【追憶】死人占い師

影絵 企鵝

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シナリオID:2466

オープニング

●死人占い師
 リーンエス王国王都、グランスパーダ。王城から離れた路地の奥に、小さな診療所がいつの間にか出来ていた。看板も掛けていないから、本当に門戸を開いているのかさえ外見からではわからない。
 大抵の臣民達は、そんな診療所の存在を気にも留めない。気付きもしない。だが同時に、彼らはふわふわと漂う一つの噂を時折耳にするようになっていた。

 その診療所には、死人にもう一度逢わせてくれる授恵者、『死人占い師』がいる。

 今日もまた、その噂を信じた一人の青年が、深刻な顔をして死人占い師の診療所の扉を叩いていた。彼が震える息をどうにか整えていると、蝶番の軋みと共に、狼頭の青年が現れた。白い長髪をふわりと束ねた彼は、青年へそっと手を差し伸べた。
「よく来たね。待っていたよ」
「……僕の事を?」
 話した事も無いハーフビーストがいきなり待っていたと言う。端から見れば企みを感じる雰囲気だが、青年にとっては気に留めている場合ではなかった。金色の双眸には太陽のように柔らかい光が満ち、既に彼を安堵の感情で柔らかく包んでいたのである。
「立ち話は良くないね。入りたまえ」
 ハーフビーストはローブに身を包んだ長身痩躯を引いて、彼を扉の奥へと誘う。
「ここにはきっと、君の望むすべてがあるよ」

 青年が通されたのは、一つの小さな部屋だった。窓は無く、扉を固く閉ざせば、その部屋の明かりは四隅に置かれた燭台だけだ。その燭台の上では銀皿に載せられた香木が燻され、果実酒にも似た不思議な匂いが漂っている。
「座りなよ。まずは深呼吸するんだ」
 ハーフビーストの先生は自らも椅子に腰掛け、青年の目の前にある椅子を指差す。横に置かれた広いデスクの上には、一杯の紅茶が置かれている。青年が突っ立っていると、先生は小さく首を傾げる。
「どうしたんだい?」
「い、いえ。その……」
 青年が口ごもっていると、先生はああ、といきなり一人合点する。
「そうか。まだ名乗っていなかったね。私の名前はグノーシス・ミレナリアだ。見ての通り、この診療所で先生をしているよ。安心したまえ。私は、それ以上の存在でも、それ以下の存在でもないんだから」
 すらすらと喋る先生。彼の澱みない口調と、眠気を誘う香の匂いのアンビバレンツに心を掻き乱され、青年はもう言われるがままに椅子へ腰を下ろしてしまった。
「まずはその紅茶を飲んで落ち着こう。それから話してくれないかな。君がどうしてここに来たのか。君が会いたいのは誰なのか」
 青年ははっとなる。また、言いもしないうちからグノーシスは彼の目的を言い当ててしまった。目を白黒させていると、グノーシスはくすりと笑う。
「ここに来るのは、どんな慰めの言葉も虚しく聞こえるようになってしまった人達ばかりだからね。君も退っ引きならない暗闇の底へ陥って、もうこうするより外に方法が見えなくなってしまったんだろう?」
 青年には返す言葉も無い。彼に掛けられる言葉は、悲しみを乗り越えろというたった一点の言葉だけだった。そんなもの、ぽっかりと空いてしまった胸の穴の中にがらんと虚しく響くだけである。
「そのお茶を飲みたまえ。私も何もないところから君に術を施すのは大変なんだよ」
 茶を飲んでみる。葡萄の皮のような渋みの後に、桃のような甘みが口に広がった。グノーシスは小さく目を細める。
「それを飲むとね、頭の奥が刺激されて色々な事をよく思い出せるようになるんだ。君自身が覚えていないような記憶も、奥の奥から顔を覗かせるようになる」
 奇妙な感覚だった。紅茶を飲んだ瞬間に、青年の意識は澄んだ水のようにくっきりしたのに、同時に真っ白い霧が立ち込めたようにぼんやりしている。ここが夢か現かも判然としない。目の前に座っている狼が、一本の翼が生えた杖を手にした事だけがようやくわかった。
「教えてほしい。君が会いたいと思っている人間の名前を」
 狼は青年に問いかける。
「ミカエラ……僕の、大切な妻……」
「ミカエラだね。さあ、思い出して。君とミカエラの、最も大切な刻を。ささやかでも幸せだった時の事を」
 青年は頭の裏側で像を結ぶ。友情と恋情と愛情を一年一年積み重ね、ついに結ばれた幼馴染と過ごした日々の事を。子どもを身籠ったと教えてくれた時の、彼女のはにかむような笑みを。その笑顔が、霧のように曖昧な意識の向こう側で、くっきりと浮かび上がった。
「今から逢わせてあげるよ。君の心の奥に今も生きている、君が最も愛した女性に」
 グノーシスの詞と共に、掲げた杖から翡翠の光が放たれる。その光に包まれながら、青年は静かに倒れる。

 気付くと、青年は住み慣れた部屋の中に立っていた。目の前には、揺り椅子に座った妻がいた。お腹がうっすらと膨らんだ彼女は、彼に向かってにっこりと微笑みかける。
「お帰りなさい、ラファエル」
 それは、もう一度聞きたいと願い続けてきた声そのもの。青年は嘆息した。
「……ああ、ミカエラ!」
 彼はそのまま、夢現の中へと没頭していった。

