「たぬ茶屋」開店! 〜花見の章〜
炙りとろ左門
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シナリオID:2042
オープニング
辺境都市群、シャルガネ居住区。そのはずれの山間にある、小さな庵——は、冒険者たちの手によって「たぬ茶屋」として蘇った。
花盛りの庭に植わる、古い古い桜の木。暖かな春の陽気、ひらひらと風に甘い香りを乗せる桜木を、冲南は下から見上げていた。
「……綺麗だね」
「うん」
冲南の呟きに頷いて答えるひまりは、もうだっこをせがんだりはしない。臙脂色の三角巾に前掛けを身につけたひまりは、今日開店の「たぬ茶屋」の若女将なのだ。
冲南は桜の細い枝をいくつか剪定し、枝物として庵に持ち帰る。囲炉裏端ではミヨが茶釜をあたためていた。その周りには丸くなるたぬ魔獣たち。すっかりこの光景も当たり前のものになった。
「いよいよ『たぬ茶屋』の開店だね、ひまり」
「うん。がんばる」
すでに坂の下からは、様子を見にきた人々の歓談の声が聞こえていた。
ひまりは深呼吸をひとつした。仕込みはすでに済んだ。それでも厨房は忙しくなるだろう。配膳もミヨ一人では難しい。だからこそ、冒険者たちを頼った。
「でも、おきなみ。おかね、だいじょうぶ?」
これまで、冒険者たちを雇うための費用は冲南が持っていた。冲南を見上げようとするひまりの頭を、冲南はごまかすように撫でる。
「ひまりが気にすることじゃない。大丈夫だよ。それより、お客さんをおもてなしすることに集中して」
今日は開店初日。何事も最初が肝心だ。失敗はできない。はっとして、気合を入れるように自分の頬をぱしんと叩くひまりを見て、冲南は微笑む。
(そばで見ていられるのも、あと少しだな……)
ミヨと最後の打ち合わせを行うひまりの背中を見、冲南は腰に佩いた太刀の柄を撫でる。
視線だけで庭の奥を振り返ると、木立の間に隠れた気配は立ち消えた。
● ???
「……代官斬りの冲南……」
少女は咄嗟に身を隠したあと、歯噛みして、懐に閉まった短刀を撫でる。
亡き父の形見だ。使い方など知らぬであろう華奢な手を、真白くなるほど握り込む。
「人斬りのくせに……!」
父の仇を追って追って辿り着いた先で見たものは、剣鬼と呼ばれた男の、随分と優しい横顔だった。
許せない。薄汚い人斬りのくせに、心穏やかに過ごしているなんて許せない。
「……今に見てろ。必ず、父様の仇を討ってやる!」
どんな手段を用いても。そのために泥を啜るような生活に耐えてきたのだ。少女は決意を新たにすると、山の中へと姿を消した——。
花盛りの庭に植わる、古い古い桜の木。暖かな春の陽気、ひらひらと風に甘い香りを乗せる桜木を、冲南は下から見上げていた。
「……綺麗だね」
「うん」
冲南の呟きに頷いて答えるひまりは、もうだっこをせがんだりはしない。臙脂色の三角巾に前掛けを身につけたひまりは、今日開店の「たぬ茶屋」の若女将なのだ。
冲南は桜の細い枝をいくつか剪定し、枝物として庵に持ち帰る。囲炉裏端ではミヨが茶釜をあたためていた。その周りには丸くなるたぬ魔獣たち。すっかりこの光景も当たり前のものになった。
「いよいよ『たぬ茶屋』の開店だね、ひまり」
「うん。がんばる」
すでに坂の下からは、様子を見にきた人々の歓談の声が聞こえていた。
ひまりは深呼吸をひとつした。仕込みはすでに済んだ。それでも厨房は忙しくなるだろう。配膳もミヨ一人では難しい。だからこそ、冒険者たちを頼った。
「でも、おきなみ。おかね、だいじょうぶ?」
これまで、冒険者たちを雇うための費用は冲南が持っていた。冲南を見上げようとするひまりの頭を、冲南はごまかすように撫でる。
「ひまりが気にすることじゃない。大丈夫だよ。それより、お客さんをおもてなしすることに集中して」
今日は開店初日。何事も最初が肝心だ。失敗はできない。はっとして、気合を入れるように自分の頬をぱしんと叩くひまりを見て、冲南は微笑む。
(そばで見ていられるのも、あと少しだな……)
ミヨと最後の打ち合わせを行うひまりの背中を見、冲南は腰に佩いた太刀の柄を撫でる。
視線だけで庭の奥を振り返ると、木立の間に隠れた気配は立ち消えた。
● ???
「……代官斬りの冲南……」
少女は咄嗟に身を隠したあと、歯噛みして、懐に閉まった短刀を撫でる。
亡き父の形見だ。使い方など知らぬであろう華奢な手を、真白くなるほど握り込む。
「人斬りのくせに……!」
父の仇を追って追って辿り着いた先で見たものは、剣鬼と呼ばれた男の、随分と優しい横顔だった。
許せない。薄汚い人斬りのくせに、心穏やかに過ごしているなんて許せない。
「……今に見てろ。必ず、父様の仇を討ってやる!」
どんな手段を用いても。そのために泥を啜るような生活に耐えてきたのだ。少女は決意を新たにすると、山の中へと姿を消した——。
解説
皆さんは旅の剣士の冲南と「たぬ茶屋」の若女将ひまりから、「たぬ茶屋」開店の知らせを受け、シャルガネまで赴きました。ひまりを手伝うもよし、客として訪れるもよし、思い思いにお過ごしください!
■できること
【1】ひまりを手伝う(厨房)
力仕事は冲南が担当していますが、多くの調理作業はひまりがおこなっています。ひまりを手伝ってあげてください!
【2】ミヨを手伝う(接客)
出来た料理を運んだり、鍋から取り分けたりするのはミヨが請け負っていますが、なにぶん立ち座りが多いと膝に負担が……! 従業員の三角巾や前掛けは、臙脂色、群青色、若草色、山吹色、桜色の5色展開。お好きな色をお選びください。
【3】客としてくつろぐ
せっかくの開店祝い、お客としてくつろぎたいという方も歓迎です。たぬきたちと一緒にごろごろしたり、縁側で桜を眺めたり、菓子や茶を楽しんだり。たぬき顔の座布団でごろ寝も可能。ごゆるりとお過ごしください。
他、【1】〜【3】以外の行動も可能です。
■たぬ茶屋おしながき
▶︎いーといん
たぬ団子 :たぬきの顔と葉っぱの焼き印が入ったお団子。それぞれ、こし餡と白餡が詰められています。
たぬ饅頭 :たぬきの顔と葉っぱの焼き印が入ったお饅頭。それぞれ、こし餡と白餡が詰められています。
練り切り :たぬきの顔を模した練り切りです。
ヘンゲおはぎ:練り切りで尻尾をつけたおはぎ。桜の葉っぱが乗っています。
たぬ昆布茶 :茶釜で沸かした昆布茶です。
▶︎ていくあうと
たぬ握り弁当:薬味と揚げ玉をめんつゆで味付けして白米と一緒に握りこんだおにぎりと、漬物のお弁当です。
▶︎そのた
たぬ茶屋手帳:来店履歴を記録する手帳。たぬきたちが文字通り手ずから印を押してくれます。
■NPC
ミヨ :かわいいおばあちゃん。たぬきの末っ子が膝の上に乗っている。囲炉裏端で客をもてなしています。
ひまり:ミヨの曾孫。6歳。冲南に懐いている。かわいい。今回は若女将としてお団子作りに精を出しています。
冲南 :眼鏡をかけた優男風の流浪の剣士。27歳。力仕事の他は、庵の周辺を見回っています。
長兄たぬき(トルイ):魔獣兄弟の長兄。特異個体。人語を喋ることはできないが、人の文化を彼なりに理解します。庵でごろごろ。
弟妹たぬき(上からオラル、アルタルン、クドゥカ、テムル):魔獣兄弟の弟妹たち。ふつうの魔獣です。モフい。庵でごろごろ。
マスターより
初めましての方は初めまして。こんにちは、炙りとろ左門です。
寒くなってきたな〜おこたに囲炉裏にお雑煮〜と考えていたらできあがったシナリオの続きです。
古民家を修繕して茶屋にしよう計画が無事成功し、ついにひまりがお茶屋さんデビュー! これも皆様のおかげです!
OP最後にやや不穏なシーンがありますが、事件は起きませんのでご安心ください。
字数ギリギリで特記が書ききれなかった……!
