雨空クルーズ
崎田航輝
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シナリオID:2244
オープニング
しとしとと、空が雨模様になってきた。
風が潤いを帯び、小さな雫が天に煌めきはじめる頃。
この時期は静かに家の中で過ごすのもいいけれど――外で涼やかな景色を眺め、雨粒に季節の移ろいを感じるのも風流。
そんな人々がこの時期、舟をゆるりと漕ぎ出して……雨空の散歩に出かけていた。
辺境、アキュアリスタの一角にある街区ユーゼン。
シャルガネと交流の深いそこは、地区の長のはからいによって……現代的な街並みの中に瓦屋根の家々や石畳が垣間見える、独特の風情を有している。
特に、一部が石垣によって整備された水路は東方文化の色合いも含み――揺らめく水面までもが美しく評判だった。
だけでなく――
「こんな季節に舟を漕ぐのも、いいなあ」
人々が笑顔で穏やかな声を呟くのは……地元の人々の移動の為だけでなく、観光客も小舟を借りて乗る事が出来るからだ。
水路は道々に咲く初夏の花が芳しいだけでなく、上を仰げば枝垂れる木々も雄大な眺め。時折舟をつけて、水路沿いに出ている甘味店や食事処に寄るのも楽しみの一つだった。
そしてこの季節は、降り始めた雨に涼しさを求めるのも一興。
シャルガネから文化を取り入れて少数生産されている傘も、この街では借りる事が出来る。
雨が傘にあたる小気味好い音を楽しみ、涼風を味わって。ときに舟を漕ぎ、ときに街を歩み、人々は優しい雨天の時間を過ごしていた。
そしてそんな穏やかな景色を眺める、地区の長は……この街をもっと多くの人々に知ってもらいたいと思い立つ。
「シャルガネでも、観光客の増えている街があるようだから――」
この地区もそんなふうになればいい、と。
それは単なる打算だけではない。
単純に、自分が素晴らしいと思うこの場所を、まだ知らぬ人達に見てほしいと思う純粋な気持ちだ。
だから彼は、ここを楽しみ、そしてこの場所の存在を広めてくれるであろう者達――冒険者を招待する事を決めた。
そして静かな雨の降る日、冒険者達はユーゼンへ招かれる。
豊かな水の流れるその街で、冒険者達は――
風が潤いを帯び、小さな雫が天に煌めきはじめる頃。
この時期は静かに家の中で過ごすのもいいけれど――外で涼やかな景色を眺め、雨粒に季節の移ろいを感じるのも風流。
そんな人々がこの時期、舟をゆるりと漕ぎ出して……雨空の散歩に出かけていた。
辺境、アキュアリスタの一角にある街区ユーゼン。
シャルガネと交流の深いそこは、地区の長のはからいによって……現代的な街並みの中に瓦屋根の家々や石畳が垣間見える、独特の風情を有している。
特に、一部が石垣によって整備された水路は東方文化の色合いも含み――揺らめく水面までもが美しく評判だった。
だけでなく――
「こんな季節に舟を漕ぐのも、いいなあ」
人々が笑顔で穏やかな声を呟くのは……地元の人々の移動の為だけでなく、観光客も小舟を借りて乗る事が出来るからだ。
水路は道々に咲く初夏の花が芳しいだけでなく、上を仰げば枝垂れる木々も雄大な眺め。時折舟をつけて、水路沿いに出ている甘味店や食事処に寄るのも楽しみの一つだった。
そしてこの季節は、降り始めた雨に涼しさを求めるのも一興。
シャルガネから文化を取り入れて少数生産されている傘も、この街では借りる事が出来る。
雨が傘にあたる小気味好い音を楽しみ、涼風を味わって。ときに舟を漕ぎ、ときに街を歩み、人々は優しい雨天の時間を過ごしていた。
そしてそんな穏やかな景色を眺める、地区の長は……この街をもっと多くの人々に知ってもらいたいと思い立つ。
「シャルガネでも、観光客の増えている街があるようだから――」
この地区もそんなふうになればいい、と。
それは単なる打算だけではない。
単純に、自分が素晴らしいと思うこの場所を、まだ知らぬ人達に見てほしいと思う純粋な気持ちだ。
だから彼は、ここを楽しみ、そしてこの場所の存在を広めてくれるであろう者達――冒険者を招待する事を決めた。
そして静かな雨の降る日、冒険者達はユーゼンへ招かれる。
豊かな水の流れるその街で、冒険者達は――
解説
●概要
アキュアリスタにある地区「ユーゼン」へ観光に招かれました。
街の中にて過ごしてゆく事が出来ます。
時間帯、訪れる場所などは自由です。
●ユーゼンについて
アキュアリスタの一端にある地区です。
地区の長がシャルガネと交流が深いことで、現代的な街並みの中に東方風文化が織り交ぜられた街並みをしています。
地区は水路がいくつも通っています。
●行える事
街を自由に散策する事が出来ます。
当日は小雨が降っています。
短時間でずぶ濡れになるようなものではなく、気にしなければ気にならない程度です。雨除けをせずに歩んでいる人々も多くいます。
・水路
一部が石垣によって整えられた、東方風の風情を含んだ水路です。
木造の小舟を借りて、自由に水上の散策を楽しむ事が出来ます。
水路は端々に初夏の花が咲いています。また、藤の花など、枝垂れた木々も多くあり、水路を進んでゆくだけでも景観を楽しめます。
十人程度を乗せて船頭が舟を漕いでくれるクルーズもあります。こちらも参加自由です。
・食事
水路沿いや、通常の街中に甘味店や食事処があります。
甘味は景色によく合う澄んだくず餅が人気です。他、団子や善哉などの所謂和菓子の他、ケーキやミルクレープといったスイーツもあります。
食事は舟を漕ぎながら食べられるおにぎりなどが最近は人気です。
・傘
一人一本まで借りる事が出来ます。
所謂和傘で、竹の骨組みに油紙を張った美しいデザインが特徴的です。デザインは朱塗りの他、様々なものがあります。
・時間帯について
一日通して雨が降っていますが、空全体が曇っているわけではありません。
日中は時折雲間から光が差す景色が眺められ、夜間は星空を望むことも出来るでしょう。
夜は水路や道が灯籠、提灯に照らされます。
マスターより
辺境、アキュアリスタの一地区で観光を楽しむシナリオとなります。
行わなければならない事などはないので、自由に過ごしてみて下さい。
街には例として示した以外にも、普通の街にありそうな機能を持った施設なら存在します。
適宜過ごしたい場所を訪れてみると良いでしょう。
同行者がいらっしゃる場合は、お名前や共通のグループ名(人数なども併記して下されば確実です)などを記載して頂けると助かります。
皆様のプレイングを、心より楽しみにお待ちしております。
リプレイ
●雨の逍遥
ぽつり、ぽつり。
雫が小気味良い音を鳴らして雨の感触を伝える。
朱塗りの傘を手にしながら、サイラスは街を散策し始めていた。
「これはいい傘だな」
つゆ濡れた石畳を歩みつつ、改めて傘を仰ぐ。
竹によって精巧に造られた骨。そこに張られた油紙。
意匠の美しさと共に、積み重ねられた技術を感じる一品はサイラスにとっても興味深いもの。それを手に散歩を楽しむのも風流な心持ちだ。
「お、甘味処か」
と、視線の先に店を見つければ暖簾をくぐって品選び。おすすめだというからくず餅を買って食べ歩く事にした。
「確かにこれは景色に合ってるな」
澄んだくず餅は、まるで大きな雫のようだ。
零れそうなほど柔らかく、それでいてもっちりもしていて……口に運ぶと程よくつるりとした食感と、餡子の相性が抜群で美味だった。
「じゃ、こっちを」
と、視線を向けるのは共に連れている白の狼、大福。ペット用に薄い生地と甘さ控えめの餡を使ったお団子を手に入れたので、それを食べさせた。
わふ、と鳴いて大福が味わうと……サイラスもまた歩みを再開。街並みを眺めながら気ままに道を進んでゆく。
「こうしてみると、珍しい風景だな」
少し広い道に入ると、傘を差す人も多く見える。
傘というのは未だ一般的な道具とは言い難い部分もあって、全く使われていない地域も少なくない。
だから彩り豊かな傘が揺れるこの眺めは心楽しいものでもあった。
(金属の骨とか防水布なんかで作れたら便利だな。数も作れるかも知れないし)
そんな考えも抱きながら、すれ違う人々の傘にも目を留めてゆく。
視線を巡らせれば、水路を進む舟も見えて――穏やかな雨の中に流れるのは穏やかな時間だ。
だからこそ今は、政治の事も危険な戦いの事も考えるのはお休みにして。
「お、細道がある――」
サイラスは心の赴くままに歩を進め、雅なひとときを過ごしていった。
●穏やかな一日を
水路に停まった船に人々が乗り込んでゆく。
クルーズに参加する観光客達は、賑やかに話しながら船上の席に着いていた。エルナ・クルプファルツもそこへ参加しながら……静かに端の席に座っている。
元気いっぱいな普段の明るさを、今日は小休止させたように。
「これで、と――」
そっと差すのは風流な傘。
日常の景色に彩りを投げかけるような鮮やかさと共に、雅さも兼ねていて。それを広げると少しだけ周囲と距離が開いて一人の世界に入ったような感覚。
船が動き始めると、エルナは周りの喧騒と景色を眺めながら――ゆったりとクルーズを楽しみ始めた。
「……わぁ」
とぷりと船が水路を進むと、まず視界に入るのは道に咲く花だ。
雨空から色を受け取ったような、清廉な蒼の紫陽花や……華やかながら上品な花菖蒲。それが水面に映って揺らぐ姿もまた美しく。
(綺麗ですね――)
心に呟いていると、今度は視界の上方にも色彩が現れた。
少しだけ傘を上げてそちらを見やると、水路の両側から枝垂れる藤の花が見える。清らかな淡紫は空を透かして可憐に映えていた。
だけでなく、少しその花々が明るく煌めく。
見ると雨空の中に雲間があって――そこから光が差していた。
「あっ、虹……」
空色の瞳を少し眩さに細めていると、エルナはその輝きを見つける。雨に陽光が当たって、七色のアーチが架かっていたのだ。
人々の歓声が上がる中、エルナはそこでも静かに感動を抱いて。水路を一周してクルーズが終わると……休憩にと食事処へ入った。
頂くのはくず餅と、お茶だ。
外気でほんの少しだけ冷えた体に、温かなお茶は優しくて。餅を食べるとその甘味が心に沁みて行くようだった。
(とても癒やされますね――)
だからこそ、今日は元気を充填する日。
まだ見ぬ冒険を夢見るからこそ、美観も甘味も味わって。エルナはその穏やかな時間をゆるりと楽しんでいった。
●雨を愉しんで
編み笠に触れる雨粒が、静かで心地良い。
「趣深い街じゃな――」
ベルク・オスマットはその紐を軽く結び直して、道々の散策を始めていた。
全身を覆わずとも、これで丁度良く雨除けが出来る。頬に当たる風も、暖かさの増してきた季節と相まって快かった。
「……ふむ」
足元を見ると、大きな水たまりなどは多く出来てはいない。
ただ石畳や道端の花はほんのりとつゆ濡れていて、景色が一枚、透明の覆いを被ったように艶めいて美しかった。
(皆、この風流を楽しんでいるな)
視線を巡らすと、道行く人々は急がず足取りも緩やかだ。だからベルクもまたそこに交じって、ゆったりとした歩みを楽しんでゆく。
「む、甘味処か」
と、そこで目についたのが達筆な文字で描かれた看板だ。
雨の匂いに混じって仄かに甘い匂いも漂ってくるから……ベルクもまた自然と導かれるようにそこへ入っていった。
買ったのはお勧めだというくず餅。
「成る程、これはよく出来ている……」
落とさぬように翳してみると、景色が透けて見えるほどに透明だ。
勿論、中に入っている餡子も美味しそうだったから……ベルクは口を開けてあむり。
「ん、これは美味い」
蕩けるような透明の生地と、程よい甘みの餡の得も言われぬ相性に思わず頷いていた。
それから別の甘味店も見つけては立ち寄って食べ歩きをしてゆく。
団子に大福、時にお茶も挟んで……美観と共に味わう甘味はなんとも言えぬ寛ぎを与えてくれた。
「魅力ある文化は、地域を越えて波及してゆくのじゃな」
その実感に、手元でメモも残している。
これもまた帝国の為、後学の為……何かの役に立つ事もあろうと思っての事。
楽しみと共に、学びも自分の中に蓄えて。ベルクはまた充実した時間を過ごす為に歩き出してゆく。
●雨天の幸せ
「わぁ、色んな傘があるね!」
涼やかな雨に煌めく街の一角。
そこをアルバス・ロウルと共に訪れたルルト・アーキスは……貸出している傘の彩りに笑顔を浮かべていた。
「これは迷うな」
アルバスもまた目移りするそれは、朱塗りに藍、白妙と様々。
どれも魅力的で決めかねてしまうけれど……ルルトはあっと気づいて一本の傘を取る。
それは勿忘草にも似た青色だ。
「これ、きれい……!」
「では俺はこれを」
言ってアルバスが選んだは翡翠のような翠色。二人で笑み合って頷くと、共に傘を差して船着き場へと歩み始める。
「……あ、あれ買ってこう!」
と、ルルトが途中目を留めたのはおむすびの店。
「あれ? ああ、昼飯にちょうど良さそうだな」
それにはアルバスも目を惹かれ、鮭に梅、おかかと幾つかを選んで購入。包みを携えて水路の傍に向かった。
そこで借りるのは小舟。
丁度二人で乗るのに丁度よいそれに、共に乗り込むと――アルバスがゆっくりと漕いで水路を進み始めてゆく。
