政治討論部とある伯爵家の存廃:その3
紀藤トキ
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シナリオID:2725
オープニング
●
年が明けてすぐ、ダンテ家へ過日の嫡男トマスの行為に対する王家からの通達が届いた。使いとなった王国騎士は、自分達が為せなかった出動を果たしてくれたという気持ちもあり複雑な心境ではあったようだが。
「三年間の謹慎か。妥当というよりは少し甘い。学友に感謝するのだな」
トマスの父、ダジルはそう口にする。落としどころとして彼が予想していたのはトマスの廃嫡だった。貴族家にとっては、何かあった時に家を守る為に弟を置いてあるのだ。罰を与える王家の側とて、嫡男以外に跡を継げる子の存在を確認はした筈。それにもかかわらず、トマスの嫡子としての立場を残したのは陳情による効果であろう。
「お前に事件について知らせ、かつ事後の処遇を軽くするよう願ったというのは我が家がどう動く家かをよく理解している友人たちではないか」
「私には過ぎたる学友です」
「誰か、相手の居らぬ令嬢はおらんのか?」
「聞く限りでは皆、良き相手に恵まれているそうです。それより、カナンの容態は?」
変な方向に飛び火しだしたので、慌ててトマスは別の内容を問う。ダジルは渋面を浮かべて首を振った。
「あの娘の件は、お前の落ち度だ。分かっておろう」
「……はい」
「お前は人の心に疎い。生まれ育った孤児院で、相手が死霊術師とあれば予測して然るべき事だ」
トマスはある意味で強い。親兄弟が動く死体となって現れようとも、躊躇なく対処できるだろう。それは中立の正義という物が柱になっている強みでもあり、だがそうでない者への共感性不足となってもいる。今回は、それが悪い方向に出たのだと父は断じた。
「キャサリン殿下もその存在がメドゥの指先に知られてしまった以上、再建される孤児院にはもう戻れまい。もしもあれらが望むならば、次の孤児院の監督に回しても良いと思っている」
「……カナンとシオンがそれを望むなら、異存はありません」
「そう言う所だ。お前は……」
タイコモへも、シオンやカナンへもトマスは引き留める書簡の一つも送ってはいない。送る事すら思いついていない。相手の立場を鑑みて縛るような事はしたくない、という思いはあるのだろう。が、腹心と言える面々に対しても自分から甘えを見せられぬ少年は、貴族子弟として頑な固すぎた。政治討論部の部員達のように、自分から手を貸そうと言ってくれる者達へ頼る事は出来ても、自分から動く事ができない。その性格は誰の所為かと言えば、まあ親のせいではあるのだろうが。
「……三年。社交に出られぬ以上、家督の継承の引き回しもできん。最低でもその間、お前は教師として学園に留まれ」
できるなら、学園にいる間にもう少し人としてこなれて欲しい。あまり知らぬ学友たちが、良き影響を与えてくれることを父は祈る。
「で、そのお前の友人がいる部活では、新たな年の始まりに何を扱うのだ?」
「学生の教材にしては贅沢な話ですが、昨年に続いてリヴァマス家の継承とそこに伴う問題を議題にしようと思っています」
トマスの弟であるベリルが跡継ぎに入るのがもっとも綺麗な解決法であろうが、当人はダンテ家から出る事に拒否感を示している。リヴァマス老自身は、平民や他国民が伯爵の養子となる事も面白がっている様子ではあった。
「継嗣となれば、それが貴族であれ平民であれ、領民に認められる必要があります。それに、領政を行うための人材をどうするのか。ダンテ家でお爺様の下にいる今の面々を引き抜ければ足りるでしょうが、彼らにどうやって認められるか」
夢想を語るだけでは良くない。実際にどうするかの対策を平民出身の養子であれ貴族出身の養子であれ、それぞれのケースで考えねばなるまい。ケースを分けるのならば、貴族の中でもどういった家であるかでも取るべき対策は異なろう。
「具体的な候補は、おるのだったか?」
「意思を示した者はいます。まあ、……貴族からと言っても、例のグエンは候補から外して良いとは思いますが」
希望者がいるのであれば、その人物が継いだ際の問題点と対策。祖父のエリオットやその配下、民と会話する必要もあるだろうからラマスでの開催になる。ラマスに滞在しているシオンやカナン、近隣の自領にいるタイコモと会話する機会も、望んで作ればあるかもしれない。
●
グレゴールの脱走について、ヘルベルト・リヴァマス伯爵への公式な咎めは無かった。脱走という結果についても、王国騎士2名の殉職についてもだ。グレゴールが魔法使いの塔から脱走しうる能力なり伝手なりを持っているとは知らなかっただろう、と言われればそれはそう。リヴァマス老は今になっても、彼がどうやったのかは知らない。
「我輩が彼に話した事が、原因なのは間違いないと思うのじゃがな」
「兄は《そうではない》と判断したのでしょう。それが全てだわ」
メドゥの指先に攫われ、冒険者達の尽力で救出された王妹キャサリンは随分とやつれた。しかし、強い目の輝きだけは相変わらずだ。これまでの人生のすべてを掛けて作り上げた古い王家の耳は跡形も無く崩壊したが、まだ為すべき事はあると彼女は思っている。
「……私はこの後、王宮に籠る事になるわ。まあ、外出はできるだろうからたまには遊びに来ますけれどね」
「殿下は、まだ国の為に働くのかのう?」
「先日の王宮襲撃で、メドゥの右腕はウィリアムには執着したけれど、メアリーには無頓着だったわ。つまり、あの子の異能はまだ知られていない」
元侯爵のニコラ・ゴルティエが諜報畑ではなかった事も幸いしたのだろう。メアリーの下で新生した王家の耳ではなくキャサリンのいる古い王家の耳を潰しに来た辺りからしても、メドゥの右腕の情報は古い。
「ならば、可能な限りあの子に注目が向く時期を遅らせようと思ってね」
「まだ危ない事をなさるか。御身に気を配られよ。もうあなたを守る騎士は一人しか残っておらぬと聞きますぞ」
「ええ、もちろん。私が生きて、王家の耳の中枢にいると彼らが誤解したままでいる時間が長ければ長いほど、良いでしょう?」
それは生き甲斐というには危ういものだとリヴァマス老は考える。しかし、顛末を聞いた時点で彼女の自死すら懸念した事を思えば、良いのかもしれないとも思った。
「我輩も、後継者の話をさっさと決めて隠居したい物じゃよ。ダンテ家のトマス君が、また色々と考えてくれて居るようじゃが任せきりは良くあるまいなあ」
「貴方はだらけたいかもしれませんけれどね。ミハエルの名誉を取り戻した家名を粗略に扱う事は、私が許しませんよ」
「それは恐ろしいのう」
リヴァマス老は冗談めかしてそう言うが、実際の所、彼は自分がリヴァマス伯爵としてラマスに戻る事は考えていない。後継者が出来ればその相手に箔をつけるために一度や二度、ラマスへ足を運ぶことはあるだろうが、自分の終の棲家は魔法使いの塔だと考えているようだった。
「政治によって罪を宣告され、取り消されたが全てを失った我輩が、今もここに居る。その事が王国政治に対する何らかの意味があるのではないか、と思っておるのじゃよ」
伯爵としてラマスに戻れば、王国の過去も許されて無かった事になるかもしれない。それをリヴァマス老は望んでいない。自分が生きてここにいる限り、当時の帝国との政治的な圧力で為された兄ミハエルの冤罪も王妹キャサリンの廃嫡も風化する事は無いのだから。
年が明けてすぐ、ダンテ家へ過日の嫡男トマスの行為に対する王家からの通達が届いた。使いとなった王国騎士は、自分達が為せなかった出動を果たしてくれたという気持ちもあり複雑な心境ではあったようだが。
「三年間の謹慎か。妥当というよりは少し甘い。学友に感謝するのだな」
トマスの父、ダジルはそう口にする。落としどころとして彼が予想していたのはトマスの廃嫡だった。貴族家にとっては、何かあった時に家を守る為に弟を置いてあるのだ。罰を与える王家の側とて、嫡男以外に跡を継げる子の存在を確認はした筈。それにもかかわらず、トマスの嫡子としての立場を残したのは陳情による効果であろう。
「お前に事件について知らせ、かつ事後の処遇を軽くするよう願ったというのは我が家がどう動く家かをよく理解している友人たちではないか」
「私には過ぎたる学友です」
「誰か、相手の居らぬ令嬢はおらんのか?」
「聞く限りでは皆、良き相手に恵まれているそうです。それより、カナンの容態は?」
変な方向に飛び火しだしたので、慌ててトマスは別の内容を問う。ダジルは渋面を浮かべて首を振った。
「あの娘の件は、お前の落ち度だ。分かっておろう」
「……はい」
「お前は人の心に疎い。生まれ育った孤児院で、相手が死霊術師とあれば予測して然るべき事だ」
