さかしまの湖
奇古譚
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シナリオID:2546
オープニング
●
その湖はイェルノー荒野にある。
辺境都市群、其の都市と都市の間にある荒野に、ぽつんとあった。
見た目には、清浄な水で満ちた湖のように見える。
周囲には短い丈の草花が揺れ、まるで荒野のオアシスにも思えるだろう。
――しかし。
荒野に生息する生物は、其の泉の水を飲もうとはしない。
本能で“飲んではいけない”と察知しているかのようだ。
この湖は“さかしまの湖”と呼ばれる。
昼にはまるで夜のように水面は暗く。
夜にはまるで陽光を受けたかのように明るく輝く其の湖は、誰の目から見ても既におかしかった。
さらにおかしいのは、この湖。映るものまでさかさまなのである。
おそらくエーテルを多分に含んでいるのだろう鏡のような湖面に、動物が己の姿を映すと――別の動物が顔を出す。其れは捕食者にとっての被捕食者であり、被捕食者にとっての捕食者である。動物はそれを恐れ、近寄ろうとはしない。
そこに人間が顔を映すとどうなるか。
試したものは言った。
或いは「自分は男なのに女が映った」。
或いは「金持ちになった自分が映った」。
或いは「何も映らなかった」。
――何も映らなかった、とおびえていた男は数日後に死んだ。
その話が嘘か本当かは誰にも判らない。噂につく尾ひれだろうと断じる学者も少なくない。
だが、さかしまの湖の特性そのものは大いに学者たちの興味を引いた。
エーテル異常の起きている湖。その特性。何かに使えるかもしれない、今後に生かせるかもしれないと思うのは当然の事だからである。
ゆえに冒険者ギルドに調査の依頼が舞い込むのは、何らおかしいことではないのだ。
ただ一つだけ――「絶対に水を口に含まないこと」という条件が付記されているが。
恐らくエーテル異常が起こっているのは湖一帯であり、水自体に異常があるとは思えないが――念には念を、という事だろう。
昼に己の姿を映すもよし。
夜に己の姿を映すもよし。
さかしまの湖は、果たして君たちの“何を”さかさまにして映すのか?
その湖はイェルノー荒野にある。
辺境都市群、其の都市と都市の間にある荒野に、ぽつんとあった。
見た目には、清浄な水で満ちた湖のように見える。
周囲には短い丈の草花が揺れ、まるで荒野のオアシスにも思えるだろう。
――しかし。
荒野に生息する生物は、其の泉の水を飲もうとはしない。
本能で“飲んではいけない”と察知しているかのようだ。
この湖は“さかしまの湖”と呼ばれる。
昼にはまるで夜のように水面は暗く。
夜にはまるで陽光を受けたかのように明るく輝く其の湖は、誰の目から見ても既におかしかった。
さらにおかしいのは、この湖。映るものまでさかさまなのである。
おそらくエーテルを多分に含んでいるのだろう鏡のような湖面に、動物が己の姿を映すと――別の動物が顔を出す。其れは捕食者にとっての被捕食者であり、被捕食者にとっての捕食者である。動物はそれを恐れ、近寄ろうとはしない。
そこに人間が顔を映すとどうなるか。
試したものは言った。
或いは「自分は男なのに女が映った」。
或いは「金持ちになった自分が映った」。
或いは「何も映らなかった」。
――何も映らなかった、とおびえていた男は数日後に死んだ。
その話が嘘か本当かは誰にも判らない。噂につく尾ひれだろうと断じる学者も少なくない。
だが、さかしまの湖の特性そのものは大いに学者たちの興味を引いた。
エーテル異常の起きている湖。その特性。何かに使えるかもしれない、今後に生かせるかもしれないと思うのは当然の事だからである。
ゆえに冒険者ギルドに調査の依頼が舞い込むのは、何らおかしいことではないのだ。
ただ一つだけ――「絶対に水を口に含まないこと」という条件が付記されているが。
恐らくエーテル異常が起こっているのは湖一帯であり、水自体に異常があるとは思えないが――念には念を、という事だろう。
昼に己の姿を映すもよし。
夜に己の姿を映すもよし。
さかしまの湖は、果たして君たちの“何を”さかさまにして映すのか?
解説
●目的
さかしまの湖を調査しよう
●立地
辺境都市群、イェルノー荒野に現れた泉です。
水分の恩恵か、周囲には短めの草花がそよそよと咲いています。
けれど、周囲に動物の姿はありません。
彼らがのぞき込むと、被捕食者、あるいは捕食者の姿が映るためです。
例えば肉食獣が覗き込んで肉を取ろうと手を伸ばしても、落ちてしまって溺れるだけ。
動物は本能で恐れ、湖に近寄らないでいます。
●出来ること
昼と夜が選べます。
プレイング一行目に【昼】もしくは【夜】を明記して下さい。
※湖の水を飲んでも安全は保障しません※
★昼:性別がさかしまに映る
水に映すと、己によく似た異性が映ります。
或いは種族さえ違う異性が映るかもしれません。
ただし、恋をしてはいけません。それは貴方自身なのですから。
★夜:特性がさかしまに映る
例えば己の矜持や生き方などがさかしまになって映ります。
清貧を心掛けてきた人ならば、浪費家となって豪華な服を着た己が映るでしょう。
それはある種、指標にも似ています。
己が今、どういう道を歩いているのか。それを振り返るいい機会かもしれません。
●注意事項
迷子・描写漏れ防止のため、同行者様がいればその方のお名前(ID)、或いは判るように【】で囲んだ合言葉などを添えて下さい。
マスターより
こんにちは、奇古譚です。
何もかもさかさまに映る湖。恐ろしくありませんか。
――まあ、さすがに「何も映らなかったといった男が死んだ」というのはデマが過ぎるでしょうが!
●
イベントシナリオではアドリブ控えめとなります。
皆さまが気持ちよく過ごせるよう、マナーを守ってイベントを楽しみましょう。
では、いってらっしゃい。
リプレイ
●
リヒト・コナーはそっと、昼間だというのに夜のように暗い湖に己の姿を映す。
男だから女が映るだろう。そんな事を漠然と思っていたが、随分と見覚えのある顔が浮かんできた。――ああ、この顔はもしや、妹ではないか?