すると見えてくるのは――
「みてみて、あの花かわいい!」
ルルトが示す先、咲いているのは可憐な紫陽花。爽やかな蒼色が集まって水辺に優しい雰囲気を添えている。
「本当だな。あっちにもあるぞ」
「あっ、ほんとだ!」
アルバスが逆側を示すと、そちらにもルルトは瞳を輝かす。
蒼の紫陽花と向かい合う形で咲いているのは紫の紫陽花。過ぎ去りながら両方を眺めると、色の濃さでグラデーションが描かれていて……同じ花でも幾つもの顔が楽しめた。
また少し進めば艶やかな花菖蒲に、大輪の百合も咲いていて。花の高さの目線で楽しむ色彩は、道を歩むのとはまた違った趣があった。
「こうやって眺める花もいいな」
「うん!」
そんな心を共有出来るから、のんびりと過ごすこの一瞬一瞬が一層楽しくて。
ルルトがアルバスの漕ぐ姿も興味深げに見ているから、アルバスは櫂を少し持ち上げる。
「交代するか?」
「ほんと? やってみたい!」
ルルトが頷くから、アルバスは転ばないように手を差し伸べた。
笑顔で礼を言ったルルトは、アルバスの手を取り場所交代。水の重みを快く感じながら……時に思い通りに動かない事も楽しみつつ漕いでゆく。
そうしてまた暫し進むと……水面に淡紫の光が下りる場所を見つけた。
枝垂れた藤の花が水路の両側に咲いているのだ。
「きれい……!」
「ここで少し休憩するか」
という事で花をすぐ近くで望める位置で止まる。
動いてる感覚が無くなると、ぽつぽつと降る雨粒の感触が蘇ってくるけれど……ルルトは不意にそれが止まった気がして。
「……あれ?」
不思議そうに見上げると、そこには傘。アルバスが差してくれていたのだ。
ルルトは嬉しくなって笑いを零す。
「ありがと」
「どういたしまして」
アルバスがそう言ってくれるから、ルルトは彼もまた濡れないようにと少し横に動いてくっついた。
そうして距離の近さにどきどきしながらも……買ったおむすびの包みを開く。
「美味しそう……!」
「本当だ」
すると一層お腹も減ってくるから――仄かに花の香りも漂う中、二人は早速おむすびを一つずつ手にとって。
まずはルルトがあむりと頬張って……満面の笑顔。
美味しいご飯に綺麗な景色、隣には自慢の相棒。それが何より嬉しかったから。
「ふふふー、美味しいね♪」
「ああ、美味しいな」
同時に頬張っていたアルバスも、ふと隣を見てその笑顔に気づくから……自分もまた笑みを咲かせていた。
ゆらり、ゆらり。
藤の花が揺れるたび、雲間から透けた太陽の光が紫を帯びて降り注ぐ。その光が水面に踊る、美しさの中で……二人はかけがえのない時間を過ごしていった。
●ふしぎ亭と舟紀行
雨粒が静やかな音色を奏でて、景色を優しい透明色に彩る。
そんな街並みへ、ふしぎ亭の一行も訪れていた。
「何だか素敵な雰囲気のところだね……!」
道に歩み入りながら、ララベル・サン・ディーベルは見回してわくわく。初めて訪れるその風景に心を踊らせている。
テュリン・ヴィングも後に続きながら視線を仰がせていた。
「雨が降ってるみたいだけど、気にするほどでもないし大丈夫かな」
「そうね。傘は差さなくても大丈夫そう」
イル・シャーリィも周囲を見回して頷く。
観光客には傘を差しているものも多いけれど、町人にとっては慣れている事でもあるのだろう、雨除けをしていない人も少なくなかった。
という事でこちらも傘は差さずに散策を始める。ヒロ・テスタロッサも元々小雨程度は気にもならないから……早速軽やかに歩み出して。
「あっ、店がある!」
視線の先にあるのはお菓子の店。
シャルガネ風のものから、定番の品々までを揃えているようで……アルラ・ニグラスはぽん、と手を合わせる。
「舟に乗る前に、何か買っていきましょ?」
「ああ」
それに皆と共に頷くのはゴルバルティア。少し頭を下げて暖簾をくぐると……甘やかな匂いに視線を巡らせる。
「色々あるな」
「ん~、それじゃあ、まずはこれと、これと……」
と、ヒロはどら焼きや大福を買うけれど……その美味しそうな見た目に待ちきれなくなって。
「ちょっと食べていかない?」
それに皆は顔を合わせつつ、笑みを零して。丁度大きな野点傘で雨を避けられるテラスがあるので皆でそこに座った。
早速どら焼きをあむりと食べて、ヒロは笑顔。
「美味しい!」
「ん、本当だ――」
と、ゴルバルティアはケーキを口に運んで頷く。少食ゆえ、一度に食べる量は少ないけれど……生地のふんわり感とクリームの甘味は十二分に楽しめた。
アルラもお茶を頂きつつ、街を見やる。
「良いところね」
「そうだな……」
応えるゴルバルティアもその思いは同じだ。
「色鮮やかで凄く綺麗ってわけでもないけど、こういう控えめな綺麗さってのもなかなかいいもんだな」
「舟、楽しみだね」
ララベルもそう心から呟く。そうして休憩を終えると立ち上がって。
「ご飯も買って行こうよ!」
指差す先におにぎりのお店があるから、皆もそこへ。おかかに明太子、いくらに五目……思い思いの品を買って、水路を目指す事にした。
その内に船着き場が見えてくると、イルは期待感を抱きつつも……ふと予感に似たものも感じないではなく。
(なんか恒例のやらかしにも付き合わされそうだけど……)
それでもぶるると首を振って。
「いやいや、今回こそは思い通りにはいかないわよ!」
ぐっと拳を握るのだった。
一行は六人で乗れる舟を借りて、乗り込む事にする。
「船ってほとんど乗ったことないんだよねー、楽しみー♪」
言いながらヒロが踏み入るそこは、狭くもなく大きすぎる事もなく。二列で丁度六人が乗れる小型のものだ。
「んー、私が乗って大丈夫か……」
呟きながらゴルバルティアも続くが――舟はバランスもしっかりしている。流線型の形が美しいだけでなく、安定性もあるようだ。
そうして皆が乗ると、ララベルやゴルバルティアが櫂を取って……ゆっくりと漕いで水路を進み始めた。
水上を揺蕩う感覚は心地よく。雨が膚に当たる感覚もほんの少しだけ強くなって涼やかだ。
(こういうふうにのんびりと揺られるのって、好きかも――)
寛いだ心地でアルラが瞳を細めていると……その視線の先に、ふと鮮やかな色彩が現れる。
蒼い紫陽花に、紫の花菖蒲。純白や赤の百合も咲いていて――テュリンはそれに思わず目を惹かれていた。
「色んな花が咲いているのね」
「うん。綺麗だね。水路から見るとまた違って……」
ララベルもまたゆるりと見回す。
道端の花も、水路から見るとより目線に近い。色味と共に香りもより強く感じられるようで……テュリンも目を閉じて暫しそれを楽しんだ。
だけでなく、不意に一層香りがするようになると――目を開けてあっと気づく。藤の花が左右から垂れて、空を隠す程になっていた。
「こうやって進んでると花で出来たトンネルを通ってる気分かな」
「ええ、素敵ね……」
イルも少々見惚れるように、緑の瞳に清廉な藤色を映す。
「水の街ってところかしら」
「普段からこういう中で生活するってのも、良さそうだな……」
ゴルバルティアは呟きつつ、下方に視線をやる。
雨と跳ねた水で、足元と尻尾はかなり濡れてしまっている。けれどこの景色の中では気にならない……尻尾は寧ろ、艶も出ている程だから。
操船を代わったヒロも、細い水路に入ると楽しげだ。
「結構難しい……けど、えいっ!」
水流の早い場所でも上手く曲がって、舟をぶつけない。優美な景色の中で、冒険感も楽しめるひとときを堪能しているのだった。
「それはそうと、ベルは何故に顔を赤くしてるの?」
テュリンの言葉に、「えっ」とララベルが目を見開いた。
花を眺めていたララベルは、上方から視線を戻して舟を漕ぎ直そうとしていたのだが……そこで何やらそわそわしていたのだ。
「いっ、いや、その……」
「んー? ベル君はどこ見てたのかなー?」
と、ヒロが言ってにやにやしているのは――ララベルが皆の濡れ透けた服を見ていると判っていたからである。
ララベルの慌てる様子に、アルラもすぐに気づく。というのもアルラも今日は鎧でなくブラウスを着ていて……それが雨に濡れている自覚もあったから。
「あらベル、見てたの?」
「ごっ、ごめん……!」
ララベルはばっと目をそらすが……その方向には丁度イルが居て、その姿にもまたララベルは顔を赤らめていた。
イルは急に恥ずかしくなって体を隠す。
「私は透けるとこないから、いつもと変わらないでしょ!」
「い、いや、濡れてるだけでも色っぽいし……」
「そういうのを面と向かって言うな!」
もじもじ応えるララベルにイルも照れて叫ぶ、そんな様子にテュリンは苦笑を零している。
と、ララベルはそちらにも目をやってまた顔を赤くしているので……テュリンは半ば呆れるように息をついた。
「っていうかベル、このくらいだったら見慣れてるんだから、顔を赤くしなくても」
「べ、別に慣れてるわけじゃ……わっ!」
ララベルはそれに否定しつつもまた視線を逸らそうとして――不意にバランスを崩す。
「のわっ!?」
すると倒れ込んできたララベルに、テュリンも巻き込まれて――押し倒される形で舟上に転げてしまった。
勢いで、ぐわんぐわんと舟が揺れる。「おっと!」とヒロはその身軽さを生かして縁に逃れ、事なきを得ていたが――
「ごっ、ごめん!」
ララベルが立ち上がろうとして、また蹴躓いて……今度はゴルバルティアの胸を掴む。
「……!」
ゴルバルティアは赤面すると共に、全力ビンタ。ララベルはヒロもろとも水の中へ吹っ飛ばされるのだった。
ばしゃーん、と水が跳ねてテュリンやイルまで落ちかけて。
「ちょっと、まず舟の安定を……!?」
言いながらもまた一人二人と落水して……暫しわちゃわちゃと騒ぎが続くのだった。
「皆、ごめん……」
ようやく皆で舟の上に戻り、ララベルは正座で謝罪を述べていた。
「このくらい何でもないよ。水の滴るいい女ってね♪」
と、軽く水気を払ったヒロは笑顔のままだ。
他の皆もひとまず事故だったという事で納得して話を終えると……テュリンがおにぎりを取り出す。
「それじゃ、食事にしましょうか」
それには皆も賛成。
「なら、ちゃんと拭いておかないとね」
アルラは言ってタオルで体を拭き始めるが……またチラチラとララベルの視線を感じるので、ちょっと悪戯。少々オーバー気味に服をまくったりして、反応を楽しんだりする。
そこでテュリンが「はい、ベルのぶん」とおにぎりを渡すので、ララベルは気もそぞろのままに手を伸ばして――テュリンの胸を掴んだ。
「って、ベルそれおにぎりじゃないわよっ!?」
「わっ、ご、ごめん!」
そうしてまたララベルが大慌て。体勢を崩してイルの服をズリ下ろしてしまう。
「きゃあっ! い、いい加減にしなさいっ!!」
イルは思わず突き飛ばして、ララベルは二回目の落水。中々食事すらままならないのだった。
それでも一応、皆の助けでララベルが舟に上がってくると……ゴルバルティアが体を拭いてあげて、今度こそランチタイム。お茶も用意して皆で食事を始めた。
「ん、美味しい!」
仄かな塩気の米と、鮭の相性にララベルが笑顔を見せると……皆もそれぞれに頷く。
どんな具材にもよく合うのがおにぎりのいいところ。騒動の精神的疲れも癒すように、皆はゆっくりと栄養補給した。
「勿論、お菓子もね」
と、テュリンがくず餅を用意すると、皆も大福や金鍔で趣深い甘味を堪能。
「そっちもおいしそ~。お団子多めに買ってるし少し交換しない?」
「勿論」
アルラの言葉に、テュリンがくず餅を分けると皆もそれぞれにシェアをして。
必ず予想外の出来事が起きてしまうけれど、それもまたいい思い出にして。皆で緩やかな小雨の時間を楽しんでいった。
●甘雨
薄雲から注ぐ小雨は穏やかで、風も柔らかい。
そんな快い空気の中で……街の一角へやってきたエフィルミアは視線を巡らせていた。
「素敵な街――」
「ああ、良い雰囲気だな」
と、共に歩むシルヴィア・A・カペルもまた頷く。
雨滴を纏った景色は僅かに彩度が落ちたように見えて穏やかだ。
けれど同時に人々が差す傘が花のように鮮やかで……
「水路から見る花も楽しみだな」
言って道の先を見つめるのはナキル。そこには水路への船着き場があって――観光客や町人が小さな舟で漕ぎ出している様子が見て取れた。
エフィルミア達も頷き合って、そこへ。自分達の目的も、他でもない水路の散策だから……丁度三人で乗れる舟を借りる事にする。
「よっ、と」
と、まずひらりと乗り込むのはナキル。
その小舟は大きさからすればよく安定しているけれど……水上にゆらゆらと揺蕩っているのは事実。
だから乗りやすいようにと、ナキルは片手で舟を押さえて、逆の手を差し出した。
「不安定だからな」
「ありがとう」
シルヴィアはその手を自然に取り、そっと舟に乗る。
その様子をエフィルミアは少々見つめていた。
(ナキルくん、紳士的でかっこいいし……手を取るシルヴィ姉様も優雅で絵になるなぁ……)
なんて思っていたら、ナキルがエフィルミアにも手を差し伸べる。
エフィルミアは見つめつつ、少し照れた気持ちを浮かべて。
(まあ、私はシーフだし。手を貸して貰わなくても全然平気なんだけど? ……ここはナキルくんを立てて!)
