【DA】リーンエスの耳

シルヴィア・A・カペル
『ノベルタイトル:誓いは蒼く、貴き由縁に』弓月 蒼
●蒼玉の卒業式
思考を纏めるのに、独り言と言うのは意外と有用だ。
それを、自分自身へ自覚的に刻んでおかなければならない時は特にそうだと言える。
「……さて、これは少しばかり気を入れなければいけないな」
手帳を一瞥すれば、今日これからの予定は過去類を見ないほどに詰まっていた。
普段は極力余裕を以て動くことを心掛けている、彼女にしては珍しい事態だが――――
しかし、こればかりは止むを得まい。ヒトが1日に出来る事には限界がある。
そういった忙しなさでは、パンクリアース学園に於ける卒業式後というのは極めて個人差が大きい。
人によっては誰と言葉を交わすでもなく、寮を引き払う準備すら終わっていない者も居る。
他方、関連する人間が多ければ多い程、義理という部分でも、或いは今後の社交界を睨んでも。
身分や家格に応じて。或いは“貴族として”。言葉を交わさないといけない相手は加速度的に増えていく。
それは王国貴族社会という物の根幹が家と家との繋がりで為されているという事実と無縁ではない。
現在身分上では『学生』でしかない者も、日を跨げば一人前として振る舞うを余儀なくされる。
それが、この『学園』に属する者にとっての真の“卒業”――――と、言えるのだから。
“お気持ちは嬉しいのですが、ごめんなさい”
例えば――――そう。中庭を見下ろしてみれば。其処にはちょっとした人集りが出来ていた。
聞こえる澄んだ声は主に“最後に玉砕する者”へ手向けの言葉を繰り返す。
貴族令嬢のお茶会『百合園会』。彼の組織を統べる至上の君が卒業するとなれば。
高嶺の華の最高峰、と言える侯爵令嬢相手でも挑戦者が列を成す事はおかしな話ではない。
とは言え思わず苦笑いが滲むのは、彼女自身とて無関係な話ではないからだ。
最終日は間違いなく忙しい事が目に見えていた『蒼玉の麗人』シルヴィア・A・カペル自身はと言えば。
そういった告白へのお断りは、前日までにきちんと手を回しノルマを消化しきっていたが。
似たような文言を繰り返す事で積み重なる疲労はなかなかどうして冒険者業に障るほどだった。
況や、彼女よりも“令嬢”としての振る舞いで見初められる事が多いだろう『紫の君』ともなれば。
いざ卒業となるこの時まで心に秘めて憧れていた人間も、余程と言ったところだろう。
勿論、彼女の背を押した者として。その心が既に決まった相手で埋まっている事は承知の上ながら。
それはそれ、こういった一幕も学生らしい――――『学園』における、大切な思い出の1つとなる。
頑張って、と、陰ながら応援 を送っては。シルヴィアは窓際から腰を上げた。
さてここで話は冒頭に戻る。この日、卒業式において。忙しなさ、と言う点は極めて個人差が大きい。
そして彼女は、学園でも類稀な程に――――“忙しい”側の人間なのだ。
■
「この学園で過ごした日々が、価値ある物であることを祈っているよ。卒業おめでとう」
「ありがとうございます、先生」
縁の深い生徒会室を経由し特別棟を歩くと、世話になった恩師らから声を掛けられる。
これもシルヴィアの顔の広さ故ではあるが、結果的に学舎の見回りは遅々として進まない。
「カペル先輩、御卒業おめでとうございます!」
「うん、ありがとう。どうだい、学園生活は楽しめているかな?」
生徒会副会長として、一般生徒との交流も多かった身としては流石に応じない訳にもいかないが。
とは言え、少し進んでは呼び止められる。という現在の状況は牛歩と言って些かも間違いではない。
卒業式後の動線としては、彼女が向かう先は僻地に相当する筈だが……顔が広いのも考えものか。
結局、漸く目的地――――学園裏に到着した頃には、すっかり陽が燦々と輝く頃合いになってしまった。
「すまないね、君は……あまり陽射しは好まない性質だったのかもしれないが」
其処には、粗末な墓標が銀の鎖と共に佇んでいる。それは彼女が取り落した物。救えなかった物。
シルヴィアにとっても悔恨そのものであり、この『学園』において痛感した自分の未熟さの象徴だ。
彼女を知る者は限られる。けれど何人かの――――痕として。確かに遺った“魔女”の忘れ形見は。
その孤独を慰めるかの様に、今も墓標に添えられた幾つかの花として証明されている。
(……私は改めて誓うよ。君の死を、決して無駄にはしないと)
それは他ならない、シルヴィアとて同じだ。この国はずっと、特権階級の者をのみ遇し続けてきた。
