花宿し晴れる千歳祈りたり

キャラクターノベル(グループ)制作 九弐ニデル納品 2024年12月09日 10時37分22秒

 朝夕には冷たい微風が人々をくすぐる季節。リーンエス王国のカペル侯爵領には、短くなった陽光を補うように白や紫、桃色の花が咲き乱れている。自然の営みには人の政など無関係とはいえ、今年の花はまるで新侯爵を祝っているようだった。
 その華やいだ景色の中を、布包みを背負った大柄なヒューマンが歩いている。花を支える地も確かなここだ。彼の無骨さが浮くことはないが、彼が来訪者であることはその黒髪と旅装から明らかだった。

「シャルガネの刀鍛冶?」
 カペル侯爵家の屋敷に呼ばれたディヴァンス・ファルヴェントが顎を撫でたのは、アーカネラ・ユルヴェウスからその来訪者の存在を告げられたからだった。
 侯爵家の諜報機関『青薔薇』のトップ、“花匠(マイスター)であるアーカネラの元には日々領内外の情報が集まる。報告によれば、東の領境にある関所に現れた男はカンザン(関山)・ジロー(次郎)・チカハル(周晴)と名乗り、新しい『蒼玉候』への贈り物を届けに来たと申し立てたそうだ。
「自作の短刀を持ってきたらしいわ」
 今回の婚姻と爵位継承以来、ここには実に様々な者が祝いに訪れている。だがディヴァンスがいま聞いた特徴をもって新侯爵シルヴィア・A・カペルと結び付けられる心当たりはひとりだけだった。
「確かに本人みたい。許可も下りているから直に到着するはずよ」
 彼と同じ人物を想定しているらしいアーカネラは、シルヴィアを袖にしたっていう例の刀鍛冶でしょう? と昨日のことのように面白そうに呟いた。
 それはアーカネラが花匠となるより前。先々代蒼玉候アルヴィン・カペルが、先代の花匠だったディヴァンスと交わした約束にさかのぼる話である。

 今から14年前のこと。ディヴァンスは1年間の旅の最中であった。
 カペル領を出発し、大陸をぐるりと巡るように東に進路を取ってからフィルエス大森林に向かう行程は、いまやっと大陸の東北端である辺境都市群まで進んできたところだった。
 同道者は亡き親友アルヴィンの孫娘、シルヴィア。普通の貴族令嬢であれば膝を擦りむいただけでも召使が飛んでくるところ、シルヴィアはその美しい白髪が雨に濡れ青い眼に砂が入っても泣き言を言わない。この旅で広める見聞が、自分の糧となることを十分に理解しているようだった。
 ディヴァンスはシルヴィアの内にあるその真摯さを、アルヴィンのそれと重ね合わせて頼もしく思っていた。彼女の資質が磨かれていくことはカペル家の大いなる助けになる。それが、この旅の目的のひとつなのだ。
 彼の少し先を行っていたシルヴィアが振り返る。その一瞬の瞳の煌きも祖父によく似ていた。“カペルの将来に自分と同じ特徴を持った子孫が現れ、その者が10歳の誕生日を迎えた暁には。ディヴァンス自らがその手を引いて、共に諸国を旅巡りしてほしい”。ディヴァンスは、その願いを彼に遺していった男と過ごした冒険の日々を思い出し、彼女が指さした先を確かめた。
「あれがシャルガネだ」

 シルヴィアが見慣れぬ風物を興味深げにかつ慎み深く観察しながら宿に収まったところで、ディヴァンスは何でもないように切り出した。
「路銀がそろそろ尽きる」
 シルヴィアは何回か瞬きして、“……それでは?”と促した。
「追加は自力で稼げ。私も賭博で稼いでくる」
 王国侯爵家諜報工作機関の長は、そんな素性などつるりと覆い隠した観光者の顔で“バレなければいかさまではない”と嘯いて立ち上がる。ふむ、と頬に手を当てて考えながら彼を見送った令嬢も、しばらくして宿を出た。路銀はもとより知識もできるだけ得たい。彼女の足が街の華やかな方へ向かうのは必定だった。