「……詰まり、俺達はめちゃくちゃに似てるっていう事か……?」
リヒトが首を傾げると、泉の中の彼も不思議そうに首を傾げる。
妹か。――故郷に置いてきた家族を想う。ある日突然家を飛び出した己に、驚いた事だろう。心配している事だろう、悲しんでいるかもしれない。
……今はどうしているのだろうか。ずっと冒険者として名をあげたいばかりに故郷に手紙の一枚も送らなかったツケを、いま払わされているような気がして、リヒトの良心がしくしくと痛んだ。
「……一度、戻るかなあ」
あの故郷に。
懐かしい我が家に。妹が待つ、あの家に。
燦々と照り付ける太陽を見上げながら、リヒトはそう想いを馳せるのだった。
●
――青年だ。
シルヴィア・A・カペルが陽光の中覗き込んだ昏い昏い水面には、ああ、かの日の祖父が、アルヴィン・カペルが映り込んでいる。
判っていた。肖像画で知っていた。けれど、こんな姿をしていたのかと何度見ても懐かしまずにはいられない。昔だったらきっと、此処に至るにはまだ足りない、まだ、と手を握り締めていたかもしれない。
けれど今は違う。出会うべくして人に出会った。決めるべくして己の道を決めた。ボタンを一つ外して、深呼吸をするみたいに――“息のしやすくなった”シルヴィアは、ただただ興味深そうに、祖父であろう男の姿を見るのだ。
――もし私が男だったら、誰が映っていたのだろう?
勿論、男であれば尚更カペル家の跡取りとして様々な事に打ち込んでいただろう。そして恐らく――祖父への憧れと、“祖父のようにならねばならない”というプレッシャーも強かった筈だ。
――……だとしたら、彼は女性だな。
女騎士の彼と出会う想像をしてみる。なんだかおかしくて、くす、とシルヴィアは笑った。きっと彼――彼女は性別が違ってもきっと寡黙で、でも真っ直ぐで、……そうしてきっと、二人は恋に落ちただろうから。
例え性別が逆でも、どのような種族だったとしても、私は彼を好きになっただろう。
「そういう事です、お祖父様」
随分とフランクにシルヴィアはそう言って、手を湖につけてゆらりと波紋を広げた。
静かに佇み、全てを見ていた「アルヴィン・カペル」が――ほんの少し笑みを深めて消えたような気がした。
●
コルネリウス・アーラが見た“さかしま”は、耳の丸い己だった。
ヒューマンで、……其の出で立ちは貴族のようにも見える。しゃなり、しゃなり、歩く姿はしっかりと教育された賜物か。
――私が持たない、持ち得ないものを全て手にした、姿。
――出来るならば……貴方になりたかった
ぐ、とコルネリウスは唇を噛む。じわり、と僅かに血の味がした。
力を持たない事で届かない辛さがある。其れを痛いほど、コルネリウスは知っている。けれど、けれど……ねえ、水鏡の向こうの“私”。貴方は少し、窮屈そうね。
そう。貴族とは窮屈なもの。マナーに、掟に、領地に、様々なものに縛られて、いつだって気を張って生きていかねばならないもの。
そうなのなら、……平凡な森の人として過ごしてきた己も悪くないのではないかとコルネリウスは僅かに想えたのだ。
力になりたい人がいる。だから、力が欲しい。
王国で生きていきたいけれど、貴族の名を持つ機会が、今、ある。
コルネリウスは目を閉じた。
私はどうすればいいのだろう。これから、どうやって歩けばいいのだろう、この暗闇ばかりの道を。明かりもなく、どう掻き分けていけばいいの。
●
みずぼらしい襤褸をまとった女がいた。
そばかすのある肌は荒れて、手は何をしたのかぼろぼろだ。
リーザヴェールが見た“さかしま”は、そんな女だった。だけれども、彼女の瞳は違った。強い光を、強い意志を映して輝いている。
「あらあら、素直なのねぇ」
リーザヴェールはころころと笑う。
其の姿はまさしく、水鏡を映して対照的だった。
確かに飾らない姿は魅力的だけど、私は貴方にはなれない。貴方も、私にはなれない。だってそうでしょう? 身分も心も、貴賤というものは簡単に引っ繰り返したり、失くせるものではないのだもの。
女は賢過ぎず、目立たず、殿方の一歩後ろに。
私は其れが幸せだったのだけれど、貴方には――そんな生き方、出来ないでしょう。
「でもね」
貴方には、自分が思うままに生きて欲しいわ。
私もそうするもの。お互い、逆さまに生きて行きましょうよ。
――其れにしても、いやぁね。どうせみせるなら、綺麗な私を見せて欲しかったのに。
例えば、そばかすがなくなっているとか。……ふふ! 其れじゃ折角のチャームポイントがなくなって、ただの女になってしまうかしら。
●
ベアトリーチェ・カロッサは、何が映るのか大抵の見当はついていた。
付いていた、けれども。実際に目にするとなると、矢張り少し……心に響く。
其れは自分がハイアルヴの巫女として、村の民たちを導いている姿。
本来ならベアトリーチェは、双子の妹と共に巫女として民を導く立場にあるはずだったのだ。けれど、彼女は抜け出した。村の閉鎖的な因習に嫌気が差したのだ。
其の所為だろうか。妹が今度は贄の儀式に差し出される事になった。ベアトリーチェはこれを助け、再び姉妹は出会う事が出来たのだ。
つまり、この自分は。
“村の因習に従った”自分であり。
“外の世界を知らぬ”自分であり。
恐らく――“妹を失った”自分だ。
後悔はしていない。
寧ろあんな村、滅びても良いと思っている。黴臭い因習に囚われ続けている哀れな村だ、いずれは侵略の火に焼かれて消えるのだろうと思っている。
――こうはなるまい。
――アタシは、ならない。
そっと指先を湖に漬ける。
村の人々から巫女よと崇められているベアトリーチェは……波紋の中に消えた。
●
ざぶん。
陽光を受けて煌めくような夜の湖に、サイラスは身を浸す。……特に異常は見受けられない。
