【泥乱】『紅蓮』の苦渋、『征竜の巫女』の涙
真柄 葉
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シナリオID:3160
オープニング
世界に鳴り響いた『声』。
それはロスガリア大陸に生きる全ての知的生命体達に少なくない衝撃を与えた。
「まさか、ヨゼフ皇帝陛下が……」
天から降り注いだ『声』に、誰もいない執務室でリカルダ=C=アーレンスは愕然となる。
シルトラース皇帝ヨゼフ・バルダス存命の報は聞いていた。しかし、主たる皇帝の元へ帰参しなかったのは、ひとえにここ帝国東部鎮守都市『エスタル』を、皇太子レイウェスト・バルダスより任されたからに他ならない。
しかし今、皇帝ヨゼフから『声』がかかった。『心ある者よ。余と征竜の下へ集え』と。
「私はどうすべきなのだ」
シルトラース帝国の将軍職に就く者として、本来の主はヨゼフとなる。ゆえに、帝国臣下にとって皇帝の勅命は絶対である。
しかし、彼はあろうことか帝国の宿敵である征竜と同盟を結んだと言った。
それが本当ならば、帝国への裏切りに他ならない。いくら皇帝とは言え、脈々と受け継がれてきた帝国の国是を否定し、宿敵と結ぶなど言語道断、背信棄義にも等しい。
「イダ妃を討つことに躊躇いはない。しかし、征竜と結ぶなど……」
そう呟いたリカルダの脳裏に、一人の少女の顔が浮かんだ。
今エスタルにて己を鍛えるために修行に打ち込んでいる『征竜の巫女』。彼女はこの事を知っていたのだろうか。知っていたからこそ、自分に訓練をつけてくれと言ったのだろうか。
「……いや、今は彼女の事よりも殿下だ」
皇帝の決定にも驚きはしたが、リカルダにとって最も気になったのが、征竜が吐いた『我は汝を、危険視する』という言葉だった。
征竜は己の巫女レイウェスト・バルダスを敵視するとも取れるセリフを吐いた。征竜にとってエフレムがどれほど危険な存在として映っているのかは計れないが、そのエフレムがレイウェストに執着を見せていることを問題視しているのだろう。仮にレイウェストがエフレムに、世界の変革を望めば征竜にとって望ましくない未来が訪れる可能性があるからか。……そう考えれば確かにエフレムは危険な存在なのだろう。しかし、そのエフレムを制御できる可能性があるのもまたレイウェストなのではないか。
「それだけに、征竜にとって危険視するに値するという訳か……」
2年前、レイウェストと共に極北にある征竜のお膝元まで赴き、その存在感に触れた身としては、まだやりようがあるように思えてしまう。あの竜の里の人々と触れ合った者として、両者の決断はあまりにも危ういものだと感じてしまうのだ。
「だからと言って、私の一存で決められる話ではないな」
リカルダは多くの将兵、そしてエスタルの住民を束ねる身だ。そのリカルダが決断を下せば、おのずと彼女の下につく者たちも同じ道を辿ることになる。
ヨゼフと征竜が提言するように、イダとエフレムを討つことには賛同できる。彼の者たちはやりすぎた。
しかし、問題はその後だ。
ヨゼフと結べばレイウェストと敵対することは必至。新しき主と定めた人物を裏切ることになる。
反対にレイウェストにつけば、征竜とヨゼフを敵に回すことになる。あの屈強な皇帝、そして更に強大な征竜と敵対して、果たして未来はあるのか――――。
「……とにかく情報が足りない」
リカルダは一向に見えない未来を一旦頭から振り払うようと、急ぎ副官を呼んだ――――。
●
リカルダが今後の対応について苦悩していると時を同じくして、エスタルの練兵所ではヒルルクが北の空を仰ぎ――――涙していた。
「……征竜の巫女は貴方さまの御心のままに」
あふれ出る涙をぬぐいもせず、ヒルルクは視線を南に移す。
ヒルルクにヨゼフの言葉は意味をなさない。ただ征竜の言葉のみが彼女をつき動かす。
数日後、征竜の巫女ヒルルクは、エスタルから姿を消した――――。
それはロスガリア大陸に生きる全ての知的生命体達に少なくない衝撃を与えた。
「まさか、ヨゼフ皇帝陛下が……」
天から降り注いだ『声』に、誰もいない執務室でリカルダ=C=アーレンスは愕然となる。
シルトラース皇帝ヨゼフ・バルダス存命の報は聞いていた。しかし、主たる皇帝の元へ帰参しなかったのは、ひとえにここ帝国東部鎮守都市『エスタル』を、皇太子レイウェスト・バルダスより任されたからに他ならない。
しかし今、皇帝ヨゼフから『声』がかかった。『心ある者よ。余と征竜の下へ集え』と。
「私はどうすべきなのだ」
シルトラース帝国の将軍職に就く者として、本来の主はヨゼフとなる。ゆえに、帝国臣下にとって皇帝の勅命は絶対である。
しかし、彼はあろうことか帝国の宿敵である征竜と同盟を結んだと言った。
それが本当ならば、帝国への裏切りに他ならない。いくら皇帝とは言え、脈々と受け継がれてきた帝国の国是を否定し、宿敵と結ぶなど言語道断、背信棄義にも等しい。
「イダ妃を討つことに躊躇いはない。しかし、征竜と結ぶなど……」
そう呟いたリカルダの脳裏に、一人の少女の顔が浮かんだ。
今エスタルにて己を鍛えるために修行に打ち込んでいる『征竜の巫女』。彼女はこの事を知っていたのだろうか。知っていたからこそ、自分に訓練をつけてくれと言ったのだろうか。
「……いや、今は彼女の事よりも殿下だ」
皇帝の決定にも驚きはしたが、リカルダにとって最も気になったのが、征竜が吐いた『我は汝を、危険視する』という言葉だった。
征竜は己の巫女レイウェスト・バルダスを敵視するとも取れるセリフを吐いた。征竜にとってエフレムがどれほど危険な存在として映っているのかは計れないが、そのエフレムがレイウェストに執着を見せていることを問題視しているのだろう。仮にレイウェストがエフレムに、世界の変革を望めば征竜にとって望ましくない未来が訪れる可能性があるからか。……そう考えれば確かにエフレムは危険な存在なのだろう。しかし、そのエフレムを制御できる可能性があるのもまたレイウェストなのではないか。
「それだけに、征竜にとって危険視するに値するという訳か……」
2年前、レイウェストと共に極北にある征竜のお膝元まで赴き、その存在感に触れた身としては、まだやりようがあるように思えてしまう。あの竜の里の人々と触れ合った者として、両者の決断はあまりにも危ういものだと感じてしまうのだ。
「だからと言って、私の一存で決められる話ではないな」
リカルダは多くの将兵、そしてエスタルの住民を束ねる身だ。そのリカルダが決断を下せば、おのずと彼女の下につく者たちも同じ道を辿ることになる。
ヨゼフと征竜が提言するように、イダとエフレムを討つことには賛同できる。彼の者たちはやりすぎた。
しかし、問題はその後だ。
ヨゼフと結べばレイウェストと敵対することは必至。新しき主と定めた人物を裏切ることになる。
反対にレイウェストにつけば、征竜とヨゼフを敵に回すことになる。あの屈強な皇帝、そして更に強大な征竜と敵対して、果たして未来はあるのか――――。
「……とにかく情報が足りない」
リカルダは一向に見えない未来を一旦頭から振り払うようと、急ぎ副官を呼んだ――――。
●
リカルダが今後の対応について苦悩していると時を同じくして、エスタルの練兵所ではヒルルクが北の空を仰ぎ――――涙していた。
「……征竜の巫女は貴方さまの御心のままに」
あふれ出る涙をぬぐいもせず、ヒルルクは視線を南に移す。
ヒルルクにヨゼフの言葉は意味をなさない。ただ征竜の言葉のみが彼女をつき動かす。
数日後、征竜の巫女ヒルルクは、エスタルから姿を消した――――。
解説
●目的
・リカルダの相談相手になる。
・ヒルルクから情報を引き出す。
●場所
帝国東部鎮守都市『エスタル』
一度は幽界樹によって崩壊した帝国の要衝。今はリカルダの元、復興作業が進められている。
●人物
リカルダ=C=アーレンス
帝国軍将軍。かつては『紅蓮』の二つ名と共に戦場を駆けた勇将。現在は総指揮官としてレイウェストよりエスタルを任されている。
ヒルルク
征竜の巫女。現在はリカルダの元で己の力を磨いていたのが、征竜の声を聴き一人エスタルを後にする。
●補足
リカルダは中立の立場である冒険者の意見を求めていますが、各勢力へ寄った意見も尊重したいと考えています。特に同じ帝国の臣民である人達の意見はとても参考になるでしょう。
OP本文にもある通り、結果的にヒルルクはエスタルを去ります。しかし、去るまでの数日間で接触する機会がありますので、ヒルルクら情報を引き出したい方はこの期間の間に話をしてみてください。
マスターより
お世話になっております。真柄と申します。
今回のシナリオは【泥乱】連動のエピローグシナリオになります!
