貴方と紡ぐ物語を
広大野人
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シナリオID:3504
オープニング
●
オルセン太守コンラート・マフダルは出征の間に溜まっていた仕事に追われていた。
太守の執務室から見える街は賑やかであった。厳しい冬の影響は続いているが、寒さを吹き飛ばすような熱気に溢れている。
帝国はこの先も色々な出来事や乗り越えなければならない事があるだろう。
けれど、ここからは上がるだけだ。
そんな想いに耽っていると、側近が来客を告げる。
「太守様。トレイシー研究所長が到着致しました」
「ここに通して構わない」
太守は即答すると、残されていた雑務をササっと済ました。
寒冷地でも育つ農作物の研究をトレイシーに行わせている。今日はその研究について、今後の方針を定める為の意見交換だ。
程なくして扉が開き、トレイシーが姿を現す。
「失礼します」
「適当に座って下さい」
太守の言葉に従って、トレイシーは一礼してから執務机脇の椅子に腰を降ろした。
コンラートは目配せして側近を下がらせる。公務ではあるが、堅苦しいのは望んでいなかったからだ。
「試作地の様子に変化はありましたか?」
「今の所は何も。ファンゾムさんが戻ったという事もあるかもしれませんが」
研究所が管理している農作物の試作地には温かい川が流れている。その元は、ファンゾムが封印されていた遺跡から流れているもので、エーテルの影響を受けていると考えられていた。
これから先、どうなるか分からないが、現状が続けばそれはそれで良いだろう。
「拠点の整備も進んでいると聞いています」
「太守様のご指示通りに」
「元は冒険者からのアイデア。オルセンは提案に乗っただけの事です」
名も無き神の一柱であるファンゾムの取り扱いについては、オルセン上層部でも議題になった。結局、ファンゾム自身が山に籠る事を希望したので揉める事は無かったが……。
「温泉の神になっていますよ」
トレイシーが眼鏡の位置を直しながら微笑を浮かべる。
オルセンの守護神として奉る――予定だったのだが、どこでどう間違えると、温泉の神になるのであろうか。
「本人が嫌でなければ、オルセンとしては構わない。むしろ、観光地化できそうだ」
「拠点の整備が完成した後にはなりそうですが、その前に食糧の増産が先です」
「その通り。目途はつきそうですか?」
コンラートの質問にトレイシーはしっかりと頷いた。
「来年には確実に間に合わせます。試作地では足りなくなるほどに」
「それは大した事だ」
研究所が太守直属に格上げされたので、その影響が大きい。
もっとも予定通りに研究員の増員や資金・資材が確保される事など前提ではあるけれど。
「先の話にはなりますが、数年後には原野の開拓も視野になるかと思います」
オルセンから北壁山脈に至る広大な土地は自然豊かだ。
全て……という訳にはいかないが、開拓が進めば農作物の生産量は一気に増える。トレイシーは一呼吸置いてから話を続ける。
「ただ、一つ問題があります」
「極北から南下してくる魔獣やクリーパーの存在か」
「はい」
土地が広すぎる故に、それらの脅威に対して即応するには限度があった。かといって、兵力に余裕がある訳でもない。
「それについては、すぐの解決にはなりませんが、実は考えている事があります」
「それはいったい?」
首を傾げたトレイシーにコンラートはニヤリと口元を緩めた。
「長城を建設する方向で計画しています」
全体未聞の一大事業が始まろうとしていた。
●
イグシィ=スタスが興した商会はオルセンで急成長を遂げていた。
その手腕をコンラートも高く買っており、長城建設のアイデアは彼から受けたものだ。もちろん、国家事業にも匹敵する事なので帝国中央の認可は必要だろうが、そもそもの始まりが征竜討伐の影響によるクリーパーの南下に対する処置なので、反論される言われはないとコンラートは思っていた。
「北壁山脈を繋ぐ長大な城壁。冒険者からも意見を聴いておくべきと思っている」
太守の言葉に側近は仰々しく頭を下げ、同意する。
オルセンの北側……つまり、極北に至る前に北壁山脈が北西と北東に横たわっており、長城は山脈を繋ぐように築城する予定だ。
「認可を得る為にも、冒険者からの意見聴取は必須であると考えます。太守様のお考え通り、冒険者達をお呼びする方向で調整中です」
「考える事は多くある。長城の形状から資金や資材の調達方法、人夫の確保、建設中におけるクリーパーへの対処……冒険者からは様々な意見が欲しい所だ」
幸いな事に、認可を取る為に必要な初期費用に関してはイグシィが協力を申し出てくれた。現地を調査するだけでも莫大な資金が発生するのだが……。博打にも似た投資のつもりなのだろう。
「自由な意見を述べるよう冒険者には伝えておきます」
「彼らの滞在には不足がないように。オルセンの面子に関わるからな」
「畏まりました」
こうして、オルセンに冒険者達が呼ばれる事になったのであった。
●
ファンゾムが足湯に浸かりながら、まったりとした時間を過ごしていた。
「これ美味しいわねぇ」
饅頭を口に運ぶ。
柔らかい生地の中に餡子が入っていて、甘味がふわっと広がっていた。
「……食べたら、働いてよ」
呆れるように言ったのはトレイシーだった。
ちょっと休憩のつもりが思った以上に長くなっている。まぁ、試作地周辺の開墾作業は急ぐ事ではないので構わないのだが。
「温泉の神よぉ?」
「最近、そんな噂があるだけで違うでしょうに。拠点の整備が終われば温泉宿も作るつもりらしいから、本当にそうなるかもしれないけれど」
「熱湯出しちゃおうかしらぁ」
本気で出来そうだから冗談にならない。
ため息をついたトレイシーは試作地に視線を向けた。開墾だけではなくて、植えている農作物の世話や収穫もある。人手が足りていないのだ。
「そういえば、イグシィが冒険者にも依頼を出したって」
「それは楽しみねぇ~」
「くれぐれも模擬戦はしないで下さい」
釘を刺された事でファンゾムが口を尖らせた。
折角呼んだ冒険者が模擬戦でぐったりされても困るというものだ。
「厳しいわぁ」
残念そうな言葉を発しながらも楽しそうな笑みを浮かべるファンゾムだった。
●
エナハルト・ティルムは家督を継ぐ為、王国騎士を辞していた。
オルセンに訪れたのは『最後の任務』の為だ。組織の足跡を辿り、事件が完全に終結したと……報告書を書くだけだが。
「先輩には最後の最後まで面倒お掛けしてすみません」
馬車の中で、エナハルトはイェルド・ルリンに謝った。
「気にするな。俺も近々、騎士を辞める事になる。これは俺達二人に相応しい旅だと思っているからな」
「……そうですね。帝国の地に訪れるのもきっとこれで最後です」
表向きはオルセン太守への交流訪問という形になっていた。
道中、盗賊や魔獣に襲われてはいけないという事で冒険者に護衛も依頼している訳だが、何もあるはずもなく、旅路は順調だった。
「まぁ、俺は観光で来るけどな。嫁も探さないといけないし。エナは新婚旅行先が決まったのか?」
「まだ決めてませんよ……迷っていますから。国内なら港町ウシタ、国外ならシャルガネ……悩ましいです」
「思い出の地って奴か。はー! 羨ましいな、この野郎!!」
イェルドはぐりぐりと後輩の頭を撫で回すのであった。
オルセン太守コンラート・マフダルは出征の間に溜まっていた仕事に追われていた。
太守の執務室から見える街は賑やかであった。厳しい冬の影響は続いているが、寒さを吹き飛ばすような熱気に溢れている。
帝国はこの先も色々な出来事や乗り越えなければならない事があるだろう。
けれど、ここからは上がるだけだ。
そんな想いに耽っていると、側近が来客を告げる。
「太守様。トレイシー研究所長が到着致しました」
「ここに通して構わない」
太守は即答すると、残されていた雑務をササっと済ました。
寒冷地でも育つ農作物の研究をトレイシーに行わせている。今日はその研究について、今後の方針を定める為の意見交換だ。
程なくして扉が開き、トレイシーが姿を現す。
「失礼します」
「適当に座って下さい」
太守の言葉に従って、トレイシーは一礼してから執務机脇の椅子に腰を降ろした。
