【滄溟】祈りを白南風に乗せて

炙りとろ左門

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シナリオID:2491

オープニング

 リーンエス王国南部、マーレ伯爵領。白い石壁と青い屋根の家々が並ぶ観光地「ティラ=マーレ」はこの伯爵領の岸壁都市だ。
 夏の観光シーズンも下火となり、黄金祭(フェトゥーラ)ほどの賑わいはないにしろ、穏やかな海風が街を吹き抜けるこの季節、静かにゆっくりと過ごすにはもってこいである。
 この街に伝わる御伽噺の海嘯蛇と巫女の戦い――それらにまつわる一連の騒動が嘘のように。人々は変わらぬ日常を送っている。

「街への被害は幸いにして大きくありませんでした」
 御伽噺に出てくる巫女の末裔のひとり、リティアは書類片手にそう君たちに告げた。魔海で繰り広げられた海嘯蛇ヴルヴロスと冒険者たちの戦いの余波は少なく、退避させていた人々をゆっくりと呼び戻している最中だという。
「海辺に残骸が流れ着く……くらい、でしょうか。ヴルヴロスとおぼしき魔獣の遺骸の一部も確認されています」
 すでにそれは住民の目からは隠され、取り扱いについては現在協議中だとリティアは続ける。
 リティアは同時に、領主の補佐役に就任した。正式に後継者としての教育が始まったのだ。授恵者となり、ヴルヴロスとの戦いに同行したということもあってか、反対意見はほぼで出なかったという。
 慌ただしい中、リティアと守護者の家系であるセシリオの結婚も決まった。マーレ伯爵はそうして、伝承に幕を引くつもりなのだろう。
 では、エルアはというと。
「旅に……出たい、と」
 リティアは視線を落とし、歯切れ悪くそう明かした。
 エルアは帰港後、表に姿を見せなかった。エルアの扱いを審議する前に衆目に晒すわけにはいかなかったがゆえだが、いまだにエルアの生死は住民に伏せられている。
「お元気ではないのです。食事もほとんど召し上がらず、『私の役目は終わった』とだけ……だから、このまま自分は死んだことにして、出て行きたいと」
 妹の病を看ることも、妹の代わりに巫女として振る舞うことも、すでに彼女の役割では無くなった。海嘯蛇が倒された今、巫女という存在も不要になった。そうして彼女に残った唯一のもの――妹への愛は、妹の地位を盤石なものにするために使われる。
 人は、何もかもを選び取ることはできないのだ。

● 君の願い
 エルアは街のはずれ、小高い丘へと足を運んでいた。ろくに食事もとっていない体はふらつくが、歩けないほどではない。そうして丘の上に用意された白い墓碑の前にたどり着くと、腕に抱えた花束を捧げた。
「私のご先祖様も、きっといろいろ悩んだんだろうな」
 エルアは背後のセシリオを振り返らないまま、そう呟いた。
 墓碑に銘は刻まれていない。だが、巫女の守護者たちは代々この名もなき墓を大切にしてきた。魔獣と心を交わし、命を奪われた青年の墓を。
「巫女様らが見たものが真実だとして――伝承を継ぐ家系にさえ、正しい形が残されていなかったということは……」
「自分達の罪を隠そうとしたと言われても、仕方ないよね。でも……先の世代の人たちに負わせるには、重すぎると考えたのかもしれないよね」
 リティアは伝承の真実を詳らかにするつもりだというが、その影響は計り知れない。ゆえに彼女が為政者として成長し、人々が真実を受け入れる準備が整うまでは、伏せられる。
「その時私がいると、ちょっと説明が面倒だから」
 引き裂かれた巫女と青年の血を継ぐ二人がようやく結ばれる、その幕引きに、妬心に駆られた魔女はいらない。
「……お心に変わりはないのですか」
「私はもともと端役なの。……セシリオ、ずっと私を支えてくれてありがと。でもこれからは、あの子をお願い」
 エルアはセシリオを振り返った。その笑顔は、痛々しさを残しながらも、重責からようやく解放されたことを喜んでいるようでもあった。
「そしたら私はこれから、誰かの代わりじゃない私(私の人生の主役)になるの」

