
「……ァルベイル」
とても小さな声しか出なかった。彼女なりに頑張ったのだ。
アルベイルが目を細めて笑う。その表情はずるい。それが好きな事を知っていてやっているに違いない。
彼がそういった趣向ではない事を承知の上で。悪い男の才能がある。とはコルネリウスの独自評価だが。
「……なんで、ルナ、だったんですか?」
「古く、月の光を意味する言葉だ。貴女の眼を見て良く似合うと想った」
確かにコルネリウスの瞳は、金に緋を混ぜたような。夜月の如き黄金を彩っている――――が。
自己評価は間違ってないとの想いを新たに。そうして遂に、不沈の森人は喫茶店の机に陥落したのだった。
一つの戦いが幕を下ろし、かつて冒険者と呼ばれていた人々の幾何かはそれまでと異なる道を選んだ。
歴史が神話の最期に別れを告げようとも。時は、人の生は、だからと言って足を止めることは無い。
『黒鋼竜』侯爵領。『湖都』ラヴェルギア。竜館本邸。
冒険者を辞し“ただの”コルネリウス・アーラとなった彼女は、この屋敷に私室を持っている。
勿論現役の“学園生”である以上、『学園』の生徒であると言う身分は維持されている。
普段は学園に通いつつ、時折時間が出来た頃にやって来ては多忙な恋人と一時の逢瀬を交わす。
当初、コルネリウスはそんな生活を想像していたし、その為に部屋を用意してくれたのだろうと思っていた。
実際問題。竜館は元公爵家の本邸宅だけあり、広い。数えた事は無いが、空き部屋だけでも数十に及ぼう。
『王国』の歴史を学んだコルネリウスの推測としては、かつて未だ王家が貴族に下賜する領地が余っていた時代。
その貴族家の威容を示す為に態々造られたと言うような“古典的建造物”、だからだろう。
一室を与えるなど、その屋敷の規模を考えれば些細な贈り物――――なんてわけはないことを。
彼女は内側に入ってみて始めて思い知った。何せ、彼女の竜館での扱いは貴族に準ずるのだ。
寵姫、とは元々貴族社会における私的な恋人を装飾する言葉である。一方所謂“囲われた姫君”と言う意味も持つ。
現在のコルネリウスは、その双方を帯びた立場と言えた。つまり彼女は『竜』に囲われた姫、でもあるのだ。
有り体に言ってしまえば。彼女はこの屋敷の中に居れば衣・食・住のみならず。
趣味・嗜好・学習・美容に至るまで。生きる為に必要とされる諸問題が、望めば凡そ自動的に片付いた。
最初一週間位はその過度に恵まれた環境に驚くばかりだったが、一頻り驚いた後やって来たのは恐怖である。
――――これはまずい。と、コルネリウスが戦慄するのも止む無きこと。
貴族に殊更強い偏見は無いが、流石にこんな生活を送っていたらヒトとして駄目になる事は容易に想像が付く。
彼女の恋人である今代の『竜』ことアルベイル・ライゼンナクトは彼女の訴える心身の危機に対し――――
“贅や粋などと言った物は、ただ見識を広げる為の一つの手段に過ぎない”
との見解を述べていたが。庶民が突然こんな立場に置かれたら、価値観が狂うに決まっている。
時に伝え聞く、玉の輿に乗ったら性格がまるで変わってしまった人。と言う事例がどうして生まれるか。
いざ、同じ立場に置かれてコルネリウスは心底思い知った。心胆寒からしめるとはこの事だった。
以来。彼女は極力“学園寮”を拠点と定め、竜館の私室は“最後の手段”扱いとしている。
未だ彼と並び立つには勉強が足りない。と常々考えていたコルネリウスにとって。
この貴重な経験は非常に大きな生活観の隔差として、衝撃と共に深く刻まれる事と相成った訳である。
■
「……と、言うわけなんです」
「何故態々外に宿を取るのか、と常々不思議に思っていたが……まさかそんな理由だったとは」
『王都』グランスパーダ――――表通りから一本裏手に入った貴族御用達の店の一角。
耳がぺたんと下がったまま、少しお洒落な喫茶店の机に俯くのは当のコルネリウスである。
眼前に座っているのは、彼女の感覚では久々に登校して来た『黒鋼竜』アルベイル。
彼が僅かであれ驚いた表情をするのは珍しいことだが。彼女とて狙って驚かしたかった訳では無い。
元々は昨今。彼女が寝食を忘れるほど勉学に打ち込む姿勢を見て、ちょっとした息抜きに。
と彼から誘ってくれた昼食である。店もコルネリウスが気兼ねなく利用出来るよう抑えてくれた様だ。
