婚約破棄された悪役令嬢ですが、夜会を開きます。
炙りとろ左門
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シナリオID:1540
オープニング
リーンエス王国、王都グランスパーダ、モーランド伯爵邸——
今宵の夜会は、モーランド伯爵令嬢ウィナリアが主催する。
「ついにこの日がやって来ましたわよ」
グレイヴィル伯爵令嬢アルテミシアは、ぱちんと扇を閉じた。控え室には今夜のため招待された冒険者たちも集っている。ある者は護衛として、ある者は賓客として。そしてソファには着飾ったウィナリアが腰掛けている。
その佇まいは、妖精の美姫とも見紛う美しさ。深緑色のドレスローブから除く清廉な白いレース。ウィナリアの思慮深さと知性、そして可憐さを十二分に引き出したこのコーディネートは、冒険者たちの手によるものだ。
「ああ、私の可愛いウィナリア。これでは老若男女の心を射止めてしまいますわ。衆目に晒したくない……でもあの野郎をやり込めるためにはこの舞台しかありませんの」
ただでさえウィナリアを撫で可愛がりしているアルテミシアだが、夜会の目的を思い出して咳払いをひとつ挟む。学園の中庭であらぬ悪評のもとウィナリアとの婚約を破棄をしたトビアス——彼も、夜会に招待されている。
ここで着飾ったウィナリアを見せつけ、別の女を取ったトビアスを後悔させるのが、アルテミシアの目的だ。
「アルテミシア様」
トビアスに対し忿懣やる方なしという様相のアルテミシアの手に、ウィナリアはそっと触れる。そして瞳を潤ませ、不安げに訴えた。
「今の私より……トビアス様のことが気にかかりますか?」
「いいえ(即答)」
「せっかく用意していただいた晴れ舞台です。騒ぎにしたくはありません。私とトビアス様でしっかり話し合いますから」
ウィナリアの言葉に、アルテミシアは天を仰ぐ。
「ウィナリア……変わりましたわね。幼い頃から私の後をどこまでもついて来て、一緒でなくては嫌だと泣いていたあの子が……いえ、私が怒りに囚われることをよしとしないその慈悲深さ、やはり貴女は変わらぬ私のウィナリアですわ」
「そ、それは昔の、ずっと小さい頃の話で……! それにあの、そんな綺麗な理由ではなくてですね」
おろおろと慌てだすウィナリアは、やはり以前の面影を残している。そんな様子に、グランツ子爵パーシバルも微笑んだ。
「ウィナリアが研究のこと以外で、こんな風に堂々と自分の意見を言えるようになるなんて。僕としても喜ばしいよ」
「……おじ様。此度のこと、婚約者としての義務を怠ってきた私にも非があります。きちんと始末をつけますので」
「うん、いや。まあ、僕の監督不行き届きでもあるんだけどね。君は……本当に立派になった」
今夜、ウィナリアのエスコートを引き受けるパーシバルの眼差しは優しい。
しかしその瞳の奥に灯る微かな熱を、アルテミシアは見逃さなかった。
「パーシバル卿」
「な、なにかな?」
「ウィナリアに妙な気持ちを抱いた瞬間に、私がへし折りますのでお覚悟なさって?」
「何を!? 何をへし折るの!?」
動揺するパーシバルに、アルテミシアは深い深いため息をつく。
「はぁ……男ってこれだから。ウィナリアは貴方のために綺麗になったのではありませんわよ。わ・た・く・しと自分のためですわ。ちょ〜〜〜〜っと整った顔立ちだからって調子に乗らないでくださいませ」
私、の部分をしっかりはっきり強調して、アルテミシアはパーシバルを見下ろす。パーシバルのほうが背が高いはずなのだが、アルテミシアが少し顎を上向けただけで威圧感が出るのは——こちらの方がよほど悪役令嬢らしく見える。
慌ててウィナリアが仲裁に入るのだが、
「だ、大丈夫ですよアルテミシア様。おじ様は綺麗じゃない私のこともよく知っておいでですから……」
「何をどうよく知っておいでなのか詳しくお話を伺いたいですわねパーシバル卿向こうでお茶でも飲みながらゆっくり語らいませんこと」
「えっあっまってアルテミシア嬢、僕は何も」
火に油だったようで、パーシバルはアルテミシアに引きずられて行ってしまった。
それを見送るウィナリアは、どこか物憂げだ。
「……これでアルテミシア様はおじ様とゆっくり話せます。アルテミシア様がおじ様を好きなら……私は……」
いや、そろそろ夜会が始まるのにいいのか。
冒険者たちはその突っ込みをそっと飲み込むのだった。
● 幕は上がる
主催者の入場を目前にして、その事態は発覚した。
「婚約者の主催の夜会に浮気相手と共に現れるとか本物の馬鹿ですの!?」
アルテミシアは驚愕する。トビアスが伯爵邸前でキオナ嬢と話しているというのだ。
「え、僕聞いてない……! トビアスには1人で来るようにと言ったし、そう根回ししたはず」
パーシバルも予想していなかったらしく、ぶんぶんと首を横に振った。
状況を整理すると、どうやら勝手にやってきたキオナ嬢をトビアスがそれと聞いて出迎えたということだった。
「あ、あの男爵令嬢も図々しいですわね!! あんたは招待されておりませんのよ!?」
礼儀以前の問題である。キオナ嬢はトビアスを守ると息巻いており、トビアスも彼女を同伴させて会場入りするつもりらしい。アルテミシアは怒りに震えた後、それをぐっと呑み込んだ。
「いえ、良いでしょう。その気概、買ってやりますわ。……ウィナリア、やれますわね?」
「……愚かな子供の悪ふざけ、出来るだけ穏便にと思っていたのですが……トビアス様がその気なら、致し方ありません」
「うっ胃が痛い」
顔面蒼白で胃のあたりを押さえるパーシバルを、ウィナリアはそっと支える。
「おじ様にご迷惑のかからないようにいたします。エスコートは誰か他の方に、」
「いや、僕にさせて欲しい。果たすべき責任があるからね。……ごめん、水だけもらえるかな……」
大丈夫かこの子爵、という視線をパーシバルに投げてから、アルテミシアは軽く手を叩く。
「では、参りますわよ」
● トビアスの心
別に、泣かせたいわけじゃなかった。
そう伝えたとしても、自分のしでかしたことは変わらない。トビアスは小さく溜息をついた。今更そんな幼稚な言い訳が通るはずもないのだ。
それに、彼女を疎ましく思っていたのは事実だ。
最初は、地味な子だと思った。ウィナリアの優しさや勤勉さに触れたトビアスはすぐに考えを変えたが——
『おじさま! きょうはなんのおはなしをしてくださるのですか?』
ウィナリアはトビアスよりも、叔父のパーシバルに懐いた。
トビアスは2人のように優秀ではなかった。人並み以上にこなせても、それ止まり。何かを極めることなどできない半端者。自分はこんなに努力しているのに、いつも楽しそうに笑い合っている2人が許せなくて、妬ましくて。
必死に、「興味などない」と意識を逸らしても無理で。
「……めちゃくちゃにしてやりたかったんだ」
そう、それが本音だ。泣かせたいわけじゃなかったなんて、一瞬の罪悪感に過ぎない。
「なら、そうしたらいいんです」
キオナの言葉は甘美だった。努力に苦しむトビアスを讃え、認めてくれた。
なのに——どうして、ちっとも満たされないんだろう。
着飾ったウィナリアは、そう言われなければ本人とわからないほど美しく、堂々としていて。その隣には当然のように叔父がいて。
自分が本当に変わらない、変わりなどしない存在なのだと、突きつけられている気がした。
今宵の夜会は、モーランド伯爵令嬢ウィナリアが主催する。
「ついにこの日がやって来ましたわよ」