コンラートは目配せして側近を下がらせる。公務ではあるが、堅苦しいのは望んでいなかったからだ。
「試作地の様子に変化はありましたか?」
「今の所は何も。ファンゾムさんが戻ったという事もあるかもしれませんが」
研究所が管理している農作物の試作地には温かい川が流れている。その元は、ファンゾムが封印されていた遺跡から流れているもので、エーテルの影響を受けていると考えられていた。
これから先、どうなるか分からないが、現状が続けばそれはそれで良いだろう。
「拠点の整備も進んでいると聞いています」
「太守様のご指示通りに」
「元は冒険者からのアイデア。オルセンは提案に乗っただけの事です」
名も無き神の一柱であるファンゾムの取り扱いについては、オルセン上層部でも議題になった。結局、ファンゾム自身が山に籠る事を希望したので揉める事は無かったが……。
「温泉の神になっていますよ」
トレイシーが眼鏡の位置を直しながら微笑を浮かべる。
オルセンの守護神として奉る――予定だったのだが、どこでどう間違えると、温泉の神になるのであろうか。
「本人が嫌でなければ、オルセンとしては構わない。むしろ、観光地化できそうだ」
「拠点の整備が完成した後にはなりそうですが、その前に食糧の増産が先です」
「その通り。目途はつきそうですか?」
コンラートの質問にトレイシーはしっかりと頷いた。
「来年には確実に間に合わせます。試作地では足りなくなるほどに」
「それは大した事だ」
研究所が太守直属に格上げされたので、その影響が大きい。
もっとも予定通りに研究員の増員や資金・資材が確保される事など前提ではあるけれど。
「先の話にはなりますが、数年後には原野の開拓も視野になるかと思います」
オルセンから北壁山脈に至る広大な土地は自然豊かだ。
全て……という訳にはいかないが、開拓が進めば農作物の生産量は一気に増える。トレイシーは一呼吸置いてから話を続ける。
「ただ、一つ問題があります」
「極北から南下してくる魔獣やクリーパーの存在か」
「はい」
土地が広すぎる故に、それらの脅威に対して即応するには限度があった。かといって、兵力に余裕がある訳でもない。
「それについては、すぐの解決にはなりませんが、実は考えている事があります」
「それはいったい?」
首を傾げたトレイシーにコンラートはニヤリと口元を緩めた。
「長城を建設する方向で計画しています」
全体未聞の一大事業が始まろうとしていた。
●
イグシィ=スタスが興した商会はオルセンで急成長を遂げていた。
その手腕をコンラートも高く買っており、長城建設のアイデアは彼から受けたものだ。もちろん、国家事業にも匹敵する事なので帝国中央の認可は必要だろうが、そもそもの始まりが征竜討伐の影響によるクリーパーの南下に対する処置なので、反論される言われはないとコンラートは思っていた。
「北壁山脈を繋ぐ長大な城壁。冒険者からも意見を聴いておくべきと思っている」
太守の言葉に側近は仰々しく頭を下げ、同意する。
オルセンの北側……つまり、極北に至る前に北壁山脈が北西と北東に横たわっており、長城は山脈を繋ぐように築城する予定だ。
「認可を得る為にも、冒険者からの意見聴取は必須であると考えます。太守様のお考え通り、冒険者達をお呼びする方向で調整中です」
「考える事は多くある。長城の形状から資金や資材の調達方法、人夫の確保、建設中におけるクリーパーへの対処……冒険者からは様々な意見が欲しい所だ」
幸いな事に、認可を取る為に必要な初期費用に関してはイグシィが協力を申し出てくれた。現地を調査するだけでも莫大な資金が発生するのだが……。博打にも似た投資のつもりなのだろう。
「自由な意見を述べるよう冒険者には伝えておきます」
「彼らの滞在には不足がないように。オルセンの面子に関わるからな」
「畏まりました」
こうして、オルセンに冒険者達が呼ばれる事になったのであった。
●
ファンゾムが足湯に浸かりながら、まったりとした時間を過ごしていた。
「これ美味しいわねぇ」
饅頭を口に運ぶ。
柔らかい生地の中に餡子が入っていて、甘味がふわっと広がっていた。
「……食べたら、働いてよ」
呆れるように言ったのはトレイシーだった。
ちょっと休憩のつもりが思った以上に長くなっている。まぁ、試作地周辺の開墾作業は急ぐ事ではないので構わないのだが。
「温泉の神よぉ?」
「最近、そんな噂があるだけで違うでしょうに。拠点の整備が終われば温泉宿も作るつもりらしいから、本当にそうなるかもしれないけれど」
「熱湯出しちゃおうかしらぁ」
本気で出来そうだから冗談にならない。
ため息をついたトレイシーは試作地に視線を向けた。開墾だけではなくて、植えている農作物の世話や収穫もある。人手が足りていないのだ。
「そういえば、イグシィが冒険者にも依頼を出したって」
「それは楽しみねぇ~」
「くれぐれも模擬戦はしないで下さい」
釘を刺された事でファンゾムが口を尖らせた。
折角呼んだ冒険者が模擬戦でぐったりされても困るというものだ。
「厳しいわぁ」
残念そうな言葉を発しながらも楽しそうな笑みを浮かべるファンゾムだった。
●
エナハルト・ティルムは家督を継ぐ為、王国騎士を辞していた。
オルセンに訪れたのは『最後の任務』の為だ。組織の足跡を辿り、事件が完全に終結したと……報告書を書くだけだが。
「先輩には最後の最後まで面倒お掛けしてすみません」
馬車の中で、エナハルトはイェルド・ルリンに謝った。
「気にするな。俺も近々、騎士を辞める事になる。これは俺達二人に相応しい旅だと思っているからな」
「……そうですね。帝国の地に訪れるのもきっとこれで最後です」
表向きはオルセン太守への交流訪問という形になっていた。
道中、盗賊や魔獣に襲われてはいけないという事で冒険者に護衛も依頼している訳だが、何もあるはずもなく、旅路は順調だった。
「まぁ、俺は観光で来るけどな。嫁も探さないといけないし。エナは新婚旅行先が決まったのか?」
「まだ決めてませんよ……迷っていますから。国内なら港町ウシタ、国外ならシャルガネ……悩ましいです」
「思い出の地って奴か。はー! 羨ましいな、この野郎!!」
イェルドはぐりぐりと後輩の頭を撫で回すのであった。
解説
●目的
フリーアタック
(オルセンとその郊外にて各自行動を決めて過ごす)
●状況
冒険者達はオルセンにいずれかの依頼を受けて滞在or訪れています。
1. 『長城建設の意見聴取の為に冒険者として参加している』
2. 『トレイシーの研究所で護衛や屯田の依頼を受けている』
3. 『王国騎士の護衛依頼を受けてオルセンに訪れている』
オルセンにて、依頼の幕間を過ごしている様子等をリプレイとして描写します。その為、クリーパーや魔獣との戦闘は発生しません。
なお、冒険者の行動が全て可能とは限らず、判定を行います。
行動例として……
・NPCと絡む
・参加している別の冒険者と過ごす
・ただのんびり過ごす
……等々。状況によってはアドリブ多めになります。ご了承ください。
●NPC
コンラート・マフダル:オルセン太守。
ファンゾム:名も無き神の一柱。
トレイシー:植物の研究者。
イグシィ=スタス:商会を営む青年。
イェルド・ルリン:王国騎士のおっさん
エナハルト・ティルム:イケメン王国騎士。
●質問
NPCと絡みたい行動が、可能かどうかで悩まれる際等、質問を可とします。コンラートかファンゾムが頑張って回答します。ただし、回答は描写を保証できるものではありませんので参考程度にして下さい。
●その他
迷子にならないように同行者がいる場合は必ず相手を相互に指名して下さい。
アドリブ対応多めになる可能性もありますのでご了承下さい。
NPCとの関わりにおいては、これまでの関わりによる友好度が存在します。友好度による『差』はあるものとしてご理解下さい。指定が重なった場合、違う場所・違う時として処理します。
マスターより
おはようございます! 当依頼にて90作目となった広大野人です。
これが私のアニエピカにおける最後のシナリオとなります。オルセンとその郊外が舞台のフリーシナリオとなっております。
状況によってはアドリブがかなり強くなる場合もありますので、その事をご承知の上でのご参加を推奨いたします。
それでは、依頼へのご参加、お待ちしております!