なんだかすごく大変なことになってますね、ロスガリア大陸……。
そんな中、めちゃくそ重い選択を迫られるNPC達はいったいどんな答えを出すのか。
それは皆さんで確認していただければと思います。
それでは、今回もよろしくお願いいたします!
リプレイ
「何を迷われているのですか。将軍は何の為に戦ってこられたのですか。帝国臣民を護る為ではないのですか。ならば進むべき道は一つです」
直立不動の騎士礼を取りながら、アルベルト・V・シュタールシュヴェーアトは訴えかける。
「将軍は、帝国崩壊後、民をより良い方向に導くために尽くしてこられた殿下と共に、民を苦しめるヨゼフ帝一派及びイダ妃一派を討つべきです!」
「ふむ……その考えは分かるが、感情だけで決められる事案でないことは貴公も分かるだろう」
「何をおっしゃいますか、これは感情など介在する余地もない事実です。ヨゼフとイダを討たなければ帝国民は今後も苦しめられる。奴らを打倒することこそが、帝国に安寧をもたらすのです!」
ついには敬称まで外したアルベルトに、リカルダは眉をしかめる。
「事はそう簡単ではないと言っている。彼らはすでに人の枠の外にいる者たちだ。勝てると思っているのか?」
「……確かに奴らは強大です。しかし、レイウェスト殿下に味方する者達の力を合わせれば決して打倒できない相手ではないでしょう。かのミルド近衛連隊長も殿下のもとへ参じました。後はリカルダ将軍が決断されるのみです!」
「……近衛連隊長と私とでは立場が違う。一概に彼を追えというのは乱暴だろう」
「では、将軍は殿下を見限るとおっしゃるのですか。将軍を信じこの地を託した殿下の期待を無下にされると」
「そうは言っていない。ただ、感情任せに決断できることではないと言っているのだ」
熱く語るアルベルトにも、リカルダは同調しようとしない。
「……将軍はエスタルを任された身。先の発言はこの都市に集う民や兵を慮っての事だと思います。ですが、将軍がエスタル解放の旗印である殿下のもとで戦うことを決意されれば、兵はもとより、臣民たちも大いに勇気付けられるのではないでしょうか」
「ふむ……」
「もちろん俺も騎士として殿下のもとで全力で戦う所存です。将軍、どうか賢明なご決断を」
そう言って礼を取ったアルベルトに、リカルダは深く考え込むだけで、即答は避けた。
●
「私は帝国貴族の令嬢です」
リカルダに対し、そう切り出したアウレーリア・フォン・ネーベルベルクは、【紅蓮】とも称される宿将にも臆することなく、言葉を重ねる。
「それは故郷を愛し、領民に責任を負う立場と使命を持つという事。例え一度故郷を失ったとしても、それを片時たりとも忘れたことはない。それこそが私の拠って立つところに他ならないからです」
「ふむ、帝室への忠誠ではなく、領民のためにか」
そう問いかけたリカルダにアウレーリアは然りと頷くと、さらに続けた。
「リカルダ将軍、私達の仕える『帝国』とはいったい何でしょう。
皇帝陛下こそが帝国であり、勅命の実行をもって国家の活動だと言う者もいる。確かにこれまでの帝国はそうでした。ですが、民も土地も失った『帝国』は果たして国といえるでしょうか。それでもなお、皇帝さえ居れば良いというのなら、この数年に及ぶ奪還と復興の日々は何だったのか。『国』を想う者達が死力を尽くしたからこそ、今の『帝国』は辛うじて存在を認められているのではないか……」
「帝政とは皇帝があってこその国家体制だ。貴公はそれを否定するというのか?」
「……皇帝個人への忠誠は、時に不確かで流動的です。常に正しく忠道を通すのはあまりに難しい。ならば、国家への忠誠ならどうでしょう。少なくとも、一人の人間よりは揺るがず永らえる。私は帝国、ひいては民と故郷の忠臣でありたいと思います」
「ふむ……貴公のそれは、まるで王国貴族のような考え方だな」
「確かに冒険者として王政に触れ、考えが変化したのかもしれません。しかし、あの大崩壊の後、ヨゼフ帝が帝国に対し統治者として何を行ったでしょう。土地を追われた民を安んじたか? 兵を率いて領土を取り戻したか? 全て否です。やったことなど皆無でであり、それらを代わりに行った者がおります」
「貴公はヨゼフ帝は統治者の器にあらず、殿下こそが主に戴くに相応しいというのだな」
「そうです。あろうことか宿敵征竜と結び、我欲の為に動く皇帝は祖国の敵。
将軍は迷っておいででしょうが、あの『発信』は力が足りぬ証左ともとれます。『同盟』が完全なものであれば、有無を言わず事を起こせばいい。彼らとて無敵の存在ではない、勝機は必ず見出せる。
……何より神だの征竜だの、他者に振り回されるのは、もううんざりなのです」
瞳に影を落とすアウレーリアに、リカルダはそれ以上問わず、「貴重な意見を感謝する」
と話を終えた。
●
「リカルダ様のお悩み、僕もよくわかります」
そう切り出したナハト・シュライバーは、その言葉通り迷いを瞳ににじませながらリカルダに話しかけた。
「僕には兄がおります。兄は近衛の所属で今も皇帝陛下と共にあるらしいです」
「らしい?」
「近衛であるにもかかわらず、ディズルの災厄に姿を見せませんでした。ですから、そう言う事なのでしょう」
張りのない声で答えたナハトに、リカルダは「そうか」とそれ以上の追及はしない。
「兄にとっては、陛下が拓かれる道こそが正しい道で、築かれる国こそが『帝国』なのです。それは帝国軍人として、ある意味でとても正しい姿でしょう。模範的かつ理想的でさえあると思います。……僕もかつてはそうなりたいと思っていました。
でも今は、陛下のつくられる帝国より、殿下が目指される帝国の為に忠誠を誓いたく思っています」
「理想……というよりも願望に聞こえるな。貴公は殿下に分があると考えているわけか」
「……リカルダ様がどちらに剣を捧げられるかはわかりませんが……僕は殿下に捧げます」
「何か気になることがあるのだな」
妙な間を開けたナハトに、リカルダが問いかけた。
「……兄と顔を合わせた時、動揺せずにいられる自信がありません。陛下と征竜、兄と戦うのも正直怖いです。勝つ目が……見えません。でも、僕達は勝たねばいけない。だから考えました」
「聞こう」
「はい。陛下と征竜の宣言は、世界への宣戦布告です。これに対するには王国や同盟、辺境諸国らと力を合わせればと思いましたが、現状それぞれ問題を抱えている以上、どこまで足並みを揃えられるかわかりません。何より、イダ妃とエフレム様とぶつかった後では……陛下側が勝った場合、二人の力を取り込まれてしまう可能性も考えられます。
ですから、双方の決着がつく前、消耗している隙を狙って各個撃破することができれば理想で、勝目はそこにしかないように思いました。
メドゥの指先の中にも征竜を疎ましく思っている者もいると聞いています。そのあたりも利用できれば、あるいは……」
「名を捨てて実利を取る、か。実に帝国的な考えだな。確かに貴公の言うように、可能性はそこにしかないのかもしれない。しかし、あまりに細い糸だぞ、その選択肢は」
「わかっています。それでも試してみる価値はあると思っています」
そう言って真っ直ぐに見つめてくるナハトに、リカルダはただ無言でうなずいた。
●
「リカルダさん、確認したいのですが」
リカルダの元を訪れたトーラは開口一番、問いかけた。
「あなたにとって、何が一番大事なものでしょうか」
「なんだ藪から棒に」
「わたしはあなたにレイウェストさまのお力になっていただきたいと思っています」
いつになく真剣な眼差しで見つめてくるトーラに、リカルダも居住まいを正す。
「征竜さまはレイウェストさまを危険視し、人が多いから授恵者が増え、イダ妃やエフレムさんのような神に至る可能性のある者が出た事を危惧している様子でした。
この二人を討った後、征竜さまは人間を間引こうとするのではないでしょうか? もちろん、同盟相手が何か策を巡らしている可能性もありますけど、自分の野望の為に近衛さえ切り捨てる人ですから、その策がよいものである保証もありません。だから、こちらはこちらで『人類の盾』として準備するべきだと思います」
「言いたいことは分かるが、果たして我らに何ができる?」
「確かに、現状では打つ手は思いつかないですが、征竜さまが危険視するレイウェストさまこそが、切り札になる可能性はないでしょうか」
「殿下が?」
「レイウェストさまはイダ妃の子供です、その能力の一端を引き継いでいるかもしれません」
「……それが切り札か」
そう呟いたリカルダに、トーラは複雑な表情でこくりと頷いた。
●
復興に沸くエスタルの街中をハーヴィは人を捜し歩いていた。
「……征竜様が最終的に望むのは僕ら人類の滅亡――――とまではいかなくても、数を減らしたいんだろうな。数年前から授恵者の数が一気に増えたもの」
先日の征竜の声が示すものをずっと考えている。
大きな災いが起きた時に、神からの祝福を受ける傾向があるとどこかで聞いたことがある。それはきっと世界を正常化させるために必要なことだから、そうなるのだろう。ただ、その災いが終わった時は……?
