冬薔薇の木陰に憩いて
炙りとろ左門
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シナリオID:1556
オープニング
出版社から一報を受け、ルネスは慌ただしく身支度を整えると屋敷を飛び出した。目指すは下町の8番街、古ぼけた集合住宅だ。
3階まで駆け上がり、その角部屋に辿り着く頃にはうっすら汗をかいて、白い髪はぼさぼさに乱れていた。形式的なノックをした後、握り込んだ合鍵を挿し込み、あっと気がついて身だしなみを軽く整える。一呼吸して、ルネスは扉を押しあけて声を張った。
「リーチェ!」
狭い部屋は、以前訪れた時よりずっとごっちゃりと散らかっている。閉め切られた窓とカーテンのせいで部屋の空気は澱んでおり、暗い。とりあえず足の踏み場を確保しながらカーテンを引いて光をめいいっぱい取り込み、窓も開放して空気を入れ替えてから、部屋の主を探す。
「リーチェ、どこだい?」
ルネスはまさか今度こそ死んでいるんじゃなかろうかと焦り、床に積み上げては崩れる大量の本や紙をどけていく。
「ああ、いた。もう……」
細く白い肩を抱いて、ルネスはそれを起こす。そうして、リーチェ=ミレディエ——売れっ子恋愛作家「冬薔薇の君」は発掘された。
「んんー」
葡萄色の長い髪。もうそろそろ冬に差し掛かろうというのに、夏物のノースリーブシャツ。さすがに寒さに耐えられず、おそらく適当に羽織ったのであろう厚めのカーディガン。黒いボックスプリーツのコルセットスカートの丈は短く、太腿がしっかり露わになっていたためルネスは慌てて上着をかけてやった。
「この寒いのに、なんて格好でいるんだ君は……ほら、起きて。僕だよ」
「あと半月……」
「冬眠でもする気かな!? ヒトは冬眠しないよ! はいおはよう!」
申し訳ないがぺちぺちと頬を叩く。すると榛色の瞳が瞼の下から覗く。
「おやすみ……」
「起きろー!!」
いつまでもこんな茶番をしているわけにはいかない。ルネスはなんとかリーチェを椅子に座らせる。しかし薄手のシャツの下で柔らかそうな胸が呼吸と共に上下するのが大変目に毒で、上着を肩まで引き上げてやると、その温もりが心地いいのかまたまどろみはじめる。
仕方ない。ここは1発で目が覚めるような爆弾を落としてやるしかない。というか、ルネスが慌ててここにやってきたのはそのためだ。
「次の原稿が間に合わなければ、君の連載は『ベルデリーテ』から下ろされる」
ばちっ、とリーチェの両目が完全に開いた。
● 作家生命、絶体絶命
リーチェは弱冠19歳にして、今をときめく恋愛物語作家だ。路傍に埋もれていたその才能をルネスが見つけたのは、本当に偶然だった。彼女の筆致、彼女の作る世界に心を射抜かれたルネスは、とある出版社へと原稿を持ち込んだのである。
メルクマン社は庶民向けの月報、情報誌を取り扱う出版社である。木版印刷に関わる優秀な技師を多く抱えており、その主力である『ベルデリーテ』は、若年層の、主に10代から20代の女性をメインターゲットに据えた情報誌だ。王都のカフェの新商品から季節のファッションスタイルまでを手広く楽しめる。
その巻末に連載されている恋愛物語『冬薔薇の木陰で』。著者である性別年齢不詳の謎めいた天才作家、通称「冬薔薇の君」がこの、リーチェである。
ルネスは投資家を名乗り、リーチェの後援者を務めている。自分が原稿を持ち込んだ関係から、最近は編集担当者から泣きつかれることも——
そう、リーチェは今、絶不調なのだ。
「表向きは君の病気療養ということにしているけれど、もう2ヶ月も休載してる。メルクマン社は大きな出版社じゃない。売り上げに空いた穴を埋めるのは大変なんだよ」
「わかってる、けどー」
『冬薔薇の木陰で』は、愛する婚約者を奪われた貴族令嬢が、平民出の寡黙な王国騎士と出会い、惹かれあっていく恋愛物語である。貴族社会に疎い庶民に熱心に読まれている理由は、少女たちの「お姫様になってみたいという願望」、そして「姫に惹かれる平民出の王国騎士」という設定にある。そしてこれは予想しなかったことだが、主人公の境遇が一部の貴族令嬢たちに共感され、そちらでも読まれているのだ。