■特記
プレイングで指定しなければ、モブ含むNPCの描写は最低限か、登場しません。
字数の都合でNPCとのやりとりがカットされる場合もございます。ご了承ください。
マスターページは参照しなくても問題ありませんが、上記の他、描写やマスタリングに関する項目があります。
それでは皆様のご参加&プレイング、お待ちしております!
リプレイ
「ひまりさん、ミヨさん! 開店おめでとうございます!」
エルナ・クルプファルツはコハクとエデル=マグノリアと一緒に、開店初日のたぬ茶屋を訪れた。冲南に「厨は任せて行っておいで」と言われたひまりが、嬉しそうな表情でミヨと共に3人を出迎える。
「おねえちゃんたち、ありがとう……いらっしゃいませ!」
たぬ茶屋にはすでに客が入っている。盛況、というべきだろう。
「あのね、おねえちゃんたちが考えてくれた『おしながき』、とってもよろこんでもらえてるの」
「『おしながき』を?」
ひまりの言葉に首を傾げたコハク。それに、エルナは微笑んで頷く。
「実はここのメニューには私とエデルさんが考えたものもあるのです!」
「なんと。じゃあそれも全部食べる」
そしてコハクは目を輝かせてエデルを振り返った。それにエデルは微笑み返すと、2人に席に着くよう促す。
「さあ、ゆっくりさせてもらいましょう」
これまで関わってきた手前、店の様子が気になっていた。庭先で花見をしながらくつろいでいる人々もあり、皆一様に穏やかな表情をしていた。
「素敵ね」
なんだかこちらも嬉しくなるというのは、不思議なものだ。
「お食事が届くまで少し時間がかかりますから、お茶でもどうぞ」
囲炉裏端に腰を下ろした3人に、ミヨが昆布茶を用意する。たぬき型の昆布が浮かぶそれに、コハクはほうと目を丸くした。
「ふああ……染み渡る昆布の味、ほっとします」
「ええ、本当に」
エルナとエデルもまた、昆布茶をひとくち。コハクも昆布茶を飲みながら、品書きの端から端までを注文していた。それを見たエルナははっと手を打つ。
「さすがに全部を用意するのは大変でしょうか……? ちょっと手伝ってきますね!」
たぬ茶屋の前掛けを受け取り、厨房に立つエルナ。それを確認したコハクがううっと咽び泣くように声を上げる。
「エプロンエルナママ……!!!」
「エプロンエルナママ……???」
家族のことになると限界になりがちなコハクであった。エデルが首を傾げるも、コハクはエルナの後ろ姿に悶えるばかりである。
ほどなくして、エルナが盆に人数分の品を乗せて、往復すること数回。コハクの前に『ていくあうと品』を除くたぬ茶屋全品が並べられた。
「じゅる」
もう止まらない、止められない。ぱんと両手を胸の前で合わせ、シャルガネ式の食前の挨拶を済ませる。
「いただきますなの」
コハクが最初に手を伸ばしたのは、エルナ考案のヘンゲおはぎ。
「しかも今日は私の手作りです!」
「尊い」
えへんと胸を張るエルナを、コハクは拝むようにする。そうしておはぎを半分に割り、ひとくち。丁寧に漉された餡で包まれる、軽く潰した蒸し米の粗い歯触りの対比。しかも大好きなエルナママの手作りとなれば美味しさも倍増というものである。
「エルナ様の渾身の作だものね。すごくおいしい」
エデルもひとくちの間に昆布茶を挟んで新鮮な甘味を都度楽しむ。茶との相性がとても良い。
「ふふ! エデルさんの茶釜パワーのおかげです。それに……」
エルナは茶屋全体を見回し、ミヨに微笑みかける。
「何より、皆さんと一緒に食べているからかなって」
エデルはふと、庭先の桜に視線を移した。
たとえこの桜が散っても、また別の花が人々を楽しませてくれるだろう——少女の挑戦は、はじまったばかりなのだ。
おや、と海神・江流は目を瞬いた。
(エルナさんにエデルさんに、あとコハクが居る)
様子を窺う限り、皆何かしらの形でこの店に縁があるらしい。故郷に立ち寄りがてら偶然見かけた茶屋で知り合いの姿を見るとは。江流はたぬ団子と昆布茶を注文しつつ、丸座布団の上に腰を下ろした。
「あ、コハクの全メニュー制覇が済んでからで良いですよ」
『端から端までぜんぶ!』はコハクの代名詞でもある。今回も遺憾なく発揮しているらしい。
そうして昆布茶片手にくつろぐこと少し、ファンシーなたぬきの顔の焼き印が入った団子が運ばれてくる。なるほど、客層に若い女性が多いわけだ。
「ん、おいしい」
味も悪くない。この茶菓子のおいしさに景観も加わるとなれば、多少シャルガネから歩くとしても通い続ける客も多いだろう。
シャルガネに帰る家はなくなってしまった。だが、行きつけの店くらいは作っておくのもいいかもしれない。
行方のわからない両親のことを思いつつ、木漏れ日を落とす桜木を見上げる。
パンクリアース学園も新学期、江流も進級を果たした。目的のために、一層邁進しなくてはならない。
「よし、新学期も頑張らないと——え、持ち帰りにたぬ握り弁当がおすすめ? うわこれ絶対美味いやつ」
学園寮への帰路は長い。江流は弁当の購入も決めつつ、旅程を確認した。
ロベリアは賑わうたぬ茶屋を見回して、ほうと息をついた。
「ボクのお店というわけではないのに、こうして形になると感慨深いものだね」
そしてふふっと笑い声を忍ばせる。
「居心地も、料理の美味しさも魔女のお墨付き。商売繁盛待ったなしだろうねえ! その分、厨は何やら忙しそうだが——」
ちらりと厨の方を見遣ったロベリアの後ろで、スフィカがはっと顔色を変える。
「……ボクが厨房に入ると、可愛いスフィカ君が困ってしまいそうだからね。今回はお客としてお邪魔させてもらおう」
ロベリアの台詞に、スフィカはほっと胸を撫で下ろす。ロベリアが厨房に入ろうものならこの身を犠牲にしてでも止めるつもりでいた。また緑色に輝く謎のどろっとしたスープ(?)が出来上がってしまってはことだ。
「寒いと囲炉裏最高って気分だったけど、こうして暖かくなると、縁側もいいね。桜がきれー」
スフィカとロベリアは『お品書き』を片手に縁側から桜を眺める。春風にあおられひらひらと舞い散る桜の花が、えも云われぬ美しさだ。
「そういえば、ロベリアさん達の植えた花や野菜も育ってるかなー?」
「ん、見てみよう」
春の日差しを受けて我も我もと咲き誇る花々は、いずれも鮮やかに滴を受けている。どうやら少し前に誰かが水やりをしたらしい。庭の畑には新しい苗が植わっていた。
「ちょうど春の野菜を植える時期だったか。うんうん、井戸の調子も悪くないようだね」
ロベリアは試しに水を一杯汲んで、井戸の機構をチェックする。すると水を求めてか、たぬ魔獣達が桶の前に並んだ。
「おや、喉が渇いているのかい? どうぞ」
「もふもふたちも元気そうでよかったー」
たぬ茶屋は和やかな雰囲気に包まれている。若女将の幼さに驚き、年老いたミヨを見て事情を察する客も多い。ひまりのことを気にかけてくれる大人達も、これで確実に増えただろう。
「さて、ボクたちも何か食べよう。目標はメニュー全制覇だ! シャルガネの酒が欲しいが、それは土産品と一緒に夜楽しむとしよう」
「ふふ、甘味三昧だねえ」
暖かな日差しの元に甘味を堪能した後は、たぬ茶屋手帳にあしあとひとつ、ふたつ。それらを、大切に鞄にしまった。
ウスターシュ・ド・バティーニュは、群青色の前掛けを結んだ。ウスターシュがたぬ茶屋を訪れた理由はひとつ、春の日和に新装開店とあらば向かう他なし、シャルガネの菓子も一度味わってみたかった、ついでに美しい女性と出会えたら——しかしどうやら従業員がとても少ない。しかも老婦人が接客のために頻繁に立ったり座ったり。これはいけない、とミヨを座らせ、代わりに給仕を申し出た。