只管に弱い者だけを切り捨てることで前に進んで来た。けれど今、確かに時代は変わろうとしている。
『侵蝕の魔女 』は、そんな、“切り捨てられた者”だ。
それがどれほど歪な国家の在りようか。学べた事は、きっとシルヴィアにとって千金の価値がある。
少なくとも、『蒼玉 』の姫として。即ち、生まれつき“持つ者”として生を受けた以上は。
そういった社会の機構 に弾かれる者がいる……という通り一遍等の知識こそあれ。
“侯爵家令嬢に見える世界”という範疇からは、実感として受け止められない事は多い。
自身をある程度、“王国の規範的令嬢からは外れている”と言う自覚があるシルヴィアをしてすらそうだ。
目を閉じ、長く続いた黙祷は。彼女が直視して来なかった現実を見定めて行こうという決意の表れか。
手向けの花を捧げ踵を返すと。その足先は一路クラブ棟――――第一剣術部の部室へと向く。
縁と言うなら、生徒会に次いで彼女に縁の深い部こそが彼の名高き王党派の居城であるからだ。
■
「改めて……卒業と、王国騎士任官おめでとう、シルヴァン。次に逢うとすれば王宮だね」
「御言葉痛み入ります。シルヴィアさんも、御卒業おめでとうございます」
第一剣術部部長――――いや。今となってば“元”部長となった青年が胸に手を当て一礼する。
シルヴァン・ローライトは来年度より、王国騎士として王家直下の騎士団入りが決まっている。
元々、ローライト家は名のある騎士の名門だが。ただの“貴族の騎士”と“王国騎士”では意味が異なる。
文武両道に加えて実績と人格を求められる後者の任官は、パンクリアース学園生であっても狭き門だ。
その点、“剣の主”として長く共に歩いて来た彼女の客観的な見立てにおいても。
シルヴァンなら凡そ問題無いだろう……とは思っていたが、それが現実となれば喜ばしいのは別の話である。
「しかし本当は別れに際して贈り物を、と思っていたのだけれど。こうなると少しばかり見栄えに欠けるかな」
「えー、ブッチョーばっかそがなえぇ事尽くしだったら部員が黙ってねぇべさ。俺だって黙ってにゃーで」
「ああ、お前はもう少し黙ることを覚えた方が良いな」
口を挟んだのは“現”部長のラーガイル・ブリードである。彼の手には真新しい手拭いと腰帯があり。
それは剣術部の部員全員に対して平等に、シルヴィアが個人的に贈った物である。
唯一、シルヴァンだけは加えて一冊の古い剣術書を携えているが。
それは“ラーガイルに本の類を渡すとすぐに駄目にするから”と彼が預かっている部の共有財産だ。
勿論、厳密には剣術部員ではなくなっているが彼もまた同様の手拭いと腰帯を受け取っている。
彼女が“世話になった”と言う括りで言うなら、部員の誰よりもこの部長と副部長を於いては無いのだから。
(……2人共本当に、良く働いてくれた)
或いは、2人のやり取りが見られなくなるというのも、何処と無く寂しい物があるな……なんて思うのも。
恐らく感傷に過ぎないのだろう。何せ、当人らの間には別れの時特有のしんみりした空気など微塵も無い。
「シルヴィアさんも、お疲れさまでした。大変な一年でしたからね」
「いや、君たちのお陰で楽させて貰ったよ。そして来年苦労するのは君の番だ。ねえラーガイル」
「にゃはは、次は俺が王国騎士んなってブッチョーに祝って貰うでよお、首洗って待つがええにゃあ!」
そう意気を上げるラーガイルは、既に一年先を見据えている。ああ、それで良い――――と。
シルヴィアは漠然とした満足感と共に大きく頷く。それこそは、彼女が学園で目指して来た物。
そして、これから先も目指し続ける物の一つの体現であるからだ。
笑えられれば良い。胸に幾つもの涙が落ちようと。笑って未来を語れる場所であれば良い。
この『学園』が――――この『王国 』が――――そういう場所で、在れば良い。
●卒業記念の夜
さて、卒業式記念夜会 ……とは言っても、元々が有志のそれ。
『学園』からの許可は取得しているが、公式の。つまり家を上げての夜会とは比ぶべくもない。
勿論参加する卒業生も全員には到底及ばず、シルヴィアの様に高位貴族の令嬢ともなれば数えるほど。
ともあれ元々卒業記念の夜会とは、本来学園の恩師らへ感謝を送る場でもある。
縁が広く、時間の捻出に困っていた彼女にとっては。ある程度閑散としていた方が好都合だ。
――――と。そう思っていた時期が彼女にも確かに在った。
(これ、は……)
まず驚かされたのは会場の広さだ。まさか大教室を丸々2つ繋げるとは。
