【甘壇】綴られる、それぞれの形【褪野】【彩都】
炙りとろ左門
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シナリオID:2816
オープニング
● たとえ、恋じゃなくても
「時がブッとぶのもあっという間でしたわね。覚えていて?」
婚約から一年ですのよ、とフェイデン子爵ノーキスは目を細めて笑った。彼女の婚約者、エディン公子アリステアは顔をあげる。
「すっかり馴染んでおられるようで、よかったわ」
「う、うん」
アリステアは思わず声を上擦らせた。
この地のことは好きだ。領民たちと領主の関係も良好であるし、入り婿のアリステアにも親切に接してくれる。
だが、その優しさに触れるたび、アリステアは後ろめたさを覚えるのだ。
「ノーキス様、甘輝祭のことでご相談が……」
執務室に一人の少女が入ってくる。アリステアはまた、胸が締め付けられるような感覚に苦しめられた。
兄ヴィラールの名を借り、ガラス職人として働くこのハーフビーストの少女に、アリステアは恋をしてしまった。それが一年ほど前のことで、どうやら気の迷いなどではなかったことが今のアリステアの悩みの種だ。
自分はノーキスの婚約者である。この感情は明らかな背信であり、たとえノーキスがそれを咎めなかったとしても――いや、だからこそ、アリステアはこの気持ちを断ち切れずにいた。
『もしかしたら死ぬ時くらいには……お互いのこと、愛せているかもしれませんもの』
一年前の婚約式の時、ノーキスはアリステアにそう告げた。ほんのわずか、隠しきれていなかった寂しげな目で。
(今更誠実でいたいだなんて、虫のいい話だけど。このままじゃだめだ……)
ノーキスは物分かりがいい。だが、飲み込んだとて、そのまま平気でいられるわけではないのだ。
(……終わりにしなきゃ)
アリステアはヴィラールの横顔を見、そして彼女に応対するノーキスを見遣る。
婚約者に対するこの気持ちは、恋ではないかもしれない。けれど、大切に思う気持ちに嘘はない。
――それを伝えるのは、残酷なことで、単なる自己満足に過ぎず、もしかしたらノーキスを傷つけてしまうかもしれない。しかし、けじめは必要だ。
この恋に幕を引いて、二人で歩んでいくために。
このフェイデンにも、甘輝祭が近づいていた。
● 彼に訪れる終わり
『アイビーズリラ』は、冒険者たちの助けを得て完成した野外音楽堂だ。ノーキスとアリステアの婚約式が行われた場所ということもあって、祭りや祝い事があれば積極的にここが使われるようになり、保全のための整備頻度もそれなりである。
補佐官レヴィル=ストゥルルソンは備品の点検報告を受けながら、来たる甘輝祭の催しにかかる予算について考えていた。予算の細さで主人が夜遅くまで帳面をめくることがなくなったのは良いことだが、こうなると懸念点も出てくる。
「輸送費の引き上げか……」
甘輝祭に用いる資材の額面の変化。レヴィルはそれを見咎めた。関税の引き上げには時間も人手もかかる。ゆえに輸送費をじわじわと引き上げるというやり方をする。大きな商会ならともかく、経費を抑えるために個人店と契約している場合は強く出ることができない。領主からしてみれば、問題が拗れても契約者間の当事者問題にしてしまえるし、最悪責任は押し付けてしまえばいい、そういう魂胆が透けて見えるために頭が痛い。
こういったやり方への対処法を、ノーキスはあまり得意としていない。方法はわかっていても踏み切れない甘さがある。自領の民が苦しむようになってからでは遅いとも承知しているからこそ、最終的には決断できる人物でもあるが、それではいずれ領主としての資質を問われることになるだろう。
「レヴィルさーん!」
と、道の向こうでのんびりとした声がレヴィルを呼んだ。何かと振り返れば、新米配達員の少年が一通の書簡を手にレヴィルを手招いていた。
「お疲れ様です。私宛てでしょうか」
「はい! レヴィルさんがこちらにいらっしゃるとお教えしたら、任されちゃいました」
レヴィルは少年から書簡を受け取った。質の良い羊皮紙に施された封は、中央からの便りであることを示していた。
とはいえ正式に使者をたててのものではないのなら然程重要な内容でもなかろうと、レヴィルはその場で封を破る。若干主人の大雑把さが移っている気がする。
「……レヴィルさん? どうかしましたか?」
しかしぴしりと固まったレヴィルを見て、少年は小首を傾げた。
「あ、いや……」
レヴィルは慌てて書簡を折りたたみ、懐へしまう。胸の上に置いた手には、少し早い鼓動が伝わっていた。
それは、『春より元の部署に戻るように』という一方的な任命書だった。
● それは新たに踏み出すために
フェイデンの甘輝祭は、恋人たちだけに限らず、友愛や家族愛を育む祭典として開かれた。領主の意向らしいが、その真意まではわからない。グレゴリー青年は賑々しい祭りの輪に加われないまま、ぽつんとひとり、立ち尽くしていた。
グレゴリーは近隣の都市に出稼ぎに出ていた若者のひとりだ。フェイデンでの暮らしに限界を感じ、身を立て、金を稼いで戻ってくると啖呵を切って飛び出した。恋人も、家族も置いて。
それから五年余り、結局、グレゴリーの努力は身を結ぶことはなかった。「戻ってきなさい、あの娘もお前を待ち続けている」という両親からの手紙を、半ば意地になって無視してきた。
それを今更戻ってきたのは、フェイデンが豊かになりつつあるという噂を聞いたからだ。同じように出稼ぎに出てきた仲間たちがひとり、またひとりと帰郷し、グレゴリーもいよいよ友人のいない生活に耐えきれなくなって戻ってきた。
片手に提げてしまえるほどの小さな荷物。その中に、約束した金も、名誉も地位もない。そのことが虚しく、情けない。
彼女は、もう他の相手を見つけて結婚しているかもしれない。いっそその方がいいとさえ思える。こんな甲斐性のない男と一緒になるより、この土地で懸命にやってきた相手と結ばれる方が。
「でもせめて……っていうのは、だめかな」
故郷を出ている間に建設された野外音楽堂は、今宵は広場として使われていた。壁や木にはいくつものメッセージカードが添えられている。それは、さまざまな理由で直接伝えることができない想いを記すための場所だという。
『帰りを待っている』『どうか元気でいて』『ずっとあなたを愛している』――そんな言葉の数々に、グレゴリー青年はようやく歩き出した。
彼女もここにやって来るだろうか。そして、自分のメッセージに気づいてくれるだろうか。そんな望みを胸に――。