潜ってみる。僅かに水草が生えているが、其れ以外の生命はいない。エーテル異常の所為だろうか、魚一匹いやしない。水中に何かあるから問題なのではないかという疑念は案外外れてはいないかもしれない。
ぶは、と息継ぎの為に水面へと上がる。見える星空は美しく、この湖も星の光を受けているのではないかと感じる程。
湖に入る前に見た己の姿は――ニンゲン、だった。耳の形を確認しなかったから、どういった種族なのかは断定し辛いが……間違いなく、人間の青年の姿をしていた。
怪物になろうと思っている自分には似合いの姿だと、サイラスは湖に浮かびながら笑う。人から竜になる。そう己に定義づけて色々と試している様は、そうか、逆さまに移せば平々凡々と生きていくという事なのか。
――安堵している自分がいる。
此処にニンゲンの姿をした自分が映る限り、己の行く道はきっと間違っていない。
竜への道をひた走る己に、間違いなどないと――信じる事が出来る。
さあ、調査の再開だ。
サイラスは再び湖に潜った。出来るなら、深部の水を採取しておきたいから。
●
「んん……怪奇の泉、ってとこさねぇ」
パヴェル・A・サムルガチェフはほんのり笑うと、ゆっくりと泉に歩み寄る。
昼の明るさを湛える泉にそっと己を映せば、――其処には、……。怪物が、いた。
爪を、鋭い牙を、これみよがしに見せびらかしては怯えさせ。
力を誇示して高笑いしながら、街で歩く己の姿だ。
勿論、其れはパヴェルの本来の姿ではない。
彼は日陰をそっと歩きながら、冒険者として生きてきたのだ。手を差し伸べられるところに苦しんでいる人がいれば、どんな棘の中だろうと手を差し伸べて。
半獣である己を忌み嫌うものがいれば、そっと煙のように姿を消した。
手足の爪も、体毛も、野蛮に見えぬように整えて。
――ああ、だから、俺とは真逆だ。
其れは今のパヴェルの在り方を、背を押してくれているようで。
思わずパヴェルは、ありがとな、と呟いたのだった。
俺は、このままでいいんだな。例え陽光の下に出る事を厭う身であったとしても――苦しんでいる人に手を差し伸べるくらいは、しても良いって事だろ。なあ。
●
ベルク・オスマットが覗き込んだ己は、陰惨なものだった。
切り裂く。引き千切る。食い荒らす。
力という大きな波に溺れて、本来であれば護らねばならない筈の無辜の人々のせなを引き裂き、虐げて、略奪していた。
其れは駄目だと追いすがる誰かの頭を足蹴にして、高らかに笑うベルクが其処にいる。
――我ながら許し難い姿だと、ベルクは拳を握る。
北壁の貧しい地に生きてきた。だから貧しさとは、ひもじさとは何たるかをこの身でもって知っている。
人類の盾となる帝国先兵であることを誇りとして生きてきた。だから人々を護る事は、ベルクの存在意義なのだ。
其れ等を踏み荒らすような“さかしま”。……判っている。この泉に拳を落としたところで、ちゃぽんと音がして手ごたえなどひとつもない事は。
だけれども、……こうはなるまいと。
こうとだけはなるまいと、ベルクは強く強く、己に誓ったのだった。
●
水さえ飲まなければ安全極まりない依頼だ。
簡単だな、とルイドは湖の傍。きらきらと輝く湖の傍で思案する。
性質がさかしまに映る、夜の湖。其れは逆を言えば、己の性質を認識する良い機会だという事だ。
さてさて、どんな自分が映ることやら。ルイドはそっと、眩しい程輝く泉に己を映し込み――
――其処には、ルイドがいた。
ただ、髪や服装を小奇麗に纏めて、愛想良さそうな表情を浮かべている。誰かと談笑しているのだろうか。目を細めて笑ってみせて、それで、と話を盛り上げる。
「身なりに気を付けなさい」とお告げでもしているつもりか、とルイドが思った其の時……其処にいた“誰か”が立ち去った後。湖の中のルイドの顔から、ふ、と表情が抜けた。
そうして一つ、懐から何かを手に取る。封筒のようだ。其れを取り出して、軽く読み返している。其の丁寧な筆致を詳しく読み取ることは出来ないが、きっと――恋文か何かだろう。
湖の中のルイドは其れを一瞥だけすると、まるで水鏡の向こうのルイドに見せつけるように、びりり、と真っ二つに破いて見せた。更に破り、破り、投げ捨てて、綺麗に磨かれた靴の底で踏み躙り――
――ぱしゃん、と音がして。湖の中のルイドが弾け飛んだ。
ルイド自身が湖を殴りつけたのだ。
此れ以上あんなクソ野郎を見ていられないと、拳を振り上げたのだ。
――八方美人の伊達男。裏では周りの事なんざゴミ程度にしか思ってねぇ。……そんな所か? ええ? “湖の中の俺”。
ルイド自身、周りの人間を好んでいる訳じゃない。仕事だと割り切って付き合っているやつだっていないといえば嘘になる。其れでも、――其れでも、あんな非情な嘘はつきたくないと思った。あれよりはまだ、マシな生き方をしているつもりだ。
●
動物のいない湖。
其れだけでこうも不気味な雰囲気になるとは思わなかった、とレピド・クロサイトは思う。
恐らくエーテル異常の所為だろう。周りの動物たちは、ちゃんと水分を補給できているだろうか? そんな事を思いながら、そっとレピドが湖を覗き込むと……
――赤。
――赤、赤、赤色ばかり。
其れは血の赤だった。肉の赤だった。
微かに覚えがある。血に塗れた己の姿。消え失せた筈の記憶から時折去来するもの。だが――其れを“愉しい”と思った事は、レピドも“素体”も一度たりとも思わなかった筈だ。
なのに、湖の中のレピドは笑っている。蹂躙の限りを尽くし、殺戮の限りを尽くし、笑っていた。
――“さかしま”だ
判っている。
其れはつまり、今の自分はこの逆の道を歩めているという事だ。
決して間違った道を歩いている訳ではない、其の確固たる証拠の筈、なのに。
なのに。……どうしてこんなに心がざわめくのか。
