政治討論部とある伯爵家の存廃
紀藤トキ
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シナリオID:2356
オープニング
●
その日、パンクリアース学園講師にして政治討論部の正顧問ヘルベルト・リヴァマスは珍しい客を迎えていた。リヴァマス老は魔術師の塔の住人であるが、数十年前に彼が隔離されるに至った政治的背景は帝国滅亡と共に霧散している。その意味では、届け出さえ出せば来客も、本人が出歩く事すらさして問題にならない現状ではあるのだが。
「久しぶりに来たけれど、学園は変わらないわね。まあ、あのダンスホールは建て替えられたみたいだけど?」
「いや、何でしれっと来ておるのかのう?」
リヴァマスが塔送りになったのと同じ事件……、「近衛騎士ミヒャエル・リヴァマスによる留学中の帝国高官子息の殺害」の結果、王妹キャサリンは継承権を剥奪の上で修道院へ送られている。当時の王国の情勢は「帝国高官の子息に王女が襲われた事による正当防衛」を主張できる状況では無かったのだが。
「ヘルベルト、貴方が認識できてないようだから言うけれどね。あの事件はもう綺麗さっぱり終わったのよ。私が表から王城に上がって兄に謁見できる位には、もう過去の話になったようね」
「……いや、それはそうじゃろうが」
「いいえ。分かってないようだから言うけれど、リヴァマス伯爵家についていた傷は綺麗さっぱり無くなって、今ではミヒャエルは廃絶を覚悟して王女を庇った忠義の騎士って事だわ。そして、貴方は唯一の継承者」
指をつきつけてくる、自分より2つ下の元王女にリヴァマス老は首を縦に振るしかない。わかっていないなあ、というようにキャサリンはため息を吐いた。
「つまり、貴方の養子の座を虎視眈々と狙っている連中が出てくるわ。この間、リヴァマス伯爵名義で部活動の後援をしたのも悪かったわね」
「……と、いうと?」
「あの部活の誰か。副顧問の侯爵五男以外にも、部員に男爵家や子爵家の子もいるのでしょう? そのうちの誰かが貴方のお眼鏡にかなったんじゃないかってもっぱらの噂よ」
「おぅ……」
絶対そこまでは考えていなかった顔でリヴァマス老は呻く。更には、旧リヴァマス伯爵領の問題もあるとキャサリンは数え立てた。旧リヴァマス伯爵領は、王領に召し上げられた上で現在はダンテ伯が治めている。事件を直接知るトマスの祖父は、おそらくリヴァマス伯爵の復権がなれば領地を返そうと思って預かったつもりだろう。しかし、歳月を経た今では風向きも変わっているやもしれない。
「トマス君は、その辺りを全然知らされていないようよ」
「若い者には関係なかろうしな。事件の後に生まれた今のダンテ伯とて、長年治めた領地は自分の物としたかろう」
「他人事っぽく言ってるけど、それならそれでそう言う話を一度すべきだわ。知ってる? 私の孤児院まで『ヘルベルト坊はいつ戻って来る』って聞きに来るお年寄りがいるのよ。私とヘルベルトが結婚して街のお城に住めばよいって思ってるみたい」
「なんと。いや、それは……」
「もうそんな年じゃないわよねえ、お互い」
いずれにせよ。領地について放棄するつもりならば、次期ダンテ伯であるトマスとも、一度その事を話した方が良いし、なんなら自領の老人たちにも伝えた方が良いとキャサリンは言う。
「そろそろあの子達も、お手伝いに孤児院に来てくれる時期でしょう? いい機会だと思うわよ。場は私が整えておくから」
「うぬぬ……。ダンテ伯へも連絡した方が良いかのう。返事が来たためしがないんじゃがな……」
用件を伝えるだけ伝えて、キャサリンは風の様に去り、後には悩めるリヴァマス老人が残るのみであった。
●
「リヴァマス老が、同行を要望している、と。いや、私の方で不満は無いが……」
今年も、孤児院への慰問に政治討論部の部員を誘おうかと思っていたトマスは、顧問のリヴァマス老からの希望に驚いてはいる。前回はトマスの側から誘った形だが、あの老人が自分から動くとは思っていなかった。リヴァマスの事は、家の名誉回復や復興の為に働こうとしない怠惰な老人だと思っていたのだが。
「それから、御父上からの書簡が届いていますよ」
「……父の? む。……リヴァマス伯爵が、ウチの領地の継承権を持っている、と? いや、一度は罪で剥奪されたが復権したので扱いは曖昧。将来の事ゆえどうするかはお前が決めろ……?」
祖父はヘルベルトに同情しすぎており、父はその祖父への反発が先に立つ。領地を持つはずもない法衣貴族のダンテ家がなぜ土地を治めているのか、生まれた時からそうであったがゆえに疑問を覚えた事は無かったが、言われてみれば事情には理解が及んだ。しかし、事情が分かるからと言って今まで蚊帳の外に置いていたくせに決断を迫る父や祖父にイラっとしない訳ではないのだが、それ以上に驚きが先に立つ。
「曽祖父と祖父の、法の裁きに関わる信念の相違の話は理解していたが。父はそのような理由で祖父と険悪になっていたのか。それに、御老とは一度話をしないといけないな」
「リヴァマス伯爵として目立てば、大御屋形様へ迷惑が掛かるとお思いだったのかもしれませんね」
トマスとしては、領地が欲しい訳ではない。生まれてから学園に入学するまで住んでいた街ゆえに愛着はあれど、その差配や収入に魅力を感じていたわけではないのだ。そもそも、王家に仕える官僚としての仕事と領地貴族の仕事を両立するのは難しい。祖父がダンテ伯の間は曽祖父が、父が継いでからは隠居した祖父が現地で取り仕切っているのもそのせいだ。どちらを取るかと問われれば、法衣貴族としての在り様を選びたい。
「ただ、あの老人の意志もあるだろう。50年続いた主家が変わるとなれば、ダンテ家に今仕えている者の身の振り方も考えねばならない。いや、それはリヴァマス家に戻れば良いだけかもしれないが……」
「とりあえず、調べる事からでしょう。まあ、領地の分割、権利の委譲や、場合によっては両伯爵家の先行きにも関わる事です。政治討論部の政治の部分にがっつり絡んでますから、もろもろ協力をお願いしても良いかと思いますよ」
「……秘匿せねばならないような段階ではない、か。御老の警護も考えよう。妙な事を考える輩がいないとも限らん」
「リヴァマス先生がいま亡くなれば……。ああ、なるほど……」
大陸に混乱を起こすのが目的の、テロ組織。メドゥの指先が暗躍しないとも限らない。例年通りの孤児院の慰問だと思っていたら、思ったよりも考える事が多い、とトマスは頭を抱えた。
『ダンテ伯爵家の孤児院への慰問への道中警護並びに同行を求む。
現地では仕事はないが、簡単な手伝い、古びた建物の修理などは歓迎される。
また、夕餉には近隣の街より有力者を招き、談話の機会がある。料理などの手伝いも歓迎する。
その席でヘルベルト・リヴァマス顧問がリヴァマス家の今後についてを説明する予定。
孤児院長キャサリンに拠れば、リヴァマス家の復権を望む高齢者、変化を望まないそれ以下と言った構成らしい。
問題が発生する際は、都度対応を求む。
これは政治討論部の部活動として学園に届け出ているが、部外の協力者も歓迎する。
政治討論部部長 トマス・ダンテ』
その日、パンクリアース学園講師にして政治討論部の正顧問ヘルベルト・リヴァマスは珍しい客を迎えていた。リヴァマス老は魔術師の塔の住人であるが、数十年前に彼が隔離されるに至った政治的背景は帝国滅亡と共に霧散している。その意味では、届け出さえ出せば来客も、本人が出歩く事すらさして問題にならない現状ではあるのだが。
「久しぶりに来たけれど、学園は変わらないわね。まあ、あのダンスホールは建て替えられたみたいだけど?」
「いや、何でしれっと来ておるのかのう?」
リヴァマスが塔送りになったのと同じ事件……、「近衛騎士ミヒャエル・リヴァマスによる留学中の帝国高官子息の殺害」の結果、王妹キャサリンは継承権を剥奪の上で修道院へ送られている。当時の王国の情勢は「帝国高官の子息に王女が襲われた事による正当防衛」を主張できる状況では無かったのだが。
「ヘルベルト、貴方が認識できてないようだから言うけれどね。あの事件はもう綺麗さっぱり終わったのよ。私が表から王城に上がって兄に謁見できる位には、もう過去の話になったようね」