「時がブッとぶのもあっという間でしたわね。覚えていて?」
婚約から一年ですのよ、とフェイデン子爵ノーキスは目を細めて笑った。彼女の婚約者、エディン公子アリステアは顔をあげる。
「すっかり馴染んでおられるようで、よかったわ」
「う、うん」
アリステアは思わず声を上擦らせた。
この地のことは好きだ。領民たちと領主の関係も良好であるし、入り婿のアリステアにも親切に接してくれる。
だが、その優しさに触れるたび、アリステアは後ろめたさを覚えるのだ。
「ノーキス様、甘輝祭のことでご相談が……」
執務室に一人の少女が入ってくる。アリステアはまた、胸が締め付けられるような感覚に苦しめられた。
兄ヴィラールの名を借り、ガラス職人として働くこのハーフビーストの少女に、アリステアは恋をしてしまった。それが一年ほど前のことで、どうやら気の迷いなどではなかったことが今のアリステアの悩みの種だ。
自分はノーキスの婚約者である。この感情は明らかな背信であり、たとえノーキスがそれを咎めなかったとしても――いや、だからこそ、アリステアはこの気持ちを断ち切れずにいた。
『もしかしたら死ぬ時くらいには……お互いのこと、愛せているかもしれませんもの』
一年前の婚約式の時、ノーキスはアリステアにそう告げた。ほんのわずか、隠しきれていなかった寂しげな目で。
(今更誠実でいたいだなんて、虫のいい話だけど。このままじゃだめだ……)
ノーキスは物分かりがいい。だが、飲み込んだとて、そのまま平気でいられるわけではないのだ。
(……終わりにしなきゃ)
アリステアはヴィラールの横顔を見、そして彼女に応対するノーキスを見遣る。
婚約者に対するこの気持ちは、恋ではないかもしれない。けれど、大切に思う気持ちに嘘はない。
――それを伝えるのは、残酷なことで、単なる自己満足に過ぎず、もしかしたらノーキスを傷つけてしまうかもしれない。しかし、けじめは必要だ。
この恋に幕を引いて、二人で歩んでいくために。
このフェイデンにも、甘輝祭が近づいていた。
● 彼に訪れる終わり
『アイビーズリラ』は、冒険者たちの助けを得て完成した野外音楽堂だ。ノーキスとアリステアの婚約式が行われた場所ということもあって、祭りや祝い事があれば積極的にここが使われるようになり、保全のための整備頻度もそれなりである。
補佐官レヴィル=ストゥルルソンは備品の点検報告を受けながら、来たる甘輝祭の催しにかかる予算について考えていた。予算の細さで主人が夜遅くまで帳面をめくることがなくなったのは良いことだが、こうなると懸念点も出てくる。
「輸送費の引き上げか……」
甘輝祭に用いる資材の額面の変化。レヴィルはそれを見咎めた。関税の引き上げには時間も人手もかかる。ゆえに輸送費をじわじわと引き上げるというやり方をする。大きな商会ならともかく、経費を抑えるために個人店と契約している場合は強く出ることができない。領主からしてみれば、問題が拗れても契約者間の当事者問題にしてしまえるし、最悪責任は押し付けてしまえばいい、そういう魂胆が透けて見えるために頭が痛い。
こういったやり方への対処法を、ノーキスはあまり得意としていない。方法はわかっていても踏み切れない甘さがある。自領の民が苦しむようになってからでは遅いとも承知しているからこそ、最終的には決断できる人物でもあるが、それではいずれ領主としての資質を問われることになるだろう。
「レヴィルさーん!」
と、道の向こうでのんびりとした声がレヴィルを呼んだ。何かと振り返れば、新米配達員の少年が一通の書簡を手にレヴィルを手招いていた。
「お疲れ様です。私宛てでしょうか」
「はい! レヴィルさんがこちらにいらっしゃるとお教えしたら、任されちゃいました」
レヴィルは少年から書簡を受け取った。質の良い羊皮紙に施された封は、中央からの便りであることを示していた。
とはいえ正式に使者をたててのものではないのなら然程重要な内容でもなかろうと、レヴィルはその場で封を破る。若干主人の大雑把さが移っている気がする。
「……レヴィルさん? どうかしましたか?」
しかしぴしりと固まったレヴィルを見て、少年は小首を傾げた。
「あ、いや……」
レヴィルは慌てて書簡を折りたたみ、懐へしまう。胸の上に置いた手には、少し早い鼓動が伝わっていた。
それは、『春より元の部署に戻るように』という一方的な任命書だった。
● それは新たに踏み出すために
フェイデンの甘輝祭は、恋人たちだけに限らず、友愛や家族愛を育む祭典として開かれた。領主の意向らしいが、その真意まではわからない。グレゴリー青年は賑々しい祭りの輪に加われないまま、ぽつんとひとり、立ち尽くしていた。
グレゴリーは近隣の都市に出稼ぎに出ていた若者のひとりだ。フェイデンでの暮らしに限界を感じ、身を立て、金を稼いで戻ってくると啖呵を切って飛び出した。恋人も、家族も置いて。
それから五年余り、結局、グレゴリーの努力は身を結ぶことはなかった。「戻ってきなさい、あの娘もお前を待ち続けている」という両親からの手紙を、半ば意地になって無視してきた。
それを今更戻ってきたのは、フェイデンが豊かになりつつあるという噂を聞いたからだ。同じように出稼ぎに出てきた仲間たちがひとり、またひとりと帰郷し、グレゴリーもいよいよ友人のいない生活に耐えきれなくなって戻ってきた。
片手に提げてしまえるほどの小さな荷物。その中に、約束した金も、名誉も地位もない。そのことが虚しく、情けない。
彼女は、もう他の相手を見つけて結婚しているかもしれない。いっそその方がいいとさえ思える。こんな甲斐性のない男と一緒になるより、この土地で懸命にやってきた相手と結ばれる方が。
「でもせめて……っていうのは、だめかな」
故郷を出ている間に建設された野外音楽堂は、今宵は広場として使われていた。壁や木にはいくつものメッセージカードが添えられている。それは、さまざまな理由で直接伝えることができない想いを記すための場所だという。
『帰りを待っている』『どうか元気でいて』『ずっとあなたを愛している』――そんな言葉の数々に、グレゴリー青年はようやく歩き出した。
彼女もここにやって来るだろうか。そして、自分のメッセージに気づいてくれるだろうか。そんな望みを胸に――。
解説
皆さんはフェイデン子爵領での甘輝祭に通りかかりました。依頼の帰りだったかもしれませんし、観光で訪れたのかもしれません。甘輝祭に際してのさまざまな催し物をお楽しみください!