●過去との再会
 ある日、君はグノーシス・ミレナリアの診療所を訪れようとしていた。王都の中で着々と広まる死人占い師の噂を聞いて。
 理由は様々だろう。本当にそんな事が出来るのか、興味本位で訪ねてみる者もいるだろう。あるいは、本当に誰かを失った事を後悔して、引きずって、忘れられなくてもう一度会いたいと願っているのかもしれない。さりとて、やはりその目的は重要ではなく、君が今グノーシスと出会う事、その事実だけが今日の絶対なのである。



 街角の人が私の噂をしているね。私のところに来れば、死んだ人に逢わせてくれるって。何だか最近騒がしいようだから、患者の人も増えてきたよ。悲しいことだね。死んだ人にもう一度会わないと生きていけないような人が、こんなにもいるなんて。
 でも、君には特別だから教えてあげるよ。私がしている事は、死んだ人を甦らせるなんて、大層な事じゃない。目の前の人の魂に触れて、思い出す手伝いをしているんだ。その人の中に眠っている記憶を。そうすると、彼らは夢の中でもう一度出会うことが出来るんだ。心が焦がれてしまうほど逢いたいと願った人にね。
 反対に言うと、私は、死んだ人以外も甦らせることが出来る。それが君の心に、魂に深く深く刻まれているものなら、何でも。
 さて、願いを聞くとしようか。君はどうしてここに来たんだい。ここに来るしか方法が無くなってしまったから? それともただの興味本位かな。

 思い出すんだ。像を結べ。君がもう一度逢いたいと渇望するものの。



解説

メイン PCの過去の記憶を辿る NPC グノーシス・ミレナリア  死者をこの世へ呼び戻すことが出来るという狼の青年。事の真偽は不明だが、PC達はその噂を聞いて彼のところへとやってきた。 ・汎用スキル  エンノイアの儀(PL情報)  エーテルを放って漂う死者の魂に触れる事で、その記憶を残留思念として読み取る死霊術。生者に用いた場合は体感を伴う白昼夢として被験者に記憶が呼び起こされるが、被験者の願望やトラウマに応じてそのまま強い妄想へと変化していく。 (記憶の中の人物がいきなり記憶にないことを話しかけてくる、など)  ???(Lv10)  ???(Lv10)  ???(Lv10) FIELD ・診察室  グノーシスが細々と営む病院。薬や休息では癒されない苦しみを抱えた人々が集まり、その苦しみを日々彼に訴えている。 ・診察台と椅子が二つ置かれている小さな部屋。部屋の広さは2hex程度。部屋の隅には何かの香が絶えず焚かれ、甘みと渋みが同居する不思議なハーブの茶が供される。 TIPS(PL情報) ・エンノイアの儀で追体験できる記憶は1日分が限界。 ・記憶を追体験している間に、本来の記憶ではないシーンの妄想に移行する。全ては夢の中の出来事なので、論理や情景が飛躍することもある。 ・診察室は相席出来ない。一対一で臨むことになる。診療を受けた後、顔を突き合わせて何が起きたか話し合うことは出来る。 ・必ずしも死んだ人の事を思い出す必要はない。君がホムンクルスなら、他ならぬ君自身が一度死んでいるのだから。 ※公認設定に基づかない記憶の場合、最初から最後まで妄想となる場合があります。

マスターより

影絵企鵝です。 前々から私の事をご存じの方はお判りかもしれませんが、記憶の話を持ち出すNPCが出てくると、大体影絵がやる気満々になってる合図だったりします。 というわけで、今回は流石に文字数一杯取らないと色々中途半端になる可能性があるのでいきなりロングシナリオとさせて頂きました。 長い付き合いになるかもしれませんが、どうかよろしくお願いします。

リプレイ

●伯父の昔語り
 香に燻された診療所の中を、ルアンナ・ミュラーはじっと見渡していた。死人占い師の噂を聞いて、彼女は半信半疑でやってきたのである。
(魂を呼び戻す……そんな霊能者が本当にいるのでしょうか)
 杖を手に取ったグノーシスに目を向けると、彼は目を細めて振り返る。
「君は私の事を疑っているね」
「え?」
 図星を突かれ、ルアンナは思わず肩を固くする。目の前の椅子に座り、彼はルアンナの眼を覗き込んだ。金色の眼に彼女の顔がぼんやり映る。
「君の眼には迷いが見えないからね。大方、興味本位で来たんだろう」
 ゆったり構えているように見えて、彼は一切異論を挟む余地をルアンナに与えない。言葉を選んでいるうちに、彼は言葉を勝手に続ける。
「でも、せっかく来てくれたんだ。君にも逢わせてあげるよ。何に逢いたい」
「……なら」
 ルアンナは自らを育ててくれた伯父を選ぶ。一体どこまで真に迫れるか推し量るために。彼はにっこり笑うと、杖の先を彼女の頭に捧げた。
「さあ目を閉じて。君が会いたい時を思い浮かべるんだ」

