人形劇は繰り返す
キャラクターノベル(グループ)制作 弓月 蒼納品 2022年10月22日 11時09分33秒
●舞台は踊る。されど進まず
夏の暮れ。『王国』王都近郊――――『蒼玉』侯爵領。
別名『花の領地』領都の大劇場。その舞台上では、時折過去を象って妖精が舞うと伝えられている。
『蒼玉』侯爵家の実質的最高権力者。イザベラ・カペルは自らの誕生日が過ぎて暫し。
執務の区切りが付いた頃ただ1日だけ――――供も連れずに、たった1人でこの劇場を訪れる。
人の記憶は薄れるもの。香りが。声が。姿が。少しずつ。はっきり思い出せると思っていて、確からしさを失いゆく。
それは外見なら30代でも通じると謳われるイザベラに在っても、如何にも逃れようの無い世界の摂理だ。
故に舞台の上に演目は無く。けれど其処で右手を左胸に当て立つのは若き日のシェラード伯爵家三男。
後にアルヴィン・カペルと呼ばれる青年だ。"僕は生涯こんな場所とは縁が無いと思っていたよ"――――だったか。
旅や冒険を愛する余りに『学園』でも滅多に姿を見る事が無く、長旅帰りで泥土に塗れた所を捕まえて。
何とか逃げ切ろうと多種多様な弁明を並べるアルヴィンを、どうにか言い含め漸く夜会へと誘い出した。
今となってみれば本当にささやかな拘りだったのだろうけれど、恋に恋する学生時分だ。気持ちが逸って仕方なかった。
そう、文字通り“誘い出した”としか言いようの無い状況下で。彼に手を取られ踊った事を昨日の事の様に覚えている。
最初にイザベラを見初めたのはアルヴィンから。だと言うのに、こと学校行事となると途端に足が遠のく彼を追って。
公の場に連れ出すのは殆ど彼女の方からだった。改めて思えば、そんな事すらも楽しかった思い出だ。
「貴方ったら、舞踊の足跡をすっかり忘れてしまったなんて。何度思い返しても酷い言い訳よね」
冗談めかした声音で舞台の上に語り掛ける。彼の刻む時は随分前に停まったままだ。
彼は自由を愛し愛する自由と共に逝った。未練があったとは思わないが、生き写しの様な愛する孫娘を見る度に。
果たして彼が健在であったらどう思っただろう。考えただろう。接しただろうと想像せずにはいられない。
やや古めかしい舞踊曲の旋律に包まれて、丁寧に足跡を踏む若き日の2人を何処か遠く見つめ。
イザベラは郷愁とも哀惜とも近しく遠い感傷に浸る。寂しいとは思わない。心は今も寄り添ったままなのだから。
けれどこうして年に一度。あの日あの時の彼に逢いに来る事位の我儘は、赦して欲しい。
「ねえアルヴィン。また私1人だけ、齢を重ねてしまったわ」
ほつりと。思い出と語らい合う時間がイザベラが彼女らしくいる為には必要な物なのだ。
愛する人への想いと共に、今も彼女は彼が愛したこの大地を。薔薇を愛でる様に愛情を注ぎ、育んでいる。
■
「イザベラ様、お迎えに上がりました」
「あら、どうしたのジェレムス。今日は1人で大丈夫だと知っているでしょう?」
劇場を出ると、騎士制服に身を包んだ赤髪の美丈夫。ジェレムス・ローギリアンが待ち構えていたのを見て。
驚いたのはイザベラの方だ。『蒼玉』の表の守護者、『蒼玉騎士団団長』であるジェレムスと言えば。
多方面に多忙な人物として知られている。勿論、イザベラもその点は負けず劣らずと言った所ではあるが。
大劇場へ行って帰る程度の道程で護衛に連れ歩くには仰々しいに過ぎるし、本来この程度の仕事は彼の管轄外だ。
「それは勿論です。ただ、予定より早くアーカネラ達が戻りました。……例の"野犬"の裏が取れたと」
『蒼玉』の裏の守護者である『青薔薇』のトップ。『花匠』アーカネラ・ユルヴェウス。
そしてその恋人であり、先代『花匠』でもあるディヴァンス・ファルヴェント。
2人に出していた依頼はイザベラの"愛する孫娘"を護る為に、彼女と敵対関係にある何者かの素性を暴く、と言う物だ。
侯爵家である『蒼玉』は気紛れや興味本位で敵対するには大物に過ぎ。
一方で先遣として放った『青薔薇』の構成員が行方を晦ましたとあらば、冗談でも済まない。