「……いや、それはそうじゃろうが」
「いいえ。分かってないようだから言うけれど、リヴァマス伯爵家についていた傷は綺麗さっぱり無くなって、今ではミヒャエルは廃絶を覚悟して王女を庇った忠義の騎士って事だわ。そして、貴方は唯一の継承者」
指をつきつけてくる、自分より2つ下の元王女にリヴァマス老は首を縦に振るしかない。わかっていないなあ、というようにキャサリンはため息を吐いた。
「つまり、貴方の養子の座を虎視眈々と狙っている連中が出てくるわ。この間、リヴァマス伯爵名義で部活動の後援をしたのも悪かったわね」
「……と、いうと?」
「あの部活の誰か。副顧問の侯爵五男以外にも、部員に男爵家や子爵家の子もいるのでしょう? そのうちの誰かが貴方のお眼鏡にかなったんじゃないかってもっぱらの噂よ」
「おぅ……」
絶対そこまでは考えていなかった顔でリヴァマス老は呻く。更には、旧リヴァマス伯爵領の問題もあるとキャサリンは数え立てた。旧リヴァマス伯爵領は、王領に召し上げられた上で現在はダンテ伯が治めている。事件を直接知るトマスの祖父は、おそらくリヴァマス伯爵の復権がなれば領地を返そうと思って預かったつもりだろう。しかし、歳月を経た今では風向きも変わっているやもしれない。
「トマス君は、その辺りを全然知らされていないようよ」
「若い者には関係なかろうしな。事件の後に生まれた今のダンテ伯とて、長年治めた領地は自分の物としたかろう」
「他人事っぽく言ってるけど、それならそれでそう言う話を一度すべきだわ。知ってる? 私の孤児院まで『ヘルベルト坊はいつ戻って来る』って聞きに来るお年寄りがいるのよ。私とヘルベルトが結婚して街のお城に住めばよいって思ってるみたい」
「なんと。いや、それは……」
「もうそんな年じゃないわよねえ、お互い」
いずれにせよ。領地について放棄するつもりならば、次期ダンテ伯であるトマスとも、一度その事を話した方が良いし、なんなら自領の老人たちにも伝えた方が良いとキャサリンは言う。
「そろそろあの子達も、お手伝いに孤児院に来てくれる時期でしょう? いい機会だと思うわよ。場は私が整えておくから」
「うぬぬ……。ダンテ伯へも連絡した方が良いかのう。返事が来たためしがないんじゃがな……」
用件を伝えるだけ伝えて、キャサリンは風の様に去り、後には悩めるリヴァマス老人が残るのみであった。
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「リヴァマス老が、同行を要望している、と。いや、私の方で不満は無いが……」
今年も、孤児院への慰問に政治討論部の部員を誘おうかと思っていたトマスは、顧問のリヴァマス老からの希望に驚いてはいる。前回はトマスの側から誘った形だが、あの老人が自分から動くとは思っていなかった。リヴァマスの事は、家の名誉回復や復興の為に働こうとしない怠惰な老人だと思っていたのだが。
「それから、御父上からの書簡が届いていますよ」
「……父の? む。……リヴァマス伯爵が、ウチの領地の継承権を持っている、と? いや、一度は罪で剥奪されたが復権したので扱いは曖昧。将来の事ゆえどうするかはお前が決めろ……?」
祖父はヘルベルトに同情しすぎており、父はその祖父への反発が先に立つ。領地を持つはずもない法衣貴族のダンテ家がなぜ土地を治めているのか、生まれた時からそうであったがゆえに疑問を覚えた事は無かったが、言われてみれば事情には理解が及んだ。しかし、事情が分かるからと言って今まで蚊帳の外に置いていたくせに決断を迫る父や祖父にイラっとしない訳ではないのだが、それ以上に驚きが先に立つ。
「曽祖父と祖父の、法の裁きに関わる信念の相違の話は理解していたが。父はそのような理由で祖父と険悪になっていたのか。それに、御老とは一度話をしないといけないな」
「リヴァマス伯爵として目立てば、大御屋形様へ迷惑が掛かるとお思いだったのかもしれませんね」
トマスとしては、領地が欲しい訳ではない。生まれてから学園に入学するまで住んでいた街ゆえに愛着はあれど、その差配や収入に魅力を感じていたわけではないのだ。そもそも、王家に仕える官僚としての仕事と領地貴族の仕事を両立するのは難しい。祖父がダンテ伯の間は曽祖父が、父が継いでからは隠居した祖父が現地で取り仕切っているのもそのせいだ。どちらを取るかと問われれば、法衣貴族としての在り様を選びたい。
「ただ、あの老人の意志もあるだろう。50年続いた主家が変わるとなれば、ダンテ家に今仕えている者の身の振り方も考えねばならない。いや、それはリヴァマス家に戻れば良いだけかもしれないが……」
「とりあえず、調べる事からでしょう。まあ、領地の分割、権利の委譲や、場合によっては両伯爵家の先行きにも関わる事です。政治討論部の政治の部分にがっつり絡んでますから、もろもろ協力をお願いしても良いかと思いますよ」
「……秘匿せねばならないような段階ではない、か。御老の警護も考えよう。妙な事を考える輩がいないとも限らん」
「リヴァマス先生がいま亡くなれば……。ああ、なるほど……」
大陸に混乱を起こすのが目的の、テロ組織。メドゥの指先が暗躍しないとも限らない。例年通りの孤児院の慰問だと思っていたら、思ったよりも考える事が多い、とトマスは頭を抱えた。
『ダンテ伯爵家の孤児院への慰問への道中警護並びに同行を求む。
現地では仕事はないが、簡単な手伝い、古びた建物の修理などは歓迎される。
また、夕餉には近隣の街より有力者を招き、談話の機会がある。料理などの手伝いも歓迎する。
その席でヘルベルト・リヴァマス顧問がリヴァマス家の今後についてを説明する予定。
孤児院長キャサリンに拠れば、リヴァマス家の復権を望む高齢者、変化を望まないそれ以下と言った構成らしい。
問題が発生する際は、都度対応を求む。
これは政治討論部の部活動として学園に届け出ているが、部外の協力者も歓迎する。
政治討論部部長 トマス・ダンテ』
解説
リヴァマスお爺ちゃんの実家とトマス君の関係性の決着をつけるお話です。
決着がつかない場合はもう少しドタバタするかもしれません。
関連シナリオは『トマスと老人の遠い過去』『【聖祭】政治討論部と孤児院訪問』あたりですが読む必要は無いです。
●想定される内容
孤児院の手伝い
今年は厄介事が起きそうなので、孤児たちは修道士の引率の元、別の村に行っています。畜獣や農産物を売ってくるようです。
施設や建物の掃除や補修は今年も歓迎されるでしょう(が、あまり大きく手を掛ける時間はありません)。
夕餉の手伝い
招待客が多いのでキャサリン院長も含めて修道士はてんやわんやです。求む友軍。
夕餉と騒動
夕餉の席でリヴァマス老が領地放棄を述べていると、『リヴァマス伯爵家の遠縁のグエン・リヴァマス』が一部の領民の支持を受けて後継者として名乗り出ます。彼をつまみだすなり論破するなり応援するなりの対応があれば、その後の展開に影響します。
夜会話
なんか色々あったので、お話。PC同士でも良いですし、NPCに話しかけて貰っても良いです。
●関連情報
ダンテ家の領地や父、祖父などはこれまで名前を出していなかったのですが、無いとプレイング書きにくいかもしれないので掲示します。
ダンテ伯爵領
領都の街ラマスを中心に二つの町と幾つかの村を含む、王国中央東部の領地。事件までは王党派のリヴァマス伯爵家が代々治めていた。現在は法衣貴族のダンテ家が拝領している。
修道院
ダンテ伯爵領にある孤児院併設の修道院。50年前の事件で廃された王妹キャサリンが両方の院長を務めています。
特定の神の信者が集う訳では無く諸派混交で、キャサリンはドゥジン教徒です。
エリオット・ダンテ
トマスのお爺さん。50年前の事件でリヴァマス老が死罪に成りかけた時に学園で反対運動を起こした。そのせいで父と仲違いし、隠居に追い込んだために若くしてダンテ伯になって苦労した。
ダジル・ダンテ
トマスの父。50年前にはまだ生まれていなかった。過去の事件は不幸だが、ラマスを統治してきたのは自分達だという自負があり、リヴァマス家にいずれは返すべきという祖父とは険悪。
グエン・リヴァマス
