茉莉花の夢
こはる
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シナリオID:2039
オープニング
●甘き香りが暴くのは
依頼の、あるいは別の用事で立ち寄ったとある宿で過ごす夜。
この時期は庭の茉莉花が見頃だと宿の主に勧められた事を思い出し、あなたは視線を庭先へと移した。
白く小さな花が寄り添うように咲いている様は清純なのに、鼻を掠める香りは相反するように甘く濃厚だ。
あまりの香りの強さに軽い目眩すら覚える。
甘く、官能的で。
くらりと理性が揺らぐような、その香りに。
何故かあの人の顔が浮かんだ。
人恋しくなる夜だからだろうか、会いたいと願ってしまう。
今頃、何をしているのだろうか。
誰といるのだろうか。
もしもその傍に自分じゃない誰かがいたとしたら――。
ちりっと胸の奥が痛む。
やがてその痛みはまるで胸を焦がすように広がっていく。
今すぐ会いたい。
会って、その瞳も、その声も、その心も、その全てを――――自分だけのものにしたい。
茉莉花の香りが深く濃くなる。
あなたは甘く痺れる頭でベッドに横たわり、瞳を閉じて深く息を吐いた。
『――――』
耳に響いた声に心臓が跳ねるのと、閉じていた瞳を開けるのはほぼ同時だった。
驚き揺らぐあなたの瞳に映るのは、会いたいと恋焦がれる人。
あなたの目の前に無防備に横たわり、そこに映るのが自分だけならと願ってやまない瞳でジッとこちらを見つめている。
これは夢に違いない。
だから、確かめなくては。
「――――ッ」
震える唇で名前を呼ぶ。
すると目の前の愛しい人は微笑み、囁くようにもう一度、あなたの名を呼ぶ。
言葉に詰まるその間に。
あるいは愛しさのままに手を伸ばしたその瞬間に。
残酷にも愛しい人の姿は幻と消えた。
一人取り残されたあなたは、己が胸にある独占欲に気づく。
それが初めてなのか、幾度目なのか。
あなたの心を暴く茉莉花の甘い香り。
花言葉は――――あなたは私のもの。
依頼の、あるいは別の用事で立ち寄ったとある宿で過ごす夜。
この時期は庭の茉莉花が見頃だと宿の主に勧められた事を思い出し、あなたは視線を庭先へと移した。
白く小さな花が寄り添うように咲いている様は清純なのに、鼻を掠める香りは相反するように甘く濃厚だ。
あまりの香りの強さに軽い目眩すら覚える。
甘く、官能的で。
くらりと理性が揺らぐような、その香りに。
何故かあの人の顔が浮かんだ。
人恋しくなる夜だからだろうか、会いたいと願ってしまう。
今頃、何をしているのだろうか。
誰といるのだろうか。
もしもその傍に自分じゃない誰かがいたとしたら――。
ちりっと胸の奥が痛む。
やがてその痛みはまるで胸を焦がすように広がっていく。
今すぐ会いたい。
会って、その瞳も、その声も、その心も、その全てを――――自分だけのものにしたい。
茉莉花の香りが深く濃くなる。
あなたは甘く痺れる頭でベッドに横たわり、瞳を閉じて深く息を吐いた。
『――――』
耳に響いた声に心臓が跳ねるのと、閉じていた瞳を開けるのはほぼ同時だった。
驚き揺らぐあなたの瞳に映るのは、会いたいと恋焦がれる人。
あなたの目の前に無防備に横たわり、そこに映るのが自分だけならと願ってやまない瞳でジッとこちらを見つめている。
これは夢に違いない。
だから、確かめなくては。
「――――ッ」
震える唇で名前を呼ぶ。
すると目の前の愛しい人は微笑み、囁くようにもう一度、あなたの名を呼ぶ。
言葉に詰まるその間に。
あるいは愛しさのままに手を伸ばしたその瞬間に。
残酷にも愛しい人の姿は幻と消えた。
一人取り残されたあなたは、己が胸にある独占欲に気づく。
それが初めてなのか、幾度目なのか。
あなたの心を暴く茉莉花の甘い香り。
花言葉は――――あなたは私のもの。
解説
●目的
心に秘めた独占欲と対峙してみませんか?
●場所
ジャスミンが咲き誇る庭のある宿屋の一室です。
幻を見る都合上で一人部屋ですので、相部屋はできません。
●詳細
あなたはジャスミンの甘い香りで心を寄せる人の幻影を見ますが、それは一瞬のこと。
触れる事も叶わずに儚く消えてしまったその人への独占欲をプレイングにぶつけて下さいませ。
お相手との関係は両思い、両片思い、片思い、失恋、問いません。
●注意点
これは現実ではなくあなたの願望が見せた幻です。
あなたの前に現れる幻は
1・公式NPCさん
2・交友関係のある(フレンド一覧に載っている)PCさん
のどちらかでお願い致します。
他のMS様が担当してらっしゃるNPCさんはご遠慮下さいませ。
こちらの依頼に参加なさっているPCさん同士がお互いの幻を見るのも可能です。
幻として現れる方のお名前がプレイングに記載されていた場合は参考にさせて頂きます。
ですがリプレイ内ではお名前は描写出来ませんのでご了承下さいませ。
幻に触れる事は出来ません。
触れるプレイングがあった場合は、触れられなかったと言うような描写になります。
センシティブな内容や言葉はパカ倫さんに触れないようにアレンジさせて頂きます。
アドリブ不可の方はお手数ですがその旨もプレイングにご記載をお願い致します。
どんと来いな方は、頂いたプレイングから逸脱しない範囲で張り切ってアドリブさせて頂きます。
杞憂だと思うのですが、こちらのリプレイを読んでご不快だったり哀しい想いをされる方が出てしまわないように敢えて下記の事を書かせて頂きます。
交友関係のあるPCさんが幻として現れる場合は、その方との関係や親しさの具合をリプレイ等でお調べさせて頂きます。
関係や交流が深くないのに(例えば依頼で初対面を果たしたきりだったり、拠点で挨拶程度の会話をしただけ等)あまりにも一方的且つ過激な場合はマスタリング致しますのでご了承下さいませ。
マスターより
皆さんは独占欲は好きですか?
私は大好物です!