正直、当人には追い詰められている自覚はあまりなかった。“足りていない”とは元々思っていたこと。
王国貴族の双璧、『黒』の『竜』。その隣に立つとは『王国』貴族社会の頂点に立つことと概ね同義だ。
生半可な努力で足りる、等とは全く思えないし事実そうだろう。
知識、教養、礼法、視野、コルネリウスは幸いアルベイルと言う“先駆者”に直接話が聞ける立場に在るが。
最高位貴族の“継嗣”で在る為に最低限用意しておく必要のある地盤と言う物が。
“そうではない”者にとってどれ程途方もない積み重ねであるか。と言う事は嫌が応にも理解出来た。
彼がその手で自らの母親を手に掛けた。と聞いた時は思わず涙が滲んでしまったほどだ。
それほど、ただのヒトである事を棄てなければならないのか。そうしなければ生きてはいけなかったのか。
『竜』の玉座は血で贖われている。そんなアルベイルを抱きしめる事しか、コルネリウスには出来なかった。
――――“足りない”のだ。彼と同じ物を、同じ目線で見る為には何もかも。
そう呟いて小さく嘆息するコルネリウスを眺めると、当代の『竜』は少し考え首を傾げた。
「それは“そう”だろう。貴女は『竜』として生まれてはいないのだから」
「それは……分かってますけど」
基本的生育環境からして、貴族と庶民には格差がある。知識としては、分かっていた事だ。
『竜』と森人であれば尚更だろう。分かっていた。それでも、あまり分かりたいことでは無かった。
けれどいざ現実に相対してみると。それは想像していたよりも遥かに途方もない“壁”だった。
高く、厚く、堅い。まるでかつて冒険者だった頃の自分を評されているよう、等と自嘲気味に思うほどに。
■
「ふむ……」
手元でココアを混ぜながら、今度の黙考は少し長かった。
果たしてアルベイルが何の解に想いを馳せているのか、コルネリウスには分からない。
かつて、学園で初めて出逢った時より少し伸びた背丈。声音も振る舞いも変わり、より洗練され。
そしてそう。彼が彼女に示す優しさも、今までより少し分かり易くなった。
今日だってそう。以前でも助けようとはしてくれたろう。けれど連れ出すまではしなかった筈。
心配を掛けていることを申し訳なく思う一方で、特別扱いされている実感がある。
嬉しくないと言ったら嘘だ。けれどそう思う一方で、もう一つの焦りが募る。
今のアルベイルに、惹かれる令嬢ならきっと幾らでも居る。家格だけでなく、個人としても。
貴族の常識に倣うなら、高位貴族が複数の妻を娶るのは珍しくも無い当たり前の事。
次代へ世継ぎを必要とする以上の必然だ。それを呑み込めないほど子供ではない……心算だった。
(……知らなかった、な)
綺麗な金の髪。長い睫毛、吸い込まれる様な赤い瞳。時折、雪融けの様に向けられる柔らかな眼差し。
それが、“他の誰かに向けられる”ことを考えるのは、辛い。軋むような想いに駆られる。
理屈では無かった。割り切れる様な物ではなかった。それは嫌だ、と衝動的に思ってしまう。
普段大人ぶっているコルネリウスの、もっと深い部分が我儘を言う。その気持ちを、拒めない。
この人と一緒に生きていくと決めた以上。そんな自分に嘘は吐きたくなかった。
「コルネリウス、『竜』を学ぶ必要は無い。貴女の価値はそんな事で曇る物ではないからだ。
この血は、生き方は歪だ。正常でもなければ清浄でもない。沿う事が正しいと俺は思わない」
真っ直ぐに見つめられ、漸く告げられる彼の言には彼女の無茶を諫める色も滲んでいるが。
それ以上に、彼が自らの生き方を必ずしも肯定している訳では無い事が伝わって来る。
けれどだからこそ。彼女は彼の理解者で居たいのだと。果たしてどう言ったら伝わるだろう。
王は孤高だと聞く。であるなら、当代の『竜』たるアルベイルもまた、孤高なのだろう。
そのままにしておきたくない。正しく無くて良い。彼女はただ。彼の傍らに、居たいのだから。
■
「――――ただ、俺を識ろうと思ってくれた事については嬉しく思う」
そう続いた言葉に、コルネリウスは瞬く。それもやはり、今までなら伝えられなかっただろうこと。
アルベイルの側もまた、少しでも彼女に歩み寄ろうとしてくれていることが分かる。
生き方を変える事は、とても難しい。それは当のコルネリウスが一番良く分かっている事だ。
生き方を変えなくとも周囲が当たり前に尊重してくれる様な立場であるなら、猶更のこと。