迅速な裏取りは流石『花匠』2人、と言った所だが――――
「私に報告が必要……と言う事は、そういう事よね」
もしも相手が貴族であり、表立っての政争となるなら息子である『蒼玉侯』に話が向かう筈。
そこを外して報告がイザベラへ向くと言う事は。つまり“表の社会”とはやや趣が違う相手が出て来たという事だ。
そして彼女には心当たりがあった。孫娘を護る為にも、今の内に潰しておかなければならない"懸念の種"。
まさに、今し方確かめた追憶と無縁ではいられない――――或いは、因縁そのもの、と言える相手が。
「何であれば、俺が。例え騎士団の総力を結集してでも……」
「良いのよジェレムス。大丈夫。これはね、私とアルヴィン。そしてあの子が決着を付けないといけない事なの」
淡く微笑んで、心配性なジェレムスを掻き抱く様にして告げるイザベラに。
普段は豪放と知られる赤毛の騎士団長の体も無く。ただ拳を握り耐える事しか出来ない。
僅か汗を滲ませる程の陽射しも既に傾き。かくて――――『蒼玉』に、いずれは夜が訪れる。
●玩具箱の王
「アルヴィン、分かっていると思うが突出し過ぎるなよ」
「勿論だよディヴァンス。我が親友殿はそれほど私が信用出来ないかな?」
「信用しているとも。お前がどれほど慈悲深く向こう見ずかを――――な!」
ディヴァンスが放った三本の矢が闇の彼方から駆けて来た影色の狼達の眉間を全て正確に射抜く。
射られた狼は悲鳴を上げ地に伏せると人の姿へと変じ、それが子供――――襤褸を纏った孤児である事が見て取れた。
改めて視線を向け直すと。射程圏を超えていた最後の狼がアルヴィンの白刃で斬り捨てられたところだった。
幻術か魔術、或いは種としての特性の類だろう。そちらもやはり、死んだ瞬間に霧が晴れる様に子供の姿へと戻る。
その小さな影を見下ろし、彼の友はただ静かに剣を捧げ黙祷を送った。仮にも“交戦中”に、である。
本来今は例え相手が子供であろうと、非情に徹さねばならない場面だ。少なくとも、ディヴァンスならばそうする。
けれど彼の親友はそうではない。例え既に手遅れであったとしても、感傷に引っ張られる。
有能な男ではある。けれどこういった命の奪い合いには何処までも向かない男でもあった。
「他に襲撃者は?」
「もう1人居た筈だ。……が、今の一射で逃げ去った。近いな」
「急ごう。彼女が心配だ」
何せ大陸において"一度吸血鬼になった者"が元の人に戻った類例は――――皆無だ。
カペル侯爵領辺境。周囲を荒らしていた吸血鬼に一瞬の隙を縫われ、攫われたイザベラの捜索は困難を極めた。
共に『青薔薇』であるアルヴィンとディヴァンスが彼女の姿を見失ってから緊急事態であると騎士団を招集し。
その痕跡が近隣の霧深い谷――――カジュラ渓谷へ向かっていると確信を得た段階で、既に3日が経過している。
下手人が吸血鬼であると知れた時点で、大半の騎士達を渓谷の入り口に待たせざるを得なくなった様に。
授恵者ならばともかくも、鍛えているとは言え一般人でしかないイザベラが健在である可能性は極めて低い。
下位の存在に対し命令権を有する吸血鬼にとって、”人質”の有用性と言うのは限りなく0に近いからだ。
それを分かっていて、2人はいずれも其処に言及する事は無い。まるで、言えば真実になるとでもいう様に。
(……もしもイザベラが“そう”なっていた場合。我が友には討てまい)
一度は抜いた愛剣を鞘に戻し、霧が掛かった渓谷を懸命に駆ける親友の背を視界に収めながら。
もし、万が一最悪の想像が的中していた場合。その時は自らが討つ他はない……と。
ディヴァンスは、そんな悲壮な決意を固めていた。
■
――――幸いな事に、その時イザベラは無傷で奪還された。
それこそが『蒼玉』と『玩具箱の王』と呼ばれる吸血鬼の因縁の始まりとなる訳だが、幸いには変わりは無い。
以来、元々『蒼玉』侯爵領内でも末端に位置するこの渓谷へ、彼が訪れる事は遂に無かった。