今回の件をいち早く嗅ぎつけて駆けつけた、貴族派ターガン子爵家の三男。
リヴァマス伯爵家の凄く遠縁なのは事実ですが、ラマスを訪れたのはこれが初めてです。
マスターより
今回の件の関連NPCの立ち位置を記します。いつものトマス関連NPCの一覧は字数足りないので無しですが、シオン、カナン、タイコモは同行しています。
●NPCの立ち位置
リヴァマス老の意見
リヴァマス老はダンテ家と現在の領地の民の事を考え、自分の代での断絶をやむなしと考えています。
孤児院の夕餉で時間を貰い、リヴァマス家がラマスの支配者として戻る事は無い旨を古い領民へ伝えようと思っています。
ただ、家名存続を願う所が無い訳ではありません。
トマスの意見
トマスは色々と知らされた事実に困惑していますが、そう言う時こそ冷静になろうと自分を律しています。
領地が欲しいと言う訳では無いのですが、今からリヴァマス家に戻る際の混乱を想像すると現状維持が良いと思っています。
リヴァマス老の希望については、自分の想定とも合致する為に異は唱えません。
キャサリンの意見
自分を守って死んだミヒャエルの事もあり、歴史あるリヴァマス伯爵家が断絶する事は望んでいません。
50年前の当事者であり、廃されたとはいえ王家の者でもある自分が口を出せば影響が大きすぎる事を理解しています。
リプレイ
前回から期間が空いていない事もあり、孤児院に屋根や壁といった大きな補修はないらしい。聞けば修道院の側は後回しになっていたとの事で、ナキルは今回も屋根に上っていた。
「悪い、板あげて貰えるか?」
「はい。これで良いでしょうか?」
炊事場で下準備の手伝いを一段落させたエリカ・プレトリウスが、資材を回す手伝いをしてくれている。
「少し気分を変えておいで。鍋を見る位しかしばらく仕事は無いからね」
そう言われたエリカだが、別の場所で手伝いを始めたのであまり気分転換にはなっていないかもしれない。もう少しすればまた厨房が忙しくなるはずと聞き、できればエリカが手伝ってくれる間に屋根の修理は終えてしまいたいと、ナキルは気合を入れなおした。余裕のできた厨房の隅では、軽食を作ろうとしているトリオがいる。
「リヴァマス先生が話をすれば、夕食が騒ぎになりそうだからね。その前にトマスは何か軽くお腹に入れておくとよいと思うんだ」
渡すついでに、ティトリー=R=アルバートをトマスへ紹介もしたいとシルヴィア・A・カペルは言う。先日まで病の為に学園も休みがちだったティトリーは、最終学年の割に知人が少ない。短い間に貴族子女としての交友を広げておくのは必要な事ではあろう。
「トマスの好みは聞いてきた、けど。他の人にも食べて貰うものだから、参考程度にね」
「サンドイッチなら私も作れる。手伝おう」
「うん。切って挟むだけだけど、奥が深いよね」
トマスの側近に聞いてきたと言うルベア・ベルニと厨房の隅を借り、シルヴィアとティトリーも調理に加わる。ちなみに、トマスの好みは若者らしく肉であるそうな。特に聞くつもりもなかったが、タイコモは野菜、シオンとカナンは何でも良いと言いつつ卵が好きと言う情報も入手したので色々と作る。
「献立はもう全て決まっているだろうか?」
先ほどまで、エリカと共にシチュー用の野菜など下拵えを手伝っていたサマエラ=フォリウムがそう問う。街からの訪問客には普段のパンやシチューを出す他に、作り溜めていた保存食を水で戻して火にかける事を考えていたそうだ。今の仕事はシチュー鍋を見ている位で、次に忙しくなるのは配膳の前らしい。
「ならば、まとめて作れそうなものをもう一品位、用意したいところだが……」
孤児院側にも材料の余裕が無い。肉でも持ってきていれば庭で火をおこして焼くこともできたのだが、と荷物を覗いてみれば、鍋と一緒にチョコレートがポロリと出て来た。
「小麦粉はあるだろうか。何か食後のデザートでも作ろうかと思う」
来客の市民もきっと喜ぶことだろう。
●
「……と言う訳で、どう解決するのが最善か、皆の立ち位置からの忌憚のない意見を聞きたい」
「ふむ、我輩の家の事が実地の教材になるというのも面白い物じゃなあ」
貴族でない学生がいることは承知だとトマスは言い、同じく渦中のリヴァマス老は泰然と笑う。とはいえ、題材が題材名だけに、事前に参考意見を述べようと考えたのは貴族子弟の割合が高い。異種族かつ孤児であるコルネリウス・アーラには、家同士の難しい事は分からないのだが、交わされる会話に耳を傾ける。ナキルの手伝いを一段落させたエリカも、厨房で手が要るのはもう少し先と聞いてテーブルの隅に座っていた。
(家の廃絶、領地の処遇……。本物のエリカ様を失ったシュルトハイス家にとっては他人事ではないわ)
後援者の子爵は我が子の様に可愛がってくれても、あくまでもエリカは本物のエリカの代わりに過ぎないと、彼女自身が一線を引いている。それに、貴族の跡継ぎとして考えるのならば、エルフの身では代わりにすらなれないのは間違いない。恩人の為に、出来る事があるならば、と傾聴した。
「――もしかして。ボクもリヴァマス老の『養子候補』の1人だと疑われてる?」
「キャサリン様によれば、嫡男であっても例外ではないらしいのう。まあ、そう勘繰られるのも分からんでもないのじゃが」
新興男爵家の嫡男であるエルゼリオ・レイノーラが不思議そうな顔をするのに、リヴァマス老が苦笑を返す。極端な話、同格の伯爵や格上の侯爵ですら、別の伯爵家の跡継ぎに我が子を送り込めるのなら良しとする家は多かろう。しかし、現在では家臣団もないリヴァマス家に統治能力が無いのもまた事実。リヴァマス本人もそれを良く理解していた。混乱も予想できるだけに、老人としては領地は放棄したいらしい。
「先生の意思を尊重し、これまで通りダンテ家で統治が無難とは思う」
「意見を述べるなら、僕もこれまで通りに賛成かな」
ジュスト・ヴェルジー伯令息とローザリカ・L・ディオール伯令嬢が仲良くそう述べる。しかし、貴族の問題に口を挟む程の知識はないけれど、と断ってからゲルダ・クラインが懸念を述べた。
「ですが、トマス様のご実家は本来は領地を持たない法衣貴族……なのですよね。もしかして、立場上領地があると不都合も多いのでは?」
「うむ。それはある……と、思う」
腕組みしつつトマスが頷く。領地があれば、隣接する領主と付き合いや利害関係が生じるのは否めない。そういった関係が出来あがれば、ダンテ家側では職務上での便宜を図るつもりなどなくとも、相手が誤解する事はありえた。トマスの婚約を後回しにしている遠因でもある。ちょうどその時、相談に使っていた部屋へシルヴィアとルベアが入って来た。
「まあ、領地があればそこに執心も生まれるだろう。癒着を疑われる事もあるだろうね」
「サンドイッチを、持って来たわ。どうぞ」
「おお、それは良い。我輩も小腹が空いた。そろそろ休憩にせんかのう?」
2人に続き、そっとティトリーも入室してきた。良いタイミングだとリヴァマスが言い、一同はティーブレイクに入る。その間に、シルヴィアがティトリーをトマスへ引き合わせた。
「こちらはティトリー、私の友人です。トマスとは共通の友人として、この機会に交友を深めて欲しいと紹介させていただきました」
「丁寧な紹介、痛み入る。私はダンテ伯子トマス。どうぞよろしく頼みたい」
「アルバート家の三男、ティトリーです。こちらこそ、よろしくお願いします」
あまり出席しない『学園の幽霊』とはいえ同学年。顔は知っているので、あくまで『顔合わせを正式にした』と言うだけの儀礼的な物である。堅苦しい口調は挨拶だけで、あとの口調は普段通りでとなった。一服の後に、再びトマスの課題についての相談が始まる。王国や貴族に縁遠いルベアは、話に耳を傾ける事にした。
(こうしてみるとやっぱり生きてる世界がちょっと違うのよね……)
トマスも、先ほどまで一緒にサンドイッチを作っていたシルヴィアも。弁が立つ方で無いからか、黙っているティトリーもその目は真剣だ。しかし、ルベアにとって政治も貴族の矜持も自分の身に照らして考えるには縁が遠すぎる。
「ダンテ家が領地を持つことでの問題は癒着を疑われる事と、職務が多すぎる事か。しかし、領地経営の実績のある官僚と言う立場が得られる評価も、蔑ろにはしたくないね」