「お客様、ご注文はお決まりですか?」
ウスターシュが声をかけたのは、アルシエラ・ライゼルとサイラスだ。2人とも狼を連れているため、店内を闊歩するたぬ魔獣たちの存在と相まってモフ密度が高い。
「たぬはなぜたぬなのか」
アルシエラは末っ子たぬきを抱きながら、骨が抜けたように畳の上に寝そべってくつろいでいる。
「もふみ」
「うん」
ご注文はまだお決まりではないらしい。ウスターシュは曖昧に頷いた後、サイラスに向き直る。
「狼でも食えるものあればそれと、あと甘いもの一通り」
このリザードマン、甘いものが好きらしい。ウスターシュは品書きを確認しつつ、伝票に書き込む。
「ではこれでよろしければ、お持ちしますね」
「頼むわー」
サイラスの声には若干の疲労が滲んでいる。仕事周りのあれこれから解放されての休暇、甘いものでも補給しなければやってられないのである。幸いこなした仕事の分、金はある。
「ごろごろ〜」
アルシエラとたぬ魔獣たちが転がりついでに体にぶつかっても気にしない。それほど勢いがあるわけではないし、サイラスの相棒の大福も一緒になってごろごろしているからだ。
「この世界に……希望はある……?」
その時、アルシエラがなんか言い出した。のどかな雰囲気に突然差し込まれるしりあすな空気。
「こうして、たくさんの笑顔に囲まれて……ミヨは嬉しいですよ」
「あ、真面目に答えるんやね」
これは自分も何か回答すべきなのだろうか。サイラスが考えているうちに、しかしアルシエラはやたら納得オーラを出し、庭先の風景を眺め良い感じに締めようとしている。まだお品届いてないよ。
「お待たせしました、可愛らしいお嬢さん」
「あれ、注文したの俺では?」
奢ったつもりはない。が、サイラスのは注文とは別に伝票が届いていた。会計が分かれているならまあいいや。
ウスターシュがサイラスとアルシエラの前にそれぞれ甘味の載った盆を置く。アルシエラには何やらサービスらしい、小さなおはぎがついている。
「おはぎ!」
ぴょんとアルシエラが体を起こした。「自分のは?」と目を輝かせる大福に、ウスターシュはペット用に冲南が用意したくず餅を差し出す。
「黒蜜はかけてあげられないけれど……」
「わふっ」
大福は喜んでくず餅をぱくつく。
「ああ、わざわざ作ってくれたのかね。ありがとさん」
「『材料が余っていたのでお気になさらず』、と」
「……ちなみにまだ材料余ってる?」
黒蜜きなこのくず餅を想像したサイラスは、さりげなく聞いてみる。
「じー」
そしてアルシエラもおはぎの皿を空にし、昆布茶を飲み干したところでウスターシュを見つめた。
「わかりました。聞いてみますね」
ウスターシュはのんびり答え、立ち上がる——甘味で繋がる縁というのも、悪くはない。
だわは依頼の帰り、偶然にもたぬ茶屋の賑わいに目を留めた。
(今日開店した店なのか……)
初々しい雰囲気につられ、だわは庵へ続く門をくぐった。そのだわを出迎える弟妹たぬきたち。皆一様に色違いのスカーフを身につけ、頭の上には木の葉が乗っている。どういうバランスなのか、ひっついているのかと思うほど安定感のある頭上の木の葉、にじみでる「ただのたぬきじゃない」感。
「……魔獣。魔獣が店を……そういうこともあるんだな」
ハーフビーストでもなさそうである。となると、魔獣と呼ばれる類のものになるのだろう。
が、この小さなたぬきたちからは敵意を感じない。加えて、人馴れしている。だわはあまり動物に好かれない方なのだが、このたぬ魔獣たちはそうではないらしい。だわを「ひまりのお客さん」と認識すると、足元に群がって庵の中へとぐいぐい押し込んでいく。
「わ、わかった。行く」
店の前の『お品書き』には美味しそうなメニューが書き連ねてあった。だわは『いーといん』を選択し、たぬ饅頭とたぬ昆布茶を買うと縁側へと腰を下ろした。すかさず、ひときわ懐っこそうなたぬ魔獣が足の間にちょんと座ってくる。
(まさか、魔獣とくつろぐ日が来ようとは……)
膝の上の温もりと、日差しの暖かさ、そして甘味。だわは思わず口元を緩め、ほっと息をついた。
桜色と若葉色の合模様を描く着物に、山吹色の帯。煌めく髪に桜の簪を挿して、ゲルダ・クラインは控えめに佇んでいた。それにナハティガル=ラーが声をかける。
「ゲルダも、シャルガネの着物を着てきたんだな」
そういうナハティガルもまた、松葉色の着流しに白練の羽織というシャルガネ風の装いである。春の景色に映えるふたりに気づいた人々が、眩しいものを見るように目を細めていた。
「……春らしい色合いで、似合っている」
素直に気持ちを伝えると、ゲルダははっと視線を横に逃した後、おずおずとナハティガルを見上げ、はにかんだ。
「ありがとうございます。ナハティガル様も、とてもお似合いです」
どちらともなく歩き出し、ふたりは注文の品を受け取ると、縁側に腰掛けた。たぬ団子にたぬ昆布茶。たぬきをモチーフに取り入れたそれらの品からは、この庵に住まうたぬきたちへの愛情が感じられる。
「やさしい味……」
緊張していたゲルダだったが、餡の甘味にほっと息をつく。丁寧に漉された餡のなめらかな舌触りに、ナハティガルもゲルダの言葉を首肯した。
「昆布茶を合わせることで、口の中がすっきりするな。そしてまた甘い餡を味わう……なるほど」
味音痴なりに感想を述べるナハティガル。それからぽつりぽつりと、言葉を交わす。
「ゲルダとは、甘味ばかり食っている気がするな」
「そう——」
でしょうか、と続けようとして、ゲルダはナハティガルの口元に浮かぶ笑みに気づいた。その視線が庭先の桜を見つめているのだと気付けば、ゲルダも同じく桜を見上げた。
「……平和、ですね」
目を閉じれば、柔らかな春風が吹き抜けていくのを感じる。
この関係が続いたら良い、そう思いつつも、それが叶わないであろうことをゲルダは予感していた。もしかすると、そう思いたいだけなのかもしれないが。
ナハティガルのことになると、心地よさと同時に不安を覚えずにはいられない。だが——
「来年も、この桜を見たいものだな……」
その不安を払拭してくれるのも、またナハティガルの言葉なのだ。
不思議だ、と思う。ゲルダは目を開き、舞い散る桜の花びらを見つめる。
叶うなら——お互い、それを胸中に秘めたまま。
シャルロット・エクレールとフリューリングスルフト=ティエラ、そしてエイル・ビュセファスの3人もまた、たぬ茶屋を訪れていた。
「開店、おめでとうさぁ♪」
「ありがとう、フリューおねえちゃん!」
フリューから花束を受け取ったひまりは、花が咲くような笑顔を浮かべる。人の流れが落ち着いたらしく、厨から出てきた冲南が花束を預かる。
「わざわざこんなに綺麗な花を……ありがとうございます」
「せっかくの門出やもん♪」
ひまりやトルイ達の努力は確かなものだと、伝えたかった。そこへ、フリューの匂いを感じ取ったらしいトルイがのそのそと店先に出てくる。
「トルイ! ここからが踏ん張りどころさぁ。頑張れお兄ちゃん」
撫でくりまわされつつも、トルイは抵抗せず受け入れる。モッファと毛が広がったところで、シャルロットは弁当とヘンゲおはぎを『ていくあうと』で注文した。そしてその時、ひまりにそっと耳打ちする。
(フリューの誕生日祝いでもあって。お祝いの練り切りをひとつ多く頼める?)
(! うん!)