主目的:甘輝祭を楽しむ
時間帯:夜
■できること
【1】野外音楽堂で想いを綴る
ここでは、さまざまな理由で直接伝えることができない想いを記すためのイベントが開かれています。
二つ折りのメッセージカードに気持ちを綴り、音楽堂の壁に貼り出したり、樹木に吊るします。遠くにいる大切な人、行方の知れぬ友、胸に秘めるしかない想い、もう会えない愛する人へ――。自分の気持ちを綴るもよし、文字が書けない人を手伝ってあげるのも良いでしょう。カードは、記名と無記名を選ぶことができます。
【2】広場の祝祭舞踏に参加する
音楽に合わせ、パートナーと踊ることができます。NPCも指名可能です。
【3】おいしいごはんをたべる、お土産を買う
チョコレート菓子から兎肉の香草焼き、草花粥など。果実の入ったホットワインも配られます。またお土産として、ふたごひつじのチョコレート木箱「ウッディ・ラムラムチョコレートボックス」が販売中です。
● 領地特徴の選択について ※必須ではありません
本依頼が「成功」以上の結果となった場合、フェイデン子爵領の領地特徴を以下からひとつ選ぶことができます。
(1)産業:貿易、加工技術、香辛料、★酒造、手工業
(2)人物:名工、難民、裏切り者、職人、政治家、錬金術師
(3)拠点:学校、病院、神殿、図書館、音楽堂、歓楽街
(4)組織:民会、商会、飛脚、犯罪集団、騎士団、自警団
(5)文化:異民族文化、大衆文化、食文化、服飾文化、住宅文化、信仰文化
《!》領地特徴の獲得について
プレイングに、大項目【産業】【人物】【拠点】【組織】【文化】の5つのうちいずれかを記入して提出してください。最も得票が多かった大項目に対応した領地特徴がダイスロールにて決定され、次回のシナリオに反映されます。
★印は前回反映された領地特徴です。
● NPC
ノーキス=フェイデン :現フェイデン子爵です。
レヴィル=ストゥルルソン:フェイデン子爵領を担当する王国査察官であり、ノーキスの政務補佐官です。
アリステア=エディン :エディン侯爵令息。「妖精姫」の異名を持つノーキスの婚約者であり、入婿です。
ヴィラール=サージェス :事故死した双子の兄を演じる男装女子。正体については秘匿情報です。
マスターより
初めましての方は初めまして。お馴染みの方はこんにちは、炙りとろ左門です。
次回は内政外交に関わるお話と言ったな、すっかり忘れていたが【甘壇】がありましたすみません。ど、導入ということで!
OPでNPCにいろいろイベントが起きていたりしますが、次回の話へ繋がる内容というだけなので、特に気にせずお祭りを楽しんでいただいて大丈夫です。
それでは皆様のご参加&プレイング、お待ちしております!
== 備考 ==
*マスターページは参照しなくても問題ありませんが、描写やマスタリングに関する項目があります。
*NPCは後述の例外を除き、プレイングに記載がなければ同行描写はされません。同行指定し交流をはかることも可能ですが、描写字数の関係で省略される場合もございます。例外として、判定の結果、情報提供役として登場することがあります。
*本シナリオにはNPC「ノーキス」および「レヴィル」が関連づけられており、必要な場合に質疑応答を行います。
リプレイ
「結婚の解釈は多様だね。貴族であれば、通過儀礼、或いは外交手札……我々にとっては、『務め』でもある」
アリステアに対しシルヴィア・A・カペルはそのように語り、ティーカップをソーサーの上に戻した。
「そう考えていたから、恋をするなんて思わなかった」
アリステアが抱く想いに、シルヴィアは共感してみせる。それが道ならぬものだったとしても。
「囲おうと思えばそう出来るだろうに、君は貴族としても一個人としても誠実であろうとしている……であれば、行動だけではなく、言葉も必要だと思う。まずは彼女に感謝を伝えることだよ」
腹を割って話せる関係、それが伴侶というものだというシルヴィアの言葉に、アリステアは聞き入っていた。
「……ありがとうございます、カペル嬢。なんだか勇気を貰えました」
アリステアは晴れやかな表情を浮かべた。シルヴィアはカップをテーブルの上に置いて立ち上がり、去り際にアリステアに耳打ちする。
「ノーキスは謀略は苦手そうだから、頑張らないと」
アリステアは驚いた顔をしたが、シルヴィアは軽やかに笑って見せる。それは、彼女らしくも貴族の血を感じさせる言動だった。
一方、野外音楽堂では――。
「うーん。こうかな!」
ライオネル・ギシュムは丸まっていた背筋を伸ばし、出来上がったメッセージカードを手に取る。
『父さんみたいに強い戦士に、母さんみたいに暖かい場所を作れる人に、まだまだなれてないけど。
皆を守れる騎士になれるように頑張るから。胸をはって故郷に帰る日まで待ってて! ライオネル・ギシュム』
故郷の両親に宛てたものだ。実際に送るとなると気恥ずかしいが、飾るだけならと思いの丈を書き込んだ。
願いをこうして形にするだけで、なんだか勇気づけられる気がする。ライオネルは照れ笑いを浮かべつつ席を立ち、近くの樹の枝にメッセージカードを引っ掛けた。
と、カードを手に木の下でもじもじとしている幼い少年が目に入り、ライオネルは声をかける。
「どうしたの?」
「書いたん、だけど。あのこが見るかもしれないから、ちょっとはずかしくて……」
どうやら恋煩いのようだ。ライオネルはにやっと笑った後、咳払いをして居住まいを正す。
「今伝えられる距離にいるなら、伝えちゃった方がいいよ」
その相手を失ってからでは遅い。ライオネルの言葉に少年ははっと顔をあげた。
「枝に届かないなら、俺がやるよ」