けれど彼はきっと彼女の為に一歩か、半歩か、確かに歩調を合わせてくれているのだと。
それが分かって、ずっと心の何処かに引っ掛かっていた焦りが少しだけ、薄れるのが分かった。
「だったら……アルベイルさん。私が今、アルベイルさんにして欲しい事って分かりますか?」
意地悪の心算はなかったけれど。じっと見つめてのその問に。
今日初めて、彼が困惑するのが分かった。当たり前だ。もし分かったら少し恐い。
けれど彼はまた考える仕草をした後、根負けした様に自らの懐を探る。
勿論、コルネリウスには彼が何をしているのか分からない。分からないまま、信じて見守った。
「少しでも、不安を灌げればと思ったのだが……女の勘、と言う奴だとすれば見識を改めなければならんな」
差し出された、それは小さな装飾箱。瞬いてアルベイルを見返すと、首肯で以て応じが返る。
コルネリウスはもう一度瞬いて、小箱の蓋を恐る恐る指先で開く。まるで予期しない展開に。
――――そうして小箱の中で輝く。白花の輝石を抱く竜を象った指輪に。
呆然と彼とそれとを二度往復し、指先が震えている事に後から気付いて頭を振る。
「館を訪れる際、自分の身分を逐一証明するのも手間だろう」
照れ隠しの様にそう付け足すアルベイルを、押し倒さなかったのはコルネリウスの精一杯の理性だった。
代わりに、受け取った指輪を大切に。何か間違って夢が醒めない様に両手で大事に包んで抱く。
ずっと悩んでいた。迷っていた。覚悟は決めていても、どうすれば解決するのか分からなかった。
けれど簡単な事だった。それはきっと、もしかすると彼女が思っていた以上に簡単な事だったのだ。
彼はコルネリウスをきちんと大切にしようとしてくれている。だから此処が、彼女の居場所で良いのだと。
壁を壊すのに必要なのは、そんなたった一つの鍵だった。
■
「……折角、恋人同士になったので……その、呼び名で呼んで欲しかったんです」
涙が滲んだ目元を擦った所為で余計に気恥しさを重ねながら、胸中を語るのは羞恥の極みだった。
目線を合わせない事で心中を隠そうとも、隠しきれない様にそれはもうこまめに耳が動く。
アルベイルが想定を大幅に超えて来た所為で、余計幼い拘りの気がして身を置く場所も無いが。
恥ずかしい拘りならここまで散々開陳してきた後だ。コルネリウスには最早恐れる物など何も無かった。
「呼び名……か。家族からは何と呼ばれているのだ?」
「コルネ、でしょうか」
殆どの親しい友人からもそう呼ばれている。と伝え、やはり少し間が空いた。
彼は事前に答えの用意が無い願い事をすると、決まって僅かな黙考を挟む。
コルネリウスはこの間が嫌いではなかった。それは彼が彼女の事を真剣に考えてくれている証だからだ。
「あとは、コニーとか、コリィとか……」
「ルナ」
「あ、それも綺麗で……え?」
「ではこれで。俺の側もせめて敬称を省いて貰おうか。無論呼び名を付けてくれても構わんが」
『竜』の反撃は苛烈だった。その赤い瞳には明らかに面白がるような色がある。
コルネリウスは数度口をぱくぱくとさせたあと、意を決してこの挑戦を受ける事にする。
彼女はこれでもかつて凄腕と謳われた冒険者だ。流石にやられっ放しでは、沽券とか色々に関わる。
「……ァルベイル」
とても小さな声しか出なかった。彼女なりに頑張ったのだ。
アルベイルが目を細めて笑う。その表情はずるい。それが好きな事を知っていてやっているに違いない。
彼がそういった趣向ではない事を承知の上で。悪い男の才能がある。とはコルネリウスの独自評価だが。
「……なんで、ルナ、だったんですか?」
「古く、月の光を意味する言葉だ。貴女の眼を見て良く似合うと想った」
確かにコルネリウスの瞳は、金に緋を混ぜたような。夜月の如き黄金を彩っている――――が。
自己評価は間違ってないとの想いを新たに。そうして遂に、不沈の森人は喫茶店の机に陥落したのだった。
assignment【DA】史実ノベル 関連特設ページ
メアリー王女が冒険者達の協力を得て稼働させた「王家の耳」。メアリーは無作為に集まってくる情報を、余人に及びもつかぬ閃きを持って分析しながら、今日も世界の動きへ耳を傾けている。
集まった情報の中には、世界の情勢に影響はないかもしれないが興味深い個人の記録があるかもしれない。