トマスはある意味で強い。親兄弟が動く死体となって現れようとも、躊躇なく対処できるだろう。それは中立の正義という物が柱になっている強みでもあり、だがそうでない者への共感性不足となってもいる。今回は、それが悪い方向に出たのだと父は断じた。
「キャサリン殿下もその存在がメドゥの指先に知られてしまった以上、再建される孤児院にはもう戻れまい。もしもあれらが望むならば、次の孤児院の監督に回しても良いと思っている」
「……カナンとシオンがそれを望むなら、異存はありません」
「そう言う所だ。お前は……」
タイコモへも、シオンやカナンへもトマスは引き留める書簡の一つも送ってはいない。送る事すら思いついていない。相手の立場を鑑みて縛るような事はしたくない、という思いはあるのだろう。が、腹心と言える面々に対しても自分から甘えを見せられぬ少年は、貴族子弟として頑な固すぎた。政治討論部の部員達のように、自分から手を貸そうと言ってくれる者達へ頼る事は出来ても、自分から動く事ができない。その性格は誰の所為かと言えば、まあ親のせいではあるのだろうが。
「……三年。社交に出られぬ以上、家督の継承の引き回しもできん。最低でもその間、お前は教師として学園に留まれ」
できるなら、学園にいる間にもう少し人としてこなれて欲しい。あまり知らぬ学友たちが、良き影響を与えてくれることを父は祈る。
「で、そのお前の友人がいる部活では、新たな年の始まりに何を扱うのだ?」
「学生の教材にしては贅沢な話ですが、昨年に続いてリヴァマス家の継承とそこに伴う問題を議題にしようと思っています」
トマスの弟であるベリルが跡継ぎに入るのがもっとも綺麗な解決法であろうが、当人はダンテ家から出る事に拒否感を示している。リヴァマス老自身は、平民や他国民が伯爵の養子となる事も面白がっている様子ではあった。
「継嗣となれば、それが貴族であれ平民であれ、領民に認められる必要があります。それに、領政を行うための人材をどうするのか。ダンテ家でお爺様の下にいる今の面々を引き抜ければ足りるでしょうが、彼らにどうやって認められるか」
夢想を語るだけでは良くない。実際にどうするかの対策を平民出身の養子であれ貴族出身の養子であれ、それぞれのケースで考えねばなるまい。ケースを分けるのならば、貴族の中でもどういった家であるかでも取るべき対策は異なろう。
「具体的な候補は、おるのだったか?」
「意思を示した者はいます。まあ、……貴族からと言っても、例のグエンは候補から外して良いとは思いますが」
希望者がいるのであれば、その人物が継いだ際の問題点と対策。祖父のエリオットやその配下、民と会話する必要もあるだろうからラマスでの開催になる。ラマスに滞在しているシオンやカナン、近隣の自領にいるタイコモと会話する機会も、望んで作ればあるかもしれない。
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グレゴールの脱走について、ヘルベルト・リヴァマス伯爵への公式な咎めは無かった。脱走という結果についても、王国騎士2名の殉職についてもだ。グレゴールが魔法使いの塔から脱走しうる能力なり伝手なりを持っているとは知らなかっただろう、と言われればそれはそう。リヴァマス老は今になっても、彼がどうやったのかは知らない。
「我輩が彼に話した事が、原因なのは間違いないと思うのじゃがな」
「兄は《そうではない》と判断したのでしょう。それが全てだわ」
メドゥの指先に攫われ、冒険者達の尽力で救出された王妹キャサリンは随分とやつれた。しかし、強い目の輝きだけは相変わらずだ。これまでの人生のすべてを掛けて作り上げた古い王家の耳は跡形も無く崩壊したが、まだ為すべき事はあると彼女は思っている。
「……私はこの後、王宮に籠る事になるわ。まあ、外出はできるだろうからたまには遊びに来ますけれどね」
「殿下は、まだ国の為に働くのかのう?」
「先日の王宮襲撃で、メドゥの右腕はウィリアムには執着したけれど、メアリーには無頓着だったわ。つまり、あの子の異能はまだ知られていない」
元侯爵のニコラ・ゴルティエが諜報畑ではなかった事も幸いしたのだろう。メアリーの下で新生した王家の耳ではなくキャサリンのいる古い王家の耳を潰しに来た辺りからしても、メドゥの右腕の情報は古い。
「ならば、可能な限りあの子に注目が向く時期を遅らせようと思ってね」
「まだ危ない事をなさるか。御身に気を配られよ。もうあなたを守る騎士は一人しか残っておらぬと聞きますぞ」
「ええ、もちろん。私が生きて、王家の耳の中枢にいると彼らが誤解したままでいる時間が長ければ長いほど、良いでしょう?」
それは生き甲斐というには危ういものだとリヴァマス老は考える。しかし、顛末を聞いた時点で彼女の自死すら懸念した事を思えば、良いのかもしれないとも思った。
「我輩も、後継者の話をさっさと決めて隠居したい物じゃよ。ダンテ家のトマス君が、また色々と考えてくれて居るようじゃが任せきりは良くあるまいなあ」
「貴方はだらけたいかもしれませんけれどね。ミハエルの名誉を取り戻した家名を粗略に扱う事は、私が許しませんよ」
「それは恐ろしいのう」
リヴァマス老は冗談めかしてそう言うが、実際の所、彼は自分がリヴァマス伯爵としてラマスに戻る事は考えていない。後継者が出来ればその相手に箔をつけるために一度や二度、ラマスへ足を運ぶことはあるだろうが、自分の終の棲家は魔法使いの塔だと考えているようだった。
「政治によって罪を宣告され、取り消されたが全てを失った我輩が、今もここに居る。その事が王国政治に対する何らかの意味があるのではないか、と思っておるのじゃよ」
伯爵としてラマスに戻れば、王国の過去も許されて無かった事になるかもしれない。それをリヴァマス老は望んでいない。自分が生きてここにいる限り、当時の帝国との政治的な圧力で為された兄ミハエルの冤罪も王妹キャサリンの廃嫡も風化する事は無いのだから。
解説
政治討論部のイベシナは誰でも歓迎です!
王国とか帝国とか同盟とかややこしい辺りの、今更聞けない疑問を聞く機会にもどうぞ。
MSとしては一見さんが来て貰って一向に構わないのですけれど、分からない事があると動きにくいかもしれません。
という訳で、簡単なここまでの経過を書いてみました。
ご興味を抱かれた方は、ぜひ遊びに来てくださいませ。
●ここまでのあらすじ
リヴァマス伯爵家は50年程前に当時の嫡男ミヒャエルが帝国高官の子を殺した罪で一度廃されています。
ただ、実際はその子が王妹キャサリンを手籠めにしかけたのを近衛騎士として返り討ちにした、という内容だったので冤罪でした。
当時は帝国が隆盛で、外圧に屈した先王が自分の娘も含めた関係者処分で手を打ったという事です。
次男ヘルベルトも連座で処刑される所、嘆願書名のお陰で魔法使いの塔に一生監禁で許されました。
その後、王が変わって帝国が滅び、冤罪も晴れてリヴァマス伯爵家を再興する許しがでました。
ヘルベルトは未婚で子もいないので、ドタバタしています。
今はヘルベルトの学友のエリオット・ダンテ先代伯爵が領都ラマスを治めており、彼はリヴァマス家にそれを返したいと思っています。
ダンテ伯爵家は本来領地を持たず王家に官僚として仕える法衣貴族です。
当主は一人なのに領主と官僚の二足の草鞋をずっと履き続けるのも難しい。
ただ、ラマスの住民も50年前の世代は減り、リヴァマス家を旧主と思う者は少ないです。
ダンテ家次男のベリルが養子に行けば空気的に周囲も受け入れそうですが、兄ラブ10歳の彼は養子に出る事を渋っています。
リヴァマス老自身は、現在の王国の貴族政治に思う所があるのでいっそ平民跡継とかでもいいと思っています。
通常はそういった地位を弁えない縁組は、周囲の貴族からも良い顔されません。
しかし、過去のリヴァマス家が被った被害から、犯罪者でもなければ養子縁組の申請を王国は却下できないでしょう。
ただし、王国政治に挑むことになるので相応の覚悟はいるよ、ともリヴァマス老は言っています。
●領都ラマス
現ダンテ伯爵領、旧リヴァマス伯爵領の都市。特に取り立てて何も特産は無い、王都の周辺都市の一つです。
近隣にはかつて王妹キャサリンの修道院(孤児院併設)があり、旧王家の耳の拠点となっていました。
今回はここの代官屋敷(小さいお城)が拠点になります。関係者と話したり相談したり街に出たりしてください。
マスターより
部長のお話をしてくれてもいいですよ! でも、本筋で無いので決定は次回になると思います。
(部長立候補したいけど後継問題は興味ない、という方は入らなくても大丈夫!)