グレイヴィル伯爵令嬢アルテミシアは、ぱちんと扇を閉じた。控え室には今夜のため招待された冒険者たちも集っている。ある者は護衛として、ある者は賓客として。そしてソファには着飾ったウィナリアが腰掛けている。
その佇まいは、妖精の美姫とも見紛う美しさ。深緑色のドレスローブから除く清廉な白いレース。ウィナリアの思慮深さと知性、そして可憐さを十二分に引き出したこのコーディネートは、冒険者たちの手によるものだ。
「ああ、私の可愛いウィナリア。これでは老若男女の心を射止めてしまいますわ。衆目に晒したくない……でもあの野郎をやり込めるためにはこの舞台しかありませんの」
ただでさえウィナリアを撫で可愛がりしているアルテミシアだが、夜会の目的を思い出して咳払いをひとつ挟む。学園の中庭であらぬ悪評のもとウィナリアとの婚約を破棄をしたトビアス——彼も、夜会に招待されている。
ここで着飾ったウィナリアを見せつけ、別の女を取ったトビアスを後悔させるのが、アルテミシアの目的だ。
「アルテミシア様」
トビアスに対し忿懣やる方なしという様相のアルテミシアの手に、ウィナリアはそっと触れる。そして瞳を潤ませ、不安げに訴えた。
「今の私より……トビアス様のことが気にかかりますか?」
「いいえ(即答)」
「せっかく用意していただいた晴れ舞台です。騒ぎにしたくはありません。私とトビアス様でしっかり話し合いますから」
ウィナリアの言葉に、アルテミシアは天を仰ぐ。
「ウィナリア……変わりましたわね。幼い頃から私の後をどこまでもついて来て、一緒でなくては嫌だと泣いていたあの子が……いえ、私が怒りに囚われることをよしとしないその慈悲深さ、やはり貴女は変わらぬ私のウィナリアですわ」
「そ、それは昔の、ずっと小さい頃の話で……! それにあの、そんな綺麗な理由ではなくてですね」
おろおろと慌てだすウィナリアは、やはり以前の面影を残している。そんな様子に、グランツ子爵パーシバルも微笑んだ。
「ウィナリアが研究のこと以外で、こんな風に堂々と自分の意見を言えるようになるなんて。僕としても喜ばしいよ」
「……おじ様。此度のこと、婚約者としての義務を怠ってきた私にも非があります。きちんと始末をつけますので」
「うん、いや。まあ、僕の監督不行き届きでもあるんだけどね。君は……本当に立派になった」
今夜、ウィナリアのエスコートを引き受けるパーシバルの眼差しは優しい。
しかしその瞳の奥に灯る微かな熱を、アルテミシアは見逃さなかった。
「パーシバル卿」
「な、なにかな?」
「ウィナリアに妙な気持ちを抱いた瞬間に、私がへし折りますのでお覚悟なさって?」
「何を!? 何をへし折るの!?」
動揺するパーシバルに、アルテミシアは深い深いため息をつく。
「はぁ……男ってこれだから。ウィナリアは貴方のために綺麗になったのではありませんわよ。わ・た・く・しと自分のためですわ。ちょ〜〜〜〜っと整った顔立ちだからって調子に乗らないでくださいませ」
私、の部分をしっかりはっきり強調して、アルテミシアはパーシバルを見下ろす。パーシバルのほうが背が高いはずなのだが、アルテミシアが少し顎を上向けただけで威圧感が出るのは——こちらの方がよほど悪役令嬢らしく見える。
慌ててウィナリアが仲裁に入るのだが、
「だ、大丈夫ですよアルテミシア様。おじ様は綺麗じゃない私のこともよく知っておいでですから……」
「何をどうよく知っておいでなのか詳しくお話を伺いたいですわねパーシバル卿向こうでお茶でも飲みながらゆっくり語らいませんこと」
「えっあっまってアルテミシア嬢、僕は何も」
火に油だったようで、パーシバルはアルテミシアに引きずられて行ってしまった。
それを見送るウィナリアは、どこか物憂げだ。
「……これでアルテミシア様はおじ様とゆっくり話せます。アルテミシア様がおじ様を好きなら……私は……」
いや、そろそろ夜会が始まるのにいいのか。
冒険者たちはその突っ込みをそっと飲み込むのだった。
● 幕は上がる
主催者の入場を目前にして、その事態は発覚した。
「婚約者の主催の夜会に浮気相手と共に現れるとか本物の馬鹿ですの!?」
アルテミシアは驚愕する。トビアスが伯爵邸前でキオナ嬢と話しているというのだ。
「え、僕聞いてない……! トビアスには1人で来るようにと言ったし、そう根回ししたはず」
パーシバルも予想していなかったらしく、ぶんぶんと首を横に振った。
状況を整理すると、どうやら勝手にやってきたキオナ嬢をトビアスがそれと聞いて出迎えたということだった。
「あ、あの男爵令嬢も図々しいですわね!! あんたは招待されておりませんのよ!?」
礼儀以前の問題である。キオナ嬢はトビアスを守ると息巻いており、トビアスも彼女を同伴させて会場入りするつもりらしい。アルテミシアは怒りに震えた後、それをぐっと呑み込んだ。
「いえ、良いでしょう。その気概、買ってやりますわ。……ウィナリア、やれますわね?」
「……愚かな子供の悪ふざけ、出来るだけ穏便にと思っていたのですが……トビアス様がその気なら、致し方ありません」
「うっ胃が痛い」
顔面蒼白で胃のあたりを押さえるパーシバルを、ウィナリアはそっと支える。
「おじ様にご迷惑のかからないようにいたします。エスコートは誰か他の方に、」
「いや、僕にさせて欲しい。果たすべき責任があるからね。……ごめん、水だけもらえるかな……」
大丈夫かこの子爵、という視線をパーシバルに投げてから、アルテミシアは軽く手を叩く。
「では、参りますわよ」
● トビアスの心
別に、泣かせたいわけじゃなかった。
そう伝えたとしても、自分のしでかしたことは変わらない。トビアスは小さく溜息をついた。今更そんな幼稚な言い訳が通るはずもないのだ。
それに、彼女を疎ましく思っていたのは事実だ。
最初は、地味な子だと思った。ウィナリアの優しさや勤勉さに触れたトビアスはすぐに考えを変えたが——
『おじさま! きょうはなんのおはなしをしてくださるのですか?』
ウィナリアはトビアスよりも、叔父のパーシバルに懐いた。
トビアスは2人のように優秀ではなかった。人並み以上にこなせても、それ止まり。何かを極めることなどできない半端者。自分はこんなに努力しているのに、いつも楽しそうに笑い合っている2人が許せなくて、妬ましくて。
必死に、「興味などない」と意識を逸らしても無理で。
「……めちゃくちゃにしてやりたかったんだ」
そう、それが本音だ。泣かせたいわけじゃなかったなんて、一瞬の罪悪感に過ぎない。
「なら、そうしたらいいんです」
キオナの言葉は甘美だった。努力に苦しむトビアスを讃え、認めてくれた。
なのに——どうして、ちっとも満たされないんだろう。
着飾ったウィナリアは、そう言われなければ本人とわからないほど美しく、堂々としていて。その隣には当然のように叔父がいて。
自分が本当に変わらない、変わりなどしない存在なのだと、突きつけられている気がした。
解説
OPでごちゃごちゃやってるけど読まなくていいです!(そういうのは最初に言うんだよ)
皆さんは王国貴族のモーランド伯爵令嬢ウィナリアが主催する夜会に招待されました。護衛役、賓客、その立場は様々です。
前回の結果により、すでにウィナリアの手元には冤罪を証明するだけの情報があり、トビアスらによる言いがかりは事実無根と言い切れる状態です……ので、ぶっちゃけ皆さんは気にせず食事やダンスを楽しんでくださってOKです!