皆様の中で拗れに拗れた独占欲や、初めて感じる初々しい独占欲を書かせて下さいませ。
がっつり描写したいのでミドルシナリオとさせて頂きました。
センシティブな独占欲も大好物なのですが、パカ倫さんに怒られないようにアレンジさせて頂きます。
解説の注意点であれこれと長く書いてしまい、申し訳ございません。
目にした方が辛くなるリプレイにならない為にお伝えしておりますので、ご理解を頂けますと幸いです。
リプレイ
独占欲。
それは身勝手で独り善がりで。
愛や恋と言う甘い言葉の奥深くに隠された欲望。
その想いが片側だけでも、通い合っていたとしても。
慈愛や献身のような清らかな想いでも、執着や依存を孕む歪んだ想いでも。
あなたはこの世で一番愛しい、唯一無二の人――。
●無垢なる憧れ
茉莉花よりも白く美しい鱗が月明かりに照らされ、神々しいまでに輝いて見える。
その光景をスィーリーンが信じられずにいると、静謐な声で名を呼ばれた。
心臓が跳ね上がる。
何故、自分の名前を知っているのだろうかと疑問が浮かぶ余裕はなかった。
彼が目の前にいて自分の名を呼んでくれた。私の、私だけの名を。
「■■■■様……!?」
喜びと困惑の混じった声で彼の――語らずの智者の名を呼ぶ。
そんな筈はない、こんな所にあの方がいる訳がない。
分かっているけれど姿も声もそのもので、その全てを刻み付けたあの日が甦ってくる。
彼に聞きたい事がたくさんあるのに、彼の金色の瞳の中に自分が映っているのに気づき、言葉に詰まってしまう。
その躊躇の合間に。声も出せない内に彼は消えてしまって、ああ幻だったと納得したけれど。
「……今、何処で何をしていらっしゃるのですか」
落胆よりも寂しさが募る。
会いたいと願う気持ちと彼の安否を気遣う気持ちにスィ―リーンの胸は締め付けられるように苦しくなった。
(あの方は帝国を滅ぼした大罪人。けれど私は悪人だとはどうしても思えない……)
手を下したのが彼だとしても、そこには他者の思惑があるのでは?
命令に従っていただけなのでは?
それは罪には違いないけれど、情状酌量の余地はあるのでは?
彼を信じたい気持ちが溢れるこの胸は、彼へ向けられる心無い言葉に幾度も引き裂かれてきた。
けれど叶うならば彼の口から真実を知りたい気持ちと、小さい頃から抱く憧憬が消え去りはしないという自信がある。
噂話にしか聞いた事はなくとも、他国で重用される同朋の勇姿を幾度も思い描いて。
故に彼と初めて相対したあの日を生涯忘れはしないだろう。
言葉を交せた事が、魔法の指南をしてもらえた事が、ほんの一時でも側で同じ時を過ごせた事が、本当に嬉しくて。
奇跡のようなあの日がなければ遠い憧れの存在のままだっただろう。
けれどその側に在る喜びを知ってしまった。もう淡い憧れだけではいられなくなってしまった。
彼が主から離反してからは今日まで、その身を案じない日はない。
無事だろうか。
何処で何をしているのだろうか。
危険な目に遭っていないだろうか。
――何故、帝国を滅ぼしたのだろうか。
(かつての主君イダ様のご命令だったのでしょうか。今もご一緒なのでしょうか)
彼の主は女性と見紛うほど美しい少年だ。
きっと彼の母親であるイダは絶世の美女なのだろう。
その傍らに彼の姿が在るのではと考えると、何だか胸のどこかがざわめく気がした。
どうか特別な色を帯びてイダ様を見つめないで。
これ以上あの方の為に自分を犠牲にするのは止めて。
――それは、純真なる想望に滲む独占欲。
●相愛への渇望
あいつとは部屋が別のはずなので、つまりこれは夢なのだろう。
そう考えながらカッシアは目の前にある想い人の幻を観察する。
(ここまではっきりした夢は珍しいな)
眩くも優しい金色の柔らかそうな髪。
その中に自分を閉じ込めて欲しいと願ってしまいそうになる緑色の瞳。
品よく整い、優しく微笑む美しい顔。
大きくて、けれど長く美しい指をした手。
首筋も胸板もくっきりと浮き出た腹筋も、逞しいながらもしなやかで。
――触れたい。
疼くような願望を消し去ろうと、逸らした視線は彼の唇に惹き寄せられる。
いつも優しく自分の名を呼んでくれるその唇に。触れたら、唇を重ねたら、どんな感触なのだろうか。どんな反応を見せるのだろうか。
願望が渇望に変わる。情欲がちらつく触れ合いを感じてみたい、と。
これは夢だから、今の自分の顔を本当の彼に知られないから、そう自分に言い聞かせる瞳に熱が帯びていく。
彼の出てくる夢を見るのは初めてじゃない。
隣にいたいと自覚した時か、彼の瞳に星の輝きを見た時か、それより前からか。
いつもの夢は普段の日常とか依頼とか、実際にあった事をただ思い返すような内容だったから、最初は気付かなかった。
でも今はもう分かっている。
彼の事を好きで執着してるから、こうして夢を見るのだ。
(あいつも種類は分からないけど俺に好意があるのは分かる)
その気持ちを感じる度にどれだけ自分がドキドキして、嬉しくて。
同時にそう感じる自分にどれだけ戸惑ったか、彼は知らないだろうけど。
(だからあいつの隣という特等席は、今は俺のもののはず)
でもそれがずっと続く保証はないから、こうして拗らせている。
彼に誰か、他に愛する人が出来たとして、隣にその人を置きたいのだと言われたら自分に抗うすべはない。
(いや抗うかもしれないけど、「反対隣空いてるじゃん」とか未練がましく言うかもしれないけど)
でも彼を困らせるのは本意じゃないので、結局の所はそうなったら引くしかないのだ。
彼の為にはそうするべきだとわかっている。
けれど彼が自分じゃない誰かのものになるなんて耐えられない。
「ねえ、俺のことどう思ってるの?」
黒曜石の瞳に熱を揺らめかせ、本物には言えない言葉を幻に投げかける。
ずっとずっと知りたくて、でも知るのが怖いその問いを。
「何でいつも一緒にいてくれるの?」
大切な友達だからだなんて言わないで。
特別だからって言って欲しい。
「期待させてる自覚あるの?」
こんなに俺の事を翻弄して。
心を乱して、どういうつもりなの?
「ねえ、君の好きってさ」
二度目の「ねえ」は一度目よりも甘く、切なく。
核心に触れる問いにほんの一瞬、戸惑って。
――俺にキスできるって好き?
