【DA】リーンエスの耳
アルベルト・V・シュタールシュヴェーアト/ リット
『ノベルタイトル:代官見習いの猛特訓』馬車猪
●
緑の瞳が恐怖に染まり、手が震えて剣の柄をまともに握ることもできない。
「やめてくれよにいちゃん……」
信頼する義兄に懇願する様は、新進気鋭の代官見習いにはとうてい見えない哀れっぽいものだ。
しかし相手の態度は変わらない。
リット の抵抗など気にもせずにその腕を掴む。
ひぃっ、とか細い悲鳴が部屋の中に響いて、消えた。
●
おおー、と心底感動したときにだけできる声がいくつもうまれた。
リットちゃんがお貴族さまみたい、とか。
俺達の頭なんだからいつもそんな格好してくれよ、とか。
帝国難民キャンプ時代からリットと苦楽を共にした仲間達は全員好意的だ。
ヴィントに報告に行くときでも一張羅 の着こなしが雑なのに、今は髪の毛一筋分の乱れもなく髪も綺麗に整えられている。
姿勢も服装と同じくらい見事で、表情を無視すればリットは騎士らしくも見えた。
「おめぇら覚えとけよ」
口を開けばリットはいつも通りだ。
「言葉遣い」
しかし即座にアルベルト・V・シュタールシュヴェーアトに厳しく指導される。
「お、おめぇ、じゃなくてお前達も立場を考えろ?」
緑の目にじんわり涙が浮かんでいるのに見て見ぬ振りをする情けが、リットの仲間達にはあんまりない。
一部を除いてにやにや揶揄うように見ている。
「発音」
アルベルトの指導はまだ始まったばかりだ。
リットは見習いとはいえ代官という公職につき、帝国のまともな部分代表者であるレイウェスト皇子に直接会える程度に親交があり、何よりアルベルトの義弟だ。
「おめぇ? ち、違うよにーちゃん、ふざけてないって言い間違えただけだよっ」
エーテル抜きでも体格と筋肉が素晴らしいアルベルトが、表情は笑顔のまま全く笑っていない目でリットを観察している。
ゆっくりとリットのまわりを歩く所作は美しくはあるが威圧的で、リットを揶揄っていた面々もいつの間にか緊張して生唾を飲み込む。
「姿勢が崩れている」
リットの腕と足に触れ、とるべき姿勢とそのための角度を文字通り体に覚えさせる。
大柄な騎士が小柄な少年に絡むセンシティブな光景かもしれないが実際に目にしている者にとっては色気など欠片も感じられない威圧感まみれの指導である。
「表情が強ばっているぞ」
ほっとした直後にアルベルトの指がリットの頬に触れる。
幼少時から剣の鍛錬を欠かしていないので表面は固い。
(痛い……)
なお、リットは中堅の中でも上澄みの授恵者なので頑丈。つまりアルベルトが手加減する理由は皆無だ。
「味方に少しの威圧込みで話すときはこうだ」
アルベルトは自分自身の表情で見本を見せながらリットの表情を直接動かす。
リットの頭が良かったら鏡を1つ渡すだけで済んだかもしれないが、リットの馬鹿さ は既に何度も痛感させられている。
アルベルトは根気よく教え続ける。
青年と少年が非常に近づいたままの場景は、ドゥジンシの書き手が見れば歓声を上げるか無言でメモかスケッチを取り始める場面かもしれない。
触れられているリットは圧迫面接と猛烈なしごきを同時にやられているとしか感じないし、アルベルトも限られた時間 に可能な限りの内容を叩き込むので頭が一杯だが。
「よしいいぞ。顔はそのまま動かすな」
アルベルトはリットから少し離れて前後左右から確認した上で一応の合格を出す。
いつもと比べて少しだけ上品さが感じられ、威圧感は普段と変わらない程度にある。
リットは大満足だ。
代官見習いの重責で普段は頑張っているがリットは本来平凡な人間なのだ。
(こいつら俺のこと見直したな)
だから調子に乗る。
表情と姿勢が崩れていることに気づけない。
「動かすなと言ったぞ」
アルベルトの指導が即座に再開される。
暴力はないが遠慮も容赦もなく表情と姿勢を整えられる。
ふぎぎとリットが情けない声を出しても、アルベルトは怒りもしないが指導の強度も変わらない。