ひまりはぐっと小さく拳を作って気合いを入れる。そしてしばらくして、いーといん菓子を詰めた重箱の上に人数分のお弁当を乗せて戻ってきた。
「来てくれてありがとう。ゆっくりしていってください!」
ひまりに見送られ、3人は付近に咲く山桜の木の下に茣蓙を敷く。エイルはふと庵の方を振り返った。
「あまり儲けにはならなそうだな……まぁ、生活する分には十分じゃねえか?」
冒険者達のおかげで庵は改修され、客足が極端に細くならない限りは生活できるだろう。エイルの興味はそこで薄れ、重箱を開けるフリューとシャルロットに向き直る。
「ん、それなんだ?」
「これはねー、シャルガネの茶道具!」
シャルロットが取り出したのは、野点の茶道具。シャルガネの作法に則り居住まいを正す2人を真似て、エイルも茣蓙の上で正座する。通りがかりの旅人達がなんだなんだと尋ねれば、シャルロットは近くの茶屋の品だと宣伝した。
おいしいものを食べて笑う。これ以上の宣伝方法はないだろう。エイルは「よくやる」と感心しつつ、たぬ団子を咀嚼した。
「おいしいのはほんとうやもんね〜。はい、シャル! あ〜ん♪」
フリューはヘンゲおはぎを半分に切り分けると、片方をシャルロットの口元に持っていく。シャルロットはそれを美味しそうに頬張り、抹茶の苦味とおはぎの甘味を交互に楽しんだ。
「そうそう、エイル! うち誕生日きたから……お祝いに頭撫でて!」
「あ? 誕生日?」
ふんすとなぜか得意げに胸を張るフリューのお願いに、エイルはもぐもぐと団子を飲み込む。
「儲け話を持ってきたら撫でてやる」
「もう、エイルったら……ほらフリュー、お祝いの練り切りだよ〜」
「わぁ!」
秘密で作ってもらった特製の練り切りは、紅白の花をあしらったものだ。目を輝かせるフリューの反応に、エイルはとくに祝いの品がないために、少し考えた後フリューの頭をわしわしと乱雑に撫でた。
「エイル……! ありがとうさぁ♪」
「別に。俺だけ何もないのも、な」
「エイルも食べる? あーん——」
シャルロットがエイルにヘンゲおはぎを勧めるが、エイルは「自分で食うからいらねえ……!」と拒否する。
しかし、賑々しい時間を過ごしていると、ふと実家の家族を思い出して——エイルは広げたたぬ握り弁当を見下ろした。
「たくあんいただきっ」
「あっ」
フリューが目にも止まらぬ疾さで、おにぎりに添えられたたくあんを一枚奪っていった。
「ふふーん。うち、白い風が憧れやったけど……これからは! 鮮烈に緋く、何よりも疾い風になるさぁ!」
「ほーう。それは俺に対する宣戦布告だと……?」
いつもなら、自分なりに解釈したり軽く流すエイルだったが。
「その疾さで儲け話を持って来いっ、すぐにっ」
「きゃー!」
楽しげな笑い声が、空に高く抜けていく——。
「たぬきがいるお茶屋さん?」
シャルガネの街中でそのような噂を聞いたルルト・アーキスは、好奇心をくすぐられた。
「タマさん、行ってみようよ♪」
タマさんと呼ばれた黒猫——足先と尻尾の先だけ白い。靴下を履いたみたいだ——は、にゃあと鳴いた。ルルトはタマを抱え上げると、意気揚々とたぬ茶屋へと向かう。
「ふむ、良い陽気だ……」
ベルク・オスマットは膝の上にたぬ魔獣を1匹乗せて、甘やかしていた。そこへ、1匹の猫が近づいてきた。
「んん?」
まるで靴下を履いたような猫。誰かの飼い猫だろうかと顔を上げれば、ルルトが慌てた様子で現れた。しかし猫は気に留めた様子もなく、ベルクの膝の上のたぬきの匂いをふんふんと嗅ぐ。
「も〜タマさん、いくら注文が長いからって置いていかないで……あ、たぬきだ」
「うむ、たぬきである」
ルルトがもこもこの正体に気づくと、ベルクは鷹揚に頷く。
「わあ。本当にたぬきがいる! かわいいなあ」
と、そこへルルトが頼んだ品が届いた。たぬ団子とヘンゲおはぎ、そして昆布茶である。
「こっちもかわいい! 食べるのが勿体無いんだよ」
そしてベルクに向き直ると、その隣を指差した。
「ボクたちも一緒に、いい?」
ベルクは頷き、日当たりの良い場所を譲る。たぬ魔獣とタマが揃ってあくびをして丸くなるのを見て、ルルトははにかんだ。
「ふふ……お日様ぽかぽかだねぇ……」
柔らかな陽光に目を細め、ルルトは団子を頬張る。餡の滑らかさと甘さがたまらない。
「この猫はタマというのか」
「そう! あ、ボクはね、ルルトだよ」
「我はベルクだ」
ベルクの手が優しくタマの頭を撫でる。ルルトも断りを入れて、たぬきの頭をそっと撫でた。
「たぬきがいるお茶屋さんって聞いて、来たんだ。1匹だけかと思ったら、いっぱいいてびっくりしたよ」
「きょうだいらしいな。まあ、奇妙な縁もあったものだ」
人と魔獣の縁。それは、一瞬で崩れてしまうものかもしれないけれど。だけどせめて、このひとときは——。
「また来たいな」
ルルトは本心からそう零した。友への土産は、饅頭にしよう。
テテリカは『たぬ茶屋手帳』に捺された印をまじまじと見つめた。目の前ではドヤ顔で脚を突き出しているたぬ魔獣がおり、ミヨがその朱墨のついた脚を拭いてあげていた。
「これは、愛らしい……撫でても?」
テテリカがすっと手をかざすと、別のたぬ魔獣が滑り込んできた。どうやら人に撫でてもらうのが好きな個体らしい。テテリカはほっこりとした気持ちでたぬ魔獣を撫でる。もこもこふわふわだ。
「あれ、テテリカじゃないか?」
たぬ魔獣の毛並みを堪能しているテテリカに声をかけたのは、ギャメルだ。その手にはたぬ団子と昆布茶の載った盆がある。
「たぬき、まんまるくて癒されるよな。福々しい……っていうのかな、商売繁盛にご利益ありそうだよな!」
テテリカからすれば、ギャメルは依頼での顔見知り程度の存在だ。一方ギャメルは、テテリカのことを以前から気にかけていた。同じゴブリンということはもちろん、テテリカはどこか神秘的な雰囲気を纏っていたから。
「なあ、ちょっと話さないか? 縁側から桜が見られるんだ」
「かまわない」
テテリカも練り切りと昆布茶を注文し、ギャメルと並んで縁側に腰掛ける。
「シャルガネ風の料理は食べ慣れてはいないんだが……随分と凝っているな」
菓子ひとつとっても、繊細な技術が用いられている。たぬ団子に捺された焼き印や、たぬきの顔を模した練り切り。これをひとつひとつ厨で丁寧に作っているというのだから驚きだ。
ギャメルもテテリカの感想に頷きつつ、団子を頬張る。
「団子の、このもちっとした感じも、ゴールディとかじゃあんまり経験できない食感だよな」
もしかしたら似たようなものがあるかもしれないが。テテリカも練り切りを切り分け、滑らかな舌触りと甘味を堪能する。
「ああ。文化の違いも楽しみたいな」
「文化の違いかあ。服の色や柄に特徴が出てる気がするぜ。ほら、ここの店員さんの制服も綺麗な色だよな」
ギャメルは忙しなく給仕して回る者達の服装を見やる。柔らかに、それでいて鮮やかに染め抜かれた臙脂色、群青色、若草色、山吹色、桜色。眩しすぎず、暗すぎない絶妙な色彩感覚だ。
「あとこれは、文化じゃねえけど……ゴールディからよその国に行くと、気温差が地味にツラい」
「それはあるな。俺にとってもシャルガネは……(観光地の魅力的な意味で)強敵だ」
それ以上に良い街だ、とテテリカは付け足す。
そのまま、ふたりは『ゴブリン冒険者あるある話』に花を咲かせる。故郷を遠く離れても、その先で出会えた同郷の者との会話は、時間を忘れるほどに楽しいものだった。
ローザリカ・L・ディオールは、従妹であるミレイユ・ヴェルジーのことを殊の外可愛がっている。前を歩くふたりが世間話に花を咲かせるのを、ジュスト・ヴェルジーは据わった目で見つめていた。
「お兄様とお姉様が関わったというシャルガネのお店……ぜひ行きたいと思っていたので、ご一緒させていただけて嬉しいのですわ。でも、その……私、お邪魔ではありませんこと?」
「まさか! 君を邪魔だと思うことなどあり得ない。むしろ今日は、ミレイユと花を愛でるために来たんだから」
(いや、ミレイユとロゼが楽しそうなのは結構。大いに結構なんだが——)
「……彼の方は、どうやら別の花を1人で見に行ったようでね? 香りが映るほど楽しんできたようだから、構うことはないだろう」
(あ、あたりが、つよい……!)