確か主催は何処かの伯爵家の嫡男だと聞いていたが、余程熱心に学園と交渉したに違いない。
確かに。考えてみれば今後の社交界を見据えた場合。最後に存在感を示す事はマイナスにはならない。
が、明らかに多忙な“紫水晶”含む。今年卒業する大所帯の組織長がずらりと揃っているとなれば。
下手な催しを行えば一転将来に禍根を遺すことにもなりかねない。随分な博打を打った物だが。
どうも主催者はそんな危険な遊戯に無事勝利を掴んだらしい。夜会は想定以上の盛況だった。
そして正しく。校内を探してもどうにも見つからないと思っていた相手が、会場の中央。
黒一色の盛装 を纏い佇んでいたことは、彼女にとって存外の幸運だと言えた。
「失礼。至気高き『黒槍』の君に希う。願わくばしばし、私に時間を頂けないかな?」
「……、……。 土台分かっていて言ってるんだろうが、それは紳士 側の文句だ。全く」
ある種、当然と言えば当然か。同学年でもそれなりに名の通る……それも、次期伯爵となれば。
こういった夜会で相手に困る事はない。彼はいわゆる引く手数多、と言う類 の青年だ。
シルヴィアとて、自身が“侯爵令嬢”で無ければ顰蹙を買っただろう自覚はある。
そして以前は、そういった身分を傘に着た振る舞いへの抵抗が勝った時期も――――在った。
けれど。いざ卒業となった現在。この国に於いて、貴族と血統とは不可分の物であること。
そういった価値観を共有しなければ伝わらない言葉があることを、彼女は既に学んでいる。
勿論、理想は別だ。しかし自分の家を誇るとはその家格を背負う事でもある。
誇るべき者が、誇るべきことを誇らなければ、それは他者の誇りへの侮辱となり得るのだと。
自由人である彼女から抜け落ちていた“貴族の矜持”を教えてくれたのは、正しく眼前の彼だった。
「うん。それでは返事を頂けるかな、アルガス卿」
「随分悪い貴族の手管を学んだようだな、『蒼玉の麗人 』」
それが、以前彼が贈った言葉の真似事だと知った上で肩を竦めてみせるアルガス・コーニッシュへ。
思わず、と言う様に笑ってみせたシルヴィアは。自身がこの学園で受け取った物の多さを知る。
なにせ“貴族らしいのやりとり”でこんな愉快な気持ちになる事など、遂ぞないだろうと。
少なくとも入学当初であった彼女であれば――――そう、本気で思っていたのだから。
■
アルガスを先導しながら、シルヴィアはその数奇な出会いに思いを馳せる。
最初は互いに、“敵対派閥の貴族”だとしか考えていなかった。第一印象は最悪にすら近いだろう。
それがいずれ覆ることがあるとも。互いの見解を擦り合わせる事が出来るとも思わなかった。
であれば、現在の両者の関係が対立する物でないことは奇跡にすら近い。
いや――――此処が、『学園』でなければ有り得なかったに違いない。
彼の率直さか、自らの器量か。いずれかが欠けていたなら、今という時間は無かったのだから。
「……私は、君からの薫陶を破った。後悔はない。けれど、黙っている事は裏切りに他ならない」
貴族の令嬢と令息が、揃って会場を抜け出すとなれば。順当に考えれば逢瀬の類だろうに。
学園の中庭。立ち止まったシルヴィアが告げた言葉を、アルガスは黙して見返す事で解とした。
かつて彼が貴族の令息として、派閥こそ異なれど同じ貴族の令嬢に対し送った忠告。
それを彼女が“薫陶”と受け取り、正しく胸に刻んで歩いて来たのだろう事に疑いはない。
その在り様は、彼の考える“青き血”の気風として好ましい物だ。しかしだからこそ解せない。
彼女がその忠告を破ったとなれば、それは余程の事情に違いないと考えこそすれ。
後悔していないと断言出来るならば彼がそれ以上言うべきことは何も無い。
貴族とは自らに“貴き者”である事を断じて強いねばならない。其処には正しさすら含まれる。
自分が正しいことをしたと定義して良いのは当人だけだ。少なくとも、アルガスはそう認ずる。
では何故――――とその解は、続く彼女自身の言で示された。
「本来、赦されない事だ。貴族が頭を垂れる事を許せば、国が揺らぐ。
“頭を垂れねばならないならば、すべきでない”――――私もそう思う。だから、誓わせて欲しい」
学生、という括りを外れる今。今しか出来ない事だから、今日という日を逃す事は出来なかった。
シルヴィアの真っ直ぐな眼差しを受けて、アルガスが目に見えて小さく嘆息を零した。
「生真面目が過ぎるぞ。お互い、次に遭う時は対立派閥の要人だろうに」
「だからこそだ。私は、貴方の教えを破ったままでは此処から一歩も進めない」