「それに、リカルダさんの悩みも難しいな……僕はレイウェスト様につくのが良いと思うけど、あの人にはあの人の考えがあるだろうし……」
ハーヴィは街に出る前、リカルダの元を訪れ自分の考えを彼女に語った。
ヨゼフ・バルダスは征竜と手を結んだが、それはあくまで一時的で、その関係が永遠に続くとは思えない。結局、利害が一致している間は手を結ぶけど、最終的には袂を分かち、敵対関係になるのではないか。双方の考え方の違いを思えば、それは可能性ではなく、必然なようにも思える。
「はぁ……なにもかも難しいな」
ハーヴィは深く息を吐くと、青い空を見上げた。
●
「結局のところ、アンタの心次第だと思うぜ」
指令所を訪れたハヤト=ガラン=ヴォルファングは、苦悩するリカルダに自身の考えを語る。
「自分の判断一つでエスタルの民や部下たちを巻き込むことになるんだから、そりゃ決断できねぇよな。俺も団員を抱える身だから、ちぃとはわかるぜ。だけどよ、ヨゼフ皇帝に従ったところで多くの人民に犠牲が出る結果は変わらねぇと思ってる。
俺はヨゼフが掲げる理想が人類の為になるとは到底思えねぇ……だから、その言葉に迎合した征竜も信用ならねぇ。
なぁ、将軍。何度も言うが、結局自分自身の気持ちが大切なんじゃねぇか? どっちを選べば自分を誇れるかってのを考えると納得いくと思うぜ」
「誇れる、か……耳が痛いな。確かに貴公の言うように決断できればいいのだろうな。だが……」
「決められねぇか?」
「……そうだな、私の左右の手に乗っているものは、あまりに重い。だが、貴公の言うように『誇り』を失うような選択肢を取る事は避けたいな」
「ああ、将軍ならきっと懸命な選択ができると信じてるぜ」
リカルダの返事に確かな意思を感じ、ハヤトは口元に笑みを浮かべた。
●
「不覚ですわ」
「どうしたいきなり」
ドアを蹴破らんばかりの勢いで部屋へ入ってきたバンビは、その顔に悔しさを滲ませている。
「最速かつ最短で相談にのるべきこのオレが、まさかまさかの最下位……これが不覚といわず何と言いましょう」
「そ、そうか、それは残念だったな……?」
「まあ終わったことは超速で忘れましょう。そんな事よりも、相談ですわ。リカルダ様は随分と迷われているご様子」
「あ、ああ、よければ話を聞かせてくれるか」
こくりと頷いたバンビは語る。
「迷っているのなら無理に決断する必要などございません。敵の利害が一致しているうちは、わざわざこちらの出方を明らかにするべきではありませんわ」
「ふむ……静観しろということか」
「もちろん、その間にぼーっと阿保面晒しているわけにはまいりません。最終的な意思を表明するその時まで、情報を集めに集めることです。決断を迫られたとき、リカルダ様の目的に沿った主君を選ぶ為に」
「……そうか、そういう手もあるか」
自分の意見に対しリカルダが真剣に悩むのを見届けたバンビは、「次こそは最速で」とよくわからないことを呟きつつ、いつの間にか姿を消していた。
●
「見つけましたわ」
「うわっ!?」
突然背後から声をかけられたヒルルクは飛び上がって驚いた。
「今度は最速ですわね」
「……え? あれ、バンビ?」
「バンビですわ。ごきげんよう、ヒルルク様。というわけで、最速で本題へ移りますわ」
「本題……?」
「ヒルルク様、あんた何をやらかすつもりですの?」
「何をって、何を?」
「答えたくないのですわね。いいでしょう、それならこちらにも考えがあります」
「はい……?」
「いいですか、ヒルルク様。巫女ってやつは信奉する神と人を繋ぐ橋渡し役、つまり征竜の心に付き従うだけならただの信者でいいわけで、巫女である必要はありません。
なら、巫女のあんたは凡人である我々に言葉を尽くして橋渡す必要がありますわ。
それさえしていただけるのでしたら、ヒルルク様はヒルルク様のやりたいようにやっていいとオレは思います」
「え、あ、うん……」
こくりと頷いたヒルルクに満足したのか、バンビは諸々終わったら以前の約束を果たしましょうと言い残し、颯爽と去っていった。
●
エスタルの各所を回り、人を探していたエルゼリオ・レイノーラ。
早く見つけなくては探している人物がこの街を去るかもしれない、と急ぎつつもエルゼリオの心に去来するのは、あの時の『声』だった。
「……ヨゼフ帝的には征竜様よりもイダ妃やエフレムさんの方が脅威であると判断した可能性が高いよね。人の数を減らす云々に関しては、まず二人を倒してから反故にするつもりなのかも……ついでに皇子の出生を暴露する事で、王国に混乱をもたらす事も出来て、一石二鳥……?」
考えれば考えるほど沼にはまりそうになる。
はぁと大きくため息をついたエルゼリオは、眼前に目的の人物を見つけて思考を切り替える。
「ヒルルクさん!」
目の前の人物の名を呼び駆け寄る。
きっと彼女も『声』を聞いているはず、征竜様が人類の間引きを望まれている以上、巫女である彼女はその御心に従うだろう。だとしたら、自分は彼女と戦わなければならない。
「――――そんなの嫌だよ」
「え?」
「あ、ううん、ごめん何でもない。ねぇ、ヒルルクさん、少し話してもいいかな」
妙に真剣な表情で問いかけるエルゼリオに、ヒルルクは少し驚くが小さく頷いた。
「ヒルルクさんも征竜様の『声』を聞いて、イダ妃とエフレムさんを倒すつもりなんだよね?」
「そうね、それがわたしの役目だから」
「そっか。……ねぇ、その後は? 倒した後は……ボク達と戦うの?」
「……ええ、あなたたちが征竜様のご意思に反するなら」
「征竜様のご意思か……。そうだよね、キミはそれに従う為にここにいるんだもんね」
一瞬目を伏せたエルゼリオは、再びヒルルクの瞳をまっすぐに見つめ続ける。
「キミにとって征竜様が絶対的な存在だってことは分かってる。……でも、ボクはキミと戦いたくなんかない……!」
「……わたしもあなたとは戦いたくないわ」
「ヒルルクさん、わかって――――」
「だから、もうわたしの前に立たないで」
そう言って悲しそうな笑みを浮かべたヒルルクに、エルゼリオは言葉を失った。
覗き込んだヒルルクの心が、どうしようもなく真っ直ぐだったから――――。
●
「……」
「な、なによ。わたしの顔に何かついてる?」
やけに難しい顔で見つめてくるハヤトに、ヒルルクは身構える。
「……いや、もっと悩んでると思ったんだけどよ。えらく晴れやかな顔してるなと思ってな」
「晴れやか……そう見える?」
そう問いかけたヒルルクに、ハヤトは頷く。
ハヤトは征竜の声を聞いたヒルルクが苦悩していると思っていた。しかし、実際にあってみたらどうか、まるで天啓でも受けたかのように心洗われている。
「……まぁ、いい。大体お前の考えはわかった。だから、一つだけ聞かせてくれるか、お前の私見でいい」
「なに?」
「征竜様がヨゼフに丸め込まれた可能性は皆無だと思うか? そもそも征竜様を倒す為に神すらも喰らおうとしてた奴が、レイウェストを差し置いて危険視されねぇ道理が俺にはわからねぇ」
「なんだ、そんな事。まあ征竜さまもちょっと抜けてるところがあるから、可能性は0じゃないと思うけど、もしそうだとしても、ヨゼフなんかが征竜さまをどうこうできる訳はないわ」
「……もし罠でも食い破れるってことか」
「ええ、わたしはそう信じてる」
「はぁ……お前の信心深さはよーくわかった。ただ、この先どうなろうと、俺がお前を大切に想ってる事には変わりねぇからな」
「な、何いきなり」
「別に。ただ正直に俺の気持ちを伝えただけだ」
「そ、そう……変なの」
少し照れたように俯いたヒルルクに、ハヤトは精一杯の笑みを返した。
●
「極北の征竜の『声』、聞いたよ。情報屋のアタイからしてもなかなか衝撃的な内容だった。だが、だからこそ合点がいった」
「合点?」
相棒と戯れるヒルルクを微笑ましく見つめながらも、ルチル・プルメリア・グレイハーツは鋭く切り込む。
ルチルはこれまでのヒルルクの態度を見て思っていた。稽古を付けるように求めながら他者の助力を拒否していたのは、自分たちより先に征竜の考えを聴き冒険者と道を違える未来を予見したからではないのか。もしそうなら、彼女のこれまでの行動は、征竜の意思に沿う為にやっていた事であって、本心ではない可能性もある。そう思ったからこそ、本人に確かめねばならない。
「もし、あの時のように冒険者と敵対する事態になるとしても声に従うのか?」
「もちろん、従うわ」
返事は即答だった。