心の中でそう呟きながらもその手を取ったのだった。
自分は優雅じゃないかも知れない、とは思うけれど――ナキルはバランスが崩れぬよう、気遣うように背もそっと支える。
「大丈夫か?」
「う、うん――」
その気遣いが判るから、エフィルミアはまた少しだけ照れながら……舟に座るのだった。
そうしてナキルが舟を漕ぎ出すと、シルヴィア達は操船は任せて前方を眺め始める。
「あっ、花が見えてきましたよ!」
エフィルミアは声を明るくして少々身を乗り出した。
そこに青空のように澄んだ色の紫陽花が咲いている。花は水路に沿って長く連なっており――何とも華やかな眺めだ。
進んでいく連れ、青だけでなく紫の紫陽花も見えてくる。シルヴィアも瞳を細めてその美観を楽しんでいた。
「色の移り変わりも楽しめていいね」
「本当ですね……!」
エフィルミアも頷いては、次々に現れる花に見惚れる。
隣り合って楽しげにしているそんな二人を、ナキルは眺めつつゆっくりと舟を進めさせてゆく、と――
「少し広い所に出るぞ」
角を曲がった先にあるのは、幅広の水路。
澄んだ水面が一層雄大に見えて美しい、ばかりでなく――道の両側に藤が生り、高い位置から花弁が枝垂れていた。
「わぁ……!」
エフィルミアは暫し瞳を輝かせた後……ここで美味しいものが食べられたら最高だと、買っておいたくず餅を用意する。
「甘い物を食べましょう姉様!」
「ああ。でも――」
と、シルヴィアは頷きながらも少し何かを考える
そしてナキルとエフィルミアを交互に見てから、促すように言った。
「ナキルは手が塞がってるね。あーんしてあげたらどうかな?」
「えっ?」
エフィルミアが少し目を見開くと……ナキルもそちらを見やっている。
(あれ、なんか凄い顔してる)
それでも勿論ナキルとしては嬉しい。
流石に先輩とも先生とも言えるシルヴィアの前ではちょっと照れるけれど……せっかくの機会だからと。
「ミアが食べさせてくれるなら良いんだけどなぁ」
「……」
するとエフィルミアもまた少々顔を赤らめながらも――くず餅を差し出した。
「漕いでたら食べられないから! 特別に!」
「おっ、いいのか」
「粉が落ちちゃうから早く食べてよね!」
エフィルミアは言いつつも、「あ~ん」したナキルの口元に運んであげて……ナキルがもぐもぐと味わう様子を眺めている。
「ふふ、エフィは素直じゃないんだから――」
そこが可愛らしいんだけれどね、と。シルヴィアも呟きつつ、その様子を微笑ましげに見ているのだった。
だけでなく、シルヴィアもまたエフィルミアへくず餅を差し出して。
「今度はこちらだ。ほら、あーん」
「いいんですか? あーん」
エフィルミアは勿論嬉しそうにあむりと受け取って。透明感の強い生地と、その優しい甘さを楽しんでゆく。
そしてお返しに、エフィルミアもくず餅を差し出して。
「はい、シルヴィ姉様も」
「それじゃあ、あーん」
シルヴィアもあむっと食べて、瞳を細めた。
「優しい甘さだね。滑らかな口当たりだ」
「あんまり他所では味わえないものっていいよな」
ナキルが言えば、二人も頷いて。
「エフィ、この大福も美味しいよ」
「本当ですか? それじゃあ――」
そうしてまた次の美味を堪能しては、美しい藤の花の景色も満喫する。
揺蕩う舟の上で過ごすその時間は、無二の穏やかさ。甘く涼やかで、楽しいひと時を……三人はゆっくりと送っていった。
●雨空デート
瓦屋根を伝って落ちる雨粒に、つゆ濡れる灯籠。
シャルガネの風情を街に合わせて踏襲したその景色の中を、アルマ・ヴァレンタインとエヴァン・ピオネロは並んで歩み始めていた。
「倭桜の街ともまた違っていいところだねー」
「本当ですね。傘も綺麗です」
アルマの言葉に頷きながら、エヴァンは今しがた借りてきた傘をくるくると回す。竹と油紙で造られたそれは、見た目にも精緻で心が躍った。
アルマも「うん」と応えて雨の音に耳を澄ます。
綺麗な傘で、しっとりと雨の日デート。それもまたわくわくとするから。
「まずはどうしようかー」
「せっかくですし、めいっぱいに雨を楽しみませんか?」
エヴァンが静かそうな道を指差すと、アルマも頷いてそちらへ。人通りがないらしいと判ると、一度笑み合ってから走り出した。
石畳は水気に艶めいて、つるりと滑りそうにもなる。けれどその感覚もまた楽しむように、二人はすいすいと道を駆けていく。
そうして澄んだ水たまりを見つけると、エヴァンはジャンプ。
「エイッ!」
そのまま飛び込むと、パシャっとアルマにも水をかけていた。
「わっ、やったなー! まてまてー!」
アルマもやり返そうとすると、エヴァンが笑ってまた走り出すから、暫し追いかけっこをするように駆け回って。
少しの後には、二人で心地よい疲労感と共に……灯籠のそばに座って笑い合っていた。
「何だか、幼い頃を思い出しました」
エヴァンは想起するように口を開く。
「勢いよく散る水が面白くて……気付いたら泥だらけになってました。アルマは雨の日、どうしてましたか?」
「ボクも遊んでたよー。雨のときは泥でお団子を作ったり、ソレをピッカピカに磨いたりしてねー」
「泥団子ですか。磨いた事は無いですね……」
想像すると夢中で磨いてしまいそうだ。それも楽しそうだから――エヴァンは次回、作ってみようと決めるのだった。
と、くぅ、とお腹が鳴る。
「……お腹が空きませんか? 近くに食事処は無いでしょうか」
「あっ、あそこに甘味処があるよー」
アルマが差す先には風流な暖簾の掛かった店があった。
「寄ってみよっか」
「賛成です!」
という事で早速二人で店に入ると……仄かに甘やかな匂いが漂う中、幾つもの品が並んでいる。
どれも美味しそうで迷ってしまうけれど、アルマはお団子を選びつつ。
「なんかイイ感じのくず餅もあるよー」
「それじゃあ、ぼくはそれを!」
その綺麗さに惹かれてエヴァンはくず餅を購入。屋根の下、景色を楽しめる席で頂く事にした。
まずはアルマがお団子を一口。たっぷりと餡子の乗った一品だけれど、しつこくなくて優しい甘さが魅力的だ。
「美味しいー」
「こちらも美味しいです」
エヴァンもくず餅を口に運んで微笑んでいる。透明な生地がぷるりとしていて、中の餡子と共に味わうと得も言われぬ美味だ。
勿論、食べさせあいっこも。
「はい、あーん」
「あーん――」
アルマの差し出したお団子を、エヴァンがもぐもぐと楽しむと……エヴァンもくず餅を差し出して、アルマに食べさせてあげて。
「美味しかったねー」
「はい、本当に」
エヴァンはお腹をちょっと擦って満足の心持ち。
眺めるほどに景色も美しいから。
「雨でも楽しめるのはアキュアリスタの良い所ですね…」
「そうだねー」
アルマも頷いて、暫し共にゆったりと過ごした。
それから雨が弱まってくると、立ち上がって。
「そろそろ帰ろっか」
エヴァンも肯いて、共に歩み出す。
遠景を見ると雲が晴れていて、少しだけ朱に染まって見える。
その光に瞳を細めつつ、エヴァンは隣を向いて。抱き上げますか、とジェスチャーで問いかけていた。
アルマが応える代わりに両手をバンザイして、抱っこ待ちの体勢を取るから……エヴァンはニコッと笑んで抱き上げる。
そうして二人仲良く、帰路へ向かい始めた。
「やっぱりこのポジションが落ち着くねー」
「ぼくもホッとしますよ」
アルマの言葉にエヴァンはまた微笑みを零す。夕焼けで少し暖かくなる中、心もまたぽかぽかとさせて――二人は道を進んでいった。
●涼雨
雨の匂いの間に、淡く甘い香りが漂ってくる。
「このあたり、甘味処が並んでるな」
海神・江流と共に道を歩んできたカイン・ステラは……風情ある軒が並ぶ通りを見回して、その表情に期待を浮かべていた。
その辺りでは、道行く人々も菓子を手にして歩いている。シャルガネの影響の強い街というのも本当らしく、そのどれもが東方風の色濃いものだ。
だからこそ何を食べるか、江流は少々迷う。
「ここではくず餅が人気なんだったか。同じ材料なら、くずきりもありそうだけど」
「くずきり……餅とは違うのか」
カインが尋ねると、江流は頷いた。
くず餅は蒸し上げるけど、くずきりは湯煎で固めた後に茹でてその後冷水で冷やす。同じ透明感でも、食感から違うものになる、と。
カインは成る程と頷く。
「なら、くずきり食べようぜ」
くず餅もいいけれど、水の都ならそちらを食べて見たくなったのだ。
「アキュアリスタだからこそ、か。いいね」
江流もそう同意すると……丁度それが売られている店を見つけた。
くずきりと言えば、蜜もまた楽しみの一つ。そこでは黒蜜から甘くないものまでたくさん揃っていて、二人は少々目移りするけれど。
「美味しそうだし、青梅の甘露煮とシロップで食べる奴にしよ」
カインがそれを選ぶと、江流も「良さそうだな」と応えつつ、同じものを購入。せっかくだからとくず餅も一緒に買う事にする。
食べる場所は、店でもいいけれど――江流は外の水路の方を向く。
「どうせなら舟の上で楽しもうか」
「良いな」
頷き合うと、石畳の道を歩み出した。
雨の覆いを着た石灯籠に、瓦屋根。紫陽花の花に柳の葉。二人は道々の眺めも楽しみながら――水路で小舟を借りる。
「よっ、と」
傘を肩にかけたまま、江流が乗り込むと……カインも後に続いて櫂を取り漕ぎ出した。
そうして藤の花の天蓋がかかる、幅広の水路に出ると――そこで櫂を置いてくずきりを頂く事にする。
澄んだ水路に雨色の景色、そこにくずきりの透明色もよく映えて。
「すぐ千切れちまうからすっと口に運ぶといいよ」
「ああ。梅のシロップに入れて、っと……」
江流の言葉に応えつつ、まずはカインが一口。つるりと啜って、柔らかくも小気味好い歯ごたえに、ん、と頷く。
「甘酸っぱいけどさっぱりしてるな」
甘さが丁度良くて、涼やかな風味を楽しめる。くずきり自体の透明感も損なわない濃度で、飽きが来ない味付けだ。
「常温でもまぁいいんだけど、ちゃんと冷やして出してもらえると違うよな」
と、江流もちゅるりと食べて清涼感を堪能する。
食べ物と水音、雨音で涼を取りつつ流れに身を委ねる――そんな快い時間の中でゆっくり楽しむ味わいは、格別だ。
青梅の甘露煮も、カインは初めて見たけれど……酸味が程よくて美味。
「家でも作ってみてぇな……」
「作るだけならくずきりも難しくはないから、やってみると良いんじゃないか」
江流が言いながら手順を説明してあげていると――カインはその様子にふと素朴な疑問を抱いたように顔を向ける。
「あ、そういや……江流の百合姫様に手料理振舞ったことあんの?」
「うーん、実はない、かな」
茶会に招かれた事はあるけど、と。
江流はその人の顔を想起しながら答えた。
(ただ、会って話せるだけでいいのに――)
今はその機会すらないというのは、寂しいもので。
「だから、こいつもまだ紹介してやれてないんだ」
江流は言って肩に乗る白毛の鳥、揺満月を指で撫でる。
揺満月がじゃれるように少し囀るから、江流は微笑んで、またくずきりを口に運ぶ。
心に巡る思いはあれど、涼やかな寛ぎは快い。だからカインもまたゆったりと美味を味わって。
「よし、進むか」
また舟を漕ぎ出して、水路を前進していった。
●雨下のひとときを
数人の客が船に乗り込んでゆく。