● 語られぬ心
「ようやく、あれの厄介払いができるか」
 マーレ伯爵バーシルは短く息をついた。決裁すべき内容が多いなか、リティアの教育の急務であり、手が抜けない。スペアとしての役割を終えた小娘にまで気を回している余裕はない。
「そのような言い方をなされるな、バーシル卿。血を分けた娘子であろうに」
 バーシルの客人として招かれたその老騎士は、口先の上ではそれを咎めながらも、表情は薄笑いを浮かべている。
「血縁の扱いについては、貴殿に言われたくはない。シュナイデル卿」
 バーシルは書面に素早く署名を施し、傍に退ける。
「私が血縁に対して冷たいと? それは遺憾だな。貴公が厄介払いしたいという娘子の引き取り手に対して、いささか無礼では?」
「すまないが、貴殿と歓談の予定であるとは聞いていない」
 書斎机の前に置かれたソファでくつろぐその王国騎士は、大仰に肩をすくめてみせた。
「余裕のない男は嫌われるぞ。まあいい、そろそろ彼女を迎えに行く時間だ」
 王国騎士は席を立つと、書斎を出ていく。やがてその足音が遠ざかると、バーシルはふたたびため息をつくのだった。

解説

皆さんは、リーンエス王国南部にある海辺の街「ティラ=マーレ」へとやってきました。観光シーズンは終わり、静かに過ごすことができます。主に【滄溟】シナリオでやり残したことをするフリーアタックであり、OPに登場のNPCとも会話ができます。 ■ティラ=マーレ  白い石壁と青い屋根の家々が立ち並ぶ海岸沿いの岸壁都市です。どの時間帯でも美しい景観を誇っていますが、特に上層のコテージから眺める夕暮れの素晴らしさは、名だたる画匠が何枚も絵に残しているほどと言われています。 ■薬水の洞窟  海嘯蛇ヴルヴロスの遺骸が運び込まれています。その取り扱いについては協議中ですが、丁重に弔われることとなるでしょう。 ■NPC エルア   :ティラ=マーレの領主の娘です。冒険者の活躍により海嘯蛇ヴルヴロスの手から取り戻されました。 リティア  :エルアの腹違いの妹で、領主の補佐役です。授恵者として覚醒し、丈夫な体を手に入れました。 セシリオ  :「滄の巫女」の守護者であり、リティアの夫となることが決まりました。現在、エルアに同行しています。 バーシル  :現マーレ伯爵です。リティアを後継者として指名し、その教育を進めています。 シュナイデル:現グラシル侯爵の兄であり、王国騎士のひとりです。エルアの身元引受人として訪問中です。 ■特記 マスターページは参照しなくても問題ありませんが、上記の他、描写やマスタリングに関する項目があります。

マスターより

初めましての方は初めまして。こんにちは、炙りとろ左門です。 本シナリオは連作【滄溟】のエピローグとなります。 海嘯蛇は討たれ、ティラ=マーレに穏やかな海風が戻ってきました。 やり残したことをするもよし、次の冒険の準備をするもよし。 これからも続いてく冒険者の日常の1ページとしてお楽しみください。 それでは皆様のご参加&プレイング、お待ちしております!

リプレイ

 サイラスは海が見渡せる崖へと足を運んでいた。花の落ちた百日紅の枝からは、新たな葉芽が顔を覗かせている。
 それは、生命が謳歌すべき【巡り】の象徴だ。
 サイラスは崖の上から海を睥睨する。海嘯蛇(ヴルヴロス)と戦った魔海はあのあたりだろうか――サイラスは摘んだ花がらを撒いた。風がそれを、海へと運んでいく。
 人間は――ごく一部の例外を除いて――好ましく思ってはいない。人間と怪物は相容れないものであるべきだ。だが、生命としての価値は平等である。ゆえに、サイラスはここに、海嘯蛇と、それと心を交わした青年の鎮魂のために訪れた。
 人間と怪物は相容れない。だがそれを踏み越えた青年が成したものを、血に依らぬ絆を、奇跡と認めよう。
 サイラスは短い祈りを終えた。枯れ枝に命が芽吹くように、彼らも巡りの上にあるのなら、もしかしたらこれから先サイラスが歩む巡りの上でも、相見(あいまみ)えることがあるかもしれない。
 その時に仲良く言葉を交わすかどうかは別としても、だ。サイラスは彼らを弔った。それは風に乗り、波に乗り、この世界に確かに刻まれたのだ。
「さて、残りの素材を受け取りに行かないとな」
 海嘯蛇の遺骸の扱いに困っている当局から、素材利用できそうな部位の回収は許可を取ってある。相手の気が変わらないうちに、ことは済ませておくのが良いだろう。