髪を掻く彼の、けれどシルヴィアの“我儘”を無駄な拘りだと切り捨てない様。
それを好ましく思う。貴族とは。“国家の旗手”とは、庶民を導く者であると彼は以前言い切った。
そう在らんとする態度から、多くの物を学んだ。アルガスは誇り高い貴族だ、尊敬に値する。
そんな彼に――――認められる自分として、この学舎を巣立って行きたいと想う。
「……分かった、聞こう」
「感謝する」
やりとりは一言で十分に過ぎた。これは、学生としてのシルヴィアの――――『蒼玉 』の総決算だ。
それを告げる相手として、これ以上はない。
「私はもう二度と頭を垂れない。国家の担い手として、相応しい振る舞いをすると君に誓おう。
――――私は貴族だ。その誇りを以て生きていく。今までも、これからも」
血筋ではない。身分ではない。“己が貴き者である”と自律する、その鋼の意思こそが貴いのだ。
人が尊重し、賞賛し、時に仰ぎ見る。その在り様を損ねてはならない。それこそが貴族の根幹だと。
そう実感として知れたことは、他の何処でも決して得られない体験だった。
「誓い、確かに聞き届けた。『黒槍 』の名の下に、その矜持に敬意を表そう」
歳相応の笑みで右手を差し出したアルガスに、シルヴィアもまた同じ手で応じる。
或いは、いずれ敵として相対する日が来ないとも限らない。けれど、ここに確かに絆はあった。
「ありがとう。今日、君と言葉を交わせて良かった」
それを忘れないでいよう。これからどれだけ年月が過ぎようとも。
派閥などでは割り切ることなど断じて出来ない、そんな敬意と、友情があったことを。
肩書きなどに瞳を曇らせる事なく――――胸に刻んでおこうと想う。
■
本来であれば、最後は夜会へ戻るのが筋なのだろう。けれど、彼女は敢えて別の道を選んだ。
貴族達に囲まれる場なら、恐らくこれから幾らでもある。けれど、『学園』は違う。
彼女が“生徒”で居られる時間は――――今が、最後だ。
或いは口惜しい気持ちがないと言えば嘘になるだろう。後悔にせよ未練にせよ、無いわけがない。
全てが終ってしまえば、卒業生は最早“学園生”とは呼べない。
例えどれほど離れ難く、愛着深く思おうとも。年月というのは時に残酷なほど平等だ。
ここから先の時代は、また新たな学園生達が紡いでいく。“果たして、私は何が出来たろう”
辿り着いた第六学年の教室で、窓から校庭を見下ろしながら自問する。
静かだった。だからこそ、自分自身と向き合うのにこれほど適した時と場所も無い。
『王国』は変わっていく。きっと、王国貴族もまた少しずつ変わっていく。
拓けた『学園』を目指す、この愛しい学び舎も。もう少しすれば思い出になってしまうのだろうか。
寂寞の想いは止むことなく。けれど、何にせよ節目というのはそういうものだ。
「お嬢様、そろそろお時間です」
実家 から連れて来ている侍女が、教室の外から声を掛けてくるとなると。
そろそろ施錠前の見回りがされる。本当に、良い加減校舎を出なければならない時間だ。
感傷に過ぎないと、割り切るにはあまりにも沢山の物を受け取った。
それをどんな形で返して行けるかは、これからシルヴィアが何を成し遂げるかに掛かっている。
改めて考えてみれば、なかなかに重い課題を与えられたと言えなくもない――――が。
(それは同時に……私の生き方が試されているという事だ)
生半可な気持ちで、“誓い”、などと口にしたわけではない。
この国には誇るべき同胞達と同じ位に、身分を盾に唾棄すべき醜聞を為す者が居る。
彼女が貴族としての誇りを正しく体現したなら、遠からずそういった輩とは対立する事になるだろう。
不安がないわけがない。だからこそ旗印が欲しかった。その道標は……既に、得た。
窓に触れていた指先を離すと、跡が残るも程なく消える。
人の痕跡も似たようなものだ。時と共に変化は溶け合い、そしてまた新しい春が来る。
それは『学園 』であっても、『蒼玉 』であっても変わらない。
これからは、“学生だから”許されていたことが、“貴族だから”許されなくなる。
けれどそんな未来に怯れる事無く。此処からまた、自分自身を信じて歩んで行こう。
「分かった、今行く」
踵を返せば振り返る事無く。『蒼玉の麗人 』はかくして『学園』を後にする。
其処で積み重ねたこと。紡ぎ上げたもの。その唯一つたりと溢すことないように。
――――“誰もが笑って過ごせる場所”を、この手が創り出せるように、と。
新たな戦場を見定めた令嬢の眼差しは夜深い道の先をなお、確と見つめ鮮やかな青を描いていた