「よし」
アルベルトが大きくうなずく。
崩れ落ちるようにしてソファーに座り込んだリットは顔だけでなく耳まで上気している。
「最低限……本当に最低限だが形になった。毎日復習しろ。分かったな?」
アルベルトの言葉にリットが涙目でうなずき、リットの仲間達は今日はご馳走を用意してやろうと思った。
「次だ」
顔色ひとつ変えずアルベルトが振り返る。
え、おれ ? という感じで観衆 が左右を見るが、アルベルトに見られているのは彼等全員だ。
「部下を見れば上司が分かる。だから君達も教養を身につける必要がある」
難民や輸送業者としてではなく代官の部下としての教養が必要だ。
リットの試練を他人事のように見ていた面々の顔に、絶望に近いものが浮かんだ。
●
なるほどそんなことになってたんですか、と代官屋敷 を訪れた商人が納得した。
いつも通りに物資の輸送と護衛を依頼しようとしたら引きつった顔で「イラッシャイマセ」とか「ゴキゲンヨウ」とかいう感じで出迎えられて、何が重大な事件が起こったと勘違いしてしまった。
逃げ出す途中でアルベルトに遭遇して事情を聞き、安堵すると同時に少し不安に思う。
良く言ってハングリー精神、悪く言って荒っぽさが特徴だったリットとその仲間達の良さ が劣化したのではないかと心配に思ったのだ。
アルベルトはそれを聞いて楽しげに笑う。
「戦いならリットは大丈夫だ」
アルベルトの発言には根拠がある。
「心配なら証拠を見せてやる」
自信たっぷりのアルベルトの誘いに乗って、商人はリット達の日常業務を1日見学することになった。
「ばーかばーか!」
「うるせぇぶっ殺すぞ!」
賊でもあり輸送業者でもある勢力とのにらみ合いである。
冒険者ほどの武力と技術と戦術があるなら一方的に仕掛けて蹂躙することも可能だが、授恵者の数も質も劣るリット達は工夫と時間でなんとかするしかない。
リットが目立っている間に数人の仲間達が敵の撤退の邪魔になる位置へ移動する。
相手も気付く。
気付くが開戦を決断できない。
彼等の目的はリット達の命ではなく財産なのだ。
しかしそう割り切れるのは賊の頭や幹部格だけで、下っ端は退路が塞がれる寸前に見える状況に慌て始める。
(リット、これからどうする)
アルベルトは商人を護衛して待機中だ。
彼がいれば1人で蹂躙できてしまう戦場だが、今はリットの成長を確認したい。
「んじゃ始めるか」
リットが幼稚な 悪口を止める。
「おい剣を抜いたら後は血を見るだけだぞ!」
賊の頭が殺気を放つ。
冒険者が戦うような戦場と強敵を何度も直接目にしたリットにとって、この程度の殺気はそよ風のようなものだ。
リットは剣を構えて突撃。
仲間達もリットに続く。
この場にいる仲間は賊と同数だが勢いが違う。
最初に浮き足立っていた下っ端が逃げ出し、止めようとした賊の幹部がリットの剣ごと飛び込むような刺突で重傷を負った。
「こんな雑な剣でっ」
賊の頭が怒り狂う。
かつては帝国軍に属し、本人なりに剣に打ち込んでいたこともある。
そんな彼から見て、力任せにした見えないリットの剣はあまりに醜かった。
(力で技 を破るのも剣術なんだがな。まあリットは技で力を制す技はさっぱりで今のも拙いが)
後ろで見守るアルベルトは、リットの成長を感じると共にリットの成長の遅さ を改めて認識してほろ苦い表情になる。
毎日付きっきりで教えれば並の剣士程度に仕上げる自信はあるが、非常に活発に活動する冒険者であり婚約者と遠距離恋愛中でもあるアルベルトには時間がない。
「慌てたふりかぁ? 戦い慣れてるじゃねぇか!」
リットは歯を見せて笑い 、ほぼ死角から飛んで来た矢を躱そうとして左の上腕に被弾する。
「殺った!」
賊の頭の斬撃はアルベルトから見ても及第点を与えられる完成度だった。
(やべ。防げねぇ。でもにーちゃんと違って目で追えるし軽いぜ)
根性 を入れて防具で受け止める。
技は拙くても格 は低くないリットはエーテルも豊富であり、アルベルトとは比べものにならないほど弱い振り降ろしを耐えて即座に反撃する。