リプレイ
●
組織絡みの事件やその後の経過に至る中で、植物の研究者であるトレイシーとは、互いに知らない相手ではなかったが、それでも、シルヴィア・A・カペルはオルセン太守コンラート・マフダルの同席をお願いしていた。
ただ心配していた事は杞憂だったようだ。
「確かに王国は嫌いですが、それはそれ、シルヴィアさんはシルヴィアさんです」
トレイシーはあっさり言った。
彼女は基本的に人を信用しないという。それでも、積み重ねてきた冒険者としての実績や何より共通の友の存在が大きいようだ。
「太守である私の同席は必要なかった……となってしまうと、カペル卿の立場もあると思いますので」
コンラートの台詞にシルヴィアは感謝を示すように頭を下げた。
「ご配慮、ありがとうございます」
丁寧な仕草と共に感謝の言葉を告げる。
つまり、シルヴィアの提案――遺跡から出土した種の共同研究――について、太守自らが認めたという事だ。
トレイシーの研究所は太守直属の組織なので、万が一、トレイシーが提案を拒否しても彼女は受けなければならない。トレイシー自身が乗り気だった事に、コンラートの台詞があった訳だ。
姿勢を正して、シルヴィアは数枚の書類を纏めたものを太守に渡す。
「こちらは合作ワインについての経過報告になります」
「カペル卿のフットワークの軽さには感心するばかりです」
書類を受け取ったコンラートは楽しむように読み込む。
この案件については先日、話し合ったばかりだ。それでいて、進捗は悪くない。極めて多忙な日々を過ごしていたのだろうと太守は思った所で、シルヴィアから説明の補足が入る。
「利益追求でなく大森林と王国の文化交流・商業発展が目的です。王家に製造販売許可を得た上で大森林の複数の氏族に葡萄畑の協力を得、カペルの醸造所と契約済。協力者も得ています」
「完成の時期はいつぐらいになりますか?」
コンラートは読み終えた書類を返しながら訊ねる。
オルセンは長い冬が明けていよいよ春を迎える。大事なのはタイミングだと考えているのかもしれない。
「カペルなら5月か6月には、国内外に販売出来るワインが生産可能です」
答えたシルヴィアは持ち込んだ試作品をラベルと共に並べる。
試飲にと、見事な所作でグラスに注いだ。やり取りを大人しく聞いていたトレイシーが手に取る。
「良い香り」
「良かったです。太守様、いかがでしょうか?」
「異論は無いです。正式な手続きは追って連絡で構わないでしょうか?」
太守の返答にシルヴィアは頷いてから頭を下げた。
「何時かオルセンと合作ワインも作りたいです。温泉の影響で葡萄を育てられるのではと思いますので」
「なるほど、その発想は無かったです。トレイシー所長の意見を聴きたい」
「寒さや病気に強い品種なら、試してみる価値はあるかもしれない」
その言葉を受けて、太守がシルヴィアに手を差し出した。
「やってみますか、カペル卿」
「早速、許可を取りにいってきます」
シルヴィアは微笑を浮かべて、その手を取る。
いつかきっと、オルセン産のワインを口にする事が出来ると信じて。
●
「改まると、少し……恥ずかしいですね」
微笑みながらミア=リゼルはそんな心情を言葉にして、エナハルト・ティルムの腕をギュッと引き寄せた。
「良かったのですか?」
「大丈夫です。学園に帰れば一緒の部屋ですから」
チラリと振り返ると、ミアとエナハルトを親友が見送り続けていた。
親友はこれから別の所へと行く予定だから、一言二言、言葉を交わしただけだった。
「エナはどんなお話を?」
「君を泣かせないでね、と」
爽やかな笑みで答えるエナハルト。
勿論、ミアの親友の願いでなくとも、そのつもりだ。
「ミアの方は、イェルド先輩から何を言われたんだ?」
「その……りょ、旅行の件を……」
結婚は学園を卒業した後なので、だいぶ先の話のはずだが、早期の修了を期待されているのか、あるいはある程度自由が利く学生のうちにという話なのか、ミアの頭の中でぐるぐるとシンコンリョコウの文字が巡っていた。
キャッキャウフフするようなイメージが先行した所で、エナハルトの整い過ぎている端正な顔が視界に入って、ミアはカッと耳元が熱くなった。
きっと、耳の先端まで真っ赤になっているに違いない。
「エ、エナが望むなら……が、頑張ります!」
色々と巡った想いを端折って発した言葉に、彼はゆっくりと頷いた。
「そうだね。ミアはちゃんと学園生活を送らないと。僕も引退する父からしっかりと引継ぎを受けないといけない」
エナハルトは王国騎士を辞し、領主となる。治政は安定しているが、それを続ける事は難しいものだ。シンコンリョコウは滞りなく、それらを乗り越えた先にあるものだと改めてミアは認識した。
オルセンを囲う城壁の上、展望デッキに上がる頃には、真っ赤な夕陽が沈もうとしていた。
吹き抜けてくる冷たい風が髪を揺らすが、ミアの手は彼の手をずっと握っている。
「……こうして、あなたの旅の終わりを見届けることができて、嬉しいです」
振り返れば色々な出来事でいっぱいだったと思う。
二人がこうして並んでいる事自体が、奇跡を積み重ねた結果と言っても過言ではないだろう。
「私は多くの人と出会って……大切な人たちがいつも支えてくれて、愛情をかけてもらえて。だから……私も、それに応えられる人でありたいです。あなたのそばで、人として共に生きたい。それが私の、新しい旅への願いです」
ミアは率直な想いをそう告げるとエナハルトがグッとミアの身体を引き寄せた。
「ありがとう、ミア。傍に君がずっと居て欲しい」
夕陽に照らされて抱き締め合った二人の影が一つになった。
「ウシタのロイヤルビーチもシャルガネの温泉も楽しみですけど、あなたと一緒に行くところなら、どこもきっと素敵な思い出になりそう」
「そうだね。思い出を沢山、作りたい」
今にも唇が触れ合いそうな距離で囁く二人。
互いの瞳の中に相手の瞳が映る。
「愛しています、エナ!」
「ミア、愛しているよ」
今日から、二人の新しい旅が始まる。
想像もできない旅路だけど、それは希望に満ち溢れている事だけは疑いようが無かった。
●
二人の姿はただただ眩しかった。
人はあんなにも輝けるのだ。それはきっと、二人だけじゃない。沢山の人々が出来る事なのだろう。
それを守りたい――なんて仰々しい事は口にできないけれど、それでも、いつか見た父の背中に恥じない生き方を望みたいものだと、ルベア・ベルニは感じていた。
親友とその婚約者を見送った後、ルベアは所用が済んだトレイシーと共に試作耕作地へ向かっていた。
耕作地は人里から離れているので、護衛のつもりではあるが、それ以上に考えている事がルベアにはあるからだ。
「卒業した後のことを考えると、私も現状のオルセンの農業を把握しておきたいのよね」
揺れる馬車の中で発したルベアの言葉に、トレイシーは眼鏡の位置を直しながら応える。
「卒業論文にもいいかもね。戦火でだいぶとその手の資料も消失したし」
オルセンは無事だったものの、崩壊した帝都を始め、主だった都市が壊滅した影響は学術面でも計り知れないダメージとなった。
「そっか。やらなきゃいけない事って沢山、あるんだ……」
「実地は当然ながら、仮説を組めるだけの事象も整理しなきゃいけないし、寝ている暇も無いのが実際の所だよ。まぁ……でも、ちょっと意外かな。ルベアからそんな台詞が出るなんて」
感心した様子のトレイシーにルベアは恥ずかしそうに少し俯いた。
「……冒険者になったばかりの頃は、ちっぽけな自分に出来ることを考えるだけでも必死だったから。先や未来のことを考えるようになるなんて思わなかったわ」
「変わったって事?」
「そうかも……」
その表現が『変わった』のか『成長』と呼ぶべきなのかは分からないけれど。
それでも、冒険者になった時の自分とは明らかに違うと思う。あの頃はもっと自信が無かったと思うし、何かをするだけでも精一杯だった。
「周りの皆の影響かしら……勿論、トレイシーからもね」
「もしかして、口説いてるの?」
「バカ言わないで。影響の話よ」
茶化したトレイシーの台詞にルベアは呆れた様相で返す。
こんなやり取りができる相手が居るという事も、大切な事なのかもしれない。
「人同士の影響って、農作物同士の影響と似ているかもね」
「流石、植物の研究者だわ。何かあるの?」
興味が乗ったのか、前屈みになるルベア。
得意そうにトレイシーが答えた。
「ずっと農家をやっている人から聞いた話なんだけどね。作物を育てる時に、一緒に育てた方が良い作物と、一緒に育てない方が良い作物があるの。確かに、研究していてもある程度の組み合わせがあるのは分かっていて」
「興味深い話だけど、それって相性みたいなもの?」
「総じて言えば確かに『相性』かな。例えば、茄子と瓜を一緒に植えると育ちが悪いけど、瓜じゃなくて韮菜だと良いとか」