もうすぐ始まるクルーズに、キーゼとネーヴェ・グラヌローザもまた参加する為に船着き場へとやってきていた。
「ここでは船が人々の生活の足でもあるんですね」
クルーズの他にも、町人達の乗る小舟が時折過ぎ去ってゆく。その景色に、ネーヴェは興味深げに声を零していた。
キーゼも頷く。
「実用と美観を兼ねた、稀有な眺めですね」
言いながらも……船に乗るネーヴェに手を差し出して、倒れないようにと支えて上げた。
ネーヴェは礼を述べながら、一角の席について見回す。
「二人で漕ぐのではなく、今日はクルーズなのですね?」
「ええ。小舟を借りることも勿論、考えましたが」
キーゼは応えながら、その隣に座った。
「漕ぐのに集中すると貴女と楽しめませんからね」
「まぁ、そんな理由でしたのね」
ネーヴェがそっと笑いを零すと、キーゼは「傘も」と言葉を続けながら広げる。それはネーヴェのイメージに近い白と青のツートンだ。
「一つの方がくっついていられるでしょう?」
「でしたら、もう少しお傍に寄りませんと」
ネーヴェも言うと、傘を持つキーゼの腕に自身の腕を絡めて寄り添った。
その内にゆっくりと船が動き出す。
すると人々が歓声を上げて、一層賑やかになるけれど。二人にはどこか、それが少しだけ距離をおいて感じられる。
同時に互いを近くに感じるようで。
「傘の所為か、それとも雨の所為かしら。いつもより声が近く聞こえるような気が致します」
「ええ」
自身も同じ気持ちだと、言いながらキーゼは景色にも視線を巡らせていた。
細めの水路から広い水路に映ると、美しい家並みが視界に入ってきて……同時に道端に見える花の数も一気に増えてくる。
「流石は水上都市ですね。水路一つとっても魅せ方がしっかりしている」
「そうですね。それにどの建物も、風流で」
ネーヴェは瓦屋根の家々にも目を惹かれながら頷いていた。
と、そこですれ違う小舟がある。
水路上で物品販売を行う商人だ。クルーズ向けでもあるのだろう、姿をみとめると互いに速度を落としていた。
「何か買っていきましょうか」
キーゼの言葉にネーヴェも頷いて、品々を眺め始める。
並ぶのは食べ物を中心にした彩り豊かな商品。二人は少々迷ったものの――
「僕は善哉を……そちらは何にします?」
「私はくず餅に致しますわ」
という事でそれらを購入。
他の客達も買い物を終えて、また船が進み出すと……二人は早速実食。キーゼが善哉の甘味を一口楽しむと、隣ではネーヴェもくず餅を見つめて。
「とても綺麗……まるで水のようですわ。……ふふ、美味しい」
そっと食べると、笑みを零す。
だけでなく、ネーヴェは一口分を分けてキーゼに手ずから食べさせてあげて。
「どうぞ。……ね、美味しいでしょう?」
「――確かに」
あむりと食べたキーゼは、その優しい甘味に頷きを返して。自身もまた善哉を分けてあげて、その美味を共有した。
と、船は藤の花の美しい一角に入ってゆく。
「そういえば去年の今頃でしたか? 雨の日に書いただろうお手紙を頂いたのは?」
キーゼはそれを想うように口を開いた。
ネーヴェもはにかみながら、それを想起する。
「もう一年が経つんですね。……手紙のお返事を今、改めて頂いても?」
その言葉に、キーゼは静かに頷きながらも――ここでは口にせず。
「そうですね、では今度二人きりのときにでも」
今は花と水の景色を、ただゆったりと隣同士で過ごそうと。
ネーヴェもそれに応えるよう、再び寄り添って。揺蕩う流れの中で、二人は穏やかな時を感じていた。
●兄妹
薄っすらと雨色に染まった家並みが、静やかで美しい。
風も涼やかで快く、一度深呼吸するように空気の匂いを味わって――アステルは街を歩み始めていた。
目指す場所は水路。
そこで小舟を借りると、そっと乗り込んで漕ぎ始める。
するとゆっくりと景色が流れて……家々の眺めもまた違ったものに見えた。
「穏やかで、素敵だな――」
道には人通りがあるけれど、小雨の中では賑やかという程ではなく。行き交う人々は時折傘を差してその色彩でも楽しませてくれる。
「あっ、花」
そして水路を曲がって進むと、瞳に映るのは道端に生る花。
青に紫、淡い紅色もあって華やかなそれは紫陽花だ。道の先まで連なって見えるから、一気に景色に色彩が溢れたようで。
「綺麗……」
花はグラデーションを描くように植わっており、そばを通り抜けてゆくとその色の変遷を楽しめて一層心が洗われる思い。
そして次の水路を進むと、今度は藤の花が上方から枝垂れてくる。
「わぁ――」
雨粒と戯れるように、仄かに揺れる淡紫の花弁が清らかで。アステルは見惚れるように暫く、その景色を仰いでいた。
その間も舟が緩やかに進むのは、水路自体に清流のような流れがあるからだ。故にアステルは時折その流れに舟を任せ、空を眺めたりする。
と、ふとその空が眩くなった。
瞳を細めてみると、雲間から陽光が溢れ出している。その煌めきが雨粒を七色に輝かせ、虹のアーチを架けていた。
(凄い……)
虹の天上では、天使の梯子が出来ていて……光と影、そして色彩が作る神々しい景色にアステルは感嘆を零す。
美しさは、舟旅を終えた後も心に焼き付いていて。それも含めて、散策した印象を形にしようと――アステルは雨の当たらぬ一角で絵を描き始めた。
「ここは、こうして……」
景色を思い起こして筆を動かしながら、表現は写実的というよりはイメージ重視。光も影も色もあるけれど、幻想がそのまま表れたような絵だ。
それでいて、花も陽光もどこかそれと判る。美しく鮮やかながら、それは確かにこの街の印象をしっかりと象ったものだった。
「うん!」
これで良いかな、と作業を一段落させたところで……アステルはあっと気づく。
視線の先に、道をゆく兄――キオルティスを見つけたのだ。
「ルティスお兄ちゃん!」
「おや、アステル!」
愛する妹の姿に、キオルティスも足を止めて笑顔を見せる。そして歩んでくるとアステルの絵に目を留めた。
「絵を描いていたんだね。とても綺麗だ」
心からの言葉に、アステルが「ありがとう」と笑みを返すから、キオルティスも微笑んで。
「何か食べたかい?」
「ううん、まだ」
「そうか。それじゃあ、近くにお菓子が食べられる所があるから行こうか?」
それにはアステルも勿論頷いて。
二人で甘味処へ寄ると、おすすめだというくず餅を購入。屋根の下、景色を楽しめる外の席で頂く事にした。
くず餅は透明の生地が柔らかく、大きな雨粒のよう。食べると中の餡子がなんとも穏やかな甘味で美味だった。
「美味しいね」
「ああ」
二人は笑み合って、お茶も頂き一息つく。
さらさらと雨の音が響く中では、時間も緩やかに流れているようで……キオルティスは竪琴を優しく爪弾いてそんな瞬間を彩った。
アステルはそれに耳を澄ます。
景色に美味に、大好きな兄と共にいる時間。その幸せにゆったりと揺蕩うように、目を閉じて音色を楽しんでいた。
●雨色散歩
降雨はあるけれど、雫は頬に軽く触れるような優しさだ。
石畳の道に入った御邑 奈月は、その優しい涼やかさに視線を少しだけ仰がせていた。
「雨、あんまり……強くない、みたいだね」
「おぉー」
と、奈月の隣を歩みつつ手を伸ばしているのは御邑 都。その手を仄かに濡らす雨粒に、頷きを見せている。
「この雨なら、傘いらないねぇ~♪」
このまま散歩しようか、と。
言った都の言葉に奈月も「うん」と頷いて。穏やかな雨滴の中、二人は着の身着のままで街を散策し始めていた。
歩む先には瓦屋根の家並みに、石灯籠。それらが雨で艶めく景色も美しく、目を引かれてしまうけれど……二人が目指していたのは――
「あっ、水路……」
奈月が目を留めた先、そこには小さなせせらぎのような音を聞かせる水路があった。
揺蕩う水面は雨空の下で煌めいていて、それもまた綺麗だけれど……二人のお目当ては舟での散策。早速小さな舟を借りてそこへ乗り込んだ。
少し揺れる中、都が支えてあげるのに奈月はお礼を言って座る。
「え、と……櫂……」
「僕がお舟漕ぐから大丈夫だよぉ~♪」
奈月が少し重そうに手に取っていたそれを、都が受け取る。奈月が非力なのはよく分かっているから、最初からそのつもりだ。
「……ご、ごめんなさい……お姉ちゃん……」
「いいよぉ~」
申し訳無さそうにしている奈月を、都はよしよしと撫でてあげながら。「ありがとう」と改めてお礼が返ると、都は「えへん♪」と胸を張って漕ぎ始めた。
と言っても漕ぐのは初めてだから、ゆっくりと。揺蕩う感覚も楽しみながら、水路にそって進行してゆく。
漕ぎながら周囲に注意を払うのは意外に大変、だけれど奈月が前方や両側を確認して、逐一状況を知らせていた。
「あ、もう少し先……曲がり角、だよ」
「うん。ありがとねぇ~」
だから都もすいすいと危なげなく進み、景色にも目を楽しませてゆく。
と、そこから曲がった先で……ふと視界に色彩が広がった。道端に幾つもの花が咲き誇り、雨に美しく濡れていたのだ。
都はそれに笑顔を浮かべて、視線を巡らせていた。
「おぉー。……あのお花、なんだろぉーねぇ~?」
「あ。紫陽花の花……だよ、お姉ちゃん。綺麗……だね」
奈月も表情を和らがせて、花々を見つめる。
紫陽花は静やかな青色から、高貴さを思わせる紫、華やかな赤紫まで揃っている。そのどれもが比類ない美しさで、思わず二人で見とれていた。
それからそんな景色を堪能しつつ進むと、水路が開けてくる。同時に二人は視線を上にやっていた。
「あれは……藤の花、だね」
「すごいねぇ~」
幅の広い水路の両側で、天から枝垂れるように咲くのは藤の花。淡い紫が雨空に透けて、幻想的な色合いを見せていた。
ここなら他の舟とぶつかる心配もないので、都は櫂を動かして岸に寄せる。
「お腹減ったから、ご飯にしよっかぁ~」
うん、と頷く奈月は都と共におにぎりを取り出す。
舟に乗る前に二人で買っておいたものだ。鮭に梅におかかを取り揃えて、どれにしようかと楽しく迷いながら……共に実食。
「えへへぇ~♪ 美味しいねぇー」
「……ん、美味しい、ね」
都の言葉に奈月も応え、二人で笑みを交わす。
だけでなく、食べ合いっこもしようと都がおにぎりを差し出して。「あーん」と近づけられたおにぎりを奈月があむりと食べて、その逆も楽しんで。
「いい景色だねぇ~」
「そう、だね」
美観と美味に、のんびりとした時間。それをゆっくりと楽しむように、二人は風に小さく揺れる花を見つめていた。
●雨と花の時間
雫の粒は小さく、さらさらと快い。
街へとやってきた水瀬・希は、空を仰いでそっと手をかざし……その感触を確かめていた。
「雨は降っとーけど、気にならん感じやねぇ」
これから、散策を始めようという所。
このくらいの雨なら、歩くにも不便はなさそうだから……希は隣のレイラ=ルナフィニスへ視線を向ける。
「傘はどーすっと?」
「わたしは問題ないですわ」
浅く水の溜まった石畳を、ぱしゃりと鳴らしてレイラは笑みを見せた。
ならばと希も頷いて。
「ウチも傘は要らんばい。このまま散歩すると」
「そうですね。では行きましょう。舟もあるみたいですけれど――」
レイラが視線を遠方にやると、舟が揺蕩う水路も見える。どうします、と尋ねる視線に、希は少し悩ましげな顔を見せた。