「俺が守ってる土地で好き勝手させるかよ!」
刃筋が立っていなくても速度はある。
鉄の棒として振るわれた剣が賊の頭 の腹に埋まる。
血混じりの吐瀉物を吐き出しながら賊が後頭部から地面に倒れる。
「降伏すれば手当はしてやる。その後どうなるかは取り調べ次第だ。選べ!」
リットの言葉も所作もアルベルトとは全く違うのに気配は驚くほど似ている。
ただし迫力はかなり控えめで、義兄 が同じことをしたら恐怖と緊張で思考と行動を放棄しただろう賊達が恐れながらリットの隙を窺っていた。
商人に対する宣伝とリットの剣と指揮の評価はこれで十分だ。
「リット……本当に……」
馬鹿な子ほど可愛いともいうが、義弟 が弟子として成長すると涙が出るほどほど嬉しい。
賊もリットの仲間もアルベルトの態度 に困惑し、しかし体が抵抗を拒否していることに気付く。
「降伏しろ」
漆黒の巨大剣を構えもせず、特大の黒盾も背中に担いだままであるのに力の差は歴然だ。
アルベルトはそれ以外の血は一滴も流さず、賊全員の捕縛を成功させた。
「皆、見事だった」
難民キャンプ時代から何度も何度も世話になった騎士 からの賛辞に、リットが嬉しそうに手の甲で鼻をこすり、仲間達も照れたり喜びを露わにしたりする。
「これなら戦闘訓練は増やさずに礼儀作法や知識の教授に専念して構わないな! 今日は徹夜だ!!」
輝くような笑顔のアルベルトとは対照的に、リット達の表情はひきつり焦りの汗が浮かんでいた。
●
「顎を上げるな! ガンをつけるな!」
アルベルトの対多数の教育は熱血だ。
「姿勢が崩れているぞ。後2セット追加だ!」
最近授恵者として目覚めた青年も教育を1時間受けるともうふらふらだ。
「リット! お前が1番崩れてどうする! 後20セット追加だ!!」
相手の体力と根性の程度をよく知っているので後遺症にならないぎりぎりの負荷をかけることも簡単だ 。
「よーしいいぞ、その調子だ」
1番上達が早く技術も高いのはリットの副官だ。
リットへの恋心 がなければ下剋上か独立しかねないほどの人材 なので冒険者ほどではないが才能がある。
「次は貴族相手の作法だ。皇族相手の礼儀作法を修められるまで頑張れ!」
アルベルトは平然としているが、言われた方は平静ではいられない。
レイウェスト皇子と会って平然と会話できる度胸を持っているのは、この場にはアルベルトとリットだけなのだ。
「おは、はよ、ございます」
頭に詰め込んだ知識が多すぎてリットが混乱している。
会食の最初の挨拶としては不適切だ。
アルベルトはやり直しを命じない。
失敗した後にどう行動するかも非常に重要だ。
失敗できる今のうちに、失敗からの挽回を覚えさせるしかない。
「わ、わわ……」
私がどうとか言おうとしたのだろうが言葉にならない。
戦場での指揮や戦士としての戦いぶりからは想像できないほど支配層としてのリットは駄目駄目だ。
最初の挨拶が終わったときには、料理はすっかり冷め切っていた。
カトラリーが食器に触れる音が大きく響く。
圧倒的に大きいのがリットだ。
(頑張れリット。本当に頑張れよ)
こんな友人の無作法を許す主君 の寛大さに感動すると共に、皇族という最高の教材を間近で見ても全く改善されていないリットの馬鹿に頭が痛くなる。
(こちらはまあ、こんなものか)
アルベルトは音を立てずに食べながらリット以外を見る。
育ちの悪さを隠せていない。
しかし改善する意思と努力は行動に表れている。
体にあっていても窮屈に感じる正装で、態度も所作も代官に仕える文官や武官に相応しいものへ少しずつ近付いている。
(泣くな)
アルベルトは自らへ強く命じる。
自ら鍛えた後輩達の成長からは、義弟の成長 とは違った種類の喜びを感じる。
「やべっ」
リットのナイフがそこそこお高い皿を貫通する。
腕力を巧みに使うことで可能になる、言うまでもなくアルベルトが教えた技だ。