● 旅立ちに添えて
 シュナイデルが丘に到着する少し前、トーラはエルアの姿を見つけることが出来た。
「こっちにいるって聞いて……」
 トーラはセシリオに会釈してからエルアへと駆け寄ると、その顔色の悪さに驚く。
「戻ってからちゃんと眠れてます? ご飯は食べられていますか?」
「あまり、そういう気持ちになれなくて」
 心配しないでと笑うエルアを、トーラはひとまずその場に座らせた。
「……エルアさん、旅に出るって」
「ええ。王国騎士さまと一緒に」
「したいことが、あるんですか?」
 トーラの問いに、エルアは口をつぐんだ。
「……まだ、思いつくことは多くないかな」
 ただ、この土地を離れたかった。シュナイデルの提案は渡りに船だったのだ。
「ここにいても……私は……自由になれそうにないから」
 周りが、そして自分自身が、エルアという少女が果たしてきた役割や責任を意識させ続けるだろう。
「そういうの、嫌になっちゃったの。全部。……幻滅した?」
 今にも泣き出しそうな表情で笑うエルアを、トーラは否定しない。
 海嘯蛇と、それに寄り添った青年のこと――真実を語り継ぐことができるのは、エルアだけだ。リティアも動いてはいるが、生じる政治的混乱を鑑みれば、次期領主と見做された彼女が本意を通せる可能性は高くない。
 ゆえに彼女の様子を見て、生きる目的として提案するつもりでいたが……トーラはそれを胸の内にしまった。
 逃げ出したくても、投げ出したくても、それが出来ない人々を知っている。エルアは幸運にも、そうではなくなった。
「エルアさんのやりたいことが、見つかりますように」
 そしていつか、自分の中に流れる血を受け入れることが出来ますように。トーラの願いを、エルアは受け入れる。
「……ありがとう、トーラ。私はあなたに剣を向けたのに……あなたが優しくしてくれたこと、忘れないから」


 トーラと別れてしばらく、エルアはぼうと海を見つめていた。やがて迎えの時間が近づいてきたことを知らされ、エルアは丘をくだる。
 そこへ、ゲルダ・クラインは間に合った。
「怪我はもういいの?」
 呼吸を整えるゲルダに、エルアは声をかける。
「みんなに謝ることも、きちんとお礼を言う機会もしっかり取れないままで、気がかりだったから……迷惑をかけてごめんね」
 ゲルダは首を振る。これから旅立つのだというエルアに伝えたいことがあるのだ。
「この先、エルア様の旅が素敵なものであれば良い、と。そう、願っています」
 掛けられる言葉は多くない。それでも、それがほんの少しでも、エルアの背を押してくれるようなものとなることを。
「大変なこと、失敗すること、後悔すること。これからもたくさんあると思います、でも」
 ゲルダはそこで言葉を切り、すうと息を吸って背筋を伸ばした。
「ここから新しく始まるのだと、そう決めたことは決して間違いではない、後悔することなどではないのだと」
 彼女は悩みながらも一歩ずつ、自分の足で踏み出していくことを決めた。
 それを、全てを投げ出して逃げた、そう言われたとしても。
「必要な時は、いつでも頼ってくださいね。エルア様のピンチには、いつでも駆けつけますから」
 冒険者になってから、ゲルダの世界が広がったように――エルアの世界も、そうであってほしい。ゲルダの真っ直ぐな視線を受け止め、エルアは微笑んだ。
「ありがとう……そうだね。私も、そうありたいって思う」
 エルアはゲルダの小さな手を握った。
「助けてくれたみんなのために、いつでも駆けつけられるように強くなるから。また、会おうね」