「解き明かせれば、オルセンでの農業に役立てそうね」
経験則を明らかにする事も研究の一つと言えよう。
やる気に満ち溢れたルベアにトレイシーは嬉しそうな眼差しを向けるのであった。
●
長城建設予定地を確認しつつ、アルマ・ヴァレンタインは試作耕作地付近の山々に踏み入っていた。
「うーん……ファンゾムさん、他に知っている鉱山はあるのかな?」
「知らないわぁ~。でもぉ、こんな洞窟は~幾つかぁあった気がするぅ」
案内された廃鉱の地質をアルマは調べていたのだ。
ファンゾムが首を傾げながら転がっている石を手に取ってしげしげと眺める。
「廃鉱が長城の建設と関係するのぉ?」
その疑問はもっともな事だ。アルマは長城建設の意見聴取の為にオルセンにやって来た。そして、コンラートからの許可を受け、今、この場所に居る。
「長期にわたる大事業になりそうだし、資材もなるだけ現地で賄えるほうがお財布にも優しいだろうからね」
「なるほどねぇ~」
感心するファンゾム。資材を運ぶだけでも大変なのだから、建材はなるべく現地調達が好ましい。都合が良い事に長城は北壁山脈の間に建てる事になるので、山だけは近い。
「堆積岩が多そうだから、レンガ積みがいいかな」
『地質学』で調べ回っている最中だから、結論は先だが、アルマはそんな事を考えていた。
「全部ぅレンガなのぉ?」
「土台を土や砂利で固めて、レンガで覆うように積むんだよ。ある程度の補修も現地で出来るようにね」
クリーパーや魔獣の攻撃を受けて壊れる可能性は高い。当然の事ながら、補修は速やかに行わなければ長城の意味がないので、現地でレンガを焼く必要があるのだ。
「色々とぉ考えているのねぇ」
「一つ残念なのは、ボクが生きているうちには完成しそうにない事だけど」
微笑んだアルマにファンゾムが抱え込むように持ち上げる。
「それならぁ~わたしが、見届けるわよぉ」
この名も無き神がどの程度の寿命を持っているのか、そもそも、寿命という概念があるのか分からないが、少なくとも、ハーフリングであるアルマよりかは長生きするだろう。
「温泉の神様にお願いしていいの?」
茶化すようなアルマの言葉にファンゾムは得意気な表情を浮かべる。
「知らないの~? 温泉の神は寛大なのよぉ」
「初耳だよ。というか、そろそろ降ろし――」
「折角だから~、このままぁ温泉までぇ行こうかしらぁ」
担がれたままのアルマは首を傾げる。拠点までは近いが距離があるからだ。
けれど、その謎はすぐに解決した。
ファンゾムがズンズン進む方角を塞ぐように立つ山に人が通れる位のトンネルが出来ていたからだ。
「曲がると迷子になるからぁ、一本道を作ったのよぉ」
力技だが確かに近道ではある。崩落の危険はあるが……。
次の瞬間、アルマの頭に閃きが迸った。
「長城まで温泉引いてもいいかも!」
兵士の保養にもなるし、いざという時の退路としても活用が見込めるからだ。
計画する為には色々と考える事があるが、温泉の神と湯に浸かりながら、ゆっくり考えようと思うアルマだった。
●
太守コンラートの前でトーラが長城建設の件で持論を展開していた。
今回は、オルセンの有力者が集まっての会議ではないので、個別で意見を聴く――という方式らしい。
「征竜が居なくなった今、極北から大型以上のクリーパーが現れる可能性があります」
極北の全容は解明されていない。征竜のテリトリーだったし、かつ厳し過ぎる自然環境が人類の行く手を阻んでいるからだ。
その征竜が討伐されたので、クリーパーが跋扈するかもしれないのは至極、当たり前でコンラートもよく分かっている。
「知っての通り、大型以上のクリーパーと対峙するにはかなりの準備を要します。長城では時間稼ぎにもならないです」
オルセンを襲った巨大なクリーパーを倒すのにどれだけ大変だったか。
トーラ自身、その戦いの最前線に居たのでよく分かる。軍隊を動かすには多大な労力が必要だし、移動するだけでも苦労する。それこそ、征竜のように飛べれば別だろうが……。
「長城だけでなく、その先に監視塔のようなものも作っていち早く状況の確認が出来ないでしょうか?」
「確かに、前例が無い訳ではないですね……」
「新たな脅威が出現する可能性もあります。その時は王国を含め他の国へも応援を頼む必要もあるでしょう。なので、いち早く出現に気付ける体制を敷くのはどうでしょうか」
幸いな事に、トーラは縁あって極北の途中まで征竜信者のナツフクに案内された。
全てとは言わないが、ある程度の地形やルートは確認済みだ。
「支城はあって良いとは思います。ただし、長城より北は通年での常駐が難しいでしょう」
「それなら、偵察隊の避難所を兼ねた狼煙台はいかがでしょうか?」
要は出来るだけ早く発見の知らせが伝わればいいのだ。
極北の地は厳しい大地だからこそ、踏み入る人が限られる。無人の狼煙台があっても無断で住み着くような輩はいない……はずだ。
「避難所を兼ねるのは良いですね。長城からの偵察隊も貴重な戦力ですから」
トーラのアイデアにコンラートは大いに頷いた。
脅威はクリーパーだけではない。魔獣との遭遇もあり得るし、突然の猛吹雪に襲われる場合もあるだろう。もし、その時、堅牢な避難所があれば、しかも、狼煙で合図を送れるように準備してあれば、万全だ。
ただ一つ、気になる点がコンラートにあった。
「人の気配がなければ魔獣も襲って来ないでしょうが……征竜信者には壊される可能性は捨てきれないですね」
事情を知らなければ彼らには前哨基地を造られたと思われるかもしれない。
「その課題は、わたしが承ります。軍事的な目的ではなく、あくまでも万人向けの避難所だと伝えればいいのですよね」
トーラは胸を張って宣言でした。
きっと、彼らなら理解を示してくれると、そう信じているから。
●
凛とした佇まいでレティシア・レインフィールが長城建設について太守コンラートに力説していた。
「この大事業はドワーフ王国や学術都市に協力を呼び掛ける事を提案致します」
資料を捲ると堅牢な城壁と邪竜対策用の兵器が描かれていた。
見事な一画。空想の産物では無い事を、コンラートはよく知っていた。邪竜対策用の投石器を実際に目にしているからだ。
補足するようにレティシアの話が続く。
「ドワーフ王国は対クリーパーの防壁を建造しております。邪竜対策の兵器のような物も併設すれば、クリーパーや魔獣対策にも繋がり、効果的と考えます」
流石に中型以上のクリーパーを相手する事は難しいだろうが、城壁を超えられない小型クリーパーや魔獣には有効な防御機能だろう。
「課題も多そうに感じますか?」
コンラートが不安を口にした。
長城全体に防御兵器を設置するとしても、その維持管理が膨大になってしまうからだ。いざという時に使えなければ意味が無い。
「そこに関しては、学術都市の技術と知識も合わせる事で対応可能でございましょう。例えば、長城の通路に移動用のレールを敷く等、工夫できる余地は十分にございます。また、人夫確保については、希望者にオルセンの市民権を報酬の一つとすれば、将来的に税収も増えるかと考えます」
様々な知恵と最新技術を用いれば、検討の余地はあるとレティシアは考え、締めの言葉を述べる。
「百年以上、人々を守り続ける長城建設を目指せるのではないかと」
「レインフィール卿の提案は理に適っていると私も思う。しかし、一つ、重大な問題が残っています」
「存じております。協力を頂けるかどうかでございますね」
その台詞に太守は大きく頷いた。
おいそれと軍事技術を提供してくれるとは限らないし、オルセン太守としての権限を越えてしまう調整となる。それを果たして、皇帝が認めるものか……いや、皇帝が認めても、ドワーフ王国と学術都市が首を縦に振るとは限らない。
「例えば、卿なら協力を取り付けられますか?」
「各国に縁のある冒険者であればと考えます。長城建設は帝国だけに利するものではありません。征竜を討伐した事によって発生した次の脅威は、帝都での決戦に関わった全ての者達にとって向き合うべき事であると感じます」
レティシアの想いをコンラートはメモに走り書きした。
「計画に入れてみようと思う。『人類の盾』……それがオルセンの役目なのですから。レインフィール卿、ありがとうございます」
太守の言葉にレティシアは礼儀作法に則って深々と頭を下げた。
「お役に立てたようであれば光栄でございます。必要があれば、いつでもお声掛け下さい」
依頼は無事に果たせたようだが、用事はこれで終わりではない。
この後、ファンゾムやたまたまオルセンに訪れている縁のある王国騎士二人に会う約束をしているからだ。
レティシアの多忙な一日は長くなりそうだった。
●
アルベルト・V・シュタールシュヴェーアトの力強い言葉が執務室に響いた。