ちらりとこちらを振り返るローザリカもまたどこか目が据わっているような。
兄に誓ってもいい、娼館でも後ろめたいことはしていない。引き攣った笑みでどうにか表情を取り繕おうとするジュストを見かねてか、ミレイユはジュストの方へ歩を進めると、そっと耳打ちした。
「お兄様、お姉様に悪いことをなさったのなら、ちゃんとしませんと。軽率に謝るのではなく、誠意ある行動で示すのが立派な殿方でしてよ」
「謝るようなことは何もして……」
いや、まあ、現にこのように機嫌を損ねているのだ。ジュストは咳払いで誤魔化しつつ、わかったと小さく答えた。
古民家の敷居を跨げば、ミレイユはゆっくりと視線を巡らせた。貴族令嬢としてはしたなくない振る舞いを心がけることができているのはさすがだ。とはいえ好奇心は抑えられていない。品書きに目移りし、散々悩んだ挙句に皆でヘンゲおはぎと練り切りを頼んで縁側へ。春風によって運ばれてくる花の香りがかぐわしい。
「とても良い店になったね」
「ああ、花壇の花も見——ってああ! こら! よくもまあ愛らしい造形にそうも躊躇いなく!」
えっとジュストは顔を上げた。たぬきの顔を模した練り切りの真ん中に黒文字を入れたままのポーズで、ぷいと自分の皿を遠ざけるローザリカを見やる。
「……お兄様?」
ミレイユも笑顔のままジュストを見ている。顔に「可愛らしくて切るのが忍びないですわ」と書いてある。
「いやあの、しかし、ひとくちでともいかないだろう。というかロゼ、俺が君の皿に手を出すとでも……?」
「わからないじゃないか」
ローザリカの視線が刺々しい。失った信用は思ったよりも大きいようだ。へこんだ。
「わかった、わかった。誠意を見せよう。ちょうど、今日はふたりに贈り物をするつもりだったんだ。……ご機嫌取りじゃなくてね? 前から依頼していた品なんだから」
一度皿を置くと、ジュストは鞄の中から四角い箱を取り出した。ローザリカの髪色に合わせ、真紅のリボンで彩られたそれを差し出す。
「桜と薔薇の香水。進級祝いだよ」
「お兄様……!」
なぜかミレイユの方から感極まった声が飛んでくる。おかしいな、妹から自分は果たしてどんな兄に見えているのか。
「あ、あり、がとう」
ローザリカは慣れた風にそれを受け取るかと思いきや、予想外にもぎこちなく礼を述べた。
「——ミレイユにもある。入学祝いだよ、フリージアと鈴蘭の香水だ」
ミレイユが妙な勘ぐりをしないよう、ジュストは畳み掛けた。ローザリカもはっとしてミレイユを振り返る。
「そう、入学おめでとう、ミレイユ。僕からも贈り物があるんだ」
「まあ! お姉様からも?」
ローザリカからの贈り物の中身は、シトリンのペンダントだ。
「お祝い、ありがとうございます。お兄様とお姉様との時間が増え、ミレイユは嬉しく思います」
「それは僕も同じだ。君の行先に幸多きことを」
ミレイユはローザリカの態度への違和感をすっかり忘れたらしい。ジュストはすかさず、台詞を決める。
「庭の桜も見事だけど、君たちに勝る花はないよ」
「……まあ、機嫌は直してあげようじゃないか」
そして、ローザリカはミレイユが贈り物の箱を開けている隙にジュストを振り返り、口だけ動かした。
『ありがとう』
シルヴィア・A・カペルは、膝の上に集まってきたたぬ魔獣達を優しく撫でた。先ほどまで庭先で遊び回っていたのだが、どうやら疲れてしまったらしい。陽光と人肌の温もりが心地良いらしく、ゆらゆらと尻尾が揺れている。
「ふふ……桜も綺麗だし、たぬ饅頭もおいしいし、たぬきたちはふわふわで……」
何か一曲、かれらきょうだいのために披露しようかと思ったが、起こしてしまうかもしれないと思えば、軽く弦を弾くにとどめた。子守唄、というやつだ。
ふと、恋人がシャルガネの菓子に興味を持っていたことを思い出す。確か、饅頭が一番好きだとか。ふと皿の上の饅頭を見つめ、観察する。
「……やっぱり、見るだけじゃ分からないな。ここは素直に、ひまり達に教えを乞おうか」
彼の好きなものを振る舞いたい。どんな顔をしてくれるのかと考えるだけで、笑みが溢れた。
ひらり、ひらり、はらり。
眼前に舞う桜の花びらを、シルヴィアは手を伸ばして捕まえる。
こうして枝から落ちてきた桜の花びらを捕まえることができたら、願い事が叶うのだという。
「私の願いは、いつだってひとつ……」
春空を映したような青い瞳が、愛おしげに細められた。
エルナ・クルプファルツはコハクとエデル=マグノリアと一緒に、開店初日のたぬ茶屋を訪れた。冲南に「厨は任せて行っておいで」と言われたひまりが、嬉しそうな表情でミヨと共に3人を出迎える。
「おねえちゃんたち、ありがとう……いらっしゃいませ!」
たぬ茶屋にはすでに客が入っている。盛況、というべきだろう。
「あのね、おねえちゃんたちが考えてくれた『おしながき』、とってもよろこんでもらえてるの」
「『おしながき』を?」
ひまりの言葉に首を傾げたコハク。それに、エルナは微笑んで頷く。
「実はここのメニューには私とエデルさんが考えたものもあるのです!」
「なんと。じゃあそれも全部食べる」
そしてコハクは目を輝かせてエデルを振り返った。それにエデルは微笑み返すと、2人に席に着くよう促す。
「さあ、ゆっくりさせてもらいましょう」
これまで関わってきた手前、店の様子が気になっていた。庭先で花見をしながらくつろいでいる人々もあり、皆一様に穏やかな表情をしていた。
「素敵ね」
なんだかこちらも嬉しくなるというのは、不思議なものだ。
「お食事が届くまで少し時間がかかりますから、お茶でもどうぞ」
囲炉裏端に腰を下ろした3人に、ミヨが昆布茶を用意する。たぬき型の昆布が浮かぶそれに、コハクはほうと目を丸くした。
「ふああ……染み渡る昆布の味、ほっとします」
「ええ、本当に」
エルナとエデルもまた、昆布茶をひとくち。コハクも昆布茶を飲みながら、品書きの端から端までを注文していた。それを見たエルナははっと手を打つ。
「さすがに全部を用意するのは大変でしょうか……? ちょっと手伝ってきますね!」
たぬ茶屋の前掛けを受け取り、厨房に立つエルナ。それを確認したコハクがううっと咽び泣くように声を上げる。
「エプロンエルナママ……!!!」
「エプロンエルナママ……???」
家族のことになると限界になりがちなコハクであった。エデルが首を傾げるも、コハクはエルナの後ろ姿に悶えるばかりである。
ほどなくして、エルナが盆に人数分の品を乗せて、往復すること数回。コハクの前に『ていくあうと品』を除くたぬ茶屋全品が並べられた。
「じゅる」
もう止まらない、止められない。ぱんと両手を胸の前で合わせ、シャルガネ式の食前の挨拶を済ませる。
「いただきますなの」
コハクが最初に手を伸ばしたのは、エルナ考案のヘンゲおはぎ。
「しかも今日は私の手作りです!」
「尊い」
えへんと胸を張るエルナを、コハクは拝むようにする。そうしておはぎを半分に割り、ひとくち。丁寧に漉された餡で包まれる、軽く潰した蒸し米の粗い歯触りの対比。しかも大好きなエルナママの手作りとなれば美味しさも倍増というものである。
「エルナ様の渾身の作だものね。すごくおいしい」
エデルもひとくちの間に昆布茶を挟んで新鮮な甘味を都度楽しむ。茶との相性がとても良い。
「ふふ! エデルさんの茶釜パワーのおかげです。それに……」
エルナは茶屋全体を見回し、ミヨに微笑みかける。
「何より、皆さんと一緒に食べているからかなって」
エデルはふと、庭先の桜に視線を移した。
たとえこの桜が散っても、また別の花が人々を楽しませてくれるだろう——少女の挑戦は、はじまったばかりなのだ。
おや、と海神・江流は目を瞬いた。
(エルナさんにエデルさんに、あとコハクが居る)
様子を窺う限り、皆何かしらの形でこの店に縁があるらしい。故郷に立ち寄りがてら偶然見かけた茶屋で知り合いの姿を見るとは。江流はたぬ団子と昆布茶を注文しつつ、丸座布団の上に腰を下ろした。
「あ、コハクの全メニュー制覇が済んでからで良いですよ」