ルチルは骨面の下の眉間に皺を寄せながら、ヒルルクの感情を読み取る。屈託のないその表情は嘘を吐いているとは到底思えない。彼女の中ではすでに決まってしまった。征竜の意思に従わぬ者はすべからく”敵”なのだ。
(どいつもこいつも、手前の我儘に翻弄される子供がいるにもかかわらず好き勝手しやがって……)
「うん?」
「……何でもないよ。それより、リカルダから聞いたよ、随分といい戦いができるようになったんだってね」
「そうなのよ! もうちょっとで一本取れそうなんだけど、リカルダもなかなか強くて――――」
そう嬉しそうに話すヒルルクは、年頃の少女と変わらない。
ヒルルクの実力はまだリカルダに追いついていない。無力化するのであれば今がチャンスだ。だが、無理に押さえつけて何になる。余計に溝を生むだけだ。
「上出来だ。きっと一本取れる日も近いね」
ルチルに言われ、ヒルルクは驚くとともにとても喜んだ。屈託のない笑顔で、更に自慢げに話し始める。
ルチルはそんな彼女の純粋さの裏に潜む危うさを危惧していた。何とかしてやりたいとは思うが、言っても聞かないだろうことは、今までの付き合いからわかる。
だからこそ彼女には好きにさせる。やりたいようにすればいい。
ただしこちらも同様に好きにさせてもらおう。
戦力云々はさておき、もしヨゼフ・征竜と敵対しても冒険者はやれると確信している。
あれが個人の感情を尊重するとは期待していない。たとえ言葉の裏に考えがあるとしてもだ。
だからもういい、なにも当てにしない。
世界の守護者に彼女を救う気がないのなら、私が救う。
たとえどんな手段を使ってでもだ。
心の中でそう誓ったルチルは、ラトと戯れながら嬉しそうに話すヒルルクをずっと見つめていた――――。
●
「精が出るな」
訓練中のヒルルクを見つけたフェイサル・セイフは、水の入ったコップを手に近づいていく。
「その様子だと随分と熱心に修練に励んでいるようだな。何か体に不調はないか?」
「ありがと。不調どころか絶好調よっ!」
水を受け取ったヒルルクは、そう言うと一気に飲み干した。
「うむ、いい飲みっぷりだ。それなら心配はなさそうだ」
フェイサルは医家としてヒルルクの状態を観察する。
その表情は生気に満ち、身体は一回り逞しくなったようにも感じる。まさに肉体の全盛期を迎えているようだった。どうやらリカルダとの訓練が彼女の成長を促したのだろう。
「先頃、征竜様の声を聴いた」
「そう、フェイサルにも聞こえたのね。……それで、フェイサルはどうするの?」
それは思いがけない問いであった。ヒルルクはフェイサルが征竜を敬っていることを知っている。もちろん自分とは違う信仰の形だということも含めてだ。だからこそ、そう聞いてきた。
「……征竜様の意図を理解できないわけではない。人の世は実に醜いからな。淘汰してしかるべきと考えられているのだろう。
根本的に我々人類とは物事の考え方や判断基準が違うお方だ、その決定に私がどうこう言うつもりはない。ただ、我らリザードマンは対等な命の駆け引きと人の育む命の尊さを信じている。だからこそ、受け入れられない部分もある」
「うーん……相変わらず、フェイサルの言葉は難しいわね。結局どっちなの?」
「はは、これは失礼。まあ簡単にいれば、理解はできるが納得はいっていないということだ」
「ふーん。それじゃ、フェイサルは征竜さまの意思には従わないってこと?」
「……私は君の信じる正しさを否定しない」
ヒルルクの問いには答えず、フェイサルは語る。
「だが、神ならぬ君の人生は君のものだ。せめてその心と命を大事にして欲しい――――例え、君が我々の敵となっても、それだけは忘れずにいてくれれば嬉しいよ」
それがフェイサルの答え。
その言葉を聞いたヒルルクは、表情を真剣なものへと変え、ゆっくりと頷いた。
「とはいえ、今はただの友人としてこれを手渡しておこう」
そう言うと、フェイサルは懐から小袋を取り出す。
「なにこれ?」
「いい茶葉が手に入ったので、お裾分けだ」
首をかしげるヒルルクにフェイサルは微笑む。
『いつか再び共に楽しむか、自分たちが世を去った後に偲んでくれればそれでいい』
その想いを口には出さずに――――。
●
「今にして思えば極北の荒涼とした大地の中、その加護を縁に暮らす僅かな人々……あれこそが征竜様の理想であると仰るのか」
「せいりゅうね、せ・い・りゅ・う!」
ヒルルクを探し街を歩くハリス・アル・ターミルとトゥーリ。
「トゥーリ殿は随分とご立腹のようだ」
「ハリスさんがご立腹じゃないのがわからないよ! だって、増えたから減らす、無かったことにするって、いったい何様のつもりっ!? 世界の守護者か何だか知らないけど、そんな身勝手が許されるはずないんだよっ!」
普段は仲睦まじい二人が、こうして意見を戦わせている。彼らを知る者たちが見れば、驚くかもしれない。それほどまでに、二人は剣呑に見えた。
「確かに征竜様のお声は衝撃的でした。私も『増えすぎた』だけの理由で愛する者や友を淘汰されるのは許せません」
「なら、もっと怒るべきだよっ!」
「トゥーリ殿のご意見ももちろんわかります。ですが征竜様には大いなる――――」
「あれ、二人とも何してるの?」
そんな二人の姿を見つけたのは、丁度二人が探していたヒルルクだった。
「あーー! ヒルルクさんみっけ!!」
「な、なになにっ!?」
目的の人物の思わぬ登場に、トゥーリは自慢の脚力で一気に距離を詰める。
突然眼前まですっ飛んできたトゥーリに、ヒルルクは思わず「うわっ」と声を上げた。
「あれもこれも全部『アレ』が悪い! そもそもさ、征竜が世界の守護者だっていうのなら、這い寄るものとかアストラル界とかほったらかしにして良い訳っ!? こっちだけどうにかしようとするなんて、おかしいでしょ!」
「ちょ、ちょっと待って、いったい何のこと!?」
捲し立てるトゥーリにヒルルクはたじろぎ、後ろにいるハリスに視線で助けを求める。
「トゥーリ殿は、征竜様の『理不尽』に怒っておられるのです」
「理不尽……?」
「『世を保て、無用な変革を拒め』……征竜様はそう仰いました。確かに征竜様の言わんとすることはわかります。しかしながら、我々はそれをすんなりと受け入れられるほど、種として成熟していない」
そう話しながらゆっくり近づいてきたハリスは、イーっと牙を剥くトゥーリの肩に手を回した。
「我々人類は互いに争い、世界を破壊しているのかもしれません。人が増えれば、その心に巣食う『闇』もまた増える。ですから、征竜様が行おうとしている世界の均衡を保つという行動は正しいのでしょう。しかし、それでも私は思うのです。命の芽吹きは、生きることは、きっと素晴らしいことだと」
「……そう、二人は征竜さまがされようとしていることには反対なのね」
「反対だよっ! 征竜は自分の巫女であるレイウェスト皇子まで害そうとしてるんだよ!? ヒルルクさんも同じ考えなの? もし同じ考えなら、きっとその刃はヒルルクさん自身に返ってくるよ。
もしそうなったら……征竜の巫女がいなくなったら、征竜の意思はどこに行って、誰が伝えるの? 誰だって、正しかったり、間違ったりするよ? 絶対に正しいなんてことはない。だからいろんな人がいて、お互いに助け合ったり、愛し合ったりするんだよ……きっと」
「トゥーリ、あなたは何か勘違いしているわ」
「……え?」
「征竜の巫女は征竜さまの目であり耳であるの。別に伝道師や代弁者ってわけじゃないのよ?」
「ならば、まだ道は断たれていないという事ですね」
複雑な表情を浮かべるトゥーリを背に隠すように前に出たハリス。
「間違いを繰り返しながらでも、より良く在ろうと己を磨き続けることこそが研鑽。たとえそれが悲願から外れようとも、その過程で培われたものはけして無価値ではない。私は、いえ、私たちは征竜様が尊ぶ神代の理想郷をも超えて人が栄えることを諦めたくないのです。その為に我らターミルは糧を作り、より良き世界を望む人々の力になっているのですから」
そう言ってハリスは真っ直ぐにヒルルクを見た。ハリスの大きな背に体を預けながら、トゥーリもじっとヒルルクを見つめる。
熱い意志を秘めたハリスの瞳。仄暗く諦念を宿すトゥーリの瞳。
そんな二人に見つめられても、ヒルルクは動じない。彼らの言葉は、ヒルルクに届かない――――。
「前にも言いましたね。私は例え交わらぬ道でも並んで歩くと。その気持ちは今も変わらない。例え拒否されようとも、私は貴殿に並び立つ」