「長城は魔獣やクリーパーの侵攻を防ぐだけで無く、征竜教徒というテロリストが、我が国に侵入する事を防ぐため、更に強化すべきです!」
その勢いは征竜と戦った猛き騎士だからこそのものがあった。記録係がビクっと体を震わせながら筆を走らせる。
「それは勇壮な事ですね」
一方のオルセン太守コンラートはいつもと変わらずの態度だ。もっとも、意見に対して否定的では無い事をアルベルトは知っている。
帝国の事を想い、かつ、『人類の盾』という国是にもっとも忠実な太守なのだから。
アルベルトは前のめりになって、尚も言葉を続けた。
「人類の間引きやレイウェスト様の排除を主張した征竜に対して、今だに信仰を捨てない連中は危険な存在だ。無差別な凶悪事件を実行しかねないテロリスト集団とも言える」
平たく言えってしまえば、『皇帝レイウェストの敵』という事だろう。
「報復の可能性は確かに捨てきれませんね」
「俺は奴等が帝国復興の最大の障壁だと考えている。だからこそ、征竜教徒が帝国に入り込まないように長城の建設を希望する」
どの道、対クリーパー用の長城なので人程度であれば計画的には問題は無いはずだ。
「シュタールシュヴェーアト卿は機会があれば彼らを討伐すべきと思いますか?」
「危険な計画を企てているのなら、先手は打つべきだ」
「……となると、出撃用の門戸を構えた拠点を長城に造るべきですが、賛成は得られるでしょうか?」
太守の言葉にアルベルトは頷いた。
実際に先制攻撃するかどうかは兎も角、いつでも武力を行使できるよう事自体が、奴等への抑止力になるからだ。そもそも、極北への行軍自体が難しい事もあるけれど。
「根回しが必要なら協力する事もできる」
「それは助かります。閣下の右腕である卿の発言ともあれば、影響力は大きいでしょうから」
長城建設自体の認可は勿論、莫大な費用が発生する。
協力者は幾らいても良い――というのがコンラートの考えの内だった。征竜を失った信者の中から、敵対的な存在が生まれるかどうか分からないが、ドワーフ王国における邪竜の出現というケースもあるので、警戒しておいて損はない。
ついでに言うと、脅威を主張し、予算を獲得するのは古くから用いられる手段だ。ある意味、コンラートの目的の一部は達成したと言っても過言ではないだろう。
「素晴らしい意見を頂きましてありがとうございます、シュタールシュヴェーアト卿」
差し出された太守の手をアルベルトは握る。
「長城建設で征竜教徒がよからぬ事を企んでいたら呼んでくれ」
オルセン太守の真意がどこにあるかは分からないが、皇帝の為になるのであれば粉骨砕身で挑むのが忠臣のあるべき姿なのだから。
●
集めて来た資料や文献をクレア・エクレールがイグシィ=スタスの事務所へと運び込む。
長城建設……の前段階、要はお偉いさん達に対するプレゼンテーションを作成する為に必要な情報は多岐に渡る。
現地の情報は当然の事、意見の取り纏め、関係各所との調整。そして、期日までのスケジュール管理……それらをクレアが引き受けていた。
イグシィからの視線を感じて、手を動かしながらクレアが訊ねる。
「どうしたのかな?」
「いや……クレアの新しい一面を見たなって」
新調した黒紫の執事衣装姿――の事ではなく、秘書的な動きをそつなくこなせている事のようだ。
袖の無いワンピースタイプの執事服と上品なフリルで装飾されたシャツの組み合わせが可愛いのは間違いないが……。
「ボクはこれだけの作業量を、一人でやろうとしているキミに驚きだよ」
呆れた様子で返すクレア。
組織の事務方を一手に引き受けていただけあって、イグシィの実力を改めて感じた。恐らく、今回も一人で出来るだろう。けれど、どんなに優秀な人物でも限界はあるし、ミスもするものだ。
「正直、とても助かってる。ありがとう、クレア」
「お礼はまだ早いよ。それと、ボク自身の意見も書類には入れておいたから」
分厚くなった書類の束を手渡すクレア。
「要点は?」
「長城は建設自体もお金や資材、労働力が必要だけど、ちゃんと機能させる為にもランニングコストがかかるじゃない? 大きい分だけ相応に」
厳しい自然環境に建てるのだから、修繕も必要になってくる。常設する警備隊の維持管理も膨大になるだろう。
イグシィが既に把握している事を前提にクレアは話を続ける。
「資材運搬とか、あまり脅威じゃないクリーパー狩りとかは、駆け出しの冒険者や帝国軍人の育成や研修場所の提供って名目で費用を抑えられないかなぁって」
「……なるほど。それは有効に使えるかもしれない」
少し考えてからイグシィは答えた。
諸外国がどこまで認めるかは分からないが、多少なりとも軍備の再建は、帝国にとって課題だ。その点、オルセン軍は健在なので伝統や技術の継承は問題ない。
「後は、身内を頼るのも手かなって。父さん、一応ベテラン冒険者だし、元王国騎士だし……意見だけでも貰えないか手紙を送りつけてみたの」
「『紅雷』と呼ばれる凄腕の冒険者を……いいの?」
「……来てくれるか解らないけど」
視線を外して応えるクレアだったが、イグシィはいずれ義父となる人物が必ず来ると考えていた。
「きっと来てくれるよ。それにしても、今回もクレアに助けられてばかりで……これは、特別報酬がいるかな」
何が良いかなと思案する彼にクレアがスッと寄り添うと甘えるように腕を回した。
「それじゃ、二人でゆっくりした時間を過ごしたいかな」
「それは善処するよ」
山のように積み上がった書類に二人は視線を向けると、揃って苦笑を浮かべる。
暫くは、多忙な日々が続く事だろうから――。
●
耕作地に植えてある農作物の状況を、授恵者の能力で確かめて、ルイドはファンゾムに声を掛けた。
「こいつはちょい水が足りてねぇか……」
手持ちのバケツは既に空だから、後で汲んで来ないといけないかと思う。
「水ねぇ~。ちょっとぉ待って~」
数人は入れる巨大な樽の脇に座り込んだファンゾムが応える。どうやら、樽いっぱいに水を入れてここまで持って来たようだ。
「――しっかし、温泉の神とは予想外だったが……まぁ、信仰ってのはある種、信じる側が主体なところもあるか」
「本物のぉ温泉の神ならぁ~、こんな樽ぅ、すぐに一杯にきできそうよねぇ」
「だろうな。それに、信者が多くなっても悪くはねぇよな」
ルイドがファンゾムの隣にトンと座り、ファンゾムが首を傾げる。
「どうしてぇ?」
「そりゃ、人が多けりゃ、賑やかになるってもんだろ」
そしたら、誰かさんも寂しくなくて済むしな……と内心、ルイドは言葉を続けた。
一方のファンゾムは彼の台詞をそのまま受け取ったようだ。
「それもそうねぇ~。ここはぁ、静かすぎるものねぇ」
「さてと、俺も少し休むか。持って来た饅頭まだあるか? 身体的にゃともかく、頭の方が疲れちまったわ」
「ちょっとだけぇ残ってるわよぉ」
可笑しいな。結構な量を持ち込んだはずなのに……。
「今は、甘さがほしいぜ、甘さが」
「それならぁ~もっとぉ、甘くしてあげようかぁ~」
饅頭を唇で挟んで顔を近づけて来るファンゾム。
「素直に渡せよ。喰いにくいだろうが」
「フフ~」
口移しした後、照れを隠すようにファンゾムは立ち上がった。
パンパンと手で短いスカートを叩く。相変わらずの無防備な仕草。
そこに撫でるような風が彼女の髪を僅かに流し、差し込んだ陽が後光のように輝いて眩しく見えた。
(戦いの中で守る――それも望むところではあるが……こういう穏やかな日々を守る為に働くのも悪くないな)
穏やかな日々を守り続ける事。それはただ戦い続ける事よりも、ある意味、難しいのかもしれない。
ルイドはこれからの生き方が、より定まったような気がした。
簡単なストレッチで身体を解したファンゾムが気合と共に巨大樽を持ち上げる。
「ルイド君~。水が必要ってぇ~言っていたわよねぇ~」
「まっ――!」
制止の言葉よりも早く、ファンゾムが巨大樽を思いっきりぶちまけた。
加減という事を知らないのも、出会った時から何も変わっていない。細かく四散した水が雨の如く降り注いだ。
とりあえず、水を撒く必要はなさそうだ。全身びしょ濡れになったが。
「またぁ汲んで来ないとねぇ~」
キラキラとした水滴を零しながら笑顔を向けて来るファンゾム。その背を彩るように虹が掛かる。
「そうだな」
短く応えたルイドの瞳にも、鮮やかな七色の虹が映っていた。
組織絡みの事件やその後の経過に至る中で、植物の研究者であるトレイシーとは、互いに知らない相手ではなかったが、それでも、シルヴィア・A・カペルはオルセン太守コンラート・マフダルの同席をお願いしていた。
ただ心配していた事は杞憂だったようだ。
「確かに王国は嫌いですが、それはそれ、シルヴィアさんはシルヴィアさんです」
トレイシーはあっさり言った。