●関連依頼
トマス君が王家に怒られたのは下記のお話。
【怨都】修道院襲撃事件
跡継ぎ不在のリヴァマス家に誰か後継者になりません? は下記のお話。
政治討論部とある伯爵家の存廃:その2
政治討論部とある伯爵家の存廃:その1
●政治討論部って何するとこ?
名前は政治討論ですが政治に限らず、いろいろ質問したり回答したり意見を募ったりできるような場所です。
関連NPCにトマス(部長)やリヴァマス(顧問)が良くついてきます。
もっと詳しくという方は少し前のシナリオ「政治討論部の新年へ向けて」に質疑がありますので宜しければご確認くださいませ。
※注意書き
政治討論部の入部希望者はプレイングでその旨をお書き下されば、称号を付与いたします。
入部は聴講生でも、初参加の方でも大丈夫です。
●トマス・ダンテ周辺NPC
タイコモ、シオン、カナン
誰かが呼ばないと来ません。
エリオット
トマスのお爺さん。代官。
行間にサラはいますがテオ君はいません。
リプレイ
●
ダンテ伯爵領ラマスは、王都にほど近い普通の衛星都市である。小麦や牧畜と王都への行き来から落ちるお金でそれなりには潤っているが、特筆する程の産物も無い良くある街だ。訪れたヘルベルト・リヴァマス伯爵はその景色に思ったほどの感慨を抱く事は無かった。
「まあ、城は我輩が知っていた頃と同じなのじゃがなあ。街の建物などは面影も無いのう」
「ふん。お前自ら来るとは思わなかったぞ。どういう気の変わりようだ」
出迎えたエリオット・ダンテ先代伯爵が言うように、彼はこれまでラマスを避けていた。今回も来るつもりは無かったようだが、直前で気を変えたらしい。その後ろには、普段よりも少し表情の硬い海神 江流がいた。
『以前の返事を、先生にお伝えしに来ました』
『ふむ』
出立前、リヴァマス老の元を訪れた江流はそう切り出した。歴史と伝統のある伯爵家を継ぐ事で生じる責任と覚悟について。彼はある女性の為、本来なら届かぬ貴族の地位へ手を伸ばしている。その願いは揺るぐ事はない、と考えが定まったようだ。願いの正体が、恋と言う物である事にも、思い至った。
『……自分は国の正しい側面の為に、残る人生を捧げる事をお約束はできません』
その女性を得たいが為に貴族になるのだから、貴族になってもその女性が得られないなら意味がない。――彼が言いたいのは、そんな話ではないらしい。そもそも江流が貴族として国家の為に働くには、その女性が隣にいる必要があるのだ、と彼は考えた。
『伯爵家にふさわしくない、という貴族社会での蔑視を伴侶で補填する、という事かね?』
『そう取って貰って構いません。自分に間違いなく欠けているのはそこで、補うために必要な存在こそが自分の大切な者なのです』
鶏が先であるか卵が先であるか。想う相手を得る為には地位が必要であり、地位を全うするには想い人が必要だ、と彼は言う。それ故に、想い人を得られるまではそれを最優先にする。その過程で、自分が倒れる可能性もあるだろう。死んでしまえば国の為に何かを為す事も出来ない。貴族となる事を約束はできない。
『なるほど、生真面目な事じゃのう』
『自分は恋の為に、残る人生を捧げます。大切な者を失う事を黙って見ている訳にはいかない。必要な犠牲が自分自身であるならば、それを払いましょう』
『なに、その論法で言えばうまく行けば犠牲にもならんじゃろう? ならばそうなる為にふんばるのじゃな』
無論この場で彼がこう語っていても、意に添わず生き延びて少女を得られないことだってあるだろう。あくまで、覚悟の問題である。そしてリヴァマス老が聞きたかったのも、覚悟であった。
「となれば、我輩がお主への面通しに同行せぬわけにはいくまい」
「成程。名は?」
「海神 江流です。……リヴァマス先生の名字を、頂く事になるんですか?」
「跡継ぎの候補と名乗るなら、対外的には早めにそうすべきじゃな」
リヴァマス老は意気は認めたが、領主としてこれからラマスの人々に認められなければ当主とする訳にはいかない。まずはエリオットに認められる必要があるのだろう。
●
政治討論部の面々がラマスに着いた時には、リヴァマス老は帰路についていた。あくまで彼がするのは紹介までという事だろう。到着早々、そんないきさつを聞いたトマスは驚いた顔をしていた。リサ・ベイカーは自分には関わりが遠い話だと、皆が落ち着けるようにお茶やお菓子の準備を始めている。今回、入手の手配をしたのはエルゼリオ・レイノーラだった。
「ベリル様のお気持ちを考えると養子を取る方向で進んだのは良い事、なのでしょうか」
「ボクはベリル君が養子に行くのが統治する上では一番最良だとは思うけど」
リサのお茶出しを仲良く手伝っていたゲルダ・クラインはそう首を傾げ、エルゼリオはそう意を述べる。が、それはあくまでも希望者がいない場合、だとも付け足した。
「平民で外国人が後継者になると言われても、ダンテ家の家臣や領民は納得しないんじゃないかな? 納得させるには、自分の人柄や才覚、覚悟を示して説得するしかないと思う」
エルゼリオがそうやって条件を指折り数えると、その覚悟はあるというように江流は頷く。
「そう言う事でしたら、リヴァマス伯爵家のラマス領地引き継ぎを少し伸ばして、江流様にはしばらくラマスに住んでいただくのがよいかもしれませんね」
まずは接しなければ人柄などを伝える事もできない。ゲルダが言うのはそう言う事だろう。それを聞いていたハリーヌ・ヨツユビが、ぴょこりと手を挙げて発言の機会を請う。
「ワタクシは、ヒューマンで授恵者の男性というのはそれだけで良き条件だと思うのでありますよ」
平民であるというのはマイナスかもしれないが、絶対ではない。今の時代、強い授恵者である事はそれを埋めるだけの価値だとハリーヌは言う。ただし、貴族としての能力も伴わねば意味がない。
「最低限、学園を卒業して貴族社会でも通用する教養や知識を得ていると示すのは必要でございましょう。それより、今は希望者がいてそれを先生が認めたという点が大事でございます」
前のグエンなどと違い、リヴァマス当人の認めた人物だ。ならば今のうちにやるべき事があるだろうとハリーヌはふんふん息を荒くする。
「失礼を承知で申しますと、リヴァマス先生はご高齢でございます。今はお元気でも、ある日突然倒れてそれっきり……など珍しくもないでございましょう?」
「いや、それはそうかもしれないが……」
歯に衣着せぬ言葉にトマスは苦笑するも、ハリーヌの勢いは止まらない。
「もしもの時、後継者が定まっていなければ大混乱。最悪、断絶でございます。正式な決定は先としても、もしものことがあればこの方に、と遺言状を書くのは早い方が良いでございますよ!」
「先生自身、家名を名乗るという事は構わないと言っていた。ただ、領主としての後継に関してはオレがラマスの住人に認められてから、と」
それは江流の覚悟に合わせた返答でもあろうが、他の後継候補が後から割り込む隙でもあった。ハリーヌの言うような不幸が老人に生じれば、全て水泡に帰すかもしれないという危惧も、言い方はさておき正当ではあろう。
●
リヴァマス伯の後継問題とは別に、レティシア・レインフィールをはじめ幾人かの部員には心に刺さった棘があった。
(三年間の謹慎は確かに温情ではございますが、もっと何か出来たのではないかと思ってしまいますね……)
トマスの件のみでなく、グレゴールに対する配慮も含めて取りこぼした物があまりに多い、とレティシアは自分を責める。その心境を思い、お茶を注いだゲルダは自身もその事件の事を顧みた。
(トマス様の謹慎も、カナン様のお怪我も。もっと上手くリスクをお伝えできていれば……)
ゲルダ自身は、トマスらを呼ぶことに賛成はしていなかったようだ。しかし、結果的に呼ぶと決まったのならばそれに応じた考えと洞察、気の回し方ができたのではないか、と悩む。
(冒険者って、難しいな……)
自分の提言ではないにせよ、ゲルダは作戦が決した後の事について、責任を感じていた。一方、レティシアは憂いを秘めた顔でトマスに対する。
「トマス様から、側近の皆様にお手紙などをお送りしては如何でしょうか」
部員の半数ほどは、この後にシオンとカナンが居る孤児院を訪れる予定を取っていた。コルネリウス・アーラはトマスも誘ったのだが、久しぶりにラマスを訪れたので為さねばならぬ事もあるのだという。
「代官である祖父らからラマスの報告を受け、父に伝えねばならない。ふむ、とはいえ身内だから形式的なものだし、江流も聞いておくといいだろう。表向きのラマスの現状は学べるはずだ」