「……ごめん、ハリスさん。その意見、ワタシは頷けない」
「トゥーリ殿……?」
「ワタシは、半獣のみんなを護るし、大好きな人を護るよ。その先にきっと新しい命が続いていくはずって信じてるし……出来れば、そこにヒルルクさんも居て欲しかった。でも、それは望めそうにないから」
なおも説得を続けようとするハリスに、トゥーリは明確な線引きをした。
友人が非道な行いに手を染めることが許せなかった。話せばきっとわかりあえると思っていた――――だけど違った。
だから、その想いをヒルルクに突きつける。
「ここでサヨナラするよ。ワタシはアナタと決別する」
「……そう、それは賢明な判断だと思うわ」
惜別の意思を宿らせた言葉で、トゥーリはヒルルクを突き放した。
「ハリスもありがとう。その気持ち嬉しかった。でも、征竜さまの意思に従えないのなら、ここでお別れ」
「ヒルルク殿……」
「わたしが言えた義理じゃないかもしれないけど、二人とも幸せになってね」
そう言ったヒルルクの笑顔は、とても晴れやかだった――――。
●
「ヒルルクさんは、征竜様がヨゼフ・バルダスと手を結ぶことを知っていたの?」
ようやく見つけたヒルルクに、ハーヴィは問いかけた。
「いえ、知らないわ」
「……ねぇ、君はそれでよかったの?」
「いいって、どういうこと?」
「君は征竜の巫女なのに、こんなにも重要なことを事前に相談もなく決められて平気なのかって」
「ああ、そういうこと。そんなのぜんぜん気にしないわ。だって、征竜さまがお決めになったことですもの」
「そう……なんだ。やっぱり君は征竜様の信者なんだね」
どうしてそんな当然のことを聞くのと首をかしげるヒルルクの肩に、ハーヴィはそっと触れる。
「ヒルルクさん、僕は君につくよ。どんなことがあっても味方でいるって誓う。前にも言ったよね、ヒルルクさんにとってより良いと思える方へ進めるように手助けしたいって。だから教えてくれないかな、君はどこに向かうの?」
「わたしの目的は征竜さまのお役に立つこと。だから、征竜さまの望む世界に必要のないものを排除するわ」
「……それは、イダ妃やエフレムさん、それにレイウェスト殿下の事を言っているの?」
「そう。彼らは滅ぶべき存在よ」
そう答えたヒルルクの『心』はとてもとても――――澄んでいた。
●
「ヒルルク、わたしはわたしの大切なものの為に戦います。ヒルルクもヒルルクの大切なものの為に戦ってください」
ヒルルクにビシッと指を突き付けながら、トーラは宣言する。
「お互いが大切と思うものが相対した時、それはわたしたちが相対す時です。もし、そうなったら遠慮はいりません、正々堂々戦いましょう、手加減はなしです。全力でぶつかって強い方が想いを通す。どうです、これならあなたにも理解できるくらいシンプルでわかりやすいでしょう?」
「む……。いいわ、どうせ勝つのはわたしだもの。でも、手加減はしない」
「そうです、そうじゃなくちゃ困ります。確かに今はヒルルクの方が強いかもしれませんけど、次に会う時はわたしだってもっと成長してますからね!」
そう言って胸を張ったトーラを、ヒルルクはまじまじと見つめる。
「ど、どこ見てるんですか!? こここ、ここだって成長して見せますからっ!」
思わず胸元を両手で隠したトーラに、ヒルルクは「楽しみにしてる」と笑顔で伝えた。
●
それから数日後、ヒルルクはリカルダやエスタルの民たちにも何も告げず、忽然と姿を消したのだった――――。
直立不動の騎士礼を取りながら、アルベルト・V・シュタールシュヴェーアトは訴えかける。
「将軍は、帝国崩壊後、民をより良い方向に導くために尽くしてこられた殿下と共に、民を苦しめるヨゼフ帝一派及びイダ妃一派を討つべきです!」
「ふむ……その考えは分かるが、感情だけで決められる事案でないことは貴公も分かるだろう」
「何をおっしゃいますか、これは感情など介在する余地もない事実です。ヨゼフとイダを討たなければ帝国民は今後も苦しめられる。奴らを打倒することこそが、帝国に安寧をもたらすのです!」
ついには敬称まで外したアルベルトに、リカルダは眉をしかめる。
「事はそう簡単ではないと言っている。彼らはすでに人の枠の外にいる者たちだ。勝てると思っているのか?」
「……確かに奴らは強大です。しかし、レイウェスト殿下に味方する者達の力を合わせれば決して打倒できない相手ではないでしょう。かのミルド近衛連隊長も殿下のもとへ参じました。後はリカルダ将軍が決断されるのみです!」
「……近衛連隊長と私とでは立場が違う。一概に彼を追えというのは乱暴だろう」
「では、将軍は殿下を見限るとおっしゃるのですか。将軍を信じこの地を託した殿下の期待を無下にされると」
「そうは言っていない。ただ、感情任せに決断できることではないと言っているのだ」
熱く語るアルベルトにも、リカルダは同調しようとしない。
「……将軍はエスタルを任された身。先の発言はこの都市に集う民や兵を慮っての事だと思います。ですが、将軍がエスタル解放の旗印である殿下のもとで戦うことを決意されれば、兵はもとより、臣民たちも大いに勇気付けられるのではないでしょうか」
「ふむ……」
「もちろん俺も騎士として殿下のもとで全力で戦う所存です。将軍、どうか賢明なご決断を」
そう言って礼を取ったアルベルトに、リカルダは深く考え込むだけで、即答は避けた。
●
「私は帝国貴族の令嬢です」
リカルダに対し、そう切り出したアウレーリア・フォン・ネーベルベルクは、【紅蓮】とも称される宿将にも臆することなく、言葉を重ねる。
「それは故郷を愛し、領民に責任を負う立場と使命を持つという事。例え一度故郷を失ったとしても、それを片時たりとも忘れたことはない。それこそが私の拠って立つところに他ならないからです」
「ふむ、帝室への忠誠ではなく、領民のためにか」
そう問いかけたリカルダにアウレーリアは然りと頷くと、さらに続けた。
「リカルダ将軍、私達の仕える『帝国』とはいったい何でしょう。
皇帝陛下こそが帝国であり、勅命の実行をもって国家の活動だと言う者もいる。確かにこれまでの帝国はそうでした。ですが、民も土地も失った『帝国』は果たして国といえるでしょうか。それでもなお、皇帝さえ居れば良いというのなら、この数年に及ぶ奪還と復興の日々は何だったのか。『国』を想う者達が死力を尽くしたからこそ、今の『帝国』は辛うじて存在を認められているのではないか……」
「帝政とは皇帝があってこその国家体制だ。貴公はそれを否定するというのか?」
「……皇帝個人への忠誠は、時に不確かで流動的です。常に正しく忠道を通すのはあまりに難しい。ならば、国家への忠誠ならどうでしょう。少なくとも、一人の人間よりは揺るがず永らえる。私は帝国、ひいては民と故郷の忠臣でありたいと思います」
「ふむ……貴公のそれは、まるで王国貴族のような考え方だな」
「確かに冒険者として王政に触れ、考えが変化したのかもしれません。しかし、あの大崩壊の後、ヨゼフ帝が帝国に対し統治者として何を行ったでしょう。土地を追われた民を安んじたか? 兵を率いて領土を取り戻したか? 全て否です。やったことなど皆無でであり、それらを代わりに行った者がおります」
「貴公はヨゼフ帝は統治者の器にあらず、殿下こそが主に戴くに相応しいというのだな」
「そうです。あろうことか宿敵征竜と結び、我欲の為に動く皇帝は祖国の敵。
将軍は迷っておいででしょうが、あの『発信』は力が足りぬ証左ともとれます。『同盟』が完全なものであれば、有無を言わず事を起こせばいい。彼らとて無敵の存在ではない、勝機は必ず見出せる。
……何より神だの征竜だの、他者に振り回されるのは、もううんざりなのです」
瞳に影を落とすアウレーリアに、リカルダはそれ以上問わず、「貴重な意見を感謝する」
と話を終えた。
●
「リカルダ様のお悩み、僕もよくわかります」
そう切り出したナハト・シュライバーは、その言葉通り迷いを瞳ににじませながらリカルダに話しかけた。
「僕には兄がおります。兄は近衛の所属で今も皇帝陛下と共にあるらしいです」
「らしい?」
「近衛であるにもかかわらず、ディズルの災厄に姿を見せませんでした。ですから、そう言う事なのでしょう」
張りのない声で答えたナハトに、リカルダは「そうか」とそれ以上の追及はしない。
「兄にとっては、陛下が拓かれる道こそが正しい道で、築かれる国こそが『帝国』なのです。それは帝国軍人として、ある意味でとても正しい姿でしょう。模範的かつ理想的でさえあると思います。……僕もかつてはそうなりたいと思っていました。