「舟……やか? うーん……舟……ぇ、ウチは……じっとしとーのがキツイけんあまり……なぁ……」
「では、歩いて街を巡りましょうか。希さん」
という事で、二人並んで雨の景色を歩み出す。
「ごめんなぁ~」
「いいえ。歩いて街を回るの、楽しいじゃないですか」
レイラは少し足取りを軽くして、道を進んでゆく。
石灯籠に瓦屋根。雨の潤いを帯びた家並みは静けさと共に雅な風流さを増していて……どこか非日常の感覚を与えてくれる。
レイラは故郷でも、多少の雨も意に介さず歩いたものだから。
「ふふ♪ 街中ですがまるで故郷にいるみたいですわね」
上機嫌で、ステップを踏むように散策してゆく。
だから希も笑顔を浮かべて、共に進んでゆくと……ふと淡い香りと共に景色に色味が満ちてきた。
水路沿いの道端に、幾つもの花が咲き誇っているのだ。
青から紫へ、進むに連れてグラデーションになって見えるそれに――レイラは一歩一歩歩みながら見惚れないではいられない。
「とても綺麗ですね……なんという花でしょう」
「あ。こん花は紫陽花ゆーて、今の時期に咲く花ばい」
希は答えながら、自分も一つ一つを愛でるように眺めてゆく。その落ち着いた可憐さが、心を清らかにしてくれるようで。
「むぞらしかねぇ♪」
「あっ、また新しい花が見えてきましたよ――」
と、次にレイラが見つめるのは次の通りに入った先の、上方。見上げる高さの木々が立ち並び、空からぶら下がるように花が枝垂れていた。
その華やかさに、おぉ、と希も声を零しつつ。
「こん薄紫色の花は藤ゆーと。ばり綺麗な色やねぇ♪」
「……フジ……というのですね。可愛らしい名ですね」
レイラはゆっくりと味わうように、風に揺れる藤を観賞してゆく。
咲いている花はどれも綺麗で飽く事がない。レイラは他にも様々な花の名を、希に聞いては頷いていた。
「流石。わたしとは違い諸国を巡っている希さんですわ♪」
「そう言われると、照れると……♪」
希はそう微笑みつつ、自分もこの景色には感心を覚える。
「シャルガネとの親交があるだけあって、情緒がすごかね――」
こんな眺めの中で過ごす時間は、特別なもの。
だからきょろきょろと見回した希は……近くに甘味処を見つけてレイラを誘った。
「奢らせてほしかばい♪」
「良いんですか?」
レイラの言葉に希は頷く。舟を辞した事を申し訳ないと思っていて……その埋め合わせをしたかったのだ。
勿論、一緒に美味しいものを食べるのが、単純に楽しみでもあるから。
「それじゃあ、行きましょう」
レイラが言うと、希も足取り軽く店に寄って。二人でくず餅や団子の美味を楽しんで――また穏やかな景色の中を歩み出してゆく。
ぽつり、ぽつり。
雫が小気味良い音を鳴らして雨の感触を伝える。
朱塗りの傘を手にしながら、サイラスは街を散策し始めていた。
「これはいい傘だな」
つゆ濡れた石畳を歩みつつ、改めて傘を仰ぐ。
竹によって精巧に造られた骨。そこに張られた油紙。
意匠の美しさと共に、積み重ねられた技術を感じる一品はサイラスにとっても興味深いもの。それを手に散歩を楽しむのも風流な心持ちだ。
「お、甘味処か」
と、視線の先に店を見つければ暖簾をくぐって品選び。おすすめだというからくず餅を買って食べ歩く事にした。
「確かにこれは景色に合ってるな」
澄んだくず餅は、まるで大きな雫のようだ。
零れそうなほど柔らかく、それでいてもっちりもしていて……口に運ぶと程よくつるりとした食感と、餡子の相性が抜群で美味だった。
「じゃ、こっちを」
と、視線を向けるのは共に連れている白の狼、大福。ペット用に薄い生地と甘さ控えめの餡を使ったお団子を手に入れたので、それを食べさせた。
わふ、と鳴いて大福が味わうと……サイラスもまた歩みを再開。街並みを眺めながら気ままに道を進んでゆく。
「こうしてみると、珍しい風景だな」
少し広い道に入ると、傘を差す人も多く見える。
傘というのは未だ一般的な道具とは言い難い部分もあって、全く使われていない地域も少なくない。
だから彩り豊かな傘が揺れるこの眺めは心楽しいものでもあった。
(金属の骨とか防水布なんかで作れたら便利だな。数も作れるかも知れないし)
そんな考えも抱きながら、すれ違う人々の傘にも目を留めてゆく。
視線を巡らせれば、水路を進む舟も見えて――穏やかな雨の中に流れるのは穏やかな時間だ。
だからこそ今は、政治の事も危険な戦いの事も考えるのはお休みにして。
「お、細道がある――」
サイラスは心の赴くままに歩を進め、雅なひとときを過ごしていった。
●穏やかな一日を
水路に停まった船に人々が乗り込んでゆく。
クルーズに参加する観光客達は、賑やかに話しながら船上の席に着いていた。エルナ・クルプファルツもそこへ参加しながら……静かに端の席に座っている。
元気いっぱいな普段の明るさを、今日は小休止させたように。
「これで、と――」
そっと差すのは風流な傘。
日常の景色に彩りを投げかけるような鮮やかさと共に、雅さも兼ねていて。それを広げると少しだけ周囲と距離が開いて一人の世界に入ったような感覚。
船が動き始めると、エルナは周りの喧騒と景色を眺めながら――ゆったりとクルーズを楽しみ始めた。
「……わぁ」
とぷりと船が水路を進むと、まず視界に入るのは道に咲く花だ。
雨空から色を受け取ったような、清廉な蒼の紫陽花や……華やかながら上品な花菖蒲。それが水面に映って揺らぐ姿もまた美しく。
(綺麗ですね――)
心に呟いていると、今度は視界の上方にも色彩が現れた。
少しだけ傘を上げてそちらを見やると、水路の両側から枝垂れる藤の花が見える。清らかな淡紫は空を透かして可憐に映えていた。
だけでなく、少しその花々が明るく煌めく。
見ると雨空の中に雲間があって――そこから光が差していた。
「あっ、虹……」
空色の瞳を少し眩さに細めていると、エルナはその輝きを見つける。雨に陽光が当たって、七色のアーチが架かっていたのだ。
人々の歓声が上がる中、エルナはそこでも静かに感動を抱いて。水路を一周してクルーズが終わると……休憩にと食事処へ入った。
頂くのはくず餅と、お茶だ。
外気でほんの少しだけ冷えた体に、温かなお茶は優しくて。餅を食べるとその甘味が心に沁みて行くようだった。
(とても癒やされますね――)
だからこそ、今日は元気を充填する日。
まだ見ぬ冒険を夢見るからこそ、美観も甘味も味わって。エルナはその穏やかな時間をゆるりと楽しんでいった。
●雨を愉しんで
編み笠に触れる雨粒が、静かで心地良い。
「趣深い街じゃな――」
ベルク・オスマットはその紐を軽く結び直して、道々の散策を始めていた。
全身を覆わずとも、これで丁度良く雨除けが出来る。頬に当たる風も、暖かさの増してきた季節と相まって快かった。
「……ふむ」
足元を見ると、大きな水たまりなどは多く出来てはいない。
ただ石畳や道端の花はほんのりとつゆ濡れていて、景色が一枚、透明の覆いを被ったように艶めいて美しかった。
(皆、この風流を楽しんでいるな)
視線を巡らすと、道行く人々は急がず足取りも緩やかだ。だからベルクもまたそこに交じって、ゆったりとした歩みを楽しんでゆく。
「む、甘味処か」
と、そこで目についたのが達筆な文字で描かれた看板だ。
雨の匂いに混じって仄かに甘い匂いも漂ってくるから……ベルクもまた自然と導かれるようにそこへ入っていった。
買ったのはお勧めだというくず餅。
「成る程、これはよく出来ている……」
落とさぬように翳してみると、景色が透けて見えるほどに透明だ。
勿論、中に入っている餡子も美味しそうだったから……ベルクは口を開けてあむり。
「ん、これは美味い」
蕩けるような透明の生地と、程よい甘みの餡の得も言われぬ相性に思わず頷いていた。
それから別の甘味店も見つけては立ち寄って食べ歩きをしてゆく。
団子に大福、時にお茶も挟んで……美観と共に味わう甘味はなんとも言えぬ寛ぎを与えてくれた。
「魅力ある文化は、地域を越えて波及してゆくのじゃな」
その実感に、手元でメモも残している。
これもまた帝国の為、後学の為……何かの役に立つ事もあろうと思っての事。
楽しみと共に、学びも自分の中に蓄えて。ベルクはまた充実した時間を過ごす為に歩き出してゆく。
●雨天の幸せ
「わぁ、色んな傘があるね!」
涼やかな雨に煌めく街の一角。
そこをアルバス・ロウルと共に訪れたルルト・アーキスは……貸出している傘の彩りに笑顔を浮かべていた。
「これは迷うな」
アルバスもまた目移りするそれは、朱塗りに藍、白妙と様々。
どれも魅力的で決めかねてしまうけれど……ルルトはあっと気づいて一本の傘を取る。
それは勿忘草にも似た青色だ。
「これ、きれい……!」
「では俺はこれを」
言ってアルバスが選んだは翡翠のような翠色。二人で笑み合って頷くと、共に傘を差して船着き場へと歩み始める。
「……あ、あれ買ってこう!」
と、ルルトが途中目を留めたのはおむすびの店。
「あれ? ああ、昼飯にちょうど良さそうだな」
それにはアルバスも目を惹かれ、鮭に梅、おかかと幾つかを選んで購入。包みを携えて水路の傍に向かった。
そこで借りるのは小舟。
丁度二人で乗るのに丁度よいそれに、共に乗り込むと――アルバスがゆっくりと漕いで水路を進み始めてゆく。
すると見えてくるのは――
「みてみて、あの花かわいい!」
ルルトが示す先、咲いているのは可憐な紫陽花。爽やかな蒼色が集まって水辺に優しい雰囲気を添えている。
「本当だな。あっちにもあるぞ」
「あっ、ほんとだ!」
アルバスが逆側を示すと、そちらにもルルトは瞳を輝かす。
蒼の紫陽花と向かい合う形で咲いているのは紫の紫陽花。過ぎ去りながら両方を眺めると、色の濃さでグラデーションが描かれていて……同じ花でも幾つもの顔が楽しめた。
また少し進めば艶やかな花菖蒲に、大輪の百合も咲いていて。花の高さの目線で楽しむ色彩は、道を歩むのとはまた違った趣があった。
「こうやって眺める花もいいな」
「うん!」
そんな心を共有出来るから、のんびりと過ごすこの一瞬一瞬が一層楽しくて。
ルルトがアルバスの漕ぐ姿も興味深げに見ているから、アルバスは櫂を少し持ち上げる。
「交代するか?」
「ほんと? やってみたい!」
ルルトが頷くから、アルバスは転ばないように手を差し伸べた。
笑顔で礼を言ったルルトは、アルバスの手を取り場所交代。水の重みを快く感じながら……時に思い通りに動かない事も楽しみつつ漕いでゆく。
そうしてまた暫し進むと……水面に淡紫の光が下りる場所を見つけた。
枝垂れた藤の花が水路の両側に咲いているのだ。
「きれい……!」
「ここで少し休憩するか」
という事で花をすぐ近くで望める位置で止まる。
動いてる感覚が無くなると、ぽつぽつと降る雨粒の感触が蘇ってくるけれど……ルルトは不意にそれが止まった気がして。
「……あれ?」
不思議そうに見上げると、そこには傘。アルバスが差してくれていたのだ。
ルルトは嬉しくなって笑いを零す。
「ありがと」
「どういたしまして」
アルバスがそう言ってくれるから、ルルトは彼もまた濡れないようにと少し横に動いてくっついた。
そうして距離の近さにどきどきしながらも……買ったおむすびの包みを開く。