言いかけて、でもそこから先を飲み込んだ。
幻にさえ自分からそういう意図で触れられない自分に苦笑する。
唇を重ねたらもう友達同士ではいられないから。
きっとそれ以上を望んでしまうから。
夢でさえ踏み出す勇気が無いくせに、欲ばかりが煮詰められていく。
――それは、臆病な熱情に揺れる独占欲。
その頃、ヴィナスも同じ宿で同じように想い人の幻を見ていた。
紅を引いているわけでもないのに艶めかしく見えるのは、その唇に触れたい己の欲のせいだろうか。
「■■■■の好きが俺にキスされてもいいって好きならいいのに」
応えてくれるのならば、言葉でもキスでもどちらでもいいから。
この独占欲をあなたで満たして。
そして同じように俺への独占欲で溺れて。
ヴィナスのエメラルドの瞳もまた、恋の熱情に揺れていた。
●懊悩なる二律背反
上質だとわかる上着を脱ぎ、ネクタイを解いて。窮屈なボタンを全て開放し、ジュスト・ヴェルジーは深い溜息と共に寝台に横たわった。
茉莉花は見事なものだった。でもあの甘い香りが頭にこびりついて。
(寝付くには時間がかかるかもしれない)
今、感じたいのはこの香りじゃない。
幼い頃から知っている彼女の香り。
そして彼女の為だけに調香師に作らせた愛しの春の香り。
トップノートは幼い頃に拗らせた初恋を想起させる。
あの日、君の為に誤魔化した。
でも本当はただ怖かっただけだった。
それから犬猿の仲になっていた彼女は、幼馴染でもあり、自分より半歩先に大人になる従姉でもある。
最近漸くお互いに向き合えて、まだ素直になりきれていないけれども、晴れて婚約者となった。
寄親や家の許可は下りているが正式発表はまだで、タイミングは大事だと理解はしていてももどかしい気持ちが少なからずある。
彼女は自分の婚約者だと周知してしまえば、彼女に手を出そうとしたり懸想する男どもを牽制できるから。
『■■■■』
不意に彼女に呼ばれて跳ね起きる。
ふわりと香るチェリーやベリーの甘酸っぱい果実の香りと、目の前の光景に心臓が止まりそうになった。
(同じ寝台の上に寝巻姿の彼女が座っている?)
――明らかに幻だ。
彼女は自分の名前を呼ぶ事なんてそうそうないし、冒険者としては奔放な振舞をしているが貴族令嬢として躾けられた女性だ。
こんな夜更け男の部屋に、しかも寝台の上に侵入してくるなんてあり得ない。
解っているのに。名を呼ばれるだけでこの身体に熱が点る。
幼いあの日と同じ真白さを纏う柔らかな肢体は眩暈がするほど官能的で。けれども触れる事を許されないような高貴さもあって。
ああ、だけれども触れたくて仕方がない。
「……■■」
掠れた声で彼女の名前を呼ぶ。
俺だけが許された特別な名前。
擦れ違い続けた十年間も俺と君を繋いできた魔法の呪文。
どうか――拒まないで、と。
縋るように薔薇色の髪に手を伸ばすも、触れる前に消えてしまった。
解り切ったことなのに。
本物であるはずがないのに。
それでも彼女が自分の腕ではなく、他の誰かの腕の中に納まってしまう光景が思い浮かび、苛立つ。
(絶対にそんなこと許せるものか)
彼女を下卑た欲望で穢したくない気持ちと、他の男に穢されないよう自分で染め上げたい気持ち。
彼女を尊重し自由を与えたいという気持ちと、閉じ込めて自分だけのものにしたいという気持ち。
矛盾する2つの想いに苛まれる。
ずっと彼女だけを見てきた。
例え何千、何万人の中にいても、彼女を見つける自信がある。
この瞳はいつだって、鮮烈な赤に惹きつけられてしまうから。
もう手放すなんて出来やしない。
瑞々しい少女のようだった残り香は、桜と薔薇の繊細さと華やかさが入り交じる官能的で甘やかな香りへと変化していく。
(……俺の中の男を見せたら、君はどんな顔をするのだろうか)
そして君の中の女を暴きたい。
まだ知らない君の香りを、味を、知りたい。
――それは、幼き日の純愛と抑圧された情火が溶け合う独占欲。
●君への純潔
背後から聞こえた心地よい低音は紛れもなく彼のものだった。
ローザリカ・L・ディオールは煩いくらいに早鐘を打つ心臓の音が聞こえてしまわぬようにと願いながら、ゆっくりと振り返る。
その先には想像通り、婚約者の姿があった。
いつもならすぐに言葉の棘が出て来るのに、今はただ彼を見つめる事しかできない。
(落ち着け。これはきっと夢だ)
貴族の子息である彼が婚姻前の婚約者の寝室を訪れる訳がない。
ましてシャツから素肌が覗く煽情的な格好で寝台に横たわり、誘うように自分を見つめているだなんて――だけれども。
絡み合う視線に引き寄せられる様に、ローザリカはゆっくりと彼の待つベッドへ近づいていく。
きっとずっと早い段階で気が付いていて、見ないフリを続けていた想い。
どうしようもなく惹かれてしまった幼きあの日。
そしてだからこそ。好きだと気づいてしまってからは距離を取った。
(お互いに貴族の家に生まれなければ、心のままに傍にいられたのに……)
まずひとつ、社交の場での舞踏はすべて断った。
婚姻前の男女が共に踊るということ自体が特別な意味を孕みかねないから。
そしてふたつ、彼の名を呼ぶ代わりの呼称を決めた。
距離が近く見えようとそれはただの血縁故にと周囲に誤魔化す為。
(……名を呼んでしまえば決意が揺らぎそうだったから)
ああけれど。本当に手を離すつもりだったのならやりようはいくらでもあったのだ。
完全に交流を断つとか……どこか遠く、嫁ぎ先を見つけて消えてしまうとか。
そうしなかったのは、出来なかったのは。
どうしたって彼を手放せなかったから。
例え何千、何万人の中にいても、彼を見つける自信がある。
その瞳はいつだって、私を見つけてくれると信じているから。
感じる視線の先に、必ず愛しい翡翠がある。
「■■■■……」
ギシリ、と寝台が軋んだ。
ほんの少しの距離を開けて彼の隣に横たわる。その空白は残された最後の理性。
名を呼ぶ声は愛しさと甘い熱を帯びて。
彼の親指に在る金の指輪の名は黄昏の君主。
秘めた言葉は純粋と永久不変。
――ちぐはぐな想いもすべて。眩さで覆い隠して。
交わした言葉も、傷つけ合った痛みも、彼を想って流した涙も、その全てが大切な思い出で。
(誰にも触れられない。触れさせてなるものか)
どれだけ彼に我儘を言っても、辛く当たっても、見放されない事に安堵した。
彼にだけ教えた特別な呼び名を彼の口が奏でれば心が躍って、それを真似して口に出した他者は拒絶した。
自分だけが許される事に感じる優越感と、彼にだけ許していた特別なモノ。
全部全部、独占欲に違いはなくて。
特別に甘えて、それでも足りないと全部が欲しくて。
あの翡翠が他者を映し出す事にさえ嫉妬心を煽られると知れれば、浅ましいと思われるだろうか。
その唇に愛を囁かれ、その指に翻弄され、身も心も深く結ばれたいと願っていると知ったら――彼は応えてくれるだろうか。
いっそ、こんなドロドロとした気持ちに気づかない夢見る少女でいられたらよかったのに。
――それは、お互いの全てを預け合いたいと願う独占欲。