まだダンテ家の家中にリヴァマス家の後継候補として紹介する段階ではないにせよ。トマスの護衛ということで同席して聞いておくのは問題ない。あるいは、問題ないような話しか出ないという事でもあるのだろう。そう誘いを受けた江流は頷いた。出来る事は何でもしようと、決めたばかりの事だ。
「は! 護衛という事で良いのであれば、後学の為にワタクシも同席したいのでございますが、難しいでしょうか」
「……1人も2人も、変わらぬ話ではある。大丈夫だ」
ヒューマンの平民である江流を間接的ながら推す事になったハリーヌが、同じ話を聞いておくのにも意味があるとトマスは思った。ハリーヌは以前から、新たな領主が立つなら取り入りたいという欲求を隠してもいないし、案外腹心に据えるならそういう人間の方が良い、という事も知っているのだから。ハリーヌがどこまで宮仕えを望んでいるのかは分からないが、話の切っ掛け位にはなっても良いだろう。
「謹慎というのは社交の話で、そういった仕事については変わらないのか。ならば、腹心ともいえる二人やタイコモ殿に手紙を送ることまで咎められることはないだろう? むしろ今迄面倒をみたりみて貰った仲なのにここで手紙の一つも送らぬというのは如何なものかな」
レティシアやゲルダ、コルネリウスらと同じ事件に関わっていたジュスト・ヴェルジーは、トマスが何の連絡も取っていないと知ってさすがに不義理に過ぎると口を挟む。三人が今までのようにトマスにつくのか、離れて別の仕事を担うようになるのか。例えば江流がこの地を治めるとしたら、その手足となる人材は必要だろう。トマスらの歩む道の分水嶺がここであるならば、そこで言葉を交わさぬのは後悔しか生まないとジュストは思う。
「……しかし、私が何かを言えば、彼らを縛る事になるのではないかと思うのだが」
「いや。彼らの希望も大切だが、トマス殿自身がどうしたいのか、君はちゃんと伝えて相談した方が良い」
「ジュストはそう思うのか」
ジュストの態度は、当たり障りなく振舞う事の多い普段よりも強い。考え込むトマスを見て、一緒に来ていた婚約者のローザリカ・L・ディオールが声を発した。
「婚約者殿。僕達は決して彼を責められるような立場じゃないだろう。先の孤児院の件、守り切れなかった力不足を心より謝罪する」
「そうだな。あの事件の時人員配置の提案をしたのは俺だし、一番の責任は俺にある」
「……いや。それは違う。シオンやカナンの主は私だ。第一に気を配るべきは、私だった」
そうして口に出した人もそうでない人も、大勢が自分に責任を感じているのだ、と聞いていたゲルダは思う。さりとてあの件は失敗だったかと言えば、そうではないのが難しい所だ。
「しかし、貴殿らに事を知らせたことは自体は悔いていない。もうどうすることも出来なくなってから知るのはもっと酷だと思ったから」
続いたローザリカの言葉には、ジュストもレティシアも頷く。ゲルダも後悔するとしたらその事自体ではなく、その決断に至るまでとその後に、もっと自分に出来る事があったのではないかという点だ。それはトマスも、責める気持どころか感謝の念を持っていた。
「……トマス殿には僕達の失敗談を一つ聞いて貰いたいんだ」
ローザリカも、やはり伝えるべき事を伝えない事は良くない事だとは思う。ただ、良くないと言うだけではなく、そうあるべきではないと思う。その思いは、先ほどのジュストと同じか、それ以上に強いかもしれない。
「トマス殿。君は強い人なのだろう。けれども弱った時に手を伸ばさないことや、そもそも弱さを見せぬことは強さではない。無いんだよ。僕達はそれを分かっておらず、相手の為と独りよがりに手を離した事で、相手を突き放してしまった」
そう思うに至ったのは、ほんの一年も前にならないような最近までジュストとの間にできていた行き違いを思えばこそだ。あのままになっていたとしたら、今頃はどうなっていた事か。夜着を汗に濡らして起きる事も、無かったわけではない。弱さを互いに見せる事が出来ず、それが互いの目からは自分への信頼の薄さに見えた。自分の助けなど不要という傲慢さにも。経験した者ならではの想いの籠った言葉は、トマスと、隣にいたジュストの胸に響いた。
「……ロゼ、君は……。いや、君は、強いな」
ジュストとてローザリカとの行き違いが思考の背景にはあったのだが、それを率直に口に出すには意地のような物が邪魔をするのが男と言うものだ。だが、自分の言葉よりも婚約者の言葉の方に重みがあると、認められない男でもない。
「そうか。では書簡を預けよう。タイコモ宛のものは……」
「よろしければ、わたしが預かりましょうか?」
「リサ嬢。構わないのならば、助かるが……」
依頼で初めて顔を合わせた時、ぱっとしない青年タイコモがトマスらの中で果たしていた重要性に最初に気付いたのはリサであった。タイコモの領地は隣接しており、急げば日帰りできる程度の距離だ。伝書に信用できる者の手を借りれるならば、ありがたいとトマスは言う。
「そう言う事なら、ボクもダンテ研究室付き事務手伝いだし。手伝うよ」
安全な街道とはいえ女性一人で行かせるのも騎士道にもとると思ったか、エルゼリオも手を挙げた。
●
「そう言えばトマス先輩。部長ってタイコモ先輩とかじゃ駄目なのか?」
他の話題を挟んで少し空気が軽くなった頃、ナキルがそんな事を言う。タイコモは男爵家とはいえ貴族子弟で、元からのトマスの一派でもある。王党派や貴族派、あるいは異種族が部長となる事で部活の空気が変わる事を危惧しているのなら、と。
「トマス様と皆様は同学年。卒業するのも同じ時になるのではないかと思いますが」
「ああ、そうか。ならしょうがないか……」
レティシアの言葉に、いいアイデアだと思ったのにとナキルが頭を振る。しかし、ハリーヌが何かに気付いたようにぴくっと耳を立てた。
「そういえば、ワタクシ気になっていたのでございますが……。トマス様達が、色々と大変な事になる前に、確かシオン様とカナン様は卒業が危ういとおっしゃっておりませんでしたか?」
ぴし、と空気にひびが入ったような音がした。先ほどまでとは別の意味で顔色が悪くなったトマスが頭を抱える。
「そうだ。あの時点でタイコモがつきっきりで面倒を見て何とかギリギリという話だった。あれからタイコモが領地へ戻り、二人は長期の休学となれば……」
「さすがに、ここから卒業は難しい状況でございますね……」
卒業生であるレティシアは、シオンとカナンの状況をそう評価する。2人の名誉の為につけたすならば、留年ではない。飛び級で一年早く卒業するトマスとタイコモについていけなかっただけの話だ。
「来年も残るなら、部長を頼めばいいんじゃねぇのか? あ、それって戻ってきてほしいっていう理由にもなるよな?」
「トマスさんが、これからも共に過ごしたい、などカナンさん達に望むのでしたら、率直にそう伝えるのも信頼の形ではないかと思います。大切なひとたちだからこそ、慮りたいという気持ちも分かりますが」
コルネリウスが言うのは、先のジュストらの提案よりもある意味では少し踏み込んだ物言いだった。意思を伝える、弱みを見せる、だけではなく、相手への望みがあるならそう伝えるべきと彼女は言う。
「私達が貴方に頼って欲しいように、皆さんもそう思っているかもしれません。トマスさんが自ら動くことが出来たなら、きっと変えられるものも多いと思うのです」
「なるほど、考えてみよう。……父ではないが、私は良き友人たちを得たな」
必要に応じて頼るというのは、貴族であるトマスにとって本来は慣れた事の筈なのだ。しかし、彼の場合は側近との距離が近すぎて、言葉にして頼まずとも以心伝心で通じる事がこれまで多かったのだろう。けれども願いを自分で口にするという行動が必要なときはある、と。
「しかし、部長職をあの2人にいずれかに委ねる事を希望するかは、私の中でも迷う所だな。そもそも、コルネリウス嬢の立候補が先約だろう」
トマス自身は新部長の下で討論部の空気が今の中立からずれたとしても問題は無いだろうと考えて、特に条件などを付けずに部長の立候補を求めた。しかし、部員の中の幾人かから党派などの偏りへの懸念がある事を聞いて、本当にそれで良かったのか今は迷っているとコルネリウスへ言う。これもまたシオンやカナンの弱さに気付けなかったのと同じく、トマス自身の立ち位置が今更揺らがぬがゆえに、その点を気にする部員達の気持ちが分からなかったという事なのかもしれない。
