【聖祭】運命現る水鏡
棟方ろか
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シナリオID:405
オープニング
君は『運命の相手』というものを信じるか?
哲学者の講義か宗教家の勧誘でなければ耳にする機会も無い一言を、冒険者はよりにもよって街中で聞いてしまった。冒険者だけでなく、観光客や建ち並ぶ店の人も同じ現場の目撃者となる。しかしこの口上に怪訝そうな顔をする者は多くない。むしろ演出の一種として捉えている。
何故なら今は聖霊節の時期。亡き祖先や近しい人々への想いを紡ぎ、祈り捧げる時期であり、若者たちが恋に浪漫に心震わせる時期でもある。想い人がいるにせよいないにせよ、浮き立つ足取りは隠しきれない。そわそわする心持ちを隠す必要も無い季節で。
「遺跡に眠る水鏡が教えてくれるだろう。さあ! 運命を知るため、ゆこうではないか!」
路上で高らかに触れ回っていたのは、運命の相手を信じるかと問うた張本人。羽根や毛皮といった華美な装いの紳士らしき若者は、切れ長の瞳で観光客ひとりひとりを射抜き、身振り手振りで目線を吸い寄せる。
遺跡にある『水鏡の間』では、アキュアリスタのうら若き女性たちへ運命の相手を知らせてきたと。出会いを求め胸踊らせる男性に運命の相手を教えてきたと。
水に育まれた地の遺跡ゆえ、こうした言い伝えは人々の好奇心を刺激し、足を運ばせる。観光地にもなっている水上都市アキュアリスタならではの光景かもしれない。
「ほら君も、そこの君も! 自分の運命、僅かなりとも興味があるだろう?」
優雅というよりは派手な仕種と物言いで、不思議な宣伝人は冒険者にも声をかけた。
「水鏡が知るは人か犬か幻か。自分なりの解釈大いに結構! 映らぬ運命はまだ遠いだけ、焦らなくて良い!」
長い口上の流れに合わせて、かの者の指先は宙を撫で、空へ翳され、そしてくるりくるりと冒険者の前へ落ちる。帽子を取って一礼したかれは、ご静聴感謝するよ、と笑ったのち、興味を抱いた観光客を案内し始めた。
かれの言う『水鏡の間』とやらへ――運命の相手が映るという、噂の遺跡へ。
●Solo te~あなただけを
冒険者からそんな目撃談を聞いていたギルドの青年が、あー、と乾いた声を伸ばす。
「観光案内人のジネヴラ・ムラビートという御仁だな、早い話が客引きしてたんだろ」
どうやら聖霊節になると、この手の人が増えるらしい。ギルドで依頼書を掲示していた青年は、中から一枚を取り出して、訪れた冒険者へ差し出す。手にとって読んでみると『水鏡の間の警備』という依頼が為されていた。青年の話したジネヴラという人から。
「観光客がこの時期は多くてなあ、アキュアリスタでも人手を欲してるそうだ」
充分な人員を配置し、今の時期を乗り越えたいというのは、観光地ならではの願いだろう。
「警備って言っても、ずっと突っ立って見張ってろってわけじゃあない」
依頼主のジネヴラによれば、水鏡の間は広く、噂の水鏡へ至るまでには長い通路が続いている。
その通路に観光客をきちんと並べ、順番に水鏡へ案内するのも仕事のうちだ。
「整列だけじゃないぞ。お土産の販売や補充、できるなら解説役もしてほしいってさ」
つまり、観光名所の関係者として一日働くのが仕事だ。もちろん警備しながら。
「請け負ってくれたら、お客が途切れるタイミングとかに水鏡を覗いてもいいって」
報酬ではなくおまけだが、もし運命の相手が映るという話が気になるなら、試してみるのも良い。
ふと、耳を傾けていた冒険者の輪から、肝心の水鏡について質問が上がる。
――本当に、運命の相手とやらは映るのかと。
するとギルドの青年は、苦みを帯びて笑う。
「眉唾ものと言いたいとこだが、何かが映るかも、ってのはホントらしいぞ」
何かが。青年の言葉運びに、冒険者たちの思考もひっかかる。
「映るのが恋人とは限らないんだ。亡くなった友人とか、これからペットとして迎える犬猫かも」
または、身に覚えもなければ記憶にもない誰かだったり、何ひとつ映らない場合もある。あくまで『運命の人が映る』という触れ込みで人々の興味を掻き立てているだけで、当の水鏡が何を意味して映すのか、その理由は判明していない。
青年が聞いた話では、物語の登場人物や、夢でしか会えないひとが映った体験談もあるらしい。覗き込んだ対象の想像や妄想、エーテルなどを糧にしたか、単純に「見た気がしただけ」ではないかと言っている研究者もいるそうだ。
「頑張ってるみたいだから応援に行ってやってほしい。彼女も大喜びするだろうし」
「……彼女?」
「ん? 依頼主であり観光案内もしてたジネヴラ氏だよ。悪い人じゃないから、安心して仕事してくれな」
哲学者の講義か宗教家の勧誘でなければ耳にする機会も無い一言を、冒険者はよりにもよって街中で聞いてしまった。冒険者だけでなく、観光客や建ち並ぶ店の人も同じ現場の目撃者となる。しかしこの口上に怪訝そうな顔をする者は多くない。むしろ演出の一種として捉えている。
何故なら今は聖霊節の時期。亡き祖先や近しい人々への想いを紡ぎ、祈り捧げる時期であり、若者たちが恋に浪漫に心震わせる時期でもある。想い人がいるにせよいないにせよ、浮き立つ足取りは隠しきれない。そわそわする心持ちを隠す必要も無い季節で。
「遺跡に眠る水鏡が教えてくれるだろう。さあ! 運命を知るため、ゆこうではないか!」
路上で高らかに触れ回っていたのは、運命の相手を信じるかと問うた張本人。羽根や毛皮といった華美な装いの紳士らしき若者は、切れ長の瞳で観光客ひとりひとりを射抜き、身振り手振りで目線を吸い寄せる。
遺跡にある『水鏡の間』では、アキュアリスタのうら若き女性たちへ運命の相手を知らせてきたと。出会いを求め胸踊らせる男性に運命の相手を教えてきたと。
水に育まれた地の遺跡ゆえ、こうした言い伝えは人々の好奇心を刺激し、足を運ばせる。観光地にもなっている水上都市アキュアリスタならではの光景かもしれない。
「ほら君も、そこの君も! 自分の運命、僅かなりとも興味があるだろう?」
優雅というよりは派手な仕種と物言いで、不思議な宣伝人は冒険者にも声をかけた。
「水鏡が知るは人か犬か幻か。自分なりの解釈大いに結構! 映らぬ運命はまだ遠いだけ、焦らなくて良い!」
長い口上の流れに合わせて、かの者の指先は宙を撫で、空へ翳され、そしてくるりくるりと冒険者の前へ落ちる。帽子を取って一礼したかれは、ご静聴感謝するよ、と笑ったのち、興味を抱いた観光客を案内し始めた。
かれの言う『水鏡の間』とやらへ――運命の相手が映るという、噂の遺跡へ。
●Solo te~あなただけを
冒険者からそんな目撃談を聞いていたギルドの青年が、あー、と乾いた声を伸ばす。
「観光案内人のジネヴラ・ムラビートという御仁だな、早い話が客引きしてたんだろ」
どうやら聖霊節になると、この手の人が増えるらしい。ギルドで依頼書を掲示していた青年は、中から一枚を取り出して、訪れた冒険者へ差し出す。手にとって読んでみると『水鏡の間の警備』という依頼が為されていた。青年の話したジネヴラという人から。
「観光客がこの時期は多くてなあ、アキュアリスタでも人手を欲してるそうだ」
充分な人員を配置し、今の時期を乗り越えたいというのは、観光地ならではの願いだろう。
「警備って言っても、ずっと突っ立って見張ってろってわけじゃあない」
依頼主のジネヴラによれば、水鏡の間は広く、噂の水鏡へ至るまでには長い通路が続いている。
その通路に観光客をきちんと並べ、順番に水鏡へ案内するのも仕事のうちだ。
「整列だけじゃないぞ。お土産の販売や補充、できるなら解説役もしてほしいってさ」
つまり、観光名所の関係者として一日働くのが仕事だ。もちろん警備しながら。
「請け負ってくれたら、お客が途切れるタイミングとかに水鏡を覗いてもいいって」
報酬ではなくおまけだが、もし運命の相手が映るという話が気になるなら、試してみるのも良い。
ふと、耳を傾けていた冒険者の輪から、肝心の水鏡について質問が上がる。
――本当に、運命の相手とやらは映るのかと。
するとギルドの青年は、苦みを帯びて笑う。
「眉唾ものと言いたいとこだが、何かが映るかも、ってのはホントらしいぞ」
何かが。青年の言葉運びに、冒険者たちの思考もひっかかる。
「映るのが恋人とは限らないんだ。亡くなった友人とか、これからペットとして迎える犬猫かも」
または、身に覚えもなければ記憶にもない誰かだったり、何ひとつ映らない場合もある。あくまで『運命の人が映る』という触れ込みで人々の興味を掻き立てているだけで、当の水鏡が何を意味して映すのか、その理由は判明していない。
青年が聞いた話では、物語の登場人物や、夢でしか会えないひとが映った体験談もあるらしい。覗き込んだ対象の想像や妄想、エーテルなどを糧にしたか、単純に「見た気がしただけ」ではないかと言っている研究者もいるそうだ。
「頑張ってるみたいだから応援に行ってやってほしい。彼女も大喜びするだろうし」
「……彼女?」
「ん? 依頼主であり観光案内もしてたジネヴラ氏だよ。悪い人じゃないから、安心して仕事してくれな」
解説
≪依頼書≫
内容 :水鏡の間の警備
場所 :アキュアリスタの遺跡の一角
期間 :水鏡の解放期間中、繁盛する一日のみ
報酬 :普通
依頼主:ジネヴラ・ムラビート
備考 :客がいない時なら、水鏡を覗いても構わないぞ!