でも今は、陛下のつくられる帝国より、殿下が目指される帝国の為に忠誠を誓いたく思っています」
「理想……というよりも願望に聞こえるな。貴公は殿下に分があると考えているわけか」
「……リカルダ様がどちらに剣を捧げられるかはわかりませんが……僕は殿下に捧げます」
「何か気になることがあるのだな」
妙な間を開けたナハトに、リカルダが問いかけた。
「……兄と顔を合わせた時、動揺せずにいられる自信がありません。陛下と征竜、兄と戦うのも正直怖いです。勝つ目が……見えません。でも、僕達は勝たねばいけない。だから考えました」
「聞こう」
「はい。陛下と征竜の宣言は、世界への宣戦布告です。これに対するには王国や同盟、辺境諸国らと力を合わせればと思いましたが、現状それぞれ問題を抱えている以上、どこまで足並みを揃えられるかわかりません。何より、イダ妃とエフレム様とぶつかった後では……陛下側が勝った場合、二人の力を取り込まれてしまう可能性も考えられます。
ですから、双方の決着がつく前、消耗している隙を狙って各個撃破することができれば理想で、勝目はそこにしかないように思いました。
メドゥの指先の中にも征竜を疎ましく思っている者もいると聞いています。そのあたりも利用できれば、あるいは……」
「名を捨てて実利を取る、か。実に帝国的な考えだな。確かに貴公の言うように、可能性はそこにしかないのかもしれない。しかし、あまりに細い糸だぞ、その選択肢は」
「わかっています。それでも試してみる価値はあると思っています」
そう言って真っ直ぐに見つめてくるナハトに、リカルダはただ無言でうなずいた。
●
「リカルダさん、確認したいのですが」
リカルダの元を訪れたトーラは開口一番、問いかけた。
「あなたにとって、何が一番大事なものでしょうか」
「なんだ藪から棒に」
「わたしはあなたにレイウェストさまのお力になっていただきたいと思っています」
いつになく真剣な眼差しで見つめてくるトーラに、リカルダも居住まいを正す。
「征竜さまはレイウェストさまを危険視し、人が多いから授恵者が増え、イダ妃やエフレムさんのような神に至る可能性のある者が出た事を危惧している様子でした。
この二人を討った後、征竜さまは人間を間引こうとするのではないでしょうか? もちろん、同盟相手が何か策を巡らしている可能性もありますけど、自分の野望の為に近衛さえ切り捨てる人ですから、その策がよいものである保証もありません。だから、こちらはこちらで『人類の盾』として準備するべきだと思います」
「言いたいことは分かるが、果たして我らに何ができる?」
「確かに、現状では打つ手は思いつかないですが、征竜さまが危険視するレイウェストさまこそが、切り札になる可能性はないでしょうか」
「殿下が?」
「レイウェストさまはイダ妃の子供です、その能力の一端を引き継いでいるかもしれません」
「……それが切り札か」
そう呟いたリカルダに、トーラは複雑な表情でこくりと頷いた。
●
復興に沸くエスタルの街中をハーヴィは人を捜し歩いていた。
「……征竜様が最終的に望むのは僕ら人類の滅亡――――とまではいかなくても、数を減らしたいんだろうな。数年前から授恵者の数が一気に増えたもの」
先日の征竜の声が示すものをずっと考えている。
大きな災いが起きた時に、神からの祝福を受ける傾向があるとどこかで聞いたことがある。それはきっと世界を正常化させるために必要なことだから、そうなるのだろう。ただ、その災いが終わった時は……?
「それに、リカルダさんの悩みも難しいな……僕はレイウェスト様につくのが良いと思うけど、あの人にはあの人の考えがあるだろうし……」
ハーヴィは街に出る前、リカルダの元を訪れ自分の考えを彼女に語った。
ヨゼフ・バルダスは征竜と手を結んだが、それはあくまで一時的で、その関係が永遠に続くとは思えない。結局、利害が一致している間は手を結ぶけど、最終的には袂を分かち、敵対関係になるのではないか。双方の考え方の違いを思えば、それは可能性ではなく、必然なようにも思える。
「はぁ……なにもかも難しいな」
ハーヴィは深く息を吐くと、青い空を見上げた。
●
「結局のところ、アンタの心次第だと思うぜ」
指令所を訪れたハヤト=ガラン=ヴォルファングは、苦悩するリカルダに自身の考えを語る。
「自分の判断一つでエスタルの民や部下たちを巻き込むことになるんだから、そりゃ決断できねぇよな。俺も団員を抱える身だから、ちぃとはわかるぜ。だけどよ、ヨゼフ皇帝に従ったところで多くの人民に犠牲が出る結果は変わらねぇと思ってる。
俺はヨゼフが掲げる理想が人類の為になるとは到底思えねぇ……だから、その言葉に迎合した征竜も信用ならねぇ。
なぁ、将軍。何度も言うが、結局自分自身の気持ちが大切なんじゃねぇか? どっちを選べば自分を誇れるかってのを考えると納得いくと思うぜ」
「誇れる、か……耳が痛いな。確かに貴公の言うように決断できればいいのだろうな。だが……」
「決められねぇか?」
「……そうだな、私の左右の手に乗っているものは、あまりに重い。だが、貴公の言うように『誇り』を失うような選択肢を取る事は避けたいな」
「ああ、将軍ならきっと懸命な選択ができると信じてるぜ」
リカルダの返事に確かな意思を感じ、ハヤトは口元に笑みを浮かべた。
●
「不覚ですわ」
「どうしたいきなり」
ドアを蹴破らんばかりの勢いで部屋へ入ってきたバンビは、その顔に悔しさを滲ませている。
「最速かつ最短で相談にのるべきこのオレが、まさかまさかの最下位……これが不覚といわず何と言いましょう」
「そ、そうか、それは残念だったな……?」
「まあ終わったことは超速で忘れましょう。そんな事よりも、相談ですわ。リカルダ様は随分と迷われているご様子」
「あ、ああ、よければ話を聞かせてくれるか」
こくりと頷いたバンビは語る。
「迷っているのなら無理に決断する必要などございません。敵の利害が一致しているうちは、わざわざこちらの出方を明らかにするべきではありませんわ」
「ふむ……静観しろということか」
「もちろん、その間にぼーっと阿保面晒しているわけにはまいりません。最終的な意思を表明するその時まで、情報を集めに集めることです。決断を迫られたとき、リカルダ様の目的に沿った主君を選ぶ為に」
「……そうか、そういう手もあるか」
自分の意見に対しリカルダが真剣に悩むのを見届けたバンビは、「次こそは最速で」とよくわからないことを呟きつつ、いつの間にか姿を消していた。
●
「見つけましたわ」
「うわっ!?」
突然背後から声をかけられたヒルルクは飛び上がって驚いた。
「今度は最速ですわね」
「……え? あれ、バンビ?」
「バンビですわ。ごきげんよう、ヒルルク様。というわけで、最速で本題へ移りますわ」
「本題……?」
「ヒルルク様、あんた何をやらかすつもりですの?」
「何をって、何を?」
「答えたくないのですわね。いいでしょう、それならこちらにも考えがあります」
「はい……?」
「いいですか、ヒルルク様。巫女ってやつは信奉する神と人を繋ぐ橋渡し役、つまり征竜の心に付き従うだけならただの信者でいいわけで、巫女である必要はありません。
なら、巫女のあんたは凡人である我々に言葉を尽くして橋渡す必要がありますわ。
それさえしていただけるのでしたら、ヒルルク様はヒルルク様のやりたいようにやっていいとオレは思います」
「え、あ、うん……」
こくりと頷いたヒルルクに満足したのか、バンビは諸々終わったら以前の約束を果たしましょうと言い残し、颯爽と去っていった。
●
エスタルの各所を回り、人を探していたエルゼリオ・レイノーラ。
早く見つけなくては探している人物がこの街を去るかもしれない、と急ぎつつもエルゼリオの心に去来するのは、あの時の『声』だった。
「……ヨゼフ帝的には征竜様よりもイダ妃やエフレムさんの方が脅威であると判断した可能性が高いよね。人の数を減らす云々に関しては、まず二人を倒してから反故にするつもりなのかも……ついでに皇子の出生を暴露する事で、王国に混乱をもたらす事も出来て、一石二鳥……?」
考えれば考えるほど沼にはまりそうになる。
はぁと大きくため息をついたエルゼリオは、眼前に目的の人物を見つけて思考を切り替える。
「ヒルルクさん!」
目の前の人物の名を呼び駆け寄る。