思考を纏めるのに、独り言と言うのは意外と有用だ。
それを、自分自身へ自覚的に刻んでおかなければならない時は特にそうだと言える。
「……さて、これは少しばかり気を入れなければいけないな」
手帳を一瞥すれば、今日これからの予定は過去類を見ないほどに詰まっていた。
普段は極力余裕を以て動くことを心掛けている、彼女にしては珍しい事態だが――――
しかし、こればかりは止むを得まい。ヒトが1日に出来る事には限界がある。
そういった忙しなさでは、パンクリアース学園に於ける卒業式後というのは極めて個人差が大きい。
人によっては誰と言葉を交わすでもなく、寮を引き払う準備すら終わっていない者も居る。
他方、関連する人間が多ければ多い程、義理という部分でも、或いは今後の社交界を睨んでも。
身分や家格に応じて。或いは“貴族として”。言葉を交わさないといけない相手は加速度的に増えていく。
それは王国貴族社会という物の根幹が家と家との繋がりで為されているという事実と無縁ではない。
現在身分上では『学生』でしかない者も、日を跨げば一人前として振る舞うを余儀なくされる。
それが、この『学園』に属する者にとっての真の“卒業”――――と、言えるのだから。
“お気持ちは嬉しいのですが、ごめんなさい”
例えば――――そう。中庭を見下ろしてみれば。其処にはちょっとした人集りが出来ていた。
聞こえる澄んだ声は主に“最後に玉砕する者”へ手向けの言葉を繰り返す。
貴族令嬢のお茶会『百合園会』。彼の組織を統べる至上の君が卒業するとなれば。
高嶺の華の最高峰、と言える侯爵令嬢相手でも挑戦者が列を成す事はおかしな話ではない。
とは言え思わず苦笑いが滲むのは、彼女自身とて無関係な話ではないからだ。
最終日は間違いなく忙しい事が目に見えていた『蒼玉の麗人』シルヴィア・A・カペル自身はと言えば。
そういった告白へのお断りは、前日までにきちんと手を回しノルマを消化しきっていたが。
似たような文言を繰り返す事で積み重なる疲労はなかなかどうして冒険者業に障るほどだった。
況や、彼女よりも“令嬢”としての振る舞いで見初められる事が多いだろう『紫の君』ともなれば。
いざ卒業となるこの時まで心に秘めて憧れていた人間も、余程と言ったところだろう。
勿論、彼女の背を押した者として。その心が既に決まった相手で埋まっている事は承知の上ながら。
それはそれ、こういった一幕も学生らしい――――『学園』における、大切な思い出の1つとなる。
頑張って、と、陰ながら応援 を送っては。シルヴィアは窓際から腰を上げた。
さてここで話は冒頭に戻る。この日、卒業式において。忙しなさ、と言う点は極めて個人差が大きい。
そして彼女は、学園でも類稀な程に――――“忙しい”側の人間なのだ。
■
「この学園で過ごした日々が、価値ある物であることを祈っているよ。卒業おめでとう」
「ありがとうございます、先生」
縁の深い生徒会室を経由し特別棟を歩くと、世話になった恩師らから声を掛けられる。
これもシルヴィアの顔の広さ故ではあるが、結果的に学舎の見回りは遅々として進まない。
「カペル先輩、御卒業おめでとうございます!」
「うん、ありがとう。どうだい、学園生活は楽しめているかな?」
生徒会副会長として、一般生徒との交流も多かった身としては流石に応じない訳にもいかないが。
とは言え、少し進んでは呼び止められる。という現在の状況は牛歩と言って些かも間違いではない。
卒業式後の動線としては、彼女が向かう先は僻地に相当する筈だが……顔が広いのも考えものか。
結局、漸く目的地――――学園裏に到着した頃には、すっかり陽が燦々と輝く頃合いになってしまった。
「すまないね、君は……あまり陽射しは好まない性質だったのかもしれないが」
其処には、粗末な墓標が銀の鎖と共に佇んでいる。それは彼女が取り落した物。救えなかった物。
シルヴィアにとっても悔恨そのものであり、この『学園』において痛感した自分の未熟さの象徴だ。
彼女を知る者は限られる。けれど何人かの――――痕として。確かに遺った“魔女”の忘れ形見は。
その孤独を慰めるかの様に、今も墓標に添えられた幾つかの花として証明されている。
(……私は改めて誓うよ。君の死を、決して無駄にはしないと)
それは他ならない、シルヴィアとて同じだ。この国はずっと、特権階級の者をのみ遇し続けてきた。
只管に弱い者だけを切り捨てることで前に進んで来た。けれど今、確かに時代は変わろうとしている。