彼女は基本的に人を信用しないという。それでも、積み重ねてきた冒険者としての実績や何より共通の友の存在が大きいようだ。
「太守である私の同席は必要なかった……となってしまうと、カペル卿の立場もあると思いますので」
コンラートの台詞にシルヴィアは感謝を示すように頭を下げた。
「ご配慮、ありがとうございます」
丁寧な仕草と共に感謝の言葉を告げる。
つまり、シルヴィアの提案――遺跡から出土した種の共同研究――について、太守自らが認めたという事だ。
トレイシーの研究所は太守直属の組織なので、万が一、トレイシーが提案を拒否しても彼女は受けなければならない。トレイシー自身が乗り気だった事に、コンラートの台詞があった訳だ。
姿勢を正して、シルヴィアは数枚の書類を纏めたものを太守に渡す。
「こちらは合作ワインについての経過報告になります」
「カペル卿のフットワークの軽さには感心するばかりです」
書類を受け取ったコンラートは楽しむように読み込む。
この案件については先日、話し合ったばかりだ。それでいて、進捗は悪くない。極めて多忙な日々を過ごしていたのだろうと太守は思った所で、シルヴィアから説明の補足が入る。
「利益追求でなく大森林と王国の文化交流・商業発展が目的です。王家に製造販売許可を得た上で大森林の複数の氏族に葡萄畑の協力を得、カペルの醸造所と契約済。協力者も得ています」
「完成の時期はいつぐらいになりますか?」
コンラートは読み終えた書類を返しながら訊ねる。
オルセンは長い冬が明けていよいよ春を迎える。大事なのはタイミングだと考えているのかもしれない。
「カペルなら5月か6月には、国内外に販売出来るワインが生産可能です」
答えたシルヴィアは持ち込んだ試作品をラベルと共に並べる。
試飲にと、見事な所作でグラスに注いだ。やり取りを大人しく聞いていたトレイシーが手に取る。
「良い香り」
「良かったです。太守様、いかがでしょうか?」
「異論は無いです。正式な手続きは追って連絡で構わないでしょうか?」
太守の返答にシルヴィアは頷いてから頭を下げた。
「何時かオルセンと合作ワインも作りたいです。温泉の影響で葡萄を育てられるのではと思いますので」
「なるほど、その発想は無かったです。トレイシー所長の意見を聴きたい」
「寒さや病気に強い品種なら、試してみる価値はあるかもしれない」
その言葉を受けて、太守がシルヴィアに手を差し出した。
「やってみますか、カペル卿」
「早速、許可を取りにいってきます」
シルヴィアは微笑を浮かべて、その手を取る。
いつかきっと、オルセン産のワインを口にする事が出来ると信じて。
●
「改まると、少し……恥ずかしいですね」
微笑みながらミア=リゼルはそんな心情を言葉にして、エナハルト・ティルムの腕をギュッと引き寄せた。
「良かったのですか?」
「大丈夫です。学園に帰れば一緒の部屋ですから」
チラリと振り返ると、ミアとエナハルトを親友が見送り続けていた。
親友はこれから別の所へと行く予定だから、一言二言、言葉を交わしただけだった。
「エナはどんなお話を?」
「君を泣かせないでね、と」
爽やかな笑みで答えるエナハルト。
勿論、ミアの親友の願いでなくとも、そのつもりだ。
「ミアの方は、イェルド先輩から何を言われたんだ?」
「その……りょ、旅行の件を……」
結婚は学園を卒業した後なので、だいぶ先の話のはずだが、早期の修了を期待されているのか、あるいはある程度自由が利く学生のうちにという話なのか、ミアの頭の中でぐるぐるとシンコンリョコウの文字が巡っていた。
キャッキャウフフするようなイメージが先行した所で、エナハルトの整い過ぎている端正な顔が視界に入って、ミアはカッと耳元が熱くなった。
きっと、耳の先端まで真っ赤になっているに違いない。
「エ、エナが望むなら……が、頑張ります!」
色々と巡った想いを端折って発した言葉に、彼はゆっくりと頷いた。
「そうだね。ミアはちゃんと学園生活を送らないと。僕も引退する父からしっかりと引継ぎを受けないといけない」
エナハルトは王国騎士を辞し、領主となる。治政は安定しているが、それを続ける事は難しいものだ。シンコンリョコウは滞りなく、それらを乗り越えた先にあるものだと改めてミアは認識した。
オルセンを囲う城壁の上、展望デッキに上がる頃には、真っ赤な夕陽が沈もうとしていた。
吹き抜けてくる冷たい風が髪を揺らすが、ミアの手は彼の手をずっと握っている。
「……こうして、あなたの旅の終わりを見届けることができて、嬉しいです」
振り返れば色々な出来事でいっぱいだったと思う。
二人がこうして並んでいる事自体が、奇跡を積み重ねた結果と言っても過言ではないだろう。
「私は多くの人と出会って……大切な人たちがいつも支えてくれて、愛情をかけてもらえて。だから……私も、それに応えられる人でありたいです。あなたのそばで、人として共に生きたい。それが私の、新しい旅への願いです」
ミアは率直な想いをそう告げるとエナハルトがグッとミアの身体を引き寄せた。
「ありがとう、ミア。傍に君がずっと居て欲しい」
夕陽に照らされて抱き締め合った二人の影が一つになった。
「ウシタのロイヤルビーチもシャルガネの温泉も楽しみですけど、あなたと一緒に行くところなら、どこもきっと素敵な思い出になりそう」
「そうだね。思い出を沢山、作りたい」
今にも唇が触れ合いそうな距離で囁く二人。
互いの瞳の中に相手の瞳が映る。
「愛しています、エナ!」
「ミア、愛しているよ」
今日から、二人の新しい旅が始まる。
想像もできない旅路だけど、それは希望に満ち溢れている事だけは疑いようが無かった。
●
二人の姿はただただ眩しかった。
人はあんなにも輝けるのだ。それはきっと、二人だけじゃない。沢山の人々が出来る事なのだろう。
それを守りたい――なんて仰々しい事は口にできないけれど、それでも、いつか見た父の背中に恥じない生き方を望みたいものだと、ルベア・ベルニは感じていた。
親友とその婚約者を見送った後、ルベアは所用が済んだトレイシーと共に試作耕作地へ向かっていた。
耕作地は人里から離れているので、護衛のつもりではあるが、それ以上に考えている事がルベアにはあるからだ。
「卒業した後のことを考えると、私も現状のオルセンの農業を把握しておきたいのよね」
揺れる馬車の中で発したルベアの言葉に、トレイシーは眼鏡の位置を直しながら応える。
「卒業論文にもいいかもね。戦火でだいぶとその手の資料も消失したし」
オルセンは無事だったものの、崩壊した帝都を始め、主だった都市が壊滅した影響は学術面でも計り知れないダメージとなった。
「そっか。やらなきゃいけない事って沢山、あるんだ……」
「実地は当然ながら、仮説を組めるだけの事象も整理しなきゃいけないし、寝ている暇も無いのが実際の所だよ。まぁ……でも、ちょっと意外かな。ルベアからそんな台詞が出るなんて」
感心した様子のトレイシーにルベアは恥ずかしそうに少し俯いた。
「……冒険者になったばかりの頃は、ちっぽけな自分に出来ることを考えるだけでも必死だったから。先や未来のことを考えるようになるなんて思わなかったわ」
「変わったって事?」
「そうかも……」
その表現が『変わった』のか『成長』と呼ぶべきなのかは分からないけれど。
それでも、冒険者になった時の自分とは明らかに違うと思う。あの頃はもっと自信が無かったと思うし、何かをするだけでも精一杯だった。
「周りの皆の影響かしら……勿論、トレイシーからもね」
「もしかして、口説いてるの?」
「バカ言わないで。影響の話よ」
茶化したトレイシーの台詞にルベアは呆れた様相で返す。
こんなやり取りができる相手が居るという事も、大切な事なのかもしれない。
「人同士の影響って、農作物同士の影響と似ているかもね」
「流石、植物の研究者だわ。何かあるの?」
興味が乗ったのか、前屈みになるルベア。
得意そうにトレイシーが答えた。
「ずっと農家をやっている人から聞いた話なんだけどね。作物を育てる時に、一緒に育てた方が良い作物と、一緒に育てない方が良い作物があるの。確かに、研究していてもある程度の組み合わせがあるのは分かっていて」
「興味深い話だけど、それって相性みたいなもの?」
「総じて言えば確かに『相性』かな。例えば、茄子と瓜を一緒に植えると育ちが悪いけど、瓜じゃなくて韮菜だと良いとか」
「解き明かせれば、オルセンでの農業に役立てそうね」
経験則を明らかにする事も研究の一つと言えよう。
やる気に満ち溢れたルベアにトレイシーは嬉しそうな眼差しを向けるのであった。
●
長城建設予定地を確認しつつ、アルマ・ヴァレンタインは試作耕作地付近の山々に踏み入っていた。
「うーん……ファンゾムさん、他に知っている鉱山はあるのかな?」