もちろん食事に使う技ではないしこの後に剣の訓練をしてもリットは再現できなかった。
「申し訳ない、だ」
リットの仲間の頑張りと成果に比べるとあまりに酷すぎて、アルベルトは笑顔なのに少し青筋が浮かんでいた。
●
長身の帝国貴公子が小柄な少年を組み敷いている。
少年は生意気ではあるが可愛らしい顔立ちで、上気した顔に戸惑いはあっても嫌悪はない。
そんな展開のドゥジンシを好む冒険者ギルド職員が帝国への出張を希望した。
モデルになった人物とドゥジンシの登場キャラは別物ということは分かってはいるがそれはそれ。是非会いたかったのだ。
書類 を運んで到着したのは代官屋敷という名の砦だ。
ここがあの物語の舞台と思うだけで胸が高鳴る。案内してくれた青年も爽やかで好印象だ。
「冒険者ギルドの方ですね。初めまして、帝国代官見習いのリットです」
広間で出迎えたのは、表情を除けば登場人物そっくりの少年 だ。
職員は表面は冷静でも心はうきうきして、しかし広間を満たす冷気にも似た雰囲気に気付き頭も冷静になる。
リットの背後にずらりと並んだ青少年 は貴族の使用人らしい服を着こなしている。
しかし暴力に慣れた気配は隠せないというかそもそも隠していない。
(マフィアの若頭だこれ!!)
1度そう思ってしまうと少年 がそういう存在にしか思えなくなる。
仕事は数枚の書類を届けるだけだったが、正直生きた心地がしなかった。
「そういう感じで冒険者ギルドとのやりとりしたぜ!」
その後、嬉しそうに報告するリットをアルベルトは優しい顔でうなずきながら聞いている。
(成功体験は大事だ。今は喜ばせておこう)
絵面だけはドゥジンシの別の挿絵そのものだ。
その後、リットの性的嗜好について事実と異なる噂が流れたらしい。
「リットもいい人みつけろよ」
「今だけはにーちゃんが憎い……」
本人達は、ナイスバディな女性が好きらしい。
緑の瞳が恐怖に染まり、手が震えて剣の柄をまともに握ることもできない。
「やめてくれよにいちゃん……」
信頼する義兄に懇願する様は、新進気鋭の代官見習いにはとうてい見えない哀れっぽいものだ。
しかし相手の態度は変わらない。
リット の抵抗など気にもせずにその腕を掴む。
ひぃっ、とか細い悲鳴が部屋の中に響いて、消えた。
●
おおー、と心底感動したときにだけできる声がいくつもうまれた。
リットちゃんがお貴族さまみたい、とか。
俺達の頭なんだからいつもそんな格好してくれよ、とか。
帝国難民キャンプ時代からリットと苦楽を共にした仲間達は全員好意的だ。
ヴィントに報告に行くときでも一張羅 の着こなしが雑なのに、今は髪の毛一筋分の乱れもなく髪も綺麗に整えられている。
姿勢も服装と同じくらい見事で、表情を無視すればリットは騎士らしくも見えた。
「おめぇら覚えとけよ」
口を開けばリットはいつも通りだ。
「言葉遣い」
しかし即座にアルベルト・V・シュタールシュヴェーアトに厳しく指導される。
「お、おめぇ、じゃなくてお前達も立場を考えろ?」
緑の目にじんわり涙が浮かんでいるのに見て見ぬ振りをする情けが、リットの仲間達にはあんまりない。
一部を除いてにやにや揶揄うように見ている。
「発音」
アルベルトの指導はまだ始まったばかりだ。
リットは見習いとはいえ代官という公職につき、帝国のまともな部分代表者であるレイウェスト皇子に直接会える程度に親交があり、何よりアルベルトの義弟だ。
「おめぇ? ち、違うよにーちゃん、ふざけてないって言い間違えただけだよっ」
エーテル抜きでも体格と筋肉が素晴らしいアルベルトが、表情は笑顔のまま全く笑っていない目でリットを観察している。
ゆっくりとリットのまわりを歩く所作は美しくはあるが威圧的で、リットを揶揄っていた面々もいつの間にか緊張して生唾を飲み込む。
「姿勢が崩れている」
リットの腕と足に触れ、とるべき姿勢とそのための角度を文字通り体に覚えさせる。
大柄な騎士が小柄な少年に絡むセンシティブな光景かもしれないが実際に目にしている者にとっては色気など欠片も感じられない威圧感まみれの指導である。