●碧き運命の女
これは幻だとエル=バ=ノイアンは瞬時に理解した。
恋人はこんな風に男としての自分を試すような事なんてしない。
けれども幻だとわかっていても、今すぐにでも抱き寄せられる距離に彼女がいるのは――酷く、乾く。
彼女を求める渇きは想いが通じ合ったあの冬の日から増すばかりだ。
(手に入れられたら満たされると思っていたのにな。我ながら欲深くて呆れる)
お前が欲しいと愛を告げた。
彼女の責務も、守るべきものも、運命ごと愛すると誓った。
『……良いよ。たった今から、私は君のものだ』
彼女は答えと口付けをくれた。
甘く柔らかい唇が、乾いた心を幸せで満たしてくれた瞬間だった。
その全てが俺だけのものにならないとわかっているが、彼女の特別になれた事が嬉しくて。
けれど一度知ってしまえばその次もと願ってしまう。もっと深く彼女を知りたいとさえも。
目の前で微笑む彼女の幻が纏うのは純白と深い青のドレス。
それは彼女の故郷であり、彩。
銀糸の髪に咲く青薔薇は彼女の為にこの世に存在するかのようだった。
(幻でもこの渇きを満たしてくれるのだろうか……)
あの日彼女がしたように頬を引き寄せ、その唇に口づけ――ようとして、ノイアンはそっと頭を振った。
大切な宝物に触れるかの様に頬に伸ばした手で彼女の髪に触れようとした瞬間、彼女の幻は跡形もなく消えていた。
痛い程の静寂が支配する部屋の中に、自嘲的な溜息が響いた。
(これまで執着というものとは無縁だった。いや、一つ例外として『生』に関してはそれなりに気にかけていたと思う)
とは言え、特に生きる目的があったわけでもなかった。
帰るべき故郷があるわけでもなく、自身の名すらもそれと怪しく。
帰属していた傭兵団からは濡れ衣で追い出され。
……疎ましくなっていた。人と関わる事が。
(それがどうだ。今は……)
お節介な隣人達に随分絆されてしまった。
朝日の眩しさを知ってしまえばそれまで心地よいと思っていた夜闇が疎ましくなり、静寂が心の安寧をもたらしていたかと思えば、今やそれを導くものは彼女の声に他はなく。
夜の闇と静寂が、彼女が隣にいないのが、こんなにも落ち着かないものになっているだなんて。
(この酷く渇くような想いを向けていい相手ではないと思っているのに)
優しく、怯えさせる事のないようにしたい。彼女はとても繊細だから。
だから、縛り付けるような事はしたくない。自由でいて欲しい。
――それと同じくらい、この腕の中にずっといて欲しいと思う。
(お前があまりに美し過ぎて不安になるんだ。だから何度でも確かめたい)
俺だけを見つめて欲しい。
愛していると言って欲しい。
何度も名を呼んで欲しい。
口付けだけじゃ足りない。もっと、お前を感じたい。
ノイアンは蒼玉の結紐に触れた。
一度結べば自ら外さぬ限りは解ける事はないと言われるそれは、彼女と自分にとって運命の糸のようだ。
燃えるような赤ではなく、蒼青の。
――それは、愛するが故に伝えられず押し殺す独占欲。
●憂苦からの解放
シルヴィア・A・カペルは生まれた時から侯爵家の責任を負っている。
責任は時に意思を縛り選択肢を奪う。自身の考えさえ表に出すのは難しい。
ドレスも装飾品も髪型も表情も、傍にいる人も自分で選んだ事は無かった。
(家の為に生きるのが私の運命だから)
ただ、十歳の時に旅をしていた時だけただのシルヴィアだった。
――祖父の名を継ぐまでは。
初めて自分で選んだフィドル、初めての友達、自ら学んだ剣術。
冒険者になりその日々が戻ってきた気がして欲が出た。私のままでいたいと。
やがて恋を知り、諦めたくない人と恋仲になった。
その愛しい人の幻が目の前にいるのに、シルヴィアは手を伸ばす事は出来なかった。
月明かりを背に佇む恋人は息をするのを忘れそうになるくらい美しくて。
幻だとわかっていても、彼の青い瞳に見つめられると嬉しさと切なさに身も心も震えた。
「きっと触れたら消えてしまうのだろう? 幻でも君が私の目の前から消えるのは嫌だ」
彼は何も言わずにただ微笑んでいる。
自分だけが知っている、大好きなあの顔で。
『私が欲しいという事は、カペルと運命を共にするという事だ』
『俺が共にしたいのはお前の運命だ。そこだけは譲れない』
想いを伝え合ったあの日を思い出す。
溢れそうな想いを飲み込んだ自分に、彼はこの命尽きるまで傍らに在ると、覚悟と愛を誓ってくれた。
応えるには言葉では足りないと、自ら彼に――女としての私は生涯彼だけのものであるという誓いのキスを贈った。
けれど、幸福の裏に潜む不安もあって。
自分は故郷と共に在ると決めている。彼に何を望めるというのだろう……と。
だから幻だけではなく実物も消えてしまうのだろうと思った。
いずれ価値観の違いで破綻してしまうかもしれないと怯えた。
(彼を信じていないんじゃない。これは――私の弱さだ)
けれど先日友人達と過ごした時にたくさんの助言を貰い、真っ直ぐに沢山の気持ちを伝えていきたいと思った。
彼女達に勇気を貰った。だから――。
「……わ、私を放っておいたら許さないから」
目の前の彼は本物ではなく幻だけれども。
今この時だけは愛すべき枷を捨て去り、ありのままの私として、恋人への我儘を口にする。
「他の子を見たら承知しないわ」
私はあなたのものになった。
だからあなたも私だけのものでいて。
いつだって私だけを見つめていて。
「……どうか嫌わないで」
あなたの愛を、誓いを信じてる。
でも自分が愛されるに足る女なのか自信がないの。
―――怖い。
私の望む私とは何だろう。
祖父は尊敬するしそう在れたらと思う。
何故、今更誰にも望まれていない私を表に出すのか。
(彼が好きになってくれたのはどの私?)
どれも私であって、彼に見せていない私もあって。
きっと私ですらまだ知らない私もいて。
(……ああでも、彼なら望んでくれるのかもしれないわ)
私の運命ごと愛すると誓ってくれたのだもの。
ねぇ、そうでしょう?
――それは、責務と愛の狭間で揺れる乙女の独占欲。
●哀切なる初恋
高貴なる想い人と初めて会ったのは探索者で賑わう夜の迷宮都市でだった。
彼は帝国を襲った大異変から民を守る為、各地を回って有力者に支援を求めていた――とは後で知った話なのだけれども。
気分が悪くなった彼が夜風に当たっていたのを偶然見かけたトーラは、その儚げな様子に思わず声をかけた。
『お水持ってきましょうか?』と。
そして、初めて目が合ったあの瞬間を。
重責に押し潰されそうになりながらも、それに抗おうとする紅い瞳に魅入られた時の胸の高鳴りを、トーラは今でも鮮明に覚えている。
自分の思い込みかもしれないけれども、今にも壊れそうで手を差し出したくなる目だった。
夜風に微かに靡く漆黒の長い髪は美しく、その声は凛と澄んでいて。
思い出すと今でも胸が締め付けられるような想いに駆られる。
(……あの時、手が滑って水をかけてしまわなければもっとお話出来ていたかもしれないのに……!!)