ルベアの視線の先にいたシルヴィアは、問題と共にそれがあることでのメリットも挙げてみせた。確かに、領地貴族の実情を知っておく事が、王家の官僚としての職務に生きる事もあるのかもしれない。
「問題が職務の分担ということであれば、うちは父が領地運営、祖父が王室護衛で分担しているけど。……いや、同じとはいかないか」
ジュストのヴェルジー家は本来の姿が領地貴族であり、隠居した祖父が個人として王家に仕えているという形で、ダンテ家とはちょうど逆になる。そもそも領地貴族の家から王家に仕える者が出るという事は、次男三男であれば特段珍しくはない。法衣貴族の家から領地を賜るものが出れば、本来は分家すれば良い所だ。いずれリヴァマス家に返したいというトマスの祖父の意向が今の歪な形を産んでいる。
「御祖父君の意向も汲むのならば、リヴァマス家との共同統治の形を取れれば良いのだろうね」
「僕も可能なら、それが良いと思う。……共同出資の商家であれば問題にならないのだけど」
ジュストとローザリカはそう口にしたが、領地の共同統治というのは法衣貴族が領地を持つ以上の絡め手だ。当主が幼くその家に摂政役に相応しい者もいない時に、寄り親貴族が名義を貸すくらいだろうか。領地支配の権利は義務と引き換えに王から賜るものであり、そこを連名で許してもらうのは法的な責任所在があいまいになる。法の担い手であるダンテ家がそこをうやむやにする訳にはいくまい。
「私は、今すぐは無理でも、ゆくゆくは領地はリヴァマス家に引き継いだ方が良いと思うんです」
「そうだね。今から先生が領地運営するのは酷だと思うから、その辺は代官を雇うか、いっそダンテ家に代官を務めて貰うのはどうかな?」
ゲルダは将来への展望をそう語り、エルゼリオは現在の対策を述べた。それなら領民も納得してくれるだろうという彼の言には一理ある。とはいえ、ダンテ家は王の家臣であり、リヴァマス家の代官になるのであれば職を辞さねばならない。どちらの立場も満たすのが難しい点は、共同統治と変わらない。
「家名には先人から続く歴史と誇りがある。何より忠義の家を無くすのは忍びないな。……とはいえ、後継者不在では難しい」
シルヴィアは現時点での最大の課題に言及した。直系男子のリヴァマス老に子はいない。まあ、男性なので今からでも若い奥方を迎えれば作れないとも限らないが、当人にその意思もなさそうだ。
「トマス様には弟君か、妹君はおられるのでしょうか?」
「む。弟がいる、が……」
レティシア・レインフィールの問いかけの含意を理解して、トマスは難しい顔をした。次男として、一応はトマスのスペアであるのだがまだ学園に通う年でもなく、暢気に過ごしているらしい。
「そういう事でしたら、リヴァマス家は先生が後見人となり、養子としてトマス様の弟君か妹君を迎えられるのが良いのではないでしょうか」
「そうだね。どこかのタイミングで適性をリヴァマス老とダンテ家で判断する必要はあるだろうけれど、将来の図としてはアリだと思う」
レティシアとシルヴィアは同じ意見に辿り着いたようだ。家名を残したいリヴァマス家としても、領地貴族と官僚の立ち位置であれば後者を取りたいダンテ家としても、落としどころとしては妥当だろうと2人は思う。もちろん、当事者3名、ならびに周囲の人々の意思次第ではあり、この場にトマスの弟はいない事を考えれば結論は出せないにせよ。
「いずれにせよ、伯はトマスに任せているんだ。次期ダンテ伯として自信を持って采配を振るうと良い」
シルヴィアがそう激励するのを聞いて、貴族の話から一歩引いていたコルネリウスも頷いた。
「未来がどのようになるのか、今の貴方がたくさん考えて、納得できる答えがあるのなら……、それがきっと最善です。もしもその答えが変革ならば、一歩踏み出してトマスさんの力で変えたら良いと、私は思います」
どのような道を選ぼうとも、応援するとコルネリウスは言う。その道を一つ選ぶのが難しそうだとトマスは苦笑した。ダンテ家として、領地差配を辞めるのか否か。辞めたとして、旧リヴァマス領に影響力を残すのか否か。幾つもの分かれ道を想定しては悩むトマスに、助言をくれる者はこんなにもいた。時代が変われども、学園には良き友人の輪があるものだとリヴァマス老が笑う。
「吾輩も、我が家も貴族の世界からは一度消えてなくなったようなものじゃからのう。どうなったとしても吾輩も兄も、他の先祖も恨みなどせぬよ。気負わずに行くと良い。何、少々失敗しても補ってくれるじゃろうよ。学友は一生の宝じゃからな」
「ん? 何だかわからないけど、頑張るならオレも応援してるぜ、先輩」
窓の外、荷物を抱えたナキルが聞こえた言葉にひょいと首を突っ込んで言う。タイミングの良い登場に笑いが漏れる中、考え込んでいるルベアにトマスが気づいた。
「そういえば、ルベア嬢の意見を聞いていなかったが。何か思う所はあるだろうか」
意見を請われたルベアは、貴族の事は分からないと断りを入れつつ、自分の中の言葉を発する。
「……私が何かを決めるのなら、自分に関わる人が1人でも多く、幸せになれる方が良いと思うわ」
それはその人自身も含めての事だと、ルベアは自分にも言い聞かせるように言う。この後どのような道を選ぶとしても、その言葉を忘れないようにしようとトマスも頷いた。
●
夕餉の時刻は、十数名の街の住人を迎えて行われた。
「お手伝いに参りました。ご指示頂ければ従います」
やって来たエリカには早速、シチュー番の役目が委ねられる。人数を鑑みてきちんとよそわないと足りなくなると大変な大役らしい。パンを添えて、広間へ運んでいくだけでも子供たちがおらず客人だけ増えた今日は大仕事だ、
「盛り付けと配膳だな。了解した。ああ、作ったデザートはそこに置いておくぞ」
「オレも手伝うぜ」
サマエラとナキルも手伝いに加わり、今日の会合について話を聞いた。来客の半数ほどが老人で、壮年と青年が残りを占める。ダンテ家に領主権が移って以後、リヴァマス家の復権を願う者が定期的にキャサリンの元へ陳情に訪れていたのだが、代替わりが進み以前に比べれば強硬ではなくなった、と言った所らしい。
「……と言う訳で、我輩自身は領主として今更戻るつもりは無いのじゃよ。今後のリヴァマス家をどうするかは、ダンテ家の次代を担うトマス君と相談するつもりじゃがのう」
広間では、先ほどまでの相談の内容も盛り込みつつリヴァマス老が一通りの説明をする。古老達は旧主の子に会えただけで感無量となっているようだが、その下の世代はそこまで感激した様子でもない。リヴァマスが着座するや、身なりの良い若者が勢いよく席を立った。
「異議あり、ですぞ!」
自分にはリヴァマス家の血が流れており、老人が家督を放棄するのなら縁も無いダンテ家に委ねるなど言語道断。自分がグエン・リヴァマスを名乗り跡を継ごうと青年はいう。
「ふむ。ターガン子爵家の三男というと、我輩の曽祖父の姉が嫁いでおったかのう」
老人がそう独り言のように言うと、ほぼ直感的で青年へ嫌悪感を向けていたルベアが首を傾げた。
「いかにもハイエナ、という感じがしたのだけど、違うのかしら」
「うーん。貴族派の子爵家三男って時点で野心が伺えるけど、血縁があるなら彼の主張にも正当性はあるんだよね」
エルゼリオが言うように、貴族社会であれば血統は重視される。だが、それは条件の一つであり、最終的には王家周辺に承認されるかどうかに帰結するのだ。
(……ふむ。治める側はもちろん、治められる側としての認識もあまり持てない身の上だったゆえ家とか、領地周りは……。学ぶことはできても、実感伴った意見などはなかなか、な)
配膳の途中だったサマエラは、ひとまず様子を伺う事にする。
「王党派の家の養子になる貴族派か。つまりリヴァマス家を貴族派に変えようという事かな?」
「む。……そちらの御令嬢は何者ですかな?」
声を掛けたシルヴィアをじろりと睨んでから、所作振舞にただの冒険者では無いと気付いたらしい。
「下らない輩の割り込みでせっかくの食事の邪魔をされて、僕は少々怒っているのだけどね?」
「まあ、少し待っていれば彼は退場すると思うよ。しないようなら俺も口を挟むけれど……」