で、あるならば。同行者こそ違えども或いはこれもまた拭い去り得ぬ“因縁の再確認”だとでも言うのだろうか。
「どうしたのディヴァンス。貴方が私に其処まで注視するなんて珍しいわね」
「……いや、何でもない。この渓谷は特に奥へ行くまでは霧が濃い。突出し過ぎないよう――――」
ふと、いつかと同じような事を言おうとして。アーカネラが可笑しそうに口元を抑えた事に気が付いた。
そうだ。アーカネラは今代の『花匠』。以前、就任打診に訪れた時とは違う。
幾つも修羅場を踏み経験を蓄積した彼女の立ち居振る舞いは洗練され、治療師でありながら足音一つしない。
つい親友の記憶に引っ張られがちな自身を戒めるように口を噤み、視線を渓谷の奥へと向け直す。
霧が晴れ、好き放題に伸びきった茂みを抜ければ、その先には酷く古い山小屋がある。
果たして、かつては山狩りにでも使っていたのだろうか。今となっては廃屋と言う他はない朽ちた建造物だ。
以前はその地にすっかり理性を失った下級の吸血鬼が潜んでいた。そして、現在―――――
「――――待って」
「血の香り、だな」
その、本来誰も居ない筈の。管理すらされていない筈の廃屋から確かに。鮮烈なまでの血の香りがするのは何故か。
茂みに身を顰めた2人は即座に駆けだした。血液と言うのは其処まで長い時間その形状を保っていられない。
密閉でもしない限り直ぐに冷えて固まり、香りも霧散してしまう。つまり、この上も無い異常事態だ。
門柱をすり抜け朽ち果てた木目の扉を開け放つ。腐った扉に引っ掛かっていた蝶番が外れて落ちた。
「――――――――!!」
「……やられた」
廃屋の中はたった数人の人間の中に良くぞここまで、と言える程に一面隙間なく鮮血で彩られ。
扉を開けば嫌が応にも目に付かざるを得ない室内中央で頽れた遺骸の上、クマのぬいぐるみが羊皮紙を抱えていた。
"誕生日おめでとうイザベラ。久々に帰って来たよ"
恐らく。悪趣味な装飾品と化したこの屍をどれだけ探っても、最早何も出て来ないに違いない。
まるで好き放題に散らかす事しか知らない子供が癇癪を起した様な部屋の中、夜が満ちる。
"――――今度もまた、一緒に遊んでくれるよね"
●かくて針は動き出す
――――『蒼玉』侯爵領、領主邸の中庭。
ディヴァンスとアーカネラが回収したと言う手紙を受け取り。『蒼玉』の最高権力者は小さく息を吐いた。
「――――――――……そう」
たっぷりと。普段の彼女を知る者であれば違和を感じる程の沈黙の後、イザベラは羊皮紙を畳んで頷く。
この時点で、護衛と言う形で同道した結果、この場に居合わせた不幸をジェレムスは呪った。
普段であればどれ程失礼千万な振る舞いを受けた所でイザベラは微笑む。
“貴族の女”にとって、微笑みこそが最も強固な鎧であり盾である事を、骨身に沁みて理解しているからだ。
けれどこの日この時。イザベラは微笑まなかった。ただ理解の色の中に仄かな火を点し、瞳を伏せた。
息子同然の付き合いをして来たジェレムスには分かる。それが、彼女が隠し切れぬ怒りを隠す素振りなのだと。
「あの吸血鬼は、最愛の人を奪っただけでは飽き足らず。未だこの遊戯を続けると言うのね」
帝都が崩壊した直後。まるで何かの歯車が噛み合ったかのように彼女は突然授恵者として目覚めた。
それそのものは、以来幾多の力有る授恵者が乱立した事からも奇跡的と言えるほど希少な出来事ではない。
けれど一方で、イザベラは今更自分に神の恩寵が降り注いだ事をある種皮肉気に。
或いは――――天啓の如く受け止めた。世界は彼女に、未だ戦う事を求めているのだ――――と。
であれば。方々に張り巡らせていたとは言え選りによって“領内”と言う網に『玩具箱の王』が掛かった事は。
いっそ必然的と言っても良い。出来過ぎと言える様な巡り合わせだった。いや、或いはこれこそ正に。
(――――因縁、か)
この機に。呪毒が解けて以来世捨て人の如く世俗を離れていた自身が居合わせるのも、また。
設えた様な手応えをディヴァンスは感じていた。かつて、彼は大切な親友を護り切れなかった。