きっと彼女も『声』を聞いているはず、征竜様が人類の間引きを望まれている以上、巫女である彼女はその御心に従うだろう。だとしたら、自分は彼女と戦わなければならない。
「――――そんなの嫌だよ」
「え?」
「あ、ううん、ごめん何でもない。ねぇ、ヒルルクさん、少し話してもいいかな」
妙に真剣な表情で問いかけるエルゼリオに、ヒルルクは少し驚くが小さく頷いた。
「ヒルルクさんも征竜様の『声』を聞いて、イダ妃とエフレムさんを倒すつもりなんだよね?」
「そうね、それがわたしの役目だから」
「そっか。……ねぇ、その後は? 倒した後は……ボク達と戦うの?」
「……ええ、あなたたちが征竜様のご意思に反するなら」
「征竜様のご意思か……。そうだよね、キミはそれに従う為にここにいるんだもんね」
一瞬目を伏せたエルゼリオは、再びヒルルクの瞳をまっすぐに見つめ続ける。
「キミにとって征竜様が絶対的な存在だってことは分かってる。……でも、ボクはキミと戦いたくなんかない……!」
「……わたしもあなたとは戦いたくないわ」
「ヒルルクさん、わかって――――」
「だから、もうわたしの前に立たないで」
そう言って悲しそうな笑みを浮かべたヒルルクに、エルゼリオは言葉を失った。
覗き込んだヒルルクの心が、どうしようもなく真っ直ぐだったから――――。
●
「……」
「な、なによ。わたしの顔に何かついてる?」
やけに難しい顔で見つめてくるハヤトに、ヒルルクは身構える。
「……いや、もっと悩んでると思ったんだけどよ。えらく晴れやかな顔してるなと思ってな」
「晴れやか……そう見える?」
そう問いかけたヒルルクに、ハヤトは頷く。
ハヤトは征竜の声を聞いたヒルルクが苦悩していると思っていた。しかし、実際にあってみたらどうか、まるで天啓でも受けたかのように心洗われている。
「……まぁ、いい。大体お前の考えはわかった。だから、一つだけ聞かせてくれるか、お前の私見でいい」
「なに?」
「征竜様がヨゼフに丸め込まれた可能性は皆無だと思うか? そもそも征竜様を倒す為に神すらも喰らおうとしてた奴が、レイウェストを差し置いて危険視されねぇ道理が俺にはわからねぇ」
「なんだ、そんな事。まあ征竜さまもちょっと抜けてるところがあるから、可能性は0じゃないと思うけど、もしそうだとしても、ヨゼフなんかが征竜さまをどうこうできる訳はないわ」
「……もし罠でも食い破れるってことか」
「ええ、わたしはそう信じてる」
「はぁ……お前の信心深さはよーくわかった。ただ、この先どうなろうと、俺がお前を大切に想ってる事には変わりねぇからな」
「な、何いきなり」
「別に。ただ正直に俺の気持ちを伝えただけだ」
「そ、そう……変なの」
少し照れたように俯いたヒルルクに、ハヤトは精一杯の笑みを返した。
●
「極北の征竜の『声』、聞いたよ。情報屋のアタイからしてもなかなか衝撃的な内容だった。だが、だからこそ合点がいった」
「合点?」
相棒と戯れるヒルルクを微笑ましく見つめながらも、ルチル・プルメリア・グレイハーツは鋭く切り込む。
ルチルはこれまでのヒルルクの態度を見て思っていた。稽古を付けるように求めながら他者の助力を拒否していたのは、自分たちより先に征竜の考えを聴き冒険者と道を違える未来を予見したからではないのか。もしそうなら、彼女のこれまでの行動は、征竜の意思に沿う為にやっていた事であって、本心ではない可能性もある。そう思ったからこそ、本人に確かめねばならない。
「もし、あの時のように冒険者と敵対する事態になるとしても声に従うのか?」
「もちろん、従うわ」
返事は即答だった。
ルチルは骨面の下の眉間に皺を寄せながら、ヒルルクの感情を読み取る。屈託のないその表情は嘘を吐いているとは到底思えない。彼女の中ではすでに決まってしまった。征竜の意思に従わぬ者はすべからく”敵”なのだ。
(どいつもこいつも、手前の我儘に翻弄される子供がいるにもかかわらず好き勝手しやがって……)
「うん?」
「……何でもないよ。それより、リカルダから聞いたよ、随分といい戦いができるようになったんだってね」
「そうなのよ! もうちょっとで一本取れそうなんだけど、リカルダもなかなか強くて――――」
そう嬉しそうに話すヒルルクは、年頃の少女と変わらない。
ヒルルクの実力はまだリカルダに追いついていない。無力化するのであれば今がチャンスだ。だが、無理に押さえつけて何になる。余計に溝を生むだけだ。
「上出来だ。きっと一本取れる日も近いね」
ルチルに言われ、ヒルルクは驚くとともにとても喜んだ。屈託のない笑顔で、更に自慢げに話し始める。
ルチルはそんな彼女の純粋さの裏に潜む危うさを危惧していた。何とかしてやりたいとは思うが、言っても聞かないだろうことは、今までの付き合いからわかる。
だからこそ彼女には好きにさせる。やりたいようにすればいい。
ただしこちらも同様に好きにさせてもらおう。
戦力云々はさておき、もしヨゼフ・征竜と敵対しても冒険者はやれると確信している。
あれが個人の感情を尊重するとは期待していない。たとえ言葉の裏に考えがあるとしてもだ。
だからもういい、なにも当てにしない。
世界の守護者に彼女を救う気がないのなら、私が救う。
たとえどんな手段を使ってでもだ。
心の中でそう誓ったルチルは、ラトと戯れながら嬉しそうに話すヒルルクをずっと見つめていた――――。
●
「精が出るな」
訓練中のヒルルクを見つけたフェイサル・セイフは、水の入ったコップを手に近づいていく。
「その様子だと随分と熱心に修練に励んでいるようだな。何か体に不調はないか?」
「ありがと。不調どころか絶好調よっ!」
水を受け取ったヒルルクは、そう言うと一気に飲み干した。
「うむ、いい飲みっぷりだ。それなら心配はなさそうだ」
フェイサルは医家としてヒルルクの状態を観察する。
その表情は生気に満ち、身体は一回り逞しくなったようにも感じる。まさに肉体の全盛期を迎えているようだった。どうやらリカルダとの訓練が彼女の成長を促したのだろう。
「先頃、征竜様の声を聴いた」
「そう、フェイサルにも聞こえたのね。……それで、フェイサルはどうするの?」
それは思いがけない問いであった。ヒルルクはフェイサルが征竜を敬っていることを知っている。もちろん自分とは違う信仰の形だということも含めてだ。だからこそ、そう聞いてきた。
「……征竜様の意図を理解できないわけではない。人の世は実に醜いからな。淘汰してしかるべきと考えられているのだろう。
根本的に我々人類とは物事の考え方や判断基準が違うお方だ、その決定に私がどうこう言うつもりはない。ただ、我らリザードマンは対等な命の駆け引きと人の育む命の尊さを信じている。だからこそ、受け入れられない部分もある」
「うーん……相変わらず、フェイサルの言葉は難しいわね。結局どっちなの?」
「はは、これは失礼。まあ簡単にいれば、理解はできるが納得はいっていないということだ」
「ふーん。それじゃ、フェイサルは征竜さまの意思には従わないってこと?」
「……私は君の信じる正しさを否定しない」
ヒルルクの問いには答えず、フェイサルは語る。
「だが、神ならぬ君の人生は君のものだ。せめてその心と命を大事にして欲しい――――例え、君が我々の敵となっても、それだけは忘れずにいてくれれば嬉しいよ」
それがフェイサルの答え。
その言葉を聞いたヒルルクは、表情を真剣なものへと変え、ゆっくりと頷いた。
「とはいえ、今はただの友人としてこれを手渡しておこう」
そう言うと、フェイサルは懐から小袋を取り出す。
「なにこれ?」
「いい茶葉が手に入ったので、お裾分けだ」
首をかしげるヒルルクにフェイサルは微笑む。
『いつか再び共に楽しむか、自分たちが世を去った後に偲んでくれればそれでいい』
その想いを口には出さずに――――。
●
「今にして思えば極北の荒涼とした大地の中、その加護を縁に暮らす僅かな人々……あれこそが征竜様の理想であると仰るのか」
「せいりゅうね、せ・い・りゅ・う!」
ヒルルクを探し街を歩くハリス・アル・ターミルとトゥーリ。
「トゥーリ殿は随分とご立腹のようだ」
「ハリスさんがご立腹じゃないのがわからないよ! だって、増えたから減らす、無かったことにするって、いったい何様のつもりっ!? 世界の守護者か何だか知らないけど、そんな身勝手が許されるはずないんだよっ!」
普段は仲睦まじい二人が、こうして意見を戦わせている。彼らを知る者たちが見れば、驚くかもしれない。それほどまでに、二人は剣呑に見えた。