つまるところ、読み手の貴賎を問わぬ話題作。連載再開を望む声は日増しに大きくなっている。
くしゃくしゃに丸められて捨てられた紙に殴り書きされている、数多の場面。ルネスはそれをひとつひとつ確認していく。
「でも、確かにぱっとしない展開だね」
物語はクライマックスを迎えようとしている。しかしそれに見合うカタルシスを、リーチェは描けていない。
「だって、人を好きな気持ちとか、私にはわからないし……」
「いやほんとそれでなんで恋愛物語が書けるんだろうね?」
リーチェは恋愛物語を書く身でありがら、恋愛をまったく理解していない。それでここまで人を虜にできるのだから、奇妙なことである。
「ともかく『原稿を寄越してくれ』ってこと。続きが難しいなら外伝でも書いたら?」
「すぴんおふ……」
「そうそう。……ほら、主人公を捨てて平民の娘を選んだ貴族。彼らも結構、人気があるんだよね」
ルネスはそわそわとリーチェの表情を盗み見た。
投資家の青年ルネスはリーチェを萎縮させないための仮の姿。その正体は、王国貴族カスター伯ルネスという。ルネスはリーチェの作品の登場人物に、自分を重ね合わせていた。
作品の題名にある『冬薔薇』はカスター伯の異名であり、ルネスがさりげなく提案したものである。そう、せめて物語の中ではリーチェといい感じになりたくて。バレたら恥ずかしくて悶死する。
「んー」
しかし、リーチェはあまり乗り気ではない。ごろごろと机に突っ伏しごねる。
ちなみに、次の締め切りまで半月もない。
「……仕方ない」
ルネスは奥の手を使うことに決めた。
● 惚気話募集中
「知人が、困った時はよく冒険者を頼っているから」
冒険者たちはカスター伯爵邸に招かれていた。依頼人は「投資家の青年」ということだったため、突然伯爵が出てきたことに驚きを隠せない。
「僕の家は代々、文芸保護に注力していてね。ほら、投資家だって、嘘じゃないだろう?」
にこやかな微笑みを浮かべ、カスター伯ルネスは続ける。
「後援している作家がひとり、スランプってやつなんだ。恋愛が分からないのに恋愛作家っていう、ちょっと面白い子でね。君たちの考えや……経験談とか。色々話してあげてほしいんだ。良い刺激になると思う」
スピンオフを薦めてくれても良いよ、と付け加えつつ。
「……あ。彼女には僕の正体は内緒にしてるんだ。彼女が『冬薔薇の君』であることも、秘密にしておいてほしい」
よろしくねと念を押された君たちは、色よい報酬につられ、リーチェ宅へと向かうのだった。
解説
マスターより
リプレイ
「ひとまずは掃除ですね。ざっと確認しましたが……これは、物を減らさないといけないかもしれません」
皆がラウンジでリーチェに自己紹介を済ませている間、カスター伯とともに部屋の惨状を把握していたAlexandra・Hexe・Claudiaが戻ってきて、そう言った。
「まず大きな山に分類して、必要なものとそうでないものを分けます。それに少しお付き合いいただけたら」
Alexandraがそう続けると、『冬薔薇の木陰で』の没原稿を読んでいたゲルダ・クラインが顔をあげる。
「では午前中はお掃除をして……午後からはリーチェさんと一緒に外に出かけるのはどうでしょう」
いいね、とジュスト・ヴェルジーが頷く。そしてリーチェの手を取り、背景に花を咲き乱れさせて誘った。
「お茶を飲みながら皆で歓談。麗しの冬薔薇を着飾らせて、貴族の庭園でお茶会でも開ければそれこそ物語のようだけれど、せっかくの機会です。街に出てみては」
「きかざらせる……」
ジュストの言葉に、マレーネ・シェーンベルグがのんびりと反応した。
「ふゆもののおようふくを、ださないといけませんわね。かさねぎでおしゃれにきめて。あたらしいおようふくをかってもよいかもしれませんわ」
「買い物ですか……であれば。ルネスさん、花代は経費で落ちますかね?」