もう何度同じ事を後悔したかわからない。
それにきっと、あの夜に一目で恋に落ちた。自分にとっては運命の出会いだったのだ。
トーラは寝台の上でごろもだと転がり、火照る頬をそっと両手で抑える。
その後、帝国の皇子と知って驚いたし、何度か出会う機会もあったけれども。
(あの方にとってわたしは多くの冒険者の一人で、きっと名前も覚えて貰っていないんでしょうね……)
切ない片思いの溜息が漏れる。
いつだって会いたくて堪らないのに、数えきれないくらい夢に見ているのに。
いざ会えたとなると上がってしまって、まともに話せなくなる自分の性質が恨めしい。
帝国の未来を担う彼と特別な関係だなんて畏れ多いけれど、せめて名前を呼んで貰えたら……!!
『■■■』
体中に電撃が奔る様な衝撃だった。
あの方の声が私の名を呼んだ。幻聴などではなく、はっきりと。
私の――傍らで。
「■■■■■■さま……っ!?」
こんなに都合のいい現実がある訳がない。
けれど例え幻でも、彼が私の名を呼んで、私だけに微笑んでくれているのが嬉しかった。
立場や種族の違いに引け目を感じていて、でも彼が他の女性と親しい様を見れば動揺して。
内心はいけないとは思いつつも、彼の一番になりたいと願ってしまうから。
「いつか……いつか、お傍に置いて下さい。お慕いしています……っ」
堰を切ったかの様に彼への想いが溢れ出す。
幻とは言えこうして傍にいられる喜びなのか、叶わぬ恋に身を窶す哀しみなのか、頬を伝う涙の意味をトーラ自身もわからなかった。
――それは、初恋が生涯の恋になると自覚した乙女の切なる独占欲。
●茉莉花の夜は明けて
翌朝、帰路に就く冒険者達の足取りは様々だった。
早く会いたいと足を早める者。
物思いに耽る者。
茉莉花を一枝貰えないかと宿の店主に頼む者。
だがその心は皆、愛しい人への想いでいっぱいだった。
それは抗えない甘やかな恋の毒――。
それは身勝手で独り善がりで。
愛や恋と言う甘い言葉の奥深くに隠された欲望。
その想いが片側だけでも、通い合っていたとしても。
慈愛や献身のような清らかな想いでも、執着や依存を孕む歪んだ想いでも。
あなたはこの世で一番愛しい、唯一無二の人――。
●無垢なる憧れ
茉莉花よりも白く美しい鱗が月明かりに照らされ、神々しいまでに輝いて見える。
その光景をスィーリーンが信じられずにいると、静謐な声で名を呼ばれた。
心臓が跳ね上がる。
何故、自分の名前を知っているのだろうかと疑問が浮かぶ余裕はなかった。
彼が目の前にいて自分の名を呼んでくれた。私の、私だけの名を。
「■■■■様……!?」
喜びと困惑の混じった声で彼の――語らずの智者の名を呼ぶ。
そんな筈はない、こんな所にあの方がいる訳がない。
分かっているけれど姿も声もそのもので、その全てを刻み付けたあの日が甦ってくる。
彼に聞きたい事がたくさんあるのに、彼の金色の瞳の中に自分が映っているのに気づき、言葉に詰まってしまう。
その躊躇の合間に。声も出せない内に彼は消えてしまって、ああ幻だったと納得したけれど。
「……今、何処で何をしていらっしゃるのですか」
落胆よりも寂しさが募る。
会いたいと願う気持ちと彼の安否を気遣う気持ちにスィ―リーンの胸は締め付けられるように苦しくなった。
(あの方は帝国を滅ぼした大罪人。けれど私は悪人だとはどうしても思えない……)
手を下したのが彼だとしても、そこには他者の思惑があるのでは?
命令に従っていただけなのでは?
それは罪には違いないけれど、情状酌量の余地はあるのでは?
彼を信じたい気持ちが溢れるこの胸は、彼へ向けられる心無い言葉に幾度も引き裂かれてきた。
けれど叶うならば彼の口から真実を知りたい気持ちと、小さい頃から抱く憧憬が消え去りはしないという自信がある。
噂話にしか聞いた事はなくとも、他国で重用される同朋の勇姿を幾度も思い描いて。
故に彼と初めて相対したあの日を生涯忘れはしないだろう。
言葉を交せた事が、魔法の指南をしてもらえた事が、ほんの一時でも側で同じ時を過ごせた事が、本当に嬉しくて。
奇跡のようなあの日がなければ遠い憧れの存在のままだっただろう。
けれどその側に在る喜びを知ってしまった。もう淡い憧れだけではいられなくなってしまった。
彼が主から離反してからは今日まで、その身を案じない日はない。
無事だろうか。
何処で何をしているのだろうか。
危険な目に遭っていないだろうか。
――何故、帝国を滅ぼしたのだろうか。
(かつての主君イダ様のご命令だったのでしょうか。今もご一緒なのでしょうか)
彼の主は女性と見紛うほど美しい少年だ。
きっと彼の母親であるイダは絶世の美女なのだろう。
その傍らに彼の姿が在るのではと考えると、何だか胸のどこかがざわめく気がした。
どうか特別な色を帯びてイダ様を見つめないで。
これ以上あの方の為に自分を犠牲にするのは止めて。
――それは、純真なる想望に滲む独占欲。
●相愛への渇望
あいつとは部屋が別のはずなので、つまりこれは夢なのだろう。
そう考えながらカッシアは目の前にある想い人の幻を観察する。
(ここまではっきりした夢は珍しいな)
眩くも優しい金色の柔らかそうな髪。
その中に自分を閉じ込めて欲しいと願ってしまいそうになる緑色の瞳。
品よく整い、優しく微笑む美しい顔。
大きくて、けれど長く美しい指をした手。
首筋も胸板もくっきりと浮き出た腹筋も、逞しいながらもしなやかで。
――触れたい。
疼くような願望を消し去ろうと、逸らした視線は彼の唇に惹き寄せられる。
いつも優しく自分の名を呼んでくれるその唇に。触れたら、唇を重ねたら、どんな感触なのだろうか。どんな反応を見せるのだろうか。
願望が渇望に変わる。情欲がちらつく触れ合いを感じてみたい、と。
これは夢だから、今の自分の顔を本当の彼に知られないから、そう自分に言い聞かせる瞳に熱が帯びていく。
彼の出てくる夢を見るのは初めてじゃない。
隣にいたいと自覚した時か、彼の瞳に星の輝きを見た時か、それより前からか。
いつもの夢は普段の日常とか依頼とか、実際にあった事をただ思い返すような内容だったから、最初は気付かなかった。
でも今はもう分かっている。
彼の事を好きで執着してるから、こうして夢を見るのだ。
(あいつも種類は分からないけど俺に好意があるのは分かる)
その気持ちを感じる度にどれだけ自分がドキドキして、嬉しくて。
同時にそう感じる自分にどれだけ戸惑ったか、彼は知らないだろうけど。
(だからあいつの隣という特等席は、今は俺のもののはず)
でもそれがずっと続く保証はないから、こうして拗らせている。
彼に誰か、他に愛する人が出来たとして、隣にその人を置きたいのだと言われたら自分に抗うすべはない。
(いや抗うかもしれないけど、「反対隣空いてるじゃん」とか未練がましく言うかもしれないけど)
でも彼を困らせるのは本意じゃないので、結局の所はそうなったら引くしかないのだ。
彼の為にはそうするべきだとわかっている。
けれど彼が自分じゃない誰かのものになるなんて耐えられない。
「ねえ、俺のことどう思ってるの?」
黒曜石の瞳に熱を揺らめかせ、本物には言えない言葉を幻に投げかける。
ずっとずっと知りたくて、でも知るのが怖いその問いを。
「何でいつも一緒にいてくれるの?」
大切な友達だからだなんて言わないで。
特別だからって言って欲しい。
「期待させてる自覚あるの?」
こんなに俺の事を翻弄して。
心を乱して、どういうつもりなの?