「確かに征竜様のお声は衝撃的でした。私も『増えすぎた』だけの理由で愛する者や友を淘汰されるのは許せません」
「なら、もっと怒るべきだよっ!」
「トゥーリ殿のご意見ももちろんわかります。ですが征竜様には大いなる――――」
「あれ、二人とも何してるの?」
そんな二人の姿を見つけたのは、丁度二人が探していたヒルルクだった。
「あーー! ヒルルクさんみっけ!!」
「な、なになにっ!?」
目的の人物の思わぬ登場に、トゥーリは自慢の脚力で一気に距離を詰める。
突然眼前まですっ飛んできたトゥーリに、ヒルルクは思わず「うわっ」と声を上げた。
「あれもこれも全部『アレ』が悪い! そもそもさ、征竜が世界の守護者だっていうのなら、這い寄るものとかアストラル界とかほったらかしにして良い訳っ!? こっちだけどうにかしようとするなんて、おかしいでしょ!」
「ちょ、ちょっと待って、いったい何のこと!?」
捲し立てるトゥーリにヒルルクはたじろぎ、後ろにいるハリスに視線で助けを求める。
「トゥーリ殿は、征竜様の『理不尽』に怒っておられるのです」
「理不尽……?」
「『世を保て、無用な変革を拒め』……征竜様はそう仰いました。確かに征竜様の言わんとすることはわかります。しかしながら、我々はそれをすんなりと受け入れられるほど、種として成熟していない」
そう話しながらゆっくり近づいてきたハリスは、イーっと牙を剥くトゥーリの肩に手を回した。
「我々人類は互いに争い、世界を破壊しているのかもしれません。人が増えれば、その心に巣食う『闇』もまた増える。ですから、征竜様が行おうとしている世界の均衡を保つという行動は正しいのでしょう。しかし、それでも私は思うのです。命の芽吹きは、生きることは、きっと素晴らしいことだと」
「……そう、二人は征竜さまがされようとしていることには反対なのね」
「反対だよっ! 征竜は自分の巫女であるレイウェスト皇子まで害そうとしてるんだよ!? ヒルルクさんも同じ考えなの? もし同じ考えなら、きっとその刃はヒルルクさん自身に返ってくるよ。
もしそうなったら……征竜の巫女がいなくなったら、征竜の意思はどこに行って、誰が伝えるの? 誰だって、正しかったり、間違ったりするよ? 絶対に正しいなんてことはない。だからいろんな人がいて、お互いに助け合ったり、愛し合ったりするんだよ……きっと」
「トゥーリ、あなたは何か勘違いしているわ」
「……え?」
「征竜の巫女は征竜さまの目であり耳であるの。別に伝道師や代弁者ってわけじゃないのよ?」
「ならば、まだ道は断たれていないという事ですね」
複雑な表情を浮かべるトゥーリを背に隠すように前に出たハリス。
「間違いを繰り返しながらでも、より良く在ろうと己を磨き続けることこそが研鑽。たとえそれが悲願から外れようとも、その過程で培われたものはけして無価値ではない。私は、いえ、私たちは征竜様が尊ぶ神代の理想郷をも超えて人が栄えることを諦めたくないのです。その為に我らターミルは糧を作り、より良き世界を望む人々の力になっているのですから」
そう言ってハリスは真っ直ぐにヒルルクを見た。ハリスの大きな背に体を預けながら、トゥーリもじっとヒルルクを見つめる。
熱い意志を秘めたハリスの瞳。仄暗く諦念を宿すトゥーリの瞳。
そんな二人に見つめられても、ヒルルクは動じない。彼らの言葉は、ヒルルクに届かない――――。
「前にも言いましたね。私は例え交わらぬ道でも並んで歩くと。その気持ちは今も変わらない。例え拒否されようとも、私は貴殿に並び立つ」
「……ごめん、ハリスさん。その意見、ワタシは頷けない」
「トゥーリ殿……?」
「ワタシは、半獣のみんなを護るし、大好きな人を護るよ。その先にきっと新しい命が続いていくはずって信じてるし……出来れば、そこにヒルルクさんも居て欲しかった。でも、それは望めそうにないから」
なおも説得を続けようとするハリスに、トゥーリは明確な線引きをした。
友人が非道な行いに手を染めることが許せなかった。話せばきっとわかりあえると思っていた――――だけど違った。
だから、その想いをヒルルクに突きつける。
「ここでサヨナラするよ。ワタシはアナタと決別する」
「……そう、それは賢明な判断だと思うわ」
惜別の意思を宿らせた言葉で、トゥーリはヒルルクを突き放した。
「ハリスもありがとう。その気持ち嬉しかった。でも、征竜さまの意思に従えないのなら、ここでお別れ」
「ヒルルク殿……」
「わたしが言えた義理じゃないかもしれないけど、二人とも幸せになってね」
そう言ったヒルルクの笑顔は、とても晴れやかだった――――。
●
「ヒルルクさんは、征竜様がヨゼフ・バルダスと手を結ぶことを知っていたの?」
ようやく見つけたヒルルクに、ハーヴィは問いかけた。
「いえ、知らないわ」
「……ねぇ、君はそれでよかったの?」
「いいって、どういうこと?」
「君は征竜の巫女なのに、こんなにも重要なことを事前に相談もなく決められて平気なのかって」
「ああ、そういうこと。そんなのぜんぜん気にしないわ。だって、征竜さまがお決めになったことですもの」
「そう……なんだ。やっぱり君は征竜様の信者なんだね」
どうしてそんな当然のことを聞くのと首をかしげるヒルルクの肩に、ハーヴィはそっと触れる。
「ヒルルクさん、僕は君につくよ。どんなことがあっても味方でいるって誓う。前にも言ったよね、ヒルルクさんにとってより良いと思える方へ進めるように手助けしたいって。だから教えてくれないかな、君はどこに向かうの?」
「わたしの目的は征竜さまのお役に立つこと。だから、征竜さまの望む世界に必要のないものを排除するわ」
「……それは、イダ妃やエフレムさん、それにレイウェスト殿下の事を言っているの?」
「そう。彼らは滅ぶべき存在よ」
そう答えたヒルルクの『心』はとてもとても――――澄んでいた。
●
「ヒルルク、わたしはわたしの大切なものの為に戦います。ヒルルクもヒルルクの大切なものの為に戦ってください」
ヒルルクにビシッと指を突き付けながら、トーラは宣言する。
「お互いが大切と思うものが相対した時、それはわたしたちが相対す時です。もし、そうなったら遠慮はいりません、正々堂々戦いましょう、手加減はなしです。全力でぶつかって強い方が想いを通す。どうです、これならあなたにも理解できるくらいシンプルでわかりやすいでしょう?」
「む……。いいわ、どうせ勝つのはわたしだもの。でも、手加減はしない」
「そうです、そうじゃなくちゃ困ります。確かに今はヒルルクの方が強いかもしれませんけど、次に会う時はわたしだってもっと成長してますからね!」
そう言って胸を張ったトーラを、ヒルルクはまじまじと見つめる。
「ど、どこ見てるんですか!? こここ、ここだって成長して見せますからっ!」
思わず胸元を両手で隠したトーラに、ヒルルクは「楽しみにしてる」と笑顔で伝えた。
●
それから数日後、ヒルルクはリカルダやエスタルの民たちにも何も告げず、忽然と姿を消したのだった――――。
マスターコメント
お疲れさまでした!
リカルダへのアドバイスありがとうございました。リカルダ及びエスタルは、ひとまず静観を決め込む流れになりそうです。
ヒルルクにもたくさんの言葉をありがとうございました。
皆さんがかけてくださった温かな言葉や決別の言葉をヒルルクはけして忘れないでしょう。
この先、ヒルルクが皆さんと会うのはいつになるかわかりませんが、もし会った時はどうか躊躇しないでください。ヒルルクもきっとそれを望んでいると思います。
ロングシナリオ普通 報酬:標準12 / 6〜12人
2023年08月21日 10時46分35秒 公開
大成功
参加者
相談掲示板
トーラです。 よろしくお願いします! わたしは完全に中立な発言は出来ないかなとは思うんですけど、思ったことを伝えるつもりです。 それと、征竜さまはレイウェストさまだけを危険視しているのでしょうか? 神代より人が増え、授恵者が大勢いる事も問題視している様にも思えたんですよね……。
情報屋のルチルだ。 あまり話し合う事もなさそうなので顔出ししていなかったが……そうだな。 今の所「神座に近い者」以外で明言したのはレイウェストだが、同時に神代より人が増えすぎたとも言っている。 口減らしの手法、ヨゼフの今後の方針次第では冒険者達と征竜が敵対する可能性も十分に有り得る……というかそうなるようにしか見えないんだね。