ライオネルは手を伸ばす。その姿はすでに、誰かの願いを叶えられる、立派なものだ――。
====
届くことはなくても、綴ることに意味があるのではないか。サマエラ=フォリウムもまた、メッセージカードを手にそう考えていた。
『母さんへ』
名前は書かないと決めていたが、いざペンを持つと迷いがあった。それも、その一言を書き出してしまば、嘘のようにすらすらと――いや、それまでしまい込んでいた想いが、溢れ出す。
『心配性な母さんのことだから、もしかしたら、今も私のことを見守ってくれているのかな』
だとしたら――大丈夫、私はもう自分の足で歩いていける。
強くなったし、もっと強くなるから……どうか、安心してね』
ペン先が震えないように。悲しみとも愛おしさとも違う、記すという行為で引き出されていく心。サマエラはメッセージカードを折りたたみ、想いをまた、大事にしまい込む。
枝先に吊せば、手を離れた言葉が相手に本当に届くような気がして、不思議な気分で立ち尽くす。
視界いっぱいのメッセージカードの中には、届けたい想いも、届けられない想いもこめられている。それら全てに安寧という祝福がありますようにと、サマエラは願わずにいられなかった。
====
『愛する君へ』
ラーナフは亡くなった妻に宛ててそう書き出し、ふ、と笑みを漏らす。
『どうも元気にやっているよ。君と相棒がいなくなったあと、可愛らしい恋人ができた』
……たまには文字にしないと拗ねられてしまうかもと筆をとったのに、別のことで怒られそうだが。ラーナフはしかし、頬を膨らませて拗ねる亡き妻の表情も、愛おしく思っていたから。
『モネという、愛らしい仔兎の女の子さ。今はその子と冒険しながら旅をしている。
お土産話を沢山持っていくから、もう少し待っていてね』
書き終えてメッセージカードを折りたたみ、そしてふと思いついて、机の上でラーナフの指先をじっと見つめていたうさぎのモネの頭を撫でる。
「モネ、君のサインももらっていいかな?」
ここに、とラーナフが指でとんと叩いたメッセージカードの隅に、モネがぽんと前脚を出す。伝わってはいるようだ。
ラーナフはインクを染み込ませた布をモネの足裏に軽く当て、カードの隅にぽんと足跡をつける。
「モネにもいつか紹介出来るといいな。俺の大切で、美しい……今も愛している女性のこと」
ラーナフはモネの脚を綺麗に拭きながら、想いを言葉に乗せた。
思い出とともに未だ褪せぬ愛を、貴女に。
====
ルベア・ベルニはただ、『会いたい』と一言書いて、手を止めた。
会いたい。今すぐに。かつて押さえつけられてきたその想いは、文字にすることでようやく解かれた。
だが、それは悲哀に満ちた、張り裂けそうな想いの形ではない。様々な人と出会い、心に触れて、ルベアにも「過去を懐かしむ」という余裕ができたのだ。
『今の私を、見てほしい』
休むことなく走り抜けてきた道の景色を、伝えられるようになった私を。
過去も未来も、ただそこにあるだけではない。小さな耕作地に分け入って収穫を手伝った日。笑顔は日々の中にあり、平和そのものだった。今の暮らしが、そのように慎ましく穏やかかと問われれば忙しないというのが正直な感想だが、息苦しくは、ない。
――でも。
だからこそ。
その日々がまた奪われるのではないかと、恐ろしくなる。
ルベアは、穏やかな日々を蹂躙した魔獣の襲来を思い起こす。そして、ある違和感を覚えた。
(あの魔獣たちの動き……統率が取れていた)
冒険者になり、戦いの経験を積んだことで見えた、それ。わずかな違和感だったが、気がついて仕舞えばざわざわと心が波立つ。
「まさか……ね」
====
フリューリングスルフト=ティエラは、何気なくカードを手に取った。
この想いは、誰にも知られることはないだろう。
綴ったとて、君もきっと見ることはないだろう。
ただ、そうすることで届くものがあるのなら。
届かせたいと、願うことができるうちに。
フリューはペンを走らせる。
『向日葵色が好きな君へ。
何度も出会える運命でありたい
そう思ったのは生まれて初めてで、きっと最初で最後。
君だけなんだ。
君の心の中に、いつか私の名前がそっと残りますように。 緋色より』
最後の文字が濡れて滲んだ。それが自身の瞳からこぼれ落ちたものだと気づくのに、少々時間を要する。
「……あ、れ? ……ぁは」
ぱた、ぱた。瞬けばもう数滴溢れて、カードに落ちる。
思い起こせるだけで、初めての涙だ。今までそんなものとは無縁だった――戦場でも、友が泣いていても、泣けなかったのに。
彼を想っただけで痛く、苦しく、溢れるこの気持ちを。
「しょっぱ!」
初めて知る涙の味も、悪くないと思える、それを。
「さあ、はじめようさぁ」
葬るのではなく、届かせたいと思った。
織り綴られた言葉たちを、風が優しく包む――。
====
『キミの声があの方に届きますように。
そして――キミの抱える孤独を、いつかボクも共有できますように……。
親愛をこめて』
エルゼリオ・レイノーラは、そう記したメッセージカードを折り畳んだ。宛名も送り主も記さない、淡い願い。だが、これでいい。
エルゼリオは野外音楽堂をあとにした。せっかくフェイデンに足を運んだのだ、この土地ならではの甘輝祭を味わいたい。
屋台には様々な食べ物が並ぶ。兎肉の香草焼き、草花粥、果実の入ったホットワイン――その他には、ドライフルーツをチョコレートに潜らせて食べるデザートや、ほんのり甘いチョコクッキー。いくつか土産に購入しつつ、エルゼリオは「ウッディ・ラムラム」の販路実態にも気を配る。
「すみません、この『ウッディ・ラムラムチョコレートボックス』を……10箱ください」
