冒険者たちの日常〜了〜

炙りとろ左門

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シナリオID:3469

オープニング

● 春待ちの宵
 辺境都市群、シャルガネ居住区――冒険者向けの温泉宿『春宵(しゅんしょう)』の宿帳に、ある一党(パーティ)が名を連ねる。
「大根の煮付け里芋の煮っ転がし真鯛のお造り丼豆乳鍋」
「念願叶ってよかったな」
 じゅるりとよだれが溢れそうなミュルグレスを横目に、ナルシルは肩を竦める。以前は『ましゅまろ』目当てで訪れた宿だが、待望のシャルガネ料理に隊長はそれどころではなかった。あれほど疎んじていた実父(モーグレイ)が同行していることすら忘れている。
「さっきの『おぞーに』ってのも美味かったな」
 そのモーグレイはといえば雑煮を楽しんでいた。冲南はどれほど冷たくされてもめげないその胆力(あつかましさ)に感心しつつも、ひよこ隊とは別の宿帳に名前を書き記す。
「汁に用いられる調味料が家庭によって異なる、趣のある料理です。気に入っていただけて何よりです」
 帝都決戦ののち、ミュルグレス親子が故郷(大森林)への帰省ではなくシャルガネを選んだのは、冲南の誘いがあったためだ。
「初日に間に合うように帰れてよかったな。冒険者のおかげで」
「やちよ……それについては、本当に悪かったと思っています」
 やちよに棘のある言葉を投げつけられ、元より『やちよの両親の仇である』という負い目のある冲南は平謝りする。
 帝都決戦において、冲南はやちよを人質に取られて帝国過激派に協力させられていた。しかし冒険者たちの活躍でやちよは救出され、冲南も大きな怪我なくシャルガネに戻ってくることができたのだ。
「ふん。さっさと行くぞ」
 やちよはさっさと玄関に向かって歩き出す。それを追う前に挨拶をしようとする冲南を見て、モーグレイは小首を傾げる。
「貴殿らはここには泊まらんのか?」
「ええ、はい。我々は『春宵たぬたぬプラン』なので」
 かつて冲南が世話になっていたシャルガネ郊外の庵『たぬ茶屋』と、温泉宿『春宵』が提携して生まれた特別な宿泊プラン――『たぬ茶屋』には湯こそ沸いていないが、美しい星空とたぬき兄弟のおもてなし、そして素朴なシャルガネ料理がある。その提供初日が今日なのだ。
「私にとっては、ひまりやミヨさん、たぬきたちがいるあそこが一番くつろげますから」


 一方、冒険者ギルドの受付嬢(はわわ)、シュゼットもまた偶然、休暇を貰って『春宵』を訪れていた。
 溜まった有給とボーナスを大放出して露天風呂付き個室を予約したシュゼットは、ほくほく顔で風呂から上がる。普段ならしないであろう贅沢を重ねたのには理由がある、そう――。
「美人湯!」
 白く濁った湯はとろりと滑らかで、これが肌に良いのだという。御伽話のような恋のために、自分磨きは欠かせないのだ。
「えへへ~すべすべもちもちです~。もちもち……そうです! お雑煮を食べに行かなくては!」
 夕方から夜まで、宿泊者は広間で雑煮を食べることができるのだ。他にも、夕食にはグルメ垂涎のシャルガネ料理が並ぶという。シュゼットは上機嫌で羽織の袖に腕を通し、部屋を出るのだった。

● 冬灯りの宴
 山間の庵『たぬ茶屋』には、ひょんなことから居着いている魔獣たぬきの兄弟がいる。長兄たるトルイは特異個体であり、下の弟妹たちは上からオラル、アルタルン、クドゥカ、テムルと名付けられている。
 そんなトルイが縄張り巡回(オラつき)から戻ってくると、ひまりが落ち着かない様子で縁側を行ったり来たりしていた。
「ひまり。いらっしゃるお客様はそう多くないそうだから、大丈夫よ」
「でも……」
 ミヨはそうひまりを宥めるが、ひまりはもじもじと自身の指を絡めては解く。
 宿泊客のもてなしについて、ひまりは『春宵』の女将から直接指導を受けた。『春宵』から従業員たちも手伝いに来てくれている。まだ幼いひまりの主な仕事は挨拶と、報告を受けて全体の進行に遅延がないかを管理するだけだ。
 『たぬ茶屋』の評判を聞きつけた『春宵』の提案を受けたのは、つい最近。ひまりは幼く、ミヨは高齢ということもあり、契約は慎重に進められた。幸い『春宵』の女将は人情厚い人物で、冲南が危惧していた二人の去就の問題は彼女たちとの関わりによって解決している――そう、その冲南が戻ってくる。
 可能であれば冒険者(ちじん)も誘うと言っていた。彼らを信頼するひまりに、浮き足立つなといっても難しいことだろう。
「はやく、あいたいな」