レピドは飛びのくように湖のふちで立ち上がり、背を向けた。
月が、笑うように見ている。
●
ミゼリア・L・ステュクスは湖を愉しんでいた。
其の表情に愉しい、が現れる訳ではないが――其れでも彼女は、夜に輝く湖というものに「感動」していた。綺麗だと思った。
此処には“さかしま”の己が映るという。どんな己が映るのかしら、とミゼリアはそっと覗き込む。
――青空。
まず見えたのは、其れ。
そうして其の空の下で笑っている、エルフの娘ひとり。
傷一つない白い膚。陽光を受けて光り輝くような明るい金髪を風に靡かせ遊ぶ、勝気そうで、強きそうで、そして高慢そうにも見える娘。
確かに、……真逆だ。
ミゼリアの髪は黒く、あんな風に嬉しいを全面に出す術もまだ知らない。不思議そうにぱちりぱちり、瞳を瞬かせる。
――でも、何故だろう。
ミゼリアはこの少女を知っている気がするのだ。この自分とは真逆の少女を、何処かで見たような……
記憶の奥底を探る。けれど其処には淀みばかりが溜まっていて、巧く掬い上げる事が出来ない。
忘れてはいけない筈の存在。
親友の……いつもわたしを助けてくれた……
「……ううん」
駄目だ、思い出せない。ミゼリアは軽く頭を振る。
ホムンクルスは第二の生であるという。以前に出会った事がある誰かなのかもしれない。……どうしても気になるけれど。名残惜しく思いながらミゼリアはそっと、其の場を後にする。
●
「わあ凄い、本当に光ってる」
イズル・M・ヴォルゴールは瞳を輝かせて、其の泉へと近付いていく。
同行したペルゼィックと共に周囲の草花に異常がないかを確認して、何もない事を確認すると、次は水だな、とイズルは水袋を手に湖へと向かう。
そうして……イズルはふと、ペルゼィックに呼び掛けた。
「なあ、怖くないか?」
「何がだ」
「自分のさかしまが映るとか、さ。何と言うか、逆に言えば自分の本当の姿が剥き出しになるって事だろ」
「……怖いならなんで夜の調査を引き受けたんだよ」
「だって、気になるから……」
唇を尖らせた彼に、ペルゼィックは深く溜息を吐く。こういう向こう見ずなところがあるから、全く。
だからペルゼィックは、黙ってイズルと共に湖を覗き込むのだ。
「……」
湖の中のイズルは、大層上等な服を着ていた。回りに蠱惑的な女たちを侍らせている。
だが、其れ以上に奇妙なのは――背後に見える、アンデッドのような不気味な姿だろう。まるで躍るようにふらりふらり揺れる青白い膚に、イズルは一瞬目を瞠る。
これはどういう意味だろう。これが“さかしま”なのだとしたら……ええと、つまり、自分は今、誠実な者たちに囲まれているとか、そういう事だろうか。
だとしたら、素直に嬉しい。其の人達に報いる生き方をしたい。
……隣の彼はどうだろう。
ちらり、とイズルは隣へ視線を向けた。
ペルゼィックが見た己は、ちっぽけだった。
立派な剣と杖は抱えられてばかりで、来ない出番を待っている。其れを抜く事を湖の中のペルゼィックはしない。ただ抱えて、俯いて、じっとしている。臆病そうな自分。
ただ、眸だけは違った。こちらを睨み付けている。睨んだところで何も出来やしないのに、視線だけで反抗しようとしている。
――……これが、“さかしま”なのなら。
ペルゼィックは思案する。いま十分な実力を備えているのなら、抱えている剣や杖は古びたり錆びたりしているほうが“それらしい”。つまり、……今の自分は剣と魔法、どっちつかずでどちらが際立っているでもない、という事。
――腹が立つ。
だからペルゼィックは、拳でちゃぷん、と水面を揺らしてさかしまの己を掻き消した。
「あー!!」
声を上げたのはイズルだった。なんで消すんだよ、と文句を付けて来る彼に、盗み見するなよ、と思わずペルゼィックも売り文句に買い文句。
「……だって、いざって時……判ってあげられると思ったのに」
俺はこんなのを見た、と語り出すイズルに、ペルゼィックは溜息を吐き――僅かに危機感を覚えた。
彼がたまに口にする、“神霊”という言葉。其の言葉は――彼が見た光景に関係あるのだろうか?
●
きらきらと、まるで其処だけ昼になってしまったかのような湖。
其の輝きを見てヨル・スレイマンとナハシュは確かにエーテル異常だと頷いた。
「本当に光ってる。異常は間違いなさそうだね」
「周囲に影響を与えてる様子はねえが……取り敢えず、映してみるか」
二人はそっと、湖を覗き込む。
そうして気になるのは、お互いの“さかしまの姿”だ。
ヨルは――其処に穏やかなゴブリンの青年を見た。
誰にだろうか、太陽のように笑い掛ける彼は、まさに今のナハシュとは逆さま。
場面は変わって行く。
街の人々に挨拶をし、怪我をしている者がいれば案じ、自分は大丈夫だから、と買ったパンを押し付けている。其の様はまさに“善人”そのもののように感じて。
ヨルは浮かんだ嫌悪感を隠そうともせずに、湖の中の己へと視線を移す。
そうしてヨルが視線を移し、ナハシュが覗き込んだ逆さまのヨルには、ナハシュに見せるような朗らかさはない。
付き合いの長い二人だから判る。明らかな作り笑いと、他人行儀な喋り方。他人と敢えて距離を置こうとするような其の姿に、へー、とナハシュが声を上げた。
「つまんなそうな顔してんな」
「そうだね」
「でも何か、見た覚えがあるような……あ! あーあーあー!」
アレだ! とぽんと手を打ち合わせるナハシュに、ヨルは不思議そうに視線を向ける。ナハシュはにひ、と笑ってみせて。
「ウチに客としてきた頃のお前! 今思うとこんな感じだったな。酒でベロベロになる以外つまんなそうな奴だと思ったよ」
「……酒でベロベロになるのは面白かったって?」
「そりゃ面白いだろ。澄ました顔して、潰れるまで飲むんだから」
ところでお前、腹でも減ってるのか?