 気が付いた時、ルアンナは伯父と一緒にパンを作っていた。伯父が窯からパンを取り出すと、良い匂いが調理場に広がる。いつだって伯父の作るパンは最高の出来だ。伯母に聞くと、昔からずっと彼はパン職人だったという。
「伯父様。伯父様は昔からずっとパンを焼いているのですか」
「ああ、そうだ。昔は王国の大きなパン屋で働いてたんだ。レティシアと逢ったのもそのパン屋だった。新しい粉ひき臼の商談に来ていたんだったかな」
 パンを綺麗に網籠へと詰め込みながら、伯父は答える。日々の仕事のお陰で腕は拳闘士のように太かったが、パンの飾り方は繊細だった。
「一目見た時何となく感じたもんだ。俺はこの人と結婚するんだろうって」
「一目惚れですか?」
 ルアンナが首を傾げると、伯父は首を振った。
「違うな。使命感が一番近いかもしれない。レティシアを幸せにするのは俺なんだって」
「では好きではなかったんですか?」
 今度は反対側に首を傾げる。伯父は目を白黒させる。
「待て待て。そんなわけないだろう? あんな素敵な人、好きになるに決まってる。そうだ。ちょうどこのパンみたいなもんさ」
 伯父は小さなメロンパンを一つ取ってルアンナに差し出す。ふわふわのパンの上に甘いビスケット生地を乗せた、この店以外ではそうそうお目にかかれない代物だ。
「このパンが甘いのは上に被さるビスケットのお陰だ。たまにこの部分だけ食べたいっていう客もいる。でも、土台になってるパンも同じように大事なんだよ」
「メロンパンと同じ……?」
 ルアンナはパンを受け取り食べる。外は甘くてさくさく、中はふわり。二つが一つになってこそ、メロンパンは完成する。ルアンナは少しだけ理解できた。
「また恥ずかしい話してる」
 そこへ口を尖らせながらやってくる伯母。伯父はバツが悪そうな顔をしていたが、おもむろにルアンナへと向き直った。
「……俺はお前達の事、守れていたか?」
 不意に問いかけられ、ルアンナははっとなる。周りの景色は急にぼやけ、そこにいるのは大人になったルアンナと、命日の朝と変わらぬ姿の伯父だけだった。
「うん。……これからは私が守ります。伯母様を。伯父様のお店を。お客様の笑顔を」
「頼りにしてるぞ」
 伯父がルアンナの頭に手を乗せた時、彼女の視界は暗転した。

●破戒衝動
 グノーシスに杖を捧げられたサイラスは、いつの間にか燃え尽きた集落の中に立っていた。点々と倒れるトカゲたちの骸を見ながらサイラスは一人合点して頷く。
「……なるほど。幻術としては大層強力な効果だな」
 普段から夢を見るほど寝ていない。最初から彼はほとんど正気だった。せっかく久方ぶりに見る夢だ。サイラスは試しに竜にでもなってやろうと、背中に意識を集中する。しかし翼はいつまでも生えてこなかった。サイラスは首を傾げる。
「でもって、こっちからの働きかけもさして意味を持たないってわけだ。こいつから抜け出すのは難儀しそうだな」
 サイラスは誰にでもなく呟くと、廃墟を歩き出す。とっくにけじめをつけて投げ棄てた景色だ。どこまでが本物の景色だったか覚えていない。それなりの数で攻め寄せたはずだったが、今は自分一人しかいなかった。
「サイラス」
 背後から声がする。そこに立っていたのは、白髪でしわくちゃの老婆。自分の育ての親だ。その姿を目に留めたサイラスは、僅かに笑みを浮かべる。
「よう。あれから色々あったが、生きてるよ」
 そう伝えると、老婆は安堵したように胸を撫で下ろす。
「そっか。お前は生き残ったんだな」
 さらにサイラスへ声をかける者がいる。奴隷のような扱いに耐えかねて脱走した二人の少年だ。あの頃のままの姿で、彼らはサイラスのところへ駆け寄ってくる。
「そうさ。でもってこの通り、俺達を縛っていた鎖はもう無くなったってわけだ。だから俺はこれから自由にやるつもりさ」
「自由って?」
 少年の片方が問いかける。サイラスは牙を剥いた。
「ちょっと竜になってやろうと思ってる」
「竜に……転生するって事か?」
 もう一人が首を捻る。サイラスは首を振った。
「違うね。何十回何百回転生したって、そんなものは仕方ないんだよ。それは正しい解じゃない。だから見つけるんだよ。俺なりのやり方を」
 呪文の紋様が刻まれた腕の鱗を見つめ、サイラスは眼を爛々とさせる。
「俺は邪竜になる。……そうすれば、俺はもっと自由になれる」
「邪竜だなんて」
 老婆の口から言葉が洩れる。サイラスはその眼光を老婆へ向けた。
「止めるか?」
 灼き尽くすような視線にあてられ、老婆は黙り込む。脇を固める少年達も、サイラスを及び腰で見上げるだけで何も言わない。サイラスはそんな三人をせせら笑った。
「まあ止められねえよな。お前達はもう死んでるんだ」
 サイラスは三人の肩越しに、燃え尽きた祭壇を見上げる。彼らの行いがいかに無駄で無意味で無価値か知らしめるための戦いは、まだ道半ばだ。