● 切って結んで
 リーンエス王国東部、享楽都市キサナ。
 色とりどりのキサナングラスによって拡散した光は、薄く引かれた紗によって和らげられる。それが幾重にも重なり幕と化したその奥では甘やかな香が焚かれ、見目麗しい女が蠱惑的な笑みを浮かべて手招く――艶やかな花の蜜壺に吸い寄せられる者をたちを誰も責めはしない、それがキサナという街だ。
 そのキサナを預かる領主ヴィクセル=ストゥルルソンは、久方ぶりに見た異母弟を前に、難しい顔で座っていた。
「どういう風の吹き回しだ?」
 言葉を発してから、もう少しマシな言い方ができただろうにと思う。が、ヴィクセルの声音は嫌厭よりも困惑の色が濃い。記憶の限りでは、異母弟――レヴィル=ストゥルルソンは、この街と名(父兄)を疎んじて出て行ったはずだ。その時、ひどい口喧嘩になったのを覚えている。
 王国査察官であるレヴィルはしかし、きょとんとした表情でヴィクセルを見つめていた。それに、ますますヴィクセルは戸惑いを深める。
「仕事です」
「しごと」
 レヴィルの返答に、ヴィクセルは異母弟の姿を頭のてっぺんからつま先まで見回す……確かに、帰省だ休暇だという格好ではない。完全に仕事着だ。
「監査です」
「聞いてないぞ!? 今日は【月歌舞典(イードラ・ハーラ)】もあるというのに……」
「キサナの【王なき統治(シャーマート)】が金勘定を間違えるはずがありませんから、特に問題はないのでは?」
 大アリだ。ヴィクセルは頭を抱えたくなった。その【王なき統治(シャーマート)】の一員であったイフリータが人身売買に手を染め、黎瞳の一族が脅かされ、妓楼は再編を余儀なくされた。関連してイフリータの背後にいた商会が市場から締め出されたが、ここに領主権力が関わっていないか――ということだろう。ことが落ち着いてきたタイミングで査察官を寄越すいやらしさに、ヴィクセルはため息を漏らす。
「まったく。せめて連絡を寄越さないか」
「事前の通告は規則通りに。ですが私の馬の方が疾かったようで」
「そうじゃない」
 ヴィクセルはそばに控えていた侍女のティシアに飲み物を用意するよう伝える。同じく執事のハールがレヴィルの上着を預かり、椅子を引いた。
「元気にしているかどうかくらい、ちゃんと報せろということだよ」

● 流れ消えゆく火花
 キサナ最大の妓楼、『夜露雫(カルンナ)』の楼主ジャファルは、いくつも星が流れ落ちていく空を見上げる。光に満ちるこの都市では、地上から星を見ることは叶わない。ジャファルや【三遊女】のように上階に部屋があれば別ではあるが、それで幸せとも限らない。
 【三遊女】のひとり、歌乙女のライラリアは病によって美しく澄んだ歌声を失った。舞乙女と呼ばれた母親のように、身を持ち崩してからは早い。それが遊女という生き物だ。
 こんな時、ジャファルができることは多くない。彼方に輝く星々より役に立とうが、ライラリアが祈るのはジャファルではないのだから。
 ――【月歌舞典(イードラ・ハーラ)】が始まる時間だ。ジャファルが部屋から出ると、【三遊女】のマリカとフィルヤールが両脇に付き添う。夏まであったライラリアの姿は、そこにはなかった。