オゴスは部屋に花を置くことを提案する。花瓶がなくとも、コップに一輪挿し、あるいは小花の束を置いておくだけでも、部屋の雰囲気は明るくなるものだ。
「花かい? であれば経費と言わず、僕から贈らせてもらおう」
オゴスの意図を理解したルネスはぱっと表情を明るくする。服も自腹を切っていきそうな勢いだ。
端から見ても「恋をしている」という様子のルネスに、アンネエルカは「まあ」と目を丸くする。
(恋のこと、まだよくわからないけれど……恋をする人って、こんな感じなのね)
そんなアンネエルカの様子を、ルフィナ・ヴィオレットは感慨深そうに見つめる。
(あなたの恋の話も、また聞けるのかしら……なんてね)
思えども口には出さず。代わりにルフィナは「花屋に寄るならポプリも欲しいわ」と付け加えた。それに、ヨル・スレイマンも賛成する。
「うん、彼女の生活に必要なものは他にも多そうだ。買い物をして、カフェで一息。まあ、まずは掃除からだけど」
ヨルが腕まくりをし、Alexandraが一足先に部屋へ向かう。
「そうと決まれば、早速はじめましょう。時間は有限ですから」
● おそうじ!
「片付け……苦手なの」
リーチェがぽそりと呟き、ヨルは頷きを返す。
「わかるよ。俺の同居人も片付けができない……仕事場の周りはあまりいじらないほうが良いよね。寝台もかな」
「うん」
リーチェの書物机と寝台は、ぴったり横付けになって部屋の隅に押し込まれている。その寝台もトーラが発掘したもので、本来の用途で使われているようには見えない。代わりにソファが書物机のそばに寄せられており、リーチェがここと机を往復する距離を最小限にしようとしているのがうかがえた。
そこからなんとなくリーチェの性格を察したヨルは、その辺りの家具はそのままにしておくことに決めた。散らばった書物の中にはヨルの興味を引くものもあったが、今は掃除が優先である。
その後ろを、紙束を抱えたAlexandraが通る。
「腐った食べ物とかは一切ないようで。……もしや食事も適当——いや、今それは置いておきましょう。あの、この紙ですが、必要なものか書き損じかどうかがわかりにくいので分別をお願いします」
Alexandraから紙束を受け取ったリーチェは、ローテーブルの上にそれを置くとソファに腰掛ける。それをルネスも座って手伝いはじめた。付き合いがある分、リーチェが必要としているものとそうでないものの判別がつくらしい。
「よし、私はこのあたりのものをしまいますね」
ゲルダは大きな山に分別された品々を素早くさばいていく。本は本棚へ。洗濯物は洗濯かごへ。ゴミはひとまず麻袋へ。
夏服をまとめてクローゼットに持っていくと、なにやらマレーネが楽しそうにしている。
「まあまあ。すてきなおようふくがいっぱい。もしかして、るねすさまがおくられたのかしら?」
マレーネはリーチェの外出用の冬着を見繕っていた。ゲルダも覗き込んでみると、確かに良い素材を使っている。が、高価すぎない絶妙な塩梅だ。
「あ、なつふくをしまうのですね。ふふ、いけない、いけない」
マレーネはゲルダから夏服を受け取ると、下の引き出しに畳んでしまう。
「汚れもだいぶ綺麗になったわね」
何度か雑巾を濯いだ鉄桶の水を取り替えて、埃や汚れを拭われて輝く家具や窓を、ルフィナは満足そうに見つめる。
「皆で出かけている間に、狭いところも綺麗にしておくわ。お昼ご飯もついでに食べてきたらどうかしら。私たちは階下でいただくから」
「おや、それは残念。その不思議な瞳の輝きを、太陽の下でゆっくり見せていただけたらと思ったのですが……それとも月明かりの下でのお約束をいただいても?」
情緒的なジュストの誘い文句に、ルフィナは妖艶に目を細める。
「あら、あなた、悪い男ね。ふふ、ありがとう。くらりときてしまいそうだわ」
一体何人の女を泣かせてきたのと言外に含ませつつも、ルフィナはジュストに興味を抱きはじめてもいた。ルフィナからすれば、ジュストは清純な乙女とは対極的な位置にあると思えるが、さて。
リーチェはそんな2人のやり取りをじっと見つめていた。
「なるほど……」