不機嫌だったヨルにそう問うナハシュに、ヨルは溜息を吐いた。――いや、其れは安堵の溜息だ。
ああ、この湖が“さかしまを映す湖”で良かったと――思ったのだ。
「そうだな、ちょっとお腹減ったかも」
「そっか。じゃあ帰りに何か食おうぜ。で、ベロベロになるまで呑む」
「……」
じっとりと見詰めて来るヨルの顔を見て、今度こそナハシュは大笑いするのだった。
●
「さあ、足元に気を付けて」
それから、夢中になって覗き込んで落ちたりしないようにね?
そう述べるジュスト・ヴェルジー……愛しい婚約者殿の“余計な一言”に、ローザリカ・L・ディオールはじとりとした視線を向けた。前半までは良いのに、どうしてこうもこの婚約者殿は一言多いのか。
そう思いながらも、言われた通りに彼女の歩調は慎重だ。そっと二人手を繋いで湖へ近付き……異変に先に気付いたのはローザリカの方だった。
彼が映っている。
女性に囲まれて、随分と幸せそうな彼の顔。
其れはまるで――“君と出会っていなければなあ”なんて笑う彼の姿を見せつけられているようで。
私と出会わなければ、彼は幸せだったのか?
出会わない方が、彼は自由な人生を歩めたのか?
脚を止めたローザリカに、不思議そうにジュストは視線を向け――そうして先導していた己が先に湖に映った事に気付き、ああ、と声を上げる。
「ロゼ、ロゼ」
「……」
堪えられない。嗚咽が零れてしまいそうだからだ。
「ロゼ」
ジュストがそっと手を引き、愛らしい一輪の薔薇を抱き締める。持ってきたブランケットを広げ、其の細い肩が冷えてしまわぬように包み込みながら。
「俺には、ロゼ一人だけだよ」
言ったろう、初恋だったって。
そう囁いても、ローザリカの心に刺さった棘は抜けない。
「どんな美しい花が幾つ咲き乱れていたとしても、……ロゼが傍にいなければ、ロゼが笑ってくれなければ、俺は幸せじゃない。俺の幸せなんて、ないんだから」
其れは今は、ではなく、昔から、なのだけれど。
だからジュストはそっと彼女を誘う。そうして、見て御覧、と優しく囁いた。
暖かいジュストの言葉に、少しずつ心を護る茨が解けていくようで。
大人しく湖の傍に寄って覗き込んだローザリカが見たものは――なんとまあ。多くの男性に囲まれて幸せそうに笑う己ではないか。
「……」
「……心配する事なんて、一つもなかったって事だよ」
そう言って、再びローザリカを抱き締めたジュストだったが。
次に呟いた言葉は、どことなくいじけていた。
「……。大変遺憾だ」
湖に映る“さかしま”とはいえ、愛おしい一輪の薔薇が自分以外の男に笑み掛けるなど。ジュスト・ヴェルジーの名折れであると言いたげなそんな声に、ローザリカは彼の頭を撫でるかしばし迷った。だって、なんだか主人を取られそうな犬みたいで。
……怒るかもしれないから、言わないけど。
リヒト・コナーはそっと、昼間だというのに夜のように暗い湖に己の姿を映す。
男だから女が映るだろう。そんな事を漠然と思っていたが、随分と見覚えのある顔が浮かんできた。――ああ、この顔はもしや、妹ではないか?
「……詰まり、俺達はめちゃくちゃに似てるっていう事か……?」
リヒトが首を傾げると、泉の中の彼も不思議そうに首を傾げる。
妹か。――故郷に置いてきた家族を想う。ある日突然家を飛び出した己に、驚いた事だろう。心配している事だろう、悲しんでいるかもしれない。
……今はどうしているのだろうか。ずっと冒険者として名をあげたいばかりに故郷に手紙の一枚も送らなかったツケを、いま払わされているような気がして、リヒトの良心がしくしくと痛んだ。
「……一度、戻るかなあ」
あの故郷に。
懐かしい我が家に。妹が待つ、あの家に。
燦々と照り付ける太陽を見上げながら、リヒトはそう想いを馳せるのだった。
●
――青年だ。
シルヴィア・A・カペルが陽光の中覗き込んだ昏い昏い水面には、ああ、かの日の祖父が、アルヴィン・カペルが映り込んでいる。
判っていた。肖像画で知っていた。けれど、こんな姿をしていたのかと何度見ても懐かしまずにはいられない。昔だったらきっと、此処に至るにはまだ足りない、まだ、と手を握り締めていたかもしれない。
けれど今は違う。出会うべくして人に出会った。決めるべくして己の道を決めた。ボタンを一つ外して、深呼吸をするみたいに――“息のしやすくなった”シルヴィアは、ただただ興味深そうに、祖父であろう男の姿を見るのだ。
――もし私が男だったら、誰が映っていたのだろう?