『侵蝕の魔女 』は、そんな、“切り捨てられた者”だ。
それがどれほど歪な国家の在りようか。学べた事は、きっとシルヴィアにとって千金の価値がある。
少なくとも、『蒼玉 』の姫として。即ち、生まれつき“持つ者”として生を受けた以上は。
そういった社会の機構 に弾かれる者がいる……という通り一遍等の知識こそあれ。
“侯爵家令嬢に見える世界”という範疇からは、実感として受け止められない事は多い。
自身をある程度、“王国の規範的令嬢からは外れている”と言う自覚があるシルヴィアをしてすらそうだ。
目を閉じ、長く続いた黙祷は。彼女が直視して来なかった現実を見定めて行こうという決意の表れか。
手向けの花を捧げ踵を返すと。その足先は一路クラブ棟――――第一剣術部の部室へと向く。
縁と言うなら、生徒会に次いで彼女に縁の深い部こそが彼の名高き王党派の居城であるからだ。
■
「改めて……卒業と、王国騎士任官おめでとう、シルヴァン。次に逢うとすれば王宮だね」
「御言葉痛み入ります。シルヴィアさんも、御卒業おめでとうございます」
第一剣術部部長――――いや。今となってば“元”部長となった青年が胸に手を当て一礼する。
シルヴァン・ローライトは来年度より、王国騎士として王家直下の騎士団入りが決まっている。
元々、ローライト家は名のある騎士の名門だが。ただの“貴族の騎士”と“王国騎士”では意味が異なる。
文武両道に加えて実績と人格を求められる後者の任官は、パンクリアース学園生であっても狭き門だ。
その点、“剣の主”として長く共に歩いて来た彼女の客観的な見立てにおいても。
シルヴァンなら凡そ問題無いだろう……とは思っていたが、それが現実となれば喜ばしいのは別の話である。
「しかし本当は別れに際して贈り物を、と思っていたのだけれど。こうなると少しばかり見栄えに欠けるかな」
「えー、ブッチョーばっかそがなえぇ事尽くしだったら部員が黙ってねぇべさ。俺だって黙ってにゃーで」
「ああ、お前はもう少し黙ることを覚えた方が良いな」
口を挟んだのは“現”部長のラーガイル・ブリードである。彼の手には真新しい手拭いと腰帯があり。
それは剣術部の部員全員に対して平等に、シルヴィアが個人的に贈った物である。
唯一、シルヴァンだけは加えて一冊の古い剣術書を携えているが。
それは“ラーガイルに本の類を渡すとすぐに駄目にするから”と彼が預かっている部の共有財産だ。
勿論、厳密には剣術部員ではなくなっているが彼もまた同様の手拭いと腰帯を受け取っている。
彼女が“世話になった”と言う括りで言うなら、部員の誰よりもこの部長と副部長を於いては無いのだから。
(……2人共本当に、良く働いてくれた)
或いは、2人のやり取りが見られなくなるというのも、何処と無く寂しい物があるな……なんて思うのも。
恐らく感傷に過ぎないのだろう。何せ、当人らの間には別れの時特有のしんみりした空気など微塵も無い。
「シルヴィアさんも、お疲れさまでした。大変な一年でしたからね」
「いや、君たちのお陰で楽させて貰ったよ。そして来年苦労するのは君の番だ。ねえラーガイル」
「にゃはは、次は俺が王国騎士んなってブッチョーに祝って貰うでよお、首洗って待つがええにゃあ!」
そう意気を上げるラーガイルは、既に一年先を見据えている。ああ、それで良い――――と。
シルヴィアは漠然とした満足感と共に大きく頷く。それこそは、彼女が学園で目指して来た物。
そして、これから先も目指し続ける物の一つの体現であるからだ。
笑えられれば良い。胸に幾つもの涙が落ちようと。笑って未来を語れる場所であれば良い。
この『学園』が――――この『王国 』が――――そういう場所で、在れば良い。
●卒業記念の夜
さて、卒業式記念夜会 ……とは言っても、元々が有志のそれ。
『学園』からの許可は取得しているが、公式の。つまり家を上げての夜会とは比ぶべくもない。
勿論参加する卒業生も全員には到底及ばず、シルヴィアの様に高位貴族の令嬢ともなれば数えるほど。
ともあれ元々卒業記念の夜会とは、本来学園の恩師らへ感謝を送る場でもある。
縁が広く、時間の捻出に困っていた彼女にとっては。ある程度閑散としていた方が好都合だ。
――――と。そう思っていた時期が彼女にも確かに在った。
(これ、は……)
まず驚かされたのは会場の広さだ。まさか大教室を丸々2つ繋げるとは。
確か主催は何処かの伯爵家の嫡男だと聞いていたが、余程熱心に学園と交渉したに違いない。