「美味しそう……!」
「本当だ」
すると一層お腹も減ってくるから――仄かに花の香りも漂う中、二人は早速おむすびを一つずつ手にとって。
まずはルルトがあむりと頬張って……満面の笑顔。
美味しいご飯に綺麗な景色、隣には自慢の相棒。それが何より嬉しかったから。
「ふふふー、美味しいね♪」
「ああ、美味しいな」
同時に頬張っていたアルバスも、ふと隣を見てその笑顔に気づくから……自分もまた笑みを咲かせていた。
ゆらり、ゆらり。
藤の花が揺れるたび、雲間から透けた太陽の光が紫を帯びて降り注ぐ。その光が水面に踊る、美しさの中で……二人はかけがえのない時間を過ごしていった。
●ふしぎ亭と舟紀行
雨粒が静やかな音色を奏でて、景色を優しい透明色に彩る。
そんな街並みへ、ふしぎ亭の一行も訪れていた。
「何だか素敵な雰囲気のところだね……!」
道に歩み入りながら、ララベル・サン・ディーベルは見回してわくわく。初めて訪れるその風景に心を踊らせている。
テュリン・ヴィングも後に続きながら視線を仰がせていた。
「雨が降ってるみたいだけど、気にするほどでもないし大丈夫かな」
「そうね。傘は差さなくても大丈夫そう」
イル・シャーリィも周囲を見回して頷く。
観光客には傘を差しているものも多いけれど、町人にとっては慣れている事でもあるのだろう、雨除けをしていない人も少なくなかった。
という事でこちらも傘は差さずに散策を始める。ヒロ・テスタロッサも元々小雨程度は気にもならないから……早速軽やかに歩み出して。
「あっ、店がある!」
視線の先にあるのはお菓子の店。
シャルガネ風のものから、定番の品々までを揃えているようで……アルラ・ニグラスはぽん、と手を合わせる。
「舟に乗る前に、何か買っていきましょ?」
「ああ」
それに皆と共に頷くのはゴルバルティア。少し頭を下げて暖簾をくぐると……甘やかな匂いに視線を巡らせる。
「色々あるな」
「ん~、それじゃあ、まずはこれと、これと……」
と、ヒロはどら焼きや大福を買うけれど……その美味しそうな見た目に待ちきれなくなって。
「ちょっと食べていかない?」
それに皆は顔を合わせつつ、笑みを零して。丁度大きな野点傘で雨を避けられるテラスがあるので皆でそこに座った。
早速どら焼きをあむりと食べて、ヒロは笑顔。
「美味しい!」
「ん、本当だ――」
と、ゴルバルティアはケーキを口に運んで頷く。少食ゆえ、一度に食べる量は少ないけれど……生地のふんわり感とクリームの甘味は十二分に楽しめた。
アルラもお茶を頂きつつ、街を見やる。
「良いところね」
「そうだな……」
応えるゴルバルティアもその思いは同じだ。
「色鮮やかで凄く綺麗ってわけでもないけど、こういう控えめな綺麗さってのもなかなかいいもんだな」
「舟、楽しみだね」
ララベルもそう心から呟く。そうして休憩を終えると立ち上がって。
「ご飯も買って行こうよ!」
指差す先におにぎりのお店があるから、皆もそこへ。おかかに明太子、いくらに五目……思い思いの品を買って、水路を目指す事にした。
その内に船着き場が見えてくると、イルは期待感を抱きつつも……ふと予感に似たものも感じないではなく。
(なんか恒例のやらかしにも付き合わされそうだけど……)
それでもぶるると首を振って。
「いやいや、今回こそは思い通りにはいかないわよ!」
ぐっと拳を握るのだった。
一行は六人で乗れる舟を借りて、乗り込む事にする。
「船ってほとんど乗ったことないんだよねー、楽しみー♪」
言いながらヒロが踏み入るそこは、狭くもなく大きすぎる事もなく。二列で丁度六人が乗れる小型のものだ。
「んー、私が乗って大丈夫か……」
呟きながらゴルバルティアも続くが――舟はバランスもしっかりしている。流線型の形が美しいだけでなく、安定性もあるようだ。
そうして皆が乗ると、ララベルやゴルバルティアが櫂を取って……ゆっくりと漕いで水路を進み始めた。
水上を揺蕩う感覚は心地よく。雨が膚に当たる感覚もほんの少しだけ強くなって涼やかだ。
(こういうふうにのんびりと揺られるのって、好きかも――)
寛いだ心地でアルラが瞳を細めていると……その視線の先に、ふと鮮やかな色彩が現れる。
蒼い紫陽花に、紫の花菖蒲。純白や赤の百合も咲いていて――テュリンはそれに思わず目を惹かれていた。
「色んな花が咲いているのね」
「うん。綺麗だね。水路から見るとまた違って……」
ララベルもまたゆるりと見回す。
道端の花も、水路から見るとより目線に近い。色味と共に香りもより強く感じられるようで……テュリンも目を閉じて暫しそれを楽しんだ。
だけでなく、不意に一層香りがするようになると――目を開けてあっと気づく。藤の花が左右から垂れて、空を隠す程になっていた。
「こうやって進んでると花で出来たトンネルを通ってる気分かな」
「ええ、素敵ね……」
イルも少々見惚れるように、緑の瞳に清廉な藤色を映す。
「水の街ってところかしら」
「普段からこういう中で生活するってのも、良さそうだな……」
ゴルバルティアは呟きつつ、下方に視線をやる。
雨と跳ねた水で、足元と尻尾はかなり濡れてしまっている。けれどこの景色の中では気にならない……尻尾は寧ろ、艶も出ている程だから。
操船を代わったヒロも、細い水路に入ると楽しげだ。
「結構難しい……けど、えいっ!」
水流の早い場所でも上手く曲がって、舟をぶつけない。優美な景色の中で、冒険感も楽しめるひとときを堪能しているのだった。
「それはそうと、ベルは何故に顔を赤くしてるの?」
テュリンの言葉に、「えっ」とララベルが目を見開いた。
花を眺めていたララベルは、上方から視線を戻して舟を漕ぎ直そうとしていたのだが……そこで何やらそわそわしていたのだ。
「いっ、いや、その……」
「んー? ベル君はどこ見てたのかなー?」
と、ヒロが言ってにやにやしているのは――ララベルが皆の濡れ透けた服を見ていると判っていたからである。
ララベルの慌てる様子に、アルラもすぐに気づく。というのもアルラも今日は鎧でなくブラウスを着ていて……それが雨に濡れている自覚もあったから。
「あらベル、見てたの?」
「ごっ、ごめん……!」
ララベルはばっと目をそらすが……その方向には丁度イルが居て、その姿にもまたララベルは顔を赤らめていた。
イルは急に恥ずかしくなって体を隠す。
「私は透けるとこないから、いつもと変わらないでしょ!」
「い、いや、濡れてるだけでも色っぽいし……」
「そういうのを面と向かって言うな!」
もじもじ応えるララベルにイルも照れて叫ぶ、そんな様子にテュリンは苦笑を零している。
と、ララベルはそちらにも目をやってまた顔を赤くしているので……テュリンは半ば呆れるように息をついた。
「っていうかベル、このくらいだったら見慣れてるんだから、顔を赤くしなくても」
「べ、別に慣れてるわけじゃ……わっ!」
ララベルはそれに否定しつつもまた視線を逸らそうとして――不意にバランスを崩す。
「のわっ!?」
すると倒れ込んできたララベルに、テュリンも巻き込まれて――押し倒される形で舟上に転げてしまった。
勢いで、ぐわんぐわんと舟が揺れる。「おっと!」とヒロはその身軽さを生かして縁に逃れ、事なきを得ていたが――
「ごっ、ごめん!」
ララベルが立ち上がろうとして、また蹴躓いて……今度はゴルバルティアの胸を掴む。
「……!」
ゴルバルティアは赤面すると共に、全力ビンタ。ララベルはヒロもろとも水の中へ吹っ飛ばされるのだった。
ばしゃーん、と水が跳ねてテュリンやイルまで落ちかけて。
「ちょっと、まず舟の安定を……!?」
言いながらもまた一人二人と落水して……暫しわちゃわちゃと騒ぎが続くのだった。
「皆、ごめん……」
ようやく皆で舟の上に戻り、ララベルは正座で謝罪を述べていた。
「このくらい何でもないよ。水の滴るいい女ってね♪」
と、軽く水気を払ったヒロは笑顔のままだ。
他の皆もひとまず事故だったという事で納得して話を終えると……テュリンがおにぎりを取り出す。
「それじゃ、食事にしましょうか」
それには皆も賛成。
「なら、ちゃんと拭いておかないとね」
アルラは言ってタオルで体を拭き始めるが……またチラチラとララベルの視線を感じるので、ちょっと悪戯。少々オーバー気味に服をまくったりして、反応を楽しんだりする。
そこでテュリンが「はい、ベルのぶん」とおにぎりを渡すので、ララベルは気もそぞろのままに手を伸ばして――テュリンの胸を掴んだ。
「って、ベルそれおにぎりじゃないわよっ!?」
「わっ、ご、ごめん!」
そうしてまたララベルが大慌て。体勢を崩してイルの服をズリ下ろしてしまう。
「きゃあっ! い、いい加減にしなさいっ!!」
イルは思わず突き飛ばして、ララベルは二回目の落水。中々食事すらままならないのだった。
それでも一応、皆の助けでララベルが舟に上がってくると……ゴルバルティアが体を拭いてあげて、今度こそランチタイム。お茶も用意して皆で食事を始めた。
「ん、美味しい!」
仄かな塩気の米と、鮭の相性にララベルが笑顔を見せると……皆もそれぞれに頷く。
どんな具材にもよく合うのがおにぎりのいいところ。騒動の精神的疲れも癒すように、皆はゆっくりと栄養補給した。
「勿論、お菓子もね」
と、テュリンがくず餅を用意すると、皆も大福や金鍔で趣深い甘味を堪能。
「そっちもおいしそ~。お団子多めに買ってるし少し交換しない?」
「勿論」
アルラの言葉に、テュリンがくず餅を分けると皆もそれぞれにシェアをして。
必ず予想外の出来事が起きてしまうけれど、それもまたいい思い出にして。皆で緩やかな小雨の時間を楽しんでいった。
●甘雨
薄雲から注ぐ小雨は穏やかで、風も柔らかい。
そんな快い空気の中で……街の一角へやってきたエフィルミアは視線を巡らせていた。
「素敵な街――」
「ああ、良い雰囲気だな」
と、共に歩むシルヴィア・A・カペルもまた頷く。
雨滴を纏った景色は僅かに彩度が落ちたように見えて穏やかだ。
けれど同時に人々が差す傘が花のように鮮やかで……
「水路から見る花も楽しみだな」
言って道の先を見つめるのはナキル。そこには水路への船着き場があって――観光客や町人が小さな舟で漕ぎ出している様子が見て取れた。
エフィルミア達も頷き合って、そこへ。自分達の目的も、他でもない水路の散策だから……丁度三人で乗れる舟を借りる事にする。
「よっ、と」
と、まずひらりと乗り込むのはナキル。
その小舟は大きさからすればよく安定しているけれど……水上にゆらゆらと揺蕩っているのは事実。
だから乗りやすいようにと、ナキルは片手で舟を押さえて、逆の手を差し出した。
「不安定だからな」
「ありがとう」
シルヴィアはその手を自然に取り、そっと舟に乗る。
その様子をエフィルミアは少々見つめていた。
(ナキルくん、紳士的でかっこいいし……手を取るシルヴィ姉様も優雅で絵になるなぁ……)
なんて思っていたら、ナキルがエフィルミアにも手を差し伸べる。
エフィルミアは見つめつつ、少し照れた気持ちを浮かべて。
(まあ、私はシーフだし。手を貸して貰わなくても全然平気なんだけど? ……ここはナキルくんを立てて!)