≪PL向け説明≫
●成功条件
水鏡の間が荒らされないまま、一日を終える(お客様満足度が高いと、なお良し)
●詳細
観光地にて、スタッフとしてお仕事をして頂きます。
客は入れ替え制のため途切れるタイミングは適度にあり、水鏡を覗くのは簡単です。
大きく分けて以下のお仕事がありますが、枠に囚われず動いてくださってOKですよ!
(1)客の誘導や整列
(2)水鏡の案内、解説
(3)お土産販売、補充、整理など
●水鏡について補足
・誰も映さないこともあるし、自分の顔が映るだけの時もある。
・映った相手が死者や運命の人とは限らない。縁があった人、これから縁が巡る人かも。
・景色は映り込まないし、映った相手は動かず、喋らない。
※備考
・ご一緒する方がいる時は、プレイング冒頭に【同行者のフルネーム】か【グループ名】をご記入下さい。
・特定のPCさんが映る場合、同行プレイングなどでお相手が承諾していると分かることが前提です。
・公式NPCが浮かんでもOKですよ。
・依頼主ジネヴラも付近をウロウロしていますので、何かありましたらお声がけ下さい。
マスターより
運命って書きたかっただけという説があります。よろしくお願いいたします。
リプレイ
煌めくひとときを応援するように、水上都市を訪れた人々へ水音と光が微笑みかける。運命の相手への興味か、それとも聖霊節ならではの賑わいに影響されてか、『水鏡の間』が存在する遺跡もいつになく賑わっていた。湿気を含んではいるが、遺跡を吹き抜ける風は軽く、不快さは微塵も感じない。
遺跡というだけあって綻びや修復中の箇所も目に付くが、観光客がそこを気にする素振りもない。かれらの興味は遺跡の奥、『運命現る水鏡』にあるのだから。
(お祭りのにおいでいっぱい……!)
トゥーリが鼻を鳴らしてみれば、ソワソワ、ドキドキ、そうした音を模った香気が届く。
「列を乱さないでね! 綺麗に並ぶと水鏡も綺麗に見えるはずだよ!」
適度に声かけをしていったトゥーリは、喧騒の中に埋もれがちなか細い声音を掬い上げる。
「どうしたの?」
屈み込んで尋ねた相手は、列に紛れる小さな子ども。口を閉ざしたままの子にトゥーリがニコーッと笑いかけると、頑なだった唇が慄く。青褪める唇が意味するのは、頼り方を知らない小さな子ならではの状況だ。
「お母さんかお父さんは?」
トゥーリの問いで箍が緩んだのか、大きな双眸が潤む。迷ったとも逸れたとも子は言わない。言わないが顔色が何よりも状況を物語る。だからトゥーリは高らかに踵を鳴らす。
「ワタシと一緒にいこっか!」
あくまで明るく、遊びに誘う調子を保てば幼子はこくりと頷き、トゥーリの手を取った。そして緊張を帯びたままこう訴える。
「……おしっこ」
「え!?」
頓狂な声をあげたトゥーリが辺りを見回すと。
「お手洗いはこの奥から行けるわ」
ファルマ・アラーティが助けをそっと差し込む。
「手伝ってあげるから、先にいってきなさいな」
「ありがと、助かったよ!」
トゥーリからの飾らぬ礼に戸惑ったファルマは、唇を突き出したまま「どういたしまして」と少々すげなく応じる。
「よーし、お手洗いいこう! 急げ急げー!」
「うんっ」
駆け足になったトゥーリと子どもを見送って、ファルマは安心から息を吐く。
(……並んでる方たち、目をキラキラさせて楽しそう)
誰が映るのだろう。あのひとならいいな。そんな会話がそこかしこから聞こえて来る。
(運命。運命、ね。……この言葉に特別な何かを感じるから、輝いて見えるのかしら)
行動原理について考えてみるも、しっくりくる答えに至らない。ファルマにとって運命という言葉の重みは、少しばかり遠かった。知らない筈もないのに、どうしてか。
思い悩む彼女をよそに、通路の向こうではとある狼が入れ替え時の混雑に付き添っていた。首もとのリボンを民衆へ誇らしげに見せつける狼だったが、ウォクス、との一声に耳をぴんと立たせる。すっくと立ち上がったウォクスは、ニール・ロブラリアの元へ駆け寄った。
「時間、あとどのくらいかかりそうですか?」
ひとりの若者がニールに尋ねる。準備や知識が鳴ければ困惑するところだが、時間に注目していたニールは、待ち時間の予想をすぐさま伝えることができた。目安でも時間がわかると、若者も安心したように礼を述べる。
「キミ、これ、落としたよ」
直後ニールが掬い上げたのは、小振りの花飾りだ。列ではしゃいでいた少女へ差し出すと、あっ、と驚きの声があがる。結んだ髪に触れて漸く、花飾りが落ちたのを実感したらしい。
「すみません、ありがとうございますっ」
何度も頭を下げる親子へ別れを告げ、ニールは再びウォクスと列を確認しに動く。
これだけの人が動く現場だ。落とし物は面白いように見つかってしまう。客の入れ替えが済む前に持ち主へ届けるべく、狼と一緒に駆け回るニールの奮闘もまた、観衆の網膜に焼き付いた。
そして焼き付く景色と言えば、もう一カ所。
「さあさご覧あれ!」
晴々とした口上と共にティラミス・ノーレッジが姿を現した。相対した行列は、人手を要するというだけあってなかなかの雲集だ。なるほどやり甲斐がある、と片頬を上げたティラミスは、羽根つき帽子を垂直に投げ飛ばす。
厄介事から些細な困り事まで引き受けるのが日常な彼にとって、衆目を集めるのは朝飯前だ。遺跡の天井へ飛んだ帽子に意識が集まると、ティラミスの帽子は真白の鳥と化し、皆の頭上を翔けた。帽子が消えて鳥の群れが羽ばたき出した光景は、老若男女を問わず歓声を招く。
「もっかい見せて!」
「すごい! どうやったの!?」
湧くような子らの好奇心が次々とティラミスへ手品を求め、群がり始めた。
彼が在る限り、人々の鼻先や目線が暗く地面へ落ちるはしない。
そして遺跡で群を成すのは、子ども以外にもいる。土産屋の並びにも、各地からの観光客が押し寄せている。ティトと一緒に倉庫と店を行き来していたセロンガード・シュタインドルフは、補充しつつ販売員の忙しない様子へ目を配る。
(これほどまでに混むとは……)
セロンがふと物思う傍ら、ティトが口を開く。
「こんなに並ぶの、びっくり」
その一言に、なんとなく似た感想を二人で抱いていたのだと、セロンは微かに眦を和らげた。
遺跡内とはいえ風はあり、じっとしていると冷え込んでしまう。だからこそシャロン・ラ・モリエールは、空腹と喉の渇きに苦しむ者へ愛の手を差し伸べる。ふんわり優しく笑みを咲かせ、胃を刺激するにおいを漂わせてしまえば、ふらふらと列から挙手が続く。
「お弁当はいかがですか? 温かい飲み物もありますよ」
「お姉さん、こっち、こっちにお弁当を……」
「俺に……飲み物を恵んでくれ、シスター……」
「はい、ただいま参ります」
生存に必要な食欲の類には、殆どの人が抗えないだろう。穏やかに品物を手渡すシャロンの風貌もあってか、弁当もドリンクも飛ぶように売れていく。当然、シャロンは務めも忘れない。
「あ、恵まれない子供たちに愛の手を……」
孤児院の運営には多額の費用がかかる。だからこそ機は逸さない。財布の紐が緩んだ客ならば、聖霊節の時期に、恵まれぬ子たちへ少しばかりの優しさを投げてくれることも珍しくない。可哀相だからと、冷えきった施しを落とすぐらいは。
それを知るからこそシャロンも躊躇わなかった。店が稼ぎ時なのと同様、彼女にとっても今は大事な時期だ。
(こんなに沢山の人が、運命の人を求めているのね)
笑顔で接客を続けながら、満喫する人々の行く先へ意識を傾けてみる。人肌が恋しいわけでも、寂しさが募るわけでもないシャロンには、この集いは不思議な光景とも言えた。