解説

皆さんは羽を伸ばすため、シャルガネの温泉宿、または享楽都市キサナを訪れました。 ゆっくり温泉に浸かるもよし、美味しいものを食べるもよしです。 == できること == ・【1】~【3】の【いずれかひとつ】をお選びください。特に今回は選択肢によって地域が異なりますので、複数指定はマスタリングの対象となります。 ・未成年の飲酒描写はマスタリング対象となります。 【1】温泉宿『春宵』:雪見風呂宿泊プラン シャルガネ居住区のはずれにある武家屋敷を買い上げて改装した温泉宿です。大森林から氏族ごと移住してきたエルフたちによって経営されており、露天風呂付き個室があります。 現在は美人湯と称して肌に良い湯が提供されており、祝勝ムードに乗って夕餐も豪華に。山の幸と海の幸をふんだんに使った宿料理を楽しめます。また、広間では宿泊客向けにお雑煮もサービス中。 【2】山庵『たぬ茶屋』:春宵たぬたぬプラン シャルガネ郊外の山間にある庵を茶屋として改装した場所で、ひまりとミヨの特製菓子で有名です。 今回は宿泊施設として、『春宵』ほどの豪勢さはないものの静かにゆっくり過ごせるプランを提供中。庭には早咲きの桜が咲いており、それぞれの部屋からは美しい星空を眺めることができます。 【3】享楽都市キサナ:【月歌舞典】に参加する 【月歌舞典(イードラ・ハーラ)】は、リーンエス王国東部にあるオアシス都市キサナにて、二十年に一度行われるお祭りです。かつて婚礼節と呼ばれた古い文化の名残であり、連れ添う者たちと叶わぬ恋に苦しむ者たちの幸福を月に祈り、歌と舞を奉納します。 舞典には当代の【歌乙女】か【舞乙女】が参加する慣わしですが、今回主催者側からは【舞乙女】のフィルヤールによる舞のみが披露されます。歌ったり踊ったりするのもよし、市場で買い物をするのもよしです。 == 指名可能NPC == ・NPCとの交流は必須ではなく、プレイングで指定しなければ登場しません。 ・描写字数の関係により、NPCの指名は【1名まで】とさせていただきます。 ▼ 【1】 シュゼット、ミュルグレス、ドゥリン、ナルシル、リディル、モーグレイ ▼ 【2】 ひまり、ミヨ、冲南、やちよ、魔獣たぬきたち ▼ 【3】 ヴィクセル、レヴィル、ハール、ティシア、ジャファル、マリカ、フィルヤール、ライラリア

マスターより

こんにちは! 炙りとろ左門です(室温8℃) 私の方からはこちらで最後のリリースとなります。 選択肢の舞台はそれぞれ過去シナリオに登場していますが、特に経緯等を把握しておく必要はありません。解説のみ読んでご参加いただけます。 ただ舞台となる場所の雰囲気をもう少し知っておきたい、結構時間が経っているのでどういう場所だったか思い出したい……という方は 『【緑陰】冒険者たちの日常〜温泉宿編〜』 『たぬきたちの錦の宴』 『「たぬ茶屋」開店! 〜花見の章〜』 『【黎瞳】絢爛豪華な花の色街』(解説部分) 『華香、艶やかに』 こちらを振り返っていただきまして……。 自分も温泉に入りたいなあと思いつつ、冒険者さんたちの休日レポートを楽しみにお待ちしています。よろしくお願いします!

リプレイ

「テュリン姉とアルラは知ってるけど、ヒロとルーシカは初めてだよね。部屋に露天風呂がついてるんだよ」
 ララベル・サン・ディーベルはそう言って、風呂場へ続く扉を開いた。ララベルの言葉通り、アルラ・ニグラスとテュリン・ヴィングは共に二度目の宿泊となるため、勝手知ったるなんとやらだ。
 しかし今回初の訪問となった【ふしぎ亭】の『いつメン』、ヒロ・テスタロッサとルーシカは揃って湯船に目を奪われる。さすがに五人ともなれば大部屋への宿泊となったのだが、その室料に見合う広さだった。
「すっごーい♪ とろとろしててお肌に良さそう!」
 ヒロは白く濁った湯をひと掬いしてはしゃいだ。美人湯と聞いていただけあって期待も高まる。
「せっかくの機会だし、うんと羽を伸ばして楽しんじゃおうね――ちょ、ちょっと!?」
 目の前でがばりと服を脱ぎ始めたヒロを見て、ララベルは慌てて両目を手で覆った。
「ん? だってほら、まずは汗を流したいし。裸だって別に初めてじゃないよね」
 ヒロは小首を傾げつつ、脱いだ服を竹籠の中に放り込んでいく。そういう問題じゃないよとララベルは顔を真っ赤にして踵を返し――
「アルラー!?」
 後ろに立っていたアルラがとっくに準備を済ませていた(ハンドタオル一枚のみの姿である)ことに仰天した。
「い、いつの間に!?」
「ベルがお風呂の扉を開けたあたりからだけど」
「すぐに入ろうと思って開けたわけじゃないんだよ! まず二人(ヒロとルーシカ)に見せようと思っただけなのに!」
 しかしここまで歩き通しだったことを思えば、そのまま湯船で疲れを癒やしたいと思うのは当然のことだろう。
「じゃ、じゃあ僕は荷物を見てるから! みんなお先にどうぞ」
 ララベルは再び手で顔を覆いつつ、居室の方へ退散しようとする。しかし目を瞑っている上、構造を熟知している場所でもないために足元がおぼつかない。
「……んん?」
 ひとまず壁伝いに歩こうとララベルが伸ばした手が、何か柔らかいものに触れる。壁がそこにあると思って踏み出したために移動した重心を戻そうとして、反射的に指先に力をこめて(胸を揉みしだいて)しまい、テュリンが小さく声を上げた。
「ひゃっ……もう、ベルったら」
「うあっ、テュリン姉、ごめん!!」
 テュリンの呆れた声を聞き、ララベルは自分のうなじまでが赤く染まっているだろうことを悟った。恥ずかしい。
「なんていうか、予想通りというか」
 何かしら起こるであろう(ラキスケLv10はもうラッキーの次元じゃないよ)と踏んで早々に脱衣所から一歩出ていたルーシカは、面白いくらいに想像通りのことをしでかしたララベルを見て笑いを堪えきれなかった。
「でも、ボクもできるならお風呂に入りたいな。ベル、背中流してくれる?」
「あら、わたしも頼みたいわ」
「えっ、じゃああたしも!」
 ルーシカの提案にアルラが乗っかると、すでに掛け湯を済ませたヒロも手を挙げた。ララベルは反射的に振り返りそうになり、ぐっと思い止まる。
「うっ……じゅ、順番! 順番にね!」