エルゼリオが涼やかにそう宣言すると、周囲がざわついた。それだけ価値のあるものなのかと注目が集まる。土産と布教用を合わせての数だったのだが、思わぬ効果があったようだ。
「このままフェイデンの名物キャラクターになってくれると良いんだけど……」
いずれにせよ、周知は一層進むだろう。エルゼリオは満足そうに頷き、商品を受け取った。
シャドウは依頼の帰りにフェイデン子爵領での甘輝祭に通りがかったのだが、先日のことが思い出されて曖昧な表情になっていた。
自身が不器用だという自覚はあったが――いや、あれは他の冒険者たちが優秀すぎたのだ、君は何も悪くない。
気を取り直して、シャドウはレヴィルを見つけ出すと、ウッディ・ラムラムチョコレートボックスを片手に早足に寄っていく。
「おや、シャドウさん。先日ぶりですね」
「はい。あの……これ」
シャドウはレヴィルにチョコレートボックスを差し出す。それに、レヴィルが目を瞬いた。
「指導してもらったお礼と、上手くできなかった――」
お詫びを兼ねて、と言いかけたところで、周囲から黄色い悲鳴が上がった。突然のことにシャドウが動けずにいると、少女たちのうちひとりがシャドウに駆け寄る。
「異国風の王国査察官と謎めいたイケメン隠密兵!? お二人の関係は!?」
何か盛大に勘違いされている。レヴィルは慌てて少女を嗜めるように割って入り、シャドウに「ありがとうございます」と礼を述べる。
「い、いえ。自分はこれで……!」
シャドウはフードを引き下げてその場を去ったが、黒いフードのイケメンシーフのことは、娘たちの間でしばらく話題になったという……。
広場では、祝祭舞踏のための音楽が奏でられていた。エフィルミアはその光景を踊りの輪の外から眺める。
「みんな楽しそうだな」
そんなエフィルミアの心の内を代弁するように、ナキルがエフィルミアの手を取った。
「オレたちも一緒に踊ろうぜ」
そのままナキルに手を引かれ、ふたりは踊りの輪に加わった。ステップは軽やかに、誤りなく韻律をなぞる。思いの外しっかりとしたリードに、エフィルミアは目を瞬いた。
「踊れなくて泣いてたナキルくんが、随分上手になったね?」
少し意地悪な物言いだったかなとちらりと表情を窺うも、ナキルは余裕の笑みだ。エフィルミアはよしもうちょっと突っつこうと口を開きかける。
「もうそんな風には言わせない。でもそれは、誰よりミアのおかげなんだぜ」
愛情のこもった瞳でエフィルミアを見つめ、繋いだ手を少しだけ強く握る。
「そ、そうだよね! ちょうど……1年かあ」
思いがけず胸が高鳴ったエフィルミアは、わざと話題をずらす。ナキルを優先できていなかったこの1年の間に、彼はエフィルミアが想像していた以上に成長している。
「オレがミアを一番綺麗に踊らせるからな」
その言葉も嬉しいけれど、よぎるのは一抹の不安だ。
ハーフリングとエルフは寿命差がある。成長速度は同等ではなく、ナキルの方が歩みが早い。
(でも、誰かに取られたり、しない)
だから、今日は頑張って伝えよう。
「これからもよろしくねナキルくん! ……だ、大好き!」
ふと、ナキルが輪の端で足を止めた。突然動きが途切れたのでつんのめったエフィルミアを、ナキルは抱き止める。
「ああ、これからもよろしくな、ミア。大好きだぜ」
祝祭の明かりに照らされる、あどけなさの残る幸せそうな笑顔。それに、エフィルミアは胸の辺りがぽっと暖かくなる思いがした。
「あぁ、でも薬草汁の味。もうちょっとなんとかならねぇ?」
「……薬草汁ものたりない? もっと刺激的な感じを目指してみるね!」
この一言さえなければ!とエフィルミアは憤慨するも、すぐに笑顔に戻る。ナキルの耳の先が赤くなっているのに気づいたからだ。もしかしたら、本音を茶化してしまう癖が移ったのかもしれない――一緒に歩んでいるという、証として。
「どうですか、おひとつ」
レヴィルはエミリア・シバにチョコレートボックスの中身を見せた。先ほどシャドウからもらったもので、休憩がてらつまんでいたらしい。
「いただくわ。個人的にも欲しいから、あとで私も買うけれど……」
ココアパウダーをまぶしたチョコレートは、生クリームを混ぜて滑らかに仕上げられている。口の中でとろけるそれに満足そうに微笑み、エミリアは続いてレヴィルをダンスに誘った。
「こうしてゆっくりお話しするのは久しぶりね」
「そうですね、冒険者たちに何かお願い事をするのは、祭事以外では問題の発生している時ですから……」
そして王国査察官という存在の訪問もまた、問題のひとつとして取り上げられた。これは、そこから始まった物語でもある。
「今のフェイデンやノーキスちゃんは、王国査察官の目から見てどう映っているかしら?」
領地経営能力とその実態に問題なしと見做されたとき、どうするのか。エミリアは暗に尋ねる。
「……ご立派なものです。直近の心配事については、また頼らせていただきますよ」
レヴィルは表情の変化に乏しい口元を、やや緊張気味に引き結んだのだった。
「よし、これで十分かな」
ヨル・スレイマンは買い上げたラムラムボックスを丁寧に袋に詰める。
自分用と、同居人の姉妹用に。せっかくだからリビングの棚に並べて飾ろう。そう想像したところで、さて場所があるかという疑問が生じた。
こうして大事なものが日に日に増えていくのは良いことでもあり、こうした問題も生じうる。
とはいえ、だ。ヨルは考え直す。ナハシュの作ったものがこうして世界に出回るのは、なんだか自分まで嬉しいから。
「おおー、やっぱこう、いいな!」
当のナハシュはラムラムボックスを手に売れしそうにしている。ヨルもナハシュも前回は作ることに集中していたため、こうして店頭に並んでいるのを見ると感慨深いものがある。