不意に、がっはっは、と今日も今日とて豪快なジョン・ベアーの笑い声が轟く。彼もまた重たい荷物をひょいと担いでは、土産屋へ運んでいく。力自慢の彼にとって楽勝と言える荷運びだが、土産物にしては随分と重量を感じる。
「何が入っとるんじゃ……お?」
梱包を解けば、水鏡にちなんだ菓子や装飾品がごろごろと出てきて。
「商魂たくましいな!」
「一番の書き入れ時だしな!」
胸を張る店主につられて、ジョンも誇らしげに丸まっていた背を伸ばす。
「なら気合いも入れ直さねば! ほれほれ寄ってらっしゃい見てらっしゃい、じゃ!」
言うや深々と酸素を吸い込み、商売文句をジョンが大音声で響かせる。
「すごい声だね」
フィーレン・ステオラーズがぱちりと瞬く。細長い旗を出店の支柱に張り出していた彼は、何に使うのかな、と興味に瞳を揺らしてペナントを飾る。
「あそこへ行ったぞ、懐かしかろうと思い出に浸る用じゃと聞いたな」
客引きを区切ったジョンからの回答に、フィーレンは感心するように唸る。
「なら、どんどん買って帰ってもらわないと、だね」
フィーレンが呟きつつ目許を緩めれば、ジョンや他の店員たちも大きく頷いた。
陳列台付近で繰り広げられる応酬から離れた店の裏側、常と変わらぬ姿でグレイブ・ヤードは裏方の業務を進めていく。とある団体は、彼の容姿に意識を傾けないばかりか、土産屋も素通りしてしまう。それほど魅力的な幻なのだろう。かの運命を映す水鏡とやらは。
(占術の結果だけを望むのと似ていそうですね)
どんな結果を水鏡が示そうと、受け手に委ねられている時点でグレイブには想像がつく。良いように解釈して飲み込むばかりで、大事なものには背を向けてしまうだろうと――やはり溜め息をつきたい気分だ。
(出会うまでに何をするか。出会ってどうしたいか。これらが捨て置かれなければ良いのですが)
己の生き方に胸を張れる道を歩む。それを主とする彼の胸中は、穏やかでいられなかった。
●
水鏡の間が存在するこの遺跡の造りも堅牢だ。しかし大勢が通過するのを前提とした路ではないため、エンデ・エトル・シャリオンはせっせとロープを張っていた。よし、と呟いたのを機にあどけなさを残す少年の眼は四辺を見渡した。埋め尽くすのは家畜ではなくひと。話も通じ、ロープに沿って歩く意識もある分、御しやすい。
もちろん圧迫感を与えるのはエンデの本意でない。ゆえに顔色を窺いながら、ロープの高さや位置を整えていく。すると。
「ロープでの誘導、助かる。向こうに並ぶ一団も、快適そうだった」
ふと後背へかかった声にエンデが振り向く。別の場所で作業していたサマエラ=フォリウムが、報告に来ていた。
「……そうか」
顎を引いたエンデは、向こう、と彼女が話していた方角を一瞥する。待ち時間を窮屈に過ごせば不満も溜まりやすいが、適度な飾りロープは催しならではの緊張をはらみつつ、待ち遠しさを掻き立てるものだ。
「俺も見回るが、通りがかった際に位置がずれていたら、正してもらえるか?」
エンデからの申し出を、サマエラは首肯で受け入れた。
一方、遺跡の暗さにも溶けない黒衣の主キーゼは、四方より奏でられる人声や靴音に耳を傾けつつ、天の眼で場を把握する。造作もなかった。仕事を果たすという一点において、彼は揺るがない。
「三名様ですね、どうぞ前へお進みください」
すっと伸ばした腕が示す方へ、またひとつグループを案内する。そわそわしながら水鏡の間へ入る後背を、数え切れぬほど見送ってきた。けれど一息入れることもせず、キーゼは他の冒険者への発信に努める。
「今のところ長引く方も多くはありませんし、対処も可能です。次の方々をすぐにでも奥へご案内頂ければと」
「わかりました。バッチリ誘導しますね」
伝令に当たっていたアステルが、太陽を連想させる朗らかさで告げ、走り去る。
そして手短に伝えたキーゼがふと見やったのは、件の水鏡の間がある方角。
見送ってきた誰もが、興奮や失意などの感情を顔に塗りたくって戻って来る。彼の目にしてきた光景を生み出したのは、他でもないあの水鏡で。だから、というわけではないが――気にはなった。
そのときだ。どよめきが転がり出したのは。
「お、おい、あそこ見てみろよ」
「えっ嘘、メイドさんがいるわ……」
人々の視線を釘付けにしたのはメイド。『冥狐』の二人が纏うアキュアリスタ風メイド服は、眩しげに、爽やかに、来場者たちの心をくすぐる。ふわり揺蕩う尾で人々の好奇心をくすぐるノノアが、愛らしさを帯びた感謝を向けると。
「「ありがとうございました」」
笑顔全開での接客販売が決め手となり、水鏡を見るまでの道に一大ムーブメントを引き起こしていた。
(さすがノノアさん、とても似合ってるわ)
お揃いのメイド姿で頷くアヴェラ・ウッチェロもご満悦だ。だが平穏は間もなく打ち破られる。
「すすすすみませんメイドさん! ぼぼぼ僕と握手してください!」
水鏡もそっちのけでダブルメイドに心奪われた男が、頬を上気させながら近寄ってきた。
「申し訳ございませんが接触厳禁ですので」
アヴェラが丁重にお断りすると、男性客は明らかにショックを受けた顔を浮かべる。
「そんなあ! ならせめて水鏡の間まで一緒に並んでくれませんか!?」
「ならとせめての使い方がおかしいと思うのですけれど」
一応、接客に相応しい口調で答えるノノアだが、ちらりと後方を見やれば、駄々をこねて居座る男性客のおかげで痞えている。
「困ったわ。問題発見ね」
大して困っていないような声でアヴェラが囁き、埓が明かないと判断してノノアと二人、目配せして。
「では、わたしが特別にご案内致しますね」
ややこしくなる前にとノノアが告げると、相手は大喜びだ。
ノノアに対応を託したアヴェラは、にこやかに周りを見回す。
「大丈夫ですわ。皆様、引き続きお楽しみください」
その後、困った客は遺跡から姿を消した。
観光客と時々メイドな遺跡の奥で、同じ頃、好奇心の火を燻らそうとする塵芥に目も呉れず、キュベレーは柱から柱へ身を移していく。過ぎ去る雑踏へ視線を投げる度、今か今かと待ちあぐねる心たちが見て取れる。気持ちを分かち合うにせよ、秘めるにせよ、かれらはいい顔をしていると、キュベレーは感じた。
(ふふ、それ程までに水映えを求めるか)
甘美なる音を水に聞き、浪漫を目の当たりにするときを誰もが期待していると、キュベレーも知っている。だから疼きを引き結んだ唇で抑えつつ、キュベレーは煌めきを外れた影から影へつま先を忍ばせ、呼気を静かに刻み進んでいく。
「おっと」
意図せず声を漏らしたのは、アルマン・アルスターの影に隠れた際だ。人目を避けてうろつくキュベレーだったが、物陰代わりに踏んだアルマンの影は――予想外の賑やかさを映していた。理由は簡単だ。アルマンが水鏡にまつわる話を、群集に披露していたからで。
「とある貴族の娘は『幼なじみの男が映った』と、侍女たちへ嬉しそうに話したという」
キュベレーの挙動も気にせず、アルマンは物語を紡ぐ。
「だがその男は、こう言いふらすんだ。自分は、見知らぬ貧しき少女が映ったと」
アルマンの甘いマスクと語り口は、男女を問わず人々の心を惹きつけた。
「後に彼は、友人にこうも話している。ただひとり想いを寄せた貴族の娘が、水鏡に映ったのだと」
「互いに相手の姿が映ってたってこと?」
「じゃあ、男はなんでそんな……」
聴き入っていた内、やや顔色を曇らせた若者たちが尋ねる。するとアルマンはかぶりを振って。
「男は、娘の家に仕える小間使いの生まれだ。……あとはご想像にお任せしよう」
続く物語を察してか顔を逸らす者もあれば、希望を見出だそうと語り合う者も出始めた。その隙に、アルマンの影にいたキュベレーは、素早く離れた柱へ飛び込む。冒険者はともかく、他の見物客に気付く様子はなかった。
(今のはノーカン! ノーカンである!)