そして此度の遊戯では、生まれ変わり同然に想う愛弟子までもが狙われていると言う。
まるで誰かが導いてでもいるかのように。"今度こそ護ってみせろ"――――とでも、言うのだろうか。
「……ディヴァンス」
「大丈夫だ。もう二度と、私は自分の幸福を見失うことはしない」
そっと方に載せられたアーカネラの手に触れると。一瞬燃え上がった復讐の念は静かに落ち着きを見せ。
けれど、それは決して消えた事を意味しない。燻る様に、今も心の深い場所で燻るままだ。
傷痕は――――十年、二十年と言う年月が癒そうとも。戻り得ぬ喪失は、尚深く。
■
「……どうします。先ず一端お嬢を『学園』から呼び戻して――――」
「――――それは成りません。ジェレムス」
次いでそう口にした騎士団長へ頭を横に振ったイザベラに。ディヴァンスも同意する様に先を促す。
それを受けた側は驚いた様に見返すも、アーカネラが場の総意を受け滔々と言葉を紡ぐ。
「“吸血鬼”があらゆる亜人の中でも特に警戒されるのは、その隠密性故よ。
彼らの多くは“ヒト”と同じ外見的特徴と優れた知性を持ちながら、常軌を逸した身体能力を誇るから」
つまり、内に籠り我が身を護ろうとする行為は、そのまま“吸血鬼”へと利する。
その位であればいっそ、顔馴染みが多く潜入し難い『学園』の方が遥かに安全と言えるだろう。
「だとしたら何だ。お嬢のことは放っておいて領内を捜索するってことか?
いや、それでもしもお嬢に万が一の事が有ったら……」
「待ちなさいジェレムスそうは言って無いわ。先ず学園にはあの子の騎士が居る」
『青薔薇』の諜報能力は高く、孫娘に想い人が居る事は既に『蒼玉』における共通知識だ。
流石にジェレムスもそうと言われては頷く他は無いが。
「む……それは、そうだとしてもだ。せめて秘密裏に護衛位はだな」
「全く、貴方ったら本当にシルヴィアに甘いのね。そんな心配しなくとも、下手な騎士よりあの子は強いわ。
秘密裏だ何て言った所で、見つかって詰め寄られるに決まっているでしょう」
呆れたように告げるアーカネラに押し負け、大の男が眉を寄せたまま黙り込むと。
それを見ていたイザベラが思わず、と言う様に笑いを零した。
「あの子の研鑽を信じましょう。自慢の孫娘よ、きっと大丈夫。
何より……私はあの吸血鬼の一件に、極力シルヴィアを巻き込みたくはないの」
『玩具箱の王』の執着は常軌を逸している。アルヴィンが狙われたのは、彼女が彼を拒んだからだ。
その生き写しと言って良い孫娘が、件の吸血鬼と接した時。
果たしてどんな劇的反応が起こるか。想像する事は難しく、本音を言えば考えたくも無い。
気に入るにせよ、気に入らないにせよ、断じて碌な結末には至るまい。
「これは先代“蒼玉侯”の仇討ちよ。私達が……あの子を護らなくては」
告げるイザベラに、ジェレムスが。アーカネラが。そしてディヴァンスが頷いた。
領民を護る為。孫娘を、愛弟子を、次代の主を護る為。理由は幾らでも並べられるだろう。
けれどこの戦いに、誰もが等しく頷ける様な大義は無い。其処に感情を込めないなど不可能だ。
人はどれほど鍛錬を積み上げても道具にはなれない。既に喪くした物があるなら、尚更に。
(私が引かなければならない、幕。そうよね……アルヴィン)
錆び付いていた、止まりかかっていた歯車は此処から再び軋みを上げる。
微笑に真意を隠し、心の上で刃を研ぐ。その細く鋭い切っ先が、いずれ彼の吸血鬼の喉笛を貫くまで。
殺意とは――――愛にも似て。けれど愛とは、決定的に断絶した感情である。
●Criminals don't cry
“醜い”と、彼は言った
“世界は醜い” と、彼は言った。
“貴族たちは滑稽だ” と、彼は笑った。
“けれど君だけは愛らしい” と、彼は微笑んだ。
“眩ゆくも愛らしい、僕の大切な玩具だ”――――と。
『蒼玉』の地の夏が終わる。
既に遠く終わった筈の感傷と、その傷跡を明かす様に。
豊穣と芸術の季節を間近に控え、血臭を帯びた湿った風が遠く。
遠く、遠く、けれど確かに吹き抜ける。