勿論、男であれば尚更カペル家の跡取りとして様々な事に打ち込んでいただろう。そして恐らく――祖父への憧れと、“祖父のようにならねばならない”というプレッシャーも強かった筈だ。
――……だとしたら、彼は女性だな。
女騎士の彼と出会う想像をしてみる。なんだかおかしくて、くす、とシルヴィアは笑った。きっと彼――彼女は性別が違ってもきっと寡黙で、でも真っ直ぐで、……そうしてきっと、二人は恋に落ちただろうから。
例え性別が逆でも、どのような種族だったとしても、私は彼を好きになっただろう。
「そういう事です、お祖父様」
随分とフランクにシルヴィアはそう言って、手を湖につけてゆらりと波紋を広げた。
静かに佇み、全てを見ていた「アルヴィン・カペル」が――ほんの少し笑みを深めて消えたような気がした。
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コルネリウス・アーラが見た“さかしま”は、耳の丸い己だった。
ヒューマンで、……其の出で立ちは貴族のようにも見える。しゃなり、しゃなり、歩く姿はしっかりと教育された賜物か。
――私が持たない、持ち得ないものを全て手にした、姿。
――出来るならば……貴方になりたかった
ぐ、とコルネリウスは唇を噛む。じわり、と僅かに血の味がした。
力を持たない事で届かない辛さがある。其れを痛いほど、コルネリウスは知っている。けれど、けれど……ねえ、水鏡の向こうの“私”。貴方は少し、窮屈そうね。
そう。貴族とは窮屈なもの。マナーに、掟に、領地に、様々なものに縛られて、いつだって気を張って生きていかねばならないもの。
そうなのなら、……平凡な森の人として過ごしてきた己も悪くないのではないかとコルネリウスは僅かに想えたのだ。
力になりたい人がいる。だから、力が欲しい。
王国で生きていきたいけれど、貴族の名を持つ機会が、今、ある。
コルネリウスは目を閉じた。
私はどうすればいいのだろう。これから、どうやって歩けばいいのだろう、この暗闇ばかりの道を。明かりもなく、どう掻き分けていけばいいの。
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みずぼらしい襤褸をまとった女がいた。
そばかすのある肌は荒れて、手は何をしたのかぼろぼろだ。
リーザヴェールが見た“さかしま”は、そんな女だった。だけれども、彼女の瞳は違った。強い光を、強い意志を映して輝いている。
「あらあら、素直なのねぇ」
リーザヴェールはころころと笑う。
其の姿はまさしく、水鏡を映して対照的だった。
確かに飾らない姿は魅力的だけど、私は貴方にはなれない。貴方も、私にはなれない。だってそうでしょう? 身分も心も、貴賤というものは簡単に引っ繰り返したり、失くせるものではないのだもの。
女は賢過ぎず、目立たず、殿方の一歩後ろに。
私は其れが幸せだったのだけれど、貴方には――そんな生き方、出来ないでしょう。
「でもね」
貴方には、自分が思うままに生きて欲しいわ。
私もそうするもの。お互い、逆さまに生きて行きましょうよ。
――其れにしても、いやぁね。どうせみせるなら、綺麗な私を見せて欲しかったのに。
例えば、そばかすがなくなっているとか。……ふふ! 其れじゃ折角のチャームポイントがなくなって、ただの女になってしまうかしら。
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ベアトリーチェ・カロッサは、何が映るのか大抵の見当はついていた。
付いていた、けれども。実際に目にするとなると、矢張り少し……心に響く。
其れは自分がハイアルヴの巫女として、村の民たちを導いている姿。
本来ならベアトリーチェは、双子の妹と共に巫女として民を導く立場にあるはずだったのだ。けれど、彼女は抜け出した。村の閉鎖的な因習に嫌気が差したのだ。
其の所為だろうか。妹が今度は贄の儀式に差し出される事になった。ベアトリーチェはこれを助け、再び姉妹は出会う事が出来たのだ。
つまり、この自分は。
“村の因習に従った”自分であり。
“外の世界を知らぬ”自分であり。
恐らく――“妹を失った”自分だ。
後悔はしていない。
寧ろあんな村、滅びても良いと思っている。黴臭い因習に囚われ続けている哀れな村だ、いずれは侵略の火に焼かれて消えるのだろうと思っている。
――こうはなるまい。
――アタシは、ならない。
そっと指先を湖に漬ける。
村の人々から巫女よと崇められているベアトリーチェは……波紋の中に消えた。
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ざぶん。
陽光を受けて煌めくような夜の湖に、サイラスは身を浸す。……特に異常は見受けられない。
潜ってみる。僅かに水草が生えているが、其れ以外の生命はいない。エーテル異常の所為だろうか、魚一匹いやしない。水中に何かあるから問題なのではないかという疑念は案外外れてはいないかもしれない。
ぶは、と息継ぎの為に水面へと上がる。見える星空は美しく、この湖も星の光を受けているのではないかと感じる程。
湖に入る前に見た己の姿は――ニンゲン、だった。耳の形を確認しなかったから、どういった種族なのかは断定し辛いが……間違いなく、人間の青年の姿をしていた。
怪物になろうと思っている自分には似合いの姿だと、サイラスは湖に浮かびながら笑う。人から竜になる。そう己に定義づけて色々と試している様は、そうか、逆さまに移せば平々凡々と生きていくという事なのか。
――安堵している自分がいる。
此処にニンゲンの姿をした自分が映る限り、己の行く道はきっと間違っていない。
竜への道をひた走る己に、間違いなどないと――信じる事が出来る。
さあ、調査の再開だ。
サイラスは再び湖に潜った。出来るなら、深部の水を採取しておきたいから。
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「んん……怪奇の泉、ってとこさねぇ」
パヴェル・A・サムルガチェフはほんのり笑うと、ゆっくりと泉に歩み寄る。
昼の明るさを湛える泉にそっと己を映せば、――其処には、……。怪物が、いた。
爪を、鋭い牙を、これみよがしに見せびらかしては怯えさせ。
力を誇示して高笑いしながら、街で歩く己の姿だ。
勿論、其れはパヴェルの本来の姿ではない。
彼は日陰をそっと歩きながら、冒険者として生きてきたのだ。手を差し伸べられるところに苦しんでいる人がいれば、どんな棘の中だろうと手を差し伸べて。
半獣である己を忌み嫌うものがいれば、そっと煙のように姿を消した。
手足の爪も、体毛も、野蛮に見えぬように整えて。
――ああ、だから、俺とは真逆だ。
其れは今のパヴェルの在り方を、背を押してくれているようで。
思わずパヴェルは、ありがとな、と呟いたのだった。
俺は、このままでいいんだな。例え陽光の下に出る事を厭う身であったとしても――苦しんでいる人に手を差し伸べるくらいは、しても良いって事だろ。なあ。
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ベルク・オスマットが覗き込んだ己は、陰惨なものだった。
切り裂く。引き千切る。食い荒らす。
力という大きな波に溺れて、本来であれば護らねばならない筈の無辜の人々のせなを引き裂き、虐げて、略奪していた。
其れは駄目だと追いすがる誰かの頭を足蹴にして、高らかに笑うベルクが其処にいる。
――我ながら許し難い姿だと、ベルクは拳を握る。
北壁の貧しい地に生きてきた。だから貧しさとは、ひもじさとは何たるかをこの身でもって知っている。