● 或る騎士の思惑
「お初にお目にかかります、シュナイデル卿」
 シルヴィア・A(アルヴィン)・カペルは、シュナイデルにそう声をかけて引き止めた。
「これはこれは。カペルの【薔薇姫】ではないか」
「キーリとエルアの友人です」
 にこりとシルヴィアは微笑む。シュナイデルの動きを、シルヴィアは訝しんでいた。王国騎士であるシュナイデルが、突然エルアの身元引受人として名乗りを上げるのは不自然だと思ったからだ。エルアは伯爵家の直系であり、彼女の政治的価値を考えれば、一介の王国騎士が口を挟んで横取りしていけるようなものではない。
 王国騎士は王命のもと動く。順当に行けば侯爵となっていた彼に、金銭的な目的があるとも思えない。
「心配かね」
「ええ、とても。彼女たちにも心がありますので」
 綺麗事だけでは成り立たないのが政治というもの。それはシルヴィアもわかっている。
「それは【薔薇姫】としての見解かな?」
「ひとりの友人として申し上げるのみです」
 『貴族の娘』に認められる自由は少ない。シルヴィアは自由を得られた数少ない貴族令嬢のうちの一人だ。そしてその自由な発言ひとつひとつが、凪いだ水面を波立たせる懸念を孕む。ゆえに建前は用意しておきつつも――そこで手を緩めるのは、シルヴィアという人間の生き方に反する。
「あなたが善き先達として彼女を導いてくださることは、王国の娘たちの希望となるでしょう」
「ふむ」
 釘を刺された格好となったシュナイデルだが、顔色は変えず。
「挨拶の時間が必要なようだ」
 ゲルダと共に降りてきたエルアを、そして向こうから歩いてくるジュスト・ヴェルジーとローザリカ・L(リベラ)・ディオールを見て、一歩退く。
「……エルア」
「シルヴィア様」
 エルアはシルヴィアに向かって優雅に一礼する。伯爵令嬢として申し分のない鮮やかな所作だ。しかし、彼女のそういう姿を見るのは初めてかもしれない。
「いつかカペルに遊びに来てほしい。今の季節は秋薔薇が美しい。もちろん他の季節でも、君の好きな時にね」
 それだけの自由が君には用意されていると告げると、エルアははにかんで見せた。


「シュナイデル卿は、マーレ伯爵家の縁者なのかな?」
 馬たちの様子を見に場から少し離れたシュナイデルを視界の端に留めつつ、ジュストはエルアに尋ねた。
「家同士の付き合いではないけれど、父は学園在学中に縁があったみたい」
 年齢を鑑みれば、同期ということはないだろう。エルアの答えにジュストはふむと考え込んだ。それに、エルアは小さく笑う。
「心配してくれてる?」
「グラシル侯は辣腕と名高く、彼の兄たる卿も油断ならない御仁と認識しているからね」
 ジュストは肩を竦め、エルアは目を伏せる。
「私たち貴族は、盤上の駒であることからは逃れられない。だからみんな、指し手になりたがるの」
 状況を動かせるように。盤上を支配できるように。そのことを、エルアはなんでもないことのように語った。
「私は彼の都合のいい手駒で収まるつもりはないよ。まあそれも、彼という人間を知ってから決めようと思うけれど」
 そしてエルアは、ジュストと同じくエルアを気遣うローザリカに向き直り、そっと耳打ちする。
「意外と寂しい人なのかもしれないし。お父様よりは話が通じるし」
「……それでも。甘く見ていい相手ではないよ、エルア君」
「うん。あんまり期待はかけないようにする」
「エルア君、」
 その人格や心を、他人の掌の上で転がされ続けている――ローザリカはそんなエルアの手をとって握った。
「僕たちが選べる選択は確かに多くない。それでも、だ。君の人生の支配者は君だ」
「うん」
 家のため、国のため、それらが己の心より優先されることはないこの貴族社会そのものからは逃れられまい。だからこそ、ローザリカはせめて何かできることはないかと考え続ける。
「二人の気持ち、嬉しいよ」
 エルアはローザリカの手に自分の手を重ねる。
「まだ具体的にどう、っていうことは決まってないけど……でも、誰かの言われるままにはならないから」
 大丈夫、と呟くと、エルアは手を離した。
「出発までに、忘れ物がないか確認しないと」

 エルアが駅舎で荷物を確認している間、ジュストとローザリカは身支度を調えたシュナイデルと言葉を交わす機会を得た。
「若い者から嫌われている……私もそのような歳になったのだな」
 シュナイデルはそうわざとらしくため息をついて見せた。
「エルア嬢に型通りの令嬢は難しいように思えますが」
 ジュストは慎重に、しかし大胆に切り込む。キーリはなまじ令嬢として教育された分、自身の政治的な役割を受け入れているが、エルアはそうではない。となれば、彼がエルアに求めている役割は貴族令嬢(政治の駒)ではないのだろう。
「なに、そう怖い顔をしないでほしい。私は単に、彼女にやり直す機会を与えようと言うだけだ」
「やり直す……?」
 ローザリカはじっとシュナイデルの表情を観察する。嘘や誤魔化しの類ではない、ようだ。
「君たちは学園生徒、だったか。であれば、いずれ相見えよう」
 そう意味深な言葉を残し、シュナイデルは話を切り上げるのだった。