――――――――その儚げな少年は、決して、涙を流さなかった。
夏の暮れ。『王国』王都近郊――――『蒼玉』侯爵領。
別名『花の領地』領都の大劇場。その舞台上では、時折過去を象って妖精が舞うと伝えられている。
『蒼玉』侯爵家の実質的最高権力者。イザベラ・カペルは自らの誕生日が過ぎて暫し。
執務の区切りが付いた頃ただ1日だけ――――供も連れずに、たった1人でこの劇場を訪れる。
人の記憶は薄れるもの。香りが。声が。姿が。少しずつ。はっきり思い出せると思っていて、確からしさを失いゆく。
それは外見なら30代でも通じると謳われるイザベラに在っても、如何にも逃れようの無い世界の摂理だ。
故に舞台の上に演目は無く。けれど其処で右手を左胸に当て立つのは若き日のシェラード伯爵家三男。
後にアルヴィン・カペルと呼ばれる青年だ。"僕は生涯こんな場所とは縁が無いと思っていたよ"――――だったか。
旅や冒険を愛する余りに『学園』でも滅多に姿を見る事が無く、長旅帰りで泥土に塗れた所を捕まえて。
何とか逃げ切ろうと多種多様な弁明を並べるアルヴィンを、どうにか言い含め漸く夜会へと誘い出した。
今となってみれば本当にささやかな拘りだったのだろうけれど、恋に恋する学生時分だ。気持ちが逸って仕方なかった。
そう、文字通り“誘い出した”としか言いようの無い状況下で。彼に手を取られ踊った事を昨日の事の様に覚えている。
最初にイザベラを見初めたのはアルヴィンから。だと言うのに、こと学校行事となると途端に足が遠のく彼を追って。
公の場に連れ出すのは殆ど彼女の方からだった。改めて思えば、そんな事すらも楽しかった思い出だ。
「貴方ったら、舞踊の足跡をすっかり忘れてしまったなんて。何度思い返しても酷い言い訳よね」
冗談めかした声音で舞台の上に語り掛ける。彼の刻む時は随分前に停まったままだ。
彼は自由を愛し愛する自由と共に逝った。未練があったとは思わないが、生き写しの様な愛する孫娘を見る度に。
果たして彼が健在であったらどう思っただろう。考えただろう。接しただろうと想像せずにはいられない。
やや古めかしい舞踊曲の旋律に包まれて、丁寧に足跡を踏む若き日の2人を何処か遠く見つめ。
イザベラは郷愁とも哀惜とも近しく遠い感傷に浸る。寂しいとは思わない。心は今も寄り添ったままなのだから。
けれどこうして年に一度。あの日あの時の彼に逢いに来る事位の我儘は、赦して欲しい。
「ねえアルヴィン。また私1人だけ、齢を重ねてしまったわ」
ほつりと。思い出と語らい合う時間がイザベラが彼女らしくいる為には必要な物なのだ。
愛する人への想いと共に、今も彼女は彼が愛したこの大地を。薔薇を愛でる様に愛情を注ぎ、育んでいる。
■
「イザベラ様、お迎えに上がりました」
「あら、どうしたのジェレムス。今日は1人で大丈夫だと知っているでしょう?」
劇場を出ると、騎士制服に身を包んだ赤髪の美丈夫。ジェレムス・ローギリアンが待ち構えていたのを見て。
驚いたのはイザベラの方だ。『蒼玉』の表の守護者、『蒼玉騎士団団長』であるジェレムスと言えば。
多方面に多忙な人物として知られている。勿論、イザベラもその点は負けず劣らずと言った所ではあるが。
大劇場へ行って帰る程度の道程で護衛に連れ歩くには仰々しいに過ぎるし、本来この程度の仕事は彼の管轄外だ。
「それは勿論です。ただ、予定より早くアーカネラ達が戻りました。……例の"野犬"の裏が取れたと」
『蒼玉』の裏の守護者である『青薔薇』のトップ。『花匠』アーカネラ・ユルヴェウス。
そしてその恋人であり、先代『花匠』でもあるディヴァンス・ファルヴェント。
2人に出していた依頼はイザベラの"愛する孫娘"を護る為に、彼女と敵対関係にある何者かの素性を暴く、と言う物だ。
侯爵家である『蒼玉』は気紛れや興味本位で敵対するには大物に過ぎ。
一方で先遣として放った『青薔薇』の構成員が行方を晦ましたとあらば、冗談でも済まない。
迅速な裏取りは流石『花匠』2人、と言った所だが――――