『端から端までぜんぶ!』はコハクの代名詞でもある。今回も遺憾なく発揮しているらしい。
そうして昆布茶片手にくつろぐこと少し、ファンシーなたぬきの顔の焼き印が入った団子が運ばれてくる。なるほど、客層に若い女性が多いわけだ。
「ん、おいしい」
味も悪くない。この茶菓子のおいしさに景観も加わるとなれば、多少シャルガネから歩くとしても通い続ける客も多いだろう。
シャルガネに帰る家はなくなってしまった。だが、行きつけの店くらいは作っておくのもいいかもしれない。
行方のわからない両親のことを思いつつ、木漏れ日を落とす桜木を見上げる。
パンクリアース学園も新学期、江流も進級を果たした。目的のために、一層邁進しなくてはならない。
「よし、新学期も頑張らないと——え、持ち帰りにたぬ握り弁当がおすすめ? うわこれ絶対美味いやつ」
学園寮への帰路は長い。江流は弁当の購入も決めつつ、旅程を確認した。
ロベリアは賑わうたぬ茶屋を見回して、ほうと息をついた。
「ボクのお店というわけではないのに、こうして形になると感慨深いものだね」
そしてふふっと笑い声を忍ばせる。
「居心地も、料理の美味しさも魔女のお墨付き。商売繁盛待ったなしだろうねえ! その分、厨は何やら忙しそうだが——」
ちらりと厨の方を見遣ったロベリアの後ろで、スフィカがはっと顔色を変える。
「……ボクが厨房に入ると、可愛いスフィカ君が困ってしまいそうだからね。今回はお客としてお邪魔させてもらおう」
ロベリアの台詞に、スフィカはほっと胸を撫で下ろす。ロベリアが厨房に入ろうものならこの身を犠牲にしてでも止めるつもりでいた。また緑色に輝く謎のどろっとしたスープ(?)が出来上がってしまってはことだ。
「寒いと囲炉裏最高って気分だったけど、こうして暖かくなると、縁側もいいね。桜がきれー」
スフィカとロベリアは『お品書き』を片手に縁側から桜を眺める。春風にあおられひらひらと舞い散る桜の花が、えも云われぬ美しさだ。
「そういえば、ロベリアさん達の植えた花や野菜も育ってるかなー?」
「ん、見てみよう」
春の日差しを受けて我も我もと咲き誇る花々は、いずれも鮮やかに滴を受けている。どうやら少し前に誰かが水やりをしたらしい。庭の畑には新しい苗が植わっていた。
「ちょうど春の野菜を植える時期だったか。うんうん、井戸の調子も悪くないようだね」
ロベリアは試しに水を一杯汲んで、井戸の機構をチェックする。すると水を求めてか、たぬ魔獣達が桶の前に並んだ。
「おや、喉が渇いているのかい? どうぞ」
「もふもふたちも元気そうでよかったー」
たぬ茶屋は和やかな雰囲気に包まれている。若女将の幼さに驚き、年老いたミヨを見て事情を察する客も多い。ひまりのことを気にかけてくれる大人達も、これで確実に増えただろう。
「さて、ボクたちも何か食べよう。目標はメニュー全制覇だ! シャルガネの酒が欲しいが、それは土産品と一緒に夜楽しむとしよう」
「ふふ、甘味三昧だねえ」
暖かな日差しの元に甘味を堪能した後は、たぬ茶屋手帳にあしあとひとつ、ふたつ。それらを、大切に鞄にしまった。
ウスターシュ・ド・バティーニュは、群青色の前掛けを結んだ。ウスターシュがたぬ茶屋を訪れた理由はひとつ、春の日和に新装開店とあらば向かう他なし、シャルガネの菓子も一度味わってみたかった、ついでに美しい女性と出会えたら——しかしどうやら従業員がとても少ない。しかも老婦人が接客のために頻繁に立ったり座ったり。これはいけない、とミヨを座らせ、代わりに給仕を申し出た。
「お客様、ご注文はお決まりですか?」
ウスターシュが声をかけたのは、アルシエラ・ライゼルとサイラスだ。2人とも狼を連れているため、店内を闊歩するたぬ魔獣たちの存在と相まってモフ密度が高い。
「たぬはなぜたぬなのか」
アルシエラは末っ子たぬきを抱きながら、骨が抜けたように畳の上に寝そべってくつろいでいる。
「もふみ」
「うん」
ご注文はまだお決まりではないらしい。ウスターシュは曖昧に頷いた後、サイラスに向き直る。
「狼でも食えるものあればそれと、あと甘いもの一通り」
このリザードマン、甘いものが好きらしい。ウスターシュは品書きを確認しつつ、伝票に書き込む。
「ではこれでよろしければ、お持ちしますね」
「頼むわー」
サイラスの声には若干の疲労が滲んでいる。仕事周りのあれこれから解放されての休暇、甘いものでも補給しなければやってられないのである。幸いこなした仕事の分、金はある。
「ごろごろ〜」
アルシエラとたぬ魔獣たちが転がりついでに体にぶつかっても気にしない。それほど勢いがあるわけではないし、サイラスの相棒の大福も一緒になってごろごろしているからだ。
「この世界に……希望はある……?」
その時、アルシエラがなんか言い出した。のどかな雰囲気に突然差し込まれるしりあすな空気。
「こうして、たくさんの笑顔に囲まれて……ミヨは嬉しいですよ」
「あ、真面目に答えるんやね」
これは自分も何か回答すべきなのだろうか。サイラスが考えているうちに、しかしアルシエラはやたら納得オーラを出し、庭先の風景を眺め良い感じに締めようとしている。まだお品届いてないよ。
「お待たせしました、可愛らしいお嬢さん」
「あれ、注文したの俺では?」
奢ったつもりはない。が、サイラスのは注文とは別に伝票が届いていた。会計が分かれているならまあいいや。
ウスターシュがサイラスとアルシエラの前にそれぞれ甘味の載った盆を置く。アルシエラには何やらサービスらしい、小さなおはぎがついている。
「おはぎ!」
ぴょんとアルシエラが体を起こした。「自分のは?」と目を輝かせる大福に、ウスターシュはペット用に冲南が用意したくず餅を差し出す。
「黒蜜はかけてあげられないけれど……」
「わふっ」
大福は喜んでくず餅をぱくつく。
「ああ、わざわざ作ってくれたのかね。ありがとさん」
「『材料が余っていたのでお気になさらず』、と」
「……ちなみにまだ材料余ってる?」
黒蜜きなこのくず餅を想像したサイラスは、さりげなく聞いてみる。
「じー」
そしてアルシエラもおはぎの皿を空にし、昆布茶を飲み干したところでウスターシュを見つめた。
「わかりました。聞いてみますね」
ウスターシュはのんびり答え、立ち上がる——甘味で繋がる縁というのも、悪くはない。
だわは依頼の帰り、偶然にもたぬ茶屋の賑わいに目を留めた。
(今日開店した店なのか……)
初々しい雰囲気につられ、だわは庵へ続く門をくぐった。そのだわを出迎える弟妹たぬきたち。皆一様に色違いのスカーフを身につけ、頭の上には木の葉が乗っている。どういうバランスなのか、ひっついているのかと思うほど安定感のある頭上の木の葉、にじみでる「ただのたぬきじゃない」感。
「……魔獣。魔獣が店を……そういうこともあるんだな」
ハーフビーストでもなさそうである。となると、魔獣と呼ばれる類のものになるのだろう。
が、この小さなたぬきたちからは敵意を感じない。加えて、人馴れしている。だわはあまり動物に好かれない方なのだが、このたぬ魔獣たちはそうではないらしい。だわを「ひまりのお客さん」と認識すると、足元に群がって庵の中へとぐいぐい押し込んでいく。
「わ、わかった。行く」
店の前の『お品書き』には美味しそうなメニューが書き連ねてあった。だわは『いーといん』を選択し、たぬ饅頭とたぬ昆布茶を買うと縁側へと腰を下ろした。すかさず、ひときわ懐っこそうなたぬ魔獣が足の間にちょんと座ってくる。
(まさか、魔獣とくつろぐ日が来ようとは……)
膝の上の温もりと、日差しの暖かさ、そして甘味。だわは思わず口元を緩め、ほっと息をついた。
桜色と若葉色の合模様を描く着物に、山吹色の帯。煌めく髪に桜の簪を挿して、ゲルダ・クラインは控えめに佇んでいた。それにナハティガル=ラーが声をかける。
「ゲルダも、シャルガネの着物を着てきたんだな」
そういうナハティガルもまた、松葉色の着流しに白練の羽織というシャルガネ風の装いである。春の景色に映えるふたりに気づいた人々が、眩しいものを見るように目を細めていた。