「表情が強ばっているぞ」
ほっとした直後にアルベルトの指がリットの頬に触れる。
幼少時から剣の鍛錬を欠かしていないので表面は固い。
(痛い……)
なお、リットは中堅の中でも上澄みの授恵者なので頑丈。つまりアルベルトが手加減する理由は皆無だ。
「味方に少しの威圧込みで話すときはこうだ」
アルベルトは自分自身の表情で見本を見せながらリットの表情を直接動かす。
リットの頭が良かったら鏡を1つ渡すだけで済んだかもしれないが、リットの馬鹿さ は既に何度も痛感させられている。
アルベルトは根気よく教え続ける。
青年と少年が非常に近づいたままの場景は、ドゥジンシの書き手が見れば歓声を上げるか無言でメモかスケッチを取り始める場面かもしれない。
触れられているリットは圧迫面接と猛烈なしごきを同時にやられているとしか感じないし、アルベルトも限られた時間 に可能な限りの内容を叩き込むので頭が一杯だが。
「よしいいぞ。顔はそのまま動かすな」
アルベルトはリットから少し離れて前後左右から確認した上で一応の合格を出す。
いつもと比べて少しだけ上品さが感じられ、威圧感は普段と変わらない程度にある。
リットは大満足だ。
代官見習いの重責で普段は頑張っているがリットは本来平凡な人間なのだ。
(こいつら俺のこと見直したな)
だから調子に乗る。
表情と姿勢が崩れていることに気づけない。
「動かすなと言ったぞ」
アルベルトの指導が即座に再開される。
暴力はないが遠慮も容赦もなく表情と姿勢を整えられる。
ふぎぎとリットが情けない声を出しても、アルベルトは怒りもしないが指導の強度も変わらない。
「よし」
アルベルトが大きくうなずく。
崩れ落ちるようにしてソファーに座り込んだリットは顔だけでなく耳まで上気している。
「最低限……本当に最低限だが形になった。毎日復習しろ。分かったな?」
アルベルトの言葉にリットが涙目でうなずき、リットの仲間達は今日はご馳走を用意してやろうと思った。
「次だ」
顔色ひとつ変えずアルベルトが振り返る。
え、おれ ? という感じで観衆 が左右を見るが、アルベルトに見られているのは彼等全員だ。
「部下を見れば上司が分かる。だから君達も教養を身につける必要がある」
難民や輸送業者としてではなく代官の部下としての教養が必要だ。
リットの試練を他人事のように見ていた面々の顔に、絶望に近いものが浮かんだ。
●
なるほどそんなことになってたんですか、と代官屋敷 を訪れた商人が納得した。
いつも通りに物資の輸送と護衛を依頼しようとしたら引きつった顔で「イラッシャイマセ」とか「ゴキゲンヨウ」とかいう感じで出迎えられて、何が重大な事件が起こったと勘違いしてしまった。
逃げ出す途中でアルベルトに遭遇して事情を聞き、安堵すると同時に少し不安に思う。
良く言ってハングリー精神、悪く言って荒っぽさが特徴だったリットとその仲間達の良さ が劣化したのではないかと心配に思ったのだ。
アルベルトはそれを聞いて楽しげに笑う。
「戦いならリットは大丈夫だ」
アルベルトの発言には根拠がある。
「心配なら証拠を見せてやる」
自信たっぷりのアルベルトの誘いに乗って、商人はリット達の日常業務を1日見学することになった。
「ばーかばーか!」
「うるせぇぶっ殺すぞ!」
賊でもあり輸送業者でもある勢力とのにらみ合いである。
冒険者ほどの武力と技術と戦術があるなら一方的に仕掛けて蹂躙することも可能だが、授恵者の数も質も劣るリット達は工夫と時間でなんとかするしかない。
リットが目立っている間に数人の仲間達が敵の撤退の邪魔になる位置へ移動する。
相手も気付く。
気付くが開戦を決断できない。
彼等の目的はリット達の命ではなく財産なのだ。
しかしそう割り切れるのは賊の頭や幹部格だけで、下っ端は退路が塞がれる寸前に見える状況に慌て始める。
(リット、これからどうする)