人類の盾となる帝国先兵であることを誇りとして生きてきた。だから人々を護る事は、ベルクの存在意義なのだ。
其れ等を踏み荒らすような“さかしま”。……判っている。この泉に拳を落としたところで、ちゃぽんと音がして手ごたえなどひとつもない事は。
だけれども、……こうはなるまいと。
こうとだけはなるまいと、ベルクは強く強く、己に誓ったのだった。
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水さえ飲まなければ安全極まりない依頼だ。
簡単だな、とルイドは湖の傍。きらきらと輝く湖の傍で思案する。
性質がさかしまに映る、夜の湖。其れは逆を言えば、己の性質を認識する良い機会だという事だ。
さてさて、どんな自分が映ることやら。ルイドはそっと、眩しい程輝く泉に己を映し込み――
――其処には、ルイドがいた。
ただ、髪や服装を小奇麗に纏めて、愛想良さそうな表情を浮かべている。誰かと談笑しているのだろうか。目を細めて笑ってみせて、それで、と話を盛り上げる。
「身なりに気を付けなさい」とお告げでもしているつもりか、とルイドが思った其の時……其処にいた“誰か”が立ち去った後。湖の中のルイドの顔から、ふ、と表情が抜けた。
そうして一つ、懐から何かを手に取る。封筒のようだ。其れを取り出して、軽く読み返している。其の丁寧な筆致を詳しく読み取ることは出来ないが、きっと――恋文か何かだろう。
湖の中のルイドは其れを一瞥だけすると、まるで水鏡の向こうのルイドに見せつけるように、びりり、と真っ二つに破いて見せた。更に破り、破り、投げ捨てて、綺麗に磨かれた靴の底で踏み躙り――
――ぱしゃん、と音がして。湖の中のルイドが弾け飛んだ。
ルイド自身が湖を殴りつけたのだ。
此れ以上あんなクソ野郎を見ていられないと、拳を振り上げたのだ。
――八方美人の伊達男。裏では周りの事なんざゴミ程度にしか思ってねぇ。……そんな所か? ええ? “湖の中の俺”。
ルイド自身、周りの人間を好んでいる訳じゃない。仕事だと割り切って付き合っているやつだっていないといえば嘘になる。其れでも、――其れでも、あんな非情な嘘はつきたくないと思った。あれよりはまだ、マシな生き方をしているつもりだ。
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動物のいない湖。
其れだけでこうも不気味な雰囲気になるとは思わなかった、とレピド・クロサイトは思う。
恐らくエーテル異常の所為だろう。周りの動物たちは、ちゃんと水分を補給できているだろうか? そんな事を思いながら、そっとレピドが湖を覗き込むと……
――赤。
――赤、赤、赤色ばかり。
其れは血の赤だった。肉の赤だった。
微かに覚えがある。血に塗れた己の姿。消え失せた筈の記憶から時折去来するもの。だが――其れを“愉しい”と思った事は、レピドも“素体”も一度たりとも思わなかった筈だ。
なのに、湖の中のレピドは笑っている。蹂躙の限りを尽くし、殺戮の限りを尽くし、笑っていた。
――“さかしま”だ
判っている。
其れはつまり、今の自分はこの逆の道を歩めているという事だ。
決して間違った道を歩いている訳ではない、其の確固たる証拠の筈、なのに。
なのに。……どうしてこんなに心がざわめくのか。
レピドは飛びのくように湖のふちで立ち上がり、背を向けた。
月が、笑うように見ている。
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ミゼリア・L・ステュクスは湖を愉しんでいた。
其の表情に愉しい、が現れる訳ではないが――其れでも彼女は、夜に輝く湖というものに「感動」していた。綺麗だと思った。
此処には“さかしま”の己が映るという。どんな己が映るのかしら、とミゼリアはそっと覗き込む。
――青空。
まず見えたのは、其れ。
そうして其の空の下で笑っている、エルフの娘ひとり。
傷一つない白い膚。陽光を受けて光り輝くような明るい金髪を風に靡かせ遊ぶ、勝気そうで、強きそうで、そして高慢そうにも見える娘。
確かに、……真逆だ。
ミゼリアの髪は黒く、あんな風に嬉しいを全面に出す術もまだ知らない。不思議そうにぱちりぱちり、瞳を瞬かせる。
――でも、何故だろう。
ミゼリアはこの少女を知っている気がするのだ。この自分とは真逆の少女を、何処かで見たような……
記憶の奥底を探る。けれど其処には淀みばかりが溜まっていて、巧く掬い上げる事が出来ない。
忘れてはいけない筈の存在。
親友の……いつもわたしを助けてくれた……
「……ううん」
駄目だ、思い出せない。ミゼリアは軽く頭を振る。
ホムンクルスは第二の生であるという。以前に出会った事がある誰かなのかもしれない。……どうしても気になるけれど。名残惜しく思いながらミゼリアはそっと、其の場を後にする。
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「わあ凄い、本当に光ってる」
イズル・M・ヴォルゴールは瞳を輝かせて、其の泉へと近付いていく。
同行したペルゼィックと共に周囲の草花に異常がないかを確認して、何もない事を確認すると、次は水だな、とイズルは水袋を手に湖へと向かう。
そうして……イズルはふと、ペルゼィックに呼び掛けた。
「なあ、怖くないか?」
「何がだ」
「自分のさかしまが映るとか、さ。何と言うか、逆に言えば自分の本当の姿が剥き出しになるって事だろ」
「……怖いならなんで夜の調査を引き受けたんだよ」
「だって、気になるから……」
唇を尖らせた彼に、ペルゼィックは深く溜息を吐く。こういう向こう見ずなところがあるから、全く。
だからペルゼィックは、黙ってイズルと共に湖を覗き込むのだ。
「……」
湖の中のイズルは、大層上等な服を着ていた。回りに蠱惑的な女たちを侍らせている。
だが、其れ以上に奇妙なのは――背後に見える、アンデッドのような不気味な姿だろう。まるで躍るようにふらりふらり揺れる青白い膚に、イズルは一瞬目を瞠る。
これはどういう意味だろう。これが“さかしま”なのだとしたら……ええと、つまり、自分は今、誠実な者たちに囲まれているとか、そういう事だろうか。
だとしたら、素直に嬉しい。其の人達に報いる生き方をしたい。
……隣の彼はどうだろう。
ちらり、とイズルは隣へ視線を向けた。
ペルゼィックが見た己は、ちっぽけだった。
立派な剣と杖は抱えられてばかりで、来ない出番を待っている。其れを抜く事を湖の中のペルゼィックはしない。ただ抱えて、俯いて、じっとしている。臆病そうな自分。
ただ、眸だけは違った。こちらを睨み付けている。睨んだところで何も出来やしないのに、視線だけで反抗しようとしている。
――……これが、“さかしま”なのなら。
ペルゼィックは思案する。いま十分な実力を備えているのなら、抱えている剣や杖は古びたり錆びたりしているほうが“それらしい”。つまり、……今の自分は剣と魔法、どっちつかずでどちらが際立っているでもない、という事。
――腹が立つ。
だからペルゼィックは、拳でちゃぷん、と水面を揺らしてさかしまの己を掻き消した。
「あー!!」
声を上げたのはイズルだった。なんで消すんだよ、と文句を付けて来る彼に、盗み見するなよ、と思わずペルゼィックも売り文句に買い文句。
「……だって、いざって時……判ってあげられると思ったのに」
俺はこんなのを見た、と語り出すイズルに、ペルゼィックは溜息を吐き――僅かに危機感を覚えた。
彼がたまに口にする、“神霊”という言葉。其の言葉は――彼が見た光景に関係あるのだろうか?