「ねえ、君の好きってさ」
二度目の「ねえ」は一度目よりも甘く、切なく。
核心に触れる問いにほんの一瞬、戸惑って。
――俺にキスできるって好き?
言いかけて、でもそこから先を飲み込んだ。
幻にさえ自分からそういう意図で触れられない自分に苦笑する。
唇を重ねたらもう友達同士ではいられないから。
きっとそれ以上を望んでしまうから。
夢でさえ踏み出す勇気が無いくせに、欲ばかりが煮詰められていく。
――それは、臆病な熱情に揺れる独占欲。
その頃、ヴィナスも同じ宿で同じように想い人の幻を見ていた。
紅を引いているわけでもないのに艶めかしく見えるのは、その唇に触れたい己の欲のせいだろうか。
「■■■■の好きが俺にキスされてもいいって好きならいいのに」
応えてくれるのならば、言葉でもキスでもどちらでもいいから。
この独占欲をあなたで満たして。
そして同じように俺への独占欲で溺れて。
ヴィナスのエメラルドの瞳もまた、恋の熱情に揺れていた。
●懊悩なる二律背反
上質だとわかる上着を脱ぎ、ネクタイを解いて。窮屈なボタンを全て開放し、ジュスト・ヴェルジーは深い溜息と共に寝台に横たわった。
茉莉花は見事なものだった。でもあの甘い香りが頭にこびりついて。
(寝付くには時間がかかるかもしれない)
今、感じたいのはこの香りじゃない。
幼い頃から知っている彼女の香り。
そして彼女の為だけに調香師に作らせた愛しの春の香り。
トップノートは幼い頃に拗らせた初恋を想起させる。
あの日、君の為に誤魔化した。
でも本当はただ怖かっただけだった。
それから犬猿の仲になっていた彼女は、幼馴染でもあり、自分より半歩先に大人になる従姉でもある。
最近漸くお互いに向き合えて、まだ素直になりきれていないけれども、晴れて婚約者となった。
寄親や家の許可は下りているが正式発表はまだで、タイミングは大事だと理解はしていてももどかしい気持ちが少なからずある。
彼女は自分の婚約者だと周知してしまえば、彼女に手を出そうとしたり懸想する男どもを牽制できるから。
『■■■■』
不意に彼女に呼ばれて跳ね起きる。
ふわりと香るチェリーやベリーの甘酸っぱい果実の香りと、目の前の光景に心臓が止まりそうになった。
(同じ寝台の上に寝巻姿の彼女が座っている?)
――明らかに幻だ。
彼女は自分の名前を呼ぶ事なんてそうそうないし、冒険者としては奔放な振舞をしているが貴族令嬢として躾けられた女性だ。
こんな夜更け男の部屋に、しかも寝台の上に侵入してくるなんてあり得ない。
解っているのに。名を呼ばれるだけでこの身体に熱が点る。
幼いあの日と同じ真白さを纏う柔らかな肢体は眩暈がするほど官能的で。けれども触れる事を許されないような高貴さもあって。
ああ、だけれども触れたくて仕方がない。
「……■■」
掠れた声で彼女の名前を呼ぶ。
俺だけが許された特別な名前。
擦れ違い続けた十年間も俺と君を繋いできた魔法の呪文。
どうか――拒まないで、と。
縋るように薔薇色の髪に手を伸ばすも、触れる前に消えてしまった。
解り切ったことなのに。
本物であるはずがないのに。
それでも彼女が自分の腕ではなく、他の誰かの腕の中に納まってしまう光景が思い浮かび、苛立つ。
(絶対にそんなこと許せるものか)
彼女を下卑た欲望で穢したくない気持ちと、他の男に穢されないよう自分で染め上げたい気持ち。
彼女を尊重し自由を与えたいという気持ちと、閉じ込めて自分だけのものにしたいという気持ち。
矛盾する2つの想いに苛まれる。
ずっと彼女だけを見てきた。
例え何千、何万人の中にいても、彼女を見つける自信がある。
この瞳はいつだって、鮮烈な赤に惹きつけられてしまうから。
もう手放すなんて出来やしない。
瑞々しい少女のようだった残り香は、桜と薔薇の繊細さと華やかさが入り交じる官能的で甘やかな香りへと変化していく。
(……俺の中の男を見せたら、君はどんな顔をするのだろうか)
そして君の中の女を暴きたい。
まだ知らない君の香りを、味を、知りたい。
――それは、幼き日の純愛と抑圧された情火が溶け合う独占欲。
●君への純潔
背後から聞こえた心地よい低音は紛れもなく彼のものだった。
ローザリカ・L・ディオールは煩いくらいに早鐘を打つ心臓の音が聞こえてしまわぬようにと願いながら、ゆっくりと振り返る。
その先には想像通り、婚約者の姿があった。
いつもならすぐに言葉の棘が出て来るのに、今はただ彼を見つめる事しかできない。
(落ち着け。これはきっと夢だ)
貴族の子息である彼が婚姻前の婚約者の寝室を訪れる訳がない。
ましてシャツから素肌が覗く煽情的な格好で寝台に横たわり、誘うように自分を見つめているだなんて――だけれども。
絡み合う視線に引き寄せられる様に、ローザリカはゆっくりと彼の待つベッドへ近づいていく。
きっとずっと早い段階で気が付いていて、見ないフリを続けていた想い。
どうしようもなく惹かれてしまった幼きあの日。
そしてだからこそ。好きだと気づいてしまってからは距離を取った。
(お互いに貴族の家に生まれなければ、心のままに傍にいられたのに……)
まずひとつ、社交の場での舞踏はすべて断った。
婚姻前の男女が共に踊るということ自体が特別な意味を孕みかねないから。
そしてふたつ、彼の名を呼ぶ代わりの呼称を決めた。
距離が近く見えようとそれはただの血縁故にと周囲に誤魔化す為。
(……名を呼んでしまえば決意が揺らぎそうだったから)
ああけれど。本当に手を離すつもりだったのならやりようはいくらでもあったのだ。
完全に交流を断つとか……どこか遠く、嫁ぎ先を見つけて消えてしまうとか。
そうしなかったのは、出来なかったのは。
どうしたって彼を手放せなかったから。
例え何千、何万人の中にいても、彼を見つける自信がある。
その瞳はいつだって、私を見つけてくれると信じているから。
感じる視線の先に、必ず愛しい翡翠がある。
「■■■■……」
ギシリ、と寝台が軋んだ。
ほんの少しの距離を開けて彼の隣に横たわる。その空白は残された最後の理性。
名を呼ぶ声は愛しさと甘い熱を帯びて。
彼の親指に在る金の指輪の名は黄昏の君主。
秘めた言葉は純粋と永久不変。
――ちぐはぐな想いもすべて。眩さで覆い隠して。
交わした言葉も、傷つけ合った痛みも、彼を想って流した涙も、その全てが大切な思い出で。
(誰にも触れられない。触れさせてなるものか)
どれだけ彼に我儘を言っても、辛く当たっても、見放されない事に安堵した。