「……君達は、ラマスの未来を語る事を無駄話と言うのかね? ここに集いしラマスの名士方の想いを何と考えるのか」
聞こえる様に言い募るローザリカとジュストを睨んだところで、向こうの卓でほほ笑むレティシアからの視線に口ごもった。
「そうまで仰るのであれば、領地となるラマスについて詳しい筈ですね? この土地の事を、幾つかお伺いしてもよろしいでしょうか」
「……む、私を試そうというのかね。まあ、いいだろう」
レティシアから、ラマスに訪れ、その地に愛着があれば分かりそうな簡単な事をトマスが幾つか尋ねる。街で人気の菓子は、といった庶民的な物から、主要な産物といった為政者からの視点のものまで。グエンはその全てに口ごもり、しかし隣の壮年の市民からの援護で回答していた。
「そ。それは……」
(小麦、あとは生産こそ少量ですが乳製品の質は評価が高いです)
「そう、ラマスは小麦と、乳製品が名産ですぞ」
その囁きの様子も周囲に丸見えなのだが、グエンに悪びれた様子はない。助言者も含めて自分の功績と言うのは貴族らしい思考だが、この場にいるラマスの市民達にはあまりよく映らなかったようだ。遠くの知らない相手より、ダンテ家の紹介の方が信用できるという声も聞こえる。
「そもそも、リヴァマス家を継承してグエンさんはどうしたいのかな?」
「知れた事でしょう。より良い暮らし、より良い立場。私の実家は子爵家ですが、寄り親を辿れば貴族派の主流です。ラマスは王都にも近く立地は悪くない。貴族派の商路に乗れば、領民にも今のような侘しい暮らしはさせませんぞ」
「ふむ。それはグエン……氏の、自分の野心では無いだろうか。リヴァマス家をどうするという視野はないように見えるが」
声を掛けつつ、さすがに呼び捨てはまずかろうと考えて敬称をつける。学園での社交教育の成果が出たと内心うなづくサマエラであったが、相手はそう考えなかったらしい。
「ゴ、ゴ、ゴブリン。少しばかり背が高いゴブリン如きが、私と同じ席につき、あまつさえ非難までしようというのですか?」
ちらちらと物言いをつけてくる、育ちの良さそうなヒューマンと違い、異種族。中でもゴブリンとあって、グエンは暴発した。よく見ればエルフやハーフリング、ハーフビーストまで同席しているのだが、偏狭な貴族としては自分に口を利いたことが許しがたいのだろう。
「不愉快ですぞ。リヴァマス老、ダンテ家のトマス。これがあなた達の手配とすれば、良識を疑いますとも。ここは偉大なるリーンエス王国なのですぞ?」
「……あら、そちらはどなたのお客様かしら。食事の場で他のお客様を悪しざまに罵るだなんて随分な礼儀ですものね?
あちゃあ、と手で顔を抑えるジュストの隣、憤然と席を立ったローザリカが突っかける。
「客? 下賤なゴブリン風情が、客として貴族と同じ卓につこうというのですか? そのような話、王都では聞いたこともございません」
「そうでもないだろう。ここに貴族子弟が何人いるか、果たして君は分かっているのかな」
「……!?」
ジュストにそう問い返され、ぎょっとしたように立ちすくんだ。隣の町民に問うも、政治討論部御一行の存在は彼らにとっても想定外だったらしく、しどろもどろな返事が戻るだけのようだ。慌てて目を凝らせば、見てわかる所に紋章をあしらった小物を携えている者もおり、グエンの顔色がだんだん悪くなる。
「言い遅れたけれども、今日はヘルベルトの生徒達も遊びに来てくれているのよ。王立学園の学生の。……ところで、貴方はどなたの許しを得てこの場にいらしたのかしら? ラマスの街の方だけお招きした筈なのだけど」
「……少々手違いがあったようですね。先ぶれが着いていると思っておりました。私とて要らぬ波風を立たせたい訳ではありません。今日の所は、皆様にご挨拶ができたという事で帰らせていただきましょう」
にこやかにキャサリンが言うと、形勢が悪いと見たのかグエンは捨て台詞を残して席を立った。彼を連れて来たらしい町民2人も慌てて後を追う。残された面々はあっけにとられたり、眉を顰めたりしていたようだが、「ようやく乾杯の挨拶ができますね」と言うキャサリンに毒気を抜かれたように頷いた。初対面で周囲に印象付けようとしたのなら、グエンの作戦は失敗したようだ。
●
招かぬ客がひと騒動起こしたものの、若い学生たちが理路整然と問いただした内容と、その答えを聞いた結果、ひとまず町民たちは突然現れた若き後継者(自称)に飛びつくことはなくなったようだ。
「……色々な、思いがあるものだな」
夕食会も早々に酒も入った老人達に拉致られていたトマスが、疲れた顔でため息を吐く。リヴァマスは旅の疲れを言い訳に逃げ出したのだが、彼がいては主に老人たちが感情的になり、話が進まなかったので仕方がないかもしれない。壮年の町民たちも、自らの願う将来像や望む領主像をそれぞれに語っていた。
「全員が納得する結論って、難しいですよね」
まだ明りの付いた広間を遠目に、ゲルダがそう声を掛けた。謝意を示すように頷いたのか、舟を漕ぎかけたのか怪しげなトマスを見やる。現役を引いた老人たちはともかく、その子供世代は次期領主が誰になるかへの意志表示を、損得勘定も込みで訴える。聞く事と考える事が多すぎて、判断せねばならぬ事はそれ程待ってはくれない。
「昼行灯の三男坊が、何を言っているんだと思われるかもしれないけど……」
「いや、聞こう。姿勢は許してもらえるとありがたい。少し休んだらまた戻るつもりなのでな」
ティトリーがおずおずと声を掛けると、トマスはぐったりしたままそう答えた。自身は跡継ぎではなく、後継について考える事は無かったが、兄を見て来て、思う事があるとティトリーは言う。血を繋ぐ。名を継ぐ。そうして家を残す、それも確かに必要なことだが。
「でも本当に大切なのは……受け継がれるべきは、誇りなんじゃないかって思うんだ。ぼくはきみに、リヴァマスの矜持を守ってほしいなって」
ティトリーの言葉に、トマスは感じる所があったらしい。
「……王家が誤った時には、法の名の元に異を唱えねばならないのがダンテ家の誇りだ。であれば、リヴァマス家の矜持とダンテの誇り、両方を取ろうと言う父の望みは、そもそもが無理筋なのだな」
トマス自身の祖父と、父。リヴァマス家の復興を願う老人達、ラマスの今の住人達。更にリヴァマス老本人。様々な希望を聞いて、取捨選択せねばならないうちの、一つを考えから外せたと、トマスは悩みが多少晴れたような顔で頷いた。
(本当に、全員が納得する結論は難しい。だからこそ法があって。でも、法だけではどうにもならないものが人の心で……)
ゲルダの中では、それを纏める事はとても困難な壁に思えた。しかし、法衣貴族であるトマスは、それに将来幾度も向き合わねばならない事も、彼女は理解している。
「すごく大変だと思います。……けれど、今のトマス様なら、きっと大丈夫だと思うんです」
「いつの私であっても、平気だとは思えないが、そうありたいものだ」
ゲルダの激励に、トマスは多少力の戻った顔で頷いてから、まだ盛り上がっている宴の席へと戻っていった。トマス同様にまだ残って話を聞いている者もいるし、早めに引き上げた者もいる。きっと寝過ごす者も出るだろうから、出発は昼過ぎになるだろう。
「悪い、板あげて貰えるか?」
「はい。これで良いでしょうか?」
炊事場で下準備の手伝いを一段落させたエリカ・プレトリウスが、資材を回す手伝いをしてくれている。
「少し気分を変えておいで。鍋を見る位しかしばらく仕事は無いからね」
そう言われたエリカだが、別の場所で手伝いを始めたのであまり気分転換にはなっていないかもしれない。もう少しすればまた厨房が忙しくなるはずと聞き、できればエリカが手伝ってくれる間に屋根の修理は終えてしまいたいと、ナキルは気合を入れなおした。余裕のできた厨房の隅では、軽食を作ろうとしているトリオがいる。
「リヴァマス先生が話をすれば、夕食が騒ぎになりそうだからね。その前にトマスは何か軽くお腹に入れておくとよいと思うんだ」
渡すついでに、ティトリー=R=アルバートをトマスへ紹介もしたいとシルヴィア・A・カペルは言う。先日まで病の為に学園も休みがちだったティトリーは、最終学年の割に知人が少ない。短い間に貴族子女としての交友を広げておくのは必要な事ではあろう。