そう、これはキュベレーにとって他愛ない『かくれんぼ』に過ぎない。
●
「なんじゃ、漸く入れたと思ったらまだ列が続くんかの」
退屈そうな声をあげた老人の不満に、サマエラが向き合おうとする。
「ご老体、身体は冷えていないだろうか」
呼びかけと同時に傍らへ寄って尋ねれば、老人はううむと唸って。
「火に当たりたい気持ちもあるがの、一刻も早く水鏡を確かめたいわい」
「案内は順番だ。暫し時間を要するが、目的は必ず果たせる」
すると老人は逆上もせず、そうかそうかと首を縦に振った。
「死んだ婆さんも寒がってないといいがの」
老人の呟きに、サマエラの瞼がひくりと動く。
「……会いたい人が、あるのか」
あまり詮索するのもと思い躊躇はあったが、聞かずにいられなかった。
(……何が映るか、何も映らぬか。その人次第とのことだが)
沈思したサマエラを前に、何を思ったか老人は目許を緩める。
「ほっほ。このように待つのも悪くないのう」
笑い方を思い出したらしい老人の微笑が、サマエラにとっての報酬となった。
そんな彼女たちの奥、水鏡の間の入口でルーファス・W・ワーズワースが励むのは、退屈なひとときを彩る役目だ。
「あなたは、『運命の相手』というものを信じますか?」
雄弁なルーファスの聴衆が徐々に増えていく。
「こちらの水鏡は運命を映すと伝えられている代物です。勿論、それは異性に限りません」
いつか読んだ本の吟遊詩人のごとく、いつか読んだ本の大道芸人のごとく。
ルーファスは身振り手振りで人目を惹き、集い始めた人々の意識へと伝承を紡ぐ。
「知る人、知らぬ人。或いは想いも寄らない何某か……」
かの演説を、付近で働く冒険者たちも目にしていた。なんだなんだと顔を出す人も少なくない。
「何が映るかは誰にも分かりません。知っているのは、他でもない水鏡だけですから」
言の葉に感情が乗り、感情にリズムが乗る。
「ですが好奇心が騒ぐなら……案ずるよりも、踏み出す方が早いことも有りますよね」
詳しく語らずとも各々の妄想が補完してくれる。それぞれの想いが意味を与えてくれるのを理解しているからこそ、綴るルーファスに迷いはない。さあ、と掛け声にも似た音で水鏡への道が拓かれたことを示せば、観客たちの気分も高まる。
「進みましょう。そして眼裏にまで焼き付けるのです。あなたの運命を」
彼に呼応したのか、靴音が勇ましく水鏡の間へ突入していく。淀みがちな心を盛り上げた彼は、再び空気が沈みかけるまで機を待つ。次なる客人の来訪に備え、力を蓄えた。
その頃、水鏡へのめり込むあまり、長い髪やスカーフがすっかり濡れていたことにも気づけなかった女性へ、シャロンがハンカチを差し出す。
「こちらをお使いください」
「えっ、で、でも悪いです……」
「お構いなく。このときのために用意したのですから」
慈愛をハンカチに含んで渡すシャロンに、女性は有り難そうに祈りを寄せる。シャロンと女性のやりとりを傍観していた周囲の列からも、何故か祈るように手を合わせる人が現れはじめた。
ネーヴェ・グラヌローザも、たおやかな身で別の一行を誘う。
「こちらがかの有名な水鏡の間でございます」
片手で示す、待望の空間。開けた場で安らかに眠っていた水鏡も、今の時期は人々の望みに応じるため忙しい。多忙だが決して濁らず、水はひたすら人の想いを受け止め続ける。
「言い伝えによれば、その人の運命の相手が映り込むのだとか……」
ネーヴェの清らかな声音によるガイドは、聴衆から感嘆を引き出した。
「運命のお相手は様々ですが、全てに共通しているのは『縁』だと、私は思います」
「縁?」
首を傾いだ少女へ、ネーヴェは小さく首肯する。
「ええ。縁です。運命は縁であり、縁が運命へ姿を変えてゆく……そう感じます」
「なら、私にも見えるかな。嫌な人じゃないといいけど」
何らかの覚悟を秘めて訪れたらしい少女は、今からが本番というところで足踏みしていた。彼女を包んでしまっている躊躇の膜を、大丈夫でございますよ、とネーヴェが言の葉で取り払う。
「映る運命は貴方の持つ可能性の一つに過ぎません。さぁ、勇気を出して」
「……うん。わかった、いってみる」
意を決した少女の背を見送るネーヴェの双眸は、水鏡の前で動かない来訪者を捉えた。
「お客様、失礼いたします」
クローリカ――クロウがそんな来訪者へ声をかける。
「お待ちのお客様がおられますので、そろそろ……」
「っ!? あ、は、ハイ、すみません」
耳打ちで我に返ったのか、青年は一驚した余韻に乱されながらも離れていく。
(彼にとって思いがけない人物……だったのでしょうか)
何が映るかはわからない。何も映らないかもしれない。そんな謂われをクロウも耳にしていたが。
(私には、何を見せてくれるのでしょう)
悲嘆に苛まれるか否かと考えるクロウの死角で、前に並ぶ少年をぐいぐいと押していた若者へ、ひとひらの黒が舞い降りる。
「焦りは禁物ですよ」
「うわ!?」
ぽつりと告げたのはキーゼだ。指摘されて漸く羞恥心を覚えたのか、若者は肩身が狭い心地で順番が回るのを待つはめになる。
「ありがとうございます、黒いおにいさ……あ、れ?」
背を押されて苦しんでいた少年が下げた頭を戻したときにはもう、黒衣の冒険者の姿は――どこにもなかった。
●
(この人もいい指ね)
お釣りや品の手渡しという名目で、アヴェラは好ましい指の形を間近で確かめ、訝しがられないように撫で、堪能してきた。接客販売はある意味、アヴェラにとっての楽園だろう。覗いてきた水鏡に何も映らなかった分、人様の指を味わい尽くそうとアヴェラは決めたのだ。
そんな彼女を、今日はその辺で、と後ろからノノアが制止した、その一方。
「ぼくあれ欲しいなー!」
少年の穢れなき欲望が巡回中のエンデを射抜く。何せエンデが首から下げていたのは、水鏡の間に彫ってある紋様を模した木製のお守りだ。ゆえに、帰り道で目撃して欲しくなる人物が後を絶たず、欲しいと請った少年そのひとりで。
(……成功だ)
購買意欲を掻き立てようとしたエンデの動きは、土産屋の繁盛に一役買った。
もちろん、店から響く冬眠動物を呼び覚ます程の朗々とした売り声も、好調の理由だ。声の主であるジョンは、手ぶらで遺跡を出ようとする若者たちへ、休まず声をかけている。
「おう、そこのお嬢さん方。ええ相手は映ったかい?」
高い声を弾ませる女子たちへ尋ねると、満面の笑みとピースサインが返されて。
「そりゃええことじゃ。どうだ、その相手を忘れんために思い出を買うていかんか」
「思い出かあ、せっかくだし記念に買っちゃおっかな」
「お揃いだと尚強そうじゃなあ」
関係性をも活かすジョンに、女子組は揃いのお守りをぶら下げて、踊るような足取りで帰っていった。
店の近くでは、再会した親子を見送ったファルマとトゥーリが、頬をふくりと持ち上げる。よかった、と迷子を解決した喜びを共有している間にも、目的を果たした人だかりが遺跡の外へ向かう。
終わりが近いのだと、ファルマたちだけでなく道中で通路を掃除していたグレイブも実感していた。特に陽が傾いてからは、日中の賑わいが嘘のように人数も減っている。
(酔っ払いがいなかったのは幸いでした)
冒険者の働きもあって、酔いに任せて乱暴したり、酒臭いまま絡んで来る輩は存在しなかった。
その中でグレイブは、様々なかたちを目の当たりにしてきた。結果に囚われてばかりで、身も心も動かせないひと。望んだものが見えなかったからか、顔を上げようともしないひと――遺跡に遺されていく、いろいろなものを。
遺されていくものがあれば、ひとときの騒ぎを満喫して持ち帰る者もいる。
「さっきはありがとー! またねー!」
「どういたしまして。気をつけて帰ってね」
ぶんぶんと手を振る少女に、ニールはゆらゆらと片手で応じた。そして背中が小さくなっていくのを確かめた後、ニールは水鏡の間へ急ぐ。終わりが近いとはいえ、入れ替えで新たな波が到来する可能性はある。
ならばその前に試さねばと、期待を胸に覗いたニールが眼にしたのは、物語に出てくるような人物だ。きっと昨晩読み漁った冒険譚が、自身の思考に絡まっているのが原因だろう。そう納得しかけたニールだが、すんなり受け止めるにはどうにも気になる点がある。
(でもこんな大きなひと、あの物語にいたかな)
疑問符をめいっぱい浮かべて立ち去ったニールとすれ違う形で、ルーファスの足音が揺蕩う水へ近付く。
(見たいものが現れるとは限らない、と)
拝みたい顔はある。いずれ自身が膝を折る相手。それが映るなら興味も興奮に転じるであろうに、この水鏡はなかなか気難しい。いざ対面してみれば、澄んだ水が映すのは――ルーファス自身だった。
納得したのか否か、無言のまま立ち去ったルーファスに続い、かくれんぼ続行中のキュベレーがやってきた。
(さあて、運否天賦の水鏡。何が映るか試してやろう)
すべてが天の思し召しとの考えは更々ないが、それでもキュベレーはおもしろ半分で覗き込む。舞台が整ったのだから、さぞ愉快な面影を見るだろうと思いきや、水鏡は純白の猫を教えるだけだった。どうしたもんかと顎を撫で、キュベレーも帰路に着く。
新たな来客を待つ水鏡を次に確かめたのは、クロウだ。そして後頭部を殴られたような衝撃に目を瞠る。
見間違う筈がない。けれど見間違いだろうかと確かめてしまう。自分と共に在る『お嬢様』が映っているのに、クロウの――クローリカの知る『お嬢様』ではなかった。あらゆる驚きはやがて熱へと変貌し、クローリカは拳をぎゅうっと握り締める。
夢や幻とは思えない鮮やかな画だ。まるで今し方の出来事を切り取ったかのような空気が、クローリカの内で眠っていた想念を呼び覚ます。だから込み上げる様子を誰にも覚られぬよう、クローリカはクロウとして水鏡の前から退き、広間を出る。直後にはもう堪え切れず、ひと気のない壁へ縋り付いた。
(お嬢様……!)
彼女の見目は成長している。眼裏に焼き付いて離れない、あの頃よりも。
(生きて……おられるのですね……!)