 そして数週間が経ったある日。
 ディヴァンスが宿に戻ると、シルヴィアが長い包みを開いていた。取り出されたのは美しい鞘と、刀だ。それが彼女のために特別に作られたことは明らかだった。無論それらは見た目だけの物でもない。今に至るまでシルヴィアと共に在る、軍刀『水仙』と守り鞘『蒼玉の麗人(サフィルス・カペラ)』こそがそれだった。

 訪問者到着の取次ぎに、『蒼玉騎士団』団長のジェレムス・ローギリアンは立ち上がった。普段であれば案内など彼の役目ではないが、この人物には興味がある。
「カンザン殿。お待ちしておりました」
 丁重に、と“お嬢”に言われている以上、彼の自制は万全だ。……多少、手土産の純米酒に目が細まったとしても。それは先に厨房に遣り、歩き出す前に献上品も預かる。
「窮屈でしょうがお許しください。関所でも不便を」
 その理屈を呑み込めぬ無作法者はカペルの客人にはなれない。カンザンはジェレムスの謝罪に頭を下げた。
「いえ、こちらが先にお伺いを立てるべきでございましたが……手紙のひとつも満足に書けないうちに刀が仕上がり飛び出してきた次第で。大変失礼をいたしました」
 しかし一体どういう巡り合わせか。尋ねたジェレムスへの返答に、カンザンは表情をやっと緩めた。
「この度のお祝いを風の便りに聞いて、侯の昔のお言葉が懐かしく思い出されたものですから」
「へぇ、シルヴィア様が、何と?」
「“私の故郷にこないか”、と」

 カンザンの到着はシルヴィアにも知らされていた。
 ――ジローの手紙はたくさん書いた……
 シャルガネで路銀を稼ぐ方法として、シルヴィアが選んだのが手紙の代筆だった。代筆はただ言われたことを書き起こすばかりではない。流れを良くしたり、言い回しを工夫したりも重要な要素だから、シルヴィアの貴族としての教養は大いに役立った。
 初めはカザハナ(風花)という遊女からカンザン宛の手紙を頼まれたのだ。持って行った先は大きな音の響く工房で、シルヴィアの声も一度では通らなかったのを覚えている。
 その場で手紙を読んだ彼は自分も代筆を頼んできた。そこから何通も頼まれたが、どれだけ書いても、ふたりの思いを自分は真に理解できていなかったのだと今のシルヴィアは思う。
 ――あまりにも、価値観が違った。
 貴族である彼女にとって、結婚とは領民に資する当たり前の通過儀礼でしかなかった。それぞれの家が子を手札とし、交換し、時に切る。それは恋愛とは遠く、続いてもいない。だから彼女は恋愛そのものを興味深く思えど、自身がする気などなかったのだ。だからこそ自分は彼らの交わす淡く甘い夢を、やわらかいまま書くことができたのかもしれない。シルヴィアは指輪を撫でた。……もし今同じことをしても、あんなにすらすらとは紡げないに決まっている。
 ――カザハナはどうしているだろうか?
 彼らの顛末は知らずじまいだ。カザハナはいつも薄い色の装束を纏って、花模様の入った紙に包んだお金を払ってくれた。彼女はカンザンが刀鍛冶として成功し、彼と結婚できる日を心待ちにしていた。彼らが一緒になっていたのなら、今度こそ……

 シルヴィアは、代筆全てと引き換えの刀と守り鞘を受け取った日に彼と交わした話をはっきりと覚えている。
「私の故郷に来ない?」
 それが一時の寂しさからのものではないことは、あとに続けた言葉ですぐに理解されただろう。
「貴方の技術は将来、シャルガネが離したがらない宝に成るわ。だから今、カペルに迎え入れたいの」
 彼女にはカンザンの鍛冶が領民に役立つ確信があった。自分の生活を支えている、農業、狩猟、採集、建築、工芸、安全。彼女にできること――すなわち義務――は、その全ての源である領民の生活を向上させることだった。
「まるでもう領主様みたいな台詞だな」
「なぜって私は、蒼玉候アル……」
 微笑みを浮かべたカンザンが、青白くなった彼女の顔を説得の決意のせいだと誤解してくれるよう祈りながら、シルヴィアは言い淀んだ。