●
討論部での茶会を終え、トマスは代官である祖父からラマスの状況の説明を受けるとの事で江流を伴い屋敷に残った。ヒューマンの新領主候補に興味津々なハリーヌも一緒である。ゲルダとコルネリウスにナキル、ジュストとローザリカにレティシアの6名は新たに建てられた孤児院を目指す。
「こういう場所に来るとつい気になるんだよな。新築だから、悪い所とかは無さそうか?」
到着早々、手伝いを申し出たナキルに応対した若い女性は恐縮しつつも怪訝そうな顔だ。しかし、顔見知りだった孤児が久しぶりと声をかけた事で怪しむ視線は薄れた。
「それでは、皆の相手をしてあげてくれますか? 前は農場とかもあって手伝いやらで忙しくしていたのだそうですが、今は手持無沙汰になっているようで……」
以前の孤児院に比べれば、賑わいが無い。併設の修道院が無いのだから当然ではあるが、どこか寂しさも感じる。中庭に通されると、大勢の孤児と共にカナン、シオンの姿があった。
「来客とは皆さまでしたか。確認が足りず申し訳ありませんでした」
「え、こちらの方達ってシオンさんのお知り合いだったんですか? あ、そうか。学園の……」
元々いた大人は全滅。今の孤児院の職員は、雇われたばかりで色々と行き届いていないのだろう。こんな状況では不安で、戻る気になれないのも仕方がないのかもしれない。
「カナン様はもう、大丈夫なのですか?」
「あの時は、私の配慮が足りず、お怪我をさせてしまい申し訳ありませんでした」
「……顔を上げて。怪我したのは私が弱いから。貴女のせいじゃない。それに、貴族は簡単に頭を下げちゃ駄目」
ゲルダから見舞いのケーキを貰った時は嬉しそうな顔をしたカナンだが、レティシアの謝罪には慌てて首を振った。もう体はいいのかとゲルダが問えば、調子は戻っているのだと頷く。あとは、精神的な面での問題なのだろう。
「そうですか。御無事でよかったです」
同じく見舞ったコルネリウスはメンタルが筋肉寄りなので、怪我で立ち直れなくなるという事はないだろう。ただ、出来ると思っていた事が出来ず、失敗したとしたら引きずる気持ちも分からないではない。
「トマス殿から、お手紙を預かって来たよ」
「トマス様のお手紙……? トマス様が必要もないのに、手紙を……?」
「心配、掛け過ぎた」
ジュストが一同を代表して手渡すと、2人は目を丸くした。貴族子弟を自分達へのメッセンジャーにした、という申し訳なさよりもなお、トマスが自分達へわざわざ書簡を送ったという事に驚いたようだ。シオンの方は自分達を見つめる皆の視線から、事の背景も察したかもしれない。そのジュストからも、作戦立案に関わった立場としての謝罪を申し出られた2人は恐縮していた。
「皆様がご不在の間、トマス様は色々とお困りのご様子でした。私の拝見した限りでも、部活の書類の事や、お茶のお菓子を買い揃える事などでご苦労なさっておられましたね」
「ええ……と、それは、そうでしょうね……」
「トマス様だからしょうがない」
レティシアが、2人のいない間のトマスの様子を説明するとシオンは笑っていい物か微妙な顔で口をムズムズさせている。カナンの方は遠慮なく笑っていた。彼女たちの側にトマスへの隔意がある、といった感じではないようだ。
「それに、少し寂しそうでいらっしゃったとも思います」
「そうでしょうか? だとしたら、傍仕え冥利につきますね」
微笑みつつ、一言断ってからシオンは書簡を開封する。カナンと共に、それほど長くはない手紙に目を通していたが最後の方まで来て苦い顔をした。
「……忘れておりました。今年の卒業は無理でしょうね……。トマス様は、きっと卒業してから戻れとおっしゃるでしょうけれど」
「教員になるなら、手伝いが居る。授業を受けながらは難しいかも」
「そちらのお仕事は、私達もお手伝いするのできっと大丈夫です」
「トマス様が、仕事のお手伝いを皆様に? そうでしたか」
2人の不在の間、決まった事を伝えると驚いたような顔をする。シオンはなるほど、というように頷いた。この学年になるまで、周囲に弱みを見せるような事はしなかったが、皆様であれば納得します、と言う。カナンの方は、むむむと唇を曲げていたが。
「あそこでためらうのは、護衛失格。自分にがっかりした。だから、少し休んでから決めようと思った」
カナンは自分なりに消化する為の時間が欲しかった、という事らしい。ただ、その結果として自分が護衛にふさわしくないと思ったならば、そう申し出るつもりでもあったようだ。
「でも、戻って来いと言うなら、戻る。もう少し、ちゃんとしてから」
「そうですね。私も剣に迷いがないようにしないと」
届けた書簡は、2人の憂いを解いたようだ。ゲルダの見舞いのケーキを子供達と分けておやつに頂き、ある者は孤児院の手伝いと子供達の相手、ある者は勘を取り戻したいという2人の対戦相手などをして、最後に2人からの所感を預かってから、一行は帰路に就いた。
●
チー家は男爵であり、所領は村より少し大きな程度の町とその周辺だ。訪れたリサとエルゼリオはタイコモの婚約者であるらしい少女に丁重に応対される。
「トマス様が、御苦労なさっている? それはそうでしょうね……。ですが、少しお時間を戴かないと戻れそうもないのですよ」
どうやら戻る気はあるらしい。というよりも、戻る為にあれこれしているという事のようだ。婚約者の少女は家臣の娘で学園に通ってはいないが、タイコモが自領に必要な事をかいつまんで教えているのだという。エルゼリオは、自分の所でもそういった必要事項が分かっていればと多少羨ましくも思うのだが、できたばかりのレイノーラ領に過去の記録や蓄積がないのは仕方がない。
「ゆくゆくは領地を妻に任せて、私は宮中に勤めるトマス様に仕える。そう言う形にしようと思っているのですが、父の理解が得られないのですよね。……仕方がないので、父の協力は諦めて2人で何とかしようと思っております。その準備に、時間が要るという次第です。ただ、父も私も領地に居なくても大丈夫になるには、2年か3年は掛かるかもしれません」
「え、はい。そうなんですね」
自分は、腹が黒そうなタイプの人に信用を得る星回りなのだろうか、とリサは思いつつも、ふんわりと相槌を打った。いや、どの相手も完全に信用されているのかと言えば、多分違うのだろうが。まさか同類っぽく思われたり、見どころがあると思われている訳では、……ないとは言えないのが複雑な所ではある。
「ですので、しばらくの間トマス様にも、ひいては部員の皆様にもご迷惑をおかけすると思います」
「部活の部員だし、友達でもあるから気にしなくてもいいよ。ボク達もやりたくてやっているんだからさ」
「ええと、微力ながら、頑張ります……?」
エルゼリオはともかく最近自分が部員になったことを、タイコモは知らないだろうと気づいて返しが微妙になったが、タイコモは眼鏡の奥の目を細めるだけだった。もしかしたら、学園で起きた事を知る手段を持っているのかもしれない。それでもトマスの実際の様子は分かっていないらしく、リサから話を聞いては懐かしそうにしていた。
「今は証拠を残したくないので、先の事などは書簡に残したくないのですよね……。こちらがひと段落したら、一度は彼女と御挨拶に伺いますよ。謹慎中ですから正式な顔合わせにはならないでしょうが、結婚して何も言わないというわけにも行きませんし」
しばらく2人と歓談し、田舎っぽい手作りのお菓子を手土産に渡される位にリサとエルゼリオは歓待されたのだが、最後まで当主の様子は分からなかった。幾人かいた家臣らしい男性、女性もそれで特に不具合を感じていない辺り、粛々と事は進んでいるらしい。おそらくは見て分かるように出されたその辺の事をどこまで伝えるべきか、2人は少しばかり頭を悩ませるのであった。
ダンテ伯爵領ラマスは、王都にほど近い普通の衛星都市である。小麦や牧畜と王都への行き来から落ちるお金でそれなりには潤っているが、特筆する程の産物も無い良くある街だ。訪れたヘルベルト・リヴァマス伯爵はその景色に思ったほどの感慨を抱く事は無かった。
「まあ、城は我輩が知っていた頃と同じなのじゃがなあ。街の建物などは面影も無いのう」
「ふん。お前自ら来るとは思わなかったぞ。どういう気の変わりようだ」
出迎えたエリオット・ダンテ先代伯爵が言うように、彼はこれまでラマスを避けていた。今回も来るつもりは無かったようだが、直前で気を変えたらしい。その後ろには、普段よりも少し表情の硬い海神 江流がいた。