「……春らしい色合いで、似合っている」
素直に気持ちを伝えると、ゲルダははっと視線を横に逃した後、おずおずとナハティガルを見上げ、はにかんだ。
「ありがとうございます。ナハティガル様も、とてもお似合いです」
どちらともなく歩き出し、ふたりは注文の品を受け取ると、縁側に腰掛けた。たぬ団子にたぬ昆布茶。たぬきをモチーフに取り入れたそれらの品からは、この庵に住まうたぬきたちへの愛情が感じられる。
「やさしい味……」
緊張していたゲルダだったが、餡の甘味にほっと息をつく。丁寧に漉された餡のなめらかな舌触りに、ナハティガルもゲルダの言葉を首肯した。
「昆布茶を合わせることで、口の中がすっきりするな。そしてまた甘い餡を味わう……なるほど」
味音痴なりに感想を述べるナハティガル。それからぽつりぽつりと、言葉を交わす。
「ゲルダとは、甘味ばかり食っている気がするな」
「そう——」
でしょうか、と続けようとして、ゲルダはナハティガルの口元に浮かぶ笑みに気づいた。その視線が庭先の桜を見つめているのだと気付けば、ゲルダも同じく桜を見上げた。
「……平和、ですね」
目を閉じれば、柔らかな春風が吹き抜けていくのを感じる。
この関係が続いたら良い、そう思いつつも、それが叶わないであろうことをゲルダは予感していた。もしかすると、そう思いたいだけなのかもしれないが。
ナハティガルのことになると、心地よさと同時に不安を覚えずにはいられない。だが——
「来年も、この桜を見たいものだな……」
その不安を払拭してくれるのも、またナハティガルの言葉なのだ。
不思議だ、と思う。ゲルダは目を開き、舞い散る桜の花びらを見つめる。
叶うなら——お互い、それを胸中に秘めたまま。
シャルロット・エクレールとフリューリングスルフト=ティエラ、そしてエイル・ビュセファスの3人もまた、たぬ茶屋を訪れていた。
「開店、おめでとうさぁ♪」
「ありがとう、フリューおねえちゃん!」
フリューから花束を受け取ったひまりは、花が咲くような笑顔を浮かべる。人の流れが落ち着いたらしく、厨から出てきた冲南が花束を預かる。
「わざわざこんなに綺麗な花を……ありがとうございます」
「せっかくの門出やもん♪」
ひまりやトルイ達の努力は確かなものだと、伝えたかった。そこへ、フリューの匂いを感じ取ったらしいトルイがのそのそと店先に出てくる。
「トルイ! ここからが踏ん張りどころさぁ。頑張れお兄ちゃん」
撫でくりまわされつつも、トルイは抵抗せず受け入れる。モッファと毛が広がったところで、シャルロットは弁当とヘンゲおはぎを『ていくあうと』で注文した。そしてその時、ひまりにそっと耳打ちする。
(フリューの誕生日祝いでもあって。お祝いの練り切りをひとつ多く頼める?)
(! うん!)
ひまりはぐっと小さく拳を作って気合いを入れる。そしてしばらくして、いーといん菓子を詰めた重箱の上に人数分のお弁当を乗せて戻ってきた。
「来てくれてありがとう。ゆっくりしていってください!」
ひまりに見送られ、3人は付近に咲く山桜の木の下に茣蓙を敷く。エイルはふと庵の方を振り返った。
「あまり儲けにはならなそうだな……まぁ、生活する分には十分じゃねえか?」
冒険者達のおかげで庵は改修され、客足が極端に細くならない限りは生活できるだろう。エイルの興味はそこで薄れ、重箱を開けるフリューとシャルロットに向き直る。
「ん、それなんだ?」
「これはねー、シャルガネの茶道具!」
シャルロットが取り出したのは、野点の茶道具。シャルガネの作法に則り居住まいを正す2人を真似て、エイルも茣蓙の上で正座する。通りがかりの旅人達がなんだなんだと尋ねれば、シャルロットは近くの茶屋の品だと宣伝した。
おいしいものを食べて笑う。これ以上の宣伝方法はないだろう。エイルは「よくやる」と感心しつつ、たぬ団子を咀嚼した。
「おいしいのはほんとうやもんね〜。はい、シャル! あ〜ん♪」
フリューはヘンゲおはぎを半分に切り分けると、片方をシャルロットの口元に持っていく。シャルロットはそれを美味しそうに頬張り、抹茶の苦味とおはぎの甘味を交互に楽しんだ。
「そうそう、エイル! うち誕生日きたから……お祝いに頭撫でて!」
「あ? 誕生日?」
ふんすとなぜか得意げに胸を張るフリューのお願いに、エイルはもぐもぐと団子を飲み込む。
「儲け話を持ってきたら撫でてやる」
「もう、エイルったら……ほらフリュー、お祝いの練り切りだよ〜」
「わぁ!」
秘密で作ってもらった特製の練り切りは、紅白の花をあしらったものだ。目を輝かせるフリューの反応に、エイルはとくに祝いの品がないために、少し考えた後フリューの頭をわしわしと乱雑に撫でた。
「エイル……! ありがとうさぁ♪」
「別に。俺だけ何もないのも、な」
「エイルも食べる? あーん——」
シャルロットがエイルにヘンゲおはぎを勧めるが、エイルは「自分で食うからいらねえ……!」と拒否する。
しかし、賑々しい時間を過ごしていると、ふと実家の家族を思い出して——エイルは広げたたぬ握り弁当を見下ろした。
「たくあんいただきっ」
「あっ」
フリューが目にも止まらぬ疾さで、おにぎりに添えられたたくあんを一枚奪っていった。
「ふふーん。うち、白い風が憧れやったけど……これからは! 鮮烈に緋く、何よりも疾い風になるさぁ!」
「ほーう。それは俺に対する宣戦布告だと……?」
いつもなら、自分なりに解釈したり軽く流すエイルだったが。
「その疾さで儲け話を持って来いっ、すぐにっ」
「きゃー!」
楽しげな笑い声が、空に高く抜けていく——。
「たぬきがいるお茶屋さん?」
シャルガネの街中でそのような噂を聞いたルルト・アーキスは、好奇心をくすぐられた。
「タマさん、行ってみようよ♪」
タマさんと呼ばれた黒猫——足先と尻尾の先だけ白い。靴下を履いたみたいだ——は、にゃあと鳴いた。ルルトはタマを抱え上げると、意気揚々とたぬ茶屋へと向かう。
「ふむ、良い陽気だ……」
ベルク・オスマットは膝の上にたぬ魔獣を1匹乗せて、甘やかしていた。そこへ、1匹の猫が近づいてきた。
「んん?」
まるで靴下を履いたような猫。誰かの飼い猫だろうかと顔を上げれば、ルルトが慌てた様子で現れた。しかし猫は気に留めた様子もなく、ベルクの膝の上のたぬきの匂いをふんふんと嗅ぐ。
「も〜タマさん、いくら注文が長いからって置いていかないで……あ、たぬきだ」
「うむ、たぬきである」
ルルトがもこもこの正体に気づくと、ベルクは鷹揚に頷く。
「わあ。本当にたぬきがいる! かわいいなあ」
と、そこへルルトが頼んだ品が届いた。たぬ団子とヘンゲおはぎ、そして昆布茶である。
「こっちもかわいい! 食べるのが勿体無いんだよ」
そしてベルクに向き直ると、その隣を指差した。
「ボクたちも一緒に、いい?」
ベルクは頷き、日当たりの良い場所を譲る。たぬ魔獣とタマが揃ってあくびをして丸くなるのを見て、ルルトははにかんだ。
「ふふ……お日様ぽかぽかだねぇ……」
柔らかな陽光に目を細め、ルルトは団子を頬張る。餡の滑らかさと甘さがたまらない。
「この猫はタマというのか」
「そう! あ、ボクはね、ルルトだよ」
「我はベルクだ」
ベルクの手が優しくタマの頭を撫でる。ルルトも断りを入れて、たぬきの頭をそっと撫でた。
「たぬきがいるお茶屋さんって聞いて、来たんだ。1匹だけかと思ったら、いっぱいいてびっくりしたよ」
「きょうだいらしいな。まあ、奇妙な縁もあったものだ」
人と魔獣の縁。それは、一瞬で崩れてしまうものかもしれないけれど。だけどせめて、このひとときは——。
「また来たいな」
ルルトは本心からそう零した。友への土産は、饅頭にしよう。
テテリカは『たぬ茶屋手帳』に捺された印をまじまじと見つめた。目の前ではドヤ顔で脚を突き出しているたぬ魔獣がおり、ミヨがその朱墨のついた脚を拭いてあげていた。
「これは、愛らしい……撫でても?」