「トマスの好みは聞いてきた、けど。他の人にも食べて貰うものだから、参考程度にね」
「サンドイッチなら私も作れる。手伝おう」
「うん。切って挟むだけだけど、奥が深いよね」
トマスの側近に聞いてきたと言うルベア・ベルニと厨房の隅を借り、シルヴィアとティトリーも調理に加わる。ちなみに、トマスの好みは若者らしく肉であるそうな。特に聞くつもりもなかったが、タイコモは野菜、シオンとカナンは何でも良いと言いつつ卵が好きと言う情報も入手したので色々と作る。
「献立はもう全て決まっているだろうか?」
先ほどまで、エリカと共にシチュー用の野菜など下拵えを手伝っていたサマエラ=フォリウムがそう問う。街からの訪問客には普段のパンやシチューを出す他に、作り溜めていた保存食を水で戻して火にかける事を考えていたそうだ。今の仕事はシチュー鍋を見ている位で、次に忙しくなるのは配膳の前らしい。
「ならば、まとめて作れそうなものをもう一品位、用意したいところだが……」
孤児院側にも材料の余裕が無い。肉でも持ってきていれば庭で火をおこして焼くこともできたのだが、と荷物を覗いてみれば、鍋と一緒にチョコレートがポロリと出て来た。
「小麦粉はあるだろうか。何か食後のデザートでも作ろうかと思う」
来客の市民もきっと喜ぶことだろう。
●
「……と言う訳で、どう解決するのが最善か、皆の立ち位置からの忌憚のない意見を聞きたい」
「ふむ、我輩の家の事が実地の教材になるというのも面白い物じゃなあ」
貴族でない学生がいることは承知だとトマスは言い、同じく渦中のリヴァマス老は泰然と笑う。とはいえ、題材が題材名だけに、事前に参考意見を述べようと考えたのは貴族子弟の割合が高い。異種族かつ孤児であるコルネリウス・アーラには、家同士の難しい事は分からないのだが、交わされる会話に耳を傾ける。ナキルの手伝いを一段落させたエリカも、厨房で手が要るのはもう少し先と聞いてテーブルの隅に座っていた。
(家の廃絶、領地の処遇……。本物のエリカ様を失ったシュルトハイス家にとっては他人事ではないわ)
後援者の子爵は我が子の様に可愛がってくれても、あくまでもエリカは本物のエリカの代わりに過ぎないと、彼女自身が一線を引いている。それに、貴族の跡継ぎとして考えるのならば、エルフの身では代わりにすらなれないのは間違いない。恩人の為に、出来る事があるならば、と傾聴した。
「――もしかして。ボクもリヴァマス老の『養子候補』の1人だと疑われてる?」
「キャサリン様によれば、嫡男であっても例外ではないらしいのう。まあ、そう勘繰られるのも分からんでもないのじゃが」
新興男爵家の嫡男であるエルゼリオ・レイノーラが不思議そうな顔をするのに、リヴァマス老が苦笑を返す。極端な話、同格の伯爵や格上の侯爵ですら、別の伯爵家の跡継ぎに我が子を送り込めるのなら良しとする家は多かろう。しかし、現在では家臣団もないリヴァマス家に統治能力が無いのもまた事実。リヴァマス本人もそれを良く理解していた。混乱も予想できるだけに、老人としては領地は放棄したいらしい。
「先生の意思を尊重し、これまで通りダンテ家で統治が無難とは思う」
「意見を述べるなら、僕もこれまで通りに賛成かな」
ジュスト・ヴェルジー伯令息とローザリカ・L・ディオール伯令嬢が仲良くそう述べる。しかし、貴族の問題に口を挟む程の知識はないけれど、と断ってからゲルダ・クラインが懸念を述べた。
「ですが、トマス様のご実家は本来は領地を持たない法衣貴族……なのですよね。もしかして、立場上領地があると不都合も多いのでは?」
「うむ。それはある……と、思う」
腕組みしつつトマスが頷く。領地があれば、隣接する領主と付き合いや利害関係が生じるのは否めない。そういった関係が出来あがれば、ダンテ家側では職務上での便宜を図るつもりなどなくとも、相手が誤解する事はありえた。トマスの婚約を後回しにしている遠因でもある。ちょうどその時、相談に使っていた部屋へシルヴィアとルベアが入って来た。
「まあ、領地があればそこに執心も生まれるだろう。癒着を疑われる事もあるだろうね」
「サンドイッチを、持って来たわ。どうぞ」
「おお、それは良い。我輩も小腹が空いた。そろそろ休憩にせんかのう?」
2人に続き、そっとティトリーも入室してきた。良いタイミングだとリヴァマスが言い、一同はティーブレイクに入る。その間に、シルヴィアがティトリーをトマスへ引き合わせた。
「こちらはティトリー、私の友人です。トマスとは共通の友人として、この機会に交友を深めて欲しいと紹介させていただきました」
「丁寧な紹介、痛み入る。私はダンテ伯子トマス。どうぞよろしく頼みたい」
「アルバート家の三男、ティトリーです。こちらこそ、よろしくお願いします」
あまり出席しない『学園の幽霊』とはいえ同学年。顔は知っているので、あくまで『顔合わせを正式にした』と言うだけの儀礼的な物である。堅苦しい口調は挨拶だけで、あとの口調は普段通りでとなった。一服の後に、再びトマスの課題についての相談が始まる。王国や貴族に縁遠いルベアは、話に耳を傾ける事にした。
(こうしてみるとやっぱり生きてる世界がちょっと違うのよね……)
トマスも、先ほどまで一緒にサンドイッチを作っていたシルヴィアも。弁が立つ方で無いからか、黙っているティトリーもその目は真剣だ。しかし、ルベアにとって政治も貴族の矜持も自分の身に照らして考えるには縁が遠すぎる。
「ダンテ家が領地を持つことでの問題は癒着を疑われる事と、職務が多すぎる事か。しかし、領地経営の実績のある官僚と言う立場が得られる評価も、蔑ろにはしたくないね」
ルベアの視線の先にいたシルヴィアは、問題と共にそれがあることでのメリットも挙げてみせた。確かに、領地貴族の実情を知っておく事が、王家の官僚としての職務に生きる事もあるのかもしれない。
「問題が職務の分担ということであれば、うちは父が領地運営、祖父が王室護衛で分担しているけど。……いや、同じとはいかないか」
ジュストのヴェルジー家は本来の姿が領地貴族であり、隠居した祖父が個人として王家に仕えているという形で、ダンテ家とはちょうど逆になる。そもそも領地貴族の家から王家に仕える者が出るという事は、次男三男であれば特段珍しくはない。法衣貴族の家から領地を賜るものが出れば、本来は分家すれば良い所だ。いずれリヴァマス家に返したいというトマスの祖父の意向が今の歪な形を産んでいる。
「御祖父君の意向も汲むのならば、リヴァマス家との共同統治の形を取れれば良いのだろうね」
「僕も可能なら、それが良いと思う。……共同出資の商家であれば問題にならないのだけど」
ジュストとローザリカはそう口にしたが、領地の共同統治というのは法衣貴族が領地を持つ以上の絡め手だ。当主が幼くその家に摂政役に相応しい者もいない時に、寄り親貴族が名義を貸すくらいだろうか。領地支配の権利は義務と引き換えに王から賜るものであり、そこを連名で許してもらうのは法的な責任所在があいまいになる。法の担い手であるダンテ家がそこをうやむやにする訳にはいくまい。
「私は、今すぐは無理でも、ゆくゆくは領地はリヴァマス家に引き継いだ方が良いと思うんです」
「そうだね。今から先生が領地運営するのは酷だと思うから、その辺は代官を雇うか、いっそダンテ家に代官を務めて貰うのはどうかな?」
ゲルダは将来への展望をそう語り、エルゼリオは現在の対策を述べた。それなら領民も納得してくれるだろうという彼の言には一理ある。とはいえ、ダンテ家は王の家臣であり、リヴァマス家の代官になるのであれば職を辞さねばならない。どちらの立場も満たすのが難しい点は、共同統治と変わらない。
「家名には先人から続く歴史と誇りがある。何より忠義の家を無くすのは忍びないな。……とはいえ、後継者不在では難しい」
シルヴィアは現時点での最大の課題に言及した。直系男子のリヴァマス老に子はいない。まあ、男性なので今からでも若い奥方を迎えれば作れないとも限らないが、当人にその意思もなさそうだ。
「トマス様には弟君か、妹君はおられるのでしょうか?」
「む。弟がいる、が……」