『以前の返事を、先生にお伝えしに来ました』
『ふむ』
出立前、リヴァマス老の元を訪れた江流はそう切り出した。歴史と伝統のある伯爵家を継ぐ事で生じる責任と覚悟について。彼はある女性の為、本来なら届かぬ貴族の地位へ手を伸ばしている。その願いは揺るぐ事はない、と考えが定まったようだ。願いの正体が、恋と言う物である事にも、思い至った。
『……自分は国の正しい側面の為に、残る人生を捧げる事をお約束はできません』
その女性を得たいが為に貴族になるのだから、貴族になってもその女性が得られないなら意味がない。――彼が言いたいのは、そんな話ではないらしい。そもそも江流が貴族として国家の為に働くには、その女性が隣にいる必要があるのだ、と彼は考えた。
『伯爵家にふさわしくない、という貴族社会での蔑視を伴侶で補填する、という事かね?』
『そう取って貰って構いません。自分に間違いなく欠けているのはそこで、補うために必要な存在こそが自分の大切な者なのです』
鶏が先であるか卵が先であるか。想う相手を得る為には地位が必要であり、地位を全うするには想い人が必要だ、と彼は言う。それ故に、想い人を得られるまではそれを最優先にする。その過程で、自分が倒れる可能性もあるだろう。死んでしまえば国の為に何かを為す事も出来ない。貴族となる事を約束はできない。
『なるほど、生真面目な事じゃのう』
『自分は恋の為に、残る人生を捧げます。大切な者を失う事を黙って見ている訳にはいかない。必要な犠牲が自分自身であるならば、それを払いましょう』
『なに、その論法で言えばうまく行けば犠牲にもならんじゃろう? ならばそうなる為にふんばるのじゃな』
無論この場で彼がこう語っていても、意に添わず生き延びて少女を得られないことだってあるだろう。あくまで、覚悟の問題である。そしてリヴァマス老が聞きたかったのも、覚悟であった。
「となれば、我輩がお主への面通しに同行せぬわけにはいくまい」
「成程。名は?」
「海神 江流です。……リヴァマス先生の名字を、頂く事になるんですか?」
「跡継ぎの候補と名乗るなら、対外的には早めにそうすべきじゃな」
リヴァマス老は意気は認めたが、領主としてこれからラマスの人々に認められなければ当主とする訳にはいかない。まずはエリオットに認められる必要があるのだろう。
●
政治討論部の面々がラマスに着いた時には、リヴァマス老は帰路についていた。あくまで彼がするのは紹介までという事だろう。到着早々、そんないきさつを聞いたトマスは驚いた顔をしていた。リサ・ベイカーは自分には関わりが遠い話だと、皆が落ち着けるようにお茶やお菓子の準備を始めている。今回、入手の手配をしたのはエルゼリオ・レイノーラだった。
「ベリル様のお気持ちを考えると養子を取る方向で進んだのは良い事、なのでしょうか」
「ボクはベリル君が養子に行くのが統治する上では一番最良だとは思うけど」
リサのお茶出しを仲良く手伝っていたゲルダ・クラインはそう首を傾げ、エルゼリオはそう意を述べる。が、それはあくまでも希望者がいない場合、だとも付け足した。
「平民で外国人が後継者になると言われても、ダンテ家の家臣や領民は納得しないんじゃないかな? 納得させるには、自分の人柄や才覚、覚悟を示して説得するしかないと思う」
エルゼリオがそうやって条件を指折り数えると、その覚悟はあるというように江流は頷く。
「そう言う事でしたら、リヴァマス伯爵家のラマス領地引き継ぎを少し伸ばして、江流様にはしばらくラマスに住んでいただくのがよいかもしれませんね」
まずは接しなければ人柄などを伝える事もできない。ゲルダが言うのはそう言う事だろう。それを聞いていたハリーヌ・ヨツユビが、ぴょこりと手を挙げて発言の機会を請う。
「ワタクシは、ヒューマンで授恵者の男性というのはそれだけで良き条件だと思うのでありますよ」
平民であるというのはマイナスかもしれないが、絶対ではない。今の時代、強い授恵者である事はそれを埋めるだけの価値だとハリーヌは言う。ただし、貴族としての能力も伴わねば意味がない。
「最低限、学園を卒業して貴族社会でも通用する教養や知識を得ていると示すのは必要でございましょう。それより、今は希望者がいてそれを先生が認めたという点が大事でございます」
前のグエンなどと違い、リヴァマス当人の認めた人物だ。ならば今のうちにやるべき事があるだろうとハリーヌはふんふん息を荒くする。
「失礼を承知で申しますと、リヴァマス先生はご高齢でございます。今はお元気でも、ある日突然倒れてそれっきり……など珍しくもないでございましょう?」
「いや、それはそうかもしれないが……」
歯に衣着せぬ言葉にトマスは苦笑するも、ハリーヌの勢いは止まらない。
「もしもの時、後継者が定まっていなければ大混乱。最悪、断絶でございます。正式な決定は先としても、もしものことがあればこの方に、と遺言状を書くのは早い方が良いでございますよ!」
「先生自身、家名を名乗るという事は構わないと言っていた。ただ、領主としての後継に関してはオレがラマスの住人に認められてから、と」
それは江流の覚悟に合わせた返答でもあろうが、他の後継候補が後から割り込む隙でもあった。ハリーヌの言うような不幸が老人に生じれば、全て水泡に帰すかもしれないという危惧も、言い方はさておき正当ではあろう。
●
リヴァマス伯の後継問題とは別に、レティシア・レインフィールをはじめ幾人かの部員には心に刺さった棘があった。
(三年間の謹慎は確かに温情ではございますが、もっと何か出来たのではないかと思ってしまいますね……)
トマスの件のみでなく、グレゴールに対する配慮も含めて取りこぼした物があまりに多い、とレティシアは自分を責める。その心境を思い、お茶を注いだゲルダは自身もその事件の事を顧みた。
(トマス様の謹慎も、カナン様のお怪我も。もっと上手くリスクをお伝えできていれば……)
ゲルダ自身は、トマスらを呼ぶことに賛成はしていなかったようだ。しかし、結果的に呼ぶと決まったのならばそれに応じた考えと洞察、気の回し方ができたのではないか、と悩む。
(冒険者って、難しいな……)
自分の提言ではないにせよ、ゲルダは作戦が決した後の事について、責任を感じていた。一方、レティシアは憂いを秘めた顔でトマスに対する。
「トマス様から、側近の皆様にお手紙などをお送りしては如何でしょうか」
部員の半数ほどは、この後にシオンとカナンが居る孤児院を訪れる予定を取っていた。コルネリウス・アーラはトマスも誘ったのだが、久しぶりにラマスを訪れたので為さねばならぬ事もあるのだという。
「代官である祖父らからラマスの報告を受け、父に伝えねばならない。ふむ、とはいえ身内だから形式的なものだし、江流も聞いておくといいだろう。表向きのラマスの現状は学べるはずだ」
まだダンテ家の家中にリヴァマス家の後継候補として紹介する段階ではないにせよ。トマスの護衛ということで同席して聞いておくのは問題ない。あるいは、問題ないような話しか出ないという事でもあるのだろう。そう誘いを受けた江流は頷いた。出来る事は何でもしようと、決めたばかりの事だ。
「は! 護衛という事で良いのであれば、後学の為にワタクシも同席したいのでございますが、難しいでしょうか」
「……1人も2人も、変わらぬ話ではある。大丈夫だ」
ヒューマンの平民である江流を間接的ながら推す事になったハリーヌが、同じ話を聞いておくのにも意味があるとトマスは思った。ハリーヌは以前から、新たな領主が立つなら取り入りたいという欲求を隠してもいないし、案外腹心に据えるならそういう人間の方が良い、という事も知っているのだから。ハリーヌがどこまで宮仕えを望んでいるのかは分からないが、話の切っ掛け位にはなっても良いだろう。
「謹慎というのは社交の話で、そういった仕事については変わらないのか。ならば、腹心ともいえる二人やタイコモ殿に手紙を送ることまで咎められることはないだろう? むしろ今迄面倒をみたりみて貰った仲なのにここで手紙の一つも送らぬというのは如何なものかな」
レティシアやゲルダ、コルネリウスらと同じ事件に関わっていたジュスト・ヴェルジーは、トマスが何の連絡も取っていないと知ってさすがに不義理に過ぎると口を挟む。三人が今までのようにトマスにつくのか、離れて別の仕事を担うようになるのか。例えば江流がこの地を治めるとしたら、その手足となる人材は必要だろう。トマスらの歩む道の分水嶺がここであるならば、そこで言葉を交わさぬのは後悔しか生まないとジュストは思う。