無事ならば、いつか。いつか絶対に――再会のときを自ら手繰り寄せるべく、クロウは拳を壁へ押し付ける。
水鏡が教えてくれた『運命』に、またひとりの強い情が遺跡へ深く深く刻まれた。眠りに就くまできっと、遺跡はそうしたすべてを見守るつもりでいるのだろう。後から来たアルマンの挙動不審っぷりも、同様に。
(さて、いったいどんな運命の相手が映るのか……)
絶世の美人か、煮詰めた砂糖のように甘い相手か。期待するなと自制しようにも、むくむくと膨らむばかりで抑えきれないのが願いというもので。水鏡を眼前に、アルマンはそろりと詰め寄る。そして。
「いち、に……あーっやっぱり無理! 心の準備!」
腕も胸も拡げて大きく運動。解れたところで今度こそと鼻を鳴らすも。
「駄目だどうしても! いでよ勇気! 掲げよ勇気!」
水鏡の前で奮闘するアルマンだったが、各所で片付けを終えた冒険者たちがぞろぞろと入ってきたため、結局一滴も勇気を振り絞れないまま「どうぞ……」と後を譲る。
●
セロンとティトも、そこにいた。水のにおいは思ったより薄く、歩を運び恐る恐る水鏡を見ても、川や泉を連想するにおいはしない。
そうしてセロンの双眸に飛び込んできた運命のかたちが、まるで悪戯をするかのように身を震わせて笑う。笑って生じた波紋は瞬く間にその姿を掻き消し、固まって動かないセロンへティトが後ろから声をかける。
「セロンさん、その……大丈夫?」
嫌なものでも目撃したのだろうかと不安がるティトに、やっと動揺を飲み込んだセロンがかぶりを振る。
「変な何かを見た、とかなら……気分転換に外へ出る、のも……」
「ああいや、変、というわけでは」
目線すら彷徨うセロンに、ティトはこてんと首を傾ぐ。果たして彼の水鏡に、何が映ったのか。ティトはそれを問わず、セロンと入れ代わるようにして自身も水鏡を覗く。
あ、と短い声がティトの喉から零れる。映ったものが夢か幻か、それとも来たる現実なのかはティトにも判断がつかない。だが、知ってしまったら戻れない。記憶にしかと刻まれてしまう。何よりティト自身、忘却を望んでいなかった。何故なら。
(姉さん……それに、どうしてセロンさん、が……?)
生き別れになったはずの姉の容姿は、ティトの脳裏に鮮明に焼き付いてしまった。
ティトの様子に気づく余裕もなく、後ろでセロンは水鏡を想起し続ける。ティトが映っただけならば、ここまでの動揺は無かっただろう。いや、それはそれで一驚に痺れるぐらいはしたが、大きく狼狽した理由は――ティトによく似たハーフビーストが、一緒にいたこと。
銘々頭痛を覚えて遠ざかれば、流行にはとりあえず乗ってみる派のジョンが、躊躇なく水鏡を覗いた。反映したのは見知らぬ少年。前掛けと三角巾で髪を纏めた姿は、どこぞの調理師かもしれない。食事提供者であれば出会う機会も濃厚だろうと、ジョンは満足げだ。
鼻歌交じりのジョンとは異なり、箒を片付けてきたファルマは静かに足を運ぶ。運命の人とやらにときめく心はまだ無いけれど。水鏡へ顔を近づけるも――映らない。運命の相手だけではなく、ファルマ自身さえ。
(……不思議だわ)
どこか安堵した呼気だけが、ファルマの眺めていた水面を揺らす。
こうして波紋は誰かが確かめるたびに生まれ、やがて凪いでいくのを繰り返した。
掻き消されたものから顔を遠ざけて、フィーレンは息を吐く。
(あれは、何だったんだろう)
夜空の彩りを思わせる黒鳥。平たく表現するならこれが適していると思考を巡らせてフィーレンも広間から去っていく。ステオラーズ家の顔が浮かばなかったことに、ほんの微かな安堵を覚えつつ。
塵芥が舞い踊らぬよう清掃していたサマエラもまた、水鏡が気にかかりやってくる。先刻の老人のように、確かめたい姿があるわけでもないのだが。
(さて、どうだろうな……)
水鏡に現れたのはエルフ然とした様相の女性だが、記憶を遡ってみるもやはりサマエラには憶えがなく。
誰だろう。次に水鏡を知ったネーヴェの脳裏にも、そうした言葉が過ぎった。
記憶の引きだしは施錠されたまま――もしくは引き出しごと無くなっているのか――決して呼び覚まされない。ただただ懐かしい気配が、ネーヴェの胸中を掻き乱しただけで。
暫くして、水音に支配された空間へ、姿を眩ませていたキーゼが降り立つ。ほんの僅かな興味を寄せて見下ろすも、予想通り水面は輪郭ひとつ映そうとはしない。
(……当然でしょう)
ふ、と意識せず息が零れる。始めから分かっていた。持たざる者が何かを映すなど有り得ない、と。
こうして数多の運命を知らせた『水鏡』は、冒険者たちの活躍によって、無事に役目を終えた。
残された者たちが、このとき見た運命とやらに翻弄されるのかどうかは、定かでない。
何故なら水鏡に『視た』ものの意味は、ひとりひとりが築く未来に委ねられるのだから。
遺跡というだけあって綻びや修復中の箇所も目に付くが、観光客がそこを気にする素振りもない。かれらの興味は遺跡の奥、『運命現る水鏡』にあるのだから。
(お祭りのにおいでいっぱい……!)
トゥーリが鼻を鳴らしてみれば、ソワソワ、ドキドキ、そうした音を模った香気が届く。
「列を乱さないでね! 綺麗に並ぶと水鏡も綺麗に見えるはずだよ!」
適度に声かけをしていったトゥーリは、喧騒の中に埋もれがちなか細い声音を掬い上げる。
「どうしたの?」
屈み込んで尋ねた相手は、列に紛れる小さな子ども。口を閉ざしたままの子にトゥーリがニコーッと笑いかけると、頑なだった唇が慄く。青褪める唇が意味するのは、頼り方を知らない小さな子ならではの状況だ。
「お母さんかお父さんは?」
トゥーリの問いで箍が緩んだのか、大きな双眸が潤む。迷ったとも逸れたとも子は言わない。言わないが顔色が何よりも状況を物語る。だからトゥーリは高らかに踵を鳴らす。
「ワタシと一緒にいこっか!」
あくまで明るく、遊びに誘う調子を保てば幼子はこくりと頷き、トゥーリの手を取った。そして緊張を帯びたままこう訴える。
「……おしっこ」
「え!?」
頓狂な声をあげたトゥーリが辺りを見回すと。
「お手洗いはこの奥から行けるわ」
ファルマ・アラーティが助けをそっと差し込む。
「手伝ってあげるから、先にいってきなさいな」
「ありがと、助かったよ!」
トゥーリからの飾らぬ礼に戸惑ったファルマは、唇を突き出したまま「どういたしまして」と少々すげなく応じる。
「よーし、お手洗いいこう! 急げ急げー!」
「うんっ」
駆け足になったトゥーリと子どもを見送って、ファルマは安心から息を吐く。
(……並んでる方たち、目をキラキラさせて楽しそう)
誰が映るのだろう。あのひとならいいな。そんな会話がそこかしこから聞こえて来る。
(運命。運命、ね。……この言葉に特別な何かを感じるから、輝いて見えるのかしら)
行動原理について考えてみるも、しっくりくる答えに至らない。ファルマにとって運命という言葉の重みは、少しばかり遠かった。知らない筈もないのに、どうしてか。
思い悩む彼女をよそに、通路の向こうではとある狼が入れ替え時の混雑に付き添っていた。首もとのリボンを民衆へ誇らしげに見せつける狼だったが、ウォクス、との一声に耳をぴんと立たせる。すっくと立ち上がったウォクスは、ニール・ロブラリアの元へ駆け寄った。
「時間、あとどのくらいかかりそうですか?」
ひとりの若者がニールに尋ねる。準備や知識が鳴ければ困惑するところだが、時間に注目していたニールは、待ち時間の予想をすぐさま伝えることができた。目安でも時間がわかると、若者も安心したように礼を述べる。
「キミ、これ、落としたよ」
直後ニールが掬い上げたのは、小振りの花飾りだ。列ではしゃいでいた少女へ差し出すと、あっ、と驚きの声があがる。結んだ髪に触れて漸く、花飾りが落ちたのを実感したらしい。
「すみません、ありがとうございますっ」
何度も頭を下げる親子へ別れを告げ、ニールは再びウォクスと列を確認しに動く。
これだけの人が動く現場だ。落とし物は面白いように見つかってしまう。客の入れ替えが済む前に持ち主へ届けるべく、狼と一緒に駆け回るニールの奮闘もまた、観衆の網膜に焼き付いた。
そして焼き付く景色と言えば、もう一カ所。
「さあさご覧あれ!」
晴々とした口上と共にティラミス・ノーレッジが姿を現した。相対した行列は、人手を要するというだけあってなかなかの雲集だ。なるほどやり甲斐がある、と片頬を上げたティラミスは、羽根つき帽子を垂直に投げ飛ばす。
厄介事から些細な困り事まで引き受けるのが日常な彼にとって、衆目を集めるのは朝飯前だ。遺跡の天井へ飛んだ帽子に意識が集まると、ティラミスの帽子は真白の鳥と化し、皆の頭上を翔けた。帽子が消えて鳥の群れが羽ばたき出した光景は、老若男女を問わず歓声を招く。
「もっかい見せて!」
「すごい! どうやったの!?」
湧くような子らの好奇心が次々とティラミスへ手品を求め、群がり始めた。
彼が在る限り、人々の鼻先や目線が暗く地面へ落ちるはしない。
そして遺跡で群を成すのは、子ども以外にもいる。土産屋の並びにも、各地からの観光客が押し寄せている。ティトと一緒に倉庫と店を行き来していたセロンガード・シュタインドルフは、補充しつつ販売員の忙しない様子へ目を配る。
(これほどまでに混むとは……)
セロンがふと物思う傍ら、ティトが口を開く。