「リーチェ、手が止まってるよ」
何でもかんでも「創作の題材」にしてしまうのは、リーチェの悪い癖だ。生きていく上で、他人は「物語の登場人物」ではない。それも理解してくれるといいのだが——。
「さあさあ、おめしかえのおじかんですわ。とのがたはそとにでてらして」
掃除がひと段落つき、マレーネが声をあげる頃、日は天頂にさしかかっていた。
── ○ ──
アンネエルカ、ルフィナ、ゲルダ、Alexandra、そしてリーチェの代わりとしてルネスの5名を部屋に残し、残りの冒険者たちでリーチェを街へ連れ出す。
掃除の間にリストアップした生活必需品を道中買い揃えつつ、ヨルは先月の『ベルデリーテ』を広げていた。冒険者ギルドが主催した読み書き計算勉強会を経て、文字もずいぶん読めるようになったのだ。
「あ、近くに紅茶とパンケーキの美味しいお店があるって。ふらん、ふらんえる……これがお店の名前かな?」
「ああ、学園の女生徒に人気のお店ですね」
店名らしき文字列をなぞるヨルの指先を追って確かめたジュストが、思い出したように手を打つ。
「よければ、俺からは学園の話でも。参考になると思います」
カフェ『フラン・フランエル』。中流層向けの店ではあるが、半年ほど前からパンクリアース学園女生徒の花園と化している。そうなった経緯としては、やはり学園からそう遠くないこと、そして洒落た内装やメニュー、マスターのロマンスグレー具合などが挙げられるだろうか。
窓際の席を確保して、それぞれケーキや飲み物を頼む。団体の到着に視線を引き寄せられていた女生徒にジュストが微笑んで手を振って見せると、きゃあと小さく悲鳴が上がった。
「学園の生徒ですね。……学園は貴族と庶民が一緒に学んでいて、まあ、自然とそういう身分違いの恋に苦しめられる子たちも多いんですよ」
薔薇園の庵で、雨の音にかき消される言葉。放課後の空き教室、はためくカーテンの向こうに消える影。限られた時間、閉ざされた世界で花開く想い。ジュストが語る内容は、それだけで物語の一場面のようだ。
「同じ部活動ということで、一緒にいる時間を作ろうとするのも実に健気なもの。男にも一層甲斐性が求められますね」
ふむふむとメモを取りながら聞いていたリーチェがペンを置いたのを見計らって、ジュストはその手を取り、視線を誘導する。
「どんな苦難からも貴女を守ると誓う、絶対に」
別のテーブルから声量を弁えた黄色い悲鳴が上がった。
「……なるほど。実際に自分がされると、ちょっとむずむずする……」
それまで想像でしかなかった感情を実体験することで、リーチェにも恥じらいらしいものが生まれたらしい。それに、ジュストは手を離して軽く笑う。
「では、ぜひあなたの書く物語に反映していただければと」
「……そうする。貴方や……みんなも、そういう経験があるの?」
一同の顔を見回したリーチェが、最後にオゴスを見る。
「いや、俺は、そういう甘酸っぱい経験はないですね」
慌てて首を振るオゴスだったが、ただ、と続ける。
「人を大切に思う気持ち、というのは自分にもいくらか言えることがあるかと」
「聞きたいわ」
身を乗り出すリーチェに苦笑しつつ、オゴスは語り出す。
「俺にはボスと慕う人がいました。ボスは行き場のなかった俺を手元に置いてくれて、役目を与えてくれて……誰かに必要とされるのって、嬉しいでしょう? 俺も、ボスの命令を完璧に遂行できる、そんな自分に存在価値を見出して……それを、ボスはお見通しだったのかもしれませんね」
そう思えば、あの表情にも納得がいくというものだ。彼は、自身に向けられている思慕や忠誠の本質をよくよく理解していたのだろう。
「それは、『人を大切に思う気持ち』とは少しずれるものかもしれません。自己愛の類でしかないと言われれば、それまで。ですが俺は本当に、ボスのおそばにいられて幸せでしたし、忠義を捧げていたんです」
歪んでいても、愛は愛。そして、それを糺すこともままならないままに持ち寄ることでしか、他人と繋がれない人間もいる。