● ひとつの物語のおわり、そして
 エリカ・プレトリウスはふらりと立ち寄ったこの街で、ひとり物思いに耽っていた。
 ――誰もいないところに行きたい。こんな顔は、誰にも見せられない。
 そう思うエリカの表情からは、感情といったものが抜け落ちている。整った顔立ちゆえに、精緻な人形のような印象を与える。温かな海風がそんなエリカの髪を揺らし、目を瞬かせる。
「ネム……」
 エリカは肩の上に乗っている栗鼠へと語りかける。
 ――疲れちゃったの。
 風に紛れて消えるか細い声。
 『愛娘』にはなれても、『エリカ・シュルトハイス』にはなれない『わたし』。
 ――どうしようね。
 歪みは大きくなっていく。そしてそれは、エリカの手を離れようとしている。このままではおそらく、抗いようのない渦に飲み込まれ、自分の力では逃げることも立ち上がることも出来なくなってしまうだろう。
 主演が去り二度と戻らぬ舞台の上、代役はいつまで踊り続ければ良いのか?
 いや、最後まで踊り切る覚悟は出来ているのに、どうしても本物のようにはなれない。
 『わたし』は『わたし』と言えたなら、きっと楽になれる。しかしそれは養父母や領民への裏切りとなるだろう。
 今は守られているが、もし悪意ある政敵などがこの状況に目をつけ、利用しようとしたら。エリカはそれに毅然と立ち向かわねばならず――疲れてしまった、などと。言えるわけがない。
 栗鼠(ネム)はエリカの頬に擦り寄る。そして、餌をねだりはじめた。そういえばとエリカはそこではじめて空腹に気づいた。
「……そのままでいてね、ネム」
 ネムがいてくれれば、まだ壊れはしない。そう信じて。


 ペルゼィックは城壁の一角に聳える塔を登っていた。最上階に到達すると、鋸壁(きょへき)の合間から遠ざかる馬車を見つめるリティアが佇んでいた。
「……おねえさまは、笑っていましたか」
 見送りには出ず、リティアは振り返らぬままに尋ねる。それに、ペルゼィックは「ああ」と短く答える。
 依頼を受けただけの冒険者に言えることは多くない。そっちのことはそっちで片付けろ、と――ペルゼィックのその言葉を受けたリティアは、こうして遠くから見送るに留めると決めたのだ。
「めでたしめでたし――その中身を決めるのは私たちだと、おっしゃいましたね」
 リティアは目元を拭う仕草を隠し、間を置いてから振り返った。
「これで良いのです。確かに私はおねえさまを引き留めたかったし、おねえさまは私の願いを聞いてくれるでしょう。でも、それはおねえさまの自由を奪うことだから」
 魔獣と心交わした青年がいたように。向き合い、共に歩むこともできるはずだった。
「ま、伝承も複数あるんだろ。悪者と和解したっていう話ひとつ増えても問題ねえだろ」
 物語は語り手の心ひとつで形を変える。此度の戦いも、100年後はどのように伝わっていることやら。
 要は二人が納得して選んだ結末であれば、良い。
「……そういえばどうして、あいつ(エルア)は殺されなかったんだろうな」
 エルアは海嘯蛇が恨んだ巫女の血筋のはずだ。そして海嘯蛇もまた、それを悪辣に利用しようとした。
 リティアは風にばらける髪を抑え、微笑んだ。
「確かめようもないことですが……愛した人が大切にしていた、その血裔と思えば……憎みきれなかったのでは?」
「相手は魔獣だぞ?」
「けれど、人の心を解しました。そして心を交わす、その難しさと尊さを……私は学びました」
 夕日が煌めく海の方角を振り返り、リティアは短い祈りを捧げる。
「だからこの物語は、確かに『めでたし、めでたし』で終わるのです」

 浜辺に打ち寄せる波にひとつとして同じものがないように。
 つまびかれる幾千の物語のうち、ただひとつの煌めきとして――。

マスターコメント

これにて【滄溟】の物語は終幕となります。お疲れ様でした! 愛にもいろんな形があるよね、という話でした。そしてどれをとって「めでたし」とするかは、それぞれに委ねられている……ということで、数多の冒険のひとつとして、何か思考のきっかけにでもなれば、と思います。 ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。またこれくらいの短い連作をご用意しますので、もしご縁がありましたら(舞台は学園となる予定です)。 それではまた、お会いしましょう〜!
イベントシナリオ

イベントシナリオ易しい 報酬:無し8 / 4〜25人

2022年10月08日 10時43分49秒 公開

大成功

相談掲示板

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アーカイブ生成日時 2026年08月05日 14時56分25秒 ・ world0