「こんなに並ぶの、びっくり」
その一言に、なんとなく似た感想を二人で抱いていたのだと、セロンは微かに眦を和らげた。
遺跡内とはいえ風はあり、じっとしていると冷え込んでしまう。だからこそシャロン・ラ・モリエールは、空腹と喉の渇きに苦しむ者へ愛の手を差し伸べる。ふんわり優しく笑みを咲かせ、胃を刺激するにおいを漂わせてしまえば、ふらふらと列から挙手が続く。
「お弁当はいかがですか? 温かい飲み物もありますよ」
「お姉さん、こっち、こっちにお弁当を……」
「俺に……飲み物を恵んでくれ、シスター……」
「はい、ただいま参ります」
生存に必要な食欲の類には、殆どの人が抗えないだろう。穏やかに品物を手渡すシャロンの風貌もあってか、弁当もドリンクも飛ぶように売れていく。当然、シャロンは務めも忘れない。
「あ、恵まれない子供たちに愛の手を……」
孤児院の運営には多額の費用がかかる。だからこそ機は逸さない。財布の紐が緩んだ客ならば、聖霊節の時期に、恵まれぬ子たちへ少しばかりの優しさを投げてくれることも珍しくない。可哀相だからと、冷えきった施しを落とすぐらいは。
それを知るからこそシャロンも躊躇わなかった。店が稼ぎ時なのと同様、彼女にとっても今は大事な時期だ。
(こんなに沢山の人が、運命の人を求めているのね)
笑顔で接客を続けながら、満喫する人々の行く先へ意識を傾けてみる。人肌が恋しいわけでも、寂しさが募るわけでもないシャロンには、この集いは不思議な光景とも言えた。
不意に、がっはっは、と今日も今日とて豪快なジョン・ベアーの笑い声が轟く。彼もまた重たい荷物をひょいと担いでは、土産屋へ運んでいく。力自慢の彼にとって楽勝と言える荷運びだが、土産物にしては随分と重量を感じる。
「何が入っとるんじゃ……お?」
梱包を解けば、水鏡にちなんだ菓子や装飾品がごろごろと出てきて。
「商魂たくましいな!」
「一番の書き入れ時だしな!」
胸を張る店主につられて、ジョンも誇らしげに丸まっていた背を伸ばす。
「なら気合いも入れ直さねば! ほれほれ寄ってらっしゃい見てらっしゃい、じゃ!」
言うや深々と酸素を吸い込み、商売文句をジョンが大音声で響かせる。
「すごい声だね」
フィーレン・ステオラーズがぱちりと瞬く。細長い旗を出店の支柱に張り出していた彼は、何に使うのかな、と興味に瞳を揺らしてペナントを飾る。
「あそこへ行ったぞ、懐かしかろうと思い出に浸る用じゃと聞いたな」
客引きを区切ったジョンからの回答に、フィーレンは感心するように唸る。
「なら、どんどん買って帰ってもらわないと、だね」
フィーレンが呟きつつ目許を緩めれば、ジョンや他の店員たちも大きく頷いた。
陳列台付近で繰り広げられる応酬から離れた店の裏側、常と変わらぬ姿でグレイブ・ヤードは裏方の業務を進めていく。とある団体は、彼の容姿に意識を傾けないばかりか、土産屋も素通りしてしまう。それほど魅力的な幻なのだろう。かの運命を映す水鏡とやらは。
(占術の結果だけを望むのと似ていそうですね)
どんな結果を水鏡が示そうと、受け手に委ねられている時点でグレイブには想像がつく。良いように解釈して飲み込むばかりで、大事なものには背を向けてしまうだろうと――やはり溜め息をつきたい気分だ。
(出会うまでに何をするか。出会ってどうしたいか。これらが捨て置かれなければ良いのですが)
己の生き方に胸を張れる道を歩む。それを主とする彼の胸中は、穏やかでいられなかった。
●
水鏡の間が存在するこの遺跡の造りも堅牢だ。しかし大勢が通過するのを前提とした路ではないため、エンデ・エトル・シャリオンはせっせとロープを張っていた。よし、と呟いたのを機にあどけなさを残す少年の眼は四辺を見渡した。埋め尽くすのは家畜ではなくひと。話も通じ、ロープに沿って歩く意識もある分、御しやすい。
もちろん圧迫感を与えるのはエンデの本意でない。ゆえに顔色を窺いながら、ロープの高さや位置を整えていく。すると。
「ロープでの誘導、助かる。向こうに並ぶ一団も、快適そうだった」
ふと後背へかかった声にエンデが振り向く。別の場所で作業していたサマエラ=フォリウムが、報告に来ていた。
「……そうか」
顎を引いたエンデは、向こう、と彼女が話していた方角を一瞥する。待ち時間を窮屈に過ごせば不満も溜まりやすいが、適度な飾りロープは催しならではの緊張をはらみつつ、待ち遠しさを掻き立てるものだ。
「俺も見回るが、通りがかった際に位置がずれていたら、正してもらえるか?」
エンデからの申し出を、サマエラは首肯で受け入れた。
一方、遺跡の暗さにも溶けない黒衣の主キーゼは、四方より奏でられる人声や靴音に耳を傾けつつ、天の眼で場を把握する。造作もなかった。仕事を果たすという一点において、彼は揺るがない。
「三名様ですね、どうぞ前へお進みください」
すっと伸ばした腕が示す方へ、またひとつグループを案内する。そわそわしながら水鏡の間へ入る後背を、数え切れぬほど見送ってきた。けれど一息入れることもせず、キーゼは他の冒険者への発信に努める。
「今のところ長引く方も多くはありませんし、対処も可能です。次の方々をすぐにでも奥へご案内頂ければと」
「わかりました。バッチリ誘導しますね」
伝令に当たっていたアステルが、太陽を連想させる朗らかさで告げ、走り去る。
そして手短に伝えたキーゼがふと見やったのは、件の水鏡の間がある方角。
見送ってきた誰もが、興奮や失意などの感情を顔に塗りたくって戻って来る。彼の目にしてきた光景を生み出したのは、他でもないあの水鏡で。だから、というわけではないが――気にはなった。
そのときだ。どよめきが転がり出したのは。
「お、おい、あそこ見てみろよ」
「えっ嘘、メイドさんがいるわ……」
人々の視線を釘付けにしたのはメイド。『冥狐』の二人が纏うアキュアリスタ風メイド服は、眩しげに、爽やかに、来場者たちの心をくすぐる。ふわり揺蕩う尾で人々の好奇心をくすぐるノノアが、愛らしさを帯びた感謝を向けると。
「「ありがとうございました」」
笑顔全開での接客販売が決め手となり、水鏡を見るまでの道に一大ムーブメントを引き起こしていた。
(さすがノノアさん、とても似合ってるわ)
お揃いのメイド姿で頷くアヴェラ・ウッチェロもご満悦だ。だが平穏は間もなく打ち破られる。
「すすすすみませんメイドさん! ぼぼぼ僕と握手してください!」
水鏡もそっちのけでダブルメイドに心奪われた男が、頬を上気させながら近寄ってきた。
「申し訳ございませんが接触厳禁ですので」
アヴェラが丁重にお断りすると、男性客は明らかにショックを受けた顔を浮かべる。
「そんなあ! ならせめて水鏡の間まで一緒に並んでくれませんか!?」
「ならとせめての使い方がおかしいと思うのですけれど」
一応、接客に相応しい口調で答えるノノアだが、ちらりと後方を見やれば、駄々をこねて居座る男性客のおかげで痞えている。
「困ったわ。問題発見ね」
大して困っていないような声でアヴェラが囁き、埓が明かないと判断してノノアと二人、目配せして。
「では、わたしが特別にご案内致しますね」
ややこしくなる前にとノノアが告げると、相手は大喜びだ。
ノノアに対応を託したアヴェラは、にこやかに周りを見回す。
「大丈夫ですわ。皆様、引き続きお楽しみください」
その後、困った客は遺跡から姿を消した。
観光客と時々メイドな遺跡の奥で、同じ頃、好奇心の火を燻らそうとする塵芥に目も呉れず、キュベレーは柱から柱へ身を移していく。過ぎ去る雑踏へ視線を投げる度、今か今かと待ちあぐねる心たちが見て取れる。気持ちを分かち合うにせよ、秘めるにせよ、かれらはいい顔をしていると、キュベレーは感じた。
(ふふ、それ程までに水映えを求めるか)
甘美なる音を水に聞き、浪漫を目の当たりにするときを誰もが期待していると、キュベレーも知っている。だから疼きを引き結んだ唇で抑えつつ、キュベレーは煌めきを外れた影から影へつま先を忍ばせ、呼気を静かに刻み進んでいく。
「おっと」
意図せず声を漏らしたのは、アルマン・アルスターの影に隠れた際だ。人目を避けてうろつくキュベレーだったが、物陰代わりに踏んだアルマンの影は――予想外の賑やかさを映していた。理由は簡単だ。アルマンが水鏡にまつわる話を、群集に披露していたからで。
「とある貴族の娘は『幼なじみの男が映った』と、侍女たちへ嬉しそうに話したという」
キュベレーの挙動も気にせず、アルマンは物語を紡ぐ。
「だがその男は、こう言いふらすんだ。自分は、見知らぬ貧しき少女が映ったと」
アルマンの甘いマスクと語り口は、男女を問わず人々の心を惹きつけた。
「後に彼は、友人にこうも話している。ただひとり想いを寄せた貴族の娘が、水鏡に映ったのだと」
「互いに相手の姿が映ってたってこと?」
「じゃあ、男はなんでそんな……」
聴き入っていた内、やや顔色を曇らせた若者たちが尋ねる。するとアルマンはかぶりを振って。
「男は、娘の家に仕える小間使いの生まれだ。……あとはご想像にお任せしよう」
続く物語を察してか顔を逸らす者もあれば、希望を見出だそうと語り合う者も出始めた。その隙に、アルマンの影にいたキュベレーは、素早く離れた柱へ飛び込む。冒険者はともかく、他の見物客に気付く様子はなかった。
(今のはノーカン! ノーカンである!)