レティシア・レインフィールの問いかけの含意を理解して、トマスは難しい顔をした。次男として、一応はトマスのスペアであるのだがまだ学園に通う年でもなく、暢気に過ごしているらしい。
「そういう事でしたら、リヴァマス家は先生が後見人となり、養子としてトマス様の弟君か妹君を迎えられるのが良いのではないでしょうか」
「そうだね。どこかのタイミングで適性をリヴァマス老とダンテ家で判断する必要はあるだろうけれど、将来の図としてはアリだと思う」
レティシアとシルヴィアは同じ意見に辿り着いたようだ。家名を残したいリヴァマス家としても、領地貴族と官僚の立ち位置であれば後者を取りたいダンテ家としても、落としどころとしては妥当だろうと2人は思う。もちろん、当事者3名、ならびに周囲の人々の意思次第ではあり、この場にトマスの弟はいない事を考えれば結論は出せないにせよ。
「いずれにせよ、伯はトマスに任せているんだ。次期ダンテ伯として自信を持って采配を振るうと良い」
シルヴィアがそう激励するのを聞いて、貴族の話から一歩引いていたコルネリウスも頷いた。
「未来がどのようになるのか、今の貴方がたくさん考えて、納得できる答えがあるのなら……、それがきっと最善です。もしもその答えが変革ならば、一歩踏み出してトマスさんの力で変えたら良いと、私は思います」
どのような道を選ぼうとも、応援するとコルネリウスは言う。その道を一つ選ぶのが難しそうだとトマスは苦笑した。ダンテ家として、領地差配を辞めるのか否か。辞めたとして、旧リヴァマス領に影響力を残すのか否か。幾つもの分かれ道を想定しては悩むトマスに、助言をくれる者はこんなにもいた。時代が変われども、学園には良き友人の輪があるものだとリヴァマス老が笑う。
「吾輩も、我が家も貴族の世界からは一度消えてなくなったようなものじゃからのう。どうなったとしても吾輩も兄も、他の先祖も恨みなどせぬよ。気負わずに行くと良い。何、少々失敗しても補ってくれるじゃろうよ。学友は一生の宝じゃからな」
「ん? 何だかわからないけど、頑張るならオレも応援してるぜ、先輩」
窓の外、荷物を抱えたナキルが聞こえた言葉にひょいと首を突っ込んで言う。タイミングの良い登場に笑いが漏れる中、考え込んでいるルベアにトマスが気づいた。
「そういえば、ルベア嬢の意見を聞いていなかったが。何か思う所はあるだろうか」
意見を請われたルベアは、貴族の事は分からないと断りを入れつつ、自分の中の言葉を発する。
「……私が何かを決めるのなら、自分に関わる人が1人でも多く、幸せになれる方が良いと思うわ」
それはその人自身も含めての事だと、ルベアは自分にも言い聞かせるように言う。この後どのような道を選ぶとしても、その言葉を忘れないようにしようとトマスも頷いた。
●
夕餉の時刻は、十数名の街の住人を迎えて行われた。
「お手伝いに参りました。ご指示頂ければ従います」
やって来たエリカには早速、シチュー番の役目が委ねられる。人数を鑑みてきちんとよそわないと足りなくなると大変な大役らしい。パンを添えて、広間へ運んでいくだけでも子供たちがおらず客人だけ増えた今日は大仕事だ、
「盛り付けと配膳だな。了解した。ああ、作ったデザートはそこに置いておくぞ」
「オレも手伝うぜ」
サマエラとナキルも手伝いに加わり、今日の会合について話を聞いた。来客の半数ほどが老人で、壮年と青年が残りを占める。ダンテ家に領主権が移って以後、リヴァマス家の復権を願う者が定期的にキャサリンの元へ陳情に訪れていたのだが、代替わりが進み以前に比べれば強硬ではなくなった、と言った所らしい。
「……と言う訳で、我輩自身は領主として今更戻るつもりは無いのじゃよ。今後のリヴァマス家をどうするかは、ダンテ家の次代を担うトマス君と相談するつもりじゃがのう」
広間では、先ほどまでの相談の内容も盛り込みつつリヴァマス老が一通りの説明をする。古老達は旧主の子に会えただけで感無量となっているようだが、その下の世代はそこまで感激した様子でもない。リヴァマスが着座するや、身なりの良い若者が勢いよく席を立った。
「異議あり、ですぞ!」
自分にはリヴァマス家の血が流れており、老人が家督を放棄するのなら縁も無いダンテ家に委ねるなど言語道断。自分がグエン・リヴァマスを名乗り跡を継ごうと青年はいう。
「ふむ。ターガン子爵家の三男というと、我輩の曽祖父の姉が嫁いでおったかのう」
老人がそう独り言のように言うと、ほぼ直感的で青年へ嫌悪感を向けていたルベアが首を傾げた。
「いかにもハイエナ、という感じがしたのだけど、違うのかしら」
「うーん。貴族派の子爵家三男って時点で野心が伺えるけど、血縁があるなら彼の主張にも正当性はあるんだよね」
エルゼリオが言うように、貴族社会であれば血統は重視される。だが、それは条件の一つであり、最終的には王家周辺に承認されるかどうかに帰結するのだ。
(……ふむ。治める側はもちろん、治められる側としての認識もあまり持てない身の上だったゆえ家とか、領地周りは……。学ぶことはできても、実感伴った意見などはなかなか、な)
配膳の途中だったサマエラは、ひとまず様子を伺う事にする。
「王党派の家の養子になる貴族派か。つまりリヴァマス家を貴族派に変えようという事かな?」
「む。……そちらの御令嬢は何者ですかな?」
声を掛けたシルヴィアをじろりと睨んでから、所作振舞にただの冒険者では無いと気付いたらしい。
「下らない輩の割り込みでせっかくの食事の邪魔をされて、僕は少々怒っているのだけどね?」
「まあ、少し待っていれば彼は退場すると思うよ。しないようなら俺も口を挟むけれど……」
「……君達は、ラマスの未来を語る事を無駄話と言うのかね? ここに集いしラマスの名士方の想いを何と考えるのか」
聞こえる様に言い募るローザリカとジュストを睨んだところで、向こうの卓でほほ笑むレティシアからの視線に口ごもった。
「そうまで仰るのであれば、領地となるラマスについて詳しい筈ですね? この土地の事を、幾つかお伺いしてもよろしいでしょうか」
「……む、私を試そうというのかね。まあ、いいだろう」
レティシアから、ラマスに訪れ、その地に愛着があれば分かりそうな簡単な事をトマスが幾つか尋ねる。街で人気の菓子は、といった庶民的な物から、主要な産物といった為政者からの視点のものまで。グエンはその全てに口ごもり、しかし隣の壮年の市民からの援護で回答していた。
「そ。それは……」
(小麦、あとは生産こそ少量ですが乳製品の質は評価が高いです)
「そう、ラマスは小麦と、乳製品が名産ですぞ」
その囁きの様子も周囲に丸見えなのだが、グエンに悪びれた様子はない。助言者も含めて自分の功績と言うのは貴族らしい思考だが、この場にいるラマスの市民達にはあまりよく映らなかったようだ。遠くの知らない相手より、ダンテ家の紹介の方が信用できるという声も聞こえる。
「そもそも、リヴァマス家を継承してグエンさんはどうしたいのかな?」
「知れた事でしょう。より良い暮らし、より良い立場。私の実家は子爵家ですが、寄り親を辿れば貴族派の主流です。ラマスは王都にも近く立地は悪くない。貴族派の商路に乗れば、領民にも今のような侘しい暮らしはさせませんぞ」
「ふむ。それはグエン……氏の、自分の野心では無いだろうか。リヴァマス家をどうするという視野はないように見えるが」
声を掛けつつ、さすがに呼び捨てはまずかろうと考えて敬称をつける。学園での社交教育の成果が出たと内心うなづくサマエラであったが、相手はそう考えなかったらしい。
「ゴ、ゴ、ゴブリン。少しばかり背が高いゴブリン如きが、私と同じ席につき、あまつさえ非難までしようというのですか?」
ちらちらと物言いをつけてくる、育ちの良さそうなヒューマンと違い、異種族。中でもゴブリンとあって、グエンは暴発した。よく見ればエルフやハーフリング、ハーフビーストまで同席しているのだが、偏狭な貴族としては自分に口を利いたことが許しがたいのだろう。
「不愉快ですぞ。リヴァマス老、ダンテ家のトマス。これがあなた達の手配とすれば、良識を疑いますとも。ここは偉大なるリーンエス王国なのですぞ?」
「……あら、そちらはどなたのお客様かしら。食事の場で他のお客様を悪しざまに罵るだなんて随分な礼儀ですものね?