「知らないわぁ~。でもぉ、こんな洞窟は~幾つかぁあった気がするぅ」
案内された廃鉱の地質をアルマは調べていたのだ。
ファンゾムが首を傾げながら転がっている石を手に取ってしげしげと眺める。
「廃鉱が長城の建設と関係するのぉ?」
その疑問はもっともな事だ。アルマは長城建設の意見聴取の為にオルセンにやって来た。そして、コンラートからの許可を受け、今、この場所に居る。
「長期にわたる大事業になりそうだし、資材もなるだけ現地で賄えるほうがお財布にも優しいだろうからね」
「なるほどねぇ~」
感心するファンゾム。資材を運ぶだけでも大変なのだから、建材はなるべく現地調達が好ましい。都合が良い事に長城は北壁山脈の間に建てる事になるので、山だけは近い。
「堆積岩が多そうだから、レンガ積みがいいかな」
『地質学』で調べ回っている最中だから、結論は先だが、アルマはそんな事を考えていた。
「全部ぅレンガなのぉ?」
「土台を土や砂利で固めて、レンガで覆うように積むんだよ。ある程度の補修も現地で出来るようにね」
クリーパーや魔獣の攻撃を受けて壊れる可能性は高い。当然の事ながら、補修は速やかに行わなければ長城の意味がないので、現地でレンガを焼く必要があるのだ。
「色々とぉ考えているのねぇ」
「一つ残念なのは、ボクが生きているうちには完成しそうにない事だけど」
微笑んだアルマにファンゾムが抱え込むように持ち上げる。
「それならぁ~わたしが、見届けるわよぉ」
この名も無き神がどの程度の寿命を持っているのか、そもそも、寿命という概念があるのか分からないが、少なくとも、ハーフリングであるアルマよりかは長生きするだろう。
「温泉の神様にお願いしていいの?」
茶化すようなアルマの言葉にファンゾムは得意気な表情を浮かべる。
「知らないの~? 温泉の神は寛大なのよぉ」
「初耳だよ。というか、そろそろ降ろし――」
「折角だから~、このままぁ温泉までぇ行こうかしらぁ」
担がれたままのアルマは首を傾げる。拠点までは近いが距離があるからだ。
けれど、その謎はすぐに解決した。
ファンゾムがズンズン進む方角を塞ぐように立つ山に人が通れる位のトンネルが出来ていたからだ。
「曲がると迷子になるからぁ、一本道を作ったのよぉ」
力技だが確かに近道ではある。崩落の危険はあるが……。
次の瞬間、アルマの頭に閃きが迸った。
「長城まで温泉引いてもいいかも!」
兵士の保養にもなるし、いざという時の退路としても活用が見込めるからだ。
計画する為には色々と考える事があるが、温泉の神と湯に浸かりながら、ゆっくり考えようと思うアルマだった。
●
太守コンラートの前でトーラが長城建設の件で持論を展開していた。
今回は、オルセンの有力者が集まっての会議ではないので、個別で意見を聴く――という方式らしい。
「征竜が居なくなった今、極北から大型以上のクリーパーが現れる可能性があります」
極北の全容は解明されていない。征竜のテリトリーだったし、かつ厳し過ぎる自然環境が人類の行く手を阻んでいるからだ。
その征竜が討伐されたので、クリーパーが跋扈するかもしれないのは至極、当たり前でコンラートもよく分かっている。
「知っての通り、大型以上のクリーパーと対峙するにはかなりの準備を要します。長城では時間稼ぎにもならないです」
オルセンを襲った巨大なクリーパーを倒すのにどれだけ大変だったか。
トーラ自身、その戦いの最前線に居たのでよく分かる。軍隊を動かすには多大な労力が必要だし、移動するだけでも苦労する。それこそ、征竜のように飛べれば別だろうが……。
「長城だけでなく、その先に監視塔のようなものも作っていち早く状況の確認が出来ないでしょうか?」
「確かに、前例が無い訳ではないですね……」
「新たな脅威が出現する可能性もあります。その時は王国を含め他の国へも応援を頼む必要もあるでしょう。なので、いち早く出現に気付ける体制を敷くのはどうでしょうか」
幸いな事に、トーラは縁あって極北の途中まで征竜信者のナツフクに案内された。
全てとは言わないが、ある程度の地形やルートは確認済みだ。
「支城はあって良いとは思います。ただし、長城より北は通年での常駐が難しいでしょう」
「それなら、偵察隊の避難所を兼ねた狼煙台はいかがでしょうか?」
要は出来るだけ早く発見の知らせが伝わればいいのだ。
極北の地は厳しい大地だからこそ、踏み入る人が限られる。無人の狼煙台があっても無断で住み着くような輩はいない……はずだ。
「避難所を兼ねるのは良いですね。長城からの偵察隊も貴重な戦力ですから」
トーラのアイデアにコンラートは大いに頷いた。
脅威はクリーパーだけではない。魔獣との遭遇もあり得るし、突然の猛吹雪に襲われる場合もあるだろう。もし、その時、堅牢な避難所があれば、しかも、狼煙で合図を送れるように準備してあれば、万全だ。
ただ一つ、気になる点がコンラートにあった。
「人の気配がなければ魔獣も襲って来ないでしょうが……征竜信者には壊される可能性は捨てきれないですね」
事情を知らなければ彼らには前哨基地を造られたと思われるかもしれない。
「その課題は、わたしが承ります。軍事的な目的ではなく、あくまでも万人向けの避難所だと伝えればいいのですよね」
トーラは胸を張って宣言でした。
きっと、彼らなら理解を示してくれると、そう信じているから。
●
凛とした佇まいでレティシア・レインフィールが長城建設について太守コンラートに力説していた。
「この大事業はドワーフ王国や学術都市に協力を呼び掛ける事を提案致します」
資料を捲ると堅牢な城壁と邪竜対策用の兵器が描かれていた。
見事な一画。空想の産物では無い事を、コンラートはよく知っていた。邪竜対策用の投石器を実際に目にしているからだ。
補足するようにレティシアの話が続く。
「ドワーフ王国は対クリーパーの防壁を建造しております。邪竜対策の兵器のような物も併設すれば、クリーパーや魔獣対策にも繋がり、効果的と考えます」
流石に中型以上のクリーパーを相手する事は難しいだろうが、城壁を超えられない小型クリーパーや魔獣には有効な防御機能だろう。
「課題も多そうに感じますか?」
コンラートが不安を口にした。
長城全体に防御兵器を設置するとしても、その維持管理が膨大になってしまうからだ。いざという時に使えなければ意味が無い。
「そこに関しては、学術都市の技術と知識も合わせる事で対応可能でございましょう。例えば、長城の通路に移動用のレールを敷く等、工夫できる余地は十分にございます。また、人夫確保については、希望者にオルセンの市民権を報酬の一つとすれば、将来的に税収も増えるかと考えます」
様々な知恵と最新技術を用いれば、検討の余地はあるとレティシアは考え、締めの言葉を述べる。
「百年以上、人々を守り続ける長城建設を目指せるのではないかと」
「レインフィール卿の提案は理に適っていると私も思う。しかし、一つ、重大な問題が残っています」
「存じております。協力を頂けるかどうかでございますね」
その台詞に太守は大きく頷いた。
おいそれと軍事技術を提供してくれるとは限らないし、オルセン太守としての権限を越えてしまう調整となる。それを果たして、皇帝が認めるものか……いや、皇帝が認めても、ドワーフ王国と学術都市が首を縦に振るとは限らない。
「例えば、卿なら協力を取り付けられますか?」
「各国に縁のある冒険者であればと考えます。長城建設は帝国だけに利するものではありません。征竜を討伐した事によって発生した次の脅威は、帝都での決戦に関わった全ての者達にとって向き合うべき事であると感じます」
レティシアの想いをコンラートはメモに走り書きした。
「計画に入れてみようと思う。『人類の盾』……それがオルセンの役目なのですから。レインフィール卿、ありがとうございます」
太守の言葉にレティシアは礼儀作法に則って深々と頭を下げた。
「お役に立てたようであれば光栄でございます。必要があれば、いつでもお声掛け下さい」
依頼は無事に果たせたようだが、用事はこれで終わりではない。
この後、ファンゾムやたまたまオルセンに訪れている縁のある王国騎士二人に会う約束をしているからだ。
レティシアの多忙な一日は長くなりそうだった。
●
アルベルト・V・シュタールシュヴェーアトの力強い言葉が執務室に響いた。
「長城は魔獣やクリーパーの侵攻を防ぐだけで無く、征竜教徒というテロリストが、我が国に侵入する事を防ぐため、更に強化すべきです!」
その勢いは征竜と戦った猛き騎士だからこそのものがあった。記録係がビクっと体を震わせながら筆を走らせる。
「それは勇壮な事ですね」
一方のオルセン太守コンラートはいつもと変わらずの態度だ。もっとも、意見に対して否定的では無い事をアルベルトは知っている。