 ややあって、サイラスは目を覚ました。退屈そうに欠伸をする彼を眺め、グノーシスはやんわりと尋ねる。
「お気に召さなかったかな」
「この術は俺の求めてるもんと違うな。死霊術の類なんだろうが……魂に触ってるだけだ。魂自体をどうこうしてるわけじゃないだろ」
 サイラスに胸元を指差され、グノーシスは泰然と笑う。
「よくわかったね。確かにこの術は本来死霊術として用いる魔術だよ。死してなお未練を残す者の魂からその今際の姿を教えてもらって、生者に伝える術だ。言ってみれば、魂を看取るための術さ」
「そんな術を生者に掛けてどういうつもりだ……なんて普通の冒険者なら言うだろうけど、まあいいや。俺はそんなの興味ないし」
 サイラスは肩を竦めると、そのまま踵を返して歩き出す。
「じゃあな。新しい幻術開発の足しくらいにはなった」

●全てを奪われて
「……おしえて、ください。……わたしが、だれなのか。昔……なにがあったのか」
 椅子に腰かけたミゼリア・L・ステュクスは、グノーシスにおずおずと問いかける。彼はミゼリアの稚い顔から、ほんのわずかに目を逸らした。
「本当にいいのかい。きっと辛いよ」
「このままなのも、つらいんです……」
 グノーシスは僅かに耳を震わせると、静かにその杖を手にした。
「そうか。……なら。覚悟を決めることだ」
 押し殺したような声と共に、ミゼリアは砕けた記憶の幻惑へと沈んでいった。

 ミゼリアが気付くと、彼女は手足を広げて磔にされていた。身に纏う巫女の正装は襤褸切れ同然にされ、その身を大蛇が何匹も這い回っている。蛇が所構わず噛みつき、血の筋が足先まで伝う。苦痛と恥辱に押し潰され、気性の弱いミゼリアはただ息を詰まらせる。
 そんな彼女の耳を悲鳴が劈く。瞳だけを動かしてその悲鳴の主を見遣ると、親友のドミナもまた磔にされ蛇に襲われていた。垂木に堅く縛られ、無駄だとわかっていても、ドミナは声の限りに叫び抵抗している。既に蛇の毒に蝕まれ、血は流れてしまった後だというのに。
「いや! ミゼリア! 助けて!」
 喉が千切れそうなほど叫ぶドミナ。彼女を護りたいと願っても、ミゼリアが手にした剣も盾も既に蛇が踏み躙ってしまった。彼女に出来るのは、二人に訪れたこの悍ましい刻が終わってくれる瞬間を待つことだけだった。
(そうだ。わたしは、ドミナを護りたかったのに……護れなかったんだ……)
 目の前の惨劇に耐え切れず、ミゼリアは眼を瞑ろうとする。

「どうして助けてくれなかったの」

 だがその時、彼女の瞼を青白い指が押さえ込む。親友“だった”者は縄を逃れ、目の前にふわりと浮いてミゼリアを見下ろしていた。白い肌には蛇の這いずった痕が痣になり、噛みつかれた傷跡からは今も血が流れている。
「何もかもあなたのせいよ」
 その鋭い爪と牙が、彼女の怨嗟をこれでもかとミゼリアに見せつける。ミゼリアは魂を砕かんばかりに刻まれた絶望に打ち震え、口元を震わせる。
「ごめんね。……ごめんね、ごめんね――」

「……ごめんね」
 静かに目を覚ましたミゼリアは、うわごとのように謝罪の言葉を呟く。呟いてみたものの、誰に向けての呟きなのか思い出せない。正面のグノーシスに向き直ると、彼女は小さく頭を下げた。
「ごめんなさい。術をほどこしていただいたのに……なんだか頭にもやがかかって、なにも思い浮かんでこないです。つらい夢をみたことだけは……わかります」
「思い出さない方が良いこともあるよ。夢を書き留め続ける人間は狂ってしまうからね」
 グノーシスは肩を縮めると、机の引き出しから薬を一包取り出してミゼリアへ差し出す。
「今日はこれを飲んで寝るといい。今夜は夢を見ないで済む」
「はい……」
 ミゼリアはそっと立ち上がると、ぱたぱた歩いて診療所を後にする。頬杖ついたグノーシスは、微かに溜め息を吐く。

「エヴァ。……君も彼女のように出来たなら、もう一度死ぬ必要もなかっただろうに」

●真っ赤な幻
「……これは儀式の類か」
 ジュスト・ヴェルジーは呟く。導眠剤と眠気覚まし。二つが混じり合うせいで、ジュストは頭がぐらついてきた。
「その通り。けれどこの香や紅茶そのものに何か魔力があるわけではないよ。これはあくまで、状況を整える為のものさ」
「状況を……」
 眉を顰めた。目の前に立つ狼頭の男。声は若々しいが、その魔術の使い方は、むしろ横断的な知識に基づく老獪さが覗いている。
(見た目通りの齢ではないのか?)
 考えている間に、ジュストの頭へ杖が掲げられた。