確かに。考えてみれば今後の社交界を見据えた場合。最後に存在感を示す事はマイナスにはならない。
が、明らかに多忙な“紫水晶”含む。今年卒業する大所帯の組織長がずらりと揃っているとなれば。
下手な催しを行えば一転将来に禍根を遺すことにもなりかねない。随分な博打を打った物だが。
どうも主催者はそんな危険な遊戯に無事勝利を掴んだらしい。夜会は想定以上の盛況だった。
そして正しく。校内を探してもどうにも見つからないと思っていた相手が、会場の中央。
黒一色の盛装 を纏い佇んでいたことは、彼女にとって存外の幸運だと言えた。
「失礼。至気高き『黒槍』の君に希う。願わくばしばし、私に時間を頂けないかな?」
「……、……。 土台分かっていて言ってるんだろうが、それは紳士 側の文句だ。全く」
ある種、当然と言えば当然か。同学年でもそれなりに名の通る……それも、次期伯爵となれば。
こういった夜会で相手に困る事はない。彼はいわゆる引く手数多、と言う類 の青年だ。
シルヴィアとて、自身が“侯爵令嬢”で無ければ顰蹙を買っただろう自覚はある。
そして以前は、そういった身分を傘に着た振る舞いへの抵抗が勝った時期も――――在った。
けれど。いざ卒業となった現在。この国に於いて、貴族と血統とは不可分の物であること。
そういった価値観を共有しなければ伝わらない言葉があることを、彼女は既に学んでいる。
勿論、理想は別だ。しかし自分の家を誇るとはその家格を背負う事でもある。
誇るべき者が、誇るべきことを誇らなければ、それは他者の誇りへの侮辱となり得るのだと。
自由人である彼女から抜け落ちていた“貴族の矜持”を教えてくれたのは、正しく眼前の彼だった。
「うん。それでは返事を頂けるかな、アルガス卿」
「随分悪い貴族の手管を学んだようだな、『蒼玉の麗人 』」
それが、以前彼が贈った言葉の真似事だと知った上で肩を竦めてみせるアルガス・コーニッシュへ。
思わず、と言う様に笑ってみせたシルヴィアは。自身がこの学園で受け取った物の多さを知る。
なにせ“貴族らしいのやりとり”でこんな愉快な気持ちになる事など、遂ぞないだろうと。
少なくとも入学当初であった彼女であれば――――そう、本気で思っていたのだから。
■
アルガスを先導しながら、シルヴィアはその数奇な出会いに思いを馳せる。
最初は互いに、“敵対派閥の貴族”だとしか考えていなかった。第一印象は最悪にすら近いだろう。
それがいずれ覆ることがあるとも。互いの見解を擦り合わせる事が出来るとも思わなかった。
であれば、現在の両者の関係が対立する物でないことは奇跡にすら近い。
いや――――此処が、『学園』でなければ有り得なかったに違いない。
彼の率直さか、自らの器量か。いずれかが欠けていたなら、今という時間は無かったのだから。
「……私は、君からの薫陶を破った。後悔はない。けれど、黙っている事は裏切りに他ならない」
貴族の令嬢と令息が、揃って会場を抜け出すとなれば。順当に考えれば逢瀬の類だろうに。
学園の中庭。立ち止まったシルヴィアが告げた言葉を、アルガスは黙して見返す事で解とした。
かつて彼が貴族の令息として、派閥こそ異なれど同じ貴族の令嬢に対し送った忠告。
それを彼女が“薫陶”と受け取り、正しく胸に刻んで歩いて来たのだろう事に疑いはない。
その在り様は、彼の考える“青き血”の気風として好ましい物だ。しかしだからこそ解せない。
彼女がその忠告を破ったとなれば、それは余程の事情に違いないと考えこそすれ。
後悔していないと断言出来るならば彼がそれ以上言うべきことは何も無い。
貴族とは自らに“貴き者”である事を断じて強いねばならない。其処には正しさすら含まれる。
自分が正しいことをしたと定義して良いのは当人だけだ。少なくとも、アルガスはそう認ずる。
では何故――――とその解は、続く彼女自身の言で示された。
「本来、赦されない事だ。貴族が頭を垂れる事を許せば、国が揺らぐ。
“頭を垂れねばならないならば、すべきでない”――――私もそう思う。だから、誓わせて欲しい」
学生、という括りを外れる今。今しか出来ない事だから、今日という日を逃す事は出来なかった。
シルヴィアの真っ直ぐな眼差しを受けて、アルガスが目に見えて小さく嘆息を零した。
「生真面目が過ぎるぞ。お互い、次に遭う時は対立派閥の要人だろうに」
「だからこそだ。私は、貴方の教えを破ったままでは此処から一歩も進めない」
髪を掻く彼の、けれどシルヴィアの“我儘”を無駄な拘りだと切り捨てない様。