【1】食事を楽しむ
【2】ダンスを楽しむ
【3】バルコニーや中庭で一息
などなど。
各選択肢ではNPCも指名可能です。
■NPC
★ウィナリア=モーランド
モーランド伯爵令嬢。16歳。トビアスの婚約者で、三度の飯より読書が好きな本の虫。とりわけ考古学に長ける。
焦茶色の長髪に、灰色の瞳。冒険者たちに磨き上げられ、見目麗しい令嬢に大変身した。ぺた胸。
★アルテミシア=グレイヴィル
グレイヴィル伯爵令嬢。18歳。トビアスの従姉であり、氷に例えられるほどの美しさと気品を併せ持つ令嬢の中の令嬢。高飛車とも取られがちな彼女の態度だが、貴族としての矜持と義務を重んじる彼女の理解者は多い。トビアスの婚約者であるウィナリアを甚く気に入っている。
★トビアス=グランツ
グランツ子爵令息。17歳。ウィナリアを気に入った叔父により彼女と婚約したが、ある日クレイラー男爵令嬢キオナと出会い、籠絡される。公衆の面前でウィナリアを断罪するに飽き足らず、夜会にキオナを同伴させている。
★キオナ=クレイラー
クレイラー男爵令嬢。16歳。小動物のように愛らしく、庇護欲を抱かせる少女。基本的に他者と関わり合いを持たないウィナリアの立場を利用し、いじめをでっちあげて陥れた。夜会ではトビアスに同伴している。
★グランツ子爵パーシバル
寝耳に水の事態2nd seasonに胃痛を覚える、どこまでも哀れな現グランツ子爵。26歳、考古学者。身だしなみをきちんとすれば眉目秀麗の好青年なのだが、多分今回の騒動一番の被害者。夜会ではウィナリアをエスコートする。
マスターより
初めましての方は初めまして。こんにちは、炙りとろ左門です。
婚約破棄された悪役令嬢のお話の後編です!
ウィナリアとトビアスはどんな結末を迎えるのか…
特に前回参加されていなかった方も、ダンスや食事をお楽しみいただけます。
多めに設定されている報酬は食事などのぶんと思ってください。もぐもぐ。
それでは皆様のプレイング、お待ちしております!
リプレイ
会場にわずかな戸惑いの空気が流れる。トビアスとキオナが入場したことに端を発したそれは、パーシバルにエスコートされたウィナリアが現れたことで徐々に収まりつつあった。
「ごきげんよう、皆様。そしてトビアス様」
ウィナリアは完璧な動作で淑女の挨拶を行う。キオナに対する言葉は、当然ない。
「此度は私のパーティへようこそ。基本的にはモーランドの縁友の範囲でご招待いたしました。そして私が得た新たな友人らも紹介したく思います」
ウィナリアのそばには、メイド服を着込んだ従者が付き従う。しかしその従者が只者ではないことは、武芸を嗜んだ者たちにはすぐに分かった。
ベルク・オスマットはトビアスを一瞥し、わずかに目を眇める。
「……学園のマナーと常識に対する教育体制はどうなっているのだ? いや、これは学園ではなく家の教育の範疇か——いずれにせよ、何故に招待されてもいないのに突撃してくる? 何故に招待されてもいない人間を同伴させる?」
あんまりな状況に、ベルクは溜息混じりにぼやく。もちろん、パーシバルとウィナリアにだけ聞こえる声量で。
「甘やかして育ててしまったというが……それは最早虐待だぞ」
パーシバルは返す言葉もない。ウィナリアは2人のやりとりに目を伏せた後、にこりと微笑んだ。
「私がこの夜会を開くことが出来たのも、彼ら冒険者の力添えがあってこそ。私の大切な友人らと、皆様も仲良くしていただけますと幸いです」
それでは、とウィナリアがつつがなく進行を執る。その間トビアスは何も言わず、キオナもまたトビアスの影に隠れるようにしていた。
—— ○ ——
貴族というのは、噂好きである。いや、貴族に限った話ではないにしろ、貴族社会はあらゆる憶測、噂を元にして策謀が張り巡らされる世界だということだ。当然、招待客はトビアスとウィナリアの間に起きたこと、そしてウィナリアの変化についてことの次第を知りたいと考える。
そして、真実を知り得たあとは、それが真実であるかどうかを問題にはしない。
だからこそ彼らは、トビアスでもウィナリアでもなく、冒険者たちに声をかけた。
ストレガ・L・リベルガストラは燕尾服に身を包み、「ゴールディの賓客」として料理に舌鼓を打つ。亜人族である身に王国貴族から招待状が届いたことに驚いたが、モーランド伯は娘の意志を尊重する上で、そこそこ柔軟な考えを持っているらしい。
であれば、応えねばなるまい。
「ウィナリア嬢は婚約者に裏切られたのだ」
テーブルに集まった貴族たちに、このような席で話すことではないにしろ、とストレガは前置く。しかし後めたく秘めやかなる会話は、それだけで聞き手を容易く取り込むものだ。
「ウィナリア嬢がキオナ嬢を害したというのは根も葉もないこと。それを衆目で突きつけられ、悪女として扱われたにも関わらず、ウィナリア嬢は懐が深いのだ」
喚きもせず、怒りもせず、胸を張る。その姿は、ストレガの巧みなる弁舌によってより輝かしいものとなる。
「とはいえ……見るのだ、あの憂いの色を」
ウィナリアは招待客の応対に追われている。その微笑みが一瞬翳る、その瞬間。貴族たちの間から「おいたわしい」と同情の声が漏れた。
ぶっちゃけウィナリアが悩んでいるのは別にトビアスのことではないのだが、使えるもんは使うのがストレガ流である。
(子爵も匙を投げていいとは思うが、それもまた『血』か)
ジュスト・ヴェルジーもまた冒険者であるが、今回は主宰と同年代の伯爵令息ということで招待状を受け取った。
ジュストは美しい花を愛でるのが好きだ。そんな彼を享楽的な昼行灯と揶揄する者もいるが、ジュストは寧ろそれを利用している。そのような人間であるからこそ、出来ることもあるわけだ。
(折角だし、お近づきになれたら嬉しいね)
それは、家のため。兄のため。そして、自分のために。
主宰への挨拶は家格の高い順からであるのが通例である。ゆえに、侯爵令嬢であるシルヴィア・A・カペルの次は、伯爵位の皆様方ということになる。
「ウィナリア嬢、お招きありがとう。アルテミシア嬢もご機嫌麗しゅう。美しいお二人にお会い出来ただけでも、今宵は千金に値する夜と言えましょう——そして、」
ジュストはちらりとパーシバルに水を向ける。
「俊英の美男美女、大変よくお似合いですね」
すらすらと口をついて出る前口上。貴族の基本技だ。
「ですので、アルテミシア嬢。今宵月下で貴女と踊る栄誉を、私めに与えて頂きたいのですが……如何でしょう?」
「良い選択ですわ」
ジュストの意図を汲んだアルテミシアは、目を細めて微笑む。
この画を描こうとしたのはアルテミシアである。ならばジュストが結ぶべき友誼は、彼女とのものになるだろう——
曲目は前奏曲から舞踏曲へ。パーシバルとウィナリア、アルテミシアとジュストがホールの中央へと滑り出す。
トビアスはまだ動かない。その視線はただ、ウィナリアへ——否、2人へ。
シルヴィアはその様子を注意深く見つめた後、事はまだ動かぬと判断し、海神・江流へと向き直る。
「今後、こんなふうに夜会に呼ばれることも多くなるだろうし、早めに慣れておいた方がいい」
「……別に社交界に用事があるわけじゃないんだが」
会場を俯瞰するべく視線を巡らせる江流に苦笑しつつ、シルヴィアは助言を行う。
「君が用事がなくても。機会は向こうからやってくるものだからね」