 それは、まだジュストが少年の頃だった。親から離れて王都にあるヴェルジー家の邸宅に祖父と住み、学園で勉学に励む傍ら、祖父に厳しく魔術の手ほどきを受ける日々を過ごしていた。
 ジュストの魔術の才は確かだったが、いきなり祖父のような力が発揮できるはずも無く、気絶したり、そうでなくても寝台で動けなくなる有様だった。今日も久々の暇を取ってきた祖父から朝から指導を受け、昼間から臥せっていた。
「相変わらずひどい目に遭っているらしいな」
 そこへ見舞いにやってきたのがエルネスト・ヴェルジーだった。彼はジュストにとって憧れの的。その顔を見ただけでジュストの顔がほころぶ。
「叔父上。来てくださったんですね」
「ああ。そんなになるまで頑張っている甥っ子の、少しばかりの助けになればと思ってね」
 そう言って、叔父は数冊の本を革の鞄から取り出した。手に取ってみれば、種々の魔術の梗概を記した書物だ。
「あの方は天才で、何でも感覚でこなしてしまうからね。でも、まず最初は教本を読んで形から入った方がいいんだよ。何でも」
 その中に、一冊の古い本が混じっていた。金の箔押しが剥がれ、その題名はほとんど読めない。中を見ても、初めて見る単語ばかりでろくに読めない。
「……これは?」
「古い本だから見慣れない言葉ばかりだろう。ジュストもそのうち読めるようになるさ」
 エルネストはその本を歴史の本だと言った。一人の魔術師が世界を旅して記した紀行文で、読み解けば当時の大陸がいかな情勢だったかがわかると。
「王立図書館の司書としての課題だ。これを読めなきゃ一人前にはなれないよ」
「一人前に……」
 ジュストが本に綴られた文字を指でなぞっていると、不意に文字が歪な光を放つ。文字はあっという間に形を変えていき、複雑な魔法陣と呪文へ塗り替わっていく。
 激しく心臓が跳ねた。何かが本に喰われかけている。ジュストはそう気づいたが、本は掌に吸いついて離れない。
「ジュスト!」
 異変に気付いた叔父が、慌ててその本を鷲掴みにする。眩い光が弾け、二人は寝台から吹き飛ばされた。
 本がぱたりと絨毯に落ちる。そのページは深紅に染まっていた。

 ジュストは静かに目を覚ました。目頭を押さえて彼は呻く。
「性質が悪い……こんなのはただの白昼夢だ」
「君が見ようとしたんだよ。私はその手助けをしただけさ」
 グノーシスはあっけらかんと言う。ジュストは首を振った。
「あんなのが本当なわけはない。叔父が死んだのは、その数年後だ。あの日から後も、あの人は普通に仕事をしていた……」
「でもその時に何かがあった。叔父が死んだのは、何でもないように見えて、それがずっと尾を引いていたからだと思っているんじゃないのかな」
「貴様」
 個人の想いに土足で踏み込まれ、思わずジュストはグノーシスを睨む。

 だが、それでも何も言い返すことは出来なかった。

●汝人狼なりや
「やあ。君もホムンクルスだね」
 ルイドに向き合い、グノーシスは微笑む。彼の紅茶から、ほんのりと温かさが伝わる。
「望みを教えてもらおうかな。私に出来る事なら力になるよ」
「そうだな……俺がこんなになる前、一回死んだ日の事はちょっと頭に残っててな。もう少しその時の景色がはっきりすりゃ、俺がどんな人間だったか、多少なりと思い出せるかもしれねえと思ったんだ」
「つまり、その日をもう一度見たいんだね。……任せてもらうよ」
 杖を振り、グノーシスはルイドの記憶を開いた。

 風が吹いている。強い風が血を吸った土埃を巻き上げ、辺り一面を赤く染め上げている。そんな血の嵐の只中にルイドは立っていた。鉄と鉄が打ち合う音が聞こえる。その音がする方角を見ると、黒い人影が二人立ち、彼に向かって叫ぶ。
「こっちに来い! 力を貸せ!」
「この裏切り者め! 死ね!」
 助けを求める声と怒号が同時に響く。それを聞いたルイドは微かに思い出す。最期の夜、彼は小さな村の中にいた。山賊が襲いかかり、自警団が迎え撃つ。実力は拮抗し、次から次に人間が倒れていく。亡骸から噴き出た血が土を濡らし、嵐はますます紅くなる。
 人影は誰だっただろうか。ルイドは考える。村の自警団の団長だっただろうか。山賊の親玉だっただろうか。家族かもしれない。家族。村の家族か、山賊の中の家族か。人影だけを見ても、ルイドには皆目見当がつかなかった。
 村の真ん中に立ち尽くすルイドの目の前で、血で血を洗う戦いは続く。その手にいつの間にか握られていた剣の先を向けるべき場所もわからない。人が倒れていく様子を傍観している間に、村の彼方から唸り声が響いた。
 血霧の向こう側で、異形の影が次々と首を擡げる。唸り声を上げ、生き残った人間達に次々と喰らいついていく。隠れていた村人達も異形に次々引きずり出され、喰われていく。ルイドは剣を握り直すと、慌てて異形の影へと切りかかった。
 しかし既に多勢に無勢。ルイドは異形に後ろから掴みかかられ、そのまま全身に纏わりつかれる。その身体から毒が滲んでいるのか、触れた場所が焼けるように痛んだ。異形がぐりぐりと動いてルイドに向かい合う。その口元から滴る唾液が、ルイドの左目を穿った。
 目を毒に浸され、その貫くような痛みにルイドは思わず絶叫した。