 その後のぼせたララベルが介抱されることになり、まあ何があったかは詳しくは聞くまい(書けない)――食事の時間を告げに来て何かを察した仲居は、宴会場ではなく部屋に料理を運ぶよう予定を変更した。
「ベル君が可愛い反応するから、つい……」
 普段は『控えめ』を心がけているヒロであるが、今回は積極的に輪に加わった。ヒロは謝罪も込めてララベルの口元に木匙を近づける。載っているのは桜プリンだ。
「だ、だいじょうぶ。むしろ格好悪くてごめん……で、でも流石にひとりで食べられるよ!」
「そう? じゃあみんなに『あ~ん』♪」
 ヒロは向かいに座るアルラの口元に桜プリンを持っていく。
「あら、いいの? じゃあ遠慮なく」
 はらりと頬に落ちる髪をエルフ特有の長耳にかけ、節目がちに匙を咥えるその一連の仕草は、湯上がりということもあってかかなりの色香を放っていた。ヒロは思わず「おぉ……」とため息を漏らし、ララベルの体がくらりと若干傾ぐ。
 その横で、ルーシカは大机に用意されたふたつの飯櫃を興味深そうに覗き込んでいた。
 一方は海のもので、白米の上にしらす、いくら、とろサーモン、まぐろが豪勢に散りばめられている。もう一方は山のもの、岩魚と山菜の炊き込みご飯のようだ。茸と渓流魚の旨みに、茗荷と大葉が変化を加えている――が、ルーシカはそれを一口含んだ瞬間に素材の味だけではない何かを感じ取った。
「煎り酒っていうんですって」
 ルーシカの疑問に答えたのはテュリンだった。前回ここへ滞在した際に、テュリンも気になって聞いたのだ。ドワーフゆえに舌が酒精に反応したのかもしれない。
「煎り酒……酒を煎るの?」
「名前の由来ははっきりしていないそうだけど、確か製法は酒で梅干しを煮詰めて漉して寝かせて……って手順だったかしら。風味を加えるために煎り米を使うこともあるらしいわ」
「へえ……!」
 ルーシカは目を輝かせる。ドワーフ王国では働く同胞たちの腹を十分に満たす必要があったため、ルーシカが目指す料理も必然的にスタミナとボリュームを重視していた。しかしこの飯櫃は、味の奥行きも見栄えもそれとは対極に位置しながら魅力的である。理由はやはり酒、だろうか。
「ボクたちドワーフにとってはお酒のうちにも入らないけど、だからこそ新鮮に感じるのかも……ってごめん、つい」
 ルーシカは気を取り直し、飯櫃の中身を手際よくそれぞれの椀によそっていった。流石は飯屋の娘である。
「食べ終わったらまた、お風呂に入りたいわ。さっきは『育ったもの』を十分堪能できなかったし」
 桜プリンを完食したアルラはほうと息をつく。それを見たララベルは「気に入ってくれてよかった」と笑みを深めた。
(これから先も、変わらずみんなと楽しく笑って過ごせたらいいな……ううん、僕が守るんだ)
 皆、ララベルにとって大切な伴侶だ。彼女たちの笑顔を守るためならば惜しむものなどないと、ララベルは決意を新たにするのだった。