アルベルトは商人を護衛して待機中だ。
彼がいれば1人で蹂躙できてしまう戦場だが、今はリットの成長を確認したい。
「んじゃ始めるか」
リットが幼稚な 悪口を止める。
「おい剣を抜いたら後は血を見るだけだぞ!」
賊の頭が殺気を放つ。
冒険者が戦うような戦場と強敵を何度も直接目にしたリットにとって、この程度の殺気はそよ風のようなものだ。
リットは剣を構えて突撃。
仲間達もリットに続く。
この場にいる仲間は賊と同数だが勢いが違う。
最初に浮き足立っていた下っ端が逃げ出し、止めようとした賊の幹部がリットの剣ごと飛び込むような刺突で重傷を負った。
「こんな雑な剣でっ」
賊の頭が怒り狂う。
かつては帝国軍に属し、本人なりに剣に打ち込んでいたこともある。
そんな彼から見て、力任せにした見えないリットの剣はあまりに醜かった。
(力で技 を破るのも剣術なんだがな。まあリットは技で力を制す技はさっぱりで今のも拙いが)
後ろで見守るアルベルトは、リットの成長を感じると共にリットの成長の遅さ を改めて認識してほろ苦い表情になる。
毎日付きっきりで教えれば並の剣士程度に仕上げる自信はあるが、非常に活発に活動する冒険者であり婚約者と遠距離恋愛中でもあるアルベルトには時間がない。
「慌てたふりかぁ? 戦い慣れてるじゃねぇか!」
リットは歯を見せて笑い 、ほぼ死角から飛んで来た矢を躱そうとして左の上腕に被弾する。
「殺った!」
賊の頭の斬撃はアルベルトから見ても及第点を与えられる完成度だった。
(やべ。防げねぇ。でもにーちゃんと違って目で追えるし軽いぜ)
根性 を入れて防具で受け止める。
技は拙くても格 は低くないリットはエーテルも豊富であり、アルベルトとは比べものにならないほど弱い振り降ろしを耐えて即座に反撃する。
「俺が守ってる土地で好き勝手させるかよ!」
刃筋が立っていなくても速度はある。
鉄の棒として振るわれた剣が賊の頭 の腹に埋まる。
血混じりの吐瀉物を吐き出しながら賊が後頭部から地面に倒れる。
「降伏すれば手当はしてやる。その後どうなるかは取り調べ次第だ。選べ!」
リットの言葉も所作もアルベルトとは全く違うのに気配は驚くほど似ている。
ただし迫力はかなり控えめで、義兄 が同じことをしたら恐怖と緊張で思考と行動を放棄しただろう賊達が恐れながらリットの隙を窺っていた。
商人に対する宣伝とリットの剣と指揮の評価はこれで十分だ。
「リット……本当に……」
馬鹿な子ほど可愛いともいうが、義弟 が弟子として成長すると涙が出るほどほど嬉しい。
賊もリットの仲間もアルベルトの態度 に困惑し、しかし体が抵抗を拒否していることに気付く。
「降伏しろ」
漆黒の巨大剣を構えもせず、特大の黒盾も背中に担いだままであるのに力の差は歴然だ。
アルベルトはそれ以外の血は一滴も流さず、賊全員の捕縛を成功させた。
「皆、見事だった」
難民キャンプ時代から何度も何度も世話になった騎士 からの賛辞に、リットが嬉しそうに手の甲で鼻をこすり、仲間達も照れたり喜びを露わにしたりする。
「これなら戦闘訓練は増やさずに礼儀作法や知識の教授に専念して構わないな! 今日は徹夜だ!!」
輝くような笑顔のアルベルトとは対照的に、リット達の表情はひきつり焦りの汗が浮かんでいた。
●
「顎を上げるな! ガンをつけるな!」
アルベルトの対多数の教育は熱血だ。
「姿勢が崩れているぞ。後2セット追加だ!」
最近授恵者として目覚めた青年も教育を1時間受けるともうふらふらだ。
「リット! お前が1番崩れてどうする! 後20セット追加だ!!」
相手の体力と根性の程度をよく知っているので後遺症にならないぎりぎりの負荷をかけることも簡単だ 。
「よーしいいぞ、その調子だ」
1番上達が早く技術も高いのはリットの副官だ。
リットへの恋心 がなければ下剋上か独立しかねないほどの人材 なので冒険者ほどではないが才能がある。
「次は貴族相手の作法だ。皇族相手の礼儀作法を修められるまで頑張れ!」