愛は哀しみ、とはよく言ったもので——リーチェも同じような感想を抱いたのだろう。リーチェが口を開くのを遮って、オゴスはなんでもないように笑った。
「そういう悪役や、歪みを抱えた登場人物が、それを乗り越える展開なんかはどうですかね。伏線回収なんかもできりゃ、言うことなしです。最後の最後で題名を彷彿とさせるシーンもきっと、盛り上がりますね」
——現実には叶わなくても、せめて、物語の中では。
「俺は、女性なら容姿も種族も性格も、身分だって、特に気にならないからなあ」
フルーツパンケーキを切り分けながら、ヨルも話し始める。
「愛、というものはあまり、俺にはしっくりこないな」
「そうなの?」
ジュストもヨルもなんだか雰囲気が似ている、と思っていたリーチェだが、そう言われると首を傾げる。
「オゴスさんのように大切な人、というのもいないの?」
「うーん……」
リーチェの問いに、ヨルは少し考える素振りを見せる。
「同居人、かな。ほら、君と同じで片付けが苦手な……そうそう、その子もゴブリンでね。褐色肌で、細身で笑うと可愛くて、料理を美味そうに食べてくれるんだ」
「それって、むぐ」
(りーちぇさま、これはききにてっして!)
惚気の気配を察知したマレーネが、おっとりとした普段の言動からは想像できない機敏な動きでリーチェの口を塞ぐ。
「悪戯好きで困るんだけどね。綺麗なんだ。ああこれは、嘘とか誤魔化しが無い、って意味で……」
つらつらと同居人について語るヨルの横顔からは、そう、慈愛のようなものを感じるのだが、ふとそれが翳った。
「でもまあ、程良い距離は保ちたいんだ。星が綺麗なのに理由はなく、それが欲しいというのも違うだろう? 変わらず空にあってくれたら、いい。……こういうのは、愛というにはやや積極性に欠けるかな」
愛は、ただひとつのものではない。誰かを見守りたい、助けたい、慈しみたいという気持ちもまた、愛の形である——それぞれが天を仰ぎ、全員が「突っ込みは野暮」とコメントを差し控えた。
「あ、私ですか」
順番に話をする、というルールではなかったとは思うが、どうやら鉢が回ってきた。次に水を向けられたトーラは記憶を辿る。
「ええと、『友達』の話なんですけど」
その枕詞をおいた話が本当に友人の話であることのほうが少ないのはこの際置いておこう。
「その人は夜に街を歩いていて、とても綺麗な男性に出会ったそうです。その男性はとても不安そう、というか、弱っているように見えて、つい声をかけたら目が合って——その時、凄い衝撃が走ったんです」
すでに臨場感が本人の体験談のそれだが、トーラの語りは止まらない。
「紅玉の瞳に白い肌、長くしなやかな黒髪と整った顔立ち……、何より、弱って儚げな様子に『そばで何かしてあげたい』って思ったんですよ」
「あなたが?」
「とっ友達がです!」
リーチェがそっと突っ込むと、トーラはぶんぶんと首を横に振った。
「それで、その方と再会したら、なんととても高貴な方で……何も言えなくて……身分や種族も違うし、友人は自分に自信が持てなくて……でも、その方のことを考えると胸がどきどきするし、どうなっちゃうんだろう、って不安になるんです」
「うん、友達がね」
「ええ。だから、そうですね、『冬薔薇の木陰で』では、平民の娘を選んだ貴族の話が気になりますね。『友達』の話を聞いてそう思いました!」
念を押すトーラに、リーチェはなるほどと頷いて見せた。
「好きな人のことを考えると胸がどきどきする……それだけではなく、どうにかなってしまいそうなほどの不安。とても参考になった」
心の機微とは、語られなければわからぬもの。リーチェは満足そうにペンを滑らせる。
それから根掘り葉掘りといわんばかりのリーチェの質問攻めが終わる頃、マレーネが日の傾きを知らせた。
「そういえばマレーネさんは……恋とか」
聞き損ねていた、とリーチェが尋ねれば、マレーネはしかし上品に笑って誤魔化す。
「ひみつ、ですわ」
── ○ ──
カフェから戻ると、リーチェの部屋はすっかり片付いていた。綺麗になったキッチンに食材を持ち込み、ヨルとトーラが夕食を仕込む。