 かくして苦痛を味わいつくした頃、ルイドははっと目を覚ました。診療室は相変わらず薄暗くて、グノーシスの顔がようやく見えるだけだ。
「さて。君は何を見たのかな。私としても、君の記憶に触れるのは少々難しかったよ」
「わかんねえな」
 見えたものはどうとでも捉えられる。裏切り者と聞こえた。つまり、生まれ故郷を襲うことになった山賊が、土壇場で仲間を裏切ったのかもしれないし、山賊団の中に生き別れの兄弟がいて、その兄弟を殺せずに裏切ったのかもしれない。
 いや、裏切り者という声はタダの妄想で。別に何かを裏切ったわけでもないかもしれない。ルイドは軽く頭を抱えた。
「何だか余計わからなくなっちまったな」
「おや。私の助けはむしろ余計だったかな」
 グノーシスは目を細めて首を傾げる。尻尾の先が僅かに揺れた。ルイドは肩を竦めると、おもむろに腰を上げた。
「ま、それっぽい何かが見えたのは確かだ。礼を言っとくぜ。また機会があるなら、そん時もよろしく頼む」
「ああ。よろしく」

●白雪の候
 甘い匂いの漂う診療所で、レティシア・レインフィールはグノーシスの淹れた紅茶を一口含む。すぐには喉を通さず、こっそり舌の中で転がしてみた。毒になるようなものが含まれていないかと。それを見たグノーシスは首を振る。
「毒になるようなものは入れていないよ。どれもこの王都で手に入るハーブだ」
「……失礼致しました」
 実際に味を見ても、彼の言うことに間違いは無さそうだ。レティシアは改めてカップを口元で傾ける。
「さて、単刀直入に聞くけれど。君は一体誰に逢いたいのかな」
「それは……」
 大切な人の横顔が脳裏に過ぎる。何度後悔し、夢に見ても、流れる時は残酷に心の奥の面影を削り取っていく。彼女にはそれがあまりにも恐ろしかった。
「……本当に、もう一度あの人に逢えるのですか?」
 思わず、縋るように尋ねる。グノーシスは僅かに髭を揺らすと、杖を彼女の額へ向けた。
「必ず逢えるよ。君の魂に痛いほど刻まれているからね」

 レティシアは気が付けば、聖霊節の雪を眺めていた。頬を涙が伝う。その隣に、本当はそこに居なかった“彼”が立っている。その幻想が彼女を打ちのめした。
「レティ、どうして泣いてる?」
 彼が口を開けば、愛しい声が聞こえてくる。レティシアは唇を噛んで俯く。
「そうか。またあの女に酷い事を言われたんだな」
 違う。レティシアは首を振ったが、彼は微笑みレティシアを抱き寄せ、そっと頭を撫でる。
「取り繕わなくていいんだぞ」
「違うの」
 レティシアの口から後悔が溢れる。
「ごめんなさい。一緒に逃げようって言ってくれたのに」
 選べないまま、機会を永遠に失った。愛しているなら手を離すべきだと、わかっていたはずなのに。レティシアは胸の内で呻く。
「怖いの。あなたや母様達を犠牲にして、せめてその死に報いる為にと頑張ったのに。私はあれからずっと、沢山の人達の命を取りこぼしてばかり」
 はらはらと涙を零しながら、彼を見上げる。
「こんな私に、生きている意味はあるの……?」
 尋ねられた彼は、困ったような顔をした。レティシアを一度強く抱きしめると、そっと彼女を引き離し、真っ直ぐ目を見据える。
「その答えは、自分にしか見つけられないものだ。レティが一番わかっているはずだろう?」
 レティシアははっとした。彼の瞳の向こうに、もう一人の自分が立っている。死んだ彼にさえ縋るのかと、彼女は目で問いかけていた。
「……だから帰るんだ。これ以上ここにいたら、進む道を間違える。階を踏み外す」
「進む道を間違える? それは一体……」
 レティが言葉を繰り返す前に、彼はとんと彼女の肩を押した。前のめりになっていた彼女の身体はあっという間に跳ね返り、そのまま後ろ向きへ倒れ込む。
「約束しただろう? 俺がレティをずっと護るって――」

 レティシアははっと目を覚ます。その瞬間目に飛び込んできたのは、金色の眼を爛々と輝かせる狼の姿。
「目を覚ましたね。……随分と辛いことがあったようだ」
 彼の慰めの笑みと、裏腹に獲物を見定めるような鋭い視線を見た瞬間、心の警鐘が一気に鳴り響いた。レティシアは弾かれたように立ち上がると、裾を払う間もなく踵を返す。
「……失礼します」

●因果応報の果て
 グノーシスは紅茶を淹れると、レピド・クロサイトへ差し出す。彼がカップの中を覗き込んでいると、グノーシスは杖を構えてゆったりと席に腰を下ろした。
「ホムンクルスだね。君のような客は少なくないよ。今日も既に二人来た。……君も、そうなる前の記憶を探りに来たのかな」
「まあ、そんなとこだろうな」
 自分の中に断片的に残っている悪行の記憶。ある時に聞かれた。悪だとわかって、何故それに手を染めたのか、と。その答えを知るために、彼はここへ来たのである。
「いいよ。なら眼を閉じてごらん……」

 レピドが放り出されたのは、昏い昏い海の底だった。海面には巨大な氷の塊が浮かび、全ての光を遮っている。纏わりつく水は余りに重く、彼は指一本動かす事すら難儀した。
「こっちを見な」
 そんな彼の左側から声が響く。何とか振り向くと、大きな水泡の中に一人の少年がいた。調理場でナイフを手に、野菜の皮むきをしている。そこへふらふらとやってきたのは、夜通し飲んだくれた酔客。急にそれは気を失い、少年へと倒れ込む。
 少年は咄嗟に手を突き出す。その手にナイフを握っていた事も忘れて。刹那、深紅に染まった泡がパチンと弾けた。
「次はこっちだ」
 今度は右から声がする。見れば、再びそれは泡の中。すっかりやせ細った少年の前に、一人の男が立っていた。彼はナイフを差し出し、パンを目の前に見せびらかす。
「我々は経験者を求めてる。コロシの経験者は貴重でね」
 少年の目の前に投げ出される一人の生贄。既に殴られ切られ虫の息。ナイフを握った少年は、雇い主の男に肩を叩かれる。
「さあ、まずは一思いにやるんだ」
 少年は黙したまま贄の前に近づき、そのナイフを高々と振り上げた。それを合図に、再び泡が弾ける。