ふたりは買い物袋を抱え直すと、立ち並ぶ屋台を巡った。酒も振る舞われているということで、ナハシュはいつになく機嫌がいい。
「これ、売り出すんだろ。ラムラム饅頭とか、ラムの串焼きでラムラム焼きとかねえの?」
「串焼きはともかく、饅頭はいいかもね」
串焼きは子供が困惑するのが目に見えている。なお大人でも複雑な思いに駆られる人はいるかもしれない。でも肉の串焼きは美味しいぞ。
「そういや、紙吊さねえの?」
「紙? ああ……」
ワインと兎肉を楽しみつつ、合間にチョコレート菓子をつまんでいたヨルは、しばし考えてから頷く。
「カードには酒が付けられないから、今回は見送りだ」
「ああ」
ナハシュは合点がいった様子で酒の入ったグラスを傾ける。
「酒は大事だな」
予想していた台詞だが、このやりとりが心地よいとヨルは思った。そして想いは、場所を取らない。それもまた良し悪しがあろうが、ヨルはそう、選んだのだ。
アリステアに対しシルヴィア・A・カペルはそのように語り、ティーカップをソーサーの上に戻した。
「そう考えていたから、恋をするなんて思わなかった」
アリステアが抱く想いに、シルヴィアは共感してみせる。それが道ならぬものだったとしても。
「囲おうと思えばそう出来るだろうに、君は貴族としても一個人としても誠実であろうとしている……であれば、行動だけではなく、言葉も必要だと思う。まずは彼女に感謝を伝えることだよ」
腹を割って話せる関係、それが伴侶というものだというシルヴィアの言葉に、アリステアは聞き入っていた。
「……ありがとうございます、カペル嬢。なんだか勇気を貰えました」
アリステアは晴れやかな表情を浮かべた。シルヴィアはカップをテーブルの上に置いて立ち上がり、去り際にアリステアに耳打ちする。
「ノーキスは謀略は苦手そうだから、頑張らないと」
アリステアは驚いた顔をしたが、シルヴィアは軽やかに笑って見せる。それは、彼女らしくも貴族の血を感じさせる言動だった。
一方、野外音楽堂では――。
「うーん。こうかな!」
ライオネル・ギシュムは丸まっていた背筋を伸ばし、出来上がったメッセージカードを手に取る。
『父さんみたいに強い戦士に、母さんみたいに暖かい場所を作れる人に、まだまだなれてないけど。
皆を守れる騎士になれるように頑張るから。胸をはって故郷に帰る日まで待ってて! ライオネル・ギシュム』
故郷の両親に宛てたものだ。実際に送るとなると気恥ずかしいが、飾るだけならと思いの丈を書き込んだ。
願いをこうして形にするだけで、なんだか勇気づけられる気がする。ライオネルは照れ笑いを浮かべつつ席を立ち、近くの樹の枝にメッセージカードを引っ掛けた。
と、カードを手に木の下でもじもじとしている幼い少年が目に入り、ライオネルは声をかける。
「どうしたの?」
「書いたん、だけど。あのこが見るかもしれないから、ちょっとはずかしくて……」
どうやら恋煩いのようだ。ライオネルはにやっと笑った後、咳払いをして居住まいを正す。
「今伝えられる距離にいるなら、伝えちゃった方がいいよ」
その相手を失ってからでは遅い。ライオネルの言葉に少年ははっと顔をあげた。
「枝に届かないなら、俺がやるよ」
ライオネルは手を伸ばす。その姿はすでに、誰かの願いを叶えられる、立派なものだ――。
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届くことはなくても、綴ることに意味があるのではないか。サマエラ=フォリウムもまた、メッセージカードを手にそう考えていた。
『母さんへ』
名前は書かないと決めていたが、いざペンを持つと迷いがあった。それも、その一言を書き出してしまば、嘘のようにすらすらと――いや、それまでしまい込んでいた想いが、溢れ出す。
『心配性な母さんのことだから、もしかしたら、今も私のことを見守ってくれているのかな』
だとしたら――大丈夫、私はもう自分の足で歩いていける。
強くなったし、もっと強くなるから……どうか、安心してね』
ペン先が震えないように。悲しみとも愛おしさとも違う、記すという行為で引き出されていく心。サマエラはメッセージカードを折りたたみ、想いをまた、大事にしまい込む。
枝先に吊せば、手を離れた言葉が相手に本当に届くような気がして、不思議な気分で立ち尽くす。
視界いっぱいのメッセージカードの中には、届けたい想いも、届けられない想いもこめられている。それら全てに安寧という祝福がありますようにと、サマエラは願わずにいられなかった。
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『愛する君へ』
ラーナフは亡くなった妻に宛ててそう書き出し、ふ、と笑みを漏らす。
『どうも元気にやっているよ。君と相棒がいなくなったあと、可愛らしい恋人ができた』
……たまには文字にしないと拗ねられてしまうかもと筆をとったのに、別のことで怒られそうだが。ラーナフはしかし、頬を膨らませて拗ねる亡き妻の表情も、愛おしく思っていたから。
『モネという、愛らしい仔兎の女の子さ。今はその子と冒険しながら旅をしている。
お土産話を沢山持っていくから、もう少し待っていてね』
書き終えてメッセージカードを折りたたみ、そしてふと思いついて、机の上でラーナフの指先をじっと見つめていたうさぎのモネの頭を撫でる。
「モネ、君のサインももらっていいかな?」
ここに、とラーナフが指でとんと叩いたメッセージカードの隅に、モネがぽんと前脚を出す。伝わってはいるようだ。