それを好ましく思う。貴族とは。“国家の旗手”とは、庶民を導く者であると彼は以前言い切った。
そう在らんとする態度から、多くの物を学んだ。アルガスは誇り高い貴族だ、尊敬に値する。
そんな彼に――――認められる自分として、この学舎を巣立って行きたいと想う。
「……分かった、聞こう」
「感謝する」
やりとりは一言で十分に過ぎた。これは、学生としてのシルヴィアの――――『蒼玉 』の総決算だ。
それを告げる相手として、これ以上はない。
「私はもう二度と頭を垂れない。国家の担い手として、相応しい振る舞いをすると君に誓おう。
――――私は貴族だ。その誇りを以て生きていく。今までも、これからも」
血筋ではない。身分ではない。“己が貴き者である”と自律する、その鋼の意思こそが貴いのだ。
人が尊重し、賞賛し、時に仰ぎ見る。その在り様を損ねてはならない。それこそが貴族の根幹だと。
そう実感として知れたことは、他の何処でも決して得られない体験だった。
「誓い、確かに聞き届けた。『黒槍 』の名の下に、その矜持に敬意を表そう」
歳相応の笑みで右手を差し出したアルガスに、シルヴィアもまた同じ手で応じる。
或いは、いずれ敵として相対する日が来ないとも限らない。けれど、ここに確かに絆はあった。
「ありがとう。今日、君と言葉を交わせて良かった」
それを忘れないでいよう。これからどれだけ年月が過ぎようとも。
派閥などでは割り切ることなど断じて出来ない、そんな敬意と、友情があったことを。
肩書きなどに瞳を曇らせる事なく――――胸に刻んでおこうと想う。
■
本来であれば、最後は夜会へ戻るのが筋なのだろう。けれど、彼女は敢えて別の道を選んだ。
貴族達に囲まれる場なら、恐らくこれから幾らでもある。けれど、『学園』は違う。
彼女が“生徒”で居られる時間は――――今が、最後だ。
或いは口惜しい気持ちがないと言えば嘘になるだろう。後悔にせよ未練にせよ、無いわけがない。
全てが終ってしまえば、卒業生は最早“学園生”とは呼べない。
例えどれほど離れ難く、愛着深く思おうとも。年月というのは時に残酷なほど平等だ。
ここから先の時代は、また新たな学園生達が紡いでいく。“果たして、私は何が出来たろう”
辿り着いた第六学年の教室で、窓から校庭を見下ろしながら自問する。
静かだった。だからこそ、自分自身と向き合うのにこれほど適した時と場所も無い。
『王国』は変わっていく。きっと、王国貴族もまた少しずつ変わっていく。
拓けた『学園』を目指す、この愛しい学び舎も。もう少しすれば思い出になってしまうのだろうか。
寂寞の想いは止むことなく。けれど、何にせよ節目というのはそういうものだ。
「お嬢様、そろそろお時間です」
実家 から連れて来ている侍女が、教室の外から声を掛けてくるとなると。
そろそろ施錠前の見回りがされる。本当に、良い加減校舎を出なければならない時間だ。
感傷に過ぎないと、割り切るにはあまりにも沢山の物を受け取った。
それをどんな形で返して行けるかは、これからシルヴィアが何を成し遂げるかに掛かっている。
改めて考えてみれば、なかなかに重い課題を与えられたと言えなくもない――――が。
(それは同時に……私の生き方が試されているという事だ)
生半可な気持ちで、“誓い”、などと口にしたわけではない。
この国には誇るべき同胞達と同じ位に、身分を盾に唾棄すべき醜聞を為す者が居る。
彼女が貴族としての誇りを正しく体現したなら、遠からずそういった輩とは対立する事になるだろう。
不安がないわけがない。だからこそ旗印が欲しかった。その道標は……既に、得た。
窓に触れていた指先を離すと、跡が残るも程なく消える。
人の痕跡も似たようなものだ。時と共に変化は溶け合い、そしてまた新しい春が来る。
それは『学園 』であっても、『蒼玉 』であっても変わらない。
これからは、“学生だから”許されていたことが、“貴族だから”許されなくなる。
けれどそんな未来に怯れる事無く。此処からまた、自分自身を信じて歩んで行こう。
「分かった、今行く」
踵を返せば振り返る事無く。『蒼玉の麗人 』はかくして『学園』を後にする。
其処で積み重ねたこと。紡ぎ上げたもの。その唯一つたりと溢すことないように。
――――“誰もが笑って過ごせる場所”を、この手が創り出せるように、と。
新たな戦場を見定めた令嬢の眼差しは夜深い道の先をなお、確と見つめ鮮やかな青を描いていた
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