そう、これはキュベレーにとって他愛ない『かくれんぼ』に過ぎない。
●
「なんじゃ、漸く入れたと思ったらまだ列が続くんかの」
退屈そうな声をあげた老人の不満に、サマエラが向き合おうとする。
「ご老体、身体は冷えていないだろうか」
呼びかけと同時に傍らへ寄って尋ねれば、老人はううむと唸って。
「火に当たりたい気持ちもあるがの、一刻も早く水鏡を確かめたいわい」
「案内は順番だ。暫し時間を要するが、目的は必ず果たせる」
すると老人は逆上もせず、そうかそうかと首を縦に振った。
「死んだ婆さんも寒がってないといいがの」
老人の呟きに、サマエラの瞼がひくりと動く。
「……会いたい人が、あるのか」
あまり詮索するのもと思い躊躇はあったが、聞かずにいられなかった。
(……何が映るか、何も映らぬか。その人次第とのことだが)
沈思したサマエラを前に、何を思ったか老人は目許を緩める。
「ほっほ。このように待つのも悪くないのう」
笑い方を思い出したらしい老人の微笑が、サマエラにとっての報酬となった。
そんな彼女たちの奥、水鏡の間の入口でルーファス・W・ワーズワースが励むのは、退屈なひとときを彩る役目だ。
「あなたは、『運命の相手』というものを信じますか?」
雄弁なルーファスの聴衆が徐々に増えていく。
「こちらの水鏡は運命を映すと伝えられている代物です。勿論、それは異性に限りません」
いつか読んだ本の吟遊詩人のごとく、いつか読んだ本の大道芸人のごとく。
ルーファスは身振り手振りで人目を惹き、集い始めた人々の意識へと伝承を紡ぐ。
「知る人、知らぬ人。或いは想いも寄らない何某か……」
かの演説を、付近で働く冒険者たちも目にしていた。なんだなんだと顔を出す人も少なくない。
「何が映るかは誰にも分かりません。知っているのは、他でもない水鏡だけですから」
言の葉に感情が乗り、感情にリズムが乗る。
「ですが好奇心が騒ぐなら……案ずるよりも、踏み出す方が早いことも有りますよね」
詳しく語らずとも各々の妄想が補完してくれる。それぞれの想いが意味を与えてくれるのを理解しているからこそ、綴るルーファスに迷いはない。さあ、と掛け声にも似た音で水鏡への道が拓かれたことを示せば、観客たちの気分も高まる。
「進みましょう。そして眼裏にまで焼き付けるのです。あなたの運命を」
彼に呼応したのか、靴音が勇ましく水鏡の間へ突入していく。淀みがちな心を盛り上げた彼は、再び空気が沈みかけるまで機を待つ。次なる客人の来訪に備え、力を蓄えた。
その頃、水鏡へのめり込むあまり、長い髪やスカーフがすっかり濡れていたことにも気づけなかった女性へ、シャロンがハンカチを差し出す。
「こちらをお使いください」
「えっ、で、でも悪いです……」
「お構いなく。このときのために用意したのですから」
慈愛をハンカチに含んで渡すシャロンに、女性は有り難そうに祈りを寄せる。シャロンと女性のやりとりを傍観していた周囲の列からも、何故か祈るように手を合わせる人が現れはじめた。
ネーヴェ・グラヌローザも、たおやかな身で別の一行を誘う。
「こちらがかの有名な水鏡の間でございます」
片手で示す、待望の空間。開けた場で安らかに眠っていた水鏡も、今の時期は人々の望みに応じるため忙しい。多忙だが決して濁らず、水はひたすら人の想いを受け止め続ける。
「言い伝えによれば、その人の運命の相手が映り込むのだとか……」
ネーヴェの清らかな声音によるガイドは、聴衆から感嘆を引き出した。
「運命のお相手は様々ですが、全てに共通しているのは『縁』だと、私は思います」
「縁?」
首を傾いだ少女へ、ネーヴェは小さく首肯する。
「ええ。縁です。運命は縁であり、縁が運命へ姿を変えてゆく……そう感じます」
「なら、私にも見えるかな。嫌な人じゃないといいけど」
何らかの覚悟を秘めて訪れたらしい少女は、今からが本番というところで足踏みしていた。彼女を包んでしまっている躊躇の膜を、大丈夫でございますよ、とネーヴェが言の葉で取り払う。
「映る運命は貴方の持つ可能性の一つに過ぎません。さぁ、勇気を出して」
「……うん。わかった、いってみる」
意を決した少女の背を見送るネーヴェの双眸は、水鏡の前で動かない来訪者を捉えた。
「お客様、失礼いたします」
クローリカ――クロウがそんな来訪者へ声をかける。
「お待ちのお客様がおられますので、そろそろ……」
「っ!? あ、は、ハイ、すみません」
耳打ちで我に返ったのか、青年は一驚した余韻に乱されながらも離れていく。
(彼にとって思いがけない人物……だったのでしょうか)
何が映るかはわからない。何も映らないかもしれない。そんな謂われをクロウも耳にしていたが。
(私には、何を見せてくれるのでしょう)
悲嘆に苛まれるか否かと考えるクロウの死角で、前に並ぶ少年をぐいぐいと押していた若者へ、ひとひらの黒が舞い降りる。
「焦りは禁物ですよ」
「うわ!?」
ぽつりと告げたのはキーゼだ。指摘されて漸く羞恥心を覚えたのか、若者は肩身が狭い心地で順番が回るのを待つはめになる。
「ありがとうございます、黒いおにいさ……あ、れ?」
背を押されて苦しんでいた少年が下げた頭を戻したときにはもう、黒衣の冒険者の姿は――どこにもなかった。
●
(この人もいい指ね)
お釣りや品の手渡しという名目で、アヴェラは好ましい指の形を間近で確かめ、訝しがられないように撫で、堪能してきた。接客販売はある意味、アヴェラにとっての楽園だろう。覗いてきた水鏡に何も映らなかった分、人様の指を味わい尽くそうとアヴェラは決めたのだ。
そんな彼女を、今日はその辺で、と後ろからノノアが制止した、その一方。
「ぼくあれ欲しいなー!」
少年の穢れなき欲望が巡回中のエンデを射抜く。何せエンデが首から下げていたのは、水鏡の間に彫ってある紋様を模した木製のお守りだ。ゆえに、帰り道で目撃して欲しくなる人物が後を絶たず、欲しいと請った少年そのひとりで。
(……成功だ)
購買意欲を掻き立てようとしたエンデの動きは、土産屋の繁盛に一役買った。
もちろん、店から響く冬眠動物を呼び覚ます程の朗々とした売り声も、好調の理由だ。声の主であるジョンは、手ぶらで遺跡を出ようとする若者たちへ、休まず声をかけている。
「おう、そこのお嬢さん方。ええ相手は映ったかい?」
高い声を弾ませる女子たちへ尋ねると、満面の笑みとピースサインが返されて。
「そりゃええことじゃ。どうだ、その相手を忘れんために思い出を買うていかんか」
「思い出かあ、せっかくだし記念に買っちゃおっかな」
「お揃いだと尚強そうじゃなあ」
関係性をも活かすジョンに、女子組は揃いのお守りをぶら下げて、踊るような足取りで帰っていった。
店の近くでは、再会した親子を見送ったファルマとトゥーリが、頬をふくりと持ち上げる。よかった、と迷子を解決した喜びを共有している間にも、目的を果たした人だかりが遺跡の外へ向かう。
終わりが近いのだと、ファルマたちだけでなく道中で通路を掃除していたグレイブも実感していた。特に陽が傾いてからは、日中の賑わいが嘘のように人数も減っている。
(酔っ払いがいなかったのは幸いでした)
冒険者の働きもあって、酔いに任せて乱暴したり、酒臭いまま絡んで来る輩は存在しなかった。
その中でグレイブは、様々なかたちを目の当たりにしてきた。結果に囚われてばかりで、身も心も動かせないひと。望んだものが見えなかったからか、顔を上げようともしないひと――遺跡に遺されていく、いろいろなものを。
遺されていくものがあれば、ひとときの騒ぎを満喫して持ち帰る者もいる。
「さっきはありがとー! またねー!」
「どういたしまして。気をつけて帰ってね」
ぶんぶんと手を振る少女に、ニールはゆらゆらと片手で応じた。そして背中が小さくなっていくのを確かめた後、ニールは水鏡の間へ急ぐ。終わりが近いとはいえ、入れ替えで新たな波が到来する可能性はある。
ならばその前に試さねばと、期待を胸に覗いたニールが眼にしたのは、物語に出てくるような人物だ。きっと昨晩読み漁った冒険譚が、自身の思考に絡まっているのが原因だろう。そう納得しかけたニールだが、すんなり受け止めるにはどうにも気になる点がある。
(でもこんな大きなひと、あの物語にいたかな)
疑問符をめいっぱい浮かべて立ち去ったニールとすれ違う形で、ルーファスの足音が揺蕩う水へ近付く。
(見たいものが現れるとは限らない、と)
拝みたい顔はある。いずれ自身が膝を折る相手。それが映るなら興味も興奮に転じるであろうに、この水鏡はなかなか気難しい。いざ対面してみれば、澄んだ水が映すのは――ルーファス自身だった。
納得したのか否か、無言のまま立ち去ったルーファスに続い、かくれんぼ続行中のキュベレーがやってきた。
(さあて、運否天賦の水鏡。何が映るか試してやろう)
すべてが天の思し召しとの考えは更々ないが、それでもキュベレーはおもしろ半分で覗き込む。舞台が整ったのだから、さぞ愉快な面影を見るだろうと思いきや、水鏡は純白の猫を教えるだけだった。どうしたもんかと顎を撫で、キュベレーも帰路に着く。
新たな来客を待つ水鏡を次に確かめたのは、クロウだ。そして後頭部を殴られたような衝撃に目を瞠る。
見間違う筈がない。けれど見間違いだろうかと確かめてしまう。自分と共に在る『お嬢様』が映っているのに、クロウの――クローリカの知る『お嬢様』ではなかった。あらゆる驚きはやがて熱へと変貌し、クローリカは拳をぎゅうっと握り締める。
夢や幻とは思えない鮮やかな画だ。まるで今し方の出来事を切り取ったかのような空気が、クローリカの内で眠っていた想念を呼び覚ます。だから込み上げる様子を誰にも覚られぬよう、クローリカはクロウとして水鏡の前から退き、広間を出る。直後にはもう堪え切れず、ひと気のない壁へ縋り付いた。
(お嬢様……!)