今回江流を誘ったのは、彼が抱えている、とある貴族派の侯爵令嬢との関係の円滑化のためだ。円滑化とはいうものの、特段相性が悪いとか、喧嘩しているというわけではないし、むしろ状況としては逆である。だからこそ下準備は重要なのだ。
「まぁ……仕方ない。出来ないと思われるのも癪だしな」
江流には事前に礼儀作法と踊り方を教えている。シルヴィアは江流の身嗜みをざっと確認してから、再び段取りを確認する。
「ダンスの申し込みは男性から。男性は女性に右腕を差し出し、女性はそこに左腕を組ませてダンスフロアへ向かう。男性はフロアの空いている場所を探し、そちらへ女性をエスコートするんだ。さ、実践してみよう」
どこか楽しげなシルヴィアの様子に、江流は口を引き結ぶ。彼女は誰かに何かを教えるとき、妙に楽しそうなのだ。
「ほら、笑顔は武器だ。それを忘れないで。そんな表情では相手を不安にさせてしまうよ。『私と踊るのがお嫌?』なんて言われてしま——」
江流は瞬時に微笑み、シルヴィアへと手を差し出す。余計なことを言うなと目が語っていた。
「笑顔は武器、ね」
踊りの輪に滑らかに加わり、音律を数えながら、教えてもらったリードステップを踏む。
「武器ってことは、出しっ放しはNGだよな?」
「笑うの、そんなに大変かい?」
「すでに頬が痛い」
「鍛えなよ」
シルヴィアはそこで初めて、おかしそうに笑った。
「こういう表情を、君も彼女から引き出せるようにならないとね」
朗らかに笑う彼女の表情。それを想像し、動揺した江流が足を踏み外すのを、シルヴィアはさっと避けて見せるのだった。
Alexandra・Hexe・Claudiaは、順調に進む夜会の様子を観察していた。キオナに寄り添うトビアスの視線はしかし、彼女には向いていない。
(貴方はただ、認められたいだけ)
その瞳に凝る羨望と嫉心に、Alexandraは閉口する。
ウィナリアからか、パーシバルからか、それとも周囲からか。おそらくはその全て。キオナとの純愛を信じていたならば、まだ可愛いものと言えただろう。
キオナは真にトビアスの心を占める存在に気付いたようで、やはりあからさまな敵意をウィナリアに向けている。
(——矮小)
心が冷えていくのを感じる。
貴族というものを識るひとつの機会と参じたが、ああ、あそこにいるのは正しく、愚かな人間だ。
憎悪。
虚栄。
尽き果てぬ我欲。
あの少年も、あと数年で領主となる。あの様子では、民は幸せには暮らせない。
とはいえ、現時点で子爵位に就いているのはパーシバルである。お疲れ様としか言いようがないが。
Alexandraはトビアスらから視線を外した。その先には、互いにダンスを終えて歩み寄るウィナリアとアルテミシアがいる。
彼女たちにも望みがある。同じ「叶わぬ想い」でありながら、Alexandraは異なる印象を抱いていた。
彼女らの選択に間違いがないように、とAlexandraは思う。
いつだって、人の世で生きるための正しさとは、誰かの生き方を踏み躙るものなのだとしても。
スィーリーンはトビアスの様子をはらはらと見守っていた。ウィナリアが気になって誘われるままつい来てしまった夜会だが、貴族社会やマナーに詳しくないため、端で壁の花になっている。
(あれが、ウィナリア様を陥れた女性……トビアス様は何を考えていらっしゃるのか……)
ウィナリアもまったく気にならないというわけではないらしく、この位置からなら2人の視線がたまに絡むのが見て取れる。ウィナリアは話し合いで済ませると言っていたが、さて、どれほど上手くことが運ぶか。
聞いた話では、トビアスは感情が先行する性質であると見える。キオナもまた同じようで、キオナがトビアスから離れて、ウィナリアの方に一歩踏み出した。
それと同時にスィーリーンも、ウィナリアを守らねばと反射的に一歩を踏み出してしまっていた。蜥蜴人という外見により、その動きはかなり目立つ。
会場の空気が僅かに緊張する。ベルクがさりげなく半歩ずれてウィナリアを庇うようにすると、キオナはそれに憤慨した。
「良いですね、あなたは守ってもらえて」
冷水のような言葉に、ウィナリアは表情を強張らせる。
「好きなように生きてるだけで好きになってもらえる。誰にでも良い顔をして、愛されて、そのくせ自信がないと自分の世界に閉じこもって」
ウィナリアは反論しない。スィーリーンはたまらず間に割って入った。
「おやめください!」
キオナがスィーリーンを睨みつけ、手を上げる——のを、トビアスが止めた。
魔法を放ちかけたストレガは目を瞬く。ベルクもまた、やや腰を落とした状態のまま止まった。
「もういい」
トビアスの声は静かなものだった。しかし、キオナの怒りは収まらない。
「良くないわ。最初に貴方を軽んじたのはこの女じゃない! それなのに、自分だけは綺麗でいようとして! 何よそれ!」
シェオルは椅子から少し腰を浮かせ、状況を見守っていた。まさかトビアスが止めに入るとは思わなかった。
そして、トビアスの様子や言動から、その理由を察してしまう。
ベルクが冤罪の証拠を2人に突きつけている。そしてそれを、トビアスは粛々と受け入れていた。キオナは納得がいかないと叫び、やがてトビアスによって連れ出される。
(ややこしい……っていうか、面倒な)
シェオルは会場を出る2人を追うことにした。トビアスは迎えの馬車にキオナのみを乗せる。そうして門前へ戻ってきたトビアスに、シェオルは声をかけた。
「ねぇ、ちょっといい?」
トビアスは自分を追ってきた見知らぬ人物への警戒心を露わにしたが、拒絶はしなかった。
「何か?」
「君は、どうしたいの?」
「何がしたいのか、ではなく?」
「それは……あるけど。この場ではそっちのほうが重要かな、って」
2人の間にしばし、沈黙が降りる。答えないトビアスに、シェオルは語りかけた。
「僕、少しだけウィナリア君に関わったんだけど。君たちふたりは、不器用さという点では似たもの同士なんだなって」
だがトビアスの選んだことは、決して正しいこととは言えない。
「どうするかは君次第で……でも、今日この場で何も変えられないのなら。……きっとずっとそのままだよ、君」
「……そうかもしれない」
トビアスの投げやりな言葉に、シェオルは目を伏せた。
伝えたいことは伝えた。であればもう、彼に任せるしかない。
『この人、ウィナリアさまともめてんだよな? 対応するか?』
キオナを見た瞬間、ギャメルは驚いて反射的にオゴスにテレパスを送っていた。会場でオゴスの姿を見た時は気まずさを感じたものの、このような不測の事態には無意識的にオゴスを頼ってしまう。
『いえ。ややこしくなる。静観しましょう』
狼狽するギャメルとは対照的に、オゴスの返事はそっけないものだった。それに、ギャメルはなにやら消化不良のような居心地の悪さを覚える。
『……婚約ってマジ重い約束なんだろ? 何考えてんだかなぁ』
気を紛らわすための言葉だったが、しかし、それは的確にオゴスの地雷を踏み抜いたようで。
『意外ですね。坊ちゃんは約束を破ることに罪悪感がないとばかり』
そんな、やや棘のある返答があった。
『へ? ……もしかして』
いつかオゴスに言われた、「どうか俺に坊ちゃん達を助けさせてください」という言葉。ギャメルはそれに、確かに頷いた。
『オレは一生オゴスの世話になり続けるって意味かよ!?』