“なれない”
 カンザンの感心の声をかき消して、頭の奥でそれが響く。
“君はアルヴィンになれないよ”
 それから嗤い声。
 宿でそんな夢を見たのだ。
“どれだけ奔放に過ごしてみようとしても”
“どれだけ優しくすくい上げようとしても”
 結果は一緒。
“君は、君のまま”
 その声は彼女自身の声だろうか。わからない。暗い森を声に追われながら彷徨い、最後に辿りついた泉を覗くとそこには優しい祖父、完璧な蒼玉候、民に慕われるアルヴィンの顔が揺らめいていた。深いため息をつくと水面が波立つ。森がざわめき、全てが消え目が覚めた。

「……“なぜって”?」
 瞬きしたシルヴィアは、途中だった言葉の続きをゆっくり促された。なぜって、なぜって、何故。
「私は蒼玉……」
 ああ。今、この時だけは。
「ううん、私はカペルの、シルヴィアだからよ」
 自分の、シルヴィアの頭と手で生活を支えているのだから。
 自分はお祖父様ではないのだ、と。なれないのではなく、異なるのだ、と。ここではそれを言うための空気が、ふいごで吹き入れられているように体に満ちている気がした。

 刀の包みを背負って宿に戻る途中。
 シルヴィアは、カンザンとの会話を終わらせることを選択した自分の矜持がはたして自分の物なのか、あるいはそれすらも祖父の物なのかを少しずつ調べていた。
 祖父にそっくりな自分。見た目が。中身は? 誰もが言わずとも期待しているのはわかる。それは致し方ない。お祖父様が素晴らしい方であることを、皆が理解していることは喜ばしい。だが、それ故に。
 ――遠い……ああ、こんなにも、遠いなら。
 聡明なシルヴィアは、この事態の最も簡単な解決策を知っていた。
 ――私はきっと、蔑ろにしてほしいの。その分お祖父様が尊くなるから。
 やっぱりあれは孫でしかない、そっくりと言えど別物だ、そうやって皆が彼女に愛想を尽かして、諦めるなら。それはお祖父様(アルヴィン)への彼らの心の傾け方を示すことと同義だろう。だが、今のところそうなっていない。
 ――だってそれが民の望みなら、私が“アルヴィン”になるわ。
 だから彼女はまた、歯を食いしばってその道を進む。その選択が彼女自身の物だったとシルヴィアが胸を張れたのは、遠い未来のことである。

 ――夢のことなど、久しく思い出していなかったけれど。もしかしてノアが関係して?
 吸血鬼にそのような力があるとは思えないが……あるいは、どこかで実際に囁かれたのか。
“ここで死んでしまってはいけないよ。君は、君のまま、生きていくんだよ。嗚呼、なんて素晴らしいんだろう! ほら、誰にも邪魔はさせない”
 まさか、旅の途中に? “僕と一緒に永遠に迷おう?”本当にそんな言葉を囁かれたか記憶はないが、シルヴィアはノアの唇がそう動くさまをありありと想像することができた。だが。
 ――それを切り捨てることも、できた。
 彼女は愛刀を手に応接の間に向かった。その背は冷えた廊下の空気に包まれて、なお温かく真っ直ぐ伸びている。