彼女の見目は成長している。眼裏に焼き付いて離れない、あの頃よりも。
(生きて……おられるのですね……!)
無事ならば、いつか。いつか絶対に――再会のときを自ら手繰り寄せるべく、クロウは拳を壁へ押し付ける。
水鏡が教えてくれた『運命』に、またひとりの強い情が遺跡へ深く深く刻まれた。眠りに就くまできっと、遺跡はそうしたすべてを見守るつもりでいるのだろう。後から来たアルマンの挙動不審っぷりも、同様に。
(さて、いったいどんな運命の相手が映るのか……)
絶世の美人か、煮詰めた砂糖のように甘い相手か。期待するなと自制しようにも、むくむくと膨らむばかりで抑えきれないのが願いというもので。水鏡を眼前に、アルマンはそろりと詰め寄る。そして。
「いち、に……あーっやっぱり無理! 心の準備!」
腕も胸も拡げて大きく運動。解れたところで今度こそと鼻を鳴らすも。
「駄目だどうしても! いでよ勇気! 掲げよ勇気!」
水鏡の前で奮闘するアルマンだったが、各所で片付けを終えた冒険者たちがぞろぞろと入ってきたため、結局一滴も勇気を振り絞れないまま「どうぞ……」と後を譲る。
●
セロンとティトも、そこにいた。水のにおいは思ったより薄く、歩を運び恐る恐る水鏡を見ても、川や泉を連想するにおいはしない。
そうしてセロンの双眸に飛び込んできた運命のかたちが、まるで悪戯をするかのように身を震わせて笑う。笑って生じた波紋は瞬く間にその姿を掻き消し、固まって動かないセロンへティトが後ろから声をかける。
「セロンさん、その……大丈夫?」
嫌なものでも目撃したのだろうかと不安がるティトに、やっと動揺を飲み込んだセロンがかぶりを振る。
「変な何かを見た、とかなら……気分転換に外へ出る、のも……」
「ああいや、変、というわけでは」
目線すら彷徨うセロンに、ティトはこてんと首を傾ぐ。果たして彼の水鏡に、何が映ったのか。ティトはそれを問わず、セロンと入れ代わるようにして自身も水鏡を覗く。
あ、と短い声がティトの喉から零れる。映ったものが夢か幻か、それとも来たる現実なのかはティトにも判断がつかない。だが、知ってしまったら戻れない。記憶にしかと刻まれてしまう。何よりティト自身、忘却を望んでいなかった。何故なら。
(姉さん……それに、どうしてセロンさん、が……?)
生き別れになったはずの姉の容姿は、ティトの脳裏に鮮明に焼き付いてしまった。
ティトの様子に気づく余裕もなく、後ろでセロンは水鏡を想起し続ける。ティトが映っただけならば、ここまでの動揺は無かっただろう。いや、それはそれで一驚に痺れるぐらいはしたが、大きく狼狽した理由は――ティトによく似たハーフビーストが、一緒にいたこと。
銘々頭痛を覚えて遠ざかれば、流行にはとりあえず乗ってみる派のジョンが、躊躇なく水鏡を覗いた。反映したのは見知らぬ少年。前掛けと三角巾で髪を纏めた姿は、どこぞの調理師かもしれない。食事提供者であれば出会う機会も濃厚だろうと、ジョンは満足げだ。
鼻歌交じりのジョンとは異なり、箒を片付けてきたファルマは静かに足を運ぶ。運命の人とやらにときめく心はまだ無いけれど。水鏡へ顔を近づけるも――映らない。運命の相手だけではなく、ファルマ自身さえ。
(……不思議だわ)
どこか安堵した呼気だけが、ファルマの眺めていた水面を揺らす。
こうして波紋は誰かが確かめるたびに生まれ、やがて凪いでいくのを繰り返した。
掻き消されたものから顔を遠ざけて、フィーレンは息を吐く。
(あれは、何だったんだろう)
夜空の彩りを思わせる黒鳥。平たく表現するならこれが適していると思考を巡らせてフィーレンも広間から去っていく。ステオラーズ家の顔が浮かばなかったことに、ほんの微かな安堵を覚えつつ。
塵芥が舞い踊らぬよう清掃していたサマエラもまた、水鏡が気にかかりやってくる。先刻の老人のように、確かめたい姿があるわけでもないのだが。
(さて、どうだろうな……)
水鏡に現れたのはエルフ然とした様相の女性だが、記憶を遡ってみるもやはりサマエラには憶えがなく。
誰だろう。次に水鏡を知ったネーヴェの脳裏にも、そうした言葉が過ぎった。
記憶の引きだしは施錠されたまま――もしくは引き出しごと無くなっているのか――決して呼び覚まされない。ただただ懐かしい気配が、ネーヴェの胸中を掻き乱しただけで。
暫くして、水音に支配された空間へ、姿を眩ませていたキーゼが降り立つ。ほんの僅かな興味を寄せて見下ろすも、予想通り水面は輪郭ひとつ映そうとはしない。
(……当然でしょう)
ふ、と意識せず息が零れる。始めから分かっていた。持たざる者が何かを映すなど有り得ない、と。
こうして数多の運命を知らせた『水鏡』は、冒険者たちの活躍によって、無事に役目を終えた。
残された者たちが、このとき見た運命とやらに翻弄されるのかどうかは、定かでない。
何故なら水鏡に『視た』ものの意味は、ひとりひとりが築く未来に委ねられるのだから。
マスターコメント
お疲れ様でした。細かい点までご配慮いただいたりと、ありがとうございます!
水鏡周りはもちろん、店や警備、案内の対応などなど、とにかくお客様からの評判がたいへん良く、依頼主も大喜び。
ということで、シナリオ結果も『大成功』でございます!
ご参加いただき、誠にありがとうございました!
イベントシナリオ易しい 報酬:標準21 / 4〜25人
2021年01月08日 14時34分10秒 公開
大成功
参加者
相談掲示板
メリーユールフェス。ニール・ロブラリアだよ。よろしくね。 お客さんの誘導・整列の仕事を請け負おう、と思う。 タイミングを見て、水鏡も覗いてみよう。何か映ると、いいな。
ノノアよ。お手紙でアヴェラさんにお誘いされたので、ご一緒にお土産販売、補充、整理などをしますわ。
アヴェラよ。ノノアさんはよろしくね。 二人で一緒にお土産の販売をするわ。 それと一緒に荒らそうとする人の対応にも回れたらと思っているわ。
さて、失礼します。 仕事ということですので。 (1)客の誘導や整列に従事しましょうか
(3) 補充・整理を主に考えております。 水鏡は特に興味もありませんし、忙しい場所のお手伝いができればと
ネーヴェ・グラヌローザと申します。どうぞ宜しくお願い致します。 お仕事につきましては、 (2)水鏡の案内、解説を主に考えております。 一通りの礼儀作法は心得ております。事前に資料を読み込めば、問題無く案内人を務められるかと存じます。
シャロンと申します。 よろしくお願いいたします。 (3)お土産販売、補充、整理で考えております。
※RPの都合上「クロウ」という偽名を使っています。 クロウといいます。今回はよろしくお願いします。 (1)客の誘導や整列で考えています。
エンデ。よろしく。 (1)客の誘導や整列…の予定だ。
ルーファスと言います。皆さん宜しくお願いします。 さしあたり、人が少なそうなので(2)へ向かう予定です。 口上、覚えないといけませんね。