あちゃあ、と手で顔を抑えるジュストの隣、憤然と席を立ったローザリカが突っかける。
「客? 下賤なゴブリン風情が、客として貴族と同じ卓につこうというのですか? そのような話、王都では聞いたこともございません」
「そうでもないだろう。ここに貴族子弟が何人いるか、果たして君は分かっているのかな」
「……!?」
ジュストにそう問い返され、ぎょっとしたように立ちすくんだ。隣の町民に問うも、政治討論部御一行の存在は彼らにとっても想定外だったらしく、しどろもどろな返事が戻るだけのようだ。慌てて目を凝らせば、見てわかる所に紋章をあしらった小物を携えている者もおり、グエンの顔色がだんだん悪くなる。
「言い遅れたけれども、今日はヘルベルトの生徒達も遊びに来てくれているのよ。王立学園の学生の。……ところで、貴方はどなたの許しを得てこの場にいらしたのかしら? ラマスの街の方だけお招きした筈なのだけど」
「……少々手違いがあったようですね。先ぶれが着いていると思っておりました。私とて要らぬ波風を立たせたい訳ではありません。今日の所は、皆様にご挨拶ができたという事で帰らせていただきましょう」
にこやかにキャサリンが言うと、形勢が悪いと見たのかグエンは捨て台詞を残して席を立った。彼を連れて来たらしい町民2人も慌てて後を追う。残された面々はあっけにとられたり、眉を顰めたりしていたようだが、「ようやく乾杯の挨拶ができますね」と言うキャサリンに毒気を抜かれたように頷いた。初対面で周囲に印象付けようとしたのなら、グエンの作戦は失敗したようだ。
●
招かぬ客がひと騒動起こしたものの、若い学生たちが理路整然と問いただした内容と、その答えを聞いた結果、ひとまず町民たちは突然現れた若き後継者(自称)に飛びつくことはなくなったようだ。
「……色々な、思いがあるものだな」
夕食会も早々に酒も入った老人達に拉致られていたトマスが、疲れた顔でため息を吐く。リヴァマスは旅の疲れを言い訳に逃げ出したのだが、彼がいては主に老人たちが感情的になり、話が進まなかったので仕方がないかもしれない。壮年の町民たちも、自らの願う将来像や望む領主像をそれぞれに語っていた。
「全員が納得する結論って、難しいですよね」
まだ明りの付いた広間を遠目に、ゲルダがそう声を掛けた。謝意を示すように頷いたのか、舟を漕ぎかけたのか怪しげなトマスを見やる。現役を引いた老人たちはともかく、その子供世代は次期領主が誰になるかへの意志表示を、損得勘定も込みで訴える。聞く事と考える事が多すぎて、判断せねばならぬ事はそれ程待ってはくれない。
「昼行灯の三男坊が、何を言っているんだと思われるかもしれないけど……」
「いや、聞こう。姿勢は許してもらえるとありがたい。少し休んだらまた戻るつもりなのでな」
ティトリーがおずおずと声を掛けると、トマスはぐったりしたままそう答えた。自身は跡継ぎではなく、後継について考える事は無かったが、兄を見て来て、思う事があるとティトリーは言う。血を繋ぐ。名を継ぐ。そうして家を残す、それも確かに必要なことだが。
「でも本当に大切なのは……受け継がれるべきは、誇りなんじゃないかって思うんだ。ぼくはきみに、リヴァマスの矜持を守ってほしいなって」
ティトリーの言葉に、トマスは感じる所があったらしい。
「……王家が誤った時には、法の名の元に異を唱えねばならないのがダンテ家の誇りだ。であれば、リヴァマス家の矜持とダンテの誇り、両方を取ろうと言う父の望みは、そもそもが無理筋なのだな」
トマス自身の祖父と、父。リヴァマス家の復興を願う老人達、ラマスの今の住人達。更にリヴァマス老本人。様々な希望を聞いて、取捨選択せねばならないうちの、一つを考えから外せたと、トマスは悩みが多少晴れたような顔で頷いた。
(本当に、全員が納得する結論は難しい。だからこそ法があって。でも、法だけではどうにもならないものが人の心で……)
ゲルダの中では、それを纏める事はとても困難な壁に思えた。しかし、法衣貴族であるトマスは、それに将来幾度も向き合わねばならない事も、彼女は理解している。
「すごく大変だと思います。……けれど、今のトマス様なら、きっと大丈夫だと思うんです」
「いつの私であっても、平気だとは思えないが、そうありたいものだ」
ゲルダの激励に、トマスは多少力の戻った顔で頷いてから、まだ盛り上がっている宴の席へと戻っていった。トマス同様にまだ残って話を聞いている者もいるし、早めに引き上げた者もいる。きっと寝過ごす者も出るだろうから、出発は昼過ぎになるだろう。
マスターコメント
こと問題が貴族の跡取りのお話なので、貴族系のPCの皆様は自身の立ち位置やら知識やらを活かして立ち回ってくださっているのが印象的でした。貴族系ではない方々からは、感情面での動きや、後押しなどを頂いており、それもまた美味しく頂きました。
NPCの抱える問題はPCがPCらしさを出すためのRPの素材なので、そこから皆様が何を感じたり何をしたりするスイッチに成ればいいなと思っております。
今回の面白い人枠であるグエン君は、貴族派のボンボンって言う感じだったのでああなりました。学園内からはだいぶ駆逐された古いタイプの貴族子弟ですね! 絶滅危惧種……。
今回の結果、ダンテ家がラマスを将来的にも治める方向は、トマスの中では無くなりました。リヴァマス家を家名だけ残すパターンも無くなりました。リヴァマス家、誰を跡継ぎにするのか悩ましい所ですね。
ラマスの統治を担う現在の面々はダンテ家家臣なので、リヴァマス家に移籍するとかまで考えると、トマスの弟は結構クリティカルなアイデアかもしれません。
でも! 今回は!! みんな違ってみんな良かった!!!
ので申し訳ありませんがMVPは選べておりません。
今回も、ご参加ありがとうございました!
イベントシナリオ普通 報酬:標準12 / 10〜25人
2022年07月27日 18時49分50秒 公開
大成功
参加者
相談掲示板
エリカ・プレトリウスと申します。皆様どうぞよろしくお願いいたします。 夕食のお手伝いでしたら出来ることがあると思いまして参りました。料理スキルを備えていこうかと。 孤児院側の修繕等まで手が回るか分かりませんが、夕食の支度を始める時間次第では簡単なお手伝いくらいは出来るやもしれません。確約できないのですが一文触れるくらいはしておこうと考えております。 …家の廃絶、領地の処遇。あまり、他人事ではないのです。
「ちょっと出遅れたな、ナキルだ。よろしく頼むぜ。 ……さて、色々思う所はさておき。 オレは今回、ちょっと前に補修した所とかその辺の調子を確認して それが終わったら夕飯作りの手伝いもしに行こうと思うぜ 追加の補修箇所が見付かるようだったら、そっちに感まけちまうかも知れねーけど、そん時はワリィ。」
ティトリー、です。明日出発ですね… 私は友人たちと一緒に、ダンテ殿に差し入れついでお話をしてみようかな…と。関係が深いわけではないので大したことが言えるわけではないんです、けど。 よろしくお願いします。