 ギリギリどころか完全にアウトでは――予約した居室にて荷物の整理を終えたところで、ジュスト・ヴェルジーは冷静さを取り戻した。未婚の貴族の男女が部屋を共にする、しかも露天風呂付きの。たとえ相手がローザリカ・L・ディオール(年内には結婚する婚約者)だとしても少々軽率に過ぎるのでは? えんじぇるジュストが警鐘を鳴らす。
 いやここ最近ずっと忙しかったご褒美のようなもの、冒険者なら同じ部屋で寝泊まりすることなど当たり前のことにある、バレなきゃ問題じゃない――でびるジュストがほくそ笑みながら囁きかけた。
 そうだ、ここには冒険者として来ているのだから。だが、しかし、さりとて。葛藤の末、ジュストは思い切って寝所の襖を開けた。
 寝具が二組であることに胸を撫で下ろした後、敷布団を拳ひとつ分ほど引き離しておく。これは配慮、配慮だ。そして超えてはならない一線なのだ。ジュストは理性が負けそうになった時、この隙間を見つめて冷静さを取り戻すことを決めた。
 しかし今の行動をローザリカに見られてはまた誤解を生みそうだ。いや、ローザリカもジュストの懸念を理解できないわけではないが、乙女心は難しいのだ(それはそれこれはこれ)。彼女が風呂から上がる前にここから離れるべきだと、ジュストは振り返った。
「……」
 そこには先ほど風呂から上がったらしいローザリカが立っていた。
「ジュスト?」
 きょとんと小首をかしげるローザリカを見て、ジュストは今し方の行動を見られていないことを悟り胸を撫で下ろす。そして今し方発生した別の問題のために、ごくごく自然な動作で寝室に続く襖を閉めた。
「なにか……」
「いや色々と我慢できなそうだから」
 湯上がりの恋人と寝室に敷かれた布団が立て続けに視界に入ってきては、困ったことになりかねないのだ。ジュストも健全な男子であるからして。
「ジュスト……」
 ローザリカも言葉の意味を察したのかぱっと頬を染め、手元に視線を落とした。
「我慢できてないぞ」
「――はっ!?」
 ジュストは右手はいつのまにかローザリカの手を取っていた。すべすべだ――そうじゃない。そうだけど。
「ご、ごめん」
 ジュストが思わず引っ込めようとした手に、ローザリカは指を絡めた。
「僕から逃げるのか?」
 潤んだ目で見上げられ、ジュストは視線を逸らせなくなってしまった。
「ロゼ……」
 吐息混じりに名を呼べば互いに距離が縮まる。大丈夫、まだ弁明できる範囲だ、おそらく。
『お食事をお持ちしました』
 その時外からかかった声に、二人は動きを止めた。
「と……豆乳鍋、だったかな?」
「そ、そう」
 二人はぎくしゃくとした動きで離れ、食事をするための席についた。食事の説明はなかなか頭に入ってこなかったが、ふと小鉢の中身に目が留まる。
(食事の好みも、昔は正反対と思っていたけど……)
 君の好むものも悪くないな、と。互いにそのように思っていることを、口にはしないまま。


 風呂から上がったルイドは、夕食をとるために会場へ向かっていた。その途中、エントランスから続く広間の脇を通りかかったとき、見覚えのある耳が視界の端を掠めて立ち止まる。
「シュゼットも来てたのか、奇遇だな」
 そう声をかけると、短く立った兎耳がぴょこんと動き、小柄な影が振り返った。
「ルイドさんではないですか!」
 もともと人懐っこいシュゼットだが、いつにも増して上機嫌な様子だ。はてと首を傾げてじっと観察すると、なるほど理由が分かった。
「――そういや、美人湯がどうのって言われてたな」
「わかりますか!? このすべすべもちもちなお肌!」
「ああ。ついに『もてない。』も卒業だな」
「そ、そうなるといいんですけど~……」
 シュゼットはもごもごと、自身の頬を両手で挟んだり摘んだりしながら視線を泳がせて言葉を濁す。おそらく最近また、玉砕したのだろう。察したルイドはシュゼットを夕食の席に誘う。
「飯でも食いながら話でもしようぜ。依頼じゃ世話になってきたし……これからも付き合いは続くだろうしな」
 冒険者としての生活は、ルイドにとって悪くはない――楽しめるものだった。冒険者が動員されていた帝国での問題が解決した今、ロスガリアの方々を走り回る頻度は減るだろうが、腕だめしと依頼を受けることもあるだろう。
「はい! シュゼット、皆さんとの縁がこれ限りにならなくて、嬉しいです」
 ルイドの言葉に、シュゼットは顔をあげて笑顔を見せた。冒険者が無事で帰ってきてくれること、冒険の話を聞くこと、それはシュゼットにとって恋よりも心はずむことなのだから。