 扉を開いたシルヴィアは、今でも見上げる高さのカンザンに懐かしく会釈をした。
「壮健でしたか」
「ええ。色々と揉まれはいたしましたが」
「そうでしたか。また会えて、本当にありがたく思います。……もう、皆紹介は済んでいますか?」
 頷いたジェレムスに机の上を示されたシルヴィアは、木箱を静かに開いた。布を払うと、中には一筋の清水めいた静かな短刀が横たえられている。彼女はそれを礼儀をもって見分した。作り手の技術と、真情の乗った美しく強い刃。『水仙』に優るとも劣らない刀であることはその場の誰にも明白だった。
「銘が……ありませんね」
 感心と感謝で口元を緩めていた彼女は、茎を確認したところでわずかに不審そうにした。
「は、もしや不敬か、と……迷い」
「こちら(水仙)にはちゃんと“関山晴”と3文字入れてありましたよ」
「年端もいかぬ少女に艶文を書かせた不逞の者と聞いたが、意外に胆が小さいな?」
 指摘は少し寂しそうに響いて、エクスリオ・カペル(少女の父親)の冗談にも恐縮した刀鍛冶は覚束ない弁明を試みた。
「その……それは……自分が言いたかったことを、胸の奥から取り出されたような心持ちがいたしましたもので」
 その件は結局青薔薇が何も言ってこなかったのだから、彼女の祖母も見聞の一環として許容していたのだろう、とディヴァンスは静かに微笑んだ。あれこれ質問されて困惑はしたが、教養とはそういうものを抜きにしては語れまい。カンザンの生真面目な顔が慣れぬ百面相を始める様子に、シルヴィアも小さく笑みを戻した。

 守り刀をまた箱に安置したシルヴィアがうなずくと、机には小さな酒席が整えられた。中心にはカンザンの手土産の純米酒の樽。既に開かれたそれからは花に似た芳香が漂っている。ジェレムスは腕まくりをしていた。
「カンザン殿は飲める口でしょうな」
「は」
「お祖母様は?」
「お先にどうぞと言付かったわ。私もご挨拶だけで、失礼するわね」
 手際よく注がれた6つの杯が、静かに掲げられる。
「では。再びの縁に」

「なるほど、カンザンの師匠の工房が……」
 2杯目を注いだころには、すでにジェレムスとカンザンは打ち解けていた。かつての旅に同行しなかった身としては事情が気になる。聞き役も上手い彼は時折快活な笑い声を挟みながら、決して立て板に水ではないシャルガネ人の語りを引き出していた。
「はは、お嬢のその奔放なところは間違いなくリオ似だ」
「私か?」
 わざわざ“心外だ”の顔を作ってみせるエクスリオも、カンザンの人柄を好ましく思っていた。貴族の屋敷で重鎮に囲まれ、当主の昔についてその父親らに尋ねられる、というある種異常な状況にあっても適切さを失わず、多少のユーモアを含んで応じられる人物の胆は、見込み通り小さいどころではない。
「なに、勿論アルヴィン様もそうだっただろうけどな?」
「そうだね、お祖父様といえば――」
「あんまりお祖父様お祖父様って言ってたらお父様が泣くぜ?」
 祖父と孫の類似は、今のこの家では明るく語られる。孫は自身の先にある祖父を仰ぎ見て自分なりのやり方で進んでいる。そして、祖父と孫の間を父が繋げていることを無視する者もいない。彼らは脈々と血を継ぎ、互いに敬意を払い、過去の上にある今を、これからを生きている。ジェレムスは彼らの歩みを知るものとして、それを心地よく感じていた。
「お嬢は昔は随分慎重だったんだ……そりゃ、『青薔薇』の家だからな。でも冒険者になって学園の公のところでも動くようになって、俺はそのくらいからお嬢が変わったと思った。でも最初のところは、カンザンと会った時のことだったんだろうぜ」
「そうなのですか……私のところにいらした時には、いつも確り自分をお持ちになっているお人でした」
 カンザンも懐かしむ目をして、でも忘れられない優しいお顔がございますね、とシルヴィアに話の許可を求めた。
「うん? 何時のことだろう……構わないよ」
「鍔の飾りを決めた時です」
 エクスリオも促した。シルヴィアが持ち帰った刀と守り鞘。そこに施された意匠は、娘が自分で伝えたものと予想はついていたが。