●
きらきらと、まるで其処だけ昼になってしまったかのような湖。
其の輝きを見てヨル・スレイマンとナハシュは確かにエーテル異常だと頷いた。
「本当に光ってる。異常は間違いなさそうだね」
「周囲に影響を与えてる様子はねえが……取り敢えず、映してみるか」
二人はそっと、湖を覗き込む。
そうして気になるのは、お互いの“さかしまの姿”だ。
ヨルは――其処に穏やかなゴブリンの青年を見た。
誰にだろうか、太陽のように笑い掛ける彼は、まさに今のナハシュとは逆さま。
場面は変わって行く。
街の人々に挨拶をし、怪我をしている者がいれば案じ、自分は大丈夫だから、と買ったパンを押し付けている。其の様はまさに“善人”そのもののように感じて。
ヨルは浮かんだ嫌悪感を隠そうともせずに、湖の中の己へと視線を移す。
そうしてヨルが視線を移し、ナハシュが覗き込んだ逆さまのヨルには、ナハシュに見せるような朗らかさはない。
付き合いの長い二人だから判る。明らかな作り笑いと、他人行儀な喋り方。他人と敢えて距離を置こうとするような其の姿に、へー、とナハシュが声を上げた。
「つまんなそうな顔してんな」
「そうだね」
「でも何か、見た覚えがあるような……あ! あーあーあー!」
アレだ! とぽんと手を打ち合わせるナハシュに、ヨルは不思議そうに視線を向ける。ナハシュはにひ、と笑ってみせて。
「ウチに客としてきた頃のお前! 今思うとこんな感じだったな。酒でベロベロになる以外つまんなそうな奴だと思ったよ」
「……酒でベロベロになるのは面白かったって?」
「そりゃ面白いだろ。澄ました顔して、潰れるまで飲むんだから」
ところでお前、腹でも減ってるのか?
不機嫌だったヨルにそう問うナハシュに、ヨルは溜息を吐いた。――いや、其れは安堵の溜息だ。
ああ、この湖が“さかしまを映す湖”で良かったと――思ったのだ。
「そうだな、ちょっとお腹減ったかも」
「そっか。じゃあ帰りに何か食おうぜ。で、ベロベロになるまで呑む」
「……」
じっとりと見詰めて来るヨルの顔を見て、今度こそナハシュは大笑いするのだった。
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「さあ、足元に気を付けて」
それから、夢中になって覗き込んで落ちたりしないようにね?
そう述べるジュスト・ヴェルジー……愛しい婚約者殿の“余計な一言”に、ローザリカ・L・ディオールはじとりとした視線を向けた。前半までは良いのに、どうしてこうもこの婚約者殿は一言多いのか。
そう思いながらも、言われた通りに彼女の歩調は慎重だ。そっと二人手を繋いで湖へ近付き……異変に先に気付いたのはローザリカの方だった。
彼が映っている。
女性に囲まれて、随分と幸せそうな彼の顔。
其れはまるで――“君と出会っていなければなあ”なんて笑う彼の姿を見せつけられているようで。
私と出会わなければ、彼は幸せだったのか?
出会わない方が、彼は自由な人生を歩めたのか?
脚を止めたローザリカに、不思議そうにジュストは視線を向け――そうして先導していた己が先に湖に映った事に気付き、ああ、と声を上げる。
「ロゼ、ロゼ」
「……」
堪えられない。嗚咽が零れてしまいそうだからだ。
「ロゼ」
ジュストがそっと手を引き、愛らしい一輪の薔薇を抱き締める。持ってきたブランケットを広げ、其の細い肩が冷えてしまわぬように包み込みながら。
「俺には、ロゼ一人だけだよ」
言ったろう、初恋だったって。
そう囁いても、ローザリカの心に刺さった棘は抜けない。
「どんな美しい花が幾つ咲き乱れていたとしても、……ロゼが傍にいなければ、ロゼが笑ってくれなければ、俺は幸せじゃない。俺の幸せなんて、ないんだから」
其れは今は、ではなく、昔から、なのだけれど。
だからジュストはそっと彼女を誘う。そうして、見て御覧、と優しく囁いた。
暖かいジュストの言葉に、少しずつ心を護る茨が解けていくようで。
大人しく湖の傍に寄って覗き込んだローザリカが見たものは――なんとまあ。多くの男性に囲まれて幸せそうに笑う己ではないか。
「……」
「……心配する事なんて、一つもなかったって事だよ」
そう言って、再びローザリカを抱き締めたジュストだったが。
次に呟いた言葉は、どことなくいじけていた。
「……。大変遺憾だ」
湖に映る“さかしま”とはいえ、愛おしい一輪の薔薇が自分以外の男に笑み掛けるなど。ジュスト・ヴェルジーの名折れであると言いたげなそんな声に、ローザリカは彼の頭を撫でるかしばし迷った。だって、なんだか主人を取られそうな犬みたいで。
……怒るかもしれないから、言わないけど。
マスターコメント
お疲れ様でした。
さかしまの湖、いかがだったでしょうか。
思ったよりも夜のお客様が多くて驚きました。
意外な一面を見させて貰ったりして。ふふふ。私がとても役得な気分。
ご参加ありがとうございました!
イベントシナリオ易しい 報酬:標準17 / 4〜25人
2022年10月26日 10時03分04秒 公開
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