ラーナフはインクを染み込ませた布をモネの足裏に軽く当て、カードの隅にぽんと足跡をつける。
「モネにもいつか紹介出来るといいな。俺の大切で、美しい……今も愛している女性のこと」
ラーナフはモネの脚を綺麗に拭きながら、想いを言葉に乗せた。
思い出とともに未だ褪せぬ愛を、貴女に。
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ルベア・ベルニはただ、『会いたい』と一言書いて、手を止めた。
会いたい。今すぐに。かつて押さえつけられてきたその想いは、文字にすることでようやく解かれた。
だが、それは悲哀に満ちた、張り裂けそうな想いの形ではない。様々な人と出会い、心に触れて、ルベアにも「過去を懐かしむ」という余裕ができたのだ。
『今の私を、見てほしい』
休むことなく走り抜けてきた道の景色を、伝えられるようになった私を。
過去も未来も、ただそこにあるだけではない。小さな耕作地に分け入って収穫を手伝った日。笑顔は日々の中にあり、平和そのものだった。今の暮らしが、そのように慎ましく穏やかかと問われれば忙しないというのが正直な感想だが、息苦しくは、ない。
――でも。
だからこそ。
その日々がまた奪われるのではないかと、恐ろしくなる。
ルベアは、穏やかな日々を蹂躙した魔獣の襲来を思い起こす。そして、ある違和感を覚えた。
(あの魔獣たちの動き……統率が取れていた)
冒険者になり、戦いの経験を積んだことで見えた、それ。わずかな違和感だったが、気がついて仕舞えばざわざわと心が波立つ。
「まさか……ね」
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フリューリングスルフト=ティエラは、何気なくカードを手に取った。
この想いは、誰にも知られることはないだろう。
綴ったとて、君もきっと見ることはないだろう。
ただ、そうすることで届くものがあるのなら。
届かせたいと、願うことができるうちに。
フリューはペンを走らせる。
『向日葵色が好きな君へ。
何度も出会える運命でありたい
そう思ったのは生まれて初めてで、きっと最初で最後。
君だけなんだ。
君の心の中に、いつか私の名前がそっと残りますように。 緋色より』
最後の文字が濡れて滲んだ。それが自身の瞳からこぼれ落ちたものだと気づくのに、少々時間を要する。
「……あ、れ? ……ぁは」
ぱた、ぱた。瞬けばもう数滴溢れて、カードに落ちる。
思い起こせるだけで、初めての涙だ。今までそんなものとは無縁だった――戦場でも、友が泣いていても、泣けなかったのに。
彼を想っただけで痛く、苦しく、溢れるこの気持ちを。
「しょっぱ!」
初めて知る涙の味も、悪くないと思える、それを。
「さあ、はじめようさぁ」
葬るのではなく、届かせたいと思った。
織り綴られた言葉たちを、風が優しく包む――。
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『キミの声があの方に届きますように。
そして――キミの抱える孤独を、いつかボクも共有できますように……。
親愛をこめて』
エルゼリオ・レイノーラは、そう記したメッセージカードを折り畳んだ。宛名も送り主も記さない、淡い願い。だが、これでいい。
エルゼリオは野外音楽堂をあとにした。せっかくフェイデンに足を運んだのだ、この土地ならではの甘輝祭を味わいたい。
屋台には様々な食べ物が並ぶ。兎肉の香草焼き、草花粥、果実の入ったホットワイン――その他には、ドライフルーツをチョコレートに潜らせて食べるデザートや、ほんのり甘いチョコクッキー。いくつか土産に購入しつつ、エルゼリオは「ウッディ・ラムラム」の販路実態にも気を配る。
「すみません、この『ウッディ・ラムラムチョコレートボックス』を……10箱ください」
エルゼリオが涼やかにそう宣言すると、周囲がざわついた。それだけ価値のあるものなのかと注目が集まる。土産と布教用を合わせての数だったのだが、思わぬ効果があったようだ。
「このままフェイデンの名物キャラクターになってくれると良いんだけど……」
いずれにせよ、周知は一層進むだろう。エルゼリオは満足そうに頷き、商品を受け取った。
シャドウは依頼の帰りにフェイデン子爵領での甘輝祭に通りがかったのだが、先日のことが思い出されて曖昧な表情になっていた。
自身が不器用だという自覚はあったが――いや、あれは他の冒険者たちが優秀すぎたのだ、君は何も悪くない。
気を取り直して、シャドウはレヴィルを見つけ出すと、ウッディ・ラムラムチョコレートボックスを片手に早足に寄っていく。
「おや、シャドウさん。先日ぶりですね」
「はい。あの……これ」
シャドウはレヴィルにチョコレートボックスを差し出す。それに、レヴィルが目を瞬いた。
「指導してもらったお礼と、上手くできなかった――」
お詫びを兼ねて、と言いかけたところで、周囲から黄色い悲鳴が上がった。突然のことにシャドウが動けずにいると、少女たちのうちひとりがシャドウに駆け寄る。
「異国風の王国査察官と謎めいたイケメン隠密兵!? お二人の関係は!?」
何か盛大に勘違いされている。レヴィルは慌てて少女を嗜めるように割って入り、シャドウに「ありがとうございます」と礼を述べる。
「い、いえ。自分はこれで……!」
シャドウはフードを引き下げてその場を去ったが、黒いフードのイケメンシーフのことは、娘たちの間でしばらく話題になったという……。
広場では、祝祭舞踏のための音楽が奏でられていた。エフィルミアはその光景を踊りの輪の外から眺める。
「みんな楽しそうだな」