 カンザンは刀がもうすぐ完成の段になって、シルヴィアに鍔の装飾を問うた。
「そうね……」
 少女の中にはいろいろな模様が浮かんだ。しかし、これはシルヴィア・カペルのための刀だ。ならば選ぶべきはひとつだった。
「水仙。水仙はね、真っ先に春を知らせてくれる花なの」

「とても可愛らしく笑っておられましたよ」
 わずかに赤面したシルヴィアに、エクスリオが杯を掲げる。水仙も、青薔薇も。彼女の一面にすぎない。ここの花が季節ごとに移り変わるように、人もまた複雑なものなのだ。彼は娘がそれを誇りに思うことを望んだ。
「それだけは思わずカザハナにも話してしまいました」
「そう、カザハナ……彼女はどうしているかな?」
 カンザンはゆっくり首を振った。
「先ほど“宿願”と申しておりましたのが、彼女との結婚でございました」
 それはこの席のごく初めの方で、エクスリオが問うた話の答えだった。娘の勧誘に乗りカペルに来れば安泰だっただろうに、と。
「シルヴィア様が発たれて5年の後、結婚が叶いました。しかし……」
 シャルガネの大の男が、声を詰まらせた。
「2年前の冬に、病を」
「そう……すまない」
「いえ。シルヴィア様には感謝しております。子こそおりませんでしたが、充実した日々でございました」
 名の通り静かに溶けて消えた彼女を葬った後のカンザンは抜け殻だった。刀を打てど打てど、満足いくものは仕上がらない。ただ死んでいない自分を持て余して、兄弟弟子たちの世話でなんとかやっていた。
「それが、こたびのお話が流れてまいり。力が戻る心地がいたしました」
 全ての準備を整え、鉄を打つと手は不思議とよく動いた。それが驕りでない証明は、ここに居る全員だ。
「あの刀には、カザハナの思いも込めてくれたのだね」

 皆が酒の1杯を雪の佳人に捧げた後。
「ジロー。あの質問を、今。もう一度しても構わないかな?」
 シルヴィアの言葉に、カンザンは確信をもって肯った。
「私の故郷(カペル)に来ないか?」
 シルヴィアは柔らかい表情で、彼の前に両腕を広げる。
「喜んで。光栄至極に存じます」
「……ありがとう」
 土地などの相談はまた、と現侯爵が深い息をした横で、先代侯爵は早速前のめりに悪戯っぽく笑ってみせた。
「では私も太刀を依頼して良いだろうか?」
 頷いたカンザンに、彼は早速好みや長さをぽんぽんと投げていく。
「さて、意匠は……」
 華麗にして優雅、転調の激しい彼には燃えるような花が似合いそうだった。

「それでは、そろそろ」
 まだ盛り上がりそうな場ではあったが、もう夜更けだ。開いた扉の向こうからちらり覗いたアーカネラに目くばせし、ディヴァンスは皆を促した。
「ああ、これは……すっかり夢中になってしまいました」
「美味い酒だった、肴も実に」
「おや、我が娘を肴扱いとは捨てておけんな」
「お父様も私に乗じて早速注文なさったではないですか」
 空気に混じる酒精は、皆の間を品よく温め、縁の蕾をすっかりほころばせている。アーカネラは輪から一足先にカンザンを連れ出し客室に向かった。

「……と、その前に」
 彼女は、客室を素通りして廊下を折れる。会話術には事欠かない彼女は、しかし、今ばかりは技術を用いない言葉を紡いだ。アーカネラは覚えている。自分が花匠になることを承諾した翌日、シルヴィアが髪型も口調も何もかも変えてしまっていたことを。
「例の旅の、最後のことね。でも、そうまでしても結局あの子は完全には自分というものを消せなかったのよ」
 カンザンは相槌も打たないが、聴いているのはよくわかった。
「家族や先生に受けた愛情や信頼を信じていたからでしょう……あら、貴方のことも言っているのよ、刀鍛冶さん?」
 きっと最初は、学園を卒業して冒険者を辞めたら、シルヴィアはアルヴィン(理想の貴族)になるつもりだったのだ。
「けれど、シルヴィアはシルヴィアとして最愛の伴侶や大切な友人を得た。良かったと心から思うわ」
 立ち止まった彼女は分厚い木の扉に手を掛けた。
「菖蒲も水仙も、良き水あってこそよ。私としても、貴方には是非ともカペルにいてほしいわ」
 カンザンはひとつ静かにうなずく。
「もちろん、パトロンならご心配なく」
 アーカネラが落ち着いた金色のドアノブを引く。手入れのいい扉は音もなく開いた。