● 月(イードラ)に捧ぐ願い
 舞乙女の奉納が終わり、シルヴィア・A(アルヴィン)・カペルは舞台から降りたフィルヤールを出迎えた。
「お疲れ様。とても素晴らしかったよ」
「ありがとうございます。贈ってくださった香り(『ひとひらの勇気』)のおかげで、緊張もほぐれましたわ」
「それは何より」
 休憩のための時間もそう長くはない。シルヴィアはウィスキー(クランペラー)を差し出した。
「自領(うち)で作ったものなんだ。どうかな」
「まあ、罪な方だわ。私を酔わせて、どこで踊らせるつもりなのかしら」
 フィルヤールは揶揄うように艶麗に微笑んだあと、しかし、僅かに疲労を滲ませた。心労があるのだろう。
「……貴女の耳には、入れておかなくては」
 二人は舞台裏の長椅子に腰掛ける。キサナングラスに注がれる酒は、色とりどりの光を受けて煌めいていた。
「ライラリアは、声を失いましたの」
「……やっぱり、そうなんだね」
 キサナに入ってからシルヴィアが耳にした噂のいくつかは、真実だったらしい。フィルヤールはその先を言わないが、病状は思わしくないのだろう。
「うちの楼主は御領主(ヴィクセル)様のように割り切って傲慢に振る舞えませんから、心配事が多くて、本当に」
 キサナの女が売るのは一夜の夢で体ではない、そう言い切れる領主と、詭弁だと思い悩んでしまう楼主。遊女たちとの距離の違いもあるだろうが、フィルヤールとしては、こんな時だからこそしゃんとしていて欲しいのだろう。
「君の笑顔を曇らせるなんて、いけないひとだね」
「まったくですわ」
 二人の憂いを置いて、祝祭の旋律は途切れることなく紡がれる。グラスが触れ合う涼やかな音が、間を繋いだ。


 音楽はやはり楽しい、とキオルティスは思った。
 今宵の衣装はキサナの雰囲気に合わせたものだ。ヴェールで覆われた表情を目で追ってしまう参加者も見受けられる。それらの視線を慣れたように躱しながら、キオルティスは舞乙女の舞に合わせて竪琴(メロディー)を爪弾く。
 しかしそんな中、キオルティスの心は華やかな舞台から離れつつあった。ここにいない歌乙女を思ってのことである。
(君は今、どんな思いで……ひとり、星に祈っているのだろう)
 行き交う噂の全てが真実ではないだろう。とりわけ、このキサナにおいては――キオルティスは人々の輪からそっと抜け出した。少女の許へ向かう足取りが、静寂の中にぽつぽつと小さな鐘の音を落としていく。
 そうしてキオルティスは、妓楼【夜露雫(カルンナ)】、その上階に誂えられた居室の窓辺に降り立った。エーテルを操る爪先には造作もないことと、部屋の中を覗き込む。
「ライラリア」
 明かりの灯されていない部屋の中、少女(ライラリア)は体を横たえて星を眺めていた。そこへキオルティスが現れたことに驚いて口を開く。が、細く白い喉からは掠れた呼気が漏れただけだった。
 表情を暗くしたライラリアへ、キオルティスは優しく語りかける。
「声を失ったとしても、君の中から歌は消えていないはずだ」
 伏せる少女の枕元に跪き、キオルティスは竪琴の弦に指を滑らせた。孤独に苛まれる少女への、せめてもの慰めとして。


「お前さんの身請けに必要な金を貯めた」
 座敷で盤を挟んで投げかけられた問いに、マリカは目を丸くした。ヴァンゲルス・ロッドの視線は盤上ではなく、まっすぐにマリカに向いている。
「前、俺に円石を寄越しただろう。愛の告白でもされてんのかとな」
「叶わない願いを客に懸けるのは、よくあることよ」
「そうかい。それを、叶わないままにしておきたくねぇんだよ。……真面目な話、な」
 ヴァンゲルスはマリカの華奢な手を取った。
「俺も、あたたかい家庭、ってのには縁がなかった。だがお前さんとなら、その縁を結んでもいいかと思ってな」
「これって……」
 マリカは手のひらに載せられた宝玉に目を瞬いた。信じられないといった表情で、それとヴァンゲルスの顔を交互に見やる。
「あの時のお前さんが本気で、そして今もその心が変わってねぇなら……どうだ。これからの人生、俺に賭けてみねぇか?」
「自分が負けるって、微塵も思ってないのね」
「もうお前さんには落ち(負け)てんだから、この賭けぐらいは勝たせてもらわなきゃな」
 マリカは頷き、手のひらの宝玉(あこがれ)を優しく握り込んだ。
「幸せにしてくれないと、許さないんだから」
「それについては、心配することはねぇだろうさ」
 ヴァンゲルスは部屋の飾り棚をちらりと見やる。幸運を呼び込むということでいつか手土産にしたふたごひつじの人形は、変わらずそこにあった。