「学園での話も、もう少し聞きたいかな」
「では、私からも」
リーチェのリクエストに、Alexandraが応える。
「そういえば、学園には文芸部というサロンがありますね。彼らは文集も出しているのです。題材の中には『冬薔薇』に通ずるものも」
「へえ、貴族のお嬢様やご令息が、文芸活動を……」
Alexandraは文芸部の活動についてかいつまんで解説する。その話の途中、リーチェは「あなた自身には何かないの?」と首を傾げた。
「私、ですか。いえ、個人としてそれほど深い縁を結んでいる方は……」
ふと金髪の彼が脳裏をよぎり、Alexandraは反射的に口を引き結ぶ。
(いや、彼は……)
確かに剣を預ける相手ではあるが、色恋とは言えないだろう。そもそも王国貴族と異邦の冒険者、さらに言えば異種族である。そのような展開の余地がない。
(それに。この忠義が愛となってしまえば、きっとそれは……彼の歩む道の邪魔になる)
そう思うのに、心はどんどん渇いていく。傷でもなければ、痛みとも違う。喉元までせりあがる、この苦しみは。
押し黙ってしまったAlexandraに代わり、ゲルダが助け舟を出す。
「私からは、その、身の上話になりますが。私の母はいわゆる貴族の御令嬢で、父はハーフリングなんです」
「ええっ!?」
ゲルダが切り出した内容に、リーチェは驚いてそちらに気取られる。それは王国貴族社会においては非常に稀有な事例と言えるだろう。
王国貴族は、異種族の血を嫌う。異種族との間に子供が生まれたとして無事では済まない、そんな話さえあるほどだ。そしてそれは、世間知らずのリーチェですら知っていることである。
「でも、ゲルダさんはここまで育ってる」
「はい。いろんな運が重なって……母は、生家とつながりを絶たれてしまいましたが、わかっていて父を選んだ、選びたいと思った——そんな、恋だったと」
悪人に攫われたゲルダの母を救ったのは、異種族の青年だった。少年のように無邪気に振る舞う青年は、才能ありと評価されていても、見習い。少女が憧れる大人の男というには、少し足りない部分があった。
しかし、ゲルダの母を助けようと必死に戦う青年の姿は、確かにひとりの少女の記憶と心に焼き付いたのである。決して消えぬ、恋の炎によって。
「人が惹かれ合う時には、身分とか、外見の美しさとかじゃなくて。心や意志に拠るものなのかな、と」
ゲルダはそういって、はにかみながら『冬薔薇』の草稿を手に取る。
「主人公の御令嬢が騎士様を好きになったのも、きっと、騎士様の心に触れたからなのかなって。だから、その、続きにつながるお話ができたなら良いのですが……」
「うん。とっても素敵なお話」
リーチェは柔らかく笑んだ。
「つらく、厳しいこともたくさんあったと思うけれど……きっと、お父様とご一緒だったから、乗り越えられると思えたのかも」
そしてゲルダが生まれた。それは本当に、祝福されるべきことだ。
——ただ、まあ。
Alexandraはちらりとゲルダの顔色を伺う。Alexandraが言葉に詰まった窮地を救ってくれたその少女は、母にこそ言及すれど、父へのそれはぎりぎり避けている。
(言わぬが花ということも、世にはありますからね……)
Alexandraがゲルダとその父親のあれこれを知るに至ったのは、とある依頼がきっかけだが——ここは愛について語る場。重すぎる部分については、割愛させていただこう。
「参考になった、っていうと、なんだか失礼な気もしてきたなあ。うん」
そういう依頼ではあるはずだが、純愛をただ創作の題材として消費する行為に、リーチェはなんとなく後めたさを覚え始める。
「なら、ここからはお仕事のことは抜きにしてお話ししましょ!」
アンネエルカが手を叩く。
「好きって気持ちにも色々あるって、私も知ったばかりなの。マレーネやルフィナさんに教えてもらったのよ」
言葉にするのは難しく、だが、胸に灯る火はあたたかい。
アンネエルカが想うのは、友人として大切にしている『彼』のこと。