そんなエフィルミアの心の内を代弁するように、ナキルがエフィルミアの手を取った。
「オレたちも一緒に踊ろうぜ」
そのままナキルに手を引かれ、ふたりは踊りの輪に加わった。ステップは軽やかに、誤りなく韻律をなぞる。思いの外しっかりとしたリードに、エフィルミアは目を瞬いた。
「踊れなくて泣いてたナキルくんが、随分上手になったね?」
少し意地悪な物言いだったかなとちらりと表情を窺うも、ナキルは余裕の笑みだ。エフィルミアはよしもうちょっと突っつこうと口を開きかける。
「もうそんな風には言わせない。でもそれは、誰よりミアのおかげなんだぜ」
愛情のこもった瞳でエフィルミアを見つめ、繋いだ手を少しだけ強く握る。
「そ、そうだよね! ちょうど……1年かあ」
思いがけず胸が高鳴ったエフィルミアは、わざと話題をずらす。ナキルを優先できていなかったこの1年の間に、彼はエフィルミアが想像していた以上に成長している。
「オレがミアを一番綺麗に踊らせるからな」
その言葉も嬉しいけれど、よぎるのは一抹の不安だ。
ハーフリングとエルフは寿命差がある。成長速度は同等ではなく、ナキルの方が歩みが早い。
(でも、誰かに取られたり、しない)
だから、今日は頑張って伝えよう。
「これからもよろしくねナキルくん! ……だ、大好き!」
ふと、ナキルが輪の端で足を止めた。突然動きが途切れたのでつんのめったエフィルミアを、ナキルは抱き止める。
「ああ、これからもよろしくな、ミア。大好きだぜ」
祝祭の明かりに照らされる、あどけなさの残る幸せそうな笑顔。それに、エフィルミアは胸の辺りがぽっと暖かくなる思いがした。
「あぁ、でも薬草汁の味。もうちょっとなんとかならねぇ?」
「……薬草汁ものたりない? もっと刺激的な感じを目指してみるね!」
この一言さえなければ!とエフィルミアは憤慨するも、すぐに笑顔に戻る。ナキルの耳の先が赤くなっているのに気づいたからだ。もしかしたら、本音を茶化してしまう癖が移ったのかもしれない――一緒に歩んでいるという、証として。
「どうですか、おひとつ」
レヴィルはエミリア・シバにチョコレートボックスの中身を見せた。先ほどシャドウからもらったもので、休憩がてらつまんでいたらしい。
「いただくわ。個人的にも欲しいから、あとで私も買うけれど……」
ココアパウダーをまぶしたチョコレートは、生クリームを混ぜて滑らかに仕上げられている。口の中でとろけるそれに満足そうに微笑み、エミリアは続いてレヴィルをダンスに誘った。
「こうしてゆっくりお話しするのは久しぶりね」
「そうですね、冒険者たちに何かお願い事をするのは、祭事以外では問題の発生している時ですから……」
そして王国査察官という存在の訪問もまた、問題のひとつとして取り上げられた。これは、そこから始まった物語でもある。
「今のフェイデンやノーキスちゃんは、王国査察官の目から見てどう映っているかしら?」
領地経営能力とその実態に問題なしと見做されたとき、どうするのか。エミリアは暗に尋ねる。
「……ご立派なものです。直近の心配事については、また頼らせていただきますよ」
レヴィルは表情の変化に乏しい口元を、やや緊張気味に引き結んだのだった。
「よし、これで十分かな」
ヨル・スレイマンは買い上げたラムラムボックスを丁寧に袋に詰める。
自分用と、同居人の姉妹用に。せっかくだからリビングの棚に並べて飾ろう。そう想像したところで、さて場所があるかという疑問が生じた。
こうして大事なものが日に日に増えていくのは良いことでもあり、こうした問題も生じうる。
とはいえ、だ。ヨルは考え直す。ナハシュの作ったものがこうして世界に出回るのは、なんだか自分まで嬉しいから。
「おおー、やっぱこう、いいな!」
当のナハシュはラムラムボックスを手に売れしそうにしている。ヨルもナハシュも前回は作ることに集中していたため、こうして店頭に並んでいるのを見ると感慨深いものがある。
ふたりは買い物袋を抱え直すと、立ち並ぶ屋台を巡った。酒も振る舞われているということで、ナハシュはいつになく機嫌がいい。
「これ、売り出すんだろ。ラムラム饅頭とか、ラムの串焼きでラムラム焼きとかねえの?」
「串焼きはともかく、饅頭はいいかもね」
串焼きは子供が困惑するのが目に見えている。なお大人でも複雑な思いに駆られる人はいるかもしれない。でも肉の串焼きは美味しいぞ。
「そういや、紙吊さねえの?」
「紙? ああ……」
ワインと兎肉を楽しみつつ、合間にチョコレート菓子をつまんでいたヨルは、しばし考えてから頷く。
「カードには酒が付けられないから、今回は見送りだ」
「ああ」
ナハシュは合点がいった様子で酒の入ったグラスを傾ける。
「酒は大事だな」
予想していた台詞だが、このやりとりが心地よいとヨルは思った。そして想いは、場所を取らない。それもまた良し悪しがあろうが、ヨルはそう、選んだのだ。
マスターコメント
お疲れ様でした! 言葉にする、書き記すという行為にはいろんな側面があるんだなーと、皆さんのプレイングを読んで改めて気付かされました。ご参加ありがとうございました!
領地特徴の得票は、
【組織】■■■
【人物】■■
【産業】■■
【文化】■■
となりまして、【組織】からダイスロールにより「騎士団」が選ばれました。
騎士団……騎士団!? 一体どうなるのか……。
それではまた、お会いしましょう〜。
イベントシナリオ易しい 報酬:標準13 / 4〜25人
2023年03月05日 23時57分20秒 公開
大成功
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