心の中でそう呟きながらもその手を取ったのだった。
自分は優雅じゃないかも知れない、とは思うけれど――ナキルはバランスが崩れぬよう、気遣うように背もそっと支える。
「大丈夫か?」
「う、うん――」
その気遣いが判るから、エフィルミアはまた少しだけ照れながら……舟に座るのだった。
そうしてナキルが舟を漕ぎ出すと、シルヴィア達は操船は任せて前方を眺め始める。
「あっ、花が見えてきましたよ!」
エフィルミアは声を明るくして少々身を乗り出した。
そこに青空のように澄んだ色の紫陽花が咲いている。花は水路に沿って長く連なっており――何とも華やかな眺めだ。
進んでいく連れ、青だけでなく紫の紫陽花も見えてくる。シルヴィアも瞳を細めてその美観を楽しんでいた。
「色の移り変わりも楽しめていいね」
「本当ですね……!」
エフィルミアも頷いては、次々に現れる花に見惚れる。
隣り合って楽しげにしているそんな二人を、ナキルは眺めつつゆっくりと舟を進めさせてゆく、と――
「少し広い所に出るぞ」
角を曲がった先にあるのは、幅広の水路。
澄んだ水面が一層雄大に見えて美しい、ばかりでなく――道の両側に藤が生り、高い位置から花弁が枝垂れていた。
「わぁ……!」
エフィルミアは暫し瞳を輝かせた後……ここで美味しいものが食べられたら最高だと、買っておいたくず餅を用意する。
「甘い物を食べましょう姉様!」
「ああ。でも――」
と、シルヴィアは頷きながらも少し何かを考える
そしてナキルとエフィルミアを交互に見てから、促すように言った。
「ナキルは手が塞がってるね。あーんしてあげたらどうかな?」
「えっ?」
エフィルミアが少し目を見開くと……ナキルもそちらを見やっている。
(あれ、なんか凄い顔してる)
それでも勿論ナキルとしては嬉しい。
流石に先輩とも先生とも言えるシルヴィアの前ではちょっと照れるけれど……せっかくの機会だからと。
「ミアが食べさせてくれるなら良いんだけどなぁ」
「……」
するとエフィルミアもまた少々顔を赤らめながらも――くず餅を差し出した。
「漕いでたら食べられないから! 特別に!」
「おっ、いいのか」
「粉が落ちちゃうから早く食べてよね!」
エフィルミアは言いつつも、「あ~ん」したナキルの口元に運んであげて……ナキルがもぐもぐと味わう様子を眺めている。
「ふふ、エフィは素直じゃないんだから――」
そこが可愛らしいんだけれどね、と。シルヴィアも呟きつつ、その様子を微笑ましげに見ているのだった。
だけでなく、シルヴィアもまたエフィルミアへくず餅を差し出して。
「今度はこちらだ。ほら、あーん」
「いいんですか? あーん」
エフィルミアは勿論嬉しそうにあむりと受け取って。透明感の強い生地と、その優しい甘さを楽しんでゆく。
そしてお返しに、エフィルミアもくず餅を差し出して。
「はい、シルヴィ姉様も」
「それじゃあ、あーん」
シルヴィアもあむっと食べて、瞳を細めた。
「優しい甘さだね。滑らかな口当たりだ」
「あんまり他所では味わえないものっていいよな」
ナキルが言えば、二人も頷いて。
「エフィ、この大福も美味しいよ」
「本当ですか? それじゃあ――」
そうしてまた次の美味を堪能しては、美しい藤の花の景色も満喫する。
揺蕩う舟の上で過ごすその時間は、無二の穏やかさ。甘く涼やかで、楽しいひと時を……三人はゆっくりと送っていった。
●雨空デート
瓦屋根を伝って落ちる雨粒に、つゆ濡れる灯籠。
シャルガネの風情を街に合わせて踏襲したその景色の中を、アルマ・ヴァレンタインとエヴァン・ピオネロは並んで歩み始めていた。
「倭桜の街ともまた違っていいところだねー」
「本当ですね。傘も綺麗です」
アルマの言葉に頷きながら、エヴァンは今しがた借りてきた傘をくるくると回す。竹と油紙で造られたそれは、見た目にも精緻で心が躍った。
アルマも「うん」と応えて雨の音に耳を澄ます。
綺麗な傘で、しっとりと雨の日デート。それもまたわくわくとするから。
「まずはどうしようかー」
「せっかくですし、めいっぱいに雨を楽しみませんか?」
エヴァンが静かそうな道を指差すと、アルマも頷いてそちらへ。人通りがないらしいと判ると、一度笑み合ってから走り出した。
石畳は水気に艶めいて、つるりと滑りそうにもなる。けれどその感覚もまた楽しむように、二人はすいすいと道を駆けていく。
そうして澄んだ水たまりを見つけると、エヴァンはジャンプ。
「エイッ!」
そのまま飛び込むと、パシャっとアルマにも水をかけていた。
「わっ、やったなー! まてまてー!」
アルマもやり返そうとすると、エヴァンが笑ってまた走り出すから、暫し追いかけっこをするように駆け回って。
少しの後には、二人で心地よい疲労感と共に……灯籠のそばに座って笑い合っていた。
「何だか、幼い頃を思い出しました」
エヴァンは想起するように口を開く。
「勢いよく散る水が面白くて……気付いたら泥だらけになってました。アルマは雨の日、どうしてましたか?」
「ボクも遊んでたよー。雨のときは泥でお団子を作ったり、ソレをピッカピカに磨いたりしてねー」
「泥団子ですか。磨いた事は無いですね……」
想像すると夢中で磨いてしまいそうだ。それも楽しそうだから――エヴァンは次回、作ってみようと決めるのだった。
と、くぅ、とお腹が鳴る。
「……お腹が空きませんか? 近くに食事処は無いでしょうか」
「あっ、あそこに甘味処があるよー」
アルマが差す先には風流な暖簾の掛かった店があった。
「寄ってみよっか」
「賛成です!」
という事で早速二人で店に入ると……仄かに甘やかな匂いが漂う中、幾つもの品が並んでいる。
どれも美味しそうで迷ってしまうけれど、アルマはお団子を選びつつ。
「なんかイイ感じのくず餅もあるよー」
「それじゃあ、ぼくはそれを!」
その綺麗さに惹かれてエヴァンはくず餅を購入。屋根の下、景色を楽しめる席で頂く事にした。
まずはアルマがお団子を一口。たっぷりと餡子の乗った一品だけれど、しつこくなくて優しい甘さが魅力的だ。
「美味しいー」
「こちらも美味しいです」
エヴァンもくず餅を口に運んで微笑んでいる。透明な生地がぷるりとしていて、中の餡子と共に味わうと得も言われぬ美味だ。
勿論、食べさせあいっこも。
「はい、あーん」
「あーん――」
アルマの差し出したお団子を、エヴァンがもぐもぐと楽しむと……エヴァンもくず餅を差し出して、アルマに食べさせてあげて。
「美味しかったねー」
「はい、本当に」
エヴァンはお腹をちょっと擦って満足の心持ち。
眺めるほどに景色も美しいから。
「雨でも楽しめるのはアキュアリスタの良い所ですね…」
「そうだねー」
アルマも頷いて、暫し共にゆったりと過ごした。
それから雨が弱まってくると、立ち上がって。
「そろそろ帰ろっか」
エヴァンも肯いて、共に歩み出す。
遠景を見ると雲が晴れていて、少しだけ朱に染まって見える。
その光に瞳を細めつつ、エヴァンは隣を向いて。抱き上げますか、とジェスチャーで問いかけていた。
アルマが応える代わりに両手をバンザイして、抱っこ待ちの体勢を取るから……エヴァンはニコッと笑んで抱き上げる。
そうして二人仲良く、帰路へ向かい始めた。
「やっぱりこのポジションが落ち着くねー」
「ぼくもホッとしますよ」
アルマの言葉にエヴァンはまた微笑みを零す。夕焼けで少し暖かくなる中、心もまたぽかぽかとさせて――二人は道を進んでいった。
●涼雨
雨の匂いの間に、淡く甘い香りが漂ってくる。
「このあたり、甘味処が並んでるな」
海神・江流と共に道を歩んできたカイン・ステラは……風情ある軒が並ぶ通りを見回して、その表情に期待を浮かべていた。
その辺りでは、道行く人々も菓子を手にして歩いている。シャルガネの影響の強い街というのも本当らしく、そのどれもが東方風の色濃いものだ。
だからこそ何を食べるか、江流は少々迷う。
「ここではくず餅が人気なんだったか。同じ材料なら、くずきりもありそうだけど」
「くずきり……餅とは違うのか」
カインが尋ねると、江流は頷いた。
くず餅は蒸し上げるけど、くずきりは湯煎で固めた後に茹でてその後冷水で冷やす。同じ透明感でも、食感から違うものになる、と。
カインは成る程と頷く。
「なら、くずきり食べようぜ」
くず餅もいいけれど、水の都ならそちらを食べて見たくなったのだ。
「アキュアリスタだからこそ、か。いいね」
江流もそう同意すると……丁度それが売られている店を見つけた。
くずきりと言えば、蜜もまた楽しみの一つ。そこでは黒蜜から甘くないものまでたくさん揃っていて、二人は少々目移りするけれど。
「美味しそうだし、青梅の甘露煮とシロップで食べる奴にしよ」
カインがそれを選ぶと、江流も「良さそうだな」と応えつつ、同じものを購入。せっかくだからとくず餅も一緒に買う事にする。
食べる場所は、店でもいいけれど――江流は外の水路の方を向く。
「どうせなら舟の上で楽しもうか」
「良いな」
頷き合うと、石畳の道を歩み出した。
雨の覆いを着た石灯籠に、瓦屋根。紫陽花の花に柳の葉。二人は道々の眺めも楽しみながら――水路で小舟を借りる。
「よっ、と」
傘を肩にかけたまま、江流が乗り込むと……カインも後に続いて櫂を取り漕ぎ出した。
そうして藤の花の天蓋がかかる、幅広の水路に出ると――そこで櫂を置いてくずきりを頂く事にする。
澄んだ水路に雨色の景色、そこにくずきりの透明色もよく映えて。
「すぐ千切れちまうからすっと口に運ぶといいよ」
「ああ。梅のシロップに入れて、っと……」
江流の言葉に応えつつ、まずはカインが一口。つるりと啜って、柔らかくも小気味好い歯ごたえに、ん、と頷く。
「甘酸っぱいけどさっぱりしてるな」
甘さが丁度良くて、涼やかな風味を楽しめる。くずきり自体の透明感も損なわない濃度で、飽きが来ない味付けだ。
「常温でもまぁいいんだけど、ちゃんと冷やして出してもらえると違うよな」
と、江流もちゅるりと食べて清涼感を堪能する。
食べ物と水音、雨音で涼を取りつつ流れに身を委ねる――そんな快い時間の中でゆっくり楽しむ味わいは、格別だ。
青梅の甘露煮も、カインは初めて見たけれど……酸味が程よくて美味。
「家でも作ってみてぇな……」
「作るだけならくずきりも難しくはないから、やってみると良いんじゃないか」
江流が言いながら手順を説明してあげていると――カインはその様子にふと素朴な疑問を抱いたように顔を向ける。
「あ、そういや……江流の百合姫様に手料理振舞ったことあんの?」
「うーん、実はない、かな」
茶会に招かれた事はあるけど、と。
江流はその人の顔を想起しながら答えた。
(ただ、会って話せるだけでいいのに――)
今はその機会すらないというのは、寂しいもので。
「だから、こいつもまだ紹介してやれてないんだ」
江流は言って肩に乗る白毛の鳥、揺満月を指で撫でる。
揺満月がじゃれるように少し囀るから、江流は微笑んで、またくずきりを口に運ぶ。
心に巡る思いはあれど、涼やかな寛ぎは快い。だからカインもまたゆったりと美味を味わって。
「よし、進むか」
また舟を漕ぎ出して、水路を前進していった。
●雨下のひとときを
数人の客が船に乗り込んでゆく。
もうすぐ始まるクルーズに、キーゼとネーヴェ・グラヌローザもまた参加する為に船着き場へとやってきていた。
「ここでは船が人々の生活の足でもあるんですね」
クルーズの他にも、町人達の乗る小舟が時折過ぎ去ってゆく。その景色に、ネーヴェは興味深げに声を零していた。
キーゼも頷く。
「実用と美観を兼ねた、稀有な眺めですね」
言いながらも……船に乗るネーヴェに手を差し出して、倒れないようにと支えて上げた。
ネーヴェは礼を述べながら、一角の席について見回す。
「二人で漕ぐのではなく、今日はクルーズなのですね?」
「ええ。小舟を借りることも勿論、考えましたが」
キーゼは応えながら、その隣に座った。
「漕ぐのに集中すると貴女と楽しめませんからね」
「まぁ、そんな理由でしたのね」
ネーヴェがそっと笑いを零すと、キーゼは「傘も」と言葉を続けながら広げる。それはネーヴェのイメージに近い白と青のツートンだ。
「一つの方がくっついていられるでしょう?」
「でしたら、もう少しお傍に寄りませんと」
ネーヴェも言うと、傘を持つキーゼの腕に自身の腕を絡めて寄り添った。
その内にゆっくりと船が動き出す。
すると人々が歓声を上げて、一層賑やかになるけれど。二人にはどこか、それが少しだけ距離をおいて感じられる。
同時に互いを近くに感じるようで。
「傘の所為か、それとも雨の所為かしら。いつもより声が近く聞こえるような気が致します」
「ええ」
自身も同じ気持ちだと、言いながらキーゼは景色にも視線を巡らせていた。