彼にだけ教えた特別な呼び名を彼の口が奏でれば心が躍って、それを真似して口に出した他者は拒絶した。
自分だけが許される事に感じる優越感と、彼にだけ許していた特別なモノ。
全部全部、独占欲に違いはなくて。
特別に甘えて、それでも足りないと全部が欲しくて。
あの翡翠が他者を映し出す事にさえ嫉妬心を煽られると知れれば、浅ましいと思われるだろうか。
その唇に愛を囁かれ、その指に翻弄され、身も心も深く結ばれたいと願っていると知ったら――彼は応えてくれるだろうか。
いっそ、こんなドロドロとした気持ちに気づかない夢見る少女でいられたらよかったのに。
――それは、お互いの全てを預け合いたいと願う独占欲。
●碧き運命の女
これは幻だとエル=バ=ノイアンは瞬時に理解した。
恋人はこんな風に男としての自分を試すような事なんてしない。
けれども幻だとわかっていても、今すぐにでも抱き寄せられる距離に彼女がいるのは――酷く、乾く。
彼女を求める渇きは想いが通じ合ったあの冬の日から増すばかりだ。
(手に入れられたら満たされると思っていたのにな。我ながら欲深くて呆れる)
お前が欲しいと愛を告げた。
彼女の責務も、守るべきものも、運命ごと愛すると誓った。
『……良いよ。たった今から、私は君のものだ』
彼女は答えと口付けをくれた。
甘く柔らかい唇が、乾いた心を幸せで満たしてくれた瞬間だった。
その全てが俺だけのものにならないとわかっているが、彼女の特別になれた事が嬉しくて。
けれど一度知ってしまえばその次もと願ってしまう。もっと深く彼女を知りたいとさえも。
目の前で微笑む彼女の幻が纏うのは純白と深い青のドレス。
それは彼女の故郷であり、彩。
銀糸の髪に咲く青薔薇は彼女の為にこの世に存在するかのようだった。
(幻でもこの渇きを満たしてくれるのだろうか……)
あの日彼女がしたように頬を引き寄せ、その唇に口づけ――ようとして、ノイアンはそっと頭を振った。
大切な宝物に触れるかの様に頬に伸ばした手で彼女の髪に触れようとした瞬間、彼女の幻は跡形もなく消えていた。
痛い程の静寂が支配する部屋の中に、自嘲的な溜息が響いた。
(これまで執着というものとは無縁だった。いや、一つ例外として『生』に関してはそれなりに気にかけていたと思う)
とは言え、特に生きる目的があったわけでもなかった。
帰るべき故郷があるわけでもなく、自身の名すらもそれと怪しく。
帰属していた傭兵団からは濡れ衣で追い出され。
……疎ましくなっていた。人と関わる事が。
(それがどうだ。今は……)
お節介な隣人達に随分絆されてしまった。
朝日の眩しさを知ってしまえばそれまで心地よいと思っていた夜闇が疎ましくなり、静寂が心の安寧をもたらしていたかと思えば、今やそれを導くものは彼女の声に他はなく。
夜の闇と静寂が、彼女が隣にいないのが、こんなにも落ち着かないものになっているだなんて。
(この酷く渇くような想いを向けていい相手ではないと思っているのに)
優しく、怯えさせる事のないようにしたい。彼女はとても繊細だから。
だから、縛り付けるような事はしたくない。自由でいて欲しい。
――それと同じくらい、この腕の中にずっといて欲しいと思う。
(お前があまりに美し過ぎて不安になるんだ。だから何度でも確かめたい)
俺だけを見つめて欲しい。
愛していると言って欲しい。
何度も名を呼んで欲しい。
口付けだけじゃ足りない。もっと、お前を感じたい。
ノイアンは蒼玉の結紐に触れた。
一度結べば自ら外さぬ限りは解ける事はないと言われるそれは、彼女と自分にとって運命の糸のようだ。
燃えるような赤ではなく、蒼青の。
――それは、愛するが故に伝えられず押し殺す独占欲。
●憂苦からの解放
シルヴィア・A・カペルは生まれた時から侯爵家の責任を負っている。
責任は時に意思を縛り選択肢を奪う。自身の考えさえ表に出すのは難しい。
ドレスも装飾品も髪型も表情も、傍にいる人も自分で選んだ事は無かった。
(家の為に生きるのが私の運命だから)
ただ、十歳の時に旅をしていた時だけただのシルヴィアだった。
――祖父の名を継ぐまでは。
初めて自分で選んだフィドル、初めての友達、自ら学んだ剣術。
冒険者になりその日々が戻ってきた気がして欲が出た。私のままでいたいと。
やがて恋を知り、諦めたくない人と恋仲になった。
その愛しい人の幻が目の前にいるのに、シルヴィアは手を伸ばす事は出来なかった。
月明かりを背に佇む恋人は息をするのを忘れそうになるくらい美しくて。
幻だとわかっていても、彼の青い瞳に見つめられると嬉しさと切なさに身も心も震えた。
「きっと触れたら消えてしまうのだろう? 幻でも君が私の目の前から消えるのは嫌だ」
彼は何も言わずにただ微笑んでいる。
自分だけが知っている、大好きなあの顔で。
『私が欲しいという事は、カペルと運命を共にするという事だ』
『俺が共にしたいのはお前の運命だ。そこだけは譲れない』
想いを伝え合ったあの日を思い出す。
溢れそうな想いを飲み込んだ自分に、彼はこの命尽きるまで傍らに在ると、覚悟と愛を誓ってくれた。
応えるには言葉では足りないと、自ら彼に――女としての私は生涯彼だけのものであるという誓いのキスを贈った。
けれど、幸福の裏に潜む不安もあって。
自分は故郷と共に在ると決めている。彼に何を望めるというのだろう……と。
だから幻だけではなく実物も消えてしまうのだろうと思った。
いずれ価値観の違いで破綻してしまうかもしれないと怯えた。
(彼を信じていないんじゃない。これは――私の弱さだ)
けれど先日友人達と過ごした時にたくさんの助言を貰い、真っ直ぐに沢山の気持ちを伝えていきたいと思った。
彼女達に勇気を貰った。だから――。
「……わ、私を放っておいたら許さないから」
目の前の彼は本物ではなく幻だけれども。
今この時だけは愛すべき枷を捨て去り、ありのままの私として、恋人への我儘を口にする。
「他の子を見たら承知しないわ」
私はあなたのものになった。
だからあなたも私だけのものでいて。
いつだって私だけを見つめていて。
「……どうか嫌わないで」
あなたの愛を、誓いを信じてる。
でも自分が愛されるに足る女なのか自信がないの。
―――怖い。
私の望む私とは何だろう。
祖父は尊敬するしそう在れたらと思う。
何故、今更誰にも望まれていない私を表に出すのか。
(彼が好きになってくれたのはどの私?)