「彼はいつだって優しくて、私や、他のお友達のことをとっても大事にしているの。彼に優しくしてもらうとね、身分や種族の隔てなく……自分がお姫様みたいに特別な存在だと思ってしまえるくらい」
『彼』は、アンネエルカにとって『大好きなお友達のひとり』。だが、それだけではない気持ちもある。まだ名前のつかない、淡く儚い気持ち。
「その『特別』は、誰にでも、ではないけれど……きっと私だけへの気持ちじゃない」
そう思った瞬間、ふわふわとした甘い夢は溶けてしまった。残るのは、この関係性を壊すことへの不安と恐怖。
「でも、彼はそういう私の迷いにも気付いて、向こうから手を繋いでくれて……それがとても、嬉しかったの」
喜びをもたらし、悲しみは拭い去る。いつだって、『彼』はアンネエルカを導いてくれる。
「ふふ、ごめんなさい。だからどうしてもね、話したかったの」
この胸のうちの喜びを、誰かと分かち合いたくて。
そんな純粋な心を吐露するアンネエルカを、ルフィナはやや複雑な心境で見守る。
アンネエルカが持つ清純さ、というものを、ルフィナは自分にとって二度と取り戻せないものとして定義している。自分でそうと決めて手放したからこそ、余計に。
「……そうね。私が持ち寄れる話は、参考になるかわからないけれど」
ルフィナが語る物語の主人公は、都会に憧れる無垢な村娘だ。娘の身の上に降りかかる様々な困難に対し、娘は村での日々を支えに乗り越える。そんな日々の中、娘は帰郷するのだが——娘を好いた都の男が、娘への想いを歪ませ凶刃をふりかざす。
「『あぶない!』」
娘を庇ったのは、幼馴染みの青年だった。青年はこれで最後であるならばと、朦朧とする中、娘への想いを告白する。心打たれた娘は青年に愛の口づけを贈った。それは血の滲んだ、悲しい味——。
「つ、続きは……どうなったのでしょう?」
ルフィナの真に迫る語り口に、ゲルダはおずおずと尋ねる。
「大丈夫、ハッピーエンドよ。愛の力で青年は一命を取り留めたの」
「よかったわ……」
ほっと胸を撫で下ろすアンネエルカ。愛の力、というものがどれほどのものかはわからないが、きっと、ルフィナが言うならそうなのだろう。
結末を語るルフィナの横顔の一瞬の翳りは、ランタンの明かりが揺らいだ影に隠された。
● 冬薔薇の騎士たち
皆で食事をとった後、冒険者たちは「依頼は達成された」とルネスが判断したことにより、引き払うこととなった。リーチェはすでに真新しい紙束とインクを手に、書き物の準備を始めている。
「思った以上に効果があったようだね。いや、本当に助かったよ。色々思うところもあったようだし……彼女の作り出すものにも一層の厚みがもたらされるだろう」
冒険者たちに礼を述べるルネスは、何やらそわそわとしている。オゴスとマレーネが聞き出した「リーチェの好きな花」が薔薇だったことにちょっと期待をしているらしい。
「ま、まだ花屋も開いてるから……この後買いに行く。情報ありがとう」
それから、とルネスは続けた。
「『冬薔薇』は連載終了後に愛蔵版として書籍になる予定でね。尤も、書籍化自体かなり手間もお金もかかるから、数は用意できないんだけど……君たちの分くらいは、献本させて欲しい」
「わあ、それはいいね」
小説を読むのは初めてだというヨルに、リーチェは何冊か短編小説を譲っていた。その表紙を撫でながら、ヨルは続ける。
「誰の血も流れることなく、他者の心に響く物語……想像力の奇跡とも呼ぶべきかな。どんな結末を迎えるのか、楽しみにしてる」
私も、とアンネエルカが微笑み、ゲルダが頷く。
「では次の連載は、平民の娘を選んだ貴族のお話を……」
やはりトーラはそこが気になるようで。Alexandraもそれにぴくりと肩を震わせる。
「なるほど、では我々が参考資料になるというのは?」
「あら、意外と純愛派なの?」
さりげなくルフィナの肩を抱こうとするジュストを、ルフィナは揶揄った。
後日、『冬薔薇の木陰で』は、王国騎士の危機を貴族令嬢が救うという展開でめでたく連載終了となった。