「……しかし、私が何かを言えば、彼らを縛る事になるのではないかと思うのだが」
「いや。彼らの希望も大切だが、トマス殿自身がどうしたいのか、君はちゃんと伝えて相談した方が良い」
「ジュストはそう思うのか」
ジュストの態度は、当たり障りなく振舞う事の多い普段よりも強い。考え込むトマスを見て、一緒に来ていた婚約者のローザリカ・L・ディオールが声を発した。
「婚約者殿。僕達は決して彼を責められるような立場じゃないだろう。先の孤児院の件、守り切れなかった力不足を心より謝罪する」
「そうだな。あの事件の時人員配置の提案をしたのは俺だし、一番の責任は俺にある」
「……いや。それは違う。シオンやカナンの主は私だ。第一に気を配るべきは、私だった」
そうして口に出した人もそうでない人も、大勢が自分に責任を感じているのだ、と聞いていたゲルダは思う。さりとてあの件は失敗だったかと言えば、そうではないのが難しい所だ。
「しかし、貴殿らに事を知らせたことは自体は悔いていない。もうどうすることも出来なくなってから知るのはもっと酷だと思ったから」
続いたローザリカの言葉には、ジュストもレティシアも頷く。ゲルダも後悔するとしたらその事自体ではなく、その決断に至るまでとその後に、もっと自分に出来る事があったのではないかという点だ。それはトマスも、責める気持どころか感謝の念を持っていた。
「……トマス殿には僕達の失敗談を一つ聞いて貰いたいんだ」
ローザリカも、やはり伝えるべき事を伝えない事は良くない事だとは思う。ただ、良くないと言うだけではなく、そうあるべきではないと思う。その思いは、先ほどのジュストと同じか、それ以上に強いかもしれない。
「トマス殿。君は強い人なのだろう。けれども弱った時に手を伸ばさないことや、そもそも弱さを見せぬことは強さではない。無いんだよ。僕達はそれを分かっておらず、相手の為と独りよがりに手を離した事で、相手を突き放してしまった」
そう思うに至ったのは、ほんの一年も前にならないような最近までジュストとの間にできていた行き違いを思えばこそだ。あのままになっていたとしたら、今頃はどうなっていた事か。夜着を汗に濡らして起きる事も、無かったわけではない。弱さを互いに見せる事が出来ず、それが互いの目からは自分への信頼の薄さに見えた。自分の助けなど不要という傲慢さにも。経験した者ならではの想いの籠った言葉は、トマスと、隣にいたジュストの胸に響いた。
「……ロゼ、君は……。いや、君は、強いな」
ジュストとてローザリカとの行き違いが思考の背景にはあったのだが、それを率直に口に出すには意地のような物が邪魔をするのが男と言うものだ。だが、自分の言葉よりも婚約者の言葉の方に重みがあると、認められない男でもない。
「そうか。では書簡を預けよう。タイコモ宛のものは……」
「よろしければ、わたしが預かりましょうか?」
「リサ嬢。構わないのならば、助かるが……」
依頼で初めて顔を合わせた時、ぱっとしない青年タイコモがトマスらの中で果たしていた重要性に最初に気付いたのはリサであった。タイコモの領地は隣接しており、急げば日帰りできる程度の距離だ。伝書に信用できる者の手を借りれるならば、ありがたいとトマスは言う。
「そう言う事なら、ボクもダンテ研究室付き事務手伝いだし。手伝うよ」
安全な街道とはいえ女性一人で行かせるのも騎士道にもとると思ったか、エルゼリオも手を挙げた。
●
「そう言えばトマス先輩。部長ってタイコモ先輩とかじゃ駄目なのか?」
他の話題を挟んで少し空気が軽くなった頃、ナキルがそんな事を言う。タイコモは男爵家とはいえ貴族子弟で、元からのトマスの一派でもある。王党派や貴族派、あるいは異種族が部長となる事で部活の空気が変わる事を危惧しているのなら、と。
「トマス様と皆様は同学年。卒業するのも同じ時になるのではないかと思いますが」
「ああ、そうか。ならしょうがないか……」
レティシアの言葉に、いいアイデアだと思ったのにとナキルが頭を振る。しかし、ハリーヌが何かに気付いたようにぴくっと耳を立てた。
「そういえば、ワタクシ気になっていたのでございますが……。トマス様達が、色々と大変な事になる前に、確かシオン様とカナン様は卒業が危ういとおっしゃっておりませんでしたか?」
ぴし、と空気にひびが入ったような音がした。先ほどまでとは別の意味で顔色が悪くなったトマスが頭を抱える。
「そうだ。あの時点でタイコモがつきっきりで面倒を見て何とかギリギリという話だった。あれからタイコモが領地へ戻り、二人は長期の休学となれば……」
「さすがに、ここから卒業は難しい状況でございますね……」
卒業生であるレティシアは、シオンとカナンの状況をそう評価する。2人の名誉の為につけたすならば、留年ではない。飛び級で一年早く卒業するトマスとタイコモについていけなかっただけの話だ。
「来年も残るなら、部長を頼めばいいんじゃねぇのか? あ、それって戻ってきてほしいっていう理由にもなるよな?」
「トマスさんが、これからも共に過ごしたい、などカナンさん達に望むのでしたら、率直にそう伝えるのも信頼の形ではないかと思います。大切なひとたちだからこそ、慮りたいという気持ちも分かりますが」
コルネリウスが言うのは、先のジュストらの提案よりもある意味では少し踏み込んだ物言いだった。意思を伝える、弱みを見せる、だけではなく、相手への望みがあるならそう伝えるべきと彼女は言う。
「私達が貴方に頼って欲しいように、皆さんもそう思っているかもしれません。トマスさんが自ら動くことが出来たなら、きっと変えられるものも多いと思うのです」
「なるほど、考えてみよう。……父ではないが、私は良き友人たちを得たな」
必要に応じて頼るというのは、貴族であるトマスにとって本来は慣れた事の筈なのだ。しかし、彼の場合は側近との距離が近すぎて、言葉にして頼まずとも以心伝心で通じる事がこれまで多かったのだろう。けれども願いを自分で口にするという行動が必要なときはある、と。
「しかし、部長職をあの2人にいずれかに委ねる事を希望するかは、私の中でも迷う所だな。そもそも、コルネリウス嬢の立候補が先約だろう」
トマス自身は新部長の下で討論部の空気が今の中立からずれたとしても問題は無いだろうと考えて、特に条件などを付けずに部長の立候補を求めた。しかし、部員の中の幾人かから党派などの偏りへの懸念がある事を聞いて、本当にそれで良かったのか今は迷っているとコルネリウスへ言う。これもまたシオンやカナンの弱さに気付けなかったのと同じく、トマス自身の立ち位置が今更揺らがぬがゆえに、その点を気にする部員達の気持ちが分からなかったという事なのかもしれない。
●
討論部での茶会を終え、トマスは代官である祖父からラマスの状況の説明を受けるとの事で江流を伴い屋敷に残った。ヒューマンの新領主候補に興味津々なハリーヌも一緒である。ゲルダとコルネリウスにナキル、ジュストとローザリカにレティシアの6名は新たに建てられた孤児院を目指す。
「こういう場所に来るとつい気になるんだよな。新築だから、悪い所とかは無さそうか?」
到着早々、手伝いを申し出たナキルに応対した若い女性は恐縮しつつも怪訝そうな顔だ。しかし、顔見知りだった孤児が久しぶりと声をかけた事で怪しむ視線は薄れた。
「それでは、皆の相手をしてあげてくれますか? 前は農場とかもあって手伝いやらで忙しくしていたのだそうですが、今は手持無沙汰になっているようで……」
以前の孤児院に比べれば、賑わいが無い。併設の修道院が無いのだから当然ではあるが、どこか寂しさも感じる。中庭に通されると、大勢の孤児と共にカナン、シオンの姿があった。
「来客とは皆さまでしたか。確認が足りず申し訳ありませんでした」
「え、こちらの方達ってシオンさんのお知り合いだったんですか? あ、そうか。学園の……」
元々いた大人は全滅。今の孤児院の職員は、雇われたばかりで色々と行き届いていないのだろう。こんな状況では不安で、戻る気になれないのも仕方がないのかもしれない。
「カナン様はもう、大丈夫なのですか?」
「あの時は、私の配慮が足りず、お怪我をさせてしまい申し訳ありませんでした」
「……顔を上げて。怪我したのは私が弱いから。貴女のせいじゃない。それに、貴族は簡単に頭を下げちゃ駄目」