「私に報告が必要……と言う事は、そういう事よね」
もしも相手が貴族であり、表立っての政争となるなら息子である『蒼玉侯』に話が向かう筈。
そこを外して報告がイザベラへ向くと言う事は。つまり“表の社会”とはやや趣が違う相手が出て来たという事だ。
そして彼女には心当たりがあった。孫娘を護る為にも、今の内に潰しておかなければならない"懸念の種"。
まさに、今し方確かめた追憶と無縁ではいられない――――或いは、因縁そのもの、と言える相手が。
「何であれば、俺が。例え騎士団の総力を結集してでも……」
「良いのよジェレムス。大丈夫。これはね、私とアルヴィン。そしてあの子が決着を付けないといけない事なの」
淡く微笑んで、心配性なジェレムスを掻き抱く様にして告げるイザベラに。
普段は豪放と知られる赤毛の騎士団長の体も無く。ただ拳を握り耐える事しか出来ない。
僅か汗を滲ませる程の陽射しも既に傾き。かくて――――『蒼玉』に、いずれは夜が訪れる。
●玩具箱の王
「アルヴィン、分かっていると思うが突出し過ぎるなよ」
「勿論だよディヴァンス。我が親友殿はそれほど私が信用出来ないかな?」
「信用しているとも。お前がどれほど慈悲深く向こう見ずかを――――な!」
ディヴァンスが放った三本の矢が闇の彼方から駆けて来た影色の狼達の眉間を全て正確に射抜く。
射られた狼は悲鳴を上げ地に伏せると人の姿へと変じ、それが子供――――襤褸を纏った孤児である事が見て取れた。
改めて視線を向け直すと。射程圏を超えていた最後の狼がアルヴィンの白刃で斬り捨てられたところだった。
幻術か魔術、或いは種としての特性の類だろう。そちらもやはり、死んだ瞬間に霧が晴れる様に子供の姿へと戻る。
その小さな影を見下ろし、彼の友はただ静かに剣を捧げ黙祷を送った。仮にも“交戦中”に、である。
本来今は例え相手が子供であろうと、非情に徹さねばならない場面だ。少なくとも、ディヴァンスならばそうする。
けれど彼の親友はそうではない。例え既に手遅れであったとしても、感傷に引っ張られる。
有能な男ではある。けれどこういった命の奪い合いには何処までも向かない男でもあった。
「他に襲撃者は?」
「もう1人居た筈だ。……が、今の一射で逃げ去った。近いな」
「急ごう。彼女が心配だ」
何せ大陸において"一度吸血鬼になった者"が元の人に戻った類例は――――皆無だ。
カペル侯爵領辺境。周囲を荒らしていた吸血鬼に一瞬の隙を縫われ、攫われたイザベラの捜索は困難を極めた。
共に『青薔薇』であるアルヴィンとディヴァンスが彼女の姿を見失ってから緊急事態であると騎士団を招集し。
その痕跡が近隣の霧深い谷――――カジュラ渓谷へ向かっていると確信を得た段階で、既に3日が経過している。
下手人が吸血鬼であると知れた時点で、大半の騎士達を渓谷の入り口に待たせざるを得なくなった様に。
授恵者ならばともかくも、鍛えているとは言え一般人でしかないイザベラが健在である可能性は極めて低い。
下位の存在に対し命令権を有する吸血鬼にとって、”人質”の有用性と言うのは限りなく0に近いからだ。
それを分かっていて、2人はいずれも其処に言及する事は無い。まるで、言えば真実になるとでもいう様に。
(……もしもイザベラが“そう”なっていた場合。我が友には討てまい)
一度は抜いた愛剣を鞘に戻し、霧が掛かった渓谷を懸命に駆ける親友の背を視界に収めながら。
もし、万が一最悪の想像が的中していた場合。その時は自らが討つ他はない……と。
ディヴァンスは、そんな悲壮な決意を固めていた。
■
――――幸いな事に、その時イザベラは無傷で奪還された。
それこそが『蒼玉』と『玩具箱の王』と呼ばれる吸血鬼の因縁の始まりとなる訳だが、幸いには変わりは無い。
以来、元々『蒼玉』侯爵領内でも末端に位置するこの渓谷へ、彼が訪れる事は遂に無かった。
で、あるならば。同行者こそ違えども或いはこれもまた拭い去り得ぬ“因縁の再確認”だとでも言うのだろうか。