帝国の事を想い、かつ、『人類の盾』という国是にもっとも忠実な太守なのだから。
アルベルトは前のめりになって、尚も言葉を続けた。
「人類の間引きやレイウェスト様の排除を主張した征竜に対して、今だに信仰を捨てない連中は危険な存在だ。無差別な凶悪事件を実行しかねないテロリスト集団とも言える」
平たく言えってしまえば、『皇帝レイウェストの敵』という事だろう。
「報復の可能性は確かに捨てきれませんね」
「俺は奴等が帝国復興の最大の障壁だと考えている。だからこそ、征竜教徒が帝国に入り込まないように長城の建設を希望する」
どの道、対クリーパー用の長城なので人程度であれば計画的には問題は無いはずだ。
「シュタールシュヴェーアト卿は機会があれば彼らを討伐すべきと思いますか?」
「危険な計画を企てているのなら、先手は打つべきだ」
「……となると、出撃用の門戸を構えた拠点を長城に造るべきですが、賛成は得られるでしょうか?」
太守の言葉にアルベルトは頷いた。
実際に先制攻撃するかどうかは兎も角、いつでも武力を行使できるよう事自体が、奴等への抑止力になるからだ。そもそも、極北への行軍自体が難しい事もあるけれど。
「根回しが必要なら協力する事もできる」
「それは助かります。閣下の右腕である卿の発言ともあれば、影響力は大きいでしょうから」
長城建設自体の認可は勿論、莫大な費用が発生する。
協力者は幾らいても良い――というのがコンラートの考えの内だった。征竜を失った信者の中から、敵対的な存在が生まれるかどうか分からないが、ドワーフ王国における邪竜の出現というケースもあるので、警戒しておいて損はない。
ついでに言うと、脅威を主張し、予算を獲得するのは古くから用いられる手段だ。ある意味、コンラートの目的の一部は達成したと言っても過言ではないだろう。
「素晴らしい意見を頂きましてありがとうございます、シュタールシュヴェーアト卿」
差し出された太守の手をアルベルトは握る。
「長城建設で征竜教徒がよからぬ事を企んでいたら呼んでくれ」
オルセン太守の真意がどこにあるかは分からないが、皇帝の為になるのであれば粉骨砕身で挑むのが忠臣のあるべき姿なのだから。
●
集めて来た資料や文献をクレア・エクレールがイグシィ=スタスの事務所へと運び込む。
長城建設……の前段階、要はお偉いさん達に対するプレゼンテーションを作成する為に必要な情報は多岐に渡る。
現地の情報は当然の事、意見の取り纏め、関係各所との調整。そして、期日までのスケジュール管理……それらをクレアが引き受けていた。
イグシィからの視線を感じて、手を動かしながらクレアが訊ねる。
「どうしたのかな?」
「いや……クレアの新しい一面を見たなって」
新調した黒紫の執事衣装姿――の事ではなく、秘書的な動きをそつなくこなせている事のようだ。
袖の無いワンピースタイプの執事服と上品なフリルで装飾されたシャツの組み合わせが可愛いのは間違いないが……。
「ボクはこれだけの作業量を、一人でやろうとしているキミに驚きだよ」
呆れた様子で返すクレア。
組織の事務方を一手に引き受けていただけあって、イグシィの実力を改めて感じた。恐らく、今回も一人で出来るだろう。けれど、どんなに優秀な人物でも限界はあるし、ミスもするものだ。
「正直、とても助かってる。ありがとう、クレア」
「お礼はまだ早いよ。それと、ボク自身の意見も書類には入れておいたから」
分厚くなった書類の束を手渡すクレア。
「要点は?」
「長城は建設自体もお金や資材、労働力が必要だけど、ちゃんと機能させる為にもランニングコストがかかるじゃない? 大きい分だけ相応に」
厳しい自然環境に建てるのだから、修繕も必要になってくる。常設する警備隊の維持管理も膨大になるだろう。
イグシィが既に把握している事を前提にクレアは話を続ける。
「資材運搬とか、あまり脅威じゃないクリーパー狩りとかは、駆け出しの冒険者や帝国軍人の育成や研修場所の提供って名目で費用を抑えられないかなぁって」
「……なるほど。それは有効に使えるかもしれない」
少し考えてからイグシィは答えた。
諸外国がどこまで認めるかは分からないが、多少なりとも軍備の再建は、帝国にとって課題だ。その点、オルセン軍は健在なので伝統や技術の継承は問題ない。
「後は、身内を頼るのも手かなって。父さん、一応ベテラン冒険者だし、元王国騎士だし……意見だけでも貰えないか手紙を送りつけてみたの」
「『紅雷』と呼ばれる凄腕の冒険者を……いいの?」
「……来てくれるか解らないけど」
視線を外して応えるクレアだったが、イグシィはいずれ義父となる人物が必ず来ると考えていた。
「きっと来てくれるよ。それにしても、今回もクレアに助けられてばかりで……これは、特別報酬がいるかな」
何が良いかなと思案する彼にクレアがスッと寄り添うと甘えるように腕を回した。
「それじゃ、二人でゆっくりした時間を過ごしたいかな」
「それは善処するよ」
山のように積み上がった書類に二人は視線を向けると、揃って苦笑を浮かべる。
暫くは、多忙な日々が続く事だろうから――。
●
耕作地に植えてある農作物の状況を、授恵者の能力で確かめて、ルイドはファンゾムに声を掛けた。
「こいつはちょい水が足りてねぇか……」
手持ちのバケツは既に空だから、後で汲んで来ないといけないかと思う。
「水ねぇ~。ちょっとぉ待って~」
数人は入れる巨大な樽の脇に座り込んだファンゾムが応える。どうやら、樽いっぱいに水を入れてここまで持って来たようだ。
「――しっかし、温泉の神とは予想外だったが……まぁ、信仰ってのはある種、信じる側が主体なところもあるか」
「本物のぉ温泉の神ならぁ~、こんな樽ぅ、すぐに一杯にきできそうよねぇ」
「だろうな。それに、信者が多くなっても悪くはねぇよな」
ルイドがファンゾムの隣にトンと座り、ファンゾムが首を傾げる。
「どうしてぇ?」
「そりゃ、人が多けりゃ、賑やかになるってもんだろ」
そしたら、誰かさんも寂しくなくて済むしな……と内心、ルイドは言葉を続けた。
一方のファンゾムは彼の台詞をそのまま受け取ったようだ。
「それもそうねぇ~。ここはぁ、静かすぎるものねぇ」
「さてと、俺も少し休むか。持って来た饅頭まだあるか? 身体的にゃともかく、頭の方が疲れちまったわ」
「ちょっとだけぇ残ってるわよぉ」
可笑しいな。結構な量を持ち込んだはずなのに……。
「今は、甘さがほしいぜ、甘さが」
「それならぁ~もっとぉ、甘くしてあげようかぁ~」
饅頭を唇で挟んで顔を近づけて来るファンゾム。
「素直に渡せよ。喰いにくいだろうが」
「フフ~」
口移しした後、照れを隠すようにファンゾムは立ち上がった。
パンパンと手で短いスカートを叩く。相変わらずの無防備な仕草。
そこに撫でるような風が彼女の髪を僅かに流し、差し込んだ陽が後光のように輝いて眩しく見えた。
(戦いの中で守る――それも望むところではあるが……こういう穏やかな日々を守る為に働くのも悪くないな)
穏やかな日々を守り続ける事。それはただ戦い続ける事よりも、ある意味、難しいのかもしれない。
ルイドはこれからの生き方が、より定まったような気がした。
簡単なストレッチで身体を解したファンゾムが気合と共に巨大樽を持ち上げる。
「ルイド君~。水が必要ってぇ~言っていたわよねぇ~」
「まっ――!」
制止の言葉よりも早く、ファンゾムが巨大樽を思いっきりぶちまけた。
加減という事を知らないのも、出会った時から何も変わっていない。細かく四散した水が雨の如く降り注いだ。
とりあえず、水を撒く必要はなさそうだ。全身びしょ濡れになったが。
「またぁ汲んで来ないとねぇ~」
キラキラとした水滴を零しながら笑顔を向けて来るファンゾム。その背を彩るように虹が掛かる。
「そうだな」
短く応えたルイドの瞳にも、鮮やかな七色の虹が映っていた。
マスターコメント
お疲れ様でした&ご依頼にご参加いただき、ありがとうございました。
最後まで皆様と共に、彼ら彼女らの歩む道を紡げられた事に、感謝するばかりです。それぞれのキャラクターが希望のある未来を迎えてくれると信じていますし、リプレイやNPCとの関りを通じて、少しでもその人生に影響があったのなら、MSとして嬉しいです。
なお、まだまだ紡ぎ足りないよ! という場合は、気軽にコールを鳴らしていただければ、精一杯頑張りたいと思います。
それでは、改めて、これまでお付き合いいただき、ありがとうございました。また、いつか皆様と一緒に、素晴らしい物語を紡いでいけますように!
イベントシナリオ易しい 報酬:標準9 / 4〜25人
2024年04月09日 16時12分06秒 公開
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