 その部屋でカンザンを待っていたのは、イザベラ・カペルだった。彼は無礼でない程度に息を潜めて面を伏せた。
「顔を上げてくださいな。ようこそ、いらっしゃいました」
 ゆっくり従うと、目の前に慈母の微笑みがある。カンザンは姿勢を正した。
「さて……亡き夫アルヴィンも、東方文化に興味を持っていました」
 イザベラの声は僅かに固い。それはカンザンに釘を刺すようでも、孫娘を思いやるようでもあった。
「つまり――孫娘が王国でよく使われる剣を選ばなかったことは、彼女自身の個性の証明とはなりません」
 カンザンは顎を引いた。
 シルヴィアがシャルガネを訪れたのも、刀を武器として受けいれられたのも、シルヴィアだけの選択の結果ではない、イザベラが言いたいのはそういうことだろう。シャルガネで幼いシルヴィアに勧誘された時、彼女は何か言い淀んでいた。あのとき少女が何を言わんとしていたのか、それを詮索するのは彼のやり方ではなかった。だがきっとこの事情に関係していたのだろう。
「……とはいえ祖父を真似するにしても、形だけで済むほどここは甘い世界ではありません」
 シルヴィアは実際に、カンザンの打った刀を何度も振るっている。無名の刀鍛冶の作であっても確かに信頼できるという自信と腕がなければ、到底できることではない。
「当時のあの子は、色々と危険に取り巻かれていました。そして、それを本人も知っていました」
 身を護る術は身に着けていたものの、直接的なこん棒の一撃よりも恐ろしいのは不用意な情報の広まりだ。それにもかかわらず、シルヴィアはカンザンに水仙の意匠を教えた。それと蒼玉を合わせれば、見咎める者があるかもしれないとは容易に想像されることだ。
「その状況で貴方にあのように刀を仕上げさせたということは、あの子が、シルヴィアが貴方に心を開いていたということに他なりません」
 実際、カンザンはそれを他に漏らす愚は犯さなかった。シルヴィアが刀を扱えることも自身の経験から過たず見積もった彼は、お飾りの可愛らしい――肖像画用に持たされるような――刀ではなく、彼の技術の粋を凝らした一本を鍛えた。
「そして、貴方はシルヴィアの信頼に見事に応えたのです」
 イザベラは窓の外を見た。領民の灯がいくつも揺れている。彼女が、アルヴィンが、エクスリオが、そしてシルヴィアが何よりも愛する花々の光。
「孫娘は……“シルヴィア”として生き始めました」
 目を戻したイザベラが、強い赤の瞳でカンザンを見据える。
「彼女を支えてくださいね。貴方の銘の入った刀で」
 ”関山晴”銘のそれから刀の美しさが王国に広まることになれば、それは新蒼玉候、シルヴィア・A・カペルの、彼女自身の選択による貢献となる。それはシルヴィアを支える3本目の刀になるだろう。これからのカペルを護る、折れない刀に。
「は」
「貴方の初仕事は、シルヴィアの守り刀に銘を入れることですよ」
 どうやら、イザベラには何でもお見通しらしい。先にリオの刀を打ち始めてはいけません、そう言って彼女は悪戯っぽくウィンクして見せる。刀鍛冶の深い礼を、彼女は満足げに受けた。

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アーカイブ生成日時 2026年08月05日 14時56分25秒 ・ world0