「どうしたのディヴァンス。貴方が私に其処まで注視するなんて珍しいわね」
「……いや、何でもない。この渓谷は特に奥へ行くまでは霧が濃い。突出し過ぎないよう――――」
ふと、いつかと同じような事を言おうとして。アーカネラが可笑しそうに口元を抑えた事に気が付いた。
そうだ。アーカネラは今代の『花匠』。以前、就任打診に訪れた時とは違う。
幾つも修羅場を踏み経験を蓄積した彼女の立ち居振る舞いは洗練され、治療師でありながら足音一つしない。
つい親友の記憶に引っ張られがちな自身を戒めるように口を噤み、視線を渓谷の奥へと向け直す。
霧が晴れ、好き放題に伸びきった茂みを抜ければ、その先には酷く古い山小屋がある。
果たして、かつては山狩りにでも使っていたのだろうか。今となっては廃屋と言う他はない朽ちた建造物だ。
以前はその地にすっかり理性を失った下級の吸血鬼が潜んでいた。そして、現在―――――
「――――待って」
「血の香り、だな」
その、本来誰も居ない筈の。管理すらされていない筈の廃屋から確かに。鮮烈なまでの血の香りがするのは何故か。
茂みに身を顰めた2人は即座に駆けだした。血液と言うのは其処まで長い時間その形状を保っていられない。
密閉でもしない限り直ぐに冷えて固まり、香りも霧散してしまう。つまり、この上も無い異常事態だ。
門柱をすり抜け朽ち果てた木目の扉を開け放つ。腐った扉に引っ掛かっていた蝶番が外れて落ちた。
「――――――――!!」
「……やられた」
廃屋の中はたった数人の人間の中に良くぞここまで、と言える程に一面隙間なく鮮血で彩られ。
扉を開けば嫌が応にも目に付かざるを得ない室内中央で頽れた遺骸の上、クマのぬいぐるみが羊皮紙を抱えていた。
"誕生日おめでとうイザベラ。久々に帰って来たよ"
恐らく。悪趣味な装飾品と化したこの屍をどれだけ探っても、最早何も出て来ないに違いない。
まるで好き放題に散らかす事しか知らない子供が癇癪を起した様な部屋の中、夜が満ちる。
"――――今度もまた、一緒に遊んでくれるよね"
●かくて針は動き出す
――――『蒼玉』侯爵領、領主邸の中庭。
ディヴァンスとアーカネラが回収したと言う手紙を受け取り。『蒼玉』の最高権力者は小さく息を吐いた。
「――――――――……そう」
たっぷりと。普段の彼女を知る者であれば違和を感じる程の沈黙の後、イザベラは羊皮紙を畳んで頷く。
この時点で、護衛と言う形で同道した結果、この場に居合わせた不幸をジェレムスは呪った。
普段であればどれ程失礼千万な振る舞いを受けた所でイザベラは微笑む。
“貴族の女”にとって、微笑みこそが最も強固な鎧であり盾である事を、骨身に沁みて理解しているからだ。
けれどこの日この時。イザベラは微笑まなかった。ただ理解の色の中に仄かな火を点し、瞳を伏せた。
息子同然の付き合いをして来たジェレムスには分かる。それが、彼女が隠し切れぬ怒りを隠す素振りなのだと。
「あの吸血鬼は、最愛の人を奪っただけでは飽き足らず。未だこの遊戯を続けると言うのね」
帝都が崩壊した直後。まるで何かの歯車が噛み合ったかのように彼女は突然授恵者として目覚めた。
それそのものは、以来幾多の力有る授恵者が乱立した事からも奇跡的と言えるほど希少な出来事ではない。
けれど一方で、イザベラは今更自分に神の恩寵が降り注いだ事をある種皮肉気に。
或いは――――天啓の如く受け止めた。世界は彼女に、未だ戦う事を求めているのだ――――と。
であれば。方々に張り巡らせていたとは言え選りによって“領内”と言う網に『玩具箱の王』が掛かった事は。
いっそ必然的と言っても良い。出来過ぎと言える様な巡り合わせだった。いや、或いはこれこそ正に。
(――――因縁、か)
この機に。呪毒が解けて以来世捨て人の如く世俗を離れていた自身が居合わせるのも、また。
設えた様な手応えをディヴァンスは感じていた。かつて、彼は大切な親友を護り切れなかった。
そして此度の遊戯では、生まれ変わり同然に想う愛弟子までもが狙われていると言う。