● 明日も変わらぬもののため
「ひまりさん、お久しぶりさぁ~♪」
 フリューリングスルフト=ティエラは駆け寄ってきたひまりを抱きしめた。腕の中に収まるひまりの小さな頭の位置から、背が伸びたことがわかる。
「たぬきたちも!」
 お互い、覚えのあるにおいに気づいたのだろう。なんの騒ぎだと玄関先に顔を出したたぬきたちを見つけ、フリューは腕を広げた。
 弟妹たぬきたちは飛んでやってきたが、彼らの長兄であるトルイは悠々と客を出迎える。どこかふてぶてしさも垣間見える立ち姿だが、ひまりがあらためてフリューたちに礼をすると、真似をしてか少し頭を下げた。
「働いてはいるみてぇだな」
 フリューの後ろからその様子を眺めていたエイル・ビュセファスは、続けて「しっかり稼げよ」と付け加えて荷物を担ぎ直した。一泊するには少々大きな荷物に、ひまりはエイルの生業を思い出す。
「ご商売のほうは、いかがですか」
「金儲けするなら今だからな。その稼ぎの仕込みで忙しい、そう、忙しいってのに……」
 エイルはたぬきたちを抱き上げて頬擦りしているフリューを見やる。
「付き合わねえと煩くて、それこそ思うように仕事ができねえからな」
「ふふ……シャルガネまではちょっと歩きます、けど。『春宵』の人もいますから、あとでゆっくりおはなしでも」
 まだ拙いが、ひまりは商売人としても成長しているようだ。エイルはそれに頷きつつ、フリューの荷物も手に取った。

 食事の後、フリューとエイルは居室の縁側に座り込んだ。手には酒を、視線は早咲きの桜の花びらが舞う星空へ。宿泊客の歓談の声はやや遠く、夜も更ければやがてそれも消え入る。
「我儘聞いてくれてありがとね、エイル」
 他愛のない会話のあと、フリューはぽつりと言葉を落とした。しかし思ったよりも声に感情が乗ってしまい、フリューはエイルの相槌を待たずに口を開く。
「今度から毎年ここで、三人でお泊まり会しよか!」
 来ることができなかった友も含めるも、エイルは嫌そうに眉根を寄せた。
「そんな暇があるかよ。こっちに来るのは、儲け話がある時だけなんだぞ」
「儲け話があれば……なんだかんだ、エイルは来てくれるんさぁ」
「あのなあ」
 言葉尻を取られてエイルは呆れるも、本当に嫌なのであればそのような隙を見せなければいい話だ。互いにそれを理解しているからこそのやり取りに、フリューはにひひと喉の奥で笑う。
 世界は変わりはじめ、自分たちもこれからそれぞれの道を歩んでいくこととなるだろう。エイルは冒険者をいずれ辞めるだろうし、フリューもまた、風のように気ままに大地を渡り歩くだろう。それでも、互いに築き上げてきた絆(もの)は変わらない。
 時を経ても、友の身に危機があれば駆けつけよう――エイルは言葉にする代わりに、フリューの盃に酒を足す。ひらりと花びらが器に落ち、揺れた。


 夕食後、ゲルダ・クラインはナハティガル=ラーと共に、二部屋を跨ぐ縁側から庭に降りた。
 桜は変わらずそこにあり、月明かりを受けて白く輝いている。ナハティガルは木の下まで歩いていくと、手を伸ばして舞い散る花びらを受け止めた。
「以前と変わらぬ美しさだ……戦火は免れたようだな。安心した」
「はい」
 ゲルダも同じように手を伸ばす。しかし自由気ままに踊る花びらを掴むことは難しく、指の間からすり抜けてしまう――それがどこか、不安を煽った。
「これか?」
 しかしゲルダが捉えそこねた花びらは、風に攫われる前にナハティガルの手の中に収まった。ナハティガルはそれをゲルダの手に移す。
「そんな顔をするな」
「ど、どんな顔をしていますか」
 ゲルダは慌てて片手を頬に添えた。花びらが掴めず拗ねているなどと思われては恥ずかしい。その慌てようを見て、ナハティガルは小さく笑う。
「寂しそうな顔をな。……まだ何か、不安か?」
「……いいえ」
 ゲルダは胸元に手を当て、一拍跳ねた鼓動を宥めた。
 目まぐるしく変わっていく世界の中に見出した、変わらないもの。それに安堵する一方で、『違う』ということを恐れていた。自分の生まれや育ちが、ナハティガルを傷つけることになるのではないか。
 それでも、ゲルダは彼の隣を望んだ。それがどのような関係性によるものであっても、もう選んだのだ。
 目を伏せるゲルダを気遣い、ナハティガルは話を逸らすことにする。
「さすがに、アンタの親父さんに殺されるような真似はしない」
 部屋が別であることについてナハティガルが改めてそう言及すると、ゲルダは父の顔を思い浮かべて遠くに視線を投げた。父の性格を思えば、この宿泊自体知られないことが最善である。
 とはいえ、ナハティガルの気遣いはありがたいものだ。二人は縁側に戻ると、星空を眺めながら歓談に興じることにした。
 ゲルダはナハティガルのために注器を手に取り、ナハティガルも合わせて盃を差し出した。そのために交わす言葉はほとんどなかったというのに、自然と体が動いていたのだ。
「……十年後も、こうしてアンタと星空を眺められたら良い」
 その穏やかな呼吸に思うところがあったのか、ナハティガルは小さく胸中を吐露する。ゲルダもふっと頬を緩めた。
「そう、ですね」
 自分で選んだ道の先に、恐れや不安はなくならない。だがナハティガルの隣で共に穏やかな時間を過ごせるのならば、きっとそれは――世界一、幸せなことだろうから。