『約束の意味にすら気づいていなかったんですね……』
脳内に響くオゴスの声は、恨みがましいというよりは、それを通り越して呆れている。
『あの日、俺の言葉に頷いたことを後悔しても手遅れですよ』
『……オレは対等な関係になりたい』
ギャメルの呟きを、オゴスは聞こえないふりをする。
オゴスにとってギャメルは、恩人の息子だ。大切に思っている。だからこそ——愛しさが容易く反転することを、知っている。
そうして2人が見守る中、目の前で起きた騒ぎは、トビアスによって止められた。ギャメルはますます困惑する。
『わかんねぇな……』
『理解不能と言える坊ちゃんは大層な幸せ者ですね』
『どうも……って皮肉かよ! じゃあ、トビアスのこと、わかるのか?』
『そうですね』
一方で、オゴスはトビアスの本質を理解する。理解できてしまう。
『屈折した気性ですね。幸せになるのが難しそうだ。トビアスさんの心に安らぎが訪れますよう』
トビアスに共感を示すオゴスに、ギャメルは口をつぐむ。
オゴスの言いなりになったとして、それはふたりにとって本当に幸せなことなのか。違うと断言できても、それをオゴスに押し付けることは、本当に。
押し黙ったギャメルを、オゴスは怪訝そうに一瞥した後、放置した。考え事をしているようだが、どうせ大した内容ではないだろう、と。
大切だという気持ちでさえこんなにも簡単に憎しみに変わってしまうのだから、いずれ失われるものなら、摩耗するほど考える必要など、ない。
(あ、戻って来た)
エルゼリオ・レイノーラは会場の入り口に現れたトビアスを見て目を瞬いた。あれで戻って来られるのはなかなか肝が据わっている。
それとも、彼なりに精算をするつもりなのだろうか。
シェオルがトビアスの後を追ったのは見ていたため、トビアスが戻ってくる理由があるとすれば、何か言われたからだろう。エルゼリオはしばし考えを巡らせた後、ウィナリアにさりげなく近づいた。
「ウィナリア嬢、ボクと一曲踊っていただけますか?」
エルゼリオもまた、末席と自負してはいるが貴族である。賓客として見合う程度の礼儀作法を身につけているし、ダンスもできる。ただ、得意ではない。
得意ではないが、する意味はある。
(ただ一緒に踊ってみたいのもあるけど)
エルゼリオの意図もわからぬまま応じるウィナリアを誘い、エルゼリオは曲に合わせてゆっくりとステップを踏む。ウィナリアにとって半月の特訓期間は、「付け焼き刃」と言って良いものだからだ。
そうしてダンスの途中でトビアスと目が合った時、エルゼリオは意味深に笑って見せた。
それがどれほどの効果を来すかはわからない。だが、エルゼリオは思うのだ。
誰にも、後悔などしてほしくない。
人生はいつだって選択の連続で、時には失敗することもある。だから、唯人は信じるしかない。
この選択が悔いなきものであるように、と。
エルゼリオとのダンスを終え、ウィナリアは会場をパーシバルに任せて中庭に出た。外の空気を吸うためだ。
初めての主宰。一時はどうなることかと思ったが、トビアスが止めたのは意外だった。招待客らはその行動の意味するところに考えを巡らせている頃だろう。そしてもう少し酒が回れば、あとはアルテミシアの采配になる。
石畳を歩く足音に、ゲルダ・クラインは振り返った。貴族たちのやり取りをやや苦手としているゲルダは、終始裏方に徹していた。その休憩と中庭で休んでいたのだが、誰か来たようだ。
「……ウィナリア様?」
ホールで何が起こったかは聞いている。ウィナリアは先客がゲルダだとわかると、ふっと困ったように微笑んだ。
「少し、緊張してしまって」
ゲルダとウィナリアはベンチに並んで腰掛ける。そうして、夜空を見上げながら取り止めのない会話をぽつぽつと交わす。
「アルテミシア様のお考えではじまったことですけれど、それも決着がつくのだな、と」
ゲルダはウィナリアの横顔を見つめた。アルテミシアの話をするときは、彼女はいつも嬉しそうにするのに、なんだか今は物寂しそうだ。
ウィナリアは、その性格からして、あれやこれやとひとりで思い詰めてしまうところがある……というのは、彼女をそばで見ていたために分かったことだ。
「ウィナリア様。気持ちって、言葉で伝えないと……全然伝わらないんです」
ウィナリアとトビアスがそうだったように。
「ご自身の想いを、ちゃんとアルテミシア様にお伝えしてください」
黙ってしまうのではなく。俯いてしまうのではなく。
ゲルダ自身が、かつて夢を抱いた時のように、顔を上げて。
彼女はもう、それができるはずだから。
トーラは少し離れたところからウィナリアとゲルダを見守っていた。ウィナリアがひとりで中庭に出ていくのを見て慌てて追いかけて来たのだが、ゲルダが一緒であれば問題ないだろう。先程のアクシデントを除けば、他に害意のある存在は見られない。
もちろん、何が起こるかわからないのが貴族社会ではある。用心に越したことはない——と、トーラは周囲の気配を探る。
(あれ?)
と、中庭の入り口に立った影がある。トーラは注意深くそれを観察した。
トビアスだ。ひとまず不審人物ではないことに安堵しつつ、何かあればすぐさま出ていけるように用意する。
(貴族の方も、庶民には分からない苦労があるんですねぇ)
貴族には貴族の、庶民には庶民の世界があって。その境界を越えて物事を判断する人間自体が珍しいものだとはいえ。
同じ人間である以上、裡に抱えたものの質はそう変わらないもののはずなのに、環境が異なるだけでなにかと障壁を感じてしまう。
と、ゲルダが立ち上がった。彼女の休憩が終わるらしい。ウィナリアはもう少し風に当たるとその場に留まった。
(さて……)
ゲルダはトビアスに気づかないまま、別口からホールへと戻っていった。トーラも移動し、ウィナリアの近くの茂みに潜む。
風が強く吹いた。
「君が嫌いだった」
風に乗る声に、ウィナリアは振り返る。少し離れたところに、トビアスが立っていた。
「多分、この先もそうだろうと思う」
憎悪は泥のようにトビアスの心を占めていて、いまさら綺麗になんかできようはずもない。
「だから、捨てていい。貴女には、その権利がある」
マリイ・パルティスはひと口サイズのケーキを皿に数種類取り分けた状態で、中庭の入り口付近に立って聞き耳をたてていた。すでにウィナリアやトビアスには、冒険者たちがそれぞれ助言を与えている。であれば、マリイはそれを見守るだけだ。
もしかしてもしかしたりすると素敵な結末にならないか。
しかし、その期待はトビアスの一言で打ち砕かれてしまった。
物語は、物語。現実はどうしようもないほど、残酷だ。
ウィナリアと共に過ごした半月の間、目の前で交わされるやりとりに心弾ませ、そして今、ふたりの間に横たわる現実が生身の人間の苦悩を伝えてくる。
時間は巻き戻らない。破れた紙は元通りにはならないのだ。
トビアスのしたことは許されることではない。だが、トビアスもまた苦しみもがいていたのであれば、いつかそれに救いが訪れてほしいとは思う。
「……私は、優しくないので、貴方だけがそうやって楽になろうとするのはずるいなと思います」
言葉に反して、ウィナリアの声は柔らかい。
それを聞いたマリイははっと顔を上げる。
「卒業までで構いません。一緒にいてください」
トビアスが苦虫を噛み潰したような表情になり、小さく呻いた。
(これは……!)