まるで誰かが導いてでもいるかのように。"今度こそ護ってみせろ"――――とでも、言うのだろうか。
「……ディヴァンス」
「大丈夫だ。もう二度と、私は自分の幸福を見失うことはしない」
そっと方に載せられたアーカネラの手に触れると。一瞬燃え上がった復讐の念は静かに落ち着きを見せ。
けれど、それは決して消えた事を意味しない。燻る様に、今も心の深い場所で燻るままだ。
傷痕は――――十年、二十年と言う年月が癒そうとも。戻り得ぬ喪失は、尚深く。
■
「……どうします。先ず一端お嬢を『学園』から呼び戻して――――」
「――――それは成りません。ジェレムス」
次いでそう口にした騎士団長へ頭を横に振ったイザベラに。ディヴァンスも同意する様に先を促す。
それを受けた側は驚いた様に見返すも、アーカネラが場の総意を受け滔々と言葉を紡ぐ。
「“吸血鬼”があらゆる亜人の中でも特に警戒されるのは、その隠密性故よ。
彼らの多くは“ヒト”と同じ外見的特徴と優れた知性を持ちながら、常軌を逸した身体能力を誇るから」
つまり、内に籠り我が身を護ろうとする行為は、そのまま“吸血鬼”へと利する。
その位であればいっそ、顔馴染みが多く潜入し難い『学園』の方が遥かに安全と言えるだろう。
「だとしたら何だ。お嬢のことは放っておいて領内を捜索するってことか?
いや、それでもしもお嬢に万が一の事が有ったら……」
「待ちなさいジェレムスそうは言って無いわ。先ず学園にはあの子の騎士が居る」
『青薔薇』の諜報能力は高く、孫娘に想い人が居る事は既に『蒼玉』における共通知識だ。
流石にジェレムスもそうと言われては頷く他は無いが。
「む……それは、そうだとしてもだ。せめて秘密裏に護衛位はだな」
「全く、貴方ったら本当にシルヴィアに甘いのね。そんな心配しなくとも、下手な騎士よりあの子は強いわ。
秘密裏だ何て言った所で、見つかって詰め寄られるに決まっているでしょう」
呆れたように告げるアーカネラに押し負け、大の男が眉を寄せたまま黙り込むと。
それを見ていたイザベラが思わず、と言う様に笑いを零した。
「あの子の研鑽を信じましょう。自慢の孫娘よ、きっと大丈夫。
何より……私はあの吸血鬼の一件に、極力シルヴィアを巻き込みたくはないの」
『玩具箱の王』の執着は常軌を逸している。アルヴィンが狙われたのは、彼女が彼を拒んだからだ。
その生き写しと言って良い孫娘が、件の吸血鬼と接した時。
果たしてどんな劇的反応が起こるか。想像する事は難しく、本音を言えば考えたくも無い。
気に入るにせよ、気に入らないにせよ、断じて碌な結末には至るまい。
「これは先代“蒼玉侯”の仇討ちよ。私達が……あの子を護らなくては」
告げるイザベラに、ジェレムスが。アーカネラが。そしてディヴァンスが頷いた。
領民を護る為。孫娘を、愛弟子を、次代の主を護る為。理由は幾らでも並べられるだろう。
けれどこの戦いに、誰もが等しく頷ける様な大義は無い。其処に感情を込めないなど不可能だ。
人はどれほど鍛錬を積み上げても道具にはなれない。既に喪くした物があるなら、尚更に。
(私が引かなければならない、幕。そうよね……アルヴィン)
錆び付いていた、止まりかかっていた歯車は此処から再び軋みを上げる。
微笑に真意を隠し、心の上で刃を研ぐ。その細く鋭い切っ先が、いずれ彼の吸血鬼の喉笛を貫くまで。
殺意とは――――愛にも似て。けれど愛とは、決定的に断絶した感情である。
●Criminals don't cry
“醜い”と、彼は言った
“世界は醜い” と、彼は言った。
“貴族たちは滑稽だ” と、彼は笑った。
“けれど君だけは愛らしい” と、彼は微笑んだ。
“眩ゆくも愛らしい、僕の大切な玩具だ”――――と。
『蒼玉』の地の夏が終わる。
既に遠く終わった筈の感傷と、その傷跡を明かす様に。
豊穣と芸術の季節を間近に控え、血臭を帯びた湿った風が遠く。
遠く、遠く、けれど確かに吹き抜ける。
――――――――その儚げな少年は、決して、涙を流さなかった。