アルベルトは平然としているが、言われた方は平静ではいられない。
レイウェスト皇子と会って平然と会話できる度胸を持っているのは、この場にはアルベルトとリットだけなのだ。
「おは、はよ、ございます」
頭に詰め込んだ知識が多すぎてリットが混乱している。
会食の最初の挨拶としては不適切だ。
アルベルトはやり直しを命じない。
失敗した後にどう行動するかも非常に重要だ。
失敗できる今のうちに、失敗からの挽回を覚えさせるしかない。
「わ、わわ……」
私がどうとか言おうとしたのだろうが言葉にならない。
戦場での指揮や戦士としての戦いぶりからは想像できないほど支配層としてのリットは駄目駄目だ。
最初の挨拶が終わったときには、料理はすっかり冷め切っていた。
カトラリーが食器に触れる音が大きく響く。
圧倒的に大きいのがリットだ。
(頑張れリット。本当に頑張れよ)
こんな友人の無作法を許す主君 の寛大さに感動すると共に、皇族という最高の教材を間近で見ても全く改善されていないリットの馬鹿に頭が痛くなる。
(こちらはまあ、こんなものか)
アルベルトは音を立てずに食べながらリット以外を見る。
育ちの悪さを隠せていない。
しかし改善する意思と努力は行動に表れている。
体にあっていても窮屈に感じる正装で、態度も所作も代官に仕える文官や武官に相応しいものへ少しずつ近付いている。
(泣くな)
アルベルトは自らへ強く命じる。
自ら鍛えた後輩達の成長からは、義弟の成長 とは違った種類の喜びを感じる。
「やべっ」
リットのナイフがそこそこお高い皿を貫通する。
腕力を巧みに使うことで可能になる、言うまでもなくアルベルトが教えた技だ。
もちろん食事に使う技ではないしこの後に剣の訓練をしてもリットは再現できなかった。
「申し訳ない、だ」
リットの仲間の頑張りと成果に比べるとあまりに酷すぎて、アルベルトは笑顔なのに少し青筋が浮かんでいた。
●
長身の帝国貴公子が小柄な少年を組み敷いている。
少年は生意気ではあるが可愛らしい顔立ちで、上気した顔に戸惑いはあっても嫌悪はない。
そんな展開のドゥジンシを好む冒険者ギルド職員が帝国への出張を希望した。
モデルになった人物とドゥジンシの登場キャラは別物ということは分かってはいるがそれはそれ。是非会いたかったのだ。
書類 を運んで到着したのは代官屋敷という名の砦だ。
ここがあの物語の舞台と思うだけで胸が高鳴る。案内してくれた青年も爽やかで好印象だ。
「冒険者ギルドの方ですね。初めまして、帝国代官見習いのリットです」
広間で出迎えたのは、表情を除けば登場人物そっくりの少年 だ。
職員は表面は冷静でも心はうきうきして、しかし広間を満たす冷気にも似た雰囲気に気付き頭も冷静になる。
リットの背後にずらりと並んだ青少年 は貴族の使用人らしい服を着こなしている。
しかし暴力に慣れた気配は隠せないというかそもそも隠していない。
(マフィアの若頭だこれ!!)
1度そう思ってしまうと少年 がそういう存在にしか思えなくなる。
仕事は数枚の書類を届けるだけだったが、正直生きた心地がしなかった。
「そういう感じで冒険者ギルドとのやりとりしたぜ!」
その後、嬉しそうに報告するリットをアルベルトは優しい顔でうなずきながら聞いている。
(成功体験は大事だ。今は喜ばせておこう)
絵面だけはドゥジンシの別の挿絵そのものだ。
その後、リットの性的嗜好について事実と異なる噂が流れたらしい。
「リットもいい人みつけろよ」
「今だけはにーちゃんが憎い……」
本人達は、ナイスバディな女性が好きらしい。
assignment【DA】史実ノベル 関連特設ページ
メアリー王女が冒険者達の協力を得て稼働させた「王家の耳」。メアリーは無作為に集まってくる情報を、余人に及びもつかぬ閃きを持って分析しながら、今日も世界の動きへ耳を傾けている。
集まった情報の中には、世界の情勢に影響はないかもしれないが興味深い個人の記録があるかもしれない。