ゲルダから見舞いのケーキを貰った時は嬉しそうな顔をしたカナンだが、レティシアの謝罪には慌てて首を振った。もう体はいいのかとゲルダが問えば、調子は戻っているのだと頷く。あとは、精神的な面での問題なのだろう。
「そうですか。御無事でよかったです」
同じく見舞ったコルネリウスはメンタルが筋肉寄りなので、怪我で立ち直れなくなるという事はないだろう。ただ、出来ると思っていた事が出来ず、失敗したとしたら引きずる気持ちも分からないではない。
「トマス殿から、お手紙を預かって来たよ」
「トマス様のお手紙……? トマス様が必要もないのに、手紙を……?」
「心配、掛け過ぎた」
ジュストが一同を代表して手渡すと、2人は目を丸くした。貴族子弟を自分達へのメッセンジャーにした、という申し訳なさよりもなお、トマスが自分達へわざわざ書簡を送ったという事に驚いたようだ。シオンの方は自分達を見つめる皆の視線から、事の背景も察したかもしれない。そのジュストからも、作戦立案に関わった立場としての謝罪を申し出られた2人は恐縮していた。
「皆様がご不在の間、トマス様は色々とお困りのご様子でした。私の拝見した限りでも、部活の書類の事や、お茶のお菓子を買い揃える事などでご苦労なさっておられましたね」
「ええ……と、それは、そうでしょうね……」
「トマス様だからしょうがない」
レティシアが、2人のいない間のトマスの様子を説明するとシオンは笑っていい物か微妙な顔で口をムズムズさせている。カナンの方は遠慮なく笑っていた。彼女たちの側にトマスへの隔意がある、といった感じではないようだ。
「それに、少し寂しそうでいらっしゃったとも思います」
「そうでしょうか? だとしたら、傍仕え冥利につきますね」
微笑みつつ、一言断ってからシオンは書簡を開封する。カナンと共に、それほど長くはない手紙に目を通していたが最後の方まで来て苦い顔をした。
「……忘れておりました。今年の卒業は無理でしょうね……。トマス様は、きっと卒業してから戻れとおっしゃるでしょうけれど」
「教員になるなら、手伝いが居る。授業を受けながらは難しいかも」
「そちらのお仕事は、私達もお手伝いするのできっと大丈夫です」
「トマス様が、仕事のお手伝いを皆様に? そうでしたか」
2人の不在の間、決まった事を伝えると驚いたような顔をする。シオンはなるほど、というように頷いた。この学年になるまで、周囲に弱みを見せるような事はしなかったが、皆様であれば納得します、と言う。カナンの方は、むむむと唇を曲げていたが。
「あそこでためらうのは、護衛失格。自分にがっかりした。だから、少し休んでから決めようと思った」
カナンは自分なりに消化する為の時間が欲しかった、という事らしい。ただ、その結果として自分が護衛にふさわしくないと思ったならば、そう申し出るつもりでもあったようだ。
「でも、戻って来いと言うなら、戻る。もう少し、ちゃんとしてから」
「そうですね。私も剣に迷いがないようにしないと」
届けた書簡は、2人の憂いを解いたようだ。ゲルダの見舞いのケーキを子供達と分けておやつに頂き、ある者は孤児院の手伝いと子供達の相手、ある者は勘を取り戻したいという2人の対戦相手などをして、最後に2人からの所感を預かってから、一行は帰路に就いた。
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チー家は男爵であり、所領は村より少し大きな程度の町とその周辺だ。訪れたリサとエルゼリオはタイコモの婚約者であるらしい少女に丁重に応対される。
「トマス様が、御苦労なさっている? それはそうでしょうね……。ですが、少しお時間を戴かないと戻れそうもないのですよ」
どうやら戻る気はあるらしい。というよりも、戻る為にあれこれしているという事のようだ。婚約者の少女は家臣の娘で学園に通ってはいないが、タイコモが自領に必要な事をかいつまんで教えているのだという。エルゼリオは、自分の所でもそういった必要事項が分かっていればと多少羨ましくも思うのだが、できたばかりのレイノーラ領に過去の記録や蓄積がないのは仕方がない。
「ゆくゆくは領地を妻に任せて、私は宮中に勤めるトマス様に仕える。そう言う形にしようと思っているのですが、父の理解が得られないのですよね。……仕方がないので、父の協力は諦めて2人で何とかしようと思っております。その準備に、時間が要るという次第です。ただ、父も私も領地に居なくても大丈夫になるには、2年か3年は掛かるかもしれません」
「え、はい。そうなんですね」
自分は、腹が黒そうなタイプの人に信用を得る星回りなのだろうか、とリサは思いつつも、ふんわりと相槌を打った。いや、どの相手も完全に信用されているのかと言えば、多分違うのだろうが。まさか同類っぽく思われたり、見どころがあると思われている訳では、……ないとは言えないのが複雑な所ではある。
「ですので、しばらくの間トマス様にも、ひいては部員の皆様にもご迷惑をおかけすると思います」
「部活の部員だし、友達でもあるから気にしなくてもいいよ。ボク達もやりたくてやっているんだからさ」
「ええと、微力ながら、頑張ります……?」
エルゼリオはともかく最近自分が部員になったことを、タイコモは知らないだろうと気づいて返しが微妙になったが、タイコモは眼鏡の奥の目を細めるだけだった。もしかしたら、学園で起きた事を知る手段を持っているのかもしれない。それでもトマスの実際の様子は分かっていないらしく、リサから話を聞いては懐かしそうにしていた。
「今は証拠を残したくないので、先の事などは書簡に残したくないのですよね……。こちらがひと段落したら、一度は彼女と御挨拶に伺いますよ。謹慎中ですから正式な顔合わせにはならないでしょうが、結婚して何も言わないというわけにも行きませんし」
しばらく2人と歓談し、田舎っぽい手作りのお菓子を手土産に渡される位にリサとエルゼリオは歓待されたのだが、最後まで当主の様子は分からなかった。幾人かいた家臣らしい男性、女性もそれで特に不具合を感じていない辺り、粛々と事は進んでいるらしい。おそらくは見て分かるように出されたその辺の事をどこまで伝えるべきか、2人は少しばかり頭を悩ませるのであった。
マスターコメント
しばし足踏みしていましたややこしい諸々が、今回はずるずる進みましたね。
想定プロットからずれるケースも面白いけど、早い、遅いといった変化が出るのも書く側にとっては面白いです。
本題の後継問題は、肝心の『ラマスの人々が認めてくれる為に成果を積む依頼』を私が出す余裕があるか。
自分が二人欲しい! アニエピカにはリクシナもありますので、場合によってはご検討くださいませ。
他のMS様が書いてくれたものを成果としても当方、一向に構いませぬ(他力本願)。
タイコモの所まで配達をして頂いた部分はアドリブです。次回まで引っ張る程でもないですし。
特に仲の良くない欠席した男子にプリントを届けに行くイベントだ、これ。
部長については、なるほどという指摘と、残念な突っ込みが足されて化学反応。
トマスとの関係を解決する種になるという意味でもなるほど良き提案だと思います。
が、ここに来てNPCに戻るというのは募集した事への裏切りかもしれぬというMSとしての悩みも若干あり。
解説にも書いた通り今回は決めるつもりもなかったものですので、結論は次回以降。
今回もご参加ありがとうございました!
次回は廃校舎の大掃除かな……。予定は未定ですが。
イベントシナリオ普通 報酬:標準10 / 10〜25人
2023年01月12日 21時31分31秒 公開
大成功
相談掲示板
政治討論部部員のジュストだ、よろしく。 今回は「ラマスの代官屋敷が拠点で、関係者と話したり相談したり街に出たりしてください」とのことなんだけれど。 議題のことだけでなくトマス殿とお話したいこともあるし、カナン殿のお見舞いも兼ねた孤児院への慰問も可能ならしたいところ。 どちらかに絞るか、両方試みるかは検討中だ。
ワタクシはハリーヌ。しがない2年生のヨツユビハリネズミでございます。 皆様、今回もよろしくお願いするでございますよ! ラマスへ行くのは初めてでございます。 孤児院の事件については部外者でございますが、メドゥの指先に襲撃されたというのは穏やかでございませんねぇ。 主に代官屋敷で議題についてお話しする予定でございますが、時間があれば孤児院のほうも見に行きたいでございます。