2人の間に、愛なんて優しいものは存在しない。
ウィナリアに許されてしまったトビアスは、忸怩たるものを抱えて生きていくことになるだろう。
マリイはほっと胸を撫で下ろす。もちろん、彼らはさまざまな問題を抱えたままだ。だが共にいる間に、今すぐには無理でも、叶うものがあるはずだ。
—— ○ ——
「冒険者の皆さん、このたびは本当にお世話になりました」
夜会が終わり、ウィナリアは冒険者らに柔く微笑む。
トビアスの行動により、モーランド家とグランツ家の間に結ばれていた契約は正式に解消された。しかし同じ学園に通う以上、付き合いは続いていく。何よりウィナリアがそれを望んだ。
「以前の私であれば、逃げ出していたでしょう。そうしなかったのは、皆さんのお力添えを無為にしたくなかったから。……トビアス様とお話しする機会を得られたのも、みなさんのおかげです」
そして、とウィナリアは続ける。
「私もきちんと、伝えようと思います。自分の気持ち」
それが叶わぬ想いでも。言葉にしなければ、葬り去ることも、伝わることもないのだから。
「ごきげんよう、皆様。そしてトビアス様」
ウィナリアは完璧な動作で淑女の挨拶を行う。キオナに対する言葉は、当然ない。
「此度は私のパーティへようこそ。基本的にはモーランドの縁友の範囲でご招待いたしました。そして私が得た新たな友人らも紹介したく思います」
ウィナリアのそばには、メイド服を着込んだ従者が付き従う。しかしその従者が只者ではないことは、武芸を嗜んだ者たちにはすぐに分かった。
ベルク・オスマットはトビアスを一瞥し、わずかに目を眇める。
「……学園のマナーと常識に対する教育体制はどうなっているのだ? いや、これは学園ではなく家の教育の範疇か——いずれにせよ、何故に招待されてもいないのに突撃してくる? 何故に招待されてもいない人間を同伴させる?」
あんまりな状況に、ベルクは溜息混じりにぼやく。もちろん、パーシバルとウィナリアにだけ聞こえる声量で。
「甘やかして育ててしまったというが……それは最早虐待だぞ」
パーシバルは返す言葉もない。ウィナリアは2人のやりとりに目を伏せた後、にこりと微笑んだ。
「私がこの夜会を開くことが出来たのも、彼ら冒険者の力添えがあってこそ。私の大切な友人らと、皆様も仲良くしていただけますと幸いです」
それでは、とウィナリアがつつがなく進行を執る。その間トビアスは何も言わず、キオナもまたトビアスの影に隠れるようにしていた。
—— ○ ——
貴族というのは、噂好きである。いや、貴族に限った話ではないにしろ、貴族社会はあらゆる憶測、噂を元にして策謀が張り巡らされる世界だということだ。当然、招待客はトビアスとウィナリアの間に起きたこと、そしてウィナリアの変化についてことの次第を知りたいと考える。
そして、真実を知り得たあとは、それが真実であるかどうかを問題にはしない。
だからこそ彼らは、トビアスでもウィナリアでもなく、冒険者たちに声をかけた。
ストレガ・L・リベルガストラは燕尾服に身を包み、「ゴールディの賓客」として料理に舌鼓を打つ。亜人族である身に王国貴族から招待状が届いたことに驚いたが、モーランド伯は娘の意志を尊重する上で、そこそこ柔軟な考えを持っているらしい。
であれば、応えねばなるまい。
「ウィナリア嬢は婚約者に裏切られたのだ」
テーブルに集まった貴族たちに、このような席で話すことではないにしろ、とストレガは前置く。しかし後めたく秘めやかなる会話は、それだけで聞き手を容易く取り込むものだ。
「ウィナリア嬢がキオナ嬢を害したというのは根も葉もないこと。それを衆目で突きつけられ、悪女として扱われたにも関わらず、ウィナリア嬢は懐が深いのだ」
喚きもせず、怒りもせず、胸を張る。その姿は、ストレガの巧みなる弁舌によってより輝かしいものとなる。
「とはいえ……見るのだ、あの憂いの色を」
ウィナリアは招待客の応対に追われている。その微笑みが一瞬翳る、その瞬間。貴族たちの間から「おいたわしい」と同情の声が漏れた。
ぶっちゃけウィナリアが悩んでいるのは別にトビアスのことではないのだが、使えるもんは使うのがストレガ流である。
(子爵も匙を投げていいとは思うが、それもまた『血』か)
ジュスト・ヴェルジーもまた冒険者であるが、今回は主宰と同年代の伯爵令息ということで招待状を受け取った。
ジュストは美しい花を愛でるのが好きだ。そんな彼を享楽的な昼行灯と揶揄する者もいるが、ジュストは寧ろそれを利用している。そのような人間であるからこそ、出来ることもあるわけだ。
(折角だし、お近づきになれたら嬉しいね)
それは、家のため。兄のため。そして、自分のために。
主宰への挨拶は家格の高い順からであるのが通例である。ゆえに、侯爵令嬢であるシルヴィア・A・カペルの次は、伯爵位の皆様方ということになる。
「ウィナリア嬢、お招きありがとう。アルテミシア嬢もご機嫌麗しゅう。美しいお二人にお会い出来ただけでも、今宵は千金に値する夜と言えましょう——そして、」
ジュストはちらりとパーシバルに水を向ける。
「俊英の美男美女、大変よくお似合いですね」
すらすらと口をついて出る前口上。貴族の基本技だ。
「ですので、アルテミシア嬢。今宵月下で貴女と踊る栄誉を、私めに与えて頂きたいのですが……如何でしょう?」
「良い選択ですわ」
ジュストの意図を汲んだアルテミシアは、目を細めて微笑む。
この画を描こうとしたのはアルテミシアである。ならばジュストが結ぶべき友誼は、彼女とのものになるだろう——
曲目は前奏曲から舞踏曲へ。パーシバルとウィナリア、アルテミシアとジュストがホールの中央へと滑り出す。
トビアスはまだ動かない。その視線はただ、ウィナリアへ——否、2人へ。
シルヴィアはその様子を注意深く見つめた後、事はまだ動かぬと判断し、海神・江流へと向き直る。
「今後、こんなふうに夜会に呼ばれることも多くなるだろうし、早めに慣れておいた方がいい」
「……別に社交界に用事があるわけじゃないんだが」
会場を俯瞰するべく視線を巡らせる江流に苦笑しつつ、シルヴィアは助言を行う。
「君が用事がなくても。機会は向こうからやってくるものだからね」
今回江流を誘ったのは、彼が抱えている、とある貴族派の侯爵令嬢との関係の円滑化のためだ。円滑化とはいうものの、特段相性が悪いとか、喧嘩しているというわけではないし、むしろ状況としては逆である。だからこそ下準備は重要なのだ。
「まぁ……仕方ない。出来ないと思われるのも癪だしな」
江流には事前に礼儀作法と踊り方を教えている。シルヴィアは江流の身嗜みをざっと確認してから、再び段取りを確認する。
「ダンスの申し込みは男性から。男性は女性に右腕を差し出し、女性はそこに左腕を組ませてダンスフロアへ向かう。男性はフロアの空いている場所を探し、そちらへ女性をエスコートするんだ。さ、実践してみよう」
どこか楽しげなシルヴィアの様子に、江流は口を引き結ぶ。彼女は誰かに何かを教えるとき、妙に楽しそうなのだ。
「ほら、笑顔は武器だ。それを忘れないで。そんな表情では相手を不安にさせてしまうよ。『私と踊るのがお嫌?』なんて言われてしま——」
江流は瞬時に微笑み、シルヴィアへと手を差し出す。余計なことを言うなと目が語っていた。
「笑顔は武器、ね」
踊りの輪に滑らかに加わり、音律を数えながら、教えてもらったリードステップを踏む。
「武器ってことは、出しっ放しはNGだよな?」
「笑うの、そんなに大変かい?」
「すでに頬が痛い」
「鍛えなよ」
シルヴィアはそこで初めて、おかしそうに笑った。
「こういう表情を、君も彼女から引き出せるようにならないとね」
朗らかに笑う彼女の表情。それを想像し、動揺した江流が足を踏み外すのを、シルヴィアはさっと避けて見せるのだった。
Alexandra・Hexe・Claudiaは、順調に進む夜会の様子を観察していた。キオナに寄り添うトビアスの視線はしかし、彼女には向いていない。