その謝辞に冒険者らの名前が記されたのだが、経緯の付記なく名前のみだったために、読者はその名を『冬薔薇の騎士』と呼んだという——。
マスターコメント
ミドルシナリオ普通 報酬:多い9 / 6〜10人
2021年11月10日 22時49分35秒 公開
相談掲示板
小説を読みた過ぎてつい引き受けてしまったな…………。 あーえーと、ヨル・スレイマンだよ。 作家の事情には疎いし、大事な人の心当たりも無いのだけど、気分転換にあれこれしてみることはできると思っている。家事も一通りはできる。 恋愛? 恋バナ? についても多少、まあ、何か話すことはできるだろう。40年くらい生きてる。大丈夫…………。 各々思い思いに動くことになるかな。何はともあれ目標は同じだ。宜しくね。
ジュスト・ヴェルジーというよ、よろしくね。 俺自身の話ではないけれど、貴族界隈で好まれてる話や男視点の意見でもお役に立てればと思って参加させて貰った。 すまないが、家事については得意な方におまかせするよ。 生憎と俺も散らかす方が得意でね。 ああ、でも気分転換をするのに良い茶葉なら用意出来そうだし、持っていこうかな。
ゲルダです。よろしくお願いします。 恋愛小説、面白いですよね。ドキドキしたり、切なくなったり。 わたしも続きがとっても気になるので、なにかお手伝いできないかなと思いまして。 ……その、わたし自身のお話ではないのですが、お父様とお母様についてのお話が参考になるかな、と。 あとは、お掃除もですね。せめてきちんと寝る場所だけは確保しないと、完成の前に身体を壊してしまいそうです。 お茶……「カフェなどで作業すると、意外と筆が進む」のようなことを聞いたことがあるので、お掃除の間リーチェ様に少しだけお出掛けしていただくのはどうでしょうか。
オゴスと申します。俺みたいな厳つい野郎は場違いかもしれませんが、物語が好きなものでして。 作品を作る方のお役に立ちたいと思っています。皆様方、どうぞよろしくお願い致します。 執筆作業を無理強いするより気分転換をした方がはかどりそうですよね。 散歩をすると良いアイディアが浮かびやすいと耳に挟んだことがあります。 ゲルダさんのおっしゃるカフェで仕事ってのも洒落てますね。
クラウディアです。よしなに。 んん…『冬薔薇の木陰で』ですか。…、…。 (参考として用意された本誌を捲り…) ―…学園での実体験に、少しばかり引っかかるものが。 そういったものを話せば、依頼の一助にはなるのでしょうか…?
トーラです。 恋愛経験は…と、友達の体験をお話ししようと思っています(
アンネエルカよ、アンネって呼んでくれても大丈夫。 その…恋については私自身、まだわかっていないことばかりだけれど。 そのわからないことも含めて全部、素直な気持ちをお話し出来たらって思っているわ。 お掃除の間の外出も素敵だわ。 カフェ、気分転換になるのは勿論。それこそ恋愛的なエピソードもありそうな場所よね。 ……なんて、これはタダの想像なのだけれど! シチュエーションを再現しながらのお話しなんかも、わかりやすくていいかもしれないわよね。
ご挨拶が遅くなっちゃってごめんなさいね。 ルフィナと言うわ。よろしくね。 リーチェの創作意欲を刺激するような恋のお話をすればいいのね。 ご期待に添えるかはわからないけれども、私の話せる事なら何でも話したいと思っているわ。 皆のお話もとても楽しみよ。 後はお掃除もすればいいのね。 その間にお出掛けしてもらうのにも賛成よ。 私はお掃除も頑張らせてもらうわね。
まれーねと、もうします。まれーね・しぇーんべるぐ、ですわ。 ぎりぎりのさんかで、もうしわけございませんが……よろしく、おねがいいたしますわ。 ■■■ ……お掃除、は、あまり得意ではなくて。 特に、本がたくさんあるお部屋は……とっても、危険ですわ。時間が、あっという間に過ぎてしまいますもの。 ですので。わたくしは、お掃除の合間にリーチェさまを連れ出して気分転換のお手伝いをさせていただこうかなと。 お散歩とカフェ、ですわね。……うふふ、おまかせください。