細めの水路から広い水路に映ると、美しい家並みが視界に入ってきて……同時に道端に見える花の数も一気に増えてくる。
「流石は水上都市ですね。水路一つとっても魅せ方がしっかりしている」
「そうですね。それにどの建物も、風流で」
ネーヴェは瓦屋根の家々にも目を惹かれながら頷いていた。
と、そこですれ違う小舟がある。
水路上で物品販売を行う商人だ。クルーズ向けでもあるのだろう、姿をみとめると互いに速度を落としていた。
「何か買っていきましょうか」
キーゼの言葉にネーヴェも頷いて、品々を眺め始める。
並ぶのは食べ物を中心にした彩り豊かな商品。二人は少々迷ったものの――
「僕は善哉を……そちらは何にします?」
「私はくず餅に致しますわ」
という事でそれらを購入。
他の客達も買い物を終えて、また船が進み出すと……二人は早速実食。キーゼが善哉の甘味を一口楽しむと、隣ではネーヴェもくず餅を見つめて。
「とても綺麗……まるで水のようですわ。……ふふ、美味しい」
そっと食べると、笑みを零す。
だけでなく、ネーヴェは一口分を分けてキーゼに手ずから食べさせてあげて。
「どうぞ。……ね、美味しいでしょう?」
「――確かに」
あむりと食べたキーゼは、その優しい甘味に頷きを返して。自身もまた善哉を分けてあげて、その美味を共有した。
と、船は藤の花の美しい一角に入ってゆく。
「そういえば去年の今頃でしたか? 雨の日に書いただろうお手紙を頂いたのは?」
キーゼはそれを想うように口を開いた。
ネーヴェもはにかみながら、それを想起する。
「もう一年が経つんですね。……手紙のお返事を今、改めて頂いても?」
その言葉に、キーゼは静かに頷きながらも――ここでは口にせず。
「そうですね、では今度二人きりのときにでも」
今は花と水の景色を、ただゆったりと隣同士で過ごそうと。
ネーヴェもそれに応えるよう、再び寄り添って。揺蕩う流れの中で、二人は穏やかな時を感じていた。
●兄妹
薄っすらと雨色に染まった家並みが、静やかで美しい。
風も涼やかで快く、一度深呼吸するように空気の匂いを味わって――アステルは街を歩み始めていた。
目指す場所は水路。
そこで小舟を借りると、そっと乗り込んで漕ぎ始める。
するとゆっくりと景色が流れて……家々の眺めもまた違ったものに見えた。
「穏やかで、素敵だな――」
道には人通りがあるけれど、小雨の中では賑やかという程ではなく。行き交う人々は時折傘を差してその色彩でも楽しませてくれる。
「あっ、花」
そして水路を曲がって進むと、瞳に映るのは道端に生る花。
青に紫、淡い紅色もあって華やかなそれは紫陽花だ。道の先まで連なって見えるから、一気に景色に色彩が溢れたようで。
「綺麗……」
花はグラデーションを描くように植わっており、そばを通り抜けてゆくとその色の変遷を楽しめて一層心が洗われる思い。
そして次の水路を進むと、今度は藤の花が上方から枝垂れてくる。
「わぁ――」
雨粒と戯れるように、仄かに揺れる淡紫の花弁が清らかで。アステルは見惚れるように暫く、その景色を仰いでいた。
その間も舟が緩やかに進むのは、水路自体に清流のような流れがあるからだ。故にアステルは時折その流れに舟を任せ、空を眺めたりする。
と、ふとその空が眩くなった。
瞳を細めてみると、雲間から陽光が溢れ出している。その煌めきが雨粒を七色に輝かせ、虹のアーチを架けていた。
(凄い……)
虹の天上では、天使の梯子が出来ていて……光と影、そして色彩が作る神々しい景色にアステルは感嘆を零す。
美しさは、舟旅を終えた後も心に焼き付いていて。それも含めて、散策した印象を形にしようと――アステルは雨の当たらぬ一角で絵を描き始めた。
「ここは、こうして……」
景色を思い起こして筆を動かしながら、表現は写実的というよりはイメージ重視。光も影も色もあるけれど、幻想がそのまま表れたような絵だ。
それでいて、花も陽光もどこかそれと判る。美しく鮮やかながら、それは確かにこの街の印象をしっかりと象ったものだった。
「うん!」
これで良いかな、と作業を一段落させたところで……アステルはあっと気づく。
視線の先に、道をゆく兄――キオルティスを見つけたのだ。
「ルティスお兄ちゃん!」
「おや、アステル!」
愛する妹の姿に、キオルティスも足を止めて笑顔を見せる。そして歩んでくるとアステルの絵に目を留めた。
「絵を描いていたんだね。とても綺麗だ」
心からの言葉に、アステルが「ありがとう」と笑みを返すから、キオルティスも微笑んで。
「何か食べたかい?」
「ううん、まだ」
「そうか。それじゃあ、近くにお菓子が食べられる所があるから行こうか?」
それにはアステルも勿論頷いて。
二人で甘味処へ寄ると、おすすめだというくず餅を購入。屋根の下、景色を楽しめる外の席で頂く事にした。
くず餅は透明の生地が柔らかく、大きな雨粒のよう。食べると中の餡子がなんとも穏やかな甘味で美味だった。
「美味しいね」
「ああ」
二人は笑み合って、お茶も頂き一息つく。
さらさらと雨の音が響く中では、時間も緩やかに流れているようで……キオルティスは竪琴を優しく爪弾いてそんな瞬間を彩った。
アステルはそれに耳を澄ます。
景色に美味に、大好きな兄と共にいる時間。その幸せにゆったりと揺蕩うように、目を閉じて音色を楽しんでいた。
●雨色散歩
降雨はあるけれど、雫は頬に軽く触れるような優しさだ。
石畳の道に入った御邑 奈月は、その優しい涼やかさに視線を少しだけ仰がせていた。
「雨、あんまり……強くない、みたいだね」
「おぉー」
と、奈月の隣を歩みつつ手を伸ばしているのは御邑 都。その手を仄かに濡らす雨粒に、頷きを見せている。
「この雨なら、傘いらないねぇ~♪」
このまま散歩しようか、と。
言った都の言葉に奈月も「うん」と頷いて。穏やかな雨滴の中、二人は着の身着のままで街を散策し始めていた。
歩む先には瓦屋根の家並みに、石灯籠。それらが雨で艶めく景色も美しく、目を引かれてしまうけれど……二人が目指していたのは――
「あっ、水路……」
奈月が目を留めた先、そこには小さなせせらぎのような音を聞かせる水路があった。
揺蕩う水面は雨空の下で煌めいていて、それもまた綺麗だけれど……二人のお目当ては舟での散策。早速小さな舟を借りてそこへ乗り込んだ。
少し揺れる中、都が支えてあげるのに奈月はお礼を言って座る。
「え、と……櫂……」
「僕がお舟漕ぐから大丈夫だよぉ~♪」
奈月が少し重そうに手に取っていたそれを、都が受け取る。奈月が非力なのはよく分かっているから、最初からそのつもりだ。
「……ご、ごめんなさい……お姉ちゃん……」
「いいよぉ~」
申し訳無さそうにしている奈月を、都はよしよしと撫でてあげながら。「ありがとう」と改めてお礼が返ると、都は「えへん♪」と胸を張って漕ぎ始めた。
と言っても漕ぐのは初めてだから、ゆっくりと。揺蕩う感覚も楽しみながら、水路にそって進行してゆく。
漕ぎながら周囲に注意を払うのは意外に大変、だけれど奈月が前方や両側を確認して、逐一状況を知らせていた。
「あ、もう少し先……曲がり角、だよ」
「うん。ありがとねぇ~」
だから都もすいすいと危なげなく進み、景色にも目を楽しませてゆく。
と、そこから曲がった先で……ふと視界に色彩が広がった。道端に幾つもの花が咲き誇り、雨に美しく濡れていたのだ。
都はそれに笑顔を浮かべて、視線を巡らせていた。
「おぉー。……あのお花、なんだろぉーねぇ~?」
「あ。紫陽花の花……だよ、お姉ちゃん。綺麗……だね」
奈月も表情を和らがせて、花々を見つめる。
紫陽花は静やかな青色から、高貴さを思わせる紫、華やかな赤紫まで揃っている。そのどれもが比類ない美しさで、思わず二人で見とれていた。
それからそんな景色を堪能しつつ進むと、水路が開けてくる。同時に二人は視線を上にやっていた。
「あれは……藤の花、だね」
「すごいねぇ~」
幅の広い水路の両側で、天から枝垂れるように咲くのは藤の花。淡い紫が雨空に透けて、幻想的な色合いを見せていた。
ここなら他の舟とぶつかる心配もないので、都は櫂を動かして岸に寄せる。
「お腹減ったから、ご飯にしよっかぁ~」
うん、と頷く奈月は都と共におにぎりを取り出す。
舟に乗る前に二人で買っておいたものだ。鮭に梅におかかを取り揃えて、どれにしようかと楽しく迷いながら……共に実食。
「えへへぇ~♪ 美味しいねぇー」
「……ん、美味しい、ね」
都の言葉に奈月も応え、二人で笑みを交わす。
だけでなく、食べ合いっこもしようと都がおにぎりを差し出して。「あーん」と近づけられたおにぎりを奈月があむりと食べて、その逆も楽しんで。
「いい景色だねぇ~」
「そう、だね」
美観と美味に、のんびりとした時間。それをゆっくりと楽しむように、二人は風に小さく揺れる花を見つめていた。
●雨と花の時間
雫の粒は小さく、さらさらと快い。
街へとやってきた水瀬・希は、空を仰いでそっと手をかざし……その感触を確かめていた。
「雨は降っとーけど、気にならん感じやねぇ」
これから、散策を始めようという所。
このくらいの雨なら、歩くにも不便はなさそうだから……希は隣のレイラ=ルナフィニスへ視線を向ける。
「傘はどーすっと?」
「わたしは問題ないですわ」
浅く水の溜まった石畳を、ぱしゃりと鳴らしてレイラは笑みを見せた。
ならばと希も頷いて。
「ウチも傘は要らんばい。このまま散歩すると」
「そうですね。では行きましょう。舟もあるみたいですけれど――」
レイラが視線を遠方にやると、舟が揺蕩う水路も見える。どうします、と尋ねる視線に、希は少し悩ましげな顔を見せた。
「舟……やか? うーん……舟……ぇ、ウチは……じっとしとーのがキツイけんあまり……なぁ……」
「では、歩いて街を巡りましょうか。希さん」
という事で、二人並んで雨の景色を歩み出す。
「ごめんなぁ~」
「いいえ。歩いて街を回るの、楽しいじゃないですか」
レイラは少し足取りを軽くして、道を進んでゆく。
石灯籠に瓦屋根。雨の潤いを帯びた家並みは静けさと共に雅な風流さを増していて……どこか非日常の感覚を与えてくれる。
レイラは故郷でも、多少の雨も意に介さず歩いたものだから。
「ふふ♪ 街中ですがまるで故郷にいるみたいですわね」
上機嫌で、ステップを踏むように散策してゆく。
だから希も笑顔を浮かべて、共に進んでゆくと……ふと淡い香りと共に景色に色味が満ちてきた。
水路沿いの道端に、幾つもの花が咲き誇っているのだ。
青から紫へ、進むに連れてグラデーションになって見えるそれに――レイラは一歩一歩歩みながら見惚れないではいられない。
「とても綺麗ですね……なんという花でしょう」
「あ。こん花は紫陽花ゆーて、今の時期に咲く花ばい」
希は答えながら、自分も一つ一つを愛でるように眺めてゆく。その落ち着いた可憐さが、心を清らかにしてくれるようで。
「むぞらしかねぇ♪」
「あっ、また新しい花が見えてきましたよ――」
と、次にレイラが見つめるのは次の通りに入った先の、上方。見上げる高さの木々が立ち並び、空からぶら下がるように花が枝垂れていた。
その華やかさに、おぉ、と希も声を零しつつ。
「こん薄紫色の花は藤ゆーと。ばり綺麗な色やねぇ♪」
「……フジ……というのですね。可愛らしい名ですね」
レイラはゆっくりと味わうように、風に揺れる藤を観賞してゆく。
咲いている花はどれも綺麗で飽く事がない。レイラは他にも様々な花の名を、希に聞いては頷いていた。
「流石。わたしとは違い諸国を巡っている希さんですわ♪」
「そう言われると、照れると……♪」
希はそう微笑みつつ、自分もこの景色には感心を覚える。
「シャルガネとの親交があるだけあって、情緒がすごかね――」
こんな眺めの中で過ごす時間は、特別なもの。
だからきょろきょろと見回した希は……近くに甘味処を見つけてレイラを誘った。
「奢らせてほしかばい♪」
「良いんですか?」
レイラの言葉に希は頷く。舟を辞した事を申し訳ないと思っていて……その埋め合わせをしたかったのだ。
勿論、一緒に美味しいものを食べるのが、単純に楽しみでもあるから。
「それじゃあ、行きましょう」
レイラが言うと、希も足取り軽く店に寄って。二人でくず餅や団子の美味を楽しんで――また穏やかな景色の中を歩み出してゆく。
マスターコメント
お疲れ様でした。
各所で食事や景色、文化を楽しんだ事で街に興を添える事が出来ました。地区の長としても喜ばしい結果となった事でしょう。
イベントシナリオ(50人)易しい 報酬:標準26 / 4〜50人
2022年06月20日 21時44分46秒 公開
大成功
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