どれも私であって、彼に見せていない私もあって。
きっと私ですらまだ知らない私もいて。
(……ああでも、彼なら望んでくれるのかもしれないわ)
私の運命ごと愛すると誓ってくれたのだもの。
ねぇ、そうでしょう?
――それは、責務と愛の狭間で揺れる乙女の独占欲。
●哀切なる初恋
高貴なる想い人と初めて会ったのは探索者で賑わう夜の迷宮都市でだった。
彼は帝国を襲った大異変から民を守る為、各地を回って有力者に支援を求めていた――とは後で知った話なのだけれども。
気分が悪くなった彼が夜風に当たっていたのを偶然見かけたトーラは、その儚げな様子に思わず声をかけた。
『お水持ってきましょうか?』と。
そして、初めて目が合ったあの瞬間を。
重責に押し潰されそうになりながらも、それに抗おうとする紅い瞳に魅入られた時の胸の高鳴りを、トーラは今でも鮮明に覚えている。
自分の思い込みかもしれないけれども、今にも壊れそうで手を差し出したくなる目だった。
夜風に微かに靡く漆黒の長い髪は美しく、その声は凛と澄んでいて。
思い出すと今でも胸が締め付けられるような想いに駆られる。
(……あの時、手が滑って水をかけてしまわなければもっとお話出来ていたかもしれないのに……!!)
もう何度同じ事を後悔したかわからない。
それにきっと、あの夜に一目で恋に落ちた。自分にとっては運命の出会いだったのだ。
トーラは寝台の上でごろもだと転がり、火照る頬をそっと両手で抑える。
その後、帝国の皇子と知って驚いたし、何度か出会う機会もあったけれども。
(あの方にとってわたしは多くの冒険者の一人で、きっと名前も覚えて貰っていないんでしょうね……)
切ない片思いの溜息が漏れる。
いつだって会いたくて堪らないのに、数えきれないくらい夢に見ているのに。
いざ会えたとなると上がってしまって、まともに話せなくなる自分の性質が恨めしい。
帝国の未来を担う彼と特別な関係だなんて畏れ多いけれど、せめて名前を呼んで貰えたら……!!
『■■■』
体中に電撃が奔る様な衝撃だった。
あの方の声が私の名を呼んだ。幻聴などではなく、はっきりと。
私の――傍らで。
「■■■■■■さま……っ!?」
こんなに都合のいい現実がある訳がない。
けれど例え幻でも、彼が私の名を呼んで、私だけに微笑んでくれているのが嬉しかった。
立場や種族の違いに引け目を感じていて、でも彼が他の女性と親しい様を見れば動揺して。
内心はいけないとは思いつつも、彼の一番になりたいと願ってしまうから。
「いつか……いつか、お傍に置いて下さい。お慕いしています……っ」
堰を切ったかの様に彼への想いが溢れ出す。
幻とは言えこうして傍にいられる喜びなのか、叶わぬ恋に身を窶す哀しみなのか、頬を伝う涙の意味をトーラ自身もわからなかった。
――それは、初恋が生涯の恋になると自覚した乙女の切なる独占欲。
●茉莉花の夜は明けて
翌朝、帰路に就く冒険者達の足取りは様々だった。
早く会いたいと足を早める者。
物思いに耽る者。
茉莉花を一枝貰えないかと宿の店主に頼む者。
だがその心は皆、愛しい人への想いでいっぱいだった。
それは抗えない甘やかな恋の毒――。
マスターコメント
大変お待たせ致しました……!
皆様の素晴らしいプレイングを頂いた瞬間から、妄想が止まりませんでした。
あれこれと好きに書いてしまったのですが、大丈夫でしょうか……?
お一人お一人の独占欲と向き合わさせて頂きました。
その瞬間はPCさんになり切っていたので、お相手様への愛が止まりませんでした……。
切なく幸せな想いを共感させて頂けてとても幸せです。
拙いながらも私からの愛を目いっぱい込めさせて頂きましたので、お気に召して頂けたら幸いです。
ミドルシナリオ普通 報酬:標準8 / 6〜8人
2022年04月21日 13時37分51秒 公開
大成功
相談掲示板
トーラらしくです。 これは幻なんですよね。幻、マボロシ…。
ノイアンだ。よろしく頼む。 夢なら…夢なら問題ない…はず…?
シルヴィアだ。今回はよろしくね。 独占欲……独占欲か。ああ、夢の中だからね。 皆にとって良い夜になりますように。
ジュストだ、よろしく。 とはいっても今回は他の人と絡むことはないようだが、皆良き時間を過ごせると良いね。 しかし願望が見せる幻か。 ジャスミンは好きな花だし、その花がどんな願望を幻にするのか気になるところ。
ヴィナスだよ、よろしくね。 個人描写のようだけど、お互い思い残しのないように。 それにしても、願望が見せる幻か。 なんだか怖いね。
ローザリカ、よろしく頼もう。 清純な花弁が纏う甘く濃厚な香りに惑わされて見る夢は…… はてさて、どうなるんだろうね。