 刹那、視界が暗転した。点滴が一日中額を打ち続ける。手足の爪の中を針が這い回る。死なない程度の毒を飲まされ、縛られたままのたうち回る。あらゆる苦痛を味わう中で、もう一度誰かの声が響いた。
「因果応報ってわけだよ。その痛みは」
 鑿の刃が後頭部に突き刺さり、そのまま金鎚が振り下ろされる。弾けるような痛み。レピドが芋虫のようにうごめき呻いていると、ついに目の前に現れた青年が、レピドをじっと見下ろす。
「簡単な話だ。誰かを殺せば俺は生きられた。だからそうした。ありふれた答えだ」
 膝をついてレピドの顔を覗き込み、青年は歯を剥き出す。
「落胆したか? それとも同情か? 授恵者(アンタ)には一生わかりやしない」
 “そう”生きることしか出来なかった青年は、獣のように唸る。レピドはそんな青年の顔をそっと撫でた。
「もしお前も授恵者だったなら、何かが違っただろうか。変わっただろうか?」
 青年は黙って眉間に皺を寄せる。レピドは彼の手を取ると、静かに起き上がる。
「そうだとしたら、まだ間に合うんじゃないのか」
 たった今見たものが本物の事実だとしても、自分が勝手に作り上げた物語だとしても、この苦痛が自分と繋がっているのなら。
「今度は水面の上を進めるはずだ」

 氷が割れ、深い海の底に一条の光が差す。身体がふわりと軽くなり、レピドは水面を目指してするりと泳ぎ始めた。

●幸せへの誘い
 グノーシスが杖を掲げた瞬間、マリア・クローフィは記憶と幻想の作り上げた世界へと落ち込んだ。かつて彼女が愛していた者達との日々へ還るために。

 屋敷の小さな中庭。マリアは生垣の真ん中のテーブルで紅茶を淹れていた。実家から送られてきた一級品だ。花のような香りに巻かれながら、彼女は庭を見渡す。鈴を鳴らすような声を上げて、子ども達が犬と追いかけっこをしている。夫は枝切鋏を手にして生垣の形を整えていた。庭の手入れは多忙な彼の唯一ともいえる趣味だった。
 お菓子の匂いに釣られたのか、犬が真っ先にテーブルへと駆け寄ってくる。テーブルに足を掛けて、くんくん匂いを嗅いでいる。夫はそんな犬を捕まえると、テーブルから引き離す。
「こらこら。ダメだぞ。……困ったヤツだ。この前なんか靴を隠されてしまった」
「悪戯ばっかりするようになっちゃったわね」
 夫婦揃って苦笑する。犬は舌を出して屈託なく笑っていた。
「賢いのは間違いないんだが……」
「僕達の方が賢いよ!」
 三人の兄妹達がやってくる。小さな皿にお菓子を取り分けながら、子ども達は口々に母へと訴えた。
「聞いて! 今日は苦手だった算術の問題を全部解けたの! 先生も褒めて下さったわ!」
「全部お母さんが教えてくれたおかげ!」
「どういたしまして。先生に言われなくてもちゃんと勉強するのよ」
「はあい」
 子ども達は茶菓子に手を伸ばす。その姿を眺めながら、夫は目を細めた。
「今年は蕾の成長が早い。この調子なら来週には花が咲きそうだ」
「春からずっと暖かいですものね……」

 何時の事かもわからない、何度となく繰り返した幸せな日々。心が温かくなる度に、脳裏で真実を伝える声が響く。
 これはまやかしだ。一たび目を覚ませば、全てを失った寂寥たる現実に押し戻される。
 既にマリアは正気に戻っていた。暖かいこの夢の世界に浸っていたいと思うほど、現実に戻れという声が響く。鮮やかだった視界が歪んでいく。
「ああ、みんな……」
 マリアは悲しみに咽びながら、夕暮れの中に沈んでいった。

 気が付いた時には、再びマリアは光を失っていた。幸福の虚像では、心に開いた穴は埋まらない。零れる涙を拭いながら、マリアは呻く。
「グノーシス様、家族に会わせて頂いたこと……感謝致します。ですが、この施術は本当に残酷でございます。愛する家族との暖かい日々を思い出すと、グノーシス様の施術に縋り依存してしまいそうです……」
「それではいけないのかい?」
 青年の穏やかな声が響く。見えない世界の向こうで、優しい聖職者の像が勝手に結ばれていく。彼は真っ直ぐマリアを見つめて訴えた。
「私はね、皆に幸せになってほしいんだよ。そのために私はこの力を使っている。君が縋りたければ、是非とも縋ってもらって構わないよ」
 グノーシスの言葉は、あまりに甘美に響いた。だからこそ。マリアは受け容れる事が出来なかった。
「……いいえ。遠慮しておきます。私には、やらなければならないことがありますので」