(貴方はただ、認められたいだけ)
その瞳に凝る羨望と嫉心に、Alexandraは閉口する。
ウィナリアからか、パーシバルからか、それとも周囲からか。おそらくはその全て。キオナとの純愛を信じていたならば、まだ可愛いものと言えただろう。
キオナは真にトビアスの心を占める存在に気付いたようで、やはりあからさまな敵意をウィナリアに向けている。
(——矮小)
心が冷えていくのを感じる。
貴族というものを識るひとつの機会と参じたが、ああ、あそこにいるのは正しく、愚かな人間だ。
憎悪。
虚栄。
尽き果てぬ我欲。
あの少年も、あと数年で領主となる。あの様子では、民は幸せには暮らせない。
とはいえ、現時点で子爵位に就いているのはパーシバルである。お疲れ様としか言いようがないが。
Alexandraはトビアスらから視線を外した。その先には、互いにダンスを終えて歩み寄るウィナリアとアルテミシアがいる。
彼女たちにも望みがある。同じ「叶わぬ想い」でありながら、Alexandraは異なる印象を抱いていた。
彼女らの選択に間違いがないように、とAlexandraは思う。
いつだって、人の世で生きるための正しさとは、誰かの生き方を踏み躙るものなのだとしても。
スィーリーンはトビアスの様子をはらはらと見守っていた。ウィナリアが気になって誘われるままつい来てしまった夜会だが、貴族社会やマナーに詳しくないため、端で壁の花になっている。
(あれが、ウィナリア様を陥れた女性……トビアス様は何を考えていらっしゃるのか……)
ウィナリアもまったく気にならないというわけではないらしく、この位置からなら2人の視線がたまに絡むのが見て取れる。ウィナリアは話し合いで済ませると言っていたが、さて、どれほど上手くことが運ぶか。
聞いた話では、トビアスは感情が先行する性質であると見える。キオナもまた同じようで、キオナがトビアスから離れて、ウィナリアの方に一歩踏み出した。
それと同時にスィーリーンも、ウィナリアを守らねばと反射的に一歩を踏み出してしまっていた。蜥蜴人という外見により、その動きはかなり目立つ。
会場の空気が僅かに緊張する。ベルクがさりげなく半歩ずれてウィナリアを庇うようにすると、キオナはそれに憤慨した。
「良いですね、あなたは守ってもらえて」
冷水のような言葉に、ウィナリアは表情を強張らせる。
「好きなように生きてるだけで好きになってもらえる。誰にでも良い顔をして、愛されて、そのくせ自信がないと自分の世界に閉じこもって」
ウィナリアは反論しない。スィーリーンはたまらず間に割って入った。
「おやめください!」
キオナがスィーリーンを睨みつけ、手を上げる——のを、トビアスが止めた。
魔法を放ちかけたストレガは目を瞬く。ベルクもまた、やや腰を落とした状態のまま止まった。
「もういい」
トビアスの声は静かなものだった。しかし、キオナの怒りは収まらない。
「良くないわ。最初に貴方を軽んじたのはこの女じゃない! それなのに、自分だけは綺麗でいようとして! 何よそれ!」
シェオルは椅子から少し腰を浮かせ、状況を見守っていた。まさかトビアスが止めに入るとは思わなかった。
そして、トビアスの様子や言動から、その理由を察してしまう。
ベルクが冤罪の証拠を2人に突きつけている。そしてそれを、トビアスは粛々と受け入れていた。キオナは納得がいかないと叫び、やがてトビアスによって連れ出される。
(ややこしい……っていうか、面倒な)
シェオルは会場を出る2人を追うことにした。トビアスは迎えの馬車にキオナのみを乗せる。そうして門前へ戻ってきたトビアスに、シェオルは声をかけた。
「ねぇ、ちょっといい?」
トビアスは自分を追ってきた見知らぬ人物への警戒心を露わにしたが、拒絶はしなかった。
「何か?」
「君は、どうしたいの?」
「何がしたいのか、ではなく?」
「それは……あるけど。この場ではそっちのほうが重要かな、って」
2人の間にしばし、沈黙が降りる。答えないトビアスに、シェオルは語りかけた。
「僕、少しだけウィナリア君に関わったんだけど。君たちふたりは、不器用さという点では似たもの同士なんだなって」
だがトビアスの選んだことは、決して正しいこととは言えない。
「どうするかは君次第で……でも、今日この場で何も変えられないのなら。……きっとずっとそのままだよ、君」
「……そうかもしれない」
トビアスの投げやりな言葉に、シェオルは目を伏せた。
伝えたいことは伝えた。であればもう、彼に任せるしかない。
『この人、ウィナリアさまともめてんだよな? 対応するか?』
キオナを見た瞬間、ギャメルは驚いて反射的にオゴスにテレパスを送っていた。会場でオゴスの姿を見た時は気まずさを感じたものの、このような不測の事態には無意識的にオゴスを頼ってしまう。
『いえ。ややこしくなる。静観しましょう』
狼狽するギャメルとは対照的に、オゴスの返事はそっけないものだった。それに、ギャメルはなにやら消化不良のような居心地の悪さを覚える。
『……婚約ってマジ重い約束なんだろ? 何考えてんだかなぁ』
気を紛らわすための言葉だったが、しかし、それは的確にオゴスの地雷を踏み抜いたようで。
『意外ですね。坊ちゃんは約束を破ることに罪悪感がないとばかり』
そんな、やや棘のある返答があった。
『へ? ……もしかして』
いつかオゴスに言われた、「どうか俺に坊ちゃん達を助けさせてください」という言葉。ギャメルはそれに、確かに頷いた。
『オレは一生オゴスの世話になり続けるって意味かよ!?』
『約束の意味にすら気づいていなかったんですね……』
脳内に響くオゴスの声は、恨みがましいというよりは、それを通り越して呆れている。
『あの日、俺の言葉に頷いたことを後悔しても手遅れですよ』
『……オレは対等な関係になりたい』
ギャメルの呟きを、オゴスは聞こえないふりをする。
オゴスにとってギャメルは、恩人の息子だ。大切に思っている。だからこそ——愛しさが容易く反転することを、知っている。
そうして2人が見守る中、目の前で起きた騒ぎは、トビアスによって止められた。ギャメルはますます困惑する。
『わかんねぇな……』
『理解不能と言える坊ちゃんは大層な幸せ者ですね』
『どうも……って皮肉かよ! じゃあ、トビアスのこと、わかるのか?』
『そうですね』
一方で、オゴスはトビアスの本質を理解する。理解できてしまう。
『屈折した気性ですね。幸せになるのが難しそうだ。トビアスさんの心に安らぎが訪れますよう』
トビアスに共感を示すオゴスに、ギャメルは口をつぐむ。
オゴスの言いなりになったとして、それはふたりにとって本当に幸せなことなのか。違うと断言できても、それをオゴスに押し付けることは、本当に。
押し黙ったギャメルを、オゴスは怪訝そうに一瞥した後、放置した。考え事をしているようだが、どうせ大した内容ではないだろう、と。
大切だという気持ちでさえこんなにも簡単に憎しみに変わってしまうのだから、いずれ失われるものなら、摩耗するほど考える必要など、ない。
(あ、戻って来た)
エルゼリオ・レイノーラは会場の入り口に現れたトビアスを見て目を瞬いた。あれで戻って来られるのはなかなか肝が据わっている。
それとも、彼なりに精算をするつもりなのだろうか。
シェオルがトビアスの後を追ったのは見ていたため、トビアスが戻ってくる理由があるとすれば、何か言われたからだろう。エルゼリオはしばし考えを巡らせた後、ウィナリアにさりげなく近づいた。
「ウィナリア嬢、ボクと一曲踊っていただけますか?」
エルゼリオもまた、末席と自負してはいるが貴族である。賓客として見合う程度の礼儀作法を身につけているし、ダンスもできる。ただ、得意ではない。
得意ではないが、する意味はある。
(ただ一緒に踊ってみたいのもあるけど)