テテリカがすっと手をかざすと、別のたぬ魔獣が滑り込んできた。どうやら人に撫でてもらうのが好きな個体らしい。テテリカはほっこりとした気持ちでたぬ魔獣を撫でる。もこもこふわふわだ。
「あれ、テテリカじゃないか?」
たぬ魔獣の毛並みを堪能しているテテリカに声をかけたのは、ギャメルだ。その手にはたぬ団子と昆布茶の載った盆がある。
「たぬき、まんまるくて癒されるよな。福々しい……っていうのかな、商売繁盛にご利益ありそうだよな!」
テテリカからすれば、ギャメルは依頼での顔見知り程度の存在だ。一方ギャメルは、テテリカのことを以前から気にかけていた。同じゴブリンということはもちろん、テテリカはどこか神秘的な雰囲気を纏っていたから。
「なあ、ちょっと話さないか? 縁側から桜が見られるんだ」
「かまわない」
テテリカも練り切りと昆布茶を注文し、ギャメルと並んで縁側に腰掛ける。
「シャルガネ風の料理は食べ慣れてはいないんだが……随分と凝っているな」
菓子ひとつとっても、繊細な技術が用いられている。たぬ団子に捺された焼き印や、たぬきの顔を模した練り切り。これをひとつひとつ厨で丁寧に作っているというのだから驚きだ。
ギャメルもテテリカの感想に頷きつつ、団子を頬張る。
「団子の、このもちっとした感じも、ゴールディとかじゃあんまり経験できない食感だよな」
もしかしたら似たようなものがあるかもしれないが。テテリカも練り切りを切り分け、滑らかな舌触りと甘味を堪能する。
「ああ。文化の違いも楽しみたいな」
「文化の違いかあ。服の色や柄に特徴が出てる気がするぜ。ほら、ここの店員さんの制服も綺麗な色だよな」
ギャメルは忙しなく給仕して回る者達の服装を見やる。柔らかに、それでいて鮮やかに染め抜かれた臙脂色、群青色、若草色、山吹色、桜色。眩しすぎず、暗すぎない絶妙な色彩感覚だ。
「あとこれは、文化じゃねえけど……ゴールディからよその国に行くと、気温差が地味にツラい」
「それはあるな。俺にとってもシャルガネは……(観光地の魅力的な意味で)強敵だ」
それ以上に良い街だ、とテテリカは付け足す。
そのまま、ふたりは『ゴブリン冒険者あるある話』に花を咲かせる。故郷を遠く離れても、その先で出会えた同郷の者との会話は、時間を忘れるほどに楽しいものだった。
ローザリカ・L・ディオールは、従妹であるミレイユ・ヴェルジーのことを殊の外可愛がっている。前を歩くふたりが世間話に花を咲かせるのを、ジュスト・ヴェルジーは据わった目で見つめていた。
「お兄様とお姉様が関わったというシャルガネのお店……ぜひ行きたいと思っていたので、ご一緒させていただけて嬉しいのですわ。でも、その……私、お邪魔ではありませんこと?」
「まさか! 君を邪魔だと思うことなどあり得ない。むしろ今日は、ミレイユと花を愛でるために来たんだから」
(いや、ミレイユとロゼが楽しそうなのは結構。大いに結構なんだが——)
「……彼の方は、どうやら別の花を1人で見に行ったようでね? 香りが映るほど楽しんできたようだから、構うことはないだろう」
(あ、あたりが、つよい……!)
ちらりとこちらを振り返るローザリカもまたどこか目が据わっているような。
兄に誓ってもいい、娼館でも後ろめたいことはしていない。引き攣った笑みでどうにか表情を取り繕おうとするジュストを見かねてか、ミレイユはジュストの方へ歩を進めると、そっと耳打ちした。
「お兄様、お姉様に悪いことをなさったのなら、ちゃんとしませんと。軽率に謝るのではなく、誠意ある行動で示すのが立派な殿方でしてよ」
「謝るようなことは何もして……」
いや、まあ、現にこのように機嫌を損ねているのだ。ジュストは咳払いで誤魔化しつつ、わかったと小さく答えた。
古民家の敷居を跨げば、ミレイユはゆっくりと視線を巡らせた。貴族令嬢としてはしたなくない振る舞いを心がけることができているのはさすがだ。とはいえ好奇心は抑えられていない。品書きに目移りし、散々悩んだ挙句に皆でヘンゲおはぎと練り切りを頼んで縁側へ。春風によって運ばれてくる花の香りがかぐわしい。
「とても良い店になったね」
「ああ、花壇の花も見——ってああ! こら! よくもまあ愛らしい造形にそうも躊躇いなく!」
えっとジュストは顔を上げた。たぬきの顔を模した練り切りの真ん中に黒文字を入れたままのポーズで、ぷいと自分の皿を遠ざけるローザリカを見やる。
「……お兄様?」
ミレイユも笑顔のままジュストを見ている。顔に「可愛らしくて切るのが忍びないですわ」と書いてある。
「いやあの、しかし、ひとくちでともいかないだろう。というかロゼ、俺が君の皿に手を出すとでも……?」
「わからないじゃないか」
ローザリカの視線が刺々しい。失った信用は思ったよりも大きいようだ。へこんだ。
「わかった、わかった。誠意を見せよう。ちょうど、今日はふたりに贈り物をするつもりだったんだ。……ご機嫌取りじゃなくてね? 前から依頼していた品なんだから」
一度皿を置くと、ジュストは鞄の中から四角い箱を取り出した。ローザリカの髪色に合わせ、真紅のリボンで彩られたそれを差し出す。
「桜と薔薇の香水。進級祝いだよ」
「お兄様……!」
なぜかミレイユの方から感極まった声が飛んでくる。おかしいな、妹から自分は果たしてどんな兄に見えているのか。
「あ、あり、がとう」
ローザリカは慣れた風にそれを受け取るかと思いきや、予想外にもぎこちなく礼を述べた。
「——ミレイユにもある。入学祝いだよ、フリージアと鈴蘭の香水だ」
ミレイユが妙な勘ぐりをしないよう、ジュストは畳み掛けた。ローザリカもはっとしてミレイユを振り返る。
「そう、入学おめでとう、ミレイユ。僕からも贈り物があるんだ」
「まあ! お姉様からも?」
ローザリカからの贈り物の中身は、シトリンのペンダントだ。
「お祝い、ありがとうございます。お兄様とお姉様との時間が増え、ミレイユは嬉しく思います」
「それは僕も同じだ。君の行先に幸多きことを」
ミレイユはローザリカの態度への違和感をすっかり忘れたらしい。ジュストはすかさず、台詞を決める。
「庭の桜も見事だけど、君たちに勝る花はないよ」
「……まあ、機嫌は直してあげようじゃないか」
そして、ローザリカはミレイユが贈り物の箱を開けている隙にジュストを振り返り、口だけ動かした。
『ありがとう』
シルヴィア・A・カペルは、膝の上に集まってきたたぬ魔獣達を優しく撫でた。先ほどまで庭先で遊び回っていたのだが、どうやら疲れてしまったらしい。陽光と人肌の温もりが心地良いらしく、ゆらゆらと尻尾が揺れている。
「ふふ……桜も綺麗だし、たぬ饅頭もおいしいし、たぬきたちはふわふわで……」
何か一曲、かれらきょうだいのために披露しようかと思ったが、起こしてしまうかもしれないと思えば、軽く弦を弾くにとどめた。子守唄、というやつだ。
ふと、恋人がシャルガネの菓子に興味を持っていたことを思い出す。確か、饅頭が一番好きだとか。ふと皿の上の饅頭を見つめ、観察する。
「……やっぱり、見るだけじゃ分からないな。ここは素直に、ひまり達に教えを乞おうか」
彼の好きなものを振る舞いたい。どんな顔をしてくれるのかと考えるだけで、笑みが溢れた。
ひらり、ひらり、はらり。
眼前に舞う桜の花びらを、シルヴィアは手を伸ばして捕まえる。
こうして枝から落ちてきた桜の花びらを捕まえることができたら、願い事が叶うのだという。
「私の願いは、いつだってひとつ……」
春空を映したような青い瞳が、愛おしげに細められた。
マスターコメント
お疲れ様でした! みなさま、お楽しみいただけましたでしょうか。
MSは終始お腹が空いていました。和菓子食べたい……。
たぬ茶屋も無事開店初日を乗り越えました。
しかしどうやらもう一悶着あるようで……?
それではまた、お会いしましょう〜!
イベントシナリオ普通 報酬:標準23 / 4〜25人
2022年04月15日 02時14分38秒 公開
大成功
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