● 春宵、暁に禊ぐ
 少女のはじまりは、壊れた街の名もなき生き物(いのち)だった。掬い上げられた過去から、少女は自ら手を伸ばす。初めて得た、友の忘れ形見のために。

 春の宵、少女は予約した居室にひとり――いや、友の忘れ形見である小さな命(ネム)を膝の上に、小物入れからブラシや柔らかい布を取り出していた。
 これらを使うのも今宵で最後となるだろう。その小さな体から感じられる温もりは、もうほとんど僅かと言っていい。別れの時が、近づいていた。
「……わたしと、ずっと一緒でよかった?」
 かすかな温もりに少しでも長く触れていたいと、少女は指先で優しくネムを撫でる。
 紡いだ言葉は、しかし、少女が抱いていた望みそのものだ。何処かで森に還していれば、この小さな命は母となり、家族を得ることができたかもしれない。そうしなかったのは、ひとえに、少女が生きるために家族(ネム)が必要だったからだ。
 自ら手放して「捨てられたのは自分だ」と涙する勇気さえあれば、何かを変えられたのだろうか。
 ――わたしはこれから、何かを変えられるのだろうか。
「ネム……」
 指先から伝わってくる心は、少女への全幅の信頼と、励ましだ。
「……そうだね。わたしも大好きだよ、ネム」

 夜明け前、ネムは永い眠りに就いた。少女はそれを見送り、柔らかな体に丁寧にブラシをかけて包み直す。そして強張った体の節々が痛む中、どうにか立ち上がった。
 夜明けの光のもとに晒された少女――エリカ・プレトリウスは、その光の中にあって、まっすぐ背筋を伸ばしていた。

マスターコメント

お疲れ様でした! 最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。 それでは、良い旅を!
イベントシナリオ

イベントシナリオ易しい 報酬:無し16 / 4〜25人

2024年02月28日 09時50分02秒 公開

大成功

相談掲示板

  1. エイル・ビュセファス

    開店の時に見かけた顔もいるな。リピーターか?思ったより盛況じゃねぇか。 今日はここのタヌキに会いに、うちの狸の引率だ。 プラン名は……たぬたぬプランか?同じ奴らは、まぁよろしく頼むわ。

  2. フリューリングスルフト=ティエラ

    引率する狸ってうちのことかぁーー!(エイルの背後に突進しようと 合っているけれども!その通りだけれども!文句などないけれども! そういう訳で、ヒキコモリーな、エイルを連れてたぬたぬプランを楽しむ予定さぁ♪ 皆も楽しんでさぁー!

  3. エイル・ビュセファス

    ごふっ……!う、うぜぇ……!(突進され) 文句が無ぇなら黙っておけ。相談場所で騒いでんじゃねぇよ。 まぁ、出発は明日の朝か?さすがにもう誰も顔は出さねぇだろうから構わねぇが。 あァ、そういや仕事で見知った顔もいるな。元気そうで何よりだ。 久々に顔を見れるってのは悪くねぇな。引率は面倒だが、そこは感謝しとくぜ。

  4. フリューリングスルフト=ティエラ

    ふっ、勝った……( *¯ ꒳¯*)ドヤァ✨ 騒いでないもーん。もし、うちが騒いで怒られるとするなら、エイルも共犯さぁ。 ……んふふ、エイルがデレた。これはデレましたよ。(にまにましてる

  5. エイル・ビュセファス

    まぁ俺が勝手に始めたことだ、言われるなら俺だがな。 どこにもデレはねぇよ、うぜぇ……! さぁて、もう出発だな。さっさと行ってさっさと帰るぜ。

アーカイブ生成日時 2026年08月05日 14時56分25秒 ・ world0