エルゼリオの意図もわからぬまま応じるウィナリアを誘い、エルゼリオは曲に合わせてゆっくりとステップを踏む。ウィナリアにとって半月の特訓期間は、「付け焼き刃」と言って良いものだからだ。
そうしてダンスの途中でトビアスと目が合った時、エルゼリオは意味深に笑って見せた。
それがどれほどの効果を来すかはわからない。だが、エルゼリオは思うのだ。
誰にも、後悔などしてほしくない。
人生はいつだって選択の連続で、時には失敗することもある。だから、唯人は信じるしかない。
この選択が悔いなきものであるように、と。
エルゼリオとのダンスを終え、ウィナリアは会場をパーシバルに任せて中庭に出た。外の空気を吸うためだ。
初めての主宰。一時はどうなることかと思ったが、トビアスが止めたのは意外だった。招待客らはその行動の意味するところに考えを巡らせている頃だろう。そしてもう少し酒が回れば、あとはアルテミシアの采配になる。
石畳を歩く足音に、ゲルダ・クラインは振り返った。貴族たちのやり取りをやや苦手としているゲルダは、終始裏方に徹していた。その休憩と中庭で休んでいたのだが、誰か来たようだ。
「……ウィナリア様?」
ホールで何が起こったかは聞いている。ウィナリアは先客がゲルダだとわかると、ふっと困ったように微笑んだ。
「少し、緊張してしまって」
ゲルダとウィナリアはベンチに並んで腰掛ける。そうして、夜空を見上げながら取り止めのない会話をぽつぽつと交わす。
「アルテミシア様のお考えではじまったことですけれど、それも決着がつくのだな、と」
ゲルダはウィナリアの横顔を見つめた。アルテミシアの話をするときは、彼女はいつも嬉しそうにするのに、なんだか今は物寂しそうだ。
ウィナリアは、その性格からして、あれやこれやとひとりで思い詰めてしまうところがある……というのは、彼女をそばで見ていたために分かったことだ。
「ウィナリア様。気持ちって、言葉で伝えないと……全然伝わらないんです」
ウィナリアとトビアスがそうだったように。
「ご自身の想いを、ちゃんとアルテミシア様にお伝えしてください」
黙ってしまうのではなく。俯いてしまうのではなく。
ゲルダ自身が、かつて夢を抱いた時のように、顔を上げて。
彼女はもう、それができるはずだから。
トーラは少し離れたところからウィナリアとゲルダを見守っていた。ウィナリアがひとりで中庭に出ていくのを見て慌てて追いかけて来たのだが、ゲルダが一緒であれば問題ないだろう。先程のアクシデントを除けば、他に害意のある存在は見られない。
もちろん、何が起こるかわからないのが貴族社会ではある。用心に越したことはない——と、トーラは周囲の気配を探る。
(あれ?)
と、中庭の入り口に立った影がある。トーラは注意深くそれを観察した。
トビアスだ。ひとまず不審人物ではないことに安堵しつつ、何かあればすぐさま出ていけるように用意する。
(貴族の方も、庶民には分からない苦労があるんですねぇ)
貴族には貴族の、庶民には庶民の世界があって。その境界を越えて物事を判断する人間自体が珍しいものだとはいえ。
同じ人間である以上、裡に抱えたものの質はそう変わらないもののはずなのに、環境が異なるだけでなにかと障壁を感じてしまう。
と、ゲルダが立ち上がった。彼女の休憩が終わるらしい。ウィナリアはもう少し風に当たるとその場に留まった。
(さて……)
ゲルダはトビアスに気づかないまま、別口からホールへと戻っていった。トーラも移動し、ウィナリアの近くの茂みに潜む。
風が強く吹いた。
「君が嫌いだった」
風に乗る声に、ウィナリアは振り返る。少し離れたところに、トビアスが立っていた。
「多分、この先もそうだろうと思う」
憎悪は泥のようにトビアスの心を占めていて、いまさら綺麗になんかできようはずもない。
「だから、捨てていい。貴女には、その権利がある」
マリイ・パルティスはひと口サイズのケーキを皿に数種類取り分けた状態で、中庭の入り口付近に立って聞き耳をたてていた。すでにウィナリアやトビアスには、冒険者たちがそれぞれ助言を与えている。であれば、マリイはそれを見守るだけだ。
もしかしてもしかしたりすると素敵な結末にならないか。
しかし、その期待はトビアスの一言で打ち砕かれてしまった。
物語は、物語。現実はどうしようもないほど、残酷だ。
ウィナリアと共に過ごした半月の間、目の前で交わされるやりとりに心弾ませ、そして今、ふたりの間に横たわる現実が生身の人間の苦悩を伝えてくる。
時間は巻き戻らない。破れた紙は元通りにはならないのだ。
トビアスのしたことは許されることではない。だが、トビアスもまた苦しみもがいていたのであれば、いつかそれに救いが訪れてほしいとは思う。
「……私は、優しくないので、貴方だけがそうやって楽になろうとするのはずるいなと思います」
言葉に反して、ウィナリアの声は柔らかい。
それを聞いたマリイははっと顔を上げる。
「卒業までで構いません。一緒にいてください」
トビアスが苦虫を噛み潰したような表情になり、小さく呻いた。
(これは……!)
2人の間に、愛なんて優しいものは存在しない。
ウィナリアに許されてしまったトビアスは、忸怩たるものを抱えて生きていくことになるだろう。
マリイはほっと胸を撫で下ろす。もちろん、彼らはさまざまな問題を抱えたままだ。だが共にいる間に、今すぐには無理でも、叶うものがあるはずだ。
—— ○ ——
「冒険者の皆さん、このたびは本当にお世話になりました」
夜会が終わり、ウィナリアは冒険者らに柔く微笑む。
トビアスの行動により、モーランド家とグランツ家の間に結ばれていた契約は正式に解消された。しかし同じ学園に通う以上、付き合いは続いていく。何よりウィナリアがそれを望んだ。
「以前の私であれば、逃げ出していたでしょう。そうしなかったのは、皆さんのお力添えを無為にしたくなかったから。……トビアス様とお話しする機会を得られたのも、みなさんのおかげです」
そして、とウィナリアは続ける。
「私もきちんと、伝えようと思います。自分の気持ち」
それが叶わぬ想いでも。言葉にしなければ、葬り去ることも、伝わることもないのだから。
マスターコメント
お疲れ様でした! これにて彼らのお話はおしまいです。
変われる人、変われない人。うまくいくこともあれば、いかないこともあり。
それでもどうにか折り合いをつけて生きていくしかないのは、冒険者という立場も同じなのかな……と書いている時に思ったり。
このような結末で締められたのは、ひとえに冒険者さんたちの働きかけあってこそ。ありがとうございました!
また何か学園ものをやる気になったり、そういう機会が訪れたらふたたび顔を出すかもしれません。
◆
あっ、他のMSさんのNPCのお名前を書くのは、ぶりとろシナリオでは大丈夫なのですが、リプレイに反映できる場合とそうでない場合があります。担当MSさんがわからなかったりする場合もカットになりがちです。
このあたりはMSさんによって対応が異なりますのでご注意ください! ぶりとろシナリオでは、名前はぼかさせてもらっています。
◆
それではまたお会いしましょう!ノシ
イベントシナリオ普通 報酬:多い14 / 4〜25人
2021年10月30日 07時39分19秒 公開
大成功
参加者
相談掲示板
シルヴィアだ。今回はよろしくね。 友人をエスコートする予定。皆、良い時間を過ごせますように。
ギャメルだぜ! よろしくな。 護衛として参加してるぜ。
スィーリーンと申します。 よろしくお願いします。 ウィナリア様が気になって来てしまいましたが、 こういう場所は慣れていませんし 何も無ければ隅で見守りますね。
エルゼリオ・レイノーラです。引き続きヨロシクね! ボクは【2】ダンスを楽しむ に参加する予定だよ。
シーフのトーラです。 よろしくお願いしますね。 護衛を受けたんですけど、貴族の世界もいろいろあるみたいですねぇ?