 重々しい腰を上げると、マリアは転げ落ちるように診療所を後にしたのだった。

●そして日常へ還る
「……一体どんな仕組みなんでしょう」
 パンを焼きながら、ルアンナはぽつりと呟く。途中までは記憶通りの話だったのに、気付いたら伯父は自分が死んでいると理解したような事を言い始めた。
 何かのからくりがあるのは間違いない。しかし、ルアンナはまだそれを測りかねていた。

 自室へと戻ったレティシア。彼女は寝台に倒れ込み、微かに吐息を洩らす。
「こんなことが起きるなんて」
 全て夢の出来事だった。あの夜、彼の自室は既に主を失い、昏い部屋の中、置き去りになった彼女への贈り物だけがレティシアを待っていた。あの部屋で二人睦び合うことなど叶わなかったのである。
(一体彼は何をしたというのでしょう。……どんな魔法を用いて……)
 彼の言葉――己の嫌な予感を、レティシアは一晩中考え続けていた。

 パンクリアース学園の図書館に籠り、ジュストは本の山の中で溜め息を吐く。彼の使った魔術の手掛かりがないか、一日中探ってみたが、徒労に終わってしまった。
「一体何者なんだ……あの男は……」

 サイラスは自らの工房へと帰る道すがら、今日受けたグノーシスの術の反芻をしていた。
「死霊術か……そのまま真似するってのも難しそうだな」
 夢の中に意識を固定する幻術。攻撃に用いてもかなり強力そうだが、グノーシスが専用の部屋を用意しているあたり、下準備が重要な術なのもサイラスにはわかっていた。
「どうにかイメージだけでも抽出出来ればいいんだけどなあ……」

ミゼリアはグノーシスに貰った薬の包みを開く。そこには小さく固められた一粒の丸薬が入っていた。その黒い粒を見つめながら、ミゼリアは頭の中をもう一度探ってみる。
「思いだせない……」
 しかし、すぐそこまでというところに近づいても届かない。まるで見えない壁に阻まれているかのようだ。
 忘れちゃいけない記憶のはずなのに。ミゼリアは薬を握りしめて悶々としていた。ずっと俯いていたから、そばを同じホムンクルスが通りかかったことに気付かない。

 ルイドは街角を平然と歩いていたが、頭に深紅の宝石が突き刺さった少女を見かけて立ち止まる。
(……あいつも同じか)
 同じホムンクルスなら、きっと似たような煩悶を抱えているのだろう。己が何者なのかわからず、事あるごとに立ち止まる。己に限ってはその煩悶が増えたような気がするが、それでも価値はあった。
 教えてやるか。そんな事を考えて足を戻すと、既に少女の姿はない。
「あれ? さっきまで……」
「そんなところを覗き込んで何してる」
 そこで声をかけられる。振り返ると、レピドが立っていた。彼は訝しげな顔をしていたが、ルイドの左目を見て目を瞬かせる。
「その眼……賢者の石か」
「おいおい、随分物分かりがいいんだな」
 ルイドがへらりと笑うと、レピドは逆に眉を顰めた。後頭部がちくりと痛む。
「……俺も同じだからだ」

 小路をふらふら歩いていくマリア。その背中をグノーシスは二階の窓からじっと見つめていた。茶菓子を盆にのせた少女がやってきて、グノーシスに尋ねる。
「よろしかったのですか?」
「……うん。彼女は、きっと私達とは縁がないから」
 彼は呟くと、のっそりと歩き出す。



「さあ、また来るよ。この世界にすり潰された人が」

 つづく

マスターコメント

皆さんご参加ありがとうございました。 これだけ文字数があっても、もっと文字数があれば書き込めたかな……なんて思ってしまうところですが、ひとまずお納め致します。 今回はいわば導入回。次回からいよいよ話が動いていく予定です。 よろしければまたご参加を。
ロングシナリオ

ロングシナリオ易しい 報酬:無し8 / 6〜8人

2022年09月20日 11時19分45秒 公開

成功

相談掲示板

  1. レティシア・R・クラティアス

    ……ごきげんよう。 ヒーラーのレティシア・レインフィールと申します。 皆様、よろしくお願い致します。 ただ、診察室は相席出来ず、一対一で臨むとの事ですので 基本的には各自が好きなように動かれる形となりますでしょうか。

  2. レピド・クロサイト

    レピド・クロサイトだ。よろしく頼む。 基本的にはそれでいいと思う。 終わった後に話し合うことは出来るみたいだから、そこはやりたい者同士で……という感じか。

  3. マリア・クローフィ

    ヒーラーのマリア・クローフィと申します…。 皆様、宜しくお願い致します。 グノーシス殿の施術は個人の記憶に根ざしたものであると見受けられますので、顔を合わせない方が都合が宜しい部分もございますわね…。

  4. ルイド

    ルイド。よろしく頼むわ。 そうだな、基本それぞれ好きにやって、 あとで感想なり言いたいor聞きたいならそっちはそっちで、でいいと思うぜ。

  5. No.5

    サイラスだ、よろしくなー まあ相談することもないけどもなー。話し合う内容がない

  6. ミゼリア・L・ステュクス

    ……ミゼリアです。よろしく、おねがいします。 きほんは、それぞれじゆうに……ですね。しょうち、しました。

アーカイブ生成日時 2026年08月05日 14時56分25秒 ・ world0